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『農』との出会い

晴れて、武藤千春さん(以降「千春ちゃん」)と信州・小諸での「友達第1号」になったおいら達…。

それからというもの、おいらとしては、もっと小諸のことを知ってもらいたい!その上でもっと小諸のことを好きになってもらいたい!…という思いから…

千春ちゃんとすると、もっと小諸のことを知りたい!こだわりを持って農産物を作っている農家の方や、こだわりを持って仕事をされている方と繋がりたい!という思いから…。

その思いが相まって、いろんな話をするようになった…。

今回は、そもそも何で「農」?という話…

以前、このnote「武藤千春という人」にも書いたように、千春ちゃんは生まれも育ちも東京という、いわゆるシティガールである。そんな彼女との「農」との出会い…それは、奇しくも、今でも世の中を苦しめている「新型コロナウイルス」の影響によるものであった…。

千春ちゃんが小諸に移り住んできたのは、2019年12月のこと。御年、24歳。

いろいろなことに興味を持ち、外に出て様々な体験をしたい年頃だ…(きっとそうだったに違いない…)。

二地域居住に夢を膨らませ、いろんなことをしようと考えていたであろう…(これもおいらの妄想…)

そんなところに、新型コロナウイルスという悪魔が忍び寄ることになる…。

そう、2019年12月は、世界で最初に新型コロナウイルス感染症の患者が報告された時期である。

年が明け、2020年になると日本においても患者が報告されるようになり、今では当たり前のことのようになっているが、「三密」を避ける生活を余儀なくされ、「新たな生活様式」なんて言葉が出来るほど、今までとは違う、非常に窮屈な生活を送らなければならないこととなってしまうのだった。

マスクの着用は必須。様々な施設の閉鎖に、店舗等の休業…日常生活において、人との接触はダメ、家族以外の会食もダメ…、駄目、ダメ、だめ…のオンパレード…。千春ちゃんとすると、せっかく二地域居住するようになったのに…だ。

そうなると、家に籠りがちになり、ネットやテレビなどと向き合う時間が増え、どこに住んでいても代わり映えのない生活を送るようになってしまう…。

仕事も、オンラインで打ち合わせをするようになり、ますます外出の機会が減ることとなる…。巣ごもりの環境が整い、外部との接触が遮断され…と、リアルに人と会わずに生活が出来るようになってしまった…。

コロナ禍で生まれた時間の過ごし方、それは人それぞれ…。外出する機会が少なくなったから、健康のために体を動かす。料理を始める。本を読む。…などなど、今まで出来なかったことをやってみようとした人も多かったはずだ。

そんな時に彼女がやっていたこと。それは、noteを100日間書き続ける…というおいらにはとうてい出来ないことだった。音楽のこと、小諸暮らしのこと、日頃の出来事…などなど、記事の内容は様々だ。彼女を知るに良いアイテム。興味のある方はChiharu Mutoのnoteをご覧あれ。

加えて、このコロナ禍で生まれた時間…彼女は、なんと!「自分のルーツを巡る旅」と題し、自分の祖先のことを調べ、家系図作りを始めたのだった…。いくら時間があったとはいえ、そんなことする?20代の若者が?…普通しないよね…(笑)。

本人曰く、10代の頃から興味があった…と言ってはいたが…。

でも、その「自分のルーツを巡る旅」がおもしろい方向へ彼女を導くことになる…。

その家系図作り…小諸に移住を決め、一緒に住んでいるおばあちゃんの家系のファミリーヒストリーを探る中で、おばあちゃんのご先祖さまが、現在の長野県佐久市で何百年にも渡り、その土地で暮らし、命を繋いで来たことを知ることとなる…。

その土地とは、小諸から車で20分程度。今でこそ合併して10万人規模の地方都市「佐久市」となってはいるが…昔ながらの山あいの農村地域だ。

一緒に住んでいるおばあちゃん、ずっと東京に住んではいたものの、幼い頃、夏休みにはその地域を訪れていたとのこと。

昭和の時代、東京から佐久のその地域に行くには、上野駅から汽車に乗り、小諸駅で降りてバスなどを乗り継いでいったに違いない。その頃の良い思い出が、おばあちゃんにはあったのだろう。おばあちゃんの小諸移住の根本は、ここにあったんだろうな…。千春ちゃんの二地域居住のきっかけを作ってくれたおばあちゃんに、今は感謝しかない…。

話は戻って、その農村地域のこと…。

小諸から車で20分程度の場所…20分…その当時、時間がたっぷりあるコロナ禍で、車で20分の距離…自分のルーツがある場所……行きたくなっちゃうよね…。

そんなことで、千春ちゃん、好奇心に駆られ、その地域を訪問することに…。

その地域は、信号もコンビニもなく、あるのは山、森、川、畑に田んぼ…田舎育ちのおいらが見ても、まさに日本の原風景…。大都会で生まれ育った彼女には、何もかもが新鮮で…一瞬にして、その魅力に引き込まれたのだとか…。

コロナ禍で時間がある彼女…何度となく、その地域を訪れることに…。

そこで、近くに住む親戚とコミュニケーションを取るようになり、田舎ならではの人口減少、農業の担い手不足、空き家対策…などなど、多くの課題を目の当たりにすることとなる…。

目の前に広がる畑や田んぼ…これを耕作しているのは、ほとんどが70歳代から80歳代の高齢者。これが日本の農業の現実である。

農地を荒らすのは簡単だ…。でも、荒らしておいて周りの人たちに迷惑を掛けるようなことはしたくない…。そんな気持ちで農地を耕している人も、田舎には数多くいる…。

そこで彼女は考えた…。

今、私に出来ることって何だ?
畑ってどうやってやるの?
実際にやってみるとどんな困りごとがあるの??

好奇心旺盛な彼女…。

その思いは小さな火種となり、その後、メラメラと燃え盛っていくのだった…。
彼女の心の中では、こう感じた時、既に畑をやることが決まっていたんだと思う…
彼女の話を聞いていて、そう思った…。

農業…

おいらの家は農家ではない…
庭で自家用の野菜を作る程度…
自家用野菜で作るといえば、キュウリにナスにトマト、ピーマンにカボチャにとうもろこし、最近はズッキーニなんてものを作ったりなんかもする…。いわゆる手軽で簡単に育てられるものが多い。

小諸の小学生は、学校でお米や野菜を作る授業があり、収穫体験もする。おいらの時代もそうだった。土いじりや水くれに対する抵抗感はあまりなく、自家用野菜であれば、どこの家の庭でも栽培している…田舎であれば、どこにでもある話。

でも、「農業」となると話は違う。
おいらの友達にも農家はいるし、実家が農家という友達も結構いる。

農業に対するおいらのイメージはこうだ。
「重労働」「朝早い」「休みがない」「天候に左右され、収入が安定しない」…
きっと、「農業」に対して抱くイメージは、みんなこんなもんだろう…。
だから余計に、農業を営んでいる友人たちを尊敬している。

おいら…いや、田舎の若者にとって、あまり良いイメージがない「農業」
でも、彼女にとっての「農業」は別物であった。

まずは「やってみたい!」…これが彼女の中での一番の原動力…。
「やってみなきゃわからないこともある!」…確かにそうだ…でもどうやって??

そこで彼女は考えた。

その地域に住む親戚に、使っていない畑を貸してもらい、畑を耕そう!…と。

これが彼女と「農」との関わりの一番初めの出来事であった…

つづく…


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