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日ざかりややまのつかさはかむろかな 芥川龍之介の俳句をどう読むか64

日ざかりや青杉こぞる山の峡

 芥川は山峡が好きだ。

山がひの杉冴え返る谺かな

 そして山峡と杉の取り合わせも重なった。季節は真逆だ。この句はイタリア人にも理解できたのだろうか。

 ところで「青杉」とはなんぞや?

  桃青門弟杉風(さんぷう)を合わせたか。土田耕平の歌集か

 一般的な辞書には「青杉」の項目はなく、ネット検索すると株式会社青杉設計ばかりが出てくる。

 まあ、ばかりということもないが、どうもほぼ固有名詞で、あまり使われる言葉ではない。

 意味は「青々とした杉」なのだろうくらいに考えて、「青々とした杉」で検索すると大杉玉が出てくる。

 なるほどこれは青々としている。しかし生えている杉の木はそんなに青々とはしていない。そういうイメージはない。

 そう思ってみて気がついた。なかなかないことだが「山の峡」と云っているのだから芥川は杉の木を上から見下ろしていて、だから杉の木が青々と茂っているように見えて青杉なのかと。

  下から見上げると青杉にはならない。

 そしてまた、よくよく考えたら植物は殆ど素早くは移動しないので、

こぞ・る【挙る】
[一]〔自五〕
①(その場にいる者、それに関係する者が)一致した行動をする。いっせいにする。伊勢物語「舟―・りて泣きにけり」。島崎藤村、夜明け前「一家―・つて逃げなければならない騒ぎ」
②ことごとく集まる。残らずそろう。皇極紀「国―・る民おおみたから」
[二]〔他五〕
ことごとくそろえる。残らず集める。「国を―・って歓迎する」

広辞苑

 こぞるという動作をするわけではない。そういう状態であるように見えるというだけだ。

こぞ・る【〓挙る】 ㊀《自動詞四段活用》〔古語〕残らずいっしょになる。残らずそろう。 《参考》→こぞって。 ㊁《他動詞五段活用》活用表〔文語・文章語〕残らず集める。残らずそろえる。用例(永井荷風・永井建子)《文語形》《四段活用》

学研国語大辞典

 つまり言い方を変えれば青杉は皆山の峡に集まっているので、山頂には青杉はないということになる。それがこぞるということだ。諸人こぞりて主はきませりのこぞるだ。

 それで我鬼は「ずいぶんこぞっているな」と詠んだわけだ。

 この「青杉」と「こぞる」の意味、イタリアの人には通じているのかしら?

日ざかりや青杉こぞる山の峡

 この句は


日ざかりや青杉はゆる山の峡

日ざかりや杉青々と山の峡

日ざかりや杉さしつどふ山の峡

日ざかりや青杉いむる山の峡

日ざかりや青杉すだく山の峡

 この程度に解釈しておこう。

凩に岩吹き尖る杉間哉        芭蕉
夏山や杉に夕日の一里塚       芭蕉

日ざかりに泡のわきたつ小溝哉    子規
日さかりに泡のわき立田面哉
日さかりに兵卒出たり仲の町
日さかりや蜑か門への大碇
日さかりやうつとりとなる池の鯉
日盛りの八百八町焔立つ
日盛りや砂に短き松の影


山廬集 飯田蛇笏 著雲母社 1932年

立ち位置とカメラアングル、で言えばなかなかの秀句かな。

【余談】

紫天鵞絨


やはらかく深紫の天鵞絨ビロウドをなづる心地か春の暮れゆく

いそいそと燕もまへりあたゝかく郵便馬車をぬらす春雨

ほの赤く岐阜提灯もともりけり「二つ巴」の春の夕ぐれ(明治座三月狂言)

戯奴ジヨーカーの紅き上衣に埃の香かすかにしみて春はくれにけり

なやましく春は暮れゆく踊り子の金紗の裾に春は暮れゆく

春漏の水のひゞきかあるはまた舞姫のうつとほき鼓か(京都旅情)

片恋のわが世さみしくヒヤシンスうすむらさきににほひそめけり

恋すればうら若ければかばかりに薔薇さうびの香にもなみだするらむ

麦畑の萌黄天鵞絨芥子けしの花五月の空にそよ風のふく

五月来ぬわすれな草もわが恋も今しほのかににほひづるらむ

刈麦のにほひに雲もうす黄なる野薔薇のかげの夏の日の恋

うかれ女のうすき恋よりかきつばたうす紫に匂ひそめけむ






桐 (To Signorina Y. Y.)


君をみていくとせかへしかくてまた桐の花さく日とはなりける

君とふとかよひなれにしあけくれをいくたびふみし落椿ぞも

広重のふるき版画のてざはりもわすれがたかり君とみればか

いつとなくいとけなき日のかなしみをわれにおしへし桐の花はも

病室のまどにかひたる紅き鳥しきりになきて君おもはする

夕さればあたごホテルも灯ともしぬわがかなしみをめざまさむとて

草いろの帷とばりのかげに灯ともしてなみだする子よ何をおもへる

くすり香もつめたくしむは病室の窓にさきたる
芙藍サフランの花

青チヨオク ADIEU と壁にかきすてゝ出でゆきし子のゆくゑしらずも

その日さりて消息もなくなりにたる風騒ふうそうの子をとがめたまひそ

いととほき花桐の香のそことなくおとづれくるをいかにせましや


(四・九・一四)





薔薇


すがれたる薔薇さうびをまきておくるこそふさはしからむ恋の逮夜は

香料をふりそゝぎたるふし床より恋の柩にしくものはなし

にほひよき絹の小枕クツサン薔薇色の羽ねぶとんもてきづかれし墓

夜あくれば行路の人となりぬべきわれらぞさはな泣きそ女よ

其夜より娼婦の如くなまめける人となりしをいとふのみかは

わが足に膏あぶらそゝがむ人もがなそを黒髪にぬぐふ子もがな(寺院にて三首)

ほのぐらきわがたましひの黄昏をかすかにともる黄蝋もあり

うなだれて白夜の市をあゆむ時聖金曜の鐘のなる時

ほのかなる麝香じやかうの風のわれにふく紅燈集の中の国より

かりそめの涙なれどもよりそひて泣けばぞ恋のごとくかなしき

うす黄なる寝台の幕のものうくもゆらげるまゝに秋は来にけむ

薔薇よさはにほひな出でそあかつきの薄らあかりに泣く女あり


(九・六・一四)





客中恋


初夏の都大路の夕あかりふたゝび君とゆくよしもがな

海は今青き
をしばたゝき静に夜を待てるならじか

君が家の緋の房長き燈籠も今かほのかに灯しするらむ

都こそかゝる夕はしのばるれ愛宕ほてるも灯をやともすと

黒船のとほき灯にさへ若人は涙落しぬ恋の如くに

幾山河さすらふよりもかなしきは都大路をひとり行くこと

憂しや恋ろまんちつくの少年は日ねもすひとり涙流すも

かなしみは君がしめたる其宵の印度更紗いんどさらさの帯よりや来し

二日月君が小指の爪よりもほのかにさすはあはれなるかな

何をかもさは歎くらむ旅人よ蜜柑畑の棚によりつゝ

ともしびも雨にぬれたる甃石しきいしも君送る夜はあはれふかゝり

ときすてし絽の夏帯の水あさぎなまめくまゝに夏や往にけむ






若人 (旋頭歌)


うら若き都人こそかなしかりけれ。失ひし夢を求むと市まちを歩める。

橡マロニエの花もひそかにさけるならじか。夢未多かりし日を思ひ出でよと。

たはれ女のうつゝ無げにも青みたる眼か。かはたれの空に生まるゝ二日の月か。

しのびかに黒髪の子の泣く音きこゆる。初恋のありとも見えぬ薄ら明りに。

さばかりにおもはゆげにもいらへ給ひそ。緋の房の長き団扇にかくれ給ひそ。

なつかしき人形町の二日月はも。若う人の涙を誘ふ二日月はも。

いとせめて泣くべく人を恋ひもこそすれ。黄蝋の涙おとすと燃ゆる如くに。

湯沸器サモワルの湯気もほのかにもの思ふらし。我友の西鶴めきし恋語りより。(Kに)

ほゝけたる花ふり落す大川楊おほかはやなぎ。水にしも恋やするらむ大川楊。

香油よりつめたき雨にひたもぬれつゝ。たそがれの銀座通をゆくは誰が子ぞ。

恋すてふ戯れすなる若き道化は。かりそめの涙おとすを常とするかも。

何時となく恋もものうくなりにけらしな。移り香の(憂しや)つめたくなりまさる如。






砂上遅日


うつゝなきまひるのうみは砂のむた雲母きらゝのごとくまばゆくもあるか

八百日ゆく遠の渚は銀泥ぎんでいの水ぬるませて日にかゞやくも

きらゝかにこゝだ身動みぢろぐいさゝ波砂に消けなむとするいさゝ波

いさゝ波生あれも出でねと高天たかあめゆ光はちゞにふれり光は

光輪くわうりんは空にきはなしその空の下につどへる蜑あま少女はも

むらがれる海女あまらことごと恥なしと空はもだしてかゞやけるかも

うつそみの女人眠るとまかゞよふ巨海こかいは息をひそむらむかも

荘厳しやうごんの光の下にまどろめる女人の乳こそくろみたりしか

いさゝ波かゞよふきはみはろばろと弘法麦の葉は照りゆらぎ

きらゝ雲むかぶすきはみはろばろと弘法麦の葉は照りゆらぎ

雲の影おつるすなはちふかぶかと弘法麦は青みふすかも

雲の影さかるすなはちはろばろと弘法麦の葉は照りゆらぎ

(青空文庫 芥川龍之介『芥川龍之介歌集』)

 昔の全集にないものも少し整理してまとめられてはいるようだが、まだ漏れているのは何故だろう。

 誰か完璧に整理する者はいないのか。

 いないか。

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