すらすら書くなあ 牧野信一の『嘆きの孔雀』をどう読むか①
さして季節感のない軽はずみな苛立ちによって、セイタカアワダチソウの穂先は軽くひしゃげ、昆布だから味まろやかな旅芸人の一人は、寄る辺のないイカ麹漬けの励ましによって、三々九度の寿ぎに傾いだ。その天頂には子供店長が巣食い、嘆きのコバエを既ににぎやかしている。あるかなきかのごとくに煮え立つ冷蔵庫は、何度かコツコツと音を立てて洗面器に嫁いだ。
みなさん、こんばんわ。小林十之助です。近代文学2.0をやっています。
雌の雉みたいに羽をもがれたら、そしたら嘆くんじゃない?
この作は大正九年一月から雑誌「少女」に掲載が始まっており、やはり比較的初期作品の部類という勘定になる。それなのにもう牧野はまるで作家が小説でも書くような、そんな書き出しを使ってみる。そしてのちに太宰治があほほど繰り返した、なかなかうまく書き出せない作家というものを持ち出してきてしまっているように見えなくもない。
しかし牧野はここであくまでも「寒いからペンを持つ手が凍える」という程度の環境要因こそが問題であり、自分の才能の不足から書きだせないのではないのだとも言わんばかりである。
これまでに読んできた牧野信一の作品には、確かに書くことに苦労している気配というものがまるでない。
それはしばしば話の説明不足や無理を無視してずんずん書かれているからで、そのことによって「苦心」などというものがまるで感じられなくなってしまっているからである。それは豚バラ肉とキャベツを適当に炒めて味噌と焼き肉のたれで味付けをすればおかずになるという程度のことで、鶏もも肉を焼いてクリームチーズと昆布だしで味付けをするとおつまみになると言っているのと同じことだ。
要するにある意味では無理をしていない。
この場面でも、「目に見ゆる程な寒気の層が湖のやうに静かにたゞずむで居りました」と頭分無理なことが書かれているが、書いている本人は一切責任を取る気がないので楽なものである。
寒気の層など見えるわけがないじゃないかと、気象予報士ならいうだろう。しかし彼らは気圧の分布を見てみましょうなどと、普段相当な無理を言ってもいるのだ。そんなものが見えるわけはないのに。その等圧線は観測で得られたデータを模式的に表したもので、一種の観念であり実在はしない。みどりの窓口にみどりのおばさんが存在しないように、冬の寒い晩であっても寒気の層など実在しないのだ。
それでは目が乾くでせう。
つい今しがた火鉢にかざしていたのはペンをとる筈の指先だと書いていませんでしたっけ?
覆っていたのが指先で、翳したのは眼。
はい、そうですか。
では「目に見ゆる程な寒気の層」は「硝子越しの寒い暗い光景」と同じものですか?
あの……
外には街灯かなんかあるんですかね?
ユーミンの「ランプを灯せば街は沈み窓には部屋が映る」って、なんと十四歳の時に書いた曲らしいじゃないですか。信じられますか。あれ天才的な歌詞ですよ。で、一つの原理を言ってますよね。外が暗くなって、部屋が明るいと窓は鏡面になって外の景色は見えないんですよ。
そこにはこんな顔が映っていませんか。
あら、いい男。ハーフシャドーでお洒落。
で、もう物を書き始めているのに「ものを書くなどゝいふ面倒なことをするよりもこうしていつまでも沁々と冬の夜を味はつてゐた方がどの位いゝか知れないと思ひました」って言行不一致で三島由紀夫に叱られますよ。
現に書いているんですから。
それにしても大正九年だと窓にカーテンはないんですかね。それだとやたら寒いですよね。
し、が抜けてない?
その「炎え盛る火と切りに降る雪」のところ。「切りに降る」ではなくて「仕切に降る」じゃないのかな。
なるほど一文字で「切(しき)り」と読ませるわけね。
でやはり、外が見えるんだ。顔を近づけないと見えないでしょう。
それはそうと「炎え盛る火と切りに降る雪と葡萄酒の香りとに抱かれて」の「抱かれて」の用法っていつからあるんだろう。
江戸時代にはもうあるのか。探せば『万葉集』にもあるのかな。それはまだ誰にも解らない。調べていないからだ。
とか言いながら順調に書きだしているんじゃないの。これで落ちが「と言っているうちに原稿は出来てしまいました」とかやったら、おっちゃん許さへんからな。
あかんでそんなん。
[余談]
厚揚げってなんで二枚一セットなん?
一度に二枚食べへんやろ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?