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古池や冬の日残る枯れ尾花 夏目漱石の俳句をどう読むか105
蒲殿の愈悲し枯れ尾花
漱石がまた歴史ミステリーを仕掛けてくる。本当に伊予というのは訳の分からない土地柄で、あちこちから伝説を引っ張ってくるのが生きがいなのであろうか。
新田義宗の墓、これは仕方ない。
三好秀保は漱石の責任だ。
しかしこの句には「範頼の墓に謁して二句」と添えられている。源範頼は……確かに伝説があるな。
解説には諸説が紹介されている。
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漱石は果たしてどんな感じだったのかな?
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まず蒲殿と詠んでいるので、源範頼に関しては何かしら知っているわけだ。というよりも『吾妻鏡』も『源平盛衰記』も読んでいただろう。
別にふざけている風もないので、
ああ、源範頼もこんな田舎に落ち延びてきて哀れだなあ、落ちぶれたもんだ。
そう素直に同情しているように思える。
まあ嘘かホントか付近に十七基も従者の墓があればふざけるわけにはいかない。
この句に対する子規の評点は「◎」。
範頼の愈悲し枯れ尾花
ではなく「蒲殿の」と詠んだ工夫が評価されたか。
凩や冠者の墓撲つ落松葉
と同情しながら松葉を突きさしている。
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因幡、伊豆、伊予。しかも因幡は二か所。なにしてくれてんねん、源範頼という感じが松葉を突き立てさせるのか。(越前神奈川さいたま説はウイキにあるが鳥取説はない。)
こちらも範頼を冠者と言い換える工夫があるが子規の評点は「〇」。まあ、ただの冠者だと範頼とは限定されず、蒲の冠者と呼ばなくてはならないということか。
山寺や冬の日残る海の上
この山寺も範頼の墓の近くの寺かという感じがする。解説には特にどこの寺とは書かれていない。何せ現在でも寺は七万七千もあるのだ。
日本の寺の数、多すぎないか?
しかしこの句も解らない句だ。山寺や、と詠嘆が来ているのに、そこから海を見下ろして太陽を見ている。腹でも切るのか。山と海と太陽で夏みたいなところ「冬の」と念押ししている。この「冬の」「夏の」という季節の入れ方は安直に思えてあまりやらない人もいるが、案外漱石は遠慮がない。
この句に関しては山寺と海と日を出しているのでもう「冬の」でなければ治まらないというところか。子規の評点は「〇」。
古池や首塚ありて時雨ふる
この句も「古池」「首塚」「時雨」と少しやかましい。それでもここに何の感情も入れず、淡々と「古池」「首塚」「時雨」を並べてみたところが漱石の意匠か。
冬の首塚が古池の傍にあるのは少し怖ろしいような感じもする。
三島由紀夫ではないが昔の武士は討ち取られると首がなくなった。
池田恒興さぁぁぁぁぁん!!! pic.twitter.com/QrIsIrAhs6
— 明智えっくん (@AKECHI_EKKUN) May 26, 2024
ただの墓と首塚では、その怨念と言うか、未練と言うか、そういうものの違いがあるように思える。
それにしても漱石は何を思ってそんなところをうろうろしていたのか。時雨の降る中、古池の傍の首塚をぼうっと眺めている青年がいたら気持ち悪いと思う。
寺巡りして俳句を詠む吟行のわざとらしさというものがある。確かに寺に行くと俳句は詠みやすい。この時代にはまだそんなものを月並みと見做す感覚はなかったはずだが、漱石は首塚とひねってきた。子規の評点は「〇」。「◎」でもいいんじゃないかな。
[余談]
ところで古池と新しい池の違いってあるのかな。たいていの池は古い気がする。
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