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映画「マジック・マイク ラストダンス」

もし人間が、文化や権力ををまとわず裸一貫で求愛するんだったらこんなかんじなのでは?ということの暫定解にせまった映画・・・かな?

動物ドキュメンタリーの番組とかみてると、オスがメスに求愛してるじゃないですか。
結果はどうあれ、オスのマジっぷりがえらいチャーミングだし(「この枝がいいかな・・・ここがいいかな。いやちがうこっちか」的な準備なんかもすごく愛しい)、一方で「あたしはコイツの子孫を残すべきなんだろうか?」とそれをシビアに見つめるメスのまなざしにも、手に汗握ります。
こういったきびしく緊張した関係性から入るからこそ、実ったときオスのうれしさもひとしおなんじゃねーかなあ。また、フラれたオスがいさぎよくあきらめるのも、すばらしいなあといつも思う。合意&尊重のお手本というか・・・鏡ですね。
(そういう意味じゃあ求愛って、「舞台と観客」の原型の原型なんじゃねえかしら?)

また、成就(交尾)を境に、オスとメスのリスクが逆転(はたまた済んだらすぐ離散も含め)するのも、おもしろい。
メスは身ごもるとリスクまみれなので、その前にオスがバンバンリスクをとって信用を勝ち得る・・・「というゲームを僕としてみませんか?」とオファーするっていうのが、きっと求愛の機能なんでしょうね。

リスクのパスワークというか、力学っちゅーか・・・。リスクが1点に留まらず動き続けるということこそがキモな気がするな。
動物の世界ではリスクがオス→ メス→ 子とうつっていくし、リスク保持者にいきすぎた同情や干渉はなく、それぞれが役を全うしているように、私にはみえる。

人間は、ここまでスムーズに、リスクを順番に抱えることができているのだろうか?
オスメスとか恋愛でなくとも、あいての存在に感激して、ついついこうしちゃう。それに対してまた感激して、ついついああしてしまう・・・みたいな連鎖に、わたしはかろうじて生きるたのしさとか安心感をおぼえる。
だけど、この世は随所にお金というものが挟まるから(&お金がないと生きること自体たいへん厳しくなるので、おたがいそこを無視するわけにもいかぬむずかしさ・・・)、ああ、今のままでは人間がほんとうの求愛に身を震わすことはないのだろうな、と悲哀をかんじる映画でもありました。

なんかわからんけど、さいきん南泉斬猫について考えてるんだけど、あれに込められたテーマって「自分を放り出してリスクをとれてるかい?」ってことかな、とか考えるとちょっとおもしろい。

https://wwws.warnerbros.co.jp/magicmike-lastdance/?fbclid=IwAR18wzPYf5aAnGYe8AoXuiB7Gy53vXecDi3dSTeJJTzYJhLOWCSe0fStJ94

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