猿はパンツをはいていない 芥川龍之介の『戯作三昧』をどう読むか⑭
このあたりの話も現代ではわかりにくくなっているかもしれない。夏目漱石の『趣味の遺伝』などあからさまな戦争批判であり、明治天皇批判である。そうしたものが野放しになっていたかのようだが実際にはそうではない。
頻りに吉原に通い、遊女菊園を妻とした山東京伝を師とする馬琴を宮武骸骨は「山東京伝の模倣者」と呼んだ。模倣したのは吉原通いではない。
小説が「何を書くのか」という肝の部分になるのだが、骸骨の見立てによれば、善玉と悪玉の対決は山東京伝の創意だという。これは本居宣長が『源氏物語』に「もののあはれ」という文学の本意を見出したことに並ぶ、大発見なのではなかろうか。
ではそれ以前の軟文学が何を書いていたのか、例えば小瀬甫庵道喜の『信長記』『太閤記』などは英雄伝であろうし、安楽庵策伝の『醒睡笑』はしゃれた落とし噺、公家の烏丸光廣卿は……とやっている時間がないので少し端折ると、井原西鶴はエロ小説家で、そこには勧善懲悪などという骨法はなかった。
これは案外ありがちなことだと思う。童話や昔話は本来カオスであるが、子供時分にはなんとなく受け入れていた。それを大人になって読むと意味が解らない。何が言いたいんだろうと理屈で考えてしまう。グリム童話に勧善懲悪はない。だから意味が解らないのではなかろうか。
それが子供向けの小説や漫画になるともう勧善懲悪の骨法が入ってくる。これは解りやすい。中国の歴史書にも当然勧善懲悪はない。だからよく解らない。『水滸伝』にも勧善懲悪はない。だから解らない。つまり解るということは勧善懲悪の図式にはまる事であり、我々の中には勧善懲悪のレセプターというものが植え付けられてしまっているのではなかろうか。
よくよく考えてみると、日本的なものとして認められている「もののあはれ」や「わびさび」に対して、勧善懲悪は唐じみたものと捉えられてきたようなところがあるが、本当はそうではなかったのではなかろうか。中国では理想の中にしか存在しなかった儒教精神を血肉化して創り上げた最も日本的な精神が勧善懲悪であり、その大本が山東京伝なのかと考えるとなかなか感慨深い。
馬琴が京伝から受け継いだのは善玉と悪玉の対決であり、その「善」を発展させたのが「八犬伝」の八つのお題目である。しかし「善」を語ることほど危険なことはない。
SNSはさまざまな「正義」と「善」充ちている。そして互いの「善」を根拠に攻撃しあう。何か正しいことを書こうとすれば、たちまち悪に突き当たる。
例えば村上春樹氏が『騎士団長殺し』において南京大虐殺では四十万人の中国人が殺されたと書きながら、この問題にはことごとく反論が用意されてしまっているので、物語の力に頼るしかなかったと嘯く時、そりゃハルキさん、いくらなんでも安直すぎやしないかい、と私は思う。物語はどんな嘘でももっともらしく見せることができるのだという危険性を一番意識しなければならないのが書き手自身なのではないかと。しかしこんな私の「正義」が村上春樹という巨大な現象(これもある意味で彼自身の正義)をせき止めることはできない。
現代では憲法により検閲が禁止されていて、基本的に発禁処分というものはない。しかし馬琴の時代には手鎖の刑というものがあり、いつでもおとがめを受けることがあり得た。
渡辺崋山は「それはないが」とあっさり応じている。これもまた骸骨によれば徳川幕府は享保七年十一月に「春画淫書」の版行を禁じている。1722年とは約百年前の話である。(『猥褻と科学』)。まあ渡辺崋山はともかくとして、禁じられたから「春画淫書」がなくなるわけもなし、誰かは描きしっかりおとがめを受けていたのではなかろうか。
ところでこの「男女の情さへ書いてあれば、どんな書物でも、すぐ誨淫の書にしてしまふ」という芥川の理屈は実際その通りで、昭和七年だと男女の抱擁さえご法度だったのである。
しかし本当に物はとらえようで、今ではむしろ「児童に対する接吻」などが最も危険なふるまいとして扱われるのではなかろうか。そして「男女抱擁」という言葉そのものに隙があるようにとられかねない。「クイアとトランスジェンダーの抱擁」なら何なのかという話だ。
これを「要するについているついてないで分ければいいんだよ」とでも言いだせば、たちまち立派な時代錯誤の差別主義者になることができる。何が猥褻であるかという定義そのものではなく、生物としてのヒトの意味が解らなくなっているのが現在だ。
まさに恋愛小説の書きづらい時代に馬琴も芥川もいたわけだ。芥川の同時代にはエロも書き、政治的な毒も吐く谷崎潤一郎がいたわけだが、検閲への苦情を小説に書き、発禁作品集まで出しているからやはり彼なりに苦労していたのであろう。
芥川にもやはり「猿が鏡を見て、歯をむき出してゐるやうなものでせう」と言いたくなるような体験があったのかもしれない。これは現代では全く様子が変わっていて、例えば川上未映子が「おまんこつき労働力」と主婦を揶揄っても非難されないが、もし男性作家がそんなことを書けば猥褻云々ではない大問題となるであろう。現代作家に要求されている「道徳」は、昭和七年よりもはるかに厳しいものかもしれない。
しかしここでは芥川が「猿」と書いて、おそらくはパンツというものを履くことすら知らない生き物の、人間の赤ちゃんによく似た股間、ちいさなおちんちんをむき出しにしている様子を思い描かねばならないだろう。「陰部を露出させる文章」を書いてはいないが、理屈の上で猿はフリチンだ。
所詮人間などパンツを脱いでしまえばフリチンなのである。パンツをはいたから猿より偉くなれるわけではない。
この「改名主」については、馬琴の書簡に件の「京伝手鎖五十日」の件に絡んで「草紙改名主」として現れる。
元々は「御成敗式目」にも表れる古い役職名だ。
芥川はこのエピソードを馬琴の「戌子日記」から拾ったものと思われる。
どうもこの「改名主」は和田源七がモデルらしい。
しかし鈴木町の説明に和田源七が出てくるので本名は鈴木源七なのかもしれない。
まず五十年も百年も残る。これは馬琴のことであり芥川のことでもある。そうであってよかった。あの芥川でさえもしかしたら残らなかったかもしれないのだ。実際に芥川は誰にも読まれなかった。
しかし何とか残った。残されようとしている。
そこまではよかろう。問題はその次だ。「いや、改名主はゐなくなつても、改名主のやうな人間は、何時の世にも絶えた事はありません。焚書坑儒が昔だけあつたと思ふと、大きに違ひます。」という話は『饒舌』という短い話で再現される。
改名主のやうな人間、これは芥川にとっては間違いなく現れた。保吉物を身辺雑記的な私小説と「あなたの感想」を書いてふんぞり返ったとんでもない男がいた。それが誰とは書かない。
村上春樹にも現れた。
知ったかぶりの二年生ぶりっ子のはったりがばれた時、これほどみっともないことはない。架空の存在デレク・ハートフィールドに関して「アメリカ人もほとんど知らない、知る必要もない」と書いてしまう。この「ほとんど」の保険のみっともなさと言ったらない。私だったら毎晩魘されそうだ。全裸の写真を晒されるよりも恥ずかしい。
あるいはこれは何かものを書いている人間にとっては致命的なことなのではなかろうか。
もし学位論文なら学位が剥奪されても文句は言えないだろう。
しかしもっと身近なレベルで、例えばアマゾンで星一つをつけて頓珍漢な悪評を書いていく形で、現在こそ「改名主のやうな人間」あるいは猿がはびこってはいまいか。酒鬼薔薇君の『絶歌』のレヴューには善良な人々の猿のような悲鳴があふれた。兎に角全然読めていないのに、書き込むことはするのだ。
芥川が指摘したように「改名主のやうな人間」は鏡を見て歯をむき出しにする。鏡にフリチンが映し出されているからだ。
ヤクザ時代のネタで本を書いて、銀行口座が作れないと文句を言っている人と、酒鬼薔薇君に大した差はなかろう。秋葉原通り魔殺人事件の加藤君も四冊くらい本を出していた筈だ。しかし叩かれるのは酒鬼薔薇くんだけ。
なんとも自由な改名主であふれていることよ。
そして「崋山の政治上の意見を知つてゐる彼には、この時ふと一種の不安が感ぜられたからであらう」って、これ何? 渡辺崋山ってそうだったの? と引っかかったところで今日はこれまで。
突然この記事が人気に。
なんでや?
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