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吉本隆明の『日本近代文学の名作』をどう読むか② 鴎外はしつこさが魅力なのに

 吉本隆明が『日本近代文学の名作』において夏目漱石の次に取り上げるのは高村光太郎である。「道程」の詩人である。吉本も元々は詩人であり転向者なので何かしら思うところがあるのだろうが、どうもこの順番には釈然としないところもあり、この章はシンパシーだけ見えて、なかなか論というものが見えないのでひとまず飛ばすこととし、いかにもさりげなさを装い次の鴎外のところに引っかかってみることにする。

 さて漱石の後に鴎外、これは寧ろ順番が逆でもいいかと思う人もいるだろう。しかし吉本は『舞姫』から論じないのでこの順番でも違和感はない。吉本は森鴎外の『雁』が代表作だと断ずる。
 ならばすでに漱石が大活躍していた時期にあたる。ここはフェアだ。

 これは鴎外が玄人として振舞っている作品で、遠慮しないで書いているしすぐれた作品だ。しかも歴史小説と同じように丁寧に書いて、学生相手の金貸しのお妾である女性の生活やものの感じ方などが見事に描けている。ただ『雁』や、漱石の『三四郎』を意識して書いた『青年』は本格的な玄人小説で、いい小説だけれども、漱石ほどその時代の空気を直接受けて自分の内面の問題にしていない。

(吉本隆明『日本近代文学の名作』毎日新聞社 2001年)

 吉本隆明から見た最高到達点において鴎外の『雁』は漱石の『三四郎』に劣り、当然『こころ』からはかなり劣るわけだ。この理屈は後に七番手で持ち出す横光利一の『機械』が漱石・鴎外に迫ったとされる見立てと合わせてじっくり検討してみたい。それは勿論どちらが上かという単純な話ではなく、吉本隆明が横光利一に一体何を、どんな価値を見ているのか検討してみたいという意味である。

 まず『雁』が面白い作品だということはごく在り来たりな意味で、つまりさらりと読んで楽しめるという程度の意味において確かなことであろうし、代表作かどうかは別にして、評価が高い点に関しては素直に賛同できる。

 投石が一発で命中し、雁を持ち帰るくだりは、単に面白い。青大将を切断し、雁が萎れるというまるで若い性欲を断ち切るような寓意がユーモラスに配置されていて、しかもあざとい感じがしない。万年青の鉢、青大将、小青伝、青石横町、青簾、青い五十銭札、青魚の未醤煮となかなか青が利いている。実際、

 一本の釘から大事件が生ずるように、青魚の煮肴が上条の夕食の饌に上ったために、岡田とお玉とは永遠に相見ることを得ずにしまった。そればかりでは無い。しかしそれより以上の事は雁と云う物語の範囲外にある。

(森鴎外『雁』)

 青魚の未醤煮の仕掛けは話者の得意に感じるところでもあろう。勿論これは漱石の『坊っちゃん』の下宿の婆さんの芋責に応ずる策としての鶏卵へのオマージュであろうが、……

 え?

 コジツケルナ?

「あなた青魚がお嫌い」
「さあ青魚は嫌じゃない。焼いたのなら随分食うが、未醤煮は閉口だ」
「まあ。お上さんが存じませんもんですから。なんなら玉子でも持ってまいりましょうか」こう云って立ちそうにした。
「待て」と僕は云った。「実はまだ腹も透いていないから、散歩をして来きよう。お上さんにはなんとでも云って置いてくれ。菜が気に入らなかったなんて云うなよ。余計な心配をさせなくても好いから」
「それでもなんだかお気の毒様で」
「馬鹿を言え」

(森鴎外『雁』)

 この「玉子でも持ってまいりましょうか」が洒落なんじゃないの。ここで玉子が出てきちゃ困ると。


 しかし吉本の「漱石ほどその時代の空気を直接受けて自分の内面の問題にしていない」という批評はいささか見当違いではないか。

 漱石にしてからが『坊つちゃん』においてはその設定を執筆時に合わせず、大体十年ぐらい前の設定にしている。時代に作品を合わせたのは『趣味の遺伝』からくらいで『三四郎』が日露戦争後の世界であるのに対して『雁』は明治四十四年に書かれてはいてもその舞台は、

 古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条と云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

(森鴎外『雁』)

 と始まるので三十一年前の話を書いているのだ。これは丁度村上春樹が2009年に『1Q84』を書くようなもので、時代の風俗などに関してはかなりあやふやなところが出て来ても仕方ない。村上春樹もペットボトルやコンピュータ、ドラッグストアなどに関して『1Q84』ではちょっとした記憶違いを犯している。『三四郎』と『雁』を比較するのはフェアではないのだ。

 そして吉本は、

 歴史小説では、自分は小説家ではなく考古的な記録家だというふりをしている。 

(吉本隆明『日本近代文学の名作』毎日新聞社 2001年)

 として歴史小説に対する評価が低い理由を述べている。この指摘は主に『渋江抽斎』らの史伝ものに向けられたものではあろう。

 この点『堺事件』や『じいさんばあさん』や『最後の一句』など歴史をうまく利用した記録的ではなく歴史小説がいくつもある点を見逃している。

 鴎外の歴史の活用の仕方はむしろ『堺事件』や『じいさんばあさん』や『最後の一句』などにおいては明示的に徹底していて、その徹底ぶりが結果として作品に彩をつけているので、無論比較の問題ではないとして、私は寧ろこうした歴史利用作品に於いてこそ鴎外の独特のしつこさが現れており、こちらがむしろ代表作だと云ってもよいのではないかと考えている。

 実際いちいち勘定してみて、「あっ」と気がつくかどうかだ。勘定してみると「あっ」となる。なったところで現在のような歴史便利ツールがない時代に一人の人間が頭の中に年表を置いてこんな仕掛けを書いたのかと圧倒させられる。本当に細かい数字をさまざまに表現してそれがぴたりと合っているのに、あるところでは妙なずれが生じていてそこに意味が出てくる。年表ミステリーのようなことをしてくる。これが歴史利用作品の凄さなのだが、ここらあたりは吉本隆明の意識には上らなかったようだ。しつこいなあと思いながら年表に付き合うと見えてくる面白さ。これは漱石が不得手にしていて、芥川龍之介も何度か遊んだやり口である。

 吉本はまた『高瀬舟縁起』を素直に信じてしまう。それなら『寒山拾得』をどう読むのかという話だ。

 何度も繰り返し書いているように、鴎外は乃木夫妻殉死の報を受けて半信半疑となり、繰り返し「殉死もの」を書いて乃木夫妻殉死に疑問を投げかけ、その後もしつこく『堺事件』や『高瀬舟』などにおいて「人間が介錯なしで死に切ることは難しい」と書いてきた。

 この辺りの感覚は小刀細工でKを殺してしまった漱石に対して、歴史に詳しく医師でもある鴎外の面目躍如ということなのではなかろうか。

 また吉本隆明は芥川、太宰、三島が惚れた鴎外の文体の物凄さに触れていない。太宰、三島が漱石を軽視し、鴎外を贔屓したのは八割がたその文体の魅力にある。詩人ならそこは伝わる筈なのに吉本はそこに触れない。
 とは言いながら文体論というものを夢想するとき、それはどうしてもデータ解析の領域になろうから、私もここでは掘り下げない。

「地震」KLEIST
 チリー王国の首府サンチャゴに、千六百四十七年の大地震将に起らんとするおり、囹圄の柱に倚りて立てる一少年あり。名をゼロニモ・ルジエラと云いて、西班牙の産なるが、今や此世に望みを絶ちて自ら縊れなんとす。
 いかがです。この裂帛の気魄は如何。いかさまクライストは大天才ですね。その第一行から、すでに天にもとどく作者の太い火柱の情熱が、私たち凡俗のものにも、あきらかに感取できるように思われます。訳者、鴎外も、ここでは大童で、その訳文、弓のつるのように、ピンと張って見事であります。

(太宰治『女の決闘』)

 ただこのようにしてわざわざお知らせしたくなるのが鴎外の文体であるとだけは書いておきたい。

[余談]

 私だけの大発見というわけではないがかりに『雁』や『高瀬舟』だけだと漱石に並ぶ二大巨頭にはならんと思うのよ。
 こうしたバランスの問題において、吉本は見落としをしていると思うのよ。

 漱石にしても三角関係を見事に描き、時代の風俗を捉えただけじゃないと解っていないと、いくら褒めたところで単に知ったかぶりと同じだよね。

 重箱やテレパシーが見えていないと駄目。

 十三回忌とか養子が見えていないと駄目。

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