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夏目漱石の『こころ』をどう読むか⑫ 母を棄てる

母を棄てる

 小説の感想文は色んな角度から書いてもいいともいます。大体の粗筋さえつかんでいれば、後は細かいところを論じてもいいと思います。今回は前回書き忘れたことを書きます。

 父は死病に罹っている事をとうから自覚していた。それでいて、眼前にせまりつつある死そのものには気が付かなかった。
「今に癒ったらもう一返東京へ遊びに行ってみよう。人間はいつ死ぬか分らないからな。何でもやりたい事は、生きてるうちにやっておくに限る」
 母は仕方なしに「その時は私もいっしょに伴れて行って頂きましょう」などと調子を合せていた。
 時とするとまた非常に淋しがった。
おれが死んだら、どうかお母さんを大事にしてやってくれ
 私はこの「おれが死んだら」という言葉に一種の記憶をもっていた。東京を立つ時、先生が奥さんに向かって何遍もそれを繰り返したのは、私が卒業した日の晩の事であった。私は笑いを帯びた先生の顔と、縁喜でもないと耳を塞いだ奥さんの様子とを憶おもい出した。あの時の「おれが死んだら」は単純な仮定であった。今私が聞くのはいつ起るか分らない事実であった。私は先生に対する奥さんの態度を学ぶ事ができなかった。しかし口の先では何とか父を紛らさなければならなかった。(夏目漱石『こころ』)

 「おれが死んだら、どうかお母さんを大事にしてやってくれ」と頼まれているのに、「私」は死にそうな父親を放り出して東京に行きます。その後母親のことには触れられませんが、兄弟での間では何か頼りない会話がなされていました。

「お前がいやなら、まあ伯父さんにでも世話を頼むんだが、それにしてもお母さんはどっちかで引き取らなくっちゃなるまい」
「お母さんがここを動くか動かないかがすでに大きな疑問ですよ」(夏目漱石『こころ』)

 まだ職のない身分だから仕方ないとはいえ「私」には母親を引き取る気はなさそうです。兄の方もどうやら引き取りたくはなさそうです。こうして「棄てられそうな母」が描かれるのは漱石作品では初めての事ではないでしょうか。明示的ではないにせよ、「私」には母親を引き取った気配がありません。引き取ってはいないとは書かれませんが、引き取ったとも書かれません。曖昧ではありますが、少なくとも歓迎されている気配はありません。「私」もそうです。母に対する思いが希薄です。

 兄は九州で忙しく働いているのでそれなりに稼いではいるのでしょうが「おれ」の兄も九州に行ったきり、「おれ」とは二度と会いませんね。この感覚、長兄・大助と嫂以外には愛情を示さない漱石自身と似ています。

 漱石自身と似ています。ってそんないい加減な感想があったものですかね。でも似ているんです。エッセイや談話を見てもそうなんです。

 これまで叔父が悪い人、とは言われてきましたが、よくよく考えてみると結構兄も曲者ですよね。それと『道草』を読んで思ったのですが、漱石の感覚は飽く迄次男なんですね。兄と弟の弟です。Kも「私」も次男。三四郎は何男なのか解りません。「おれ」、代助、二郎は次男。健三は三男のように書かれますが、漱石は五男です。どうも途中の兄弟を省きます。それは養子にやられ実家に戻り、復籍前に二人の兄を無くし、その時次男は既に別の家の養子に行っていたという複雑な家族関係が背景にあったからだと、「ざっくり」と言う事はできます。しかし「ざっくり」言われても困りますよね。

 しかし実際漱石と母の関係はざっくりしたものです。母は金之助を生んだことを恥じ、早々に養子にやります。決めたのは父でしょうが、母もいい加減な感じです。漱石にとって実母はぼんやりしたものでした。

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