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映画「マミー」

カレー事件の真相を追うドキュメンタリー。

日本の冤罪は多く(他の国しらんけど)、検死官は万年手が足りない。検死官は警察の高圧的な態度に疲弊しきっている(警察の方向性に沿う検死結果を出さないと、次から仕事がもらえない等・・・)。なかにはいやになって海外で検視官になった人もいる(ハワイでは検死官の権利がつよく、警察側のパワハラはそもそも不可能な仕組み。警察は事故現場のはじめ、遺体に触れることができない、等)。
わたしがこれまで関わってきた警察官のなかで、高圧的でない人は1割以下だ。冒頭の状況は私の肌感覚とも合致する。
日本の警察や検察に自浄作用はなく(この、天敵ナシ腐り放題な仕組み、どうにかならんのか・・・)、自身の見栄や出世のため曲解や捏造、もみ消しもいとわない。組織としてそんなかんじだから、まともな人は肩身がせまいだろうなあ・・・
ぜんぜん法治国家じゃねえじゃん日本!
とおそろしさが高まっているところへこの映画。

林真須美さんが無罪かどうかは分からずじまいだけど、
"分からないまま" かなり曖昧な根拠で死刑判決がでてしまっていることだけはよく分かった。パワハラ漂うきな臭ポイントが、あまりにも多い。もう一度ちゃんと調べてくれ、と切に願う。
私が警察に捕まり、彼(?)の出世のため犯人にでっち上げられ、かってに死刑とか言われたらホントたまったもんじゃない(二次情報だけで林さんの死刑にイエス!と振り切ってる人は、想像力に欠けている。し、私自身よく知りもしないのに「なんかそれっぽいなあ」などと思ってたわけだから我ながら空恐ろしい)。
そんなわけで、林さんがどうというのは一旦わきにおいても、わたしは死刑に反対だ(まず、自分のこともアテにならないし)。
命を奪う、という不可逆な行為にまったくふさわしくない捜査実態。捜査がまともでないなら、死刑はあかん。
仮に捜査がパーフェクトだったとしても、国家主導で人を殺すことにイエスとは言いづらい。
「犯罪抑止力に」とか「償いを!」とか、いかにもそれっぽい理屈で「死刑もやむなし」な空気感だけども、死刑が「とても一方的な殺人(本質的には国家規模の集団リンチ)」であることは動かしがたい事実だと、わたしは思う。すくなくとも死刑をする側の人間にその自覚は必要だと思う。よく起こるネットリンチも、「正義」の威をかるなんとやらで、全く同じ構造だよなあ・・・自分がやってんのは正義でもなんでもなく、ただのリンチだってことに自覚がなさそう。
なにより「ケンカはタイマンですべし( ≒ 多勢に無勢はダメよ)」というスポーツマンシップ(?)に反する。国対個人よ?勝てるわけないやんか。犯罪を罰する理由が「一方的な暴力(弱い者イジメ)はだめ」ならば、なぜ国はそれを犯してもOKなのか?

警察・検察の自浄作用もなければ、「国家による殺人」も罰せられることがない(個人の殺人には罰則があるのに)。
そういった状況へなんの疑問ももたぬまま、「死刑にしろ!」と言う人はそこそこいるので、わたしはとても恐い。
ダメな親分のダメさは黙殺し、社会的な立場を失った犯罪者はボコボコにリンチすることが、是とされてるこの状況がとてもこわい。体質が戦時中さながらである。
なお、かりに日本が戦争に突入したら、わたしは「非国民だ」と迫害されそうな予感が幼少期からとてもつよくあり、ずっと恐怖している。だからこそこの映画を見にいったと言ってもいい。

犯罪の抑止力が懲罰だより、という構造もきらいだ(罰をなくせってことではないけど、やっぱり殺すのは・・・)。
麻原さん死んでしまったけど・・・せめて大きな事件ぐらいは、犯罪を犯した人のこころの襞にはいり(入れるかどうかはさておき、丁寧に調べることがとても重要だと思う)、同じようなことを起こさないため、わたしたちは何ができるのか?というところまで丹念に追ってほしいと思う。そういうプロフェッショナル集団とかいないんか?海外とかって、そこらへんどうなってんのかな。
犯人を「バグ」として切り捨ててるだけでは、「バグ」を生んだ社会が変わることはない。

私はだけど・・・基本的には、「犯人がバグ」なんじゃなくって、「社会が生んだバグ」を引き受けた人柱が、たまたま犯人だった、という理解の仕方をすることが多いです。そういう意味で彼らは"被害者"と呼んでもいいような気もする。だから、死刑はしかばねにむち打ってるというか、2重に救えないかんじがするんですよ。なんらかの不幸で社会のバグを身に負うことになり、犯罪まで起こしてしまったあげく、殺される(タタリ神とか、そうだよね)。社会から2度殺されてるわけです。社会の膿と共に心中させられてるようなもんじゃないですか、もし私がそうだったらイヤだな、死ぬに死ねないよねとか思うわけです。

だから、当時の状況や当事者たちのこころの流れなど、精査して次へつなげないと、被害者も加害者も浮かばれないのでは・・・。"起こってしまった"ことへ、唯一できることはそれだと思うのだけど。
犯罪をなくすことはできないだろうけど、すくなくとも減らすことはできるんじゃなかろうか。

林さんの夫である、ヒ素で保険金詐欺をしていた林健治さんは、事件も、自身が詐欺で死にかけたことも、なにか独特の"かるさ"をもって語る。
あれだけのことがあっても世間体に潰されず、自身の人間性を保っていることは単純にすごいなと思った。林さんが死刑になったことについても「自分が現行犯で毒をいれるすがたを見ていればどうか分からないけど、見てもいないことを『真須美がやった』と言って死刑に追いやるようなことはできない」と言っていた。素朴で、まっとうな意見。けど、それを公に言えるのはとても勇気があることだと思う。
犯罪を犯してなくても、世間体に迎合しすぎて何考えてるかぜんぜん分かんない(恐らく、本人も分からなくなっている)人ってたくさんいるからなおのこと、健治さんのその特異性が際立つ。
彼が被写体のひとりになることで、この映画がただのクソまじめな暗い告発(?)映画になることを防いでいる気がする。監督も、自身の恥部を隠さずうつしている。
「隠さないで」というのがこの映画のテーマだから、自身も「隠さない」ことを選んだんだと思う。これもなかなかできることじゃないはず。みれてよかった。

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