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芥川龍之介の『三つの窓』をどう読むか① 窓は一つしか出てこない

 昭和二年六月十日の日付のある芥川龍之介の遺作の一つ『三つの窓』には窓は一つしか出てこない。

「善根を積んだと云う気がするだろう?」
「ふん、多少しないこともない。」
 A中尉は軽がると受け流したまま、円窓の外を眺めていた。円窓の外に見えるのは雨あしの長い海ばかりだった。しかし彼はしばらくすると、俄かに何かに羞るようにこうY中尉に声をかけた。
「けれども妙に寂しいんだがね。あいつのビンタを張った時には可哀そうだとも何なんとも思わなかった癖に。……」

(芥川龍之介『三つの窓』)

 出てくる窓はこれ一つだ。書かれていない窓はない。例えば、

 Sはこう云う問答の中も不安らしい容子を改めなかった。A中尉は彼を立たせて措いたまま、ちょっと横須賀の町へ目を移した。横須賀の町は山々の中にもごみごみと屋根を積み上げていた。それは日の光を浴びていたものの、妙に見すぼらしい景色だった。

(芥川龍之介『三つの窓』)

 この「横須賀の町」が窓越しの景色ならば書かれていない窓があることになるが、SとA中尉は甲板に立っている。つまりそこに窓はない。

 仮に川上未映子の『ウィステリアと三人の女たち』は三人の女たちが誰と誰と誰なのかが解らないと読んだことにならないのであれば、芥川龍之介の『三つの窓』は残りの二つの窓が見つからなくては読んだことにはならないだろう。

 三つの窓が象徴的に描かれるのはむしろ『冬』だ。

 僕は巻煙草の吸いさしを投げつけ、控室の向うにある刑務所の玄関へ歩いて行った。
 玄関の石段を登った左には和服を着た人も何人か硝子窓の向うに事務を執っていた。僕はその硝子窓をあけ、黒い紬の紋つきを着た男に出来るだけ静かに話しかけた。が、顔色の変っていることは僕自身はっきり意識していた。

(芥川龍之介『冬』)

 この刑務所の事務室を仕切る硝子窓。

 面会室の正面にこれも狭い廊下越しに半月形の窓が一つあり、面会人はこの窓の向うに顔を顕わす仕組みになっていた。
 従兄はこの窓の向うに、――光の乏しい硝子窓の向うに円まると肥った顔を出した。

(芥川龍之介『冬』)

 面会室の半月型の窓。

 僕はいつか苛立たしさを感じ、従姉に後ろを向けたまま、窓の前へ歩いて行った。窓の下の人々は不相変らず万歳の声を挙げていた。それはまた「万歳、万歳」と三度繰り返して唱えるものだった。

(芥川龍之介『冬』)

 往来を見下ろす窓の三つだ。

 つまり、この三つの窓は全然関係なくて、残りの二つは書き忘れたのだ。

 多分。

 そういう意味では芥川龍之介はこれまで誰にも読まれてこなかった。

 残念ながら。

 今日は河童忌なので山手線が止まっている。


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