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芥川龍之介の『点心』をどう読むか⑦ KDPなら七割だ

印税

 Jules Sandeau のいとこが Palais Royal のカツフエへ行つてゐると、出版書肆のシヤルパンテイエが、バルザツクと印税の相談をしてゐた。その後彼等が忘れて行つた紙を見たら、無暗に沢山の数字が書いてあつた。サンドオがバルザツクに会つた時、この数字の意味を問ひ訊すと、それは著者が十万部売切れた場合、著者の手に渡るべき印税の額だつたと云ふ。当時バルザツクが定めた印税は、オクタヴオ版三フラン半の本一冊につき、定価の一割を支払ふのだつた。して見ればまづ日本の作家が、現在取つてゐる印税と大差がなかつた訣である。が、これがバルザツクがユウジエニエ・グランデエを書いた時分だから、千八百三十二年か三年頃の話である。まあ印税も日本では、西洋よりざつと百年ばかり遅れてゐると思へば好い。原稿成金なぞと云つても、日本では当分小説家は、貧乏に堪へねばならぬやうである。(一月三十日)

(芥川龍之介『点心』)

 こちらとは別人。

 当時の一フランを現在の日本円に換算するといくらになるのかという値は様々に言われている。基準にするものによって計算上かなり開きが出るようで、諸説あり、余りに幅が広いので、ここではその数字を挙げない。ここで言われているのはあくまでも「一割という取り分が百年経っても変わらないので日本は遅れているのではないか」ということだ。

 これを読んだ現代の作家なら、現在の印税は一割貰えないっすよ、芥川さんと言いたくなるところであろうか。(ざっと5~10%というところであろうか。何でも量り売りの時代はいつまでも続くようだ。)

 前章「托氏宗教小説」中の「物質生活のミニマムに生きてゐる僕」がなぞられ、貧乏に関するぼやきが出たと素直に受け止めるべきところであろう。

 あるいは加納夏雄の高給、トルストイや池永言水の身分を羨むところがあったのかもしれない。漱石先生はこんなに貧乏ではなかったなあ、とはいつも思っていたろうが。

 ここにはさしたる仕掛けはなかろうが、敢えて言えば「Jules Sandeau のいとこ」で始めるところが、芥川のオドカシとは言えよう。大抵の人は誰それとなるはずだ。その塩梅が文飾だ。



 凩や海に夕日を吹き落す    漱石

 胸中の凩咳となりにけり    我鬼

 




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