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映画「ポーランドへ行った子どもたち」

かつて朝鮮半島で戦争があったころ、南北両方から、ポーランドに預けられた戦災孤児がたくさんいた。孤児らを受け入れたのもまた、ナチスや戦争によって傷ついてきた人々だった。

映画が公にした出来事。そこへ光を当てること。照らし出された人やものごと。それらはよかった。

が、どっこい、制作者の佇まいはまったく好きになれなかった。ドキュメンタリー映画なのだけど、ドキュメンタリーではなかった。
監督と、脱北し俳優をめざす女性(イ・ソン)のふたりで、ポーランドを訪れ、孤児の足跡や、孤児を受け入れたポーランドの人々をたずねていくのだが、徹頭徹尾、監督だけがフィクションなんである。
「このシーンでは、じぶんはこの表情がいいだろう(アップで)」だとか、「このタイミングで、じぶんがイ・ソンに、この話題をふるのがいいだろう」とか、「このロケーションでは、こうすると映画がそれっぽくまとまるな」とか、そういう打算のもと過ごし続けるんである。
おそらくこの状況にいちばん苦しんだのはイ・ソンさんで、監督は彼女の出世のカギをにぎる者のひとりであるし、ドキュメンタリーといいつつも目の前の監督は「演者」として、じぶんの秘密をあばこうとする。なので、おそらく彼女も「演者」として仲良くなる過程をすごしたものの、終盤、脱北後の生活をたずねられたとき、それは話すことができないと断っていた。このシーンで心底ホッとした。あんなところまで話してしまったら、監督にいいように消費されつくして、イ・ソンさんはどうなっていたか分からない。
映画のためにやっていることを、個人のふりをして聞くのも汚いとおもった。イ・ソンさんが、監督からの「わたしには話してくれないの?」に応えてしまうと、映画として、監督に応えた話が、一気にパブリックに拡散されてしまうのである。その危険性を巧妙にごまかしている点も頂けなかった。「今、わたしに話してくれるということは、つまり映画に使われてしまうということだけど、それでも話してくれるかな?ムリはしなくていい」とは、たぶん言ってないと思うあの人は。

イ・ソンさんの立場が不利すぎて、これはパワハラ映画だろ・・・というところ。
戦災孤児を受け入れるも、こんどは国へ返すため手放さなくてはならなかった(ぶじすごせるとは思えない状況へ)、そういう運命に翻弄された人たちがいたことを知ること。

この2つの球が同時に飛んでくるので、ぐぬぬぬ・・・な映画でした。

http://cgp2016.com/...

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