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UFOのトイレ

UFOのトイレ


時々UFOの映像として、実際にはあり得ないような

重力を無視したような

というより乗組員の姿勢を無視したような映像が流れることがある。

しかし我々が新幹線で平気でうんこができるのは、あのなめらかな水平移動に近い運行が根拠であり、それが無軌道になれば、我々はたちまち糞まみれになってしまう。

つまりUFOの乗組員はうんこをしないか、うんこをしている間は動かないか、いつもうんこまみれかのいずれかである。

理屈の上ではうんこをしている間は動かないが正解だろう。

つまりUFOがじっとしている間は、誰かがうんこしていると小学生みたいに冷やかしていいのだ。

大人なのに両手離し


どう見ても大人なのに、自転車を両手離しで漕いでいる人がいた

三十代かな、

片手に小さなノートパソコンを持っている。

毎朝、誰に見せようというのか、そんな風にして出勤しているのか。

両手離しがそんなに自慢?

凄くバランスがいいだろうって?

久々に見た両手離しだ。

そんなことをするのは中学生までだと思っていた。

でもまあ、いい大人がブログなんか書いているのだからどっちもどっちか。

と一輪車ですれ違った私は思った。

タイの首都


クルンテープ・プラマハーナコーン・アモーンラッタナコーシン・マヒンタラーユッタヤー・マハーディロックポップ・ノッパラット・ラーチャタニーブリーロム・ウドムラーチャニウェートマハーサターン・アモーンピマーン・アワターンサティット・サッカタッティヤウィサヌカムプラシット。

長すぎ。

どうでもいいことだけど


谷崎潤一郎の小説を読みながら右クリックしていたら

呉服商みたいな広告が溢れてきた

そんなとこから日本人でなくなっていくんだなと感じた

今だって私はセイラーズの緋の革脅しに鎧直垂だもの。

VANのすけすけインナーだもの。

長ネギが三本48円で売られていた。


 長ネギが三本48円で売られていた。

 みな148円と勘違いして買わない。

 あるいはルーブルが下落して、

 財布にはペソしかないのだ。

 私は間もなく空輸が困難で品薄になるノールウェー産のサーモンを買い

 ウクライナのピロシキを食べた。

買春


買春 酒を買う 春は酒のこと

買笑 有事を買う、プーチン いや、遊女を買う。 または薔薇の別称。

夏目漱石作品と芥川龍之介の生活


 皆さん、あの『こころ』の「私」のところへ「芥川」を置いてみてください。と『芥川龍之介の文学』で佐古純一郎は書いている。これが近代文学1.0における根本的なミスの事例であることは指摘するまでもなかろうか。芥川が漱石に対して感じていた畏怖や圧迫感をすがすがしい敬愛に置き換え、芥川は漱石文学を継承したという勝手な理屈をこねる。

 芥川は「夏目さんにしてもまだまだだ」と言っており、漱石を常に先生と呼んでいたわけではない。『明暗』の続編も書かない。その点では『贋作 続吾輩は猫である』を書いた内田百閒の方が漱石文学に寄り添ったといってよかろう。

 ただし別の意味で芥川の失恋に至る心境、境遇、未練などは『こころ』や『明暗』の設定にどこか似ていなくもない。それは無論漱石が芥川のプライベートを取材したというような意味ではないが、『こころ』や『明暗』を読んだ芥川が、清子に振られる津田や、Kの存在によって静を強く意識する先生に対してどのような感情を抱いたのか、そこらあたりのことに私は興味がある。芥川の漱石作品に関する評論がどこかに残っていないものだろうか。

 あるいは口頭でも意見を聞いた者が、さすがにもういないだろうか。

 こうなるとイタコにでも頼むしかない。あるいは私がやつてしまおうか。

俺の口は鬼か


 昨日何かの具合で口の中を噛んで切ってびろびろになっていた場所が

 もうつながっている。びろびろはない。

 口の中は異様に回復が早い。

 俺の口は鬼なのか。

芥川龍之介の好物は赤茄子とチョコレート

 

 芥川瑠璃子の『双影 芥川龍之介と夫比呂志』によれば、芥川龍之介の好物は赤茄子で、晩飯のおかずは大抵お刺身、鰤があれば文句は言わなかったそうだ。

 僕「するとまず標準は滋養と味と二つある、その二つの標準に種々様々のヴァリエエションがある、――大体こう云うことになるのですか?」
 老人「中々そんなもんじゃありません。たとえばまだこう云うのもあります。ある連中に云わせると、色の上に標準もあるのです。あの美学の入門などに云う色の上の寒温ですね。この連中は赤とか黄とか温い色の野菜ならば、何でも及第させるのです。が、青とか緑とか寒い色の野菜は見むきもしません。何しろこの連中のモットオは『野菜をしてことごとく赤茄子たらしめよ。然らずんば我等に死を与えよ』と云うのですからね。」
 僕「なるほどシャツ一枚の豪傑が一人、自作の野菜を積み上げた前にそんな演説をしていましたよ。」
 老人「ああ、それがそうですよ。その温い色をした野菜はプロレタリアの野菜と云うのです。」
 僕「しかし積み上げてあった野菜は胡瓜や真桑瓜ばかりでしたが、……」
 老人「それはきっと色盲ですよ。自分だけは赤いつもりなのですよ。」
 僕「寒い色の野菜はどうなのです?」

(芥川龍之介『不思議な島』)

 なるほど赤茄子が贔屓されている。

 実母に殴られた際は「このお平の長芋め!」と云われたようである。

 あ、『芋粥』!


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