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何故神仏混交なのか 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む45

何故仏教なのか

 転生は仏教独特の世界観というわけではない。しかし『豊饒の海』が『堤中納言物語』に材を得た輪廻転生の物語であると言われてみれば仏教的な話題が繰り返し現れることにさしたる不自然さもないように思われる。それでも敢えてそこに引っかかってみると、そもそも三島由紀夫は何故阿頼耶識に取りつかれたような演技を大げさにして見せたのか、ということが気になってくる。

 官幣大社大神(おほみわ)神社は、俗に三輪明神と呼ばれ、三輪山自体を御神体としてゐる。

(三島由紀夫『奔馬』『決定版 三島由紀夫全集』新潮社2001年)

 三輪山に鎮まるという大物主大神は神仏分離と因縁のある神である。廃仏毀釈の際に本来の御本尊の代わりに大物主大神を祭神とした例が多いという。しかしおそらくそのことを熟知している筈の三島由紀夫は、「三輪山自体を御神体としてゐる」として、まるで古代の山岳信仰の一つでもあるかのような書き方を一旦はして見せる。

 そして改めてこう書いてみる。

 祭神大物主大神は、大国主神の和魂であり、古くから酒造りの神とする信仰があった。

(三島由紀夫『奔馬』『決定版 三島由紀夫全集』新潮社2001年)

  そういう言い方も可能だが『古事記』によれば、女を便所で待ち伏せて下から陰部を突いた変態で、結果的には神武天皇の后の父親である。つまり三島の言いたいのは記紀神話は素朴な山岳信仰と共に日本の土着的な風土として染み渡っているものなのだ、ということでもあるだろう。確かに山は分け入ってみれば神々しさに満ちている。本多も正にそうした山の神々しさを感じている。

 ここで本多は飯沼勲と出会う。しかし金閣寺を天皇にしてしまう平野啓一郎は、三輪山で二人が出会うことには無関心のようだ。

 しかしそもそも何故三島由紀夫は神と仏をごちゃまぜにしようとしているのか。聡子は月修寺に出家した。

 何故寺なのか?

 仏教はもともとインドのものだ。日本のものではない。明治天皇は仏教を止めた。明治天皇は菩提寺を捨てた。

 それなのになぜ三島由紀夫は寺の話、仏教の話を書いて来るのか。この『奔馬』は三輪山を出すことによって、そういう疑問を起こさせる話ではないのか。「神風連史話」の神はデウスではない。そして天皇でもない。仏教で一番偉いのは天皇ではなくお釈迦様であろう。平野啓一郎の『三島由紀夫論』はこの問題を突き詰めない。

 そもそも輪廻転生と言えば天皇は誰の生まれ変わりなのかという話になってしまうからだ。輪廻転生も阿頼耶識も仏教の大嘘、天皇も国学の大嘘であることは明白なのに、三島由紀夫はそんなものに大真面目に付き合うふりをして見せる。平野啓一郎の『三島由紀夫論』もそこに付き合ってしまうが、本当にそれでいいのだろうか。

愚神信仰

 本多は飯沼勲の剣道の試合を眺めながらこんなことを考える。

 かつて清顕に、大正初年の自分たちの若い時代も、何十年かたつと、その細かい感情の襞は悉く忘れられて、当時の剣道部の連中と等しい、時代の「愚神信仰」の下に統括される、と説いたことがあつたが、その点は自分の言つたとほりになつた。しかし自分にとつて意外なことは、その愚神を今では懐かしみ、かつて自分が曖昧に信じたもつと高尚なよりも、愚かな神のはうが美しく見えるといふ気持が、いつのまにか芽生えてきたことである。今、本多が突き落とされた少年時代の洞穴は、正確には、むかしと同じ位置にある洞穴ではない。

(三島由紀夫『奔馬』『決定版 三島由紀夫全集』新潮社2001年)

 それなら何十年先に、貴様が貴様の一等軽蔑する連中と一緒くたに扱われるところを想像してごらん。あんな連中の粗雑な頭や、感傷的な魂や、文弱という言葉で人を罵るせまい心や、下級生の制裁や、乃木将軍へのきちがいじみた崇拝や、毎朝明治天皇の御手植の榊のまわりを掃除することにえもいわれぬ喜びを感じる神経や、……ああいうものと貴様の感情生活とが、大ざっぱに引っくるめて扱われるんだ。(中略)そうしてその『真実』というやつは、百年後には、まるっきりまちがった考えだということがわかって来、俺たちはある時代のあるまちがった考えの人々として総括されるんだ。(中略)その時代をあとから定義するものの基準は、われわれと剣道部の連中との無意識な共通性、つまりわれわれのもっとも通俗的一般的な信仰なんだ。時代というものは、いつでも一つの愚神信仰の下に総括されるんだよ。

(『春の雪』/三島由紀夫/新潮社/昭和五十二年/p.124)

 明治神宮は大正九年、乃木神社は大正十年にできた。『春の雪』の世界には明治神宮はまだない。『奔馬』の昭和七年にはまだ大正神宮はない。

 ここで言われている「愚神」が天皇であり、天皇崇拝が本多によって再評価されている点についても平野は触れていない。

 三島由紀夫は十代の精神に回帰し天皇崇拝者として死んだのだというストーリーにあてはめようとすると、三十八歳の本多が十代の精神に回帰するのではなく、十代の自分とは異なる立場で「愚神」の美しさを認めていることはつじつまが合わないからだ。しかし一貫しているのは「愚神」という呼び方だ。この神はデウスでもお釈迦様でもない。明治天皇なのである。ここには何かねじれにねじれたものがある。(勲は明治神宮や靖国神社にお参りし、熱心に祈るのである‼)あくまでも「愚神」と呼ばねばならないこだわりがある。それは決して純白なものではない。

 しかしこの本多のねじれにねじれた「愚神」の美しさの発見は飯沼勲のおおよそ邪心のない清潔な剣道によって生じたものなのだ。剣道そのものには行動しかない。思想も哲学もなく、気合と動きだけがある。そんなものを見て今更三十八歳の本多は何か心動かされるものがあったのだ。ここはからくりではなく、何か真実性があるところであろう。 

 そういえば三島由紀夫自身が剣道五段だった。嘘や演技で五段は取れない。そこにはなにがしかの真実があった筈だ。剣道の試合で五人勝ち抜き個人優勝する飯沼勲には、そうではありえなかった三島の何かがそっと重ねられようとしている。

 若者らしい純粋さ。

 とりあえずはそういってみてもいいかもしれない。

 しかしそこには既に三十八歳の本多の目があり、「愚神」が「愚神」であることを確かに知ってもいるのだ。

 山に登って神性を感じながら飯沼勲の黒子を見た本多はまた仏教の転生の理屈を考え始める。どうやら三島は神と仏をごちゃまぜにして遊びたいらしい。翌日には本多は率川神社を訪ねる。

 御祭神の媛蹈韛五十鈴姫命は例のあれ、便所で待ち伏せされてあそこを突かれた人である。どうもこの辺りは三島由紀夫は意識的である。便所で待ち伏せされてあそこを突く神様がいたとしたら、それこそまさに「愚神」ではないか。

 第七章三島は三枝祭の神事を悠々と描いて見せる。その景色は確かに美しいと言って差し支えのないもので、便所で待ち伏せされてあそこを突かれた人が祭られていることを忘れさせてしまう。これは多くの宗教に見られる装飾で、ありとあらゆる美しいと思われるもので嘘が飾られていく。その確認を終えてから本多は飯沼茂之と再会し、その磊落な態度に驚かされる。

 この飯沼の変化にも平野は触れていない。何なら問題はそこではないか。

 右翼の塾長という肩書の磊落な男。

 この男もまた三島由紀夫の分身ならば、その仮面を剥がねばなるまい。流石にここからは、平野啓一郎の『三島由紀夫論』に書いていない、とばかり指摘していても仕方なので、平野啓一郎とは切り離して少し掘り下げてみたい。

 その前に一つ確認。

・『春の雪』には三島由紀夫が自己投影するような天皇崇拝者は「剣道部」くらいしかいない。

・三島由紀夫は自分の行動は解りにくく、五十年か百年したら少数の幸運な人たちが解ったと言ってくれるかもしれないと語っていた。

・三島由紀夫は『豊饒の海』で国家神道ではなく、主に仏教の屁理屈をこねまわした。

 天皇陛下万歳と言って生首になって憂国の義士ならこんな分かりやすい話はない。本人が解りにくいと言っているので天皇崇拝者というのは大嘘である。天皇崇拝者は『家畜人ヤプー』を読めば怒り出す。

 ここまでの理屈はいいかな?

 つまり阿頼耶識の考え方は面白いと言っているのであって、輪廻転生を信じているわけでもないし、七生報国は無理だと解っている。では真床覆衾説はどうだろう?

 これは三島由紀夫の考え方とは少し違う。三島天皇論では天孫降臨がない。

 では三島由紀夫は真床覆衾説のようなものを信じていたか?

 これもない。

 三島由紀夫は石原慎太郎に三種の神器とは何だと訊かれて宮中三殿と答えている。

 これは明治五年に無理矢理作られたもので、孝明天皇の権威を保証しない。中身もかなり無理矢理なものだ。この無理矢理なところが三島由紀夫の気に入ったのであろう。

 出鱈目と言えば出鱈目。しかし少なくとも平野啓一郎が「6 『古事記』と天皇論」で述べているような「大日本帝国の天皇神格化」の影響などみじんも感じられない。この章でやはり平野は、

 三島が理想化していた天皇は一体誰だったのか

(平野啓一郎『三島由紀夫論』新潮社 2023年)

 こう問うてみる。仮に答えてみればそれは一番無理矢理な天皇、春日宮天皇なのではないか。

 つまり三島由紀夫は磊落な右翼だったか?

 それはない。

 ここまではいい?

 なら次にいこう。少し違った形で。




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