大正八年の十年前は明治四十二年頃。明治四十五年の『彼岸過迄』では田川敬太郎の下宿に赤々と電灯がともる。しかし明治四十一年に書かれた『三四郎』の下宿ではまだ電気を引いておらず、翌年の明治四十二年の『それから』の代助の家の居間にようやく電燈がともる。翌年の『門』の宗助の家にも電燈はある。しかし代助の家にあった電話はない。芥川はここで「ランプの前に書見」という様子を書いている。これが明治二十八年の漱石の句だと、
長き夜を唯蝋燭の流れけり 漱石
ランプではなく蝋燭になるのである。いずれにせよ十年前のランプというのは絶妙な時代設定であるということが解る。まさに時代を見よ、と芥川が合図しているところだ。
そのランプの効果の中にぬっとあらわれる男、先に「もし」と声でもかけていたらいささか不気味さは薄れていたものを、ここはまず姿を見せて驚かす。全く見知らない四十恰好の男が突然部屋にいたらそれは怖いだろう。六十より四十が怖い。
そもそも全く見知らないということは、世話を焼いてくれる別荘番の夫婦者ではないということだ。客だとして、まずは別荘番の夫婦が取り次いで、これこれの者が面会に参っておりますが、と申し出るべきであろう。その段取りが何故すっ飛ばされているのか、と考えた時、やはり最悪のケースを想定してしまうものなのではなかろうか。
あるいはこの時点でこの全く見知らない四十恰好の男は殆ど幽霊である。足音も襖の開く音もなく、部屋の中にいたのだから。
半白……ごま塩頭
仮にこれを明治四十二年頃の話だと仮定して鑑みるに、この当時はまだ旋盤工というものはいなかった筈だ。金属部品の加工工場ができるのはずっと後のことで、職業上の事故で指を落とすことは稀であった筈だ。
一方やくざ者のけじめとしての指詰めは神田伯山の『清水次郎長』に見られるようだが、どこまで古いものかは解らない。昭和二十年代には確実にあったようだが、明治四十二年頃左の手の指が一本欠けているという事がどのような意味を持つのかは定かではない。
中村玄道、どこにでもある名前だ。新選組にもいた。もう少し凝った名前にしてもいいところを、ここは敢えてありふれた名前にしたという所か。何か手抜きをした感じがないではないが、まだその狙いはつかめない。青空文庫では「なかむらげんどう」とルビがふられている。1920年の『影燈籠』ではルビがない。「はるみち」などと読んで読めなくはない。
エピソードトークに貧したタレントならばいざ知らず、他人の身の上話など誰が聞きたいものか。それに倫理学界の大家に向かって善悪とも先生の御意見を承りたいとうことは、手相見に手相を見ろと言っているようなもの。質疑よりたちが悪い。
しかも二十年前の話ということは、仮にこれが明治四十二年だとした場合、明治二十二年、つまり大日本帝国憲法発布の頃、国内の反乱や内戦が落ち着き、明治政府が近代国家たらんとする時期だ。夏目漱石の学生時代。芥川龍之介はまだ生まれていない。芥川は明治二十五年生まれなので、未知の遠い昔だ。
そんな話を何故今更?
そう思えばそもそも「今ではもう十年あまり以前になるが」とはじめられた『疑惑』そのものが今更という話なのである。何故十年前? という話がさらに二十年遡る。
noteに書くか、いのちの電話に話せばいいじゃないかと思う。noteに書けば記事を読みもしない人からスキが貰えるかもしれない。やはり押しかけてきてまで話を聞かせたいとは、どれだけ図々しいんだと思わずにはいられない。私の経験では押しかけてくる人の大半が金目当てだ。
こんなのばかりだ。そんなに金が欲しければ、勝手に投資でもすればいいのに。なんとか他人から金をもぎ取りたいという人がうようよいる。しかし大正八年はまだ平和だ。
それでもこの倫理学界の大家は突然現れた男の話を聞いてやるらしい。まあ聞いてやることは最初から解っていたわけだから、聞くは聞くとして、どうも少し枕が長かった。
となると、この語りのスタイルと、枠構造、つまりいきなり中村玄道が過去を語り始めないという設定にどんな意味があるのかと考えながら読まないといけないことになる。
ずんずん先に行きたいが。指が痛いので今日はここまで。
そういえばここまでで名前を名乗ったのは中村玄道唯一人。つまりこの名前には意味があることになる。名前に意味?