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言葉にしたらちょっと足りなかっただけ

 物語を進める事と将棋でとどめを刺す事は私にとって苦痛の叫びである、悲鳴といった方がこの話に纏まりはつくが「苦痛の叫び」この器官なき記号を用いて指先が進まない物語の展開を示してみよう。物語、Story、談、話、噺、起承転結、かぎかっこ――――始終や終始など類語の様で記号的含有の意味は甚だS極とN極の如く間反対に属しているのだ。フェルディナン・ド・ソシュールに拝借をしつつ記号的読解を心掛けている私をどうかお許し願いたい。

 記号における物語とは文字の横幅の事なのか、はたまた意味的な事を指すのか私には分からない、分かろうとしないと言った方が適切だろうか、ただ一つだけ躍動を抑えきれない事がある。それは終焉を迎える事だ。点が生み出され一直線に伸びていく、そして立体になる。一次元、二次元、三次元、四次元と数が世紀ごとに延伸されていき収拾がつかないエマージェンシ―な事態に陥っている。しかし私は「終焉を迎える事だ」とはっきり隠し通す事も出来ない状態を自ら作ってしまった。私が物語を進める事に億劫になっているが故に断言をした訳では無く終焉は必ず訪れるのだ、「終焉」この記号にも私が読み上げれば「ん」この言葉さえ口から発してしまえば終わりを迎える事になる。

 「あ、そうだ言葉を言い切る過程を物語にすればいいのか!言い切らなければ物語に終焉を迎えずに済むぞ!」

 始まりがあれば終わりも来ると同様に終わりが来れば何かが始まる、サイクルを我々は息をしながら反芻している。上記文章を記した訳を今からお伝えするがどうか何処にも行かないでほしい、目を逸らされると私はまた檻に閉じ込められ晴天なのに雨宿りをしなくちゃいけないことになる。どうかこの話が尽きるまでは私の元にいてほしい、私と手なんか繋いでみて話し言葉と書き言葉の綯交ぜに欠伸をしてほしい。それが私にとっての幸せなのだから――私には生涯手放したくない人がいる。一目惚れでぞっこんというやつだ、ただ相手には婚約が決まりそうで決まらない浮ついた人がいるのだがその人の事が心底憎くて致し方ないのだ、汗まみれのコップを舐めたいほど気が狂いそうなのである。どうすれば彼女を強奪できるか常日頃、白昼夢。望遠鏡で覗くぐらい考えているが私が彼女にゾッコンな様に彼女も彼氏という奴にゾッコンなのである。彼女の事を考えると先程まで記号が何とか言ってた自分の語彙に不信を抱き何とも気持ち悪い、「痘痕も靨」だなんて上手い言葉があるものだと言語に関心を抱いている自分がいる事も忘れてはならない。この文章を読んでくれている諸君、私はずっと彼女の姿形だけを見ているだけだと思うか?もし首を縦に振ろうものならこめかみに銃を突きつけるところだ。実際ド下手なほどの好意を彼女に伝えてきたのだ。不器用なんてものじゃない、変人扱いされるほどの童貞紛いの事をしていたのだ。彼女をデートに誘い、知識は皆無だが珈琲を嗜み夜は口が震えながらもディナーを食していた。後になって気づいたが口許に可愛らしいソースが赤ちゃんの爆弾の様に付着していた。彼女は一切笑わなかったし私の目をきちんと観てくれた――水面に写る私も何処か笑顔であった。童貞紛いを装った私はどうにか彼女の眼に映るようになったと錯覚していた、ただ錯覚していただけだった。

三回目のデートで僕はとうとう彼女の手を握った、彼女も避けることなく私の言うとおりにした。感極まると共に手の位置に少しだけ違和感があったのだ、上手く重ならず歯車がぎこちない様態で私に話しかけてくるのである。「お前のじゃない、お前のじゃない。」冷や汗と脂汗が交互に流出しより重ねが悪くなる一方だ、二回目のデートを記さなかった事を反省すれば重ねは合致するだろうか、そんな余裕は一切ないが誰か私にドッキリと書いてある札を見せてくれないか。さもなければ私の頭上に半透明で出没した天使が本気でお出迎えしそうなのだ。能天気な文章に嫌気を差したなら反省する。ただそれだけ焦って事だけは十分に伝わっただろう。私はこんな具合に適当さが顕著となり彼女が唖然とするのも納得だ、ただへんてこりんな文字列にしないとこの物語は廉価な商品になってしまう、それを恐れているのだ。

深夜営業の棚に半額となった書籍の題名は「あなたと私の恋愛ソング」何とも古臭く嘘たらしい。物語の機能を果たした人工的著作にノンフィクションを好む界隈からは煙たがれる題名だ。ただ私は物語の機能を果たした恋愛に羨望を抱いているのだ。起伏が心地よく形成されており伏線が見事なまでに集約されており私の物語にも幸福論が受注されるような人生を送りたかった。

「何で僕だけこんなに我慢せねばならんのか……」ついつい本音で落ち込んでしまった、我武者羅に足を進めた私は軍隊の行進に遮られ恋路が記された地図も雨でぐちゃぐちゃだった。憚れた轍を進む事は出来ない、いかなる手段を考えようとも私はあなたの隣に入れなかったし貴方も私を隣住まわせようとはしなかった、ただそれだけの事だった……。次第に言葉数が減少していく、土砂崩れで文法がハチャメチャになり私の恋にも幕を閉じる事になる。強制的にシャットダウンした瞳にはやはり彼女の姿があった。見ない、観ない、視ない、選択画面で私は「見ない」を選んだ。スクロールが加速し画像は次第に映像と化していく、私と目が合う、私を見つめている、私も見つめている、二人だけの空間は雨に叩かれた窓の様で傘は要らない。あなたは屋根があるおかげか全然濡れていないのね。私は君のためにずぶ濡れだというのに。けど泪は流しているのね。僕は雨に濡れて泪を流しているような擬態で実際は濡れているだけだけどね。言葉なんて物質が無ければ情が芽生えなければ人口機能になれたのかな。身体の運動がGDPの基準になれば僕は君と交じれたのかな。

恋文というには少しぎこちないが私なりのプロポーションだ。いやプロポーズだったのかもしれない。三回目のデートで直に感じた肌の瓦解と浮力の圧に私は諦めを遮るのだ。

現在地は自部屋のベッド脇で今すぐに救護と精神外科医を呼んでほしい。あわよくば犬と猫も――――「かの……」いや何でもない。

帳が落ちるタイミングの脳内はこんな感じで齟齬に齟齬が生じる意味不明な恋愛忌憚だったはずだが我々が日常的に映像として流れる脳内なんかこんな感じで純文学に従事している訳でもなくほんとにそんな感じ。明かりも付けずリモコンを手に取りテレビをつけるとお笑い番組が流れた。のろのろしたボケに対し迅速にツッコみを入れる背広を着た若い青年は私と同じく寂しい表情を浮かべていた、多分誰かに言っても賛同はされず僕だけが分かることだった。

「どうもありがとうございました」と発し両脇に捌けていく後ろ姿を丁寧に見送った、これが最後の言葉かもしれないから。部屋には私しかいないはずなのに次から次へと画面には芸人が漫才やコントを繰り広げていく。一人にさせてくれない現代社会の戒めを芸人はお笑いで消化し観客の合唱と拍手はカルト的要素を含み気味が悪い。あっという間に時間が経ち決勝戦まで進み、優勝者が決まった。画面に映し出されたコンビは私がテレビを付ける前に漫才を披露したのかそのコンビの事は知らなかった。そして寂しげな表情を浮かべたあの青年は画面を凝視して隅から隅まで探したが見つからなかった。観客の歓声に紛れこむように彼の姿はかくれんぼで最後まで見つからない陰湿な子と一緒であった。砂場で遊び口腔に入ったじゃりじゃりした記憶を頼りに今の苦さを知ったのは後数分の出来事である。お笑い番組も見終え暇を持て余した私は、画面の明るさを頼りに机の下に置いてあるペットボトルに手を伸ばす、腰がはち切れそうなほど奥底に仁王立ちしており少しの苛立ちさえ覚える。私の元まで届くかな?と言うように・・・・。

水を飲みする事も無くなった私は外にでも出て乾ききった空気でも浴びようかと考える、外に出るのは一週間ぶりだ。普段外に出る事にご縁がない私に外気を触れさせるのは異常な事なのだ、淀みない夜空と飲みかけのペットボトルを片手に街に繰り出した。玄関先で母と遭遇し「どこ行くの?」と直球の質問に怯えながらも「・・・・散歩してくる」怯む必要など一切ないのに質問はどうも昔ながらの苦手意識なのである。薄手のパーカにチノパンは当たり障りのない服装だが何気にダサさを隠し切れないのは心の変色なのだろう。地球の芯から虚無に入り浸った私の顔色は彼女といる時とはうって変わって対極にいる。何しに外に出たのか今でも答えは出ないままだが家にいても仕方が無いのを言い訳に足を進めるばかりだ。家が立ち並ぶ、犬が遠吠えしている、深夜徘徊の不審者、レジ打ちに勤しむ茶髪の男子学生、地動説を唱える吉田さん、キリストの実家と親交があった武夫さん、視界に映る記号の流動に余裕さを覚えるが何処か人間が物質的な肉体だと薄々気づいていて不安がそそられる。

私以外機械じみていて私だけが人間である、そんな事を思うのである。夜道は絵画で展示会のご様子だ。誰かが話しかけてくる訳でもなく静まり返った空間に高価な絨毯が敷いており正装は黒の背広に新調した革靴、履きなれず靴擦れを起こす。血が垂れ凝固し瘡蓋になるこの循環と瞬間的に成虫する蛹は夏の季語となった。湿度を拭いきれない風は心地よさを与え生命そのものであった。自動販売機で缶ジュースを買い、いつも行く公園のベンチに腰掛けた。木が怪物に見える、私は襲われるのではないか・・・・缶の汗は湿気に回収され温くなり甘い微炭酸と化してしまう、このまま完飲しなければゴミ箱行きが決定するのですぐさま飲み干した。あまり美味しくなくなった缶ジュースは喉を通過しあらゆる器官に分配される、そして私になる。ベンチの硬さは足の姿勢を矯正してくれるが肝心な背中の骨は治してくれず前方向に進むばかりだ。目に映るアリの大群、缶から少し垂れたジュースに反応し揃いもそろって蜜を欲しがるアリは懸命に生き延びようと必死だった。

 黒い群れを置き去りにし私は立ち上がり今来た道に戻る。見慣れた景色を逆から覗いてみる・・・・きしけたれなみ。言葉の逆転と反回転でタイムスリップ出来た気分になる、実際は一直線に進んでいるだけなのに不慣れな事をするだけで夏の懐古が楽しくなるのは私の秘密。小学生までタイムスリップ出来ると思い込んでいた最後の砦なのだ、あの夏の四隅に冷えたサイダーは今頃知らない子になっていて、誰かに渡したのだろう。そうやって思い出は続くのだろう。

 歩き方を忘れた僕らは泳ぎ方を、飛び方を取得してクジラかまさしく蝶々になっていき小魚か甘い蜜を平らげるのだ。そんな私の日常が不可視と透明なガラスで海に溺れる。僕の不安が波に攫われ帰路が大群の魚と昆虫類で溢れかえり目先が閉ざされる。金魚鉢を軸に向き合いながら泳ぐ魚達をただただ見つめ彼女の輪郭がうまい具合に歪んでいたのを思い出した、金魚は赤かったし白かった。そんな事ばかり思い出してはいつまでたっても孵化出来ない。いくら考えたって消化されない気持ちを矢にして姿勢を正した。隣家のおばさんの遺言を頼りに頭蓋を少し動かした、小心を弄んだ。

 立ち止まった、そして公園の方に踵を返し彼女宅へ向かう、途中祭り終わりの人混みで中々前に進めない。浴衣姿が誰しも彼女に感じてしまう、下駄の音は胸を痛ませる、彼女も連れと花火でも見たのか、屋台の人混みに幸福を感じたのか、花火の音は何色だったのか、金魚すくいの網はいつ破れたのか――まだ間に合いますか。

 焦りを漏らさずどうにか彼女宅にまでたどり着いた、膝に手を置き呼吸を整える、鼻息は運動不足を教えてくれた。確信は持てぬまま彼女の部屋であろう二階の左部屋に目をこしらえた。カーテン越しではあるが明かりが付いてるのは分かった。影は二人、劇の幕は閉じた。うろこが全て剥がれた――もう少しだから、もう少しで・・・・。

 一喜一憂を半分に割り下の甘い部分だけを食した、完食は出来なかったけど今日くらいは許してくれるだろうと思った。口角が笑顔になる角度をずっと探している、分度器を必要としているらしい。祭囃子を身に着けた人達と共に歩き始めるが体の部位ごとに向かう方向が異なり背骨が抜けた人間の様で不格好である。汗は乾ききって生ぬるいお腹が冷え始める頃、絵画展も閉店していて人っ子一人いない。頭は次第に正面を向く中途――正面には誰かの足が見えた。勢いで前を見ると彼女がいた。

 「会いたかった?」突拍子もなく話かけてくる彼女は幼稚な顔をしていた、浴衣姿に見惚れた私は話の腰を折り・・・・似合わないね。

 不貞腐れない彼女は増す勢いで私に近づき、頬にキスをした。リンゴだった、多分私はリンゴだったし自分に嫉妬した。「こうでもしないと私の事好きになってくれないでしょ?」訳が分からない。染色体を選択できるなら今すぐにでも普段使いしない色を選び自立させたいが今日だけは彼女色に染まってみるのも悪くないかなと思う。「まだ好きでいていいの。」彼女も朱色を選択したのか、染まったのかは分からない、けど今だけは同じ金魚を見つめている、水槽の器官は泡を放ち風船のように宙を舞っていく。また頬にキスをした、何度も何度も。どれくらいの時間が経ったのだろうか、時計を覗けば分かることだがこの瞬間がずっと続けば私は言い終える事もないのだろう、物語が孵化することもせず待ちわびた実験にも答えが出るのだろう。愛撫を繰り返し小賢しいライオンの様に、暖をとるペンギンの様に、私の事の様にそれは果てしないものであった。

 ――あなたになりたい 

 わたしの事か、はたまた対面している対象の事か、それとも遠い何処かにいる傍観者か。誰が誰に問いかけているのだろう、僕はいつだってあなたになりたいのだ。物語に潜入して彼女とまっとうな事をしたい、ぼくがいる限り物語は終わらないでしょ?――早くそっちに行かせてよ、早く物語を終わらせようよ、そうしないといつまでも未完の虜になっちゃうよ・・・・午前は深夜帯で彼女の話は淀み僕との通信が途切れる、彼女が物語から消え、データが削除される。あの子はもういない、どこに消えたかすら分からない、辺りを見回しても歩く人すらいない。今来た道に戻る、とにかく走る、無駄足が心を落ち着かせるが彼女のデータが段々と上書き保存され存在が知らない人になっていく。汗は垂直に流れ込み息も四方八方に乱れる、そして足を止めた。もう彼女の事など忘却し何の為に走っていたのか分からなくなっていた。夜も朝に走り疲れきったのか陽を差し伸べてくれた。帰宅をすすめられ家に向かうことにした。

 帰路につき自分の部屋に戻った、カーテンは閉めたきりで外の明るさはまだないがまだ夜の出来事を忘れたくなかった私は開けはせずそのままでテレビを付けた。普段見慣れない15分間のドラマが映っており、戦時中の恋愛を描いている作品だ、旦那が赤札を渡され国の為に戦時に向かう中途の話で何とも心が痛むが実際にあった出来事だと考えると私の物語はかなり廉価なものだ。ぽつぽつと外から大粒の雨が降り出し、母親が急いで洗濯物を取り込んでいる、それを見ているだけで何もしない私はどうも様子がおかしい。普段であれば私は母の行く所についていき母の見様見真似で何でもする私だったが今日だけは何も手が付かない。母は察したかのように言葉は発さずただ私を見つめるだけである、私は目を合わせる事は無いままに。

 「あーあ、濡れちゃった、また洗濯しなきゃー。」話しかけてる感じでもなく独り言でもない様子にどのように答えるべきか迷いに迷ったが返答しないことにした、事は進まないが外の雨は加速していき土砂降りとなった。眠気に誘われいつの間にか眠ってしまっていた。正直夢の事など覚えていない。昔見た夢をほぼほぼ覚えてなどいない。ただあの子の事だけはずっと覚えている。

夢で見たあの子は僕の頬にキスをして朱色に染まった染色体に触感がある。

履きなれない下駄と背後から迫りくる花火の音だけはたしかな事であるがあの子は果たして誰なのかは実際のところ知る由もない、多分知らない事にする。

サイコロを転がし六マス進めたすごろくのミッション――逆上がりに成功した、賞金3000円もらう。隣のマスは「鉢に刺される。病院で4000円払う。」順調な配分だ、彼女もサイコロを回し五マス進んだ、鉢に刺されたようで治療料を払っている。手持ちが無くなっていき不貞腐れる彼女は、もう一度人生ゲームを始めたい素振りであるが後戻りは出来ない。そんなゲームなのだ。飽きを生じた彼女はソファに飛び込み寝準備をする「つまんない、違う事しよう」普段から飽き性なのは承知の事だがそんなにつまらないかと頭を悩ませる。彼女と住み始めて約三年の月日が経つ、特別な事は無いが現状には十分に満足している。彼女と出会った場所は市街地外れにある古民家カフェで僕が卒業論文に追われている最中、隣席で悠々と嗜んでいたその子が僕の彼女である。「ねえ、一緒にどこか行かない?」と彼女からの誘いがきっかけで親交が深まった。遊泳したり入りづらい喫茶店にお化け屋敷の様に忍び足で赴いたりと中々カップルらしい事を続ける内に彼女の事が気にいった。そして彼女も僕の事を気にいってくれたらしい。何度も遊びを重ね情だけが募るのだ。明くる日痺れを切らした僕は夜空を見に行こうと誘った。終始照れくささを隠しながら、星が見えない丘の上で・・・・伝えるには気が滅入る、たださすれば事は進まぬ。恥ずかしいったらありゃしないがそれなりに懸命な口説きだったと思う。彼女は何も言わず口を尖らせ縦に首を振った。僕は嬉しかったが彼女があんな表情をする事に驚いた。何度も遊びに行った場所での彼女の表情を思い浮かべるが今まででそんな顔をした事は無かった、彼女が彼女になる瞬間を僕は見届けたのだ。隙間があった私たちはその間を埋めた、固く結ばれ途切れることが無いように。彼女の宅へ行き、余興は無いまま何度も何度もキスをした。 

 ずっと繋がれ、心拍は同音し一つとなり合間も手持無沙汰が無いほど彼女の事を知っていった。机上に置いてある金魚鉢に餌をやり金魚は口をパクパクしている、必死に餌を求める事で豊満さは保持している人魚は存分に餌を与えないと死んでしまう。餌あげが楽しくなっていた矢先彼女が背後から現れ首筋を舐めた。人魚同様に湿っていた彼女が目を半分に唇をなぞり誘ってくる。

 「まだ思い出す?」脈絡に無いことを言っているが、背筋が凍った。何であの子の事を知っているのだろう、何でそんな事聞くのだろうか――私と僕で混在する記号信号は検索欄にも調べが無く迷っていたところだったのに。

 「何のこと?いい加減なこと言わないで。」

 「だってあなた私の事なんて見てないじゃない、ずっと上の空なのよ。それでも知らないふりを続けるの?」彼女は怒っている、普段の笑顔を喫茶店に置いてきたかのように。本の中では彼女は怒らず私の言うとおりだ、ただ今は本の中にはいなくて彼女といるのだ。いつから僕は物語と実際をこんがり続け見当もつかなくなっていったのだろうか。その場を凌ぐ為に冷蔵庫に牛乳を取りに行きコップ二つに注ぐのだ。コップを差し出し彼女は何も言わずに手に取り少しずつ飲み干していく。台所の照明だけが僕らを指し示していて、僕と彼女の間に透明な鉢があり水中をぐるぐる回る金魚はどちらについていこうか悩んでいる子供だった――僕の親は離婚していて結局母親に付いていった小学四年の夏先の事であった。

 ――深海を潜り抜ける人魚が漁師に釣られ世界恐慌を巻き起こしたあの事件以来寝つけが悪くなり夏の夜の湿気が僕を焦らすのだ。リビングで父と母が喧嘩をしてるが口論にしては拙い。父は瓶ビールをグラスに注ぐわけでもなく直で飲んでいる。直接見たわけではないがそんな気がした。

 涙を啜っている音も聞こえる、おそらく母親だろうが父は何も触れずひたすら強めの口調で責めている、いやな記憶だが僕の季語になってしまった。ふすまが少しだけ開いていて父母を覗きたかったがふすまとは間反対の小窓を見続けるだけで現実から遠い場所に眼を映した。そんな日が何か月も続きついには母親の方から口火を切った。

 「早く迎えに来てちょうだいね」森林が霧で覆われ遠くから見える輪郭と記憶を頼りに触れてみるが形があるだけで僕の母親ではなかった。顔などすっかり忘れている。くたびれた肩とぼろいシャツだけはたしかなのだが。

目先が不透明で濁りがかっている、朝陽の角度が丁度僕の眼にレーザービームの様に流れ込む。母が言った言葉は真意か悪戯なのか知らないがいつもの場所に母はいなく、ましてや父の姿もない。テーブルにいつもの献立が置いてある、トースト一枚に目玉焼きが二つといたってシンプルだ。いつものはずなのに最後な気がしてならないのだ、実際にそうであった。通学路、隣家何もかも普段と変わらない僕の日常だったが家族だけがいつもと違った。今でも違う気がしている。学校が終わり帰路につく。母親が帰ってきた、夕餉にするわけでもなく荷造りを始めた。颯爽と支度を終えた母と急かされた僕は背後のテレビ音には気づかず玄関を出た。

 ――続いてのニュースです。広東都東区は、今日全国で一番の最高気温となりました。西の灯と東の鎮魂、南の捜索、北の虚像計画は失敗に終わりました。日本の風速は増すばかりです・・・・。

 あの日の事は特段覚えていない、忘れたくて忘れたのではないかと今になって思う。約十六年の月日が流れた。今の今まで従順に教育を受け不自由なく過ごせた、母親にはそれなりに感謝している。ただ父の不在でどことなく飲みかけの炭酸飲料を飲み干せないのだ、昔からの癖が抜けない。母に父がどこにいるのか聞きたいが聞いてしまったら母との関係性までも崩壊しそうな気がして中々聞けない自分がいる。僕は付き合って一年の彼女がいる、その子と同棲することになり母親にはその事を伝えている。はじめは僕のだらしなさを勘ぐり反対していたが彼女が母親の反対を押し切りどうにか同棲の許可をもらったような形だ。彼女の強さに母と僕はあっけにとられ誰も彼女にノーと言える人などいないのではないかと思った。初夏が僕たちの見舞いに来る頃新宅に荷物を運ぶため大がかりの車を用意した。僕の荷物はそれほど多くないため車で足りるのだが彼女はどうも大荷物なようで業者を頼らなければいけないほどだった。 

 昼二時に新宅集合でまだ時間があった為僕は少しばかりの睡眠を取ることにした。暑さに勝てず中々寝付けない僕は何度も寝返りを打ち冷たいポジションをひたすら探している。元々クーラーが効いた部屋に置いてた布団をわざわざ別室に移しじめじめした部屋で寝ようとしたせいで布団はすでに暖かくなっていて心地よさは何処にもない。ただ四隅だけは微妙に冷たく、足を四隅に置きどうにかして寝つけに成功した。

 ――僕は彼女の事が好きである。ただ相手には彼氏がいて僕が彼女の事を好きなように彼女もまた彼氏の事をこの上なく愛しているのだ。それでも諦めきれず彼女をデートに誘い、何度も何度も告白をした。彼女の返答は常に「あなたボロボロにならなきゃ私の事好きになってくれないでしょ?」いつ聞いてもその答えの意味は分からないままだが僕の事を彼氏以上に好いていない事だけは分かった。帳が落ちる頃家にいる自分を奮起して立ち上がり祭りを背に彼女の宅に向かった。徒然なる焦燥を法被として着こなし祭り終わりの人混みをかき分ける姿はこの世で一番かっこよかった。夢から覚めたら彼女に僕のカッコよさを自慢しようなんて思ったり思わなかったり。

 結局彼女には会えず帰路に付こうとしたところ後ろから声を掛けられた。

  「会いたかった?」喧騒から出てきた彼女の事を未だに忘れずにいる。彼女と過ごした数時間の出来事であったがそれでも僕には本物に見えた。

 ――昼寝も終わり時間になったので新宅へと向かう。長年過ごした家にお別れをして僕は新たな道路に足を踏み出すのだ、少し不安で怖かったけど彼女と過ごせる時間が増える事は僕にとっては嬉しかったし何よりも家族に近づける事は僕が夢見たことだった。車に乗り込んで行き慣れない道を進んでいく。この車窓もいつの日かは常となり気だるげな場所になるのかと考えると感慨深い。目的地に着くと彼女はすでに着いていて僕に手を振っている。

 「遅かったね、業者さんに大体の荷物は運んでもらったからあとちょっとで終わるよ。」

 「そんなには混んでなかったけど、普段通らない道だから同じ道を何回も行ったり来たりしちゃったよ。僕の荷物はそんなに多くないからすぐ終わるよ、荷物片づけ終わったらご飯でも行かない?」

 「いいね、中華食べたい。」にやりといたずらな顔をした彼女にドキドキしてしまう自分がいた。片付けも早々に終わらせレンタルした車で中華屋に向かった。知らない土地ということでわくわくした二人は地図でおすすめの場所を検索しゲーム感覚で行きたい場所を指さした。付き合って長い事もあり意見が合致した。俺たちが今この世で最強だと思わんばかりに。

 アツアツの炒飯と拉麺を頼んだ、空調が効いておらずじわじわと汗が垂れこんでくる、水をたくさん飲むが水なのかお茶なのか分からない水分はより一層喉を乾かせるので悪循環である。テーブル席から見える厨房近くに金魚鉢がある。中には何もおらず藻だけがある。おばちゃんが重たい容器を僕たちの方に運んでくる――金魚はどうしたんですか?せっかく金魚鉢があるなら買えばいいのに。おばちゃんは首に巻いたタオルで汗を拭きながら「暑さのせいでね。死んじゃったのよ。捨てようか迷ってたんだけど、もしよかったら要るかい?」金魚など買う予定は一切なかったが彼女がどうしても欲しいと懇願するので持ち帰る事にした。帰りに用事が出来たのでこの町の事を知れるのは大変ありがたかったが飼うことに関してはどうも乗り気にはなれなかった。

 拉麺と炒飯は暑さを吹き飛ばすほど美味く常連になると口に出したわけではないが意思疎通を行うことができた。ご飯を食べ終え次はホームセンターに向かうことにした。車を走らせていると見覚えある女性が歩道を歩いていた。ただ何も情報が無いため探る余地もなく、助手席には彼女も乗っているため誰に相談することなくただ一人で考えるだけであった。僕が考え事をしているとき彼女はいつも悲しい表情をする。そんな彼女の事が嫌いであった、悲しい事に辿り着けないくせに相手を思いやる全面が強調されているからだ。彼女は何も声を掛けずただひたすら僕の事を見ているだけである。申し訳ない気持ちが段々と募っていき僕は話題を振るのである。これが僕と彼女の常な事だ。

 「何飼いたい?」無理やり出した話題を悟った彼女は申し訳なさそうに・・・・金魚かな。可愛いし今の季節にぴったりだと思うんだ。また僕の意見と一致し盛り上がった。

 ホームセンターに着くと意気揚々としテンションが上がった。ついでに家具とかも買っちゃうかとお金も無いのに其の場の気分であれこれ決めた。

 アクアリウムコーナーに着き無料水族館気分でいろんな魚たちを見て回った。二人で選んだのは豊満な金魚で朱色がつやつやとしていて風情を感じられるほどきれいであった。名前は「太郎」日本男児っぽい名前にした。

 結局家具は買わずに帰路に立った僕たちはすぐさま金魚鉢に太郎を入水させた。生き生きと泳ぐ姿を見るとこちらまで嬉しくなる、さっきまで乗り気じゃなかった僕は何処に行ったのだろうか。

 金魚のおかげで生活も色鮮やかになるような気がして、感謝の意しか示せない。物語はこういった具合に従順に進めようと思えばどうにでもなるのである。僕が夢の中で見た彼女と私が好きだった彼女は同一ではない。隣にいる彼女は僕のか、私のか、たまに分からなくなる時がある、歩道で見かけたあの子と夢の中での彼女は接点があるのか無いのか今考えられることは少ないがあの子でありあの子ではなかった。それだけが答えである。余白が埋まらない、僕の記憶が薄氷となり砕け始めている。もう少しで僕/私の物語に丸が付くみたい。夢がどんな物語だったのか忘れかけ始めている。僕の彼女が部屋の配置をどうするか聞いてきた。どうでも良かったが彼女の期限を損なわせないように話に乗った。僕の部屋はリビング向かって左側の部屋に決まった。部屋割りも決まったことで早速自分色の部屋にしてやろうと意気込み準備に取り掛かった。机を設置したり本棚に本を入れたりしていくうちに段々と眠気に襲われ気づいたら寝ていた。まだ寝ぼけているがふすまの隙間から誰かの声が聞こえた。男性の声であるがこの空間に男性が居る訳ないと思いまだ夢の中なのだなと腑に落ちさせた。ただ地べたの触感ははっきりと分かるから誰かいる事は明白だった。居てはいけない人がいる事に驚きその場から一歩も動けなかった。また現実から遠く目を背けるためにリビングとは間反対の壁の方に体を打った。

 「羊の解剖は済んだのか、あの実験は成功したのか?」

知らない人が誰かと話している。声質的には彼女のではないことは分かったが誰なのか分からなかった。心拍数が上がっていき頭はこんがらがってくる。どうにか物語を強制終了すればこのドギマギも無くなる。どうか早くこの場を終わらせてくれと祈りをささげる。

 ――鈴の音が鳴った。あの日の事を思い出した。父と母が喧嘩していた時の事だ。僕が今寝転んでいる場所と限りなく当初と近しい。父母が何で喧嘩していたのか分からなかったが失神状態の手前状態となり全てがフラッシュバックされた。父は医者である、ただ何を専門にしているかは分からなかった。父は私を実験台にして何かを企んでいたのだ。だからそれを止めるべく母は泣いていて別れを持ち出したのだ。僕を人造にしない為に。父の消息を未だに知らないが今思うと知りたくもない。母だけしか信用ができない、ただ一つ母に対して疑心な点がある。母は異常な程僕の事を知っているのだ、虚偽の本当と言っても差し支えないほどに。ずっと監視されていて、私の事なら何でも知っている。学校での出来事、部活、友達付き合い、話ようがないことを母は、愛一つでは足りないと小汚い嘘をついては私になんでも話させた。僕が中学二年の時一度だけ家出をしたことがあった。机の上に置いてある手紙に「汚してください。」と配列した蟻みたいにただただ黒い文字で記されてあった。

 嫌悪の皮膚に付着できぬほど父を憎んでいた母が僕を置いて失踪した事にただただ疑問を隠せなかった。春先に失踪した母は約一週間前後で帰ってきたが、母が帰ってくる間ずっと眼球が痒かった。きっと花粉のせいだろうと思っていたがこのもどかしさを小学生のころにも感じていた。それは五月の中心ブルーベリーの香りが漂う一定地域で迷子になった時の事であった。残り香を頼りに行きついた蓮の田畑は陽気な気温で気を取られるほどに春の真っただ中であったのだ。ほんわかしている最中背後から母が声を掛けてきた。

 「帰ろう、もう産まれるから。」

 あの言葉が何だったのか、だれに当てた言葉なのか、誰が産まれるのか。

 赤信号が点滅し始め、夏の中途を告げる頃また眼球が痒くなり始めた。痒みが次第に膨張し月の表面が変態していき、満ち欠けの様に光を失い始めた。ありもしない記憶が蘇ってくる。

 「膿を検出しました、直ちに除去してください。」白衣を着た男性と女性は霞で道路が水面並に反射しそれを繰り返し言葉と筋が血管に流れ込む瞬間をカメラで捉えた。見慣れない天井が続いている、喉が渇き棚に置いてるペットボトルを取った。誰が蓋を開けたのだろう。光にしては白く天国にしては黄色すぎる眼の裏。微熱だと分かる体温で目が覚める、再来する悪夢に怯えながら寝返りを打つ。ふすまの隙間から光が漏れていて起点の方向に眼を進める。母親らしい人が誰かと話している。声の限り彼女である。何を話しているのか耳を傾けると「実験は失敗したわ。夢に出させた女性をどうにか探してほしかったのだけどあの子一切興味を示さないの。だから実験は失敗よ。次第にあの子は壊れていくでしょうけどもし何かあればすぐに別れて頂戴ね。」母は何を言っているのか理解できなかった、母も父と一緒で俺を実験台にしていたのか、何で俺と一緒に家出をしたのか尚更分からなくなってしまった。

 「はい、分かりました。何かあればお母様にお知らせします。」

 「お母様なんてやめて頂戴よ、今は演技なんてしなくていいのよ。それじゃ調査を続行して。私は研究室に戻るから。お休みなさい。」

 母は椅子から立ち上がりふすまをちょっとだけ開け、僕が起きてる事も分からないまま一言告げるのであった――かわいそうな子。

 母が玄関を出たのを確認すると彼女が僕の背後に現れ僕を起こした。今起きた風を装った僕だが現実を受け入れらなく鼓動が速さを増していく。

 彼女に何も言えぬまま、約三年に月日が流れた。僕の人体実験が何だったのか知りたい気持ちは十分にあったが怖くて聞けなかった、彼女に対する不信感はありつつも同棲は申し分なく楽しかったのであの日の出来事は無かったことにしている。これからもいつもみたいに楽しく過ごせるだろうと思った矢先金魚が死んだ。突然死だった。彼女はぶっきらぼうに泣き、僕も大事に育てていたから涙が止まらなかった。腹を空に向け瞳孔は目いっぱいに開いている。ずっと僕の方を見ていて気味が悪かったが、悲しみの方が勝った。供養をすべく庭に埋めようと提案すると「何でそんなひどいことするの!金魚は水が無いと生きられないんだよ、埋めるなんて馬鹿じゃないの!」もう死んでいるのに何を言っているんだと混乱しながらどうすれば良いか分からなくなった。

 「放置するのは可哀そうだよ、埋葬してあげようよ」彼女の怒りは収まらないばかりで口論になった。彼女の意味不明な言い訳は次第に僕の堪忍を切れさせた。この勢いで彼女にあの日何の話をしていたのか聞こうと考えた。

 ・・・・あの日母親と何話してたの?彼女は黙った、正確には僕が黙らせたと言った方が適切である。どうせ教えてくれないと思ったがボソボソと何か言いかけた・・・・あの子を探してほしかったの。あなたの夢を操作してあの子を探してほしかったの!

 「誰だよ、あの子って」その子を見つけてどうするつもりだ。怒りが収まらない僕は彼女に詰め寄った。

 「人の夢を操作して、架空の人物像を形成するの。そしてあたかも現実にいると錯覚させてその子を見つけ出すの。言語の意味的作用が機能すれば形が出来上がって人造人間ができるでしょ。今人口を増殖する計画が進んでいるの、それであなたを使わせてもらったのよ。」彼女は落ち着きを戻し丁寧に教えてくれた。それじゃ僕が彼女とデートした事や祭終わり何度も何度もキスをしたことは全て操作されていたのか。彼女との約束も彼女が僕に言った事もすべてがからくりだったのか。彼女は申し訳なさそうに僕を見つめる。

 僕はここから抜け出せないのか、物語の中でしか僕は生きられないのか、そんな事が頭から溢れかえる。背後から紙に文字を書いている音が聞こえる。後ろを振り返ると僕がこちらを覗いている、目と眼が合った。君は笑っていた、僕は君の後ろにいる奴とも目が合った。僕は君に聞きたい・・・・終幕は決まったかい?

 彼女との人生は大変すばらしく、楽しかった。初恋であり狂恋、悲恋、愛と恋をまっとう出来た。僕の恋文が終わりに近づいていく、物語が終わってしまうのか、幕も足元まで来てしまった、すでに客席は見えず残るは喝采のみである。段々と記憶が消えていく、僕の気持ちの端っこでは「好きでいる事」のデータが消去されていき彼女のにおいが、感触が、姿形が、声が・・・・消せてよかった。

 嘘だらけのラブレターは、箱の中に閉まっておこう。僕がそこにいた証を残しておこう。そうすればいつか君が見つけてくれると信じているから。彼女とおそらく結婚するだろう。そして何も知らないふりをして生涯を暮らしていくのだと思う。もうあの子の事は一切覚えてないけどそれでもいつかあの子と出会えることを祈願してそっと手紙を閉じる。彼女に呼ばれた気がした。僕はけだるげな返事をしては彼女がいる方に歩く。腹を天井に向けた金魚がどうなったか確認するべく金魚鉢に目をやった。金魚は目を見開き私の方を見つめている。

 「あ、金魚が少し笑った。」

    

 

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