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「カナルタ 螺旋状の夢」

じぶんのいる世界ってどんな場所なんだろうか。
美容院の前にあるくるくるは、どこからやってきて、どこへ消えていくんだろう?
いま、わたしの眼前にあるくるくる以外の部分が、待機している世界があったりするんだろうか?世界のあらゆる美容室のまえに置かれたくるくるの、世に現れるまえのくるくると、世に現れ消えていったくるくるが待機する、パラレルな空間が存在する?
きっと私のチカラではその世界へ行くことはできないだろう。まったくふしぎだ。
なんでみんな平然としていられるんだろう。こんなに、とんでもなくふしぎなことが起こっているのに・・・それを口にしたら死ぬとかいう、また別のひみつがあったりするのか?

この世にはじぶんに知らないものがあって、世界はそういう分からないもので成り立っている。
未知なる世界とのギャップを埋めるべく「ひょっとしたら世界ってこういう場所なのか?」と子供の頃あれこれ空想した(今でも、なんなんだろうこの場所は、と思うけど)。

このドキュメンタリー映画の主人公は、アマゾンで薬草を研究しているおじさんだ。シャーマンの父を持つ。そんな彼のなかには「ひょっとすると世界ってこうかもしれない!」がたくさんある。彼自らがかんがえた物語で、体験的な納得と、世界と関わっていく手段をつないで生きている。
肉体的なインプット(ときには霊的な)、それを咀嚼するイマジネーション、体当たりであたらしい薬草をさぐってゆくアウトプットが、その間まったくチカラを削がれることなく、彼の心身をとおして循環し続けている。
彼がじぶんの生き方に誇りをもつのはよくわかるような気がする。それに、対外的な評価が入り込む余地なんかないから、彼の誇りはいやらしくない。他者の目を意識したエセ誇りじゃなく「自分は世界と生きている。あるいは、世界はおれのなかにも生きている」そんな、自分と世界がつながっている実感と確信の濃さから自然発生したものなんだろうから。

いや〜まぶしかった!

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