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映画「教育と愛国」

(異様に饒舌な鑑賞記録となりました。ながいっす)

わたしは郷土愛というものがこわい。
同じ理由で愛国心もこわい。
スポーツ応援で一喜一憂する人もこわい。
洗脳された人が、わたしを洗脳しようとする。それもこわい。

「ねえ、あなたもそう思うでしょ?」
と言うその人は内側からゆらゆらと燃えて、目はわたしを刺すようだが、焦点があわぬまま、視線は貫通してはるかに消えていく。
彼らは「自分サイドかそうでないか」にシビアで、かつそれにしか興味がなく、自分サイドでないものを排除すること、自分の方へ引きずり込めるなら引きずりこむことを、あらかじめ決めている。
いっけんほがらかな「ねえ、あなたもそう思うでしょ?」という問いかけは、わたしを選別するためのリトマス紙だった。
会話はできない。
否、かれらはもとより会話などしようとは思っていない。
わたしがだれであるかなんてどうでもよく、ひいては自分がだれであるかということもまた、どうでもいいのだろうと思う。
"偉大なるもの"に溶けていく恍惚感にうっとりして、その夢からさめたくないのだ。彼らにとって、快眠をさまたげるものは悪なので、おそらくアウトサイダーの皆殺しもいとわないだろう。

こんなかんじの、信仰に対する恐怖心は、幼稚園児のころ芽生えた。
幼なじみの子が通っていた教会にときどき遊びにいっていたのが縁で、年に一度のおおきな集会に参加したことがある。
その日あつまった子どもたちすべてを集会所につめこみ(すくなくとも100人はいたんじゃないか)、牧師のおっさんが説教をした。
彼は"悪いことはしてはいけないのだ"と前置きをしたあと、水の入ったペットボトルに墨汁を少量たらし「このように、少しでも悪いことをすれば水はまっくろになり、取り返しがつかない。だから、悪いことをしてはいけないのだ」と話した。
「バカおっしゃい。それならわたしはアウトだ。ていうか、ここにいる全員がアウトだろ。今その話をしているあなたも、ご多分にもれずアウトですよね?」と即座に思い、自身がアウトであることをひた隠し「人にアウトになるな」と説教しているこの、ある程度地位のありそうなおじさん、聞くに耐えないおバカなメッセージ。それをもくもくと聞くみなさん、この場を用意した大人たち・・・何この時間。何この空間。その瞬間のすべてがいたたまれなくて、クラクラした。
どこからツッコミを入れればいいか分からなかったが、帰路その説教についてコメントした人はいなかった。
みんなはあのくだらなさに気づかなかったのか?気づいてるけど黙ってるのか?まあ、どっちにしろ終わってるけど・・・それともあれは「俺みたいなおっさんには気をつけろよ」というトリッキーな教えだったんでしょうか。私にはその効用があったけど。

愛をどう解釈するか、というところでそもそも意見がわかれそうだけど・・・
"愛国心"は人から与えられるものじゃない(信仰もまた、そうだと私は思います)。仮にそういうものがあるなら、それはおにぎりとか梅干しとか食べてるうちに自ずと芽吹き、人にわざわざプレゼンする必要がない、素朴でひっそりとしたものだろうとおもう。"愛国心"とわざわざ口にしてる時点ですでに"愛"とは別ものの、ずいぶん差別的な、排他的なしろものになっている気がします。愛を口実にだれかをぶったたく、ろくでもねえ言葉だなと思います(ホントに国を愛してるなら、国の一部である、どのような国民であっても、その人たちすべてを大事にするのが筋ってもんでしょう、と思いますが・・・それならまだ信用できる余地がある)。わたしは"愛国心"それ自体ではなく、"愛国心"をわざわざ語る人とその心を、とても警戒しています。この言葉がまともな文脈で語られている光景を、わたしはいまだかつて見たことがない。マジで。

この映画で「自国のくらい歴史を知ると、"愛国心"を損なう」と主張する人たちの"愛国心"なんてただの建前で、「言うことをよくきく都合のいいおバカな羊を量産したい」というのが本音だろう。
わたしはかつて、自分の国のくらい歴史を知っておきたいと願っていたが、それは「長く付き合っていくモノならば、いいところもわるいところも知っておきたい」という気持ちと、「イヤなことをしちゃったこと知らないまんま他の国の人に会ったら、はだかの王さま状態ではずかしいし、相手に失礼なのでは?」という気持ちからきたものだ。
それを学ぶ機会を「"愛国心"が育たないから(羊でいてほしいから)」という理由でシレッと奪われてたんだなあ、マジで余計なことしてくれるなあ。と思うに十分な映画でした。こえ〜。

まあ、だれが何信じてたっていいけど、他人を巻き込むことに暴力的&それに無頓着なのは、ホント止めてほしいなと思います。ひとりでやってりゃあいいのに。ちびっこを教科書で洗脳しようなんて卑怯がすぎるぜ。
それって罪か?ってことにムチ振るうくせに、こういう確信犯でシレッとひとの尊厳を踏みにじるような暴力性は、古来から無罪放免なんだよな。マジでわけがわからない。
つよポンが裸になったことが罪になるって、わたしは未だに納得いかないですね。彼は、誰かをイヤな気持ちにさせようなんて、微塵も思ってなかったでしょ、きっと(思ってたならもっと別のやり方があったはずなので)。裸になりたかっただけでしょ。その気持ちを問答無用にたたきつぶす世間とルールのほうが胸くそ悪いです。なんのためのルールだよ。
しみじみ、人間やってるのがイヤになってくる映画でした。

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