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谷崎潤一郎の『痴人の愛』をどう読むか⑦ さして文化的ではない

文化住宅

 ナオミがどうしても子供を生むのが厭だというなら、私の方には又もう一つ手段がありました。それは大森の「お伽噺の家」を畳んで、もっと真面目な、常識的な家庭を持つと云う一事です。全体私はシンプル・ライフと云う美名に憧がれて、こんな奇妙な、甚だ実用的でない絵かきのアトリエに住んだのですが、われわれの生活を自堕落にしたのはこの家のせいも確かにあるのです。こう云う家に若い夫婦が女中も置かずに住まっていれば、却ってお互に我が儘が出て、シンプル・ライフがシンプルでなくなり、ふしだらになるのは已むを得ない。それで私は、私の留守中ナオミを監視するためにも、小間使いを一人と飯焚きを一人置くことにする。主人夫婦と女中が二人、これだけが住まえるような、所謂「文化住宅」でない純日本式の、中流の紳士向きの家へ引き移る。今まで使っていた西洋家具を売り払って、総べてを日本風の家具に取り換え、ナオミのために特にピアノを一台買ってやる。こうすれば彼女の音楽の稽古も杉崎女史の出教授を頼めばよいことになり、英語の方もハリソン嬢に出向いて貰って、自然彼女が外出する機会がなくなる。この計画を実行するには纏った金が必要でしたが、それは国もとへそう云ってやり、すっかりお膳立が整うまではナオミに知らせない決心を以て、私は独りで借家捜しや家財道具の見積りなどに苦心していました。(谷崎潤一郎『痴人の愛』)

 こうした言葉の問題はいよいよ疎かに出来なくなった。鯖の文化干しと言えば鯖の干物をセロファンで巻いて売ったものだ。

 文化包丁といえば一般的な家庭で使用しやすいよう、肉・魚・野菜などさまざまな食材が扱えるようにした包丁のことだ。文化住宅は二種類ある。ここで谷崎が使う所謂「文化住宅」はモルタル木造二階建ての風呂なしアパートの事ではない。

 文化住宅で文化包丁を使い文化干しの鯖を切ることはさして文化的なことではない。






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