見出し画像

松岡陽子マックレインの『孫娘から見た漱石』を読む① 『門』が好き

 夏目漱石作品の中でどれが好きかという話題になると、さっぱり中身が理解できていないのに『こころ』を一番に挙げる人が多いように思う。

 その代表意見は例えば石原千秋のように先生の手紙のなかに見られるKとの心理戦の苛烈さを評価するものであろう。

 その次には『坊っちゃん』を「痛快」として評価する人が多かろうか。奥泉光などは『吾輩は猫である』が好きらしく、この三作品が人気なのはほぼ確かであろう。

 そのほか意外なことに玄人人気は『草枕』などもかなり高い。『虞美人草』より難しくて読みづらいと思うのだが、それでもいいらしい。訳がわからないということで『夢十夜』も人気がある。『三四郎』『それから』もそれなりに人気はあろうか。

 そうした中松岡が書いているように『門』は漱石の傑作とは一般的には言われない。ただし松岡譲も陽子も漱石自身も実は『門』が一番好きらしい。これは意外だ。

 そもそもこの『門』不人気、低評価の流れには小宮豊隆、江藤淳の「参禅批判」が少なからず影響しているようだ。ちなみに柄谷行人の「参禅批判」はそのまま江藤淳の受け売りであり、このスタイルの批判が単なる見落としであることは既にどこかで述べた。残念ながら松岡陽子マックレインもこの点では旧来の読みからは抜け出せていない。やはり参禅を失敗と見做している。

 漱石が創造した別人格の非エリート宗助に自身の理知的で内省的な経験を当てはめようとしたというのだ。

 こうした意味においてはあまり中身がない話ながら良い指摘を拾っていこう。


 松岡陽子マックレインは漱石自身が『門』に愛着を感じる理由を三つ挙げている。

① 神経質なエリートが出てこないので暖かみがある
② 純粋な想像で創られた宗助が単純で平凡
③ 飾り気のない写実の点で優れている

 ……なるほど。

 これだけかと思えばやはり松岡陽子マックレインはしっかり読めている。

『門』は殆ど色彩がなく灰色と黒だけ、それだけ地味な雰囲気で一貫している。

(松岡陽子マックレイン『孫娘から見た漱石』新潮社 1995年)

 実際には色彩が出てこないわけではないが、『門』は秋の七草が出てくる以外は花がなかなか出てこない。竹とかそんな地味なものばかり出てきて、梅が描かれてもなんと墨絵である。

梅がちらほらと眼に入いるようになった。

(夏目漱石『門』)

 最後のここのところだけ花が出てきて、あとは殆ど花がない。これは意図してやったことだろうと思う。

 庭も東京と違って、少しは整っていた。石の自由になる所だけに、比較的大きなのが座敷の真正面に据えてあった。その下には涼しそうな苔がいくらでも生えた。裏には敷居の腐った物置が空からのままがらんと立っている後に、隣の竹藪が便所の出入に望まれた。

(夏目漱石『門』)

 さすがにこれはやりすぎと思ったのか、

花活にはどこで咲いたか、もう黄色い菜の花が挿してあった。

(夏目漱石『門』)

 などとも書くがこれは隣りの坂井さんの家の景色である。

その前に朱泥の色をした拙な花活が飾ってある。

(夏目漱石『門』)

 宗助の家は地味なのである。

 宗助はそれから湯を浴びて、晩食を済まして、夜は近所の縁日へ御米といっしょに出掛けた。そうして手頃な花物を二鉢買って、夫婦して一つずつ持って帰って来た。夜露にあてた方がよかろうと云うので、崖下の雨戸を明けて、庭先にそれを二つ並べて置いた。

(夏目漱石『門』)

 こう書かれるが色彩がない。松岡陽子マックレインの指摘はほぼ正しいのだ。こうした点は『草枕』や『それから』と比べても明らかであろうし、徹底して色彩を隠し続けた『三四郎』よりももう少し自然に見せかけた工夫と見ることができるだろう。

 松岡陽子マックレインの見立てとはずれるが『野分』『三四郎』と続いた色彩隠しの遊びがもう少し落ち着いた形でいかにも自然に色を抑えた感じに仕上がっているのが『門』なのではないか。『それから』における赤と緑の対比があまりにも強烈だったために『門』では意図して色が抑えられたという流れもあろう。

 これは私が母から聞いたことで余談になるが、漱石門下の野上豊一郎も初めのうちは、妻彌生子のことを小宮豊隆他友人達にいつも「妹」だと言っていたそうだから、漱石はその例をここで使ったのかもしれない。

(松岡陽子マックレイン『孫娘から見た漱石』新潮社 1995年)

 なるほど『三四郎』に出てくる「ひめいち」の食べ方を漱石に教えたのが彌生子なのでタイミング的にはありそうだ。しかもこれは面白い指摘で、

・友人の妹が恋愛対象になる
・英語を教わる女

 というものが既に『虞美人草』には現れていて、『三四郎』では、

・広田に英語を教わる美禰󠄀子

 がまさに亡くなった友人の妹だったのに対して『それから』においては、

・友人菅沼の妹に何やら教える代助

 というものがいて、なんだか「妹」というものが散々いじられてきたきらいがある。この「妹」が野上彌生子からの発想だとすれば漱石は随分人が悪い。

 松岡陽子マックレインは宗助とお米の平凡な家庭の温かさに漱石自身がひきつけられたと見ている。しかしそれは純粋に愛の世界であってもなにか禁を犯した裏側の世界でもあることを漱石はしっかり描いている。『門』のような作品が受け容れられるか否かはその時代の倫理観に強く影響されていると思う。

 友人の同棲者を奪う。それでちゃんと結婚すれば現代ではさして文句も言われないかもしれないが、『門』が書かれた当時ではその経緯は高度に抽象化しないと新聞小説には書けないようなものであったのかもしれない。

 それが禁じられた裏側の世界、自分とは全く性質の異なる男の話、『道草』の対蹠地の世界だからこそ、そんなものに漱石はひそかに憧れていたのではなかろうか。

[余談]

 やはり小宮、江藤、柄谷ラインの呪縛というものは強烈で、なかなか逃れられないものらしい。

 芸者がポケット論語が好きで子路の話をするなんてのも前振りだと思うんだけどな。座禅の短期コースとポケット論語は庶民の遊びでしょ。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?