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三島由紀夫・林房雄の「対話・日本人論」をどう読むか③ 戦後日本の成功


 三島由紀夫・林房雄の「対話・日本人論」をどう読むかと書いている以上、書かれていることを読まなくてはならないし、引っかかったところには焦点をあてなくてはならない。

 いくら混乱しようとも。

 現在は、ひどい文明の空洞化だと思います。そうでなければ、あなたの怒りはないはずだ。成功していませんよ。
三島 成功していませんか。つまりこの物質的繁栄というというのは、日本が西洋をもって西洋に対抗するという論理的な帰結じゃないですか。
 そんなことはありません。
三島 いまの精神的空洞というものはその考えの論理的帰結だと考えるのです。
 アメリカの属国じゃありませんか、日本はいま。
三島 属国であろうと、属国でなかろうと、日本人の民生の安定と、それから生活水準の向上と、国内生産物の国内消費体制、それから多少の社会保障ができあがったこと、それはなにかというと、全部西洋的理念ですね。
 それはそうです。
三島 それにデモクラシー自体がまったく西洋的理念ですね。西洋的理念によって西洋に対抗するということを、戦争という形でなくて、はじめてやってみたところが、戦争よりうまくいつちゃった。戦争ではうまくいかなかったが、うまくいっちゃった。ある意味では、いまの経済のアジア的制覇を、アメリカなんか、大東亜共栄圏の再現だとからかっているけれど、あのからかい方には、一つの真理があるように思う。日本人はちょうど大東亜戦争と、戦後の経済繁栄と、同じことを別の形でやったような気がするのです。

(「対話・日本人論」『決定版三島由紀夫全集第三十九巻』新潮社2004年)

 これは文学の議論ではなく完全な政治経済の話なので、近代文学2.0の話ではないようなところがあるけれども、どうだろう、三島がこのように戦後日本の経済的繁栄を素直に肯定しているように見えることが引っかからないだろうか。そして「属国であろうと、属国でなかろうと」という割り切りが意外ではなかろうか。

 三島の檄、および檄文とはかなり距離がある。灰色ののっぺりとした日本の未来に希望が持てず、自衛隊が治安維持活動をできないことに不満で、俺と一緒に腹を切る奴はいないかと叫んだ男が「生活水準の向上」などと言ってみる。

 さすがに「おや?」と感じる筈だ。

 しかしこの「対話・日本人論」の中でこの後三島は神風連の純粋さについて熱く語り始めるのだ。それはまさに『奔馬』のためのお勉強の披露ではあるが、三島が反時代的であり、いかにも反時代的で、事件当時も「滑稽」と笑われていた神風連に対して本気で感動していることも確かなのだ。

 深沢七郎に「シャンデリアの下でステーキ食べて、それで何でニホン好きなんて言うのよ」と揶揄われる三島由紀夫の本当の意味での理解し難さは、すぐれた文学作品は全てテロリストのものであるとか、文壇もきちがい集団にならなければいけないと言いながら、例えば「生活水準の向上」などと言ってみるところに端的に現れている。

 日本人は経済的繁栄にうつつを抜かし、日本精神を忘れて豚になると警告していた筈の男の口から洩れた「生活水準の向上」という言葉の真っ当さに私は戸惑う。

 しかしこの戸惑いを越えてこそ三島由紀夫論というものはあり得る。「生活水準の向上」を肯定しない三島由紀夫論には意味がない。戦後日本は成功したのだと三島由紀夫はハツキリ述べている。まずこのことをしっかり認識しよう。

 そういう所をすっ飛ばして恰好をつけてもしょうがなかろう。

 生活水準が向上して戦後日本は成功した。この認識と例えば『鏡子の家』に描かれた空疎な戦後の風景は矛盾しているように思える。あるいは『豊饒の海』はどうだろうか。そこには戦後日本の成功といったものが現れていただろうか。

 確かにお洒落で小さな洋館に住み、シャンデリアの下でステーキを食べる三島由紀夫は戦後日本の成功を享受していた。吉村真理とペペロンチーヌを食べる三島由紀夫自身が戦争の犠牲にならず生き延びた成功者であった。

 師・蓮田善明は敗戦後、国賊を射殺して自決した。三島由紀夫はそうではない人生を歩んだ。保田與重郎よりも読ませる文章を駆使して芋食ってでも生きる人生を恨んだ。保田は1981年まで生きた。

 この時点で三島由紀夫が心酔していた神風連はあらゆる西洋的なものを拒絶し、当然西洋的な生活水準の向上など受け付けなかった。しかし三島由紀夫は吉村真理とペペロンチーヌを食べていた。俺の行動は絶対に誰にも理解されないだろうと威張る三島の菓子パンと最中のトリックは案外見え透いたものではなかろうか。

 あいつは腹が減っていたのだ。何と人間的な。そう言われるために前日鳥鍋を食べたのではなかろう。

 肉食を断ち身を清めるほどのことではなかった、そういうことなのではないか。


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