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瀬沼茂樹の『夏目漱石』をどう読むか⑥ 無理せんでええがな

格好つけようとして失敗している


 人文学系の論説が馬鹿にされるのは、こうした言い回しが放置されているからであろう。

 告白は、常にそうであるように、代助の過去の死であり、同時に新生の宣言であった。

(瀬沼茂樹『夏目漱石』東京大学出版会 1962年)

 まったく意味が解らない。

 解らな過ぎて何故解らないのかと考えてみると、少なくとも「常にそうであるように」が「ほかならない」と同じように無理のある格好つけの言葉であり、この文においては完全に不必要であると気が付く。すべての告白が死と新生の宣言である訳もない。

 次に「代助の過去の死であり」という表現が格好つけの無理でがあることがわかる。「過去の死」はせいぜい「過去の反省」という程度に言い換えられるべきである。過去に死んだら生きてはいけない。過去の抹消も否定もできない。過去というものは殺すことができないのだ。

 それから「同時に新生の宣言であった」という表現があいまいで大げさであることに気が付く。そしてさらにこの「新生」という表現が「過去の死」と対になるために選ばれたもので、「過去の死」という概念が無意味な以上、告白の性質を全く捉えていないものであることに気が付く。

 代助はいわば三四年前のやりなおしの告白をしたのであり、死ぬだなんだということはその後三千代が言い出すことで、この時点では代助の意識にはないものだ。

 それにもし彼に「新生」などというものがありえたとしたら、田舎で教師にでもなって三千代と暮らすこと、高等人種であることをあきらめ、パンのために働く、これまで彼が軽蔑していた人間になっても、三千代と暮らしていくことを選ぶこと、つまり新しい人生を歩み始めることを指すべきである。

 代助の妙な告白が「常にそうであるように」と見えるのならば、この書き手はなにか根本的なところで問題がある。


言葉の意味を正確に捉えていない


 きちんとした指導を受けてこなかっただろうな、という表現がある。要するに独りよがりで、自分で書いていることの意味が解っていない。

 漱石は代助の心臓の論理に味方して、頭脳の論理を否定し去ったのであり、これを客観的にいえば、三千代の出現を契機として、代助の高踏的な快楽哲学の論理は冷酷な現実の論理によって、空中の楼閣のように否定
し去られると共に、まじめに自己更新をはかったものと解しなくてはならぬ。

(瀬沼茂樹『夏目漱石』東京大学出版会 1962年)

 空中の楼閣


 砂上の楼閣


 代助の生活は四年ばかりは続いていたわけだから架空の存在である「空中の楼閣」ではなく、「砂上の楼閣」が正しいだろう。

 そして「心臓の論理に味方して」いるのに「まじめに自己更新をはかった」とはいったいどういう理屈であろうか。ここがわからないのは「心臓の論理」の概念が曖昧で、なおかつ、代助の告白と「心臓の論理」なるものが関係ないからではなかろうか。

 作中「心臓の論理」なるものが具体的に示されている箇所はない。では「心臓の論理」とは何なのか。それは冒頭において心臓の鼓動が命と結びつけられていることから生きることの論理、生命重視の考え方のようなものを指すものと考えられる。しかし代助を告白に導いたのは三千代の引力であり、そこになにか頭脳の論理に反するなにかがあるとするならば、それは「心臓の論理」ではなく「下半身の論理」「金玉の論理」とでも呼ぶべきものなのではなかろうか。


 代助のスタイルは澁澤龍彦的ではない。タナグラを求めるなど高踏的ではあるが、音楽会や芝居に通い、より豊かな知的生活を求めている。まだ結実してはいなかったが、その読書スタイルからは松本恒三的な生活が求められていたように見える。

 それにしても「自分の頭が焼け尽きるまで電車に乗って行こうと決心した」男を「まじめに自己更新をはかった」とはいかがなものか。

 とにかく何事にも動じない男が動じていることは確かである。その理由の一つに「現実の論理」と比喩されるべき「社会生活の厳しさ」というものがあるのは事実である。それは金がなくては働かなくてはならないという理屈でもある。それを「論理」「論理」と書いているが、正確に書けば「代助は性欲により高踏的生活をあきらめない立場に追い込まれようとしてた」ということだ。何か「論理」とでも書けば高尚なことをとらえているかのように勘違いしているのではないか。

 言葉一つ一つをきちんと取り扱えていないのに漱石論はとても無理だ。

[余談]

注のずれは勘違いでした。

そりゃそうか。

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