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沓手鳥檿桑摘むは深山かな 芥川龍之介の俳句をどう読むか154

時鳥山桑摘めば朝焼くる

 これもsss新思潮社宛の句である。さて山倉と云えば江川の女房役である。では山桑とは何か。

本草図譜  83 (喬木類)


小物盆栽実験集 春基園主人 著青木嵩山堂 1902年


越信土産


越信土産


加州草木写生図 第1 [製作者不明] 1934年


栽桑 実業教育振興中央会 [著]実業教科書 1943年

「爾雅」という中国最後字引では檿桑とされているようだ。

毛詩名物圖説9卷 [4] 清徐鼎選[出版者不明] 1782年

 寒国の深山とは言いすぎかもしれないが、山桑はおおむね山間部にあるようだ。古くから蚕の餌として養蚕業に用いられた気配があるので、時代によっては人里近くでも栽培されていたかもしれないが、おそらく芥川はこの句も実景として詠んではいまい。

 ホトトギスは夏鳥で飛来するのは五、六月。朝焼けが夏の季語で、夏の朝にホトトギスが山桑の実を啄めば季節は合う。ただ山桑そのものが身近にはない。

 自生しているという点においては針金雀花よりは身近なものでありながら、とにかく山の奥に行かなければならないので、難儀する。まあ、植物学に自信があるとは確かなことで、よくぞまあこんなチョイスをしてくるなと感心するしかない。

時鳥山桑摘めば朝焼くる

 そう読めばこれはがちがちのロジックの組み合わせ、教養の句であり、また萩原朔太郎に叱られかねない。

冬牡丹千鳥よ雪のほとゝぎす     芭蕉

 この句は芭蕉俳句データベースで「時鳥」のところに入れられていない。「雪のほとゝぎす」というのは比喩で、千鳥が詠まれた句だからだ。

時鳥消えゆく方や島ひとつ

須磨のあまの矢先に啼くや時鳥

時鳥大竹藪を洩る月夜

木かくれて茶摘も聞くや杜宇

ほとゝぎす啼くや黑戶の濱庇

子規まねくか麥の村尾花

見かへりの松の梢や時鳥

田や麥や中にも市の時鳥

時鳥いまだ俳諧師無き世哉

烏賊賣の聲まきらはし時島

暫し間も待つや杜鵑千年

淸く聞かん耳に香炷いて時鳥

岩躑躅染むる泪やほとゝぎす

不卜一周忌琴風勸進

時鳥啼く音や古き硯箱

時鳥聲橫ふや水の上

京に居て京なつかしや子規

郭公啼くや五尺の菖蒲草

曙やまだ朔日にほとゝぎす

曉の山兀としてほとゝぎす

時鳥啼き啼きとぶぞ忙はし

橘やいつの野中の時鳥

時鳥正月は梅の花咲けり

鳥さしも竿や捨てけむ時鳥

野を橫に馬引き向けよ時鳥

見えばやな出立々々の時鳥

時鳥裏見の瀧の裏表

落ち來るや高久の宿の時鳥

黑燒釜割つて捨てけり時鳥

啼けや啼け耳の酸うなる時鳥

戶の口に宿札名乘れ時鳥

口辷れ油月夜の時鳥

けゝれなく橫をりふせて時鳥

 とは言いながら、芭蕉の句でもやや季節の怪しいホトトギスの句がないでもない。そういう意味において、

時鳥山桑摘めば朝焼くる

 この句は知的にぴったり季節を重ねてきた人造的な句だ。しかし人が俳句を読む限り、人造でない句などあるのかね?


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