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醤油をつけた方がいい 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む50

 結論として平野啓一郎は飯沼勲の死が熱い握飯にもなっていないし昭和天皇には届かないと考えているようだ。この結論として「昭和天皇に対する熱い握り飯にはなっていない」という部分には私も大いに賛成する。繰り返し書いているように勲の死は八つ当たりの焼けバチの死であり、自己弁護の死に過ぎない。

 しかしこの私の個人的な感想はあくまでも三島由紀夫の『奔馬』という作品に対する批判の意味が込められていて、作品論としてまず物事の流れ、考え方の変化を見ていく上では、

 何よりも、蔵原殺害の動機が、「聖明が蔽われている」ことへの怒りではなく、「伊勢神宮で犯した不敬の神罰」である。昭和天皇に、この「握り飯」を「必死の忠」として受け容れよ、というのは、さすがに無理があろう。彼は敵である現体制の共感を拒む行動によって、結局のところ、人格的な天皇からの理解さえ、拒んでしまったことになっている。

(平野啓一郎『三島由紀夫論』新潮社 2023年)

 この割り切りだけでは不十分で、三島由紀夫が敢えてした心理描写の意識的排除の領域に踏み込まねばならないのではなかろうか。

 そしてまた結論を先に置いてしまえば、勲の死はある意味では確かに熱い握り飯になっているのだ。

 確認してみよう。

①蔵原はもともと財界の悪人として標的になっていた
②蔵原の不敬なふるまいに対して勲は「しかし、殺すほどのことではない」ととっさに思い
③若い津村の怒りの目を見て何ものかに恥じた
(蔵原は十五章新河男爵の晩餐会で、やはり銀のシガレット・ケースを尻に敷いて潰している。勲は尻に関しては寛容なようだ。)
④勲は密告者が父親であることを知らされる
⑤勲は父親が「五・一五事件」の直前に新河男爵を通じて蔵原から金を貰っていたことを知らされる。(勲は佐和から父が蔵原から金を貰っていたことを二十一章で知っていた。しかし佐和はそれが新河男爵経由の金であることを説明していない。しかし二十四章の計画で既に新河亭は勲が襲うことになっている。したがって最終的な暗殺計画では新河男爵殺害を勲に譲ったような流れが感じられなくもないが、ここは佐和が蔵原を本気で殺そうとしていたと理解すべきか。しかし新河男爵と宿の関係を知っていて、敢えて伏せた感じは残る。飯沼茂之に対する復讐?)
⑥勲は佐和から父に密告したのは鬼頭槙子だと告げられる。勲は鬼頭槙子に惚れられたばかりに牢屋にぶち込まれたのだと佐和は言う。

 佐和は一切かまはずに、そのやや白くむくんだ頬を撫でながら、勲の顔を見ないで喋りつづけた。

(三島由紀夫『奔馬』『決定版 三島由紀夫全集』新潮社2001年)

 これが平野啓一郎が三島由紀夫に見た隠蔽である。勲の心情は伏せられている。

 そしてこの「かまはずに」を読めと三島由紀夫は合図している。「かまはずに」ということはここで勲の中では決定的なものがあったのだ。それを表情の変化で表すのはあまりにもつたない。実際勲の表情そのものはわずかにも変化していなかったであろう。しかしこの瞬間に様々なロジックがカチャカチャと組み合わされて蔵原殺害が決意されたことは間違いない。勲の純粋は三十過ぎの出戻り女の独占欲によってふたたび汚されたのだが、そのことだけが動機になりうるはずもない。

 しかし「自分の女」が密告者となり、計画が破綻した事、これを恥と思い、同時に純粋を穢された同志たちへの償いとして、勲の死があったことは想像に難くない。また勲はもう若い津村の純粋さを失っていた。鬼頭槙子が差し出した偽証という熱い握り飯を口にねじ込まれて、嘘をついてしまった。嘘つきに言行一致はない。もう昭和の神風連を名乗ることはできない。

 それでも行動は可能だろうか、と迷ったことは迷ったであろう。

 勲は佐和が言うように鬼頭槙子が勲を独占するために牢屋にぶち込んだと考えただろうか。少なくとも私には佐和の解釈は極端すぎるように思う。鬼頭槙子はまず勲の父、飯沼茂之に熱い握り飯を差し出した。自分が密告しても良いところ勲の父親を裏切り者にした。飯沼茂之の思想を試したのだ。というより飯沼茂之が贋物の右翼だということを既に見抜いていたのだろう。その上ですぐさま嘘日記を書いて、勲を守ろうとした。もし勲が純粋を貫くのなら、それで偽証罪に問われてもいいという覚悟があってのことであろう。これも「牢屋に入ってみたい」と嘯いた聡子との対になることだが、鬼頭槙子も綾倉聡子に負けないしたたかさを持った女であることは間違いない。

 よくよく考えれば、勲の出所祝いに招かれながら鬼頭槙子は来なかった。これは消極的な遠慮ではなく、積極的な拒絶であった。

 全てを知った後、勲は「本当に覚悟があったならもう二度と会うべきではない」という言行一致のロジックを鬼頭槙子から突き付けられたように感じたのではなかろうか。これは『春の雪』の最後と重ねられる設定である。

 標的になった蔵原は姦鬼であろうが、もう一人殺さねばならない姦鬼がいた。右翼活動をかさに金儲けをする贋物の天皇崇拝者、飯沼茂之である。

俺としては、いくら金を受け取つてゐようとも、お前が新河や蔵原を刺せば、それでもよかったのだ。あとで俺がお詫びに腹を切れば済むことだ。そのくらいの覚悟は、金を受取つたときから俺にはちゃんとできている。

(三島由紀夫『奔馬』『決定版 三島由紀夫全集』新潮社2001年)

 言行一致なら、飯沼茂之は腹を切らねばならない。少なくとも勲の死は父に対する握り飯にはなっている。

 このロジック、言行一致なら勲が蔵原を刺殺したことによって勲の父は腹を切らなくてはならないというロジックが平野啓一郎にはまるで見えていない。

 父と新河との不純な関係によって、自分自身が蔵原に毒されていた、というのは、紛れもない現実である。では勲は、何故、父親を殺さないのか? 勲は、父に失望しているが、激しい憎悪を抱くわけではない。彼は、「忠孝」を否定しないのである。

(平野啓一郎『三島由紀夫論』新潮社 2023年)

 なんとびっくりする読みであろうことか。

 本当に「あとで俺がお詫びに腹を切れば済むことだ。そのくらいの覚悟は、金を受取つたときから俺にはちゃんとできている」という勲の父の言葉を見落としてしまっている。

 いや、見落としても見返せば出てくるだろうという話である。

 さらにこの言い分からは、例えばこの場面、が全然読めていないことが解る。

「勲! 何です。お父様にお謝りなさい。親に向かつてそんな気色ばんだ顔をして何です。さあ、早くそこへ手をついてお謝りなさい」
「あれを見てください」

(三島由紀夫『奔馬』『決定版 三島由紀夫全集』新潮社2001年)

 この「気色ばんだ顔」をどう見るのだろうか。大正時代の清顕はキューで殴られたが、勲も木刀で殴られても仕方ない。ただ勲の顔が父親を押しとどめたのであろう。

 そしてその忠を尽くすべき勲の父は腹を切らないだろうと勲は知っていた筈だ。「それくらいの覚悟」などというものが本当はないのではないかと疑っていた。そして恥じていた。それでも行動しなくてはならなかった。勲は熱い握り飯を差し出すことで父親に死か恥辱かのいずれかを自ら選び取るよう迫ったのだ。

 このドラマが見えないで『奔馬』を読んだとは言えまい。

              ☆

 この『奔馬』の結末について、『暁の寺』でどのように回想されていたか、今は思い出せない。しかしおそらくこの後飯沼茂之が切腹をしていたら、少しは記憶に残っている筈だが、そういうものはない。あとで精査するが、勲の熱い握り飯は右翼の塾頭の仮面を剥いだということになるのではないか。

 しかしさて、蔵原の金が新河経由であることの意味はさして明確ではない。佐和は何故それを伏せ、事実を知った勲はそのことをどう思ったのか。この点は書かれている部分からは明確ではない。

 新河の名前はまず十一章で堀中尉の口から、

 ドル買に憂身をやつす新河財閥

 今度の五・一五事件によつて、新河財閥の自粛の色は著しいとのことである。

(三島由紀夫『奔馬』『決定版 三島由紀夫全集』新潮社2001年)

 として、具体的な悪人としてまず名前が挙がる。

 十二章では新河男爵とは名指しされないが、

「華族会館さ」と勲は事もなげに、「奴らは皇室の藩屏などと称して、皇室に巣食ふ寄生虫どもなんだ」

(三島由紀夫『奔馬』『決定版 三島由紀夫全集』新潮社2001年)

 として、ざっくり悪に括られている。十三章では、

「十人となれば、その一人には入るだらうな。しかし五・一五事件で反省したりして、出たり入ったりのオポチュニストに過ぎないと思ふな。勿論非国民として懲らしめるべきだけれど」

(三島由紀夫『奔馬』『決定版 三島由紀夫全集』新潮社2001年)

 このように蔵原武介の標的としての優先順位は十位以内というところに留まる。ここで蔵原武介に対して「あいつ一人殺れば日本はよくなるよ」と言われていることから勲の行動はシンプルな言行一致に見えなくもない。ところがここにはねじれがあり、軍の手助けが断たれた後の変更された計画書では、勲は新河亨暗殺の役に回り、蔵原暗殺を避けているのだ。これはこの時すでに佐和から、父親が蔵原から金を受け取ってゐることを知らされていたためで、 

 勲は何か心の中で、自分がはじめて何ものかから「逃げた」と感じた。

(三島由紀夫『奔馬』『決定版 三島由紀夫全集』新潮社2001年)

 として既に日和らされている。

 ここが戻ってやり直すべき地点だとして、蔵原を殺すことで勲の握り飯は新河には届くだろうか。

 例えば『春の雪』における新河男爵の狡猾さを見れば、むしろ「胸をなでおろす」くらいなものではあるまいか。元は豪商の家である。商売人はもうかればいい、損をしなければいい。それくらいなものであろう。

 しかしそんなことは勲にも分かっていたのではないか。

 昭和天皇などには何も届くまい。しかしそんなことは問題ですらないのだ。勲の忠義は日輪に捧げられている。勲の熱い握り飯は純粋さを問う自刃となり、己が腹に突き立てられた。返事は最初から期待されていない。

[余談]

 二十六章、勲は母親から口の中に「さより」刺身をねじ込まれる。何か不意を突かれるような場面だが、これも三島由紀夫にしてみれば、握り飯だけではなくおかずも差し上げるという洒落なのであろう。「みぎより」の勲に「さより」はたまたまであろう。

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