芥川龍之介の『開化の殺人』をどう読むか④ 精神的敗残者の後始末
大正七年の作である。なのにまるで全てが終わったかのような話だ。
村上春樹のベストセラー『ノルウェイの森』は自身によってカジュアルティーズの話だと規定されている。それを犠牲者として訳すと飽くまで受け身になってしまう。ただ描かれていることは若い男女の恋愛である。それで何がカジュアルティーズかと冷めた目で眺めることも可能だろう。
しかしまあ当事者にとってみればやはり「はしごを外された」「ダマサレタ」とは言いたくなる時代だったのだろう。三十七歳にもなって振り返れば、それはたしかに必死な時間だったのだろう。今更『ノルウェイの森』を読み返してみるとカジュアルティーズの悲壮感よりもむしろ隠し切れないユーモアが目に付く。
一方敗残者の物語『開化の殺人』は家系図でも貼り付けんばかりの厳めしさで、ユーモアというか余裕がまるでない。
ここでドクトル・北畠義一郎の言う「精神的敗残者」も冷ややかに見ればただの失恋者に過ぎない。厳しい言い方をすれば underdogだ。何を格好をつけているのかと言えるのは若いうち。本当に年老い、日々可能性を失っていく中で過去を振り返ると、なんと人生とは厳しいものかとしみじみ思う。出来る筈のことをしなかった悔いは余りにも大きい。「予の小心なる、遂に一語の予が衷心を吐露す可きものを出さず」という過ちによって、ドクトル・北畠義一郎は甘露寺明子を取り逃がしてしまう。
いやいや。では告白していたら甘露寺明子はドクトル・北畠義一郎のものになっていたのか。ここは解らない。いずれにせよなかったことなのだ。
これではまるで「じゅりあの・吉助」ではないか。女にふられて神に縋る。素朴と言えば素朴、ありがちと言えばありがち。ただ如何にも女々しい。
しかもこれは大正七年、芥川龍之介がまだ二十代の作である。取り返しのつかない年齢になって青春を回顧しているわけではない。まだ芥川の人生は始まったばかりで、嫁も貰っていない。確かに失恋はあった。しかし単にその体験の反映としては話が如何にも大げさすぎる。
あるいはどうしても厳めしく、時代をつけたいらしい。
何とも情報量が多すぎるのでここで少し整理しておこう。
・イギリスに留学して医者になるドクトル・北畠義一郎は鴎外のようでもあり、漱石のようでもある。
・明治十一年八月三日は古すぎる。……では殺人は開化でも信仰は江戸時代、つまり『開化の殺人』はやはり切支丹ものといって良い。
・自分が「小心」で告白できなかったくせに、秋子の結婚を神の所為にして文句を言っている。
・甘露寺明子の片足立ちはやはり和装だろう。つまり丸見えだ。
・一夕の歓を倶にして濫淫の賤貨とは柳橋万八の水楼で一体何をしてきたのだ?
北畠義一郎が何年にイギリス留学し、医者を何年勤め、明治十一年八月三日を迎えたのかは定かではない。しかし明治十一年八月三日と言われて急に頭の中かややこしくなる。
まず、
・甘露寺明子の片足立ちはやはり和装だろう。つまり丸見えだ。
これは確定だろう。当時北畠義一郎は十六歳、五年後二十一歳でイギリス留学、仮に留学が二年、日本に戻って医者として過ごしてきた期間が三四年だとして明治十一年の十年前には日本人は洋装ではない。明治十一年でも洋装は珍しいくらいだ。白木屋事件が昭和七年なのだ。つまり甘露寺明子は下着を身に着けていない。
そんな甘露寺明子の「肉体」を愛してしまった北畠義一郎はド助べえと言えるのではなかろうか。
それにしても森鴎外のドイツ留学でさえ明治十五年なのだ。先ほどの計算に殉じて北畠義一郎のイギリス留学は明治五年ごろのことという計算になり、かなり早すぎないだろうか。岩倉視察団が明治四年から六年にかけてのことなので、それ以前に長州ファイブなどの例はあるとして、イギリス留学時代がまだ当たり前ではない時代の話となり、また北畠義一郎は超エリートだったという話になる。
※ちなみに成島柳北の欧州視察が明治五年なので、やはり北畠義一郎が日本に戻って医者として過ごしてきた期間が三四年という辺りの計算は少し縮めた方がいいかもしれない。
柳橋万八の水楼とは妓楼ではなく書画会や大食い大会が行われた場所で、「一夕の歓」とはただ楽しく酒を飲んだという程度のことかと思えば北畠義一郎の満村恭平を罵る言葉はいかにも厳しい。「色鬼」とは何をすれば言われることなのだろう。
しかし仮に満村恭平が「色鬼」といわれるようなことをしたのなら、北畠義一郎も同じことをしていた筈である。
これは一体どういうことか。
柳橋万八の水楼は妓楼でもあるらしい。「校書十数輩と共に」の「校書」とは芸妓のことだ。
それにしても商売女を呼んで両脇に抱えて俚歌を歌い、したたかに酔ったら殺されなくてはならないものなのだろうか。まあ妻帯者が妓楼で遊べば奥さんから文句を言われても仕方がない。しかし他人がとやかく言うものでもなかろう。
それに満村恭平が相手にしていたのは二人だけだ。残りの芸妓は直立不動で、こすりまん北畠義一郎は静坐してウーロン茶を飲んでいただけなのだろうか。いやそれでは一夕の歓を倶にしたことにはなるまい。北畠義一郎も女手ぐらいは触れただろう。しかし触れたとは書かない。触れられたとも書かない。
いや、少しくらいは触れられただろう。そうでなくてはプロ意識が低い。
嫉妬を正義に置き換えて何としてでも満村恭平を排除しようという、青春時代にこじらせたこすりマンという狭量な殺人鬼が出来上がるさまが見えてくる。
そしてここでややこしい名前が出て來る。成島柳北はたしかにジャーナリストではある。そして森鴎外が『興津弥五右衛門の遺書』を書く際に調べた『徳川実記』は代々成島家が編纂している。
こう言っては何だが『徳川実記』などもう過去のものだ。夏目漱石ならそんなものは余程の暇人の読むものだと言いそうだ。殿様の時代は終わり、日本は開化している。『開化の殺人』と言いながら、北畠義一郎の頭の中はいかにも旧弊だ。
これではとても開化の細君は貰えそうにない。
〔続く〕
[余談]
当たり前のことではあるが、成島柳北を出してくるということは、芥川は成島柳北を読んでいるということになる。『糸女覚え書き』も「霜女覚書」だけが下敷きということもないだろう。
かりに『徳川実記』を読んで『興津弥五右衛門の遺書』書いた森鴎外に対して、こうして成島柳北を出して「森先生、僕も『徳川実記』を読んでますよ」と示していて、『興津弥五右衛門の遺書』が細川忠興の家臣であることを意識して細川忠興の妻の話を書いたのだとしたら、これはあまりにもあまりにもだ。
成島柳北って。
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