映画「ぼくは君たちを憎まないことにした」
このところ私がウンウン悩んでいたすべてのことは、どうやら資本主義によってもたらされていたらしい・・・と気がついたのはここ数日です。わはは。
先日参加したふしぎな本屋のトークイベントと、ふしぎな友人の紹介してくれた本の内容が、これまたふしぎ、同日に合致して「嗚呼、資本主義よ」と思いました。
で、いま読んでいる河合隼雄の本には
「こどもたちは(じつは大人たちも)それぞれに、社会にそぐわない「異界」を持っている。その「異界」を社会へうまくのばしていくところに、子育てというものがあるんじゃないだろうか」
みたいなことが書いてある。
で、その不思議な本屋にあった『オウム真理教の深層』というテーマの雑誌のなかにも河合隼雄がいて、
「"反宗教"も、また宗教。二項対立にしかならない。宗教があろうがなかろうが、自分の内側から宗教(あるいは世界を)を乗りこえていかんとするところに、道があるのではないか」
みたいなこと言ってた(たぶん)。
劇中のテロ遺族である父は、血反吐をはきながら、己の身にあまる憎しみをどう抱えて生きていくのか?
この映画をみたあと開いた本のなかに、
「時には身を焦がしてしまうほどの感情の火を、消してしまうのではなく、建設的な寛容を促す適温に保つための相当な努力が必要である。さもなければ、それは破壊をもたらすのみの爆発になることだろう」
という言葉をみつけた(これも河合隼雄)。この映画の紹介文かよってかんじです。
で、まあ何が言いたいかと言うと、
資本主義な世の中と、それとはべつの次元にある「異界」や激情のあいだに挟まれたじぶんは一体どうやって生きていったらいいのかな〜。方法はさっぱり分からんが状況はだいぶわかってきたゾ(わくわく)!
まあどうにか折り合いをつけて、たのしく生きていきたいもんです。
なんだか、ここ1週間の見聞録のようになったな。連鎖反応がおもしろかったので、まあメモ代わりに。
それにしても、「異界」や激情を適温に保つものは、一体なんなんでしょうね?
理論武装でもないし、アガペー!とかでもない気がするんだ。どっちもだいじなんじゃろけど。
ps あ、読んでないけどたぶん、映画よりも原作のがはるかにええようなかんじがします(勘)。このテーマを掘り下げるには、映像より活字の方が向いてるんじゃねーかなあ。
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