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芥川龍之介 「庭に蒟蒻玉を沢山植ゑて蒟蒻園造る」 蒟蒻計画が意味するもの

庭に蒟蒻玉を沢山植ゑて蒟蒻園造るよし申居候。

[大正十四年十月二十七日 室生犀星宛]

 庭の人室生犀星にこう告げる芥川は、先に竹三百竿を庭に植えている。

この頃田端に萩原朔太郎来たり、田端大いに詩的なり。僕は軒前に竹三百竿を植ゑた。矢竹は三百竿ニ三坪にをさまる。風流下図の如しと知るべし。

[大正十四年五月十七日 佐藤春夫宛]

 とても死を覚悟した男のやることではない。と蒟蒻の栽培方法を確認すると冬場は土壌づくり、種付けは春なのである。

 つまり収穫期まで考えると、この蒟蒻計画は来年の秋を楽しみにした話なのだ。大正十四年の書簡、それは勿論集められた分だけということで、相変わらず高浜虚子宛のものなどはみられないが、確認できる範囲で言えば死の気配などまるでないのだ。

 しかしこれまで近代文学1.0の世界では『死後』は予言のように読まれてこなかっただろうか。あるいはさして無意識でもない予告として受け止められてこなかったであろうか。

 ところが予告はむしろ蒟蒻計画なのであり、既に実行されたのは竹三百竿の風流計画である。

 確かに頭は禿げあがり、老いは感じていたのであろうが、まだこの年の漱石の命日付近に不穏な態度はないし、谷崎の誕生日に当てつけて死のうというアイデアのかけらも見えない。

 蒟蒻は象のあし、悪魔の舌とも呼ばれる。悪魔の舌とはそのなんとも淫靡な花をさしての事だろう。

 だが芥川の書きようからはその淫靡さに期待する様子すら見て取れない。芭蕉のように素直に愛でるつもりなのだ。

この頃庭に棕櫚十株ほど植ゑ、聊か趣の変りたるを愛し居り候。芭蕉は秋芽二本出たり。

[大正十四年十月十八日 室生犀星宛]

 蒟蒻計画の前には棕櫚を植えさらに庭の人に報告している。

 棕櫚はやがて樹高が10mほどになる高木である。手じまいにかかった人の植える植物ではない。

 竹、棕櫚、蒟蒻、これは「年寄りになり風流人にならんとする覚悟」そのものなのではないのか。

 死に行く人の植えるものではない。

 三島由紀夫にも白髪頭で俳句を詠む未来を夢想することはあった。しかし庭に竹は植えなかった。長生きすればやがて醜くしぼんでしまう肉体をぱんぱんに鍛え、その張り詰めた筋肉の凋まぬうちにこと切れた。

 芥川は竹と棕櫚と蒟蒻で、年老いる運命をすんなり受け入れているように私には思える。

 今更体は鍛えはしない。

 確かに英文学の実りなきまま東洋趣味に回帰しようというところはみられるが少しも敗北の感じがない。

 ただしこれは大正十四年の話。

 その後はどうなるのか、まだ誰にも解らない。

 何故ならその先をまだ読んでいないからだ。







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