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映画 「愛について語るときにイケダの語ること」

「この人が愛について語るといったいどんな話をするんだろう・・・」とかねてから思っていた人が、この映画をイイと言ったもんだから気になりすぎて鑑賞。

ガンで余命幾ばくもない" イケダ "が、自分の性愛の記録を世にのこして逝こうと決めた。
遺された性愛よりむしろ、イケダさんと共犯関係にあるカメラマン(親友のおじさん)との関係性に魅力があったし、なんならエロかった。
セックスしてる風俗嬢さんたちより、キスすらしてないであろうプラトニックな間柄である親友に、イケダさんは自分をあけわたしていたし、気楽でやすらいだ顔をしていた気がする。
風俗のお姉さんたちとは物理的な(あるいは精神的な)距離がなくなる分、一部こころを閉ざすことで、イケダさんのなかでバランスを保っていたみたいだ(逆をいうと閉ざしてるからこそ、つながることができている部分へ託しているものは大きいように見えた)。

そんなイケダさんのバランス感覚をカメラマンが見つめ、語り合い、ゆったり見届けたその過程こそ「愛」と呼べるんじゃなかろーかと思った。
その親友との営みを世にさらそうと思ったのは、イケダさんの「愛」だったのか。はたまたカメラマンの「愛」なのか。それは分からない。

(「(キスやらなにやら)親密度の高いことをしている」ことと、ほんとうの親密さはあんまり関係がないんだなーと再確認した)

https://ikedakataru.movie/

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