芥川龍之介の『温泉だより』が解らない② 「き」の字の橋がない。
ここでなるほど「独鈷の湯」とあれば場所は修善寺、「か」の字の川とは桂川かと解る。桂川沿いの新井旅館には芥川が泊った記録がある。新井旅館は漱石が吐血した菊屋旅館の向かいにある。
これが「新井旅館」の主人相原さんなら「あ」の字の旦那は帳尻が合う。芥川龍之介は新井旅館に大正14年4月16日から5月6日まで逗留し、鯉が見える風呂に感激している。
ところがそこでまた分からなくなる。桂川に架かる五つの端は「き」の字の橋ではないからだ。
つまり「き」の字の橋がない。なんなら「お」の字街道も一里ばかり離れた「か」の字村も「み」の字峠も見つからない。
三島ー修善寺間の街道なら下田街道であり「お」の字街道ではなく「し」の字街道となる。
付近の峠は、
天城(あまき)
戸田(へだ)
土肥(どひ)
船原(ふなばら)
霧香峠(むこうとうげ)とある。
つまり「あ」の字峠「へ」の字峠「ど」の字峠「ふ」の字峠「む」の字峠があるけれど、「み」の字峠は見つからない。
百歩譲って「ふ」の字軒の主人と「い」の字と言う酒屋はまあいいとしよう。しかしながら「お」の字街道と「み」の字峠は無くては困る。
あえて強引に解釈すれば、これもまた小説の背後に事実のあるなしは意味のない詮索であるという芥川の主張であり、そもそも萩野半之丞と言う大工も存在しないのだから、修善寺の桂川の新井旅館の相原さんがどうのこうも、「お」の字街道と「み」の字峠があるもないもどうでもいいということなのだろうとは思う。
ただその意匠がそれだけに尽きているのかどうなのかが判然としない。
ポンと膝を打つような答えがない。
何故「か」と「あ」だけ事実と重ねたのか、そこが解らない。
それが解らないと死んでしまうわけではないが、とても気になる。
ああ、気になる。
仕方ないから、明日頑張ろう。
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