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ひとつごのしはぶきすなる夜寒かな 芥川龍之介の俳句をどう読むか65

たんたんの咳を出したる夜寒かな

 越後より来れる嫂、当歳の児を『たんたん』と云ふ

 ……などと書いてゐるサイトもあるが「嫂」ではなく「婢」ひ、はしため、下女の誤りである。

咳ひとつ赤子のしたる夜寒かな

 と併せて鑑賞され「父」としての芥川の心配が句意とされているようである。

 ところでこの婢は何故赤ん坊を「たんたん」と呼ぶのであろうか。新潟の方言で「たんたん」は「靴」あるいは「靴下」である。「たんたん」に「赤ん坊」という意味は見つけられなかった。


俳句読本 臼田亜浪, 青柳菁々 共著増進堂 1946年

 富山地方の方言と云う説もあるがこちらも確認は出来なかった。

うしろすがた


 つまり芥川の息子は靴みたいな顔をしていたのではないか。

親といふ字を知りてから夜寒かな   一茶

 この一茶の句を思えば、いかに多くの俳人たちが孤独な「夜寒かな」を詠み続けていて、

たんたんの咳を出したる夜寒かな

 ……という父親としての俳句が稀であることに気がつく。それが現代俳句では「孫俳句に名句なし」と云われるまでになるのだから怖ろしい。俳人が孫を得ることができるとは到底思えない。ただ年寄りが手慰みに俳句を趣味として遊んでいるだけではないのか。

子供等を心で拜む夜寒かな    一茶

 我鬼とは言いながら、芥川にはどこか一茶的な人情味、あるいは家庭的なところがあったように思われる。

乳麵の下焚きつくる夜寒哉    芭蕉

病雁の夜寒に落ちて旅寐哉    芭蕉

 芭蕉の夜寒の句は侘しく、凄まじい。

鯛の骨たたみに拾ふ夜寒かな

 
室生犀星の詠んだ夜寒の侘しさに対して、芥川の句は妙にしみじみとはしているが、

盜人の屋根に消えゆく夜寒かな    蕪村

きりぎりす自在をのほる夜寒かな   蕪村

 蕪村のような細工はみられないようにも思える。しかしこうは書いておこう。寒いからと云って咳が出るものではなかろうと。咳は異物を体外に出そうとする反応である。

狼の聲も聞こゆる夜寒かな
破れ壁笠おしあてゝ夜寒哉
狼の人くひに出る夜寒哉
兄弟のざこね正しき夜寒哉
兒二人竝んで寐たる夜寒哉

山もとのともし火動く夜寒哉
扇見てふし思ひ出す夜寒哉
合宿の齒ぎしりひゞく夜寒哉
小火鉢の灰やはらげる夜寒哉
菅笠の紐引きしめる夜寒哉
だまされてわるい宿とる夜寒かな
箒星障子にひかる夜寒哉
鼻たれの兄とよばるゝ夜寒哉
一つづゝ波音ふくる夜寒哉
一人旅一人つくつく夜寒哉
壁一重牛の息聞く夜寒哉
壁やれてともし火もるゝ夜寒哉
竈の火くわらくわらもえる夜寒哉
傾城の海を背にする夜寒哉
傾城のぬけがらに寐る夜寒哉
小比丘尼のほころびつゝる夜寒哉
墨染に泪のあとの夜寒哉
錢湯に端唄のはやる夜寒哉
僧一人竝が岡の夜寒哉
大海を前にひかへて夜寒哉
挑灯の厠へ通ふ夜寒哉
晝中の殘暑にかはる夜寒哉
封切て灯をかきたてる夜寒哉
文机にもたれ心の夜寒哉
平家聞く小姓の顏の夜寒哉
向ひ地のともし消え行く夜寒哉
槍の穂の番所に光る夜寒哉
夕月の落ちて灯を吹く夜寒かな
夜寒さに樽天王の勢哉
夜寒さの樽天王の勢ひ哉
夜寒さや身をちゞむれば眠く成
老僧の南朝かたる夜寒哉
大床に鼠のさわぐ夜寒哉
小坊主のひとり鐘撞く夜寒哉
待てば來ず雨の夜寒の薄蒲團
廊下から海ながめたる夜寒哉
いさり火を横にながめたる夜寒哉
大家の靜まりかへる夜寒哉
大寺に一人宿借る夜寒哉
おもてから見ゆや夜寒の最合風呂
片里に盗人はやる夜寒かな
首途の用意して寐る夜寒哉
門附の下町通る夜寒かな
獺を狸のおくる夜寒哉
木曽川に向くや夜寒の門搆へ
蜘殺すあとの淋しき夜寒哉
傾城に袖引かれたる夜寒哉
さし向ふ夫婦の膳の夜寒哉
不忍の池をめぐりて夜寒かな
十八人女とりまく夜寒哉
白波のきはに火を焚く夜寒哉
白波のきはに火を燒く夜寒哉
知らぬ女と背中合せの夜寒哉
須磨寺の門を過ぎ行く夜寒哉
蕎麥はあれど夜寒の饂飩きこしめせ
大佛の足もとに寐る夜寒哉
黙りけり夜寒の男五六人
丁々と碁を打つ家の夜寒哉
次の間の灯も消えて夜寒哉
辻駕籠に盗人載せる夜寒哉
通夜堂にまだき夜寒を覺えける
釣橋に提灯わたる夜寒かな
出女の油をこぼす夜寒かな
灯ふけて書讀む窓の夜寒哉
鼠追へば三匹逃げる夜寒哉
鼠追へば四五匹迯げる夜寒哉
鼠狩れば鼠の笑ふ夜寒かな
旅籠屋の居風呂ぬるき夜寒哉
人住まぬ戸に灯のうつる夜寒哉
灯ともさぬ村家つゞきの夜寒哉
灯をともす家奥深き夜寒哉
佛壇のともし火消ゆる夜寒哉
舩に寐て岡の灯のへる夜寒哉
妙法の太鼓聞こゆる夜寒哉
藪村に旅籠屋もなき夜寒哉
夜寒さや家なき原に灯のともる
夜寒さや人靜まりて海の音
男十八人女とりまく夜寒哉
男十八人女一人の夜寒哉
大寺のともし少き夜寒哉
勤行のすんで灯を消す夜寒かな
三厘の風呂で風邪引く夜寒かな
錢湯で下駄換へらるゝ夜寒かな
村會のともし火暗き夜寒かな
松明に落武者探す夜寒かな
出女が風邪引聲の夜寒かな
隣村の鍛冶の火見ゆる夜寒哉
盗人や夜寒の眼灯のうつる
刄物置いて盗人防ぐ夜寒かな
腹に響く夜寒の鐘や法隆寺
牧師一人信者四五人の夜寒かな
松杉や夜寒の空の星ばかり
夜を寒み脊骨のいたき机かな
夜を寒み俳書の山の中に坐す
油さしに禿時問ふ夜寒哉
犬が來て水のむ音の夜寒哉
蝦夷にある子に手紙書く夜寒哉
軍談に寐る人起す夜寒哉
新宅の柱卷きある夜寒哉
小便に行けば月出る夜寒哉
松明に人話し行く夜寒哉
地震して温泉涸れし町の夜寒哉
提灯の小道へ這入る夜寒哉
提灯の小路へ曲る夜寒かな
泣きなから子の寐入たる夜寒哉
盗人の足跡に燭す夜寒かな
旅籠屋の淨手場遠き夜寒哉
廣き間にひとり書讀む夜寒哉
湯上りのうたゝ寐さめて夜寒哉
横町で巡査に出逢ふ夜寒哉
吉原の太鼓聞ゆる夜寒哉
夜を寒み猫呼びありく隣家の女
夜を寒み猫呼ひてあるく鄰家の女
わりなしや夜寒を眠る通夜の人
貴人をとめて飯焚く夜寒哉
犬を追ふ夜寒の門や按摩呼ぶ
汽車にねて須磨の風ひく夜寒哉
汽車の音の近く聞ゆる夜寒哉
狐鳴く聲と聞くからに夜寒哉
喧嘩せし子の寐入りたる夜寒哉
碁の音の林に響く夜寒かな
大名を藁屋にとめる夜寒哉
ともし火をあてに舟よぶ夜寒哉
庭の灯に人顏映る夜寒哉
化けさうな行燈に寺の夜寒哉
船に寐て行李を枕の夜寒哉
蓑笠をかけて夜寒の書齋かな
御佛と襖隔つる夜寒哉
吉原の踊過ぎたる夜寒哉
吉原のにわか過ぎたる夜寒かな
頼朝も那須の與一も夜寒哉
縁日の古著屋多き夜寒哉
交番の交代時の夜寒哉
柿店の前を過行く夜寒哉
樫の木の中に灯ともる夜寒哉
贋筆をかけて灯ともす夜寒哉
きんつはの行燈暗き夜寒哉
暗やみに我門敲く夜寒哉
車引のお歸りと呼ぶ夜寒哉
三階の灯を消しに行く夜寒哉
電氣燈明るき山の夜寒哉
舟歌のやんで物いふ夜寒かな
星飛んで懐に入る夜寒哉
見下せば灯の無き町の夜寒哉
炭出しに行くや夜寒の燭を秉り
蚊帳ツラデ畫美人見ユル夜寒カナ
母ト二人イモウトヲ待ツ夜寒カナ
虫ノ音ノ少クナリシ夜寒カナ
破垣ニ灯見ユル家ノ夜寒カナ 


尋三の手工

 子規の句には、どうも実地の体験としてはなさそうな句が見られる。子規は「父親」にはならなかった筈だ。芥川の句も写実とは限らない。

 ただ句の解釈としては、


みどりごの咳を出したる夜寒かな

ひよひよの咳を出したる夜寒かな

こわらはのの咳を出したる夜寒かな

 という程度に解釈しておこう。


中山晋平作曲集 : 新作童謡 第1編


白秋詩歌集 第8巻 歌謡集




蛍の灯台 野口雨情 著新潮社 1926年




 七月二十三日、芥川の伯母さんの考へでは午後十時半、芥川は伯母さんの枕もとにきた。
「――タバコヲトリニキタ、」
 七月二十四日、芥川の伯母さんの勘定では、午前一時か半頃、芥川は復た伯母さんの枕もとにきた。さうして一枚の短册を渡して言つた。
「――ヲバサンコレヲアシタノアサ下島サンニワタシテ下サイ、」
「――先生ガキタトキ僕ガマダネテヰルカモ知レナイガ、ネテヰタラ、僕ヲオコサズニオイテソノママ、マダネテヰルカラトイツテワタシテオイテ下サイ――、」
 先生といふのは下島勳(空谷)、田端の醫者、短册の句は、

 自嘲
水洟や鼻の先だけ暮れ殘る

(小穴隆一『二つの繪 芥川龍之介の囘想』)

「芥川龍之介全集」

子男畢生の事業を見付け出せずにゐる人があつたら

一本の彩管をあたへて雲の形を捉へさせるがよい

老後の偸安が人生だと考へてゐる人があつたら

昨日生れた赤ん坊に守をさせて置けばよい

六千頁の蠶魚のの餌に膏血を潤らしたら

僊僊と帳を褰げて第二の室へ移らうではないか

発足 : 詩集 半谷三郎 著椎之木社 1928年


中学国文教科書教授備考 : 修正二十三版用 巻3

裸根の春雨竹の青さかな

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