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国語力って何だろう?


 「ごんぎつね」という明らかに非論理的な「お話」を巡って国語力の問題が議論されていた。

「なんだろう、秋祭りかな。祭りなら、たいこやふえの音がしそうなものだ。それに第一、お宮にのぼりがたつはずだが。」
 こんなことを考えながらやってきますと、いつのまにか、表に赤い井戸がある、兵十の家の前へ来ました。その小さな、こわれかけた家の中には、おおぜいの人が集まっていました。よそいきの着物を着て、腰に手ぬぐいを下げたりした女たちが、表のかまどで火をたいています。大きななべの中では、何かぐずぐずにえています。
「ああ、そう式だ。」と、ごんは思いました。
「兵十の家のだれが死んだんだろう。」(新見南吉『ごんぎつね』)

 この非論理的文面の中で、「鍋の中で煮られているものは何か?」が問われ、「母の死体」と答える子供の国語力に問題があるかないか、という議論だ。しかしそもそもこれは「貧困が国語力の低下をもたらし、こんなおかしなことを答える子供まででてきた」という「社会」に対するキャッチーな問題提起のようだ。

 これに対して「鍋の中で煮られているものは何か?」という問いが国語テストとして不適切という意見も見られた。確かに本文中には答えはない。「うなぎ」「きす」は「ぐずぐす」煮ない。そもそも「きす」は川では採れない。きつねは人間のように考えない。この「ごんぎつね」を使って国語力を問うことはかなり困難なのではなかろうか。

 しかし谷崎潤一郎の『恐怖』の落ち、つまり恐怖があれからこれへ移るところ、こういったところで国語力を問うことは可能ではないかと思う。

〈私〉の恐怖は専ら鉄道病の発作であり、発作の揚句死ぬことである。〈私〉は死ぬのを恐怖しているのである。発作の起こっている〈私〉の姿は、必死で徴兵検査に赴こうとしている以前に、必死で現世にしがみつかねばならない〈私〉の姿にほかならない。現世に対する執着と賛歌の裏返しともいうべき作品なのであって、少しも病的な印象を与えないのはそれ故なのである。(河野多恵子『谷崎文学の愉しみ』中央公論社、1993年)

 え?

 恐怖の対象は「鉄道病の発作であり、発作の揚句死ぬこと」のまま?

 じゃ、最後の「安心」に至る心の動きはどう読んだの?

 そう。私が日々感じているのはこうしたストレスだ。まず作品そのものを読めていないのに何を偉そうに語っているのと不思議に思う。「少しも病的な印象を与えない」と印象だけで読むのはもういい加減にしたらどうだろう。

 河野多恵子が「安心」を読み落としたのは、「谷崎潤一郎は、このうえなく死を恐れた作家であった。」というストーリーの中に『恐怖』という作品を押し込めるためだった。従って作中では死と並列する狂気が河野多恵子の説明の中ではさらっと省かれている。河野多恵子にとっては谷崎潤一郎の死に対する恐怖が消えてしまっては困るのだ。

 これは実は「貧困」→「国語力の低下」→「母の死体を煮る」というストーリーの押し付けと同じ方法論であり、読み誤りだ。「母の死体を煮る」が読み誤りではない。

 それにそもそもどうだろう、昔の方がはるかに貧困で、学習の機会も限られていた。今はインターネット環境さえあれば、無料で東大の講義資料まで閲覧できる。「貧困」→「国語力の低下」という時代ではなくなっているのではなかろうか。

 問題は「思い込み」や「傲慢さ」であって、「貧困」などではないのではなかろうか。

 『刺青』を読んで「紂王の寵妃、末喜」に引っかからない。

 『少年』を読んで上半身しか責めない光子に疑問を感じない、

 『秘密』を男が女装をする話だと読む。それではやはり国語力に問題があると言わざるを得ない。

 『ごんぎつね』は徹底して非論理的な作品であり、教科書向きではない。うなぎときすを同時に採れる川なんてものはないだろうし、狐の前脚の構造を考えると五、六匹のいわしをつかみ出すことはできない。掴むためには親指がその他の指と向かい合う動きが出来ることが必要で、狐の前脚はそういうふうにできていない。くりをどっさり拾って、それをかかえることも無理だ。関節の向きを考えてみるといい。それだから大抵の狐は餌は口で咥える。新見南吉は敢えて出鱈目な狐を描いてゐる。あえていえば『ごんぎつね』を教科書に採用した人の国語力がない。

 しかしおそらくその人は専門家であり、権威である筈だ。そんな人に国語力がないということは大問題だが、おそらくそこには論理的思考力を超越した何か不思議な力が働いている。

 河野多恵子は谷崎潤一郎の専門家であり、権威である。その河野多恵子が谷崎潤一郎の作品を読めていないとすればこれは大問題だが、おそらくそれはだらしないだけだ。ちゃんと読めば分かることだ。


[メモ]




僕の知つて居る人々の中で云つても、小宮豊隆君の字が故夏目漱石氏の字に酷似し、大杉榮君の字が堺利彥君の字に似て居り、伊藤野枝君の字が平塚明子君の字に似て居り、與謝野晶子君の字が與謝野寛君の字に似て居る。(『孤蝶随筆』馬場孤蝶 著新作社 1924年)


私はこの頃になつて、夏目漱石氏の長篇を幾册か讀んだが、よく作られた噓の話のやうに感ぜられてならない。嘘にしても巧に書かれてゐるのだから、傑れた藝術になるのだが、我々の過去の作物はまづく書かれた嘘の話のやうなのだから努力の甲斐もなかつた譯である。(大正十三年)(『文学修業』
正宗白鳥 著三笠書房 1942年)


夏目漱石は家人のすすめで、やむなく電話を買ったが、うるさいからといってしばらく受話器をはずさせておいたという。自分の方からはかけるが、人からの呼出しには応じないわけである。これは漱石の神経症状のみられたころの奇行として、重大な意味をもたせてよいものか、反対にユーモラスな悪戯として笑ってすませるべきだろうか。それとも単なるゴシップで、事実無根であったろうか。(「発端・電話事件」式場隆三郎)




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