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三島由紀夫の『美しい星』をどう読むか⑨  兼 『決定版三島由紀夫全集』に校正ミスあり③「ル」はいらない

 第九章、羽黒と重一郎は延々と「哲学的」議論を交わす。と言っても屁理屈合戦で、ルールがよく分からない。

 それにしても精々手紙を書くくらいしか現実的な手立てを持たない者同士が、ただ自分たちは宇宙人なのだという信念だけを頼りに、人類滅亡と人類救済の是非について討論するという行為そのものが、現代の若者からすれば「中二病」と笑われかねないものだけに、それを見越した三島由紀夫の筆はより深刻さを装い、あくまでもこれは御遊びではなく哲学なのだと強弁したいようだ。

 平和を願ふ人間どもは、現在存在してゐる平和には不満であつて、もつと安全な、不安のない平和を求めてゐるのでせうが、実は彼らが不満なのは、現在の平和の存在様態にではなく、平和の本質に不満なのかもしれないといふことを。

(『美しい星』『決定版三島由紀夫全集第十巻』新潮社2004年)

 なるほど、前半はそうかもしれない。われわれはミサイルが日本の国土に着弾しないだけでは満足できず、そもそもミサイルが日本に向けて発射されない平和を求めている。
 しかし後半が解らない。「平和の本質に不満」?

 数秒間考える。「平和の本質に不満」? 坐りの好い言葉が見当たらない。三島の回答を見よう。

 平和は自由と同様に、われわれ宇宙人の海から漁られた魚であつて、地球に陸揚げされると忽ち腐る。平和の地球的本質であるこの腐敗の足の早さ、これが彼らの不満のたねで、彼らがしきりに願つている平和は、新鮮な瞬間的な平和か、金属のやうに不朽の恒久平和かのいづれかで、中間的なだらだらした平和は、みんな贋物くさい匂ひがするのです。

(『美しい星』『決定版三島由紀夫全集第十巻』新潮社2004年)

 この「海から漁られた魚」ではぐらかしながら、「腐敗の足の早さ」とまとめるところがいやらしい。魚でも新鮮ならいいが、腐るので、なら金属のように腐らない平和が願われている訳だ。
 これはまあ、そういうことなのだろう。

 ところで現在の平和は、事前の平和であつて、甚だ不透明で甚だ贋物くさいのです。

(『美しい星』『決定版三島由紀夫全集第十巻』新潮社2004年)

 ウクライナとロシアの戦争に巻き込まれなければ、こんなことにならなかったのにと後悔している現在、確かにあれは事前の平和だったなと思いだす。あるいは今もまだ日本人の中には日本は平和だと信じている者もいるかもしれないが、その人の信じている平和は「甚だ不透明で甚だ贋物くさい」ものだ。
 これから二十数年かけて、中国は台湾、沖縄、九州、西日本、東海までを領土とし、東京の一部を「日本人自治区」とする計画を立てていると噂されている。

 現実には舞浜のタワーマンションや都内の戸建てを中国人が買占め、東京に中国の大学の分校が進出してきている。石原慎太郎も都知事時代に「人口の浸透圧には勝てない」と語っていた。川口ばかりではなく、ゆっくりとした領土化は進んでいるのだ。

 こんな贋物くさい、ほぼ偽物の平和の裡にあるにもかかわらず、三島の理屈は頭に入ってこない。

 私の目的は水爆戦争後の地球を現在の時点においてまざまざと眺めさせ、その直後のおそろしい無機的な恒久平和を、現在の心の瞬間的な陶酔の裡に味ははせてやることでした。

(『美しい星』『決定版三島由紀夫全集第十巻』新潮社2004年)

 ところが重一郎の一億分の一の想像力もない人間には全的破滅の幻を描くことが出来ないのだという。六十年後のわれわれは、けしてそういうことではないのだ、と反論してもいいだろう。冷戦以降の核開発は、それを実際に使用することよりも国際間でのステータス確保のための手段として行われてきた。戦争は核兵器を用いずに繰り返し行われていて、中国のような強かな国は兵器さえ用いずに国土を拡大しようとしている。最近は余り報道されなくなったが、ウイグル自治区では将来日本人自治区で行われるであろう様なことがなされているようだ。
 今、平和が嘘くさいのは明日にも水爆が撃ち込まれるかもしれないからではなく、現に日本語が全く話せない外国人が働きもせず、ごく普通に日本で暮らしているからだ。

 というのも「銀だこ」の88円セールの日、行列に並んでいると私の真後ろにみるからに中国人というおじさんがいて、ふらふらと歩き回っている。スマホを使いながら明らかに列から離れて何かを眺めたり、また列に戻ってと変な動きをしている。店員に一言も日本語を交えずに完全な中国語で何か話していたと思ったら、年もまばらな男女数人がやってきて、そのおじさんの後ろに並び完全な中国語で話し始めた。まだ若い人もいたが、昼間っから家族総出で「銀だこ」に並ぶというのはやはり何か引っかかる。少なくとも働いてはいないのだろう。それにしてもどうして日本語を片言でも話さないのかとひどく気になった。昨日や今日、日本に来たわけでもなかろうに、もしや生活保護でも貰っているのではなかろうなと勘繰った。

 水爆よりもこんな中国人家族の方が手っ取り早く日本を消せる。現にこの中国人家族の立っている場所はもう日本であって日本ではない。池袋の本格中華の店は客も従業員も中国・台湾人で、中には日本人お断りの店もある。三島由紀夫が見たものがテレビや新聞の水爆のニュースでなくて、日本語の話せない中国人家族であったなら、もう少し現実的な議論になったのではなかろうか。

 ところでその不毛な議論の中でふと「広大な社長室で極薄型のオーデマル・ピゲと睨めくらしながらぢりぢりと客を待つ社長」という文句が出てくる。

 これはAudemars Piguet つまり、オーデマピゲのことであろう。

 これは英語ではオデマースピゲに聞こえ、フランス語ではオデマピゲに聞こえる。marsの「rs」が「あっは~ん」のように鼻に息が抜けた感じで「ル」には聞こえない。仮にドイツ語読みをするとアウデマルスピグエットとでもなるのだろうか。

 いずれにしてもブランドなので公式に習って「オーデマピゲ」に改めるのが正解であろう。

 アウシュヴィッツが缶詰工場や化学薬品工場とどこが違つただらう。

(『美しい星』『決定版三島由紀夫全集第十巻』新潮社2004年)

 これも今の新人作家だと削られるところだ。意味が完全に解らないわけではないが、毒を吐こうとしてやり過ぎてしまっている。

 俺に我慢がならんのは、知的な悲しみに眉をひそめ、おちよぼ口で救済を与えようとする、お前の人間くさい偽善なのだ。

(『美しい星』『決定版三島由紀夫全集第十巻』新潮社2004年)

おちょぼ‐ぐち【おちょぼ口】 女、子供などの小さくかわいらしい口。また、気取ってすぼめた口つき。おつぼぐち。

日本国語大辞典

 広辞苑と日本国語大辞典以外は「気取ってすぼめた口つき」という解釈を取らない。このおちょぼ口に盛んに気取りを見出したのが太宰治である。


感想なんて! まるい卵もきり様ようひとつで立派な四角形になるじゃないか。伏目がちの、おちょぼ口を装うこともできるし、たったいまたかまが原からやって来た原始人そのままの素朴の真似もできるのだ。

(太宰治『もの思う葦――当りまえのことを当りまえに語る。』)

ことに可笑おかしいのは、全く無学文盲の徒に限って、この世の学問にあこがれ、「あの、鴎外先生のおっしゃいますることには、」などと、おちょぼ口して、いつ鴎外から弟子のゆるしを得たのか、先生、先生を連発し、「勉強いたして居ります。」と殊勝らしく、眼を伏せて、おそろしく自己を高尚に装い切ったと信じ込んで、澄ましている風景のなかなかに多く見受けられることである。

(太宰治『女の決闘』)

 あんな、喙の青い、ハムレットだのホレーショーだのと一緒になって、歯の浮くような、きざな文句を読みあげて、いったい君は、どうしたのです。なにが朗読劇だ。遠い向うの、遠い向うの、とおちょぼ口して二度くりかえして読みあげた時には、わしは、全身、鳥肌になりました。ひどかったねえ。見ているほうが恥ずかしく、わしは涙が出ました。

(太宰治『新ハムレット』)

 谷崎潤一郎や北原白秋の「おちょぼ口」は女の人の小さな口の事で厭味はない。かならず「おちょぼ口」に厭味をつけるのが太宰治で、三島由紀夫のこの「おちよぼ口」はほぼ太宰治の語彙がうつったと言ってもよいだろう。

「思へばナチのやつたことは、小さな予行練習だつた。思ひきや、それから十数年後に、地球全体が強制収容所になつたのだ。お前はやつらをどこへ向つて解放しようといふのか」

(『美しい星』『決定版三島由紀夫全集第十巻』新潮社2004年)

 これもいけない。毒を吐こうとして、ナチの特殊性を薄めている。強制収容所と水爆は同じものではない。しかしこの時点で単なる罵倒なので、言葉の一つ一つは表層的な意味しか持たない。

「これから永遠の夏休みが来るのだぞ」
「美しい放射能!」
「放射能を讃へよう!」
「お前のとんちきな耳、しよぼたれた目、非力な腕、宇宙乞食め!」
「死んぢまへ、死んぢまへ、地球と一緒に」

(『美しい星』『決定版三島由紀夫全集第十巻』新潮社2004年)

 それを言うなら「放射能」ではなくて「放射性物質」だろうと文句を言っても仕方ない。

 これはただの罵倒なのだから。罵倒はなんのロジックも持たずとも相手を傷つける。何ら現実的な手立てももたない人間も、相手を罵倒することはできる。

 結局「凌遅」のようなまどろっこしい方法ではなく人類を水爆によって滅亡させるという羽黒たち三人に宇宙の裏切り者と重一郎が散々罵倒されて九章は終わる。

 さて、重一郎はどう反撃するのか?

 それはまだ誰も知らない。

 何故なら、ここまでしか読んでいないからだ。



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