映画「ゆめパのじかん」
川崎市にある、子どもがすごせる施設(?)、通称「ゆめパ」のドキュメンタリー映画。
いまのところ、日本の子どもは(海外しらんけど)、
親を選ぶことも、学校を選ぶことも、生きていきたい方向へ舵取りすることも、ぶっちゃけむずかしいように思う。
かく言うわたしも、とくに高校はめちゃくちゃ行くのが苦痛でしたが、さりとてドロップアウトしたあと自分が生き延びれるような気もしないし、「これ!」と言って胸を張ってやりたいこともない。とはいえ、まったく興味もなく、理解もできなくなった授業を聞いているフリをできるほど器用でもなく、「若くて元気な時期を、着席拷問ですごしていてよいのだろうか・・・?」という焦燥感に耐えられず、主に寝てしのぎました。
そんなちゅうぶらりん状態で「学校いきたくねえ」と思いながら通学するという、忸怩たる3年間をすごしました(バカ野郎ですが、今もってどうしたらよかったのか?というのは分からないままです)。
かといって「学校行きたくねえ」と同級生にあけすけに言う訳にもいかず(婉曲で「あんたらに会いたくない」も含まれてしまうと言いますか。今わたしたちがいっしょにいることの前提となっていることを突き崩すことになってしまうので・・・)、あの手この手で、本筋とはちがった枝葉に対して文句言うのが関の山でした。ああはずかしい・・・。
↑こういうモンキーを、檻に閉じ込めると、いっしょにいるヒトたちも不幸であるし、檻の管理者もぶっちゃけめんどくさいと思うので、もっと肯定的に野に放ってあげたらよいのではと思うのです(もちろん、モンキー本人も不幸でしたし)。
が、どっこい脱走したモンキーがのびのびできる場がない。じゃあそういう場をつくってみましょうか、ということで試験的につくられた場のひとつでもあるようです、「ゆめパ」は。
「ゆめパ」一人勝ちじゃなくって、モンキーがあそべる場があっちこっちに、さまざまにあると、全国に潜伏しているモンキーはきっと元気になるのだろうな、と思います。
それがどう社会に還元されるかまでは分からんけど、不幸な人をへらして、ハッピーな人をふやす、というのは単純に種にとってよろしいことなんじゃないでしょうか、と言うとかつての自分を甘やかしすぎですかね。
先日むすめと訪れてみましたが、この場のポリシーにより、頭かたいヒトにいじめられることはないのだろうな、と私がゆるんだ影響なのか(?)、娘自身そう感じたのかはわからないけど、彼女がすんごいのびのびシャカシャカ三輪車こいでおったのが印象的でした。
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