映画「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実 」

ここから大いに脱線するので映画についてまず一言。
この映画を見て、わたしは三島さんが好きになりました。

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わたしは学生運動のことをよく知らない。
「大学とか社会の在り方が嫌で、大学生がいろいろしてたっぽい」しか知らない。つまりほぼなにも知らないんです。
知らぬままこの映画について書くのもいかがなもんかと思い、映画「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」を見てからこの映画の感想を書くことにした(適切なチョイスではないんだろうけど)。

「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」について
じっさいご本人から確認を取れたわけではないが「学生運動してたっぽいオジサン」には、これまで3人会ったことがある(2人は「若い頃とても忙しくて」と言うので、何してたんですかと尋ねると「いやあ・・・」と言葉を濁していた)。
彼らの口調に共通する独特の息苦しさは、つよく印象に残っている。「なんだかなあ」と思わせ、相手の口を封じてしまう勢いはどこから来ているのか?
その答えを確かめるような3時間でした(本編190分)。見るのしんどかったのでモゾモゾ体操しながら見ました。
「集団で理想を燃やすこと」と「迷いを持たないリーダー」がかけ合わさるとこんな事が起こるのか。恐い、と思いました。
「集団で理想を燃やす」も「迷いを持たないリーダー」も、概念ありきだと思うんです。概念(ノーミソ)がいちばん。ノーミソ通りにいかないボディなんて、彼らからすればきっとオマケみたいなもんなんだろうな。
まあでも、社会に覚えた疑問をどこへどう訴えたらいいか分からないから、こんなことになっちゃったのかな・・・聞いてくれる人がいなきゃそりゃ辛いわ、それは分かるよって思いながら見ました。
活動をはじめる前の彼らから身体性を奪ったのは、一体だれなんだろう。本当の黒幕はそっちなんじゃないか。

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話を「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実 」に戻します。
かつて東大で学生運動してた人が、三島由紀夫を誘い、討論した様子を丁寧に追ったのがこの映画です。

正直、討論の内容は追うのに精一杯であまり覚えていません。
けれども三島さんと学生の「態度」の対比はよく覚えています。
学生はお祭りのように「三島由紀夫をやっつけてやろう」と熱していて、相手がどんな人だろうがなんだろうが関係ないって感じでした(全員じゃないけど)。
そんな「ショー」の舞台に立った三島由紀夫は、終始丁寧に、揚げ足取りも一切せず、しかもユーモアを交えながら返していくわけです。
学生の方は「ショーの獲物」として三島さんを見ていたけど、三島さんはやわらかく、うれしいときは本当にうれしそうに笑ってました。それがプリティーでえらいかっこよかったです、見た目ではなくお人柄が。
学生は空中にある「打倒三島」とお話してた感じだったけど、三島さんは目の前の相手をまっすぐ見ていたと思います。

どんなに立派な主義主張があったって「でも、じっさい俺ってどうなのよ?」という迷いや情を持てない人は嫌だな、と再確認しました(自戒も込めて)。わたしは、迷いや情は身体に根ざすものだと思っています。だから、人と話すときにボディをなくして話す人は苦手です。「負かしてやろう」とか「説得してやろう」とか「俺のほうが分かってる」とかそういう意地だけになって、相手のことなんか見ちゃいないから。
むしろ迷いこそが、自分の耳をひらかせるんじゃないでしょうか。聞く耳を持つってそういうことなんじゃないでしょうか。
だからやっぱり、「俺の話を聞いてくれないじゃないか」が「俺の話を聞きやがれ」になり、人の話を聞けなくなった人っていうのは、わたしは関われません。
かつて自分を苦しめた構図を再生産してる弱虫は君じゃないかって思うからです(自戒も込めて)。

https://gaga.ne.jp/mishimatodai/

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