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田中優子の『カムイ伝講義』を読む③ 武士とは何か③ 武士は物貰い?

 問題はそのような需要と供給から、職能と居住地が世襲となり固定されたことだろう。これは近世になると武士が同様に、職能と居住地が固定されたことに対応している。中世では武士が農村部に居住し、自律的な集団を組んでいた。しかし兵農分離によって武士は城下町で暮らすようになり、その生命維持を農民に頼らざるを得なくなる。中世の所領は単に子どもに受け継がれていたが、近世になると代替わりのたびに主君から家臣へ授けられる、というかたちをとる。それどころか知行所(土地)を一切持たず、給与だけもらう武士も大量に出現する。これが、近世日本は封建主義と言えるかどうか、という議論を呼ぶ点である。江戸時代の武士は明らかに官僚、あるいはサラリーマンなのだ。

(田中優子『カムイ伝講義』小学館 2008年)

 この辺りの話は何とか分かる。武士はサラリーマン。自由業ではないので制約が多い。そのイメージそのままだ。

 ところが、

 実は乞胸頭・仁太夫とその組織は、武士が出自なのである。

(田中優子『カムイ伝講義』小学館 2008年)

 こう言われるとさすがに驚く。


江戸ばなし 其2 三田村鳶魚 著大東出版社 1943年

 しかしこれは「ホームレスも元はリストラされたサラリーマン」と言われているようなものか。

 こうした武士の存在を前提にして三島の理屈を考え直してみると、そりゃ無理だという感じがしてくる。現実問題として天皇の赤子だとしても特攻隊にさせられるわけである。昔の武士はリストラされて物乞いになったわけである。そこの関係はあくまでクールでシビアなものだ。

 自分をリストラした上司のために死ねるかと問うのは愚問だろう。

 むしろ武士は貧しく、ある程度職人化、商人化しなくては生きてゆけなかつた。

(田中優子『カムイ伝講義』小学館 2008年)

 まあそういうことなのだろう。これは江戸時代の話だ。

 商人は非常に裕福になり、武士に代わって実際の文化創造を担うようになっていった。

(田中優子『カムイ伝講義』小学館 2008年)

 幕末の武士は六~七パーセントしかいなかったそうだ。皇軍兵士は矢張り農家の次男三男、自衛隊員も漢文の素読をして木刀の素振りをして育ったわけではなく、「士」でもなかったはずだ。

 よくよく考えてみたら江戸時代に武士であること、それ自体がかなりきついことだったのではなかろうか。三百年伝統を守り、最後の一年だけ武力行使したと考えると明治維新は凄い。よくぞ剣を磨いてきたものだ。三島が自衛隊員に求めたものはその奇蹟的なものだったとして、物貰いに落ちてしまえば剣の修行も何もなかろう。

 どうも武士について調べていくと、だんだんと解らないことが増えていく。

 実戦経験なしでよくぞ戊辰戦争とか戦えたね?

[余談]


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