芥川龍之介の『貴族』をどう読むか①
※大恭……中国語で💩
これはあくまで貴族という題名だが、「何処の国でも、先祖は神々のやうな顔をするかも知れず」とは天子様に対する大変な皮肉である。そしてさらには「徳川時代の大諸侯は、参覲交代の途次旅宿へとまると、必ず大恭は砂づめの樽へ入れて、後へ残さぬやうに心がけた由」とは皇族にも同じような努力をせいという追い打ちである。最後に「何故人は神だと思はないかと云ふと、云々」は大恭をする以上付け上がらないことだと念押ししている。
これほどストレートな皇室批判もなかろう。
貴族主義者も大恭をするかどうかは私には解らない。それ以上の方のことはなおさらである。
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