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小市民などいない 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む44

 現実の歴史の話をしてみれば『春の雪』の時代設定の当時、つまり大正元年から三年にかけての宮家は伯爵家から嫁を迎えることもあり、反対に宮家の王女が侯爵家に御降嫁(ごこうか)することもあった。伯爵侯爵と言っても家柄はまちまちであり、すべての侯爵家にその資格があるわけではないが、例えば松枝清顕が宮家の王女を迎える可能性も全くないわけではなかったという理屈にはなる。

智子様

 かといって天皇が清顕にとって到達可能なものであったとは言わない。しかし天皇に頭を撫でられ、直接天皇の顔を見ることが出来、なんなら天皇と親戚になることくらいできたかもしれないというのが『春の雪』における天皇と清顕の関係であり、天皇というものは実在する偉い人という程度の存在として捉えられているという点は、再度確認しておいてもいいかもしれない。この点夏目漱石が言うところの昔の殿様とは違う。

  次に、昔は階級制度で社会が括くくられていたのだから、階級が違うと容易に接触すらできなくなる場合も多かった。今でも天子様などにはむやみには近づけません。私はまだ拝謁をしませんが、昔は一般から見て今の天皇陛下以上に近づきがたい階級のものがたくさんおったのです。一国の領主に言葉を交えるのすら平民には大変な異例でしょう。土下座とか云って地面へ坐って、ピタリと頭を下げて、肝腎の駕籠が通る時にはどんな顔の人がいるのかまるで物色する事ができなかった。第一駕籠の中には化物がいるのか人間がいるのかさえ分らなかったくらいのものと聞いています。

(夏目漱石『文藝と道徳』)

 今の若い人にはこの感覚が伝わりにくいと思います。昔はテレビでやたらと時代劇が放映されていて「頭が高い、控えおろう」という台詞が何度となく聞こえてきた。漱石が言うように、その封建時代というものは終わった。三島が物心ついた時には〈絶対者〉としての天皇というものは現に存在していなかった、創り出さなければならないが、天皇とは比喩であり、存在していなかったというのが三島由紀夫の天皇観である。

 この重要なポイントが、金閣寺=〈絶対者〉=天皇としてしまう平野啓一郎の『三島由紀夫論』では見逃されている。

 昭和七年、本多繁邦は三十八歳になつた。

(三島由紀夫『奔馬』『決定版 三島由紀夫全集』新潮社2001年)

 昭和七年、昭和天皇は大正十二年の虎の門事件、昭和七年一月八日の桜田門事件を経て、まだ存命だった。久邇宮良子女王(ながこじょおう)とは大正十三年に結婚。継宮明仁親王は昭和八年に生まれるのでこの時皇太子はいない。

 もし桜田門事件が成功していれば、秩父宮雍仁親王が皇位を継承することになっていたわけである。

 平野啓一郎はどういうわけかこの年を、

血盟団事件に続いて五・一五事件が発生した不穏な昭和七年

(平野啓一郎『三島由紀夫論』新潮社 2023年)

 と定義してみる。どういうわけか桜田門事件には触れない。無論三島由紀夫は敢えてその年から始め、天皇を隠蔽したのだ。

 そして『奔馬』の書き出しの奇妙さにも触れない。おそらく新人が真似をして新人賞に応募すれば一次審査も通らないような設定の説明、本多の生活のあらましの説明を始めてしまうという天才作家の奇行に言及しない。なるほどわかりやすい親切な書き方である。しかしそんな小説には滅多に出くわさない。これは殆ど禁じ手だからである。おそらく小説の審査委員をしているであろう平野啓一郎がそういう小説を目にする機会は先ずあるまい。そういう小説は平野が目にする前に没になっているからだ。だからこそこの奇行に気がつかないのはおかしいのだ。

 石原慎太郎が「とても読んでいられなかったね」というのはもっともな話だ。石原慎太郎はもっと華麗な三島作品を読んできた。辞世の句の武骨さに気がついたはずの平野は、今度はへたくそな冒頭を受け流し、そこに「血盟団事件」という文字も「五・一五事件」という文字も現れないことにも触れず、「何たる奇妙な年齢だろう」という第二章の年齢から論ってみる。

 そして、

 本多の加齢に伴う性格的な変化と、本多を本多たらしめている同一性の維持との両立は、軋みを帯びており、各巻で読者を戸惑わせるところもある。

(平野啓一郎『三島由紀夫論』新潮社 2023年)

 などと指摘してみる。平野啓一郎が牧野信一を読んだら一巻で大いに戸惑うだろう。

 確かにあまり変わりすぎているように感じてしまう。しかし本多の立ち位置は『春の雪』の中で既に決定的に変化していたのだ。

 明治と共に、あの花々しい戦争の時代は終はつてしまつた。

(三島由紀夫『春の雪』『決定版 三島由紀夫全集』新潮社2001年)

清らかな偉大な英雄と神の時代は、明治天皇の崩御と共に滅びました。

(三島由紀夫『春の雪』『決定版 三島由紀夫全集』新潮社2001年)

 本多と飯沼の時代認識は驚くほど似ていた。自分の意志で歴史に関わろうとしていた本多は『春の雪』の中でまるで松枝清顕の「純粋な恋」にあてられるようにして協力者・観察者に退いてしまう。こういっては何だがその時点で童貞の苦悩もなく、おのれの無力さに対する葛藤もない。この時作品の影で無力ながらなお歴史に関わろうと自分の意志でもがいていたのはむしろ飯沼だった。

 本多の生活のあらましを読み返してみると、

 父の親友の裁判官で、大正二年の裁判所構成法大改正の折に退職を命じられた人の娘と、本多は二十八歳の時に結婚した。

(三島由紀夫『奔馬』『決定版 三島由紀夫全集』新潮社2001年)

 いつ童貞を捨てたのかもわからない。結婚に関しては何の野心も見えない。それどころかまるで自分の意志がない。借家暮らしで十年間子供ができない。本多の恋は代わりに清顕が全部消費してしまったかのようでさえある。何故か大阪に住んでいる。三島由紀夫が住まわせたのだかそこにはしかるべき意味がある筈なのだが、差し当たって平野はその意味を問わない。

 ところでものの言い方で意味が変わるということがある。

 要約する場合に必要なのは、順序を入れ替えないことだ。

 本多は、大阪で、小市民的な安定した生活を送っている、自分には父のような「あの不自然な明治風の厳めしさ」が欠けてゐると自覚している。

(平野啓一郎『三島由紀夫論』新潮社 2023年)

 正確にはこれはまず、

 父とちがふところは、あの不自然な明治風の厳めしさが自分には欠けてゐることであろう。

(三島由紀夫『奔馬』『決定版 三島由紀夫全集』新潮社2001年)

 として「欠けてゐる」とは言いながら差異として受け止められていて、「小市民的生活」として平野が要約した生活に関してはその後こう述べられているのだ。

……これが有為な青年が二十年後に得たものだ。かつて本多にとつても、手に触れ指に触れる実在がほとんどなかつた時代があつたが、それに少しも苛立たなかつたからこそ、かうしてすべてのものが手に入つたのだ。

(三島由紀夫『奔馬』『決定版 三島由紀夫全集』新潮社2001年)

 平野の要約では欠如が強調されてしまうが、実際には「かうしてすべてのものが手に入つたのだ」と言われている通り、本多は「小市民的生活」に充たされていたのである。

 そう思えば何か平野啓一郎自身が本多の「小市民的生活」に異議があり、指嗾しているかのようでさえある。しかし『奔馬』の実時間はその「小市民的生活」においてえんどう豆の飯を食べようとした瞬間にならされる「五・一五事件」の号外の鈴の音あたりから動き出す。

 桜田門事件は物語の外側にある。

 平野は恐らく、本多の月俸が三百円で「何かにつけて余裕があつたというう点を見逃して、「小市民的生活」と書いている。「五・一五事件」に対する解釈は様々あるけれど、その背景には、「娘を大阪に売る高知の貧しい農民」に象徴されるような社会問題としての貧困があったのだ、という点を見逃している。

 だからこそ本多は「かうしてすべてのものが手に入つたのだ」と言えるわけである。

「東北地方の農村の疲弊はひどいらしいね」

(三島由紀夫『奔馬』『決定版 三島由紀夫全集』新潮社2001年)

 この頃学習院初等科には祖母夏子に厳しく過保護に育てられていた平岡公威がいた。おそらくこの当時のリアルな感覚として三島の中には社会問題としての貧困などというものはなかったであろう。

 本多にしてもそれは一つの話題に過ぎないようだ。

 本多は何を目にし耳にしても、眉一つ動かさぬ修練を終つてゐた。

(三島由紀夫『奔馬』『決定版 三島由紀夫全集』新潮社2001年)

 これは直接的には剣道のファナテイックな懸声にも嫌悪感を示さないという意味で使われているが、判事としての嗜みのことであろうか。しかしここにはまさに歴史とは関わらないという意志のようなものが見えなくもない。平野は既に飯沼勲を『奔馬』の主人公と見做しており、本多の変化に戸惑いはするものの、本多の思想を顧みない。

『俺は高みにゐる。目のくらむほどの高みにゐる。しかも権力や金力によつて高みにゐるのではなく、国家理性を代表するばかりに、まるで鉄骨だけの建築のやうな論理的な高みにゐるのだ』

(三島由紀夫『奔馬』『決定版 三島由紀夫全集』新潮社2001年)

 この『奔馬』という物語が、「五・一五事件」から始まったとみるならば、あけすけな設定の説明、本多の生活のあらましの説明には明示的にはないところの本多の立ち位置を見ておくべきであろう。

 首相官邸、警察署、変電所や三菱銀行まで襲撃された「五・一五事件」において鉄骨だけの建築のやうな論理的な高みにゐる裁判官や裁判所は襲撃目標に入っていないのだ。貧困を理由に起きた事件で犯人を逮捕する警察署は襲われているのに、貧困を理由に起きた事件で被告人を牢屋に送り込む裁判所は襲われないのだ。

 裁判所は確かに国家理性を代表する。

 下ではあらゆることが起こつてゐた。大蔵大臣が射殺され、総理大臣が射殺され、赤色教員は大量に検挙され、流言蜚語は飛び交はし、農村の危機は深まり、政党政治は瓦解の一歩手前に来てゐた。……そして本多はといふと、正義の高みにゐたのである。

(三島由紀夫『奔馬』『決定版 三島由紀夫全集』新潮社2001年)

 もう一度俯瞰すれば、この「下では」と見降ろされている世界には、間違いなく桜田門事件も含まれるべきなのである。たまたま天皇は昭和維新の標的にはならなかった。

 さらに虎の門事件までさかのぼると、そこで使用されたステッキ型の銃が伊藤博文のものであったことが意味深に思えてくるのだが、その話は別に譲ろう。

 とにかく三島由紀夫は本多を天皇まで見降ろす特別な、そして安全な正義の高みにおいている。それはけして「小市民的生活」などとは言えないものである。平野はこの本多の特権意識を無視しして「小市民的生活」などと、決して小市民など存在しない時代を誤って捉えてしまう。
 本多は何かがすっぽりと抜け落ちたような青春時代を経て今三十八歳という奇妙な年齢にいる。村上春樹が繰り返し三十六七歳の男を描いてきたことにかんがみれば、確かに三十八は奇妙な年齢だ。たいていの三十八歳はもう先が見えている。良くてこんな感じ、何事もなければこの程度。それは勿論平和な世の中あっての話だが、三十八歳の公務員、昭和維新の標的にされない安全な公務員の生活は貴族よりも安全という意味では特権的かもしれない。

 こうした細かい点を一つ一つきちんきちんと整理していかないとだめだ。そうしないと地球が滅びてしまう。

[余談]

 三島は『春の雪』ではもう大戦争は起こらないようなことを言い、『奔馬』においてはこうして政党政治が崩壊するようなことを書いてみる。この間第一次世界大戦が済んでしまっているので、厳密な付け合わせはされないけれど、政党政治は形を変えつつ今も続いている。革命は起きなかった。

 しかしこのこともまた時代の空気を指摘しているのだろうか。

 昔の学生はマルクスなんか信じて馬鹿だっんでしょうかと質問されて困るという話がどこかにあった。日露戦争から八年後、もう戦争はないなという空気が本当にあったのだろうか?

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