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三島由紀夫『午後の曳航』の結末について

 堂本正樹の『回想 回転扉の三島由紀夫』(文藝春秋、2005年)によれば、三島由紀夫の『午後の曳航』には七、八枚の続きがあったという。すなわち、手術用のゴム手袋を嵌めた少年たちが、龍二(塚崎竜二?)の灰色のセーター(スウェータア)を剥がし、かつての「英雄」の全裸を解剖する。下半身が裂かれ、剥かれる。

 ジムの場合彼のみではなく、より美しい身体の持ち主も居たが、いつも三島はスターであり、好奇と畏敬の視線を集めていた。様々な器具のある場でのトレーニングの後、シャワー室で汗の身体を流すのだが、その場合前を隠さず、歩き回って、金網の外の見物人や、仲間を感嘆させていた。(『回想 回転扉の三島由紀夫』堂本正樹、文藝春秋、2005年)

 こう堂本は書いているが「シャワー室で汗の身体を流す」のはどうだろう。「シャワー室で身体の汗を流す」かあるいは「シャワー室で汗をかいた身体を流す」べきなのではなかろうか。それに麻酔なしで解剖は痛いよ。作中ではドイツ製の睡眠薬が用意されていることになつているが、とても解剖されて悦に入ることはできないだろう。


【付記】

 三島由紀夫が入らない全集がいくつもあるという話は書いただろうか。いざそういうものを目にすると、思い出すまで、あれっと不思議な感覚になる。そう、三島由紀夫が入らない全集がいくつもあるのだ。
 だから『午後の曳航』の続きを書こうと図書館に『午後の曳航』を借りに行ったら案外困った。三島由紀夫の『午後の曳航』なんぞどこにでも落ちていそうなものだが、案外見つからない。いや、見つけたが、見つかるまでに、三島由紀夫が不当に差別されていることを思い知った。ふりちんでうろうろしたのがそんなに悪いことなのだろうか?

 それから『午後の曳航』ではおちんちんが「仏搭」と表現されていることに気が付いた。そんなにとんがっているのかな。



【余談】

横書きに疲れた方へ、縦読みの薦め。

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