二葉亭のロシア名は「ウラヂミル・ベツローウイツチ」


藪野椋十世界見物 : 附・露都に於ける二葉亭

 二葉亭は玉子焼きと生の胡瓜が好き。

 スチーは好きで肉は嫌い。


明治大正の文学人

 いや、肉は食べる。

藪野椋十世界見物 : 附・露都に於ける二葉亭

 二葉亭はロシアで鬱になった。


藪野椋十世界見物 : 附・露都に於ける二葉亭

 タバコを止めて不眠症が治った。


藪野椋十世界見物 : 附・露都に於ける二葉亭

 二葉亭は本当に胡瓜が好き。


藪野椋十世界見物 : 附・露都に於ける二葉亭

 二葉亭はレモンティーを呑む。


藪野椋十世界見物 : 附・露都に於ける二葉亭

 二葉亭のロシア名は「ウラヂミル・ベツローウイツチ」

〓世の中を何に譬へむ秋の野をほのかに照す宵の稻妻世の中を何に譬へむ濁江のそこにならでも宿る月形世の中を何に譬へむ草も木も枯行頃の野べの蟲のね世の中を何に譬へむ冬を淺み降と見るまにけぬる泡雪民部永〓原元輔が弟學生元眞あざな〓用みまかりて後はふりするまでしちずして遲聞きにたる由元輔にいひやる宵のまの空の烟と成にけり天の原からなどか告こぬ應和元年勘解由判官の勞六年古になづらふるにかくしづめる人なしつかれたる馬のかたを作りてつかさの長官朝成朝臣に給ふに加へたる長歌かあら玉の年のはたちに足ざりしときはの山の山さむみ風もさはらぬ藤ごろも二たびたちしあさ霧に本を1.感ひそめみなしら雲と成しより物思ふことの葉を繁みけぬべき露のはに置て夏はなぎさにもえ渡るほたるを袖に拾ひつゝ冬ははなかとみえ紛ふ木のま〓〓にふり積る雪をたもとに聚めつゝふみ見て出し道はなほ身の憂きにのみ有ければこゝも彼處も葦根はふ下にのみこそ沈みけれ誰こゝのへのさは水に鳴く鶴のねは久かたの雲のうへまで隱れなく高くきこえてかひ有といひ流しけむ我はなほかひも渚にみつ汐の世には比べて住の江の松はむなしく老ぬれどみどりの衣脫更へむ春はいつとも白なみの波路にいたくゆき通ひゆもとり敢ず成にける船のわれをし君しあらば哀れといまだ沈めじとあまのつり繩打はへて引としきかば物は思はじ應和二年五月に東宮の藏人になりて月の内に民部丞にうつりて二度よろこびあり思をのべてくらの命婦にやる引人もなしと侘つる梓弓今ぞうれしき諸矢しつれば同年十一月前朱雀院の姫宮の御裳看の日の料に御屏風つかうまつるに人々に仰せて奉らせ給ふ歌春柳M露を重み堪ぬ計の靑柳は幾めかけたるこがねなる覽四月卯花さける所我宿の垣ねや春を隔つらむ夏きにけりとみゆる卯花旅人ほとゝぎすをきく〓おおつかな行旅人に誰とてか山郭公まづなのるらむ池のほとりに鶴たてり一池水に靡く玉藻の水〓み千代さへしるき鶴の影かな葦鶴の影のみ浮ぶ池水は千世になるべき驗とぞみるとほき雁を見る人ニ里里み雲路搔分け水莖の跡かとみゆる雁はきにけり山川に紅葉ながるP水水に時雨ふるらし山川の瀨にも紅葉の色深くみゆ九五月あめふる日東宮にはべらひて雨ふる心の歌を奉るとておの〓〓文字一つを探りてあ文字を給はりて〓雨ふれば草葉の露も增りけり淀の渡りの思ほゆる哉內裏に女みこたちの御れうに月並の繪かゝしめ給うて殿上人に歌おしへふかがさせ給ふある人のれうによめる四月うの花さける家に郭公をまつ時時間聞で待夜は明にけりほのに卯花白くみえゆく九月大井川に人々遊ぶに紅葉ちる"紅葉をば柚山川に吹つめば船に時雨の秋は來にけり人の家の池に蓮おひねぬなは生ひたり〓道だに生ざらませば水の上に露置き島と爭で知まし康保二年女五男八親王御屏風の歌、春田舎の家にをんなのもとに男きたりa道道み人も通はぬ梅の花君には風やわきてつげつる雉のなくをきゝて山櫻を見るco狩にくる人も社あれ春の野に朝なく雉の近くも有哉山櫻木の下風し心あらば香をのみつてよ花な散しぞ卯の花さけるに郭公をきく。卯花のをらまゝほしき由里に郭公さへ來つゝ鳴なり賀茂の祭のさるの日みあれひく30我引むみあれにつけて祈る〓となる〓〓鈴も先聞ゆ也海のつらに鹽やき網ひく°見渡せば養の栲繩名のみして立つは鹽燒く煙也けり九月三十日の日男女野べに出でゝ紅葉を見るx0いかなれば紅葉にもまだ飽なくに秋果ぬとは今日を云覽雨のうちにのこりの菊を見るお時雨つゝ移〓見れば菊の色を濕々と降雨にざりける人の家に水鳥あり朝氷とけにけらしな水の面に宿る鳰鳥往來なくなり雪降る日あづまの方にあひつらねたりxの旅の空くもる苦しな東路の往き來の方もみえぬ白雲田のなかに水をひくをとこあり遠山田種蒔おける人よりも井堰の水はもり增るらむ人の家の池のほとりの藤の花を〓藤波のかゝれる岸の松は老て若紫にいかでさくらむ四月神祭る所一夏山にをれる榊の葉を茂み囀り增るけふにぞ有ける五月五日澤水になくつるのねを尋てや菖蒲の草を人の引らむ六月はらへの所夏草に祓へかくれば久方の天つ罪とに露やけぬらむ七月七日たなばた七夕の心をくみ天の川しづくに袖のひぢぬべき哉八月十五夜駒引今日しもあれ逢坂山の山端に先出で來ぬる望月の駒九月九日菊をた今日をみて後こそ知め菊の花聞くに違はぬ驗有とは十月あじろ〓紅葉さへきよる綱代のてをかけて立白波は唐錦かも水水に嵐吹らし山川のせにも紅葉のはやく見ゆれば十二月佛名な夜を寒み風さへ拂ふ宿なれば殘れる君が罪も有じな四のみこ子日に北野にいで給へる日〇古の例をひけば八千代まで命をのぶる小松なりけり右兵衞の督新しくてうずる屏風のれうに正月一日人の家に遣水梅の花あり一氷とく風につけつゝ梅の花行く水にさへ匂ふ也けり二月たび人櫻の花を折らす春日すら長ゐしつると妹間ば見せむと折れる花な散しそ三月人の家に女とも柳のもとにあそぶ枝茂み手にかけそめて靑柳の暇なくても暮すけふ哉四月神まつる夏衣きもこそ增れ同くば神のひもろぎときて歸らむ五月五日庭に馬ひかせて見る若騎の解もみるべく菖蒲草曳ぬ先にぞ今日は懸まし六月はらへするところた岩波の立返るせは井堰より夏越の御禊すとや聞らむ七月七日庭に琴ひく人あり琴のねもなぞやかひなき棚機の他ぬ別を引し留ねば八月相坂の關に駒迎ふる人あり〓武藏野の駒迎にや關山のかひ打越て今日はきつらむ九月志賀の山越の人々山山の風に紅葉のちり行げば漣ぞ先づ色づきにける十月山里に狩する人來る山里に心合する人やあると我はし鷹に代りてぞとふ順集
十月あじろ一朝氷解る網代のひをなれば寄れど泡にぞ見え渡りける十二月佛名導師にかづけ物する渡つ海の底の名殘もけさは有じ潜ばいかに蜑ならず共右近少將養孝朝臣と加賀掾正通と碁うつとてやまと歌十首をつくる正通まけてつぐのふ口せめてきたりてこふにまつ個者をとらす、春のくれ心して風もふかなむ花のちる方へや春も行くと尋む秋月久方の空さへ澄る秋の月いづれの水に宿らざるらむあはぬ戀一道にしず言のはも社聞えけれ待で消なむ露の悲しき逢ひての戀我ながらくらべ侘ぬる心哉今さへ猶や戀しかるべき宰相中將たてまつる後漢書の光武紀よみをへたる日わたりかゆの饗多きに設けて文作る又のあしたに祝の心ある歌奉る老ぬれば同事社せられけれ君は千世ませ君はちよませ藤大夫誠信の家に五月朔日なるに庚申するに曉になりて鳰鳥のなくを聞きて女房よりいひ出す人嶋聲を鳥だにかふる物ならば郭公とぞ聞き明さましこれがかへり事加えききばばけけ鳥黑髪のふゞきになれば我も劣らずある所に男女方わきてお前の庭の面に薄荻、らに、しをに、草のかう、女郞花、刈萱、撫子、小萩など栽ゑさせ給ひ松蟲鈴蟲を放たせ給ひて人々にやがて其の物ともにつけて歌を奉らせ給ふに己が心々に我も〓〓とあるは山里の垣根にさを鹿のたちよりあるは限なき洲濱の磯づらに蘆たづのおりゐるかたを作りて草をもおほし蟲をもなかせたり仰せ事とて花の有樣蟲の姿は孰れもいとをかしかめり歌っ劣り優りは定めでやはあるべき誰してか定め申さすべきと仰せ給ふに是かれ申す前和泉守源順朝臣なむおほやけには梨壺の五人がうちに定められ宮には思ふ人八人がうちに侍ひし人なりこれを召してこそ定められむに宜しからめと申すによりてかねて其の事とはなくて今夜すぐすまじきまめ事なむあるとて召したり民の司たゞすつかさのおほいすけの君だちこなたかなたに侍ひ給ひ加賀の豫橘の正通によみあげさせ順の朝臣にことわらせ學生爲憲して今日のことをかきおかせ給ふ中に爲憲なむ同じ源といふべくもなくちぐさに匂ふ花のあたりにはもぎ木のやうにてまじりにくゝ侍れどもやんごとなくさぶらふ深山の麓よりおひいでたる草のゆかりにて仰せ事の辭びがたさに心もともについにける水莖して奉りおく其の歌ども順朝臣の定め申せる判かくなむすゝき侍從のおもと000花の皆紐とく野べに篠薄いかなる露か結びおきけむ源すけまさの朝臣一秋風になびく夕の花薄ほのかに招くたちとまりなむ此の薄の歌はすけまさが靡く招くといへるわたりらうたけたるやうなり今暫しぞ思ひ合せましこなたしも靡劣るは花薄玉まく葛の眞葛なるべし女郎花そちのきみニ玉玉緒〓みなへし人の絕ざらば拔べき物を秋の白露ありたゞの朝臣三くらぶ山麓の野べの女郞花露の下より移しつるかな此の女郎花の歌はありたヾの朝臣嵯峨野をうち過ぎて倉部山まで索めありきけむもおぢきなし又やまとことにいひにくき事をこそ添へて渾順集我妹子が女郎花てふ可惜名を玉〓にやは結打べき萩兵部君Nささ鹿鹿鹿をすの萩は露けき〓との難くもある哉橘のもちきの朝臣秋葉におく白露の溜りせば花の形見は思はざらまし此の萩の歌は誰も〓〓同じさまなれどすだく麓のなどいへるわたりは少しいひなれたりもちきの朝臣の萩の葉におく白露なといへるわたり珍らしからねど歌めいたり露を淺み下葉も未紅葉ねば紅くも見えず勝負の程らに辨君加別行く秋をし知らに鳴鹿は命をさへや留めかぬらむもりのぶの朝臣thああし野の叢にのみ交りつる匂ひは今や人に知む此のもりのぶの朝臣のあだし野は野の名正しからねばにやあり所知る人少なし又かみにはなもみえずしもに匂といふにつけて此の歌殊なる心はなけれどもそへ所少なきに今一文字を加へてしらにといへる所今少し優れり覺東なあだし野見ば花もなし空に匂ふと云は何ぞも草のかう左衞門君A常夏の露うちはらふ宵ごとに草のかうつる我袂かな源爲憲〓べ每に花をしつめば種々のか移る袖ぞ露けかりける此の草のかうの歌ざまは左衞門少し和らかにいはせて侍るめりされどもかみの草はもとの草にて下のかうのみそへたれば人に隱れむ人の身のみ隱れておもてあらはなる心ちなむしける千草のか移る袂も有けるをなど權を隱さざりけむしをに日向のかみ52高高の山のを鹿は年をへて同じをにこそ立馴しけれ藤原もろふむユニ白雲の懸りしをにも秋霧のたてばや空に山の見ゆらむ此のしをにの歌は此も彼も同じやうなれど秋霧のたてばや空に山のみゆらむといへるわたり河霧の麓をこめて立ちぬれど空にぞ秋の山はみえけるといへる古ごとを思ひ合すれば似劣りになむみえける麓とも峰ともみえず秋霧の立なば何か空に見ゆべき荻すけの君エそよとなる秋の荻だに微せば何につけてか風を知まし源すけなか三〓の葉の葉の末こす風の音よりぞ秋の深行く事は知るゝ此の荻の歌自も見給へ人してもよみあげさするに荻の葉を末こす風の音高み末こす方は少し優れり撫子もとゝき田山がつのかきほの外に朝夕の露にうつるな撫子の花藤原のたかたゞ五枚秋深く色移りゆく野べながらなほ常夏にみゆる撫子此の撫子の歌はいづれも〓〓いとよく云はせ侍るめりたゞし秋も猶とこなつかーき野べ乍ら疑置ける露ぞ儚きと見れば萩も少し負けに見ゆかる萱こはひと短行秋の風に亂るゝ刈萱はしめゆふ露も止らざりけりたヾのぶ4〓移し栽ば東の間もなく刈萱はみちよの數を數ふ計ぞ此の刈萱はたゞのぶが三千代の數などいへるわたり秋の野は刈萱にやは少し春の野べに咲きけむ物の花なむ思ひいでられける言の葉はジはく見ゆれどすまひ草露には移物にざりけ蟲のね源順集
A夢茅生の露吹き結ぶ木枯に亂れてもなく蟲の聲かな橘正通〓〓秋風に露を涙となく蟲のおもふ心をたれにとはまし此の蟲のねの歌露吹き結ぶ木枯のなどいへるわたりいひなれたりなど定むるほどに正通が申すやう木枯とは冬の嵐をこそいへ此の頃の風をいはゞ雨をも時雨とやいふべからむといふを聞しめして御簾の內にこれかれかゝる事をいふことをこそはためしにひかめとて木枯の秋の初風吹ぬるになどか雲居に雁の音せぬ又我宿のわさ田も未だ刈なくにまだき吹ぬる風の風などいへるは冬の嵐を秋の初風といへるにやあらむ其のわたりをこそ定め申されめとあるにつけて又々見給ふればなく蟲の涙になせる露よりも露吹結ぶ風は優れりそも〓〓順梨壺には奈良の都のふる歌よみとき選び奉りし時には少し吳竹のよごもりて行末を賴む折も侍りき今は草の庵に難渡の浦の蘆のけにのみ煩らひて籠り侍ればすべてわれ船のひく人も渚に捨てられおかれたらむ心ちなむしけるかゝる内にも此の年頃はしらけゆく髪には霜や翁草言の葉も皆枯果にけりかく侍れば此歌ども定め申せるさまどもいといひしらずことやうなり尙お前にて定めさせ給はむやよからむと申すを聞きて正通が申すやう霜枯の翁草とはなのれども女郞花には尙靡きけり今日の判を見ればなど云ひ戯ぶれて罷り出でなむとする程にみすの內をきけば帥のすけ橘のなかきといひし人のむすめ此彼侍ひて夜の更けゆくまゝにさやけさまさる琴のねを調べ合せたるにおまへの庭の面をみれば月影の朧なるに花の色々にうち亂れたり風の夜寒になりゆくに蟲の聲々もなきあひたりかゝる事どもを聞き忍びすてゝ今は罷り出でなむとて萩の下露に衣手ぬるゝもしらず起きゐて大みきたぶなりときこしめして贊殿よりはみこの宮の藏人所の雜色藤原のたかたゞして御くだ物のおろし政所よりは長門の權守源の有忠の朝臣してさかなに給ふべき物を樣々いろ〓〓に給へりこれかれ皆たまひあきて申すやうまだあかぬ物は御前の花の色と蟲の聲になむありけるなど申してやう〓〓罷りいでぬ爲憲一人明くるまでさぶらひて昨日より今日までのことを書きしるして奉りおく天德といふ年始まりて三とせの秋のなかばなが月のしもの十日に今二日おきての事なり一品宮とうちと御巷あそばさるあふぎつく日なり宮まけ給ひて七月七日に奉り給ふさま〓〓にたへなることを盡せり綾のもんにもんじをもりてはれる歌0天天風風ぐとも夢ちりたつなこは棚機のおれる衣ぞ枇杷殿にて菊を翫びて探りてみ文字をえたり移移む時や見わかむ冬の夜の霜と一つにみゆる白菊右馬頭遠度朝臣家にきたり宿りける頃望月の御まひいぬる秋日かすふゆになりてひき奉るむかふなる司の官人どもにに御みきなど給ひての歌ニ君君にに荒荒る宿に宿らずばよそにぞみまし望月の八月左大臣後院にて宴をなす夜の歌水上月水〓み宿れる秋の月さへや千世迄君とすまむとすらむ岸のほとりのはな色深く岸のまに〓〓咲る花淺き波にはをられざり兒くさむらの內の蟲518源順集エム叢の底まで月の照せばや鳴く蟲の音の隱れざるらむ中のみかどの家に南に中務すむ六月梅の枝につきたるを折りて北の家にやる其の詞に云はくここのはまだかくなむ殘りたると即ちいふ心は〓井堰にも障らず水のもるに逢へば前の梅づも殘らざり鳬南のかへし泉にも殘らで爭でもりにけむ堰の古杭くひも飽ぬに六北かへし泉にもあらぬ井堰の島近み波の越つゝをると社きけ南かへしな打越る波の音せばもらぬよりしまきの風ぞ吹返さまし又其のかへし〓花を社人や折とも答しか數ならぬみは何にかはせむ貞元元年初齋宮の侍從のくりやにおはするあひだに八月二十五日庚申の夜人々參りあひて遊ぶに祝の心を七一神代より色も變らぬ竹川のよゝをは君ぞ數へ渡らむ同じ年の九月はつる日齋宮野の宮に前栽うゑて又よむ一賴もしな野の宮人の栽る花時雨る月にあすはなる共此の歌のかへし女房いひ出すあとよすはり雨時ににる花を植てのへやるべくも非ぬ秋哉かへし點君が爲八千代の秋は無ればやのへやスべくも非ずと云覽永觀元年一條の藤大納言の家寢殿の障子に國々の名ある所々を繪にかけるかく歌鏡の山、夏名にしおへば曇らざり烏鏡山宜こそ夏の影は見えけれ大井川、秋大井川そまに秋風寒ければたつ岩波も雪とこそみれ天橋立七波さへ高き天の橋立滿潮ものぼりかねてぞ返るらやそ島ハー八十島を誠に爭で見てしがな春の至らぬ島は有りやと浮島七定なき人の心に比ぶればたゞ浮島は名のみなりけり高砂の打寄する波と尾上の松風と聲高砂やいづれなるらむ大淀一伊勢の蜑に問ひは聞ねど大淀の濱のみるめは著くぞ有いるしかすがのわたり行通ふ舟路は有れどしかすがの渡は跡もなくぞ有ける初の冬のかのえ申の日の夜伊勢の齋の宮にさぶらひにて松聲夜の琴に入るといふ〓とを題にて奉る歌の序伊勢の齋の宮秋野宮に渡り給ひて後冬の山風寒なりての初廿日七日の夜庚申に當れり長々しき夜をつく〓〓とやは明すべきと思ほしてみすのうちに侍ふおもと人御階のもとに參れるまうち君たちに歌よませ遊びせさせ給ふ歌の題に曰く松聲夜の琴に入るこれにつけてきけば足曳の山颪に響くなる松の深綠もむば玉のよはに聞ゆる琴のおもしろさも偏に皆亂れあひ行き通ひてうべも昔の人風松に入るといふことの詩句を作りおき傳へそめけむとない覺ほえける順が頭の髪夏も冬もわかぬ雪かと誤たれ心の闇はからにもやまとにもすべてつきなく御前の遣水に浮べる殘の菊に思ひあはすれば泉ばかりに沈める身耻かしく名に高き衣笠岡に照るもみぢ葉を見渡せばかゝるまとゐに侍ふ事さへまばゆけれどさもあらばあれ世人こそ聞きてそしり笑はめかけまくも畏き御神は哀とも惠みさいはひ給ひてむ今の古を後の人も見よとてかき記して源順集五六〇九一
奉るは仰せ言にしたがふなりニ夜夜寒み琴にしも入る松風は君に引れて千代や添らむ天元二年の秋ろぉかなるをのこさうしに平の兼盛駿河の守にてくだるにやる歌二首〓時しもあれ小鹿の橋を秋行けば吾妻をさへぞ戀渡べきT思思び己が船々行を船田子の浦みてきぬといはすなしもつふさの守藤原のすゑたかが國に下るに中納言中宮大夫の家のをのこども餞給ふ夜よめるか君は早や人並々に出立ちて沈みに沈む我に逢ふなよ伊勢齋宮規于内親王群行の後長奉送使廣幡の中納言京に歸り給ふに齋宮の御前にて饗まうけ祿給ふに男女歌よむとて奉る神のます山田の原の鶴子は孵るより社千代は數へめ天元二年十日初の亥の日右大臣の女御の火桶にもちひくだもの盛りてうちの女房どもにつかはすついでに大臣にも火桶一つ奉らせ給ふしろかねしてゐのこがめのかたを作りてすゑさせ給へるにくはゝるみや、ゐのこの歌は平兼盛が集にあり渡つ海の浮たる山をおふよりは動なき世を戴けや龜天元二年正月一條藤大納言石山に詣でゝ七日さぶらひ給ふ家人の詩作り歌よむあまた侍り暇の隙にからの歌作りやまと歌よむ大方かきあつめたるに侍從誠信さはりありてつかうまつらず後に此の歌どもを見て自思ひ作りてこれに又加へよとすゝめられたるなかに三河の權の守これしげの朝臣の江山此地深といふ詩に客帆有月風千里仙洞無人鶴一雙とつくれること内記爲憲の朝臣が渚の松といふことをよめる老老けけ〓者の松の深綠しづめる影をよそにやは見るといへるをor深綠松にもあらぬ朝あけの衣さへにぞ沈みそめけむ天元二年十月依宣旨奉る御屏風の歌、子日の野べに遊ぶ人〓小松引人にはつれし深綠木高き影ぞ千代はまされる梅の花ある家ニ朝朝吹吹とく風はぬるけれど急ぎて梅は早咲きにけり春の野の霞める梅の花さけるに鷹をすゑて人ゆく一梅の香を假にきて折人やあると野べの霞は立隱すらむ人の家に櫻柳あり鶯はわきてくれども靑柳の絲は櫻に亂れあひにけり花の木あまたある下に人々あそぶ遣水あり山吹の花さけり山山の花の下水咲ねども皆くちなしと影ぞ見えける河風はさらむ方なみ山吹の散行く水を堰やとめまし松の木に藤かゝれり男をんな群がれ居たりあるひはをりてさる住吉の岸の松社課思ほゆれ手にさへかゝる藤波の花A松松風の音に聞つる藤波は折つゝ返る名にこそ有けれ紫紫の藤さく松の梢にはもゝの綠も見えずぞありける七月七日をんな庭におりて七夕祭る男きたりてまがきのもとにたてり。彥星をまつとはなしに何すとて天の河霧急ぎ立らむ。棚機にけさはかしつる麻糸を夜は祭ると人は知ずや○〓天河渡守にもなりてしが棚機つめに今日はまかせじ30名にしおへば鵲の橋渡す也別るゝ袖は猶やぬるらむ八月十五夜人の家にはちすあり木の葉浮ぶ月の影おちたり男をんな心々にあそぶすだれを隔てゝ物語するもあり0蓮葉も紅葉もしける水の面に底までみよと照す月影x0水の面に照月なみを數ふれば今宵ぞ秋の最中也ける秋の夜月あかし林のもとに鹿たてり源順集加月明み今宵ぞ數は數ヘつる常もしか立つ木とはみれ共秋の野に色々の花紅葉ちりまがふ林のもとに遊ぶ人あり鷹すゑたる人もあり60紅葉ゆゑ家も忘れて明す哉歸らば色や薄くなるとてx0時雨かと驚れつゝふる紅葉紅き空をも曇るとぞみし池水に紅葉ちり浮ぶ水鳥あり馬にのれる人ゆきすぐ空の霧のなかに雁鳴きて渡る野にかりする人ありな朝霧をわけゆく雁は何なれや遲れて後に惑ふ今日哉○水の面に浮ぶ紅葉の唐錦をしてふ鳥ぞ立てゐるらし此の歌を奉らするついでに仰せ承る藏人にやる一程もなき泉計に沈む身はいかなる罪の深きなるらむ一天つ風空に吹揚ぐる雲も有ば澤にぞたづは鳴と告なむ天德三年の春能登守になりて下るに一條大納言の家の人々儀する日の歌一起の海にむれはゐるとも都鳥都の方ぞ戀しかるべきおなじ時左衞門佐誠信儀する日の歌神のます氣多のみ山木繁く共分て祈らむ君が千年は〔同じ頃〕一一年年年去去年一昨日も昨日も今日も我戀る君搔絕で問ぬはうくも思ほえず斯るに死なぬ身をいかにせむ五日さうぶにつけて或る所に奉る膏一進上충深: 535右葉之菖蒲草千年五月五日可刈元輔集村上の御時に紅葉合殿上人にせさせ給ふにヘ我が思ふ倉部の山のもみぢ葉に劣らぬ物は心也けり梨壺にへい内侍のすみ侍りけるにさうじの隔てのかみより餌袋に物いれて藤の花してゆひてうちこしてはべりしに〓立返り見れどもあかず春風の名殘にこゆる藤波の花三月盡0風早み吉野の山の櫻花ちらぬに春の過ぎぬてふらむ藏人所のをのこども川原に涼みにまかりたりしに一吹く風は涼しかりけり草茂み露の至らぬ萩の下葉も同じ御時の菊合に譬ふべき色もなき哉菊の花枝をわきてや露も置らむつかさ給はらで又の日左近藏人の許に遣し侍る二年毎に絕ぬ淚や積りつゝいとゞ深くや身を沈むらむ小野宮の太政大臣の家の池のほとりにて櫻の花を惜む櫻花そこなる影ぞ惜まるゝ沈める人の春かと思へば藏人所の櫻の花の散るを見てつかさ給はるべき年の春給はらで一櫻こそ雪と散けれ時雨つゝ春とも知らで過しつる哉小野宮の太政大臣月輪寺に櫻の花見におはしたりしに誰が爲かあすは殘らむ山櫻こぼれて匂へ今日の形見に梨壺の櫻の花盛りなりけるにくにちか歌よみてつけてはべりける後に聞きて詠みてはべりし花櫻思ひやりてもたへぬ哉あかずちりけむ折の心を藏人所まかりはなれて後梨壺にてをのこども雨元輔集535千年五月五日可刈
ふる日さけたうべしついでに友だちにあひてはべるよしを石上ふりにし人にあふ時は嬉しかりけり夏の夜の雨冶泉院の池のほとりに藏人所のをのこども櫻をしみはべるまかりあひて右のなごりなるべし池水に映れる花の波と見ゆるは天德三年二月三日權大納言源朝臣舟にて八幡に詣ではべるに道にて人々の思はむ事をいへとはべりしに05渡渡君にみなれて老にけり雲居の岸にまどふべき哉又の年の十月に同じ大納言の家に殘れる菊を惜みはべりてニ長き夜の星かとも見よ初霜のおきて殘せる白菊の花同じ大納言菊惜む曉に紅葉折らせてよみ侍りし三終夜殘れる菊ををしむとも紅葉の色も忘れざらなむかへしに元輔一忘れめや深き紅葉の影ならで移ろふ菊のあらば社有めまたmu遠をの波の隔つれど通ふは花の色にぞ有けるちひさき人の許に貝を人のおこせてはべりしに行先を心もとなく頼みける千尋の濱のかひぞ嬉しき三天德二年正月比叡によしたかの少將登りて鶯の聲心もとなき由よめとはべりしに鶯の音は打解け足引の山のゆきこそ下ざえにけれ小野宮太政大臣嵯峨野に花みに罷りて侍りしに秋の野の萩の錦を故〓に鹿の音ながら移してしがな天德四年六月十四日の夜大納言右大將藤原朝臣など月のあかきに昔を戀ふる心人々よみはべりしにNF天の原月は變らぬ空ながらありし昔のよをや戀らむ兵部卿の親王の始のていをまゐりける日加賀舟に釣せし人も今日よりや千年を松の江に渡る覽故宮内卿元中八十賀にやがて法師になりて布引寺といふ所にこもりはべりしにcm夜を深み松にゆづりて歸る哉浮世を背く程の遠さに天德二年八月廿四日白川院に大納言源朝臣秋の花露を帶びて開くといふ題を右大將藤原朝臣などまかりあひて一綻びて花咲にけり藤袴にほひをむすぶ露にまかせて安和二年二月五日一條のおほいまうち君白河の院にて子日しはべりしに若菜つむ子日の松の千代の影澄つゝ見せよ白河の水ありひらの左大臣の八十の賀あぜちの更衣のしはべりしに、若菜の歌春毎に若菜つみてぞ祈るべき小鹽のかひに色深き松大將の子のいか子日にあたりてはべりしに二葉なる子日の松をいかばかり行末遠き物に譬へむ小野宮の太政大臣の家にて子日しはべりしに五年年むむ宿の子日の松を社外も例に引かむとすらめ內の女房ども子口しにまかり出でむとて侍りけるに中宮の惱み給ひて俄にとまりにければまうけてはべりけるわりご遣すとて加泰霞子日の野べに立出ねばまつかひ無て暮しつる哉つかさめしの子日にあたりて侍りしにあぜちの更衣の局より松をはしにて物を出して侍りける(歌妓、一本日ひくひときなくて年ふるみよしのまつは子なをそそにこそきけ式部卿親王の子日の日人々に代りて詠みて侍る船船に若菜つみつゝ君が爲子日の松の千代を送らむNO子日する松千年の春每に若菜はつまむ野べの隨に安和二年二月五日頭中將さねすけの朝臣小野宮の大臣の子日しに遣しはべりしに詠みはべりしAN老の世に斯る子日は有きやと木高き嶺の松に問ばや女房の車に梅の花折りて遣すとて八二ー九ー元補集○松をのみ引て歸らばやじ梅の花思ふ心の殘るらむかし人に代りてよみはべりし一萬萬の春の子日に出て見む松は幾度おひかかはるとまたニ淺淺けふ引きそふる松をこそ千年の春の始とは見め天德二年二月五日一條の太政大臣齋院にて子日しはべりしに庭の松を翫ぶといふ題にて三千早振齋の宮の庭の松幾らの千代をもとめかぞへむ其の日齋院のお前のものゝ洲濱に鶴小松舟などあるにm2積みて送れ海土の釣舟棹さして松の千年も鶴の齡も大貳くにのりが女の賀しはべりしに二葉なる松は引ずと思ふ覽千年の春の今日に殘すを又本今日よりは二葉の松ぞ睦じき君諸共に老いむとすれば周防に侍りし程に岩に生ひたる小松を岩ながらもちてまうできたりしを一萬代に千年を添てみつる哉巖ながらに引ける小松はまた42植てみむ千歳の春の今日毎に子日の松は斯り島とも周防に侍るまつまのうまやといふ所にて子の日しはべりしに加思出でよちよの子日の今日毎にまつまの浦の岸の姫松或人の子の孕める程にその父身罷りにける後生れて侍りける七日の夜遣し侍りけるきぬの首に〇千千せせむ形見とをみよ忍つゝ獨すだゝむ鶴の毛衣中將さねすけの朝臣子生ませて侍りし七日の夜一小鹽山いかなる種の松なれば千世を一夜に做て生ふ覽九月九日に人の生れて侍りける七日にあたりてはべりしに時しまれ今日のけふにし逢ぬれば千世をぞ置む菊の白露人の裳きたる夜よみてはべる千年ふる松に玉もぞかゝるべき沖つ白波立返りつゝたかときが子の賀茂の祭の日袴着しはべりしに千年をは我ならねども本綿襷結ぶの神も祈かくらむ朱雀院の御めのとの侍從が七日の夜〓〓乳乳もも長らへて住吉の二葉の松の千代を社みめなかきよが生れてはべりし七日の夜松蔭の通へる枝をとぐらにて巢立て守べき鶴の雛哉人の裳着はべるに萬代を長柄の濱の細れ石の今宵より社苔もむすらめこれも人の裳者はべるに住吉の浦の玉もを掬ひあげて渚の松の影をこそみめ頭中將あつとしが子うませてはべりし七日の夜本姫小松大原山の種なれば千年はたゞに任せてをみむ又人の裳きはべりしに。玉藻よる巖のほどに成に島ながらの浦の濱の眞砂は宰相元輔の朝臣のうまごの袴着はべりしには七-はぐゝみて君すだてずば鶴の子の雲居乍らや千世を知らまし人の子うみてはべる七日の夜たたのの子の雲居に遊ぶ齡こそ空に知らるゝ物には有りれ〓原のすけときが子うませたる七日の夜三遊にぞ思ひやらるゝ疎からぬ我か中山の松の末の世宰相元輔の朝臣のむすめの裳きはべりしに點び上ぐる君が玉藻の光にはさやけき月の影ぞ添覽紀の守ためみつが小さき子を出してこれを祝ひて歌よめといひはべりしに萬代を數へむ物は紀の國の千尋の濱の眞砂なりけり右大將藤原朝臣子うませて侍りし七日の夜さきそむる梅といふ題をよみはべりしにた咲きそむる梅の花笠かざす身は後ろ安きを萬代の春又子うませてはべるに元輔集
一年毎に祈りしくれば思馴て珍しげなき千代と社みれ元輔がとみはたといふ子の袴着侍りしに〓世の中にとなる事は有ず共とみはたしなむ命長くてまた後に着せ侍りしに綠兒の千代ぞ常磐に祈らるゝなるべき山の松と見々大貳くにのりの朝臣うまごの五十日に侍りしにわりご調じて歌を繪に書かせはべりし見てしがな二葉の松の生茂り八十氏人の影とならむ世「住の江の濱の眞砂の苔ふりて巖とならむ程をしぞ思ふまた松の如千歳を懸て生茂れ鶴のかひこの巢とも成べくおほみといふ所を人に代りて、鞏間より綱手の舟の障り多み乘て行べき程の遙けさ又かはもといふ所に〓行春の惜むに止る物ならば何かはものを人の思はむ冷泉院に渡らせ給うて池のもとの初雪といふ題を殿上のをのこどもよみはべりしに代りて池池くふる初雪の名殘には玉の臺ぞあらたまりける五月ふたつありし年かうしに人に代りて五五五雨雨數數は夏だにも山郭公聲にあかめやまたか五日雨の餘りもまたじ時鳥唯一聲にあけもこそすれ內の藤の花の宴に人に代りて百數になびきてみゆる藤波はいく萬代の春を翳さじ壺前栽の宴せさせ給ふに人に代りてか月影の至らぬ庭も今宵こそさやけかりけれ萩の白露天祿四年七日七日一品宮の扇合にあやの文におらせたりし歌天天何何ふぎの風に霧はれて空すみわたる鵠のはし又同じ扇合に人に代りて「萬代の秋や忍ばむたなばたは扇の風のなごり久しく村上の御時五月四日庚申女方男方歌合せさせ給ふに男方かちにければ八月廿日にまけわざして糸を結べるこに松蟲鉛蟲いれて女郎花につけてチ女女花花に懸りてはふ葛はまくるとや思ふ露の分かぬをまた千千世をへてくる秋每に聞えなむ行末遠き松蟲のこゑうちの御前の紅梅を藏人どもによめと仰せられけるに代りて春雨やふりてそむらむ紅の色こくみゆる梅の花がさまた梅花香はこと〓〓に匂はねど薄くこく社色は咲けれ紅に色こき梅は鸞のなさそめしよりにほふなるべし中務がある所にまかりたりしに貝をこに入れてはべりしに九波間分けみるかひ有るは伊勢の海の孰の方の名殘なる覽かへし中務〓伊勢の海は名殘だになくあせに見名のみ高師の濱と聞えて又かへし遺す白波の昔をかけて聞くからに潮みつ浦と成ぬべき哉っかさめしの頃過ぎて雪の降りて侍りしに兼盛が許に遣しゝ〓雪深み越の白山我なれやたが〓へしに春を知るらむ中務がむすめの中納言〓水に詣でゝ人に物いひけるを聞きて。匂ふらむ霞のをちの山櫻思ひやりても惜まるゝかな梅の花に雪凍りつきたるを人の花か雪かといひはべりしに○花を雪ゆきを花かと見てぞふるうめの氷の解ぬ限は西の京に住みはべりし人のとはぬ心ばへの歌よみてはべりし返事に〓草若み結びし萩はほにも出ず西なる人や秋を先知る元輔集順が子なくなりイ侍りしにとぶらひに遣すとて〓思遣る子こひの森の雫にはよそなる袖も露けかり鳬順がかへしxo朽果てなき木の本は君がとふ言の葉みるも先ぞ悲き又かへし遣しゝわ生生た枯枯と聞一木の本は歎きの森と爭で成けむ正月二日鶯聲は聞きたりやととへりしに60年ごとに春の忘るゝ宿なれば鶯のねもよきて聞えず老いたる人の鳴門よりめをおこせてはべりしに〓渡の原淺くも思あらめ哉老の浪わけみるめかるうら櫻の散れる所にてね。花の蔭たゝまく惜き今青哉錦をさらす庭と見えつゝ貫之が集を人のかりて返し侍りける折にときふが許に遣しゝ〓ししむむ昔の人の玉章を聞きてぞそゝぐ老いの涙をおる所に松蟲鈴蟲籠に入れてひわりごなど添へてやりはべりし一萬代の秋を待ちつゝ聞き渡れ巖にねざす松蟲のこゑ四月一日とも時が有馬よりまうできて道に時鳥のなきしといひはべりし次でに一春はをし時鳥はたきかまほし思ひ侘ぬるしづ心かな元輔が子に侍る者の若菜の樣なる物して侍しに二葉にてみし佛も變らぬに若菜摘ける今日に逢ふ哉又おとにはべりしものゝしてはべりしに下下て若菜を爭で摘ませけむ膝を離れ!程もへなくに加階まうしはべりしにえ給はらで鶯の鳴く折に鶯の鳴く音ばかりぞ聞えける春の至らぬ人の宿にはみちゝゑ同じごと加階をえし侍らでいかなる花かまづは開くるなどやうなる心を詠みて侍りしかば遲く疾く開くる枝を花故に身をもうしとは何か思む宰相中將藤原朝臣子うませて侍りし七日の夜梅の花を題にて咲初る梅の花笠いつよりか天の下をば知らむとす覽時ふがめのなくなりて又の年の同じ頃いひおこせてはべる4年をへて馴こし人を別にしこぞは今年の今日にぞ有けるかへし元輔が別れけむ心をくみて淚河思ひやる哉こぞの今日をも菊の花のいと白きにつけて、時文○菊の花盛の色の我身には白くなるなど侘しかるらむかへしに一露のわく世をぞ恨むる我身には盛の色の盛ならねば小一條太政大臣なくなりはべりて後櫻の花面白きを翫びはべる日歸る雁といふことを一歸る雁君もしあはば故〓に櫻惜むとなきて告げなむ右大將藤原朝臣八月ばかり月の面白き夜昔の物語などしてはべりし次でにかく計り秋の月影きよけれど曇りし冬の空ぞ戀しき大貳くにのりはらかといふ物おこせて侍りしに三吉野も若菜摘らむ卷もこの檜原霞て日頃へぬれば同じ國章がめ死に侍り-又の年忌日に遺しける1月影を隔てし程のヲ霞みてながむらむ今日の悲しさかねもりが駿河にまかりしに遣しゝに知ざりき田子の浦波袖ひぢて老の別にかゝる物とは大貳くにのりの朝臣のめのなくなりぬと聞きて筑紫へ遣しける七年深き人のわかれの涙河袖のしがらみ思ひこそやれ同じくにのり秋風の夜寒なるよし詠みて待りし返事に遣しゝ思ひきや秋の夜風の寒けくに妹なき床に獨ねむとは左大將比叡へのぼりて歸り侍るに迎へにまかり元柿集
はべりて後久しくまからざりしかば覺束なきよしの歌の返しに草草き谷の秋霧うづみてむ覺束なくぞ忘られぬべし頭中將さねすけが許にまかりて昔物語などしてはべるによみてはべる○おいて後昔を戀る淚こそこゝら人めも包まざりけれ加階しはべるべき年もれてえしはべらで雪のいたくふる日『憂世には行隱れなで搔曇りふるは心の外にもある哉人のかうぶりしはべりしによみてはべりし一紫のたなびく雲をしるべにて位のやまの峰を尋ねむぶくなる人の許にきぬの袖のかぎりを遣すとて三うらさびて常にも非ぬ衣手は袖の限を見るぞ悲しきおほいまうちぎみのいへにて藤の花を見はべりしに藤藤花花の紫ののよりもをしむ心をたれかそめけむともときが四月一日有馬よりまうできて時鳥の鳴きつるといひはべれば1時時まま初初聲をいつしかといかなる人にきて語なむ堀河の中宮うせ給ひて御服すぐして內侍のまかり出でしに雨のふりはべりしかば遣しゝメート〓〓〓〓と〓君はけむ今日降出る雨はやまじを三盜人の入りて侍りし又の日人の搔練をおこせてはべりし返し遣はしゝに淺かかずず染染めてし衣かは斯る時こそ袖もひぢけれすけゆきが家に冬の月の面白きにまかりて侍りしにたいざ斯て折ルチ明してむ冬の月春の花にも劣らざり鳬男なくなりて侍る女の程なうこと人にあひてはべりしに遣しゝN年年にに人の形見の藤衣すてやしてけむ又や懸たる大貳くにのりすはうおこせてはべりしに位きぬ賴みそめてし色なれば最ど深くも成ぬべき哉又めのなくなりたる秋さむき風をとはぬこと、いひてはべりし返事にコし方も見えで詠むる雁音の羽風に拂ふ床よ悲しな年頃つかさもえ給はらで子日しに人のゐていでゝはべりしに谷深く沈む誓ひにひかされて老ぬる松は人も手觸ず能宣が伊勢へ御てぐらの使にてまかりしに三天天の鈴の限し有ければ振りでゝ行もをしからぬ哉人の子うませてはべる七日の夜千年をば松と竹とに任せつゝ八百萬代は云で思はむ兵部卿のみこの入道してはべりしにエロニ暮るゝ間も戀しかりける月影を入るゝ山べのつらくも有哉兵部卿のみこの入道して侍りしに中務のよみてはべりし歌の返しメガ月ををるる山山はつらからで思入けむよをぞ怨むる女三の宮にまゐりてよみはべりし世を捨て山へ入る人いらましや昔の月の曇ざりせばとほふるが子の七日の夜ストおおしげれ平野の宮のあや杉よ濃き紫の色重ぬべくえいしちがもとに罷りてつかさのほしく侍ることはくどくの爲なりといひてよみてはべりし加世を渡す聖をさへや惱まさむ深き願のならず成なば九月二十日のほどに大將の嵯峨野にまかりたりしに詠みてはべりしofこぬ人を何に譬て語まし暮るゝ秋惜む野べの心地を歸り侍りて又の日かの大將の家にして時雨し侍りしに一冬を淺みまだき時雨と思ひしを絕ざり鳬な老の涙も同じ大將の家に長月ばかりのかふしし侍りしに元輔集菊の花ニ秋秋き籬に老ゆる菊みれば花の上とも思ほえぬかな十月ついたちごろ殿上のをのこども嵯峨野にまかり出でゝ詠みはべる二秋はまだ遠くならぬに爭で猶立返りね人に〓ばやと大貳よみてはべりし秋深みまだきに老る菊の花立返れとも告げに遣ばやさとの梅咲ける家にまかりて〓〓梅の花こののにに優優らじを深からむとも思ふ春哉メニ三のの印印杉有有がら〓へし人はなくて幾世ぞくにのりの朝臣のごくのおびかりてのぼりきてそのおびかへし遣すとて42行先の忍び草にも成やとて露の形見におかむとぞ思ふ三日ばかりかみと云ふ所に花のいとおもしろう咲ける風の夜いといたう吹きはべりしかば暮れてのみ後めたきを山櫻風の音さへあらく聞ゆる屏風の歌梅に鶯なく鶯の鳴き渡らずば山里のいつの梅とか知べかりける人々山櫻を見る行く先はまだ遠けれど山櫻駒をとゞめて催されぬる^柳ある家"淺綠くる春毎にたえねども猶めづらしき靑柳のいと八月十五夜ニ月一の影はよろづよを和置てのみ社見べかりけれニシ〓ははぬぬ倉部の山の麓にも今宵の月を見る程ぞなき九月九日我宿の菊の白露けふごとに幾世積りて淵となるらむ六小一條の右の大臣の五十賀し侍りしに屏風の繪竹のもとに花植ゑたり弱竹のよ長き秋露を置き常磐に花の色も見えなむ濱つらを行く人衝鳴けばひきとゞめたり千鳥鳴く浦ぞ過ぎうく思ほゆる我行方は遙なれども柳櫻のある花櫻飽かぬ匂の過ぎうくて千年經ぬべし靑柳のいと船にのりてありて八月十五夜琴の音も池の底ひも大空のさやけき月に曳れてぞ澄むこれが返しえいしちがよみてはべりし又返し長き夜の夢の春こそ悲けれ花を花とも思はれぬ身はまかり歸るとて又七山櫻おきて歸る心をば何にたとへて人にかたらむみつなか常陸になりて下らむとしはべりしに一筑波嶺のつく〓〓物を思ふ哉君を見ざらむ程の心を人の子生ませてはべる七夜ニ千千ふる松や何ぞも萬代の岩根に生ふる常磐也けりこかうたうの兵部卿のみこ土佐へまかり下りし女三宮まつこといふ所に物語などして侍りてみこは下りみは京元小野宮の太政大臣七十の賀の御屏風の歌、靑柳青柳柳の綠の糸を繰返しいくらばかりの春を經ぬらむ冬のきくRE紫の千種の色しふかければ行末遠く見ゆるしらぎくうづゑ位山嶺につきぬる校みればたゞ行末のさかの爲かは或人のよませ侍りし舟にのりて梅の花見たるところに春深み散らむ事だに惜き梅を波の寄にも任せたる哉逢坂の關に人のまかりたる所打はへ君君もももまま逢坂の關に心をとゞめつる哉子日して侍るNo春春野野野千千ももてや長へむいつか子日の松と知ねば嵯峨野に人のまかりありく所〓君君我我逢ふ道を世と共に嵯峨野の原も有せてしがな元輔集
法師の詣で來たる所に蟬のなく〓蟬の聲聞からにこそ最どしくあつき思も燃增りけれ歸り侍りしにかつ見ても惑れけるは行歸り妹脊の山の遠近のみちはべる所に菊の花の咲きたる頃山里なる所にまからむとて人に遣しゝ2我が宿の垣根の菊の花盛まだ移ろはぬ程に來て見よ公任の朝臣壺坂に詣でゝ侍りし道に菊の花岸づらに咲きて侍りしかば1老の菊衰へにける藤袴岸にのこりてありとこたへよ極樂寺わたりに基うち侍りしに紅葉散りてまからむと人に云ひ契りて其の日障る事ありしかばえまからで云ひ遣しゝ〓吹風の便にもしや聞てけむ今日と契りし山の紅葉も八月ばかりに桂と云ふ所にまかりて月いとあかき夜まかりて水の面にきようてかげ見え侍りたりし同じ人に私河河のひかりに水まさり秋の夜深くなりにける哉まかり歸り見侍りし人の許に遣しゝ思ひ出づや人めながらも山里の月と水との秋の夕暮正月申し文につけて侍りし藏人に八露露命命命命し留まりて年ふとも今年ばかりぞ秋の望はつかさ給はらで同じ人の許にかいたゞきの霜打拂ひ鳴くたづを我身の外と思ける哉なかふが許よりのぞみのえならぬを花につけてとぶらひて侍りしかば春を經て春待遠に見ゆるには秋の賴の無くば社有め同じ頃子日にまかりて九諸共に生ひける松やいかゞ見む身を捨難み若菜つむとてO七月ばかり花開きたる所にまかりて〓ほか見れば秋萩の花咲に見など我宿の下葉のみ濃き山寺にまかりしを或る人の法師になりたるなど申し遣しゝニつつ〓〓〓〓〓〓〓詠詠春春の鶯は慰めてだになかば鳴かなむつかさめしの後うちに侍らひし人の許に遣しゝ試試折もしあらば傳へなむ咲かで露けき櫻ありきと山里にまかり通ふ所ありしヶ花見む春人の詣できたるに訪人も有らじと思ひしに山里に花の便に人め見る哉おなじ山里に侍りし頃人々とぶらはむとて詣できて物など云ひ侍りしに惜しと思ふ命や更に延びぬらむ終の煙こむる宿にて七月七日かふしにあたりて侍りしに最どしくいも寢ざる覽と思哉けふの今宵に逢る七夕又人の許に遣しゝ云ふかひも今日は有じな七夕は後の秋待程の遠さにかへし〓行返り程はるかなる秋よりも名殘はいかゞ天の河波つかさえ給はらで春人に遣しゝ〓我宿の櫻は咲かで年ふれば外の花をもよそに見る哉同じ頃くにのりの朝臣あまたの春をつくす事と申して侍りしに00いかならむ物とかはしる侘つゝら老せぬ松の子日知らぬを三月ばかり院の櫻折りにまかり侍りて。さだかにも行き過ぎなやめ故〓の櫻見捨てゝ歸る魂三月ばかりにある所にまかりたれば女車に誰ぞ問問侍りしかば內へ參ると云ひ侍りしにの給し。百數に行人あらば傳へなむ子日曳ける松も見えつと肥後守むねとしがみまかりたる所を人々のぞみ申すと聞き給へてうちの靱負がもとに遣しゝ50誰誰又捨てゝ吉備の中山越むとす覽元輔集十二月宰相中將の朝臣むしゝセル侍りしにゆきむらかれて梅さかずと云ふことをよみ侍りしにD打打けて爭で咲かぬと云べきを梅はた云じ雪を含て正月ぢもくに申し文奉らする人の許にxo若からば後の春をも賴めつゝ待たまし物を爰を〓てつかさ給はらぬことを前大貳くにのりの朝臣鶯の音に知らせむなどやうによみてはべりし返事にわ春毎に啼く鶯の音を知らで大方にのみ思ひけるかな正月七日ばかりに人の許に。。どどしく老行冬は惜まれてありは替らぬ春を待らむある所にいと小き梅の木の花咲きてはべりしに10去年植し梅だに春を知る物を雪に埋れて年をふる哉七月七日さねすけの朝臣の久しく訪はぬ心ばへ歌によみてはべる加。今日よりぞ荻の葉露けく吹風の音に附ても先問れける二月つごもりばかりにひんがしの院にまかりて櫻の花のすこしつぼめるを見給うて二三日ばかりありてその院なる人のもとに遣しゝ○咲きぬとも思遣りてぞ惜まるゝ心もとなく見えし櫻を返し待ちかねて散りぬるよしをよみてはつかに云ひ遣す一我宿に散ぬる花を惜む間にうとまれぬらむ外の櫻に太上天皇の子日し給ひしに紫野にいでさせ給ひしに仕りし一君が引子日の松は朽めやはいざ斧の柄にすきて賴まむ河原院と云ふ所に人々諸共に花見にまかりたるにそこには花も無くて櫻の遙に見え侍りしかば三春霞立ちなゝカルネ寄りそ薄く濃き錦と見ゆる山の櫻におなじ所にて庭のあれたるを見はべりて夕闇の月待つ程に惜しと思ふ秋の深くも成にける哉津の國にまかりて漁するを見たまやで漁火の影にも滿て見ゅめれば浪の中にや秋を過ぐさむ前の大貳くにのりの四十九日の物ず行によみてそへて侍る〓鐘の音に淚の玉を添てだに王の飾を添へむとぞ思ふ山里なる所に住み侍りて秋の頃ほひ人に遣しゝ紅葉散る頃也是な山里の事ぞとも無く袖の濡るゝは四月朔日頃にみたけに詣でゝ吉野山のわたりに古ものぼりやしけむ吉野山山より高きよはひなる人さねすけの朝臣子生ませて侍りし七夜が日本を後ろやすくぞ思ひぬる國の乳房の賴もしき哉桂なる所に參らむとすと人に云ひ侍りしそこにはまからで月のをと云ふ所にまかり歸りて0月の夜に改まるとも知ずして桂は又や君を待つらむすけなりが入道して侍りしに遣しゝ一風早み秋はて方の葛の葉と身を恨みつゝ頃をふる哉とく遣したる返しはなくて外へ遺しける返事を取りたがへてまで來たれば又遣す〓とひ通ふ文の便りに散りにきと聞し櫻の花を見る哉又人にかはりて女のもとに遣しゝ思いつゝ程ふる雨に涙川いとゞ深くもまさる頃かなまた聞くごとに賴まるゝかな郭公覺束なくて過しつる哉又ある女の返事にいなぶねと云ひて侍りしがとに人に盜まれぬと聞きて最上川賴めし舟のつれなくて漕離れぬる行先も見む忍びて人すみはべりける女の親にかはりて戀戀しくば解けてを結べ宮城野の小萩もたわに結ぶ白露しげすけが懸想しはべりける女の許に文を置きてとりに遣すとて一笛の音になきて恨みむ葛のねを吹返されむ木枯の風元輔集四〇三九ー
男の人の國にまかる程に子をおろしてける女の〓乳乳の歸程をも知ずして爭で捨てゝし雁の貝こぞ大夫に住みはべしみすとてふるがおともせではべしたたらちをの親の心を知ねどもこの身に社は思〓ぬれ返事元輔〓結びけむ程をも知らで花薄秋を定めて穗には出なむ或人に遣しゝ一うしと云て世を只管に背かねば物思知らぬ身とや成なむ或人に遣しゝ三大井川井堰の水のわくらはに今日は賴めし暮にやは非ぬ又〓〓事事を暫しもふれば白雪の積る思にきえぞしぬべき人にかはりて〓津の國の難波の蘆の轉寢は臥し所こそ猶わりなけれ心變れる女に遣す人にかはりてミル契りきな互に袖をしぼりつゝ末の松山浪越さじとはあり所知らせぬ女に〓〓蟹ののどこに人を有りとだに心細くも知でふる哉時々まかる女にこと人まかると聞きて憂きながら流石に物の悲しきは今は限と思ふ也けりとて遣はしたりければ〓思はむと賴めし事も有物を無名は立てゞ唯に忘れぬ又つかはす〓春日野の飛火の野守みし物を無名ぞと云はゞ罪も社うれ服なる頃忍びたる人に000藤藤はつるゝ袖の糸弱み絕えて逢見の程ぞわりなき人の許より歸りまできて又の日遺しはべりし一小夜深み歸りし空も無りしを孰こより置露にか有覽又朧氣に結びしつとも思はねばいつか刈べき森の下草『世と共に心一を燒鹽のとくともなしに君ぞしぬべきまたmg諸共に心一を燒鹽のとくともなしに消えて見ゆらむまたTO慰慰る心はなくて終夜かへすころもの袖ぞ濡れける早く見はべりにし人の稻荷に詣であひてはべりしにつかはしゝ加水上に祈かくとも今更に立ちかへらめや沖つしら波早う物云ひ侍りし人の美濃國に侍るにさるべき日ならで上り詣でくとて雪の降りはべりしかばth雪深み鏡の山は曇るともおぼつかなくて歸るべき哉早う物云ひはべりし女の或所に物云ふ聲をきゝはべりて聲ばかりこそと云ひはべりしかば人生住ののよよ越越し波の音も昔ながらに聞えける哉女のもとへまかるに빠ねよそにても思おこせば冬の夜の袂に凍る淚とくやとまた24知人もなくてやみぬる逢事を爭で淚の袖にもるらむ又人に一人知れず思ふ心の深きかな八重山吹の立よりもこでまた二春春の割なく深て止りしを嵐の風のあらしとや云はむはやく住みはべりし女の許にまかりてはしの方にはべるにねてはべる所の見えはべりしかば三古の常世の國やかはりにしもろこし計遠く見ゆるは忍びたる女の鼓の忘れて侍りけるにつけて遣す五打はへ思思ぬ事は世と共に人め包みも侘しかり鳬或る女に五五移香の薄くなりぬる焚物の燻る思に消えぞしぬべきなか〓〓獨あらましかばと女の云ひ侍りしかばな獨のみすぐしけむにも劣らじな數ならぬ身の有も有かは元輔集男はべる女に文遣しければひとりある人みやきくとありしに44鹽竈の誰かは獨有りと聞く知ても燃る身をいかにせむ昔はべりし女にスト草深みあせに〓水は深く共むすびし水は今も變らじ按察の大納言太政大臣に若菜の樣なる事しはべりしに繼母の始わろくしてはべりしを思ひてよみはべりしな野べならば殊に見え見山賤の垣ほをせばみ飽ず摘しを元輔がむすめ遠くまかりしに0年ふればいたゞき增る雪深み打拂へとも誰に云まし出羽守にてまかるに遣す一君若み我身老ぬる別こそ暫しばかりと思ひなかれぬ二月うちの藤2百百に靡きて見ゆる藤なみは幾萬代の春をたゝまむ四月女の許に遣しゝきく毎に賴まるゝかな郭公覺束なくて過してしより五月五日講聞きはべりて夏山の木暗き道を尋來て法の師に逢へる今日にも有哉藏人所のをのこども河原に涼みしにまかり出でて吹風は涼しかりけり草茂み露のいたらぬ荻の下葉も七月七日人の家にて秋を知らずと云ふ題を七夕にとふ由もがな天川けふも契りて幾夜過ぎぬと右衞門督入道しはべりしに遣はしゝ增鏡二たび世にやくもるとて塵を出ぬときくは誠か人にかはりて風早み秋果方の葛の葉と恨みつゝのみ世をもふる哉或人かうぶりしはべりしにかのぼり行位の山の峰までも巖に生るまつのみ山寺にまかりたりしを或人の法師になりにたりと云ひはべりければ遣しける°浮浮芳外になしやと家出しを道に入ぬと誰か傳へし筑紫へ下る人の御ぞ給へるに〓唐國の人にも見せむ葦鶴の巢立つとおろ千代の毛衣ある人にいか許思ふらむとは思ふらむ老て別るゝ遠き道をば筑紫にてたかわのみかとにほひたす(如元)たてまつりあげらるゝに三磨くらむ玉の光を賴む哉かすにもあらぬたてし瓦を式部卿かねずみ早く死にけりとて訪はざりければ國よりよみてあげゝるわくらばに生きてもみゅる物ならば蘇るとで猶や疎まむむすめどもに裳きせけるに百日の玉藻は今宵結び揚つ千歲にすまむ光しるしも三月三日亭子院にて文など作りて池近くうへなる庭の影見ればたけにける哉春の深くも又一七春霞立ぬる月に隔てけむをりは春をもおもひやる哉藤さきの宮にて子日にN藤藤きの軒の巖に生ふる松今幾千世か子日過ぐさむ大貳ともまさがうまごの袴着はべりしにから繁繁れ千世を込たるませの內に形見におほす撫子の花朝忠集朝忠集朝忠の中納言の物にやりける文をほかに違へてもていきたりければ、女道知らぬ物ならなくに足引の山ふみ迷ふ人も有けり
返し一白樫の雪も絕えにし足引の山路を誰か踏み惑ふべき同じ女に「逢事を松に懸れる白雪も久しき程に消えぞしぬべき人に始めてミ淀淀の汀に生ふる若草の根をし尋ねば底もありなむ又同じ人に山城の瓜のつらさは見ゆれ共思心のならざらめやは又大輔に古は思ひ出でずや渡り河わたるてふ名は流れずや君返し流れての名にも人をば渡河逢瀨やあると賴みける哉い濡渡る水の下にもいかなれば戀てふいをの絕ず住覽始めにや池水の云出る〓との難ければ水籠り乍ら年ぞ經にける世の中騷がしき頃か人の身の老を果にしせましかば今日かあすかと急が女返し心にも適はざりける命もて賴みも置ず常ならぬ身は物言はで返し一徒に立ちかへりしに白波の名殘の袖の干る時もなし返し一何しかは袖の濡る覽白波の名殘有げも見えぬ景色を殿居ものたがへて大輔の君の局にもて來たるがなえたるに結びつく三〓〓〓の〓良の都の始より馴にけるとも見ゆる衣かな返しふふりぬとて思も捨じ唐衣よそへてあやな恨もぞする返し女白波の立歸るまの濱千鳥跡や絕ぬるしるしなるらむ式部の命婦に通ふ頃つゝむ事あるに九雲間には最ど詠ぞ增りける天の岩戶に隙やなからむ程へて女のわづらひけれど知り給はで消そくやり給へれば露計思置くべき心あらば消えぬ先にぞ人の問はまし返しN諸諸にいざと云ずばしでの山越ゆ共越さむ物ならなくに人知れぬ中の女男つかさ得て下るに男あはれと思ひて數數へやる我魂のいかにして空しき空にもて離るらむ七月七日人に○七夕の天の戶渡る今日さへや遠方人の難面かるらむ本院の侍從かねみちの君と寢たるを立ち開きて。よそに我人々ごとを聞しかば哀とも思あな憂とも思又同じ女に。0言はでのみ思心を知る人は有や無やと誰かとはまし返しco知る人や空になからむ思ふなる心の內の心ならでは本院ゆげひにかうじのかはにかきて薄薄れれど薄くもあらぬ山吹の八重の色にし思染れば返し100重ぬれど薄き衣のやへなれば染むてふ色の數は物かは本院少將しはぶきしたるを聞きてお下野やしはぶき拂ふ白露のかゝる折にや色變るらむかたらふ女の音せざりければ10今年生ひの竹の一よも隔つれば覺束なくも成増る哉返し00幾世しも有じ物から若竹の生添はりけむ春さへぞ憂き中將にてそら名立つ頃中納言と云ふ人のあだ名立つに加諸共に君も乾さなむ濡衣かゝる無名は我のみぞ立つをんなくらひと監と云ひける東へ下るに朝忠集〓別れ路を惜む心の櫻ばな逢坂までは散らであらなむ醍醐の帝かくれさせ給ひて後好古のさいさうに一夢かとぞ侘ては思ふ邂逅に訪人あれやまだや覺ぬと返し一哀とも思ひぞ分ぬむば玉の同じ夢にて惑ふ身なればうまごに迎へられて歸りなむとて車こへど贈らぬにほかに求めて歸りたるに三天の戶の明るまをだに許れてまだ夜に乘りて歸ぬる哉權大納言桃園に通ひそめて四十日と云ふに〓我妹子が閨の上なる菖蒲草根も顯れて今朝や見ゆ覽故內侍督の御はてに母君の御許に忠房兵衞佐〓事事の宮仕にと侘びつるを今朝の袂ぞ露けかりける御返し大將六人知れず打拂ひつる朝露に怪しく君も濡れにける哉しいつとなく濡るゝ袂は古を忍ぶる露となりぬべき哉返しヘ人知れぬ野の下草と成れる身も露は同き露ぞ置ける村上の御時の歌合、霞ル倉橋の山のかひより春霞年を積みてや立ち渡るらむ鶯〓我宿の梅が枝に啼く鶯は風の便りに香をやとめこし藤一紫に匂ふ藤波うちはへて松にぞ千代の色もかゝれる春の暮一花だにも散で別るゝ春ならば今日を割なく惜ざらまし戀三人傳に知せてしがな隱沼の水籠りにのみ戀や渡らむ〓事事の絕てしなくば中々に人をも身をも恨ざらまし朱雀院の若宮の御裳着の御屏風に、柳青柳の糸は影さへあやなれや氷も解けて今は結ばぬ子日加子日する野邊ならむ共我宿の松も千年の蔭にやは非ぬ櫻花をヒ心社花に後れて止るらめ駒さへあやな過がてにする撫子の花の開けたるを人の弄ぶに初初を見てこそしのべ白露の置きて殘せる撫子の花女郞花灰にもかけ見てしかな女郞花野べに勝れる色は有やと八月十五夜0秋秋は月の心もこゝろみに入る山の端と立隱さなむあじろニ〓紅葉ばの流るゝ水を尋ねてぞ山の麓に我はきにける村上の御時の齋宮の下り給ふに長奉送使にて下りて歸るとて二萬代の始と今日を祈りおきて今ゆく末は神ぞ數へむ權中納言の音羽の家にて三羽羽山水はたぎりて流る共君が宿には勝りしもせじみちの國のかみに白河にてせんし給ふとて〓別るともまた逢坂の關近く知も知ぬも感はざりけり正行歸るものと知る〓〓怪くも別と云へば惜まるゝ哉少將にて駒迎に本院の女御の御前を曳かせて御前に參る人々ゐたる所によりてた望月の駒引渡る秋の夜は光さやけきものにぞ有ける人にに時時ももれれしも人のつらければ思はぬ山に入ぬべき哉女御にヘ富富のねをよそにぞ聞し今は我思に燃る煙なりけツ返し加なき思と聞けば富士のねもかごと計の煙なるらむcm流ての名にこそ有けれ渡河逢瀨ありやと賴みける哉十一月右兵衞尉藤親盛からものゝ使にいきたるに別を惜むとて人々歌よみけるに朝忠集
一四四九一高光集「別別のいと〓となれば唐綿こひて行べき方ならなくに朱雀院の帝院にならせ給ひて御佛名のあしたにけづりばなを挿して御遊の折に5年年に梅は折れ共いかなればけふ折袖の露も變らぬこれは醍醐のせんたいの御時にありけることども年號なんどの無ければ始もはてもえわかずニ一本の千代に云べき藤の花限もなくぞけふは咲ける天曆三年正月子日院におはしましたりけるに松を引き若菜を摘て昔より千年を祈る今日にぞ有ける同じ五年內裏の殿上にてm斯しつゝ春惜まずば行先の限もなくぞ悲しかるべき六年八月十五夜朱雀院の御門崩れさせ給ひて御四十九日籠り候ひける殿上の人々詠集めけるにAN 徒然と經にける年を數ふれば昔遠くもなりにける哉御四十九日女房のなかにいれける七四しぐれつゝ梢々にうつるとも露に後れし秋な忘れそ重光朝臣の許に女誰とも知らで、朝忠朝臣:朝忠人世世は只今日のごと思ほえて哀昔になりや行くらむこれはおほんわざはてゝしが詣でしたりける歌ねそそちちゝゝ思ふ人の行道は流るゝ水ぞ知べ也ける其の年十二月若宮の御袴袿を奉らせ給ふにcm大原や小鹽の山の小松をば茂み千年の蔭となしてむたいふがもとより曙に出でゝユニ諸共に折るとはなしに打解て見えやしぬらむ槿の花借請右大辨入道之本一建長六年十二月二十四日申刻書ニ之友夜燈下一校合了在判高光集十月九日冷泉院の鈞殿にて神無月といふ〓とをかみに置きて歌よませ給ふにニー神神月風に紅葉の散時はそこはかとなく物ぞ悲しき一條のおとゞの許なる人に三秋秋に亂れて物は思へども萩の下葉の色はかはらず母宮うせ給ひて年かへりて雨のふる日姫君に聞えしほひねもすにふる春雨や古へを戀ふる袂の雫なるらむ御返しニュー詠るを空も知ればや日暮に小休もせずは降そはる覽世の中はかなくのみ覺ゆる頃雪の降るに4世世にふるぞ儚き泡雪の且は消ぬるものと知る〓〓なたつ雉の上の空なる心にも遁れ難きは此世なりけり打ちとけてもあらぬ人をわりなき所に引きとゞめてかくやはと爪はじきをしかくればあなかま人きくらむと侘ぶればム遮遮人のきくらむともいさての限なるもの思ふ身は歌合にm xx萬代の松に懸れる秋の月久しき影を見よとなるべしひごのめのとの出羽にくだるに餞たぶとて人々歌よむに○旅旅行行草草の枕の露けくばおくるゝ人の涙とを知れ天曆三年三月つごもりの日文人召して花も鳥も春のおくりすといふ心を詩に作らせ給ふにやがてやまと歌一つそへて參らせよと仰せられしに一花花のどけき春の雨にこそ深き匂もあらはれにけれ紅梅合せに鶯のすをくひそむる梅の花色も匂もをしくもある哉小宮かくれ給へるころ世中はかく社みゆれつく〓〓と思へば假の宿り也鳬おほん葬送の後賴みこし常磐の山も大空の霞に霞むよにこそ有けれおなじ頃おほん服にて七月七日のことにやありけむらびじゅ七夕の渡るせも有じ天の川藤の衣の滿てる夜なればといひしかばxの鶴ながれなば藤衣きしより身をや誰もすつべき姫君にきこえし常よりも秋の恨ある今年也野べの草葉も露に萎れて七月七日宮の君に火奉るとて秋風の始めて結ぶ白露はいひおく程もゆゝしかり鳬御返事草のはにかゝる心を白露と云おく程も久しかりけり白川に涼みにわたりて〇白何の松の色こき影みれば孰れが色も變らざりけり姫君の御かたにこじと思へど來られぬこむと思へどこられずと聞えたるを宮きこしめておほせられたる〓賴むには繁さ增れと思へ共こられざらむはになき事也おほんかへし二年をへて繁さ增ればみやま木のよゝをへつゝもにはなて帥の大納言の女左衛門の督にいかなりし折にかヒいい事事の辭び難さに白露の超居てのみも明しつる哉にしのご文たてまたしたりける返りごとのなかにかく書きて加へたりける年年へへ思思心のしるしにぞ空も便の風は吹きける又これも同じ人に片時も忘れやはするつらかりし心も更に類なければ七月七日九條殿の御まへにて君たち參りたまへるにけふの心よめと仰せられしに札打寄する波にまかせて七夕をたちな隠しそあまの川霧これは一條殿謙德公七夕のまちかげにする今宵すら何立ち騒ぐ天の河波ほり河殿忠義公Neあすよりはゆゝしかるべき七夕の美しきは今宵也見すけまさの朝臣を語らひわたりて殿居したる夜もろともににいひてさはる事やありけむ見え給はざりければ又の日程へたる覺束なさも有物を一夜ばかりに增る侘しさ女七宮みこにならせ給ふよ人々歌よみ給ふにのあやまたぬ種にしあれど姫小松心殊にも祈るけふ哉天曆九年字佐の使にきよとほくだるにせんせむと上のぬしたち歌よみ給ふついでに〓露のごと儚き身をばおきながら君が千年を祈りやる哉おとゞうせ給ひての年新甞會の頃うちにも參らで內侍のもとに〓霜枯の蓬の門にさし籠りけふの日影をみぬぞ侘しきある人のむすめに物語するほどに女の親淺まししとて諸共にゐあかして歸りてつとめてミ戀戀む忘やしなむぬともなくねずとも無て明しつる哉女の親のかへしぬともなくねずとも無て明す夜を戀もな戀そさらば忘るな世の中はかなくのみ覺えて法師になりなむと覺ゆる頃賴む夜が月のねずみの騷ぐまの草葉に宿る露の命を村上の御門かくれさせ給ひての頃月をみてかく計りへ難くみゆる世中に美ましくもすめる月哉多武峰に住む頃人のとぶらひたる返事にいいかでかは尋ねきつらむ蓬生の人も通はぬ我宿の道花盛に故〓の花を思ひやりていひやりし高光集
みても亦復もみまくの欲かりし花の盛は過やしぬ覽ある女の搔練のきぬを十月ばかりにくとくにつくるにかもみぢ葉の落るほどしも唐衣錦かくるぞ哀なりけるたゞきよの衞門督五節たてまたしたまふにたきものかうばしう合すとてそらだきものすこしと多武峰にこひ給へるに橘のなりたる枝にみをと00末のよに成もて行けば橘の昔のかには似可くも非ずりうてゝそれに入れてたてまたすとてかへし衞門督一番をとめて戀しもしるく橘のもとの匂は變らざり鳬多武峯に住む頃あさみつの大納言びはの北の方わづらひ給ふ祈りせよとのたまふに〓昔より聞ならしこしいかゝ崎淺からじとを思做さなむ返事大納言一早くより聞馴しけるいかゝ崎末の人さへ賴もしき哉比数の山にすみ侍る頃人のたきものを乞ひて侍りければはべりけるまゝに梅の花の僅にちり殘りけるにつけて遣すとて春春て散果てにけり梅の花唯香ばかりぞ枝に殘れる在新古今歌白露のあしたゆふべに奧山の苔の衣は風もとまらず百敷の內のみ常に戀しくて雲の八重立山はすみうし寛平の御時の歌合、初春〇〓花の香を風の便りにたぐへてぞ登誘ふ知べにはやる梅の花折りて人にやるとて。君ならで誰にか見せむ梅の花色をも香をも知人ぞ知る櫻の花のもとにて年の老いぬるとを思ひて○○色も香も同じ昔に咲くらめと年ふる人ぞ改まりける寬平の御時きさいの宮の歌合〇〇久方の光のどけき春の日にしづ心なく花のちるらむ〓。三吉野の山べに咲ける櫻花雪かとのみぞ誤たれける雪の降れるを見て詠める°〓雪降れば木每に花ぞ咲にける孰を梅と分きて折まし音羽山を越えける時時鳥聞きて詠める〇〇〇羽羽山今朝こえくれば時鳥梢はるかに今ぞなくなる屏風の歌、左大將の四十賀の料〓〓珍しき聲ならなくに時鳥こゝらの年をあかずも有哉寛平の御時中宮の歌合900五月雨に物思ひ居れば時烏夜深く鳴ていづち行らむto夜やくらき道や惑へる時鳥我宿をしも過ぎがてに鳴000ささばば螢よりけに燃れども光見ねばや人の難面きかけふよりは天の河原はあせなゝむ浮瀨とも無く唯渡なむ。天の河流れてこふる七夕の涙なるべし秋のしらつゆ一天河瀨々の白波高けれど唯渡りきぬまつにくるしみ三天の河戀しき時ぞ渡りぬるたぎつ淚に袖は濡れつゝ寬平の御時殿上の人々歌よみけるに人に代りて詠める9天河淺瀨白波たどりつゝ渡り果てぬに明ぞしにける聲立て鳴ぞしぬべき秋霧に友惑はせる鹿には非ねど1誰聞けと聲高砂にさをじかの長々し夜を獨なくらむな打はへて影とぞ賴む嶺の松色どる秋の風にうつるな夕されば佐保の河原の河霧に友惑はせる千鳥鳴く也惟貞の親王の歌合に八八四九一友則集友則集春立つ日水の面にあや吹亂る春風や池の氷をけふはとくらむ○ス秋風に初雁音ぞ聞ゆなる誰が玉章をかけて來つらむ大和國に下りけるに佐保山に霧のたちけるを見てか誰が爲の錦なればか秋霧の佐保の山べを立隱すらむ寛平の御時繪に菊の花のもとに人立てる書きたるを見て○○花見つゝ人待つ時は白妙の袖かとのみぞ誤たれける惟貞のみこの歌合にの一露乍折てかざゝむ菊の花老せぬ秋の久しかるべく立田山を越えて詠める二斯計りもみづる色の濃ければや錦立田の山と云らむ一見るからに秋にも成哉立田姫紅葉染むとや山べ知覽初期雨降れば山べぞ思ほゆる孰の方か先もみづらむ12唐唐立立の山のもみち葉はもの思ふ人の袂なりけり大澤の池のかたを作りて菊を植ゑたるに加一本と思ひし菊を大澤の池のそこまで誰かうゑけむ七春霞たなびく山の櫻花見れどもあかぬ君にもある哉〓我戀を忍びかねては足曳の山たち花の色に出ぬべした宵の間も儚く見ゆる夏蟲に感ひまされる戀もする哉寬平の御時中宮の歌合に555のの聞聞けば悲しな夏衣薄くや人のならむと思へば一一紅の色には出でじ隠れ沼の下に通ひて戀はしぬとも我より高き女を思ひかけて三潜く蜑ならねども渡つ海の底ひも知らず思入る哉三みるも無くめもなき海の濱に出て返る〓〓も恨つる哉三我心いつ習ひてか見ぬ人の思ひやりつゝ戀しかる覽0〓〓我宿の菊の垣根に置霜の消かへりてぞ戀しかりける知思へども儚き物は吹風の音にも聞かぬ戀にざりける秋風は身を分けてしも吹かねども人の心の空になる覽20の にのくにのくによりも獨ぬる我衣手ぞさえ增りける加君てへは見まれ見ずまれ富士の嶺の珍しげなく燃る我身をc河河瀨瀨に摩く玉藻の水隱て人に知られぬ戀もする哉○一宵々にぬぎて我ぬる唐衣かけて思はぬ時の間もなし°ニー東東のさやの中山なか〓〓に何しか人を思ひ初けむ。三數數の枕の下に海はあれど人をみるめは生ずぞ有ける。四年を經て消えぬ思はありながら夜の袂は尙凍りつゝエロとに出て云はぬ計ぞみなせ河下に通ひて戀しき物を○ 命かも何そも露のあだ物はあふにしかへば惜からなくに101立立思り思ひ出づれど石上ふりにし戀は忘られにけり0kl下にのみ戀れば苦し玉の〓の絕て亂れむ人な答めそNo水水泡泡消消と浮身と知ながら流れても猶賴まるゝ哉。〇n浮乍ら消ぬる泡と成なゝむ流てとだに賴まれぬ身は0一雲雲ななく風たる朝の我なれや厭れてのみ世をばへぬ覽本院の大臣の御前にして四十よになるまで無官にはべるよしをまッして三春々の數は惑はず有ながら花咲かぬ木を何に植けむ返し三今迄になどかは花の咲ずして四年餘の年ぎりをする人のもとよりとのゐ物おこせたりけるを返すとて〓蟬の羽のよるの衣は薄けれど移香濃くも成にける哉筑紫にありける時に通ひて碁など打ちける人のもとに京へ上りて後にやりける〓〓〓〓〓〓〓と〓有有の柄の朽ちし所ぞ戀しかりける物へいく道に來逢ひて物など云ふ人に別るとて杯下の帶の道はかた〓〓別る共行廻ても逢むとぞ思ふ藤原のたゞゆきが身の沈むよしを嘆くをとぶらひにやりたる返事に菊の花を折りて五五枝も葉も移ろふ秋の菊見れば果は影なく成ぬべら也とありける返事に〓平平てて延延ぶてふ花なれば千代の秋にぞ影はみつ覽親のよみたりける歌ども書き集めて惟喬のみこ友則集八一五九ー
にとらすとて奥に書きたりける〃などとならば言の葉さへも消なゝむ見れば涙の瀧增り身藤原敏行失せて後にかの家に贈りける○寝ても見ゆ寢でも見え島大方は空蟬の世ぞ夢には有ける〓取りも敢ぬ年は水にや流るてふ老の心の淺く成行く〔をみなへし〕。一白露を玉に拔くとや笹蟹の花にも葉にも糸をみなへし朝露を分けそぼちつゝ花見むと今ぞ山べをみなへ知ぬるをかだまのき三吉野の吉野の瀧に浮び出る泡をか玉の消ゆとみゆ覧きちかうの花〓近近野野野ななりに身白露の置ける草葉も色變り行くりうたん義宿の花踏散す鳥撃たむ野はなければや爰にしも鳴惟貞のみこの歌合に秋霧は今朝はな立そ佐保山の柞の紅葉よそにても見む池水や凍りとづらむあし鴨の夜深く聲の騷ぐなる哉對面しぬべくやとあればモルみるめかる蜑の行かふ湊路に勿來の關も我は据ぬを女郞花いと多く堀りて見るにななししへへなな懷しみ女郞花をられに身な我れが名立にやよやまて山時鳥言づてむ我れ世中に住わびぬとよあやしき事いひける人に七結びきと云ける物を結松爭でか君にとけてみゆべきめのとの遠き所にあるにせよそにこそ峯の白雲と思ひしに二人が中に早立に身山里にて秋の月を山里のあれたる宿を照しつゝ幾夜へぬらむ秋の月影又秋の月いかなる物ぞ我心何ともなきにいねがてにする人と物いふとてあけしつとめてかばかり長き夜に何事を終夜侘び明しつるぞとあひなうとがめし人に秋夜も名のみ也是逢ふと云へばとぞともなく明ぬる物をかへし〓長しとも思ひぞ果ぬ昔より逢人からの秋のよなればやんごとなき人の忍び給ふに現にはさも社あらめ夢にさへ人め包むと見が侘しさ人のわりなく怨むるに一種の住里の知べも有なくに恨みむとのみ人の云ふ覽ゆめに人のみえしかば〓思つゝぬればや人のみえつ覽夢と知せば覺ざらましをこれを人に語りければ哀なりけることかなとあるかへし1轉寢に戀しき人をみてしより夢てふ物は頼み初てきかへし賴頼まじと思はむとても如何せむ夢より外に逢夜無ればい最せめて戀しき時はむば玉の夜の衣を返してぞぬる小町集小町集花をながめて花の色は移りに皇な徒に我身世にふる詠めせしまにある人心かはりてみえしに○心から浮たる舟に乘初めて一日も波に濡ぬ日ぞなき前渡りし人に誰ともなくてとらせたりし一空を行月の光を雲ゐよりみでや闇にて世は果ぬべき返しあしたにありしに雲はれて思ひ出れど言のはのちれる嘆は思出もなき人の心かはりたるに色みえでうつろふ物は世中の人の心の花にぞ有けるみもなき苗のほに文をさして人のもとへやるに〓秋風にあふ賴こそ悲しけれ我身空しく成ぬと思へば人のもとにc渡渡海みみるめは誰か刈果し世の人〓とになしと云ずば常にくれどえ逢はぬ(円カ)女のうらむる人にみるめなき我身を浦と知ねばや枯なで蜑の足たゆく來るニ人人逢逢月の無夜は思ひ置て胸は尻火に心やけをりエル夢路には足も休めず通へ共現に一めみし〓とはあらずかかまま待つあまし潜かば逢事の便に波は海と成なむ我を君思心のけすのへにありせば正に逢みてましをれよそにてもみずは有とも人心忘れ形見をつみて忍ばむい宵々の夢の魂あしたゆく有ても待たむ訪らひにこそゐでのしまといふ題をおおきの居てみを燒くよりも侘しきは都嶋べの別也鳬忘れぬるなめりと見えし人に〓〓今はとて我身時雨に降ぬれば言の葉さへに移ひに島かへし。人を思ふ心木葉にあらば社風のまに〓〓散も紛はめ定まらず哀れなる身をなげきて。蜑のすむ浦漕舟の楫をなみ世をうみ渡る我ぞ悲しきいそのかみといふ寺にまうでゝ日のくれにければあけて歸らむとてかの寺に遍昭ありときゝて心みにいひやる。0岩の上に旅ねをすれば最寒し苔の衣を我に貸さなむかへし遍昭00ををく苔の衣は唯一重貸ねばうとしいざ二人ねむ中たえたる男の忍びてきて隱れてみけるに月のいと哀なるをみてねむことこそいと口惜しけれとすのこに詠むれば男いむなるものをといへば0獨獨の侘しきまゝに起ゐつゝ月を哀といみぞ兼つる忘れやしにしとある君たちのの給へるに10陸奥の玉造江にこぐ舟のほにこそ出ね君を戀ふれど康秀が三河になりてあがた見はいでたゝじやといへる返りごとにわ〓侘れれ身身萍萍のねを絕て誘ふ水有らばいなむとぞ思ふ安倍のきよゆきがかくいへるも包めども袖にたまらぬ白玉は人をみぬめの泪也けりとある返しx0おろかなる淚ぞ袖に玉はなす我は堰敢ず瀧つせなればかみるめあらば恨みむやはと蜑問はゞ浮びて待む泡沫のまもいつはとは時は分ねど秋のよぞ物思ふ事の限也ける蜩のなく山里の夕ぐれは風よりほかにとふ人ぞなき百草の花の紐とく秋の野に思ひたはれむ人な答めそ三一漕ぎきぬや蜑のかぜまし待ずしてにくさひかける蜑の釣舟五月五日さうぶにさして人に萬蒲草人にねたゆ~思しを我身の憂に生ふる也けりここ人人ままととめめて我宿のなどて此暮悲しかる覺を露の命はかなき物を朝夕に生きたる限逢見てしがな七知知ぬ我が思に逢ぬまはみさへぬるみて思ほゆる哉ヘ戀〓の暫もねばや夢の內にみゆれば逢ひぬみねば忘れぬかものをこそ岩ねの松も思らめ千代ふる末も傾きに鳬○木枯の風にも散らで人しれず憂き〓とのはの積る頃哉夏の夜の侘しき〓とは夢にだにみる程もなく明る也見二二現にもあるだに有を夢にさへ飽でも人のみえ渡る哉ニ春雨のさはにふる如音もなく人に知れでぬるゝ袖哉四のみこの失せ給へるつとめて風ふくに四二今朝よりは悲しき宮の秋風や又逢坂も有じと思へば五ニ我身にはきにける物を憂事は人の上とも思ひける哉心にに叶はざりける世中を憂身はみじと思ひける哉〓妻戀るさを鹿の音にさよふけて我片戀を明し兼つる小町集八八五九ー
卵花のさける垣ねに時ならでわがごとぞ鳴く爲の聲秋の田の假庵にきぬるいな方の否とも人に云まし物を井手の山吹を〇三色も香も懷しきかな蛙なくゐでのわたりの山吹の花一三霞たつ野をなつかしみ春駒の荒ても君がみえ渡る哉難波めの釣する人に目枯けむ人も我ごと袖やぬる覽二千度とも知られざり息泡沫の憂身はいさや物忘して人の昔よりしりたりといふに今はとて變らぬ物を古もかく社君につれなかりしか三波の面を出入る鳥は水底を覺束なくは思はざらなむあしたづの雲居の中にまじりなばなどいひて失せたる人のあはれなる頃たんかたの空にたなびくうき雲のうける我身はつゆ草の露のいのちも又きえて思ふことのみまろこ菅繁さぞまさるあら玉の行く年つきは春の日の花のにほひも夏の日の木の下かげも秋の夜の月のひかりも冬の夜の時雨のおとも世の中に戀もわかれもうき事もつらきもしれる我身こそ心にしみて袖の浦のひる時もなく哀れなれかくのみ常に思ひつゝいきの松ばら生たるにながらの橋の長らへて瀨に居たづの鳴わたりうらこぐ舟のぬれ渡るいつか浮世のくにさみの我身かけつゝかれ離れいつか戀しき雲の上の人にあひみて此世には思ふことなきみとはなるべき日の照り侍りけるに雨乞の和歌詠べき宣旨有て十千早振神もみまさば立騒ぎ天の戶川の桶口あけ給へやり水に菊の花のうきたりしに1人5ののののののの近近く流れずば泡沫花も有とみましや限なき思のまゝに夜もこむ夢ぢをさへに人は答めじかれたる淺茅に文さしたりける返ごとに小町が姉리時過て枯行くをのゝ淺茅には今は思ぞ絕ず燃えけるoあだなに人の騷がしういひ笑ひける頃いはれける人のとひたりける返りごとに「うき事を忍ぶる天の下にして我濡衣はほせと乾かずコーともすればあだなる風に漣の靡くてふ如我靡けとや三点草我身につまむと思ひしは人の心におふる也けり四如如物物心ふふけに有りせば正に逢見てましをみちの國へいく人にいつ計にかといひたりしにエル陸奥は世を浮島も有と云を關小搖ぎの急がざらなむ定めたるともなくて心ぼそき頃類磨の浦の浦ごく舟の楫よりも寄べなきみぞ悲しばらいかなりし曉にか獨獨の時は待れし鳥のねの稀にあふ夜は侘しかり見AM流れてと賴めしとは行末の淚の上をいふにぞ有ける見し人のなくなりし頃加有るはなく無きは數そふ世中に哀孰の日まで歎かむas夢夢らば又みる宵も有なましなに中々の現なりけむ一五武藏野に生ふとし聞けば紫の其色ならぬ草も睦まし二世世は飛鳥川にもならばなれ君と我とが中し絕ずば三武藏野の向ひの岡の草なれば根を尋ねても哀とぞ思ふ見し人も知られざり見泡沫の憂身はいさや物忘してエ世世ににらら身身の有てなし哀とや云むあなうとや云む☆〓我身社有ぬかとのみ辿らるれ訪べき人に忘られしより長らへば人の心もみるべきに露の命ぞ悲しかりけるヘル世中を厭ひて蜑の住かたは憂めのみ社みえ渡りけれ〓〓くて〓と成ぬる物ならばかすまむ空を哀とは見よ5〓ののややを鶯と鳴きわびむ人の心の花とちりなばズはかなくも枕定めず明す哉夢語りせし人をまつとて一世中の憂もつらきも告なくにまづ知る物は泪也けり吹き結ぶ風は昔の秋ながら有しにもあらぬ袖の露哉ひああしくも慰めがたき心かな姨捨山の月もみなくに集ししけけききくくれ髪をみぜじとやはた隠れたるけさの槿誰をかもまつちの山の女郞花秋と契れる人ぞ有らし白雲の絕ず靉く峰にだに住めば住ぬる物にぞ有けるx紅紅せぬ常磐の山に吹く風の音にや秋を聞渡るらむ他本歌十一首かいつとても戀しからずは非ね共怪しかりけり秋の夕暮〇セ長月の有明の月の有つゝも君しもまさば待社はせめ一淺香山影さへみゆる山の井の淺くは人を思ふ物かはなが雨を七詠めつゝ過る月日も知ぬまに秋の景色に成にける哉=七春の日の浦々毎を出てみよ何業してか蜑はすぐすと三七木間より洩り來る月の影みれば心盡しの秋はきに鳬営NE天つ風雲ふきはらへ久方の月の隱るゝ道まどはなむ哀てふ事こそうたて世中を思ひ離れぬほだし也けり七世中は夢かうつゝか現とも夢とも知ず有てなければAk哀てふ言のは毎におく露は昔を戀るなみだなりけり〓ル里は物の寂しき事社あれ世の憂よりは住よかりけり又他本五首北相公本也o小小倉山消し照射の未もがなしか習はずば安くねなまし〓別つゝみるべき人も知ぬまに秋の氣色に成にける哉、形見こそ今は仇なれ此なくば忘るゝ時も有まし物をははななややが身の果よ淺綠野べに難く霞と思へば花咲てみならぬ物は渡つ海の挿頭にさせる沖つ白波いかにして思ふこゝろをのばへましあはれ昔べ有きてふ人まろこそは嬉しけれ身はしも乍ら言の葉をあまつ空まで聞え上て末の世までの跡となし今もおほせの下れるは塵につげとや塵の身の積れることを問はる覽これを思へば古へにくすり濱せるけだ物の空にほえけむ心地して千々の嘆きも思ほえず一つこゝろは誇らしき斯はほこれど照ひかり近きまもりの身也しをたれかは秋のくる方にあざむき出て御垣もりをさ〓〓しくも思ほえずこゝの重ねの今はのやまし中にてはあらしの風も聞ざりき近ければ春はかすみに靉びかれ夏はうつせみ鳴き暮し秋はしぐれに袖をかし冬はしもにぞ責らるゝかゝる侘しき身乍らにつもれる年を數ふればいつゝの六になりに鳬是にそはれるわたくしの老のかずさへ攻くれば身は賤しくて年たかきことの苦しさ斯しつゝ長柄のはしの長らへばなにはの浦に立つ波の老のしわにや溺ほれむ流石にいのち惜ければ越のくになるしら山のかしらは白く成ぬともおとはの山の音にきく老ず死なずの藥もが君が八千代をわかえつゝ見むか君が代に逢坂山の石〓水木がくれたりと思ひける哉右大將の四十賀の屏風に、夏大荒木の杜の下草繁りあひて深くも夏の成にける哉秋〓秋萩は先さすえより移ふを露の心の分くるとな見そ夏の夜郭公を聞きてね暮見かと見れば明ぬる夏の夜を飽ずとや鳴く山時鳥早う住みし家に郭公を聞きて〓べべ今も戀しき時鳥ふる里にしも鳴きてきぬらむ忠岑集ふるうた召しゝ時添へて奉るひくれ竹のよゝの古ごと微りせばいかほの沼の
七月八日→今日よりは今來む年の昨日をぞ早晩とのみ待渡べき秋の夜月のいみじう明かりしに"久方の月の桂も秋くれば紅葉すればや照り增るらむ同じ頃ほひに秋の夜の露をば露と思置きて假の涙や野べを染む覽三九秋の野の萩の白露今朝見れば玉や敷けると驚れつゝ中宮の御屏風に山田ある所エキ蛙手く井手の山田に蒔きし稻は君待なへと生立に見菊の花の露に袖を濡してあるじにかく云ふか折る菊の雫を多みわかゆてふ濡衣を社老の身に着れ或る女どもに遣しゝ歌どもゃ搔くらし降る白雪の下消に消えて物思ふ頃にも有哉X秋秋ににききすすの聲にさへ儚く人の戀しかるらむれたきつ瀨に根ざし止らぬ萍の浮たる戀も我はする哉∞風ふけば嶺に別るゝ白雲の絕えてつれなき君が心か昔物など云ひはべりし女のなくなりしが曉方の夢にみえて侍らでさめ侍りしかば。命にも增りて惜くある物は見果ぬ夢の覺むる也けり或る女のいみじく心かろくはべりしかば。獨して思へばくるしいかにして同じ心に人を〓へむ女の許に始めてやりはべりし。須磨の蜑のこれる鹽木か燃る共に人知られぬ我戀ならむ女に始めて逢ひはべりしにいみじく哀に覺えしかば其の女に〓思思ふふをぞ妬く古しける君にのみこそ云べかりけれ忍びて女の許にまかりはべりしにいくばくもなくてあけはべりしかば其の女に50夢よりもはかなきものは夏の夜の曉方の別なりけり寛平の御時中宮の御屏風にあまのかづきたる所お心ざし深く水底かづきつゝむなしくいづな沖つ島守世の中常ならず心うかりし頃もぬるが中に見るをのみやは夢といはむ傅き世をも現とはみず相知りたる人のすまひの使に遠き國に下るにゝ瀬をせけば淵と成つゝ淀みけり別を止むる柵ぞなき或る女に物云ひたりと騒がれし頃はひね。陸奥に有と云ふなる名取河無名とりては侘しかり鳬后の宮の御屏風に瀧おちたる所。落ちたぎつ瀧の水上年積り老にけらしな黑き筋なし初春一春立と云ふ計にやみ吉野の山も霞みて今朝は見ゆ覽仲春春はなほ我にて知りぬ花盛心のどけき人はあらじな秋山里は秋社殊に悲し〓けれ鹿の鳴音に目を覺しつゝ泉の右大將の四十賀の屏風に濁なき〓瀧川のきよければ底よりせくと見ゆる藤波秋千鳥鳴く佐保の川霧立ぬらし山の木葉も色變りゆく春の始た春のぬ人人は云へども鶯の鳴かぬ限は非じとぞ思ふ惟貞のみこの御歌合に南降れば笠取山の紅葉ばは行かふ人の袖さへぞ照る入神なみの三室の山を分行けば錦立きる心地ここすれか山田守る秋の假庵に置露はいなおほせ鳥の涙也けり寛平の御時后の宮の歌合に二三吉野の山の白雪踏分けて入にし人の音づれもせぬ=白雪の降りて積れる山里は住人さへや思ひ消ゆらむ鹽竈の磯のいさごを包みもて逢夜の數と思べらなる戀歌一一春日野の雪間を分て生出來る草のはつかに見えし君かも獨獨るる敷數妙の鹽寵はうき玉なれやよるかたも無し忠뿌集1月影に我身を變ふる物ならば思はぬ人も哀とや見む友則がなくなりにし後時しもあれ秋やは人の別るべき有を見だに戀しき物を思に籠りたる人を訪ふとて〓墨ぞめの君が袂は雲なれや絕えず涙の雨とのみ降る相知りたる人の住吉に詣づと聞きて〓隠沼の下より生る根尊のねぬ名は立たでくるな厭ひそ松風を聞きて松松の音に風の調を合せては立田姫こそ秋はひくらし相知りて侍る人日頃久しく訪はずしていきたるにかくせば00住の江の松に立寄る白波のかへる折にや音をば鳴覽暇ありてこもり居て侍るに人の訪はねば一大大木の森の草とや成にけむ假に來て訪ふ人も無身は三月三日ある處にて土器とりて三千歳へてなるてふ桃の今年より花咲春に成にける哉雖入集不見家集歌三年をへて濁だにせぬ錆江には玉も却りて今は往べき三子日する野べに小松の微せば千代の例に何を引まし色々の木の葉流るゝ大井川しもは桂の紅葉とや見む夏果つる扇と秋の白露と孰れかまづは置かむとす覽一東東のさやの中山〓かにも見えぬ雲居によをや盡さむN年年れれ朽朽ちこそ增れ橋柱昔ながらの名だに變らで脆く共いざ白露に身を做て君があたりの草に消なむ学むむき庭の櫻は盛りにて心ぞ花にまづうつりける一天原宿かす人のなければや秋くる雁の音をばなく覽뼈侘人の心の內を比ぶるに富士の山とやした焦れける三山の端は斯こそ秋も時雨しか何を今朝より冬と云覽〓事事の今は片帆になる舟の風待つ程は寄る方もなし賴賴基集天曆の御時屏風に春日野に若菜つみたる處NP若干の年摘みくれど春日野に生る若菜は老せざり鳬三月本だ花散殘らなむ過ぬ共惜むに止る春かともみむ秋の夜召ありて春宮に參りて雁のなくを40鳴雁はくるか歸るか覺束な春の宮にて秋のよなれば-寛平の御時の御屏風にNexの奥手の稻も刈てけり秋はて方に成やしぬらむ加照月の流るゝ水し〓ければ上した秋の紅葉をぞみるof水底に影のみ見ゆる紅葉は秋の形見に波やをるらむ一霧のたつ紅葉の錦亂るれば行へも知ぬ物にもある哉きたの宮の御裳着給ひしに內侍の督殿に贈られたる御屏風に笠取の山のほとりを人ゆく程に時雨のすれば袖をかづきたる處三笠取の山を賴しかひもなく時雨に袖を濡してぞ行く宇多の院にて梅の花をよみ侍りける三ちち迄迄きるむ春雨に我を濡すな梅の花笠同じ院の中宮に四十の賀奉り給ふ竹の杖の歌一五に一節に千代をこめたる杖なればつく共盡じ君が齡はある所の屏風に志賀の山越に瀧おちたる所エル水上に掬ぶ人なみ白玉は山のをよりぞぬきて落けるある人の扇にかく歌な涼涼ささややがて心に任せたる扇を煽ぐ風ならずして朱雀の院の御屏風、子日に松ひける處に鶯なくほ子日する野べに小松を引連れて歸る山べに鶯ぞ鳴く宇多の院の御前に松の末に藤の花さきかゝりたるを、三月つごもりAF藤の花まつのみならず暮ぬべき春の末にも咲懸り島基賴基集
先代の皇后の九條の右大臣殿の五十賀奉り給ふ御屏風に、年暮れて竹のある家長きよを思しやれば吳竹の暮行く冬も惜からなくにある處の屏風の繪に、志賀の山越の處なには負へどなれるもみえず瓜生坂春の霞の立てるなる人の扇にかゝむとて侍るに一內內ととみみぬ扇の程なきに涼しき風を爭で込けむ亭子院の御使に越へ行く人に帶をとらするにたゝなるよりはとてニゆゆ帶のとくはあふ共別なば越を巡らむ程の久しさ同じ院の御前にまゆみの紅葉に簑蟲のかゝりたるを歌仕うまつれと仰せあるにニ紅紅ばの枝に懸れる簑蟲は時雨ふる共濡じとや思ふ女のもとに始めて文やるに初初の空に立つる心かな思はれむともしらぬ我身を大井川の行幸に樣々の題をよませ給ひしに秋の水に浮ぶといふ題を色々にうける心も秋の水紅葉ながすと人やみるらむ秋山を白露はわきておかじを秋の山などか紅葉も薄くこかるむ紅葉散る紅葉の流渦まく淵をこそくれ行く秋の泊りとはみれ旅の雁すす里里の定めなければ旅の雁空にぞ浮て鳴渡るなる菊の花御幸をばけふとや兼て菊の花昨日の色のあせて殘れる鶴澤に立てりc河河み住ひすればや眞鶴の流れて千年ありと云るゝ鷗馴れたり「白浪やか身によせ懸るとも思はで立も騷ず馴るゝ鳥哉江の松老いたりえに深く年ふる松は水底の影にさへ社色は見えけれ天曆の御時の屏風に七月七日人いでゐて空を詠めたり達事は別れて後も七夕の思ひはるべき隙もなきかな五月五日駒くらべする處若駒とけふに逢くる菖蒲草生ひ後るゝや祭るなる覽入拾遺集 歌潮たるゝ身は我とのみ思へ共よそなるたづもねをぞ鳴なる源重之集三位大貳佐理は故小野宮の大殿實賴の御むすこなり童より殿上し給へり宰相を返し奉られて下られたる人なり道風おきな立ちてはいとゞ賢き手書なりとて公も下されたることを悔しきことに仰せられて御手本は筑紫に下し遣してぞ書かせ給ふかの御手本書きに下されたるに書くべき歌どもよみてえむとの給へば新らしき昔のも中頃のも書き集めて奉る此の歌の斯くも心に適はぬうき物におぼして筑紫に下るにやあらむ大貳かくておもったまへるよしどもあるべし所々をかしきなどもあめり松松枝枝住住らつるの戀しき物は雲居也島春はもえ秋はこがるゝ竈山煙絶えぬや紅葉なるらむ〓ん都都といきの松原いき歸り君が千年に逢むとぞ思ふ幾世にか數へ盡さむ箱崎の松の千年も一つならねば見よや君しかの島へと急げ共鹿子斑らに波ぞ立ける"秋くれば戀するしかの島人も己が妻をや思出づらむ染川の岸に寄せくる白波は聞にも違ふ色にぞ有ける〓筑紫へと悔しく何に急ぎけむ數ならぬ身のうさや變れる名を賴む近の島へと漕ぐれど今日も舟路に暮ぬべき哉白白の懸れる嶺と見えつるはちかの島には非ぬなるべし村雨の濡るゝ衣の文なきに猶簑島の名をや借らまし一雨雲の下にのみ住む我なれば思事なき時もぬれけり秋〓紅葉を己が物とも見てしがな見るに諫むる人は無れど初初霜の置かぬだに濃き紅葉の色の盛を誰に見せまし八月七日ばかりに庚申の夜大貳のみたちにて第に雁の心ある歌につけていだされたり20擧の音に引きつらなれる初鴈の己が聲々珍らしき哉又昔惠慶れいの人→紅葉せぬ常磐の山に住鹿は己れ鳴てや秋を知るらむ〓思ひ出のけながき物は人知れぬ心の內の別なりけりみちの國の柳河の家にてふみてにもちなどして七月七日七夕の心をニー袂こそ思ひやらるれ七夕の明けゆく空のあまの羽衣海づらにて波のたつを吹風に色染め渡る藤波は春しもかゝる物にぞ有ける又廣澤の池に波のいみじう立つを僧正の君など廣澤の池にうかべる白雲は底吹く風の波にざりける海土の家に宿りたるに日暮るゝまで釣舟の見えざりければ波間より深く出にし釣舟の待つ程過ぎて物を社思へ右近大夫よしのぶにみちのくにより別れてはいかに戀しと思らむ己が心は人を知りけり網代に紅葉よせたりM紅葉を寄する網代は多かれど秋を留て見る時ぞなき筑紫へ行くに天の原波のなるとをこぐ舟の都戀しき物をこそ思へ山高み落くる瀧の白糸はあわによりてぞ亂初めける山吹の八重咲く花を睦じくとへや一重のうら解に島又春たつに靑柳のいとよりかくる春くれば池の氷も綻びにけりこの御手本いるべき箱にあしでをぬひ物にすべしとせめられけるco玉櫛笥二見の浦の中におつる月の影こそ鏡なりけれ0〓孰就ぞぞ二見の浦の有と云し心をいれて問まし物を同じやうなれどもかき集めて定めらるべしとて0箱の內に明暮遊ぶ葦たづは千年の蔭ぞ共に見ゆらし〓難波津に角ぐみ渡る葦の根のねはひ尋て世を賴む哉又大宮の仰せごとにてよめれどおほん手本にかかれたればかいつしかと急ぐ心の先だちて朝の原を今日見つる哉またNo東雲朝の原を越くればまだ夜籠れる心地こそすれふたむら山ね。秋風にはた織る虫の聲しげみ尋ねぞきつる二村の山ふるの社0年を經て植し榊の變らねばふるの社と云にぞ有ける惠慶人の家の櫻を見て一さかしらと思はざらなむ櫻花散らば隣の人も惜まむこの人いとわろしとてよむ徒然と花なきさとにひとり居て隣の春に心をぞやる睦まじき人のめのをかしきを見てそねむとて一心には染めて久く成ぬれど云で思ふぞ口なしにしてもろともに住む女に日は照るに我衣手の乾ぬは一夜の露をいかに置しぞあふみと云ひしに冬1冬籠り遂に相見ず成果てぬ雪ふりにきと人に語らむうまのすけにて播磨へ行くに明石の濱にて夜い
と暗きに千鳥鳴きて沖の方へいぬ白白に羽打ちかはし濱千鳥悲しきものは夜の一こゑ七ー印南野に村々見えし柏木の葉廣になれる夏は來に島ヘ村雨に立隱れせし柏木の靑葉に夏はあつまりにけり日向の國に琴ひきの松あり岸に波寄す白波の寄りくる糸を〓にすげて風に調ぶる琴彈の松筑紫にて或る女語らひて曉に○何事の今朝は嬉しき我なれや涙は分ぬ物にぞ有ける又みちの國にて鴨のくびかはに虎のをたちいれたる乞ひにやるとて一冬の池の同じ友には遊べ共をしとな云そ鴨のくびかはうまごのよりこで京へ行くを恨みて女に代りて一親の親と思ましかば訪てまし我子の子には非ぬなるべし又粟津にやどかるときゝて云ひやる三湖の粟津にやどる君故にはかなく鹽を垂れてける哉むねたかゞみちの國にて子ども三人がかうぶりし侍りける又のあした松島の磯にむれ居る葦たづの己が樣々見えし千世哉末の松山に子の日にこの人の母車にて出でたるに守しげみ介つねみなどいひたり末の松引きにぞきつる我ならぬ波のみをると聞が妬さにある人あゆ三つを荻の葉につけてた水莖の跡踏みつけて試みむ思ふ處にあゆみつくやと暮の春ヒ春毎に今日の別は惜めども葦のうら葉は歸らざり鳥元年毎に別るゝ春と思へども猶なぐさまず惜まるゝ哉た來る夏と別るゝ春と中に居て靜心なく物をこそ思へ0櫻櫻散りにし春はうけれども今日の別は猶ぞ悲しき一年毎に止らぬ春と知りながら心盡しに惜まるゝかな二月ばかりに世のいと憂さことを思ふころ梅の花に雪ふりかゝりたるを三花の上に散くる雪の我ならばいかに嬉き命ならまし三浦消ぬわがみ山なる朽木には春もまだこめ心ち社すれかゞみにしろさや見えけむ養だろ〓初初の思ひ立らむ山道をあやにくなれや今朝の降雪まだ咲ぬ枝にぞ冴る白雪は花とも云はじ春の名立に春たつにまだ雪ふかした雪深み山の山路や迷ふらむ春の迎ひに今ぞ越ゆらし春ぞとは鶯のみぞ知せける鳥の聲にや花もこもれるNuははててだだだぬべき春の心も花と見ゆればた吹吹を知べにはして梅の花今宵計りぞ折べかりける0風風み春やまだこぬと思ふ迄山の櫻を雪かとぞ見る「雪と見て覺束なきに山櫻花ぞとつげて行くや何なる女の家に桃の花すもゝの花むら〓〓に咲きたり鶯なく鶯の聲に呼ばれてこちくれば物云はぬ花も人招き島ニ春春の中に懸れる藤波はいかなる岸に波をよすらむ或る大臣のむすめかくれてものにまゐる冬昔とひしによそに見る物と社見め白雪の白々しくも覺ほゆる哉人のなれどもをかしとそのかみに思ひしかばなり遙に京より下りし人にエ天天の別し中に通へばやよそなる袖の乾く間もなき昔のはおぼつかなけれども円メロいと高き巖に生ふる松だにも風の吹には靡くてふ也云云ささててゐぬと思ふな池水の深き心の淀むとを知れハム仄々と明石の濱をこぎ來れば昨日戀しき波ぞ立ける大甞會に主基の方に、明石の濱朝朝日さす明石の濱を立ゐせし波も長閑になる世也島丹後にて舟道遙に岸の藤の花を折りてやかたにさせるこれにかけるon漕舟に棹をば懸じ藤波は夜さへ見ゆる物にぞ有ける昔秋別れにし人に1年年ににははく成行けどうかりし秋は又もきにけりやどりはなし二二花咲かぬ我宿さへぞ匂ひ來る隣の梅に風やふくらむまた三散る雪を花の盛と見すべきは春の心の淺きなるべし梅が枝に物憂き程に散る雪は花とも云じ春の名立にTM萬代の春を數ふる鶯は花の木かげにすめばなりけり消消ぬ果ぬ雪かとぞ見る山櫻匂はざりせば爭で知らまし〓ェに花のみ埋れにける鶯は啼く聲さへぞほのか也けるNX散花を惜むとや啼く鶯のをり知れりとも見ゆる春哉な世の中はおとろへ行けど櫻花色は昔の春にぞ有ける山里は咲花こそはあだならめ見る人さへや靜心なき鶯の隣に我もすむものを聲をわきてぞ人はとひける〓春ごとに忘られにける埋木は花の都を思ひこそやれ春の暮つかた花も散り鶯の音も枯ゆけば我山里はあくがれなまし六急ぐらむ夏の境に關すゑて暮行く春を留めてしがな憂事も春は忍びて有ぬべし花の散りなむ後の悲しさ打忍びなどか心もやらざらむ浮世の中に花は咲ずや普もせで谷隱れなる山吹は只口なしの色にぞ有けるX我我みみやて行てをらまし山櫻人の怨を思はずもがなな初聲は聞まほしくて時鳥春に別れむことのわびしさ歸鴈〓。〓音の歸る羽風や誘ふらむ過ぎ行く峰の花も殘らず〓山里は浮世も有じと思ひしを厭ふも知らで尋來に見一阿武隈に霧たてと云し唐衣袖のわたりに夜も明に鳬又春思ひいづるに、したがふシート過過ぎば最と物をぞ思べき花も散ぬに浮世捨てゝむ波の聲に夢驚かすと云ふ題をためきよとむねちかとに詠ませて親はことわるこのかみためきよ夢にだに戀しき人を見べきに波の聲にぞ驚かれぬるむねちか浦通みぬるかとすれば白波の寄る音に社夢覺にけれこれはわろしとて親おきな戀しさは夢にのみ社慰むれつらきは波の音にぞ有ける渡つ海の己が次々尋見ばいとくち亂りいづち行く覽〓枝もなき浦々に咲く波の花風に宿れる春かとぞ見る舟路の哀なる事を思ひて舟路には思ふ人のみ戀しくて行末のみぞ先問れける〓吹風の靜心なき舟路にはさればと云ひし人ぞ戀しき一部出でゝ今日は幾日ぞ覺束な留めし人は數へおく覽山崎河を立田川と云ふを筑紫へ行くとて2白白の立田の河を出しより後悔しきは舟路なりけりげすにあらぬ人の世の中をわづらひて鍬鋤取りておりたちたる程もなく死にければ打打すすのまつはにまみれつゝ秋の賴も長からぬ哉春毎に忘られにける埋木は時めく花をよそに社みれ私雁音は花に住む共見えなくに散ぬと思ふに歸る聲するか蛙鳴く苗代水に影みれば時すぎにける我いかにせむ山櫻散行く春の木のしたは松も見えぬに茂合ひに見みちの國に山の郡と云ふ處ありそこにて冬月を雲晴れて空に磨ける月影を山の氷と云ひなおとしそこの山の郡に秋ならねど鹿子まだらに雪降れり〓秋來れば鳴や小鹿のまだら雪山遠きか〓〓音もせぬ哉京よりくだるに田子の浦にてむすめ〓ぎぎ行旅の心や通ふらむ立たぬ日ぞなき田子の浦波實方の君の許にみちの國へ行くにいつしか濱名の橋を渡らむとてくるに早う燒けにければ"水の上の濱名の橋も燒に見打けつ波や寄こざりけむ大嘗會の主基方、丹波國桑原の里を
一桑原の里の引繭拾ひて置て君が八千代の衣糸にせむ同じ方、玉つくり江を三一つにて萬代照す月なれば底も見えける玉つくり川院冷泉の帝春宮におはします程に戀の歌よみて奉れとなりたゞして仰せらるれば司給はらぬほ九戀戀ささ見見に見れど水鏡沈影には添ずぞ有ける又御繪に春蕨折る女かたみひきさげてあり我ならぬ野べの蕨も生ひに見命ぞ春のかたみ也ける又繪に女石井に水汲むとてさしのぞきて影見る年を經て澄る泉の影見ればみづはくむ迄老ぞしにける昔衣の關の長ありしよりも老いたりしを昔見し關守も皆老にけり年の行くをばえやは留むる信濃のっかまの湯におはしたりしかば書きつけし、これたゞの宰相の折出る湯のわくに懸れる白絲はくる人絕ぬ物にぞ有けるやがて麻をたてたりける同じやうなれどもをかしと思ひしかば最上川落添ふ瀧の白絲は山の繭よりくるにぞ有ける此の最上川いみじき川なり世に似ず面しろきものなれば人過ぎがたし○。上上川瀧の白絲くる人の心よらぬはあらじとぞ思ふ昔堀河の大殿石山より歸り給ふに走井にてよませ給ふ。逢坂の關とは云へど走井の水をばえこそ留めざりけれ法師の色このむをにくしとて。〓ならぬ山の櫻に心入れて池の蓮をいひなはなちそ二月ばかりにみちの國に臨時の祭に雪にぬれ困じたるがかちなるをのここづるの池を過ぐる程にこゝはいづくぞと問へばこづるの池のつゝみと云へば心やりによめと云へば、むねちか0千千せふる小鶴の池も變らねば親の齡を思ひ社やれて、°千千をば鄙にてのみや過しけむ小鶴の池と云て久しきみちの國の權守腹々のをのこゞ女に裳着せかうぶりせさせ又袴着せなどするにかはらけ取れとあり母君失せてのことなり10色々に許多千年の見ゆる哉小松が原にたづや群居るかへしわ古を今日にあらする物ならば獨は千代を思ざらまし皷の瀧はこれに過ぎてよむ人あらじたゞにあらねばもの川に吹かるゝ笛のあれば社皷の瀧に泡もまくらめ初春lo春來ればまづぞ打見る石上珍しげなき山田なれどもやんごとなき女にむかし50春の雨は忍ぶる事ぞ增りける山の綠も色に出でけり夏。我里のまづ明たてば空蟬の空しき音をも鳴き明す哉肥後にてためちかゞ島巡りに出でゝいみじかりける處を見せずなりにけるとて歌よめりされどわるければ書かず一磯葉摘む蟹のみるめも有物を君が舟路に後れてぞ思みちの國の守さねあきら或る人の親後れたるにやるとてきぬと又綿などこを作りておこせたり一育みし君を雲居になしてより大空を社賴むべらなれ云ふべきあらばいへとあれど吹く風春たのむと云へればなるべしかへる春になりて吹風も今日は長閑になりに見物思ふ程に春や來ぬ覽又春つかさめしを思ひやる〓春ごとに忘られにける埋木は花の都を思ひこそやれやんごとなき處に召せばお前に出でたるに何となく御覽じてかへさるゝにつけて聞ゆ1天天原原る千鳥の羽たゆみ岸をかはとも見て歸る哉ある女に、秋〓ののののしし野野べの花薄こち吹く風に打靡かなむ五月ばかりに樣をかしきわらはの唐の薄えふに蟬のもぬけを包みてもて來て人にさし取らせてうせぬよろづ思へど誰がとも知らぬをもし一年のなつ頃行きたりし人こそよくなく見えしかとおしはかりて云ひやる古の夏來にけれど空蟬の是から音もするにぞ有けるみちの國の權守の母君に云ひはじめに~〓蟹の絲筋ならずあらぬ身を雲のよそにな思放ちそ又この君あしたか蜘蛛のて一つ落ちたるが二三日までをごくを〓笹蟹の蜘のはたてのをごく哉風を命に思ふなるべし齋宮の女御内におはせし時かやあるたちはきの長承香殿の西の戶口 立ち寄れり少納言と云ふ人いと口とうものをかしう言ひ歌よむこの友だちどもこの人に物言ひかけよと云ふよりてまづいかで言はむと思ふとて袖とりかはしたりたれぞと問へば源のこたへずといらふ同じきなのらずと云ふ〓小動ぎの磯の莫〓藻名のらねば底計をぞ探り知たるさればよといひて聞きもはてぬに詠む一二磯菜摘む蜑ならば社渡つ海の底の物めく事を許さめと云ひつゝぞ年經ける又波の立つを見て二次風に色立まさる藤波は岸によりてや數ををるらむ春何事を思ひけるにかあらむ昔へをおもふ涙の春雨は我が袂にぞわきて降りける諸共にほかへゆかむと云ひちぎりてふとひとりいぬるによみてやる行行ににちちくれぬと春霞思はぬ山を歎きつるかな法師のこと好むが歌の返しおそくすれば正梔や君が園には茂る覽色めくなるにいらへせじとや大貳の御手本の歌の中の落ちたる年毎年枝に枝さし松の葉を茂み君をぞ賴む露なもらしそ又法師に七行末を思ふ涙をしるべにて蓮の池をたのむばかりぞまた花をのみ春の宮にて折りしがば思ひ出つゝ鶯ぞなく古の戀しき人の見えこぬに花のゆかりを相見つる哉桃の花すける人のうち醉ひてあるを見て0人人れれず過ぐとは聞けど桃花色に出てはけふぞみえけるたけぐまの松一本は枯れにけりニたけぐまの松も一本枯にけり風に傾ふく聲の寂しさ三年を經て誰を待とか武隈の常磐にのみは爭で立つ覽かりやどりに遣水をして心をやれど古にも似ずや三行水に心を添へてやりけれど昔までには波も返らず霞もたゝず鶯も啼かず春あやしとて心長閑なる處へおはせと云ふに久しければE焉の聲の使もまだこねば思ひぞたゝぬ春のかすみも曾禰好忠が但馬にていづしの宮にてなのりそと云ふ物よめと云へば一千早振出石の宮の神の駒ゆめな乘そよ崇りもぞする〓曉曉の〓に見ゆる朝顏は名のりぞせまし我にかはりて故右大將になつきに弓そへて奉るニ陸陸の安達の眞弓ひくやとて君に我身を任せつる哉みちの國の守せきうぢ國符ぞなくていれるとてゑし給ふに歌よみて奉る〓〓年年の春關に留ると聞ませば今年は花も長閑からました花花には許しぞせまし白河の水ならば社堰に淀まめ
ひら野の祭に諸共に詣づ一尺ばかりの松立てり千代代ここれるこゝちこそすれおきな二葉なる人の小松を今日見ればはこかたの磯にて京にのぼるに一白河の關より內は長閑くて今はこかたの急がるゝ哉みちの國にて子のかくれたるに一二爲爲と思ひおきける墨染は己が衣の色にぞありける言言葉葉葉の葉に云置く露も無り島忍ぐさには音にのみぞなく弱竹の己が此世を知ずしておほし立てつと思ける哉xささ社は人に劣れる我ならめ己が子にさへ後れぬる哉xm嘆ても云ても今はかひなきを蓮の上の玉とだになれ時たゞがむすめ10世に經れば心の外にあくがれて君が立名をよそに社聞けかへし人人のぬ馴のの牧牧の駒なれや立名も更に有じとぞ思ふあづまの方へ下るに美濃國ときの郡にて加加人の侘しきものは草枕雪降る時のこほりなりけり四cal東路に爰をうるまと云ふ〓とは行かふ人のあれば也鳬あすは五日にあるべければユ夏夏の夜の短きともつらからず明日の菖蒲に逢むと思へば秋の月を見るに雁鳴きわたる二月影に待つらむ里もある物を雁の羽風ぞ寒く聞ゆる百首の歌重之帶刀にてはべりし時春宮に歌召しければ春二十首五吉野山峰の白雪いつ消えて今朝は霞の立かはるらむ〓難波江に生出る蘆の程見れば數知らぬ世ぞ思やらるゝ〓昨日迄凍りて見えし山川の今日吹く風に瀧の音するお珍しく今日しも鴨の群居るは池の氷や薄くなるらむ一春春野野に朝立つ雉の羽音は雪の消間に若菜摘めとやA〓春立ちてほどや經ざらむ信樂の山は霞に埋れにけり第一常磐なる峰の松原春來とも霞立ずば知ずぞあらまし五○けけ聞聞ば井出の蛙も騒ぐ也苗代水をたれ任すらむ〓春の日の浦々毎に出て見よ何わざしてか蜑は暮すと風にのみ任せては見じ梅の花折て袂に香をも移さむ孰孰れをか花とも分む春立て散來る雪におも馴にけり鶯のきゐる羽風に散花をのどけく見むと思ひける哉我宿の花の盛になりぬれば道行く人も立ちとまる哉鶯の啼く聲をのみ尋ぬれば春咲く花は我のみぞ見る靑柳の絲を汀に染めかけて春の風にや波もよりける幼くぞ春のみとふと思ひける花の便に見ゆる也けり花桜櫻つもれる庭に風吹けば舟も通はぬ波ぞ立ちける○春の日は行もやられず蛙鳴井出の渡りに駒を留めて〓み絕せぬ井出の山吹影見れば色の深さも增らざり身「夏にこそ咲懸りけれ藤の花松にとのみも思ひける哉夏二十首花の色に染し袂の惜しければ衣替うき今日にも有哉畦夏草は結ぶ計に成にけり野飼し駒やあくがれぬらむ〓ててににあふひと聞けば千早振我ねぎ言の驗有かも夏夏の荻の古枝も萌にけり群居し鳥も空にや有らむ山城の淀のこ草を刈にきて袖濡ぬとは恨むべしやはル卯花の咲るあたりに宿りせじ寝ぬに明ぬと驚かれ島社初聲の聞かまほしさに時鳥夜深くのみも起き明す哉o春春きし山田の苗も生にけり諸手に人は引て植なむ〓身身こそそぼち增らめ梅雨の同空とは思はざらなむ1五五山山射射に出る狩人は己が思ひに身をややくらむささ鹿鹿通通通夏草は我高しとは思はざらなむm旅人のたく火と見ゆる螢こそ露にも消えぬ光也けれ夏刈の玉江の蘆を踏しだき群居る鳥の立つ空ぞなきか夏の夜は音づれもせぬ蟲なれど秋はた空に秋と告覽草の葉も動かぬ庭の照日にも思ふ中には風や吹らむ〓行刷れぬ道の茂さに夏の夜の曉おきは物憂かりけりか空蟬の空しきからは音もせず誰に山路を問て行まし聲聞けば同じ綠りの蟲なれど日暮にこそ蟬も鳴けれ一我手にて夏は經ぬとや思ふらむ扇の風も今は物うき秋風はふきぬと音に聞きしかど盛に見ゆる床夏の花夏草の茂みをわけし君なれど今は心に秋ぞ來にける秋二十首秋秋れど夏の衣も替なくに有し樣にも非ずなり行く五の天水りささりつゝ七夕のかへる袂に波やたつらむ七七ののり風の夜毎に寒くなりにける哉い音もせで思に燃ゆる螢こそ鳴く蟲よりも哀なりけれんおぼつかな越る山路の闇ければ蜩の音に宿をかる哉秋風は昔の人にあらねどもふきくる宵は哀とぞ思ふ○啼く鹿の聲聞く每に秋萩の下葉焦れて物をこそ思へ。待人の影は見えずて秋の夜の月の光ぞ袖にいりぬる。○荻に葉秋風を忘っゝ戀しき人の來るかとぞ思ふ00秋風のふかぬ宵だに有物をいとゞ今宵は人ぞ戀しき〓〓をは知らじと思へど蟲の音に心弱くも成ぬべき哉10秋風は旅の空にも吹ぬらしせこが衣は返すらむやはxo秋の夜の有明の月に拾へ共草葉の露は溜らざりけりt山山の鳥羽のあたりを打過ぎて稻葉の風を思社やれxo白露の奥手の稻を出にけり刈くる風にむべも吹けり加名取河梁瀨の波ぞ騒ぐなる紅葉や最どよりて堰らむ〓秋風に汐滿來れば難波江の葦の穂よりぞ舟も行ける一雲雲のおりゐる山の唐錦重ねて秋のきりぞ立ちける二一風さむみ宿へ歸れは花薄草むらごとにまねく夕ぐれ白白の置きける菊を折つれば袂ぬれつゝ色增りけも冬二十首紅葉ばの殘れる枝におく霜の暫の程を厭ふべしやはモ淺茅生に今朝吹く風は寒く共枯行く人を今は賴まじた水鳥の羽に置霜の寒きをば誰に馴てか消つべかる覽霜の上に今朝降雪の寒ければ重て人をつらしとぞ思ふヘ千早振神のかざせる日影にも解けずも霜の夜結ぶ哉な葦の葉に隱て住し津の國のこやも顯はに冬は來に鳬〓我宿に降來る雪の消えざらば早晩春と待れましやは數知ずかづくとすれど渡つ海の蜑の衣の寒げなる哉降雪にぬれてまだ干ぬ我袖を氷ながらも明しつる哉一冬來れば氷柱に見ゆる石山の氷は堅き物と知らなむ古〓の垣根の雪し高ければ通し跡も見えずぞ有ける11信濃なる淺間の山の怪しきは雪社消れ火やは燃なむた燒人もあらじと思ふ富士の山雪の內より煙こそ立て七今朝見れば蜑の小舟も通ふめり潮滿海は凍らざるらしヘ近近なる安の入江に引網の氷をいをと今朝ぞみえけるた信濃なる否には非ず甲斐が嶺に積れる雪のとけむ程迄○水水の住む池は皆凍りつゝ春立つほども我ぞ苦しき-三年をへて雪降り積る白山の懸れる雲や孰れなるらむ山の上とよそにみしかど白雪は舊ぬる人の身にもきに身三雲積る己が年をば知ずして春をば明日と聞ぞ嬉しき戀十首〓戀しきを慰兼て菅原や伏見に來ても寢られざりけり一思思ややれ我衣手は難波なる葦の裏葉の乾くよぞなき風風をいたみ岩打つ波の己のみ碎けて物を思ふ頃かな〓打解る世社なからめ人知れず結ぶ計に逢ぬ身ぞうきAF松松やや島の磯にあさりせし蜑の袖社かくは濡しかル淀野へとみま草刈りに行人も暮には唯に歸る物かは20そそ原原原原懸橋も誰故にかは我は渡しゝ一筑波山端山茂山繁けれど思ひ入るには障らざりけり四名取川渡て作るを島田をもるに附つゝ夜枯のみする三日波の籬の島に立寄れば海士こそ常に誰ととがむれ雜十首高砂の尾上の松の我ならばよそにてのみは立てらざらまし
10水水上浮浮る風の共に我身も消やしなまし如憂しと思心に我はきにけれど黃昏時は空しからせじ切みさご居る荒磯波や騒ぐらむ鹽燒く煙靡くかた見ゆNa衣川見馴れし人の別るれば袂までこそ波はたちけれ加古は波をりきてふ松山に思ひかれたるはたの無き哉ぎししやや者に立て見渡せばつらしと思し心やは行く一二はは〓潮滿のれば鳰鳥の波の中にぞよるは寢ぬべき三水上に人のみ渡る川なれば心きよくも賴まれぬかな三武隈の塙に立てる松だにも我がごと獨有とやは聞くこれが奧に書きて奉れる身の沈める心なるべし枝分分ぬ春にはあへど埋木は萌も增らで年をふる哉「なにはえで藻鹽のみ燒すまの浦に堪ぬ思を人知るらめやこの歌仕うまつれと仰せごとあるに奉る、渚岡ようちつけに渚の岡の松風を空にも波の立かとぞきく佐保山さま山の柞の紅葉散にけり戀しき人を待とせしまに田子浦我戀は慰めかねつ駿河なる田子の浦波やむ時もなくしかすがの渡ゆゆどきぬくれど止りぬ旅人は唯しかすがの渡也島つくばやまが年をへて君に心をつくま山峯は雲ゐに思ひやるかなしら山菩よりなに降つめる白山の雲ゐの雪は消るまもなしふたご山長き世に君と二兒の山のねはあくとも知ぬ朝霧ぞ立つよしの山行年の越てはすぎぬ芳野山いく萬代の積りなるらむあさかの沼〓花がつみ且見る人の心さへ安積の沼になるぞ侘しきなこその關ななそ世に勿來の關は行かふと人も各ずなのみ也島こと御屏風の繪に紅葉散りたるを見る人々ほほ〓〓〓と有明の月の月影に紅葉吹おろす山颪の風朱雀院のわか宮御もぎの御屏風の繪に梅のはな山里の家にある所三色もかも先我宿の梅をこそ心しれらむ人は見にこめおなじ所雪ふる降雪の下に匂へる梅の花しのびに春の色ぞ見えけるおなじ花折る女を男みる梅梅花の花折袂をも見つる哉香を尋ても訪はむとぞ思ふ初鴈信明集亭子院うせさせ給ひつる御ぶくにて五五年年の春枝にて折し藤の花衣にきむと思ひけむやは又の年御はてにな故里の梢の紅葉散果てゝおのが散々なるがわびしさ村上の御時に國々の名だかき所々を御屏風の繪にかゝせ給ひて、春日野〓春日野の野守と身をも做てしが待らむ春を我物とみむ三熊野ううと〓とも山道しらず尋こし我三熊野に入やしなまし長柄橋な心だに長柄の橋は長らへむ我身に人は譬へざるべく五難波〓〓戀戀は難波の葦の裏なれや波の寄々るそよと聞つゝすま待つ人にいかでつげまし雲の上に仄に聞ゆ初膓の聲たき落ちたる所紅葉の落添りぬる瀧つせは秋の深さぞ底に見えける內裏の御屏風の繪に子の日したる所〓〓行歸り野べに木高き姫小松これも子日の二葉也けり九子日して歸る家路の遙々と行くさき遠く思ほゆる哉天曆八年中宮の七十の賀の御屏風のれうの和歌なぎさの岡のわたつみの渚の岡の花薄まねきぞよする沖つ白なみ芳野山〓芳野山雪には跡も絕にしを霞ぞ春のしるしなりけるおほあらきの森〓時鳥きなくを開ば大荒木の森こそ夏の宿りなるらしうきしまシ憂事も聞えぬ物を浮島は所たがへの名にこそ有けれ磯上年年へへ云云さるゝ石上名をだに變てよを經てしがなふしみの里〓行春に伏見の里と告てしが逢まくほしみ立や止ると高砂かすむ鹿のなかぬ時さへあやなくも聲高砂と聞渡る哉をばすて山秋の夜の曉がだの月みれば姨捨山ぞおもひやらるゝこゆるぎの磯ハ風吹ば玉もりいだす白波のよせすともなき小搖の磯又こと御屏風三月が鶯のなき歸る音を知べにて春の行方を知る由もがな六月〓水上に祓へて流す麻の葉ををりな隱しそせゞの白波〓葦のねの生ふる荒田を打返し下にぞ思ふ心あるらしああきなく思ひこそやれ七夕の稀に逢らむ夜の下紐もみぢの散り殘りたる山の峰に月の入りたる所散ぬべき紅葉の色も月影も山端にこそ止らざりけれP紅紅折折る折も變らでいつのまに降敷ぬらむ峰の白雪14今日を知る雲の衣も宜なれや〓かに見えつ今朝の初霜〓ふふ峰峰山山べの榊葉にゆふかけてこそ暮は歸らめ志賀の山ごえしたる所我だにもけふ珍しく見る山に數多の年も越にける哉山山にに絕て水だに無りせば最ど涙ぞそぼち增ましそそつつ爰爰に暮さむ山の井に戀き人の影やみゆると朱雀院うせさせ給ひける時0悲さの月日に添へて今よりは我身一つに止るべき哉御いみはてゝ人々出でける日。時雨つゝ梢はこゝに移るとも露に後れし秋は忘れじ式部卿宮敦實の出家し給ひける時御とぶらひに小野の宮殿まゐり給へるに御あるじなどあるついでに。嬉しきも哀も深き春なれば別れ難くも見ゆるけふ哉敦慶のみこのむすめ中務に50年ふれば忘やせむと思ふ社逢見ぬよりも我は侘しきかへし。長らへむ命もしらぬ忘れじと思ふ心は身に添りつゝ10うしと思ふ心の越る松山は賴めしかひもなくぞ覺ゆるかへしわ。ととへへど色も變らぬ松山は立とも波の越む物かなをとこto懲ずまに絕るまもなき水莖の泣々書る文にぞ有ける又をとこのかへりてx0千早振かもの葵を祈りつゝかざして君を賴みける哉かへし加千早振かもの葵を懸くるより最ど浮ても思ほゆる哉をとこ信明集
。神代より忌むと云なる梅雨の此方に人を見由もがなかへし一五月雨の此方彼方も逢事はいつも忌とぞ人は云なる又かへし孰こにも思もいらむよと共に忌ぬ絕まの中も何かはをとこ今宵ねて近江へ行とみし夢の悲しと袖にふるは涙かかへし程もなく止ぬる雨に喩るはいかに悲しき涙なるらむ限なく悲しと人を思ふには物思ひます物にぞ有ける梅雨は君にや有けむ子規人しれぬ音をこゝら鳴つるかへし一爭でかは聞咎めつる時鳥人しれずこそ音をば鳴つれをこと人やりに有ぬ事にもあらなくに身も徒に成ぬべき哉かへしを身を捨て思ふと見しに徒に成べき事に喞たれもせむ又をとこ〓僞をたれならはして限なき我信をもうたがはすらむかへし一世の人の同じ心にあらばこそ皆おしなべて僞もせめ又かへし二偶さかに信やすると君ならぬ人してよをも知らせてしがな又三身の上に人の心も知ぬまは事ぞともなきねをのみぞ鳴かへし君だにも事ぞともなき涙をばいかに知てか哀と思はむ又明る迄と思ふ時だにある物を泣々とくも歸るべき哉かへし我思ふ心もまだき歸るまも深くは非ぬ中にぞ有けるけけののに否ともう共云果よ人賴めなる事なせられそかへし今と云て假の心も見べきをかひ無き人に賴めつる哉又たかくなむと人しるらめや行道も心留めて思ほゆる哉かへし〓行道も止らば止れ知とてもやるべき事の心ならねば又「早く此上の十日も過なゝむ廿日にてだに晦日也やとかへし廿日にて卅日ならむとも思えず後やよそかにならむと思へば又一涙とも雨とも分ず大方に我はふるとぞ人はみるらむかへし涙とも知ぬ先よりむべ社は常より疾も詠められけれ又かへし15知知ども同じ心に詠めける事ばかりをぞ哀とはきく又た契けむ日をも過ぐさじ七夕に我ごと斯や思ざりけむかへし七七夕の契けむ日は過す共譬ふべしやは事もゆゝしく又かへしえゆゝしとも思はざり身七夕は忘れぬ中の有ま欲さに又如數ならぬ心の內にいとゞしく空さへ許す頃の侘しさ0我我社社社に見苦しく思しか人はいかなる心なるらむ又かへし一逢もみず〓とをば云む方もなし誰がつけ初し病なるらむニかひもなき君によりつゝ碎くれば心も無も成ぬべき哉친又一受き增る我身も知でよそにのみ聞し昔に返してしがな信明集賴むる事なくばしぬべしといひたる返事に女徒に度々毎にしぬといへば逢には何を替むとすらむかへししし〓〓〓〓聞聞だだも逢みねば命をいつの爲に殘さむはじめてのつとめてかへりたる、女如儚くて同じ心になりにしを思ふが如く思ふらむやはかへし七尾しさを同じ心ときくからに我身を捨て君ぞ悲しきちかづきて、をとこAX終夜風も涼しく吹く頃は心ことにてまたじとやする又加波高く松の懸れるよにや有む賴めて行ぞ靡かずと云かへしof未の松昔よりまつ君を置て波高く共こさじとぞ思ふ鏡かりてかへすとてしきのしたにかきつく、男ニ曉の別はをしの鏡かもおもかげにのみ人のみゆらむ人のゆるさぬ中にやありけむ、をとこユニ染て思ふ色は深きを口なしの云れぬ色と人や見らむいきたるにあはねば可惜よの月と花とを同くば哀しれらむ人にみせばやかへし君ならで誰にかみせむ梅花色をもかをも知人ぞしる內へいそぎまゐりたるつとめて、女五いいぎぎけむ心の中をしらぬ哉もし百敷に床や定むるかへしあるべしとか又女有しよりつらき處も勝らなむかひ無よりは堪て巳なむ五山里にあるに女もさてあるに〓〓ごと〓人も云ふも山里は心細さぞ住うかりけるおなじ女のぶくなるころ絕えまがちなるをうらみてえなき人もあるがつらきを思ふにも色分れぬは涙也島同じ頃いきて叩くにあけねば、をとこ五東東雲の明けざりしかば終夜槇のとよりぞ立歸りにしかへし夏の夜も槇の板戶も徒にあけてくやしく思ほゆる哉絕えてのちきゝたるに鏡をいだしたれば、男スあけはみじ影珍しき增鏡蓋よりみよりねこそ泣るれかへし心から見ざりし影は增鏡みよりなく共今はかひなしおなじころ、女思思を心もよゝも後れめる野にも山にも行とみえつゝかへし世と共に惑ふ心や人めには野にも山にも行と見ゆ覽こと人に通ふときゝて、をとこ年年をへて我こそ下に住の江の松をば人の上と聞つゝかへし心にに非で浮世に住の江の年ふる松ぞみぬは苦しき女小野の宮に參りてさぶらふを聞きつけてさぶらひにゐて月のあかき夜人していひやるが戀しさは同じ心に非ずとも今宵の月を君みざらめやかへしさやかにも見るべき物を我は唯淚に曇る折ぞ多かる行平が三の君をたえたるころ、女〓つつもも此世はへなむ渡り川後の淵瀨と誰に問ましかへし。此世をばおひも擔ぎて渡してむ後は始の人を尋ねよ閑院のおほい君いと重く煩らひて怠れる頃いかであはむなどいひておこせたる『辛くして惜つとめたる命もて逢事をさへやまむとやするかへしニ諸共にいざとは云でしでの山爭でか獨越むとはせし七信明集
さてきたるにえあふまじきやうありてかへりてつとめてヒ〓暁になくゆふつけの我聲に劣らぬ音をぞ鳴て歸りし七かへし〓曉のね覺の耳にきゝしかば鳥より外の聲はせざりき七人の文をえてかくせば女の怨むれば文のうらにかきて見する此はかく怨み所もなき物を後めたくは思はざらなむ女のもとにやる秋とだに思ざりせば人しれず時雨る事を何に〓まし七七せいひ初めぬ程は中々ありにしを靜心なき昨日けふ哉返事にかみをつゝみておこせたればAN割なくて止やしなむと侘つるに助る神をみるが嬉さんまだ知ず惑ふ心に最どしく覺束なきは侘しかりけり返り事にみゝずがきをしておこせたれば〓〓しきに戀に惑へる心には其ととしもみえずぞ有ける〓程もなく消ぬべきよに白露のつらかりきとな思置れそ〓音無の山より出る水なれやおぼつかなくも流行く哉〓中々に覺束なさの夢ならば逢はする人も有もしなまし四八人しれぬ思をすれば秋萩の下葉焦るゝ物にぞ有ける〓露は置ど我をる宿の萩がえは斯こそ秋を知ず顏なれたいふの君といふ人にいひやるか思事ありて久しく成ぬとはきくか聞ぬか知て知ぬか右大辨なくなり給ひて人々いみにこもりてあるほどにももををみみ思ふねざめの枕には淚かゝらぬ曉ぞなきおとうとの許に久しくあはぬころ〓手荒びに火桶のおきや割りてけむ戀しき人に逢ぬ頃哉五月のせちにやあらむ題たしかにしらずか限なく思へる駒に較ぶれば身にそふ影は後れざり身さくらの花をみて0年毎のなをだに變へば世の常の櫻とのみは云ず有ましそでといふ女使ひたる人に其の女につけていふ一人しれぬ我物思の涙をば袖に附けてそみす可りける二三日ばかりあはぬ女に思きや相みぬ程をいつなりと數ふ計にならむ物とは堀川のおとゞの宮の權大夫ときこえし時みちのくによりきこゆるミ明明れれ籬籬島島眺眺めつゝ都戀しきねをのみぞなく大別松といふ人の出家したるをいひやるいかにして君が心ぞたちつらむ小松の山の墨染の雲しれたりといはれたる人の牛のしりにたちてはしりけるを見て人々のかれを題にて歌よまむといひければ荒牛のしたしの浦の床しさに取てみつれば彈れに島はせをば、長谷寺やけたりときくところx世世の賴み所にせし物をはせをば斯や燒かむと思し中務に忍びて物いふよ時鳥のなくをきゝて〓今宵社しでの田長も聞つらめ今は五月の空に知れむかへし、女A時時聞渡るとも五月雨に空ごとにだに人のなさなむか知るや君知ずばいかにつらからむ我斯計り思ふ心を0みるめ故蜑ににたれど女郞花けふは我にぞ潜き劣れる御障子のゑに深き山に鶯の聲をきく人あり。鶯のなくねをきけば山深み我より先に春はきにけり以ニ相傳之本一書寫校合了消字等如本也建長元年八月日藤原朝臣在判信明集元眞集大大に花ともみえて散雪の雲の上にて尋ねてしがな雪みる所十二月つごもり徒に過る月日はおほけれど今日しも積る年を社思へ同じ十二月春宮女御藤壺の御局にてちゝの御五十賀うちにせさせ給ひしにその御屏風さうじにて奉る初の春男女かた岡の水のほとりにて遊ぶヘ子日する山田の水の影しあれば千年の松は-影こえ鳬梅の花ある所に人あそぶル山ににするよりは梅の花匂の宿につきずも有かな松に藤のかゝれる所〓春深み咲きて匂へる藤の花松ぞ千年の宿りなりける人の家の花橋にほとゝぎすなく一よになれぬたゞ一聲も時鳥はな橘にかくれてぞなく瀧あるところ山高み落ちくる瀧の白糸は空に亂るゝ玉かとぞみる池のほとりに鶴たてり葦たづの千代の影すむ池水は波立てれ共長閑かり身おなじ題〓水底に沈める千代の影をみて池の葦たづ長閑かり身頭しろき翁ある所に雪ふる1年年き色としみれば白雪のふるにも己が上を社思へ人の家に竹あるとろだ窓近き常磐のかげは吳竹のよをへて深き綠なりけりおなじうちのみさうじの繪に女宮のつけさせ給うける女稻荷にまうでたる所七千早振神の社にいのりくる道の程さへ面馴れにけり吉野川にくれくだす所〓吉野川おろす筏のをりごとに思ひもよらず波の心を廣澤の池のほとりに女どもねぬなはくるた〓澤のいけのねぬなはくりよする朱雀院の御屏風に、正月一日。〇荒玉の年を送りて降雪に春とも見えで今日の暮ぬる中春池のほとりに山吹櫻さけり女すだれをあげて見けり0我我の八重山吹はちりぬべし花の盛を人の見にこぬ櫻の花のもとに人々あそぶ0春風も今年ばかりは櫻春人のこゝろに任せたらなむ田うゑのころ0淺綠野べの荒田を打返しせなかに秋を待ちや暮さむ暮の春池のほとりに藤の花さける所に人々遊ぶ加岸近き松に懸れる藤の花波さへをりて返るめるかな同じ花さけるわたりto藤の花咲る渡りをこぐ舟のよそにて波は思ひ懸なむxo水のわのをりゐる毎に亂らざり池の葦鶴立ぬなるべしはじめの夏ほとゝぎす00待つ人はあまたありとも立とまり山郭公二聲となけ中夏、五月五日。ななべてすさめぬ澤の菖蒲草けふに逢ずば猶や刈まし七月七日一一年に一夜はこめて七夕の朝は今宵の月日ならぬか初雁をきゝて初雁を送るなりけりふき風の雲ゐ遙に吹てすぐるは中秋十五夜一白露のおける草葉に浮ばずは今宵の月を晝と社みめ田かる所此題相違歌落歟不審秋の田曜を立出てみれば足引の山の錦に劣ざりけり初の冬網代の上におきなをり1我宿に有べき物を此度の網代によりてひをもふる哉元眞集
相模の足柄の關に旅人ゆくor足柄の山に繁れる玉小菅行かふ駒ちすさめざりけりいではのやそしまに舟に乘りて人あそぶ一八十島の浦の渚に數へつゝ止れる年も許多へぬべしみちの國の安積の沼のほとりに京よりくだれる人たちとまれり一音にきく安積の沼の朝ぼらけ絕ぬ煙は名のみ也けり屏風の繪に柳〓ほかる人の家にかすかにてあり一青柳の糸によりくる年をへて浮世背けば跡も立ける旅人道ゆく櫻の花ちるロいつしかと行故里の櫻花我だにみての後にちらなむおなじ題行行くてだに爭でとくみむ我宿の櫻はけふの風に殘らじ郭公た時鳥こぞの初聲飽ざりし人のきくがに先もなかなむ櫻咲きたる家に女見いだしたり〓我宿に咲にし日より櫻花かくこそはみめ他ずも有哉また〓人我宿の櫻は風に散はてぬあすこむ人や悔しと思はむ山里に梅さける家に男まらうど馬よりおりて立てり知知人もなき山里の梅の花匂ふ日よりそきても尋ぬる卯月のついたちにいまだよそなる女に00けふよりは偖も過なむ夏衣みるより薄き心とやみむかへしッ懸てだに云社うけれ夏衣あるより增む薄さと思へばをとこ一ででるる程に暮たる唐衣けふは身さへも流るべき哉かへし三大大に降てぬるとも濡衣をほしても侘ぶる頃の詠かをとこうう高高高島空空をるおとにたへてや夏を過さむ五月五日おなじ人HO蒲蒲艸ねも心みで逢事をいつかと待しけふは暮しつかへし加待きけるけふ過ぬれば菖蒲艸今は五月も非じとぞ思さてのあしたに、をとこ如いだにねず成にし物を逢事の夢かとのみも思ほゆる哉四えあはでかへりて、男AD寢覺にて夜は明ぬとも杜鵑こと語らはむ一聲もせずかへしが怪しさにねざめて聞けば子規など古〓に聲も聞えぬ小野の宮の御ものいみにさま〓〓語らひしごたちに女郞花につけてof移ろはむ程だにみえむ女郎花心長閑に露はおかなむ同じ年前栽合に神無月を題にてニ神神月時雨る空の紅葉をば秋をたむくる幣と散ける過ぎにし秋ををしむ二二家立て別し日より時雨つゝ過にし秋ぞ悲しかりけるもみぢを惜む"秋霧の立ぬさきにもさほ山の紅葉の錦殘らざりけり神無月といふ心を〓散散て木葉も空に殘らぬを神無月とは云にぞ有ける又五雁雁は霜と共にやおきてくる時雨る空に鳴聲のする菊の花を惜む六年深き色としりせば初霜の殘しおきけむ白菊のはな二條の式部卿の御おとゞの六十の賀北の方のし給ふ御屏風の歌松原のあひだにみな渚にいでゝ人あり五日日ふふど松の濱べに有舟の千年をみむと出ぬなるべし田舍の家の前に川ありそれに河龜ながる元其集な河龜も今萬代はもろともに波の底にてすみぞ渡らむ大將殿の女御のなでしこ合せにな百數に移し植ずて常夏によをへて絕ぬ色を見るべき山がつの垣ねを狹み生初めて色ともみゆや瞿麥の花天德三年九月十六日庚申に中宮の女房歌合せむといふによめる、庚申一難波潟こげど小舟は葦わかのえざる程社久かりけれ花すゝき一月影にほのかに見ゆる花ずゝき風の便に結びつる哉萩〓高砂の尾上の萩を折つれば鹿の立どや疎くなるらむ女郞花女郎花野べの故里思ひつゝ宿りし蟲の聲やこひしききり〓〓す武露むすぶ秋はてがたの養草のねごとに寒くこそ鳴け日ぐらし秋風の萩の下葉に吹亂る空にみちぬる日ぐらしの聲松むし松蟲の絕ずなくなる女郞花千年の秋はたのもしき哉同じ八月二十三日女御の前栽あはせのむしのうた人人しれず秋のくれぬる女郞花蟲のねよりも尋つる哉荻荻の葉に風の涼しき秋まてば暮に怪しき物を社思へ蘭。武武野の草のゆかりに藤袴わか紫にそへてにほへるなでしこ七露結ぶ風は吹どもとこなつの花の盛にみゆる秋かな-菊の花二七所より植るも著く菊の花移ろふ色をけさはまたなむ紅葉『立田山ふかき紅葉も君こすば夜の錦と猶ぞくれまし同じ年二月三日うちの御歌合にかた〓〓のをよめる、霞吉野山霞たちぬるけふよりや朝の原に若菜つむらむ右方同じ題〓春霞立や込つる小倉山ほとりのかひに雪も見えぬは左方今朝よりは霞山邊に立昇り三輪の故里仄かにぞみるおなじ冬乍らけふばかりにや春霞たなひく空の〓とに見ゆ覽人のれう、鶯〓春きぬと待らむ顏に鶯の木高き枝にふりでつゝ鳴く又右のれう〓春は猶をしみつゝ鳴く爲の聲に雲居も匂ふべらなり左、柳の淺綠みだれてなびく靑柳の色にぞ春の風はみえける又左〓〓柳柳〓〓〓〓〓〓まし風のくるにも亂ざるべくまた、櫻ニ咲咲咲ずつげよ吉野の山櫻霞晴なばよそにてもみむ左118よよ共に散ずもあらなむ櫻花飽ぬ心はいつか絕べき右、山ぶき〓散迄も賴もしき哉山吹の八重を盡さむ程もありやと同じ方に花盛八重山吹を折つれば井手の蛙のねにやなくらむ左、藤諸諸共にちよは盡なむ藤の花松に懸らぬ春しなければ右常磐なる松に懸れる藤波の花だにちるな春の名殘に左、くれの春元真集
ああだだも暮べき春にあらば社心長閑にけふを惜まめか咲にけり我山里の卯色は垣根にきえぬ雪とみるまで右、卯花右〓白妙にさける卯花闇ならば月とやみまし妹が垣ねは人のれうに、時鳥一初聲のよはに聞ゆる時鳥わがごと人も待ちやしつ覽左のれう夏夏の夜の短きよりも時鳥まだ二聲となかで行くらむ同じ方のれうに、夏草夏夏の繁きに跡もみえぬ哉野中ふる道孰れともなく右夏草はしげりにけりな玉鉾の道行人の結ぶばかりに同じ方のれう、戀一戀戀ささ忘忘れぬべき物ならば何しか活る身とも恨みむ右か君戀てあふとみる夜の曉は夢に嬉しきかひ無りけり九同じれう〓胸胸の絕す燃るを忍ぶ哉人にいふべき中にし非ねば右Ar君のふと且は消つゝふる程を斯ても活る身とや見らむn打打ていをだにねゝば逢事の夢路をさへぞ隔果つる〓戀〓て堪ぬ涙の洩れければ遂に水屑となをや流さむ夏山の繁き思はふりはへてしげらぬ程に道迷ひけり00夢にだに逢とみる夜の曉は落る淚のかげ添はりけり春筑紫にて歌よみあまたしてよむに天つつみちといふ所を十二にて。須磨の蜑の包て底を潜かねば深き玉藻も見えぬ也島つく〓〓しを十三にて°Cかかる空に漕つく筑紫船孰こか今日の泊なるらむ唐くだ物おなじ題10小搖ぎの渚に風の吹しからくだも殘さず波もよせ島お跡絕て行もかへるも年をへて人のこえふる相坂の關五葉うへとの濱to大島の鳴門の浦の漕ぎ難さ上との濱も斯くや有らむすゞむしNo飛鳥川岸や崩れて打濁すすむ白波のせゞにみえぬはかみ山木のはたを分ても白露はをかし〓〓のまっもみつ覽らに人知らでたちきる山の唐錦小倉の山の紅葉なりけりりうたう一思きや萩の下葉の露計りうたうまひせきに移はむとはおほみつ一分分のを舟に乘て障り多みつきに逢見ぬ戀もする哉十一にて梅花に雪のかゝれるを見て匂をぞわくべかりける梅枝に花紛はしてふれる白雪若菜君が爲若菜摘つゝちよはへむ珍げなく野べはみる共又七百.山麓の雪は消えにけり衣かたしき若菜つむなり梅化春露立つ片岡の梅の花にほはざりせば誰か知らまし紅梅白妙に匂ふもあかぬ梅の花紅ふかきいろさへぞ見るある所にて雨のうちの紅梅をしみて文作り人々歌よむにヘ紅の梅の花がさ雨もよにけふを惜まず花をみださじ同じ年はじめの所の紅梅を殿上人所の衆などして惜むル梅の花紅ふかき春のよの色をもかをもてらす月かげ春藏人どころにかれこれうこのうまばにて櫻を560八八二〇二元眞集惜む〓櫻花散で千世をもみてしがな他む心は偖もありやと人のさうじの繪に山里に櫻のはな咲けるに道行く人のいひいるゝ一風のみ吹く山里の櫻花いとゞのどけき程はみえじな梅の宮にて櫻の花を惜む風にのみおほせつれ共櫻花けふは心と散果てぬべしある女の許にて櫻を借む一一せせに一年ながら散ず共いつか櫻の花にあくべき又おなじ春風の吹くたびごとに櫻花心のどかにみる程ぞなき人々別るゝ所にて櫻花ちる惜めどもとまらぬ君を櫻花別るゝ道のみえぬちれ四月一日人のもとに時鳥待つ我にまづ鳴て聞かせよ時鳥まだよに馴れぬ頃の一聲同じ七よよててづづも鳴なむ時鳥みの憂事も傳へまはほし八月十五夜くら人所にて八月の心をあはれがりて立ち出でゝ行くに麗景殿み曹子のごだち花薄を折りてたて部よりさし出したり白白のおくより招く花薄結ばぬさきにまづぞ亂るゝかへしたなべて人結ばぬさきの花薄風にのみ社亂るべらなれ又、をとこ〇三定めなく招く尾花の花薄ほに出る秋ははからるゝ哉又、女郞花一 宿宿に植てだに見む女郞花人はしたなる秋の野よりは秋の野にいでゝ遊ぶ三なべて咲花の中にも女郞花多かる野べは過うかり島嵯峨の前栽ほる百數に移し植うとも女郞花我が尋ね來し心わするなおなじ野にて人にいひかくEEめにつくは少かり皇女郞花許多多かるさが野なれ共女郞花のはなもてきて人の植うるにTOののから絶郞花いとゞ物思ふ宿植つるとき〓〓通ふ人のもとに女郞花の花うゑ程へて女郎花植て後なりいかなれば露の心もおきてなる覽山里のをみなへし嵐ふく深山里なる女郞花うしろめたくて歸るけふ哉物いふ人にこと人かよふと聞きていきたるに女郞花を折りていだしたるに一人女郎花なべて草葉に置露の秋はて方に見ゆる頃かなごぜッの前栽ほるとて如女郎花許多見捨てゝ過行かばさがの心と思ふべき哉その野より歸りたるにあるさうじのごだち物いひかくるに0百數に移して植る女郞花心おごりのいかゞせざらむ萩の花人にやるとてさを鹿のねに鳴初むる秋萩を折てぞみゆる人の心は或人の許に行きたるに萩を折りてさし出したり秋秋の色づく儘に鳴く鹿の聲をばよその物ときヽ島人の家に萩植ゑたるみて一妻戀る鹿の涙もかゝらじを今さへかゝる萩の上の露人どもの遊ぶ所萩の花あり秋きても程はへぬれど此暮に驚くばかり風は吹ぬる六月十餘日秋のせちに入る1今今より荻の葉風の音すらし秋の境にいりや立らむ七月七日加一年に今宵計りぞ天の川戀つゝ渡るせをすごしてよ同じ題を加天川今はみなせに成なゝむけふ彥星の舟路こぐべく·同じ秋を元眞集
AN大大に吹く秋風も心あらば物思ふ宿の〓の葉はよけ七月七日秋の夜の蟲といふ心をx名 におふ草の枕に思ふらむ鳴く聲絕ぬ秋の夜の蟲七月山寺に參るついでに野べの草村の露をみるof秋の野をけさきて見れば蘭わがぬぎ懸し露も拂はず紅葉を遠くみやる宮の御屏風の繪に「秋霧はたちかくせども足引の山の錦は玉にみがけりおなじ題ニー龍田山峰の糺葉もみるべきに霧たちこむる秋の空哉波近き由の紅葉さかりなる所を人の馬にのりて行く"足引の山の錦を惜むとて波さへけふは立ぬなるべし十二なりけるとし九月によめる花薄招く袂は許多あれど秋はとまらぬ物にざりける武藏守ひでしげが鶴のかたとうかいあぜち殿に奉れり其の使に白銀の龜の箱に藥納めてそれに14今年より君に千年を讓るをぞとうかいだうに求出たるかへし六年千るふの鶴の有けむ方にやは今日萬代の龜をすませむ同じ殿の北の方はぐろめすみを舟につみてすみうきよしある所にセををりはへて君が薪に漕舟は住江にこそ程はへにけれ親のしもつふさになりて下るに兄の近江守の打出の濱にてよめるAP諸共に打いでの濱に立つ波の返らむ程を思ひ社やれかへしねよよ人の打のの出とのふ〓とは淚のさきに立名なり島さて尾張より歸りて藏人所に〓したる夜もの哀れにてこれかれ秋の夜の雨といふことをよむに東路へ行く旅人を別れにて思ひこそやれ秋の夜の雨[きちかう]一白露のおける草葉に風涼し曉ちかくなりやしぬらむくさの香一白露のいかに染れば草のかう置度每に色のますらむほそをとこ〓ののを打返しつゝ堀立つるほそをとこみと思ける哉たゞの戀四六霜氷心もとけぬ冬の池によふけてぞ鳴くをしの一聲ある所の前栽合に白雲のはるけき峰の姫小松君が千年の影とこ〓みれ志賀の山越に紅葉のかげに鹿太瓜生山紅葉の中に鳴く鹿の聲は深くも聞えけるかな宇治の網代にて、紅葉の流るゝ川はむば玉の夜ぞ網代の色はみえける秋くれば移ふ色のこきからに萩の下葉見ぞ露けき秋の野は唐紅になりに島鹿のふりでゝ鳴初めしより〓靡くとも賴みける哉花薄風にのみこそ任せたりけれ七「さを鹿の音に鳴そむる秋萩を折てぞみゆる人の心は人の許に女郞花植ゑて〓我宿に移し植つる女郞花秋の野風はあたりしもせじ宇治のあじろにて「水上に紅葉散るらしうぢ川のせゞさへ深く成增る也人のもとへやる花薄風に亂るゝ夕暮ぞあしかりけりと思ひしらるゝ七此いつとなく時雨の空に秋くれば物思添る事ぞ多かる六月に萩の下葉をみて先だだちて萩の下葉も色附ぬ後れて秋はいづく迄きぬ朱雀院の御屏風にはらへする所に大弊をはらへよるとも此川の神はしるらむ深き心は三宮にこちまき奉るとてNH五月待つ程は澤水增りつゝ淀の眞菰もおひにける哉〓木隱れて五月まつまの時鳥忍びてなけど聲盡ぬべし八四三〇二元眞和歌合に卵花の影にかくれてけふまでぞ山郭公聲もをしまむ〓今よりは聲な惜みそ時鳥五月待つまの程ぞあるらし和歌所にて櫻花をしむに年の老ぬれば恨みすぎし折ぞ多かる三の宮の御息所子日若菜を奉る小松あり〓片岡の子日の小松を雪まより心殊にもけふぞ引つるまたA〓立立べべ若若ををふふよりぞ松の便に千代は積べき同じ殿の北の方おとゞに若菜まゐり給ふ〓淺綠野べの栓引く子日し摘る若菜は千世添はるべき〔子日承香殿女御〕か君引で子日の野べの老ぬるを何を待つとか世をは盡さむ人の子うみたる七夜にい兼てより千年の影ぞ思はゆるまだ二葉なる今年生の松おなじ心を〓雲居にも今ぞまつらむ蘆べなる聲振立つる鶴の雛鳥冬の夜のながきを送るほどにしも曉がたの鶴の一聲物へ行く人にこうちきぬはでやる〓此度はえだに縫敢ず唐衣たつにとまらぬ涙ならぬに一年年の春の別をあはとも人に後るゝ人ぞしりける物へ行く人にきぬとらすとてニー別別の草葉の露も拂へとてやがて乾かぬ衣をぞやる九同じくはきぬに心も類へてむ涙の止る物ならなくに九道道は拂ふはかりの唐衣かけてもうすき心とな見そ九みぞきつゝ別るゝ方の川波に立返りけむ程を社思へ袖の上にうべ白露ぞ懸りける別るゝ道の草の綠りにし別別れては思出よと朝ぼらけ露けながらもぬるゝ衣ぞいかなればっげでも人の別けむ深き心を後れざりけるその所にて人の別をしむなよそにても君忘れめや百年のおのが樣々をしむ別を0惜まねど我身のいける程は猶思ひも知ず長らふる哉はらからの身の沈むよしよめりけるに。君をだに浮べてしがな涙川沈む中にも淵瀨ありやと服にて親のむかへてかへるにはやう川を渡るとて。〇音にきく淵せの川を立返り悲しき瀨をも渡りぬる哉正月六日鶯のはつねを聞きてはらからにco爲の初音ばかりぞ聞ゆなる春の到らぬところ〓〓に〓大磁の浦に漕よする白波の打みて歸る程はまさらじ忘れたる女の家に雨宿りしてゐたるを今はこゝにかといひたり10古里は雲ゐの外に飛腫をよそなる人は歸るとやみむお。事事もまだ白雲の山のはに懸るやつらき心なるらむto深山木のこりやしぬ覽と思ふまに最ど思の燃增る哉00君により幾ら許りか落ぬらむ盡ぬは人の涙なりけりx0はかもなき跡と見乍嬉しきはいくら計の涙出らむ○煙とぞ憂世の事は成ぬき空に分るゝ我名とならば神無月時雨に添ひて紅葉の降もかひ無物にざりける春風になびく柳のいとよわみ心細くてたゆる君かな一事事を空に知せば白雲のかひなき山に懸らましやは秋野の草葉をみれば押なべて憂身の程に置る白露一点貝よせもやすると住吉の岸うつ波を數へつるかなな思遣る夢路變らぬ物ならば覺束なしと君もまちみむ←いひしらぬ思ひぞ鄙の東雲に己が衣ぞ露けかりける祓へしたる女をみて入御禊し夏越のよゝり人知ず賴み渡ると人は知ずやをしの聲絕ず鳴つる初霜に心をさへもぉかせつる哉下紅葉散り來る秋の風毎にしぐれぬ先も袖ぞ露けき忘れ貝拾ふ計に住吉のうらみてわたる程はへにけり花盛すぎもこそすれ女郞花匂ひて風にまづ靡かなむ三吹く風に靡く物かは女郞花露の心もおかせざらなむ元眞集
消消べき露の我身も言の葉に懸れば止る程ぞ悲しき忘られぬ心を君にとゞめてむ今は限に思ふなるらむた煙とも雲とも遂に成のべし難而き人はよそに社みめ思ふ事云でやみなば山城のとはに苦きみとや成なむ〓斯社は逢見る事の難からめ覺束なさは如何にせよとぞ加唐衣絞る計りになりにけり涙も雨も降りてきゆれば人しれずふりかゝれども唐衣涙にのみぞ顯れぬべき末の山待人をのみ賴みつゝ我をば波に思ふなるべしよにもにず物思ふからに苦きは己が心のしわざ也身世のうさも人のつらさも忍ぶるに戀しきに社思〓ぬれ伊勢海の蜑の濡衣きぬ人は我なと思へば殘らざり島忘るやと暫しばかりも忍ぶるに心よわきは涙也けりた最どしく物思ふ事の增る哉いつ我戀のやまむと一覽七三戀侘てみの徒に成ぬとも忘るな我によりてとならば心にに命命はぬ世也けり斯てもいける我身と思へばだけさ社は別てきつれいつのまに覺束なくは思ふなる覽9逢見ぬに死べき物と知ぬれば心をさへぞ殺し果つる逢てもちゞに碎くる魂の覺東なさし思ひおこせよ一風吹けば箱根の山の玉こすげ靡きて我に心とゞめよ三大井川井堰の外になる瀧は己が上こそ悲しかりけれ云知らぬ思のみ社勝りけれ行先いかでまして惑む住吉の怨つべくぞ思ほゆる潮の干る間も今は無れば加沢川えもせき敢すなりぬれば今は限と思ふなるべしtum雨れれ常常りまさる澤水と聞しは君が涙なりけりxb心をも且は割なしと思哉いつのまにかは燃返る哉雲がくれ過行く月の夜もすがら朧げにては歸る心か(夏衣うすき袂_立かゝる淚はしばしとまらざりけりこりすまに猶も歸るか玉鉾の道行く末にみゆる物哉心をぞ習はし物と云なれど片時のまもえやは忘るゝゴ恨みてもかひ無物と知ぬれば生てかひなき我身也鳬町作吉岸によすなる忘貝せめて戀しきけふぞ求むる夏夏最最淚涙そそちちゝおぼしき事もいはできに島な戀戀いいととももへの頃なれば云し昔は長閑かり島白雲の知ぬ山ぢに隱れなむかゝる浮世の處せき身にAl我我がが割割き事はしられ島今宵計は長閑かれかし〓音にのみ聞き渡りつる衣川たもとにかゝる心也げりいなりにまうでたるに瀧のもとにをんな手あらふcc稻稻山山下水を掬ひ上て君さへかげにならべつる哉かへしメ川川の流るゝ水の早ければむすぶ計のかげも留めじ又かへし飽ずして別るゝ今日に掬ぶ手の雫ならねど濁ざり梟賀茂にて人に瑞瑞のよそに見るともゆふ襷かけても我を思忘るな本線附の鳥に附ても忘じを悲しなをや君は殘さぬ五六雲まより遙にみゆる白雲の山ぢを爭で越てきつらむ〓今はとて別るゝ袖の涙こそ雲の上より落つるしら波山高み嶺の白雲ふりはへて歸ると思へば物うかり鳬君君ふふ我流流れていはるべき淚ノ川に浮沈みつゝいせの海になごりを高み侘る蜑も物思事はえしも增らじoいいななむむ思思心の疑に恨て且はゆゝしかりけりむすめは京にて親は人の國にあるに七めに近くつらきに感ふ魂をいしゞ遙に賴めつるかな朝ぽらけ歸るまもなく降雪に道の行方も惑ひぬる哉人の國なる女に里遠みいかにせよとか斯のみは暫も見ねば戀しかる覽行先に思ひしりなむ秋霧の暫しも見ぬに惑ふ物とは常常りも物思ふ人の增る哉うべもいひけり秋の夕暮七およそにても靡かざらめや人知ず心を春の風に附ればわび果ぬ今は限の身也けり生て歸らむとぞゆヽしき憂しとても且は消なでふる程に我身は雪に劣ざり島四二二元眞集七よもすがら落かゝりつる草枕涙も懸る旅もありけりaよよ常常思思なずず我我戀を君には爭で殊にしらせむ〓限なく賴むにのみや難面さとほに出てのみ且は苦き、思つゝへぬる月日の程よりも忍兼つる我にやは非ぬ風吹けば入江に騷ぐ蘆鴨の賴むかたなくなりも行哉みみせせ川流れてとまる水莖のみえぬ絕まは涙也けり私初雪に隱れてみえぬ跡よりも覺束なくて程もふる哉〓〓水の山郭公開きつれば我がふる里の聲にかはらぬいえぞ言ぬ我は蘆べのたづなれや知人なしに濡て年ふる秋秋の晴ぬ思にまどはれて雁の羽風におどろかす哉九八ハそめぬ程ばかりこそ池水の深き心も包みこめつれ〓蟲のねの數ぞ勝らむ同じくは君が籬の露にだになけ一小蟹のいかにせよとか我戀の賴しげなき空に忍ぶるニ君君て露の命のきえ返る程をだになど待ずきえぬるシ住住の岸の白波袖ひぢて今はいふかひなくぞ成ぬる云放つ君にし逢ば大澤の生けるかひなき身をぞ恨むるれいひそめし池の水莖絕ハども深き心は忘れざりけり今ぞしる馴ての後もから衣袖に涙のかゝりけりとはい君こふ〓夢の魂行き返り夢ぢをだにも我にをしへよんゆふつけの鳥の九一聲明ぬれば飽ぬ別に我ぞなきぬる藻藻〓〓〓〓〓、にのみ燃つゝ辛き我にやは非ぬみをぅみに同じ涙は懸らじを盡きず袂に落にける哉中絕て許多の年に成ぬれば今はかひなし身をぞ恨る戀しなば今宵もあすも知ぬ身をいける程だに心留めよ淚川みもうく計り流るれど消えぬは人の思なりけり〓疑に猶も賴むか伊勢の海のあまの栲繩くり返しつゝ玉常陸なるいかこの崎の忘貝拾ふかひなき物にも有哉50飛鳥川人賴めなる世也けり渡りそめけむ我ぞ悔しきco同くば我身も露と成なゝむ消なばつらき言のはもみじxのみのうさに思明石の浦風に蜑の歎きはいつか絕べきn住住の戀忘草たね絕えてなきよにあへる我ぞ侘しき〓惑ひつゝ幾世へぬ覽鳥のみえし山ぢの猶も遙けきいつかわれ涙の絕えむ唐ごろも君が心のつらき限は侘ぬれば曉かけて歸りたる鴫のはねがき我ぞ數かく思ひつゝ獨ぬるよの唐衣夢ぢにさへも露はおかじを三輪の山印の杉も枯果て無き世に我ぞきて尋ねつるなな人人ゆゆけけ方方尋ぬ共此世の事は行て〓へむたいせの海の蜑の釣舟春風になごりを高み何か侘らむ一霞たつ三輪の山本人知れず春の歎きを我につまする雪雪ば先ぞ悲しき三輪の山印の杉もみえじと思へば朝ばらけおき行露は消ぬべし早晩くれと賴みける哉2君こふる淚にぬるゝから衣かへす程なく我ぞ悲しき久しくこずとてふすべて出でぬ人に一こむらさき君が結びし元結の塵打拂ふ程までやこの君こずば我も歸らむ神無月時雨にさへや濡て歸らむ假初の心くらべにあふ事の命も知らぬことは知ずや又人に一つらさのみ增り行く哉思ひやる夢の魂いかに行らむ草草わかみ植で別れし女郞花わがみぬ程に枯にける哉君だにも我だに淺く成はてば思はぬ山に入ぬ計りぞに獨寢の侘しき旅の草枕くさのゆかりに訪ふ人もなし君君ふ思思心の便にも今はおろかになりぬべき哉た夢にても逢と見えなむ戀渡る淚の川は淵せありやと白玉か露かと問む人もがな物思袖をさして答へむ忘れたる人にいひやる一網代ゆく宇治の川波流てもひをの屍を見せむとぞ思ふかへし一世にし經ば海月の骨にみもしてむ網代のひをはよる方もなし〔朱雀院にて〕三霞立野べ吹風も寒からで我身のよそに春はたちぬる春くれてなく鶯の一聲を木隱れてこそ聞まほしけれ三〓るるは雪とみゆれど梅花風に匂ひてきえぬ計りぞ元in集九七四〇二5-5
かたらふ人の殿ゐ物のうらのいたくあれたりければ年年へへなれる中をは唐衣うらみてかへす哀也けり[人の子になれる女に物などいひて歸る道にやすむ所にて〕いく野といふ所より人をかへしてヒー別れにし程に消にし魂の暫しいくのゝ野べに宿れる=我我は野分のほかも隣より荒增りたる心ちこそすれ御返し隣より荒增れりと云なるはいかなる風に身をば吹覽花の枝に文のあるを見て春のとふ心づかひを尋ぬれば花の便りにこてふ也島承香殿に侍ひける人を語らひけるがみそかに人をもたりとて罷りたりしかば惑ひ隱してけるに沓のありけるを見て前の遣水に生ひたりける根芹をとりて畑澤水に積顯はるゝ忍び根を隱せりけるはうき心かなみたけさうじすとて石山に籠りたる女ばう人參りあひてとはずはべりければ孰くへも身をし替ねは雲懸る山蹈しても訪れざりけり返しAN鳥の音も聞えぬ山に爭でかは雲路を分て人の通はむ或る女臨時の祭に車に乘りながら來てたゞいね入りければ小屋にてえ隱れあへす夕日のさしていとあらはなれば加きき掛掛ても斯はゆふ裨今日の日影に眩ゆからむと返しcxゆふ襷神に掛ても誓ひてむ夕日にあてゝ見では非じと古きめのくれこひたるにエ花咲かぬ朽木の柚の柚人のいかなるくれに思出らむ〓斯計くるに苦しき栲繩を唯にくたして止まむとやする賣りける鼎をこよなく云ひ落しけば賣る人三地地獄獄鼎〓社給へ多くのせんな落し給ひそ返し買ふよりも賣る社罪は重げなれ宜社釜の底に有けれ舍人のそのに男ありとて舍人のうれ申さむといふを聞きて古はとねりのねやの物語語りあやまつ人ぞあるちし仲文集仲文集けさうし侍りける女の契りてはべりけるがなくなりにければいと悲しくて女のはらからの許にいひやるN流流てて賴めし事は行末の涙の上をいふにぞ有けるたびの道行く人美濃の國ときの郡といふところに宿りて結び置し人や解らむ下紐のときの郡に旅寢しぬれば忍びて通ふ人の許に大方のまらうどにていきたるに雪のいたく降りければ忍びていひはべる00春かけて忍ぶる中も有物をいかなるまより行通ふ覽女の許に來むとての夜は來で後の夜來たるにふすべてこねば一理や今宵のつみの底にはや入れよ臥なむさり所なし中將殿前栽つくろはせ給ふに心なき人の撫子をすきて捨てたるを好物を花のあたりによせざらば此常夏も根絕ましやは大風の又の日家のほかよりもうたてこぼれたれば近き所の程なるさきの中將公任の君に紀の國の郡どもをよめる、いと、なか、なくさ、あまり、ありた、ひたか、むろメニ最長き夜は慰まず餘あり絕ずひたかむ室に住まばや雪降りたるつとめて院の御かゆのおろしたまはせて歌よめと仰せられしかば白雪の降れる朝の白粥はいと能似たる物にざりける同じ人元輔周防にくだれる道にえとまりといふ所にて云ひやる仲文〓え泊りに我來たるとは知ねばや今迄君が見に來ざるらむ返し元輔かなななよをこむ好君なれば返はみしに勝るなり島堀河の中宮うせ給ひて中宮の內侍のすけせしなど尼になりたるもとに仲文數へつゝ偖も有つる世を背く後手ともぞ思やらるゝ返しないし背きぬる後手よりも極樂に向はむ君が顏をこそ思へ又返しああ佛佛が此顏比べせよ極樂のおもて起しは我のみぞせむ正月七日、左衞門內侍に老らくも子日の松に引れてや今日より若きなをば摘らむ同じ人のゆきのかみになる人のむすめ懸想しける人に解け難き下紐しても心みよ思ふ心のゆきのしまゝで元のめをやんごとなき物には思ひながら又知る人多かりけるにもとをばはしのま竹にて物語なんどしてこゝに居給へれ今參らむとていにければ誠とて筵のかぎりに居明して曉に歸りきたるに板の上にさゆばかり置かれて冷えにけりと怨みければ理や下はさこそは冷えつらめ君に敷べき思なければ物へいきけるに女にいま秋は必まかりのばりなむずと云へりければ、女六た待ずとも秋こざらめや初雁の雲ゐになかむ聲をこそ思へ東三條院にて栗田の大將中春花雪の如しといふ題をよませけるに仲文六降紛ふ花か雪か〓紛ふまに我世の痛くふけにける哉三條院殿にて公任の宰相八月ばかりの月のあか夜き前栽の花見給ふ仲文入常よりも今宵の月はさやかなれ秋の夕も辿る計りに國茂がしき此の使にありきける時にざれたる所の若き人々聲しければそれうけさせ給へといひ入れたりければさうじの繪に女のかた有りけるをやりてこれ給へと云ひ出し給へりければ國茂深うみがこどもと聞きて〓埀乳めの昔の親の顏見ればうみの子供ぞ思遣らるゝ國茂が父は馬の頭にてなむありける女返し垂乳めの昔の親は遮莫さてやはうまの頭のこはよき婿のともみつたえて置きたりける物のぐども運ぶに鏡のとまりてありける遣るとて一影絶て覺束なさの增鏡見ずば我身のうさも知られず返しともみつ一君と我形見に見むと增鏡底にとまれる影さへやうき國茂がめに物云ひけるにことを出したりけるにひきて返すとて語語へどかひ無り身睦言の調べて歸るねにし違へば同じ人に服なる程に增の藏人にきたりとは聞らむ物を藤衣かけて哀と云ふ人のなき返し〓今はとて返しゝよりも藤衣きたりと聞くは最ぞ悲しき同じ人左京の君化となななし人目の關を越分て道を忘るゝ時の間ぞなき仲文集
返しせにも非ずうかりし夢路には忘ぬ物ぞ侘しかりける又、をとこ〓程もなく明けて別し曉にいとゞ露こそ起うかりしか春宮の藏人所にて月待つ頃有明の月の光をまつ程に我世のいたくふけにける哉をとこの恨むれば又つらきをし人の恨る物ならば關には我ぞ立むといはまし"恨むれどかひなき物と忍ぶるに又忘れつゝ嘆つる哉返し思思とと名名には絕せぬ物なれば恨むる事は誰と劣ず本院の侍從の君國茂が扇を取りてこへど返さで又のあしたに君にても思下らぬ心には扇といふ名立たじとぞ思ふ返しをとmああがへど人に云へとや云なとや思返せどかひ無物を男音せざりければ左京ひとも斯も云言の葉の見えぬ哉孰らか罪群の懸り所はかへしかあだならぬ心に懸る露なれば云でぞ思ふ起てこしより院の大將殿の侍ひに厨が尊たゝくを見て同じ人厨よりまだ宵なればねぬなはの我等が水鷄叩く也鳬返し侍從の君手もたゆく叩く水鷄も殘らねばなほ根蓴の厨苦しやみるのいと長きにつけてをんなか潜きけむ蜑にもとはむ伊勢の海の千尋の底の誠とぞ思ふ雖入勅集不見家集歌しかか柳柳絲は綠にある物をいづれかあけの衣なるらむかをさして馬と云ふ人有ければ鴨をもをしと思也島忠見集忠見集春、御屏風春吉野山に霞立てり河に船あり→霞立つ吉野の山を越えくれば麓そ春のとまり也ける春日野やくニ燒燒共其は萌なむ春日野を唯春の日に任せたらなむいそのかみに山田うつ人ありシ〓春來れば先づぞ打見る石上珍しげなき山田なれども飛鳥川人わたる飛鳥河淵瀨かはらぬ今更に昔がたりのなそ流れぬる井出に山吹ありm咲かでやむ年は無けれど此春は井出の山吹盛也けり伏見、あれたる家を人わたる九年經れば伏見の里も荒にけり昔の人は住ぬなるべし夏、淀のわたりに舟あり郭公なく孰方に鳴て行らむ時鳥よどのわたりのまだ夜深きに同じ所にこもかる〓〓けけごと〓菰の生ふる淀野には露の宿りを人ぞ刈けるもる山、松おほかり加誰が爲に民の年經て守山に世をへて松の生添はる覽九難波に葦多かり舟漕ぐ〓難波潟行から舟の綱手繩くる社見えね葦の間をなみ山に雪あり。年經れば越の白山老にけり多くの冬の雪つもりつゝ三熊野に舟よせて濱ゆふとる人あり。三三野野の浦の濱ゆふわれ舟の中に幾らを積て歸らむ長柄の橋00人知ず渡し初めけむ橋なれや思ひ乍らに絶にける哉みをづくし〓m風風に任する事も浮標待つと知でやさしてきつらむ秋、須磨の浦に關あり秋風の關吹越ゆる度ごとに聲うちそふる須磨の浦波高砂に旅人ゆく鹿立てり加。砂砂鹿鹿鹿鹿鹿鹿の風にはかの子まだらに波ぞ立ちける佐保山に紅葉あり霧立てり10佐保山の紅葉の錦いくらとも知てや空に霧の立らむこゆるぎの磯に海士あり〓小搖ぎの蜑は求〓に窶れつゝいかなる時かなまめ〓覧冬、武藏野に旅人あり20行き暮す旅の宿りも武藏野の草むすぶ夜は睦じき哉あさかの沼0月宿るあさかの沼の水〓み夜も玉藻の靡くをぞ見る浮島一沖つ波よせばよせなむ浮島に年經る松を爰乍ら見む同じ御屏風に正月子日若菜摘む若菜とて多くの年を我摘めば君ぞ子日の松に似べき二月初年に、稻荷詣神のとくみつの社に祈すと今日より君が笑え行べき三月櫻の木のもとにてから弓射る心にもいるひの弓はみ山なる花のあたりに音ぞ答る四月池のへんの藤を翫ぶ=池近く移りに皇な藤の花こゝのそこのと爭で惜まむ五月郭公なく山に女車ゆくみ山出て都へならば時鳥よびなきそへて言傳にせよ六月河のほとりにかぐらす水上の心流れて行く水にいとゞ夏越の神樂おもしろ七月七日かは浴む波の立水のあやをも今日は猶棚機のとも思ほゆる哉八月逢坂に駒ひく〓〓かにも見えずぞ有けを逢坂の駒より見ゆる望月の影九月九ヨ菊に綿かづけたる〇萬代を若ゆる菊ぞ置露のまゆを開くる時はきにけり十月大井川の井堰に紅葉流れたり色々の木の葉流るゝ大井河しもは蔓の紅葉とや見る十一月臨時の祭みる車あり〓姫小松見れ共飽すゆふ懸て賀茂の祭におひやつがまし十二月なやらふ雪ふる年毎にやらふなはして有つるを今年や終に雪消ぬべきある所の屏風正月せちする所あり110春春立と云ふ日を迎へつゝ年のあるじと我や成なむ二月子日女出たり例懸想する男來合て消そこす二子日とも契で君がのへくれば松に懸りてよをや盡さむ三月春惜む所た人の身にきつゝはとまる春故に惜む心の惑ひぬる哉四月家のかみ祭る一年毎に祭らむ數はきねぞ見む戴く神のしらくる迄に五月五日さうぶと蓬家にありたよはにのみ鳴く時鳥覺束な菖蒲見るべきけさは孰ちぞ七月七日棚機まつりしたる所ありた彥星が影を待つより覺東な仄かに照す月の入るらむ八月駒迎〓見まほしと思ひし駒に引迎へ君がくるにぞ逢坂の關九月九日一花の香を今朝はいかにぞ君が爲まゆ擴げたる草の上の露十月宇治の網代に女車もみぢ見る〓深深きしきつの淵に住ずして網代によれる日をのみやへむ十一月山づらなる女の家に狩する男物云ひたる夕暮になれば聞ゆる鈴蟲は思へばかりの便なりけり十二月佛名する所罪罪とがは目にし見えねば降雪の消えむ朝を見る計也112年雪は今宵寒げに見ゆれども罪も共には積らざり島天麻十年三月二十九日麗景販の女御齊宮女御なり忠見集五〇六〇二
の歌合によめる霞たあら玉の春をも知らで故〓は龍田の山の霞をぞ見る風風風み凍れる谷の下水は春くる〓とをとくと待つらむ雨ヘル春雨は降初しかどうつたへに山を綠になさむとやみし爲〓我宿のこずゑを高み朝ぼらけ鳴く鶯の聲はるかなり梅。香香とめて人も見にこぬ梅の花待暮しつゝ獨をる哉柳「靑柳の絲は靡きて春每に露の玉ぬく〓とやなるらむ櫻一むむべき庭の櫻はさかりにて心そ花にまづ移りける山吹山吹の花なき宿に住まば社振はへ遠く出でつと思はめ藤遲く咲く藤の花故いつしかと我さへ松に懸りぬる哉四若菜五振振へへ君が爲にと春の野に摘める筐の若葉也けり택あはぬ戀限なき戀をのみして世中にあはぬ嘆きを我や殘さむあひての戀th夢の如などか夜しも君を見む暮る待間も定なき世に右方のれうに、霞No綠綠春はきぬとや三吉野の山の霞のいろに見ゆらむ風加山ののれれささるは松風のたにの氷を吹きや解らむ梅50我宿の梅の匂の滿ぬれば折りてつめると人や忠はむ鶯一一のの音ほのかに足ひきの山べを出づる聲聞ゆなり櫻"我宿の物ももはじ櫻花折りて比ぶる人もあらなむ柳「青柳の絲より染むる程もなくとくくる物は月日也島藤〓〓我宿の松にひさしき藤の花紫野には咲きやしぬらむ五山吹山山の花のみぎはに匂へばや澤に蛙のこゑ聞ゆらむ若菜〓春くれば若菜摘む野ぞ思ほゆる筐に洩らぬ人し無ればあはぬ戀暮暮とに同じ道にも迷ふ哉身の內にのみ戀の燃つゝあひての戀メル別ては暮るゝも待ず戀しくば君や程なく物を思はむ折々の歌、梅のつくり花梅梅花の花春待わびて咲にけり今は匂の添はるばかりぞ子の日子日する野べの小松の微せば千代の例に何を引まし〓松は唯千歳こそつめ引く人は幾世の子日數へ渡らむ行き返る程さへ遠き子日哉千代の松ひく亀の尾の山一一にに千代を籠てむ松なれば餘り多くも引てける哉〓引替ふる子日の松の千年をば待見む君ぞ久かるべき六六引く人に千代をわくとも龜山に殘る齡の思ほゆる哉若菜若葉生る世には辛きも無り島松に知べき君に任せて〓春を淺み筐の底にみたねども君が爲にと摘る若菜ぞハ春日野の草は綠に成にけり若菜摘むとは誰か占けむ櫻散りてなき折に折りたるを人のもたれば此此折れる櫻の散で殘れるは荒き風にも當ずや有けむ朝毎にはきけむ庭を櫻花けふより後や散ながらみむ忠見集櫻折りておこせたる人に諸共に我し折らねば櫻花たがとも枝に知ずぞ有ける一二七き乍らに見べかりけり櫻花折間に多く散ぞしにける幾十度春の櫻にこりぬらむ暫しの色に賴められつゝ櫻見に有明の月に出たれば我より先に露ぞおきける1:柳我宿の柳の色の春くればみどりの絲となりにける哉散花をぬきも留なむ春くれば糸より懸くる靑柳の糸七山吹非出にのみ有と聞つる山吹の九重近く咲きにける哉〓我を思ふ人ぞあるらし故〓に井出の山吹折乍ら見む加山吹を折るとはなしに夕暮の蛙鳴くまで立てる霞か春の別れ惜むo春春かば花の本にや違ひなむ後れば何の身にか成べき〓儚くも花の散り〓〓惑ふ哉行方も知らぬ春に後れて大大と山ぢを賴む春くればたび行く雲を霞と思はむ鶯「一ののく聲聞けばみ山出て我より先に春はきにけり〓花なれば枝に木傳ふ鶯の春の末までなくを聞くかな鶯の聲を知るべに行暮し知らぬ山路に宿りをやせむ六月鶯なくを日に見ねと聲に聞ゆる鶯のなくなるなべと思ける哉別以別路をいづ方へとも知ぬ身は行人を社間べかりけれ入幣よりも我や行かまし陸奧の忍ぶ計りの形見送りに送る優れり遠ければ思ひはすとも忘なむ形見をわけて0露にだに當てじと思し君しもぞ時雨降頃旅に行ける一幣よりも泣々我ぞたゝへまし涙を受くる盥有りやと行行を恨みとのみはわび果じ歸るの山の松を賴みてせ栽に螢の飛ぶをエいいくくの夜は螢の渡るらむ行方も知らじ枕の枕に吹風に散る物ならば菊の花雲居也共今朝はみてまし播磨の國なる夢さき河を渡るとて別ても寢るとは無しに我見つる夢崎川を誰に語らむ九人に菊奉るとてれあまた有らば添べき物を神無月殘れる菊の限也けり洲濱に菊植ゑて鶴立てる千年ふる霜の鶴をも置乍ら菊の花こそ久しかりけれ菊花移らぬ枝の交れるを今日より後に霜は置かなむ父やあると問ふ人あれや菊の花限なし共惜まるゝ哉〓初雪を見て。初雪と今朝は起敢で惜む哉偖も有へば我身ふりぬと戀。誰ならむ儚な乍ぞ賴まるゝ斯ても終にやまじと思へばcoはかも無く浮て見ゆれど白雲の山にも懸る物と知ずや三水莖の行きて返らず成ぬるを何に流るゝ淚なるらむつつににても訪べき物を儚くら便なき身と思ひける哉D 10孰くにか尋ねも逢む身を分けて君が許さぬ心遣ひに六〇人を待つ心は池の底なれや云初むるより戀の積れば〓かかる聲ばかりにや蛬ねなくに秋の夜を明しけるxoよそにのみ聞て渡らぬ逢坂の關の〓水に流れぬる哉或る人の思ふとは云ひながら逢はぬに加底にして深しと云は賴まれず淺くて影の絕せずもがなおほやけより祿給はるべきが遲ければ〓八十氏の頂く山の雲なれば久しけれ共待つは賴もし我宿は煙と成て雲居なる孰くをさして行むとすらむ六月つごもりの日人に一空蟬はさも社鳴かめ君ならで暮る夏をば誰か告まし返し一唐衣くるゝ夏ぞと思へ共秋も立やとなどかきざらむうちの仰せ事にて父忠岑が歌奉れと召あるに書き集めて奉る忠只体
言の葉の中を泣く〓〓求むれば昔の跡に逢見つる哉1君君代代に榮ゆくべしと思ひせに訪まし物を忠岑の道人の國に行く人に衣贈るとてか旅人の露拂ふべき唐衣まだきも袖の濡れにけるかな後れじと云ぬ涙も手向には留め兼つる物にぞ有ける直垂取らせむとすれど裏なむ無きといふ人にル住吉の岸とも云はじ沖つ波猶打かけよ浦はなくとも物かづけて後になまみる女郎花に懸て給ふ人にかみるめかる蜑に似たれど女郞花けふは我にぞ被き劣れる屏風の繪に霞立てる山より瀧落つ岸のほとりに藤の花咲けり〇手も懸で爰には惜む藤花そこに映れば波ぞをりける柳櫻ならべる處一青柳の絲をぞよれる櫻花綻びはてゝ散らむひのため霧たちて道かくせる處色々の紅葉の錦霧たちて殘れるはてを孰くとか見む山里に住む女鹿の聲を聞く妻こふる鹿鳴く時になりに皇我獨寢を誰に聞かせむおきな稻はこびつみす秋毎に刈つる稻はつみつれど老にける身は置所なき昔語らひし人の年頃ありて津の國玉さかといふ所にありけるを聞きつけてまかりあひて夕暮に鈴蟲鳴きければよめる一個さかに今日逢見れど鈴蟲は昔ながらの聲ぞ聞ゆる美作國にてかつまたのゆをたこの山や道の限と思へども勝間田のみゆ遠き也けり播磨のこふに宿りたるに時鳥のなけば誰でかはこふ渡りなる杜鵑草の枕にたび〓〓ぞ鳴く同じ所の舟ごかの山といふ所にて風おはぬふなさか出は年月も同じ所ぞ泊りなりける或る人のもとの男にかへれるになな〓〓〓て元に落ぬる人を社色好とは云べかりけれ津のかみのふる歌こひたるにやる505波波津のあなたの事は住江も年ふる松そ知らば知りなむたちに呼びて物いふ序に一難波潟茂り合へるは君が代に惡かる事をせねば也島筑紫へ下る道に安藝國のあしの山を雨降る日越ゆとて三一度もまだこぬ道に感はぬは天の下こそ知べ也けれ布引の瀧雲雲上たたえす雲のみ靉くは白く落ちくる布引の瀧女のもとに行きて物云ふに雨のいみじう降ればいと闇うて空も見えぬに夜中ばかりに戶を引き立てヽ入りぬれば旨音聞聞鳴鳴の本に潜きする蜑よ侘しきめを見する哉京のたよりなかりければ津の國に住まむとて行く道に知りたる人あひてなにしにかくは行くぞ問いければ正ににありわびぬれば津國の住吉と聞里へこそゆけ三かれより京へ云ひおこす知津の國の我賴みこし住吉も便なみこそ間なく立けれ伊豫に行きたるによしある浮れ女の云ひたる誓に聞きめにはまだ見ぬ播磨なる響の灘と聞は誠か返し2年年れれ朽朽こそまされ橋柱昔ながらの名だに變らで津の國に年頃身を沈めて籠り居たるをその先の帝聞しめして召しあげさせ給ひてけりよさり藏人所に侍ひてまかでにけるあしたにありとしの朝臣しておほせ給ひけるた見しかども何共知ず難波潟波のよるにて歸にしかば御返りまゐらす000吉吉の松と仄に聞しかばみちこし汐やよる返りけむ忠見集前代の御時凡河内の躬恒が候ひけむ例にてみづし所に候へと仰せごとありしを其の後せじの遲かりければ奏せよと思しくて藏人のもとにやる一四櫻花高き梢の靡かずば返りやしなむをりわびぬとて御返し四をり侘て返らむ物をきしかげの山の櫻は雲居なり共さてせじ給はりて御厨子所に候ひて參らす11年を經て響の灘に沈む舟波のよするを待にぞ有ける朱雀院の若宮より藤の花給はせたるに下四爭でかは散さゞるべき藤の花風により社君も見らめ重光の中將とのゐ所に菊を植ゑ置きて咲きうつろふまで參り給はねば奉るN菊ならぬ花に有せば散なまし植て霜には置せたれ共~宮仕へする女をさそふとて1月影にみらの間はあかく共今宵は共に出むとぞ思ふ絹二むら給ふと仰せと給はせければth昨昨まで恨みし風は大空の叢雲拂ふつかひなりけりかくおほやけに仕うまつりてもと住みし處へ通ひてハ古の錦はものか百敷をきつゝ通ふとおもふこゝろは繪に住吉のかたをかけるを相吉の松も老ぬと思ふらむ影にも波の添てみゆれば山より瀧落ちたる所水底のわく計にやくゝるらむよる人も無き瀧の白絲一皆人の子日する野を九重に霞隔つとよそに見るかなあテ御息所の御方に仕うまつりける人にっけて上のきぬのうらなどやはべりけむ給はりければ詠めるニュ波高く寄るべく-非ぬ船なれや浦にも附けで沖乍見む同じ御息所まかで給へりけるに暫しとまりたりける人もまかでにければやりける三千葉守子も出にけるかと見る時はかひ無身さへ羨まれぬるうちにさぶらふ程に家の燒けにけるを後にいきて見て藏人のもとにやりける栖かなみ害にわびたる蟲の聲鳴て聞く時君に告なむまたいつにかありけむ〓〓無神無月いかでかはふる世中に落る淚ぞ時雨なりけるかるかやを白露の懸るが頓て消ざらば草葉ぞ玉の櫛笥ならまし又云ひにやるなよそにして侘る淚を我ならぬ人は時雨とよそに見らむ年かへての頃恨みたる人にAM就方に立寄れとてか表霞思はずにのみ空に見ゆらむ中務集子日九九野べに出てけふ引つれば時わかぬ松の末にも春はきに島家の花見る所大野山にも見るべき物を我宿の花を詠めて日をは暮しつ藤の花見る春をしむ所〓藤の花咲を見捨てゝ行春は後ろめたくや思はざる覽山里に時鳥きく山里にまれら也ける時鳥またともなかぬ聲を聞く哉田のなかに狩したる所袖ひぢて植し春より守る田を誰かは知で狩にきつ覽長月の九日菊におもてのごひたる人あり老にける身には著しも白菊の花の名立に成にける哉前齋宮の五十賀の御屏風わかな中務集
〓若菜生る野を占おかむ君が爲千年の春は我ぞ摘べきつるのあそぶ所若といへば命をゆづる葦たづは雲の中をや思出らむ濱づらに松おほく立てり浦近く波立つ松は色かへで世に住江に生ふる也けり濱に貝ひろふ〓〓〓〓食〓る立でけふはかひ有心地社すれ三條のおほいまうち君の賀權中納言のつかうまつれる屏風の繪に花見て歸る所他でけふ歸ると思へば花櫻折べき春ぞ盡せざりける池にのぞきたる松に藤かゝれりce君を思ふあだし心もなき物を池の藤波まつ越にけりたちばなに時鳥のなくに色かへぬはな橘に時鳥千よをならする聲ぞきこゆる野に狩したる「女郞花かりの便と聞しまに許多の秋は野べに來に島やり水のつらに菊さけり男文書く流流つつ影影見見なる菊に戀しき人はならなむ村上の先帝の御屏風に野火やく所春は斯野をのみ燒と思まになべて草木のいかに燃覽春ををしむまに歸雁なく留まらぬ春を惜むと最どしく歸る雁さへ鳴渡るらむ岸に藤さける河岸に生たる松に藤波のかゝれど年のつきぬ也けり五月五日田舎家に女ど絲くりさうぶ葺きたり菖蒲草てびきの絲も身にかけて永き日暮人ぞ戀しき田まもる人しゝのはむをもしらでねたり等くる山田の稻にすさぶよは夢とぞ鹿の音をも鳴哉村上の先帝の御屏風に國々の所々の名をかゝせ給へる、よしの山を吉野山ゆきかふ跡も絕にしを霞ぞ春の知べなりける飛鳥川o定定き名にはたてれど飛鳥川早く渡りしせに社有けれ石上「石上ふるき渡りを來てみれば昔翳しゝ花さきにけり伏見〓櫻花散かふ空はくれにけり伏見の里に宿やからましもるやま三人めのみ守山になく呼子鳥忍びに誰を待音なるらむすま「淡汐やく烟に馴し須磨の蜑に秋立霧も分ずや有けむ佐保山初雁の夜深かりける聲によりけささほ山ぞ思やらるゝしかすがの渡りか行ばありゆかねば苦ししかすがの渡に來てぞ思煩ふうきしま賴まれぬ心からにや浮島に立よる波のとまらざるらむなこその關〓陸奥の勿來の關と聞つれどなく〓〓猶も越ぬべき哉御屏風萩の下に鹿なくか人しれず萩の下なる棹鹿もほに出る秋や音にも立覽常夏〓打はへてみる常夏に他ぬ哉日毎に增る色のみゆれば十二月晦日に"程近くきぬなる物をいかなれば春にも逢で年の越らむ村上先帝の御屏風の繪に田舎家に男まらうど來れり梅の香をとめてきつれば珍しき鶯ならぬ聲も聞かなきじの聲シ〓霞霞朝たつ野べに立鳥も忍ばぬねにや人もしるらむ近き山のさくら我ののののべのつまなれば外の花とも思ほえぬ哉中務集〓瀧の絲は皆とぢつらむ吉野山雪の高さに音を變つゝ御屏風松に藤かゝれる一疎からで懸れる藤の花ながら松に心は達はざらなむうめかくてなほ千代迄かざせ梅花花も變らで春も絕ずば行道もはるけきほどは郭公聲に心のとまりぬるかな道行く人時鳥を聞く六月被する所君が爲いのる心は水上も流るゝ如く今日やしるらむ前栽うゑたる所露をだに落さで堀つ女郞花植ば孰れの秋か見ざらむ御屏風に秋の野に花見る所な花の色の飽ぬ限し歸らずば宿とも秋の野べやなる覽御屏風、池のほとりの柳水底に影の映れる靑柳は波のよりける絲とこそみれ〓浦遠く立つる春の霞をばやくしほがまの烟とぞみるかよと共に藻汐燒つゝたが爲か火にも水にもいれる我身ぞ卯の花の盛にのみや山里の垣根も白く人の見るらむかぐら一年毎に神をぞ祈る榊葉の色も變らでをらむと思へばたかうなほる所土分る底來てみれば吳竹の籠るるのよとも知れず一吹風に亂れぬ岸の靑柳はいとゞ波さへよれば也けりまつの下に水やれり古の心もたえず行水に我が松かげも今日こそはみれ坊城の右のおほい殿の五十の賀中宮し給ふ村上の先帝のめしたる、紅梅=吹風に匂變らぬ梅の花たが染出でし色にかあるらむ子日水底に色も變らぬ小松原千年千代よふ野べに來に島岸近き松にかゝれる藤波春の名殘に立とまるらむ四月みあれひく君をのみ祈り置ては打むれて立歸りなむ加茂の河波九五月五日えん著き香も匂ふなる哉菖蒲草けふこそ玉にぬく日也是泉七九下くヾる水に秋こそ通ふらし掬ぶ泉の手さへ涼しき秋の曉花を見る所人有明の光にまさる女郞花長きよにみむ露におきつゝ野の紅葉をみるかけふ折らぬ人も誘はぬ紅葉ばによのま吹くる山颪の風冬ごもりしたる池00氷ゐる池の汀は水鳥の羽かぜに波もさわがざりけり雪降るに物へゆく人。雪深く行く東路も遠ければ道にて春にあひぬべき哉朱雀院のわか宮の御もぎの御屏風の和歌、子日。小松原野べにいづれど伴はぬ春の霞も立まじりけり梅の花見る所一梅の花折る手元をもみつる哉香を尋ても訪むとぞ思繰返り春はきぬれど靑柳ありる色哉道行くに時鳥をきく10打はへてまちくる道の時鳥たゞ一聲や聞てやみなむ神まつる所卯の花さけり祈るをも聞く便には卯花の盛をさへや神はみるらむ初雁を旅人きく初雁の旅の空なる聲きけばわが身をおきて哀なる哉やり水に紅葉うきてながるヽ紅葉ばも落積りぬる谷水は秋の深さぞ底にみえける神樂したる所大0更夜霜はおけども山人の折れる榊の色は變らじ高き出に雪ふる所中務集〇二
山櫻人しらねども〓瀧の底なる花やながれ出でけむた住吉の岸の藤波春深くいくしほにかは色まさるらむ五月雨の夜も明方に歎く哉物思ふ事や秋になるらむ河水に影のかたぶく山吹は蛙の聲をあはれとや聞く山吹の花の盛はかはづなく井手にや春の立止るらむ白波のをるかと見えて遠方の岸のまに〓〓咲る卯花片岡の御垣の原の鶯は花ちりぬとや音をばなくらむ匂ふ香の知べならずば梅の花倉部山にも折惑はましみつあきらの少將歌合するに、夜梅柳「繰返す年へて見れば靑柳の絲は舊せぬ物にそ有ける同じ少將のむすめのもゝかに子日にあたりければ一條の左の大殿に物などして奉らるゝに春雨に空の景色を包めどもけふの小松は猶ぞ引つる朱雀院の御時歌めすに奉る今今らに老の袂に春日野の人わらへなる若菜つむ哉御覽してひげこにわかな入れて少將を使にて賜へるな春日野に多くの年は積つれど老せぬ物は若菜也けり御返事60年積めどと同樣なる若菜にもけふだに我や有むとす覽女一宮の御いかにすはまなどして奉れ給ふに「波たてゝたづの影さへみゆる哉千世の數添驗なるべし水底に影をみせつゝ葦鶴も君には千世を隔てざり鳥雲居にて君を見べきたづなれば千代も最社遙かりけれ人のうぶやに七夜千年侍君ありそ海の影みれば小松も今ぞ生始めける物へいく人につるのかたを幣にして石川君がゆく雲路おくれぬ葦たづは祈る心も知べ也けり秋物へいく人に風風りは手向に散せ紅葉ばも秋の別は君にやは非ぬ讃岐にて、かげあきらゃもみぢ葉の錦にみゆる浦々は波の文をや立重ぬらむ리返しxb色深き紅葉染けむ浦々は滿ちこし汐の數やましけむ大貳のくだるに加えぬれど猶行く先ぞ祈らるゝ千年迄にもいきの松原風ふくに物へいきける人にco)風吹は思ほゆる哉住の江の岸の波にもあらぬ君さへ物へいく人に一時のまも數多度のみ悲きは君が行べき道にぞ有ける物へいくに雨ふるとてとまる人にニ泣泣空にみてるや大空にけふしも雨のふり留めつる返し三きまぜて涙に雨も降つるに孰れによりて君止る覽越へいく人に扇やるとて白山の雪の餘波は寒く共かたみの風は扇ぎつゝゆけ物へ行く人に枕とらすとてTM別るらむ人の心は此をさへあだなる草の枕と思ふな五越へ行く人に一白山に雪降り布きて寒くとも絕ず扇の風をわするな順朝臣の能登守にてくだるには雪深く春ともみえぬ心にも折し梅こそ花は咲きけれ返しN梅梅色は雪にも通ふめり歸るやとまて君はとはなむ又返しねんつはたと待程過ぎば白山の雪間の跡を尋ざらめや五豊後守にてくだりたる人の又筑後守にて下りけ〓〓ゆゆく君が手向の祈りにときにし道へもゆく心かな→身にかゝる扇の風を添るゝ舟路をゆかむ君が爲とて繪にあれたる家に時雨ふる男きたり中務集神無月そらの時雨も故〓に君尋ねくる袖もかわかず法師ふかき山にゐたる所跡絶て入りにし日より西山の瀧の音にも人め聞えぬ人の家の前より水流れたり馬引留めたる男有り事でかは過て行らむ河波の立とまらるゝ宿の前より旅行く人あり雁なく行人にそふる心のあやしくも知人なきと迷ひぬる哉やゆくを唯思ひやらなむ雁音の歸る聲だに聞ぬ雲居をたっときく空を詠めて春霞雁の別ぞはかなかりけるあさりしたる所あさりしてかひ有島と思身を恨てふると人やみる覽身をすてゝ底潜くとも栲繩を長くくる人有じとぞ思荒れたる宿の紅葉家のうちに散り入りたる所°〓空見えて影も隱れぬ故〓は紅葉さへぞ止らざりける七夕の繪ある所に。さよ更てけふ渡るらむ天の河影社みえね水增るらし七夕の繪の中宮のひゝな遊びにかはらのかた洲濱につくれりひゝなの車のかた七月七日〓機機もけふは逢瀨と聞物をかはと計や見て歸るらむ麗景殿の女御中宮に奉れ給ふ扇に葦手にて白波にそひてぞ秋は立くらし汀の蘆もそよといふ也〓棚機の心や空に通ふらむけふ立ちわたるあまの河霧三條の女御なでしこ合せし給ふに葦鶴のおれる濱邊の撫子は千世をや色も引は添らむ梵垣ほなる倭撫子色深き今日やこふてふ人をまたまし撫子の花のかげみる川波は孰れのかたに心よすらむなんでなこし花咲そむる夏の野にけふ蜩の聲の聞ゆる村上の御門の御時の菊合に洲濱につる菊ありえたたのの江汀の菊は白波のをれど盡せぬ影ぞみえける同じ御時に御前に紅梅ををらせて鶯のすなどつくらせ給うて○鶯の歸れる山の梅の花香をしるべにて人はとはなむきたの宮のうちに奉り給ふ扇に〓君が手に任する秋の風なれば靡かぬ草は有じとぞ思ニ袖袖浦浦波波波返還濱風は雲の上まで涼しかるらむ二七月七日一品宮のみこのかけものゝれうとうの中將奉れる葦手のぬひものにしてニ銀銀かはべ涼しき棚機にあふぎの風を猶やかさまし東宮の殿上人あふぎ奉れ給へる〓こよ無くてけふは涼しき袂より煽ぐ風さへ秋に成つゝ中宮の御さうしかゝせ給ひけるに玉ざゝの葉わけに宿る露ばかりとある歌を書きてまゐらせたりければ宮よりれみれば猶のべに枯せぬ玉笹の葉分の露はいつも絕せじ御返し消消まま憂憂事事にする玉笹の露は風まつ程ぞ久しき堀川中納言の韻ふたぎの所にめしたりけるに山々の繁りを分けて鳴鹿を爭でともしの人尋ぬらむ後撰の歌ども書きて人に遣すにハ七人の言のは寫す水莖のかきもやられで袖ぞ濡ぬる人のさうしかゝせける奧に〓我よりは久かるべき跡なれど忍ばぬ人は哀とも見じ村上の天皇の御時にいれもじの仰せ言ありて上たきといふもじもありといふとを入れさせ給ふcよよをへて落くる瀧の白絲にぬける玉とは泡やみる覽〓盡もせず落ちくる瀧の白絲も結びし泡や數も知らむたけ〓雪を重み枝は靡けど吳竹の下に變らぬよ社見えけれ〔宮の御もぎの歌よみて奉りしを見たまひて〕右大將〓野野山瀧の白絲とぢつれど早くしりにし聲は忘れず短き桔梗を根ごめにひきて女三宮より中務集二六八〇二
四九露しげき淺茅が原の花なれば短きほどに秋を知る哉御返し淺茅生の下に咲ける花の色を蟲のねごとに誰か引けむ知たりける人の早ういきける所に又いきけるに見る人の袖をあやなく濡す哉野中の水の深き計りにかへるのかれたるをおこせて人枯枯にける蛙の聲を春立てなどかなかぬと思ひける哉返し誰誰斯斯くからを置ては忍ぶ覽蘇るてふ名をや賴みし早うすみし家の櫻をはこに入れて人九年をへて住けむ人も訪なくに春を過さぬ花をみよ君かへし。明暮にとはぬ計を玉櫛笥そこなる花のいつか忘るゝ櫻のまたはえしたる枝のあかきにつけて。春過て秋はまだこぬ程なれば花か紅葉かえ社定めね又人。逢逢見し夢を賴て春の日の暮れ難きをも詠めつる哉返し00心してあらまし物を夢にても爭で面なく見え渡る覧又人。賴め共虛しき空を詠めつゝ忍びに袖の濡ぬ日ぞなき返し30衰とも思ふ心の空なるは詠むと人もきけばなりけり五月まゆみの紅葉につけて大納言加時雨をば待も附でや山端の己れまだきに紅葉そめけむ返しte待兼て移ろふ枝のあたりには人に知れぬ秋やきぬ覽又人〓君君る涙も袖にもりぬれば我より外に人や知るらむ返しね。幾戀る淚ながらもみに添ひて後めたくも知すなる哉又人。身の上も人の心も知ぬまは事ぞともなき音をのみぞ鳴返し一君だにも事ぞとしらぬ淚をばいかに知てか哀と思む又人はかなくて同心に成にしを思ふが如く思ふらむやぞ返し一ししをを同じ心と聞からに我身をすてゝ君ぞ悲しき又人川水の心をしれる君ならば常より增る今日を知まし返し增增らら汀汀の程も知らね共よどの濱べぞ思ひ出ける惡ふ事ある頃人にああよよももり增亂りて蜑の刈る物おぼすとも君は知ずやある人〓しし、ゝゝ奧の阿武隈河は如何渡らむ返し〓阿武隈を渡りも果ぬ物ならば河中々に我いかにせむきたるにかへしたればまたきて秋風に靡く心は葛のはのふき返さるゝをりぞ侘しき返し心より吹にもあらぬ秋風は返る葛葉の恨みざらなむ又人櫻を見て一人知れぬ我身也せば宿乍ら花見にこともいはまし物を返し〓花見にと云がてらにて人知ずをる共風に散さずもがなある人忍びて物いふほどに時鳥のなきければ〓今宵社しでの田長も聞つめれ今や五月の空に知れむ返しニ時時きゝ渡るらむ五月雨の空ごとにだに人はなさまし語らふ人に物いひて中務集現とも夢とも分で明ぬるを孰れのよにか又は見べき返し夢にても思しわかぬ物ならばみて忘なむ〓との侘しさ又人現には心もこゝろねぬるよの夢とも夢と人に語るな琴をかりて人に年年へへ音音聞聞るるのねを手に馴しつる秋ぞ嬉き返し音音のの聞聞るるとらめやならし初るに秋のそふ覽方違に人の家にいきて歸りてつとめて萩に朝がほのかゝりて咲きたるを折りてかれより〇〓初秋の萩の朝がほあさばらけ別し人の袖かとぞ思ふ返し一袖の色も見えやはしけむ朝顏の畫は移ふ別ならぬによべの月みけむやと人のいへるにいつとても哀と思をねぬる夜の月は朧げ泣々ぞみし人のこむと云ひてこぬに三型けむひをも過さぬ棚機は我ごと斯も思はざらなむら返し〓〓機機の契けむひは過す共譬ふべしやは事もゆゝしきまたたゆるし共思はざり鳬棚機の忘れぬ中の有まほしさに秋の月あかきに人た戀しさは同じ心にあらず共今宵の月を君みざらめや返しせさやかにもみるべき月を我は唯涙に曇る折ぞ多かる年頃ありて人來て歸りてヘ衣だに隔てし宵は憂かりしを簾のうちの聲ぞ悲しき返したうちとなく馴もしなまし玉簾たれ年月を隔て初けむ又人90時雨にも雨にもあらで君戀ふる我衣手の濡るゝ頃哉返し「こさ增る紅葉ならねばぬるらめど色の深さも知れざり身秋いたく風吹く日人に秋萩の色づくだにもある物を心すごくも風の吹く哉返しコン寢がてに成べき頃の風の音は荻の葉ならぬみにも泌けり誰にかあらむまた人秋のよの夢路と思はゞ徒に行きて歸るも恨ざらまし返し和行歸る道もしられぬ心にてまどひし我は誰を恨みむ雨のふる夜人の來けるにか月見にもこぬ夜の許多過ぬれば雨もよにこしと思ける哉人にtexp軸軸てふしゝ枕を思出て月みるごとにねをもなく哉七月八日ANいむと云へば忍ぶ物から終夜天の川こそ美まれつれ人加高砂の尾上に立る松をだに折ば折つる我としらなむ返しエ高砂の松は折れ共霜がれにまじれる枝を知人ぞなき門さゝで和泉守順朝臣の垣を隔てゝあるに梅をこなたの人みなとりたりといふを聞きて梅をやりたれば、順エ井堰にも障らず水のもる時は前の梅さへ殘らざり鳥返しニールサ堰にも障らで爭で洩りにけむ杉の丸杭食も飽ぬに又、順三和和にはあらぬ籬の島近み波の越ヽもると社きけ又はて打打る波の音せばもらぬよりしまきの風ぞ吹返さるゝ中務集
また人五花花社社社をやるとて咎めしか數ならぬ身をいかにかはせむみつあきらの少將に本木くくももははぬぬ三笠山陰に隱れぬ人は有じを同じ所にてかげあきら紅梅を折りて〓〓常にかく恨て過す春なれど梅にやこりず後も待なむ返しAL立てぬる春とぞ聞し春霞かくまで梅に後るべしやは又これ誰かならむ42思思どど惑惑ひてをれば梅の花心憎くや深くみゆらむ同じ少將二月十餘日の夜の月のあかきにの春の夜の宵ゐながらも長らへむと思心も命たへずば返しニ此此をのぶる心の始にて千世ふるまでと思ふやは君人に代りてある女に、みつあきらの少將みいかゞせむ絕間がちなる岩橋を賴渡らむ〓との難さよ返し蒿城のつらき久米路の岩橋の其方も堪る心とぞ聞く又はセン言つぐる君葛城の神よりも絕間は我ぞ渡しわづらふ又は一緒問なく渡さましかば葛城の神も解てぞ我賴まゝし人にかはりてか驚かであらまし物をみも果ぬ晝間の夢の戀しかる覽物へまかる人に扇やるとてい君が行く舟路に添ふる扇には心に適ふ風ぞ吹きける又人のれうに〓待つ程の遠江こそ侘しけれ勿來の關に今はさはらじ雨ふるよ人と物など云ひてねぬるを思ふ人にかbををみみぬぬに萎れて床夏は今宵ふしぬと聞は誠か七月七日ch星まよふ程をまつとて棚機の安き空なき雲居也けり七今日と皆知ぬ人なき棚機のなかさへ更に夜や深す覽t今宵こそ風も涼しく天の河波立ち渡る君を見えけれモ何何を思ふともなく終夜ねぬに明ぬる夜をぞ恨むる此ぬる折も無てや床を明すべき夢とだに社つらきをば見め七北かゝらむと思はむ人の夢路にもつらき心はみえじとぞ思北よそにのみ近江の海はかひ無て戀しき波ぞ立渡ける七斯てのみ憂に命の堪ぬれば賴めぬよ迄待むとぞ思ふNHかななくて明石の浦の秋風に戀しき波ぞ立增りける〓〓秋風の吹折にしも問ぬ哉荻の葉ならば音はしてまし0月影の同じ色なる梅花いるとも折てみつべかりけるあたに散花うけなむと見るからに水の上社先云れけれ今日迄と流れ出ぬる水上の花は昨日や散果てにけむ〓し〓はならぬ迄にも愁へつヽ人に云べき〓との無哉年年月の行らむ事も思ほえず秋計りのみ人のみゆれば戀し共いはゞすゞろに思ほえて人に知れぬね鳴頃哉か有しだに憂りし物を飽ず迚何處に添るつらさなる覽い問〓とはいざや哀と思へ共つらくは如何知せざるべきひうさ增る我身に知でよそにのみ聞し昔に返してしがな待人の堪ぬからにやさよ更て月の入にもねはなかる覽見し人をみゆやと夢を賴にはめも逢難き物にぞ有ける今はとて散行花の割なさは露の奥にもおかれざり鳬長長をいかに明して女郞花朝顏なれば露けかるらむ遙なる山ならなくに夏蟲の空に飛火とみえにける哉山の端は池の底にも見えなゝむ入共月の隱れざるべくエううしと思心の隈のなき時はつらさ隱れぬ物にぞ有ける九人待と泣つゝ明す夜な〓〓は徒ねにもなきぬべき哉七九日くるればまづぬる萩は棹鹿の鳴聲にだに驚きやせぬ〓戀しきも心づからのわざなれば置所なくもてぞ煩ふ久しくわづらふころ中務集かたく繩の夏の日暮苦しくてなどかく長き命なるらむつきさわぐ頃。天河珍しきとおほかりと夜こそ此頃さわぐべらなれ九月つごもり夜風吹く日。打捨てゝ別るゝ秋のつらきより最ど吹そふ木枯の風大江千里集臣千里謹言去二月參議朝臣傳勅曰古今和歌多少献上奉命以後魂神不安臥重痾延以至今儒門餘孽側聽=言詩未習艶辭不知所爲今臣纔捜古句構成新謂別亦加自詠十首總百二十首悚恐宸懾謹以擧進豈求駭目只欲解願千里誠恐惶誠謹言寬平六年四月廿五日散位從五位上大江朝臣千里上春咽霧山爲啼尙少。山高み降來る霧にむすればや鳴く爲の聲まれらなる鶯聲誘引來花下5000のききつる聲に誘はれて花の本にぞ我は來にける倫閑何處無不尋春関かなる時を尋て孰こにか花の有りかを共に尋ねむ花枝攀處芳紛々x0花の枝折りつるからに散紛ふ匂の飽ず思ほゆるかな不見洛陽花神神びてふりぬる里に住人は都に匂ふ花をだに見ず晚歸多是看花廻。今は早歸來なまし道也し花を見しまに程ぞへにける綠柳條弱不勝鶯木木たたててのののければ鶯とづる力だになし尋花不問春深淺ね花のの尋尋こしまに春はまだ深き淺きも知れざり息夜風吹送每年春はかなくて空なる風の年をへて春吹送る〓とぞ怪しき春暖花處々開一暖けき春の山べの花のみぞ所もわかず咲みだれける落盡閑花不見人跡たえて靜けき山に咲花の散果るまで見る人もなし集里千江大
老眼花前暗一年年く老ぬる人の悲しきは咲る花さへ劣るなりけり花下忘歸因美景〓花を見て歸らむ〓とを忘るゝは色こき花に因て也けり歲時春猶少年年ににるるななしと思へばや春しも常に少かるらむ送春那得不慇懃〓ででみみ過行春を爭でかは心をいれて惜まざるべき春光只是有明朝兼てより我が惜みこし春は唯明けむ朝ぞ限なるべき兩處春光同日盡ヘ春をのみ爰も彼處も惜めども皆同じ時盡ぬるがうき春翁酒易悲な春々に逢て老ぬる身なればや醉に涙の他れざるらむ〓〓とも我身のみ社思ほゆれ儚き春を過ぐし來ぬれば惆悵春歸不留得一歎きつゝ過行春を惜めども天つ空から振捨てゝ行く一歳唯殘半日春一一年に又再びもこじ物を唯ひるなかぞ春はのこれる夏春條長定夏陰盛一本芽はる榮えこしゝもあだなれば花の蔭とぞ成增りける鶯多過春語鶯は過にし春を惜みつゝ鳴く聲多きころにぞ有ける蟬不待秋鳴空空の身とし成ぬる物ならば秋を待でぞ鳴ぬべらなる鶯語漸々稀鶯は時ならねばや鳴聲の今は稀らに成りぬべらなる餘花葉裡稀散紛ふ花は木葉に隱されて稀に匂へる色ぞともなき春盡啼鳥廻限りとて春の過にし時よりぞ鳴鳥の音の痛く聞ゆる蓮開水上紅秋ならではちす開くる水の上は紅深き色にぞ有ける枝空花落稀〇吹風に枝も空しく成行けば落る花こそ稀に見えけれ鳥思殘花枝一鳴鳥の聲深くのみ聞ゆるは殘れる花の枝をわぶるか月照平沙夏夜霜一月一に影べて眞砂の照ぬれば夏の夜深き霜かとぞ見る但能心靜卽身凉我が靜靜けき時は吹風の身に變らねど凉しかりけり潤濶路甚〓凉山高み谷をわけつゝ行水は吹來る風ぞ涼しかりける秋天漢追々不可期天の川程の遙になり行けば逢見むとの定めなきかな秋霜鬢似年空長秋のよの霜に譬て我が髪は年のはかなく老し積れば秋來只識此身哀一七大方の秋くるからに我身こそ悲しき物と思しみぬれ霜草多枯蟲思忽〓〓置霜に草の枯行く時よりぞ鳴く蟲の音も高く聞ゆる今宵織女渡天河九一年に唯今宵こそ七夕の天の川原を渡るといふなれ三心情逢秋一似灰〇四物思ふ心の秋になりぬれば凡て人こそ見え渡りけれ秋悲不到貴人心ニ大方の秋を悲しと見るともあだなる人は知ずぞ有ける樹葉霜紅日「常常りも秋の木の葉に置く霜の紅深く見ゆる頃かな蕭條秋思苦かすかなる時のみ見ゆる秋篠は物思ふとぞ苦かりける悲秋々多老集里千江大過過行行の悲しく見えつるは老なむとの惜き也けり営紅樹蟬鳴エロ紅葉つゝ色紅に見ゆる日は鳴く蟬さへやなくはなりぬる(電影大秋のよを寒み鳴つる蟲の音は我宿にこそ數多聞ゆれ行程の秋過ぎかたに獨しも友に後れて鳴き渡るらむ人〓吹風の音高くさへ聞れば置く露さへも寒くもある哉九四木の葉皆唐紅に時雨るとて霜のさらにも置增るかな02秋のよを寒み鳴つゝ行雁の霜を凌きて行き歸るらむユニ東雲に秋置露の寒ければ唯ひとりしも蟲のなくなる鳥栖紅葉樹一秋すぎば散なむ物を鳴鳥のまづ紅葉の枝にしもなく秋雁過盡無書到秋秋のよを且は鳴つゝ過れ共待言傳は見ゆるよもなし寒雁飛行雁のとぶと早く見えしより秋は限と思ひなりにき寒雁聲靜客愁至五島鳴の聲だに絕えて聞えねば旅なる人を思まさりぬメニ鳴輝の聲高くのみ聞ゆるは秋すむ蟲の秋ぞ知るらし冬迎冬先有好風〓いつしかと冬を迎る朝から先よき風の吹ぞうれしき中宵似有春風至xxさよ更て尙ねられねど春風の吹來るかとも思ほゆる哉一年冬至夜偏長五一一ににる臥起きすれば明し難きに新愁多待夜長來ニ新新ききへは多く寒き夜の長きよりこそ始なりけれ心灰不改爐中火〓物を思ふ心は灰と碎くれど熱き時には及ばざりけり鬢雪多於砌下霜〓我髪の皆白雪となり行けば置ける霜とも驚かれけり年々只見人空老12年年と數へこしまに傳くて人は老ぬる物にぞ有ける十分一盞暖於火飽迄に滿てる酒こそ寒き夜は人の身迄に暖まりけれ老眠早覺常殘夜老老ぬぬ目は早覺て長なへよはに過ればねをのみぞ泣霜未殺妻々草宵々にまだ置霜の寒ければ草葉をだにぞ枯さざりける35と獨獨て燃る螢に向へばやかく音もなき身とぞ成ぬる長年老不惜光陰ス新新り老ぬと思へば今更に光の過ることもおばえず風月風翻白浪花千片沖べより吹來る風は白浪の花とのみこそ見え渡りけれ月照波心一顆珠〓〓照月は浪の心にひかされて一つかたにも見え渡る哉柴扉日暮隨風掩一ててるる宿にもかりの暮行けば吹風のみぞ戶鎖也ける不明不暗朧々月シーももずず曇も果ぬ春の夜の朧月夜ぞめでたかりける鵠飛山月曙七ヒ〓鶴の峰飛び越えて鳴行けばみ山隱るゝ月かとぞ見る〓景難逢雲晴てよき月影も常ならず有らむ限は惜みこそせめ非暖非寒漫々風エ熱熱ずずくも非ずよき程に吹來風は休ずも有らなむ殘月照山明大二二つとも見えぬを月の山每に照渡りつゝ明らけき哉風索屬閑人定なく吹來る風は掻分てなどかしげきに人に〓らむ月宮有路無思人〓〓月月都都都がかりは有と云ど尋て行かむ程ぞ知られぬ可憐春風老七惜みてもとめま欲きを春風の吹過難く成ぬと思へば7
遊覽山雲初晴水色新〓雲もなく谷は山さへ晴行けば水の色こそ新た也けれ猶愛雲容多在山〓白雲の中を分つゝ夕暮のめでたきとは山にぞ在ける借問春カム山處處〓問知りて雲の梯とひ行かむ孰れの方か山はさかしき水落靑山出白雲行行の靑き山より落來れば白雲かとぞ見え紛ひける遙見人家花便入よよにても花を哀と見程に知ぬ山にぞ我は來にける可憐悲靜地さしわけて深く哀と見えつるは晴て靜けき所也けり井下水頭無秋日-陰繁き水のあたりは年をへてすぎゝめれ共見えずぞ有ける欲偷風索繋遊春吹風の光をとめむと思へばぞ暫も春に遊ぶべらなる長歲作獨遊人綾なくも年のを長く獨してあくがれ渡る身とや成なむ天高暮山遠天つ空近く見えつゝはえつるは暮行山の麓なりけり野曠白雲深〓とと野べの遙に見えつれば立白雲も深くぞ有ける山花織錦無緣山ごとに花の錦を織れゝばぞ見ゆる所の易き空なしニ谷谷の琴の音絶ず聞ゆれば時の間をだに隔てずぞ見雜部涙流雙袖面成文ニュ泣泣淚淚る〓にりては紅深きあやとこそ見れ別無遠近皆難見別るとも云つる時は遙けきを近きを見ぬぞ戀しかりける悠々一別已三年近からぬ時に一度別るれば問ぬ三年ぞ隔たりにける別後相思夢魂遠別れにし君を思ひて尋ぬれば夢一の魂はるけかりけり朝結古〓意朝ごとにむすぼゝれつすぐしうる別後愛惜容花改別れにし君に見せずて徒に形の變る身こそつらけれ白雲一片隨君去白雲の別るゝ每に立つれど君ともにこそ行隱れぬれ後時相見是何時別れののもも見見むと思へ共是を孰れの時とかは見る送故辭春過恨多00人を送る共に春さへ過ぬれば是が恨はあまるなりけり萬里經年別。近からず遙けき程に年をへて獨ある人ぞ苦しかりける不知何日又相逢。別ての後は知ぬをいかならむ時にか又は逢むとす覽沈吟難別情°C底ひなく物をぞ思ふ有てのみ別るゝ〓とを思ふ我身は述懷自靜其心延壽命oo定なき心一つをなしつるも命を延るものにぞ有ける心更老於身00中中を思知りぬる心こそ身よりはすぎて老增りけれchi心心をし蟹の浮木になしつれば流るゝ水に心まされり何獨朝々暮々閑toはかなくていつも我が身の獨して旦夕にしづ心なきo浮世短於夢0寄寄べなく底に浮べる心こそ夢見るよりも儚かりけれ憂喜皆心灰悲しきも嬉しき事も多かるを心一つぞなたつかりける自遠浮雲無名着我身をば浮べる雲になせればぞ行方もなく傳なかりける幻世去來夢集里千江大今はとて別るゝよりも高砂の松は增りて苦してふ也いとをかしと覺して人々に此返しせよと宣へばタ暮はたのむ心を慰めつかへる朝ぞわびしかるべきまたかくもた今はとて別るゝよりも夕暮の覺束なくて待社はせめこれをなむをかしとのたまひける早うすみ給ひける女の扇に書き給ひける05年毎に夏に扇と聞からに古き事こそ問はまほしけれ一條にて人々住み給ふことを內わたりの人いひければその女宮の御許にかくなむ聞えたりける三皆人のまけるが如くしりぬれば同じ程社思ひ成ぬれ宮うかれめこきに住み給ふ頃せまりつといひ騒ぐを聞き給うて藏人にいひ遣しける獨のみよに炭竈にくゆる木の絕えぬ思を知人のなき一〓へども憂世の中に炭竈のくゆる煙を待つ由もがな御返し、女帯木を君が栖かにこりくべて絕じ煙の空にたつ名はみぶのみこに遣しける1へへしやよに憂をば是に限てむ思ふ心は逢見るからに親ある女に程なく絕え給ひにければ親いふと聞き給ひて妊蟬の羽の薄き心と云なれどうつらしよとぞ先は泣るゝ枇杷の大臣にいちや君とて童にてさぶらひける男ありとは知り給はで宮の御文遣しければ、女七大空にしめゆふよりも儚きは難面き人を賴む也けり又女に〓〓瀨瀨山よの一言に呼子鳥よばふときけば耳ぞ馴ぬる宮なとと〓とをまつ松山の山彥はいかゞは人に音信をせむ又、をんな캔難波女の此方彼方によるといへば汐のひるまや戀しかる覽o一幻の世とし知ぬる心にははかなき夢と思ふなりけり浮世水上渥一假初に暫し浮べる魂の水のあわともたとへられつゝ黑鬢俄假變春花黒髪の白く俄になりぬれば春の花とぞ見え渡りける恩光春景去我君も春の光に等くば先なる身とも知りぬべらなり夢中歡樂又緣愁エ夢にても嬉きとを見る時は爰に散來る身には優れり詠懷霜分けて都尋ねに來る雁も春に逢ては飛び歸りけり一ごごごに逢ても逢ぬ我身哉花の雪のみ降り紛ひつゝ春のみや花は咲らむ谷寒みうづもる草は光をも見ず白白の立歸りくる數よりも我身を歎くとはまされりco蘆蘆の獨おくれて鳴聲は雲の上まできこえつがなむ一二天雲や身を隱すらむ日の光我身照せど見る由もなき:年毎に春秋とのみ數へつゝ身は一時に逢ふ由もなし三思ふこと鳴爲につけたれば色も變らぬ我ひとりてふW都迄なみたちくとも聞かなくに暫だになど身の沈む覽時時五五待ずぞ鳴にけるはかなく春を過ぐしきめれば套此本爲忠卿之筆分明也亞槐藤 列=元良親王御集陽成院の一宮元良のみこいみじき色ごのみにおはしければ世にある女のよしと聞ゆるにはあふにも逢はぬにも文やり歌よみつゝやり給ふ源命婦のもとにかへり給ひて〓〓〓〓〓〓〓〓待〓暮夕暮と今はとて歸る旦と孰れまされるとうてゐたまへばひかへて、女
宮おはして出でよとのたまへば、女一いさゝめに若きをやみと浮波の立果はてゝやまむ事は梵歸り給ふとていも寢らるまじとのたまへば、女こさふから寢覺をしては起返り又もこしとぞ君は誓はむ女のもたる物をとりておはしにければ夙めて女三人人ふ夜夜の衣に非ずとも是は返して我にみせなむ斯て此の女こと人にあひて宮の怨み給ひければ吉野川よしや思はじたきつせの早くいひせばかゝらましやは宮ことわりとて秋風に吹れて靡く荻の葉のそよ〓〓さ社いふべかりけれ又、女西ねよと共に君が心し長月にあらば賴まむ秋は果つとも女今はことざまにやと聞えたりければ松山にまつ波越ていにけれど如何思はむあだし心を恨み給ひける、女人淀河のよになうらみそ白波のしらずや下に思ふ心は加上上上上ばばる富士のねの三島の隙にあらば載てむ猶怨み給へば女さらば是やめてむと聞ゆれば宮2山山井のやまむといへば等閑の淺き心は賴まれぬ哉女一君が田の穗にて見にむと思へ共後は人から稻葉と云也宮御服におはしけるに一墨染の深き心やわれなくば哀と思はぬ人やなからむこと女に、宮さしくるは賴まれず共下紐の心解たるよをのみぞ待女とちがへやり戶のもとにて物のたまひて後見し夢はこまなく成てやみにけむ違へ遣戶の本にねしかば太秦に詣で給ひてよしある局に遣しける立立寄れば塵たつ計り近き間をなど唐の心ちのみする又女にあひ給ひて流れてなどのたまひて程へて遣しける丸水莖の絕にし跡を尋れば流れてと云し〓とによりてぞ御返事セ流流てて早早云云ははれねど飛鳥川なる世社つらけれ此の宮の御姨大炊の大納言の北の方にておはしけるをいと忍びて通ひ給ひけるを、北の方〓荒る海に堰るゝ蜑は立てなむけふは浪間に有ぬべき哉此の北の方うせ給ひにければ御四十九日のわざに白かねをはこにつくりてこがねを入れてみ誦經せさせられけるにそへ給ひけるAz君君又又に見ばや逢事の互みにふりぬみつは有とも京極のみやすん所まだ亭子院におはしける時にけさうし給うて九月九日聞え給ひける六の世にふれば有てふ〓とを菊花愛ですきぬべき心ち社すれ夢のどあひ給ひて後帝つゝみて渡らせ給ふとてえあひ給はぬと宮に候ひけるによせりよみける麓さへ熱くぞ有ける富士の山嶺の思のもゆる時にはかもゐの大君にあひ給ひてつとめて〓錦錦たちてこゝちの歸る山歸る〓〓も物うかりしか宮うらみ給ひければ、女二世中の憂もつらきも取すべて知する君や人を恨むるほどなくかれ給ひにければ、女大白雲に非ぬ我身を逢〓とのまへはの浦にけふはけぬべし宮御かへり1待乳乳待待ししかかとも色變らじと我も賴まむ又、女君により心盡しのはかたつの儚きねをも鳴渡るかな六鶯となどかはなかぬ振立てゝ花心なる君をふとてかく怨み聞えけれど後々は返事もし給はざりけり又同じかも院の中の君を懸想し給ひけるに女〓天雲をとぶ假初にとふなれば大空事をいかに見らむあひ給ひて後、宮集御王親良元ればつらけなるけしきにおほしけれど見しらぬやうにていで給ひければ女宮音音高高島鳴鳴鳴ぬぬ空蟬の我身がらなる憂世と思ばと宣ひければあはれ〓〓とてとヾまり給ひにけり同じ御中にまだしかりける時のこの宮に坐し始めての又の日京極御息所の御中に奉り給ひけるかいとゞしくぬれこそまされ唐衣逢坂の關道惑ひして御息所のかへし2誠誠ててぬれけり宿も唐衣こゝに來たらば共に絞らむさま〓〓通はし給ひける御文ども今日かへし奉り給ふとて御息所ややればをしやらねば人に見えぬべし泣々も尙返す勝れり北の方宮にむら子とてさぶらひけるを召しければかんしうをき給ひければ男宮こまの院におはしけるにむら子參りける數數らら身身只只に社思ほえでいかにせよとか眺らる覽男宮の御返し一徒然と詠めてふれる人よりも宵の時雨は劣らざり見女宮うせ給ひければ男宮岸にこそ世々をばへしか泉川今年袂をひたしつる哉又の年の十月に伊衡の中將參りて御みきの序に神無月しぐれは何ぞ古も思ひいづれば歸る世もなし宮古を思ふにあへぬから衣ぬるゝ程なく乾きこそすれある女のこの宮をうらみ聞えて廿世ををのみ渡る宿りにはかりもこなくに色變り見御返し、宮定なき君が心にあえて社まだき木の葉も秋を知らめ年年ともなれしとぞ思ふ唐衣薄き心の顯はれはうし又、女おはしたりけるにはやかへらせ給ひねと聞えた思ふ共こふ共君は下紐のゆふても絕く解むとをしれ女のきこえ給ひけるも。思ひせばゆふてもたゆくとけなまし孰か戀の印也ける〓下紐の夕暮ごとに詠むらむ心のうちをみる由もがな村村の群てのみ君有ときけ獨ふるすに何にあらむと憂節の一夜も見えば我ぞまつ露より先に消返るらむ宿りゐるとくら許多に聞ゆれば孰れをわきて古巢とかいふ間じえにおひつる宿も無物を何にか鳥の音をば鳴けむ又同じ閑院の三君に稻荷にまうでゝあひ給ひて宮は知り給はぬを女は知奉りて歸りて聞えけるれぬば玉の關に交りて見し人の覺束ながら忘られぬ哉など聞えてあひにけりさて、宮t理理の下に歎けと名取川こひしき瀨には顯れぬべし七女N我方に流れて通ふ水莖のよる瀨許多に聞ゆればうしえ流流てて賴賴心心のそはなくに孰れ程にか影の添べき0本木れの下草なれば峯の上の光も終に賴まれなくに〓盡もせぬ言のは也とみるからに賴むと云も嬉かり鳬風ふけばみをこす波の立返り浮世の中を恨みつる哉むむ玉の夜のみ人をみる時は夢に劣らぬ心ち社すれ涙川流れて岸を崩してはこひよる〓とも非じとぞ思ふ方さだめなくあくがれ給ひけれどいと心ありてをかしう思はする宮と聞き給ひて大夫の御息所の御母の女は宮にあはせ奉りてあしたに、男宮程もなくかへる朝の唐衣心まどひにいかゞきつらむかへし時のまに歸りやすらむ唐衣心ふかくや色にそはぬと母御息所の御許に御后の綻び縫ひに奉りたりければ御息所移しげに人唐衣思ふには常ならぬ香ぞ添ひてめでたきかくて住み奉り給ひけれど外ありきをし給ひけ
ればさらにたかしとのたまひければ、女°唐錦絕て見ゆらむ闇き夜は誰とかあやめ思做さまし又。何に君思ひかけけむから衣人めもみてはとはじ物故coあだ人の呼ひし聲に山彥の答へ初にし身をぞ恨むる人の國へゆくとて、女三0濁江のすみうき物と都をば厭ふか山に身をや投ましこと女に物のたまふとてきちきやうにつけて賴みとは同からまし言葉を歸りに是な桔きやうの花又こと女例の御心見えければ10言の葉の我身の秋に逢時はもみぢて空に散と社きけ宮x宇宇川の流れて深き心かと我も「たのみはつべく女〓むむれば下の心はあさぢ原露にぬるれば色變りつゝ五月計に早うすたれ給にける女の聞えたりけるx梅梅に我手そへつゝ植初めし君が賴みは今や出らむ女山里にすみける頃な0秋風の早き山べに住頃はとふ言のはも枯ぞはてぬるまたこと女に文遣したりける返りごとに〓頼まれぬ暫しの程も秋の夜の長き心も非じと思へば宮賴ねぬとも心のから衣なれてよるとやさらば思ひしこと女に、宮天雲の遙々みゆる嶺よりも高くぞ君は賴みそめてき山の井の君に住み給ひて久しくありて宮は參りたまひて夜ふけてまかでければくらくていかゝとのたまひたりければ、女一苦しとも辿られざりき古を思果てゝし歸りこしかばおくりに人につけて聞えたりける歸來る袖も濡るはたまさかに阿武隈川の水にや有覽たゞ暫しにてたえ給ひにける人に程へて御文遣したりければ音音れて程ふる山の郭公なく一聲のめづらしきかな宮いかゞのたまひけむ、女1月影に我もおくれず逢ふ〓とは吉野の山に思入りにき又涙だに斯る我身に微りせば憂もつらきも誰に云ましからうじてとひ給ひければ、女中々に飛火の杜の郭公君こひなきはよはにこそなけ又散ぬべき花の心とかつみつゝ賴そめけむ我や何なる賀茂の祭の日かづらの宮の御車に奉り給ひけるしらね共桂わたりと聞からに賀茂の祭の葵とぞせむ又の日物宣ふ女どもへてらにまであひてみつなしりつにし給ひていとよく見給ひて遣しける一世中に嬉しきものは鳥部山隱るゝ人をみつる也けり忘れ給へりける女〓水にまうであひ給ひて宮は知らずがほにていで給ひけるに聞えける一假にくる宿とはみれどかましへのおほけなく社住罷同じ所にて常に見給ふ女にしの竹のふししげきをつゝみ給ひて遣しける『篠竹の節は許多にみゆれ共よゝに疎くも成にける哉おなじ人に、宮いかにして繰染にけむ糸なれば常にはよれ共逢由のなき返し近くだによる〓ともなき白糸のあふ計には思ほえぬ哉やんごとなき女の御もとに〓尋ねつゝ今踏初る山道にいつ鹿の音ぞまづ鳴れける返し一世中の秋山にのみ聞ゆればいつ鹿の音も耳馴にける又おなじ人に、宮=〓難面きを强て賴めば水の上の浮たる草の心ち社すれ返し草の名におほせしもせじ山川の早くより社浮て聞ゆれ忘れ給ふなよと女の聞えければ0谷谷松松ののににををみみて花咲かむ世や君を忘れむ所仰殿中納言君に程なくたえ給ひにければ、女一人をとく芥川てふ津國の名には違はぬ物にぞ有けるかくて物もくはでなく〓〓戀ひ聞えて松に雪のふりかゝりたるにさして聞えけるニー來來人人松松の枝にふる白雪の消こそ返れあはぬ思に昇の大納言の御むすめに住み給ひけるをひさしにおまししきて御とのごもりて後久しくおはせでかのひざにしかれたりし物はさながらありやとりやたて給ひてしと聞え給ひければ、女一數返すありしながらの草枕塵のみぞゐる拂ふ人なみと聞えたりければ、宮草枕ちり拂ひにはから衣袂ゆたかにたつをまてかし又、女唐唐たたををつまの程こそは我敷妙の塵もつもらめ斯ておはして後宇治へ狩しになむと宣へるに女御御する栗駒山の鹿よりも獨ぬる身ぞ侘しかりける一條の君に〓世中をいかゞはせまし春霞よそにもみしと人は云也御返し〓〓とはみれども疎し春霞かゝらぬ山も非じと思へば山の井の君の家の前をおはすとて楓の紅葉のいとこきをいれ給へりければ、女知思出でゝ問には非ず秋果る色の限をみするなるらむ又ほど經てとひ給はずとうらみて〇山山井井すすとと名名は立しかど訪人影もみえすも有哉すりの君のもとにおはせむとありければ、女一高く共何にかはせむ吳竹の一夜二夜のあだの節をばうきまで人を尋ね給ひければ、女ニ八八垣垣に一重優れる九重にあだなる人は尋しもせじ女のもとにおはしてとまり給へと宣へば、女圖ミニ渡つみの底の心は白波の知ではいかゞよるとぞや君こといできて後京極の御息所に侘ぬれば今將同じ難波なる身を盡しても逢むとぞ思ふかねもとのむすめの童べのもとに今こむとのたまひておはせざりける又の日、女1人人ずずつつねねれれ有明の月にさへ社欺かれけれあしぶちと云ふ馬に乘り給ひける頃女のもとに久しくおはせざりければ、女有有らにぬをも云じ葦ぶちの駒の上社戀しかりけれこれにおどろきてなむまどひおはしたりける女のもとにおはしたりけるに明けぬと聞えたりければかへり給ひて、宮七天の戶の明ぬ〓〓と云做して空鳴きしつる鳥の聲哉返しxx天の戶をあくとも我は知ざりき谷深りし鳥の音にあかで時々おはする所におはして前栽の中にて立ち聞き給へば宮の今宵夢にみえ給へるかなとて、女現現もも靜心なき君なれば夢にも假と見えつるがうさ御匣殿に、宮aceののづづたふ枝を尋ぬとて花の栖かを行てみしとやユ遙々と思ひて月も過ぬれば今はなつくる〓とを待つ哉〓初初し思を常にかすめても覺束なさの猶まさる哉返し三三いつよりか君が思の馴ぬらむ今より外にいふぞ怪しき源命婦に方ふたがりたればなどのたまひければ女〓〓事事の方はさのみぞふたがらむ一夜廻りの君となれゝば
と聞えたりければ障らでおはしにけり又の日さておはせて嵯峨の院に狩しになむと宣ひければ一大大の池の水莖絕ぬともさがのつらさを何か恨みむ御返事もいかゞありけむ忘れにけり近江介なほきがむすめどもかたちよく心たかしと聞き給ひて遣しける〓〓の〓の葉のそよぐ每にぞ恨つる風に返してつらき心を又七々くく人人はみるらめせき水の絕る心は有じとぞ思ふ返し〓せき河の岩間を潜る水淺み絕ぬべくのみ見ゆる心を月のあかき夜おはしたるにいでゝもなどは聞えてとくいりにければ、宮お一夜々に出と見しかど儚くて入にし月と云てやみなむ扇を落しておはしにける見れば女の手にてかける怠らるゝ身は我からの過ちになしてだに社思絶なめとあるかたはらに書きつけて奉る一床しくも思ほゆる哉人每に疎まれにける世にぞ有けるこまのゝ院にて秋つとめて人々おきたりけるに源ののぶるひとりごとにいひけるニ白白の消返りつゝ夜もすがらみれども他ぬ君が宿哉といふをきこしめして蓬生の草の庵とみしかどもかくはた忍ぶ人も有けり同じ院にて泉川といふ〓とをよませ給ひ人々の千とせおはしませといひ聞えければ、宮の御泉川心にかなふ命あらばなどか千年も渡さゞるべき又泉川水ふかげなる水なれば人なみ〓〓の聲ぞ聞ゆる志賀の山越の道にいもはらと言ふ所もたまへりけりそこにおはしつゝ人見給ひけるを知りてとしこ書いつけゝる狩にのみ來る君まつと振出つゝ鳴鹿山は秋ぞ戀しき或る人御文遣すに隱れて侍らずといはせければ六〓〓沼と聞くからにこそ深芹の思そこぞと思やらるれ又つかはすななに返り假にも有ぬ玉章を雲居にのみぞ待渡りける六物のたまふ女男いできにけり十月ばかりに遣しける大こまはとや移ひにけむ木葉故そこの村雲何時雨る覽女宮ゑしてよせ奉らざりける頃四宮よりcl身をつみて思知りにき薰物の獨寢いかに侘しかる覽御返一心から今はひとりぞ炭竈のくゆる煙をまつ人もなしおぼしかけたる女男したるに御文遣したりければ〓三芳野の山より落る瀧つ瀨の早く成せば待ぞしてまし宮の御返し秋風にとより斯より花薄そよやさ社は云べかりけれ前わたりし給ひければ女にこの月はいかと聞こえたりければ、女大空の月だに宿にいる物を雲のよそにも過ぐる君哉近衞の帝の君といひける人に思っゝ云ねど何かさも非ねば心にのみもまくる我身か女に物のたまひてあしたに萠返り焦れし草も厭ひにき唯宵の間の露におかれて京極の御息所〓次風に敢でこそちれ梅花あだに匂へる我身とな見そかねみちの宰相の女に〓そそれれもも濃さも增らぬ唐衣色の限をきてみつる哉又ああたたま今に昔も昔も比ぶれど人花がたみ空に戀しきニ集御王親良元女わすれななむとこそ覺ゆれと聞ゆれば宮いみじう恨み聞えける女に宮○恨みつゝ歎きのかたき山ならば颪の風の早く忘れね物のたまふ女こと人に物いふと聞しめして、宮「早晩と我まつ山の今はとて越ゆなる波にぬるヽ袖哉返し松山に憂はこす共君をおきて波の立名は有じとぞ思ふ又宮逢事の淚にのみぞ濡そはる飽ぬ世ををし悲しと思へば御返65絕えはて給ひぬると見て山の井の君山の井の絕はてぬ共みゆる哉淺間をだにも思ふ心に又うこと云ふ人の聞えける八¥5,5へ五月雨なりし郭公いかで今年の聲をきしまか御返めに近く身には見じとや鵑よそにて聲を聞むてふ共いとあだにおはすと聞きて、女つつももせず憂言のはの多かるを早く嵐の風も吹なむ宮御かへし〓露にだに移り行なる言のはのなどか嵐の風を待らむ京極の御息所か思ふてふ〓と世に淺く成ぬ也我こゝばかり深きとせよ又花かんし奉り給ふとて00鶯はなかむ雫にぬれねとや我思ふ人の聲ぞよそなる三條の右大臣の御女の經しや世にとかいたまひたりける一何か世に今は恨と思らむしらねば人のつらき成らむ津の國にたまさかといふ所に知りおき給ひける女にで島なる名をたまさかのたまさかに思出ても哀とはなむ〓愼公集〔藤原實賴集〕延喜の御時飛香舍にて藤の花の宴ありしに九薄く濃く亂れて咲る藤の花等しき色は有じとぞ思ふ天曆の御時にせさいの宴せさせ給ひけるに〓代代變變ぬ花の色なれば孰れの秋か君は見ざらむ村上の御時に御遊びあるに召なかりければ內侍督のもとに聞え給ひける1春春らら呼呼鳥鳥をも聞てましつらきは秋の終也けり或る女に聞えはじめ給ふとて普きくに物馴にける衣手は涙と共にふりやしぬらむ女に聞え給ひけるせ人知れぬ思ぞ年をへにけるを我のみ知るはかひ無りけりかへし心心より誰かはしみむ數々につくる思の色ぞ消えなでまた誰誰かか許許思思は〓初し君よりまたは知ずぞ有ける返し〓あだ人のかける思は定なく打附に社つかばつくらめまた。あだ人の無に非ず有と有と云へば我身にはまだ聞も習はぬかへし。君君らで又社きかねあだなるは御禊の程のなにや有覽唯斯くco厭厭をも知らぬ我こそ哀なれをんないとゞ疎きになほも添ふかな女、おとゞやいかゞのたまへりけむ〓云さして唯こそ死なめ水莖の流るゝ底の心知らねば返し集公愼清〇ハニーニ
一雨降れば濁ぬ水も聞えねばまづ山の井に疑はれけるおとゞおののも井には深さ增りつゝ絕る〓となき物を社聞けかへし60音にきく心安積の沼水ぞおりたゝね共とむ底ぞ知るおとヾxみちのくに有と云なる山の井は遠き所ぞ猶賴まるゝかへしoo程遠く聞きのみ渡る浮島のうきたる程に賴むなる哉おとゞ今よりぞ嬉かりける賴むべき心に早くさらば成なでかへし一人はいさ賴みやすらむ我は唯嬉しかるべき〓とも知ぬに大臣あるやうありて三黃昏に人答むらむ秋風に忍ぶることの答よーマン女いかゞ聞きてかかけシ君だにも問ふに答る物ならば黃昏時を何かおつべき大臣いかゞ聞え給ひけむ、女かくばかりわかなのつめばをしきを元おとヾ惜しとても唯にややまむ春日野の若菜摘には行と社聞けかへし何せむに唯にも行む春日野に摘まば若菜の種は絕なむおとヾ「萬代に摘まむと思ふを春日野の若菜の種は猶も萠なむかへし〓筐にも摘人あらば春日野の若菜の草は任せてを見む大臣たゞかく聞え給へり風吹かでなぎたる浦の春なれやとあれば風吹で風たる空と聞からによそなる方も潮のみぞ滿つ御はらからの女御の御はらからに詠み給ふと聞きて=潮のみつかたは白波渡つみの美ましくも聞き渡る哉かへし一白波のまだこそ知らね高砂の羨ましくぞ何か聞ゆる一夕されば早晩とのみ高砂の松といふ〓とを聞にや有覽かへし一誰をかはまつ高砂のしかばかり美む迄は音の聞ゆる縫ひきする人しなければ唐衣君が袂を賴みこそすれかへしよそ乍ら縫こそきせめ唐衣袂の下にきしもならさで知君だにもぬひて掩はゞ唐衣よその袖とて何か思はむ又おとヾ移ろへる色に倣ふと菊の花後やすくも非ずも有る哉かし〓のの移移ろふとやうつるとてならふ錦ぞ色增りける=花も葉も移ふ菊を見人やあだなる〓とは見も習ふらむかへし0秒移ふを音にぞ聞くと云人も花に劣らぬ心ち社すれなりきたのかたに一わわごごははははぬ君を世中の心細きになほ賴むかな返し二君だにも心細しと思ひなば我さへ賴む人やなからむなりきたのかたうちにのみ物し給へば、大臣今ははや深山を出でゝ郭公けぢかき聲を我に聞せよかへし11人はいさ深山隠れの時鳥ならはぬ里ぞ住憂かるべきまたおとヾ型子規み山を出でぬ物ならば我も里には何かすむべきかへし知人知れぬ思もなくば郭公何か深山を出でがてにする集公愼〓女に哀とも思ふや君は年をへてつらきを强て賴む我をば又ヘ玉玉かけて隔つな心なくけぢかき色を君は見せなむ女に加音にきく年へにければ菊の花心あてにも折つべき哉かへしco紫に咲けども何か菊の花心こはくは折らむとぞ思ふおとヾ一菊花折てこそ見めよそにのみ心を遣むとのかひなきかへし、女匂ふとはよそに聞見花のえの心高きは折られしもせじ返しニ遠遠くては匂はむ〓とも忘れしを心高きも折てこそ見め女かへし哀とも人も見るべく諸共に有明にのみ世を出しかなおとゞいかゞのたまへりけむ、女「聞にだに瘦渡るなる水なればおり立人ぞ思遣らるゝ同じ人に秋風はいたく吹とも女郎花思ふ方にもまづ靡かなむ女やいかゞ聞えたりけむ花だにも色かはらずに紫の深き心はいつかうつらむ立寄てまつはれをらむ女郞花荒き風にも當じと思ふを又いかゞ聞えたりけむAN我ならで誰をかは折む女郞花心をりにく主は無く共女御二葉より生ひし種なればと聞え給へればca女女郎花なでし昔を聞からに折らぬに袖は先ぞ露けきいかゞ聞え給へりけむ一風だにも吹亂るなる花なれば引寄てのみ折むとぞ思疑ひ給ひけることのありければ一松山は變らぬ色し高ければ波越す〓とをまだ聞かぬ哉女やいかゞ聞えたりけむニ渡渡みの泡に譬る物ならば徒にてぞきんすべらなる女君だにも常磐の色の變ずば松の千年を誰とかはへむかへし平千をも他すぞ有べき松の葉の數を年にぞ。倣むとぞ思おはしけるを返し給ひければ梅しくも歸にけるか唐衣かひだゆき迄返すかひなし女のいかゞ聞えたりけむい宿に社撫で育しけめ女郞花そと秋の野の露に濡らむ〓色々に花の心は移るともおふ〓〓我は折むとぞ思ふ又があだにこそ露は置らめ花薄我が結びてし色は移らじまた〓唐衣かへる人なみたき物のこの下人に燃えや渡らむまた〓限なき思しあれば唐衣ぬるゝほどなく乾きこそせめ女やいかゞ聞えたりけむずりりぬぬぎての後も夕月夜覺束なくは思はざらなむ思へとて覺束なしや闇の夜は手計にては如何知べき六女かへして計か戀もやす覽夜めにても著きは人の心とぞ見し女御の御もとにおはしたるに歸らせ給ひねと聞え給ひければ背は出て入ると社見れ小倉山麓に來ては歸る物かは大臣おはして歸り給へるに中務戀渡る君を見しには有ねばや思やまれて今日も悲き返し遂見ても戀ふるも物の悲しくば慰め難く成ぬべき哉同じ人に遣す宵々に君を哀を思ひつヽ人には云でねをのみぞ泣く集公愼〓
返し君だにも思出ける宵々を待つはいかなる心ちかはする中務に又我身をも我に任せぬ我なればつらき和とく成にぞ有けるかへし一心にも身を任せずと聞からに賴む方なく思ほゆる哉二月二十八日櫻の花御覧じて文作らせ給ひ歌よませ給ひけるにニまだ散ぬ花の見ゆめる春風の吹もやまなむ後も見べく八月二十八日嵯峨野の花御覽じてロなしの色をモ賴む女郞花今宵は野べにいざ止らなむもとすけ人知れぬことありて女を恨みて七憂きながら流石に物の悲しきは今は限と思ふ也けり■かへし、女に代りて思はむと賴めし〓とも有物を無名は立てゞ唯に忘れよ新命婦に遣すとて茶葉さへ降に降るめる故〓に爭で殘れる紅葉なる覽又おなじ人に花も葉も色は咲なば散に見心の深く見えしかひなくかへし花の色の薄きはつらし年ふれど深き心ぞ誰か染けむ又遣しける故かは生れやすらむ櫻花いとゞあだなる心おもへば小一條の右大臣まかりかくれて後かの家にかひ侍りける鶴の鳴き侍りけるを聞きて後後ゐて鳴なるよりは蘆鶴のなどて齡を讓らざりけむ內侍督馬10mが家に權中納言實資がわらはにて侍りける時弓射にまかりたりければ物書かぬ草子を賭物にして侍りけるを見侍りていつしかと明て見たれば濱千鳥跡ある〓とに跡の無哉返し留む共かひよくなるら濱濱衛二人ぬる跡は共に聞つゝむすめにまかりおくれて又の年櫻の花盛に家の花を見侍りて聊かに心をのぶといふ題を櫻花のどけかりけりなき人を戀ふる淚ぞ先は落ける天德三年九月二十三日召鎮守府將軍仲舒朝臣贈小祿及馬種々物裏入韓之斜壺之紙手書和歌一首雲雲入入翅翅野べにおほくとも心移りて我を忘るな三條右大臣定方失せ給ひて後御女十人おはしけるが母上の御賀し給ひけるにかざしまゐり給ふべき人は誰かとおはしけるを小野宮のおほいまうち君はかの御子にておはしければ女御殿御消息聞え給ひてぞかざし進らせ給ひけるむすめたちの御さうぞくさまん〓の錦織物えもいはぬ樣に裳唐衣みな着給へれば女御どのし給ひとりつきなどは御つき〓〓のむすめたちなどぞし給ひけるそのかざし奉り給ふついでに詠みかけ給ひける于時右衞門督ェ散散けけ花の今迄匂せば今日の挿頭に先ぞ折らまし男の女のもとに文やりたるに返事せざりければ歸りて夕夕け道ふ〓の空なる人だにも〓とのいらへはしつる物也女のもとにおくる君を猶恨みつる哉蜑のかる藻にすむ蟲の名を忘つゝ康保二年正月忠君來北野宮是貞信公御愛孫也仍以大德勸盃酒其次有此詞新らしき年の始と思へども止らぬものは涙なりけり同年二月二十八日看舊庭難仰悲戀拿武俠云々兼盛元輔宜見るからに袂ぞ濡るゝ櫻花空より外の露やおくらむ敦敏亡近之後不知其由從關東有送馬之不堪悲淚聊述所懷0%まだ知ぬ人も有けり東路に我も行てぞ住べかりける古を思ひ出で給ひて內侍のすけに給へりける鈴蟲の劣らぬ音こそ泣れぬれ昔の秋を思ひ出でつゝあらはに出でゝ逢ひ給ひければ平內侍一之ええと何何ひけむ涙川流れ逢ふ瀨ぞ有ける物を後本に底の玉藻もひかり見えけり擣衣を風の音に驚かれてや我妹子が寢覺の床に衣うつなりはつ雪九初雪の薄くに降れる庭の面は踏見む〓とも可惜しき哉殘の菊霜のおける殘の菊の長月のながき例に匂ふなりけり惡さか〓〓しくも見えぬなるらむ(下餃)七月ばかりに月あかき夜例の物云ふ人のもとに怠れても有べき物を此頃の月夜に痛く人なすかせそことゝも思はぬ女の常に物いひかけしかば梅が枝に雪も止らぬ春なれば木の下露や常に露けき內わたりにて語らひし女絕えて後恨みければ〓〓坂坂や旅ゆく人の篠原に一夜は宿にとらぬものかは右衞門の命婦のもとにこの少將に名のりみやのおはしたりと聞きて云ひやるか怪しくも我濡衣を着たる哉三笠の山を人にかゝれて同じ人に久しく絕えて〓忘るれど斯忘るれど忘られずいか樣にしていか樣にせむ扇の繪に梅の花書きたる所にかく。年毎に止らぬ花の色よりも枯たる野邊を見ぞ悲しき五節の所にてさし櫛をとりたるを返すとて二人知れぬ心一つに歎つゝつげの小櫛をさす空ぞなき返しいかなる人にかありけむcol分分我我ななさしそ美しとおもて〓〓に且は云つゝ右衞門の內侍猶うとかりければならされぬみそのゝ瓜と知乍ら宵曉とたつぞ露けき0戶をさしながら物いひし女に、堀河に家ありき。思事なるとか聞しかひもなくなど打解ぬよはの白波かへしお打つけに思ひ鳴門の浦みるはあだなる波の元知八月ばかりに思ひたる人にあひて人めをいたく忍びしかば夜深く歸る旦に薄につけて遣しけるto花薄むすびおきたる袂ゆゑ露も心もとけず見えける返しnoほめ結ぶ野草隱れの花薄とけてや秋の過ぎむとす覽物いひし人に瓜のありしをやるとてかたつ〓との物憂りつる瓜なれば後やならすと賴ぬる哉かへし〓あだ也と名に立君は瓜生野の斯る列にも做はざり鳬橫川にてさくなんさを見て一紫の色には咲くな武藏野の草のゆかりと人も社みれかへし一櫻花山に咲くなむ里のには勝ると聞を見ぬが侘しき母上東の宮にさぶらひ給ひしに暇にて久しく參り侍らざりしかば瞿麥につけて給はせたりしよそへつゝ見れど露だに慰まず如何はすべき撫子の花御かへりその花すこしなえたるに』暫しだに蔭に隱れぬ程は尙うなだれぬべし撫子の花まさもとの少將よさりこむとありしにさもあらざりしかば1山風の風ぞふけども言の葉も今ぞ散りこぬ谷の埋木かへしおおららささの松とは云ずして思はせたりな谷の埋木服なる頃大輔の君に人の國よりのぼりたりとて物へゆく道になるに云ひ入るゝ
〓戀しとは思はぬものゝ藤衣きたりと聞けど逢ぬ心よをとこあるほどにて返しなし堀河の中宮にて雪のいみじう降りたるつとめて麗景殿の細殿に雪ふりかゝりたる枯れたる薄にさしてすだれよりとのもりづかさしていれて少將の奉りたることぞあるル時過ぎてかゝる薄の身なれ共招く方にぞ行止りけるとて取らせたればか定なく風もこそ吹け花薄いかにせよとか行とまる覧又かはらけに書きて打ちわりて〓定なく風も吹く夜は篠薄からむ方なき物をしぞ思ふかへし一哀とぞ思ひなりぬる篠薄秋こそ憂けれ春もつらしや一品の宮の臺盤所にて山吹の花に柑子を折りて柑子を願ひしかばなくして到りたりしかばとりて餌袋にてさし出したり腰につけてなり梅壺の方に參りて花をこき入れてかく書きて入れたり〓嬉しやは是をみつれば味氣なく花に成たる心ち社すれ返し三いつとなく長閑き春の空なれば花に劣らぬ身とも成なむ時ならぬ身にも爭でか成ぬ覽春に後るゝ花は有やは又かへし又かへし正春の花ちら神やと思へども言の葉繁く斯てやみなむ藤の侍從五月五日にまろなるさうぶにつけて是だにもすさめずと聞菖蒲草斯るは君にふさひとかきくかへし舊舊草かゝるは人に引かれけり汀に添る君や何なる唐衣をとりて結びめをときておこせたりし〓ななめぬに置し紐いつのまに打解てけむ石山の峯の紅葉をれ有明の月は空にて山の端に深くも人のいりてける哉九月九日菊の露を見て0秒移へば菊に結びて置露の解けぬ霜をと長く見ゆ覽一行行方定定なき世は水早み小舟を棹のさすや孰こぞ一一夜を寒み立つ川霧にある物を泣々かへる千鳥悲しな衞門の內侍ときめきし頃山に上りて云ひおこせたりし『空高く時めく月と聞しかば我も雲居にきてぞ詠むる堀川の中宮の内侍に物いふ頃雨のふりければ傀ぬれば難面し顏は作れども袂にかゝる雨ぞ侘しき內侍所に立寄りて人のありしかば瓜に書きて正こぞはこれ一夜は一夜つら乍ら立体ひし瓜にやは非ぬ中宮大夫のうぶやの七夜昔を戀ひ給ひて冬につけ思ぞ出る昔をばのどけかれとぞ君は云まし御かへし一君君かかく云ふにつけても古の心のうちに心あるかな藤の侍從立ちよりたるに月もなき所なればいとをかしと云ひたるに闇のうつゝはといへばさやかなりといひたりしかば〓思ひつゝ睡む程に見つる夜は斯る現ぞ傳なかりける左命だに儚くもあらばよに思つきにしことは忘れじ女のかりしに's又女に〇いい迄迄の命も知らぬ世中につらき歎きの唯ならぬ哉返し一身をつみて長からぬ世を知人と偏に人を恨ざらなむすりのかみこれたゞさねすけの少將をむこに取るべかしたんと聞きて三栖の森答だにせよ月たゝばかののとも皆成ぬべしとか五月五日子規の聲せずとてニッ今今しも聞かでや止まむ時鳥後に鳴とて定なき世に集女を尋ねしに罪罪き物にざりける女郞花尋ぬる人を唯にあらせず女御殿すのこにほぞぢを長橫に入れておかせ給へるを夕立のすればみかうしおろしたる紛れに失せたれば盗人はほぞぢを見ても雨ふれば干瓜とてや取返す覽石山に詣でたるに川づらに千鳥の多く立てば畑さよ深く立つ河霧もある物を泣々歸る千鳥かなしな殿うせ給ひて後はかうし給うしに涙には同じみどりの雨ふれば心をもかつ尋ねつる哉みやの御返しN法法雨雨涙もわもわかぬ神無月きひて時間やや無るらむなくさむさを隱して櫻花なぐさむさまさると聞くをらむ見ぬるわびしさえん權中納言の御もとに春の花見にいきたりしに櫻の散りしかば〓〓花花だだだぬぬ程に散りにけり後の春だに心あらなむ御かへしユ此春の君をば待ちつ櫻花風の心のなきにやあるらむ同じ殿かく花見給うて今たに心やすく殘の花見むとさだめ給へる日風のいたく吹きてとまる由のたまへるに一天つ風吹きも亂らぬ物ならば心長閑に花も見てまし御返つうたう元々はなれ奉るをいと痛く哀れがりて聞き給ふに三重吹止むる風ぞ悲しき春の夜の色の常なき〓とを思へば又、常なきことを知ると思へばともあり殿の失せ給ひての春雨のいたう降ればその日〓春雨も時にしたがふ世中に今と降るぞと思ふ悲しさこれも後に聞きたるを人の書きつけたるかさ病み給ひて死ぬべき心ちするをさりとも暫しとかくなさせ給ひそと經よまむの心侍ると女御殿に聞え給ひけるをおぼし忘れ給ふとてをさめ奉り給ひてければ上の御夢にしし許許り契りし物を渡り川歸る程には忘るべしやは又の年の秋父君夢にねきて馴れし衣の袖も乾かぬに別れし秋に成にける哉なくなり給ひて後七月ばかりに〓日僧都の夢に父大臣のおはする所に物を隔てゝあにの少將はもの思へるさまにておはしゝこの君は心ちよげにてさうの笛を吹き給ふと見ればたゞ御口のなるなりけりなどか母上の兄君よりもこひ給ふに御心ちよげなりと聞ゆるを逢はずとおぼしたる御けしきにてかくのたまふ〓しぐれとは花ぞ千種に散紛ふ何古里の袖ぬらすらむ花つみあげて心心にもあらで逢見ぬ年月を今日まで花と摘てける哉かへし移移はぬ心なりせば年月を花と積ても見ずぞ有まし入撰集歌[原本據 勅撰集 補九首今略唯記國歌大觀番號こ後撰五六豆美云戔書拾遺六三六一二二〇普契蓬萊宮裏月今遊極樂界中風朱判校正解從三位行治部卿平朝臣業通4本清償集予雖秘藏之本任御所望令書寫校合進覽候者也尤他見書寫被免問敷也穴賢々々永享二年孟夏下旬尋阿在判右〓愼集多本世皆有書寫之誤等依之難一决併此本吟味校合所々隨」用用之亦於正本求者重而可遂校合者也漏々繁多而巳文明五年三月日藤在判集公愼〓
西宮左大臣御集〔源高嗣集〕我ひとり思へば苦し限なき心ばかりをわきて知せむ〓人やりにあらぬ物から恨むるも身の理と思知らずや〓〓〓果果已已してべもそにのみ難面き人を菊の白露〓斯しつゝ月日を經ぬる世中に有難き身を我いかにせむ〓明暮に思ふ心を現にも夢にもみぬはたがつらきなり日をこそは長き物とは思ひつれ月の程だに暮難き哉又ななとと答ふ計ぞ今は唯誰にもとはで我に問へかし限なく燃る思の中にだにみえもせなくに我いかにせむおもひこがれし夏むしの首尾世中に時を待つるかひもなく夢にだにやはみえ知す覽置所有りともみえぬ露にのみ思消ちても長閑なる哉せ人しれぬ我ぞ侘しき白露のいとゞ心に消むとやする光まつ下にかゝれる露の命消はてねとや春の難面きかのの傳傳花花につつけし跡の見えぬをいかで尋ねむ〓っつ恐忍ぶることの苦しきにいひても物を思ふ頃哉→山彥の答ふる聲や聞ゆらむ眺めし程に春はきにけり諸共にみむ人もがな獨のみをればかひなき常夏の花限なく深き心も斯しあらば淺ましくやは思絕えなむ朕ふてふ言の葉をだに露計みまくほしきや何の心ぞ水蒸の跡をし君に任すればゆかぬ心も有じとぞ思ふ五かへしかあだならむ人の心を水莖の堰止め果ず流れましやは切勿のはつかに聞きし言傳も雲路に絕てわぶる頃哉厭ふてふ言の葉ならば年をへて秋を何しか色のみつ覽神無月時雨とのみや思ふらむ天つ空にてこふる涙を∞空にもや人は知らむよと共に天つ雲ゐを詠め暮せば。打侘て啼音にかへば山彥の答へぬ空は有じとぞ思ふ30秋の田の仄に人を哀とも巖手に懸てやまむとやする10時雨にも雨にもあてじ徒に年のふるにぞ袖は濡けるpo秋の夜の月の光に非ねども明ては劣る物にぞ有ける10年をへて懲ぬ思の甲斐もなし試かてら厭ふと思へば〓すまの蜑の浦漕舟の跡もなくみぬ人戀る我や何なる笛を人のもとにおかせ給ふとて一箇竹の元の古音は變る共己が世々には成ずもあらなむ小野の宮の中の君にいと久しく聞え給はでさりともと思ふ心に引されて今迄世にもふる我身哉毎日でし賴むるに命の延る物ならば千歳も斯て有むとや思ふ九條殿の三の宮に聞え給ふ年年はは身身にそへて過ぬれど思ふ心のゆかずも有哉かへし諸共に哀といはずば人知れぬ問ず語を我のみやせむ種種ああば岩根の松と聞しかば心にのみぞ任せざりけるかへし朽難き物とこそ聞け時かへで常磐の松と成にける哉夢にだにみぬ物からに暮難き春の日をのみ詠つる哉常常にわびしき物は色深く思ひそめたる心なりけり60五五月雨の長雨に濡て郭公今年さへにやふる聲をせむ一現にもあらぬとこそ難からめ夢計だにみつといはれむ御かへし竟つとだに云べき方も思ほえず現も夢に我はみにねば小野の宮の中の君に聞え給ふヨ計露むり賴む心はなけれ共誰にかゝれる我ならなくに七かへし■七量りなき草葉をみつゝ白露のかゝる〓とこそ哀也けれ又かへしはか乍ら草と知せば白露の斯る〓とをぞ知ずぞあらまし此よそにのみ有ぞ侘しき久方の天つ空にも住ぬ物から七ね春をだに早晩とのみ思ひけむまつ爲の聲もせなくにかへし長からむ心みえにも斯計り長閑き春の名をたつる哉0人人れず君によそへて梅の花折みる程に袖ぞ濡ぬる加ぬるゝほど露ならなくに唐衣儚き名をも殘すなる哉〓打忍びなくとせしかど君こふる淚は色に出にける哉一皆人の云ひふるしてし〓となれど此梅雨は怪しかり鳬かへし云ひふるす人だに無ば打附に思ぬ〓もも云ずはあらましかへし舊にけるとの厭ひにせき乍ら云ぬはつらき心ち社すれ直道に賴めば人をつらしとも知ぬ顏にて有むとぞ思ふ1つらさをば咎めぬ人のひたぶるに絕ぬと云も如何賴まむかへしっつくくも何か恨みむ今更に嬉しさ誰か君に優らむけふよりは秋の始と聞からに袖の袂ぞ露けかりけるかへし賴まれぬ秋の心に似る人や露けき程を先は知るらむかへし言葉の色にさ社は優る覽などてか秋を賴まざるべきかへし〓語るだに深からば社戀どに知ぬ哀をいはむと思はめかへし一戀どにまた云知ぬ君ならば深き心のあらむとぞ思ふ七月七日三七夕の契れる秋もきにけるはいつと定ぬ我ぞ悲しきかへし疑もなき七夕の中なれば契れるほどを過ぎぬなる哉秋深く成行く野べに鳴蟲のいとゞわびたる聲聞ゆ也思ふ事有て鳴ねど秋きつと〓とになきける蟲の聲きけに時雨する神無月かと聞しかど涙の玉ぞけふ降にける返し〓涙とも分れぬ雨の降けるは時雨ときかば哀ならましかへしルよと共にたえぬ涙の雨よりは時雨や何ぞ何ならなくにかへし空空に降淚のよにし聞ゆれば袖の時雨を劣りこそせね返しc〓なく涙空にもなどかふらざらむ天雲晴ぬ物を思へばちかづきて一爭でへし我ならなくにとしあらば今しも物の悲かる覽かへし有しより今しもとのみ悲しきは偖ぞ中々有べかりける篝火も物もしる〓〓あかずのみ惑ふ心を思知るらむ一宮の中の君に聞えそめ給ひける袖の色のこく成ぬれば我戀を知せそめつる淚也けり山山の答へぬ空はよにも有じ聲をさへにも隔つる哉とあるに御返りなければ詠め他でをかしきことを云しまに戀も我身も積てける哉治承三年七月二日書寫按合畢建長五年四月十三日以置觀本書寫按合畢海人手子良集〔藤原師氏集〕春白妙の雪は霞も三吉野のかさねて今日や立始むらむ〓こち風に氷薄くて池がおもの氷柱もへゆる爲の鴨鳥
隱せどもおそきはるべに獨ゐてながむる宮の鶯の聲匂ふかのめも春風にさきだゝば散やそむらむ紅の梅「とふ人も見えぬ蓬のもとなれや今は菫の盛なるかな暇なみ淀のさしつる程もなく春の遊の波のよるとか三四陸奥の籬のわたり磯なめて若めかりにぞ蜑も行かふ久かたの綠の空の雲間より聲もほのかに歸る雁がね〓〓〓〓〓〓〓〓。〓〓〓と〓靑柳の靡くにつけてます涙哉春春末末のもとにはかゝれども松に亂れぬ岸の藤波夏ヒ八八女女けふや一重に夏衣神の御裸ぞ急ぎたつらむハ〓見渡せば今は萠黄も綠にてなくみを鳥の聲のみぞする加卵花のさかりになれば時鳥夜ふかきねにぞ有明の月20]墓蒲草軒の限は隙もなみ今日は淀野やあらはなる覽一數數ならぬ賤が環もおのがじゝ今は早苗の急がしき哉ニㅋ亂れずてこの下開にをぐら山麓に鹿をともすあき人三五あせもよに亂るゝ夏も涼しきは君に扇の風早みなり高ささ鵜飼も今はおりたちて水懷しき鴨のうは波1りりててるる葉すら靡くは夏も皆盡ぬらむ〓露結ぶ本荒の萩の末たをになりゆく秋も近づきに鳬秋〓 の行會の橋のつきなれば猶渡すべき日こそ遠けれAよ聲み亂るゝ蟲を木枯の露ふき結ぶ秋の夜な〓〓カル産星のながめにけふは天の川さしてやわたる鵠の橋〓白露と草葉におきて秋のよを聲もすがらに廻る松蟲山吹の色にかひある女郞花さのみやゐでの名には有覧霞たち立返りにし雁音もけふぞ雲居に霧晴れてなく高砂に立ち渡りたる霧間より紅葉の色のふかき奧山八重菊の移ろひ渡る庭の面に兼ても結ぶよはの白露K広々と天のと渡り明たればこきまぜ也やよもの玉垣六冬脫更ふる衣のつまにたつ物はけふ珍しき火桶也けり七六陸奥の歌の濱べにこのはかた無らむ冬の風うからまし〓吾妹子が玉の臺に獨ゐて最どわさなにやまな語らむ葦葦鶴の遊ぶ洲崎も冬くればけさしも冬の心ちみえ鳬。霜月のひよりも宇治の網代木に今も氷のいをにざりけるをみかよふこゝの重ねに光さし豐の明に見ゆる妹哉鷲鳥の衾のなかも涼しやとよな〓〓霜の夕重ねつゝ雲高きよもの高嶺もかたちなる皆白山にみゆる頃哉郡都とと行かふ人の道もなみ年のせめても急がしき哉百數の大宮人も群居つゝこぞとや今日をあすは語らむあはぬ戀〓事で猶みてのかさまもえてしがな我する戀の數、の印に達坂の泡沫人は陸奥のさらに勿來をなつくるかもし〓歎きつゝ片敷く袖に比ぶれば〓見が關の波は物かはたよよ共になべて景色を陸奧のさは此身よと云せてしがなoすすのの海の神のみまるを詠つゝけふ終日にをり暮す哉一君がふる淚は袖に常陸なる色付くそこの峰はなるらし君しいなばいな〓〓社は信濃なる淺間が山と成や果なむシール東名の橋の早くより深き心はくみて知るらむかひもなきいくたの浦をあさりつゝ涙乍に歸る釣舟mたそがれに涙の玉を詠めつゝ寢臥してよはに明す灯八逢ひての戀が小ぎぎにさし出て見れば天の原波間に越る舟の我哉岩橋を造りさしけむ葛城の神にけなくも朝ばらけ哉隙ももく涙に袖を濡しつゝ駒に任せて歸るよな〓〓か通へ共常に感ふを武藏なるさゝの山べの知べせよ君割なきをしなむふしなむ美作やくめの皿山今更に君一逢て逢ぬ歎き駿河のふじの浦に焦れて歸る額の舟かもわくらばに逢ふかは逢か陸奥の信夫もち摺數ふ計をシ忍びねに又忍びねの重なりてひるま泣々袖朽ぬべし九遂坂の道に垣ほは越ながらまだ許されぬ下紐のせきわかれひなたかのよもの別も斯やたつ烟はみよに過にたる哉別路をけふぞ限と陸奥のいはで忍ぶにぬるゝ袖かな今はとて別るゝ人を三熊野の浦の濱ゆふ重ねてぞ思〓別路となづくる度は玉鉾のみち見ぬ人も猶惑ふらし別別に行くもとまるも二心袖にうきても歎くころ哉〓別るゝを心筑紫にくだるともいきの松原色變らめや。別路は千草の殿をさし乍らいなくら山の駒と社みれ無常○結ぶての雫に濁る月影の身としりぬればちよも否々co春たてば子日の松を引つれて孰ら祈りし千世の驗は。燈の影にならべし世中を孰れ久しとかすめてしがな10ちよをまつ松の綠とみえしよは早月草のうつし也鳬加朝はほの命をくらぶれば花の匂は久しかりけり5のののにうきて漂ふ泡沫のまだきえぬまに變る世中〓澤の面に年ふるたづのちよなへて後は羽打程もなしとや50色深き峯の紅葉も山川の底に朽葉のみくづとぞなるしつもなし綠とみえずすかはねし孰も白き渚也けりいのり細石に生むよ松にすを作るたづの日なきも君は住みなむ山彥を知べになして綠にも孰くかかめの內に通はむ一ののをを馴し初ぬ君なれば何をかくたす何はくたさむ三千年になるてふ桃のもゝ返り君が爲にと植し山人衣してなづる巖の盡るまで君が齡をしらざらめやは蘆鶴の千世の齡をさし乍ら君に讓るとなつくるかゝも一限なき齡をのぶる浦島のこの玉くしげのどけしや君ル君が世は猶大原のをしほ山なつのゝ末も賴もしき哉昔より春日の藤の榮ゆれば今の使もかざしなりけりとし°思はむと忍び〓〓に誓ひしを今は糺の神ぞゆゝしき月一たが方の浦々每に潜きつゝ蜑は苦屋に幾日へぬらむ日一風ふけばひゞきの灘の音高み波の末わくあまの釣舟とき一思ふごと君を思ふも思ふ也尙しかすがの渡にてこそ花ませ近く植うる花しも匂ふ哉こや木枯の秋の初かぜ春の花に鶯むつる鶯の木づたひちらす櫻花こや春の日の遲きなりけり夏ほたる汀に火をともす身を照す螢きえなば夏の夜の汀暗しと火を燈すらむ池水かゞみに似たりに池水の長閑き底に影なみそさるは鏡にみゆるなきはを玉のひかりていのなかにあり別別る共君が汀に上るにはいきの松原はたみざらめや逢坂のせき別る共身のうち舟ぞ憂りける手向の神もみえぬ波かは秋の夜の月みづに浮ぶ00秋の夜の月影浮ぶ水の面や天の川とも見え渡るらむ此一册者定家〓以〓筆本書寫了尤可爲證本者也永正三年九月日右之本文字繁多不審重而以類本可爲校合之者也永祿元暮春念日左府藤公彦在東三條攝政兼家子道長御堂關白集三位中將8日春日の使したまふつとめて左衞門の督のもとへ遣す雪いみじう降る程に一若菜つむ春日の原に雲降れば心使を今日さへぞやる
御返し左衞門督身をつめば覺束なきは乎〓やまぬ春日の原の若菜也是華山院より一一我さへぞ思こそやれ春日野の雪間を爭で人のわく覽御返事三笠山雲やつむらむと思ふ間に心の空に通ひける哉藤壺の戶口にあつまりゐて物語などする程にかの藤中將參り侍りつるかひありて嬉しく侍る世かなと云ひて歌うたひもの誦しなどする程に春宮よりまづ參り給へとあればわりなしとて唯今また歸り參らむ暫し待たせ給へとて立ちぬ奧の方よりいづくにおはしつる人は立ち給ひぬるかとあれば春宮へとて今參らむとてありつるといへば心うのことやとて霞立つ春の宮にと急ぎつる花心なる人にやあるらむといふ程におはしたりかくこそといへば隔てける心も知らで春霞うしろめたくも立にける哉六位藏人あきかたを源少將いかでなど宮の御前に啓し給ふを六位にはなほ五位はあしかりなむとのたまはせてさもあらねば二日ばかりありて七日日日りりひひし〓とは絕えにしを猶歎かしき我心かな御前に御覽じて心くるしくものはかなといへとのたまはすれば御けしきさやになどして〓恨ても海士の考繩繰返し思たゆべきことのすぢかはつれ〓〓と雨ふりて詠めさせ給ふほどに中納言のせんしの局より紅梅のいとをかしきを進らせ給ふとて加霞こめかばかり惜む梅の花孰れの隙に誘はれぬらむ返事四0隙もなき霞の間より梅の花か計りにても爭で折けむ三月二十五日に殿の上御經佛などはやうせさせ給ふ宮より名香奉らせ給ふに一春霞よそにのみ立つ山べにはたがふ煙に心をぞやる無邪罪ニ春春けふの烟にそへばこそ山の錦もときは見えけれ四月一日齋院より問はぬ間に春も過にき夏衣けふの景色を思ひ社やれ憂き〓ともかけて思ふな夏衣覺東なさの增るけしきか二十よ日の程に殿よりいと小さきさうぶを奉らせ給へるを御覽じて宮より11時時まつに聞てや菖蒲草まだうら若きねをも見る哉御返事メガ豊かにも非ぬ菖蒲を子規まつと聞てや初音をしまぬ正月二十日宵の程に雨いみじく降るに齋院よりセ知知ららめや日數のみふる霖には花の袂も唯ならぬ哉四七月八日またつとめて齋院よりりうたんの露いみじう置きたるにまだおほとのごもりたる程にAP露露きき詠詠るひやれあまの河原の曉のそら毎週五年加天の川あけゆく程の露けさに孰くも同じ空を詠めて長月二十日實の夕暮に空のけしき常よりも哀なるに荻の葉の風をかしき程なるに齋院に御ふみ奉らせ給ふに〇〇萩の葉に風の吹よる夕暮を同じ心にながめましやは殿の上〓水より聞えさせ給ふエ秋深き山のけしきを詠むれば今日松風の〓とにも有哉御返事一聲にても風の景色の秋深き山の奧のみ詠めやらるゝ花山院より御文あり瀧瀧音音音爭聞聞らら都すら物哀なる頃には非ずや御返事四本葉ちる秋の景色の悲しさも瀧の音にぞ最ど知るゝⅡたまえに氷してすはまを造りたるを見てためのぶが申すさぶらひの御中につねふの君一甲斐の國都留の郡の千年をば君が爲延と思なるべし正月三日殿より御こと奉らせ給へるを結びつけたりし〓君君爲爲の琴のねさへに千世と社なれかへし4君君聲聲〓〓とに引ける松なれば千代の例と成にや有覽齋院より移り奉らせ給へりA渡渡海海海元田田ののにも寄せま欲けれ藏人少將子うませたりける七日の夜殿より遺す洲濱にな葦鶴を撫育してしかひ有ば立てし雛の千世は聲まつあるやうあるべしいかなることかありけむ左衞門督のもとへ遣す谷の戶を閉ぢや果ぬる鶯のまつに聲せで春の過ぬる御返事〓注還る春も知られず花さかぬみ山がくれの鶯のこゑ五月三日ばかりにをかしき瞿麥をしの內侍の進らせたるに露分けて咲ける撫子の垣根隱れに何にほひけむかへしk三露深み散るをまかせし常夏を思ふ心や色に出づらむ又左衞門督の進らせたる撫子に苟うすき垣ほの影の撫子は心からにや色もまさらむかみつけにしきぶのおもとの下るに宮より扇ども遣す中にかりやなどして旅寢のかたなど書きたる所に草枕旅のやどりの露けくば拂ふ計りの風も吹かなむ御返事程ふべき旅にはあらねど草枕淚の露は乾く夜ぞなき不斷の御讀經五日ありてはつる日殿へ御前なる紙に書かせ給ふせあなたふと法の弘まる君が代は限なき迄思ほゆる哉と聞えさせ給へれば御返し弘まるも昔からこそ戀しけれ君諸共に法のみぎりもこれを一條殿のあまうへ御覽じて普より契りしことも恨なく法を弘むる君とこそ思へ又宮の御所御覽じて〓〓り〓り〓むり〓む〓嬉しき海士舟の便にかゝる法とこそみれとあれば一條殿また「こゝばくの年を積たる蜑舟は君がかざみに拂べき也小少將の君〓水に籠り給へるに宮より一風の荒き景色を見ても秋深き山の木の葉を思社やれ御返事秋秋き山の嵐をとふ〓とのはゝ〓はかり嬉しかりけり集まりて嵯峨野にいきける程に時雨のいみじくしければある家に立寄りて殿の少將の君兵衞のすけなど水のませ給へりければかはらけにかく誰ぞこの昔を戀ふる我が宿に時雨ふらする空の旅人七月ばかりに一條殿の上ぐして石山にこもらせ給へりける宮よりも御所よりも日々に御文あり內侍のかんのとのに1人人のの思思ややる間に此頃は關に心の越ぬ日ぞなき匍匐丼ここままもももも歸ら歸相坂の關にのみやは立止る覧齋院より一篇の聲せぬ春も有ければいかにか花につけて誘はむ御かへし〓打打ききさそふ花ならで心のまつもしるしありけり內侍のかんの殿久しう聞え給はで御文ありけりNeはねなれし花の枝なれど鶯の聲をも風の便にぞ聞く七御返し
○驚かぬ聲微りせば鶯の花のあたりを問ずやあらまし一條殿のあまうへ內侍のかんのとのゝ一條におはしますに其の殿の梅おぼしやりて我宿の花の頃ほひは常よりも春の都と思ひやるかな御返し長閑くて春の都と見からに植けむ花の本をしぞ思ふ大夫の北の方若宮の御所にうつして參らせ給へりしはこのふた返させ給ふに紅梅の作りたるに鶯雀などあり梅が枝にかほかか立立てる鶯は今より千世と思籠めたる御返鶯の心にとめてすぎニーつるを枝にし返る春ぞ嬉しき若宮の御返り御ふみの奉れ給ふに殿の御返し千千へへすす川用にかき初る君が水莖流れてを見む御返事が流れての行末遠き水莖も君が住むべき數をこそかけ内侍のかんのとのより藥玉に長きよの例にひけば菖蒲草同じよのは元社離離ざり息御返事下立て引ける菖蒲のねをみてぞ今日より長き例とも知左衞門のかみの北の方に始めて遣す下立て今日は引にもかゝらねば菖蒲の根さへなべてなる哉旬の野丼20萬藩草ひけるを見れば人知れず深き袂も顯れにけり中將三位尼になり給ふに殿よりさう束遣すとてなな見てし花の袂を打返し法の衣をたちぞかへつる御返事一刷にける身は打捨つる袂にも碎ける糸に針ぞ懸れる宮より藤三位のもとに思ひ知る人をし見れば世中に背かぬ方も哀なりけり御返し九住吉のつきせぬ浦を詠むれば曝光のたまとこそ見れ高松の君の御許より雛屋進らせ給ふとて思事いつとは云へど飛驛工細かに作る物ならめやは御返事かなと作る飛驒の工の微りせば何につけてか雲路知まし尙の大納言のあまうへの御方に中將と申す人にあるやうある人なるべし蓮の小さきに廣澤の池の心のいかなれは浮たらてよたゞ光澤はなる覽御かへし澤の名はかけても知ず世中の憂に浮たる浮名なる覽くものおもといとちひさき瓜まゐらすとて山城のうぢにしなれば立出ても都瓜とて進らする也返し0君がよと思ひなる〓〓瓜作りまつ初秋は立て參れり內侍督の殿に槿のまだ露置きながらにいとゝ。置つらむ露の景色も床しきによそへ知る覽今朝の槿御返し。今朝ばかりよそへ知る覽槿の暮なば最ど賴まれぬ哉尙のとの若宮の御ひいな屋にさま〓〓の物植ゑなどして山の上に神の御社ありわらはにみてぐら持たせてそれにかゝるo0君が代に天降りける神なれば千年の松の中に社視へ御返とのおはします程やがて一夏のよの露とおき居て明してば生憎我や濡衣をきむとてまかでゐければあしたに、女の里にはあらで本院なりけり柚河の流れひるまを君はしれ我おり立て筏士はせむ返し筏士の心のすぎは柚山の河のひぐれもよそに社見めさて物きこえむとせちにのたまひければたゞ物越にて承はらむとありけるに此の女のつかひける人を語らひていり給ひにける更に人もしらぬことなりけり又のつとめて、男が露のおきて飽ぬ心に別るれば我衣手に乾かざりける返し衣手のぬると聞にも最どしく我さへ夏のよぞ憂りける男ひとりねて又のあした袖ぬれてほしぞ煩ふから衣君が平枕ふれぬよひにはかへし我爲に思しあらばよそにても君が袂は濡じとぞ思ふをとこ〓忍びつゝ長きよすがら戀侘て涙の淵と浮びてぞふる返し一浮びても君はねに皇いかなれば露と起ゐて泣明す覽男浮浮ても袂のみこそ濡增れ我もねられず君戀るよは女ニ歎きつゝあな覺束な唐衣濡まさるらむ袖をみぬ間は男朝毎にほしぞ煩ふ我袖はよな〓〓ととにそぼち增ればかへしほす人も有とこそきけ唐衣うすくなりゆく人の袂はをとこ返し如人知れず有明の月と出しよは露も我みも起ぞ增れる本院侍從集覺えおはしける上達めの次郞なりける人 年8月年十八ばかりなるが覺えはいとかしこかりけれどかうぶりえぬ有りけりおほぢは太政大臣にてなむおはしけるいもうとは后腹のみこに奉りて藤壺にぞさぶらひ給ひけるおほみいとこさららぶらひ給ひけりそのこの次郎君思ひかけ給ひてかくよみていれ給ひけりpo色に出て今ぞ知する人しれず思ひかけつる深き心をなどのたまひて御里はいづくぞとのたまひければ女ほそどのにて物などいふに10我宿はそことも何か〓ふべき云で社みめ尋ね見やと男かわが思ひ空の烟とたぐひなば雲居也とも猶尋ねてむまた男60我ならぬ人はまつ共過くれば哀をすてゝ引方によれ返しno君ならぬ人はまたねどすぎくれの引とてよらむ心弱さよ男に遣戶をいさゝか明けて物いひけるにひとこともつゝましう覺えて胸いたし燒き石あてむとて入りにければ男わびていにけり又のあしたにね逢ずして歸りしよりも最どしく苦しと云し〓とぞ侘しき返しねねるよの苦しきとはとふ〓との怠る折ぞ嬉かりけるをとこ一ねぬる夜の苦しき〓との怠るは我隱れたる驗なるらむ返事はなし、男一身を捨て露のみ共に消ぬとも哀とふべき人のなき哉女かへし
ちにはによな〓〓に成ぬと思へば白露の置てぬる覽袖もからじを男かへし〓罪にのみそはぬにきては夜ごとに露の起ゐて明し社すれ又男いでゝすなはちシ灰仄と明行く程は打廢き東雲よりぞねはなかれける女返しc〓等閑に東雲よりぞ明暮は上露ばかりおくといふなるかくてすみ給ふほどにこの女又ひとの盜みていにければ男いみじう歎き給ひて女あはれと思ひかくなむいひやりける一一世中を思ふも苦し思はじと思ふも身には思ひ也けり男かへし一忍ぶれど猶忘られず思ほゆる思は君に我ぞまされる女思はずもある世中の苦しきに增る思は有じとぞ思ふこの女うちにまかりければいといみじう遠くて歎き給ひけるに久しうありて女のいひたりける我身故うしとは思ひおきながらつらきは人の心也けりかへしニ身のうきと思知りぬる物ならばつらき心を何か恨みむかくてこの女服になり給ひぬと聞きてとぶらひ聞えたる返事にいつも時雨はとのたまひければ我さへに袖は露けき藤衣君をぞ立てきると聞くには返し旨音のの聞き渡りつる藤衣深く戀しと今ぞ知りぬる女の友だちのもとより侍從の君のもとにこの女のほかさきになりにたるをいかにおぼすらむといひてNほほ樣樣靡靡を竈の煙やいとゞ燃渡るらむ返し〓竈竈のもゆる煙もなき物を空に無名を立ぞわびしきとあればまづおぼすらむことこそおぼゆれとて御かたのごたちの云ひやるcm初秋の花の心を程もなく移ろふ色といかにみるらむ勇敢と一時わかず垣ほにおふる撫子は移ろふ秋の程も知ぬを又かへしニ〓色變る萩の下葉もある物を爭でか秋を知ずと云らむといひやるそのころ兵衞の佐になり給ひてけり堀川大納言とかや一本書右此本者二條家爲定卿以"自筆之正本 寫之鹽酸鹽酸〓少納言集飼書童缺言言葉葉の露は露もるべくも無りしを風に散かふ花を聞哉かへし春も秋もしらぬ常磐の山川は花吹風を音にこそきけきくことある人度々くれども物もいはでのみ人をば怨みていかばかり契りし物かとかくしもうきことゝ怨みたる返しに身を知で誰かは人を恨ましふきゝてつらきつらさ也せば同じ人にあひてゑする事ありていみじく誓言をたてゝ更に物いはじといひにやりて又のつとめてこれよりも知我がが我我をを知ずして又は逢じといひてける哉せんたてやたるふばこ見せたりといひしけにたえての後おこせたるやけふ迄も在るが怪しさ忘られし日こそ命の限也しか〓水に籠りたりしに大殿の上倫子のおし所からいひおこせ給へりし〓思ひきや山のあなたに君を置て獨都の月を見むとはひとたうびたりときくをいみじくあらがふに人しりて言ひ罵りて夜ごとなむゆくと聞きて加添衣と誓ひし程に顯はれて數多重ぬるよともきく哉めのおとヾに住むときく頃くらづかさの使にて祭の日たつともろともにのりて物みるときゝて又の日ofいづ方のかざしと神の定めけむ懸交したる中の葵を語らふ人のあさてばかり必こむといひし日もみえず久しくなりて覺束なくなりにければ御心のつらさに習ひにける何とかはといひたる返事にエよしさらばつらさは我に習見賴めてこぬは誰か〓し宮のあはだ殿におはします頃實方の中將まゐり給ひて大かたに物などのたまふにさし寄りて忘れ給ひにけりなどいへどいらへもせで立ちにける即ちいひおくり給へるニー忘れずや又忘れずよ瓦やの下たく畑したむせびつゝかへしニー!!!!!!ののはは下焚烟難面くて絕ざりけるも何によりぞも人維摩會に大和へなむゆくといひたるに愛ながら程ふるだにも有物を最ど十市の里な聞せそ鞍馬に詣でゝ歸りて戀しさにまだ夜を籠て出ぬれば尋てきぬる鞍馬山哉住吉に詣でゝいととく歸りてきなむ其のほどゆめ忘れ給ふなといひたるにねいづ方か茂りまさると忘草よし住吉に長らへてみよ幾年もゆめ〓〓忘れ給ふなといひおきてよつきといふに歸りきて吳竹につけておこせたりければ〓〓るるよよなよな云と云しは吳竹の節を隔る數にぞ有ける春桂の枝のもえたるにさしてハ花花皆皆き梢に成にけりなどか我身のなる方もなきかへしな契でし繁き梢の程もなく恨みときには如何なるらむのりかた"e野熊詣にて其の程にはきなむといひしが歸りたるとはきけど音もせで來たりとは聞きたりやとあるにいつしかとまつの梢は遙にて空に嵐の風をこそまて思ひいづやこゝには十二十となむ思ひいづるとあるに〓其名にぞ思ひける社悔しけれ數しる計り悔しき物を菩提といふ所にせ經きくとて人の許よりとく歸りねおぼつかなきにとあるに求めめもも斯る蓮の露をおきて浮世に又は何か歸らむすはうを人のとりたるをえさせよといへば知知ばば衣の裏にあるよりは涙の玉の袖にかゝるを同じ人水無月ばかりに萩の靑き下葉のたわみたるを折りて〓ををみよ上はつれなき夏萩の下はこくこそ思亂るれ女のなにふみともあらでいふを見むといへばおこすとて1名名取川斯る浮瀨を踏分けば淺し深しも云もこそすれ語らふ人のいもうとのこのすかなならましかば思はざらましと云ひたりしに渡の原其河淺く成ぬともげに白浪やよせぬとをみよ人のもとにはじめてつかはす〓便ある風もや吹くと松島によせて久しきあまの釣舟通るれど同じ浮世の中なればいづくも何か住吉の里しきの御さうじにおはしましゝ頃うへの右京命
婦宵のほどに參りて女房達の中に留め置し魂如何なりぬらむ心ありとは見えぬ物から石橋ある所にて殿上人どもの物いひける前を入道この中將なりのぶの許に君の渡り給ひけるを入道この中將なりのぶはきんだちのねずならで此の石橋に歌よみかけ給へとせめられけれども〓よよのまにいしばしばかりねて行かむといひかけて奉りけるに久しかりければすだれのうちを君だち遲し〓〓といひければあなかま給へとみつねものおもえずといひつゝ猶久しかりければこの中將待ち休らふ程にお前に召しありとてとのもりづかさの來たればくさのまくらに露はおくともといひ捨てゝ入りにけるを皆人も中將も怪しと思ひければこや人に傳へ語りけむいとなむまとにやみやの五節いださせ給ひし年たつの日の夕さり女房もわらはもおしなべて靑摺の裳唐衣に山藍してゑがきて赤紐などを結びかけたれば殿上の人々など珍らしがりてをみの女房とつけて立ちまじりたり人よりも頭中將用意しけさうじ給ふ右京兵衞など肩ぬぎひき繕ろひなどするに紐とくれば一足引の山ゐの水の凍れるを爭でか紐の解るなるらむと云ふいらへはそれやなどいひゆりてとみにも云はねばさばかりのはかなきことをほぐすべきにもあらず又遠くゐたらむ人のさしおよびて云ふべきにもあらねば思ひ煩らひて傍らなる辨のおもとに『上氷あわに結べる紐なれば屬す口影に緩ぶなるべし紫式部集早うより童友だちなりし人に年頃經て行きあひたるがほのかにて十月十日の程月にきほひて歸りにければヨ廻廻て見しや其とも分ぬ間に雲隱れにし夜はの月影其の人遠き所へ行くなりけり秋の果つる日きたる曉に蟲の聲あはれなり七鳴よわる籬の蟲もとめがたき秋の別や悲しかるらむさうのこと暫しといひたりける人參りて御手よりえむとある返事に露滋き蓬が中の蟲のねをおぼろげにてや人の尋ねむ方違へに渡りたる人のなまおほ〓〓しき事ありて歸りにけるつとめて朝顏の花をやるとておぼつかな其かあらぬか明暮の空おぼれする權の花かへし手をみわかざるにや有りけむ孰れぞと色わく程に樺の有かなきかになるぞ悲しき七つくしへ行く人のむすめのヘル西を思遣りつゝ月みれば唯に泣るゝ頃にも有哉かへし西へ行く月の便に玉づさのかきたえめやは雲の通路遙なる所にゆきやせむゆかずやと思ひ煩らふ人の山里より紅葉を折りておこせたる〓露深き奧山里のもみぢ葉に通へる袖の色を見せばやかへし「嵐ふく遠山里のもみぢ葉は露も止らむことの難さよ又その人の〓もみぢ葉を誘ふ風は早けれどこの下ならで行心かは物思ひ煩らふ人のうれへたる返事に霜月ばかり霜霜閉たる頃の水莖はえもかきやらぬ心ちのみしてかへしゅゆかずともなほかきつめよ霜氷水の上にて思流さむ賀茂に詣でたるに子規なかむといふ曙に片岡の梢をかしう見えけり私胎鴨聲まつ程は片岡の杜のしづくにたちやぬれまし彌生の一日河原に出でたるに傍なる車に法師のかみをかうぶりにてはかせたちをるをにくみて萩殿神の飾のみてぐらにうたてもまがふ耳はさみ哉姊なりし人なくなり又人のおとゝ喪ひたるがかたみに行きあひてなきがかはりに思ひかはさむといひけり文の上に姊君とかき中の君とかき通はしけるがおのがじゝ遠き所へ行き別るゝによそながら別をしみて北へゆく雁の翅に言傳てよ雲の上がきかき絕ずしてかへしは西のうみの人なり〓めめぐり誰も都に歸る山いつはたときく程の遙けさ津の國といふ所よりおこせたりける難波潟むれたる鳥の諸共に立ゐる物と思はましかばかへし(秋鯖)筑紫の肥前といふ所より文おこせるをいと遙なる所にてみけりその返事にchあひみむと思ふ心は松浦なる鏡の神や空にしるらむかへし又の年もてきたる〓行巡り逢を松浦の鏡には誰をかけつゝ祈るとかしる近江の湖にて三尾が崎といふ所に網ひくを見てみみをの海に網引民の隙もなく立居につけて都戀しもいそのはまに鶴の聲々になくを磯がくれ同じ心にたづぞなくなが思出る人は誰ぞも夕立しぬべしとて空のくもりてひらめくにかか曇曇り夕だつ浪の荒ければうきたる舟ぞ靜心なき玄ほつ山といふ道のいとしげきを賤のをのあやしきさまどもしてなほからき道なりやといふを聞きて知知らむ往來に馴す鹽津山世にふる道は辛き物ぞと湖においつ島といふ洲さきに向ひてわらはべの浦といふ入海のをかしきを口ずさみに老津島島もる神やいさむらむ浪もさわがぬ童べの浦曆に初雪ふるとかきたる日めに近き日野のたけといふ山の雪いと深う見やらるれば〓ににくく野野の杉村埋む雪小鹽の松に今日や紛へるかへし〓小鹽山松の上葉に今日やさは峯の薄雪花とみゆらむふり積みていとむつかしき雪をかきすてゝ山のやうにしなしたるに人々登りて尙これ出でゝ見給へといへば故〓〓〓〓〓〓〓〓らば心やゆくと行もみてまし年返りてからひとみにゆかむといひける人の春はとくる物といかで知らせ奉らむといひたるに○春なれど白嶺のみ雪彌積り解べき程のいつとなき哉近江の守のむすめに懸想すときく人の二心なしなど常にいひ渡りければうるさくて。湖に友よぶ千鳥ことならばやすの港を聲たえなせそうたゑに海士の鹽やくかたをかきてこりつみたるなげきのもとにかきて返しやる。四方の海に鹽燒蜑の心から燒とはかゝる歎をやつむ文の上に朱といふ物をつぶ〓〓と灑きかけて涙の色をとかきたる人の返しに。0紅の涙にいとゞうとまるゝうつる心の色とみゆればもとより人のむすめを得たる人なりけり文散らしけりと聞きてありし文ども取り集めておこせずば返事かゝじと詞にてのみいひやりければ皆(秋鯖)
おこすとていみじく怨じたりければ、正月十日ばがりのことなり〓〓たたしし上の薄氷解ながらさはたえねとや山の下水すかされていとくろうなりたるにおこせたるxここ風に解る計を底見ゆる石間の水はたえば絕なむ今は物も聞えじと腹だちたれば笑ひて返し〓云絕えばさ社はたえめ何か其三原の池を包しもせむ夜中ばかりに又お猛からぬ人數なみは湧返り三原の池に立どかひなし櫻を瓶にさして見るに取りも敢へずちりければ桃の花を見やりて°C折て見ば近まさりせよ桃の花思ひくらして櫻惜まじかへし人%。桃といふ名もある物を時の間にちる櫻にも思落さじ花のちる頃梨の花といふも櫻も夕暮の風のさわぎにいづれと見えぬ色なるを。花と云へば孰か匂なしとみむ散紛ふ色の異ならなくに遠き所へ行きにし人のなくなりにけるを親はらからなど歸りきて悲しきこといひたるに一何方の雲路ときかば尋ねまし列離れけむ雁の行へをこぞより薄にびなる人に女院かくれさせ給へる春いたう霞みたる夕暮に人のさしおかせ給へる一雲の上も物思ふ春は墨染にかすむ空さへ哀なるかなかへし何かこの程なき袖を濡すらむ霞の衣なべてきる世になくなりにし人のむすめの親の手にてかきつけたりける物を見ていひたりしタ霧夕みに方し方枯し鴛の子の跡を見る〓〓惑はるゝ哉同じ人荒れたる宿の櫻のおもしろきこととて折りておこせたるに散花を歎きし人はこのもとの寂しき事や兼て知けむ思ひたえせぬとなき人のいひけることを思ひ出でたるなり繪に物のけつきたる女のみなむきかたかきたるうしろに鬼になりたる元の女を小法師の縛りたるかたかきて男は經よみて物のけせめたる所をみて七人に喞言をかけて煩ふも己が心の鬼にやはあらむかへし理や君が心の闇なれば鬼のかげとはしるくみゆらむ繪に梅の花見るとて女のつま戶おしあけて二三人ゐたるに皆人々ねたるけしきかいたるにいとさたすぎたる男のつらづゑついて詠めたるかたある所ヘ春の夜の關の迷に色ならぬ心に花の香をぞしめつるおなじ繪に嵯峨野に花みる女車ありなれたるわらはの萩の花にたちよりて折りとる所たさを鹿の然習はせる萩なれや立寄からに己をれふす世のはかなかきことを歎く頃陸奥の名ある所々かいたるを見て、しほがまの浦〇みし人のけぶりとなりし夕より名も睦じき鹽竈の浦かど敲き煩らひて歸りにける人のつとめて一よと共に荒き風吹西の海も磯べに波は寄せずとやみしとうらみたりける返事に返りては思ひ知ぬや岩角に浮てよりける岸のあだ浪年返りて門はあきぬやといひたるにたた里里の春のたよりに鶯の霞にとづる宿をとふらむ世の中のさわがしき頃朝顏を人の許へやるとて消消の間の身をばしる〓〓朝顏の露と爭ふ世を歎く哉世を常なしなど思ふ人のをさなき人の惱みけるにから竹といふ物かめにさしたる女房の祈りけるをみて若竹の生行く末を祈る哉此よをうしといもふ物から身を思はずなると歎くことのやう〓〓なのめにひたぶるのさまなるを思ひけるた數ならぬ心に身をば任せねど身に隨ふは心なりけり七心だにいかなる身にか適ふらむ思知れ共思知られず始めて內わたりをみるにも物の哀れなれば身のうさは心のうちに慕ひきて今九重に思ひ亂るゝたうき〓とを思ひ亂れて靑柳のいと久しくも成にける哉かへし00徒然と永き春日は靑柳のいとヾ憂世に亂れてぞふるいかばかり思ぞしぬべき身をいといたう上手めくかなといひける人をきゝてニわりなしや人社人と云ざらめ自ら身をぞ思ひ捨べきくすだまおこすとて一忍つるねぞ現るゝ菖蒲草いはねに朽て已ぬべければかへしけふはかくひきける物を菖蒲草我水隱に濡渡りつる土御門殿にて三十講の五卷五月五日にあたれりしに〓〓也也や今日は五月の五日とて五の卷にあへる御法も其の夜池のかやり火にみあかしの光りあひて畫よりも底までさやかなるにさうぶの香今めかしう匂ひくれば二〓火の影もさわがぬ池水にいく千代すまむ法の光ぞ公ごとに云ひまぎらはすをむかひ給へる人はさしも思ふこと物し給ふまじきかたちありさまよはひほどをいたう心深げに思ひみだれてた澄める池の底まで照す篝火の眩きまでもうき我身哉やう〓〓明けゆく程に渡殿にきて局のしたより出づる水を高欄おさへてしばし見居たれば空のけしき春秋の霞にも霧にも劣らぬ比ほひなり小少將の隅の格子をうちたゝきたればはなちておしおろし給へり諸共におりゐてながめゐたり影みてもうきわが涙落そひて喞言がましき瀧の音哉かへしN獨獨て涙ぐみける水の面に浮添はるらむ影や孰れとあかうなればいりぬ長き根をつゝみてたなべて世の憂に泣るゝ菖蒲草けふ迄斯るれは如何みるかへしcm何事とあやめは分で今日も尙袂に餘るねこそ絕せね內に水雞のなくを七八日の夕月夜にこ少將の君ニ天天戶戶の月の通路さゝね共いかなる方に叩く水鷄ぞかへし一模の戶もさゝで休らふ月影に何を飽ずと叩く水鷄ぞ夜ふけて戶を叩きし人つとめてニ終終水鷄よりけになく〓〓ぞ槇の戶口に叩き侘つるかへし唯ならじと計叩く水鷄故明てはいかに悔しからまし四朝霧のをかしきほどおまへの花ども色々に亂れたる中に女郞花いと盛りなるを殿御覽じて一枝折らせ給ひて几帳のかみよりこれたゞにかへすなとて給はせたりエ女女郎花盛の色を見からに露のわきける身社しらるれとかきたるをいととく白白はわきてもおかじ女郞花心からにや色の染らむ久しくおとづれぬ人を思ひいでたるをり45忘忘ゝゝ憂憂の常と思ふにも身を遣方の無ぞ侘しき四かへしスロッたが里もとひもやくると郭公心の限り待ぞわびにし都のかたへとて歸山こえけるによび坂といふなる所のいとわりなきかけぢに與もかき煩らふを怖ろしと思ふに猿の木の葉の中よりいと多くい
できたればかましも尙遠方人の聲交せ我れこえわぶるたこの呼坂湖にて伊吹の山の雪いと白く見ゆる5cm名に高き越の白山行慣れて伊吹の嶽を何とこそみねそとばの年經たるがまろび倒れつゝ人にふまるエ心あてにあな忝な苔むせる佛の御顏ぞとは見えねど人のユけけかくて誰も心はみえにけむ詞隔てぬ契ともがなかへし隔てじと習ひしほどに夏衣薄き心ぞまづしられぬる五十寒寒み岩間こほれる谷水の行末しもぞ深くなるらむ宮の御うぶや五日の夜月の光さへことに隈なき水の上のはしに上達め殿より始め奉りてゑひ亂れ罵り給ふ盃のをりにさしいづ珍しき光さしそふ盃はもちながらこそ千代は巡らめ又の夜月の隈なきに若人たち舟にのり遊ぶを見やる中島の松をさしめぐる程をかしく見ゆれば曇なく千歲に澄る水の面に宿れる月の影ものどけし御いかの夜殿の歌よめとのたまはすればねいいに如何數へ遣べき八千歳の餘久き君が御代をばAM蘆蘆の齡しあらば君が代の千歲の數も數へとりてむたまさかに返りごとしたりける人後にも又もかかざりけるに、男ね折々にかくとは見えて小蟹のいかに思へと絕るなる覽かへし九月つごもりになりにけり〓霜枯の淺芽に紛ふ小蟹のいかなる折にかくと見ゆ覽何のたよりにか人の返事にス入方はさやか也ける月影をうはの空にも待しよは哉かへしさして行く山の端も皆かき曇り心の空にきえし月影ニ大大かたの秋の哀を思ひやれ月に心はあくがれぬとも又同じ頃九月つきあかき夜六月ばかり撫子の花を見てMW恒根あれ寂しさ增る常夏に露置添はむ秋までは見じ物や思ふと人のとひ給へる返事九月つごもり〓花薄葉分の露や何にかく枯行く野べに消止まるらむ煩ふことある頃なりけり貝沼の池といふ所なむある人のあやしき歌がたりするをきゝて試みに世にふるになぞ貝沼のいけらじと思ぞ沈む底は知ねど又心ちよげにいひなさむとて心心水の氣色は今日ぞみるこや世にへつる貝沼の池侍從宰相の五節の局宮のお前いとけぢかきに弘微殿の右京が一夜しるきさまにてありし事など人々いひ出でゝ日かげをやるさしまぎらはすべき扇などそへてメ多多りり豊の宮人さしわきて著き日影を哀とぞみし中將少將と名ある人々のおなじ細殿にすみて少將の君をよな〓〓あひつゝ語らふを聞きて隣の中將三笠山同じ麓をさしわきて霞にたにの隔てつるかなかへしさしこみている〓と難み三笠山霞吹解く風をこそまで紅梅を折りて里よりまゐらすとて〓理木の下にやつるゝ梅の花香をだに散せ雲の上まで卯月に八重櫻の花を內にて九九に匂ふを見れば櫻がり重ねてきたる春の盛りか櫻の花の祭の日まで散り殘りたる使の少將のかざしに給ふとて葉にかく神代には有もやしけむ山櫻けふの挿頭に折れる例は七九四八一二集部式紫む月の三日內より出でゝ古〓のたゞしばしの程にこよなう散りつもり荒れまさりにけるを言忌改てけふしも物の悲しきは身のうさや又樣變りぬる五節の程まゐらぬをくちをしなど辨の宰相の君珍しと君し思はゞきてみえむすれる衣の程過ぬともさらば君山ゐの衣過ぬとも戀き程にきてもみえなむ人のおこせたる打忍び歎き明せば東雲のほがらかにだに夢をみぬ哉七月ついたち頃曙なりけりか〓東雲の空霧渡りいつしかに秋の景色に世は成にけり七日大大ををへへゆゆし天の河今日の逢瀨は羨まれけり0天河逢瀨はよその雲ゐにて絕ぬ契し世々にあせずはかどの前より渡るとてうちとけたらむを見むとあるにかきつけて返しやる一等閑の便にとはむ人每に打解てしもみえじとぞ思ふ月見るあしたいかにいひたるにか一夜ごめをも夢と云しか誰なれや秋月にも爭でかはみし九月九日菊のわたをうへの御かたより賜へるにニ菊菊露露かかわ計りに袖ぬれて花の主に千代は讓らむ時雨する日小少將の君里より〓雲間なく詠る空を搔暮しいかに忍ぶる時雨なるらむ〓理の時雨の空は雲間あれど詠むる袖ぞ乾く世もなきさとに出でゝ大納言の君文給へる序に浮浮せし水の上のみ戀くて鴨の上毛にさへぞ劣らぬ打拂ふ友なき頃の寢覺には番ひし鴛ぞ夜はに戀しき又いかなりしにかなにばかり心盡しに詠めねどみしに暮ぬる秋の月哉すまひ御らんずる日內にて八かたづきなき旅の空なる住ひをば雨もよに問人も有じなかへしcal挑む人數多聞ゆる百敷のすまひうしとは思知るやは雨ふりて其の日は御覽とゞまりにけるあひなのお初雪ふりたる夕暮に人の一戀侘てありふる程の初雪は消ぬるかとぞ疑はれぬるかへし一降れば斯うさのみ增る世を知で荒たる庭に積る初雪小少將の君のかき給へるうちとけ文の物のなかなるをみつけて加賀少納言のもとに〓ぬぬの身をば思はで人の世の哀を知ぞ且は悲しき誰か世に長らへてみむ書留し跡は消せぬ形見なれ共亡人を忍ぶる〓ともいつ迄ぞ今日の哀はあすの我身を集輔大勢伊四七八一二613伊勢大輔集忍ぶるなかに物いひ始めたる男つとめてやらむ歌こひしに正月一日葦もゆる沼の氷はとけたれどゆく方もなき谷の下水同じ七日子日にゆきふる一人は皆野べの小松を引に行くけさの若菜は雪やつむらむ
かれにける女のもとに紅梅を折りておこせたるに紅の色に匂へる梅のはな人あく人のいかでをりけむ雲林院の櫻を都のにくらべよとて人のおこせたりしに白白のかゝる山べの櫻花これはこれぞと君に折ける女院私の中宮と申しける時內におはしまいしに奈良から僧都のやへ櫻を進らせたるに今年のとりいれ人は今まゐりぞとて紫式部のゆづりしに入道殿 きかせ給ひてたゞにはとり入れぬ物をと仰せられしかば○古のならの都の八重櫻けふこゝのへに匂ひぬるかな殿の御まへ殿上にとりいださせ給ひて上達め君達ひきつれてよろこびにおはしたりし院の御返し。九重に匂ふをみれば櫻狩重ねてきたる春かとぞ思ふ月あかきに院の御まへのおもしろきにとて皇太后宮の女房たち睦まじき殿上人達に隱されて參りたりしにうけのほの〓〓見えしに物いひにやれとおほせられしに。浮雲はたち隱せども隙もりて空行く月の影をみる哉返し三浮雲に隱れてとこそ思しか妬くも隙のもりにける哉人の心なむうらみて參りにけるときゝて同じ人文おこする返事をせねば9上身ずにもずじ人の爲人のつらきはつらき物ぞと返しまさみち50身身身ららの知ぬれば猶此道に踏見すもがな和泉式部院に參りて始めたる夜逢ひてものなどいへと仰せられしかばよ一夜物語などしあかして年頃かたみに心がけしほどのことなどいひ出でてつとめて局よりいひたりし想思むと思し人と思しに思ひしかともおもほえし哉かへしco君を我思はざりせば我を君思はむとしも思はましやは三條院の御時院の里におはしましゝ時ごせちに昔おぼえて殿上人ひきつれて參りたりし中に。早くみし山ゐの水の上氷打とけさまは變らざりけり一條殿の一へのうへ勸修寺にて御堂供養せられしに筆をかりてかへしおこせたりしに加奥奥の高嶺の松をふく風に思ぞ出るそのかみのこと道まさの中將ゆきふるよ御とのゐしてまかでゝつとめてけさみつる庭の白雪いかならしよゝを積れる景色也つる返し一りりでつる人の心の白雪は氷柱にのみぞ思消ゆめる紫式部きよみづに籠りたりしに參りあひて院の御れうにもろともに御あかし奉りしをみて檣の葉にかきておこせたりし一心ざし君にかゝぐる燈火のおなじ光にあふが嬉しさかへし三古の契りも嬉し君がためおなじ光にかげをならべて松に雪のこほりたりしにつけておなじ人奧山の松には氷る雪よりも我身よにふる程ぞ儚なき返しききややききの命にくらぶればげに滯る松の雪かなある人の田舎のかたゑにかきて海のほとりに家有りこれなむ我すむところとありしにかきつく浦浦き鹽の庵の柴の戶は人ならずとて浪やたつらむ雪中竹枝撓み雪降つめばなよ竹の末葉も見えず伏返りつゝ一條院うせ給ひてのち難波に君をおはしていみ集輔大勢伊じうなき給ひけることなど人の語るにル思ひやる哀難波の浦さびて蘆の浮寢はさぞ泣れなむ問題いせにたてたる寺のかひなむうせにたるとて僧のこひにおこせたるにそへてやりしたなやる風のみや吹しく元ととらら年頃ありし人のまたしのぶるほどに石山にこもりて音せぬに〓みるめ社近江の海に撃からぬ吹だに通へしがの浦風なが月十よ日おなじ寺からいづるに參る人關にあひたり一名〓してけふは行なむ野も山も霧隔てたる逢坂の關世の中さわがしき頃久しうおとせぬに〓なき數に思なしてや問ざらむまた有明の月まつ物を人のもとにゐて人にかはりてニけふ暮る程待だにも久しきに爭で心をかけて過けむ月あかき夜右の大殿の御堂見に人々おはしたりしにつとめておほ殿によの常に嵐と紛ふ瀧つせの聲ものりとや思なすらむ返し瀧つせは法の聲にぞ波よりし凉しき風も吹通ひつゝまさみちの少將ずゞをおきてつとめてとりにおこせたるやるとて大人知ぬ思の珠のをとならばなにして逢ぬ數を取まし灌佛の日同じ人諸共に掬びし水はたえにしを何をか灌ぐけふの佛にかへし涙をぞけふは佛にそゝぎつる結びし水のたえし計にゑづかなる有明の月有有の月計りこそ通ひけれくる人なしの宿の庭にはそちのゆかりにて筑紫へくだりにけるむすめに야千年までいきの松原いく君を心つくしに戀や渡らむ返し一いきの松いきても君に逢〓との久しくならむ程を社思へ人のふみをとりたがへてもてきたりしにそへてななてて浮浮たる雲の梯をふみ違ふなと〓へざりけむ年頃すみし所をたえて外に渡りて又の年の五月五日三今日もけふ菖蒲も菖蒲變ぬに宿こそ有し宿と覺えね歌合、さみだれ〓いか計たごの裳裾もそばつらむ雲間も見えの頃の梅雨六月のはらへ正水上も荒ぶる心あらじかし波もなごしの禊しつれば七月七日七七夕の夜の衣をきたるよは返す裏をも知せずもな男ある人を年頃思ひ渡りけるにその人なむ物に參りにけると聞きてかねてさがにいきゐて木の葉にかきてとらせけるいへつね〓奥山の木葉が下の行水は人こそしらねすまぬ物かはこれが返事せざりしなむ口をしかりしといもうとの君の語りしかばかの人に代りてルおち積る木葉隱の忘水すむとも見えず絕間のみして又かへし石石ゆゆく下には通ふ谷水も木葉を繁み上ぞつれなきまたかへしcu山ささみみ木葉の散積まば石間の水は音だにもなし四秋來る人に四煙社立ともみえね人しれず戀に焦るゝ秋と知らなむかへし二十遂迷秋秋の空には〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓にたつとも見えぬ戀の煙をこまむかへ三ひきつれてくる秋ごとに逢坂の山のは出る望月の駒つくしにくだりし人にきこえし集輔大勢伊八一九ー二
いはねども同じ都はたのまれき哀雲ゐを隔果てつる:1ある山里に罷りたりしにいへつねがもと近しときゝていひつかはしゝ10ううさびて葛這懸る山里の家ゐ尋ぬる人もあれかし返し葛かづらくる人もなき山里は我こそ人を恨果てつれ歸る道にひきいれてみしに難波わたり覺えて處のさまいとをかし硯におきしここ枕枕に旅枕の旅ねにあかさばや入江の葦の一夜計にかへしをおしはかりておこせたりしぞをかしかハム眞菰草假初にてもあかさなむ長くもあらじ夏の東雲筑紫につねこと云ふ所にあまの鹽やく所和秋は霧春は霞に立まがひしほやく煙つねことぞみる御住吉詣にcarながらへむ世にも忘れじ住吉の岸に波たつ秋の松風ユ古にふりゆくことぞ哀なる昔ながらの橋をみるにも院の御菊合に左のとうにて長きよの例にうゝる菊の花ゆく末遠く君のみぞみむ又ニめめかず見つゝ暮さむ菊花菊より後の花し無れば殿のうた合にさくら四君が世の遙にみゆる山櫻年にそへてぞ匂ひましける郭公五聞きつともきかずともなき時鳥心惑はすさよの一聲メタ夕に霧惑はせる鹿のねやよるぬる時も驚かるらむ院の白川殿におはしますころ右の大殿もおぼすことあるなるにおほとのゐに侍らひたまふつとめてこのはにかきて賜はせたりし一世世にふきよるかたもなき物はこのは散ぬる凩の風かへし〓落積るこの山里のこの葉をば返しの風も吹返さなむ御前にて少納言命婦ことをひきしかば同じ殿れことのねごとにきこゆなるかなとありしかば草むらのむしは聲々すだけどもかやの院の御時うたあはせ、月君みると空にしればや曇なく萬世をのみてらす月影〓よよ名名高ののななれば雲の上まで枝ぞさしける千鳥行方はさよ深けれど衛なくさほの河原は過うかりけりいけみづニ池池水よよに久しく澄ぬれば底の玉藻も光みえけり塵積り床の枕もさびに是戀する人のぬるよなければれいけい殿の女御のゑあはせに、鶴葉替せぬ松のねぐらに群ゐつゝ千年を君に皆讓る也うの花ううの花の咲る垣ねは白波の立田の川の井堰とぞみる皇后宮のうた合、月曇なき空の鏡とみゆるかな秋のよな〓〓照す月かげかりハ衣薄み旅のみ空に鳴雁はおのが羽風や夜寒なるらむ山田〓秋の夜は山田の庵に稻妻の光のみこそもり明しけれ六いはひ○ヒ住のえに生添ふ松の枝ごとに君が千年の數ぞ龍れる同じ宮の東三條の御堂めでたしときゝて舟にてさし渡りしに御まへの方をみやりて、岸の柳一靑柳の糸を綱手に引舟は岸近くこそよらまほしけれその御堂に殿の御扇にむすびつく一積るらむ塵をも爭で拂はましのりの扇の風の嬉しさ同じ宮に御むすめの御まへにありつるとてちひさき瓜をおこせたりしに葉隱ず立も出ばやこまの瓜の其列に社ならま欲けれ大納言殿御覽じて御返し點君をのみこまのゝ瓜と待物を同じ列にも成てみよかし忝く美しう仰せられたりしかば立ち返り一夜をつがむ事は更なり敷島の道をさへ社君は知けれうち殿のさうじの〓を歌によむべき所々をかきうつし賜はせたりしに人の家あり垣ねに梅さきて人きてたてり垣ねには塞れて咲けど梅の花匂は人に知せこそすれふるき家にもみぢ散り蔽ひたり古里は時雨の板間もるとてや散紅葉ばを風の吹らむしがの大僧正のために九十の賀殿のせさせ給うけるにつゑの歌めせばまゐらする萬代を竹の杖にぞ契りつる君し久しくつかむが爲にかへし20君君祈祈年年の久しくなりぬれば己が榮行杖ぞ嬉しき院の三條の民部卿の家におはします頃にはかに行幸しりて近き人々の家めされしにそのよしを奏せしかば歌をよみて進らせよと仰せられしかば0年年もも頭頭雪雪大大の光にあたるけふぞうれしきいへを返しにすとおほせられたりしゆかりありて東宮の若宮み奉りしにさうしかたの鏡をみて賜はせたる「君みれば塵もくもらで萬代の千年をのみもます鏡哉返し東宮大夫一曇りなき鏡の光ます〓〓も照さむ影に隱れざらめやなが月のことにや民部卿うへのたきもの合せて試みよとて賜はせたりしニああ難難物咲し梅の匂の秋もかをるはかへし〓梅枝は焦るゝ秋も匂ひけり春とめ難き物と見しかど皇后宮から昔のやへ櫻をたまはせて、女房これや此ならの都の八重櫻匂わかずもしられざり鳬三位うせてかやうのことも尋ねまほしうてああとくれて昔こひしき敷島の道をとふ〓〓〓つる哉かへしやや葎たえぬる道とみつれども忘れぬ人は尙尋けりこれをきゝてさがひ踏通ふ人だになきは敷島の道知ぬ身の憂にぞ有ける又石石古古古の道の知るべには今日行末も君こそはせめなりのぶよをそむきしに麻の衣やるとてけふとしも思やはせし麻衣淚の玉のかゝるべしとは返し「思ふにも云にも餘る事なれや衣の玉の顯はるゝひはその人なくて後わざの經の外題四條中納言にかかせ聞えしにそへられたりしニ極極の蓮の花のひものうへに露の光をそふるけふ哉かへしひもの上に蓮の露を結置けば磨ける玉の光こそませおなじころさが〓みし月の光なしとや歎くらむ隔る雲に時雨のみしてかへし一月影の雲隱れにしこの宿に哀をそふるむら時雨かな同じ人二月十五日のひのいりがたに常常りもけふの入日の便にや西を遙に思ひやるらむかへし
かけふはいとゞ涙にくれぬ西の山思入日の影を詠めて同じ日よはばかりに、人いかなればけふしも月のさよ中に照しも果で入しなる覽かへし夜を照す月隱れにしさよ中は哀闇にやみな迷ひけむ又のとし忌にちに別にし其日計りは歸りきといきも歸らぬ人ぞ悲しき思ふ人二人ある男なくなりたるに末の人に代りてもとの人のがりやりし。深さこそふちの袂は優るらめ涙は同じ色にこそしめむすめのとりこしたるほど久しう見えざりしに。垂乳めの親をば捨てゝこはいかに人のこをのみ思ふ我こそかへし00人のこの親になりてぞ我親の思はいとゞ思知らるゝかれ〓〓なる九月ばかりに菊をうゑてなむいぬると聞きしに。言のはの枯行く人の秋の菊先朝霜にうゑやおきつるわづらひし頃馬頭と云ふ人の度々とひ給ひけるを怠りて後その悅び秋ごろいひやりしpoうれしさを思ひおきつゝ忍草わすれぬ物を秋の夕露かへしお秋風の音せざりせば白露も軒の葱にかゝるべしやは御せちにいでたる人のもとにある人のいひたりしtoをみ衣重し人や誰ならむ神ならませば我もしなましかへしn0日影せしをみの姿はみしかとて山ゐの衣打も重ねず正月一日こうみたる處にちごのきぬやるとてか珍らしく春立初る鶴の子は千世のむ月を重ぬべき哉同じく七日若菜を人のおこせて此はおいたる人のためにつみたるといへりしに〓我爲に雲間の若菜摘ければ年返りてぞ嬉しかりける同じ日うまごのもとから一荒玉の年も若菜も摘人は卯杖つきてやのべに出らむ返し卯杖つき摘まほしきをたまさかに君飛日野の若菜也見ふしみといふ處にて名ある所々歌によむにあしまのいけ三うら若き蘆間の池の水の色は淺綠にぞ波も立ちけるかさとり山〓降らばふれ笠取山の木下は秋の時雨も漏じとぞ思ふふしみの里の戀カも盡ず戀する人はれもいらで伏見の里の夜社長けれ語らむと云ふ人の久しく音せぬをつゝじにつけていひやりし云やとて云程を待つ岩幽躅云ずとてやはいはで已べき又一語はで程のへぬれば杜鵑君忍び音ぞ絕ゆるよもなき五月六日さがみ或る人にハ人しれず四季特こそ菖蒲草昨日を唯にすぐすべしやは返しかはりてか菖蒲草引く人繁き淀のには何かは深きねをも尋ねむおなじほどの人のいひたる一人のよも我世もけふかあすか川とありしにみづのあわよりげにぞはかなき山里に侍るほどこどもの慕ひ詣できて所のさまのをかしきに題にて歌よみ集めたりしを歌合にせむ定めよといひたりしに一浦々の波にも我は片寄らじ難波人社あしよしはみめおなじところ山里の時雨とふ人もなき山里の村時雨ふたよりみより驚かす哉人々きくの歌よむをきゝて一様々の色をばすてし身なれとも菊に心を移ろはす哉九月盡口すけみちの大貳のもとから一年年る人こそいとヾ惜まるれけふ計りなる秋の夕暮かへし一哀かく暮行秋のをしさには立ならぶべき老の波かは思ふことあるころ萩をみてたおき明し見つゝ眺むる萩の上の露吹亂る秋のよの風あづまへまかりにし人のむすめをまちわびて〓息のをの絕なむ折は君きても哀いづこと我を尋ねむかへし息のをのいきて見べき君なれば限る別は有じとぞ思ふ院の御堂にて百わかうつまれしになもしらぬ花をふしりたるやと問はせ給ひしに衣衣手に推開きてを見備せとうみやうに咲ほうたくの花院のうち殿におはしましける頃人々菊をもてあそぶcmなべてのは霜枯るらめど法の內の菊は盛の色ぞ常なる右の大殿まゐりたまふみちに時雨にあひて一宿近く逢へる時雨は何なれや山路也せば濡や增まし京ぜんりしと云ふ人のおほけさぬはせしにかたなやあるといひたりしおこすとてミーク辱ののををへへる君なれば惑ひをたゝむ驗をぞやるかへし西西方方のとうむかりの衣をぬへる糸に引れて僧もとからものくむかひにかきたりしさくししの法を聞つゝ世を救ふ寶すの旗と是を云かひかへし五ふかきしを釋しえさする法のしにもくらの粥を汲て報はむなすびといふものをざるにつくりてかれたる木の枝につけて、人想思ざる事の樣哉もと茄子からきの枝に成らむ物とはかへし七珍しやからきの枝の本茄子作らざるには爭で成けむふぢのきの舟ににたるに平茸をほしてこれを題にて歌よみてといひたる人にN〓人人鹽本も摘みに岩藤の平茸わたにさしてゆかなむはかうせし頃つげずといひて、人ね恨ても猶つらき哉廣めけむ法の衣にかけずと思へば返し050たまさかに弘むる法の衣にも立後れけむみをや恨みぬよからずや思ふらむと思ふ人のちかうゐたるに『夢よ夢心隔つな蘆がきのま近きほどに成ぬとならばかうろといふ遊び所の大和のかみといふ人ぞすみしそれなくなりてふるき難波の里に歸るとてその頃人々歌よみしに一二の葉の裏返りたる難波人ふるの社を懸ぬひやなきおとせぬ人に冬の末つかたニー忘られて年暮はつる冬草の枯葉は人も尋ねざりけりうまごのいかなりし日三位my嬉しきは千世の小松の遙々と榮始むるいくか也けり盜下從三位行治部卿平朝臣判합丹集曾丹集〔曾彌好忠集〕新玉の年の日數を算ふとてすがの根の長しと思ふ春の日すがら眼をば霞む山べに極め盡し心をばすぐす月日にたぐへつゝ風に片よる靑柳の暇のひまもなきまでに鳥の鳴くねを聞け
朝なぎに棹さす淀の河長も心とけては春ぞみなるゝ朝日さすけさの雪げに水まさり世を浮橋の行方白波淺淺山は霞に埋れて有るかなきかの身をいかにせむ匂はねど微笑む梅の花をこそ我もをかしと折て詠むれch春毎に澤べに生る芹の葉11を年と共にぞ我はつみつる〓梅つ河岩まの波の立返り春は花かとうたがはれつゝただ染染し色にか有覽春くれど目馴ずみゆる松の綠は花みむと命も知ず春の野に萩の古枝を燒ぬ日ぞなき我みても春はへぬるをなよ竹の其より先に幾よへぬ覧山里の梅のこ原に春計り庵りてをらむ花も見がてら中の春二月のはじめ〓我妹子が衣如月風寒みありしにまさる心地かもする我宿の板井の水やぬるむらむ底の蛙ぞ聲すだくなるさくきつ17にずかきさほせり春どにふりさす民の玄業ならし梅花こよひ嵐のやまざらば歎きてのみも明すべき哉〓我身をばみる人捨てゝすさめぬを哀にも將喚子鳥哉「ゆふだすき花に心をかけたれば春は柳の暇なみこそ〓本芽はる春の山べをきてみれば霞の衣立ぬ日ぞなき山山の空木垣根に消殘る雪をぞ花によそへつゝみる宮木きるをのゝ河原を見渡せばめも遙々と淺綠なり八ああさ弓春の霞は隔つれど入さの山の月ぞさやけき二月中春春野の若草山に立雉のけさの羽音にめを覺しつる松が崎いつも綠の色なるをいとゞし春は霞たちつゝ〓我宿の本荒の櫻さかねども心をかけて見れば賴もし八ををつるかるもの蜑も春くれば浦々每に詠めをぞするco上り船こち吹風をすぐすとてよを牛窓に歎てぞふる〓烟立春の浦々みる時ぞまだみぬ蜑の在りかをぞ知る色かへずみゆる讚岐の松山も春は綠の深さまされり遂事の筐をせばみ春の野の若菜に附て年をつみつる點小小の去年の古ねの古遂今を春べとひこばえに見ば我も哀とよそに聞き花の笑めるを見れば誰もをかしと見るらめど人は賢き顏をつくり我ははかなきとを殘しおきて花の散る春のあした木のはのおつる秋の夕べ月の明けき夏のよ風の寂しき冬の曉までをこなれど親のつけてし名にしおはゞなほ好忠と人も見るがに五四よさの浦に老の波數算つる蜑のし業と人もみよとぞ正月春のはじめ加三島江に角ぐみ渡る蘆のねの一夜計一に二めるに息めtbあなし川ふる山懸てくる春の徵とけさは水ぞぬるめるNFなる瀧の岩間の氷いかならむ春の初風よはにふく也カル峯に日やけさは麗らにさしつ覽軒の垂氷の下の玉水caf雪消ばゑぐの若菜も摘べきを春さへ晴ぬみ山べの里一雪雪えし嶺の嵐の吹なべにけさ山河の水嵩まされり三心より春の嵐に誘はれてとくる氷やいづちなるらむ三山山かひ霞渡りし旦より若菜摘べき野べをしぞ思ふ〓香久山の瀧の氷も解けなくに吉野の嶺は雪消にけり五鴨のゐる入江の氷薄らぎて底のみくづも顯れにけり正月中太勝間田の池の氷の解しよりやすの浦とぞ鳰鳥もなくせすまの蜑も今は春べと知ぬらし孰こともなくなべて霞める〓〓春日野に村消え殘る雪よりも今はいっ迄ふべき我身ぞねー檜木もる布留の社の神奴春きに鳬としるらめやそも改めし神の御幣させるかと澤べにたづの群ゐたる哉ニ烟かと四方の山べは霞たち孰れのこのめ萠殘るらむ打霞たづきも見えぬ春の野に聲をしれとや鶯の啼く=大ね芹摘む春の澤田におり立て衣の裾の濡ぬ日ぞなきみやつこぎたふる垣れを春たてば深き綠にまづは見えける六五片岡の雪まに根ざす若草の僅かにみえし人ぞ戀しき正月をはり曾五四春山に樵る樵夫の腰にさすよきつゝきれや花のあたりは二月をはり絶るよも有じとぞ思ふ春をへて風に片よる靑柳の糸雁音ぞ鳴歸るなる世中をうしとみつゝも秋は厭はでゃはる〓〓と浦々烟立渡り蟹のひよりに藻汐やくかも花の時いきたらばみむ三吉野の萩のやけふはなべてみつるを0山櫻はやもさかなむ吹風に峯の白雲立つかともみむ。我苗を宿もる人に任せ置て我は花みる急ぎをぞするco春雨のふるのみ山の花見にと三笠の山をさしてのみこそ30花みると妹が業だに手もふれでふるす乍らに暮す頃哉〓鳴き返る雁の涙のつもるをや苗代水と人はせくらむ10冬飼の手馴の駒も放てむ岡べの小笹はえぬとならば暮の春三月はじめやはゝこ摘彌生の月になりぬれば開けぬらしな我宿の桃co花みると暇を春の山にいれて木の本每に眺をぞする〓o生生るる矢田の廣野に打むれて折暮しつゝ歸る里人加道遠み物うしと思ふ春の野も花みる時ぞ心ゆきぬる。朝な〓〓庭草とるとせし程に妹が垣ねは薄らぎに鳬一宮城野や燒生の萩も下葉より本荒に咲かむ花をしぞ思ふ一花により今宵の風にいをねずば文なく妹や心隔てむ笠無に花見に來るけふしもあれ四方の山べは木暗かり鬼色みむと植しもしるく山吹の思ふ樣にも咲ける花哉櫻花みるに心の行ぬれば春は急ぎし名をぞたてぬる三月中六閨の上に雀の聲ぞすだくなる出立方に子や成ぬらむ花盛あまたの春を過しつゝ我身のならぬ歎をぞするヘ玉垣のみつの湊にか春なかれば行かふ人の花を手向るた二葉よりみつゝ馴にし花櫻何をうしとてかくす霞ぞ〓雪かもとみれば櫻の溜らぬは咲程なしに散れば也鳬一山姫の染てはさほす衣かと見るまで匂ふ岩擲躅かな花花むと古〓さして行道を長びく程に風もこそふけ一山隱れ風に知れぬ花しあらば春は過ぐ共折て詠めむ我が爲め庭の花を隱せどもあらき風には從ひにけりたたひひの鷺坂岡の躑躅原色てるまでに花咲にけり三月をはり道道も今日は遙々靑み原おりゐる雲雀隱ろへぬべみ御園生の薺の莖も立に島今朝の朝菜に何を摘まゝし過過らむ月日も知ず春は唯淀の若菰かるにてぞしる〓ははててけけふにみえし春の野も草深げにも成にける哉cmみほの浦の引き網の綱のたぐれ共長きは春の一日也見一三安河の早瀨にさせる上り梁けふの日和に幾ら積れる三茅花ぬく淺茅が原も老にけりしろ綿引る野べと見迄淺ぢふも雀隱れになりに鳬うべ木の本は木暗かり鳬春春くなりにけりとは住吉の岸の藤波をる時ぞしる11津津津春春暮暮るせヾの井堰に堰も止なむ夏四月大海津がは=春の暮れにし旦たより庭の木かげは隙もなくもりの下ぐさ繁ければ露もぬるけみおき渡り風ものどけく永き日の明れば今日をすごしかね暮ればあすを歎くまに垣根に咲ける卯の花のめも白たへに色わかず雪よりげなるおもとじのちぶさの報いする程にくる夏ごとに逢くれど時にしあはぬ身にし有ば草ばをつめるうきみ一つの拙なきを名を好忠と名けつゝはぐゝむとと悲しさに世を捨て難みふる程にものゝみ今は欲けれど夏のこゝろをつくりたるかもかかすすききててるる無き人の流ての世の印也鳬四月はじめ〓〓とる卯月になりぬ神山のならの葉柏本つ葉もなし加見儘に庭の草葉は茂れ共今は假にもせなはきまさぬ曾集丹
co水草生し安積の岩井夏くれば袂をひぢて掬びくるかも「夏日は空さへ永くなればにや天照影の過がてにするニ時時ほのに初音を聞しより夜としなれば目を覺しつゝ三野べみれば草わく計成にけり我苗代も生ひやしぬ覽夏引の白糸のてくりまだしきに夜は短く成にける哉10世中のなり行く樣も同じ事いつらはそこら立し霞ぞ三三山山ししても見えず夏なれば孰こともなく靑み渡れりxに刈ひくく思ひし人の絕にしを草葉につけて忍ぶ頃哉四月中xx大荒木の下草迄に風吹けば靡きて神を祭あへるかもねみあれ引賀茂の御戶代引添て今はとしのみ祈る計ぞcmやほたても河原をみれば老に是辛しや我も年をつみつゝエうつき原てこなが布を晒せるとみえしは花の咲る也見一河上のあらふの池の浮尊うき〓とあれやくる人もなき夏衣龍田河原のこのかげに今はゆきつゝすゝむ計ぞ四かをかげば昔の人の戀しさにはな橘に袖をしめつる夏のよの長閑き雨を足引の山の春風ふくかとぞ聞く蘆のはに隱てすめば難波女のこやは夏社凉かりけれ一夏朝の下葉の草のしけさのみ日毎に增る頃にも有哉四月をはり夏夏うすくや人の思ふらむ我はあつれて過す月日を短垣には卯花うゑむ雨夜にも我宿守る人とみるべく〓ににる人に附てぞ戯れぬる長閑き夏の草ばなれ共〓蛙なく井手の若菰刈ほすとつかねも敢ず亂てぞふるヨ日くるれば下はこ闇き木の本の物恐ろしき夏の夕暮三世世は淺茅が原もおなじごと繁れる夏と何か賴まむ懷懷しく手には折ねど山賤の垣ねのうばら花咲にけりすすももくくほほの浦人舟馴て幾その夏を焦れきぬ覽野中には行かふ人もみえぬ迄なべて夏草繁り合に見夏の日のすがのねよりも長きをぞ衣脫懸暮し〓ぬる夏中五月はじめみんやや今今日は五月に成に見急げや早苗老も社すれ九下下ててびびに淀の眞菰苅あなかま知ぬ人のきかくにch鷺立る五月の澤の菖蒲草よそめは人の引かとぞみる一名にしおへば賴まれぞする我戀る人に樗の花咲に見〓菖蒲引賤のははかま濡々て時に逢とぞ思ふべらなるヒー瓜植し狛野の原のみそのふの繁く成行く夏にも有哉淺ぢ生る小野の篠原草深みさゝの宿りを誰か知べき札川川の後の床のうき枕なつは凉しきふしどなりけりとけてすらぬる程もなき梅雨に寢覺勝にて明す頃哉七七日日しなく空蟬の聲きけば露の我身ぞ悲しかりける五月中〓山賤の畑にかりほす麥の穗のくだけて物を思ふ頃哉我蒔し麻苧の種をけふみれば千えに分れて蔭ぞ凉き0大大ややせが井の水草搔分ておりや立まし凉みがてらにをたまくり懸て手引し糸よりも長しや夏のくるゝ待間は長閑にて凉かりける夏の日も思ひ扱ふ〓ともなきみはミル假にても思へば社は夏草の繁れる中を分つゝもくれ八蟬のはの薄ら衣に成しより妹とぬるよの間遠なる哉四來たりとてぬるまも有じ夏のよの有明の月も傾に鳬影〓〓夏の夜すがら照月を天のと渡る船かとぞ思ふ我せこが來ませりつるかみぬ程に庭の小草は片迷ひ見五月はてハ小山田のみ絕せしより天にます岩戶の神をれがめ日ぞなきかさゝら波たつ山川は淺けれど深く成行く夏にも有哉chにはたづみ流れて人やみえくると曇れば賴む夏の夕暮「茜指岩戶の山も見えぬべくめを極めてもてれる夏哉ニ花花ししの夏の日よりにふかせてしがな一庭に生る淺茅が花をはやしけむ昔の人ぞみねど戀しき熊るれど烟もみえず夏の日はよるぞ螢は燃增りける隙ももく物思つる宿なれどする業なしに夏ぞ涼しき上上ぐぐのの並並の片よりをみるに附ても夏ぞ凉しき曾丹集手もたゆく扇の風のぬるければ關の〓水に水馴てぞ行六月初〓今日よりは名越の月に成ぬとて荒ぶる神に物なるな人〓斯計草葉も夏も深けれどあらはに置ける淺茅生の露。河上に夕立すらし水屑せくやなせのさ波立騷ぐなり。かこはねど蓬の籬夏くればあばらの宿も面隱しつゝ。里遠み作る山田の御守すと立てるそほづに身をぞ做つる50蚊遣火のさよ更方の下焦れ苦しや我身人知れずのみ夏萩の麻のをがらとあだ人の心輕さといづれ優れりx0こはなしに夜はたみゆる夏蟲の晝の在かや孰くなる覽ねなが日すら眺て夏を過す哉吹くる風にみを任せつゝやさゞら波立ておりくる水の文は夏の河原の凉み衣ぞ六月中〓我我子が夏の夕暮みえたらば凉しき程に一夜れなまし加疎まねど誰も汗こき夏なればま遠にぬとや心隔てむ。燃れ共煙も立ぬ夏の日の暑さぬるさを忍びてぞふる一我妹子が隙なく思ふ閨なれや夏の晝間は猶ぞ臥うき一年ふれば老ぬる人のしろ髪を夏も消せぬ雪かとぞみるシ入日さし早晩夏の日もくれば紐打解て妹とぬべきを〓のはに風のそよめく夏しもぞ秋ならね共哀也けるきて見よと妹が家路へ〓げやらむ我獨ぬる床夏の花夏河の瀨々に鮎とる丈夫は我が憂き影を自らぞみる御禊するかもの河風吹らしも凉みにゆかむ妹を伴ひ六月終人我妹子が汗にそぼつるれよリ髪夏の畫まは踈しとや思ふた下紅葉秋もこなくに色づくは照夏の日に焦れたるかも〓夏の池の水の面隱す蓮葉に漂ふ露の身をいかにせむ一妹と我閨のかさとに畫寢して日高き夏の影を過さむ隙もなく繁れる夏の山路哉明ぬに越る心地のみして一蟲の音もまだ打とけぬ草叢に秋をかねても結ぶ露哉一入日さし蜩のねを聞からにまだきねふるき夏の夕暮夏ばかり賀茂の河瀨に過してむ古郷人は心おくともた行道をあやなくまだきとまる哉蜩のねは定なき世を叢雲のうきてさ迷ふ大空を詠めし程に夏はくらしつ秋涼みせし夏のくれにし夕べより野べの草葉を掻分けてよもに吹くる木枯しのやゝはだ寒くなる迄に年月をば思ひのほかに過しやりかひなき身をば心の內に嘆きつゝ世を長つきの末までに耳にきゝ目に見るとを記置かば露のいのちは消ぬとも行く末みづの絕えぬ言ばを流れての秋の形見ともみよた打渡し岸べは波にくづるとも我名はつきじ天のはし立はじめの秋七月cu山山のの羽羽の面を見渡せば仄に今朝は秋風ぞふく一種立する秋はきに見おりそぼち早苗つかねし袖もひなくに三遠山田去年に懲せず作置てもるとせしまに妹將枯ぬ空を思ふ少女の衣一ひより天の河波立ちぞよるらむ起てみむと思し程に枯にけり露よりげなる朝貌の花三朝ぼらけ萩の上葉の露みればやゝはだ寒し秋の初風秋をへて雲ゐにきゝは渡れども波に朽せぬ天の浮橋田子浦にきつゝ馴けむ少女子が天羽衣さ干す覽やぞ〓 我思ふ色には咲ける撫子の露に心をおかるべしやは知蟬のはの薄き衣し變らねば秋きたりとも覺ざりけり七月中05我我るながての稻も軒は落て村々穂先出にけらしも一久方の岩戶の關もあけなくによはに吹しく秋の初風いいここにけとてか稻葉を人の急ぎかるらむ三國誰が置る玉にか有覽秋の野の草葉をよきず置る白露我宿の門田のわせのひつち穗を見に附ても親の戀しき曾丹集
一武藏野の岡べの原の秋萩も花咲き方になりにける哉暮ればとく行てもきかむ古〓に我を松虫鳴と告たり本木ののと立にし其日より稻葉のそよと云ぬ日ぞなきN秋秋野の草むら每に置く露は夜なく蟲の淚なりけり加其かみに岩にも種をまけりせば秋の田のみをよそにみましや七月をはり05我我なは妻戀すらし遠山田守ると〓て日數へぬればエ秋風のよもに吹くる立田山何の草木の長閑かるべきニー睦じき妹兄の山と知らねばや初秋霧の立ちて隔つる111人人らら語語べきを思事の薄はそこと云かひもなき秋秋風草の草葉を分て吹くれど野べには跡も止らざり鳬五こし人の置て別れし朝より秋きに鳬と著くみてしをメニ二ににねざしゝ篠の秋くれば夜中に成て寢覺勝なる〓あれば有となけしのよそにみし人の秋風吹ば其ぞ戀しきバス大数叡をひえの山も秋くれば遠目もみえず霧の籬にねェ女郎花匂へる野べと見なべに機織る虫もよはに鳴也八月上〓〓くる〓のよはの羽音に驚きて野べの白露起居ぬる哉蟲のねぞ叢每にすだくなる我も此夜はなかぬ計りぞねたるまも露や置つゝ絞る覽ひた打はへて守る山田を我兄子が我に枯にし夕より夜寒なるみの秋ぞ悲しき彎蟲ゆら〓〓思へ秋の野のやぶの栖はながき宿かはみし人の賴めし〓とを賴つゝ秋をばよその物と社きけ遠つ山宮城が原の萩みると秋は儚きたはれ名ぞ立つ枝もたわに萎ぬるかと思迄幾そかおける萩の上の露神神備備三三の山をけふみれば下草かけて色附に鳬な打群れてと渡る雁の羽風かも天の河波騒ぐらむかも八百中ヒとやみれば我夏飼の片返り秋きに島とをはぞしなへる一寒さのみ夜どに勝るなよ竹の風に片よる聲の悲しさ〓積積る夜床は山と成ぬべし秋のよをへてぬる人もなみ隈每に心地さやけき秋の月小倉の山の影はいかにぞ■七望月の駒すら年に引るゝを我すぐしくる秋ぞ悲しきエルあしげなる奧手の稻を守るまに萩の盛は過やしぬ覽航寒く風は夜ごとになり增る我みし人は音信もせず三三生生の駒を手どに懷けつゝ引來る秋の今朝の關風〓〓せせせせきがきまさぬ宵の秋風はこぬ人よりも恨めしき哉〓待宵の風だに寒く吹ざらばみえこぬ人を恨ましやは七八月をはり〓陸奥の秋田の山に秋霧のたちのゝ駒も近づきぬらし〓衣うつ礁の音を聞くなべに霧立つ空に雁ぞ鳴くなる秋風はまだきな吹そ我宿のあばら隱せる蜘のい掻を風によりうてば衣を手のたゆく寒さに急ぐ秋の夜々mいざ子共小草も垣に露ぬるゝ風に長閑き秋の日和に八なけやなけ蓬がそまの葢くれ行く秋はげにぞ悲しき身に寒く秋のさよ風吹からに舊にし人の夢にみえつる我身こそいつとも知ね中々に蟲は秋をぞ限べらなるいいしししももはさを鹿の己が憂身の秋をしも鳴な我我こが板やの鈴子懸させて絕ぬを待ぞ秋は術なき九月上50m最としくよを長月に成ぬれば寢覺勝にて明すべき哉みよそ耳に鹿のしらねを聞しより秋は悲き物と知にきはやまきは夕になれば村濃也誰が織初むる錦なる覽秋風のふく狹衣を取亂りさほす程にぞ寒きめはみる一人一とは風ずずに木葉は誘れぬよな〓〓蟲は聲變り行く17住吉のならしの岡の玉造り數ならぬみは秋ぞ悲しきみ山には村々錦ひけるかと見るに附ても秋霧ぞ立つ吾妻山みのゝ中道絶しより我身に秋のくると知にきNo老老ける齡も皺ものふ計菊の露にぞ今朝はそぼつるかまぶしさし鳩吹秋の山人は己が在かを知せやはする九月中。雉子鳴く交野の原を過行けば木葉も殊に色附にけり曾丹集。我妹子が衣薄れてみえしより戯れねせじと思初てき。〓招くとてたちもとまらぬ物故に哀かたよる花薄かな30きる人も世になき物は秋山に風の吹立つ錦なりけり。長月の萩のうればに置く露は花をしのぶる鹿の涙か10とならば山とも早く成なゝむこゝらの紅葉散積りつゝxo網代もる宇治の川長年積り幾そ月日を數へきぬらむ山里はかいとのかもの道もみえぬ迄秋の木葉に埋れに鳬10倉部山秋の月よにみれば明し峯は紅葉や最ど照らむ50妹妹りりと風の寒さに行く我を吹きな返しそ狹衣の裾九月をはり〓我家は行く程遠しさほ風の暫しはをやめ妹も待らむ一箱根山雙子の山も秋深み明くれ風に木の葉ちりかふ一入日さすさほの山べの柞原曇らぬ雨と木葉ふりつゝ一小山るる。木木の蔓色こきを見にくる人も見えぬ秋哉秋深み山の錦もつきたゝばきる人なしにちりぬ計ぞ我せことさよのね衣重ねきて膚を近み睦れてぞぬる如田ややせたの早瀨に梁さして寄るとしなれば浮寢をぞする照射すと秋の山べに入る人の弓の矢風に紅葉散らしル筏おろす跡の早水せきとめて暮行秋をみる由もがな秋果て我せな君の絕しより閨の夜毎をとりぞたてゝし冬0かみな月時雨ふりくるみ山より風さへことに後れねば四方の木葉の殘りなくながむる空も晴ずのみ曇りわたればなよ竹の長きよな〓〓思ひ集めくれ竹のくれゆく冬のあり樣をこゝろの内にしのぶるとの苦しさに人のそしりも知ずしてとはず語りを集めたるかも一耳に聞きめにみる事を寫置て行末の世の人に語らむ冬のはじめ十月〓何事もゆきて祈らむと思ひしを社はありて神無月哉一時雨つゝ人め稀なる我宿は木葉の散を誰かとぞ思ふ四烟たえ物寂しかる庵には人こそ見えね冬はきにけり正野飼せし小笹が原も枯にけり今は若駒何になつけむ草草れれの冬までみよと露霜のおきて殘せる白菊の花ヒ時時れば先ぞ悲しき我宿の閨の板まの逢夜なければ白白の凍らば玉と手に取てぬかれぬ迄も貫てみましを長き夜にすだきし蟲を厭ひしに今は嵐の音ぞ烈しきc風風み妻ごひ也し鹿のねをなど我上と思はざりけむニ露ばかり袖だに濡ず神無月紅葉は雨と降にけれども十月中ニ吹吹ちす冬の嵐ぞ怨めしき木のはをきぬと賴む山人三人傳に寒しと聞し風の音をわが轉寢の耳なれにけり獨ぬる風のさむさに神無月時雨ふりにし妹ぞ戀しき三年外山なる柴の立枝に吹く風の音聞く時ぞ冬は物憂きた三室山木葉降りにし朝より顯はにみゆる四方の玉垣河上や笠置のいは屋けを寒み苔を筵とならす優婆塞〓ねねひひる冬の狩人待兼ねて己が心に寒しとや思ふ苫〓〓〓の道は草葉も枯に鳬とてし人はたふれしぬらむcm岩戶山よにあけ難き冬のよのあまの關守誰か据けむ一夏きぬと有し乍も冬夜のせなとしねなば寒らむやは十月はて一冬くればおり立人も無り鳬有しに增る水の上のあやニ來柴たく庵に烟立ちみちて絕えず物思ふふゆの山里草の上にこゝら玉ゐし白露を下葉の霜と結ぶ頃かなエル寒らで寢覺ずしあらば冬夜に我待人はこずはこず共キれ亂れつゝ絕なば悲し冬のよを我獨ぬる玉の〓よわみ七四ふぢふのに柴刈民の手もたゆく束ねも敢ず風の寒さにAN寒しとて道は休らふ程社あれ妹がりとだに思立なばかすむ閨も木葉隠れにせし業も冬きて後ぞ顯れにける65蘆葉の散にし日より難波江に通ふしなさをさしてみねつゝ曾丹集
一一の がちる橋の間違にて隔つる中に霜やふるらむ中の冬十一月上ニ〓〓〓〓〓〓。 〓 〓 〓 〓 〓 〓 〓 〓 〓 〓 〓山の路は雪にや埋もれぬらむ三〓〓隠れ〓子の在りか窺ふと文なく冬の野にや戯れむ風寒く成にし日より相坂の山の岩井は水草おひに鳬元〓にににか計凍る年なればかひの白嶺を思こそやれx秋秋てゝ時雨降にし我妻を冬の夜すがら戀明しつゝ〓〓生生ああとの河原の淺茅べは殘らず霜に枯果にけり〓ん蘆鴨のきゐる岸べの淵よりも深く成行冬にもある哉〓見渡せば越の高ねを雪積りいさ白山の程はいづれぞ冬はきて草ばを枯しはてゝ島御狩の野守もるかひもなし一賤の女のあさげの衣めを荒み烈しき冬は風も障らず十一月中一岩間には氷の楔打ちてけりもりこし水も絕て音せず一草草のかれにし人の今更に雪ふみ分てみえむ物かは夜は寒し寢床は薄し古〓の妹がはだへは今ぞ戀しき〓露霜のよはに起ゐて冬の夜の月みる程に袖ぞ凍りし平千振かみなび山のなら柴を雪ふみ分て手をる山人秋だにも風に恨みし葛のはの最ど枯ぬる冬ぞ悲しき〓山山は隙なく降しけど火のけを近みたまらざり鳬六おおおき中にこがれ渡れど冬なれば波路を寒み急ぐ舟人〓待待て妹やねぬらむ冬の夜は深にたり共猶や行まし一久方の空かき曇りしぐれつゝ氷の隙もみえぬけさ哉十一月をはりさよ中にせなかきたらば寒くとも膚を近み袖も隔てじけを寒みさえ行く冬の終夜めだにも逢はず衣薄れてBl深くしも賴まざる覽君故に雪踏分てよな〓ぞ行く炭炭の煙にみをや類へまし我たらちめも偖ぞ絕にし獨ぬる我身は荒て草村の野ら風よりも寒くもある哉おりりゅきき間もみえぬ冬日の晴ぬ雲居に膓ぞ鳴なるル大原や槇の炭竈冬くればいとも歎きの數やつもらむ九九小鹽山尾上の松の枝どに降りしく雪は花と見えつゝ0御御居る冬野を分くる狩人の孰の山か駒はかくさむ「あたご山檣の原に雪つもり花つむ人の跡だにもなきくれの冬十二月初〓優婆塞が字名に刻む松の葉は山の雪にや埋れぬらむヨああなりし瀧の白糸冬くれば解べくも非ず氷結べり君君まつと關の板戶をあけ置て寒さも知ず冬のよな〓〓み山には山の山風あらげなり椎の風折いくそ懸れり山山の露とむすべる柴の庵雪ふみ分て誰かとふべきしし凍凍る木のねを床と馴しつゝ行ふ人ぞ佛とも成るハ埋埋の下に憂き身と歎つゝ儚く消えむとをしぞ思ふ冬籠きぬ〓〓山を見渡せば晴るよもなく雪は降つゝ0〓 〓ふ〓曇れる冬の晴ずのみ盡せぬ物や麿が身のうさ水氷するみはらの池の池堤おほはぬはこの鏡とぞ思ふ十二月中風さわぎ霰降りしき寒き夜に何をあかずと結ぶ氷ぞニュー筑波山はやま繁山繁けれど降しく雪は障らざりけり冬山の炭やき衣なれぬとて人をば人の賴むものかは警降れば緩木の森の枝わかず夜晝鷺のゐるかとぞ思ふ鵜のゐる洲崎のみより氷とぢ寄りこし波も沖になりつゝせへつくりの垣ねの雪をよそ人は鶴の上毛と思覽やぞM荒磯に荒波立てあるゝかも君がねはだは懐かしき哉4十つかは吉野の瀧を分けくれば氷ぞ泡と浮てさ迷ふ○都にも道踏み迷ふ雪なればとふ人あらじみ山べの里。大荒木の多くの枝も靡く迄よはに寂しき冬の夜の風十二月をはりco年ふればうばの玉藻もおひに是鳥の髪に雪積りつゝ50燻りつゝ世に炭竈のけぶたきを吹つゝ燃せ冬の山風鳴鳥の氷の關にとぢられて玉藻の宿をかれやしぬ覽エ鈴鈴川八十瀨の波の音なきは氷やせヾに結止めつる加鶴の行逢はぬまの程寒みあかでわかれし中ぞ悲しき,丹集ゃみ山木を朝な夕なにこり積て寒さを願ふ小野の炭燒〓〓羽羽の上毛に雪の降しくは我が鷄のふヾきかもとぞ數數れれここららににる年月の雪積るらむ方や孰ぞ暇暇みかひなき身さへ急ぐ哉みたまの冬と宜も云鬼一玉まつる年の終に成に見けふには又や逢むとすらむ序新玉の年のみ空に餘るまで春は散りかふ花を惜みかね秋は落つる木のはに心をたぐへ夏はうはひもさゝで風に向ひ冬は寂しき宿にうもれゐて荒れたる宿の隙をわけ過ぎ行く月を數へつゝ明けては暮るゝ久方の月日をのみもすぐすかな哀たづきありせば百敷の大宮仕勤むとてすべらぎのみかきに面なれて且た夕べに慰めましと心の中に歎くまに旦たには窓に囀る鳥の聲に驚き夕べには籬に開くる花の色を詠めつゝ蓬の門にとぢられて出で仕ふる〓ともなき我身一つは憂けれどもひを蟲の日を暮し草葉の玉の風を待つ程なれば水の泡よりも殊に春の夢にも異ならず昨日見し寶の宿も今日は淺茅が原と露しげくて旦たに通ひし玉のとぼそも夕べには八重葎に埋もれて空行く雲の果もなく見しも聞きしもなくなりゆけば流れてつきぬ水莖の跡に記して數ならぬ心一つを慰めむと百千の數をよみ續け許多の〓とにいひ連ねて敷島のみわの社の麓なる好々しくもなりにけれど松の木の千年ふるも終には枯れ朽ちぬるをや朝貌のかたどきにしもかれうせぬれど開くる程を榮えとするをや雲に鳴くたづも遂に空し溝にはふ蟲も心のゆくへは隔てなしと思ひなせば難波なるあしきもよきも同じことすくもすかぬも異ならず名を好忠とつけてけれどいづこぞ我が身人とひとしきとてや百首和歌春十一昨日迄冬籠れりし倉部山けふは春べと嶺もさやけきミニ限毎に今日は春べと霞行く峰の蕨も萠えぬらむやぞ卷向の穴師の檜原春立てば花か雪かと見ゆる木綿垂山山の梅の蘭生に春たてば木傳ひ暮すうぐひすの聲ししまましや明に島とも春夜の閨の妻戶に旭さゝずば我妹子がけさの朝いに引されてせなさへ餘りかいだゆき哉ル腸音ぞ霞を分て歸るなる來む秋迄の我身いかにせむ花花みつゝ春の山べに暮してむ霞に家路見えずとならば〓庭の面に薺の花のちりぼへば春迄消ぬ雪かとぞ見る一立ながら花見くらすも同じと折て歸らむのべの早蕨ううららききに取溜て春の野の藤の若葉を折てつかれむ夏十一番霞立しは昨日いつのまに今日は山邊のすぐろかる覽花散し庭の木のまも繁り合て天照る月の影ぞ稀なる正夏衣きときになれど我がやどに山郭公まだぞ聲せぬ〓ののののすす衣衣になり行くになど打解けぬ山郭公草紛ふせなが早苗を搔分て入とせしまに裳裾濡しつ心よそに見しおも荒の駒も草馴て懷く計に野は成に鳬九五月闇雲まばかりの星かとて花橘にめをぞつけつるco曇曇き大海の原を飛鳥の影さへしるくてれる夏かなニ水無月の名越を思ふ心には荒ぶる神ぞ叶はざりける一一懷かしく吹來風に計られてうはひもさゝで暮す頃哉秋十櫻麻の刈生の原をけさみれば外山片かけ秋風ぞふく秋風の吹く衣手の寒ければ片敷く方に波ぞ立ちける山里の霧の籬のへだてずば遠かた人の袖もみてましだくる膓の羽風すゞしくなる時は誰か旅ねの衣返さぬ山田に葛はひかゝる松がきの隙なく秋は物ぞ悲しき밥
夏萩のをふの繁りをみる時ぞ秋きに見と程は知るゝ加速山田ほなみ打過出にけり今はみもりも詠すらしも三三野野の象山蔭に立てる松幾秋風にそなれきぬらむ一獨もぬ風もやゝ吹まさる也ふりにし妹が家路尋ねむ一風風のうら寂しかる秋すらに我をば人の忍ぶ覽やぞ冬十三唐錦山の木のはを切たゝて幣とは風ぞ四方に手向る四三繁かりし蓬の垣の隔てにも障らぬ物は冬にざりける楸生るひさのゝ原も冬くれば雲雀の床ぞ顯れにける白雪のふり行く冬を數ふれば我身に年の積る也けり45鏡かと氷とぢたる水底に深くなりゆく冬にもある哉AN神神る冬は半になりにけりあねこかねやに榊折しき加賀けるとて人にもみせむ消ざらばあばらの宿にふれる白雪〇いい山山とゆふしで懸ぬ祈りこし榊推なみ置ける霜哉ユうはまだらけさしも閨に見にたるは宜社よはに袖は冴けれニュ高瀬さす淀の汀のうは氷下にもなげく常ならぬ世は戀十三由良のとを渡る舟人揖をたえ行方もしらぬ戀の道哉四五我妹子がゆたの玉ゆら打靡き戀しき方によれる戀哉〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓れば身はなきまでに衰へに鳬ほま白なるおきのまはゆき見時ぞ妹がてせはゝ最ど戀しき廿二八潮路の波の高きを掻分て深く思ふと知らめやぞもハ味味なし身にます物は何か有と戀せし人をもどきしか共五五君戀る心はそれに碎くるをなど數ならぬ我身なる覽02君君ふと忍び〓〓に身を燒て風の悔づる灰と做けむ〓〓環環はあさげの眞人わがどや心の內にものは思はじ我戀はつげて慰む方ぞなき孰こも歎く同じ世なれば此は此天の下の神代より人の心の淺き影さへ著き山の井にみ兼〓とよせじ難波づに咲きて匂へる花と多くの人の口のはに覺ゆる事を記したるなるべし一有經じと歎く物から限あれば涙に浮て世をもふる哉澤澤川川は瀨にこそ成にけれ水の流は早くながらに數ならぬ心を千々に碎きつゝ人を忍ばぬ時し無れば八八ののももでに物を思ふかな袖は涙の淵となしつゝ松のはの綠の袖は年ふとも色變るべき我ならなくに〓〓搔暮す心の闇に迷つゝうしと見るよにふるぞ侘しき今日かとも知ぬ我身を歎くまに我黑髪も白く成ゆく〓漣漣長へて心にものゝ適はざらめやへへじや世にいかにせましと思ねど問ば答へよ四方の山彥三三野野に立る松すら千代ふるを斯も有哉常ならぬ世の夢にても思ざりしを白雲の斯る憂世に住ひせむとはるるよよももも離離れて飛ぶ雁の友に後るゝ我身悲しな一八八葎葎繁れる宿に吹く風を昔の人のくるかとぞ思ふままろ小菅繁れる宿の草の上に玉とみる迄おける白露長閑にも思ほゆる哉常夏の久しく匂ふ大和なでしこNでゐ山山よそ乍らにも見べきを立な隔てそ嶺の白雲後おひの角ぐむ蘆の程もなき憂き世中は住うかり鳬0有有ば厭ふなければ忍ぶ世中に我身一は住侘ぬやは一八澤田川流て人の見えこずば誰にみせまし瀨々の白玉「草深き伏見の里は荒ぬらむ爰に我世の久にへぬれば三八花薄ほにいでゝ人を招く哉忍ばむ方の味氣なければm人人ふふ涙涙の海に沈みつゝ水の泡とぞ思ひ消えぬる飛鳥の心は空にあくがれて行方も知ぬ物をこそ思へ惜からぬ命心に適はずばありへば人に逢瀨ありやと思遺る心使はいとなきを夢にみえずと聞くは怪しき藻藻燒浦には蜑やかれにけむ烟たつとも見えず成行くか故里は有し樣にも非ずかといふ人あらば問て聞はや〓もとつめに今は限とみえしより誰馴す覽我ふしゝ床〓野飼せし駒の春よりあさりしに盡ずも有哉淀の眞菰のかか無て月日をのみぞすぐしける空を詠て世をし盡せば一播磨なる飾磨にそむる强ちに人をつらしと思ふ頃哉きのえ曾丹集二二にて我が引植し松の木の枝さす春に成にける哉きのと一冬深く野は成にけり近江なる伊吹の外山雪降ぬらしひのえ〓雲や空に靉き渡る覽照日のえしもさやけからぬはひのと數ならで思ふ思の年ふともかひ有べくも非ず成行くつちのえメル小山田のひつぢのえしも穂に出ねば心一に戀しとぞ思ふつちのとか人をのみ世には待乳の常磐山峯の葛葉の恨てぞふるかのえ〇幾よしも有じと思ふ世中のえしも心に適はぬぞうきかのと。人の所有妻とわがのと二つ思ふには馴こし袖は哀增れりみつのえ。行行のえにだにあらば藤川の流て人に澄さゞらめやみつのと三0近江なるみつの泊を打過て舟出ていなむとをしぞ思ふ一日めぐり00定なく一日廻りに廻るてふ神の社やいづこなるらむ一夜めぐりx0みし人よ廻りだにこは有經ても野中の〓水掬ぶとやみむひんがし加故〓の後ろめたさに打忍び昔戀しき音をもなくかなたつみto波のたつ三島の浦のうつせ貝空しき殻と我や成なむみなみ。0人は皆見しも聞しも世中にあるは有かは無は無かはひつじさるね。袖ひづしさるも哀といはゞ社袂を淵と做も果てゝめにし。さほ山の錦なるらむ紅葉を風より先に見にや行ましいぬゐ一山吹もまだ散らなくに春もいぬ井手の蛙に身をや做ましきた何もせで若き賴みにせし程もみは徒に老ぞしにけるうしとら一世中をうしとらいはヾ片時も逢へりなむやと忍ぶれば社つらねうた戀しさを慰めがてら試に返してみばやせなが袖をも思つゝふるやのつまの草も木も風吹どに物を社思へ思へ共かひなくてよを過すなるひたきの島と戀や渡らむ渡らむと思ひきざして藤河の今にすまぬは何の心ぞ圓融院のおほん子日の日召なくて參りたりとてさいなまれて又の日奉りけるんよさの海內外の濱はうらさびて浮世を渡る天の橋立と名は高砂の松なれど身はうしまどに寄する白波のたづきありせばすべらぎの大宮人となりもしなましの心にかなふみなりせば何をかねたる命とか知るな橋立と名は高砂の松なれどみは牛窓によするしら波白波のたづきありせば皇の大宮人となりもしなまししなましの心に叶ふ身也せば何を兼たる命とかふる(有海狀隊)〓よさの海は隙の駒には非ね共雲まを過す程ぞ苦しき一世の憂は春にぞ逢ぬみ山べの埋れてゆかぬ谷川の水谷川の淚のしほに朽ぬべし世にはからくて住江の松生江の松は綠の袖ながら名をだにかへば物は思はじ思はじや名をば埋まぬ世なり共煙と立ばわかむ物かは源順これを見て返したりとなむ此頃をかしき〓とあんなり與謝の海の天の橋立わたりより中絕えて程へにけるといひおこし曾丹集
知るも知らぬも耳にも目にもをかしきと聞かせ面白しと見せて心のうちに思ひけることを言の葉にあらはし思ひつゝへにける戀を歌の內にそなへたるその中にも草のはの風をまち朝顏の花の夕ふるほどよりもはかなき世とあるを見てしよりいしまの水の立返り靑柳の糸を繰り返しみれば心に備へ(た段き)る百千の歌一つすつべきなくあまたの言のはの中にくもの聲の空どみえずなにはをみれど人にまされるとなしとある〓とのみぞたがへる螢をひろひ雪をあつめて多くの年をへにけれどかひなき身もこそあれかゝれとなぞや網のめすきたりともいはゞいへ誰も千年の松ならなくにといふ〓とをげにはかなきもかしこきも千年の後はあぢきなし物いはぬ花鳥にも物をいはせ心なき草木を心あり顏にいひなしてだに常ならぬ世を慰めむと思ふ心しもあれ胸の氷もとけ心の思も消え又さはのまつをのみきりて月の桂を折らざらむも苦し花さく春もくれやすく紅葉する秋もとゞまらず年へぬるみよりの袖の忍びにおつる紅の涙にそぼちにけるを春も秋も心うしとあれば今は時しらぬ終をうしの墨染にやなしてましとぞ思ふなる(作作)春十山川の薄氷わけて漣の立つは春べの風にやあるらむ〓傍傍山ほどかに霞立からに春めきにける心地かもする東路の行かふ道の春立たば花みて心やらざらめやは○古道の雪降しきて此春はいさや若菜もまだぞ摘見ぬニール渡せば淀の若菰からなくにね乍ら春を知にけらしも子 す日すとみし程もなく草枕結ぶ計に野はなりにけり花故に身をや捨てゝし草枕ちゃに碎くるわが心かな四三澤田河井手なる蘆の葉は枯て陰さすなべに春深に鬼五三足引の山よりよそに打みれば人待渡る春暮れにけりたともすれば歸春をも惜む哉珍しげなきとと知る〓〓夏十によはを分て春暮れ夏は來にけらしと思間もなく替る衣手N郭郭公うゐたつ山を里としらば木のまを行て聞べき物を加大荒木の小笹が原や夏を淺みはたまく葛はうら若みかもccいざ兄子と小倉の山の家ゐして短き夏のよをも恨じ一一すす加加すの河波立日より松の影こそ深く見えけれタ闇夕間にあまのいさり火見えつるは籬の島の螢也けり三五石水手に掬びつゝ我きぬる木の下蔭も枯にける哉五月やみ峯にもをにも空蟬の鳴聲きけば唯ならぬ哉四立立ゝ暮にけり六月の名越の祓せでやすごさむ四大大にに行行くかたを惜み置て心の內は秋をしぞ思ふ秋十秋秋の立つるすがら心あてに色なき風ぞさ衣にしむNa誰を然行てみつ覽さほ姫の一葉をほせる山の坂しき加花薄穂にいづとまだきつぐなゆめ秋に跨げるわれ聞なくに〇山山もるそほづも今は眺すな舟屋形より穗先みゆめり一百露の萩のうら葉に置る朝は雁の羽風もゆゝしかり鳬ニュ柚仙の馴さゞりせば秋山の軒ばも今は紅葉しなまし三忘れこし野中の妻はさを鹿の聲きく時や思出づらむ神神無月近づきぬらし思はずになどよも山の立變行く11麻麻ををあれと立らむ方知ず今年も秋をすぐしつる哉冬十畑冬きぬと人はいへども朝氷結ばぬ程は非じとぞ思ふ切朝〓〓〓〓にむをおく霜のきくの籬に色は見えなむない鳥鳥の羽ぶきやたゆき冴る夜の池の汀に鳴聲のするなん雉子鳴野べになこひそ冬籠りかるべき物か人の心は○神神る榊はさすに成にけり夕づくよにぞ大幣にみし一六神無月しぐるゝたびの山彥に紅葉を風の手向つくるる曾丹集暮行とよその仄に聞しかど我身を越る年ならなくに茜さす旭に消る雪まよりきざしやすらむのべの若草春たゝば氷とけなむ沼水の下戀しくもおもほゆる哉年年內內に花咲にけり打忍び春ふく風にまだき散すな戀十色に出ば人知ぬべみ緒絕田の沼よりもげに上ぞ難面きひるまなく夜はすがらに絕ずのみいしくの原の繁き我戀勝勝田の池の白波打はへて立てもゐても物を社思へ現にも身は數ならば云べきを夢の中にも人めみし故cc僞に有はすらめどわかきくに思ふと云をえ社厭はね一時のまもゆく珍しに思ほえてみまく欲さに誘れに鳬袖に落る玉は幾らぞ塵すらも積れば山と成と云物をモル天遠近にすむ七夕もわがごと物や思ふらむかも忍ぶれど幾その神の罪なれや忍びも敢す戀增るらむ戀侘てへじとぞ思ふ世中にあらぬ所やいづこなる覽これはあさかやまなにはづ淺ましや安積の沼の櫻花霞込めてもみせずも有る哉澤澤川瀬々の埋木顯れて花さきにけり春のしるしにNかをとめて鶯はきぬ難びきの隱すかひなし春の霞はお宿近く櫻は植じ心うし咲とはすれど散りぬかつ〓〓卷卷くの檜原こくこそ思ほゆれ春を過せる心習ひに〓蚊遣火の下に萠つゝ菖蒲草あやめも知ぬ戀の悲しさけふよりは夏の衣になるなべにひもさし敢ず鵑なくささだだてて思思ふ時は我宿のなく蟬さへに心細しやへへつくりに知せずもがな難波江の葦間を分て遊ぶ鶴の子綠なる色こそまされ夜と共に猶下草のしげき夏の野行雲の旗手よりこそ先はみれ秋の初になれる景色はかるりの壺さゝらゐさきは蓮葉に溜れる露にさもにたる哉八十島の都どりをば秋の野に花みて歸る便にぞとふ〓〓待〓に思ひし秋は更にけりしるくぞ見ゆる萩の下露〇野野山山色色變り行く風寒みいかで尋ねむ忘れにしせこ"井堰より漏水の音の聞えぬは冬きにければ氷すらしも軒軒なる梅咲ぬとて計られぬ人賴めなる雪や何なりヨああ玉の年暮行けば老にけり心細くもみゆる蜘のいさす草も萠ぬ覽やぞ春きては若菜摘べきふちかたの山れくる春は何を然見む梅花ふる年ながら散行くみれば遙かなる人まつ程は忍ぶれど著くやみゆる我衣手は一一一ももををには胸も千々にぞ碎くべらなるハ〓時のまも心も心戀しきは後うきものと人をこそ思へ鷲鳥のみなるゝ音は難面きを下苦しとは知るらめや人°思思共共ははと云て味氣なく人を恨る〓とのわりなさ。もる山に歎きこるみは音もせで煙も絕ぬ思をぞたく。吹風の便に訪はむ玉垂のみすも動かば我としらめや20物思ふに苦しきよはは差置つ明ばみにませ挿櫛の箱〓長閑なる時社なけれ富士の山いつかは絕む燃る思の0期戀む物と知せば一目みる人に心を附くる身なればねはづかしに人に心を附しよりみそか乍らに戀渡る哉きのえ10田子の浦の政人百敷の選びに入りてなれるなるべしきのと°C小夜更て何か戀しき長閑にて年へば驗有ざらめやもひのえか心にもうしとぞ思ふ我戀の選ばぬやなぞ善も惡しきもひのと〓昨日迄冬籠れりし蒲生野に蕨のとくも生ひにける哉つちのえ一籠居のこをし泣くかは思見つちのに逢ねば有にぞ有らしつちのと風吹けばゆるぎの杜の一つ松待乳の鳥のとぐら也息かのえ花のかの枝にし止る物ならば暮るゝ春をも惜ざらましかのと曾丹集
心うし深き山にも入にしが長閑にをりて憂世過さむみづのえル春立たば先松植しこゆみつのえすはきひあしきてや歇なむみづのと一めみつ長閑に今は有べきを逢に替たる命とや云む一日めぐり我が一日廻々をせし程にしゝきまひする年はきに見一よめぐりんちち人よめぐり返し文を猶さえ有物ぞ出立もするひんがしたつらく共忘れすこひむ鹿島なる阿武隈川の逢瀨有やとたつみ〓霞たつ三室の山に咲花は人しれずこそ散ぬべらなれみなみ一稻荷山皆みし人をすき〓〓に思ふ〓〓と知せてしがなひつじさる二二戀するに衣手ひづしさるかひのあらば絞りてみすべき物を三いさや又戀に死ぬてふ〓もなし我をや後の例にはせむいぬゐ四二きてはいぬゐては閑にゐも敢ず猶人妻はかひ無り鳬きた1世中に乾かぬ物は戀ひ〓〓てぬる敷妙の枕なりけりうしとらた淺茅生の尙うしとらはふすなれど秋は人より先にかるれはこのほか好忠が歌ことばあり七上上のさだめてければ君が代に二度すめる堀川の水物がたりつくる所にて詠める〓我事はえも岩代の結び松千年はふ共とけじとぞ思ふたすはへする小笹が原のそよ更に人忘るべき我心かは實方朝臣集20昔みし心ばかりを知べにて思ひぞおくるいきの松原石〓水のりうじの祭の使にてためまさの朝臣のありける年の舞人にて又の日挿頭の花にさしてニ一村河ざしの花の影みえし昨日の淵ぞけふは戀しき白川殿にて石上の松をの種としあれば岩の上の子日の松も老にける哉四月のついたちの日殿上人山里にいきて郭公を待つ三都人まつをもしらで郭公月の此方に今日はなかなむ白川殿の結緣の八講に今日よりは露の命も惜からず蓮のうへの玉と契れば山里にて蜩の聲を聞きて1葉葉繁繁外外山の影やまがふ覽明くるも知らぬ蜩の聲敷津といふ所にて舟にて日の暮れにければ船船がな今今計計はは寢せむ敷津の波に夢はさむ共高松殿のうへに聞えさせ給ひけるにさぶらはせ給ひける程にや神ならぬみは蓮葉のいける世に憂は獨と思ほゆる哉宇治にてNF橋姫の片敷く袖も片しかで思はざりける物を社思へ五月五日小一條殿にて相宿の上に山郭公聞ゆ也けふは菖蒲のねのみと思ふに大將を玄じゃこゆる事ありて暫し見え奉らぬに白川にいたり給ふとて例のいざなひ給ふにc白白に誘ふ水だに徴りせば心もゆかで思はましやは堀川の院にて御屏風のうしろにこまの命婦がゐたるにかみより山吹の花をなげこさせ給へるを上のせさせ給へると心えて一やへ乍ら色も變らぬ山吹の九重になど咲ずなりにしと聞えさせければ一品宮の大ばん所二九九ににでやへ咲く山吹のいはぬ色をば知人もなし又少將-ししたたににゆゆる花なれば心の內に云で思ふか上の御御垣よりほかのひたきの花なれば心留て折人もなし櫻のおもしろきをある人に心をよせて1種植みみ人人心心に比ぶればつねなく散らぬ花櫻かな返しむすびつけゝる加蔭にだに立寄り難き花のえをならし顏にも較ける哉又かへし立寄らむとやは難き春霞ならしの岡の花ならずとも〓凉殿の御前のすゝきを結びたるを誰がしたるならむといひて內膳の命婦の結びつけさせける吹吹風風心心ししずず花薄うらにむすべる人や誰ぞも殿上人かへしせむといひすさむ程にまゐりあひて風のまに誰むすびけむ花薄うは葉は露も心おくらしあさひの山の麓にかみまつりける所cm2ささ山山麓をかけてゆふ襷あけくれ神を祈るべき哉杉村の森にて郭公を聞きてエはぶきつゝ今やみ山を出つらむ杉かけてなく山郭公天の川にてニー天の川通ふ浮木に言とはむ紅葉の橋は散るや散ずや宇治にてこれかれ行くにかげまさの朝臣のひわりごのふたに書きておこせける一橋姫のよはの寒さも訪べきを誘はで歸る狩人やたぞかへし橋橋は袖片敷かむ程もなしうちに止らぬ人語らひてかげまさの朝臣諸共に急ぎける頃花山院のおりさせ給へるを歎きて云てなぞかひ有べくも非なくに常なき世をも常に歎かじ道信の中將に花山院の御ことを思ひやりて聞えけるね花のかに袖を露けみをの山の山の上こそ思遣らるれ權少將とのゐ所に枕箱忘れたるをやるとて44あく迄も見るべき物を玉匣浦島のこやいかに思はむかへしス玉玉なに古の浦島にたれならひつゝおそくあくらむたちかへりが遅くしもあく社うけれ玉匣あな恨めしの浦島のこやつねふさの少將のもとにとのゐものある取りにやるとて〓返さむと思ふも苦し唐衣わが爲かふる折しなければ道綱の中將の網代にさそひければ道心がり給ふよりはせ生このみ給ふこそとて一宇治川の網代のひをを此頃はあみだ佛によると社きけかへしスひひのよるうぢには非で西河の網だに有らばいをも抄はむ仁和寺の僧正御くだものまゐらせ給ふ〓子のかへさに書きつけたる思思事成もやすると打ちむきてあなた樣にぞ櫑子奉るかへし我爲にむらいし給ふ事ならば思心もならざらめやは春日にてええわわぬ春日の里の姫小松祈る心は神ぞしるらむ六正月のついたちに橘の木に雪の降るを時は春花は五月の花かもし鳥の聲にやけさはわく覽かへし郭公なくべき枝とみゆれども待たるゝものは鶯の聲花山院の春宮と申しゝ時に九月御庚申に
べもみぢ葉の彩る露は九重に移る月日や近くなるらむ時明の朝臣法師にならむずるころ女に櫛の箱とらするふたに葦手して不ててるる。ないれて玉櫛笥明暮そはね折はありともその櫛の箱を女院の物にて召しければ奉りたるを御覽じてかへし賜はすとて〓忘るなと契置きける玉櫛笥我形見とや今日は見らむ御かへし『中々におく方なきは玉櫛笥みには餘れる形見也けり實明の君の女をかれにければ女にいひやる一一つつもも此世はへなむ渡川淵瀨を誰に問はむとす覽殿上にてこのは裳日とつと字かんぬやのやにさ。くりあとゝいふもじを常ならぬよをみるだにも悲きに夢覺て後思ひ社やれ宰相の中將こそきみといふ子なくなりて七月八日の朝ぼらけに七夕のけさの別に比ぶればこは猶增る心ちこそすれ同じ頃このなき人を見て轉轉の此世の夢の儚きに覺めぬやがての命ともがな程へて難波へゆく道にて長柄の橋にて親も子も常の別の悲しきは長らへ行けど忘やはする物へ行くみちに柴つみたる車のゆき煩ふをみて春春りの柴積み車うし弱みたが故〓の垣ねしめにぞ十月の一日ごろのぶかたの中將にNいいととくくくなく時雨ふりおく袂には珍しげなき神無月哉同じ人を內にさそふとて出立ちて友まつ程の久しさに正木の蔓散やしぬらむかへし〇急がずば散も社すれ紅葉ばの正木の蔓遲くくるとて道信の中將りうじの祭の舞人にて諸共にありしを二人ながら四位になりての年の祭に〓古の山井の水にかげみえて猶そのかみの事ぞ戀しきかたし古古の衣の色の微りせば忘らるゝ身となりやしなましためたふの辨なかよりが家にたゝそめしとし今年ばかりとて宮のへのうへの御ぞのはしこひたりける氣色を見てしりうごとに天にますかさまの神の微せば舊にし中を爭で問まし人のもとに紙こひにやるとて何をして豐岡姫を祈らましゆふしでかたき神無月哉ふるき年三河の守のいと奉らむといひて又の年おこせたるにいにし冬いとしも何に待れ劍春くる物と思ましかば宇佐より歸りて人にかみなど心ざすとてかいさや又うさの社は知ね共こやそなる覽少名昆の神かへし廣廣ににささぬ心の程よりは大直日なる神とこそみれ宇治にて川にうきたる橋にうたゝねしたるにのぶかたの中將聲をかくしてN宇治河の夢のまくらの夢さめてといへばよるははしひめいやねざるらむ新嘗會の夜あかひもの亂るゝとのぶかたの中將うれふればかいかなるひものよそにとくらむのぶかた足びきの山井の水はさえながら雪ふりてあしたに弘徽殿の北おもてにみちなかの君とたちよりて左京の君にo是足かか膝よりしものさゆなるはといへばこしのわたりにゆきやふるらむゆみのけちにまだらまくに雪の降りかゝれるを入道の少納言「前方のまだらまくなる雪みればとあるにしりへのやまぞおもひやらるゝ殿上にて郭公をまつ心をこかかくくりりどどかおとせぬ時鳥ためすけかまくらやまにみちやまどへるためすけかうぶり得べき前の年の八月に月のあかきよ物語などして數ふれば今いつ月になりにけりためすけむつきにならばとふ人もあらじみかは水のつらにゐて詠むるにある藏人のもの思ひ顔にてゐたるかなといへばこひとさほしきかげやみゆらむといふに八橋にあらぬみかはの遠にゐて六月はらひにあるやかきのまへを渡ればさを鹿の耳ふりたてゝ聞しめせといふ人あればいととくおもとををかすつみはあらじな五節の頃にてまかでなむと云ひあるきけるを六條殿の少納言〓ののをを月より先にいでつればといふを聞きてふしみのさとにひとやまつとて小一條殿の人々なぞ〓〓物がたりすかたずまけずの花のうへのつゆといひけるにすまひ草合する人のなければやうちわたりの人に扇をとりて返さゞりければたんたがために惜む扇のつまならむといへばとれかしとらのふせるのべかは八月ばかり月あかきよ花山院のひが歌よまむとてえああのよにやま郭公なかませばさねかたかきねのつきやはなと見えまし三條院にてせ〓せられし日ひつどものおほくみゆるを○このひつは何ぞのひつぞ覺束なといふにためすけかたねのまへのほかゐなりけりためすけの辨しのびたる所よりきたるあしたに。誰が里にいかに契りし郭公妹が垣根の花や散りにし道信の少將よのなかはかなき物がたりして又のあしたに雉をやるとて。立雉の上の空なる心ちにも遁れ難きはよに社有けれ堀河の院の子日つかまつりし50紫の雲のたなびく松なれば綠の色もことに見えけり花山院の歌合にc長長くも思ほゆるかな塵たゝぬ花の都の櫻と思へばまた同じ歌合に10月影は宿にしとむる物ならば思ぬ山は思はざらまししぐれ〓秋はてゝかみの時雨は降ぬらむ我片岡の紅葉しに鳬宇佐の使のをりもろともに見むと契りけるをかの少將なくなりての年の秋も見見と云し人もはかなく消にしを獨露けき秋萩の花
白川殿にて鹿の聲を聞きて。浮世にも山のあなたの床しさに鹿のね乍いやはねらるゝある女のもとにさねかたの兵衞の佐となのりてこと人のいきたりけるを女にね。誰ならむいはでの森に〓ととはむしめの外にて我名借けむ小しゃうさた通ひけるけしきをみたる人のいひちらしければ命婦のもとなるたつやといふ下仕して〓あだ波のたつや遲きと騷ぐ也三島の神は如何答へむ同じ女にふみをこまの命婦さはやかくなきことをいふなどいひけるを聞きて一ままにやは先づ知すべき眞菰草誠と思ふ人も社あれ小一條にある人のむすめを忍びて語らふに女親きゝつけていみじう腹だちてつみなどするときく頃三日の夕がた北の方もちひまゐれとあれば一みかのよの餅は食じ憂り鳬きけば淀野にはゝこ摘見同じところの少將のおもと五節の舞姫にてかへりたるに神舞し少女にいかで榊葉の變らぬ色を知せてしがなこの人たいのあらはなるに居あかして妻戶を押しあけたりけるに空の景色もをかしくて形もまさりて見ゆれば天のとを我爲とては鎖ね共怪しく飽ぬ心ちのみして同じ人の里なるになき由をいひてあはざりければ内にまゐりにけり女曙におこせたりけり天の戶のさして爰にと思ひせば明るを待で歸ましやは返しことわりとて天の戶をあけてふ事をいみじさにと計とはぬ罪は罪かは同じ人わかき心ちやみけるを薄くなむいかにしたるとか聞きていいななばば占占のの思覽春日の原を人や燒らむある女をいかなる〓とかありけむ今はさらに問はじなど誓ひて歸りて程へていかゞ覺えけむ何せむに命を懸て誓ひけむいかばやと思ふ折も有息人にはじめてな爭でかは思ありとも知すべき室の八島の煙ならでは宰相°七夕の契るそのよは遠くともふみ見きといへ鵠の橋かへした〓ちには誰か通はむ天川浮木にのれる世は變る共小一條の殿のするがに文やりたるに返りごとはせでたゞ稻葉の山のといへるに結ぶなるを山の山もある物を何に稻葉の峯にかく覽おなじ院に宮內といふ人男に髪きられたりと聞きてニよそ乍ら消ず消ずみある雪のふるの社の神を社思へ又おなじ院にある人承香殿に參りてみし人とだにおぼしたゝぬ事を怨みければ割なしやみは九重に有乍らとへとは人の恨べしやはこれがやうに恨むる人に我乍ら我ならず社云做さめ人にも非ぬ人にとはればある女に物をだに岩間の水のつぶ〓〓と云はヾや行む思ふ心のまた覺束なわがとづけし郭公はやみの里をいかに鳴らむわらはより見ける人を心がけて〓二葉より三島のみすを結ばむと波の打出てえ社云れね忘れにし人の許にいきてえふともいはで我我如如くくぢぢの橋も中絕て渡しわぶらむ葛城の神同じさまなる女のもとよりce今はとて古巢をいかに鶯の跡見る每にねこそ泣るれかへし一二のの巢をいでゝ雁音の歸るつらさも思ひならましつゝむことありて逢ひがたかりける女に三方方たたなな惜惜き袖をみて雪も解ずと人に語らむ〓少納言とて元輔がむすめ宮にさぶらふと大方に懷かしくて語らひて人にはしらせず絕えぬ中にてあるをいかなる折にか久しく音づれぬをおほぞうにて物など爭ふを女さしよりて忘れたまへなよといへばいらへはせで立歸り三忘れずよ又變らずよ瓦やの下たく煙したむせびつゝかへしニミルののののたたく煙難面て絕ざりけるも何によりぞも承香殿の宰相の君の里にいきたるに人あるけしきなればかへりて白河に芹あらふ女して三中川に洗ふ根芹のねを掘て顯れて社あるべかりけれ枇杷殿にないきの侍從の君といふ人に加山のの野野の便と思ふ共こりしもせじな峯の爪木に内わたりの女に尾花につけて11此此みよ契らぬ野べの尾花だに〓社社ね招く物をば又ある人にNをを衣衣珍しげなき春雨に山井の水もみぎはまさりて物いひける人のたえてのち加小蟹の蜘のいがきの絕しより懸べき宵も君は知らじな同じところに十月のついたちの夜いきたれば道綱の少將ぞまへよりありける夏の直衣きたるをみてcp身に近きなを賴む共夏衣昨日はかへてきらましかばうちの女さうじを隔てゝ物いふにこれあけ給へといへばさゝぬ物をといふいらへに一島の子が心許さぬ玉匣あくれどあかぬ物にぞ有けるまたうちの女にたび〓〓返り事のなかりければ三水蒸の跡さへたゆる玉章はみのゝを山の神や諫むる美濃の守のむすめなりしかばかみのみる程とて返事なければ覺束なかゝらぬ旅も有物をたちける神の心つらしも人にはじめて斯とだにえやは伊吹のさしも草さしも知じなもゆる物故格子のつらに一夜ゐ明してあしたに同じ人にxm明明難き二見の浦による波に袖のみぬれし沖つ島人內の格子を夜一夜ならすを女さななりとは聞きながら心しらぬ人にて荒くとはせたれば音もせで返りにけるあしたに、女四ああぬよね心乍らにやみにしを甘えて訪し聲は聞きやかへし45獨のみこのまろ殿に有らませば名〓で闇に歸らましやは四月ばかりにこの女のもとに夜深くよりて立ち聞きをするにまだねぬけはひなれば人睡睡のまぬ人も有けり夏の夜に物思ふとは時ならず共いとゞしげうつゝむことも心やすくもあらぬにない諸共に起臥し物を思ふともいさ常夏の露となりなむある女に行く末のこと契りちかびなどして後いかゞありけむユニ誓誓し事ぞともなく忘れなば人の上さへ歎くべき哉かへし(歌妓)親の制しける所にいくを聞きて心なき事といひければ-Ⅱいはゞいへ親の飼子も年をへてくる人あれど厭ふ物かはかへし三一籠籠り親の飼このいと弱みくるも苦しき物と知ずや早う物いひし人にかれたる葵につけて三古の葵と人はとがむとも猶そのかみの今日ぞ忘れぬかへし
エロ枯にける葵のみこそ悲しけれ哀とみずや鴨の水がき宇佐より歸りたりけるに人の櫛をこひければうちわたりの人111ここ道道梳ととるなき旅人の手向の神に盡し果てゝきかへし〓斯しこそ隱し置けれ旅人の露拂ひけるつげの小櫛を思ひかけたる人の內よりまかでたるとのゐ所の前のせざいをみて露おきたりけるをなどか見給はざりしといへば11おおてみば袖のみ濡れて徒に草葉の玉と數や增らむ七月七日ひきたりける糸にくもの巢かきけるを見て〓さゝがにの諸手に急ぐ七夕の雲の衣は風や吹くらむ五といふ返しな七七夕のくべき宵とや小蟹の蜘のい搔もしるくみゆ覽蓮の葉に□をつゝみて女に〓孰れをかのどけき方と賴まゝし蓮の露と空蟬の身とかへし一蓮葉の浮ぶ露こそ賴まるれなに空蟬の世を歎くらむある女に文やりたる返り事にあげまきを結びておこせたればひひ計計離離ててとねせよその總角に驗あらせむ人の許に枕をおきてこずなりにければ返すとて置て見かひも有まし忘るゝを是だにつげの枕也せば末はなきなめりことなりしさかしらなめりかへし(武崎)小一條殿の中將の君に五月五日水鳥の騷ぬ沼の氣色にもいつかとのみぞ猶待れける大誰誰そこのみわの山本知らなくに心の杉の我を尋ぬる思ひかけたる人の寢たるをみて憂事の夢のみさむる世中に美ましくもねられける哉ある女通ふ人を怨みてこと人を語らふときゝて斯なむとつげの枕に有め共知ざらめやは戀の數をもこれはいかなりけむ折にかハ井井井井堰に包む水なれやけふ暮難き歎きをぞするまた人のむすめに忍びて通ふを程なく空しくなりにければあかず哀に思ひ出でつゝ女の母に九契有て又は此世に生るとも面變りして忘れもやせむ〓〓郭公花たちばなの香を疎みこと語らふときくは誠か四月ばかりにものいふ人の五月になりていたく忍びければ忍びたる所のかどを敲きければ明けざりけるつとめて一覺束なまだ明ぬよの月をみて天のと計詠められしか小辨といふ人にことびとの物いふと聞きて浦風に靡きにけりな里のあまのたくもの烟心弱さは中宮の宰相の君の上にのみ侍らふを怨みて三風早き嵐の山のもみぢ葉も霜にはとまる物と社きけ五節の頃扇をとりかへて臨時のまつりの日かへすとて、女七比ゆふ懸て扇も今は返してむ眩くみえし日影と思へばかへし諸共におくる旦たもまだみぬに何の日影の眩かる覽又大た山人の斧のえは皆朽にしをいかなる人の爪木こる覽中宮の宰相の君七月七日に七夕のをにぬく玉も我か如やよはに起ゐて心かす覽ある女かよふ人ありと聞くをしのぶけしきなるにかの男の扇にみしまかきたる所松に社思ひ懸かると聞しまにねに顯れてみゆる藤波世の中の家々の多くやけたりし春野老を人のおこせて(武崎)此春は珍しげなきやけ所難面き人はいかゞみるらむかへしco煙煙日の本乍らゆゝしきにこは唐土の野老とぞみるとのもりの君に紫こひたるおこすとて〓喞つべき人もなきよに武藏野の若紫を何にめづらむかへし下ににみみ歎くをしらで紫の根摺のみやは睦まじき故又人に何の折にか紫の色にいでにける花をみて人は忍ぶと露ぞ置けるかへし自露のかぞふ計の花をみてこはたがかこつ紫のゆゑ五節の舞姫に覺束ないかに吾をもすべらぎの豊明をいつくともがな承香殿の宰相の君なしをさしいでたれば隱なき身とは知る〓〓山梨のをふの浦迄思ひなるらむおなじ御かたにせき九重といふ童のこなたあなたにゐて人とものいふをみて九九重は關の此方と聞く物を關のあなたの九重やなぞ白川殿にて道綱の少將せきと臥したるによりていかでかは人の通はむかく計水ももらさぬ白河の關同じ少將と臥してさう〓〓しくもあるかな女かたおきたる所やとて人やりたるにかへりてあなはらいたとの給ひつる人の御聲なむしつるといはなその原やいかに疚しく思ふぞもふせやと云も處やはなき女たちかへり0何とてか人をも更に恨べき藻に住蟲をしらば社有め前大納言公任卿集春白河に殿上の人々いきたりけるに一春きてぞ人も訪ひける山里は花こそ宿の主なりけれ同じ所に紅梅うゑ給へるに初めて花咲きたるにおはしたりけるに女御發干の御もとより植しよりした待つ物を山里の花見に誘ふ人のなき哉かへし一種置きし花微りせば蓬生を何につけてか思ひ出まし雨のうちに山里の梅を思ふといふとを山里の梅を思ふに雨ふれば唯にも散らで色や增らむ二月まで梅の咲かざりける年前の梅に結びつけたる知るらめや霞の空を詠めつゝ花も匂はぬ春を歎くと誰がともえ知り給はでとる人やあると結びつけ給うける覺束ないづこなるらむ花さかぬ霞のうらの鶯のこゑいと久しうとる人もなきに打ちたゆみてとられにけり淺ましうねたきことを覺しけるに夜深き曉にむすびつけゝるを見てとらへとヾめて見給ひし霞たつ遠山深き鶯の花のはやしをとふにぞありけるつかひにとへば三條の宮に口といふ人のとらせしなり本は知り給はざりしとなりかゝるとゆかしがりてし給ふなといふ返しに鶯の音をしるべにて霞たつみ山のうちを尋ねつる哉程へて奉りたる花咲し日より待つかな尋ぬやと三輪の山邊の鶯の聲かへし°花をのみ尋ぬる程に鶯は其の山本を過ぎやしにけむ集卿任公言納大前九七七二二
花山院まだ春宮と申しけるとき水に花の色うかぶといふことを人々によませ給ふに。花の色を浮ぶる水は淺けれど千とせの秋の契深しな闇はあやなしといふ題を〓春の夜の闇にしあれば匂來る梅より外の花無りけり前ちかき桃のはじめて花咲きたるにニ嬉しくも桃の初花みつる哉又こむ春も定めなきよに白川の西のとに人のかきたりける00きても見で花を宛ら散しつる風の爲にや人の植けむx0都いでゝ花見にこそは紅のいろなる梅に心染めつれ返しかたはらにつくるぶ風にしも何か任せむ梅の花よそへてとはむ人を社まてto花片の數にてもしれ紅にやしほ染たる梅にやは非ぬ中務の宮具平にて人々酒のみしつとめて宮の聞え給うける30飽ざりし君が匂の戀しさに梅の花をぞけさは折つるかへしね今ぞしる袖に匂へる花の香は君がをりける匂也けり中宮にて何のをりにや〓珍しき玉のうてなの花の影に聞かまくほしき鶯の聲返し誰ともしらず一下枝にて聲を惜みし鶯は花の盛を待つにぞありける粟田に人々おはして思ふ心よむに一憂世をば峰の霞や隔つらむ猶山里は住みよかりけり二月十日前なりける梅の咲きたりけるに里なる女房に一君により風もよきつゝ散がてにまつめる花の折な過しそ梨の花に時過ぎたる實のつきたるに右大辨〓春深みみ山隱の花梨と云ふにつけても分きぞ兼ぬるかへし〓常ならぬみをぞ恨むるならぬより花なしと云よに社有けれまたかくてはとて有といふ程だにあるを且見つゝ花なしと云春を社思へ二月に雪のいと高う降りたるゆきよりがざうしの前に雪の山をいと高う造りて煙を立てたるに雪のいたうふれば唐傘を蔽ひてたてたりければ〓東路の富士の高嶺にあらねども三笠の山も煙立けり帥の宮敦道花見に白河におはしてルわれが名は花盜人とたたていばたて唯一枝は折て歸らむとありければ山里の主に知せて折る人は花をも名をも惜ざりけり又宮よりcm知れぬぞかひ無りける飽ざりし花に替てし名をば惜まずかて一人知らぬ心の程を知ぬれば花のあたりに春は住はむ花をも名をもと聞え給へりける御返しにつけて道貞がめの聞えたりける〓折人の其なるからに味氣なくみし山里の花の香ぞするかへし一しるらめや其山里の花の香のなべての袖に移りやはするまた聞えたりける知知じと空に霞の隔てゝは尋ねて花の色もみてしをかへし〓今更に霞とちたる白河の關をしひては尋ぬべしやは白河にて故〓の花をも思ふ山櫻ちるをみすてゝ歸りがたさよ白河に忍びておはしたるに大白河といふ所に殿上人多くおはしたりと聞き給ひてその日式部卿宮の中將おほ白河におはしけるにヒしら河のおなじ河べの櫻花いかなる宿を人尋ぬらむかへしル花の色の深さ淺さに自から宿わく人となりにける哉集御任公言納大前三月十日松が崎の念佛きゝに女御の上など忍びておはしけるに道のほど月おぼろにて風の聲など遙かなり女御どのゝ御加畫ならば河べの花を見べきによはの嵐の後めたさよとありけるに20香をとめてゆかばけぬべし山風の吹儘に散陰みればうし夜一夜たふとき事聞きあかして暁方にみれば夜散れける花の遣り水の波によせられて蘇枋貝のさまなるに櫻貝とはこれをやなどいひて一一終夜散りける花を朝ぼらけ明石の濱の貝かとぞ見るといふにとものり二水に浮ぶ櫻の貝の色みれば波の花とぞ云べかりけるといふに朝ぽらけ春の湊の波なれや花の散時ぞよせ增りける御車のことヾもあるべしだらにゑざうしに花の散るを見給ふ昔の御室の南なる花のいといたう散るをとり集めてすけあきら花のちる室は昔の跡乍ら苔の庭にはあとはかもなしといふにさくら花露にぬれつゝ尋ぬれば古へ著き宿の庭かな此のついでにすけあきら遠くいぬべき事などいひて超過難き花に附ても都出て行かまし物あつちの風すけあきら春過てちる花だにもある物を老の身を唯思遣らなむ白河により給ひて白河の流れて今日をわすれめやとありければ御車よりみたえてあさき瀨とはなるとも三條殿世の中すさまじうて籠りおはしけるころ御前の藤の咲き始めたるを加年毎に春をも知らぬ宿なれど花咲初むる藤も有けり花山院觀音院におはして殘の花を尋ぬ山寺にあそぶといふ題よませ給うけるに見る儘に且ちる花を尋ぬれば殘の春ぞ少なかりける『常にます鷲の峰をしまだみねばけふ山里の珍しき哉三井寺に物ならひに入り給ふとて白河により給へりければ花の盛なりけるが歸るさに散り果てゝければニ故故の花は待でぞ散にける春より先に歸ると思へど白河に三月つごもりにおはして惜みにと指てきつれど相坂の關にも春は止らざり鬼-はのすけ京極の家なる紅梅を白河に植ゑ給ふとて堀らせ給うければ結びつけたりける古の春の形見に詠めつる花をいづれの風さそふらむかへし香計りを誘へと思ふ山里の風をね乍ら誘ふべしやは人に、春のはじめなりすねすこしはるあるこゝちこそすれとの給ひければ吹き初むる風もぬるまぬ山里は子規まつ心を45ほのかにも聞ぬ限は郭公待人さへぞ寢られざりける円同じ心を女御の御N待ちえでもたゞ一聲を時鳥寢覺がちにて朋す頃かな郭公聲まれなりといふ題を實方中將加里わかぬ空音と聞けば時鳥誰にか如何いはゞ答へむとあるにch郭郭飽飽でややまむ待ちきつる今朝の寢覺の只一聲をからなでしこ一色色ににほへる宿の撫子は古からの種にぞあるらし
一種種きき色色ももき撫子の花に心もそめてこそみめ夕立のしたるに人々歌よみけるにエタ夕の草の緣に見ゆる哉秋さへ遠くならむとやするためとも夏の日のふりしもとげぬ村雨に草の綠を深く染らむまた五紅紅濡ゝゝはなるものをいかなる庭か綠なるらむ山里の卯花をすけかたの辨一年年へへ通ひ馴にし山里の門とふまでにさける卯花かへし〓卵花の散らぬ限は山里の木の下闇もあらじとぞ思ふ中納言のちごにおはしけるとき藥玉を奉り給ふとて、女御の御心命をぞつぐと云なる幼きなき袂に懸る今日の菖蒲は御かへし如幼きなき菖蒲は生る所から誰に懸りて經べき千世ぞはまた菖蒲草おふる澤水〓ければ引人許多あらざらめやはゑにう圓融院に橘のこに入りたるに夏蟲をすゑてこれ詠めと仰せられければ一夏蟲は花橘に宿りしてこの中ながら千世もへぬべし皐月の曇りたりけるにニ月月つと天の河原を詠むれば出る程だに見えぬ空哉時鳥を待つは月をまつにまされりといふ題を月よりも待ぞ兼つる郭公み山を出でむ程を知らねばから撫子を人々よむにニ敷敷島や大和には非ぬ撫子の花は宜社世に似ざりけれくもれる月を待つころニ度や人よりまたむ月影の雲のひまよりいでぬ限は撫子を見給ひて急ぐべきよとは知る〓〓床夏の花に心の止りぬる哉四月にながたに長谷にゑむよ僧正のまうでたり(いみしかりカ)けるに櫻の盛なりけるをみていみし有けり折りて進らせて又の日昨日まで惜み止てし山櫻よのまの風のいぶかしき哉かへし春春て君を待ける花なれば又くる迄は散じとぞ思ふ五月五日けふ毎に軒のつまなる菖蒲草七夕つ女に劣らざり鬼七月七日藤壺の撫子合せに人讀半都滿字計(6元)たりける〓。機機の秋夜をへて撫子の花をぞけふは合せつとみよないせの命婦が家近き所に渡り給ひて七月七日一雲居にて契し中は七夕をうらやむ程になりにける哉かへし蓑にも忘ざりける雲居哉棚機つめのけふよりもげに秋の初めつかた中務のみやに三大方の秋はきぬれどいかなれば下待花の遲く咲らむ人々の嵯峨野にゆく日とまりていひやり給うける比誘ていくや何なる女郞花分て紐とく野べのあたりを返し中宮大夫唯今の大殿發表此君をしもよくともなきに女郞花露の心の置れぬる哉女郞花ほりていく所のありけるをとはせ給うければあきのぶが家にといひければやり給うける思ふとも心も知で女郎花いかなる宿に移すなるらむかへし女郎花同じ綠りの花なれど君し尋ねば家にこそせめ宮に大夫の藥入れて奉りたりける櫛の箱を程へて秋立つ日返すとて色々の花どもを入れて返させ給ふとて〓初風に長閑き花の露ならばおきて見つべき玉櫛笥哉集卿任公官納大前と書かせ給うけるをかくもいひてむかしと見給うける花を籠ておきける露の玉櫛笥明ての後ぞ秋と知ぬる八月十五夜にあきのぶがもとo蓬蓬の間も殘らぬ今宵さへ錦の袖を知らずや有らむかへし一月と云へど心の內は照さぬに衣の上はそへて社きけ久しう住み給はざりける所にかへり渡り給うてニ時時ももあれ秋古里をきてみれば庭は野べとも成にける哉松のした紅葉したるを露露に終に枯せぬ松なれど下葉は秋に忍ばざりけり栗栖野にて水といふ題を四年ふ共契れる水は變らじを人の心やいかゞとぞ思ふ故殿うせさせ給うて後はなちたる鈴蟲の聞えて侍りければ事爭かか音の絶ざらむ鈴蟲の憂世にふるは苦しき物を南の岡の鈴蟲といふ〓とを人によませ給うけるに萬代の秋をこめたる宿なれば尋ねてすめる鈴蟲の聲鈴蟲の年をへて鳴くに4年年ぬる秋にもあかず鈴蟲の舊行く儘に聲の增れば女御にやありけむ尋尋くん人ああなな年をへて我が古〓の鈴蟲の聲女御のかた男女とかたわきて歌合せさせ給ふにまけてうれへたりけるとものり〓露深き色に優れる花のえをいかに定めし野分也けむかへしco露露重重い折伏にける花の枝はかどを風におほせざらなむ嵯峨野を過ぎ給ふとて一秋だにもまだ行果ぬ道なれど惜みし人ぞ先過にける中宮の御前にせざい植ゑさせ給ふ日秋の花を植うといふ題をニ松松の音を尋ねてや堀つらむ長閑くみゆる秋の花哉北白河に人々まうであはむと聞えたりける日雨ふりてとまりにければ在國が聞えたりける〓ををみふりはへ思ふ山里につらくも雲の隔ける哉inかし白河の河べにたてる女郞花けふの雨にや身を絞らむ大殿のみもとにて秋の日遊びくらして秋の夜は水こそ殊に增るらし月と露とのもるに任て花山院より名もしらぬ花を給はせて秋每に咲とは見れど此花の名をしる人の更になき哉御かへし〓君君代代に咲とは聞けどみも知ず是や詞の花と云らむ月の雲隱れけるをハ澄とても幾よもすまじ世中に曇り勝なる秋の夜の月題覺えず秋の野の花の露とも知ざりつ千草の色における白玉鈴蟲のはねに00年毎に常珍らなる鈴虫のふりてもふりぬ聲ぞ聞ゆる八月十五夜月をみ給ひけるに女房のめさましたりけるに。君ならで誰か見しらむ月影の傾ぶくさ夜の深き哀をとて獨ごつに。o深くしることはなけれど月影を同じ心に哀とぞみるふみなどつくり給うけるよの10°空晴ておそくも月の過る哉いとヾ詠むる數や增らむ八月十五夜〓0一年の秋の半は殘れゝど月は今宵ぞかぎりなりける大殿より00我宿のみぎはに待ちし秋風は半によゝも過にける哉御かへし。夜と共にすめる汀の秋風は告る徴も見えずも有かな
大殿のまだ所々におはせし時人々具して紅葉みにありき給ひしに嵯峨の瀧殿にて。瀧の音は絕て久しく成ぬれど名社流れて猶聞えけれ殿にかへり給ひて。山べより野べも殘さず尋來て泊りも著き宿の紅葉ば白河に紅葉見に大殿のをのこどもいきたるにみつといふ人のもとにやりけるかの主知らで誰か折りけむ山里の物とも物と思ふ紅葉をかへし〓孰ことも定めで過し道なれど秋の泊りに我はきに鳬菊の花こまやかにて秋しりぬといふ題を一袖袖によそへて見れば菊花深きにしより露の滋きは在國がすまぬ家にて九月九日一住人もなき山里に菊の花秋のみさきて唯に過ぎぬるかへし在國住人の匂そふらむ菊の花まだ移ろはぬ事をこそ思へ又水のほとりの菊秋深き汀の菊の移ろへば波の花さへいろまさりけりゑにう院の石山におはしますに殿上人うきはしといふ所にいきて歸るとて我だにも歸る道には物憂きに爭で過ぬる秋にか有魔爲賴田上や山の紅葉は數しあれば秋はおふ共長閑きをみよ秋はつる日山路ゆく〓打群れて散る紅葉を尋ぬれば山路より社秋は行けれ九月つくる日かんしなるにルめにみえで行秋なれや終夜いもねで何を守るなる覽九月卅日初雪ふるに梅が枝に降る初雪をけさみれば春秋と咲花にぞ有ける女御おほんかへし〓花かとも雪ともいさや何事も物うき秋は知れざり鳥九月晦口の日秋の影は雨の中につきぬといふを一何方に秋はゆくらむ我宿に今宵ばかりは雨宿りせで九月ふたつ有る年の十月朔日の日兼澄がむすめの許に霧のいみじう立ちふたがりたりけるに一常よりも程へて過る秋なれど猶立ち止れ今朝の朝霧かへし置きかはる霜に紛れてたつ霧は久しき秋の例也けり山里に行きて籬の菊ひとしといふとをいろ〓〓に籬の菊は成にけり唯一枝の霜とみしまに月前の白菊といふ事を人々よみしに覺束な花はありやは月影におく霜とのみ見ゆる白菊ある人たのどかなる月に任せて我はたゞ霜をぞ拂ふ宿の白菊法輪にまうで給ふ日嵐山にて朝ぼらけ風の山の寒ければ散紅葉ばをきぬ人ぞなき十月朔日殿上人大井にいきたるにn落落る紅葉をみれば大井河井堰に止る秋にぞ有ける石の中なる菊の唯一本のこりたるをた岩間より生ふるに著き菊なればなべての花は霜に枯にき長谷に入り給ひて後中納言のまゐり給ひて歸りたまふとてながたにより見捨ては歸べしやは風やまぬ峰の紅葉の長閑からぬを御かへし一一風ふく峰の紅葉をみぬ時も心は常にといめてぞくる八月十五夜のいみじう明かりしにたやしの君のむすめの遠き所にいくへと(よしカベしミカ)聞き給ひて一曇なき後の今宵の月をみば山べの秋を忘れはてめやなかたにに紅の岡といふは例の草木にもあらず人の名もしらぬ木どもの林にてあるがいみじうめでたう紅葉するなりけりやしほの岡とつけ給へりけるが紅葉のいとめでたき頃中納言の御も集卿任公言納大前とより思遺る心だにゆくもみぢ葉を見せで散すな木枯の風かへし名に高き岡の嵐は寒からじ紅葉の錦みにしきたらば三井寺に入道の中將成信紅葉見にまうで給うて歸るさに松がさきのこうきうあざりのもとにより給ひたりけるに聞え給うける見染てはとく歸らめや紅のやしほの岡の紅葉ばの色あるじのあざりゆづり給うければ畑紅葉にとめし心は松の葉の綠と共に變る世も有らじ又これよりセト落落葉葉常常常常ら爭でかは松の綠に心とむらむあざり人君が代をなが谷の松露の世に心をかくる梢なればぞこれより知松の雲消え返りつゝ君が爲千年をへても我は仕へむあざり○法の爲いとヾ深くぞ思ほゆる水も心もすめるなが谷御匣殿にやしほの岡のめでたきを御覽ぜさせぬ事と年每に申し給ひけるを渡らせ給へりけるとしも紅葉せざりければ歸らせ給ふとて〓紅葉の錦とみゆる物ならば山里いかに立憂からまし御かへし二八汐とも岡はみえねど故〓に紅葉をきてや立歸らむ文のついでにニ春春みし木の葉もみぢて散に鳬こや一年の限なる覽十月初瀨にまうで給へるに霧のいみじう曉に立ちたりけるを行路の紅葉の色も見るべきを霧と共にや急ぎ立べきかへし中納言霧分分て急ぎ立なむ紅葉ばの色しみえねば歸行かれじ雪の始めて降りたりけるに女御の御見人の年は積れど初雪といふ名計はふりずぞ有ける御かへし4初初も降ぬとなどか云ざらむこぞ年積る始と思へば雪をハ人人跡跡もみえず成行く我宿に訪來る物は雪にぞ有りる冬女郞花の咲きたるを加女郎花菊より後に咲にけりこと花なしと誰か云けむ兵部卿の宮にて月待つ心を02月影の出ぬ程だにある物を人まつ宿を思ひこそやれ御かへしユまだ散ぬ先に紅葉も見べきになど月影の出難にする枯れたる枝に雪の凍りつきて花のやうに見えければかくて所々にやり給ひける二雪ふれば花咲とのみえしかど今朝は枝さへ冴てける哉みあれ(面元)かへし一生生の枝なき雪に埋もれてあやしく今は枝をみる哉雪の山をつくり給うて音にきく越の白根は白山の雪積りての名に社有けれよさむにして山の雪をしるといふを五さよ寒み山べの雪を待つとては思ふ心を人や知らむ雪降る日いひむろの入道の中將に洋上市君がすみかを思ひやるかな六腑かん44君をのみみ山隱れにふる雪を心長くぞまづ尋ねける〓昭阿閣梨のやまより奉れたる〓と山なる正木の蔓いかなれば時雨や降と問人のなきかへしな山寒み雪先積る宿の上を白雲そふる住みかとやみるかへし〓奧山をしらず顏にて年ふれば心の內は時雨のみして集癇任公言納大前九二二三三645
また一雪ふらぬ伊邊尾な心の寒ければ峯の嵐を忘やはする禪林寺の僧正に雪の消ぬるうへに霜のおきたるつとめて雪の上におく初霜の世の中は孰れ朝日の消殘るべきかへし人のよの傅き程に比ぶれば雪しも先は消じとぞ思ふ雪降りたるつとめて同じくぞ雪は積らむと思へども君故里は先ぞとはるゝかへし百雪はとふ〓とのはに懸りてぞ降くる宿も春心地するゆきよりがざうしに雪の山をつくりたるに物にかきてさゝせ給ひける普にきく越の白山白雪のふり積りての事にぞ有ける返し兼澄が女降積る雪をのみ見る白山の今日はかひある心地ち社すれ久しう里なるころ雪の山作り給うたりと聞きて奉りける覺覺ないまも昔も音にたゞ名をのみぞきく越の白山かへし苔山をよそに思はゞ我宿を今はこじとや思ひなりぬる雪の年かへりて降りたるに內の大殿〓通へ上る〓〓ふる雪は年と共にぞ積りける孰か深くなり增るらむ御かへし一雪積る君が年をも算つゝ君が若菜をつまむとぞ思ふあまうへの聞え給うける積るとも雪と共なる年ならば還る〓〓も君に引れむ女御どのに聞え給ふとて消防き名にな譬へそ年をつむ頭の雪は高くなるとも長谷にすけ出家し給うておはしまし始めたる年雪ふかき日同じ女御の御もとより七思ひやる心ばかりは奧山の深き雪にも障らざりけり(歌妓)御かへし早く栗栖野といふ所におはしたりけるにともまつ雪を見給ひて山里に雪さへ友を待ければ野風を寒み尋ねきにけり中務の宮に八重菊うゑ給うて文つくり遊びし給ひける七押なべて開くる菊はやへ〓〓の花のしもにぞみえ渡けるみやt圍の上の霜と起居て朝な〓〓偏に家の花をこそ思へ春宮にて物など聞えける人位につかせ給ひて後忘れ給ひにたるかと聞えたりければ〓九重の內は變れどみ垣もり同じおもひぞ今も燒らし同じ春の始つかた鶯の聲をまつとはなけれども春の印に何を聞かましと聞えたりければo鶯鶯鳴鳴どどもなき物をうき今年よりまづ增りけるある人團扇の繪にさう尾琴といふことよませ給うけるにきりふ山吹風に焦れたるをよりぞ聲は知べかりける冬の始つかた上達部殿上人大井に遊ぶといふことを流行く紅葉をみれば大井河井堰に止る秋にぞ有ける女のもとにニ冬冬みいつも凍れる衣手を今朝は解ても變ざりけり小野の宮の中納言殿そめ殿の御おもひにて秋はてがたに聞え給うける白河の紅葉をみてや慰まむよに故里はかひなかり見と聞え給へりければ常常らぬ思ひや何か慰まむ山べはいとヾ木葉散つゝある女に白山に年ふる雪や增るらむよはに片敷く袂さゆなり豊の明の夜女のもとに人のきあひたればをみ衣摺捨てゝきつる露けさは春の日すがら又ぞ忘ぬ新羅のうるまの島人きてこゝの人のいふとも聞き知らずときかせ給ひて返りごと聞えざりける人に覺束なうるまの島の人なれや我恨むるを知らず顏なるかへし遙なるその島人の言の葉をちるとはみけむ風の便に桂に人々おはせしにそのわたりなる女に遣しける%奪來る人の心もしらぬには山べをのみや詠め暮さむ思ひやみにける人のもとより一風ふくと山の紅葉冬くれば今は言の葉絶果てぬらむとありければ遼近の峯の嵐に〓ととはむいづれのかたか色は變れる同じ人にあるやうありて一木の本を我悔しくぞ賴けるはざまから社雨も漏けれ故大臣類忠の御おもひにてその程はおはせざりけるを程すぎて遣しける燃ゆるれども知人なきは年積る思の內の思なりけり物いひける人のまた人に名だちけるころ秋つかたいひやり給ひける發行く人の心をみざりせば何につけてか秋を知ましゆきより御迎ひに參りてかう〓〓いふ所の有りけるとてその頃すけたゞと諸共に詠みて劣り優りろうじけるゆきより秋も今は嵐の山の山高みいかで殘れる紅葉なるらむ冬つかた麗景殿の細殿に物などいひける程に藏人これすけからものゝ使にてくだるまかりうしせむとて御物忌にこもる日あけての年かうぶり給はるべければやがて上にもさぶらふまじき由いひければ西へゆく月の常より惜き哉雲の上をし別ると思へばこれすけ〓別別はよの常なれや中々に年の還らむ〓とをこそ思へ題あまたして歌よみける、水鳥か霜おかぬ袖だに沍る冬の夜に鴨の上毛を思こそやれ○ぬふ人もなき水鳥の毛衣はとづる氷に任せてぞみるゆきより。冬の池の凍りゆくらむ水鳥の夜深く騒ぐ聲聞ゆなり女のもとにco人しれず包む思のあまる時凍るといふは涙なりけりたび〓〓御返事聞えざりければ10雪雪ぬ奧山里の道なれや昨日も今日も跡のみえねばみちの國のかみ實方くだるに下鞍やるとて〓東路の木下くらにみえ行けば都の月を戀ざらめやはかへし10言づてむ都の方に行べきに木下くらにいとゞ惑ふとありくにの大貳の筑紫にくだるに別よよ優優ててしき命かな君に二度あはむと思へば世の中さわがしかりける年常にありける人多くなくなりて後神無月のつごもり方に白河にわたり給ふに紅葉の一木殘れるにつけて常に文つくり歌などよみける源中納言など思ひ出でられていと哀れに覺え給ひければ10今日こずはみでや巳まし山里の紅葉も人も常ならぬ世に爲賴又の年法さう寺の御八講の日o0世中に有ましかばと思ふ人なきが多くも成にける哉ある女にね白山に年ふる雪や增るらむよはにかたしく衣さゆ也人の許にこしの方なるつかさある人の通ふとい
はれける頃。悔しくぞ春を待ける雪ふれど通ひやすきは心也けりかへし一思ひやれ唐土ばかり聞物をゆき通ふなの空に散らむまた遣すノ唐士も夢見む程や遠からむこは寄方の道とこそ聞け水のほとりの菊一 秋ふかみ汀の菊の移ろへば波の花さへ移ろひにけりなりともの馬のかみ秋深み霧立渡る朝な〓〓雲のもりなる君をこそ思へ女院東三條の四十の賀に大將殿のし給ひけるかはらけ取りて君が代に今幾度か斯しつヽ嬉しき折にあはむとす覽女院うせ給ひて又の年二月初子の日女房の許に誰にとか松をもひかむ鶯の初音かひなき今日にも有哉なりのぶの中將すけしてつとめて左大辨行成の世のはかなきこと聞え給へりけるに思知人も有ける世中にいつをいつとてすぐすなる覽雪ふるに入道なりのぶの中將のもとにルふればまづ君が栖を思ふ哉雪は山べのしるし也けりこぞの六月にうせ給ひて師走のはてつかたに入道ル露の身の思に堪で消にせばとふ言葉も聞ずや有ましかへしco夢とのみ歎きし程に明暮てとはぬ現にみえやしぬ覽白河におはせむと有りける雨のふりければおぼしやりて一白河の花をぞ思ふ雨ふれば唯にもあらで色や增らむ人の御むすめを聞え給ひけるに內に參るべしとありければ一一にに思ひしりにし世中をいかゞはすべき賤の苧環をみにさゝれ給ひてのぶかたの中將の服なるに赤ひもかりに遣したりければ一雲の上の光もいかゞ遠ければ猶ほしがたし墨染の袖かへし〓晴ずのみしぐるゝ方を眺むれば光も曇る物にぞ有ける山里の初秋といふ題を「ここもをは秋のき山里の松吹風は〓とにぞ有ける周防の守とよみつの朝臣の家に暫しおはしけるを三月十よ日花のいみじう面白う咲きたるほどに又ほかに渡り給ふとてねあだ也と思な果そまだ散ぬ花より先に移ろひぬとて御かへし疎かかも思はぬ物を今年より人に飽るゝ名を散す哉秋の暮つかた母上の御許にまゐり給うけるに日頃も惱ませ給ひていと弱げにならせ給へれば女御殿に聞えさせ給ひける風歇まぬ秋の林に紅葉の色はいかにと見るぞ悲しき八月二十八日桂殿に右の大殿の北の方などおはして稻からせて見給ひけるに千世をへて刈積宿の稻なれば多くの年をあたる君哉〓山里の紅葉は時はわかぬ哉秋のなかばに色深くみゆとやいはましと思ひて懷がみにかきてもたせけるを大殿の御ひとつ車にて音し給へりければかへり給ひてまたのあしたかくいはましとなむ覺えしとて聞え給へりける一山里にまだき散ける言の葉を宿の主やかき留めけむ正月十よ日あぜちの大納言きこえ給ふる一白妙に雪のふれゝば水鳥の靑葉の山も非じとぞ思ふ祭の使にいづる內侍の御車に聞えたりけるああひ草心にかけて思ひやる己が車をさしは任せむ中宮彰子の御うぶやの五日の夜集卿任公言納大前秋の月影のどけくもみゆる哉こや長きよの契なる覽ゑにう院かくれさせ給ひての春の世の中ぶくなる頃つれ〓〓なりければ歌よみける春雨草草も木も色づき渡る春雨に朽ちのみまさる藤の衣手鶯常常ならぬ音にぞ聞ゆる山里の山べにきなく鶯のこゑ若菜此此はは爲爲にかは水もくみ野べの若菜も摘まむとぞ思ふ霞No態態て君があたりに尋ぬればのべの霞を哀とぞみる歸る雁加思知る人もなきよに羨まし憂世をすてゝ歸る雁がね柳すす染染の櫻ならずば靑柳の綠の袖をかけて見てましちる花花だにも傳く散るはうき物を數ならぬ身の賴難さよ春の田春の田をなぞ打返し悲しきは賴み少なき我身也けり戀三〓様々に思ひしよりは世中にたへぬは君を思ふ也けり父おとヾ賴忠うせ給うての頃たきもの人のこひたる遺すとて花だにも散つる宿の垣ほには春の名殘も少かりけり三月つごもり服におはする頃別にし影さへ遠くなりゆけば常より惜しき年の春哉御妹の女御xh春しらぬ宿には花もなき物を何かは過る印なるらむ四月服なれば衣がへもし給はで墨染の衣ながらのけふなれど變れるものは昔也けり服ぬぎ給ふとてハ墨染の衣にそへて流せども盡せぬものは淚なりけりひんがし山のあたりに人々もみぢ見に行きてby色深き峯の紅葉を尋ぬれば山路よりこそ秋は行けれ一の宮の御めのとみぶに物のたまひけるを又おとりの人語らふと聞き給ふ頃ものいはむといはせ給うければ湯におりてといはせたりければ52夏ともなを〓しとも思ほえず人は有馬のゆとし聞ねばかへしエ柚山におろす筏も有物をゆのみやあむと人の云らむ序品一種々に散交ふ花は古の風に任せて降るにぞ有りける方便品一一ににりりぞぞゝゝ出ければ二も三も無きなゝり見譬諭品門門には三の車と聞しかど果は思の外にぞ有りける信解品THEすらへし昔は親と知ざりきいつを任する今日の嬉しさ藥草喩品ね一つ雨に潤ふ草木は異なれど終には本に歸ざらめや授記品改めて深き心を悟りぬる徵を今日はうるにぞ有ける化城喩品ハ古古契契契ひひや無らましやすめて道に進めざりせば五百弟子品ねきて臥てとこ醉なれば衣手に懸る玉とも醒て社みれ人記品ふた乍みよの契の有ければ行末兼てゆふにぞ有ける法師品〓法とかむ三室も外になかり見唯心をぞ澄すべらなる見寶塔品そのかみの誓絕ねば幾よとも知らぬ姿を空にみる哉集彈任公育納六前
通霄事件皆人を佛の道にいれつれば佛のあたもほとけ也けり障り多み波を分こし身を變へて蓮の上に居ると社みれ國內印樣々に憂世の中を忍びつゝ命にかへて法をとくらむ安樂行品世を背く癖も心ををさめつゝ誓ひて末の法を弘めむ涌出品埀乳根は親よりこそは老にけれ年靜がひを人もしつべし壽量品出入ると人はみれ共世と共に鷲の峯なる月は閑けし分別功德品聞くまゝに皆人道を增鏡行末までもこらしつるかな隨喜功德品c〓傳へつゝあな尊とも云ふ人の其一言にしく事ぞなき法師功德品一法の雨に皆から〓め盡しては障りの外を何か尋ねむ不輕品打打るる偖も種をし植つれば終に御法の空しからぬを神力品ヲし珍のくるぶに舌をば誠の中のまとをぞ知る囑累品頂きを猶數々ぞかきなづる得難き法の後ろめたさに藥王品明かに照す程こそみゆる哉身をば惜まず法を思へば妙音品法の爲きぬとみれ共身を分て至らぬ方は有じとぞ思ふ普門品せよを救ふ內には誰か入らざらむ普き門を人し鎖ねば陀羅尼品〓なな法法の力にときそふる守りはいとゞ賴もしき哉妙莊嚴王品蘭にのみ迷ひきつれば契てし友ぞ導くしるべ也ける七普賢品の尋ねくる契しあれば行末も流れて法の水はたえせじ是はかき給へりけるおくに、法ほむる〓と聞えねど靜なる光のうちは照さゞらめや維摩の十のたとひ此の身泡のごとし〓〓に消彼處に結ぶ水の沫の浮世に廻る身に社有けれ此の身水の月の如し水の上に宿れるよはの月影の澄とく可も非ぬ我身を此の身かげろふの如し夏の日の照しも果ぬ陽炎の有か無かの身とは知ずや此の身芭蕉葉のごとし風吹けば先破れぬる草の葉によそふるからに袖ぞ露けき此の身まぼろしの如し此身をば跡も留めぬ幻のよに有る物と思ふべしやは此の身夢の如し常ならぬ此身は夢の同じくばうからぬ事を見由もがな此の身影の如し世中にわがある物と思ひしは鏡の內の影にぞ有ける此の身響の如し有有ときく程に聞えず成ぬれば身は響にも優らざり鳥此の身行く雲の如し〓定なき身浮雲に譬へつゝ果はそれにぞなり果ぬべき此の身いなびかりの如し電の照す程には入る息の出る待つ間も變らざりけり中宮の內にまゐり給ふ御屏風歌人の家近く松梅の花などありみすの前に笛ふく人あり梅の花匂ふあたりの笛の音は吹風よりも怨めしき哉宰相中將いれりたゞのぶ齊信一箇竹のよ深き聲ぞ聞ゆなる峯の松風ふきや添ふらむ集卿任公言納大前中宮のうちに參り給ふ御屏風にかの海づらなる人の家の門に人きたり人出てゞあひたり普みし人もや有ると尋てはよに古〓とを云むとぞ思ふれわが門に立よる人は浦近み波こそ道の知べなりけれ翁の鶴かひたる所雛鶴をすだてし程に老にけり雲居の程を思ひこそやれ花山院の御いれり雛鶴を養ひたてゝ松原の蔭にすませむ事をしぞ思ふ山づらに煙たつ家あり野に雉どもあり道行く人たちとヾまりて見たり煙たち雉子しばなく山里の尋ぬる妹が家居なりせば人の家に花の木どもあり女硯にむかひてゐたり行く人につげややらまし我宿の花は今こそ盛也けれ人の家に松にかゝれる藤をみる〇紫の雲とぞみゆる藤の花いかなるやどの印なるらむ女院の四十の御賀の屏風の歌もしやとて承りけれどさもあらざり花ある所。春たちてさく花みれば行末の月日多くも思ほゆる哉松のおほかる所にて六月はらへしたる所。〓姫松のしげき所に尋ねきて夏ばらへする心あるらし50被する河べの松も今日よりは千世を八千世に延やしつ覽七月七日女男に物いひたるけしきしたる所〓我我は七夕つ女にかしつれど猶唯ならぬ心ち社すれ花山院のかゝせ給へる紙〓に歌つけて給はりたりけるに人々さるべき所はつけはてゝなかりければ人の鶴かひて文ひろげてゐたる所100ななぬぬはなけれど文みれば昔の人に逢心ちする人の顏を隱してあやしき事したる所に大路にて〓我顔は露洩さじと思ふ共はなげぞ痛く紅葉しぬべき繪物語にねびたるやもめなる詠めてゐたる所詠れど曇れ ば月の美まし爭で憂世を出でゝ住らむとり集めてそとよめる歌x0安からぬ下の思も消ぬらし又とり敢ず凍りゆくには菊はこさこそといへる女の所加いか計契し花の露ならむおきてしもいと哀とぞ思ふかへし〓結びけむ契も今やあさ露のおくみえぬべし花の所はこれも同じ事なるべし男の心にもあらぬことなどいひたる所に女きて一打解て賴まざりせば露の身の忍びに袖は絞らましやはかへしとてわりなきは心の外におく露を袖の亂れに懸る也けりこれも同じさまの事苦しきは人に語らぬ夢路にて又も逢夜や有ると見迄かへしとて夢計睡ろまでのみ過ぐすにはいかなる世にか又は逢べき繪に梅の木に鶯のなきてすのこに琴ひく男ある所にすの中にて一鶯のさきにか君が來居つるを且打出でむ梅がえの聲春ゐなか家に遊びしたる所にまらうどの來て靑柳のかた糸により出けれどさしてぞきつる梅の花笠女のとおぼしくてぞ女御の御花笠をさしてきつれど櫻人春の山べの便りとぞみる花山院の御歌合のやうなる事せさせ給ひけるに月を御〓秋の夜の月に心のあくがれて雲居に物を思ふ頃かなかいつも見月ぞと思に秋の夜はいかなる影を添るなる覽雁これしげ我せこが旅寢の衣打はへてまつ雁音は今もなかなむたかたにて一我妹子がかけて待らむ玉章をかき續けたる雁音の聲梅、殿上の歌合に雪を
梅が枝に降しく雪は一年に二度さける花とこそ思へ大殿石山にこもり給ひて題どもして歌合し給ひにけるに題をよみてありけるに、峯の上の郭公山べだにねがたき物を郭公都の人は待ちやかぬらむ水の邊の螢ニ水の上に燃る螢に言とはむ深き心のうちはもえずや山里の卯花卯花のちらぬ垣根は山里の木の下闇は非じとぞ思ふ草の庵の橘逢生の繁き家には橘の香を尋ねてぞ訪ふべかりける暮れがたき夏の日暮難き今日にてしりぬ石山の山の巖を祈るしるしは影少き宵の月心忘れてもあるべき物を中々に雲間少き月をそ思へかくて奉れたれば五五月雨は詠むる程の水莖に君が言の葉みるぞ嬉しきかへし02言の葉をみるに袂のぬるゝ哉軒の玉水數もしられず中將におはしける時冬の夜さう〓〓しとて歌合のやうなることし給うけるに一紅葉ばは雨とふれ共空晴て袖より外は濡すぞ有ける臨時祭の使して歸りたるに舟にすけあきら石〓水かざしの藤のうち靡き君にぞ神も心よせけるかへし水の上心は知らず石〓水波のをりこし藤にやは非ぬ同じ折にながふる石〓水昨日の藤の花をみて神の心もくみてしりにき五節の帳臺の夜中宮の御方に上達部殿上人まゐりて九九重の雲の上人打群てくれどひかげは「ざりける右大辨中務の宮にまゐり逢はむと言ひて見えずなりにければだ秋の日を眺め暮せる夕暮は月待よひに劣らざりけり同じ宮にまゐり給ひたる人に契り給ひたりける〓とありければ心もとなくてまだ出で給はぬに出で給ひにければつとめて〓恨めしく歸ける哉月夜にはこぬ人をだに待と社きけ御かへし〓夜を寒み月夜よしとも告ざりし宿も過うく思し物を五月ばかり同じ宮にまゐり給ひてこの頃すぐしてまゐらむと申し給ひて秋になりければ宮より梅梅をすぐすに程と賴めしを秋の風社先はきにけれ御かへし6移移はでゆく末遠き松の枝は初秋風を何とかはきく內藏頭たき物こひしを梅につけて遣し給ふとて一降雪に紛ふばかりぞ梅花をれば匂もとまらざりけりかへし二十懷懷ききに懸る梅が香を風に知られぬ事をしぞ思ふ庭拂ふ〓子の引切られたるを見てながふるすき物を花のあたりによせざれば此床夏に根絕ましやは宮の女房すけの君といふ人床夏も花の名立に思ふらむとすき物のねしり顏なるといひて後ながふる久しうみえざりければやりける四エいいにぞや名〓し人も枯ぬれば過にし花の折ぞ戀しきかへし常夏に思し出でば今よりは花の時なるみとや成なむせいせう阿閣梨夏の始に聞えたりける白雪の深くつもるとみし程に夏の綠になりにける哉かへし雪雪て花さへ散ぬ斯しつゝ常なき世をや唯に過さむ又阿閣梨かへし集卿任公言納大前加加休休ず流て落つるみつの里月日の過る孰ちなる覽20行行かたも知ずと思し年月は我身に積る罪にぞ有けるかへし又ユニかかし昔年月のどけくて罪の深さはとくぞ消ぬる女院にて槿を見給ひてあす知ぬ露のよにふる人にだに猶傳しとみゆる朝顏道信の中將朝顔を何傳しと思ひけむ人をも花はさこそみるらめ同じ中將のかうがいの枕ばこにあなる返しやり給ふとて神神を返す〓〓も見る時ぞ色好みとは著くみえける又かへし押なべてもみづる時は神垣の榊葉さへや著くみゆ覽x紅紅ばは時に變るを榊葉の常なる色に爭でなりけむ又かへしかへし4時時らでよにふる人は紅葉ばの移り易なる色は習はずほうりにためもとしほうまうであひて音せで出でにけるつとめて波波よよ〓逢事かたき龜山の浮木を唯に返すべしやはかへし加天河跡を尋ぬるよなりせば逢事やすき浮木ならまし野分したるつとめてなかふる が家の北に故入道殿南には故三條殿すませ給ひけるに大風の吹きければ奉れる〓我宿は野分はふかむ隣より荒增りたる心地こそすれかへし一隣より荒增れりと云なるはいかなる風か身をば吹覽さねよしといふ人久しう籠りゐたりける頃雪の降りけるつとめて最どしく常ならぬよを歎く身に逢見ぬ程と過すべしやはかへし六心にも非ぬ道にや惑ふらむ雪ふる迄は思はざりしを實方の少將祭の使せしに貝を花にいれたりし扇をやり給ふとてニをを猶猶しとぞ思ひこし今日はかひある印也けりかへし事でかはかひのありとはみいつ覽袖の浦にもよせじと思に宰相にえなり給はざりける九月九日爲元法師世中をきくに袂のぬるゝ哉涙はよその物にぞ有けるかへし後れゐて猶さり難き菊の花籬のもとをとふや誰ぞも又世中を菊には〓とに思ふべし袖の露だに散世なりせば九六常ならぬ此世の花をみざりせば露の心はつらくや有ましかへし藏人これすけがぬきいでにかうぶりうべき頃椎をおこすとてcaみを君に任せつる也推柴の變らむ世まで賴もしき哉かへし〓椎柴にそむる衣は變る共此身をよそに思はざならむ事の序に昔の〓とをいひ出でゝないけの命婦ニ思思るありし昔の有明の月ながら世の變らざりせばかて忘られぬ其夜の月は古にしを新しくのみ思ほゆる哉又花やさく有しながらに鶯のさも新しく思ほゆるかなとて鶯を櫻の枝に居ておこせたればその枝を宮のすけのがりやり給ひたりければ雲居なる櫻の枝を爲のふみ絕えむとも思ふべしやはかへし集鴨汪公言納大前
お花花しづえをならす鶯の踏み違へたる春にや有らむ曉月夜に石山より出で給ふとて關のあなたにて月の入らぬさきに歌一つとの給ひければ相坂の關まで月は照さなむ杉の村立木ぐらかるらむといひたればル共にゆく月微りせば朝ぼらけ春の山路を誰に問ましかげまさが露草のうつし聞えたりけるやり給ふとて朝夕に常ならぬ世を歎くまに現し心もなくなりに見かへしco葉葉より深く染てし色なれば世はうけれ共歸やはする月のあかゝりける夜一品の宮に殿上人あまたまゐり給ふるにくちすさびに松が浦島との給ひたりけるを聞きてうちの人「波だにもよる事難き松島を爭でか蜑の有なしをしるかへし浦波の昔の跡のしるければ尋ねてきつる心あるらしうち一爭でかは昔の跡を尋ぬ覧さかしき人になしと社きけ又ささししるる行末の契にきつる松が浦島御ともの人の雨ふりぬべしと聞えければ秋秋の夜の雨にも何か急ぐべき此頃ふると思做しつヽかへし爾ならで傳き空にふる人は露にもぬるゝ物と社きけ濡れてかへり給ふとて帥よりつとめて逢でこし袖の雫は秋の夜の月さへ曇る物にぞ有けるかへし人はゆき霧は籬に立止まり曇りながらぞ我は詠めしその秋諸共にものしける人にかくなむありしといひやり給ひけるついでに憂世には心少しも行遣らで身さへ止らぬ跡な漏しそ返したゞのぶの少將の慰る方だにあらば月影の住べきよとは今のみやしるみちのぶの中將一世中はあるかなきかぞ今は唯思ふ心を思ふどあへむ露草のうつしを宮のすけのもとめければ色わろきなむあるとの給へりけるをとりて奉るとて薄からむ花を侘てぞ思つる猶こゝ迄も散らせ惜むなかへし一べべべき程だにもなき花よりも先歸ぬる色にぞ有ける又しり給ふ山寺におはして今ははてて入なむ後ぞ思ほゆる山路を深み訪人もなしかへし動歸りても深き名殘の花の色を袖に移してけふは見哉いかなる折にかゃくさのいほりをたれかたづねむとの給ひければ藏人たかたゞこゝのへの花の都をおきながら女御の御かたよりつれ〓〓になむ歌一つと聞え給へれば何何も常ならぬ世のさがなれば明暮るゝ迄忘られに烏御かへし植置し人なかりせば淺茅生を何につけてか思出まし殿上人根合(原てんくる)のついでに嵯峨野にいきてうまこそがありけるを哀がりて昔を思ひやる心を住人も昔も今もことなれば花みる寺に尋ねつるかなみちのぶの少將0年ふれば變りやしにし女郞花昔の秋もとふべき物をなどいひて歸るに廣澤の池に月のうつりたるを。水の面に宿れる月の影みれば波さへ夜と思なるべしみちのぶの少將○○波のよる水に浮べる月影に先知らるゝは淵瀨也けり凍りたる水に月のうつりたりを同じ少將10池水の濁に沈む月影を我が身になして見るぞ悲しきかへし0月影の浮び煩ふにごりには生ふる蓮を賴むばかりぞうまこそが返しとてきたるを見ればm2遁るれど疎ましく社思ほゆれこやなき人のみそのなる覽とかねすゑが詠みかけたる返しをわ今更に我名は惜くも有ね共みそのと告る事の侘しさ越前の前司の松のみを奉らむと聞えて程へてありてければco暮暮き春の日よりも契てし君待のみぞ久しかりける八河といふ所におはしたりけるにさゝをかけたりけるNo宿らでも長閑くも非ぬ人のよを露は床しと思らむやはためもと新發意のてなれば尋ねて加あくるまの程だにもなき露の身の此世中の心細さよ又かへし〓草枕はかなき物と此世をば鳴蟲のねや思ひしるらむ小野宮の右大臣殿實資式部卿宮爲平の女御のもとに參りはじめ給ひて三日いとつれ〓〓なるに今宵まゐりて物語も聞えむとありければ一秋風の袂すゞしき宵ごとに君まつ程は人やうらみむかへし一恨むべき人をば知で秋風に尾花をあやな賴みける哉おはし馴れし頃焚物を聞え給ひたりければ三古は契りし宿の女郞花香を睦まじみ知りもこそすれ小君と聞ゆる返し女郞花同野べには生ふれ共契しねには非ずとか聞く此の歌ども心得ねどもとのまゝと本に宮のすけの君といふ人女郞花のわかきをなむ兩ほうといふを聞きて兩兩うといかゞ云べき女郞花佛の種をたつと社きけかへし女女郎花種たえましや白露のなき頃を世は竹に氷のつきたるを女御殿に奉り給ふとて七君が爲雪間を分て尋ぬれば一夜籠れる竹にぞ有ける御かへしル爲の凍れる竹のよをふともかゝる雪間をたが尋ねまし內の御使にてきさいの宮に參りていみじう强ひられてつとめて今よりは思事をも言でへむ强ふるはつらき物にぞ有けるかへし理理物も心にしられにき思ふ人やはひとを强ひけるひらをかへすとてたゞのぶの少將今はとてとくをもみれば年のをの長く契しかひや無らむかへし二年のをに結懸てし契あれば心殘りをとくといはなむ宮に越後とてさぶらひける女房に火とりの灰をやかせてとて預け給ひたりけるを奉るとてあかき紙に書きて火のやうにて埋みたりける三數ならず埋れたるが思ひにはあたりの灰も山と社なれかへし理埋ゝゝははひを見れば人知ず思や富士の煙ともたつ此ははやうの事なり粉河にまうでたりしに舟にてかうぶり柳左衞もの大輔ふな君古への露に濡れにしかひもなくなどか柳の綠なる覽誰とか覺束なければた唐國の昔の事に比ぶれば松におとらぬ柳なりけり現花きんさだの中將昔よりあけの衣は名のみして柳色なる年をふるかなうこんの少將さねよし集職任公言精大前
古古名名名をも變らじ靑柳のごとゝさすがや綠なるらむしばかりをいでふねの辨たさしてゆく柴刈小船棹をいたみといへばしもつく左衞門まづこがるゝはこゝろなりけり春の暮れぬることをいふに同じ人01春春共にゆく船路にも思ふ哉都の花は散果てぬらむなどいふ程に三島江とはしもをなむ申すといふを聞きて「思知る憂三島江の水なればゆけど行程行れぬ心地社すれなかみつ三行過て此三島江に最どしく遠く離れむとをしぞ思ふ長柄の橋にて三橋柱無らましかば流ての名を社きかめ跡をみましや暗うなる程に住吉にまうでつきぬ松風波の音きこえしにたがはずをかし人々みてぐらのついでに歌よみて奉れとこひたればえきかずその夜は其のわたりにとまりて曉月夜に濱づらをゆけば云はむ方なく面白しかく計歸るものうき住吉の岸には爭で波のよすらむこと人のえきかねば書かず響きの灘にて海士の綱ひくにいをどもこひて放たす濱べは何事もをかしきに海士の鹽やくことに見ゆ藻汐やく煙になるゝ蜑衣霞をたちてきたるなるべし少將蟹人の燒や藻どの立添へば雲の波こそ深く見えけれいかなることを見けるにかふな君一十ててききなくく時も人の心の隈よわかれずひなみの湊松原のほどにて暫しやすらひてかさきより越えてつくゑ松を見ればげに故なくはあらずこゝにてこそは暮さめといふ其の夜は岸づらにとまりて曉に出でゝいとおもしろげなる所々見むとて玉津島にまうでむとてあるに道覺束なしなどいふ程にかみ人たちたものさきに仕うまつらむとて出できたりなりあひの松原よりゆけば眞菰草生ひしげりさはに駒あるにをかしう綠の松こぐらき中より白波のたつも見とほさるやう〓〓御社にいたるほど入り日のほとりに海士の家かすかにて船ども繋ぎ網ども干しなどしたるを都には變りてをかし御社にまうでつきてみてぐら奉り所々廻りて見ればいひやらむ方なく面白くをかしきをおも私家ひとに見せぬを誰もかく思ふべしそこの有樣いはゞ中々劣りぬべしかゝる所にて中々に物もいはれぬものになむありける歸さにうしろの岩屋を見れば佛のいとけにておはするをNEあま人ののり渡しけむ印にや岩屋の跡を留め設けむ少將加賀のすむ濱の岩屋の佛には波の花をや折てよすらむといへばcm彼岸の遠きをしりて岩陰にみかげを宿す水の月かな和歌の浦より歸るに面白き櫻や老いたる海士をみて少將一年をへて若の浦なる蜑なれば老の波には猶ぞ濡ける吹上の濱にいたりぬ風のいさごをふきあぐれば霞のたなびくやうなりげに名には違はぬ所なりけりさだかやまのほうの前人々などみえたり點ていとおもしろし駒を曳きとヾめてやすらへば海士の潮垂るゝもいと哀なり一物思ふにみれば忘るゝ濱風に住蜑いかに潮をたる覽粉河にまうでつきて風のもりといふ所にいとこへも花のあたりはあだなれといかに散覽吹風の森八二二三集瘤任公百納大前圓融院のおりゐさせ給ひての日少貳の命婦といふ人あはれといふを聞きて哀たが唯さのみやは思ふべき萬に歎く人もある世に冬の初つめかた觀音の湯本より久しう御讀經にめされぬと聞えたりければTHP霜早み移ろふ色は菊の花少女の袖もかくこそは見めかへし如少女子が袖ふる霜の打はへて撓まぬ菊の心とを知れ道信の中將よみたる歌ども書きあつめたるかたみに見むといひやるとてcp斯新ふる事難き世中にかたみにすめる跡にぞ有ける四かへしハ古事は難くなる共形見なる跡は今こむ世にも忘れじ賭弓のつとめて中宮のすけ加弓張る圓のや爭で有しそのいる方山は遠ざかりけむ.かへし〇元片山は雨に紛れて已にしをかつ〓〓きくと誰か定しこまの內侍のこはく聞えたりけるを程へて秋立てる日やり給へりければなどてか今までと聞えたりければ一"紅葉の露の色なる玉なれば秋を待では如何みすべきかへし三秋深き海の底なる玉なれば露まつ程もおきて社みめのぶかたの中將まうでむと聞えてみえずなりにければ又つとめてやり給ひける旋頭歌思ふどち寢てはかなくも明くる夜を長しといふは人まつ時の名にこそありけれ人のもとにある事をの給うてH.世中は水に宿れる月なれやすみとくべくも非ずも有哉■3頭になり給うて內に參り給うて花山院の御時よにつかざる家を渡り給うければ云出したりける雲居こそ昔を空にあらねども思ひしとよ變らざり見かへし賴こし月日は唯に過にしをいかなる空の露にか有覽人の尼になりたるに衰ともいはで思はむ行く末の蓮の上は思ひ出づやとかへし〓とふにだに置所なき蓮葉の上までかゝる露ぞ悲しき薰物あはせて上に置きていで給ひにければ少しとヾめ給ひて女御の御なりなりなくなりぞしにける焚物の我獨にし任せてしがなとありければよくゆるべき人に代りて終夜この渡りこそ下焦れつゝびはの〓かへし聞ゆとてみちなりの中將秋秋の靉く小野の山路には言の葉さへぞ深くりけるかへし言の葉のちる山のをは秋風の過る儘にぞ聲增りける花山院おりゐ給ひての年の佛名にけづりばなにさしてみあれのせじのもとへ聞えたりける程もなく醒ぬる夢の中なれど其夜に似たる花の影哉かへしみみ夢夢就の世ぞと思ふまに折を忘れぬ花の戀しさ又の年おなじ折實方の中將古にかはらぬ花の色なれば花のむかしの昔こひしきかへし昔みし花の年々似たれども同じからぬを思知らなむ鎌倉といふ所におはしたるになかりければ忘草をとり給ふとて寺にかくいへとての給ひける忘れ草かりつむ程になりにけり跡も留めぬ鎌倉の山かへし有〓て枯にし宿の八重葎孰こをさして君につげけむ山里を始めてしむかすみ集卿任公言納大前二
春霞程へて誰かほにか山里は憂世の外をとむるなるパしco雪雪み山路も知ず感ふ身は道ゆく人やあるとまつ哉入道のとうに逢ひ給ひてあしたにかへし〓皆人をよそにきく共雪深み一つ山路に入らむつまとて春口にまうで給ひけるに烟たつ山里をこれなむこまの里と人の聞えければ朝まだき朝ゐる雲とみえつるはこまのゝ里の烟也鳬卒都婆ある所を過ぎ給ひけるにこれを題にてよまむとて覺束なそとはみながら石上古き都はいづれなるらむ山にきよき事をせさすとておはしけるにいたづらなりければ四七今はとて入なむ時ぞ思ほゆる山路を深み訪人もなし宮の女房扁つがせ給ひしこまつりしてつがせ給うけるを少將といふ人まけずと靜がひければささ添添しし日日の山の三笠山祭し人もいかゞ定めむかへし三笠山わきてや君が祭りけむ兼て祈らぬ人の爲には山におはしける頃たゞのぶの中將世をうしと遁ると聞けば我は最ど是より深く入ぬべき哉かへし山よりも深き所をもとむれば我心にも君はいらなむ七九月十五日みやの御念佛はじめられける夜遊びなどせられて月の朧ろなるにふるき事など思ふ心を人々よみけるに古を戀ふる淚にくらされて朧ろにみゆる秋の夜の月權辨〓雲間より月の光や通ふらむさやかに澄る秋の夜の月かへし一蓮葉の露にもかよふ月なれば同じ心にすめる池みづこれを聞き給うて左の大殿より君のみや昔を戀るよそながら我見る月も同じ雲居を又今よりは君がみかげを賴む哉雲隱れにし月を戀つゝと聞え給ひたりければ今よりはあみだが峰の月影を千世の後まで賴む計ぞ女院の住吉にまうでさせ給ふるに式部卿宮の中將のうちのおほんせじにて參り給ふるにつけて左の大殿大宮の大夫の御許に小野の宮郡都有有やと問はド津國のこふのわたりにわぶと答へよと聞えければ誘はれぬ身こそ侘つれ津國の難波の浦を思遺りつゝ御迎へにまゐり給ふ道にて見給うて尋來る心をしりて津の國のこふとも人の告る也けりなりともの馬のかみすけして宇治院にすむころ逢ひにいきて〓秋深み霞立渡る朝な〓〓くもの森なる君をこそ思へ中務の宮聞き給うて背背にし跡を爭でか尋ねまし霧も立そふ雲の森にはとあれば白雲に跡くら〓〓と行影も訪もやすると思ひける哉御かへし一諸共に契りし雲の栖にはとへとも誰を賴むなるらむ又宮より〓秋深き同じ挿頭の言の葉は山下露や漏らむとすらむ御かへし一常ならず時雨る空の言葉はもる共露を何とかは思ふ又いふにだにしぐれむ空は徒然と眺の後は思ひ社やれ同じ心を大とのに世中を花の匂に誘はれてはかなき世をば何賴むらむかへし世中の花を花とや思ふらむその傳さは知る人ぞ知る御かへし花山院のとも〓後れぬと何思ふらむ其花は時の到て有るにやは非ぬ御かへし〓其時を孰の時と知らぬまはまつや常なき時や今こむ左の大とのゝ春日の使に出でたち給ひて又の口雪のふりけるにその殿より〓菜菜つむ春日の原に雪降ば心使ひをけふさへぞやる御かへし0身をつみて覺束なきは雪歇ぬ春日の原の若菜也けり字治殿の八講に一水底に沈める底のいろくづを網に非でも抄ひつる哉とありけるに。宇治河の網に非ねど誰はかは君に引れて浮ざるべきかげまさが四位になりて上のきぬ申したりし遣すとて同じごと衣は深くなりに臭心ぞ我にならひやはせぬちみさだがみちの國に下るにめの式部がやりける歌をきゝ給ひて今さらに霞隔つる白河の關をはじめて尋ぬべしやは笛ふきの社を11笛吹の社の神は音にきく遊び岡にや行きかよふらむ月の前の笛の音月影にこちくの聲ぞ聞ゆなる古にし妹は待や兼らむ寢待の月をねて待と今宵の月を云なれば物思人はみでや巳なむ三河入道のとうにわたるとて白河にくだりけるにやり給ひける〓0宿宿に宿る門出の行末は旅寢ごとにも忘れざらなむかへしか音に聞かうかの水は返る共白河の名をいつか忘れむ七月七日船に乘るにやり給うける。天河後のけふだに遙けきをいつとも知ぬ我ぞ悲しきたや寺の君のむすめどものもとに白きかみに蟬をつゝみて蓮の花にさしてやり給うたりければ蓮の花をつくりて此の歌かきて蟬の中にさし入れて奉りたりける一孰れをかのどけき方に賴まゝし蓮の露と空蟬の世とかへし一蓮葉にうかぶ露こそ賴まるれ何空蟬の世を歎くらむ又あれより一蓮葉に浮ぶ計の程なれやなべて賴まぬ玉のありかをかへし契あらば玉の在かも告なゝむ此よの夢は踈くみゆ共殿上にて琴ひき笛ふき遊び給うて同じごとあそび給ひける人殿上おりて參らぬに笛の音は哀れ昔に似たれ共遂事なきはかひなかり鳬うちよりかへり給ふ日心だにゆきはてぬれば菰枕淀の渡りは近づきぬらむ人に後れて世中すさまじうおぼされける頃白川におはして白河の宿に憂世を通るれど沈める影は猶ぞみえける女御どのより聞え給うける御返しにル言の葉を掻流しつゝ白河の水の面てを今日みつる哉上の尼になり給うたりける頃一空譯の世の常なきを知りながら厭ひ難きは我淚かな石〓水の臨時の祭の使殿の少將まひ人にて渡り給ひけるに大殿の物見給ひけるに聞え給うけるをみ人のゆふかたかけて行道を同じ心に誰詠むらむかへし一小忌衣袂にきつゝ石〓水心をなべて汲ずもあらなむ
世すさまじうて籠りゐ給へるころ大殿より、春のことなり谷の戶を閉やはてつる鶯のまつに聲せで春も過ぬる御かへし行き變る春をも知らず花さかぬみ山がくれの鶯の聲同じ殿おもくわづらひ給うて大殿に數ふれば同じ齡の草なれや露に後れて先ぞかれぬる■同じ御年なりけるゑ融院の御時にや字都保のすゞし仲忠といづれまされるとろじけるに玄のはしはすゞしが方にやありけむ女一宮は仲忠が方におはしけるにやいづれをいるゝなどあるに物ないひそと仰せられければともかくもいはでおはしけるをいひにおこせ給うければ沖つ波吹上の濱に家ゐして獨すゞしと思ふべしやは權中納言筆に扇をかへていくつばかりにかあたるべきといひたるを數しらずあふぐ風にも水莖の跡は流れて絕む物かはせきみの少將春日の使したまうて歸り給ふ口いみじう霧のたちたりければこれより大殿に三笠山春日の原の朝霧に返り立らむ今朝をこそ思へ御かへし三笠山麓の霧をかきわけて秋を知べに今やきぬらむ左の大殿にふみ作られけるにみるべき事ありてふみもおきて急ぎ歸り給へるに彼殿より即ち恨めしや今宵ばかりの旅ねをば我宿にたヾ草枕せで御かへし〇生生し社よゝに契れる吳竹の其あだ節を恨べしやは少納言むねまさが法師になりて志賀にあるに一種や志賀の濱風いかばかり心のうちは涼しかるらむ同じ人のもとに久しう音もし給はざりければニ奧山の木下蔭にすむ人は月さへとはぬ物にぞ有けるかへし一奥奧の木下水の〓からばもりても月の通はざらめや〓少納言が月輪にかへりすむ頃有一つつももの間にすめる月の輪を幾よ眺て行歸るらむ返事も聞えで程へてうれふ事ありて御文を聞えて其の事いかにと聞えければ何何も答へぬ如く習ひにし人としる〓〓問や誰ぞもかへしだたふなきは苦しき物と習はして人の上をば思しらなむとてなむとあれば黃なる菊にさして〓梔の色に習ひて人どをきくとも何か問はむとぞ思ふかへし〓押なべて聞としも社見えざらめこは厭しき方にさけかさねよりが甲斐にありけるにた東路に入にし人を思ふよに都ながらもきえぬべき哉さねよりco遙遙るな居雲ののはみるに時雨ぞ降り增りけス左大將朝光五節の舞姫たてまつりけるを見て造しける一天つ空豐のあかりにみし人の猶面影のしひて戀しき齋院にて物申しける人內わたりに參れるよし四きてあふひに書きつけて遣しける二年年れど變らぬ物は其かみに祈りかけてし葵也けり五月五日に遣しけるニ時時いつかとまちし菖薄草今日はいかなるれにか鳴べきかへし馬內侍五月雨は空おぼれする時鳥時になく音は人も咎めず寛仁二年正月入道前太政大臣大饗し侍りじるに屏風の繪に山里に紅葉みる人きたる所山里の紅葉みにとや思らむ散果てこそ訪べかりけれ三集或任公育納大前世をそむきて長谷に侍りけるころ入道中將のもとよりまだ住みなれじかしなど申されければ谷風になれずといかゞ思ふらむ心は早く澄にし物を秋の幕つ方白河にまかりて都出ていつかきぬらむ山里の紅葉ば見れば秋暮に見長谷に侍りける頃僧の裝束法服など關白殿より贈らるとて계古は思ひかけきやとりかはしかく着む物と法の衣をかへし加じ年契りしあれば君が着る法の衣をたち後れめや同じ年の人になむ後朱雀院生れさせ給ひて七夜に〓幼きなき衣の袖はせばく共こうの石をば撫盡してむ題しらずユわが宿の梅の盛にくる人は驚くばかり袖ぞにほへる歎く事侍りけるに紅葉のちるを見て紅葉にも雨にも添ひてふる物は昔をこふる淚也けり世の中はかなきと多かりける頃いひ絕えたる女に一邊みねど忘ぬ人は常よりも常なき折ぞ戀しかりける花のさかりに藤原爲賴など伴ひて岩倉にまかれりけるを中將實方朝臣などかく侍らざりけむ後の度だにかならず侍りしと聞えけるを其年の中將も爲賴もみまかりにけ乙又の年かの花の頃中務卿具平親王のもとより〓〓〓くくばばれれ散散にし花も咲にけり哀れ別の斯らましかば五かへし行き返り春や哀と思ふらむ契りし人の又もあはねばㅋ祭主輔親卿集それ人の才學をみがき文章をおれる家の集となづけて世につたへたりこれを見しれる人はすくなくして知らざるは多かりかるが故に褒貶の輩は其の數いくばくにあらず和歌の心しれるものは知りて議る知らざるは知らずして又そしるたとへば和らかなる人のこはきそねみに逢へるが如し然れども素盞男尊の出雲のみちに別れ婆羅門僧正の難波津にむかひしより三十一字は詠むことにはじまれり其の後さま〓〓の體これくはしからず但し妖艶のなかだち花鳥のつかひ契接の曉產生の夜或は離別餞送のをしみ或は哀泣戀慕のなぐさめ山川野望の所加加霞の夕を見て友を尋ね興にのりて醉によるついでにいひあつめたる言葉なればはか〓〓しくも思ほえず此の外屏風さうじの歌歌合草あはせかたわきの挑みほど過ぎぬれば心ばせ顯はれてことのはふかくすべし是によて書きもとヾめざるに兩三の兒女祖師のふにうけて家々の舊草をひろふ今あひつく心に催されてはつらくはあれたる言葉をもてなまじひにあざやかなる紙をけがさむ事をゆめ〓〓人のねたるこれをいやしき身からいたしてかたくなゝる親の爲にいよ〓〓あざけりをのこすことなかれ其の言葉にいはく七花の藥紅葉の下葉掻つめて木の本よりぞ散らむとす覽親の家の曹子ずみにて人々歌よむに初春の心〓こぞの冬今年の春のしるしには山の霞ぞ立隔てける梅花〓舊年に咲始めにし梅が香も春になりてぞ匂增しける鶯をきく萬代の春にあひくる鶯の聲わかやげる今日にも有哉ニ
秀才すけたゞあたらしき家ずみするに學生いはひのうた琴を翫ぶ0千年へて變ざるべき家ゐには口きくの琴ぞ里に當れる二月の初午に稻荷へ詣づる路に田つくるをみてニ玉鉾の道ほとりなる荒田をば踏すき難き物にぞ有ける三月人々花みて歸るに行廻りみれども他ず山櫻我のみならば歸らましやはおなじ月山吹もてあそぶ所にて立立る春の形見と思へばやひとへに惜む八重の山吹同じ頃藏人所の人々一種物してまゐれといへるに菓子十種を山吹にまぜてそへたり井手近き宿にしすめば山吹の花の色より外の物なしある人におもふ所ありて達事をいつとも知ず歎きつゝぬる夜の數ぞ年積ぬるある人に扇やるとて藤の花にさして藤波の心かけたる色みなむそふる扇の風のしのびに卯月ばかりに寺のくりして卯花を折りて人にみすとてㅈ七卯花のうら珍しくみえつれど折ての後は常の色にて同じころ兵庫のかみとも時の朝臣の有馬の湯からかへりて親のもとにきて酒のむ次でにいふ一日郭公をみちにて聞きてかくよみたりといふとくゆきて人にかたらむ足曳の山郭公初音きゝつとといへば〓〓捨捨て、君が來にける郭公聲よ孰れの山路なりけむ内に人の語らふが斯てやみなむとやといへるに〇七九重の雲居なりとも逢事のたえてやむべき中の契か五月なが雨のころ、人一逢見ずて詠むる空の雲間なく思ひ晴せぬ五月雨の月ある僧のみなつきのゑ書かせたるうちはに天の橋立のかた書きて旅人おりゐてあま人にものいひたる所に一橋立の松の綠は幾そしほそむとか語る與謝のあま人又一枝に吹上の濱にしほ燒く所ヨミ波風の絕ず吹上の濱なればうらなき君ぞ藻汐燒けるおなじ月河原の院に人々ありて泉の邊にすゞむ所〓岩水の凉しき陰をみるけふは夏の暑さも忘られに島又と山のなつの山寺をだいするに紫續きおひたる松の色の中に木深くみゆる夏の山寺文月のなぬかの日に七夕まつりする所にて雲間より星合の空をみわたせばしづ心なき天の川波同じ頃世のはかなき事をいひて人々歌よむにセ人の世は何かはためし朝顏の露けき人を命と思へば初秋歌合する所からよみてとあるに、左かたももななす扇にそへる涼しさは許多の秋の印也けり右かた數多年てならしてける扇には多くの秋の風ぞ籠れる八月ばかりに人に文やるとて薄の穂につけてcu篠薄忍びも敢ぬ心にて今日はほに出る秋としらなむ近江の倉部の里といふ所にて月あかき夜とゞまりてよよにては倉部の里と聞しかど普く照す秋の夜の月知りたる人の承香殿のみこの齋宮にてくだり給ふ御ともにある神宮の九月まつりにまうでゝわたりあひ川といふ河わたるによるなれば羅うちそひていふ君に斯渡りあひ川永らへて思ふ心のあせずも有る哉返し、女ミ渡渡の河渡りにも其かみのうかりしせをば忘やはするといへば又いふ今日迄にのどけき淵と知ずして淺き心を恨みける哉五節のころ藏人所にて人々あまたゐて殿上人のさがり給ふ頃なめりわれらはとう寢なむなどいひてふしなみて心によむ百しきの雲の隔の遠くして豊の明をよそにこそ見れヽほのしりたる人のかしづきに出でほめられて殿上人むつまじくありつときくに又のあした九片敷けるをみの衣の裏愛てけさの日影は眩かるらむある所のむすめもきたる頃てまさぐりにさがりたるこしをむすびてのち人語らひたりと聞きて〓結てし玉もの腰を許しなく我ならずして誰か解けむ御佛名の後朝裝束つかまつりなほすついでにつくり花を折りてまがへるきくに人にいひける。終夜起明しつる霜のきく折つる罪やきえせざるらむ後の年の正月に堀川中納言どの人々によませ給ふ十首の歌、はつ花二〇たたほほのめく春と成にけりもゆる草木も煙紛ひて鶯をまつ心30春は淺くすむ山道は深ければおそく鳴出づる鶯の聲わかな◎〓若菜摘春日の野べに雪まわけ今かく人ぞ家ゐせざらむ春雪1降添はる春の雪だに隙有らば山の綠も今日はみてまし閑院大將殿男方女かた歌合あるに、逢はぬ戀數數の床うち拂ひ宵每に逢見ぬ人をよそへてぞ見る中たえたる人のもとよりつらき人の爲には涙せきあへずといへるに。今はとも思ひなたえそ野中なる水の流は行て尋ねむ閑院女御さぶらひに人々一數物いだすに紅梅の枝に鳥つけて出すとて歌よむにxoくる人もなき宿にさく梅花鳥の羽風にをりみつる哉二月子日に閑院大將どの女房などぐして有明を同じ夜みもすそ川といふ所に齋宮とヾまりて御祓へし給ふに女日をたち隱れつゝみつのがしはといふかしはをおこせてこれは何とかいふといへるに我妹子を御裳濯川の岸におふる人をみつのゝ柏とをしれ又同じ夜神宮にまうでつきたるに鹿の鳴くを聞きて人々あはれがる雅びたる聲にも有哉鹿のねの深き山べにすさむ物から神無月ばかりに京へかへるに紅葉をみて近近なる夏箕の里の家ゐには秋の紅葉ぞ今に殘れる人に始めて文やるにMよそ聞に年しへぬれば疎からず心なれても賴まるゝ哉知りたる人の伊豫へくだるに遠へゆく船の共々あらましを漕離れぬる波のよそ哉冬住吉にはじめて詣づるにままししぬぬ難波の浦の蘆間わけ漕ゆく方や住吉の岸まうでつきて舟よりおるゝ程に松をみてごこややこの神代久しく成ぬれど時は變らぬ住吉の松願はたす人の神樂するをみるに長き榊に松をとりそへたるに一柳葉に千代の小松を取添へてけふより祭る住吉の神女房などありて住吉の姫君の事などいふに尋ねけむ昔のことの調とは吹く松風ぞ聞なされけるかへる程に九住の江の波立ち返る程もなし何長居すと昔いひけむ天王寺にまうでゝ難波江に心深くぞ尋ねくる法を弘めし人のあとみにかへさに遊之を見て〓舟さし波の上にてよな過す身は何物と知ぬなるべし人に物いひて後にやる今日だにも慰め難き心には爭ですぐしゝ昔なりけむ
かにて加綠なる松ひきかへる紫の野べに出てぞ色めきぬべき三月ばかりに花みるに孰をか分きて折らまし山櫻心うつらぬ枝しなければ麗景殿女御がたの女房細殿にいで居たるに山吹の花をとり傳ふるに歌あるべしとあれば一思ふ〓といはで積れるくちなしの色とならぬ山吹の花同じ所の女房梨壺を局にしたるが枕とりにおこせたるにかきつく、二首一みに添て年ふる床の枕だに忘られぬれば身をば思はずまた一忘らるゝ床の枕となりはてゝ許多よみけむ物語せよかへし知知ばばれ何に枕を尋らむあやなし一夜夢なとはれそかためたりとあるに逢坂には世にあらじとて尋ねずば君しらめやは現にも夢にも戀ふる人の枕を同じ所にふぢの花を山吹にそへてこれはいかにとあれば六二心ありける人の折花は一つ色にもさかずぞ有ける女房に蔭雜色保男が語らひたえて又あらためてうちはしからしのびてかよふを見て葛城の絕えと絕えにし岩橋を忍びに渡る人は誰かもある男人のてをなりたりつるにれいならずならめるけしきになむ見えつる歌やらむとせむるにル君戀てあくがれ初し玉〓を止れとしてや手に結つる後堀川殿の御さうしにをんなもの申して立ちたり瀧のはとりに男かくれてみる所に人々歌よむにおしつくる三月なりれ行人は影や宿ると瀧つせの波もろ共に立ゐこそみれ人の家に住みはじむる頃五葉のちひさきをいづこの松ならむと問へばかまくらよりほりて後八年になりぬといへばその言葉をやがてつゞくるなり°植植て後松の千代迄數ればけふは八年の春にぞ有ける家にありし人のほかよりきて紅梅のおもしろき事といふに一花さかぬ宿ならませば古の春を尋ねて人のこましやむつまじき人の肥前の守のめにてくだるに一別路に君を松浦の濱松の千代へても又逢ざらめやはおなじ人に幣やる洲濱にかけりさしはへて行に波路の浦々に波立べくも非ぬ洲濱にあからさまに物へくだる由はゝいふこしにはもせきこゆときけば遠き心ちすといふに遂坂の關路こゆとも都なる人に心のかよはざらめや人に文やる返事のなきにかく云ひやる=滿つ潮の干間だになき浦なれや通ふ衡の跡もみえぬは知りたる人のれいすむ所にはあらでほかになむといふに尋ねてやる定なき人の在りかの聞ゆるは波に浮ける蜑の小舟か田舍なるほど京より人のきて獨住みはいかなるぞといへば都より兼て知にき旅ねして人離れたる住ひせむとは人に物いふに心いられしければふかうぞといへれば松に文をさしてやる久ししをを何かはいはむ岩代の松の結びはおひ變る共左のうまのじようかねずみつかさえて後露艸うつしおこすとて手につみて自ら染し花なれば年はふれ共色も變らずかへし05我宿の垣ねの草に咲まじる花の色こそ薄くみえけれおほやけ所なる人をあまたいふ頃一後ろめた風の崎なる藻刈舟孰れの方によらむとす覽集〓親補上祭閑院の大將殿なつの夜の雨といふ題をよませ給ふに申すことある程にて潤ひにぬるべき身とし知ぬれば降夏の夜の雨も嬉しき十月ばかりにいもうとを懸想する人のことはなるまじきなめり文をだにかへしえてむといへるに三木枯の風のゆくてに任せてし人の言のは止らざり鳬冬の終にしりたる女の久しう來ぬ男にやらむとて歌せむれば女郞花のをりからしてさゝす枯ぬとや思ひなりなむ女郞花折々みえぬ人の訪ぬをある男の人のもとに文やりける返事にすゝきのはにさしも草といへることはいかゞといへば誰故にもえむ物かはさしも草燃る思の身にし餘ればおほやけ所に語らはむと思ふ人のつまどにて物いはむとするが人さわがしとて入りにしかばつとめて知岩戶さし入にし月の影をだに見べき隙の有じとやする五月十日よひつれ〓〓なるに大將殿の御もとより夏のよ軒の菖蒲といふ題をたまへり〓五月雨は小暗き月と思ひしを今宵の空は雲も隔てず軒のあやめト引引れ日頃へぬれど菖蒲草軒端にみゆる色は變らず女(月〓)所の宮仕へする頃そこにさぶらふ女房などのゐてたはぶれごとするにかく心かゝひなさゞるは人に疑はれてなどいひて〓に我り妹は思や亂るらむ宿に結びし紐もとけぬに同じ所なるわらはをみる人の物いふついでにかひななるすいゝをとりたればこひにおこせたるを聞きて00我に社心のほにはつくれ共誰に逢てかたまとゝる覧ある所におとなひたる人のわれみさだめてこれといはむにものはいへと契れるがおとなしきに一我身より君を先にと思へ共感ふ道には知べやはする桂なる人の家に道遙しにかれこれいきてまへなるくれはしにおりゐて皆人は久しくみたる心ばへによめば始めていきたる人にてニ面面て水だにみなむ年へたる橋を始めてけふ渡る共さるべきわざして又ひと〓〓こむといひしを桂へはいかで山城のかみの月の輪といふ所にこれかれいきて桂をあらためてこゝにきたる心ばへをよむにエキ先の日に桂の宿をみし故はけふ月のわにくべき也鳬ある女の家に紅梅さきたるを梅壺の女御の臺ばん所より面白からむ枝參らせよとあれば代りて匂ひ香は君にますべき有ね共折てぞみする宿の梅が枝同じ所にて月のあかきよ梅の花面白く見ゆるに常常りも哀こそませ春のよの月の影さす梅のはな笠と云ふにこゝにありし女今は外にあるが今宵しもきて加住馴し昔に似たる春の夜の月と花とをみる空もなしおなじ頃月のあかきに人のもとにいきてかどを叩くに車にのりながら琵琶をひくを聞きながら遂にあけねばつとめて40春春夜夜月月調調し琴の音の哀をしれる人ぞ無りし三月つごもりの日いもうとの男のもとに山吹の花をやるとてNEあすよりは色や變らむ今日なれば閑く散で井手の山吹加茂の祭の日語らひし人のもとより葵につけてカチ千振神懸つゝぞ恨めしきよその挿頭となれる葵はといへるに更に忘れずといひてエゆふ襷かけ離れたる心あらば神の驗に葵あらじかく怖ろしく思はぬ事をかくるぞよそにてもた=三四
ひらかにてとこそ思へとて返し一千代へよと思ふ心のある物を何に糺の神をかくらむかへしニよよに斯戀べき身とし知ぬれば久き千世を何か待べき四月に左馬允かねずみ親におくれて五千聲はおとらじ物を郭公しでの山路の道しるべせよかへしエミニでで山山道知らませば垂乳女の先にぞ我は立て行ましなな魂魂に蓮のはにも浮ばなむ涙の露も置きや紛ふと夢に親をみて〓夢の中に此を夢ぞと思ひせば覺て千歳も有まし物をとあれば始の口〓と人返しすればいま三つ返し41垂乳女の親より先に何か其しでの山路を君が越まし〓此世をばはかなき露と消にしを今は蓮の上ぞ床しきか夢にても他す覺けむ面影を現の千世に做はましかば四月ばかりにむつまじき人のもとより橘をおこすとて昔の人にならはまほしくなむあるといへれば○橘のかをとゞめばや古の思ひわすれぬ袖のかさなりおなじ頃おなじ人のもとより卯の花を折りて〓思出でゝけさうの花の露茂み垣ねに袂最どそぼちぬあやしくもかこてるかな2花花花をるらめど我を忍ぶる雫には非じ昔かたらひし女の今はことにつきて田舎にあるがもとよりとはぬことなど恨みてよと共にかけつゝ戀るかひもなく立歸りえね袖の浦波あだにさる事なからましかばなどかは間はざらましとて濱風も何に附てか音づれむ沖つ白波寄るとしる〓〓五月五日人のもとより藥玉おこすとて君が爲玉つくり江の菖蒲草ひける根長き心ともみよかへしな隠沼の深きにひける菖蒲ぐさ心長さを比べてぞみる郭公の隣になくを聞きて我が宿になかぬ心はうけれども聲なつかしき山郭公まらうどあまたゐて時鳥のなかぬ事などいひて時時なくべき程はいかなるを待にも過て音なはぬ哉心かけたる人にをんなゝきすしせておそし(とこひにおこせたれば今までなりにけるをたゞなるよりはそへむとあれば味氣なく君が挿櫛みてしより妻をも取で日頃へに島かへし。妻妻で日頃へぬとか挿櫛の指て誰をと思ふなるらむとあれば又かへしす一君ならぬ人をば戀もしらなくに誰とかよそに思做す覽八月ばかりの夜人々あまたとまりてあるがかへるもあるを惜む心一ににるる人人ととららなむ夜と晝とも分ず見るべく昔かたらひし人のもとにある女のあふぎそめにやるをみてすはうにかきつく染姫の色にしあへば夏の扇薄き物から移ろひやせむある人のうぶやの七日の夜人々歌よむに波波き濱松がえにおひそはる苔の綠はいつも變らじ語らひし人の七月五日ばかりにまゆみのもみぢたらむ枝折りてとあるやりたれば秋もまだ淺き紅葉の色をわが心深くも賴みけるかなとありければ深き蔦の紅葉にかきて其のまゆみの枝にそへてかくいふ〓年年の秋深き紅葉に比べみよ色は〓とにも劣ざりけり七月ばかり同じ前栽など植ゑてひと〓〓御前にあまたある夜月のあかきにかはらけ取りて秋の夜の月水に映ずといふ題を院にて〓秋の夜の空を過行く月なれど流るゝ水に影は澄けり同じ所の涼みに人々歌よむに〓身にそはる扇の風は忘られて秋の空にも任せたる哉九月ばかりに前の花さま〓〓に咲きたるをみて雨のふる日秋の日にしづけき雨の慰めは我が宿に咲く色々の花語らふ友だちの法師になりてこと人のもとに文やる返り事につけて十月廿日宵ばかりにやる見し人のいれる山路を尋れば跡も木のはに埋れに見十一月はせにまうづる人々宇治に宿りてこれかれおもしろがる程にたちぬべきことなどいひて〓川波にひをはよせてや泊らましみるにも他ぬ字治の川波同じ日みわの山本ゆくに木がくれなる紅葉のちらすおもしろく見ゆれば三二のの杉の印は年ふりてちる新しきもみぢ葉の色同じたびのかへるさに字治にきてきやうにひをやるに一つおほきにて旅旅出て數多の日をばへぬれ共宇治路のひをは一つ也鳬語らふ人のつねにうとくのみあれば引解解けぬ人の爲にはよと共に我魂もむすぼゝれつゝある人を語らひそめて程もなくえさらぬことにてほかにねてつとめて遣す逢ずして歎き明せるよはよりも暮待つ程の心也けり夏の夜月あかきに人のもとにいきたるに寢たりとて逢はざりしかば歸りてつとめてやるか月影もすさめぬ人の宿にきて夏のよ深く出てこし哉けさうたつ人のもとにいきて花橋のはに書きてやるい橘のかを睦まじみなれよらむ花の姿も折てみるべき十月ばかり水のほとりの菊を水影に白くもみゆる菊の花老せぬなには流れたり共同じ頃紅葉おもしろくしたる山の本をゆくにかかるあたりに住まばやと人のめづるに紅紅葉ばの色こき山の山賤と成やしなまし散らぬ限は十月ばかり伊豫の湯へかねずみゆくにこれかれうまのはなむけするに月だに出でばと急ぐに冬の夜の月と伴ひ漕つべき舟路の風は長閑からなむ「弱竹の己がこの世を知ずして生し立てつと思ける哉かへし2筍筍生のるべき世を捨てゝ常磐ならずも枯にける哉九月十日よひ物へくだるに惠慶のもとよりさらばあすやくだる野のはな山の紅葉はたれとか見むずるとてかくいへる紅葉ばも殘の秋も少なきを君長居せば誰とをらましとあればまことと思はねど心ときめきにさらば此の月の十日がさきにはのぼりなむとて斯く惜むべき都の紅葉まだ散ぬ秋の中には歸らざらめや同じたびおほやけつかひなれば人々あまた尋ねて鈴鹿山のせきある所にてさきなるひと月は此の關にはさはりやあらむとあれば鈴鹿なる關の山のは高けれど越て過行く秋の夜の月秋ものへ行くにあふぎ心ざすとて、人別別ののばばにおかむ露よりも儚き旅の形見にもせよとあればむつまじき人なれば思ふなるべしいばばれむをり〓〓ごとの慰めは扇にそへる君が移香旅より京にある人のがりやる身に近き衣へだてずねし床を旅の心に戀ぬよはなしある人こふるに又疑はしき人もあれば藻刈舟浮べる波にたぐひなば最どや我が焦れ增らむ人に睦まじくなりて程もなくとほき所にゆくに女0程もなく雲居遙に別るれば有にもあらぬ心ち社すれ
とあればげにいかに怪しきさまにおぼさるらむとて。逢ふことは雲居遙に隔つとも心通はぬ程はあらじを文やる人の返りごとして後又やれどもせねば跡絕ず猶ふみ通へ濱千鳥かひある浦の潮のあわびぞ睦まじう日ごろ相語らふ人のよそ〓〓なるに90達事のいや遠ざかる雲居にて猶こそ物を思ひ亂るれかへし遠ざかる雲居なりとも逢事の絕間に通ふ人や有らむ又人のもとに文やる返事せねばxoよと共に波し洗へば須磨の浦に通ふ衛の跡はみえぬか語らふ人のもとによべは雨の降りしかばさはりてなむといへるにとくやみにしものをとてxo忘らるゝ身をしる雨は降ね共袖計り社乾かざりけれといへるに忘れぬにかくいへるとて〓我爲に懸てぬれけむ衣手は忘れぬ人を恨みてかもし人にやりたる返事をせねばx0小倉山踏始めたる道知で歸る跡さへ見えずぞ有けるある男人のもとに文やりけれど返事せねば加數ならぬ身にもつらさの知られつゝ歎けば君をいかヾとぞ思ふとある返しゑてとあれば。よそ人の歎く歎きは何ならで恨みむ程に年や積らむ人に文やりたる返事に物かゝぬ紙をおこせたれば一徴なきみと口しる〓〓賴む哉我思ふ事を汝と祈りて語らふ人をさ〓〓とはぬを怨みてすむ所はしらせでさすがに文やる返事みな月ばかりにやありけむ一身はかくれ聲は音なふ山彥を尋ぬる程に夏ぞ暮ぬる人々あまた居て物などいひて手まさぐりにおものをまろがして鳥のかひ子のかたをしてかくいふかかにして許多しあれば知難しこや飯時のこには有覽うまのじようかねすみはしよりも尋ぬべけれど歸らればまだ云知ず何鳥の子ぞなどいふに例のかくいふ集守なるかひとみつるは刈てほす稻負鳥の種にぞ有ける語らふ人のもとに雨のふる日いきたるに何心なくて居たるがみつけて隱れければよしくらからむにまゐらむとていでぬる後に隱れあへでみえぬることといひてかくいへり〓三笠山水尾のたちも隱し敢ず降つる雨に我ぞ濡ぬるとあればかくれぬる人はさもあらじとてさしはへて訪かひもなく三笠山立歸にし人は濡しをある所の歌合に物の名などよまするに、秋風〓夜寒なる秋の初風吹しより衣うちはへ寢覺をぞするもみぢかひててにはそむとも見えぬ紅葉の色は錦に立ぞ增れるをみなへし〓あだし野の種とはみれど女郞花移ろひ難き花の色哉すゝき一紫のほかに出たる花薄ほのかによその風ぞなびかす荻一待つ人に過たれつゝ荻の音の戰ぐにつけて靜心なしかり雲路より宿借きたる雁音は旅の空なる聲にこそきけはたおりめ蟲の音に機織聲は打はへて秋と成にしひより絕せずあはぬ戀ああ〓とのなくで年ふる我身哉何を命に延るなるらむある女のもとに又ある女のもとより色々の錦をかみてふじてかく書きておこせたりたよそにても杉はみゆるを三輪の山何しか寺に人の尋る五月ついたちの頃なが雨のやみたる暮つかた螢を見てcmあま增せる五月の闇の木隱に螢のみこそ光みえけれおなじ月のみかに重之の朝臣のもとへ雨のふればこの雨によりてなむとて一日を兼てひくべき物を菖蒲草おひたる沼の汀增りぬ馬の允かねずみ日頃あはで夏の月のあかき夜きて日ごろ戀しかりつることなどいひてニ山のはの月まつ程の心にもやゝ思ひまし戀てこし哉といふにまちつる心もしるくとて雲雲より立出る月影やある待かひありてみゆる君哉人々ありて瞿麥よむにから錦籬にかけてみえつるはさく床夏の花にぞ有ける西ある女かれ〓〓になる程同じ所なる人のもとに物いひにきたるにさりともと思ひけるが後にとていれば、女獨してさしてかりつる蜑舟の過行く方は床しかり鳬我はのどけく思へど心いられしていへばかうよそ〓〓になりぬると思ふげてかく如風早み長閑くも非ぬ浦波にかれ離れ行舟としらなむある女に物いひそめて程もなく田舍へくだりておこす日頃はあやしき旅の獨寢をのみなむとて40円じじななてて後後後手枕もあたらし人に觸うかり鳬人に馴れてあかつきにいひやるNo程もなく戀る心は何なれや知らでだに社年はへにしかある人のもとにいきて酒など飮むにかくきたるはことさらにはあらじなどいひてたよりなる心ばへをよめる加便はは思ざらなむ釣舟の泊をとこそさしてきにしか男ある人にあだ名たちければなほあるよりはと君が爲思ふ心の隔てぬをかみてふかみは空に知らむとあるかへしよみてとあれば隔なく君し思はゞ何か其かみてふ神に事もよすべきある女のもとに草に文をかきて斯く夏草の結ばぬ人の心もて露にはいたく濡ぞしにけるある人のもとに日頃はをのといふ所になむありつるとてかくいひやる世を恨みをのゝ山路に入人の絕ぬ絆しは君にぞ有けるかたらふ中のたえたるかやなりからつる(如元)歌のさうしかりてかへすとて〓〓〓拾〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓千草のよゝの古事我も忘れじ住みける女のたえにけるがもとより髪を元結にしたるが結びながらあるをおこすとて三年久に傳なき物は神さびて古き契のあせずぞ有けるとあるかへし一石上結びおきてし元結は古きながらに忘れやはするある女のもとにはじめて文やる一問〓との始は今日に見ゆらめど思ふ心は年ぞへにける睦まじからぬ女に松にさして三三野野の浦の松とぞ成にける常磐に人を戀る我身は牛を失ひてもとめ煩ふ程にかよひし女のもとにいきて立てりければ引かせてかくいひたる五うしとみし心ぞ人に增りけるこや後生の角と云らむ返し數ならぬ人を野飼の心にはうしとも物を思ざらなむある女のもとに文やることはありながら包むことありてなむとてかくいひにやる世世の中の人のなかには非ずとも戀る心は誰も增らじ又よそにて語らふ人の外に渡りけるをいひやる〓〓孰くとも在りかをしらぬ人故に尋ぞ侘る三輪の山寺女かへし
てかくいふこの人は齋宮にぞありけるcmあだ波は立ときけ共伊勢の海のかひある浦もみでや已なむある所の屏風のゑに櫻の花のさける木の下に水ながる人の家より女の水くむ所あり五花咲る木の下水を掬び上て散なば後の影をだにみむ心かけたる人のもとにいきて物などいふにいらへもせざりしかばかくいひやるニ吾音の里とはみれど聲たてゝ泣べき迄になれる我戀三月つごもりにかくてくれぬべきといふに夏友たち隔つべき程近く暮れゆく春の色をしきかな左大臣殿さぶらひに臺ばん所よりからくだものを大きなる枝につくられたるに椎栗などをならして出されたりしかばななる身はこゝの物々いかなれば猶隔つ覽唐の果物三月二十日よひばかり初瀨へまうでむとて女房に暇こふとて葉駒の山の櫻のちらざらむ春の中には歸らざらめやはじめて女にな思ひつゝこゝらの年を忍草忍ぶる程につみてける哉やつはしといふうへわらは人々あまた通はしけるに一八八橋は許多の人ぞ通ひける春はすぐれど道はきに鳬正月ばかりに人々あまたきて酒飮むに前の梅の花を見ておもしろがるメト香をとむる人も有是春夜の何咲花とすさめざりけむ同じころ大將殿のさぶらひに雪のいたう降るあしたに折敷に雪を洲濱におきて松と梅の花と植ゑてだいばん所よりとてなざししてあるにかきつく〓濱松のときはの色に咲まじる花の匂は久しかりけりにようばうかへしとて、殿05年月の雪積りける濱松は數へ盡さむ世こそしられねとあるにこと人々に返しませとあれど猶させる心ざしあらむ人こそとあれば〓君が代の盡べくも非ぬ長濱は最どもおふる松のちよ哉同じ頃麗景殿の女御のさぶらひにこれかれものひとくさ取りにやれとあるに紅梅にきじをつけて出せるを人々かゝる花はありけりとあればくる人もなき山里にさく梅は鳥の羽風に折見する哉二月ゐなかにあるに院の子日と聞きていかなるさまによむらむかやうにぞあらむとて野野に出て今日引松の本每に君にとのみぞちよを貸らむおなじ所にて二月十日のころ京の花いかにおもしろからむと戀しうなりぬなどはらからなる人に云ひ合せて大方の都の花は咲きぬらむ中にも宿の梅ぞこひしき齋宮のおりゐ給へるふる宮所のいとあはれにあれて人形もみえぬを入りてみれば三月十日ばかり櫻いとおもしろしはやうさせりける榊の枯れたるを見てああににししたの櫻は散ずしてしめの榊の色かへて島右輔視集爲定卿爲秀卿以兩自筆本一字不逹令書寫之再往加按合者也寛文六丙午初冬仲旬藤原長能集野にあやしき水のたまりたるをみて河上に井堰やすらむこぞの冬かくしは原に岩分る水松一つたてる岡をみてよめる武武に孰く違へり草村のみよのうかみに松立てる岡草むらあるみやその所の名なり狩すとて高き山に上りていづくとかいふと問へばいぶき山となむ答ふれば高けれど都もみえず登りては唯や下らむいぶ吹の山七夢見さわがしとてよめる此みやこ人我をこふらし草枕われが旅ねの夢み騒がし秋小鷹狩にまかりありきしにある田のくろに女郎花の咲けるをみて山賊の田くるに咲る女郞花我獨のみ見るぞあへなき後に語りしかばあだなは松といひしものかへし山田女の田畔に立る女郞花人待えたる心ちしけめやをぐらの少將の御もとにて雨ふりし夜秋夜雨といふ題をよませ給ひしに濡々も明けば先みむ宮城野の本荒の萩は萎れしぬ覽同じ人の石山に詣でゝ夜川霧といふ題を詠ませ給ひしに河河ははべべをこめて立にけり孰こなるらむ衛なく也七ある人の屏風の歌よませ給ひしに人の家の妻戶より男のいづるに草の上の露おほく有明の月殘りしに白白に輝く月の影みれば悔しやまだきおきにける哉いつのやまひにかありけむ家のうちにおきたりし人なくなりし程にさとのとねの申すやう五條にてやく神の祭つかまつるになむある男の五條にはひと〓〓多くおはする中にうたふべき歌ども詠ませ給ふべきことになむやんごとなく侍るといひしかば祭主もこの條にこそはすめまづか昔こかみの河內國さり侍りし時祈り申す事や侍りけむ丹波守にてかの國の神うに(6元)返まうし侍りしに物奉れる人の侍りしにかはらけとりて祈り置し神の心もいちじるく昔の人にあへる今口哉また昔ことありてこのかみさり侍りしかば候ひし東宮の殿上もおりて後右近將監になり侍りしかばもとの如くに宮に參りて候ひしほどに九月十五日しんして歌奉らせ給ひしことはおほかればとゞめつ歌かくなむいにしへに光違はぬ月〓み神の心はさやけかりけり東宮の太后宮女房におはせ給ふことありきいづれの年にかはべりけむ三月三日草餅ひして法師のかたをつくりて此れに室つくりて進らせよと仰せごと侍りしかばかたのやうなる洲濱つくりてむろのかたはらに木どもなどたてたるに郭公のかた作りて進らせしにつけて侍りし都にはまつ人あらむ郭公さめぬ枕のやどにしも鳴く丹波にてわづらふことありしかば久しう京にも歸らざりし程につれ〓〓にて見ゆるものにつけてよみあつめて侍りし歌春のことなりかたをかに火つけたるを見てこれは何ぞと問へば畑やくとはこれをなむいふといひしかば片山に畑やく男の子しかやかばみ山櫻はよきて畑やけあら田に鷺のゐたるをみて〓〓鷺たてる汀の澤田あらすかもふるみ乍らに春を暮せる山寺にまうづる道に木々のもと過ぐるほどに雨蛙の鳴きしかば一雨蛙鳥くや梢の知べとて濡なむ物を行くやわがせこ
しこにこそはいはめといひしことどもの怖ろしく覺えしかばもしつとめなき樣に神もこそおぼせとてよみ申したりしかどもわがよみてければいださぬはたり歌一自妙の豐みてぐらを取持ちて祝ひぞ初むる紫の野にはやうた今今りは荒ぶる心ましますな花の都にやしろ定めてまた水邊の白菊をシみしは天つ星也然りとて沈む藻屑を照すとはなし語らふ人のもとに五月のころほひいきたるに暗夜子規を待つといふ題をよますれば月みつゝ待だに有るを郭公なぞやねなむと思ける哉又遊びする所にて待時鳥の心を老らくの聲かれに島時鳥來なきとよませはちかゝるべくまた同じころある法師の坊にておなじ心をか一昨日も昨日も待し郭公けふさへ鳴かずなるや世中花山院の春戀といふ題を給へりしかばい諸共に若菜も摘まむ妹脊山山田の澤の水もぬるめて〔笹の葉の亙る霜よも明してき白つむ春の袖ぞ濡ぬる何もせで明ぬる物をすがのねの永き春日を又や暮さむ入道中納言義懷下らうにおはせし時一條殿の櫻を惜む心の歌ひと〓〓によませ給ひしに身にかへて飽なく花を惜む哉いけらば後の春も社あれうちわたりなりし人に一百波のよすればよする小れ石の角なき物は我身也ける同じ人に春山寺に籠りていひやる猶や君我れつらからむ然らずば霞の影はをるべき物を又同じ人に世の常の物思人の袂だに濡るゝはぬるゝ物と聞しをまた女に我心かはらむ物か瓦屋のした焚く煙わきかへりつゝかへし恐忍ぶ思ひ均しくなれば瓦屋の烟は早く絕えにし物をうちわたりの人に有へても有ばやなとぞ世中の斯憂物と知りぬとならば厭ふとは知らぬに非ず知ながら思ふに非ぬ心也けりル命命らば命あらばと思つゝ憂をも痛く恨みやはするまた女に算れば空なる星も何ならず何をつらさの數に取ましうちわたりなる人に四月ばかりに山より0聲聲えず山郭公歎けどもみやこの人ぞわきて戀しき返し女。郭公忍ばの聲に〓つゝもわくらむ人や孰れなるらむおなじ人に5我我く物思はむ人を又もがな類ひ有見と聞かは賴まむいかなる折にかありけむ50愛事は我身一つの憂なれば處かへてもかひ無りけり八月ばかりの夕暮に○○のくく暮暮ぞうかりけるいつも盡せぬ思なれども10夕暮は詠むる人のなければや心盡しといひ始めけむまた女のもとにな思へどもえぞ打出ぬ鳴る鈴の一つ心に込てこそふれまた40相思ぬ人をしもなど思らむ露よりげなるこながみをもて又No所からうかる君にもあらなくにはかなく惑ふ我心哉か。うしとだに云も更也いざさらばいさやいかなる我身なる覽いつとてか君がうからぬ憂が上に又憂時は云かひもなし一人心うしとは思知りながらさすがに物の忘れ難さよ憂き身なり何か惜むと人とはゞ我答ふべき言の葉を君よりほかに誰か知べき女かへし集能長原藤狩にみる袖だにぬるゝ大荒木の杜の雫は云方もなし二人のもとにいかむと契りしにかはりの新藏人の參らざりしかばえまかでざりしつとめて快快ぞぞくみあかしつる終夜立ちわびつらむ人の心を山にのぼりて法師になりたる人のもとに一何か其身のいるにしも立隱し心の深き山にすませよ屏風の繪に水無月被へしたる所一早蠅なす荒ぶる神も押なべてけふは名越の祓也けりさがのに前栽ほりにまかりて三日暮にみれ共砲ず女郎花のべにや今宵旅寢しなし花山院に三月小なりし時春の幕惜む心人々よみしに心心きき年にもある哉廿日餘九日と云ふに春は暮ぬるおなじ夜のあくる曙にエななやゆけ山郭公春くれて物寂しかる人のきかくに同じ院にて障子の繪に橘の咲きたる所橘の花のさかりになりにけり山郭公きなけしばなけ左大辨のはじめの北の方の御もとにおはしはじめての比ほひそこに殿ゐしての曉若草のいもがきなれの唐衣かはしもあへず明る東雲上總よりのぼりての春のりまさの家にまかりて人々酒のみしついでに〓〓〓路路の野路の雪まを分けてきて哀都の春セッをみる哉ひとゝせおほ殿の三十講の歌合に夏夜月な寢覺する秋もこそあれ天原のどけく照せ夏の夜の月郭公ニコ誰誰にあかず聞くらむ郭公あるかなきかに鳴渡る也池邊松一君が代の千年の松の深綠さわがぬ水に影はみえつゝいづれの年にかありけむ花山院に八月三日歌合とたえやかたは多かる柴のはを我のみ計心と思はむ0〓うき事も戀しきことも諸共に我身をのみも知る心哉エうくは非で戀しきとの添ざらばなぞや我みの惜からなくに雨の甚じうふる夜簀子にて物云ひ明して夙めてが流合てそことも知ず濡たれば軒の雫におほせてぞほす女かへし〓〓多多少立寄る軒の數まさば其濡衣をたれすへやきむ女に薺の花につけてル雪を薄み垣ねに摘る唐薺なづさはまくのほしき君哉雨のいみじうふる夜女のもとにな搔暮し雲まもみえぬ五月雨は晴ず物思ふ我身也けり同じ女つれなくのみありて行く末はなど賴めたりしかば5頼むれば賴まば少し慰まで最どえならぬ心ち社すれ又一憂事も戀しきとも舊ぬれば何をか今は言の葉にせむみづから參らむといひたりしかどびんなき所なりといひければなほ〓〓とて有有てて斯斯浮浮になぞやともけふぞ我身を賴果べきまた女やいかゞいひたりけむ思ふてふ〓とこそ最ど憂き人のうきを知する心也けれまた〓人人心心を少しなだめけむしでの山路も易く越べきエ數々に賴めし事を天地の神も聞けむ物にやはあらぬたとも斯も云べき方も思えず凡て我身の我身ならねば七老ぬるも若きも何も分ぬ世に物思にやしなむとす覽心ぽそげなる山里にこもれる人の許にいきて歸るとてル大荒木のとほのゝ原に住人を見捨て行ば袖ぞ露けきかへし
せさせたまはむとてありしかどとまりにしに歌どもはおの〓〓奉れとおほせられしかば奉りし七夕一神ひぢて我手に結ぶ水の面に天つ星合の影をみる哉露さゝ蟹のすがく葉末の淺茅より亂てかゝる白露の玉花山院三月二十八日花御覽じにありかせ給ふ御ともにさぶらひて尋殘花といふ題を谷風にみ山の花や殘ありと打ぞ渡れる水もさわぐに山寺にてあそぶ優婆塞が行かふ山の山櫻けふの行幸の爲にざりける同じ院の御手づからかみ繪かゝせ給ひて人々に歌つけさせ給ひしに秋の前栽さき亂れたる紅葉おもしろき所に加佐保姫の玉おちにけり唐錦おれる木の葉の上の白露ものへ行く人にいいにしへも今もあらむや我如く思ひ盡せぬ思する人石山にてNe樫の知ぬ山路を尋ぬれば高嶺の續きならせるや誰女のもとにいきて硯をこひ出でゝ筆の中にかとと繁み見れば流るゝ薄墨のかすめし〓とや知る覽や君女のたちより給へものきこえむといひたればcm定定てて立も寄べき世の人の逢ても逢ぬ物は思はじおなじ人に一徒徒と物思ふ事の盡せぬを苦しき物としるや知ずや女返しニ思思らむ同じ心にあらばこそ苦しき物と聞も惱まめ夏きて後久しくありてとひて侍りしに、女一〓逢事のはに置し露は消にしを世に有とてや人の訪らむ霧立ちし朝に秋秋は川べにさへぞ立にける孰こなるらむ千鳥鳴也紅葉散るをみて1日目に見れ共あかぬ紅葉はいかなる山の嵐なるらむかはらやとかありし同じ人に短早き瀨に上る丈夫こりずまに此夕暮を賴むべらなれ油41我心散失せぬ菊に譬ふれば花こそ痛く移ろひにけれ〓し千早振天の岩とを押開き我に片寄れみごもりの神天天ののふふりかけて誓ひてし〓となる空に成にける哉かげつらといひ侍りける人の物いひ侍りける女にしのびて物いひそめて罷りたりけるにきあひにければ一品宮の九條にかげつら見むと聞きてこす波に袖打濡し歸りしも哀と思ひかけつらむやぞかへし〓好思へなる由とだに見ましかば波こし鳥とみせましやそは女のもとに扇おとしたるに返したれば獨獨の夜の衣に非ねども返すはつらき物にぞ有ける白川の院にていではてたる月の松蔭よりもりたるに山山の端な內なる松の枝繁みさやかにみえぬ春の夜の月紅葉ある人の家の前を渡るとて道行にみれども飽ぬ紅葉哉うべこそ人も家居せりけれ201やたの里にてややたのなる百つや原の束の間も戀ずや非ぬ花の都をこかみにまかりおくれて人々わかれ侍りしには傅殿のものゝ上にかきつけて給へりし爰にとも知でや君が過ぬらむたてば悲しき深草の里かへし覺束な誰書きつけし言のはぞみれば涙の搔昏しつゝ花山院の御佛名に菊のつくり花をスももず散〓ともなき菊の花みよの例を賴みてぞふる早う加茂の祭見侍るとて怪しき人を車にのせて侍りしを迎へによしまさの朝臣立ちてかく云ひ侍りし其かみのなかよしと唯知ぬれば人の數とも思ほえぬ哉かへしc〓理やしか憂身也然あれ共よしまさゞらむ人は誰ぞはいづれの年にかありけむ唐ぎぬ扇など取らせて遠江にくだり侍りしに一世の常に思ふ別の旅ならば心みえなる手向せましや。明暮の程もやみると心みに八重立ちこめよ秋の河霧岩波や吉野の紅葉散ぬべし波と共にも折れぬけふ哉神無月に鞍馬にまうで侍りしに紅葉のいとをかしう侍りしかば此折ずして行かむ物かは遠近のは山奥山夜はこゆとも女に百くるれば遙に懸る唐衣さほしかねつる頃にも有哉ある人のもとにまかりて二三日ばかり音もせでうう動動は動み動み淀に淀河の底にも戀ひむ閑からぬに彌生のついたち一十だだ飽ぬ心をいとゞしくやへ重なれる山吹の花春雨〓よよはは思事なき身にしあれば七日ふる共何かとぞ思ふある女に五月ばかりに五五五雨雨はすぎにたりとや足曳の山郭公なく聲もせずかへし0五五雨は世にうき物と郭公鳴き隠れにし聲な聞せそまた「うかりける其梅雨は過にしを今は早來て好と語らむかへし風を痛み懲ずまなみに立出て蜑よいかなるめをかみるべき一ののるる潮垂衣ほさずして明石の浦ぞ侘しかりけるしのものしのもとにまかりて物いはむといひ侍りしに暇なしとていで侍らざりしかば畑だに少したなびけ朝なげに灘の鹽やき暇なくともかへし灘の浦に絕ぬ烟は絕ぬ共思はぬ方へみともせもせじ宮のすけなくなりて後宮にまゐりて侍りしかばいと哀れにて諸共にこそ侍らひし老らくの獨はみえず成て幾世に母の服にて宮に參り侍りしに花をりてと仰せごと侍りししたつえに咲ずしも非ず櫻花爭でかかけむ墨染の袖故伊勢守のむすめに物言はむとて母の御息所に〓老らくのなれる姿の池に生る耻なき戀も我はする哉但馬守の家に和琴かりに遣すとてか徒然の夏の日暮し戀しきにかみの調べもして試みむ上總にまかりし年ものいひ侍りし女に扇などして〓東路の野路の契は隔つとも扇の風のたよりあらじやぬさに一行末に神ぞしるらむ云ず共こは大幣の手向ならぬをかへしニ武武野の草の緣りを尋見ば便をしもはなどか待べき傅殿のうへあふぎぬさなど同じく仕り給ふとてきりそむりも袂く朽にけむ軒の下葉の露をだにみよかへし別るらむ止るも同じ武藏野の木の下露は風も吹敢ず物いひ侍りし女我は今は老いにたりこれが中にとてむすめ呼び出して物などいひて侍る程に栗を物のふたに入れて出して侍りしその蓋に書きつけて侍りし孰をかわきて忍ばむふたごより思ふ心は一つ也とて花山院の歌合にめしゝかば谷河の氷も未消えあへぬに峯の霞はたなびきにけり
鶯我が宿の軒端の梅やさきぬらむ鶯きなく聲聞ゆなり櫻春春ゝばいつしかみむと待物を遲くもさける櫻花哉彌しきに波打しくと見えつるは峯の櫻の影にざりける○けふ咲てあすは散ぬる櫻花よは早々に物をこそ思へ款冬。底〓く井手の川瀨に影みえて今さかりなる山吹の花柳30花櫻散りしはきのふ靑柳のはやまに今日は鶯ぞ鳴く夏ニ夏夏れれ山郭公鳴やせむと思ふ心ぞめはさましける〓同同名を花橋の花ざかり短き夜こそわびしかりけれ冬0節節けけ淀淀渡渡渡さささみれば解けむ期もなく氷しに鳬お獨ぬる人もこそあれ一番ひ鳴くなる鴛の聲や悲しき左の大臣の大井におはしまして紅葉を尋ね給ふ心よませ給ひしによ。いづくにか駒も留めむ紅葉ばの色なる物は心也けりおなじ殿の歌合に、惜夏戀、月〓寢覺する秋もこそあれ天の原長閑くて社夏の夜の月やまにてわいを世世世無かれとは思べき忘るゝ人と忘らるゝ身と一人の上を我に語りし其かみもそよ添はざりし口つきぞかし一疎からぬなも有る物を妹せ山立ちな隱しそ春の霞も院の殿上にて四月二日庚申ありけるに卯花隔墻根といふ題を一〓花花繁繁の〓き垣根となるまゝに隣に通ふ道ぞたえぬる十月ばかりに白川にて山里の戀といふ心を一戀しさぞ忘れざりける山里は怨みて出し我身なれ共集侍內馬馬內侍集後涼殿の御局に上わたらせ給うて梅の花のすくなく咲きたるをけぢめもみえじかしすくなければと仰せられしかば盛ありて散らまくいかに惜まゝし心長閑き梅の花哉同じ年の三月中宮の御かたに花を瓶にさゝせ給ひてこれがちる心よめと仰せられしかば散散じじらやとめくもとまらぬ花にそふ心哉七月七日にはすのたまを作りてさりにし人のおこせたれば一思餘り賴めし中の悔しきは此世とだにも契らざりし別友だちのもとより尼になりなむとありしはいかにといひたればやしかすがに悲しき物は世中をうき立つ程の心也けりさりにし人のもとよりいかにぞ人や語らひたるとあればヘ君がと思はぬ人のつらからば我も心はあくがれなまし左大將久しく音もし給はでがあふ事の渚なればや都鳥うらみて跡も絕てとひこぬなどかそれよりもとあればかへしニぬぬまは袖朽ぬべし數ならぬ身より餘れる淚こぼれてその夜たびなる所にきあひて枕もなければ草を結びてしたれば一逢ふことはこれや限の旅ならむ草の枕も霜枯にけりある公達いま〓〓とてすかせば賴めくる君しつらくばよもの海に身も投つべき心ち社すれ返し一挿はへて簪の花の其折もあだなる物とみえにし物を左大將氷を包みて身にしみてなむおもふとあれば〓〓事事の滯るまはいか計身にさへしみて歎くとかきく人をよせねばしひていりきたるが侘しければちかごとをたてゝ後にあはむとてやりたれば一日ばかりありて祈りくる我が片岡のちかどを遲く糺の神にも有る哉返し蓬ふ〓とを片岡とのみ思ふ身は何に糺の神にかくらむ文おこする男の秋と賴めたるころ長月ばかり煩らひていひおこせたる命命ららささんと賴たる秋待附けむ心ち社せね左大臣氷したるかたなど書きたる扇をわが心變りなばおこせよとのたまひしかば奉るとて凍りたる池のつらに女をすゑて烟を立たせてかくもえ出る胸の思は高けれどなみだの河は猶凍りけり十月ばかりにあからさまにきたる人の歸りなむとするに時雨のすこしすればた搔曇れしぐるとならば神無月景色空なる人や止ると師走二つありし年忍びてやみなむまたはなこそといひし人のうるふ月はいかゞ思ふといひたれば02みそかにも有べき物を雪降るに袂の潤ふ月の侘しさ人多く語らふとてある公達のもとより一色々の花の中にも女郞花いかなる枝に露とまるらむ女ともだちの御許に久しくとはぬ事といひて11つつからば偖も已なで春の日の恨ま欲き蜑にも有哉返し三つらしてふ心有鳬春の日のわかうらなきに思ける哉しぞくなりし人のある男に語らはれてこれなむ一つ松とておこせたれば一一一松松び見とも今ぞしるとくる心は常磐ならじを左の大將殿かへり給ひて雨ふるにははると聞き給ひて1東東間間間戀戀ききははれ〓〓と詠めに物や思增らむ久しくありておぼしいでゝ程程れば忘れやしにし春雨のふる〓とのみぞ我は戀しき返しせいとゞしく濡のみ增る衣手に雨ふる〓とを何にかく覽むげに音づれ給はぬ頃〓〓手手即かさ絕に是さゝ蟹の命を今は何にかけましカー歎きつゝふれ共數に非ぬみは如何はすべき賤の苧環=かへし○斯て社よそにふれ共小蟹の如何に戀しき物とかはしる雪のいみじく降るにおはして曉にかくきならひてこそはいかゞ想ふべきとのたまへば一忘れなば越路の雪の跡絕えてきゆる例になりぬ計ぞ返しニ年年とも消るよも非じ白雪の千年の松に降し積ればかくて忍びてあるほどにえ逢はで男君今更に何か侘べき君ならで此よの〓とは思はざりしを返し何何其露の絆しに非ぬみも君止るべき此世ならねば山里なる人に雪のふる日112降降ばばつつぬぬる雪としり乍ら何山里の强て戀しきかゝるべき〓とに非ずといひて逢はぬ人のもとより長月ばかりにまだらなる草ばをおこせたればメ人人まだらにみゆる草なれば枯ぬる人の印なるべしかくてその冬うちとけてもあはざりければ年還りて二月ついたち頃に蕾みたる花にさして45ああにはと賴し風し荒からば盛もなくて花や散なむ返しA風も荒く花も程なく散行かば憂身ないかに成ねとか思ふ
もとの人など聞きつけて騷がしく得逢はぬなりけり同じ人心うきことや聞きけむうしたれば女もむづかりて逢はざりければ五月五日に、男by事事をいつ忘れてか菖蒲草たえぬ下根を立ゐ待らむ返しcm点忘れぬ憂に附ても菖蒲草いかに下根の長らめやはかくてあるにさはれなどいふ頃紅の花を男の見せにおこせたればユ苦しとて色に出ればあさえ是染て悔しき花をみる哉五月闇の御まへに雨いみじく降るに郭公のなきて渡れば人に歌よませ給ひしにエとぶ方ぞまづ知られける郭公いかに鳴音ぞ雨宿りせで男のゑ文字八字よむ頃いひにおこせたるが例ならずやありけむ三知知めし〓とや悔しき忍草しる人もなし絕やしなましこの男よをかねたる夜夢にやみえけむいひたるに思つゝぬる夜の夢を知ぬ身は胸に焚戀覺だにもせよ長関なる春の浦にもすがためは猶小搖のいそがしやなぞある男のもとよりねなきたむる淚の玉の衣手に包む人めに程ぞへにけるつかひあしくしてみつけられてこひたる人さりぬと聞きてこの君一人人しれずぬれ渡る身は涙川いはれの池を哀とぞ思ふ返しNおおほえず涙の川に濡衣を我より外に誰かきるべき龍田山に二日ばかりありて龍田山もいかゞとて〓吹風にけになむ數ぞ女郞花忍びにかゝる露をしらなむとあればさがのいろなるこゝろとやきくといひしかば女郎花包むわが身はのべなれやおなじき九月ばかりに〓思ふ人やゝ過ぬとや菊の花雨を聞きても露に濡らむほかにとて返しつなどかおとはのといひたりしかばみづからきたるにあはねば九月九日菊にさしてニ菊の上の露をばおきて涙こそわたの衣の袖も乾かね忍びたりし人のもとより朝ごとに流るゝ床の枕哉我もうきヾの心ちのみしてきり〓〓すの鳴きしをひとりごとになきなたつ袖もありしを養草露けしとなに歎くらむ五月五日にこのきみ六鵑いつかと待し菖蒲草今日もいかなるねをか鳴らむ五かへし五五用雨の空くもらする郭公ときに鳴音は人も各めずその夜きたるにおくにゐる影はみえでなしとて歸したればせほのみえし月を戀っゝ歸るさの雲路の波に濡し袖かも今は限りといひたりしかば志賀の浦にとのみいひやる三日ばかりありて〓志賀の浦に賴む涙は盡せねどせきも留めぬ逢坂の關返しはせで暫しありて石山へ詣づときゝて逢坂の關山こゆる今日さへや猶や涙の盡せざるらむといひたりしかば〓白露の末ずゑこゆる逢坂のいと春雨に袖ぞ濡れけるまた七月七日に一今日とだに契らぬ中は逢坂を雲ゐにとのみ聞渡る哉返し一逢事を今日とな懸そ鵲の橋聞くだにもゆゝしき物を人のきたるにわたのころもと賴めやしけむ流流く言の葉にこそ白露の命をかけておき返りつれこれを聞きてあきのぶの朝臣此五月山み山隱れの草木とや言のはだにも懸て散こぬ又ある男しのぶ草につけて〓草草しのぶやつまと云ながら夜深く露のおける袖哉返し物思ふに秋は深くぞ成にける軒の慈の色かはるまでこの男けさ歸りつる道に郭公の鳴きつるといへば七心みに空に通ひて時鳥人のためなる音こそなかるれ七大風ふきたる夙めて檜皮にさしてある男の許に〓今朝みれば止れる宿も無りけり惹の草も如何成にし男の遠き所へいくとて草枕旅寢の衣かわかずば夢にもつげむ思ひおこせよ旅寢の所より〓獨ぬる宿にふすぶる蚊遣火のさよ更方に燃變りつゝ久しく逢はで瞿麥にさして、逢ふことはから撫子のはるけくて思ひ煩ふ常夏の花つゝむ〓とありて文なども通はぬ程かきあつめておこせたる〓堰堰する岩まの水の打忍び忍兼てぞねはなかれぬるいかなれば知ぬに生る浮尊くるしや心人しれずのみ浮草に枕やすらむ爲鳥の夜は長閑きいやはねらるゝ我戀に比べてしがな雨ふれば庭の泡沫數をかぞへて寢覺には聞もしつらむ終夜雨の聲には劣りやはする返し十五五雨雨に夜一夜雨は忍ぶれどそれより外の聲はせざりき齋院より卯杖を賜へれば歎きとてほと〓〓思ふ斧の音は祝の杖を切にぞ有けるかへし斧の音も尋ねざりせば玉椿祝ひの杖を爭で知らまし人のもとに枯れたる紅葉の枝をやりたれば〇霜霜の仰ぐ歎の枝なれば深き色とはみえずぞ有ける左大將ちかごと文をおこせ給うてかはりの文おこせよとせめ給ひしかば一千早ぶる賀茂の社の神もきけ君忘れずば我も忘れじやすのぶ文おこすれどいひも放たねばうりにかきてニ瓜生山其程とのみ賴めつゝ久しくなるはつらき業哉左大將兵衞のすけにておはせしとき卯月に物をいひそめ給うて郭公公をばきけど花のえにまだ踏なれぬ物を社思へ返しかしはぎのわかきはにさして際に皆おり立ちぬ共はを若みわが刈初し宿の菖蒲は五月の長雨に萬蒲のおちたるを宮御覽じてあはれ歌よめと仰せられしかば〓蒲蒲草孰れの澤にねを止て身をば詠めに朽たし果覽女ある人のもとに物いふにつゝめば柿の下葉にかきておこせたる露とけて思ひもおかじ物故に下に焦れて何か忍ぶる芋のはに露のとまれるを難面くて芋が下葉に置露はいかに止れる物とかは知男貝おこすとて數數ならで千尋の濱に拾つゝ貝や有とぞ今日を待つると聞きてもとよりある人あしくするにむげに逢はねばいひおこせたりし中空にかくてや絕るさゝ蟹のいと淺ましき心也けり人のこむとてこざりしかば風の吹きしに○賴め置く君こぬ宿の風の音は夜となればぞ烈しかりけるこむといひし人きて夜一夜ありけれど逢はでつとめてなどこずなりにしと云ひやりたれば。終夜田子の浦波寄せし音をふじの高嶺に聞ざりけるに忍ぶる人にいひ遣しける集待內馬四七七三二
。起し火の炭をば灰に隱しつゝ埋まれぬ名の戀を社思へ兵衞のすけなる人かたらふとみな人きゝてのち中將に文通はしければ人の聞きていひたるof柏木はあめも人めも繁しとて三笠の山に踏通ふとか更に忘れじと契りたる人にたえてある所をだに知らせねば00通通ふ跡たえぬるか水莖の流れてとかや人の賴めし人を語らひてあふをりあはぬ折ありしかば扇のはなしておきたるに書きておこせたりし10月草のうつし心やいかならむ村々しくも成ぬべき哉語らひて年頃ありつる人の夕さり人のむこになりぬと聞きて筏のかたをつくりて書きてやる加大井川人めもらさぬ今日やさは柚の筏士暮を待らむ正月に空のけしきなどもよしよめとみやの仰せられしかば。浦毎に蜑は見らむ初春のけぬるき風に波やなごまむ男うらみて久しくおとせでNつつかかばばしき〓とは忘なで添てはなどか靜心なき返しか。假にても心を替てみましかば今は長閑に成もしなまし久しくこねば云ひやる。姨捨の月はいかにか出たりし慰め難き人はみるらむこの男つゝみてさるべき折々あふ程に石山へ參ると聞きてかへりて三月ばかりに一逢坂の關のまに〓〓ををみて春のきにける程も知られず返し諸共に逢とも無て逢坂の關のまに〓〓花をみにけむ人語らふときゝ給ひて中の關白道隆一怪しきは濡ぬ人なき染川の懸らぬ袖も朽果てぬべしみちの國のかみこうりをたちぬるつぎのなりとて歌は忘れて侍らざりけり返し霧深く鳴く鹿をみよ瓜生野のげにかりもりの心也鳬公任の君こぞの春やりたりし梅の花を文にさしておこせたればむかしに似たる梅の花かなといひたりしかば梅花昔の〓とをうたがへど空のけしきの變れるやなぞさねかたの君えてきたり此の文ありけるを見て〓まま散散るるやや都鳥ならひありせば後れましやはすけゆき扇をおこせてこれはいかに忘れやしにしと云ひやりたれば時時忘るらむこそ卯の花の影とそふべき我と知ずや御楔の日しのびて語らふ人のもとよりル後ろめた神も聞入ぬとなれば我を忘るゝ御禊しつ覽ある人心うきとやありけむた人心よしみつ潮の今よりは我つらくとも田子の浦波中の關白殿おはせむとのたまひてまへわたり橘のかぎりおほせてすぎ給ひぬればここち風にこのみしるくて橘の賴めしとの過ぬめる哉つれ〓〓なりし日人の文おこせるに一春日野に誰か待とは告つらむけふの子日に鶯のなくかくて得逢はぬ頃風ふくつとめて一ささ草草のゝ本に家ゐしてすはへする日は殊に悲しも此の男おなじ人を田舎へゐていきて京へ上るとて雪ふる日山高み雪ふる里に君をおきて覺束なくも思ふべき哉此の男京より文おこせたるに雪なむいみじう降ると云ひおこせたればニル我のひの風と吹てしは降積む雪はあらじとをしれ日頃ありて夢になむみつるいかゞといひたれば二人知れずれられぬ床の寂しさを誰とか夜の夢とみつ覽るゐなる人のせいすれば逢はでのみあるに、男暮いかにいかにしてかは大井川井堰の水はもりぬべしやは返しヒ大井河井堰に包む我なれやけふ暮方に歎きをぞする劣りたる男柳に文をさしておこせたれば〓吹風に靡くとや聞く靑柳のいと淺ましく思ひよる哉わが心とかれにし人正月に加別れては春に社又成にけれ年は唯にぞ止らざりける又たれも〓〓離れて年頃になりて三月ばかりに雨ふる日cm思いきや春の詠の長閑きに君を雲居になさむ物とは右大將ものし給ひての頃いき所も知らずほかにあれば一「ぷぶれば空に涙もきり滿て戀しき人やいとゝなる覽人のあくがれてこざりし頃ある所に松蟲のなきければ一君をのみ松蟲のねの有物を孰れの野べの露にぬる覽五節の所に忍びてあるに大とのゝ少將にておはせし時見つけ給ひてかゝることなどありしかば三三山山影影眩き影みるにさし離れずば斯らましやはときこえしかば一つつしと云ふ君も理忘られて人めを包む我な怨みそ同じ所にてある男1仄仄にかみはや慰むと思ひしに心をしらぬ心也けり此の男文おこするを女いみじくいふと聞きて岸岸近み動かぬ岩はつれなきに何と聞くらむ波の下水しをるゝもといひたれば4かかれれ動かぬ岸の岩の上にいさ白波の碎けやはするなほきせよとあるに二日ばかりありてわたおこせたればル友づのえの松にも非ず思ひより餘りな懸そ岸の藤波ある人三月ばかり遠き所よりた井手近きいもねぬ宿の寂しきに最ど蛙も聲は立つゝまたあき○秋風の吹けば亂るゝ花薄むすびし心われにつげなむ人をよせざりしかばニ敷妙に臥みふさずみ歎く共猶うかりける身をいかゞせむ伊勢へくだる人みちよりニ鈴鈴山越も習ぬ道すがら戀るはいかに侘しとかしる忍びたる人と居らばいかゞ思ふ限りなめりかしと云へばニ人人ははいいゞゞへむ涙だに心してやは袖を濡さぬ雨ふる日いみじくふるとも必ずまゐらむとあればさらなりとて泣れつゝ忍ぶる袖に比ぶればけふ降暮す雨は雨かはつゝむことありて逢はでのみあるに津の國へなむまかりぬる有るやうに從ひてかれよりも參らむといひたればエロ忍びてもいかゞはすべき蘆の屋の其八重葺の隙も有じをゐたる前より人のいきけるに聲きこゆる程なれば覺束なくてなむまかると云ひいれたれば相侍侘て立てつる聲に喚子鳥雲居ながらも答へつる哉といはせたれば返し七呼子鳥雛を求めてなくならばよそなる聲に慰めもせよ玄のびたる人かはたけを植ゑよとておこせたればA風風けば梢片よる河竹のよゝに馴なばねぞ絕ぬべきじゃ粟田の右の大殿道兼夜ふかく歸らせ給ひて日かげを給はせたりしかば御返り聞えさせし包め共憂に人めの惜ければ明けば日影の眩ゆからましもりといふ所を繪にかきてよみしかばco春春花花あきは紅葉とさそはれて人も立寄る衣手の森龜のかたを作りてこにうす物をはりて螢をいと
多くこめたりさぶらふ人々に詠ませさせ給ひし一君が代を龜のおなじにみすとてや河べの螢光ます覽十月ばかりに思へることよみてと宮より仰せられしかば一隻覺して誰か聞らむ此頃の木葉に懸るよはの時雨を年頃もろともにありふる人よそになりて年ごとに人のもてきける瓜をさゝげることありける年おこすとて三年年に知ず顏なる瓜作りかりもりしつる秋にも有哉中絕えたる人あじろになむ日頃あるとて紅葉にひをを包みておこせたるに四日をへてもいかに訪らむ網代木に夜忍出る人はとにて假初に思ひし人のまめやかに語らふ人いできぬと聞きて移ろひたる萩の下葉に書きて移移ふふろ下は下葉計りとみし程に頓て秋にも成にける哉人のこまつといふ所に侍りしに雪のいたう降りしかば遣はしゝなぽぼらけ思遣る哉程もなき小松は雪に埋もれぬらむ返し〓埋む共雪は消なむ春きなば訪べき人のなきを社思へ遠き所よりたよりあるにとはぬ人に14年年ととすすすすをみざりせば忘ぬ哉と猶頼まゝしさるべき所に夜な〓〓とのゐして曉にはくるものゝほかにとまりたりければねけさみれば露結ぼゝる朝氷とくる物とも賴みける哉忍びたる所にある人文の返りごとせねば歌を得詠まぬなめりとて難波津を書きておこせたれば○冬籠り忍ぶとすれば難波津に咲や木花ちりも社すれゑしたる人のもとに文をやりたりければ返事もせぬに→山彥も答へぬ春の呼子鳥なけとや聲の絕えぬ限りは昔みける人こゆみをたよりにつけて今みづからとりにこむと云ひけるが大方にきたれどまだみえねばニ六日暮しにまち試みむ梓弓はからず人の思ひいでよと返しひひららしに春の恨も梓弓おもひためたるつらき心をかたらふ人多かる男のとほき所なりけるがのぼるときくにまだみかありと聞きて今宵きみいづれの里の月をみて都に誰を思ひ出らむかへし宿毎にねぬよの月は詠れど共にみし夜の影はせざりきよにそらごとをいはれて歎くに文おこせがたく待つ人のたえて音づれねば憂かりける身延の浦の虛せ貝空き名のみ立は聞つや待つ人なきはえ逢ふまじきことを人々いひて此の頃しも日もくるゝことなどいひて袂のみ干間も無くて此頃の朝日にくるゝ空をみる哉人のもとより今宵はいきやすべきとあればよしさらば戀しき〓とは忍つゝ堪ずば堪ぬ命と思はむ返しなししの恐ぶ計にあらばこそしぬる待間の命思はめ今宵かならずこむとて來ぬ人のもとに七ce休らはでねなまし物をさよ更て傾く迄の月をみし哉四月つごもりがたに昔さぶらひし友だちのなきことをいひたれば今更に忍びぞわぶる時鳥もとつ人よとねのみ泣れて同じ所にすゑてたましづめしてまゐらすとて一身から社とにも斯にもあくがれめ通む魂の〓絕だにすなとて參らせたれば世世も皆あくがれにたる玉なれば裏なきつまに止る物かは語らふ人のあはぬ頃郭公の鳴きつるは聞きつやー五八三二集侍內馬といひたれば心のみ空になりつる郭公人の爲なる音こそなかるれ七昔みし友だちのかもの祭の次第しに出でゝかくなむ參りたるといひたれば君しもあれ道の往來も定む覽過ぬる人は且忘れつゝ鞍馬に參りたるに鳥居のもとに櫻いと盛りなるを見すべき人もがなと思ふにもあかねば都都ももなべてはいはじ櫻花誰に匂ひをまづ語らまし瀧を落せばいろ〓〓の花うきたり七山高み亂れて落る瀧の糸はあや定まらぬ錦なりけりつゝじ椿の花さきたる所にて〓鞍馬山覺束なしと人とはゞ名には違へる道と答へむ昔見し所の花をある所に植ゑさせ給ひたりければ參りたれば〓かかてて匂ひおとるな梅の花昔忘れぬ人もある世にまたある人oの梅いく年春を隔てゝか昔忘れぬ今日にあふらむまゐりたる人一知る人に匂ひなかけそ梅の花昔の〓ともいかで忍ばむ昔の友だちのもとより大きなる橘を文の中にいれて類類なな戀すす人人ああたりには花橘もか計りやなるかへし思ひきや花橘の香ばかりも戀しき人にならむ物とは正月ついたちの日今は年頃とも聞えつべしといひたれば0年はかく改たまるめる世中に雪降增る身をいかにせむつゝむとのみある人に峯の雪谷の氷にとぢられて跡みえがたき三輪の山本返し三輪の山印の杉もみえぬまで降積む雪に跡絕でやはある人この人を語らはむと人にもいひ文をもおこせむと思ひける程にそヾろなる公達なんどの女語らふと聞きて菊にさして散ずとて菊に心を懸たれば花こそ痛く移ろひにけれ友だちのもとなりしその人に離れて又の年中の子の日の松を結びて今日は中の子の日とは知らずやとて〓誰を今日待とか云む斯計忘るゝ中のねたげなるよに始のやうにもあらずなり侍る人の寢とごろに扇を忘れたるやるとて朝まだき荒行く床に我を置て又忘らるゝ習ひ也けり暫し賴むべくもあらぬ人の許に〓るるにに就定むとみし夢は明る夜頃をいくよ數へむ七月七日けふの空のけしきいかゞ見るといひたれば〓歎きつゝ天の川波詠むれば絕まがちなる雲ぞ渡れるおなじ日をみなへしを植ゑよとて人のおこせたれば一彥星に忍ぶる人やかよふらむ今日しも匂ふ女郎花哉いたく荒れたる人の家に紅葉ちりて人もをさをさなきが菊おもしろく立てり女ながめたるに〓木枯のしげる紅葉に跡たえて人もみえこぬ宿の白菊いみじき事ありともよそ〓〓にならじと契りける人さしもなくなりておかせたる手筥をさへにこひにおこせたればやるとて玉櫛笥身はよそ〓〓になりぬ共二人契りしとな忘れそ人ようさりこむとてこざりしを其の懈りをも知らむとてようさりは必ずとあるに待待の過のみ行けば大井川賴むる暮も如何とぞ思ふ時々みゆる人うまやそこに入りたるといひたれば
あくがれて行へも知ぬ春駒のなも影ならでみゆるごそなきある所の御まへに菊あはせ給ふとてあるものゝ月あかきにこひありくをみてか月影に紛ふとや思ふ菊の花移ろふ色は〓とにもある哉はらからなる人のはゝきといふ所にて音もせねば便につけてんゆかば社逢でもあらめ帚木のありと計は音づれよ君なかあしくなりし人秋になりて此の頃はいかにといひたればかんししれれ寢寢の風も知ざりき秋珍しき頃にも有哉返し0君により人を戀しとしらるれば君を哀と思初めつるゆのこ島といふ所を句のかみにすゑて。行返り長閑ならねばこし方の忍ぶ計に待つ人もなし世の中のいとはかなき頃昔さぶらひし所に。いかゞせむいかゞ云まし蜩の啼ても餘るよの儚さをさるべき所にて忍びてよる〓〓きける人まかでてつとめて00秋近き萩の下葉の懸てだにもりにし露ぞ夜は露けき返しoかげ草の下葉に懸る露にても戀しといかに思出けむものへ行く人にかゞみとらすとてx0みなれよと添る鏡の影だにも曇らですぐせ人忘る共東三條の花を瑠璃の壺にさしてたのごひのはこにすゑてこれは散りにけるをあたらしくさして參らせよとて少納言の藏人に遣しゝお櫻ばな誰に心を通はしていかに匂をとヾめざるらむさぶらひし人のほかなるに文給ふとてものあめの內の同じ忌垣の都鳥馴にし友を尋ねてぞとふおろかならず契りせる中いかゞありけむ、男No君も云ひ我も契し言の葉は斯しも枯む物とやはみしゑに女の物へまうでつる山路に色々の花ちるをとゞまりて見る加色々の花の心をちらざらば故〓ありと思はましやは此の頃諸共にある人つとめての萩のけしきなんどいと哀れなる必ずおきて見むと契りてみるつとめて霜露といふものなし前栽どもよく乾きたり憂きこと限なくて〓萩の上の枝もたわ〓〓置露を露けさ爭で乾きたる覽この曉にとくおきむこれは遅きなりとて起きよといへば一結置てとくと思ふ共小蟹のいかに纒はむ露ならぬ身は物語りする人いづくにかあらむわがやうに絕えてねぬ人はあらじものを誰と語らはむと思ひつゝねられぬに夜ふけて郭公のこゑ一たび鳴きてやみぬればいづこならむと覺えて宿々になくねは夢か郭公ねぬ我ばかりきく由もがなやんごとなき人の御文一たびありて又おとづれもなければ五月つごもり頃にニとぶ螢まことの戀にあらねども光ゆゝしき夕闇の空衰へはてゝうぢ院に住むに歸る雁をきゝてととまらむ心ぞみえぬ歸る雁花の盛を人にかたるな殿上にてなき名を云ひ立てければ燃燃れ〓の燒野の燻る上に見えぬ無名をおほすなる哉集師法慶惠惠慶法師集初の春あありする與謝の蜑人誇るらむ浦風ぬるく霞渡れり二月二日相坂こゆる程に鶯の聲を聞く故〓へ行く人あらば言づてむ今日鶯の初音きゝつと關守に口かためてぞ我は行くなきぬと〓ぐな山の鶯ある所に屏風のゑに正月山里に梅の花ある家を男かいまみたり我我の梅は常磐に匂はなむ人め戀しと思はざるべき二月山里に櫻ある所を男見る°みみこにも花なきならず山櫻尋ねて惜む心知らなむ三月藤柳ある家を男ゆく一こむらさき柳の糸によりまぜて花の錦は我宿のもの四月神まつる所郭公なく神まつるしるしありても時鳥けふ初聲を待出たる哉五月菖蒲ふける所を男馬ひかせて見る我駒の常はすさめぬ菖蒲草引並べては今日社は見れ六月よる宿の戶あけて眺めたる所明てぬるかひ社無れ我宿の槇の板戶に人し入らねば七月七夕まつりて盥に水いれてかげみる天の河影を宿せる水鏡たなばたつ女の逢瀨しらせよ八月相坂に駒迎望月の駒ひく時は逢坂の木の下闇も見えずぞ有ける九月志賀の山越七霧も立ち紅葉も散れる瓜生山越え惑ぬる今日にも有哉十月山里に鷹すゑて人きたりべににんるんなかりせば昔みし都の事を爭できかまし十一月あれたる女琴ひく男きてとひたりた露霜もとまらぬ宿に最どしく彈琴の音に袖ぞ濡ぬる(8) cmこぐ船の岸の藤波高ければ先心をぞよすべかりける花おもしろう咲きてすのこに男ありニーがざりし人も訪べく我宿の花の盛をすぐさずもがな海のほとりの社にまづる人あり三思ふ事みつ潮よする浦にます神のみ社仕へてぞゆく山里の垣根に卯の花咲きて女みるニ卯卯の盛となれば山里のかた〓かする住ひをぞする初秋秋といへば契置てや結ぶらむ淺茅が原の今朝の白露馬にのりたる人秋の野をゆく1秋の野の花に心をよせつゝぞ駒促さぬ今日にも有哉人の家に女どもきたり〓我宿の物とのみ見ば秋の夜の月夜よしとも人に〓まし月夜に笛ふきて男ゆく七月影に笛のね痛くすみぬ也まだねぬ秋のよや更ぬ覽山里の人の家に菊の花あるじ折りてつくろふ霜雪にあてぬさきより菊の花繕ふ人の袖ぞつゆけき子日の所カニ二よよ相相してもみてしがなけふ契つるのべの小松と人の家の遺水のほとりに山吹さきたる〇千年すむ水に影さす山吹の花をのどかに惜むべき哉人の家に櫻さきたり一櫻花人の心の割なさはあくともいはじ千年みるともやり水のつらに山吹の多くさけり水鳥遊ぶニ水水の流るゝ河の山吹は影をのみこそ厭ふべらなれ月おもしろき夜紅葉をみて人々ゐたりニシ紅葉を惜む心のわりなきにいかにせよとか秋夜の月秋の月山にしかなく秋夜の月見るだにも飽なくに鹿の音さへも鳴添ふる哉秋山のほとりに人々ゆきて紅葉みる紅葉みに草の枕や結ぶべき今日も暮なばあすもすぐさむ田のほとりにかりする人あり大学早とと己己が作らぬ秋田を刈にきぬとや田主谷めむ正月ついたちごろ人々諸共に初瀨に參る道にて春日野をみやりて集師法慶惠
霞わけ若菜摘にや止らまし春日の野べも近づきに鳥同じ頃近江へ罷る道に鏡の山の本に雨に逢ひて■TM鏡山こゆる今日しも春雨の搔曇りてや降べかりける昔人の家ありける所の前なりける櫻のいとおもしろかりけるを見てかあさぢ原ぬしなき宿の櫻花心やすくや風に散るらむ人ともろともに市原野の子日3二二なな野野のの小松に〓よせて木高くならむ蔭を社まて大和にまかるにゐでと云ふ所いとおもしろし一山吹の花の盛にゐでにきてこの里人となりぬべき哉中務の君山里にゐて春の歌十ありけるをみる其の題は峯の霞、谷の鶯、殘りの雪、春の風、櫻遲しニななぬやと立居まちつる鶯は谷の內より聲ぞ聞つる殘りの雪五十春立て殘りの雪は消ぬ共花を形見にみてもへぬべし春風■あら玉の一夜計を隔つるに風の心ぞこよなかりける梅xににふから(下櫻おそし山山ままつに心を盡しては惜まむ程もいかにせよとぞ柳一五春くれば梢もしらず靑柳のいとに心をよせみだる哉をかの松〓語らはむ人もなき哉山里は岡の松風そよりほかにはか春を淺み旅の枕を結ぶべき草葉も若き頃にもある哉こひ〓古〓をこふる袂は岸近みおつる山水いづれともなしある所に櫻惜むに〓櫻花待とせしまに春くればそならぬ事思いやはする山里に人の許にて櫻のちるをみて櫻散春の山べはうかり鳬世を遁れにとこしかひもなく年還りて二月になるまで待つ人の音づれねば云ひやる百千鳥聲の限は鳴きふりぬまだ音信れぬ物は君のみかうぶりやなぎ靑柳の糸は綠にあるものを孰れかあけの衣なるらむ東山に花見にありくとて山櫻山櫻近くみむとの心にて今日は霞にかくまるゝかな稻荷に歌よみて奉るとてしもの社に稻荷のやみつの玉垣打たゝきわが願言を神も答へよなかのやしろ稻荷山みつすきなかに增鏡我とたてゝ賴むかひあれかみのやしろ思ふ事ならざらめやは千早振神のみ前のみくま草也深き山にすむ聖の許にまかりて尋ぬるにあんしちの戶をとぢて人もなければ歸るとて書きつく草の庵り指てきつれど君まさで歸るみ山の道の露けさひじり返し〓〓果果てゝ風も拂はぬ草の庵我はなく共露はもりけむある所にかたわきて草合するに〓種なくて無物草は生に島蒔といふ事は有じとぞ思ふ一日郭公まつ心-鳴ず共鳴らむと社またれけれ驛山時鳥けふはいっぞは神なびの杜の前をわたる神なびの杜のありすの郭公一聲きかでゆきや過けむ語らふ人の深草といふ所にありと聞きて遣す深草の家ゐ絕ぬとせし程に袂さへこそ露けかりけれ返し淺かりし人の心は深草の中を分けては訪じとぞ思ふある人の鏡のはこに旭さす鏡の山は曇らねど峯の朝霧たえずもあらなむ語らふ人筑紫にくだりて年頃おとづれでたよりにつけて云へる花鳥をみても君しも忘れぬは都の方の人にぞ有ける返しN都都君に後れし春よりも聲なきよわる我と知らずやおほしまの鳴門といふ所にて潮みちまさりて2都都とと急ぐかひなく大島の灘のかけぢは潮滿にけり語らふ人のとほ國へまかるに鏡とらすとて〓別るれど影をばそへつます鏡とし月ふとも思忘るな五月五日めづらしき所にまかりて一香をとめて訪人も有や菖蒲草怪く駒のすさめざりける六月人海松院に涼みにまかりたる〓大井河岸に影さす海松の風にやせヾの波も立つらむ梅津にて鵜舟のかいりをみて「海津河ともす鵜舟の篝火に底の水屑も隱れざりけり七月七夕七夕のあふ夜のかずを徒に過す月日になす由もがな八月遠くまかる人に扇をとらすとてハ扇とて假に羽風を吹程に別れむ程やつくべかりける同じ人かりの聲をまつ荻の葉も稍打戰ぐ程なるをなどか雁がね音無るらむ同じ頃河原の院にて、あれたる心すだきけむ昔の人もなき宿に唯影するは秋の夜の月蟲のね袂がへする物にもが蟲の聲衣の袖もそぼち果てぬる東山にて月あかき夜久方は手にとる計り成に島雲のゐるてふ寺に宿りて蛬の聲〓唐在夜風涼しくなる故にきり〓〓すさへ鳴亂れつゝ鳥のこのやうなる瓜をある所に奉るとて「我君のますべき千世の印には鶴のこに社瓜も成けれ瞿麥をある所にたてまつる山賤の垣ほ乍らにみるよりは色優るべき宿に移さむ返し宿わかず露だに染むる物ならば曦元の垣ほの色は變じ或るところに瓜やるとてハ瓜生山秋立鹿の假もりに露けきめをもみつるけさ哉同じ人の許に靑つゞらをこにくみて棗栗などを花にまぜてやるとて繰返し籬の內に花つめばいとまかりにも有とやは思返しわざと社栗はなつめれ曲木に這まつはるゝ靑葛籠哉九月ばかり花見に人々まかりて秋野の花(歌〓)霧を玉鉾の道行きちがふ狩人の跡見えぬまでくらき朝霧花ずゝき秋秋にかずへてなびく花薄心よせある方やなからむつゆ拾へ共袖のみ濡て留らぬは玉とみえつる露にぞ有けるしか〓遠山のをにたつ鹿の聲聞てもて離れても濡るゝ袖哉はぎ。濃紫たが袖かけし衣ぞとみゆるは秋の野萩なりけりきり〓〓す。〇鳴く聲も我にて知りぬ養浮世背きて野べにまじらば來るかりo珍珍ととひひし中に初鴈の待とせしまに老果てにけりをみなへしco 色に社我はみえけれ女郎花名にも違はめ物にぞ有ける秋風に老をなげく10秋風の吹につけてぞ歎きつる世にへむ程は短かりける帥の大臣筑紫にくだり給ひて後西宮いきてみる集部:慶惠
いと哀れなりね松風も岸うつ波ともろ共に昔にもあらぬ音のする哉なくなりたる人の西の京に住みし家にいきてみれば籬の菊の哀なるをt植植きし主はなくて菊の花おのれ獨ぞ露けかりける紅葉を始めてみる°0唐錦織つむ峯の村紅葉見初る今日はあからめもせず語らふ聖の隣なる所にきてとはざりければか親きも疎きも無と聞しかど分きてしもやは訪べかりける返し。玉鉾の道行摺にとはずとも常に心に行きかふものを十月ばかり初瀨にまでゝ歸るに日くれぬれば佐保山の麓にやどりて夜なれば紅葉みえぬ心人々よむに一佐保山の風の心も知ずして紅葉みずとや今宵明さむ又のあしたに山霧にかくれたりニ紅紅みにきたる我とも知らればや佐保の河霧立隱すらむ深き秋ニ紅の色どる山の梢にぞ秋のふかきはまづ知られける十月大井河の紅葉みに人々まかる所に『大井河川べの紅葉散らぬまはとなせの岸に長居しぬべし十二月ある所の歌合させ給ひしに、松、庭の梅、冬月、池の氷むらたづの宿れる枝と見るまでに松の綠も埋む白雪庭のうめ〓白雪の古年ながら庭の梅は花と喞ちて匂ひやはせぬ池の氷波よする葦のうらばも音せぬは池の氷や閑果てぬらむ冬の夜の月天の原空さへさえや增るらむ氷と見ゆる冬の夜の月近江にひらと云ふ所に人々まかりて題ども出して歌よみ侍るに、山河の紅葉一唐錦あはなる原によりければ山水に社亂るべらなれ夜の嵐〓〓〓葉葉ゆゑみ山ほとりにやどりして夜の嵐に靜心なし寢覺のしか一人もこず隣たえ渡る山里に寢覺の鹿の聲のみぞする岸のほとりの菊岸近く殘れる菊は霜ならで波をさへ社凌ぐべらなれ水鳥波に遊ぶ一見人は沖つ荒浪疎けれどわざと馴ぬる鴛たがへかも初雪のみねをみて水だにまだ山川にむすばねど人の垣根は雪降にけり綱手ひく舟をみて一定みなく波路に通ふ蜑舟は孰こを宿とさして行らむ波の聲をきゝて磯堀に騒ぐ波だに高ければ岑の木葉も今日は止らし風の音の高きを聞きてせひらの山紅葉よのまはいかならむ岑の村風打頻り吹歸さに北山よりこゆるに紅葉いと多く散りかゝるにル山繁み木の下行けば紅葉も衣そぼちぬ雨とこそふれあるやうどなき所より菊の移へるを戴き參れば山山に匂ふをみれば菊の花たきどの籬思ひこそやれ年の終に曆のぢくのもとまでまきよせたる心を人々よむにまきよする曆の心恥しく殘りの日々に老みえにけりつごもりの夜としの行きかふ心人々よむに一隆雪に霞みあひてやいたるらむ年行違ふよはの大空住吉に人々までゝすみよしといふ心をよむ三つがとはヾ神世の〓とも答へなむ昔をしれる住吉の松河原の院あれたる心人々よむ草繁み庭こそあれて年へぬれ忘れぬ物は秋の夜の月とやまの軒ばの這よりたひゝきこゆるやうにするをみて見るからに消社しぬれ軒ば行人は露けき道やわく覽ある所にて瞿麥を惜む11心心に歸れば苦しなほざりに宿やからまし撫子の花ある所に、洲の葦、草の螢、夏の夜の月如飽迄もそこの月影見べきに蘆のうら葉の山に隱れて草の螢三水水の跡踏ならす我ならば草の螢をよそにみましや夏の夜の月〓〓鳥何何らぬ哉夏の夜の月みるほにえん思思ああせて重之子に後れて悲しぶと聞きて遣すた契あらば又は此世に生るとも面變してみも忘れなむ或る人かはらに出でゝ道遙するに風のいみじう吹けばいひやる『青葉なるかもの河原に群居つゝあけの衣は凉しかる覽返し能宣のあそう一夏夜立ちいでゝ涼む河風に却りてけふは人ぞ戀しき草子の繪に須磨の浦のかたを書きたるにかみの社に舟より行く人の波の高ければたよせにみてぐら奉るたよせとは思はざらなむ渡つ海に祈る心は神ぞ知らむ一自雲に色みえ紛ふ御幣をたよせにうけよかみの此神同じ繪に旅ゆく人十月ばかりに紅葉のもとに宿りたるを』行末も紅葉のもとに宿らまし惜むに旅の日毎へに鳬前栽あはせの所IN勝負のかずには露を置てやは花と花との色に比ぶる四わらはべはかたてゝとりとる-思と無き世なるべし村鳥の今日は鳴音も絕て聞えぬ紅葉に鳥のゐたる所紅葉みて歸らむ方もおぼえぬを呼子鳥さへ鳴山路哉石にうみ松の生ひたる或る所に奉るハ動きなき巖にねざす海松の千年は誰に波もよすらむ水無月ばかり河原の院にかれこれ集まりたり加跡絕て荒たる宿の月みれば秋の隣になりぞしにけるあるみこたちの御五十日の洲濱にcm千年すむ水の流はいとゞしくそこの梢の數をさす哉又一萬代の波の間なくも寄する哉鶴と龜との遊ぶ濱べに或人以家(定農)家卿自筆本書寫予又以其本寫之魚營章草之誤可有之重而得證本可有校合而已明曆二丙申五月廿四日徵磐安法法師集後の世にみむ人は好けるやうに思ふべけれど多くの年にかのはらの山のすまひ心細き折ふしの哀れなる事の堪へがたければ春の花のさかり秋の紅葉の落つるほどに川風のあはれ夜深き程をしどりの曉がたのこゑ月影の池水にうかび雁の草むらにかゝり哀なる折ふしに人知れずいひ集めたる言の葉さま〓〓につけつゝ多かれどたゞ一つ二つぞ覺ゆるを書きあつめたるなりついたち春立つつごもりの夜二暮はつる年惜兼ね打ふさば夢みむ程に春は來ぬべし雪降ると衣重ねし程もなく花の紐とく春は來にけり春の日ある人だい出しければ師法法安三三〇四二
我我の今朝の朝霧見渡せばさほの河原に立渡りけり秋のあらし五秋秋の夜のよはの嵐の微せば寢覺の床に起ゐざらまし花ずゝきEホ籬より穗にいでゝみゆる花薄誰が文結ぶ枝と成らむ女郞花一五吹風に類ひて靡く女郞花たはるゝ樣に人やみるらむ白露〓の〓にのよにとよえ吹風に落る淚は露やおくらむ秋はぎねほほり植ゑむ下紅葉する秋萩に鹿なく程は空に知べし鹿A孰こにか鹿の初音は聞ゆらむ萩の下葉の見まく欲さに來る雁→くや〓〓と下に待るゝ腫音は音づれつらし今ぞ鳴なるなく鹿ニシ紅葉ばや風の吹らむ打侘てうらこき聲に鹿の鳴なるきり〓〓す我が如く物思ふべし養ぬとも聞えで夜もすがら鳴く六條の河原の院に昔むつのくにに鹽竈の浦浮島籬の島うつし造られたりければおとゞかくれ給ひて躬恒貫之など聞きつゝ詠めりければそれはいと限なければ人のよまぬを試みにて忍びによめる年年りりああぞあれたる鹽竈の浦の煙は又ぞ殘れるうきしまおおきつ波たてば漂ふ浮島は昔の風のなごりなりけり筑前守つねみつの君のくだりて九月一日の夜夢にみえたりければあひ思ふなかなればいひやる夢にても夢としりせば寢覺して飽ぬ別の物は思はじ前の和泉の守順の君つかさ給はらで近江のやすの郡にあるにいひやる世を海に思做てや近つえのやすの住ひへ君は行らむ山の僧正日野にともゆひといふ所に宿りていまずかりける船船にて舷ゆひ里に宿すれば解てねられず波の聲して三河の守ためもとがもとより世の中のはかなきよしなど書きつゞけて哀なることどもいひおこせたりける返り事の奧に定なき世をみの上に思つゝ明し幕すは誰によりてぞおなじ君のきやうにありける時すやうをさゝのれうとておけりければかくなむいひたりけるためともco櫻木を置てきつれば夢にても踈からむとは思はざり鳬駿河守かねもりの君あふところことに院の鹽竈參りてよまむといひけるをこでくだりにければ文作りて加へてよめりけるやらずなりにけり一鹽竈の浦はかひなし富士の根を寫さましかば來てはみてまし和泉守やすひらの君あや筵に文つくりてくはへてありける返し打ふさず綾の筵の中よりぞ錦に織れる文もみえける人々泉ぬるくして草の色春なりといふ題をよむに岩間なる泉ぬるげに成ぬれば汀の草に春は來にけり貫之を(6元)よみあつめたる歌の集を惠慶かりて返すとて歌よめるに皆人々よみしきの家のくせに殘れる言の葉は花こそたむれ塵の上迄七これは本あることなり天元二年大風ふき大水いでゝみなきもなく池埋もれて後君のとへるよに松もなく池もあせぬる宿なれば風も音なく月も缺せじ相摸の守しげゆきの子むつの國に母君のもとに集師法法安ありけるが人に殺されたりければ母の悲びの歌ども詠めるを見ていひやる愛にこひ彼處に忍ぶよヽ乍ら夢路ならでは如何逢みむ老楚だだばの衣を裁重ねしでの山路に露けかりけむ神無月ばかりに飛驒へいきけるに越の尾山をみるに紅葉のなかりければ彼此して詠めるN越のをの山も紅葉のまだしきに外より時雨くるま也鳬比良にいきてつける程に山に白雲かゝりたりけるをみて九N千千振ひひらのみ山の紅葉ばや夕かけ渡す今朝の白雲綱手ひきつゝ行くをみて〓白波のこと汚れねば賤のをの綱手急げる舟も行かふ山河より紅葉ながるゝを見て山山の水嵩まさる紅葉ばは水上にこそ雨と見ゆらめ寢覺に鹿のなくを聞きて〓紅葉ふる木下風に夢覺てうらなき鹿の音をも聞く哉時雨のふるに紅葉の散りまがひけるを見て大大に梢や心あはすらむ時雨と共に木の葉ふりしく八月十五夜に阿彌陀の念佛しけるその夜西に入る月の光を今宵より露の身にこそ宿し始むれ十二月廿日曆のはてぬるを人々よむに1卷卷する曆をみれば春日野の若菜摘べき程も來に鳬稻荷山の影の池に映るをみてゑしの君よませ給ひけるに人々よむ池の面に影を映せば稻荷山みつのみ垣に波やよす覽高慶といふ人はじめて來てよみていれたるい主やたれ池も泉も昔にてそれか何かは君ぞすみけるとあるかへし〓皆人の栖の家は變らねど身を沈めたる我ぞことなる歸る雁の曉がたに鳴きけるに人よみける今なむと別に鳴くか雁音は花を幣にて我はたむけむ正月一日の昨日までいづこなるらむ春電年の返れば立歸り來る誰ならむ藤の花惜まむといひし程に隱れにし人をこひて一惜まむと云し花だに散らぬまに無くなりにける命也鳬そうの南山にこもりていますに世をそむく山の南の松風に苔の衣や夜さむなるらむ和泉の守やすあきらの親の服にて純色の扇おとして歸りにけるに書きつけてやる〓染染の扇の風は秋よりも心すごさは夜々まさりけるひんがし山に鹿のはじめて鳴きけるを聞きて籬なる萩の下葉の紅葉みて思遣りつゝ鹿の鳴くなる人々あつまりて初紅葉よむに我宿の紅葉の錦たちつれば衣かへすと人や見るらむ郭公さつき鳴くを聞きてかたをさして醉にけらしな五月雨に立居亂て鳴く郭公月のいるを惜むに惜め共かひなく月の入ぬるを雲路をしらば後れざらまし六條の大納言殿の辨の君のおはしてよみておきておはしける池池かみ松の綠の色みれば今一しほは波ぞそめけるとある返し風ならで訪人もなき古里の松にかひ有る春も有けりひごの少將扇に大井川に馬ひやしたる書きてよませ給へるに。望月の駒引立てゝ冷しけるみやは桂の渡りなるらむ題どもしてよむに秋風をさぐりたりし。夏衣まだひとへなるうたゞねに心して吹詰50秋の初風いせといふ人の歌どもの題かき集めてやれるに。〓〓おふる河原の宿の遠近にみゆる物々君にいはせむいけづらにかしら白き女のうきなぎつみけるを集師法法安
みてco老人の摘つる物は澤べなるよをうきなきの下葉也鳬ぜん齋宮のれうとうもちきの朝臣法師になりてひんがし山にありけるに侍從のおもとの諸共にありてかく心細き住ひをなむ心口るとて奧に一世を捨る人に後れぬ人のすむ秋の山べを思ひ社やれ大宮のすけの君ひはだ色のうちもを法師の爲にかりてかへすとてやれたりけるをよもの海に年經る蜑の潜きつる藻もいと斯は亂れざるらむとある返しか汐さして見えもしつ覽渡つみの蟹の刈藻も刈人からに又かへし10年をへてよもの數多のとさの海に斯てみるめも乏しからじを又〓0鳥籠の海に〓き汀の年ふれどみるめもよせむ物とやは知る筑紫にくだる人おほくの歌こひたまへる人にか。止れ共いきの松原思ひやる常磐にのみも詠むべき哉宮のすけの君枕をこにうちとりて又のあしたにおこせ給へる〓五月雨のよも明難く敷妙の枕定めていかにねつらむかへし一暫しこそ枕ともみめ又もこば夢語せじとおもふ枕を九月一月影も嵐の音もさえゆかば思合せて戀ひむとすらむにしのきやうにて神神月紅葉ふる里荒にけり時雨とみえて袂ぬるれば風の紋梢の色のくれなゐの霜のおくにぞ色增りけるかへし〓ははこの時雨のあとの雲をみて己れ梢の錦とぞみる白菊の籬のうちに咲き亂れたるを見て大空に籠たる菊の籠かも星まだらにて花のみゆるは入道少將の御もとにいひやりける今はとて世を近けむよゝよりも思ひ社やれ木葉散る頃ある人の霞霧をみて始めよめるによみつけたる谷の霧峯の霞は從兄弟とか春と秋とはいもせ山かなある人きみの御文とて年の內ぬえに歌よみにくはりて(如元)た古は待れし春も待れずや花につけても問つべければ醍醐の座主の文の山にこもりたまへるにc大大の緣りと聞けばまだみねど雲に埋る跡ぞゆくしき師走に若菜のあついものおこせたれば一春日野は雪間も有じ古年は爭でにたるぞ春の若菜は返し一君が爲年をつまむと占し野に若菜は雪を打拂ひつる十月ついたちに山々のもみぢわたれるをみて三大凡の野山の紅葉みるからに先身の上の霜を社思へ庚申に題を探りてかりまつ心を衣うつ音に合する雁がねは孰こ計にかりはきぬらむその庚申の夜は七月七日なりけり七夕の心一彦星のあかぬ別の涙ゆゑ天の河なみ立ちやそふらむ秋の月一日の時雨にたいかならむ奧山かとの初時雨都はたゞに心ぼそきに天王寺より上るとて舟にて菩見し難波がたにぞこがれ行くといふに惠慶まつといふなりすみよしのきしさきの周防の守元輔うまのじよう兼澄を題にしてよむ、花のもとにて珍しき人にあへるヘはは花花と人とに暮してむ孰もたえむとの惜しさに北山に花のをり人のもとにゆきて花の色も又鳥の音も夜深きにいかなる人の栖なるらむ歸るとてcol春山の花に折とる袂をぞ都にとはゞつとゝ云ふべきかれこれ北山に花みにいかむ諸ともにとあるをおそうなりとまりていひやる一身はとめつ心はおくる山櫻たよりの風に匂おこせよひんがし山の花をみて山はるけ霞の中の櫻花ちるも散らぬもみえぬ今日哉三月十一日元輔兼澄などして詠める荒にける宿には花も知られねば山の櫻をよそに社みれ兵部卿の宮にて雨のうちの花といふ心をそぼつとも花の下ぢを宿はせむ匂ふ雫に心そむべく藤の花をみて1年年れば色濃さ增る藤の花いせゆく笠の物と社みれ三月つごもり一世にあらば又も逢ひなむ春なれど命を捨てけふ惜む覽天王寺にてなみの聲を聞きて都出でゝ幾日計に成ぬらむ覺束なみの浦によするは返し惠慶ル難難潟名に辛き世も思出でむ覺束なみに袖はぬる共同じ寺に椎の柏木にいみじくなりたるをみて柏木もこのめも老いて有物を昔の人のみえずも有哉ある人に代りて惠慶〓楢の葉の薄すく程も君が來て訪ふに附てぞ露けかりけるかんきみのごの河原の院にこむと契りていませざりけるにいひやる一松も老い嚴も苦の結ぶまで命くらべに訪はぬ君かな返し"我も行て衣の袖にかきなでば君が巖の苔もみえじを又三三年年に一度なづる袂をば二葉の松もいかゞ待べき四月一日過にける花を恨むと詠むれば俤にこそ花もながむれ100春春孰く計に歸るらむ立ち留まれといひややらまし雨の中の花お露だにもいかならなくに花を唯いかならなくに袖朽ぬべし二月はじめて花櫻をみて今日ぞみる春の櫻は咲きにけり殘の雪と思ひける哉老を思うて三首NH老にける身の上泣けば落止る淚の影にしわざみえ息加老ぬれば南おもても凄ましやひた赴きに西を賴まむ四月廿日より郭公きくらむやといへるにcm径掻分て鳴くかはそこの郭公隔つる人のきかぬなるべし左衞門殿の太郞ぎみのおはせむとの給ひけるにまだおはせぬにかくれ給ひければユかゝりける露の命を置乍ら花見にこむと爭で云けむ一見ぬ人を惜む涙のためしには我袂をぞ殘し置くべき六月三日かゞのすけはなにこと一つの給へと云ひはんべれば二五君くれて心細きもおもほえず秋の夕は我をとはなむ返事(面元)又かへり〓ままとと露の命の賴れず夜な〓〓と社云べかりけれ五何事をいひ殘さまし世中に老の形見と人の云ふべく秋の日かゞのすけないきなどして老を歎きて畑百年の秋の嵐はすぐしきぬいづれの暮の露と消なむ昔みし人みちに老いはてゝ逢ひて共に老いたるとをいふに44命あれば又老人に逢に是誰先だちて戀ひむとすらむ中川の絕えはてにける跡をみてハ中中の水絕にけり末の世は秋をも待て枯やしにける天元二年大風吹きける折の歌のおいたる由をかけふ迄は昔ながらに老にけり後れ先だつ末ぞ知れぬ.TI屏風の繪にた(原引む)人の田刈るを見て
〓我宿の門田の稻も刈兼ねて歸らむ駒の爲と待つらむ同じ屏風に釣舟沖に出でたる〓〓雲〓〓漕〓〓〓〓らつみの蜑の釣舟年をはこびてくらの內侍今はとてひんがし坂本にいきけるを聞きてやりける百數の世をへし君が遁行く柚さはとこそ思遣らるれ此のおとヾ辨の君の子生ませ給へりける七夜の歌人よませ給へりけるに六ニ高高のうまごの松の枝なれば千年の風も仰ぐべき哉ある殿ばらより屏風に駒ひき白河にしたるを書かする所に詠むべき歌ども祭のかへさに北野に醉ひさまたれたる樣とかゝするをなども云はじ忍びて詠めとありければ白河に水かふ靑の駒引を波の立つとやよそめしつ覽とのゝへし加茂の社のゆふ襷解くる旦ぞ亂たりける立ちの獨寢を見にこそ來つれ我ならで松が崎にて衛住けり蓮のいとをかしきを立ち寄りて見ればいかなる影か見えけむ地水の氏なる我も老にけりかげに蓮と見るぞ悲しき山中に枝も葉もなき梔子の唯一つ二つなれるを此は此耳無山の梔子かいふかひなくにみも成にけり池づらにはらひける藻屑くちふさにあり〓〓捨捨池池藻のとて朽たる身にも哀とぞ見るこの下の汀に蘆穂やう〓〓出でゝ立てり一人知ぬ影とや賴む葦の穗の今日はまほにも出にける哉山のしりへに沼ありかみも下も見えず唯に流る行く所あるべき物を沼水の出でこし方も思ほえぬ哉水のいと深き所に柳おひたりヨン誰か見て名につけ初し淺綠深き江にこそ生始めけれみ山のしりへにくさ〓〓ものおほしたる中にたて石あり水のしりはかはやなり音に聞くたて島かとぞ思ひぬるからき水にも漬てみる哉み山のしりへにいたりてすさびして豬寢はかひなかり見駒なべてかげの厩と待て賴まむもちふん年頃いひ渡るに難面ければ藤にさして久ししをを待とや藤も思ふ覽かゝるを歎く宿にしも咲く猶つれなきを日頃音もせで卯月になりて卯花に期暮て日頃へにけり卯花の憂世の庭に歎きせしまに返し最どしく日頃へ行けば卯花の憂に附てぞ忘果てぬる同じ人物語りなどしてつとめてそんそこはかと指て莖なき言葉の道に他ぬ今朝ぞ戀しき又いかなる折にかもちふんのむば玉の夜にも文は非ね共見えぬは闇に劣らざり息小馬命婦集堀川院にさぶらふくち女のかへり日いみ給ふとて殿も上も殘りなく出で給ひぬはかなき身はかゝるついでにもと思ひてつれ〓〓に覺ゆひんがし山より見ゆる家ども見むとてたゝずみ出づるにそれよりもめでたき池ところ〓〓を見て人の國せかいもかくやと思ひやらる人々あれと聞かせむと思ふ人ありて思ひいづるたはぶれごとぞ水のつらに不用にて捨てたる舟あり譬へつゝ岸のほとりに身を捨て繋がぬ舟も閑かりける洲崎に松いといたうて立てり見にゆけば千鳥皆返し一待侘て心は闇にまとはれよむば玉章はよにも障らじそつ殿のみぶを語らひてひさしう音づれざりければ立宿ぞ待てへにける網鳥の訪れ初てはかゝるべしやはかへしニュース拂た朝に朝〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓とへど訪はねど思ふ心あり長月になりてみぶ行過ぐる秋の草葉に宿りして立らむ雉の〓とも賴まじ返し大方の秋こそ野べを分かる共事無草はたゝじ雉子を又黃なるうすやうを萩の下葉にゑりてしろがねを露におかせてをを立つ尾上にしげる秋萩に下葉の上を知人のなき萩の下葉のこきを見て露露ゝゝ〓を萩置もさてさを鹿の妻侘しらに鳴を社まてこれよりまゆみの紅葉につけて朝な〓〓霧隔つめるさほ山の西にさす枝は露や置覽返しな頼むにし西にさすえの移リなば八重や隔てむ佐保の山霧又みぶほどへてal搔曇れ冬の木葉も散にけり淺ぢが本は露を待つなり十月に氷を紅葉にいれてみぶがおこせたれば「神無月たが淺氷ほどもなく消えて哀と誰かいはまし年のはてがたに恨みてもちふん「小蟹の糸よりもげに弱き身に年月はこぶ〓との侘しさ霜月の晦方に梅の花につけてをとこ三や冬花や春べの梅ならぬ雪に通ひし色はそれにて返し知知まに年の往來の花なれば折に附つゝからむ計に又こと人の懸想しける程に名たちにければもちふん久しう音せでこりぬやといへりければ與山の斧の音にも驚かでこりぬやとだに云が怪しさをとこ簑にぞ思ひわたりし最上川わが稻舟の行くと歸ると返しいいか樣にせよとかあまり鹿島なる生田の浦の痛く恨むるいとはつかに物いひて田舍にくだる男遙になりていへるゝつつ〓〓〓と思遣りつゝ鶯のほのかに聞し聲ぞ戀しき返し〓〓し〓都しくば都のまつに鶯の鳴てぞこまし花は散るとも又かへし〇心にも非ぬ難波の長らへてよそにへむとは思けむやは此の度は返事なければをとこ。山彥の答ふる聲の聞えねばながむる空は感はるヽ哉返し〓奥子鳥幾聲鳴きぬ山彥の答ふ計りはあらずぞ有ける又の日その國なる男かくいへり。とと〓とは絕々なるを鈴鹿山音きくにのみ歎かるヽ哉返し〓數ならぬ身は敏鷹の鈴鹿山訪はぬに何の音をかはせむ云ひはじむる男1いいにしてぬるとつげまし吹風に便空なる蜑の釣舟うちはに夕だちしける頃をとこ如鳴神の音にもかへす唐衣日も夕立はいつとなけれどかへし10夕立の夜の衣はの歸りて雲ゐにのみぞならむとなしれいしはらにすむ男久しく聞えねばとて〓いとゞしく燃こそ渡れ石原の中よりわれて出る思は男のとはぬが恨みおこせたればかっとはぬはし恨むる物と思せば幾十度かは云可りける
男のもとに迎へたるに琴をひかするに女、とだえたれば男の心も變りたるやうに見えしかば〓いかなれば哀と思し睦言の深きをたゆるよと成にけむ此の男日くるれば出でいいけけいいううとの男も同じ所なる出でゝいにければ同じ心に歎きていもうとの云ひおこせたる一夕されば一番ひにて行君ををしとは如何思ざるべき(一行程)一佗ぬればをしとも云ず池に住忘るゝかもと我ぞ知べき齋宮の女別當よそにあひて何ともいはで又の日袖の中にやといひたる返事にべたうの君シ主しらで空に浮たる玉をだに結留むる物とこそきけ疊の中より養の五月ばかりに出できたれば〓寧寧ろいかにか思ふらむたゞ身の中に秋はきにけりもちふん八月ばかりに物などいひて難而かりければ夕ぐるゝまでいみじう恨みおきて出でぬと思へど又立ち歸りて格子を打ち叩きて獨ごちし戀しさのぬるに任てねられねば起てぞきつるよはの白露返し〓事でかはよはの白露起つ覽變覺の床も唯ならなくにそきやう殿の宮女べたうのもとより年月ふれど對面すべき事もなきことゝあれば夏齋宮女別當にかくなむ聞えたりし今宵こそ聞ゆべかりけれやいかにせむ行ずば逢じ來ずばみじ幾世を限る命ともなし齋宮の女御祭主能宣をめしてこれが返事せよと仰せられければ行す共こすとて逢でやまばやめ此世とのみは契ざらしな女べたう〓逢もみず命も知ずつきもせず戀の深山となりぬ計ぞ返し〓繁からば戀の深山も入てみむ枝を交する影は有やと返し一我ゆゑは蓮の上にきてもとへ哀いづこに君を尋ねむこの能宣がおりのぼりにこの文を尋ねに來ければ能宣一雁がねに非ぬ我身の年をへてつてのみ渡る君が玉章かへし二懸てくる傳の玉章微りせば歸雁とも待たれざらまし堀川殿の阿ざ梨の君いたくわづらひ給ふとて母のもとにおはしてたゝう紙に書きつけてこまこそみよとて長らへむ年も思はぬ露の身の遺に消えむとを社思へ返し一露の身のきえば我こそ先だゝめ後れむ物か森の下草堀川の后うせさせ給へりし五七日七月七日にあたりたりければ元輔が云ひおこせたる尼になりたると聞きて七夕にかしゝ衣を色とに見るらむ袖を思ひこそやれ返しせきてしより濡てのみふる藤衣かる七夕の無きぞ悲しさ里に久しく居たりしに人々の久しくとはざりしかば獨して見し限をば忘れじと誰かは我を思ひ出でたる建長五年七月十四日以戶部本書寫畢此後亦於有他本者可遂一校也但誰」讀所亦落字之后有少々而巳櫻花松によそへて折人と千年の春ぞみるべかりける月の歌少將にかはりてやる(前脫る)エム秋風に夜やふけぬらむ大空の月の桂の靡くかげ見ゆ獨獨て月をながむる秋の夜は何事をかは思ひ殘さむ見る人を數へ盡していつ迄か歎くは君とふれば也見題しらず人人のよをあるに任せて花をのみ惜む心や且は悲しき加人のよはへむに任て有ぬべし花をばえこそ思返さねひぜ(肥前)に下るいもうとの許にcm故〓の草葉をまたも結ぶべき遙けき道は命ともがなかへし一故〓に結びし草の契あれば千とせの松は誰も賴まむ長德二年十月廿二日花山院の東宮におはしましゝ時殿上にて右中辨の五節奉りし時何事にかといひしかば何もこゝならむものを奉らむといひしにゑり櫛求めて貸せとありしかばかしたりし後かの辨もなくなりぐしたりし人もなくなりて忘れてやみにしを今年五節奉るに何事をかせむと右京大夫の宣ふにかの櫛やあると北の方にあないせらるゝに本の櫛の出でざればいと哀にて二十搔掻でゝ挿けむ櫛は神さびて有るに傳へし人の無哉小野の宮の御日に法住寺に參るとて同じ程の人の多く參りしを思ひいでゝ111世の中に有ましかばと思ふ人無が多くも成にける哉小大君これを聞きて有るはなく無は數そふ世中に哀いつ迄いきむとす覽五ゝ常常らぬよは浮身社悲しけれ其數にだに入らずと思へば五夏の始つ方いへの萠木を見て本老に皇庭の萠木の木暗きにそこはかとなき涙止らでつのかみなりとき播磨の守むこにとりて家の庭どころこゝすのかたになしたるに雨のふる頃う爲賴朝臣集ための及ぶ山野も近き夕まぐれなりゐる雲ぞ知べなるらし十一月廿八日前大納言などして酒まゐりしに〇人人ここそ有としかばと歎きしか我をば誰か思出べきと思ひ給へるに今日なむすこし賴もしう侍る一別れては又も逢見む齡こそなどて歎きし昔ともがないと賴もしかりし物をとぞ人しれず思ひ給ふる三大方の空の露かは君がため萬代かけておける菊をやたぶさにけがるのさま言とはゞ佛ぞとかも菊の花むかし美し菊のもとヽは逢ひて後のわかれ見し程に消なましかば別ての後さへ物は思ざらまし五折りつれば心もけがるもとながら今の佛にはな奉るつくる歌珍しく山ゐにつけむ葵草待ち懸てのみ年はへにけりかへし〓行ずりの山ゐの衣珍しく獨ならずば見えずぞ有ましきよきとせさすとて文慶君のもとにものし給ふ所雨もると聞きてハム曇なき君が三室の空晴て有漏の宿りをいかゞみる覽かへしううななど君がさやけき宿の内に題しらず散散とて歎きし花は咲に見戀しき人ぞ遙けかりける一春は猶こぬ人またじ花をのみ心長閑にみてを暮さむ中務宮の御花花皆皆なむ後は我宿に何につけてか人をみるべき中々にあだなる花は散ぬ共まつを賴まぬ人の有めや표みやニニ九
みにしたり打打けけ播播潟にもにたる哉いかなる蜑の夜通ふ覽住吉とみえこそ渡れ浦遠みいかゞ有べき播磨潟まで正月十三日ひとひ參り給へりしのち左兵衞督の宮にまゐらせ給ふなく他ざりし君が匂の戀しさに梅の花をぞけさは折つる天みや今もとる袖に移せる移香は君が折りける匂なりけりいへあるじ六〓ししににををつつななぐさめば鶯きゐむ梅も殘らじ此の頃今上の宮春宮などに人々參り仕うまつると聞きて六ニを身せよなむ方も面は無り鳬戀を厭はむ人しなければいたう夜ふけて車の音のしければ小夜更て孰ち車のつきならむ山のべ指て入にや有覽蚊遣火にやあらむ折すぎたる煙の立ちければ夏はてゝ秋迄くゆる蚊遣火は昔いかなる事か有けむ越前へくだるに小袿の袂に夏衣うすき袂をたのむ哉いのる心のかくれなければ人の遠き所へゆく母に代りて人となる程は命ぞ惜かりし今日は別ぞ悲しかりける正月ついたち頃ある人の御もとに宣耀殿よりあゆのかたをつくりてありければ蟲にだに欺かれじと思身をいかなる鮎の謀るなる覽うまごのをうなにて生れたるを聞きてハンがが若然らずばよき國の若き受領の妻がねならしこの人から物のつかひにゆきたる頃月をみて蕙ふ人あるかたへゆく久方の月の桂に文やつけまし同じころ人くだりし頃〓〓とどどしく老はそふ共行歸る日からは暫し短からなむ今の左大辯の御子の五十日におほわりごの葢に市娘のかたちなどかける所に→市姫の神の忌垣のいかなれや商物に千よを積むらむ物思ひに遠き所經にける顏を鏡の影に見侍りてなまじひに止れる顏をけさみれば鏡やつらき涙止らずはらからのみちのくの守なくなりての頃北の方のなまみるおこせたりしに磯に生るみるめに附て鹽竈のうら寂しくも思ほゆる哉藏人なるからものゝ使くだる殿上人の儀にかはりて、年還りてばかうぶり給はるべければなるべし七待ゐるもよの常なれや中々に年の歸らむ事をぞおもふ若かりし折に常に女のもとよりかへされて雁の子も巢守はあると云めるをなどて夜頃に我歸覽稻荷にまかでたりける女のもとに文やりけるをほかざまになれりと聞きて我爲は稻荷の神もなかりけり人の上とは新ざりしを七はかりてあはざりける女に白玉か涙か何ぞ宵々にはかりあたりの袖にこぼるゝNとくりしまの潮やひるらむ此冬は見暮ぬ物の珍しき哉知れる人中川隔てゝありけるに七月七日の夜七夕の雲路はしらず中川をはや打渡れかさゝぎの橋加階したりけるかたのさはにしなるに山吹のおほううつれりけるを、東の里にや○山吹の咲ける汀を見渡せばそこゝそ花の盛なりけれ君の御服なりける所のたて部にさうぶの根をかけたりければ〓古は袂にかけし菖蒲草けふはながねを何によすらむこれは三條どの草枕しのぶるたびのから衣露に袂ぞあらはれぬべきかへりに色色き袂の程はきてぞみるいとヾ都の詠めらるゝに集臣朝預爲五月の末に櫻のもみぢたるにつけて四八我宿の梢にのみは秋こじをいかにもみづる夏の半にかへし打つけに凉しくも有か紅葉みる里には鳴ず郭公さへにに人人の心に似たる心太ながくぞ賴む絕ずも有なむ丹波の國府にて三月の夕闇にいほつかはに紛ふ汀の菖蒲草月まつ宵は短かゝらなむ故粟田の右大臣殿のはかなくなり給ひての年の十月に神神無月いつも時雨は悲しきを子戀の森は如何みる覽萩に露のかゝりてまたかとみゆるを折りにやりてみるに皆消えてなければ朝露を日長てみれば何もなし萩の上葉に物や問まし物思へる女にかはりて〓白露の消るをみても美まし萩の下葉に宿やからまし人にかはりて男のたえたるころ萩をみて"枯はつる冬もありけり秋萩の下葉の色を何思ひけむ子なくなりてなきねの夢さめて現と覺えつるとて前の前栽をみて一変麥を夢にみて社いつしかとあけて空しき床夏の花屏風の繪にぬす人たがひたるかた書きたるが唯の人とも見えぬに一然人の立田の山に入にけり同じ挿頭の名にや穢れむいもうとの老いたるがもとより年頃の人なくなりたるを訪ひたるにいけらじと厭ふにしなめ老の身を惜むに消る露ぞともがな年頃あひそひたる人なくなりわたるころ中務の宮の母の女御の御もとよりこの代にて契りしことを改めて蓮の上の露と結ばむ右大臣殿の女房里へ出でむとて車かるかすとてえまま知知戀の山路に感ふ哉里へも誘ふ人もあらなむかへしやはかなくて消えにし露を蓮葉に君し結ばゝ疑もなし同じ小野の宮の中納言北の方に後れての給へるNよよなれど同じ心ぞ通ふべき誰も思の一つならねばかへし獨にもあらぬ思はなき人も旅の空にや悲しかるらむまた宣耀殿の民部の乳母のもとより同じ頃〇君はいかに寢覺すらめや思遣る我だによをば思ひ明すやかへし。寢覺とは睡ろむ程のあらばこそ憂世を夏とみる計也うまごのいたゞき餅ひを見せたれば50年をへて數增るべき細れ石の巖とならむ程をしぞ思ふ知れる人筑紫のかたにくだる程扇に舟のかた書きたるをこれは內君にとてとぶらふ人のありしかば10思人かすふか浦の君が爲とみてさつめる舟にやは非ぬまきといふ人を心にもあらで別れたりし頃津の國へくだりしに釣舟のともの遊びしをいづこぞととひしかばまきの里といひしかば9名 し負はやいざ舟とめむ槇の里戀つる人も有と云也早う懸想しける女津の國ながたの森といふ所にありと聞きてやりける10命だにながたの森のなかりせば便に君が宿をみましや故院の歌合に草むらを尋ぬといふ題を〓覺束な孰れなるらむ蟲の音を尋ねば草の露や亂れむ水上秋月to水のうへに光さやけき秋の月萬代までの鏡なるべし岸のほとりの秋の花NG時しるき花ぞ亂れて匂ふなる波の心やかけてをる覽おものもちの人の物とるを見てれ獨して許多恨むる御物持もたる綿をぞ尋ぬべらなる罐:集臣朝賴爲四八二四二
一條の大臣かくれ給ひての秋いづれの度にか桃園の殿をはしましく思ひ(@元)。大方の秋とみるだに花薄うゑし君ゆゑ袖はつゆけき殿の御かへし一植置し尾花にかゝる白露の消ぬ先にぞまづ招かましつかさめしに臨むことありける頃さぬきのすけこれすけが馬をかりければすけつかさ給はらば取らせむと思ふ馬なりとてかしたりけるを返すとて一心有て飼ける駒の岩橋にあやなくのりて我も賴もし三條中納言津の國にらうじ給ふ所に御ともにまでゝはまべ近き所に前栽などをかしきに枯れたる薄の上より見えければ一濱風になびく尾花は朝ぼらけ籬によする波かとぞ見るみちの國の守の送りして歸るに女車逢坂の關にてゆき逢ひたり昔心かけたる人に聞きなしてやる古はこえ難かりし逢坂をいづちと返る波ぞかなしきこの女さるやうありて伊勢に通ふとぞありける聞きしこともあれど僻事にやとてとぞ〓生立つを待と賴めしかひもなく波越すべしと聞は眞か母の返し權中納言敦忠室批杷左大臣女生もせずおひずも非ず末の松何かこすべき沖つ白波口殿口大盤所にはかまの腰の落ちたりけるを誰れがならむとある限りかはあらず〓〓けりさ□みて〓〓のあ□つけて大盛所にルとき結ぶ手風にいたく綻びて花の下紐とけにける哉な下紐の下にもいかで怪しきはまつ上にしも落る也鳬とて柳の枝に靑き色紙につけてその藏人に°〓匂さへ散ぞ侘しき靑柳の片糸してはなどかときけむ一鶯のよる靑柳の糸なれば君が手風に解くるなるらむ〓あだにのみ君が結べる下紐のとくるを人におほせざらなむ百敷の花の下紐さし乍らみれ共あだにおらずぞ有ける一世と共に君が思に解れたる下紐のさはおちにける哉內侍の督の口のもをきかへて奉りたまふとて潜きするいせをの蜑の濡衣顯れぬべき心ちこそすれ春宮の左近藏人忘れ給うて後に聞えたるを下紅葉みるに附てぞ我身にも秋きに見と露も置添ふ大貳の聞えたりたりける七垣ほにも思ひよそふる瞿麥の忍兼てぞ今朝は折つる返り能にかは思よそへて折つらむ定めに持てこ常夏の花又かへり色をみて思寄らなむ撫子は垣ほよりま口跡とぞもなし女思ふやととひたりけれどいらへもせざりければ〇思思共いはず成ぬる時よりも增る方にて賴まるゝ哉返り一云ねども心の程をみえぬれば孰れを增る方と賴まむ忍びたる處より歸り給ひて晝つ方集〓光朝將大左院關閑院左大將朝光卿集たまさかに返り事したる女に浮橋の浮てだにこそ賴つれ踏見て後は跡絕ゆなゆめある上達部のむすめのちひさきをおとなになしてと契りたる程にこと人にときゝたまゥてそのわたりの人の扇に百露の日たくる儘に消行ば暮待我もいかゞとぞ思ふ〓消ぬるときけばぞ落る我袖にいかに置つる露の滋さぞ三十月計り女の許より歸り給ふに時雨のふるに露分て歸る袂に最どしく時雨るゝ空のつらくも有哉返り正時雨さへ露けくぞ降るいつ-袖を分てや哀といはむ馬內侍の南なる家に十二月二十口ばかりにわたるまつどもにつけてニ春春き隣に君は住の江のまつ人とはたおもほゆる哉返り冬ごもり氷にとぢて水掻の春の隣にとくやとぞ思ふ批杷殿にて不斷經よませ給ひける大とくたちの中に出でさせ給ふしり難き物にぞ有ける我身口〓か落つる淚なるらむ御かへり〓れれもも何口つきいさぎよき蓮のかゝる涙なるべし!ちせん阿閣梨まつがさきに修法するにいひやり給ふ■C賴もしき千年を松が崎にすむ人の心の常磐なりせば中にしをれば草も木も樣異にして賴むなるべし더みあれの宣旨あまになりたるにしきみの枝に蟲ついたるにつけて云ひやるニ天天下下り下哀といふ程にみの定めたる蟲ぞ悲しき返り言の葉に懸れるみのゝあ口せはさ袂も〓ぞ濡ぬるつかさめしの頃とかくえたまはらぬ思ふことおはしましけりをきこえ給思はじと思ふ物から松山の末こす波の濡つゝぞふる返り〓〓越越し波の景色の惡しければ思はじとだに我は思はず想はずになり行末の松とても常にはいかゞ濡渡る覧渡らゆと涙もあらば思どち人の包める君をみましや返し此の度はなかりけり潜つくる岸ちかみなるきにだにも波間もあらばと思ふなりまして我身は海士人のまか口の口まを隔つれどなとゆ口とまつ由の麓こめたる秋ぎりのたちをとだにも思ひもかけずゆふ襷かみな月とか云なれば時雨まじれる言の葉の草もかわかぬ程なさに淺ましくのみ見ゆる頃かな四條宮大盤所にこれ定めてとの給へるにメロ鶯の春の初音と時鳥よふかくなくといづれまされり.とあるを人々定めさせ給ふに02折からに孰れも勝る鳥の音を時ならぬみはいかゞ定めむ左右大將の御車にていで給ふにぢんにて左朝光エ思思どどちへむをの山のとあればみぎ濟時口れなるみちにひくわへ〓秋の田の刈にとみゆるほと口れ數へて積まむ程ぞ侘しき賀茂の社の前にてをるヽ人を見て右三五君とわれいのる心をちはやぶる左かみいづかたにみゝとゞむらむいそげとてと左のの給へば右まつみねど後めたくは思ほえじ近き守と我しなれゝばつゝみにて左のくるまぞひのとに代りて112袖ならで包留めむ今日よりは君が嬉しき言葉もがな右の車ぞひに又かはりてれそひてゆく車の〓とも思ほえず君が心を今日はやる哉花見にありき給ふ時にさそひ給はずとて,集卿光朝時大左院開四二
左大將濟時〓獨して花も紅葉もわきてやは錦計とみてはきにけむ返り4百百の花も紅葉もわきて君天つ星かと君ぞとはましみやをの大將したうづのかたをかり給ひてあしかたとある處に書きつけ給ふが流葦の方に止れる沼水のかひあり今日もみゆる影哉I堀河の院にて八月ばかりの夕暮に機織のいみじく泣くに中將君御前なるにの給ふ〓覺東な錦もみえぬ闇の夜に何の菖蒲を折るにかある覽中將かたる五條の尼君かくぞ聞ゆめる一織るとはた思はざり烏唐錦あやつる聲の音と社きけ宮の君の打解け給へるをみて下紐のゆふ日に人をみつるより綾なく我ぞ打解にけるかへり下組の夕日もうしや朝貌の露け乍らをみせむとぞ思ふ六常陸の小野のみまきより草奉りたるを見給ひて四六常陸なるをのだ御牧の露草をうつしは駒のおくにぞ有ける堀河の院にすませ給ふに閑院の櫻の花おもしろくみえ可少將內侍〓垣越にみるあだ人の家櫻花ちる計りゆきて折らばや御返り折りにこと思ひやすらむ櫻花ありし昔の春を戀つゝともまさの大貳の子のうまのすけを失ひたる頃閑院女御も失せ給ひぬと聞きて〓〓我のみや此世はうきと歎しを君も思ふと聞ぞ悲しきかへり浮世には有身もなきに思ほえて涙のみ社降心ちすれ入道殿にて何をかきみの口たし給ふさまおとなにもまされりかけものなど入れ給ひけり源宰相누な昨昨より心にぞいる梓弓はるのかざしと見ゆる君故かへりch定めなき君が心にいるなれば棒の弓のはるも物うし女のもとにおはしたるにかへら口ねどいはせけるをおほしさ(如元)とありてつとめて一天雲のかへるばかりの村雨に所せきまで濡れし袖哉かへりニ人はいさ袖や濡けむ我は唯涙にのみぞそぼちつゝこし時々通ひ給ふ女あまたなる事人にいはるゝこそ心うけれとの給ひければ、女根根の寢ぬ名の痛く立ぬれば猶大澤のいけらじやよに返り大澤の多くの人の歎きにていけらじとのみ思ふなる覧大貳くだらじと住まひて心ちあしとてきて修法すと聞きてやり給ふ思ひやる〓とぞ悲しきあさ口峯の白雲たつや立たずや同じ女おはすべからむ折は晝はの給へといひければ二三日ありて養と云し言かはる共小蟹のいかに擧動しるく見ゆ覽かへり我脊子が著き宵とも小蟹の糸を賴まむ心ちこそせねとて今日あすすぐさむとありければ立ち歸り〓今日をだに暮し兼つる小蟹の糸に懸りてあす迄やへむたび〓〓返り事せぬ女に山彥は答ふるだにも遙けきを音せぬ人を待が苦しきついなしのときをる所はぎにつけてoををななく峯の朝霧よそにわが思やりつる折ぞ悲しき同じ人のもとに月あかき夜うちよりおはしてきもなれぬ夜の衣もさよなかに返す〓〓も哀也けりかへり色ならぬ衣もなどか返るには薄く成らむ身に泌てかく集卿光朝將大左院閑よくふる人やおはしけむその口いとたかき人を心にかけて三君君身〓〓のをとのみともみてしがな思ふ心も霞む計りに中宮の宣旨を内にてほのみ給ひて女女郎花よはの下紐打解けて見なれし袖ぞ今は戀しきあらがひて返りごともなしmあらがはゞ强ても云じ石〓水流れて今は下に賴まむいかにせましと云ふを聞きて世中に身をし變つる君なれば我は我にも非ずとや思ふ又いい也也し旅の夕か忍びけむ濡にし袖よまだぞ乾かぬとあるに給はりぬとのみあれば〓今更に覺束なしや又なさむ隔てぬ中となりにし物をいかなる事のあるにかありけむ人がはりなどしければ〓忍草忍ぶかひなくもてなさば忍ぶる〓とももらばいかにぞ返り達ふとだにみざりし物を忍草漏す計りの露や置けむかぜを〓思ふかな薄き衣を空蟬の今よりあらき風にあてじと父おとヾの御服にてものし給ふふに內より馬内侍を御使にてとはせ給へるにその夜とゞめてあかつきに爭でかは夢にも人のみえつ覽物思初し後はねなくに返り歎っゝ我もねなくにみゆる夢の慰む方はなきと社きけ同じ人くらべやに中將とありてあかつき出づるを宵よりいとよく聞き給ひてぬくらべやの覺束なくもみえぬよは月みる程のすめば也鳬返1名にし負へは影だに見いぬくらべやを月ある樣に云もなす哉三條の北の方より歸り給ひて萱草花にさし給ひて解りの色に出たる花みれば物思知れる折かとぞ思ふ返もあやまちの始もしらず何事に懈りそめし花の頃ぞは又返〓知ずとかそとに聞つゝ翳したる花は移りて外にをらずやかりの子を十奉り給へれば、北の方重明親王女雁のこに恨をさへぞ重つる最どつらさの數をみすれば程へておはしてすのこに薄の風に○我きても招き已ねば花薄まだくる人の有かとぞ思ふとの給ふを北方の御めのとひらかといふ聞きて。荒磯海の恨もはてぬまつ頃に靡く尾花は常のこと也堀河の院より仁和寺にみかどかへらせ給ふに女房のみふだに書きつけたるを見給ひて30御狩野の野べに漂ふ草なれや書附べくも見えず成行くためちかゞみかはになりて口いはのかたに袋をぬひて龜のかたをぬひつけて物どもいれてco岸の上かゝる迄ふる龜のよの遙けくすまむ程ぞ久き〓〓定めむと思ふ物からしかすがの渡口みては難くせまほしたなごひの箱のふたに葦手にて10別路のかたみにそふる玉匣あけくれ我を人忘れめや白河どのゝはかに夜とまりたるひまにxoめ前前に斯見人も過るまに止れるとてや過るなる覽返浮浮には又も歸らでやがてかく蓮の上の露と成なむ又返しbo露とだに消えなば何の疑か花の中より生れざるべき又の日まうでたれば蓮の花を口して造りてみのうちにはこは口いしほをいれてやり給ふ加5たくれば消やしぬ覽泡沫の花の顏をも今朝はみる哉集卿光朝將人左読第
この御八講をたふとがり給ひて。白河と誰れなづけゝむ流れての後よりかざす蓮也鳬宮にわたり給ふに中宮いで給へるにまゐり給へりかみ參らせ給へるにおひてかみをたてまつり給へりま口にかみ口うすやうをまけ口も君を祈りし印にや多くの神の今朝はみゆ覽御返祈る共あまをかざしと見にしかば神のあたりによらじとぞ思ふ昔うちわたりにね給へりけるに〓あまに思ひおかせり鳬と千早振忌垣の本に聞しと也正月十五日子の日にあたりたりけり堀河の中宮わたらせ給ひてごなど參らせ給ひてしろがねの小松の枝にあをき紙にて名かきつけ給ふ中將に〓君が代を行々みれば小松より外の綠はみえずぞ有ける中宮の御返末遠き野べの小松を任すればいざひきつれむ□とのにて通ひはじめ侍りて雪のふるに歸りてすなはちあかずして歸るみ山の白雪は道もなき迄埋れにけり返〓ともすれば跡絕ぬべき歸る山越路の雪はさや積る覽かく通ひ給へどあらずとかくし給ふを左大將見あらはし給ひて夜一夜物語りし給ひて歸り給ひぬ又の日、左ル忍草いかなる露か置つらむ今朝はねもみな顯れに鬼返た淺茅生を尋ねざりせば忍草思ひ置けむ露をみましや名武峯の君に枇杷殿の御祈りし給へとの給ひければ峯の君大納言殿の御時よりおろかならずなむとて〓昔より云始めけるいかゞさき末の人さへ賴もしき哉笠置に詣で給へるにためもとしほよりきみところちかきをきくもなどの給ふにまゐらむといひけるを思ひ出て遣しける一我宿にしげる蓮のさしをわけ思む人に讓りてしがな返一君だにも心隔てぬ物ならば花と共なる身とぞ成べき正月一日右大將殿より1あたらしき年の始の嬉しさは昔の春もかくや有けむ返ニうれしきに珍しさをも添ふるかな堀川の中宮エ悔しくも汲てける〓と思ふ哉沈み初たる今朝の我身を中將の物のたまひてつとめて音にのみ聞しは偖も慰みきなどかけさしも補の露けき少將の君さとに出づるにささ波波たたちいづるとはいとなくて雨に十月ばかりの紅葉のみな散りたるにつけてうしと思ふ秋に後れて留れる人はかひ無物にぞ有ける返た過る秋留むる人は色分かでみえばか口ある心ち社せめ三條の大殿廉義公の失せ給へるをまたともかくもせで大臣いみじうなき給ふと聞きて〓烟とも雲ともならぬ程計りありと思はむとと悲しさわづらひ給うて久しくさぶらひにも出で給はでいひいだし給へる一朝夕に出でつゝみしを覺束な人の心の移りうつらず御返左衞門督まひさら三三いつしかと心にしみて深綠松より外の色はかはらじ中の君の御裳着に沈の枕にいれて奉り給るよそみなく人諸共にふすごとく枕を君に讓りつる哉御返集卿光朝將大左院閑今よりはみより離るな敷妙の君が常世の枕と思へばすけまさの大貳のくだるに直衣裝束一具をこひのふたに入れてたゝう紙にかきてさしはさみて口より遣しけるまだ近き程をも絕ぬこひなれはおくらす可も思ほえぬ哉殿八幡に詣で給ふに詣でとぶらひ給ふをあがめもよにかくとぶらひ給ふよと喜び給ふついでに今日は猶濡るゝのみ社嬉けれ天の下にしふる身と思へば八月ばかり仁和寺のみかど廣澤におはします御ともに仕うまつりてかへさに左に聞え給ふ11秋秋夜夜〓今はと歸る夕暮に鳴蟲の音ぞ悲しかりける左御かへり〓蟲の音に我も涙を落す哉最ど露けく野べやなるらむ祭のかへさに女車に卯の花葵ちはやふるならぬことかきとて□てやたまふだしづの男のしのびにを鳴け時鳥とあればこだかきこゑはまたもしつるをかへし一味氣なや旅の宿りを草枕假ならずとて定めたりとはあかず思ほえしかば人にかくなむありしこれが返事せよと云ひしかばかくはいかゞとて語語共其が名は立たじ長からぬ心の程や人に知れむ秋の夕暮秋はなほ夕まぐれこそたゞならね荻の上風萩の下露西露露だだる星合の空を詠めつゝ爭で今年の秋を暮さむ殿やみ給ひし頃いかゞと人のとひたるに199夕暮の木繁き庭を眺めつゝ木の葉と共に落つる淚かうせさせ給ひにし御忌はてゝ人々におはし別るヽ日大今今はとてとびわかるめる村鳥の古巢に獨詠むべき哉修理のかみ返し羽羽ぶぶとのては契るとも君忘れずば嬉しとぞ思ふ春人のよめといひしにハ夢ならで夢なる〓とを歎きつゝ春のはかなき物思ふ哉春かしらけづらせてみな人々よめといひしに梅の花おもしろくある所をカム春風の空なる程は梅の花梢こそなほうしろめたけれch春々の花をあだにと見し物を昔の人の夢ごゝちする人の許より歸りてつとめて一君が爲惜からざりし命さへ長くもがなと思ひける哉物いひし女こと人に物いふと聞きて大方つねにみれど物言はねばなど歸る山といひたりければ歸山さか〓〓しくも見えなくに何しか人の立止べきかへし三戀にのみ惑へる人の心には坂々しくも見えぬなる覧七月ばかりに月のあかきに物言ふ人のもとに五〓忘ても有べき物を此頃は月夜よいたく人なすかせそことゝも思はぬ女の物言ひかけしかば此一册以家隆卿筆跡之本書寫之舊本虫損等多故往々除之重以別本可〓正之入撰集歌有首書考之閑院左大將藤原朝光歌也他人書集之歟此集關書有左右大將左者則朝光右者藤原濟時也藤原義孝集源修理のかみの家に方違にいきてあるに枕いだしたるつゝみがみに3つつからば人に語らむ敷妙の枕交して一夜ねにきと
〓梅がえに雪も積らぬ春なれば木の下露や常に露けき內渡りにて物いひし女の絕えて後恨みければ極逢坂や旅行人もしのはらに一夜は宿りとらぬ物かは左衞門督の命婦の許に權中將となのりて宮のおはしたりと聞きてやる〓怪しくも我濡衣をきたる哉三笠の山を人にかられて同じ人に久しくたえて〓〓るるとど忘忘るれど忘られずいか樣にしていか樣にせむ扇に梅の花のかれたる所などあるに書きつく九年毎年にならぬ花の色よりも枯たる野べを見ぞ悲しき五節の頃さし櫛とりたる返すとてc人人知ぬ心一つを歎つゝつげの小櫛をさすかひぞなきかへしいかなる人一掻分て我になさしそ美しとおもて〓〓に且は云つゝ左衞門藏人のなほ疎かりければこくれうのをかしきを包みてそれに書きつく〓馴されぬかはその暮ときヽ乍ら宵曉とたつぞ苦しきとをさしながら物いひし女に堀川の中宮にて思事なるとか聞しかひもなくなど打解ぬよはの白波かへし빨六打附に思ひ鳴門の浦もなく解けばあだなる波も社たて橫川にてさくなんさうをみて紫の色にはさくな武藏野の草の緣りと人もこそみれ大櫻花山にさくなむ里のにも勝ると聞くをみぬが悲しさ服なる頃大夫の君人のめで人の國より上りたりとて物へゆく道なれば云入るゝ男も服なりける戀しとは思ひし物を藤衣きたりときけど訪はぬ心よ男あるほどにて返り事なし堀川の中宮にて雪のふりたるつとめて麗景殿の細殿の枯れたる薄に雪ふりかゝりたるをとのもづかさしてさしいれて辨の少將の君奉れ給ふとてそれに結びつくまねくかたにぞゆきとまりけると書きておこせたりければとき過ぎてかゝる薄の身なれども書きておこせたり定めなく風も社ふけ花薄いかにせむとか結置きけむ又かはらけに書きて紙につゝみてうち渡りてとらせたれば〓〓定めなく風の吹く夜は花薄よらむ方なき物を社思へ又かへし〓哀にも思ふなるかな花薄秋こそうけれ春も知らじな一品宮の臺盤所にてかんし願ひしかば山吹の花にいとをかしうならしてよふくろにさし出したりければ腰にひきつけて梅壺の方に公達ひきつれていきて花をいろ〓〓にこきいれてかうかきてなかにいれたりける嬉しやは是をみつれど味氣なく花に馴たる心のみしてまたかへし又なさは誠の花に劣らめど怪しや春の時ならぬみよまたかへし時ならぬみにも爭でか成ぬ覽春に後るゝ花も有やは又かへし〓春は花ちるや千種に思へ共言のは繁しかくてやみなむ藤侍從五月五日まろなるさうぶやるとて駒だにもすさめずといふ菖蒲草斯るは君がすさびとぞきく七かへし菖蒲だにかゝるは人に引れけり汀に映る君や何なり狩衣の紐をとりて結びめをとりかへたりしかば我ならぬ人にはまれと結び置し紐いつのまに打解ぬ覽九月九日菊の露をみて〓移はぬ菊に結びおく露の色は解ぬ霜かと成てみゆ覽石山の峰の紅葉有明の月の原にて山の端の深くも空にしりにける哉〓一行方も定めなき世に水早みう舟を棹のさすや孰こぞ左衞門のないし時めいしころ山にのぼりていひおこせたりしニ空空く時めく月と聞しかば我も雲居にきてぞ詠むる堀川の中宮の內侍のすだれの前に物言ふほどに雨の降りかゝれば女のつげゝればシー佗佗ればつれなし顔は作れ共袂にかゝる雨の侘しき又同じ所にたちよりたるにまらうどのありしかば立ちながら歸りてまた旦たに瓜にかくかうつく〓是をみよ一夜は人目つらかりき立煩ひし瓜にやは非ぬかへし立侘て這懸りける瓜かつらならし顏にや人のみてけむ中宮の大夫うぶやの七夜昔をこひ給ひてちちにつけ思ぞ出る昔をば長閑なりとも君ぞ云べき八御かへし君がかく云につけても人しれぬ心のうちて心ある哉藤侍從すけに物いひにたちよりたるに月もなき頃なればいと暗しやなどいひたるに闇の現はさやががなるといひたるに思ひつゝ睡ろむ程にみるよりも斯る現ぞ儚かりける女の許にが命だにはかなくもあらばよにあらばと思君にやは非ぬまた女いつ迄の命も知らぬ世中につらき歎きの唯ならぬ哉かへしみをつみて長からぬよを知人は偏に人を恨みざらなむ修理のかみこれたゞわかなすびわかうりをおこせたりらい月さねすけの少將むこにとるべしと聞きての頃ニ御園守答へだにせよ月たゝばかの〓とも皆成ぬべしとか四日の夜返しあり一何事もなるともなしに瓜づらの名にのみ立む事の怪しきまたかへしああもあれあやもなくまれかの瓜の數ならぬみようやは世中五月五日時鳥の聲せずとて〓今宵しもきかでやゝまむ時鳥後に鳴とも定なきよをまた女を尋ねしに〓深深き物にぞ有ける女郞花尋ぬる人を唯にあらせよ女御殿のすのこに長櫃にほぞちを入れておかせ給へるを夕立のすればみかうしおろしたるまぎれにうせたれば〓盗人はほぞちをみても雨降れば干瓜とてや取納む覽石山に詣でゝかへる河づらに鳥多く立てばさよ深くたつ河霧もある物を泣々來居る千鳥悲しも殿うせ給ひて八講し給ひし次でに君だにもおなじぬれとて法の雨の降心をも尋つる哉されば返し○法の雨も涙に分ず神無月はてや時雨や最どなからむ權大納言殿に花見にいきたりしかば櫻の花ちりたりけるを見て大納言〓花花だだねぬ程に散りにけり後の春だに心あらなむ御返し。此春も君をば待ちつ櫻花風の心のなきにやあるらむ同じべたう非違の別當離ればまだに心やすく仁和寺の花みむと定め給へる日風のいたく吹きてとまるよしのたまへるに三つ天吹風れぬる春なれば心のどかに花もみてまし御返しにべたう離れ給ひぬる由をいたう哀れがり聞え給ひて〓ととぬぬ風ぞ悲しき春のよの色の常なきとを思へば〇八四四二
殿うせ給ひて又の年の春あめのふる日10春雨も年にしたがふ世中に今はふるよと思ふ悲しな八月ばかり忍びたる人にあひて夜深く歸るあしたに薄につけて加花薄むすび置きつる袂ゆゑ露も心のとけずみえつるかへしわほの結ぶ野草隱れの花薄とけでや秋も過むとすらむ物いひし人に瓜のありしをとりて立つとの物うかりつる瓜なれど後やならすと思ひぬる哉かへし加あだ也と名に立君は瓜生野の斯るつらさもならさやり鳬母上の東宮にさぶらひ給ひしに暇にて久しう參り侍らざりしかば瞿麥につけて奉りし、母上よよへつゝみれど露だに慰まず如何はすべき撫子の花御かへし一暫したが影に隠れぬ程は尙うなだれぬべし撫子の花これは後にかきそひ給へるとぞもがさやみ給ひて死ぬべき心ちのするかなしぬる瘡なりとも暫しはとかくなせそ誦經しはてむの心ばへの女御のおまへに聞え給ひけるを忘れ給ひてとく納め奉り給ひてければ母上の御夢に一しか計り契りし物を渡り川歸る程には忘るべしやは又の年の秋六君の御夢に此君の御文有りけるにきてなれし衣の袖も乾かぬに別れし秋に成にける哉失せ給ひての十月ばかりにせいみん僧都の夢に父の大臣のおはする所に物を隔てゝ兄君とおはするに兄の少將は物思はしげにて笙の笛をふき給ふをみればたゞ御くちのなるなりけりなど母上の兄君よりもこひきこえ給ふを御心ちよげにてはおはすると聞ゆればいとあはずおぼしたるけしきにてたつ袖をひきとゞめてかくのたまふ『時雨とは千草の花ぞ散り紛ふ何古里の袖ぬらすらむ昔は契りき蓬萊宮の中の月今は遊ぶ極樂界のうちの風に心にも非で逢見ぬ年月をけふきて花とつみてける哉かへし移るはぬ心也せば年月を花と摘てもみえずぞ有まし權中納言定賴卿集正月五日雪の降りて松に垂氷のしたりけるに←いつしかとたれ引つらむ雪分て子日の松は氷解ぬに返し誰にか冬籠りまだしかりける松故に子の日を年と誰か引けむ右大臣左衞門督と申しける時松雪似花と云ふ題をよまれけるにた白雪の積る梢に咲く花はまだふる年の春にざりける三月十日隨風尋花と云ふ題を〓吹風を厭ひもはてじ散殘る花の知べと今日はなり鬼三月盡日あめをかしてさりぬと云ふ題を一限有て雨にさはらぬ春なれば散花笠をきてや行らむ右大辨過來ぬる春は別れて殘るらむ花故けふの雨を社思へ九月九日ひねもすに翫菊とい一部分三夕露の露迄菊をみつる哉おもての芝をのごひつるより庭のおもに秋くれぬと云ふ題をいつとなゝ戀しき宿の花なれど秋の氣色は著く見え島庭の紅葉を見てよめる紅葉ばの散積む時ぞ打はへて拂はぬ庭の面隱れなる大井川にて人々紅葉をよめるた大井川水の淺くもみゆる哉紅葉の色は雨とふれども四條宮におはしける時大納言殿公任より時雨と共に紅葉殘らずちると云ふ題奉られたりければ紅葉にも雨にもそひてふるものは昔を戀る涙也けり御返し姫宮のなくなり給ひけるとしなりル春散し花を思へばもみぢ葉のめに止らぬは涙也けり廣澤に人々いきて月のいみじうあかう池に映りたりけるになすむ人もなき山里の池の面は宿る月さへ寂しかり鳬雁の多くつれていきけるに○かか連連ね雲路に結ぶ屬音のはかずも秋の月は見え鳬ゑに織女に琴ひきてかしたる所一琴のねは貸ずもあらなむ彥星の上の前には誰か引べき松の木の下に人々居て琴ひく所彈舉はこと〓〓なれど松風に通ふ調べは違はざり鳬月夜に旅ゆく人ある所に三人知ず出たつ道の旅なれど空行く月は後れざりけり紅葉の木の下にて酒のむ人ある所風風痛く散らぬ先にと紅葉を君が爲には折留めまし繪に櫻のいみじう咲ける所に一世と共に散〓ともなき櫻花ゑには風こそ懸らざりけれ櫻を見ばやとのたまひけるを聞きていみじうめでたき花を奉られたりけるあかぞめが家の花を折りに遣しけるホ櫻さく盛になべて成ぬ共花なき里は知ずやあるらむ返し〓我宿に劣らぬ花はありやとも今は尋ねじ無名立けり嵯峨野におはして〓春の色をきてみる時は稀なれど心は秋の野守也けり玄とみのひまより月のさし入りたりけるを加山南てたれども月影の餘りあかきはもりて見え鳬聞きも知らぬ鳥のなきけるを人の聞えける0まま知知ぬぬ鳴も鳴けりさよ更てといひけるにいまは知りたるなのりだにせよ白川殿にて一限なき匂をそへて白川の里の知べはしかにざりけるうちより出で給ひてゆづけのゆまち給ひける程に時鳥の鳴きければニゆゆけのゆまつに夜更て自ら山時鳥なくをきゝつる右大辨の父におはしけるに右大臣殿の上の御もとより藥玉奉り給ひけるをニ宿分ぬ軒の菖蒲をみてだにも隙なき戀のねをや絕なむ御返しすぎたもてふく隙だに有物を軒の菖蒲の程を社思へ四四月一日のりたゞが女房の許にいひたりける今日よりも着初てしがな夏衣過なば人の心みゆべく四女房にかはりて知うちつけに急ぎたつなる夏衣先しるきかな人の心の又のりたゞ夏衣まだ一重なる心とは重ねぬ程に見ゆるなるらむ又返しNO重ねての後をし待たば夏衣げにと見るべき程の遙けさ中宮の七夜に加春日山わかねに咲る藤の花松に懸てや千世を祈らむ子日に00千世籠て生出る野べの姫小松引てもちよのねも知れけれ春每に花を惜むと云ふ心を1年年へへ花に心を碎く哉惜むにとまる春はなけれど殘りの菊を惜むニュー別れにし秋の殘りて菊の花匂ふ籬のしまにぞ有ける
右大辨ユぬ過とて惜みし菊は咲殘る籬のしまにとまる也けり急ぎてきぬを人にぬはせければ御せあはせむと人々の云ひければ衣川川ききあたりにあらね共誰に逢瀨をわきて云らむすだれに雨の玉のやうにかゝりたるを爾にいとヾあれのみまさる故〓に思もかけぬ玉廉哉九月ばかりさか井と云ふ所に汐湯あみにおはしたりけるに姫君の御もとにな吉吉のながゐの浦も忘られて都へとのみ急がるゝ哉かへし立立りり頃頃のふれば住吉の猶長居する浦とこそ見れおなじ所にてハム船はゐれどもなみは立ちけりひとりごら給ひけるを、みちなり夕されば伏見の里に急ぐまに雲晴れて月あきらかなりと云ふ題をな見る人の心や空に成ぬらむ隈なくすめる秋の夜の月菊色をへんずと云ふ題を昨日みし色もかはりて朝每に面がはりする庭の菊哉うず櫻と云ふを人のもて詣できたりければ〓是や此音に聞きつる有珠櫻鞍馬の山に咲るなるべし春の頃題出して人々によませ給ひけるに音づるゝ人しなければ鶯の友よぶ聲になぐさむる哉春過ぎて疎くやならむつれ〓〓をたえずおとなふ鶯の聲竹生島にまうでたりけるに磯なれて心もとけぬこも枕いたくなかけそ岸の白波奥山の瀧來人もなき奧山の瀧の糸水のわくにぞ任せたりけるつれ〓〓におはしけるたはぶれにこめだいにすだれかはを人々よみける跡絕て訪べき人も思ほえず誰かは今朝の雪ま分來むわか栗を立かはり誰ならすらむ年をへてわが繰返し雪交る道なつめ都人けふもぞきます片岡の雪かき分てなづめ我兄子もちひ潜きせむ蜑の玄業も千尋なるみるめし無ばかひ有じはやあはしがき〓〓水の泡し搔消易くみゆれ共露の身よりは久しかり鳬やいごめああうやいこめてぞ只に已なまし斯つらからむ物と知せば右大辨人のむこになりて久しくまうで給はざりければ谷谷の上は一つに凍るとも下の心はのどけからめや面比で凍るとも打だにとけば谷水の深き心は隱れやはする何の折にか頭辨の御もとに古の春忘れずば梅の花もとのあるじの折るな各めそ御返し古の主ならねど梅の花をりしる人ぞいかゞとがめむ右大辨花〓ひ給ふとて春暮て散はてにける花の上は木の本に社とはまほしけれ筑前の入道なくなりて後四十九日のゝゑだい書かせ奉りける返しやり給ふとて極樂のはちすの花の紐の上に露の光をそふる今日哉御返し〓人の上に達の露を結び置ば磨ける玉のひヾに社ませ三月三日はらへしに河原へいで給ひけるに車どものきほひて騷がしかりければ御心の內に解き繩のとくも急がじ裸にはゆふ懸たるぞ神は請らむ三月つごもり郭公の鳴くを集痛賴定言納中權五條のあまうへの御もとに君だちわたり給ひて菊の移ろひたる紅葉のたヾ一葉つきたるを奉りたりければ我のみやかゝると思へば故〓に籬の菊も移ひひに鳬ここももももももひ社やれ紅葉ばの枝に少き色をみる哉みつなりが讃岐へいくにやり給ひける一松山のまつの浦風吹きよせて拾ひて忍べ戀わすれ貝御返したたぬぬより絞りも敢ぬ衣もてまだきな懸そ松の浦波遠きほどなる人のもとより鏡とぐものこひ給ひけるやり給ひけるに君が影見えもやするとます鏡とげど涙に尙曇りつゝと云ひたりし同じ所なるをみてます鏡とげど涙に曇るらむ影を並べて見るは嬉しや上の御弟の三の君の御許にひひくよりぞ著く見えける菖蒲草君が袂にかくる千年はこの返しを〓水隱に生る菖蒲はけふ每に誰に引れてふべき千年ぞ播磨守の久しうたいめし給はで上に聞え給ひける蓬ぬまの憂に生たる菖蒲草袂に懸るねをだにもみよこの返しを逢ぬまは我憂からぞ菖蒲草袂に懸て云ずもあらなむ女房のちごを男親のとはざりけるに故〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓さを訪はぬつらさは秋ぞ先知る小瓜を人の奉りたりけるに○朝夕にたつをやく迄瓜生山麓の霧の晴るゝまぞなき此の瓜を人のもとにやりたりければ。瓜作り今はつらさも忘れてよそになれるぞ戀しかりけるとある返しを。山城のとばの渡りの瓜作こまほしと思ふ折ぞ多かるO人時鳥思もかけぬ春なけば今年はまたで初音きゝつる入いとあかくしもあらぬ月の折に菊のいみじう咲き亂れたれば女房などいでゐて見るとて或る人のさゝめきけるでまだき降りぬる雪かとぞ見るとあれば神無月おばろ月夜のしら菊は四月まゆみの紅葉したりける見給ひて中將殿のかれ〓〓になり給ひける頃なり住人も枯行く宿は時わかず草木も秋の色にぞ有けるひめぎみ"綠なる松の梢をおもはずに紅葉の色のこく見ゆる哉やはたにまうで給ひて木の本にとまり給ひてごみと云ふくゞつまはしよびにやり給ひけるがおそかりければ高瀨舟ふなでこさむとまつ程に^とあれば右大辨やがてにしにもかくれぬるかなをさなき人の親に後れて思ひもいれであるを見給ひて八토もりおほす露も消ぬるませの内に獨匂へる瞿麥の花上の御弟のをさなくおはしける程渡り給ひて一夜ありて歸り給ふに乳母のかたはらなるにねねぬぬる心ちこそすれ笛竹の一よや節の限なるらむおまへなる人の聲をにはかにいと高く笑ひければいふりたてゝ笑ふ聲をば秋過て又鈴蟲の鳴かとぞ聞く式部がやすまさがめになりて丹後になりけるにいきやせましいかゞせましといふと聞きてやり給ひける行き行ず聞まほしきを何方に踏定むらむ足うらの山條痢賴定言り中帽
殿上にて0今日よりは衣の袖も欲からず紅葉の錦身にしきたれば三月ばかり始めて女御殿に御たいめありて後これより聞え給ひける〓他ざりし夜の名殘の面影を宿の櫻によそへてぞ見る御返しお詠むらむ花と一重の匂をぞ折ても我は床しかりけるおなじ女御殿の母うへなくなり給ひて後その御かはりに仰せなど聞え給ひて〓〓をを昔昔の人と思はなむ心はさらにかはらじものを御前にし〓變らじと聞けば昔の人よりもこは增りても賴べき哉玄ほゆにおはして曉がたに波のたてば〓沖つ風よはに吹くらし難波潟曉かけて波ぞ立つなる行きかふ舟をか思ひやる都の〓とを語るやと行かふ舟をみぬ時ぞなき同じ旅にて九月三十日〓常よりものどけき秋と思ひしを旅の空にも宿る月哉十月ばかりよるなゐのいたくふりければ一梢には殘も有じ神無月なべてふりつるよはのくれなゐ尼上のはすのずヾを鼠のくひたりけるを見て〓よめのこの蓮の玉をくひけるは罪失はむとや思らむ物におはしける道にて卒都婆をはしに渡しけるをわたり給ひて一世を渡る誓の方を云做してそとはみ乍らこえ渡る哉白川におはしけるに御ともにゆきよりの朝臣ありけるがかへりけるにおひてやり給ひけり~山里にくればとひ島今よりは戀しき時の形見になせむ返し九打はへて影と賴まば假初の山里にしも後れやはぜむ上の御をばの失せ給ひける御いみにてよりみつの麺は玄での山栞だにしてみえよかしこに後れたる人の爲にととありけるを聞き給ひて浮世には止るのみ社悲しけれ斯云人も有じと思へばおなじ人の御手のありけるを見給ひて見る毎に波はよすれど濱千鳥昔の跡は變らざりけり同じ人美濃におはしけるに御祈よくせさせ給へよの騷がしきなど聞えたりける文を見給ひて長かれと人をだに社〓へけれなどか我身を祈ざりけむ男の女房を語らひて十日となさで參りつゝ申さむといひけるが一月ばかり見えざりけるをいかにいはむと云ひけるに°十々と契りし〓とは鳥の子を重ぬる程を云にざりける返し一十にてと答むる人は有ぬべしみそかにと社云可りけれ中將殿のかれがたになり給ひて五月雨の頃二五月雨の軒の雫に非ねども憂世にふれば袖ぞ濡けるひめぎみ一今迄も長らふる身の微りせば何かは露の袖も濡まし中將殿たえはてさせ給ひて後御枕に螺錮に松をすりたりけるに姫君かきつけ給ひける心心には思出でじと忍ぶれど枕にて社まつは見えけれあはれなることなど人の語り聞えければ形數妙の枕の塵を打拂ひ待つかひ有りとみる折もがないとあかうしもあらぬ月に菊のいと白う見ゆるを上の帳のまへにふし給へるをやとおこし聞え給ひけるをおき給はざりければ梓弓おし引きしつゝ終夜やゝと云へ共いる人もなしひとりをまさぐり給ひておおとこと有とはみれどいかなれば獨とのみは人の云覽中宮の女房人に忘られて歎きけるを十月ばかりにやり給ひける〓紅葉にも雨にも添ひてふる物は昔を戀ふる淚也けり:中納言御返した春散し花を思ひて紅葉ばのめにとまらぬは涙也けりながたにの入道殿の御もとにまうで給ひてかへり給ひけるに、入道殿一見捨ては歸るべしやは山風の峯の紅葉の〓とと訪はぬを御返し一一風吹く峯の紅葉をみぬときも心は常に留めてぞくるながたにより歸り給ひて母の御もとに一故〓のいたまの風に寢覺つゝ谷の嵐を思ひこそやれ御返し、入道殿一風風の身にしむ事は故〓の木の本をこそ思遣りつれ三井寺に入道大納言いり給ひけるに後白河により給ひたりけるに花の心もとなかりけるに歸さに皆散りにければ、入道殿〓〓〓の花は待でぞ散にける春より先に歸ると思へど毎日七ノ行行ふ便ならではこぬ人をこじとや花の色に散けむ又殿の御かへし故〓の主と思はゞとめてまし面變りにや花も見えけむ御かへしニ植置きし人だにもこぬ故〓に歸て花を恨むるやたれいたうわづらひ給ひける頃ところをかへ奉り給へりければ御壁に書きつけ給ひける人の命ながたに山にほると云はャしぬる所は有じとぞ思ふ入道殿にたき物を聞え給ひけるを奉り給はざりければたいづ方に風誘ふらむ梅の花など木の本に匂だにこぬおん返しとてなし人々なくなりける頁ceみる儘に人よ煙と成果ぬこそひの家は悲しかりけり女御殿の御忌はてゝ七月十五夜山の座主のことのゝみかどに常不輕つきにきにけるを後に聞き給ひて一老て社うつべかりけれよゝへても空の鼓の契有やと返し一朝夕に妙なる法をよむ君は世々の後をも何か待べきうへうせ給ひて後若菜を人の奉れ給へりけるをみ給ひて古のかたみに摘める若菜故みるこのめにもみつ涙哉母上の外に渡り給ひて人に物いはぬ行ひにて久しうたいめし給はで歸り渡り給ひて今日なむ暇あきたると聞え給ひけるに急ぎ參り給ひけるに人の文御暇ふるかりてと聞えければ歸り給ひにけるを上はいと待遠に覺してかく聞え給ひけるこの本にきても見難き帯本は面伏せやと思なるべし御返し見え難き帯木を社恨つれ園原ならぬみかはと思へば女院の中納言の君つれなくのみありければ大量畫蟬はは夜に登を身をなして鳴暮しては燃えあかす哉おなじ所の人に又やり給ひける返事を使のせめければかみをひき結びて奉りければ我はとけ跡たれ給へ千早振神の限はいぶせかりけりおなじ所に早うやすらひとてさぶらひけるわらはのもとにこの御なのりして人入りぬと聞き給ひてNK怪くも我莫〓藻を伊勢の海の許多の人にかゝるめる哉これは女に近う見聞ゆる人のいみじう隱し給ふめりしほぐどもの中なりしかばかくなり賀茂の祭の日なるべし加千早振神のしるしと思ふ哉思ひもかけぬ今日の葵は
いかなる折にかありけむC拂拂ふ人ありと聞しを敷妙の枕にいかでちり積りけむ又ユ夕露のいかなる方に置つらむ明るまだにもなき夏夜を御返りなどもことに聞えざりしかばニ相相事こそ人の難からめ我思ふ〓とを知るとだにいへなどやにて年月すぐめりしを師走のつごもり方にいみじう荒れたりつとめて三年年へへ閉閉氷柱も春近みとくれば解る物にざりけるかへし〓數妙の枕もとこに閉られて解ぬはとけぬ心ち社すれ例のつまどをならし給ひけれど聞きすぐして明けにける又のつとめて待人や有明の月と思しをさしてやみにし槇の妻戶を五御返し獨のみ有明の月の山の端に入までさゝぬ槇の妻戶を女御殿の內に入らせ給ひての春物忌にてまゐり給はざりし頃鶯は都の花にうつるとももとの古巢は忘れざらなむ御して雲の上を習はざりける鶯は元の古巣を戀ぬ日ぞなき殿ゐ所など物さわがしきを今宵せちに聞ゆべきことなむ御車の有明の月のいとまばゆき程すぐしてとて所をもし給はでタ夕夕夜月夜まばゆき程も過ぬるを待人さへや出がてにするおん返しとてなしある人のもとに通ひ給ひけるころ内に參りて久しういでざりければあやにくに此の頃はありきもせでつれ〓〓なるまゝゝに例の所にいきつゝなむ慰むるとて、〓態促てあひみし床に立寄れば枕に塵ぞ待ゐたりける敷妙の杜はさもやなかるらむ待ゐし塵は數積りにき局におはせし程に尼上に申さることありし人のたちよりたりしを何しにきけるぞなどむづかしげにおぼしてあけにしまたつとめてきし方も疑はれけり月よみしならし顏にも訪し人哉かへしとてなしまぎれ給ひし所ありし頃五節に內に参りたれば日影さす雲の上にはかけてだに思ひも出じ故〓の月返し殿上人參りなどしていと物騒がしければわろきなめりとぞ影とめぬ月に心の暮初めて豐の明も知られざりけり里より内に送り給ひてせちなる事ありて出づるなりとありしつとめて聞えし待かねの里を出ぬと思ひしを大方年の名に社有けれかへし慈ふとし伏見の里と聞しかどなど待兼と人の云らむさか井といふ所にしほゆあみにおはしたりしに聞えし覺束なさかゐ遙きき人のながゐの浦に長居する頃六返し六遙々とながゐの浦を詠つゝ戀しき〓との名社つらけれ內に參りたりし又の夜せちにいふべきことなむあるとて御車のありけるをさるべき人々さぶらはぬ程にえ出でざりければ心の內をみせ奉らばやと聞えたりければ憂人の心の內をみせたらば最どつらさの數や增らむかへしcl普よりつらき心を堪へてみば人に幾重の數をさゝまし里なりしに今宵はうちのとのゐとていで給ひしを例の所にやと思ひしかばつとめて聞えし一打かはし重ぬる床は何なれや返し侘つるよはの狹衣集痛限定言納中權返し返すとは聞えぬ物を唐衣かさぬと聞くぞまさる濡衣うちに參らむとせしに關白殿の白河殿にまゐり給ひにしにさはる事有りて參らずなりにければつとめて聞えし行行もけふは猶こそ滯れつてにも花の上を聞くとてかへし行く道も滯るなる花の上を急ぎていかゞ人に語らむある所に通ひ給ひけるころ內にさぶらひしになどか花を歸りてもみつやは猶やあくがれむ花も主も盛過なば返しおあくがるゝ花の心をみる程に我さへ旅の空寢をぞする物憂くていでぬ程にこゝちの惡しかりければくるまたべと聞えたりければ諸共に逢も思はぬ中らゐのくるまはいかに久しとかしるかへしル知ずやはくるま〓〓の久さを心うしとは懸て祝ふとかやうにいひつゝ明かし暮しゝを淺ましうめにちかう見なし聞えてこゝに入り給ひぬめりしかば今はふりはへてもなど思ひしをしられたりけるに御文といふをとりいれたればありしにも似ずいとうと〓〓しきたてぶみにてこまやかにまめやかなる事どものあはれにおぼしなりたる事どものあるなかにかきまぎらかしたるをとりいでたるとて七な思いすて出でにし宿のつまなれど下に忍の草はおひ島とありけるこそ誠に哀なりしか返しとてなし又の年の春都にいで給ひたりし頃さうしもて隔てたる所にあまうへおはしましゝかば御經の聲ばかりはかはらねどありしよとも覺えずいと物哀れにてすぐしゝに暮つ方常よりもよみすまし給ひたりしに雁のなきたりし聲にも涙留めがたき心ちするに内よりとて俄に車を給はせたるにとく〓〓と騷がすをかくなむともえ聞えあはず車にのるそらもなき心ちするにたゝう紙をさがし入れたるを見ればかうぞかゝれたりけるの計計り聞だにあるを雁音の最ど雲居になりぬなる哉めくるゝ心ちしてみじろぐも覺えねどかならずとさぶらひつるをいかに〓〓と車の人々のいふに心あはたゞしくて「雁音の雲居に鳴む折每に馴し常世を戀ふとしらなむと紙のはしに書きつけしはか〓〓しうも見えざりけむかしとぞありしおき給ひける枕をかたみに見つゝすぐしけるに御文にかくてよろづすゝましうやと思ひしにつみのかうのみ覺ゆる事のみ多かればなむありし枕給へ佛につくり奉らむつみもほろぼさむとありけるを押しつゝみてとみに御返しもかきやられざりければ包み紙に手机の佛にならむ後の世も假そめぶしの人を尋ねよかへし御返りごとのなきこそなか〓〓ことわりなれとて今一とはかてす枕はあかねども共に佛の道を契らむ方ふたがりてとみにも歸り給はざりし程にしも月ばかりより例ならずなやましうし給ひしにいみじう物心ぼそげにおぼしたりしを常のことに思ひなしてあからさまに內よりめしたりしかばかくなむと聞えたりければいとかう心ぼそきに〓近近み峯の朝日の出るまもまたでや露の消は果なむ車寄せて例のとく〓〓とせむるに心ちもかきみだりてはか〓〓しう覺えずとて返しとあれどなし内にも御藥のまとて騒ぎみちたるにこなたかな
た心の暇なう亂れていそぎまかりいでたれば近うおはすと思ふは賴もしけれど今は文なども力なうてえ聞ゆまじきこそくちをしけれこなたにと聞ゆべけれど今更にあいなくてかたのやうにはなしてかゝれたりけるこそはてなりけれ木木れれ殘殘れる雪の下消て日を待つ程の心ち社すれ御返し物も覺えざりしにかくまでつげけむこそ誰もよにふる空もなく下消の行止るべき心ち社せねこれは又今聞きつけたるなり法師になり給ひて後この姫君のわづらひ給ひければあからさまにいで給ひたりけるをいみじうなき給ひて御小袖をひかへ給ひければぬぎすゑして奉り給ふとて戀しとも思ふ心のなければや夜の衣を返さざるらむ御返しとてなしみたけさうじしてつれ〓〓におぼされけるに經のさるべきところ〓〓人によませ我もよみ給ひけるに止すく草庵といふ所をわくらばに逢る親共知ずして猶草の葉に宿リもぞする月のあかゝりける夜か行末の月ぞゆかしき古も今宵ばかりの影はなかりき上の御もとかれ〓〓になり給ひて後姫君のみゝずがきを書きて奉れ給ひける返事に〓朝夕に我撫子の花の色をかれ〓〓になる袖ぞ露けき尼うへの御もとよりひろめといふ物奉り給ひける包み紙に書きつけておき給ひける候みせてちらすな峯のこがらし入道殿御返し名に高き峯の嵐は寒からじ紅葉の錦みにしきたれば越後の辨にかれ〓〓になり給ひけるころ菊の花を奉るとてニつつかかむむ社社有め君ならで誰にか見せむ白菊の花返し初霜にまがふ籬の白菊をうつろふ色と思ひなすらむ大貳三位集年の內の題百二十ばかり書き出して右近少將師時よませられしみなわすれて立春答川の氷吹とく風の音や春立けふのしるしなるらむ臨時客諸人の松引きつれてくる宿に春の心は山にざりける卯杖か浸度か千年こもれる卯杖つき君が榮行く春に逢べきあをうま議立つ春の七日に引駒は野べの若菜に色ぞかよへるよぶこ鳥我をしも喚子鳥にはあらね共聲する方に心をぞやるうぐひすか春どに聞とはすれど鶯の聲にはあかぬ物にざりける春のあけぼの00たとぶべき方なきものは四方山を霞こめたる春の曙歸雁。櫻花さくを見すてゝ雁がねの雲路に歸る聲ぞ聞ゆる櫻をうゑてこいいに又待せ〓〓て櫻花咲程もなく散らむとすらむ春つかた熊野へ參らむ手向にぬさすこしと山のひじりのこひにつかはしたりしに10たてぬきに柳櫻をおりみたる春の錦を手向にはせよかへし■○關の神ことぬす人に思ひなむ山のたむくる春の錦は人のもとにまかりてかへるとて10時こそあれ春しも歸る雁音は花に心を懸やとむらむ山里に罷りたるに竹のかたはらに花をかしう咲きたるを風いたく吹きて竹の葉も花も程なき賤の屋にひまなく散りかゝりたるを見る程に京より何事ぞ申したりしに見せばやな笹の庵に春風のたくみにおろす花の上葺本院にて花盛〓〓葉葉のときは習ひに櫻花しめの內には散さずもがな東山わたりに花の咲き初むるも散るもさま〓〓心のとまるもあはれに思ひ知られてか。心をば咲散る花に類へつゝ我何の身にならむとすらむ本院におはしましゝに人々參りて花見し中にね櫻花此春よりは吹風にちらさぬ物と知らせてしがな歸る程に花にむすびつけてやり水にながす〓散花は水にも暫し淀みけりきて見る人ぞ風も吹敢ぬ弘徽殿のほそ殿のうちに齋院の花かやおほくちらされておしおかれたる、源中納言おもひいでゝなほざりにだにとへかしなかへし一此月に匂ふ櫻を見てもまづみ垣の花を思ひこそやれ同じ人おなじ殿のひんがしおもてにきりたてをし置きて二三日參らぬ程に花の咲きたればかくなむとつげに遣したる返事にそれをばいかゞせむずると有りしにニ折添へし枝に櫻と〓やらば散や散ずやなどか尋ねむかへしちらすなと折て預けし花なれば心靜に思ふとをしれ花見にまかるとて故少將に君ならで又誰をかは誘ふべき花見にゆかむ春の山道齋院の花を見てまゐらせしなそのかみはなれし御垣の櫻花梢遙かにあかず見る哉御返し折てこそ匂は見えめしめの内に霞こめたる花の梢は仁和寺の一品の宮にまゐりて花の夕ばえの外よりもをかしう見えしかば女房のもとにル珍しく見る折からか山櫻いづれの春もかくや匂ひし花見ると聞きて六條院の女房か尋ぬらむ四方の櫻を思遣る心さへこそ花と散りけれ返し〓諸共に見ても惜まであやなしや花に心を散し換ふ覽中宮のたいばん所より一先だつる心をしらで櫻花尋ぬる人になりやしぬらむ御返し一心こそさきに立とも山櫻いとかばかりの匂をば見し花を尋ねて遠くいたる花見ると春は心のあくがれて山路深くぞ尋來にける三月つく年をへてけふに心を盡す哉惜むに止る春はなけれど11 岩戸明し其神代より暫し尙過行く春を留めざりけむ四月一日意友たちかへりけるけふよりは山時鳥一へにぞ待つ四月一日頃さかりの櫻を人のおこせたるかめにさしてお前に置きたるに三四日ちらず源中納言のがりつかはしゝ雲の上に千年を契る君が代は花も常磐の櫻なりけむおこせたりし人のいかゞ申したりしにル珍らしと雲の上まで尋ね見き春よりおちし一葉櫻を殿師實のひこの君に見せたればた春はいかに契置てか過にしと後れて匂ふ花に問ばや
〓問はましを花の物云世也せば他で過にし春の行方を四月ばかり始めて遣したる高つなの宰相の女一忍急ね時鳥とや成なましかたらはまくのほしき君故かへし打とけむ折ぞまたるゝ時鳥忍兼ねたる聲を聞くにも杜若あた人の宿には植じ杜若心へだつる名にもこそあれ卯の花卵花は垣ねわたりの月なれや咲る盛は關なかりけり賀茂のまつりいいななばう月とわけて瑞垣の神の代よりは祝初けむともし〓人人の夏の夜深く入さ山照射の影の見えみ見えずみ五月雨三五月雨の日數積れば庭の面に舟出しぬべく見え渡哉螢〓〓〓亂亂る玉かとぞ見る岸近み草葉にまよふ夜はの螢は女院部芳の根合に人に代りて加君が代の長き例に引けとてや宿に菖蒲のねざし初けむ蟬二夏山もとよむばかりに明たてば誠に蟬の聲ぞ聞ゆるいづみニ夏の日も掬ぶ泉の凉きは人に知られで秋やきぬらむ水無月二つ有る年の後の七日にニー常よりも歎やまさる七夕は逢はまし暮をよそに詠て三水水月の除れる年は彥星の戀ふる歎ぞ口數そひぬる水無月はらへ〓思ふ〓とみなつき果る今宵より頓て名越の禊をぞするすがぬきする程に七日なむかならず行くべきと人の申したりしに夏夏つる夕に秋の御禊して七日の空を我も待つかな七月七日まゆみの葉にかきつけて七七夕に梓の眞弓貸す〓とは射るが如くに君きませとぞ良せんが十二より六十七になるまで年ごとに七夕によみて奉りける歌をうせてのちいもうとの見せに遣したりしに七夕に心よせけるけふかさは渡りもしなむ鵠のはしかへしハいい計計嬉しからましけふ〓とに唯彥星の逢夜也せばうるふ七月七日〓暮行くを待もやすらむ織女は過ぬる月のけふの習に萩cal秋霧の立つにまかせて野べ每に折懸てけり萩の錦は一〓なな小小ががもとを打見ればけふこそ花の盛也けれ薄ニュニ白露はむすびおけども花薄招くたもとの綻びにけり雁五古〓の淺茅が末葉色つけば初雁がねぞ雲路わけゝる鹿四色ならで身にしむ物は秋の野に妻戀兼るさを鹿の聲五鈴蟲14秋秋に聞馴せ共いかなればふりせざるらむ鈴蟲の聲霧短朝な〓〓立川霧に道見えず板田の橋は名告して行け轡蟲五なななててる人もあじと思へ共驚かれぬる轡蟲哉いなおほせ島〓秋くれば稻負鳥の涙かも草の葉ごとに露ぞこぼるゝ夜ふかく衣をうつを聞きてム誰誰又秋の夜深く寢覺して衣しでうつ音を聞くらむ衝立障子の繪に紅葉ひまなく散りかゝり満落らたる山のもとに人々あまた見たる所しきしがたに物かけと仰せられしかば落たぎつ瀧の水上音せずば錦をさらす山路とや見む九月のつごもりの日如何せむけふ計りなる秋の日は惜む心ぞ共に盡ぬるうるふ九月つごもりの日常よりも秋の數そふ月なれど暮行けふは飽ずも有哉紅葉神無月よもの山べは色々に紅葉の錦立ちぞきにけるあられマル被ふる時にしあれば賤のやも玉の臺と見え渡るかな霜六蠶枯と誰か云けむ置からに千種の花の咲と見ゆるををし冬の池に住馴にけるをし鳥の霜打拂ひよはに鳴なりみぞれするに人久しく音せずといひたるに降亂れ我身それとも思ほえず有る物とてや人の恨るほふりんに參る道に雪かきくらしふるに身のうさは消ぬ也けり小倉山行惑ひぬる道の空かなささででに問人もなき山里に道見えぬ迄降れる白雪雪のふる日白いものをふたに入れて遣したる〓〓搔くらす雪げの雲に埋れてかたはれやらぬ月の影哉かへし一七降きらす雪げの空の雲間より片晴出る月とこそ見れ賀茂にこもりたるに雪のいみじうふるに心ぼそううち詠むる程に神の御おろしとてくぼてを入れたるに一誤して詠侘ぬる雪もよに神のひぼろぎとくは嬉しきまさなしや春はいですとよ年のくれ我が捨る年は暮ねど宿毎にやらふは老の鬼にざりける暮れぬるを取り留めばやなど人の申したりしに暮ぬれど年は中々返りなむ留め難きは我身なりけり七本院にて人々參りて松の葉水にえいずといふ心よませたまひしに長関なる水に映れる松蔭は千代をば川と見する也鬼人の祝の歌こひしに神風や吹き初めしより花薄君にぞなびく八百萬代と一日頃春宮わたりの人こひしに〓つつききひそふ松の枝毎に千年を契る君が御代哉右近の中將同じ所にゐられたりしに九月晦日の日たゝれしに命命らら秋秋のけふには逢もせむ別る君をいつと待まし七〓理りに君こそ急ぐ道ならめ惜む涙はなどかとまらむおやの思ひまて十三日になる日〇亡魂は影だに見えず亡魂は人の爲なる名に社有けれ同じ年のつごもりの日別れにし年はけふにて限れども戀る淚は盡せざり鬼七月七日ぶくぬぐに着しにもまさる心ちして藤藤けふしもながす涙川あまの川水そひやしぬらむ齋院にて庚申の夜籤のお前にて夏夜戀をとりてシード燃る戀の烟に夏の夜は山路なられど戀しとやいはむ歌合をせさせ給はむとせしをり戀そめし人は斯こそつれなけれ我涙しも色變るらむ八人のこひしに夏の戀の心涙さへたぎりて落る夏の夜の戀こそ醒る方無りけれ齋院にて庚申の夜、春の夜の月萬代を霞みて靡くしめの內に朧げならぬ春の夜の月秋の月を見て長閑にも詠めつる哉天の川雲吹きはらふ秋の夜の月八月十五夜ハ月影は同じ山より出れども秋の半は照りまさりけり月のあかき夜源中納言集位三貳大
見ぬ里もかくや隈なく照すらむ月の光に我が心あれかへし2尋ね來る人も有りやと月影を朧げにやは誰も眺むる此院の人はいをのみねて月見ずとかや有るとかや返し八月二十日宵の月出でゝ後源中納言より一誰か又有明の月を詠めつゝ旅の空なる雁がねを聞くいづくにもおはせむ所を尋ねてといひしかど今宵は家にねてと聞くこそをかしく月あかき夜右少將おはして急ぎ歸るとてとまりぬべき歌とありしに〓より懸む正木の蔓たゆたひぬ思の網の君に見えねばある山里に伯の母などいきあひて春の月出づる程に九いつかまた廻り逢ふべき足引の山懷にふしまちの月mあらしなぞと思ふ浮世の思ひ出は月見る程の心也梟妓捨の慰め難き月影といとかばかりは詠めざりけむ〓いか計り隈なき夜はの月なれば懸る涙に曇らざる覽いつ頃の月かすぐれてはおぼゆると人のとひしに十月ばかりの風うち吹き時雨れつゝ隈なしと見れど曇り勝なるこそ見すてゝ入りがたき心ちすれと申すにそよ我もしかなむ覺ゆるといふに意增す晴れみ晴れずみ半なる月を哀と君も見ければこれを聞きて右近の少將月あかき夜よふけてしぐれぬよの月は見でいたづらにやとねたるとておはしたりしに〓と共に君と有明の月を見ば所もわかず折も定めじ九月十三夜かいつも照月ぞと思へど長月の今宵は光殊に見ゆらむ00月月の今宵の月は晝なれや〓かになるにも朧めかれ島時網がむすめのひごの君がうたをよくよみてつかはしたりしに。いかで君深く知りけむ古の跡かはり行く敷島のみち返しこの院のせんひご。〓知べする人にも逢で敷島の古き道には惑ひこそすれかんしの夜あやめ草句のかみにて戀100あな戀し八重の雲路にめも合ず暮るゝ夜々騷ぐ心かあはせたきものすこし°〓〓見見ももはは涙の堰も敢ず立歸れせこきても恨みじおなじもじなき歌試みに〓〓ふふよよ今は限の旅なれや行末しらで胸ぞもえけるなをはじめつを果てにて夏の心加鳴聲は變らじものを時鳥聞く度毎におどろかれつゝあをはじめきを果てにてto天の川今や七夕渡るらむ更け行く空の風ぞすゞしき四季に有りしみな忘れて(如元)人の許に籤の御前の黃塵ふみの事思ひもかけず心もえねどもn有有たたせむとや金の色の石に成けむ夢のうちの戀加轉寢の夢見る程もなき夢の現に戀ぞぬれまさりける上陽人〓燈火の盡るをきはと詠めつゝ哀れ幾よを歎來ぬらむ一紅にたとへし顏も霜降て疎き人には見えじとぞ思ふすきかへる程も知られぬ窓の內に春と告つる鶯の聲長き夜は明やしぬらむ覺束な窓打つ雨に驚かれつゝ楊貴妃君と我此世の後の後も又木とも鳥ともなりて契らむ道のべに駒引渡す程もなく玉の〓絕えむ契とや見し大淺ぢふに秋の夜つらく睡まず蟲と共にも鳴明すかな〓私風に空やは花のみだれつゝ涙の玉ぞ袖にちりけるヘ星星にかけて契りし言の葉は長き恨となりにける哉獨獨の床はしどろに亂れつゝ鐘より後も明し侘ぬる后cささ中に契し〓とを忘れずば玉の簪をそれとしらじや一道のべに絕にし玉の〓なれども尙後世は長く結ばむ一思ひきや波路隔てゝ幻の言傳ばかり聞かむものとは三かけて云し星合の空を詠つゝ心を碎く身とぞ成ぬる齋院に參りてつゝましうくやしうのみ覺ゆるにいかにと人の申したりしに〓暫しなど梓の眞弓引みつゝ思ひためらふ程無りけむかへし例なく歎きにやその梓弓思ひの外に引きはなれしを身をなきにして思ひしづまれと申したりしに亡物と樣々みつる身にそひて歎は絕ず又いかにせむかへし我がかれずさいたつまとや春日野に野守の鏡いざ尋見むと申したりしにをかしくさいたづま盛ならねば白露のおけりめにせむ〓との難さよ久しう音せずと恨みたる人に今よりも君にはつらく成ぬべし恨るからに添ふと思へばかへし〇〓恨るを問にしなさばかき絕て忘計りに成やしなまし何かと人の申したりしに一いつとなく蜑の刈藻の思侘び我やく顏に藻鹽垂つゝニー風ふけば空にたゞよふ雲よりも浮きて亂るゝ我心哉有一かじ此よの外に尋ぬとも淚の袖に懸るたぐひは〓斯計憂をも知らで長ふる身より外にはつらき人なしゐなかなりしを人のかたらひたりしに我神は荒磯浪にぬるれ共生きたるかひは又や拾はぬ後拾遺聞えし頃良暹が集をいもうとのおこせて申すべき所やいかゞといもうとの申したりしに〓〓送込し金の玉の聲なれや止れる跡も身にぞしみけるかへし〓事でかは聞も知るらむ卷込めし金の玉の聲は有れ共かへし〓名に高き黃金の玉の其聲も爭で知らまし君し告ずば源中納言かぐら歌などに集たびてとりなきぬとていそぎ出でられしに2神神まま木綿附鳥も心あらばあぐとな告そ忍音にたつこのせうそこを左京大夫われつたへむとてあさてばかり參らむとて出で給ひけるをなどかなど聞えたりければ、たいふ9歸雁玉章かけて立ちぬれば雲の上にはいかゞ止らむ返したばらむと有りし程に過ぎにければ一旅の空玉章かけて行雁も契りし程を過ぐしやはする弘徽殿のほそ殿に左京權大夫俊賴物語して今しばしも侍るべきをいみじうひえ侍ればと申せば女房しき物を奉らばやといらふるに敷物は石だゝみ侍りけりといらへたるに人に代りてニー石疊ありてふ庭を君にまたしく物なしと思ひける哉かへしニセ名にしおはゞ身もさえぬべし石疊片敷袖に衣重ねよ同じ人春つかた同じ細殿に參りて過ぐる人をかれしばしみづかへといひとヾめよとあるをいらへもせでたつをり水かへと申し侍りしかばこれは空ごとならむとて行き過ぐるに南のえんを今しも見むやうにかゝることこそあれ何の料ならむと申せばたなはしにもなれかしといらへたればいと情なきことさらば脚をれむ馬をあづけましてさはかちより歸るばかりなどいひて暫し有りて立ち歸りぬるにおぼつかな春の夜深き放駒跡を尋ねむ方も知られず四返し又の日おこせたりし文のことばこそをかしかりしか려取り繋げみかきが原の放駒浮世に荒れて跡も定めずかねふさの集たづぬとて
木本の本に落積りけむ言の葉を君計こそ世には散さめ返し、たかつなの宰相のうへ樹樹に落も積らぬ言の葉は唯風にのみ任せてぞみしものに籠りたるに近きはくの母のがり罷りて歸りたるに音づれたればxx今よりは菖蒲の氷宿からむをと娘ゆゑ君もとひけりかへしはくの母呂カミをと娘其故のみか蘆垣もかくま近きをあすもされこよ又かへしcm2すすささね行てこそ見め櫻人豊浦の寺の近きわたりに同じ人みだをくりておこなはれしを思ひ出でヽ一朧げの契とぞ見むうべのりを振放したる音を聞しも殿の肥後の君三慧の曉にぞ逢はまほしきと申ししにユニをもををもてつれば久きにけふ社いらめ西の門には二人思ふ心は藤の花なれやとひ來る程を松にかゝれるすゞりかめにさうぶの根をきりて入れたりしに生ひ出でたりしをまゐらすとて証誰か見し世に住の江の諸人の硯の瓶にさす菖蒲をばかへし門の君五位の江の硯の瓶の菖蒲草ちよの例に引きてこそ見め齋院に參りてのちある宮仕人おなじ所にと思ひしか口惜しくみづから思ふにかたふたがりてなど申したりしに〓事事のたがひ初にし中なればふたがる方も如何無らむ久しう音せぬ人に笹蟹の蜘手にさこそ問ずとも斯書絕む物とやは見しこれを聞きて源大納言のぶふさ今は左大臣殿のまぬきとぞいふかしいかに斯絕ゆとは云ぞ笹蟹の蜘の印を見せむと思ふに法華の玄義ありと聞きし所にかりに遣しゝが東束なまだ踏馴れぬ道なれど法の爲には尋ねつる哉二三日ありてほかに尋ぬとてつかはしたりし。げげ契契らでは有り難き法の道をも尋ねつるかなかへし尋ねける契も嬉しこれやさは眞の木の實拾ふてふ圓うんこじの聖あかゞねのうすと聞きて鏡などつかはすとて2知知せよ鏡に映る影よりもこは出難きうみのよなれば人のくどくつくりし所にほうもち遣すとて消えがたき昔の人の燈火に思ふ心はおとりしもせじ齋院今はうちにのみおはしますに里に出でさせおはしましたるに人々參りてかぐらして遊ばるるにうち島羽院にて宮人うたはせおはしましゝめでたさ思ひ出でられてゆふ幣や神の宮人偶さかにもり出しよはゝ尙ぞ戀きかへし源中納言ゆふしでや懸てないひそ宮人の雲上にて遊ぶ氣色に本院におはしましゝ折人々數多參りて琴ひき御遊びありしに其の夜罷り出でゝ又の日進らせし友にのみ飽で歸りし琴の音は今日に戀き物にぞ有けるかへし左大將今は左大臣殿琴の音の爪音飽ず思ひせばしめの內にぞ引留めまし鷹狩に雉子のうち鳴きて飛び立しみし哀にこそ御狩野に飛立雉子ほろ〓〓と鳴々我も悲しとぞみる故少將はなれぬ人に通ひそめられたる頃なならなの夜頃の程も白糸や結び初ける筋は替らで人の中々身をばなげずやいかにと中したりしに。〓假初と思絕えにし憂身にも尙歎かるゝ折ぞおほかるある所に尋ねらるゝ集奉るとて〓〓隠れ埋れにける言の葉も木の本ならで散すあやなさちらさじと思ひし草子をかくも有りけりとて見集位三貳大せに人のおこせたりしさもやと覺ゆるわたりの人の手にてありしかば七ヒいいゞやむなだの鹽燒風早み思はぬ方になびく煙を賀茂にあらむづる程に參りてその夜又參りたる人をとまりて物申しげなるけしきにてよふくる程にひとりごとに千千千振神の驗を御手洗の水ともいかで思ひにしかなと申しゝを聞きつけたりしこそ哀に瑞籬の神の驗を取もみて今日よりこそは御舟成らめ人の歌よみてと申しゝに歌めせど心工みのはかなさは斧の音してえこそ作らね人の戀の歌よみてと申しゝに我にてはげに堪難し戀の道人に代るも苦しかりけりうちのごぜんのおほん琴ひき遊ばせおはしますを聞きたりとて七琴のねはうべ松風に通ひ鳬千年をふべき君に引れてとこそ申さまほしかりしか内に人々の集召しゝにまゐらすべきよし一の宮のきの君のがり申しにつかはすとて〓君に社尋ても見めわかの浦に立べき波の跡は有やとかへし紀伊のきみ〓事でかは和歌の浦波名殘ありと雲の上迄立昇るらむかれ〓〓なりける男のたまさかにみづからなどつてに申して程ふれば待ちかねてかやうにこそ申さましかo淺淺より絕や果なむ山井のみづからとのみ空賴めしてかやうなしてをかしやかなる見所あらじと人の申せばあらましごとさへかきて人なほ有ることなきことの傳へてこよなかる方にもくめるいとかたはらいたくて知らぬにはあらで思ふあたりに數のみ多くつもりて返す〓〓見ぐるしう〓隔多う三十計りにも過やせむ我また知らぬ敷島の道あなかしこ〓〓百八十四このうち二十人これはかくし題くつわむし數ならぬかゝるみくづは筵田の鶴の齡に何か祈らむむらすゝき紅に見ゆる山べは時雨つゝ幾むらすゝぎ懸くる錦ぞものを思ひによせてたかばかり、いはひ〓君が代の千年を兼て角田川假にもあだの影は映らずとりはゝきか達ふ事をいつかと松の深綠はゝきの露は色ぞ變れるすだれかげし風にちる雲をあだにも我は見ず誰か煙を逃れ果べきはなかむしい妻戀ひば苦しかりける秋は唯花か蟲かを寄て問見むかきひたし小山田に鴫こそ來ぬれ百羽搔浸しかければ音も隱れずへすゝか紅葉は柞の森や皆かへずすぐれて色の深く見ゆればうちのごぜんにかくし題によみにくきものと仰せられしついでにかや、ほとゝぎす賴めしを待渡る程時過ぐしきなれ衣を互みにぞ見る¥辨乳母集白川殿の花の水に散るを一百川の近きわたりにちる花は梢に懸る波かとぞみる
天王寺にまうでゝ龜井の水を『萬代をすめる龜井の水やさは富の小川の流なるらむ弓を神代より佛もあたは防ぎけりこや賭弓の始なるらむ嵯峨野に花見にいでたるに宮より給はせたる九露ながら折てを歸れ女郞花嵯峨野の花も見ぬ人の爲.御かへし松本のねながらこそは女郞花わが都には引て歸らめ大殿袴のこしに書かせ給へる〓美しむすぽゝれたる下紐の解けぬや何の心なるらむ御かへし〓紐紐人の戀るに解なればたがつらきとか結ぼゝる覽大殿まとかきたる扇に空言どもをたはぶれさせ給ひてんまとにのみ心はみえて梓弓もろやに餘る春にも有哉御記しかまとにみる人し無れば梓弓かは離れたる心ち社すれ又殿。梓弓ともねも絕て終夜かははなれたる〓とをしぞ思ふ萩の末ををりて瓶にさゝせ給へるを。朝夕に風のみ繁き野べよりも久しかるべき萩の末哉宮春宮に入らせ給へるに殿上人こゆみいて宮の御かたにかけもの申してひわりごの上に的かきたるに葢に花をちらして書きつけて臺盤所には入りたる1勝負の弓のやまぜに散花を圓居の外の人もみよかしとあればかねのまとを盛なる枝につけてco梓弓同じまとゐのうちなれば散らぬ櫻の花を社みめ宮の御前に前栽うゑて人々歌よみけるに〓庭もせに植たる花は君が代をのべとぞみゆる秋の宮人同じ宮程なく失せさせ給ひての御忌に姫宮の御まへ御堂におはしましゝに十さいたうの地獄のゑを人々よむに十八日つるぎに人の貫ぬかれたるをいかにせむ劔の枝の撓む迄重きは罪のなれる也けり一品宮枇杷殿に十月に歸らせ給へるに御帳なるさうぶを御覽じて。菖蒲草淚の玉にぬき替て折ならね共ねをぞかけつる江從かへし侍〓玉貫し菖蒲の草は有乍ら淀野はあれむ物とやはみし又の年の春大納言參り給ひてすびつの灰に手習にno花の香の匂ふに物の悲しきはとありしに春やむかしのかたみなるらむと聞えければ大納言どのわ香を留て君が形見に惜まるゝ花の姿は風もよかなむ御かへし〓形見ぞと思はで花をみしだにも風を厭はぬ春は無りき大納言宣耀殿の御まへに花のいみじう散りければいかゞ見給ふとありしかば散るこそ花のさかりなりけれといひしかば咲きさかぬ所もわかず吹風は歸る雁折しもあれいかに契りて雁音の花の盛に歸初めけむ殿上より郭公を山菅してむすびてなでしこにこと語らふか時鳥とて入れたればはなたち花のえだをわすれて殿上人內に御忌に多くこもりて若宮の御方にくだものゝおろし申しければいだすふたに一つに集母乳辨は紅梅一つには白き梅をおろしにて色をも香をもとて結びつけたればつねのぶの君知る人のしるなる花の色なれば君みる覽と思ほえぬ哉返しエ知れば社知ぬ人をも知ずとは知を知ずと云人やしる野宮にさふらひしを人のもとよりあたり寂しき旅ね所にていくそのことを思ひてむといひたりしに木の葉ちる峯の嵐に夢さめて何事をかは思ひ殘さむ院うせ給ひて三位のもとに哀君いかなる野べの烟にて虛しき空の雲となりけむ御かへし思思君君ええ烟にまがひなで立おくれたる春の霞を白川殿にと聞きし頃何故に都のほかに旅寢して鹿のなく音に聲を添らむかへし〓哀をば知ぬ山路も無りけり思ひも懸ぬ鹿さへぞ鳴く上うせさせ給ひて五月郭公の鳴きければふるさとへ言づてやせし君獨こえけむしでの山郭公もとの人はそのかみ忘れにきとありしかば石上ふるの社を忘るれば後ろめたなき三輪の山もと小家に竹をさしたるをとへばはやしといふに虎のふすのべならね共賤のをの宿こそ竹の林也けれ松の尾行幸春宮の女房みけるに嵯峨野の笹の上に立てゝ花どもをさしてその野を一くるまつゞきたり薄の車に源少將つねなか打招き氣色ことなる花薄行き過ぎ難き心ちこそすれ返し行過ぬ氣色ともみず花薄招くにとまる人しなければ人にかはりて君だにもね絕る宿の菖蒲草餘りうきには引人もなし四條の宮に家の紅梅を奉りたるに外に渡らせ給へるにみるにめでたく咲きたれば七かばかりの匂なりとも梅の花賤の垣ねを思ひ忘るな古〓の遠くなるまゝにいとゞしく秋は露けき草枕哉ごれいぜん院うせさせ給ひて女院より齋院の女房のもとにたこぞの今日かくや契し神山に摘し葵の掛まくもをし御かへしかかまくは代畏しとこそ祈しをはかなかりける葵草哉齋院おりゐさせ給ひてこぞの葵を一懷しきかさへぞつらき神垣に今は枯ぬる葵と思へば宮の御四十九日の御さうぞくのあまにてありしをみて花にのみ染めし袂を打かへし涙のかゝる色ぞ悲しき春日祭り一一年に二度まつる三笠山さして千年の影とこそみれ時鳥をきかでたヾあらまし物を郭公み山へ歸るけさの一聲殘の木々に雪のふりかゝりたるが櫻に似たるを一神無月もみぢに降れる初雪はをり違へたる山櫻かなむこになりにたるつとめての歌人のこひしに岩岩代にちよを過らむ程よりも待は暮社久しかりけれかぐら岡にて子日せし人に一冊岡も遠き渡りに子日して綱手に千世の松や引らむ春宮の御前に菊をおほく植ゑさせ給ひてまうすにあやにくに給はせねば星とのみ見てややみなお雲の上に惜ませ給ふ白菊の花と申したれば色々に移ろふ菊を雲の上の星とはいかゞ人の云らむ大殿たんばの家に渡らせ給うてこのゐたる家の向ひにて萩いと招くと仰せらるゝとありしかば集母乳辨
60mあなかしこ招申せと荻のはのそよと計の仰せ事なしいづものうへ荻をこひておそうとり給ひしかばなどかとは聞えたりしかば一忘れつゝ堀も植なでやみなまし荻吹風の音無りせば御かへし八月なればニーほに出て秋も半に成ぬるを今日しも荻のそよと云覽九月西の院にいづもの母上のいみにておはせしにおなじ頃故三位のおはせしが思ひ出でられてニ搔掻ぐぐれ思こそやれ見し夢に變らぬ宿の秋の景色を少將のちご生れたるに美濃守のきぬおこすとて鶴の子の巢立始むる色衣ちよに八千代に重ねてぞきむかへし所祈るめる數多のつるの色衣にまた萬代を我は重ねむ六條に渡りたるに中島の松のいと木高くめでたきに〓かかぬぬよよ景景ととゆる哉此の中島の松の綠はかみ返しやみどり子の心ちこそすれ中島の姫松えたる宿の主は四月に郭公のなきければAN時鳥み山出なる忍び音はいづれの里の誰か聞くらむ五月雨覺東な遠方人やいかならむをやみだにせぬ梅雨の頃しかco秋秋みよはの時雨に寢覺して遙にしかの聲をきく哉年頃宮の御祈に石山に詣でつるにみかどにゐさせ給ひて例には似ず心ちのいとめでたく覺えてユかゝる世に逢坂山は越けるをなど澱みけむ走井の水せきに人の逢ひたりしかば一走井の水の心も行きはてゝうれしき旅のあふ坂の關齋宮のくだらせ給ひしに振振て〓振拾て〓〓ゐ遙鈴山かゝらむ物と思ひかけきや初雪〓見渡せば岩間の小笹上しろみけさ初雪は降にける哉左の方にこひしかば〓蒲蒲草引くかひ有て見ゆるかな汀にまさる淀の澤水七月七日たなばた短かた〓〓に心こそえね七夕のいく行合の始ちぎりし4村村に見ゆる紅葉の錦哉霧はたゝでや秋は過ぎにし正月音づれずとありけるに七日子日なりければハムいつしかと思ひをまつに鶯のけふ珍しき初音なる哉な春秋の千草の花の色はみな一もと菊に移ろひにけりいく田の海に身なげたる女の懸想人の二人ながら落ち入りたるを人々よみしに〓後れては生田の海のかひもなし沈む水屑と共に成なむ內侍あまになり給ひしに、あかぞめ〓導かむ方につけても嬉しきを又かなしきは何の心ぞ繪に死出の山に鬼に追はれて女のなきてこゆるありし〓作りこし罪を共にて知人もなく〓〓越るしでの山哉二條院歌の題をかきて殿上人に出してはりをとらせ給ひしに大井をとりてシ君君代代は長閑に澄る大井川流れてみゆる千世の影哉たけくまこひたる女房のこひしかば昔よりちよの影をも知らぬまで面馴にける武隈の松春宮の御さうぶの根召したるに參らせて谷深き岩ねのあやめ君が爲長き例を引きいでつる哉三井寺より具したる人にしの關よりかへるに名をのみや賴みて越えむ逢坂の關は都を隔てつる哉かへしふの殿とぞきゝし蓬坂は心の通ふ道なれば隔てむ關にさはるべしやは語らふ人の懇に申さむとあれば我もさおぼすさはよき事と申したるに御文のうちに〓の葉に思はずなる事のありければ夕風にひき驚かす〓の葉のそよと計りに今は答へじとあれば世の中にふといなる物多かれど君計なる人のなき哉又かへし。何事もさらばと云しかひありて同じ心に思ひける哉など云ひかはして恨みてひごろありてづつししららしとて心のさらに忘れなばとていかにも〓〓これが末をだに思はむまゝにつけてやめとあればあはれながらに絕えこそはせめ九月九日同じ人〓春の日も何に長しと思ひけむ秋の幕社久しかりけれ菊につけて御かへし秋も許多過ける君と聞物を久き暮は今日のみやしるかゝる心ざしをいかに思ふとありけるにさらでだに露けき頃をなぞもかく秋しも物を思初けむほのかに同じ事いはむとありしに常に恨みがちにて中惡しきころ北は君み我は我にて過すべき今はこむよと契し物をかへし〓さし禊此言葉や八鹽路の汐の八百合にさすらはしてよと聞えたればよひこととねたまし給ひけるに交るべき炎の樣を聞しかば思けちては已じとぞ思ふ同じ頃傳の大納言の北の方におはすと聞きてNo我ならで有じと思ばとはれ島今日もや秋の暮は久き同じ人おはしたるに門もあけねばされど松蟲はなくめりたけからずあれば九〓〓置置し君すぎとはず成ぬれば宿には絕ず松蟲の鳴く思ひいつ〓〓とあればそれに〓思ひいづる〓とは現か覺束な見はてゝさめし明暮の夢とあれば返し「見もはてゞ覺けむ夢を思ふにも是を現と爭で知せむ櫻を宰相のもとより獨見るかひなしとあれば遠にみむ後ろめたなし山櫻散とまるべき匂ならねば雪ふるに人のもとより〓まま降降むむ雪は村消えぬとけぬは松の氷柱也けりかへし〓掻暮し降積む雪は積るとも春の氷柱は打解けぬべしおなじ人忍者はきく人もあらじ郭公猶さよふけて我に語らへおなじ人かめも合で明しつれ共秋夜にれぬと語らむせめてつらくはまた雨と降る淚に袖はぬるれ共思はけたぬ物にぞ有ける昔みし人のむかへかうの所にほふしにて有し夢夢ううちにみし佛の變らねば猶有しよの心ち社すれ十月晦日かたにこゝち惡しうするとほかになしとてせさいの萩の根をほりたれば見からに露ぞこぼるゝ我宿の本荒の小萩秋ぞ果ぬる昔みし人鏡のみしをおこすとて形見にと思ひてみればます鏡戀しき人の影も忘れぬかたでます鏡明暮見えしうき影を今は限りとともに忘れぬ又ます鏡影はなかめる君なれど猶忘られずなれし面影ある人心比べにて音もせでかくてまけぬべしとあれば正月朔日〓〓の聲ならねども霞むより君がとふ日を待社はすれ絕えて音せぬ人の今の帝ゐさせ給ひてたかうなをしげうおこすれば〓君が代は嬉しかりけり吳竹の言のは繁き節をみる共集母乳辨八六九四二
玄ほゆの所に海月のありしを山山を出るのみ社〓けけれ海なる月のくらげなる哉右大辨のうへの尼になりたるに鈴やるとて熱契ありし昔の友の玉とみて衣のうらにかけて忘るなおなじ人筑紫へくだるに惜からぬ命なれども諸共にいかま欲きはいきの松原五月ばかりに四條宮のうちにおはしますに參りてよるとまりて女房の中へつねのぶの卿旅旅する獨ふせやに小夜更けて語らひ明す時鳥かなかへし時時過過がてにのみ語らひて旅寢の床や寂しかるらむmgとに出て誰も岩根の松はさぞ年ふる儘に色增りけり七日雪のいみじかりしにやまとの宣へりしわいかにして若菜摘らむ雪深き春共みえぬ空の氣色にかて6逆様に返らぬ年を積ためて若菜はよその物と社みれ宮のせじ殿の年たちかへりてしるしも見えずはれまなきに九重はいぶせさもまさりてなどやうによみ給へりし御文ども失ひて忘れて御返しの限り覺ゆるぞあやしき師走にせち分してしなり00年の內に立にし春の日數にぞ殘る氷柱も有じとぞ思この雪の晴間なきに昔いまのこと思ひ出でられてもの哀なるほどにしも筑後辨の御もとにたよりのありしにつけて聞えし加雪もよにふりにし〓との戀しきを哀君もや思ひ出らむめず御返事もさるやうにありてことながければとゞ0年月はゆき積れども諸共に越路の〓とはいつか忘れむこのはつかのほどに經ほとけ供養し奉るに女院の左衞門の內侍ちかければ車ながらたちて聞き給ふがかへりかくのたまへりし一嬉しくも君がみ法に參逢て見えし爪木も樵むとぞ思枯れたる木のひがきといふものにそひて立てりけるを見給へるなるべしかへし一諸人に弘めし法も薪こる君にましてぞ嬉しかりけるせうとの君からうじて筑後になりたるにさいもの命婦のはらからも此のたび相模になりたれば同じ心に嬉しからむとにや常に音なひ給へぬ人なれどかくのたまへぬるこの春は妹背の山の埋木も此方かなたに花ぞ咲けるかへし出羽辨集行ひに心いりて正月のついたち里なるにさすがにつれ〓〓に日の過ぐも數へられて人のがりやりたりし0長らふる我身ぞつらきさり共と賴し人も訪ぬ春まて返し加賀のこのかみつねあきら。來鳴くべき鶯だにも春霞立つや遅きと音づれやする周防のぜしたかゝた去年の師走に親に後れて勸ず寺といふ所にこもりゐて歎くにやりし。山里に霞の衣きたる人春のけしきを知るや知らずや返しコー限あれや霞の衣きたれども立ち出ぬ身に春もしられず宮のあふみ殿へ子の日のたまへる引絕えて千年の春はすぐれども松の綠の色は變らずかへし妹背山たゞには非ず埋木の匂ふ計りの花ならねどもこの里はよろづのまらうどあつむるほふしせうとのかたはらなればたよりには知るも知らぬもうちおこなふにとほたあふみのぜしのりしげとか湯あみにきたるかくいひたる10爲を聲きしきかぬ我が身は春の過るも知られざり鳬かへし理木とみえぬ君しもいかなれば今まできかぬ鶯の聲いづみの尼上と聞えつるをばすざかといひて山里よりも世はなれたる所にてなくなり給へるにさきの齋院の君はその人のとりわき睦まじく物し給ひしかば忌にこもりてよろづしたゝめはてゝちるになむやがてほかへ渡るとなどある文にあるもかく樣々別るなき人は孰れの道に赴きぬらむとあるかへし人悲しきはめの前よりもなき人の赴く道を知ぬ也けり二月一日宮に參りてあふみ殿に其の後かき絕えて聞えざりしを思ひいでゝたいつとなき松の綠も此春は千入增れる色をみせばやあふみ殿〓比ぶれど千入の松も限あるを枝さし交す契をぞ思ふおまへに大えだなる櫻を植ゑさせ給ひける花のいとをかしう見ゆるをわがおほん心からしもねをのみしたまでべたう殿のたまへる一雲居まで匂ふとみれどともすれば霞隔つる花櫻かな御かへし一雲の上に匂ひをちらす櫻花霞もいかゞ隔てやるべき參りたるすなはち齋院の長官の尋ね聞え給へることゝ人のつげ給ひしにうちいはれぬる一有有らば我だに思捨る身をいかなる人の忘れざる覽これは二月つごもり頭辨參りて人々物語などしてあしたに歌よみて參らせむに何事を題にせましよろづのことのめなれたるにもて離れたらむこともがななどたごの內侍にとりわきて聞え給ふめりしをみしにいとめでたくぞあめりし人と人のおほんことなれどをかしければなむニ春はたゞ柳櫻にあらず共角ぐむ輩をみても過ぎなむかへし內侍澤水に角ぐむ葦を見るとても雲居の花の如何忘れむいづみの尼君のをりの薄墨をはかなきこととぶらひなどならはしたる人のとはで過ぎにし方へ同じ程のふでになりたるをとひにやりたりし薄墨の袖を懸てやすぐすらむ我をも人の思捨つとて返し馬のかみつねのぶ訪はずとて恨みざらなむ中々にかくれば袖の濡增り鳬物語などのついでにかく參らぬなどかはかなき事につけてもうち驚かさせ給ふまじきいみじうおぼしあなづりたりとある人に今かならず聞えさせむかう聞きつればうるさきまでなどいひたるに日頃も久しう宮にも參らずなどあるにをかしからむこともがな云ひやらむことなる事なきは由なしなど思ふ程に此の頃の櫻世の常の春よりもいみじきを一枝折りてあれよりみぶの大夫さだながなり〓遠近の花の匂ひし常ならば誰かはくるゝ春を惜まむかへし花花ず春も盡せぬ世也せば人に訪れぬ身とやならましさるはあの契もこれよりとぞ思ひ聞えつるにさすがにとて又cm世の常の〓とは云じと思ふまに覺束なくて過ぬべき哉となむ思ひつるといひたれば又立ち返りかれより人にとはれぬふしなむうち解きがたきなどい
みじうすかして誰が宿も垣ねの櫻ちりぬれど我ぞ訪らふ人や音するまいて三いか計いぶせからまし世の常の事を云じと我も包まばとある垣根の返しを又ニららとときき言のはさらば唯暮の春のみ待や渡らむ近江守やすのり三井寺につぐる山里に櫻の盛にきて見よとありしをいとよきことぞなどいひしかど盛になるまで思ひもたゝでやみぬるに其の頃あしこにありてみも驚けとやえならずいみじきを一枝折りてたゞ物も云はでおこせたるに四一枝をみるにも最ど山櫻今とてゆかぬ身も投つべし返し、あふみ山櫻きてみる人も有なくに待とて知ぬ下枝なるべし一年もみし櫻もとのさくらまだ散り殘りてやとれいのたごのないしをしるべとし聞えていでたつにあへきに宮ちかき所にいでゐて山は霞にとぢられ空のけしきもまたいとたど〓〓しうくらきほどに急ぎいでたれどあなたのかたより歸る車のあるをねたくも先き立ちたる人のありけるかなとて、內侍おおひのほかのくるまかなとのたまふを歌になさむとてかけてだにといひし侍りしかば、こさこわれよりほかに花みける人たといふものゝ手ふれぬを見て、こさこ花花ると苗代水に任せつヽ打捨てゝける春の小山田とあれば〓春のたを任する人は無はなく返す〓〓も花を社みめ尋ぬる櫻はところ〓〓まじりて桃の花のめもあやにおもしろく匂ひたるにカ待も敢ぬ櫻かひなし桃の花三千年の春これを尋ねむこさこ〇三千年の花に移ろふ君なればまたぬ櫻も心ありけりないしの御しるべはたび〓〓になりぬるが嬉しきことなどいひニ春毎に花の知べとなる君ははかな乍らもあはれ契やないしニ春春に花無りせば我に君なげの哀も懸ずやあらまし盛りすぎぬと思ふにいみじうめでたき匂ども殘りたるにまことに心も慰みてみる花をこそ惜みにはくれ春毎に命をのぶる山ざくら哉今は散りぬらむと人のおしはかり給へるにかく盛過ぎぬといと悲しくて尋ねつる程をまちつる櫻ばな山の嵐と誰かいひけむこさこ10春春立隠しつゝ君まつと風にしられぬ花とこそみれましてとく出で立たでなど口をしければ名を聞けば散ての後に尋ぬれど尙賴もしき櫻もと哉こさこトリ散の方の岡にしもこそ積りつゝ櫻もとには盛也けりないし散散だにみにと行つるかひ有て尋來にける櫻もと哉ないしまださかりなるはなもありけりこさこ山ふかく心のまゝにたづぬればおほん方違へに大宮殿に渡らせ給ふこと六月十餘日いづみの涼しげさこ高き松の年ふりにける梢などたゞにてすぐさせ給ふ所のさまならず七月七日など必ず御遊びありぬべき程なるをこと〓〓しかるべき程にあらねど其の日思ふさまならずあたり〓〓たるをたゞけしきばかりとてよき日なりける權大夫正のすけなどさるべき人々すこし參りたまて庭の松いくらの年をか限れるといふ題を但馬守さねつな出したるをとの人々いとようよみ集めたまひいかに女かたも殊更に一つにいたせと俄にはべしかばぜし殿〇〇庭の松みどりの色の深ければ水のそこ迄契る也けり大納言の君ユニ珍しき君きまさずばちよ松の契れる數も誰か知まし宰さうの君ばかり泊りさぶらひて山のかたなりつるやもたふれてのゝしるをことなるをかしきことやあるべかりつる覺えしてやみぬるをぜじどの猶人々の思ひ給へらむことどももすこしばかり聞かむなどせめ給へばまづさらばいかゞと聞えしかばおぼしたることを三天の河淺くもあらば七夕のこの音高き水せかさじや大納言の君秋風のすゞしく立たば七夕の重ねやすらむ天の羽衣やまとほいかばかり長き契を結びけむ空にたえせぬ七夕の糸侍從の命婦五五亂亂上上の露は七夕の絕せぬいとに拔とめてみむ又例のみないひとられ奉りて物も覺えずのみぞxき底きよき泉の水に映してぞ星合の空も〓とにみえけり風をうらみ給ひて、源少將せこれやさは秋のはつ風七夕の雲の衣も吹き亂るまでたふれしや人々二三人なくなりにけりと聞くに荒き風吹につけても最どしく露の命ぞ悲しかりける淺ましくて大納言まかで給ひてよろづに水の流も月も松風のひゃきも戀しきこととのたまて立立なみし面影ごとの戀しきに住うかれぬる宿の水影おほん返し〓戀しともいかは賴まず白波の立返らばぞ誠と思はむやまともまかでたまて猶口をしく心うくてやみにし風を恨みて〓花散す折ならね共身に泌て恨めしかりし夜はの風哉かへしを片片數の折に吹共か計にさらば身にしむ風はあらじやかう面白くめでたかなるはなどか見せまほしきなどいふまじきと恨みて前齋院の局よりみにことも云人やあると瀧の糸を心に懸て暮す頃哉かへしささにに寄寄りては瀧の糸のなどくる事の難く成べき★これはまことに云ひ盡すべくもあらぬとのゝありさまのをかしさに思ひ集めし獨言四日によみ集められたりし松の題をあるじどのゝ御心のうち思ひやられて五年年ぬる契は今日や知らる覽斯るみゆきを松の綠にみすの前近き松の年ふりいみじき影に月のあかきにおりて梢を見あげたる心ちあいなう賴もしくて思ひつる心に今ぞかなひぬる木高き松の蔭に隱れていづみのいみじう凉しきに手をひたしなどしてええ深深泉水水ああながら結ばぬ夏の爭で過けむ心のうちも吹き拂はれて思ふ〓となき心ちすればいけるよを此宿にだにすぐしては物思ふとは長く絕なむうち返してあいなければ〓味氣なき宿に來に皇此夜には留めじとのみ思ふ心をれいぜい院に入らせ給ふを水の流の立ち別れぬるいとわりなくて行水の流れ逢瀨は絕ずとも戀しかるべき數を社かけ
かやうの事どもゝ同じ心にこそゆきて云ひ合せなどし給ふ宮のすけ七日のことすぐしてと思ひつるもかくすさまじくなりぬればいつしかと國へ下りなむとてようさりなむ京は出でぬべき又はえ立ち返り參らじなどまかり申しゝ給ふさていつかのぼり給はむずると聞ゆれば年返りて二三月計にやと思ひ侍るとあるを聞きて云ひ給ひぬるに奉れりしch歸歸雁ま雁きくきでと思ふ哉常は惜まぬ命なれども其の頃をかしきこ瓜どもの御前にあるをおろしてうしまろ大夫の御許にかく書きつけて奉りし一戀しくも成にける哉瓜生山霧間を分けて立も出なむ大夫の御返しみすの內に入ぬ我身を恨つゝ瓜生山にも出ぬなるべし又おほん使のあれば玉垂のみすの內なる光をもちゃの秋には又誰かみむ京極殿にうちの渡らせ給ひしにこの宮づかさども皆悅び騒ぎしたましにたかまさは服にてそのよ見せずなりにしをその程すぐしてすべきに思ひたるがすこし月日の過ぎたるを里より文おこせたる次でに身をなきたるけしきにて文をかきておこせたるまめごとの次でに書きてやりし君をのみ思知るらむ憂事を忍ぶにかゝる葦原のよをかへしル。ぷぶれどうきとときき革原に深き恨のいかゞなからむ哀れと思ひし人の名殘の心ばへのかたみばかりもなぞほいなきを恨みなどするに古の物語などして歸りにしにやりし意られぬ昔がたりの名殘には恨みもはてゝ哀なる哉もろともの少將わづらふことありて久しう參らでありけるもたゞ世のさへることありてこそはなど思ひてあるにかゝるにとはぬことなどいみじうなむ恨みますと聞えよとともよりが云ひしかばこゝにもさやうなることのみ多かるをかうこそ聞ゆべかりけれとてととはずとて君や恨る我も亦哀いかなることを思へばかへし、少將我ばかり物思ふ人はなき物をなほざりどぞ君が恨はこの大宮殿のほどのことども書き集められたりけるを左衞もの內侍の傳へて相模君にみせ給へりければ例のいみじきこちたき詞どもになむめづるいかばかりなることどもをほめられ給ふ物とかおぼす文にもかきつゞけて奉れとありしかどすだれの上にさし置きて失ひてやみにきと語り給ひしかばたゞあれよりあるをと思ひて書きし文の次にかたはらいたきことヾものもりにけること內侍のうしろめたうもの宣ふなと書きてな下紅葉淺き心に任せつゝちる言の葉をいかに見らむ返し世の常ならぬすかしことば多くて二つ見る人も心にぞしむ紅葉ばのちる度每に色の增れは〓吹風につけてちれ共盡せぬはこ高き峯の紅葉也けりとありし返事に又〓深山木はこ高けれ共言の葉は谷の底にぞ落積りけるまたあれより色色ききあらはるゝことのはに山下水も錦をぞしくとあればまけじとてけくかに小山田のうちに任せて云事を誠と思ふすき物もなし美作に宮のさぶらひなりともといふが下りたりけるも知らぬになどかかゝる便にも音信まじきと恨みて、宮のすけいかにして斯る便に訪ざらむうしとぞ思ふ音無の瀧返し賴みたる心の程を知ぬれば恨みられてぞ悲かりけるうこのないしのすけの伊豫に下り給うける道によろづの人に見せまほしき所々の多かるにかばね島なむ心とまりしかどさすがにその事としるしあることも見えで白き石のひまなかりし處のめぐる〓〓みしかど何ともなくてこそありしか其とみむ跡はかもなし屍島埋まれぬ名を誰殘しけむかへしその慕と見えてぞきけむ屍島猶きく人は唯ならぬ哉萩の色こく咲きたるをちりなば惜しとて故伊豫の北の方のおこせ給へる返りごとに色にこそ猶めでらるれ幾ちたび浮世の中に秋萩の花かへし定なく浮世のなかを秋萩の移ろふ色に劣りやはする齋院の長官なかふさの君の內の御まへにて菊の歌をかしうよみたりと御まへにもほめさせ給ひ人々も云ひしかば云ひやりし「いとさしも我を思ぬ君なれど唯人知ず嬉しとぞきく返し、なかふさの君色深く頼む心のしるしには言の葉わきて人の訪らむ鏡山峯より出る月なれば曇る夜もなき影をこそ見れ一宮の歌合にくに〓〓のをかしき所々の名を題にて人々歌よまれしに秋の湊普音聞聞秋秋湊湊風ちる紅葉の舟のわたり也けり殿上の懸想文の歌としたヾの中將のおこせ給へる一人人知れぬ思有その浦風に波のよる社いはまほしけれかへし入音にきく高師の濱のあだ波はかけじや袖の濡も社すれ秋のせちにいる夜常にくる人のこざりしかばつとめて袖の上の露けかりつる今宵哉これや秋立始なるらむ人のもとより〇人しれず思初めてし山河の岩間の水をもらしつる哉返し今はさやうのこと思ひ離れたれば。かひなしや岩間の水を漏してもすむべきとの此世なられば人のもとより。〓〓事事の斯て絕なば哀我よヽのほだしと成ぬべき身ぞかへし30などやかく儚き夢を後のよの絆しと迄は思ひ辿るぞみあれの日人のもとより〓0千早振あら人神に〓とよせつ今日の葵を翳さざらめや返し同じ所に語らふ人のありしかば11もも葛葛たた〓〓かくる心をば哀ともみしかもの瑞籬右大とのゝ題ども給はせたりし中に、郭公え時時行行くへもしらぬ一聲に心そらなる五月やみかなほたるなる歸はさる篝は〓もかけじ藻刈舟澤の螢火ひましなければ琵琶などひき暮しつゝ遊びて口くるれば歸りし人に。我幾は天原なる月なれやくるれば出る影をのみ見る集伊紀家王親內子點祐子內親王家紀伊集かやゐどのゝ七番の歌合に櫻九朝まだき霞な罩そ山櫻尋ね行くまのよそめにもみむ郭公九聞きてしも猶ぞ待たるゝ杜鵑なく一聲にあかぬ心はw月
語らふ人伊勢へ下りたるにさるゆかりありてそのわたりのことつねに聞く加振はへてとはむ物とは思ねど耳のみとまる鈴鹿山哉七月八日〓常よりも萩の朝露しげきかなこれや別の涙なるらむ散ること文かけとありし人に一あだ波を君社こさめ年ふとも我まつ山は色も變らじ月待女といふ物語を見て三古の月まつ里をみるにこそ哀うき世はたぐひ有けれいみじく忍びし人に『恨むなよ影見え難き夕月夜朧げならぬ雲間待つ身ぞ何とてか心に懸り初にけむ神の許さぬ中のあふひを宇治どのに渡らせおはしましたりしにさぶらひあはぬを口をしがりて讃岐より參らせたりしとしつな=神無月あさひの山も打しぐれ今や紅葉の錦おるらむ返し大君みねば朝日の山ももみぢ葉も夜の錦の心ちせし哉七條宮の四條との右少辨が集をかりて埋み火といふ所に歌はなきにかく書きつけられたりし諸共に君もはかなく消にけり埋火いかで煙たてけむかへし〓ててば驚かされて埋火の消にし事はきえて悲しきうぢどのに日頃ありて我ひとり歸りてありしにうぢどのより里なれぬ山時鳥かたらふに都の人のなどかおとせぬ御かへしc都にはいかばかりかは待わぶる山時鳥語らひし音をうぢどのに渡らせおはしましたりしに宇治の里にすみつきてゐたる宮の女房一秋霧のたちゐにつけて待しかど近江の海の心せし哉返し〓私風にふけの里人おとすやと我も心にかゝる川なみ月のあかき夜なかすゑが五條の家をみて一濁なき泉にやどる月をみてすむらむ人の心をぞくむ思ふことありて山里にすむ頃〓鷹鷹のすゞろに斯る住ひしてのべの雉子と音をのみぞ鳴く女など具して山里にゆきたる人のもとにおこせたるモ爲も都の人を戀ふとてやふかき山べに我ことは鳴くとありし人にかはりてた霞わけ思ひこそやれ鶯のはね打かはす花のねぐらを同じ人またよそなりしをり七心から隙もなきまで靑つゞらくる〓〓物を思ふ頃哉返しまだ世になれぬ人に代りて山深みくる道もなき靑つゞら何とて人の尋初むらむ東北院のちごがもとに人々琴ひくをきく我も琵琶ひきなどして歸りて後にちごがもとよりた空すみて靉く雲もなき夜半は半の月を思ひこそやれかへし〓思ひ出る半の月を見てしより仄かに聞しとは戀しき七日をかしき文ども人々のもとに見ゆるにさもなければ一春立と聞につけても春日野の若菜をなどか人の忘るゝ春立つとよばるゝ名にてなむ人の返りごとをいかにもせねば三一つつる藻鹽の煙立歸り靡きなびかずきく由もがな返しなきまさりてわづらはしきことやありけむ一割なしや藻鹽の煙ひと方に靡きもえ社やられざり鳬三戀しさにたふ〓煙のあらば社哀を懸る折もまちみめ三三難波江の蘆間分行く水馴棹みなれし人の戀らるヽ哉土御門の右の大とのに方違へに渡らせおはしましたりしに瀧のいとをかしきをねせきれたる心每にもみゆる哉音羽の河の流ならねど駒迎ひの歌よめと仰せごとありしかば1月月も關の〓水に澄るよはさやかにみゆる駒の影哉左京權大夫の百首の內、鶯1人我ならぬ人きくらめや珍らしきあしたの原の爲の聲わかな加誘はれど形見ぞ見ゆる若菜つむ心はのべに通ひけり共梅05まま人は自からきぬ我が宿の梅の匂の色しこければさわらびまだきにぞ摘にきにけり遙々と今萠出る野べの早蕨さくらたぐひなく見ゆるは春の明ぼのに匂ふ櫻の花盛かな山ぶきニ山山の花みる人や昔よりこゝを井手とは云流しけむ三月盡今日のみと空に暮行春なれば留むる關もかひ無り見ころもがへ身に泌て花色衣惜けれど今日は一重に立ぞかへつるあふひ加年をへて松のを山の葵こそ色も變らぬかざし也けれたなばた七七夕の逢瀨のなどか稀ならむ今日引絲の絕ぬ物からはぎAP置く露も靜心なく秋風にみだれて咲ける小野の萩原藤ばかま45藤藤誰に馴れけむ懷しき香に匂ひつゝ色はふりせず四きり02秋秋の立ち隔てつる麓には遠かた人ぞ疎くなりゆく月ユ久方の月を遙に詠むれば八十島めぐり見る心ちする衣うつ一賴め置し程ふるまゝに小夜衣うら悲しかる槌の音哉九月盡エまたかに逢て別れし人よりも增りて惜き秋の暮哉冬のはじめ風早み冬の始は山がつの賤の松がきひまなくぞゆふ霜一貫霜は忍の妻にあらねども晨わびしく消え返るらむ霰メー搔し俄にもふる霰哉深山おろしの風にたぐひて雪百雪のふりしきぬれば苦筵靑根が嶺も見えず成行く千鳥ムニ浦風に吹上の濱の濱千鳥波たちくらしよはに鳴く也戀五人人知れぬ戀にはみをもえぞ投ぬ留らむ名をせめて思へばはじめて逢へる○難面さに思ひこりずと歎しをけさは嬉しき心也けり逢ひて逢はぬ戀〓陽炎の仄見し人の戀しさに有にも非ず戀ぞけぬべき曉思思ここ有有の月の曉に心すみます物にぞありける苔打ちす人しなければ君が代はかけし鼓も苦おひに見關六越ぬより思ひこそやれ陸奧の名に流れたる白川の關うみのみち卅とめて見れども飽ぬ松風の波よせかくる天の橋立懷を述ぶ幾廻り過ぐしきぬらむ春秋の染る衣を移ろはしつゝ集伊紀家王親內子祐六三一五二
殘りおしはかられてこれをまことならねど多くはうるさくて三月つごもり田舍へ行く人の道よりおこせたりし春霞路もほのかになるまゝに歸りみまさる逢坂の關返し思いやる心ばかりは通ふらむ霞隔つる關路なりとも齋宮にくだる人霜月ばかりに旅衣うら吹き返す秋風に獨ねざめてこひしかりしをかへしca神神もか計身にはしまじかし片敷袖の亙るよな〓〓行行の井堰に止る物ならば先おり立て我ぞせかし山路にて初音はきゝつ時鳥わが故里に早くなれなむ時鳥はじめて程に京なる人のもとに鳴き出づる山時鳥人ならばよき言づての便ならまし二月十五夜にさよ中のたき木の煙立そひて林の霞ひまなかりけり杜鵑を待ちてが一聲にあけぬるものを杜鵑さよ更る迄何待たすらむい淺ましく短き夜かな時鳥二聲とだにえやは鳴きけるささでだに伏かとすれば明る夜を何を明すと叩く水鷄ぞかいか計歎をつめる身なればかよをへて燃る螢なる覽0我我におほしたてたる花なれど二葉の心まだ知ぬ哉七月七日たたせせにや今日はかさまし七夕の空に靉く小蟹の糸「河風や身に寒からむさ夜中に塒さだめぬ千鳥鳴く也わづらふ人のおこたりたるに山山はははななととしし月影を哀有明とみるぞ嬉しきわらはの法師になる夜m張振しねくたれ髪を搔探り人違へたる心ちもやせむ京にのぼるとて天の川といふ所にて五音にのみ聞渡りにし天の川旅の空にて今日みつる哉名にし負はゞあだなや立む女郞花咲亂たるのペに積りて4年年へへ耳なれにたる山伏も夢覺めぬべき鹿の聲哉えみみには嵐吹けり瀧つせの水せくばかり紅葉積れる年老いぬることを歎きて九年月の過にし方を尋ぬれば我身に積る物にざりける∞。むむむととも手向の神やうけざらむ紅葉の錦。水底にうつれる秋の山かげは鏡のはこの錦とぞみるよる紅葉をしみてc安安いも寢られざり鳬紅葉ちるよはの嵐の後めたさに九月はつる日集眼法賢源源賢法眼集〓小山田の水の氷の打解けて今朝は蛙もゆるに鳴く也〓春日野の野べの霞に立交り知もしらぬも若菜摘らし三水上の岩間の氷とけぬらむ井堰の〓水聲まさるなり梅の咲きたる垣根をゆき過ぐとて行摺りに梅が垣根に立寄て空だき物を身にしたる哉去年年いい今年といへど我は唯昨日けふ共思ほゆる哉正月六日の夜〓ももけけ朝朝原原立て雪の消間に若菜つみてむセいいののににききさし劍けさも又雪降つめるのべの若木に〓遮莫人はみず共花の木は風隱れにぞ植うべかりける〓んく木ば木のもとどの櫻花はなの淵とも見え渡る哉o櫻花汀しらゝに散り積り海士も拾はぬ貝かとぞ見る一むらさきの村濃の絲を染かけて風に波よる岸の藤波彌生つごもりの日ゐせく所にて50秋は唯今日計りぞと詠むれば夕暮にさへ成にける哉いかでかは老せぬ物と云ひおきし霜戴ける白菊の花10をし鳥の羽も氷に閉てけり霜うち拂ふ音だにもせず。加水籠りていでむよもなき沼水の彌凍行く冬ぞ悲しき紅紅ばをわが心とは散す共よその嵐に任せてはみし年頃もろともにある童の京に上るに。何をかも慰めにせむ冬山の降つむ雪の解る待つ間にねる移ろふに深さ增れる菊花たれ秋はつる色といひけむ住吉にて〓住吉の天降りけむ其の神の哀れ相生の松をしぞ思ふ一音絕ていかにとだにも岩沼の水を深くも賴みける哉我かどのほかなる車廻らさむ法しらざらむ人の里迄雪春野にふた葉したばの若菜つむらむ法華經とく所にて結ばゝる蓮の絲をとかれずば葉末の爭で亂ざらましさいしやうらうといふ舞をN露の身は草葉にのみか老ぬれば杖にも懸る物にざりける御狩野に朝立雉のほろ〓〓と鳴つゝ添る身を恨つゝすすすすすず知知程遠み鳥の影だに見えぬ山水京にありしをり人の生みたりし子をもりぬとて人にとらせたりしかばやりし思ひきや我しめゆひし撫子を人の籬の花と見むとはよる呼子鳥を聞きて跡たえて人も通はぬ山里の何よもすがら呼子鳥そも山邊の露をみて葉を繁み山邊に懸る露の身を置所なき世にもふる哉語らふ人の久しく音づれぬに一細れ石の上行水の淺ましくさら〓〓更にとはぬ君哉右源賢法眼者量祖滿仲朝臣愚息樹下集作者也取家者凡卑於道者雖頗不堪申出禁裏御本令書寫之畢然而不審少々在之間重可勸也常德院殿御判大納言經信卿集〔春〕立春氷ニ春風もまだ吹解かずいか計り結兼ねたる氷なるらむ春の歌の中に三二淺綠野べの霞のたなびくにけふの小松を任せつる哉〓煙たつ蜑の苦屋も見えぬまで霞にけりな鹽がまの浦寛和二年殿上の歌合に氷とく風のおとにやふる巢なる谷の鶯春を知るらむ山家聞鶯た鶯の音こそ遙に聞ゆなれこや山里のしるしなるらむ永保四年內裡の子日に七子日する御垣の內の小松原千世をば外の物とやはみる心子日して齡を延る船岡は松の千年をつめるなりけり正月七日小松につけて經信卿の許へ、出羽辨白馬をまつ引物と思ふには忘やすらむけふの子日をかへし9白白を引に附ても子口する野べの小松を忘やはする春雪ニ一春もみる御室のあたりけふ寒みこや栗栖野の雪の村消朱雀院に人々罷りて閑庭梅花といへることをよけけ爰に見にこざりせば梅花獨や春の風にちらまし深山櫻遲今はさけみ山がくれの遲櫻思ひ忘れて春をすぐすな山花未落といふことを恨恨じじみ山葉蔭の櫻花遲くさけども遅く散りけり見花といへる心を山深き杉の村立見えぬまで尾上の風に花の散るかな
一〓ささ住住荒してし宿なれば春雨のみぞ今はもりくる松契多春三春日山高ねに立る松枝のあひくる春は神や知るらむつゝじ三花の散る慰めにせむ菅原や伏見の里の岩つゝじ見て二條關白家にて池邊藤花といへることをよめる池にひづ松の葉ひえに紫の波をりかくる藤咲にけり夏卯の花をよめる五1賤の女が蘆火たくやも卯花の咲しかゝれば窶れざり鳬庭樹結葉大玉相柏も葉廣になりにけりこやゆふ幣て神まつる頃永承六年殿上にて根合にあやめをよめる萬代に變らぬ物は五月雨の雫にかをる菖蒲なりけり一三三江江三のれば最ど萎れて刈人もなし五月五日藥玉つかはし侍りける人に施飽くな散りにし花の色々は殘りにけりな君が袂に山畦早苗といへる心を〓早苗とる山田の筧もりにけり引しめ繩に露ぞ零るゝ郭公タ夕さればそらめ小倉の時鳥あらしの山に聲な忍びそけふも又こぞのね山に時鳥初音聞とや尋ね入りぬる二聲と鳴つときかば子規衣かたしきうたゝねはせむさよ更てくらぶの山の時鳥行へも知ず鳴き渡るなり待で聞く人もやあらむ時鳥鳴ぬに付て身社知らるれ雨中の時鳥といへることをよめる〓時鳥雲路にまどふ聲すなりをやみだにせよ梅雨の空六漁火の浪にわくると見ゆれどもそめ河渡る螢也けり螢對泉忘夏夏ながら泉凉しき宿にては秋立ことを爭でわくらむ宇治にて山家見花といふ心を白白の八重立山の櫻花ちりくるときや花と見ゆらむ後冷泉院の御時御前にて翫新成櫻花といへる心ををのこどもつかうまつりけるにヒ〓莫莫暮れ行く春も雲の上にちる〓と知らぬ花し匂はヾ西院皇后宮土御門右大臣の家におはしましける時三月櫻のさかりに上達部殿上人まゐりて遊びけるにかはらけとりてモ庭の上に吹まふ風の微せば散つむ花を雲に見まじや花ねん春風の山の高ねを吹こせば梢も見えぬ花ぞちりけるco春風の吹まふ時は櫻花ちりぬる枝に咲くかとぞ見る一古里の花のさかりは過ぎぬれど俤さらぬ春の空かな水上落花といへる心をよめる「水上は花や散るらむ山川の井杭にいとどかゝる白浪月前落花〓ももきき計計りとや詠まし散來る花の影なかりせば〓〓のののののののよの月ばかりとや花自有情物を社云ねど花も心あれば咲べき程を過しやはする花契多春百百やみかきが原の櫻花春したえずば匂はざらめや花下述懷〓〓の糸に散て亂るゝ花見ればぬひだにあへぬ錦也息AP靑柳のいとゞ垣ねに波よれば立來る人も絕ぬ也けり垣柳留客歸雁古里と哀いづくを定めてか秋こし雁のけふ歸るらむ春の田をよめる荒荒田田細細川を任すれば引しめ繩にもりつゝぞ行題しらす秋秋のはじめの心をよめる自ら秋は來にけり山里の葛はひかゝる槇のふせやに〓〓轉寢の涼しくも有るか唐衣袖のうらにや秋の立らむ新秋雨一秋立て幾かも有ぬ村雨は淺く木の葉の色やそふらむ七夕三天の原ふりさけ見れば七夕の星の宿りに霧立わたる海路七夕ニュー星合の影を映せばなごの海も天の川瀨の心ち社すれ秋風大件のみつの濱松神さびて昔ながらの秋かぜぞふく七霧はるゝ門田のうへの稻葉田の顯はれ渡る秋の夕風師賢朝臣の梅津の山庄に人々まかりて田家秋風といへることをよめるメタタされば門田の稻葉音づれて蘆の丸やに秋風ぞ吹くかつらにて稻葉風をもびひははへて守注繩の撓むまで秋風ぞ吹く小山田の庵秋のころ煩ひけるおこたりて度々とぶらひける人につかはしける伊勢大輔嬉しさは忘れやはするしのぶ草忍ぶる物を秋の夕暮かへし秋風の音せざりせば白露の軒の葱にかゝらましやはつくしに侍りける時秋の野を見てよみ侍りける花見にと人やりならぬ野べに來て心の限盡しぬる哉秋花藏路〓白露に堪ず秋萩折ふして柴かるをのの道だにもなし承曆二年內裏の歌合にさを鹿の聲のさやけく聞るは獨やぬらむ小野の草臥山家聞鹿秋深み山片そひに家ゐして鹿の音さへに鳴けば悲き月のうたとて秋の夜は衣さむしろ重ねても月の光にしく物ぞなき後冷泉院の御時殿上の歌合に月の心をよめる月影の澄み渡るかな天の原雲吹きはらふよはの嵐に經長卿のかつらの山庄にて閑に月を見るといへ〓今宵我が桂の里の月を見て思殘せることのなきかな太皇太后宮の扇合に月の心をよめる三笠山峰より出づる月影はさほの川瀨の氷なりけり月不撰處といへる心を〓久方の空にかゝれる秋の月いづれの里も鏡とぞ見る家にて月照水といへる心を人々よみけるに住人も有か無かの宿ならし蘆まの月のもるに任せて題しらずc名名なく弱り果てぬる山風を宜こそ月は隈無りけれ擣衣をよみ侍りける古里に衣うつなり行雁や旅の空にも鳴きてつぐらむ深山紅葉といへることをよめる山山に斧の音高く響く也峯の紅葉はよきて切らせよ紅葉滿山麓まで峰の嵐やさそふらむ紅葉ちりくるきびの中山宇治の前太政大臣大井川にまかりたりけるともにまかりて水邊紅葉といへることをよめる大大川川岩なみ高し筏士よ岸の紅葉にあからめなせそ水邊秋望紅葉見し折ならねども大井川秋の景色の淺からぬ哉紅葉のふね心心せよ紅葉の舟の舟さして嵐の山のわたりわたらば菊花久芳朝霜はこゝら置けども白菊の久しく匂ふ花は花かな菊契還年
菊菊咲咲の谷く流の流を汲人や多くの秋をすぎむとすらむ菊粧如錦移るへば錦に紛ふ色を見てうべ村菊と人ぞいひける冬落葉殘秋〓秋の色も暫しぞ殘す山風の紅葉吹きちる蔦の下みち承保三年十月大井川の道遙につかうまつりてよみて奉りける古の跡をたづねて大井川紅葉のみ舟ふなよそひせり落葉をよめる一三三山紅葉ちるらし旅人のすげの小笠に錦おりかく池上落葉ニ玉玉かる舟路はしばし心せよ池の紅葉は錦おるめり紅葉浮水。ちちかかるる葉葉流れぬ大井川いづれ井堰の水の白浪承曆三年大井川にまかりて水邊落葉を〓風吹山のあなたの紅葉をとなせの瀧に落してぞ見る水鳥川舟の蘆間を分る楫の音に鵞の羽風のまづ聲ぞする氷滿池上c水水の氷柱の枕隙もなしうべさえけらしとふの菅菰〓風互て浮寢の床や凍るらむあぢむら騒ぐ志賀の辛崎氷か雲雲ふ比良の嵐に月冱えて氷重ぬる眞野のうらなみ月照網代といへることをよめる0月〓み瀨々の網代に寄るひをは玉もに互る氷也けり初雪をよめる一初雪は槇の葉白く降にけりこや小野山の冬の寂しさ永承四年內裏の歌合に、初雪珍らしくけさ降初る雪を見て暮行く年ぞ空に知るゝ雪中旅人深山路をけさや出つる旅人の笠白妙に雪はふりつゝ戀戀の歌の中に蘆垣の隙なく懸る蜘のいの物むつかしくしげる我戀いいにせむ斯る思の消やらで燃增るべき後の浮世を御狩する垣のねずりの衣手に亂れもとろに濕る我戀刈藻かき焚く鹽竈に非ねども戀の煙や身より立らむ女のもとへつかはしける〓〓事事のいつともなくて哀我が知らぬ命に年をふる哉雪のあした出羽辨がもとより歸り侍りけるに是よりおくりて侍りける出羽辨送りては歸れと思ひし魂の行さすらひてけさは無哉かへし冬夜の雪げの空に出しかど影より外に送りやはせしあづまに侍りける人につかはしける一東路の旅の空をぞ思ひやるそなたに出る月を詠めてかへし康資王母思やれ知ぬ雲路に入方の月より外のながめやはある小辨がもとへつかはしける君がため落る淚の玉ならば貫きかけて見せまし物を寄物見戀に忘れずや飾しの花の夕映もあか紐かけしおみの姿は寄鏡戀增增くもる涙や隔つらむ我が影さへに疎くなりぬる雜字治の前太政大臣布引の瀧見にまかりたりけるともにまかりてよめる白雲とよそに見つれば足引の山も轟ろに落る瀧つ瀨治曆二年十月大埋川道遙によみ侍りけるヒ山里の夕暮方の寂しさを峰のあらしのおどろかす哉ひこね山八九二五二集團信經言納大彥根山遍き門と聞しかど八重の雲ゐにまよひぬる哉かつらぎの高ね加〓城城山山の高嶺に住む人は谷の底にや雲を見るらむ春日山春日山(下下)袖の浦002袖袖浦浦浦浦の燒垂て船流したる蜑とこそなれ帥になりて下りけるに別惜むとて津守國基が六とせにぞ君は來まさむといへりける返事に一留るも過行身をも住吉の松のよはひと祈らざらめやたながみにてよみ侍りける「旅ねする蘆の丸やの寒ければ爪木こり積む舟急ぐ也旅一旅寢して曉方の鹿の音に稻葉おしなみ秋かぜぞ吹く宇治にて人々歌よみ侍りけるに山家旅宿といふ心を旅ねする宿は深山に閉られて正木の蔓くる人も無し暮望行客といへる心を19夕日すす淺芽が原の旅人は哀いづくに宿をかるらむ谷樵夫朝夕の風のたよりに谷川の爪木の舟を誰かひくらむ昔道方卿にぐしてつくしにまかりて安樂寺に參りて見侍りける砌の梅のまがまゝに參りて見れば木の姿はおなじさまにて花の老木になりて所々咲きたるを見て神垣に昔我が見し梅の花共に老木となりにけるかな大納言經信草子をかゝせけるを雪のふる口かきてつかはし侍るとてかきつけ侍りける加賀左衞門〓〓なな降降りたる雪よりも我身は先や消むとすらむかへし〓富士のねに降積む雪の年をへて消ぬ例に君を社見め人の手本かゝせけるをぬしは誰ぞと尋ねけれども申さず侍りければ奧におき侍りける○誰誰住む宿の妻とも知らなくに停くかける笹蟹の糸.大納言經信服に侍りける又の年申しつかはしける出羽辨-四戀しさや立增るらむ霞さへ別れし年を隔てはつればかへし別れにし年をば霞隔つれど袖の氷はとけずぞ有ける源政長朝臣の家にて人々ながうたよみけるに初冬述懷といへる心をよめる新拾遺第二十長歌ああたまのたびの心をよめる長歌新續古今第十九ながつきの未忘昔意五枚故〓の花のさかりは過ぎぬれど俤さらぬ春の空かな行路述懷AP沖つ風吹にけらしな住吉の松のしづ枝をあらふ白波祝の心をよめる48君が代の程をばしらで住吉の松を久しと思ひける哉松作千年友AN植て見る千年の春の木高さに我老らくの思ほゆる哉としつなに具して住吉に詣でゝよめる加住吉の荒人神の久しさに松も幾たび生ひかはるらむ松影浮水cm千年ふる影をぞ見つる池水に波折かくる松の下枝は賀ユ君が代は盡じとぞ思ふ神風や御裳濯川の澄まむ限はニエ大井川久しき〓とは影うつす龜の尾山の松ぞしるらむ集軸高經言納大八二三五二741
津守國基集苗代眞菅生る野澤のをだを打返し種蒔て見しめはへてみゆ如如月や彌生になれば山賤の門田のそひに種まきて島歸雁薄ずみにかく玉章とみゆる哉霞める空に歸る雁がねc〓行歸る旅の空にや日數へむはりき長閑くみゆる雁音遠山霞薄〓春深くまだ霞ける故〓の遠路の山をほのもみましや三月盡吹風の誘ふに花は散とみきたが語ふに春はいぬるぞ三月つごもりの日ある人のもとより三心あらば散殘らなむ櫻花暮行く春のかたみばかりにかへし〓花梢ばかりをかたみにて春と共にぞ散ていにける夏夜待郭公夏のよの長からませば郭公心やすくも待たまし物を遙聞郭公たほのかにぞこの夕暮に郭公をちの岡べの森になく也尋處聞郭公待かねてこぞのならひに山里を尋くればぞ鳴く郭公七納涼Mc流出る水に暑さの忘られて涼む氣色ぞ打とけにける樹蔭似秋夏のひの木の下影の涼しきは忍びに秋や兼てきつ覽七夕A織女にほか心をし貸たらば唯一夜には歸らざらましO萩花をよめる一朝未明萩原みれば露を重み撓なる枝の最どたわなる紅葉ニ紅葉ばのちれるが上に散積めば錦重ぬる庭と社みれ水邊紅葉霞籠佐保山といふ事をよめるニ春春れば麓もみえずさほ山に霞の衣立ちぞかけつる忍岡霞霞こそ忍ぶの岡に立ぬれど雉子の聲は包まざりけれ留船開鶯聞すてゝ漕し行かねば鶯の聲は船路のとまり也けり梅花戸薰ねさよ更て遠の里なる梅の香の吹くる風に類ふなる哉雪中梅花風吹て雪降かゝる梅の花散かちらぬかえ社みわかね山家皆梅花〓懷しきかのみ社すれ山里は梅の匂はぬ宿しなければ春色浮水極綠るるなべの柳かげさせば水にも春の色ぞみえける岸柳臨水水の面に柳の影の靡くをばそこにも風の吹かとぞみる山花未落〓花花だだだかかなり高圓の春の山風のどけかるらし見花述懷年年に年みぬ春はなけれどもあくとのなき山櫻かな花時無外人春くれば疎き人こそなかりけれ同じ心に花を惜めば三閑庭落花見人もなき庭の面に散花をふまでみるこそ心安けれ追歲尋花年年ににべべささ尋尋ぬれどまだこそあかね散ぬ櫻に花殘待人尋ねくる人もやあると足引の山下影に花ぞのこれるニ時時つゝ雨とふればか紅葉ばの淺き汀に色の深きは草花廻水秋の野を移せる宿の池なれば岸の儘にぞ花は匂へる無山里月ほほよりも光久しく爽けさは月の隱るゝ山なしの里月浮山水汲人のなき山の井の濁り沼さやかに澄る秋の夜の月緩木森月いいつとなく緩木の森の木間より長閑に月はみえずや有覧初冬いいののににの氣色の變る覽烈しきけさの山颪の風旅中時雨定なく時雨て過る山路には菅の小笠を脫み脫がずみすがたの池水鳥水水の己がすがたの池水に映る折こそ我をみるらめ旅宿雪〓獨ぬる草の枕はさゆれども降つむ雪を拂はでぞみる行路雪雪隆て路たづ〓〓し逢坂の關の岩角見えみ見えずみ雪埋山路雪深みこまのつまおと音もせず山下水にわたす板橋歲暮"來春にあはまく〓とは思へ共暮ぬる年の惜くやは非ぬ戀〓びて獨ぬるよを眞袖もて床うち拂ひ哀とぞ思ふ〓手枕を交さむ事は難く共跡にはふせよ裳裾ひききむ狹筵に妹をふせばや狹く共衣しきつき片はしにねむNo妹妹子が額の髪の亂よりたわき眉根をみしが戀しき我妹子が肌に着馴のきぬもがな戀慰めに身にもまつはむ0逢難き戀に心や惑ふらむつらき人をも思ひしらぬは逢ひがたかりし女に。学生の浦の恨てのみぞよをばふる逢事なくになれる身なれば逢はむと契りたる人をよそに見て。。よそにみて過ける物を箒木の伏屋てふなぞ人賴めなる女の許にまかりて返されて。0うしと思ふ人の心は草ばかは歸る袂の露けかるらむひるなりと物語せむといふに見苦しなほよるといひ侍りし女に90あふ事を晝は渚にあさ□ね海士の釣舟夜をこそまて語らひて侍りし女のまた更に心强かりしかば〓難難きにこりぬ心を思知れこれの昔の名殘なるべしかへしわつれなくは偖もやみなで何にかは折々人の思出らむつれなき女の夢に見えしかば。明ぬ共君とてけさはねたらまし今宵の夢の現也せばいかでと思ふ女のかひこひたりしに心戀しとて君恨みせば人知ず思かひある心ちせましやかへしね思ふらむ心も知で恨みたるかひ有見と今こそはみれいひいでむ事のはゞからしかりし人におづ〓〓さる心なむあると知らせむと〓賤の身に頓て心の類へかしさもあるまじき事も思じかへし一波立むとを包まぬ身也せば思ふと云は嬉しからまし又やりはべりし一逢迄の事は難くと人しれぬ心のゆくを遣るといはなむかへしニ人しれぬ心のきつゝ積りなば無なの高く成も社すれ物越にていらへばかりする女に〓聞ゆなる聲を心に取かへて隔てなき人思ひてしがな四月ばかりにかへり事をせぬ女のもとにくちをしきよしを云ひ遣して侍りしかば郭公公をも分ず語らへば答へをなどか愛にしもせむ集某國守津三八三五二
かへし郭公公深深き聲をあはれとも思ひしらずば何か答ふる秋の夜の長きひとりねを思ひやれと云ひ遣したりしが女秋夜は人からならず昔より明し兼ねぬる物と知ずやかへしヘ長しとも歎かざらまし君と我枕並ぶる秋の夜ならば語らひて侍りし女のもとに久しう音せざりしかば云ひおこせて侍りしな兼てより人の心を知らませば契し〓とを賴まゝしやはかへし〓賴めしを心みむとて音せねば忘れたり共思ひける哉まだ睦じくもあらぬ女どもの仁和寺に遊びにまかりて日の暮れにしかば留まりて明くるあした歸るとて一よそ人は睦まじと社思ふらめならびの岡にねてし歸れば宮仕へする女を迎へておくりてあしたに一朝ね髮たが手枕にたわつけてけさは降こし形見とかみる能登守正月つごもり頃にこし地はまだ雪埋もれてなむあると云ひおこせて侍りしかば三思遣るまだ雪深き越路には霞む空をや春と見るらむすりの大夫の播磨くだりにいちのすまで送りきこえ侍りしに舟こぎ離るゝ程に霞の隔てしかば一島隱れ漕行く迄も見るべきにまだ消立つる春の霞か花山にまかりたりしに僧正のむろのまへと覺しき所に櫻の朽ち殘りたるがたゞ一枝咲きたりしかばああじなきすみかに殘る櫻花あはれ昔の春や戀しき花見に人々のまかるが音もせぬに遣し侍りし櫻みにいざと人こそ云ねども花に心は誘はれぞする花ちりて後うちのけしきのかすめるを見て山櫻いまは殘らず散りぬらむ何たちかくす春の霞ぞかへし花ちれる跡のつれ〓〓みせじとて山立隱す朝霞なり女の逢ひがたかりしに二月の晦日頃に遣し侍りした春風は隔つる霞吹き亂れ亂れのまにも花やみゆるとかへし〓花散す風は吹とも春霞立ち隔てゝはいかゞ見ゆべき雨のふりし日女のもとに遣し侍りし一一春風や人を忘れぬ妻ならむしめ〓〓物を思ひ出つるかへし〓春風を忘れぬ妻になすめれば降たる中の心ち社すれ春の夜女とゐて物語して元年末弓春のよ君と圓居してみけしの下にいる身ともがな四月一日ある女の家を過ぐとて何事かと云ひいれさせて侍りしに返りごとをばいはで山吹の花をおこせたりしかば一二の に咲けばか山吹の過行く春を止れともいはぬ=ある人の增とりしてのちはじめて人々よびて歌よみ侍りしに藤花久盛といふことをよみ侍りしついでに一宿からか夏になれ共藤の花移ろふ色のみえずも有哉布引の瀧にて人々歌よみ侍りしついでに★高ねより落くる程をしらぬ哉幾ひろならむ布引の瀧筑前の司賴家五月ばかりにいさゝかに營むことなむあるかざめやうの物とこひみ侍りしに送るとて七五月雨に田蓑の島の蜑人の被くかざめは君が爲なりかへし賴家N天天だだが神神の驗とみる物は田蓑の島のかざめ也けり賀、茂の禰宜成助に始めてあひて加間渡る御手洗河の水〓みそこの心は今口ぞしるべきかへしOW住吉の待かひ有て今日よりは難波の〓ともしらす計ぞその日まうできあひて祇園別當良暹一住吉の御手洗河も流合ひて此渡り社すまゝほしけれ賀茂の御手洗河のほとりに涼み侍りしに神山のしたもさゝに流れ出る御手洗河の水の涼しさかへし成助我里にかたりも渡れけふ結ぶ御手洗河の水の凉しき七月七日住吉よりまかり登りしに天の河といふ所にて日の暮れにしかばとゞまりて舟をあらひきよめて織女にかすとて七夕は思ひしらなむ天の河急ぐ渡りに舟をかしつる八月ばかりに月のあかく侍りし夜三條大納言の御もとに月をみて詠み侍りしさやかなる月みる每に雪積る心は空にみちやしぬ覽かへしねみ空ゆく月は哀れと思ふらむゆたにも君が詠めける哉同じ頃うまごのわらはの袴に萩の花を書きたるを大納言見給ひて誰ともなくていみじうさうぞきたるざふし女に持たせてなげいれさせ給ひたりし41主主らら萩萩のするなる高圓ののも心みに衣まかせむかへし仙袖垂かば萩の花摺すりや亂らむ八月ばかりに成助が嵯峨にまかりてそれよりよびにおこせて侍りしかば如心はは招かじ物を花薄さがのゝ風のたよりなるらむかへし101草摩く風は吹とも花薄我ほにいでずば招かざらまし八月ばかりに豐前守保定くだるとてみてくらじまにて馬の草刈らせけるをせいしければ刈らすべき由の下し文こひたりしに遣すとてユー秋風に草ばゝまかす豊國の民のなびかむ例と思へば和泉の國吹飯の浦といふ所にまかりとやまりたりしに夜ふけて山のかたにはしかの聲聞え渚には千鳥なきしかば三鹿の音を哀と聞に秋の夜の吹飯の浦に千鳥さへ鳴くすりの大夫ふしみの森の下にて紅葉の散るに年の老いぬることをたとへて人々歌よみ侍りし二二紅葉する森には春も又きなむ我身の秋を頓て枯行く物へまかる道にて雨の降りしかばニ雨雨ぬいざ宿からむ此里の遠の野路には人も住なくある人の紀の國へくだるとて住吉を過ぎて堺といふ所にてとヾまり侍りしかば五吉吉渡渡渡にのにだにも音せねば堺の里を思ひこそやれ或る人の住吉に參りてよみ侍りしな徒に老にけりとや住吉の松も我身を今日はみるらむかへし42君君代代や千年迄へむ住吉の松に久しき友と見えつゝ津のかみ範永住吉に神拜すとてメル我身こそ神さび增れ住吉の小高き松の蔭にゐぬればかへしな住吉の松の齡に肖えぬれば君をも千世の友とこそみれ住吉に人々多くまゐりて雨の降りしにぬるゝ事をいひしかば〓藩るゝにて思ひしらなむ諸人は天降りたる神の驗を美濃の國へまかりてくだるにある女の許にまかりて暇こひて立つにいふことの侍らざりしかば〓暫ともなどか留めぬ不破の關稻葉の山のいなはいねとやかへし
旅の空行べき君と知りぬれば何か留めむ關の名立に津の國に侍りし頃京にあひしりたる人のもとに遺す文のうは書きに法津國の難波よりぞと云ず共革手をみては其と知らなむ故讃岐守に始めて逢ひ聞えさせたりしに詠みかけられたりし☆住吉の松をぞ賴む今日よりは千年はふとも思變らじかへし住吉の松の千年もあかなくに萬代迄を今日は契らむ賀茂の禰宣なりすけがもとへ貝つ物やるとてしたゞみも鮑さだえも蛤も搔集めたり皆ながら見よかへし成助難波潟なにはの物も貝有て朝滿潮のみつとしらなむ歎く事の侍りし頃とふべき人のとはざりしかばメン知る知ず訪ぬ人なく訪つるに終に音せで君ぞ已ぬるかへし良暹死死許許許いりてぞ音はせぬ知も知ぬもとふはとふかは賀茂の行幸に宮づかさどもかうぶり賜はりてまかり歸りてやすむ所に六位にて侍りし時〓〓菜葉するかつらの中に住吉の松のみひとり綠なる哉對馬にまかりたりしに我が國のかたは遙になりて新羅の山の見えしかばー七舟出せし博多や孰ら對馬には知ぬ新羅の山はみえつる但馬の國に朝倉といふ所に歌よむ尼なむあると聞きてまかりて物語し侍りしついでにニ朝朝やまだみぬ里に尋ねくる心の程を思ひ知らなむかへしあま尋來てみるにかひなき宿也と朝倉山を忘れざらなむ石山に參りて歸り侍りしに瀨田の橋のほとり馬に乘りたる女のきつれたるが夕立のせしかば關寺の大門に同じく立ちいりたるに云ひかけ侍りし東路をくる妹ならば言間はむ伏屋と云て誰か留めしかへし女東路の伏屋になにか尋ぬらむけふ逢坂の〓とや契らぬ住吉に賀茂の神主なりすけくだりたりと聞きて加賀左衞門命婦葵草おふとし聞けば住吉の岸にぞ今は摘べかりけるかへし七住吉は忘れ草ぞといはるれど人に葵を植ゑてまつ也あはの國よりかみのゝ道からまかり上りしに駿河に入江の浦といふ所にて風ふきて八日まで舟を出さすあやしみ歎くほどに人の夢に住吉のひとのする事もなくておりのぼりするがやすからねばおきながふかする風なりとなむみえると語れば驚きて尋ぬればなきさに神の社ありみをの明神と申す俄にみてぐら挟みてしでに書きつけ侍りしxNみをの神住と聞てぞ入江なるなぞ舟据て日數へぬ覽かくてぞ程なく風やはらぎ波靜かにて舟出だし侍りしおほやけに申す事侍りしに申し文にそへて奏者の御もとに住吉のあまつ社のうれへには心よせなれ雲のうへ人同じく申す事の程すぎ久しかりしかば〓雲の上は月ぞさやかにさえ渡るまだ滯る〓とや何なりかへし兵衞佐〓滯ることはなけれど住吉のまつ心にや久しかるらむ公に申す事のともかくも仰せ下され侍らざりしかば住吉へまかりくだるとて奏者の御もとに早晩と御言きかまく住吉の松なる神にいかゞ云べき藏人少將うちにのみさぶらひ給ひて久しうあひ聞えさせねば月夜なりし頃雲の上に隔てゝ月のもりこねば賤の宿りは朧なる哉かへし少將雲の上にみるだに他かぬ月影を理なりし賤の宿りは成助がきやう中けがらはしきことあれば京へもえ出です御社にこもりゐてなむあるといひおこせて侍りしかば神垣に穢らはしけきみえいいははいがはを孰ちやるらむ住吉より京へのぼり侍りしにみつてらの程にて雨のふりしかば人の家に立ちいりたりしにいみじうもりしかば煤煤たるゝみつの萱屋の板庇久しくなりて雨も溜らず江中納言大宰帥になりて下られしにかはじりにまかりむかひて物語のついでに六六年にぞ君はきまさむ住吉のまつべきみ社痛く老ぬれかへしすす人人過過く我も住吉の松の千年と祈らざらめや三條大納言すゞしのむしろ奉るとて美まし我が獨寢のさむしろに誰とか君が手枕をせむ正二位大納言をばいかで美むぞやすからぬことなりとていみじうこそ笑ひ給ひしか六條すりの大夫の上に石だゝみせむとて石とりてとありしかば聞えさすとて難きと勵みけりとも思知れ石をわりつゝ君に仕ふる同じ人におほえびを聞えさすて〓住の江の翁姿ぞ哀なる海に老いつゝこしのかぐまるかへしわたつみの老な歎きそ住吉の松にかゝれる沖つ白波同じ人の播磨くだりにかちしなりしかば諸共に鞭はあげねど慕はるゝ心は君に後れやはする3心をば同じ道には類ふとも猶住吉のきしもせじかし九老の後に月をみてよみ侍りし飽ずして老はてにける我身哉こむよの間も照せ月影伯の母のたうのつまどの板を乞はれたりしかば遣して後に横のとを西に明てや月をみるさき立行に言傳をしてかへし西へ行月みる度に槇のとを君思ひつるつまにする哉前左衞門佐のもとより久しく音せずとていひ造したりしメル水籠りに一日もおちず思へども人忘れけり住吉の松かへし大位住江の松に絕せず吹風ぞきつせそへつゝ忘やはする同じ佐のもとに貝つものをまぜくだ物にして聞えさすとて〓渡つみの浪の花さく浮木にはかき蛤のなるにや有覽備中守仲實くだられしに難波江のほとりにまかりむかひたるに小舟のはたつひたるがありしを見て詠み侍りし。難波江に年舊にたる舟なれば蘆の葉摺にはた馴に見備中守。○難波江の蘆の葉わきにはた馴て今日を待ける舟の景色か若狹阿閣梨隆源0蘆蘆葉葉茂茂みを分る舟なれば年は積れどなるゝなる覽尾張守に聞えさする事ありて〓尾張なるはゝりの絲を手玉ゆら機めのおれる衣のき欲き住吉の堂の壇のいしとりに紀の國にまかりたりしに和歌の浦の玉つ島に神の社おはす尋ね聞けば衣通姫のこの所を面白がりてかみになりておはすなりとかのわたりの人云ひ侍りしかば詠みて奉りし
00年ふれど老もせずして和歌浦に幾代に成ぬ玉つ島姫かくよみて奉りたりし夜の夢にからかみあけてもから衣きたる女房十人ばかり出で來りて嬉しき喜びにいふなりとてとるべき石どもを〓へらる〓へのまゝに求むれば夢の〓げのまゝに石ありいしづくりしてわらすれば一度に十二にこそわれて侍りしか壇のかつらばしにかなひ侍りにき賀茂神主なりつぎに葵こふとてお睦じく賀茂の葵を住吉の松のゆふにもしてま欲きをなりつぎ葵をばめでたくしたてゝ遣して返り言は力及ばずと云ひて侍りしこそなか〓〓ありつきたりしかるやうありて思ひがけぬ所にありければ年頃になりて四月賀茂の祭の日葵に書きて遣しける〓思ひきやその神山の葵草懸てもよそにならむ物とはこれはあるやうある歌なり故らに詳しくは書かず年頃語らひける人のこと人に物いひてたえにければ日頃ありてあるやうありて音づれける次でによみて遣しける一心にもかなはぬ物は淚哉わが爲つらき人と知る〓〓まひびとしてはやうしりたる女の內わたりに隱れてありと聞きて尋ねてよめる〓行摺にとふとや人の思らむ山ゐの衣きたるけふとてはなだなる狩衣をきてある宮腹の女房にあひてまかでけるに雪のいたく降りてつとめてその狩衣の袖をやるとて書きて遣しける雪かゝるはなだの袖を打拂ひ歸りし程の袂ともみよ風いたく吹きける夜御前に近くうゑさせ給へる萩御覽じにいでさせ給ひて人々歌奉れと仰せられければ宮にて秋風の萩の下葉を吹返しうらみや露は置き增るらむある宮腹の女房のもとよりなぞ〓〓とてかくいひたるかかなしや社のみして祈る〓と無てみそかに成にける哉返しかくぞなみそか迄祈る社のかひなくば神無月とや云べかる覧二月ばかりに寺に講きゝにまかりたりけるにある宮ばらの女房又車を並べへて聞きければ誰ともなくてしきみの葉にかきて遣しけるよそ〓〓〓みみの車と思へ共人の心は一つならなむ講はてゝ人々騒ぎ出でける折につかひ紛れにければ誰とも知らでいみじくねたがりて日頃尋ねければ程へてぞかくと聞きける讃岐入道集〔藤原蘭網朝臣〕ある宮腹の女房の局の前に柳の枝をうゑて見けるによひにきて物語などして歸りにけるつとめてその柳なかりければ夜べの人のとりたるなめり返したべよと責めければかくなむ60靑柳の糸になき名は立に鳬よるくる人は我ならね共人々ぐしてしほゆあみにまかりたりしに京より知りたりける女の四位權少將のもとにかく詠みて遣しける0立寄らで音せぬ時は津の國の蘆間の波の心ち社すれ少將の返りごと侍りしうはづゝみの紙に書きつけたりし加津國の蘆間の波の我ならば恨みぬ程に音はしてまし齋院の邊にさぶらひける人の世の中に隱れてあ三月つごもりがたに文をさし置きて使のにげたりければ人をつけて見すればしろ君のたばかるなりけりかくぞ讀みたる入諸共にいざ尋ねみむ山櫻ちり殘りたる花はありやと返りごとかくなむ花見には何かはいざと誘ふらむ勸めし法の折は尋てと詠みて遣したりければこゝにはよもとあらがひてよめるcまま橋を跡も定めず渡りては踏違ふるぞ怪かりける又返し一荒河は偖もやみなむまろ橋の跡なくは社踏も違へめ山里にまかりけるを今宵はとゞまりてあれととめけれどとゞまらで急ぎかへりてつとめていみじう雪のふりたるに具して歸りし人の許よりとヾめし人今日の雪をいかにといひたれば〓泡雪のふるにつけても歎らむとくるを侘し人の心はある所に參りたるにみすのそばより女房の髪いと長くこぼれ出でたるを見て二人知ず思ふ心をかなへなむ神顯れて見えぬとならばいつぞやの殿上の大井の道遙の歌かき付けたるうらに葦手を人の手ならひにしたりければそこに書きつけたりける〓津國の難波のみると思しを和歌の浦にも葦でおひ鳬五月雨の頃よごろ物語などしてあかすをかゝるはよけれどもなき名たつなむわりなきといひければ水無月の朔日の日遣しける梅梅は無名立田にそぼちつる田子の濡衣けふや干す覽すみける所の櫻の花を見ていかに世の中を見ける頃にか雨ふればうき言の葉も茂る世に美ましくも散る櫻哉久しう語らひける人のうき事ありとてたえにける琵琶をかりたりけるそのをりはかへさで年頃ありて思ひがけぬ程に返しおこせたりければよみて遣したりける←忘るなと〓し事はかひ無て引違へたるびはと社みれ知りたる人の許より久しく音づれずとて軒におふる草をおこせたれば忘れ草と思ひたるにやとて是やこの音に聞きつる忘草又こそしらね心ならひに忍びたる人の文をおこせて人やみるらむとてかく云ひたるた涙川せヾの玉もゝ掻つめし人の水屑になりも社すれかへしcm掻掻めの河ゞせな藻にも人のみるめは有じとを思へたはぶれ事にて語らふ人の恨みて今はあはじなどいひければニ小蟹のいとか計の言の葉に中かき絕む物とやは思ふ蘇枋色なる貝のちひさきをこれなむ忘貝といふはまことか見知りたりやとて人の見せければ一是やさは人忘れ貝覺束なえこそ白波あまにとはばやなきことを聞きて人の恨みければかくせといひけるものを人に見せたりと聞きたりけるにやニ恨恨ればみるめ渚と思へ共こはいかなりし蜑の濡衣ふみ人に見すらむと疑ひける人のふみおこせたるその文を見て返しやるとて三一今よりは跡も留めじ濱千鳥淚か磯のみるめなければ人々などよびて和歌よむによばずとて恨みおこせたりければ1紀の國やしらゝの濱の知せねば理り也や和歌の恨は友だちのあづまの方へまかりけるがかくとも知らでまかりくだりにければよみて遣はすメー東東に立日をだにも知せねば衣の關の有かひぞなき
語らふ人に五月五日進す一二筑摩江の長くも人を賴む哉けふの〓蒲の妻ならね共煩ふことありて久しうありかぬ頃つねに月もろともにみる人のもとより月のあかき折こそ思ひ出でらるれといひたりければよむ14世中に無らむ後に思出でゝ有明の月を形見ともみよ百和香にくらゝの花をくはふとて詠める如感はずなくらゝの花の暗き夜に我も靆けもえむ煙は知りたる人のとほき國へまかるとてあこた瓜をおこせたりければ瓜に書きつけて返しやる見見らにつらさぞ增るあこた瓜立別行く道と思へば昔はすき物にて歌など詠みけるが年老いて尾張の國鳴海の浦といふ所にすみけるに詠みてとらする一みちの國の岩手や暫しをらましと忍ぶに最ど增る戀哉語らふ人の筑紫へまかりけるによみて遣しけるニとまらじと思ふ物から別路の心づくしに歎かるゝ哉九月十三夜の月の曇りたるをあかゝりきなどあらがふ人の許にいかゞみると云ひにやりたりければかく云ひけるニタ霧の立ふたがれる頃なればはるゝをぞ待秋夜の月語らふ人かぜおこりたりと聞きていかゞといひやりたる返りごとに四今今むむ賴め置てし後よりは君まつ風ぞ最ど戀しきといひやりたりける返しに高砂や立よる波のしげゝれば我をのみやは岸の松風源氏を人にかりて返しやりける大いいばばりりののれれむ武藏野の若紫の露の消え方営齋院に人々あまた參りてよむに神神にさす榊葉のゆふよりも花に心をかくる春かな=おなじ心xb榊葉のときはならひに櫻花しめの内には散て年へよ四但馬の國にあさくらといふ所に石井などをかしくてすきものありける年おいて尼になりて子うまごなどあまたある猶衰へるわありける事のついでいひやる加年積て蜑の住らむあさ倉の里のみるめを刈て我みむおなじ人のあまうれへすとて申し文に櫛のはこをそへたる返しやるとて25返返てて內內は床しき筥なれど明て悔しと思もぞする內わたりにて語らひし人の年頃さとゐして宮仕へもせで五せちの頃かく云ひおこせたる一谷深きみ山隱れに家居して日影をよそに思ひやる哉返り言はその程さはる事有りて內へも參らねば三谷深く契りし〓との印にや同じ日影をよそに聞くらむ同じ頃內わたりにありし時九月十三日の月をもろともにみあかして里居の後同じ十三日の夜よみておこせり臺しは怨めしかりし月影の今宵は其ぞ嬉しかりける返し行きずりのよそに見よとや古の山ゐの衣きては契しるゐの大そ北の方になりて下るに御ぞやるとて112色深く染たる旅の唐衣かへらむまでは形見ともみよ年頃かたらふ人の人のめになりてたえて後五せつの頃內わたりにてあひたりしにひかげの絲を解きてとらせて詠みたりける想へ共ひかげの絲の繰返し絕にし節のつらくも有哉一の宮の女房の歌〓行きかゝる薄花染の色みれば君よりは又變らざり鳬ハ〓心淺く染たる絲の色なれば是よりは又いかゞ變らむ〓行懸る跡を詠めし我袖もぬれ乍ら社みすべかりけれ,まだ知ぬ忘られ草と云名をばさは我によりてや知始めける集道入岐讚ようしとみし心の程はをみ衣九重までぞ隔てられぬる谷川は誰か柵とゞむれば秋はてにける景色なるかな身の程の思知らるゝ世中は跡留むべき心ちやはする=六あらがはで心も空に成ぬれば水くむ月の影は離れじ致しくて雪ふる里の印には人の心のかはるをぞ見る女御殿女房內裏にて〓返す風につけても山櫻まだき散りぬる心をも見るかく許あたり忘るゝ扇には返さむよりは爭で留めしつつててつしてまし今ぞきたると夏衣ひとへに賴む心也せば思ひしる折も有りけり涙河淺き瀨をのみ見せし心に〓〓の〓は雲居の便りまでふみゝし跡もたれか尋ねむ。その事を思ふともなき片敷の袖こそけさは萎る計に一返してむ見れば中々つらさのみ最ど益田の池の水莖ヒー涙河あけてもみせむ玉くしげ浦島の子が心ゆるさば夜を重ねあくがれはてゝ秋の月思比ぶる心だになし冬冬深み結ぶ氷柱もこち風の吹し立なば何ならずやは唯にやはかきも絕なむ小蟹の上の空なる〓とつげず共我が淚忘がたみのめを荒み年つみ敢ずもりも社すれ〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓やなひ〓とふに打は解べき九ううと〓とは露もなかけそ天川ゆき逢せこそ絶はたゆ共榊葉のさゝでも深く思しを神をば懸て喞たざらなむ〓引懸る妻ならねばぞ萬蒲草忘ぬにしも分きておふらむ〓すす淚にに色のなかりせば暫しは人に知せざらまし故院の失せさせ給ひたりけるに乾く間もなき墨染の袂哉くちなば何を形見ともせむ賀陽院の歌合に櫻を花故にかゝらぬ山ぞなかりける心は春の霞ならねどほとゝぎす明る迄待兼山の郭公けふも聞かでやくれむとすらむ月ね岩橋の神の契れるかひもなく隈なく照す秋のよの月雪外山には柴の下葉も散はてゝ遠の高根は雪降にけりいはひ君君世世はながゐの濱の小れ石の岩根の山と成果る迄あるものなべを人のこひければが東束なつくまの神の爲ならば幾つか鍋の數は入べき水邊款冬山吹の下行く水は早けれど移れる影は流れざりけり中將家歌合、くひな一里每に敲く水雞ぞ聞ゆなる心のとまる宿やなからむ戀紅のこぞめの衣をしたにきむ戀の涙の色かへるやと鳥羽殿の前栽合きくを君が代は菊の下行く谷水の流を汲みて千年をぞまつ行末はまだ長月の菊なれば久しき秋の花とこそ見れ萩秋秋の絕ぬあしたはむら〓〓に萩の錦の見え渡る哉萩の葉に露吹むすぶ木枯の音ぞ夜寒になりさる也菖蒲切引ぬぬ宿は有じを今日毎にいかに盡せぬ菖蒲なるらむAl我我の妻にのみかは菖蒲草かゝらぬ宿の聞し無れば藤か時わかぬ松のみどりは紫の藤さく折や夏を知るらむさい30秋の夜に雪むらぎゆと見ゆる哉籬に咲ける白菊の花七夕。七夕の待つる程の苦しさとあかぬ別と孰れまされる50孰れをか思增す覽七夕はあふ嬉しさと逢ぬつらさと∞七夕に心かはすと思はねと暮行く空の嬉しきはなぞ月渡つみの底の玉もの口〓とに靡くぞみゆる秋の夜の月律道入岐登
しば獨獨やいとゞ寂しきさを鹿の明ふすをゝ萬のうら風中宮のますかけはまゆふをとりにおこせむと契りてまつに久しく音せざりければ詠みて遣しける忘忘るるゝ我三熊野のはまゆふを何しに人にとへと云けむ返しbe三熊野の恨み所も無物をとへと契りし程のすぎねば此本子息道經之実本云々於先考之外家者爲先祖租其說等仍隨見及書習之きたる花を遣したりしかば云ひ遣しゝいいににててののけにけむ人の心は有し乍らに大宮の右大臣うせ給ひて又の年南おもての櫻に鶯の鳴きけるを聞きて〓ぬぬさきは何なゝ鳴そ鶯よ賴む蔭なき吾ぞよにふる花作春友賴めどもいでや櫻の花心さそふ風あらば散も社すれ三條大納言花見にまかるとて始めてさそひ侍りしかばまかりて又の日かく云ひ遣したりし山櫻尋ねし人の心こそ散る花よりも今朝はをしけれかへし←咲ざらば何故人に知られまし花嬉しかる春も有けりさきのおほいまうちぎみ失せ給ひての春花のいとおもしろく咲きたれどみる人も侍らざりしかば獨山寺にまかりて暮るゝまで詠めて三條大納言のもとに遣しゝル此の春は人もすさめぬ山櫻心惜しくやとくに散ぬるかへしな聞にこそ最ど惜さは增りけれ見人なしに花の散らむ雲林院にまかりたるに花の始めて散りてしを見てc人知れず我やまちつる櫻花みる折にしも散始むらむ田家三月盡一小山田の苗代水はひきながら春は心にえこそ任せね卯の花がき今はよに故〓人も尋ねこじ身の卯花を垣にしたれば卯花隔隣一賤の庵許多の小屋も見えぬ迄中垣がほに咲ける卯花右近の馬場にて人々尋子規といふ題をよみ侍りし〓ここりりちらぬぬ規尋ぬとだにも知せてしがな藤原基俊家集藤原基俊家集上正月朔日女のもとに遣しけるno物どに改まれども戀しさはまだふる年に變らざり鳬同じ一口ごろに物申しける女のちかごとたてゝ侍りしに遣しける加初春の時のみことゝ天地の神打つく和し君がちかひは同じ頃物ごしにて物申しける女の許に遣しける。老らくの心感ひぬ鶯のわかたれ聲をきゝそめしより七日わかな人のもとに造すとて一年をへて若葉はつめど老にけり頭に春の雪積りつヽ柳一春風に吹な亂りそ我妹子がかつらにすてふ靑柳の絲年頃もの申しわたりけれどいと心かたくてやみ侍りける女のいかゞ思ひけむいとおもしろく咲雨のうちの子規ささててくくく取規今宵はこゝに雨やどりせよ卯月十日頃久しく音もせぬ女のがりいひ遣しゝ如時鳥わすられぬかな故〓のならしの岡のよはの一聲時鳥一誰が里の垣根忍ぶと子規けさ我が宿を過がてになく山近聞時鳥〓夢かとよ隣の岡の子規しのびもあへぬさよの一こゑ曉聞子規朝倉や木のまろどのゝ明方に山子規なのりてぞゆく夜々待月co梅雨よさるは月よを此頃はいかにせよとか七夜降ぬる雨のうちの旅のやどり11五月雨にあまの苦やに旅寢して哀れ露けき草枕かな盧橘夕薰一一ふふし昔の人ぞ忍ばるゝ花たちばなのかをる夕は山家蚊遣火夏のよを下もえあかす蚊遣火の煙けぶたさ遠の山里竹風如秋四夕さればさゝ村竹に吹風のそよぐ音こそ秋通ふらし雨中待人正雨降と爭でか人をまたざらむ誰爲かける我が眉ねぞ五月五日三條大納言のもとに藥玉造すとて〓蒲蒲草岩かき沼の長きねを君が爲にぞ玉にぬきける對水待月夏夜の月待程の手すさみに岩もる〓水いく掬びしつ雨中木繁N玉玉繁りにけりな五月雨に葉守の神のしめはふる迄五月の晦日つれなき女のもとに遣しける山里の楢の外面におくかびの下燃をれど知人もなし五月ふたつ侍りし年の後の一日修理大夫顯季朝臣のもとよりかく云ひ遣したりし·ななきなけ未だ五月ぞ子規思ひたがへて山へ歸るな返し〓ざざらばこぞに倣て時鳥ほと〓〓山に入やしなまし夜深思牛女ここの宵のふけ行くまゝに七夕の昔の契今やくやしき閑庭露滋シ庭庭面面のしるるによせて心のまゝに置ける露哉萩の上の露妻こふる鹿の涙か秋萩にこぼれぬばかり置ける白露女郞花エ朝朝の絕間に見ゆる女郞花今宵の露にねくたれに見薄AP秋風に色に出にけり花薄かばかり露は結びおけども林十日四七卷卷くの檜原の山の木間より鹿子斑らにもれる月影蟲のうらみこひによすゆか近しあなかま夜はの養夢にも人の見えもこそすれ月の前の旅の心な可惜夜をいせの濱荻折しきて妹戀しらにみつる月哉衣うつSIS誰はにかかにうてばか唐衣千たび八千度聲の恨むる山里の曉ニ山里の尾花さかふく軒端より有明の月はさし出に鳬旅の宿りに月をみてニ一月みれば思はぬ山ぞなかりける最ど割なき旅の空哉九月九日三條大納言のもとに遣しける五長月の今日の爲にと菊の花露しもおひて咲にける哉九月卅日ごろ久しく煩ふこと侍りて心ち賴もしげなく思ひしに久しく音せぬ人のもとに遣し〓秋果る枯野の蟲の聲絕ば有やなしやを人のとへかし上集家俊基原藤
草上露一何事に思消ゆらむ朝露のうき我身だにあれば有よに船中落葉4散粉ふ紅葉ほに揚て行舟を秋もてゆくと人や見らむ雪埋古橋我が駒よ心してふめ降雪につぎめも見えず淀の繼橋雪の朝雲居寺瞻西がもとよりかく云ひて侍りし人常よりも篠屋の軒ぞ埋もるゝ今日は都に初雪や降る返しな降雪に誠は篠やいかならむ今日は都に跡だにもなし山家雪〓雪の内に今日は暮しつ山里はつま木の煙心ぽそくて月あかきよ雪いとおもしろく降りはべりしかば友だちのもとにまかりて夜ふけてまかり歸りし一歸るさの宿だにみえず降雪に道知べせよ冬の夜の月池氷作鏡吾が宿の池の氷を鏡とて見れば哀に老いにけるかな舊年立春老ゆけど惜けくもなし年の內に春は再逢ひぬと思へば梅告春近立寄らば蔭ふむ計り春きぬと梅の匂のほのめかす哉十二月三十日に昔あひしりて侍りける女に人のもとにてまかりあひて物申しけるほどに白河にせうとのもとへとて急ぎ歸りしをとヾめかねて惜めども行としだにも悲しきに暫し留まれ白河の水雪をかきあつめておき侍りしを人の請ひに遣したりしかば遣すとてなとけむ共まだみえぬ哉白雪の降やは是ぞとり所なる戀秋風に葛のうら葉の打かへし思へば戀の怨めしき哉祝子がかみより板に引杉のくれゆくからに繁き戀哉cななも斯ゆらのと渡る蜑船の楫とるまなく物を思ふは〓〓事事は片結なる我妹子がゆはたの紐はいつか解べき一誰故に迷ひ初にし心ともことわり知らぬいな淵の瀧河上に晒す細布けふだにも胸あふばかり契りせよ君如何にして君恨らむおはたらの板田の橋の桁よりもこで初めてあへる女に鏡をかりて返し遣すとてみて後はいとい心ぞます鏡影すむ人に成やしなまし心かたき女のもとに波よする磯べの蘆の折伏て人の憂にはね社なかるれいとしもなき女のいかなることかありけむ山城の水たのこなき己さへあな事々し我なすさめそ終夜物越にて人と物語し侍りしにしばし音もせざりしかばねいりたるかととひ侍りしかば思思唯唯唯〓〓まだ引寄せぬ梓弓ひとりは人のねいる物かははじめの戀ルト人知れぬ戀にはまけじと思ふにも空蟬の世ぞ悲かりけるあしたの戀九月草にすれる衣の朝露に歸るけさゝへ戀しきやなぞ逢ひてあはぬ戀ofたはれにし妹に逢やと道のべに訪し夕けぞ人賴めなる夜の戀、波よする岩ねに立てる磯馴松まだねもいらで戀明しつる年へたる戀一人心何を賴みて水無瀨川せヾの舊杭朽ち果てにけむあしたおしてるや與謝の浦波打返し今も見まくのほしき君哉初めて人のもとに造す事で〓〓と思ふ心は奧山の苔むす岩の年ぞへにける筏おろす柚山川に浮き沈み君に逢ふべき暮をまつ哉雪いたう降りたるあした女のもとへ遣しゝ誓せぬはあな覺束な白雪の降掩ふ竹のよの程はいかに申しちぎりて久しく音せぬ人のがり濱千鳥まつかひもなし曉の目覺ましき迄などか音せぬ忍びたる女のもとへ遣しゝおおななが草かる岡のさゆりばのしめゆふ迄は人に知らすな同じ心を久くば程やはへぬる程へれど又こばいかにみまく欲きぞ又の日後朝

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