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芥川龍之介の『温泉だより』が解らない②  「き」の字の橋がない。


 それから幾日もたたないうちに半之丞は急に自殺したのです。そのまた自殺も首を縊ったとか、喉を突いたとか言うのではありません。「か」の字川の瀬の中に板囲をした、「独鈷の湯」と言う共同風呂がある、その温泉の石槽の中にまる一晩沈んでいた揚句、心臓痲痺を起して死んだのです。やはり「ふ」の字軒の主人の話によれば、隣の煙草屋の上さんが一人、当夜かれこれ十二時頃に共同風呂へはいりに行きました。この煙草屋の上さんは血の道か何かだったものですから、宵のうちにもそこへ来ていたのです。半之丞はその時も温泉の中に大きな体を沈めていました。が、今もまだはいっている、これにはふだんまっ昼間でも湯巻一つになったまま、川の中の石伝いに風呂へ這って来る女丈夫もさすがに驚いたと言うことです。のみならず半之丞は上さんの言葉にうんだともつぶれたとも返事をしない、ただ薄暗い湯気の中にまっ赤になった顔だけ露わしている、それも瞬き一つせずにじっと屋根裏の電燈を眺めていたと言うのですから、無気味だったのに違いありません。上さんはそのために長湯も出来ず、そうそう風呂を出てしまったそうです。

(芥川龍之介『温泉だより』)

 ここでなるほど「独鈷の湯」とあれば場所は修善寺、「か」の字の川とは桂川かと解る。桂川沿いの新井旅館には芥川が泊った記録がある。新井旅館は漱石が吐血した菊屋旅館の向かいにある。

「あ」の字の旦那〔これはわたしの宿の主人です。〕

(芥川龍之介『温泉だより』)

 これが「新井旅館」の主人相原さんなら「あ」の字の旦那は帳尻が合う。芥川龍之介は新井旅館に大正14年4月16日から5月6日まで逗留し、鯉が見える風呂に感激している。

 ところがそこでまた分からなくなる。桂川に架かる五つの端は「き」の字の橋ではないからだ。

渡月橋(げつばし) 別名:みそめ橋
虎渓橋(けいばし) 別名:あこがれ橋
桂橋(つらばし) 別名:結ばれ橋
楓橋(えでばし) 別名:寄り添い橋
滝下橋(きしたばし) 別名:安らぎ橋

 つまり「き」の字の橋がない。なんなら「お」の字街道も一里ばかり離れた「か」の字村も「み」の字峠も見つからない。

 三島ー修善寺間の街道なら下田街道であり「お」の字街道ではなく「し」の字街道となる。

 付近の峠は、

天城(まき)
戸田(だ)
土肥(ひ)
船原(なばら)
霧香峠(こうとうげ)とある。

 つまり「あ」の字峠「へ」の字峠「ど」の字峠「ふ」の字峠「む」の字峠があるけれど、「み」の字峠は見つからない。

 百歩譲って「ふ」の字軒の主人と「い」の字と言う酒屋はまあいいとしよう。しかしながら「お」の字街道と「み」の字峠は無くては困る。

 あえて強引に解釈すれば、これもまた小説の背後に事実のあるなしは意味のない詮索であるという芥川の主張であり、そもそも萩野半之丞と言う大工も存在しないのだから、修善寺の桂川の新井旅館の相原さんがどうのこうも、「お」の字街道と「み」の字峠があるもないもどうでもいいということなのだろうとは思う。

 ただその意匠がそれだけに尽きているのかどうなのかが判然としない。

 ポンと膝を打つような答えがない。

 何故「か」と「あ」だけ事実と重ねたのか、そこが解らない。

 それが解らないと死んでしまうわけではないが、とても気になる。

 ああ、気になる。

 仕方ないから、明日頑張ろう。



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