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芥川龍之介の『明治文芸に就いて』をどう読むか② 鏡花は褒めておこう

 尾崎紅葉と樋口一葉を誉めるのは当然のことだ。鏡花を誉めるのも頷ける。樋口一葉と泉鏡花は西洋を必要としない稀有な存在で、その他大勢の明治のインテリたちが西洋になにがしかの手掛かりを求めたのに対して、樋口一葉と泉鏡花はそういうものを必要としなかった。だから、この指摘は圧倒的に正しい。

鏡花は古今独歩の才あり。

(芥川龍之介『明治文芸に就いて』)

 鴎外は樋口一葉は認めたが鏡花を批判した。芥川はそれに対して、尺度が異なるから仕方がないんだと反論する。

 鴎外の強化を批判するや、往々にして言の苛刻なるを見る。是既に鴎外の西洋文学に通ずること深く、トウルゲネフ、ドオデ、モウパスサン等の尺度を以て鏡花の小説を測りしに依る。後年日本の自然主義者の鏡花を目して邪道とせるは必しも怪しむに足るべし。公等、碌々人に依りて功を為せるもの、何ぞ鏡花を罵るに足らんや。 

(芥川龍之介『明治文芸に就いて』)

 私が樋口一葉と泉鏡花は西洋を必要としなかったと書くのはほとんど三島由紀夫の受け売りである。三島由紀夫と同様幼いころからの観劇体験を持つ谷崎潤一郎もやはり鏡花の独特の「日本らしさ」というものを評価しているように思える。

 私の考では自然を寫す――即ち敍事といふものは、なにもそんなに精細に緻細に寫す必要はあるまいとおもふ。寫せたところでそれが必ずしも價値のあるものではあるまい。例へばこの六疊の間でも、机があつて本があつて、何處に主人が居つて、何處に煙草盆があつて、その煙草盆はどうして、煙草は何でといふやうな事をいくら寫しても、讀者が讀むのに讀み苦しいばかりで何の價値もあるまいとおもふ。その六疊の特色を現はしさへすれば足りるとおもふ。ランプが薄暗かつたとか、亂雜になつて居つたとか言ふ事を、讀んでいかにも心に浮べ得られるやうに書けば足りる。畫でもさうだらう。西洋にもやはり畫家の方でさういふ議論も澤山あるし、日本の鳥羽僧正などの畫でも、別に些しも精細といふ點はないが、一寸點を打つても鴉に見え、一寸棒をくる/\と引つ張つてもそれが袖のやうに見える。それが又見るものの眼には非常に面白い。文章でもさうだ。鏡花などの作が人に印象を與へる事が深いといふのも矢張りかういふ點だらうとおもふ。一寸一刷毛でよいからその風景の中心になる部分を、すツと巧みになすつたやうなものが非常に面白い、目に浮ぶやうに見える。五月雨の景にしろ、月夜の景にしろ、その中の主要なる部分――といふよりは中心點を讀者に示して、それで非常に面白味があるといふやうに書くのは、文學者の手際であらうとおもふ。

(夏目漱石『自然を寫す文章』)

 ここで漱石は文学者の手際として、特に「日本的なもの」という指摘をしてはいないが、西洋の小説には反対に要点のつかめないやたらと長い描写があることも確かである。ここは「中心點を讀者に示して、それで非常に面白味があるといふやうに書く」という鏡花の描写の巧みさを抽象的に説明しているので少しも「日本的なもの」という感じがないのだが、おそらく漱石が思い浮かべていた鏡花の文章はこのくらい日本的なものである。

二坪に足らぬ市中の日蔭の庭に、よくもこう生い立ちしな、一本(ひともと)の青楓、塀の内に年経たり。さるも老木(おいき)の春寒しとや、枝も幹もただ日南に向いて、戸の外にばかり茂りたれば、広からざる小路の中を横ぎりて、枝さきは伸びて、やがて対向なる、二階家の窓に達かんとす。その窓に時々姿を見せて、われに笑顔向けたまうは、うつくしき姉上なり。

(泉鏡花『照葉狂言』)

 この「二坪」に始まってどこに着地するかと思えば目線が伸びる枝に移り、窓に移り、姉上の笑顔に移った文章は、凝ったかかり言葉を排して繊細かつ華麗、ちょっと西洋にはないものだと思う。

窓の外は桑畑
幅の広い緑色の葉に露が真珠の夕に光つて
其間にうなだれた夾竹桃の赤い花が蜂を唸りながらふるはせてゆく
土のにほひ
八月の日光
十時頃机を東の庭にむいた座敷へうつす
もう簾一面に当たつてゐた日が緑に落ちて
座敷には微涼が
芭蕉の葉のほのかなにほひと共にうごいてゐる
白つちやけた砂まじりの庭の土に
山茶花、
琵琶、
棕櫚竹が短い影を落とす
蝉の声
昼飯をくつてから
一時間
午睡をするか
新聞をよむかする
新聞は国民で
三重吉の桑の実を毎日おもしろくよんでゐる

[大正二年八月十五日 恒藤恭宛書簡 改行小林十之助]

 芥川のこの何気ない書簡も、実に日本的なものであろうと思う。そしてほとんど詩だ。こういう文章が書けるのだから鏡花を誉めるのは嘘ではない。こういう文章を書けない人が鏡花を誉めていたら嘘である。

「先生しっかりして聴く事は聴きますが、なんぼ越後の国だって冬、蛇がいやしますまい」
「うん、そりゃ一応もっともな質問だよ。しかしこんな詩的な話しになるとそう理窟にばかり拘泥してはいられないからね。鏡花の小説にゃ雪の中から蟹かにが出てくるじゃないか」と云ったら寒月君は「なるほど」と云ったきりまた謹聴の態度に復した。

(夏目漱石『吾輩は猫である』)

 ある意味では詩的、観念的で、浪漫派のようで幻想的、どう表現してもいいが、鏡花は褒めていい。

 芝居や小説はずいぶん小さい時から見ました。先の団十郎、菊五郎、秀調なぞも覚えています。私がはじめて芝居を見たのは、団十郎が斎藤内蔵之助をやった時だそうですが、これはよく覚えていません。なんでもこの時は内蔵之助が馬をひいて花道へかかると、桟敷の後ろで母におぶさっていた私が、うれしがって、大きな声で「ああうまえん」と言ったそうです。二つか三つくらいの時でしょう。小説らしい小説は、泉鏡花氏の「化銀杏」が始めだったかと思います。もっともその前に「倭文庫」や「妙々車」のようなものは卒業していました。これはもう高等小学校へはいってからです。

(芥川龍之介『文学好きの家庭から』)

 そういえば芥川も幼いころから芝居を見ていた。このあたりの感覚があるとないとでは、鏡花に対する向き合い方が変わってくるのであろう。

[付記]

 ところでこの後、

 鏡花の初期の作品には往々にして思軒の影響あるを見る。

(芥川龍之介『明治文芸に就いて』)

 として森田思軒の翻訳小説が鏡花に影響を与えていたという見立てが語られる。
 これはよく解らないので調べたいところだが、森田思軒と泉鏡花は今からでは無理かなあ。

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