見出し画像

芥川龍之介 「賢き妻がいばりせし」

あらあらし霞の中の山の襞

[大正十年九月二十三日 久米正雄宛]



これやこの子規のみことが痔をわぶとうまらに食せし白無花果ぞ

井月も痔をし病めらば句にかへて食しけむものをこれの無花果

[大正十年九月二十四日 下島勲宛]




ぬば玉の黒き扇に鼻をよせ、臭しと云ひし鎗吉なれは。

大寺の丹塗りの桷仰ぎつつ、餓了と云ひし鎗吉なれは。

初夏の夜をすがしみ、鎗吉は乃木将軍をほめやまずけり。

燕京に秋風立てば鎗吉も、白きズボンを脱ぎにけらずや。


 乃木夫人を憶ふ

いにしへの賢き妻がいばりせし、狭山の小萩今かちるらむ。

鎗吉はますらをなれば聴戯にも、馬前撥水を愛すと云へり。

なれ故に無頼の客も燕京を、美しと見にきとなが妻に云へ。

なが妻をいまだ見ざれば礼(ヰヤ)のべむ、心甲斐なしとなが妻に云へ。

[大正十年九月三十日 松本鎗吉宛]

ヤ3 2 1. 161 50 6 8〓9 Sヤ3 2〓0 m
24 10.
506-52選新勝峰東晋京風茶町編全田書集大正11. 4. 10店内交
冊短蹟眞茶一
9lm 2 3 4 5 6 7 8 9 70 1 1 2 3 4內藤鳴雪翁書翰〓べんちがしかき廿二例が〓サ十ミぬしららりナチ研究のは世良一年ご就きうなか出生しましょう都見学う家の日さと存ミみぎる君のやん込まとれ〓〓
冊短蹟眞茶独獨坐名月をとつてくれろとなく子哉おれとしてにらみくらずぎるお巖名小波氏蔵
讃畫自蹟眞茶一青を柳住桝本翠華氏藏dsき蹟眞句俳茶一〓无りとつ石白笠ひづき吐くしつきこる母の蟇こぐ墓つのむの何びして秋っパタウイ二王稲つまや赤いののき吐くしつきこ〓〓訓心るとしてなるてつくらり福ヲ3.さますわ不下後んとうた麦本を도世うなる本くんち
〓〓北京番餘日毫も俳諧を離れず、五年の貧生活と鬪ふて毫もひるまず、計りの感激を握り廻はす似而非文士にあらず、ある。せられ、所に起り、聞に、存然るに近年一茶翁の大偉人なることが一部の人に認めらるゝやうに成つてから、涯に詠まれた數萬句に對し、友人勝峰晋風君、實に、雜誌に、一茶翁は普通の俳人の如く花朝、益々翁の眞價が世に現はれて、遂に一茶同好會の名の許に、翁の境遇に同情し、眞に俳諧に終始せし人。一茶翁の全集を編輯して余に序を需めらる。僅少な句集を以て滿足して居なければならなかつた。翁の俳風を味ひ、造次、一層翁が世にもてはやさるゝに至つたので從來世間に現はれて居ない翁の遺稿が刋行〓沛にも俳諧を棄てず、其悲慘なる家庭の境遇と戰ひ、月夕に風詠する遊俳者流でなく、俳諧起て四百年間、次で一茶〓究といふことが隨往時は一茶翁の生一茶翁の如き一年三百六十六十口新(點批美成目夏)序定其本多東京都〓しく新井上市※48んで第25七はアルームからしいないからやすー上海の天使·大阪あるがんってとなる場合をございひと鶏のみやから光〓さ~受けるのか
者幾人かある。或人は之を天明の大江丸に比し、或人は元祿の惟然坊に比すと雖もそれは只其瓢逸な風調に近似せるよりの比較で、眞の一茶翁の境地や、高邁なる思藻に及ぶべくもない。左れば一茶の前に一茶なし、一茶の後に一茶なしと迄嘆賞せらるゝらの、洵に偶然にあらずと言ふべきである。然して其作品に至りても「我國は草も櫻を咲きにけり」の如き「今日からは日本の雁ぞ樂に寢よ」の如き「松蔭に寢て喰ふ六十餘州哉」の如き、國家的觀念を了解せるは全く尋常一樣の頭惱にあらず、勸農の辭の如き天下を連觀したる名文、一俳人たる一茶翁の口より出づ。何等の〓訓ぞ。何等の左右銘ぞ東照宮の遺訓にも優り、徒然草二百四十餘章の名文にも優りて、世を益すること甚大である盡し一茶翁の俳諧たる。すべて此意義より出でたるものなれば、其根底の固き知るべきである。嗚呼一茶の前一茶なし、一茶の後一茶なしと云ふ、洵に至言である。晋風君茲に視る所ありて翁の全集を編し、其材料の豐富、分類の法、寔に類例の其材料の豐富、分類の法、寔に類例の
の偉大さを紹介し併せて叙に代ふるのである。少なき編纂の用意大に努めたりと云ふべきである。大正十年辛酉の晩秋雪操居に於て伊藤友人の因み辭するに遑なく、松三宇識翁
一茶小傳一茶は寶曆十三年五月五日、て出生した。一茶は寶曆十三年五月五日、信濃國水內郡柏原の農、小林彌五兵衞の惣領息子として出生した。幼名を彌太郞といふ。父は耕耘の傍、駄馬を牽いて一家扶持して居た貧困といふ程でないが、裕かな生活ではなかつた。一茶がまだ乳房を握つてゐた三つの時、母は悲しき死の手に奪はれた。祖母かな女は初孫の不愍さを思つてかばひ育てた。「おれと來てあそべや親のない雀」の句は六才の作だ。束松露香氏の研究によると、この年柏原の本陣中村新甫の塾に入り、俳人若翁の薫陶をうけたといふ事だ。一茶が一生日の敵にした繼母さつ女が、父の後妻に娶られたのは其の八才になつた時だ。翌年異母弟の仙六が生れた。まゝ子一茶の拗け根性は生さぬ仲の神經をいやが上に尖らせた。安永五年祖母の死に依つて、二人の睚み合ひは更に是を掛けた。父は見兼ねて一茶を江戶へ逐ひ立てた。一茶の世間學を知るこれが第一步であつ茶小五父は耕耘の傍、扶持して居たによると、事だ。五
头た。十四歲の出〓から二十五歲其日庵溝口素丸の門に、地橋と呼ばるゝ俳人になる迄はあちこち人の家に奉公してゐた。寛政二年故人竹阿の跡を襲いで二六庵菊明と改名した。間もなく葛飾派を脫し「春立や彌九郞改め一茶坊」と名乗つて西國行脚に出で、肥後八代の西天庵文曉、伊豫松山の栗田樗堂など知名の俳人に交際した。江戶に戾つて隨齋成美の家にかゝり人となり、閑雅上人一瓢の本行寺に假寓して異色ある俳風を人々から認められるに至つた。享和元年父彌五兵衛は「おさらばぞ仲好くいたせ夕凉み」と遺言して沒した。底意地の惡い繼母や異母弟と遺產の事で爭ひ憎み、呪ひ、再び國を飛び出した。一所不定の生活は人間としての其の影を薄くした小さくした。けれど其の藝術をより大きくした。より强くした。有名な「七番日記」は文化七年の起筆で「家なしも江戶の元日したりけり」の漂泊氣分が全篇に漲つてゐる。その二年後に一旦和解した弟仙六と家倉籾料のことで復爭ひ、明專寺の和尙の取捌きで、やつと悶着を解決した。一茶既に五十一歲であつた。始めて天窓を剃つてあなた任せの信仰者となり、翌文化十一年常田氏菊女を妻に迎へて「迯しなや水祝はるゝ五十聟」の、氣耻かしい初婚の夢こゝちに浸ることが出來た、その十二月には江戶の俳壇を退き、「三漢人」一卷を置土產に板行して故〓柏原へ隱遁した。菊女と二人水入らずで、錆釘を二本喰ひ合せた變な符牒を日記に記してその精力の程に後人を驚異させた。菊女との仲に三男を擧げたが孰れも天折した。のみならず、文政六年には妻の菊女も沒して、一茶は一人ぼつち淋しく取殘された後妻雪女を迎へたけれど、三ヶ月とたゝず、「絲瓜蔓切つてしまへばもとの水」の一句で奇麗に別れ話がついた。三度目の妻やを女はともかく落着いてゐた。文政十年火事に逢つて燒殘りの土藏に住んでゐる中、數年來の中風で同じ年の十一月十九日享年六十五で遂に不歸の客となった。遺骸は柏原の明專寺に葬つた、翌年一茶の胤を宿してゐた妻のやを女が、遺れがたみのやた女を生んだ。このやた女が一茶の血緣を今日に引ついだ一粒種なのであつた。畢ー茶小傳
はしがき一、出板者の町田松波君は私の俳友の一人である。君から一茶の作品に就いての編纂を懇囑され、かつは伊藤松字翁から口添へもあつたので「えゝ好ござんす」と承知したのは今年の春であつた。松波君から「もう出來ますかと聞かれる度に「今遣りかけてますよ」と自分では巧妙に受け流したつもりでゐると、次第に督促が急になつて一時遁れの瞬味な事を云つてゐられず、愈よ着手しやうとする際、丁度よく二三ヶ月閑散な身となつた、此一擧にと思つて取纏めたのが本集である。私の考では一茶選集としたいのであつたが、印刷が遲延して中村六郞氏の同名の著が前に出板になつたので、豫定の頁を追加して新選一茶全集とする出板者の發言に同意した、もとより新選である。一、を云つてゐられず、た、一、印刷が遲延して中村六郞氏の同名豫定の頁を追加して新選一茶全集とする出板者のもとより新選である。私の新に選した全集である。何もかも其何もかも其はしがき
人の作品を網羅する意味の全集とは、その名題と内容を異にする事言ふ迄もない。一、伊藤松宇翁は最初から非常に力を添えられ例の靑い藏印の門外不出の秘本は勿論、藏架本を自由に閲覧することを許された外、遠藤蓼花氏は多年蒐集の異本類を取揃へて貸與され有益なる助力を惜まれなかつた。又星野麥人氏は大切な稿本の轉寫を快諾され、口繪に就いてもいろ〓〓援助をして吳れた。玆に厚く謝意を表する次第である。一茶の句集に「ふらんとや櫻の花をもちながら」といふ句がある。前書に鞦韆とあるので「ぶらんこや」の誤寫か、それとも「振らんとや」の意かとも思つてゐたが、門人素鏡の「たねおこし」に和名、由左布利鞦韆里言、武良牟杼ぶらんどや櫻の花をもちないから茶とあるのを發見した、「ぶらんど」と濁點が二ケ所あつて、ふらすこ即ち今の「ぶ茶ふらすこ即ち今の「ぶらんこの信濃言葉なのだ。これだから澤山の書を見ねば大きな口は利けないといふことをつく〓〓感じた。一茶は自由な句境にあつて見るところ聞くところ思ふところ、俳諧ならざるなき眞の俳三味の生活にあるので、一應は放膽な新しい俳人のやうに思はれるが、その俳風を見るに寧ろ古い型の俳人である。理屈よりその句を見る方が早い。一茶の句は必らず季題の約束を守つてゐる。俗語や方言を殆んど無制限に取入れてるが決して十七音の基調を破らなかつた。否、堅く守つて十七音の圈外に出る事を非常に忌み憚かつたやうにも推量される。一、一茶の句を元祿の惟然坊に比するは妥當のやうで其實は見當違ひである。惟然坊は俳句の內容は無視して調子の上に一機軸を出さんとして盛に俗語を使用したのである。或點では寧ろ濫用であるとも言ひ得る。けれども一茶は如何に俗語の分子を多量に取入れても、其の爲めに累を內容に及ぼす事は敢てしなかつた。どはしこれだから澤山の書を見ねば大きな口は利けないとい
序書は一一、一、あまりに新風を事とした爲め、との相違するところだ。ば一茶の故〓を訪ひ、まで現はれてるやうに思ふ。唯やたらに嶄新奇拔を誇るやうな所爲は毫も無い。んな破格に近い句でもちやんと獨立の意味を持つてゐる。るのでも分る。白砂人集を筆寫した初學時代から晩年まで俳句の特色を固守して、决して陳腐を意味するのではない。める、と心掛けてゐる。今は一茶の生活なり藝術なりに對して、私は一茶を古い型の人といつた。斗入の句は「百佗」と「夕月夜」の二集に出てゐる。其緣故ある人々も尋ねて多少は自信ある評傳をものしたい私見を述ぶるいとまが無い。一茶の執拗性がこんな場合に神罸で疥癬にかゝつたとさへ自ら書翰に書いてゐ思想や表現も常に新しい道程を歩んでゐた。然し古いといつても古風といふ程の意味で、私は加賀の斗入法師の句に一茶の心持に同一の氣分を認此の一事が惟然と一茶折もあら文政板一茶發句集は一秋夏春茶目し之之之が俳句小大部部部き傳の部茶し新選一き傳文翰茶全集目次伊藤內藤俳諧寺社中校······松鳴一二字······雪、宝五四-九五
杖迹お俳諧寺一茶翁文選一茶翁俳文通嘉永板一茶發句集冬秋夏春冬之之之之之部部部部部三みとり日一目一茶書翰補遺書翰の部茶ら韓がのの日記の部次著述の部俳文の部連竹祭春人記句松秋本斗圃編······嗽芳庵黑芳輯······茶宇茶茶茶五五遺稿······選関選運、三三九三〇五二三九二〇一一八三一三四三一大む查六〇兵〓巴七開三
解言宗器肢人生土自板文語〓財體生物地然題一茶俳句分類政俳茶發句集諧寺社中-畢-四四五四三七四三〇四二一四一〇三九二三八四三七五三六九
俳諧寺社中校-茶發句集佛都仁龍堂梓序一字不說は釋迦の饒舌、一貫の道は孔子の出來もの、其餘はあげて數ふるに、いとまあらず。こゝにまくも高く仰ぎけるは、翁に古池在て後、古池の句なく、一茶に松陰の句あつて後、まつかげの句なし、誰かもし、此兩句の玄味に、指を染むとならば、一口に西江水を呑盡して、始て曉すべし。是を序となすのみ。ふでとりてよと請れしは、文政十にふたつあまれる秋玉くしげ二見の邊りに住ける確房
一茶肖像春甫〓信馬あのいき月ふんて餘〓寺
茶發句集板文政一茶發句集上たっ植や色せついたか〓帽子↑必世蹉負ける奈一茶ミンにあり、富士〓に初春や千代のためしに立給ふ長谷の山中に年籠りして我もけさ御僧の部なり梅の花三崎の井は遊女柏木がかたみなりとかや若水のよしなき人に汲れけり福わらや十ばかりなる供奴春之部元日や上々吉の淺黃空元日も立のまんまの屑家哉還曆春立や愚の上にまた愚にかへる新家賀年立や雨おちの石凹むまで蓬萊や唯三文の御代の松かま獅子が腮ではらひぬ門の松晋風曰、かま獅子の句建部巢兆の句集「そばかり」にあり、誤つて混ぜるにや迯しなや水祝はるゝ五十聟初夢に猫も不二見る寢樣かな袴着て芝にころりと子の日哉小松引く人とて人のをがむなり垢爪や薺の前もはづかしき天神參ちさい子の麻上下や梅の花梅の木や欲にや願はぬ三日の月梅折や盜みますると大聲に一茶發句集相馬覽古梅か香や平親王の御月夜梅咲や唐土の鳥の來ぬ先に月の梅の酢のこんにやくのとけふも過笠着るや梅の咲日を吉日と山鶯よりもめづらしく新金を齒にあてけるを二歩判の初音出しけり梅の花下戶村やしんかんとして梅の花梅の花爰を盜めとさす月かそら錠と人には〓よ梅の花島原
うぐひすやよくあきらめた籠の聲老婆洗衣〓ノ來よ〓〓○彼の桃が流れ來るかよ春霞輕井澤笠でするさらば〓〓やうす霞菜翁とあそぶ此門の霞むたそくや隅田の鶴栗之六十賀古松や又あらためていく霞けふも〓〓霞んで暮す小家哉誰それと知れて霞むや門の原西山やおのれが乘るはどの霞入口のあいそになびく柳哉犬の子の踏えて眠る柳かなけろりくわんとして烏と柳哉御殿山鶯も親子づとめや梅の花うぐひすにあてがつておく垣根哉鍬の柄に鶯鳴や小梅村黃鳥のまてにまはるや組屋敷松室にあそぶうぐひすの馳走にはかぬ垣根哉黃鳥や泥足ぬぐふ梅の花鶯ののにして鳴や留守御殿小兒のあどけなさを鳴猫に赤ン目をして手まり哉イ某母素鏡が母八十八才賀門畑や米の字なりの雪解水雪どけや鷺か三疋立臼に世にあればむりにとかすや門の雪庵の雪下手な消樣したりけり門前や杖でつくりし雪解川三日月はそるぞ寒はさへかへる藪入や墓の松風うしろふく芽出しから人さす草はなかりけり店開賀一茶發句集福の來る門や野山の朝笑ひかくれ家や猫にもいはふ二日灸初午花の世を無官の狐鳴にけり齒も持たぬ口にくはへてつぎ穗哉一年を賣て親を養ふは孝行云ん方なし出代や汁の實なども蒔て置出かはりやいづくも同じ梅の花二月十五日雪ふりけるに花のところへ雪のふる涅槃哉
八おの〓〓御遊を待と見へたり。誠に無心の草木にいたる迄、春風に伏しつゝ、めでたき御代をあふぐとぞ覺へ侍る。五百崎や御舟をがんて歸る雁善光寺開帳に逢ふや雀も親子連○雀の子そこのけ〓〓御馬が通る竹にいざ梅にいざとや親雀寐て起て大欠して猫の戀蒲英公の天窓はりつゝ猫の戀イ奇妙うかれ猫希妙に焦てもどりけり行がけの駄ちんに鳴や小田の雁板橋かしましや江戶見た雁の歸り樣閏二月二十九日といふ日、雨も漸おこたりければ、朝とく頭陀袋首にかけて、足ついイほの〓〓とで例の角田堤にかゝる。東はほの〓〓しらみたれど、小藪小家はいまだ闇かりき。かるに上のならせ給ふにや、川のおもてに天地丸赤〓〓とうかめて、田中は新に道を作り、みぞ堀はこと〓〓く板をわたして、雀子やお竹如來の流しもと慈悲すれば糞をする也雀の子雉子鳴やきのふ燒れし千代の松夕雉子の走り留りや鳰の海黑門や下タに〓〓と雉子の聲獨座おれとしてにらみくらする蛙かな向〓〓に蛙のいとこはとこかなめでたさの煙聳へてなく蛙我を見て苦い顔する蛙かな象かたや櫻をたべて鳴かはづ玉川や先御先へととぶかはづゆふぜんとして山を見る蛙哉南都朝起の古風を捨ぬ乙烏哉晝飯をたべにおりたる雲雀哉一茶發句集橫乘の馬のつゞくや夕雲雀○棹鹿よ手拭かさん角の跡右八十五章魚二淵休校それ虻に世話をやかすな明り窓神風や虻が〓へる山の道奉納おんひら〓〓蝶も金びら參り哉てふ飛や此世の望みないやうに葎からあんな胡蝶が生れけり田に畑にてん〓〓舞の小てふ哉門のてふ子が這へばとびはべば飛さをしかや蝶をふるつて又眠る
菜の花や霞の裾に少しづゝかるた程門の菜の花咲にけり大菜小菜喰ふ側から花咲ぬ春の日や暮ても見ゆる東山傘さして箱根越すなり春の雨春甫新宅賀安堵して鼠も寐るよ春の雨婚禮春雨や相に相生の松の聲春雨や鼠のなめる角田川穴藏の中でものいふ春の雨負弓の藪にかゝりて春の雨てふといふ娘山路の案内しけるに俄雨はイはら〓〓とら〓〓ふりければ木の陰やてふとやどるも他生の緣橋本町上人陽炎や歩行ながらの御法談かげろふや臼の中からま一筋陽炎や蕎麥屋が前の箸の山鳳巾上てゆるりとしたる小村哉美しき風巾上りけり乞食小屋我蒔た種をやれ〓〓けさの露かまくらや昔どなだの千代椿鳩いけんしていはく梟よつらくせ直せ春の雨水江春色すつぼんも時や作らん春の月ついそこの二文渡しや春の月春風や牛にひかれて善光寺春の風おまんが布の形りに吹狗が鼠とるなり春の風待〓〓し日永となれど田舎哉手のひらにかざつて見るや市の雛おらが世やそこらの草も餅になる我宿は何にもないぞ巢立鳥一茶發句集好〓〓や此としよりを呼子鳥觀音奉納只たのめ花もはら〓〓あの通り花のかげあかの他人はなかりけり如病得醫花を折拍子にとれししやくり哉花の陰なむさん火打なかりけり斯う活て居るもふしぎぞ花の陰三月十七日保科詣花ちるやとある木陰も小開帳人撰して一人なり花の陰おとろへや花を折にも口曲る
山下常樂院に、人々こぞりて尊とむ佛おはしけるが、ことし千百年の供養なりとて、讀經いと殊勝也。かくふつゝかなるおのれさへ、すぐせの結緣うすからざるにや、かかる時に生れ逢ふ〓とのうれしく、しばらく隨喜の泪を拭ひぬ。そのかみ其角、六あみだかけて鳴らん時島、とありしも、けふのやうなる折にやあらん、是さへ今は百とせのかたみと成りぬ。かくいふけふも、いつか又昔とならん、されど我後の世をたのみおく、軒ばの梅さへ持ぬ境界、御佛必見捨給ふなよ。花桶に蝶も聞かよ一大事新吉原花の本に鷄寐るや淺草寺堪忍をいたしに行や花の陰山の月花盜人を照らし給ふ刈萱堂花の世は地藏ぼさつも親子哉花の木のもつて生れた果報哉大和めぐりする人に旅の眞言といふをさづけてかならずよ迹見よそはか花の雲今の世や猫も杓子も花見笠有樣は我も花より團子かな苦の娑婆や花が開けばひらく迚行燈ではやしたてるや花の雲御所にて棒突が腮でをしへる櫻かな人聲にぼつとしたやら夕櫻櫻へと見えてじん〓〓端折哉氣に入た櫻のかげもなかりけり一本はさくらもちけり娑婆の役此やうな末世を櫻だらけ哉東西の花に散立られて心も山にうつり行と、いふ日は三月廿日也けり煤くさき笠も櫻の降日哉一茶發句集君が代大飯喰ふてさくら哉けふは町隣なる麻美と、前の日より約し置けるに、かれさはりありてやみぬ。さはとて翌の命待ものかはと、たゞ獨來たりしに赤麺1,元集といふものゝあれば、是究竟の句相手なり。小坊主や親の供して山櫻晋風曰嘉永板には次の「さくら〓〓と唄はれし老木かな」をこゝにあぐ、前文の意味よりするも、この處は次の句がよろしきやうなり、筆耕の書きあやまりなるべし。り、櫻〓〓と唄はれし老木哉下〓〓に生れて夜るもさくらかな
やよ虱這へ〓〓春の行方へ地獄夕月や鍋の中にて鳴田にし餓鬼花ちるや呑たき水を遠霞生散花に佛とも法ともしらぬ哉修羅聲〓〓に花の木蔭のばくち哉人間さく花の中にうごめく衆生哉天上一夜さに櫻はさゝらほさら哉鞦韆〓本ノマ·ふらんとや櫻の花を持ながら櫻草といふ題をとりて我國は草もさくらを咲にけり今少したしなくも哉菫草百兩の石につり合ふつゝ哉春の日の入所なり藤の花根岸にて山吹をさし出しさうな垣根哉惣〓〓にきげんとらるゝ蠶かなさまづけに育られたる蠶哉かすむ日やさぞ天人の御退屈春耕右八十三章稻長校夏之部の下谷一番の貌して更衣おもしろい夜は昔なり更衣年とへば片手出す子やころもがへけふの日や替てもやはり苔衣立ながら綿ふみぬいで出たりけり文虎か妻身まかりけるにおりかけの縞目にかゝる初袷小兒の行末を祝してたのもしやつんつるてんの初袷一茶發句集春日野の鹿に嗅るゝ袷哉大山詣四五間の木太刀をかつぐ袷哉鶯のほゝと覗くや花御堂をかくれ家や死ばすだれの靑いうち夕かげや駕の小脇の夏花持是ほどのぼたんと仕かたする子哉てもさてもても福相のぼたん哉通ひ路に階子わたすやかきつばた二十四年榮花只一夜夢善盡し美を盡してもけしの花芥子さげて群集の中を通りけり
軸をさづくる圖に我汝を待事久し郭公これでこそ御時鳥松に月ほとゝぎす俗な庵とさみするな此雨はのつ引ならじほとゝぎす○せはしさを我にうつすな子規鎭西八郞爲朝人礫うつ所に時鳥蠅虫めらもよつく聞け卯の花も馳走にさくか子規先住のつけわたりなりかんこ鳥閑窓卯の花の垣に名代のわらぢ哉菴の苔花さくすべもしらぬ也我上へ今に咲らん苔の花乾く迄繩張る庭や若葉吹禪寺隅〓〓も掃除屆くや木下闇法談の手まねも見へて夏木立せい出してそよげ若竹今のうち若竹と呼るゝうちも少かなあつばれの大若竹よ見ぬうちに鮓になる間と配る枕かな老翁岩に腰かけて一
吉日の卯月八日も閑古鳥とし寄と見てや鳴蚊も耳のそば高野山芝浦や初鰹から夜の明る地獄へは斯う參れとやかんこ鳥蜘の子はみなちり〓〓の身すぎ哉前の世のおれがいとこか閑古鳥かはほりやさらば汝と兩國へ雲を吐く口つきしたり蟇鹿の親笹吹く風にもどりけり罷り出たるは此數の蟇にて候神國は天から藥降にけり目出度さはことしの蚊にも喰れ鳬五月雨の竹にはさまる在所哉晝の蚊の來るや手をかへ品をかへ我宿は口で吹ても出る蚊かな妙義五月雨や夜もかくされぬ山の穴隙人や蚊が出た〓〓と觸步行粒々皆心苦晝の蚊やだまりこくつて後ろからもたいなや晝寢して聞田植唄蚊柱の穴から見ゆる都かな早乙女や箸にからまる草の露一茶發句集
柴の戶や錠のかはりにかたつぶりかたつぶりそろ〓〓登れ富士の山なか〓〓に安堵顏なり羽拔鳥虎が雨など輕んじてぬれにけり六月や月夜見かけて煤はらひ小金原母馬が番して呑す〓水哉人來たらかへるになれよ冷し瓜旅人や山に腰かけて心太無限欲有限命此風に不足いふなり夏坐敷旅瘦をめでたがる也夏坐敷寢せつけし子の洗たくや夏の月茨の花こゝをまたげと咲にけり右五十八章士呂英芳校日々懈怠不惜寸陰けふの日も棒ふり蟲よ翌も又ひいき鵜は又もから身で浮みけりはなれ鵜が子の泣舟にもとりけり初螢ついとそれたる手風哉不忍池螢火や呼らぬ龜は膳先先へきれわらぢ螢とならば隅田川夕月や大肌ぬいでかたつぶり松影や扇でまねく千兩雨手にとれば歩行たくなる扇哉西山や扇おとしに行月夜獨樂坊を訪ふに錠のかゝりければ三界無安といふ事を蠅よけの艸も釣して扨どこへ豐年の聲を上げけり門の蠅蠅一つ打てばなむあみだ佛哉世がよくばもひとつとまれ飯の蠅侍に蠅を追せる御馬かなやれうつな蠅が手をすり足をする一茶發句集〓ののかかぞへながらに添乳かなのみ燒て日和占ふ山家かな蚤の跡それも若きは美しき蟬鳴や我家も石に成るやうに蟬啼や天にひつつく筑摩川ねがはくば念佛を鳴け夏の蟬新家賀涼しさや糊のかわかぬ小行燈春甫京へ行を送る涼しからん這入口から加茂の水兩國橋上下見ても法圖がないぞ凉船
うみ開けて、防人の備へに究竟の地なりとて、此度陣屋いとなむ繩張といふこと有。其畠の瘤のやうにさし出て、妨なる小家あり。主と見へて翌をもしらぬ老婆ひとり、麻をうみて居たりけるを、奉行人深く憐みて.汝子ありやといへば老婆いふ、かのこひとりもちたりけるが、いつ〓〓のとし古〓をよそにふり捨て、今は江戶の本所とやらんに、人の髪ゆふわざをなすよし、風のたよりに聞侍るとばかり、泪はらひ〓〓こたふ。さあらば其男呼返すべし、よろしき替地にかひ〓〓しき家をあたへん、しかのみならず、其男には永く髪結司のゆるし文とらせて汝には生涯二人ふちといふを草雫今拵へし凉風ぞ藪村の貧乏馴て夕凉魚どもや桶ともしらで夕すゞみ涼しさや彌陀成佛の此かたは銚子にて朝凉や汁の實をつる脊戶の海きのふは鮮魚に宴してけふは松宇佛夜凉が笑ひ納めでありしよな"すゞ風も隣の竹のあまりかな身の上の鐘ともしらで夕涼上總國百首の〓は東南に山連り、西北に西北に申下して、身をやすくすぐさせん、あさ糸の細き稼ひをやめて、遲々たる春の日にはちりかふ花に、無常を觀じ、凄々たる秋の夜には、かたぶく月に西方をねがひ、明暮心任せに菩薩の種を蒔なば、なんぼうたのしからん、汝が此家このかまへのさはりになるこそ、天より汝に幸ひ下し給ふなれ。とく〓〓爰をしりぞき。あしこにうつれよといふに、老婆むく〓〓とはらだゝしきそぶりして、灯心つかれたらんやうなる首打ふり〓〓いふやう、よくもあざむき給ふものかな。是はわらはが先祖よりいく世ともなく住ふるして、大事の〓〓栖なれば、たとへ黃金星にとゞく程給るとも、我目には一ー茶發句集椀の麥飯にしかずとこそ思ひ候へ。たゞただ此はにふの小屋こそさうなき寶なれ。しや命斷るとも外へは行かじと、手すり足ずり貝を作りて、なかぬばかりに申せば、奉行人の慈悲も今は施すべきよすがなく、老婆のちにくひぞ、ど、ふたゝび繩はりして、つひに其家をよきて地とりなりぬ。あはれ月日の照らすかぎり、露霜のおつる所に生とし活るもの、たれか國命そむき奉らん、しぶときをこの者にぞありける。月さへもそしられ給ふ夕凉み碓氷にてしなの路の山が荷になる暑哉
蕗の葉にぼんと穴あく暑哉迹からも又ござるぞよ小夕立湖水から出現したり雲の峰蟻の道雲の峰よりつゞきけん投出した足の先なり雲の峰川狩や地藏の膝の小脇差川狩のうしろ明りやむら木立玉川萩もはや色なる浪や夕ばらひ麻の葉に借錢書て流しけり右五十五章素文路鏡校補遺母親やすヾみがてら針仕事駕籠先を下に〓〓と扇かなぼんの窪に扇をちよいと小僧かなあんよ〓〓や母を日本もち草臥や凉しい木陰見て廻る夜〓〓やおなじ面でも門涼み歸菴笠の蠅われより先へかけ入りぬ親知らず蠅もしつかりおぶさりぬ短夜をよろこぶ年となりにけり昔からこんな風かよ夕祓ひ板文政茶發句集下秋之部秋立や隅の小隅の小松島狗子有佛生秋來ぬとしらぬ狗が佛かな星さまのさゝやき給ふけしき哉聟星にいで披露せん稻の花娶星の御顏をかくす榎かな子寶が蚯蚓のたるぞ梶の葉に病中一茶發句集うつくしや障子の穴の天の川木曾山へ流れ込けり天の川わらぢながら墓參りして息才で御目にかゝるぞ草の露末の子や御墓參りの箒持亡妻新盆かたみ子ャ母が來るとて手をたゝく玉棚や上座して鳴きり〓〓す
秋風や磁石にあてる古郷山病後かな釘のやうな手足を秋の風さと女三十五日秋風やむしり【殘りの赤い花秋風の吹けとは植ぬ小松哉墨染の蝶がとぶなり秋の風正見寺の上人十ばかりなる後住を殘して遷化ありし哀さに秋風やちいさい聲のあなかしこ五十過ては魂送おれが場もとくたのむぞよ佛達精靈の立ふる舞の月夜哉山里やあゝのかうのと日延盆べつたりと人のなる木や宮角力草花を腮でなぶるや勝角力板行にして賣れけり負角力椽はなや二文花火も夜の體稻妻やうつかりひよんとした顏へ神前秋風や草も角力とる男山高井野の高みに上りて露はらり〓〓大事のうき世哉露置や茶腹で越るうつの山しら露やいつもの處に火の見ゆる露ちるや地獄の種をけふも蒔くしら露に淨土參りのけいこ哉火ともして生おもしろや草の露男女私にちぎりて夜ひそかに迯行を〓訓して人間は露と答へよ合點か愛子を失ひて露の世は露の世ながら去ながら露ちるやむさい此世に用なしと一茶發句集あり明や淺間の霧が膳を這ふ寢返りをするぞ脇よれきり〓〓す彌陀堂の土になる氣かきりぐ〓すきり〓〓す聲が若いぞ〓〓ぞよ經堂蟲の屁を指して笑ひ佛かな寒いぞよ軒の蜩唐がらし其分にならぬ〓〓と蟷螂哉古犬や蚯蚓の唄にかんじ顔御祭に赤い出立のとんぼ哉二百十日世の中はよすぎにけらし草の露
むだ花に氣色とられし瓢哉江戶川や月待宵の芒船名月や先はあなたも御安全明月の御覽の通りくづ家哉病中名月やとばかり立居むづかしき明月のさつさと急ぎ給ふかな右六十二章楚希杖江校明月を取てくれろと泣子哉姥捨山けふといふけふ名月の御側哉赤馬關御目出度存候けさの露うどん花甘い露はせをさく迚降りしよな朝顏や人の貌にはそつがある朝貌の上からとるや經山寺女郞花あつけらこんと立りけり鬼灯を膝の小猫にとられけり萩寺存の外俗な茶屋あり萩の花耳に珠數かけて折なり草の花入相の聞處なり草の花きり〓〓しやんとしてさく桔梗哉露名月や蟹も平をなのり出筑摩川舟留名月やつい指先の名所山やかましかりし老妻ことしなく小言いふ相生もあらばけふの月姥捨などゝは老足むづかしく有合の山ですますやけふの月月蝕人顏は月より先へ缺にけりむだ草も穂にほがさいて三日の月一茶發句集深川や蠣殻山の秋の月春耕孫祝門の月ことに男松のいさみ聲翌の夜の月を請合ふ爺哉明く口へ月がさすなり隅田川秋の原知たらなんぞうたふべき秋日和とも思はない凡夫哉なぐさみのはつち〓〓や秋日和母のなき子の這ひならふにをさな子や笑ふにつけて秋の暮病後ゑいやつと活た所が秋のくれの月
兩國の兩方ともに夜寒哉六十にふたつふみ込夜寒哉あばら骨なでじとすれど夜寒哉若僧の扇面に影法師に耻よ夜寒のむだ歩行旅一人と帳面につく夜寒かな草藪も君が代を吹小夜きぬた豊秋二軒家や二軒併つく秋の雨外ケ濱けふからは日本の雁ぞらくに寢よ中〓〓に人と生れて秋の暮八月二十九日善光寺詣本堂の柱に、長崎の舊友たれかれ詣る、としるしてありけるに、今は三十年餘りの昔ならん、おのれ彼地にとゞまりて一ッ隅のもの叫ひて笑ひのゝしり、むづましき人達なり。あはれきいふ參りたらんには、面會してこしかた語りて、心なぐさまんものを互ひに四百餘里の道程へだゝりぬれば、ふたゝび此世には逢ひがたき齡にしあれば、しきりにしたはしくたつかしくなれ。近づきの樂書見へて秋の暮茶店の萬燈日ましにへりぬ旅にありて雁鳴やあはれ今年も片月見白川や曲り直して天津雁田の雁や里の人數はけふも減るおちつくと直に鳴けり小田の雁〓天津雁おれが松にはおりぬ也朝夕や峰の小雀の門馴て立鴫の今にはじめぬ夕かな普陀らくや蛇も御法の窩に入蛇も入穴はもつぞよ鈍太郞の足枕手枕鹿のむつましやしき島や深山の鹿も色好む一茶發句集やさしさや鹿も戀路に迷ふ山人ありと見せゐ草履や田番小屋米穀下直にて下々なんぎなるべしとはこと國の人うらやましからん日本の外が濱まで落穂哉旅人の垣根にはさむおち穂哉姥姨はあれに候とがかしかな人はいさ直な案山子もなかりけり穂芒や細き心のさわがしき爰に正風院此奧に百花あり
茸狩のから手でもどる騷かな戶隱山初梨の天から降た社だん哉柿の木であいと答へる小僧哉小布施拾はれぬ栗の見事よ大きさよ虱を捻りつぶさんことのいたはしく、又門に捨て斷食さするも見るに忍ざる折から御佛の鬼の母にあてがひ給ふものを、ふと思ひ出して門に立菊や下戶なら通さじと大菊や今度長崎よりなどゝ勝た菊大名小路通りけりまけ菊をひとり見直す夕哉後の月月の顏としは十三そこらかな名所紅葉欠椀も同じ流れや立田川棹鹿の水冴拭ふ紅葉かな大寺の片戶さしけり夕紅葉毒茸人をとる茸はたして美しき我味の柘榴に這す虱かな老の身は今から寒さも苦になりて山畠や蕎麥の白さもぞつとする秋の夜や障子の穴の笛をふく庵の夜や寢あまる罪は何貫目未枯や諸勸化入れぬ小制札九月盡けふ迄はまめで鳴たよきり〓〓す右六十四章掬雲斗士校冬之部やあしばらく蝉だまれ初しぐれぼた餅の來べき空なり初時雨初時雨夕飯買に出たりけり目ざす敵は雞頭よはつしぐれ旅しぐるゝや家にしあらば初しぐれ桑名蛤のついのけぶりや夕しぐれ途中にて素玩に逢ふしぐれ込め角から二軒目の庵夜しぐれやから呼されしあんま坊右六十四章校一茶發句集
はせを忌や晝から錠の明く庵はせを忌に丸い天窓の披露哉御取越飴で餅くふはなし哉春日山さをかやえひしてなめる今朝の霜霞まで生やうものか霜の鐘橋上乞食母親を霜よけにして寢た子哉追分霜がれや鍋のすみかく小傾城霜枯や新吉原も小藪並一人旅人の爲しぐれておはす佛かな悼鳴鳥こんなしぐれのあらんとて盜人おのが古〓に隱れて縛られしに業の鳥罠を巡るやむら時雨菜畠を通してくれる十夜哉鳶ひよろろひよろ神の御立げな桃靑靈社御寳前にかけ奉る初しぐれはせを忌やことしもまめで旅虱義仲寺へ急ぎ候初しぐれ一次の間の燈で膳につく寒哉としかさをうらやまれたる寒哉上野の麓に、蝸牛のから家かりて、露の間の夢のむすび所とす。きのふあたり、住倦たる人のなせるわざにや、垣の葬のそれなりに枯て、其實はほろ〓〓落たり。いく人の泪をかけし果とも思れて、秋にたち增りて。土をならして菜のやうなるもの蒔置けるが、雪の片隅にほや〓〓と靑みゐ、是必愛度春を迎へて、餅いはふべき且の料ならんか。壁は七福即生の守り張重て、盜人の輩を防ぎ、竈は大根注連といふものを引はた。回祿を迯んとす。荒神松はいまだ野-茶發句集の色ながら、橫さまにこけたり。皆たゞ行末いつ迄か、住果んあらましぞと見ゆるも、今は雲にや迹をくらましけん。山にや影をかくしけん、すべていづこかつひの栖ならん。かくいふ我もしばしが程に。又人にかくいはれんことをおもふのみ。露の間身に添や前の主の寒文化六年十二月十五日賀舊家大川氏木枯や千代に八千代の門構木がらしや雀も口につかはるゝ水仙や大仕合のきり〓〓す迄
朝晴にはち〓〓炭のきげん哉分てやる隣もあれなおこり炭炭の火に峰の松風通ひけり炭の火に月落烏鳴にけり榾の火にうしろむけゝり最明寺榾の火や目出度御代の顏と顔旅斯う寢るも我炬燵ではなかりけり嵯峨山はや〓〓と誰冬ごもる細けぶり歸庵留主札もそれなりにして冬籠水仙や垣に結こむ筑波山嵯峨村と名乘り顏なり枇杷の花おち葉して日向に醉し小僧かな落葉して三月ごろの垣根かな花鈿委地無人收思ひ草思はぬ草も枯にけり枯芒昔婆々鬼あつたとさ女郞花なんの因果で枯かねる大根引大根で道を〓へけり雉子なども粗鳴にけり大根引鳴雀其大根も今引ぞ爐開やあつらへ通り夜の雨小人閑居成不善冬籠惡もの喰のつのりけりさし捨し柳の蔭を冬籠眠り樣鷺に習ん冬ごもり西の木と聞てたのむや冬籠はせを塚先拜むなりはつ紙子加茂の水吉野紙子とほたへけり大阪八軒家舟が着て候とはぐふとん哉祐成がふとん引はぐ笑ひ哉今少雁を聞迚ふとんかな漏ものがおそろしといふ〓哉一茶發句集三日月と肩をならべて網代守網代守爰にとゑへん〓〓哉網代守天窓で楫をとりにけりさきのとしの大なひに、鳥海山はくづれて海を埋め、甘滿寺はゆりこみ沼とかはりぬさすがの名どころも、事ごとにうらむがごとくなりけり。象かたの欠を摑て鳴千鳥御地藏と日向ぼこして鳴千鳥おちつきにちつと寢て見る小鴨哉汝等も福は待かよ浮寢鳥みそさゞいちゝといふても日が暮る
ちとたらぬ僕や隣の雪もはくむまさうな雪がふうはり〓〓とぼちヤ〓ヽと雪にくるまる在所哉犬どもがよけてくれけり雪の道雪らるや脇から見たら榮耀駕十二月廿四日古〓に入是がまあ終の栖か雪五尺一茶病中のていたらく袵なりに吹込雪や枕もと棧や凡人わざに雪車を引く翌は又どこの月夜の里神樂行人を皿でまねくや藥喰皹をかくして母の夜伽かな門口に來て氷るなり三井の鐘一さんにとんで火に入あられ哉盛任がしやつ面たゝくあられ哉初雪や俵の上の小行燈はつ雪や今行里の見へて降初雪やこきつかはるゝ立佛初雪や鳥も構はぬ女郞花石の上の住居のこゝろせはしさよ雪ちるやきのふは見へぬ借家札くる人が道つくるなり門の雪鰒汁やもやひ世帶の惣斯出始を祝ふてたゝく瓢かな一夜さは出來心なり寒念佛寒念佛さては貴殿でありしよな叱らるゝ人うらやましとしの暮梟よのほゝん所か年の暮ともかくもあなた任せのとしの暮節季候や七尺去て小せき候名月や御煤の過し善光寺念々相續みだ佛のみやげに年を拾ふかな節分一茶發句集福豆やふく梅干や齒にあはぬかくれ家や齒のない聲で福は內餅花の木蔭に手うちあはゝ哉神の燈や餅を定木に餅をきる我門に來さうにしたり配り併わんといへさあいへ犬も年のくれ長崎君が代やから人も來て年籠雜おのづから頭が下るなり神路山掃溜へ鶴の下りけり和歌の浦
世の中はかくてもへけれぬる蝶の夢見てばかり身をすぐす哉かつしかの栖立退く日さし木のめ吹たるに古菴にのち住人よ花さかば心さし木の櫻とをしれいさましの老木さくらや翌が日に倒るゝ迄も花は咲ぬるうつ波に千度しづみてうき草のうき世並とて花や咲らん夕立のまだ晴やらぬ木の間より雫ながらに出る月かな月花や四十九年のむだ歩行鶴の子の千代も一日なくなりぬ佛ともならでうか〓〓老の松牧人七十賀きゝ給へ竹の雀もちよ〓〓と琵琶湖龜どのゝいくつのとしぞ富士の山天下泰平松蔭に寢て喰ふ六十餘州哉右百六章春文虎甫校朝菜つみ夕菜つみつゝつむとしのつむりの雪ぞ野らにまがへる功成身退といふ事を里〓〓を凉しくなして夕立の光りしりぞく山の外かな七夕の人見給はゞむさしのゝ草葉のむしとおぼしめすらん念彼觀音力稻の穗よ南無稻の穂よ〓〓かゝるみのりの秋はあらじな行雲の迹からはげる靑空へはづれにけぶる淺間山かなこちあなち風のまに〓〓吹ばとぶ塵の身にさへせはしなの世やいくばくのなげきこりつむ小車の下り坂なる我が齡かなみちのくへたつとてながらへて歸らん事もしら川の關を越行老の身なれば追風にうしろ任せてあみだ笠おのづと西へ吹れ行くなりうそを月夜のむらしぐれかな木曾おろし雲吹盡す靑空の一茶發句集
月を覆ふ雲、花を散す風、善惡表裏は、めぐれる車の輪の如しと、いにしへの人のことばこそむべなれ、我師は能これを曉し、生涯を自然に任せられしに、いぬる文政丁亥の冬身まかられてのち、〓へを請し人〓〓.遠き境までも、最寄〓〓にいひ傳へ、はやくもかけあつまりて、殘れる人にものとふに、いひおける一言もなく、そのうへ何者のわざにや、日頃机のほとりにつみ重ねたる反故、ものゝ本どもをさへ、空吹拂ふ凩の塵ばかりもなく失はてゝ、いたづらに漉かへす紙のうちにやひさがれけん。哀れ尊き文もあらんに、見る人なくば、ねう比丘にこがねうちくれし諭に同じ。手の物とられしこゝちして、おのおのむなしく家に歸り、訪れし時〓〓、書おかれし筆の跡とり出し、或は行かふ市の星見せなどに見當る、行脚の時の日記やうなるもの、價もてこれを求などしつゝあしこ爰ひろひ集て、このふたつの卷となすは、ながきかたみと見るべきまで也。文政十あまり二とせといふ年の冬俳諧寺の沙彌某しるす俳諧寺の沙彌某しるす文政十二年丑七月信州俳諧寺門從藏板一茶發句集
板嘉永茶發句集
嘉永戊申新鐫諧俳茶發句集東都書林山城屋佐兵衛序增賀ひじりの、師の御房僧正の參内のをり、乾鮭の太刀はき、瘦馬に乘て供奉し、又皇太神宮の名利を捨よと、おほけなき靈救により、やがて赤裸になりて、くるひそゞめきしは、僧綱をたまはり、錦繡を身にまとひしよりも、中〓〓に内心〓淨ならんか。近きころ。信濃の國柏原俳諧寺一茶は、元祿のむかしの惟然坊のたぐひにて、上野坂本町、本所番塲にいほりせしをりは、晝も行燈をともしおきて煙草火にかへ、或は客來り、餉の時いたればそれとゝもに、店屋に行、食事をはればかたみに料足を拂て返りしなど、なべての事辛き世をいともやすげに、すごせるものから、四方遊歷の先〓〓には、奇談笑話人口に膾炙せるもの多し。發句文章もまたそれに隨ひ、願を解き膽をうばゝしむる物少からず。實一世の俳將なりし。斯而文政丁亥の冬、黄泉の客となりしのち、門徒集りて反古物しらべしかど、斯く隱逸のさがにしあれば、いひのこ
す言葉もなく、さるさうしやうものさへ、ちり〓〓になんなりしを、からうじて句集いできにたれど、それさへ藏板とかいふものにて、世におほやけならざるををしみ、書林何某おのれにはかりて增補を乞ふ。辭する事にしもあらねば、もとの集の上に、自他の耳底に殘り、すりまき消息やうのたぐひに見えたるをも、書くはへて、あまつさへ始につたなき筆をはしらす。弘化丁已彌生俳沙彌一貝序あかりたるよの言のはを見るに、すなほなる、巧なる、はいかいなる、さま〓〓なれど、いづれも海山花鳥のあはれをつくして、そのものゝ、まことをうしなへるは、ひとつもあることなし。たま〓〓そのまことに、たがへるありと見ゆるは、なか〓〓におもはずなる、なさけをこめたるものにて、いとめでたく、くだれるよにいたりては大かた人のこゝろうすくなりゆき、まことのすぢをふかくも、たどらねば、おのづからあさはかになりて、いにしへには似べくもあらずなんなりにたる。今しよに行るゝはいかいの發句といふも、またかくのごとくなるべし。一茶翁はそのふるまひも發句もうまく.いにしへのはいかいのこゝろを得し人なることは、いふもさらなり。その集あまたなりしが、今はよにちりほひて、たはやすくうべくもあらずなれるを、晝林向榮堂、啾芽庵墨芳とこゝにあなぐり、かしこにもとめて、かく一部の集となしぬる茶發句集
は、たれかはめでよろこばずしもあらん。天保十四年みなつつすみた川のつなかぬ舟にて櫻園主人板嘉永一茶發句集上(文政板に出でゝ重復せる句は全部省略して再錄をさけたり)春之部春立と申もいかヾ上野山土藏から筋違にさすはつ日かな鶯のいな啼やうも今朝の春あばら家の其身其まゝ明の春あら玉の年立かへるしらみかな初空へさし出す獅子の天窓かな草庵二句一茶發句集菴の春寐そべる程は霞なり我春も上々吉ぞうめの花若水やぞうとつぎ込梅の花蓬萊に南無〓〓と云子供かな折てさすそれも門松にて候我庵やけさの年玉取に來る大聲や二十日過ての御萬歲鳴猫に赤ン目をして手まりかな
赤いぞよあのものあれが梅の花梅が香やうつとしがれば二本まで皮剝が腰かけ柳靑みけり螢飛夕をあてやさし柳門柳天窓でわけて這入けり人聲にもまれて靑む柳かな善光寺堂前白猫のやうな柳も御花かな三日月やふはりと梅に鶯が鶯にあてがつておく垣根かな鶯の目利してなく我家かな是程の上鶯を田舎かな鶴の〓に人の曳小まつに千代やさみすらん脇差の柄にふら〓〓若菜かなし梅の木のあるかほもせぬ山家かな餅組も一ざしきなりうめの花鳥の音に咲うともせず梅の花梅に月いやみからみはなかりけ菰はげばはやあか〓〓と梅の花團十郞咲たりな江戶生ぬきのうめの花梅折や天窓のまるい、影法師信濃言葉袖下はみな鶯や小せき越閏正月正月のふたつありとや浮寢鳥茶鳴子のやたらに鳴や春かすみ牡丹餅を喰はへて霞鳥かな霞日や夕山かげの飴の笛霞Hやしんかんとして大座舗橫乘の馬のつゞくや夕霞霞けりにくい宿屋も迹の村還歷の賀老松やまたあらためていく霞雪解や門は雀の十五日一茶發句集あさましやちよつとのがれに殘る雪鍋の尻ほしならべたる雪解かな藪入や三組一所に成田道はや淋し朝かほ蒔といふ畑藪入のわざと暮や草の月夜に入ば直したくなるつぎほかな山燒の明りに下る夜舟の火畑打や子が這步行つゝじ原畑打や田鶴啼わたる邊り迄出代の市にさらすや五十顏御ねはんやとりわけ花の十五日小うるさい花が咲とて寢釋迦哉日
親分と見えて上座に鳴蛙其聲でひとつ踊れよ啼蛙產さうな腹をかゝえて啼蛙我庵や蛙初手から老を啼夕乙鳥我には翌日のあてもなし野大根も花となりけり鳴雲雀小男鹿に手拭かさん角の跡小男鹿の落した角を枕かな角おちて耻しげなり山の鹿むつましや生替らば野邊の蝶大猫の尻尾でなぶる小蝶かな蝶寢るや草ひきむしる尻の先寢ておはしても佛ぞよ花の降る門番が明てやりけりねこの戀おどされて引返すなりうかれ猫戀猫のぬからぬかほで戾りけりうかれ猫どのつらさげて又來たぞ彼岸とて袖に這する虱かな寢た跡の尻も結ばす歸る雁雀子や川の中にて親を呼我と來て遊べや親のない雀雉子鳴や見かけた山のあるやうに雀子のはやしりにけり隱れやう榎まで春めかせたり啼蛙氣の毒やおれをしたふて來る小蝶長閑さや垣間を覗く山の僧陽炎や子をかくされし親の貌長閑さや淺間けぶりの晝の月陽炎や手に下駄はいて善光寺小金原呼あふて長閑に暮らす野馬哉三助がはつせ詣やはるの雨朝市に大肌ぬぎや春の雨掃留の赤元結やはるの雨併買に箱提燈や春の雨春雨に大欠する美人かな一茶發句集袖だけの垣の嬉しやはるの雨春雨や喰れ殘りの鴨が啼春風やとある垣根の赤行履宿引に女が出たりはるの風老ぬれば日の永いにも淚かな闇がりの牛を曳出す日永かな不忍の池に龜どもの、菓子をいだるありさまを見るに、此節婆に萬年の逗留もならん。永の日を喰ふや喰はずや池の龜永日や牛の涎の一里ほど塊もこゝろおくかよ巢立鳥
山櫻皮を剝れて咲にけり傘にべたりと付し櫻かな天からでも降たるやうに櫻かな小坊主や親の供して山ざくら若草や北野參りの子供講はるの日の入所なり藤の花根岸にて山吹をさし出しさうな垣根かな茶もつみぬ杉も作りぬ丘の家舞〓〓や翌日なきはるを笑ひ顔ゆさ〓〓と春が行ぞよ野邊の草陽炎の內からもたつ淺生かな手のひらにかざつて見るや市のひな上已之部浦風にお色の黑いひいなかな煤けひなしかも上座をめされけり花咲ぬかた山かげも雛まつり盃よまづ流るゝな三日の月筆添ておもふ盃流しけり川下や果は圖とりの小盃人まねに鳩も雀も汐干かなさる人は病氣をつかふ花見かな花守や夜は汝が八重ざくら袖だけの初花櫻咲にけり朝かほにはげまされたる夏書かな澁柿のしぶ〓〓花になりにけり桑の木は坊主にされてけしの花卯の花や臼の目切と鶯と若葉してまたもにくまれ榎かな門番のほまちのけしの咲にけり卯の花の吉日もちし後架かな大寺は留守の體なり夏木立筍の子に病のなきはなかりけり首だけの水にもそよぐほ麥かな這渡る橋の下よりほとゝぎす蚊の聲になれてすや〓〓寢る子哉夏之部南無あみだどてらの綿よ暇やるぞ人らしく替もかへたり苔衣草庵其門に天窓用心ころもがへふだらくや赤い袷の小順禮永日にかわく間もなし誕生佛雀子もおなじく浴る甘茶かな馬の子が口つん出すや杜若扇にて尺をとらせる牡丹かな葉隱れの赤い李になく小犬一茶發句集
信濃路や上の上にも田うゑ唄身一つすごすとて女やもめの哀はおのが里仕舞てどこへ田うゑ笠住よし唐人も見よや田植の笛太皷稽古笛田はこと〓〓く靑みけり夏山やひとりきげんの女郞花なぐさみに腹を打なり夏の月小むしろや茶釜い中の夏の月短夜に竹の風くせ直りけり起〓〓に慾目引はる靑田かな宵越の豆腐明りに藪蚊かな蚊柱の外にのうなき榎かな蚊いぶもなぐさみになる獨かな晝の蚊を後にかくす佛かな鶯よ老をうつるな草の家まつて居る妻子もないか通し鴨烟して蝙蝠の世もよかりけりあやめめせ武門かやうに靜なり古婆々がかたにかけゝり蛇の衣羽蟻出る迄に目出たき柱かなはげ天窓輪をかけろと行々子年寄の袖としらでやとらが雨豆腐屋が來る晝顏が咲にけり夏の夜や二軒して見る草の花源氏の題にて夕かほや男結の垣にさく手枕や親子三人鵜のかせぎ賑しう鐘の鳴込鵜舟かな鵜のまねをうより上手な子供かな最うひとつ川を越とよ飛螢ゆけ螢とく〓〓人の呼うちに大螢ゆらり〓〓と通りけり我袖を親とたのむか迯ほたる里俗かたつむりをでいろといふ此雨の降にどつちへでいろかな夕やけがよろこばしいか蝸牛山里は馬にかけるも〓水かな初瓜を引とらまいて寢た子かな三日月とひとつ並や冷し瓜あさら井や小魚と並ぶ心太旅やせをめてたがるなり夏座敷夕暮の腮につゝはる扇かな乙松や今年まつりの赤扇小座頭の天窓へかぶる扇かな他の人の見るも耻し夏座敷
まゝつ子や晝寢しごとに蚤拾ふ草の葉や世の中よしと蠅さわぐ山蟬のたもとの中を通りけり松の蟬どこ迄鳴てひるになる涼しさや笠を帆にして煑賣舟四條河原凉風に月をも添て二文かな此月に涼みてのない夜なりけり人形町人形に茶をはこばせて涼み哉門凉人の朝がほ咲にけり拵た露も涼しや門の月江戶住人錢なしは靑草も見ず門すゞみおく信濃に浴して下々も下々下々の下國の凉しさよ裏長屋のつきあたりに住す凉風の曲りくねつて來りけり丘の家や蓮に吹れて夕茶漬萍の花よこい〓〓爺が茶やむだ花にけしきとられて靑瓢團扇はつて先そよがする萍かな關宿舟中神代にもあらじ一夜にこんな酒冷汁や庭の松かげさくら蔭さく花もこの世の蓮は曲りけり萍やうき世の風のいふなりに湖へずり出しけり雪の峰風ばかりでも夕立の夕かな厄病神蠅も負はして流しけり鰐口のくちの奧なり蟬の聲涼しさや土橋の上のたばこ盆さすとても都の蚊なり夕凉ちとの間名所なりけり夕段暑き夜の荷と荷の間に寢たり鳧米直段くつくとさがる暑かな兎角してはした夕立ばかり也夕立や行燈直す小椽先形代をとく吹ふるせ萩すゝき形代にさらば〓〓をする子かな燈籠のやうな花咲御祓かな補遺算盤に肱をもたせて晝寐かな江戶ありて花撫子も賣にけりむだ咄虫に行灯取られけり一茶發句集
板嘉永一茶發句集下秋之部禪に笛つきさして星むかひ哥書や梶のかはりに絲瓜の葉七日の夜只の星さへ見られけりあの月は太郞がのだぞ迎鐘迎火は草のはづれの〓〓かな鼠尾草や水につければ風が吹たのもしやまだ薄暑き三日の月門の月暑がへれば人もへる秋風に歩行て迯るほたるかな秋風や壁のヘマムシヨ入道寢莚や野分を吹かす足のうら霧に眠る目付きして居墓かな白露の玉ふんかくなきりぐ〓す藪むらや灯ろの中にきり〓〓す狩好きの其身にかゝる夜露哉夕やけやかな紅に露しぐれ蕣や一霜添てはつと咲
何事のかぶり〓〓ぞをみなへし寢莚や虱わすれて漸寒き女郎花一夜の風に哀ふる朝寒や垣の茶笊の影法師散芒寒くなるのが目にみゆるうそ寒や蚯蚓の唄も一夜づゝ穗芒やおれか小鬢もともそよぎ膝がしら木曾の夜寒に古びけトうか〓〓と出水に逢ひし木槿かな行燈を畑に置て碪かな萩の末芒のもとや喰祭雨の夜やつい隣りなる小夜砧名月やあてにもせざる壁の穴梟が拍子とるなも小夜きぬた月も月そも〓〓大の月夜かな飯けむり賑ひにけり夕きぬた赤い月是は誰かのじや子供連初雁の三羽も竿となりにけり立な雁住ばどつこも秋の暮小組を呼おろしけり小田の雌芦の穗を蟹がはさんで秋の暮初雁やあてにして來る庵の畠うそ寒や親といふ字を知てから初雁や芒はまねく人は追ふ一茶發句集
柿の實や幾日ころげて麓迄行秋を尾花がさらば〓〓かな冬之部善光寺御堂庭乞食重箱の錢四五文や夕しぐれ雀踏む程は菜もありはつ時雨時雨ねば夜も明ぬなり片山家子を負ふて川越す狙や一時雨時雨るゝや親椀叩く啞乞食靑柴や秤にかゝるはつ時雨御十夜は巾着切も月夜かな我宿の貧乏神も御供せよ初雁もとまるや戀の輕井澤信濃雪ふり田の雁や里の人數はけふも減る山寺や椽の上なる鹿の聲鹿鳴や今二三町遠からば今年米親といふ字を拜みけりことし米我等が小菜も靑みけり乳呑子の風除にたつかゝし哉鍬柄に子僧の名あり菊の花酒臭き黃昏ごろや菊の花菊園や歩行ながらの小酒盛大茸馬糞も時を得たりけり降雨も小はるなりけり知恩院棒先の紙もひら〓〓小春かな人足も霜がれ時や王子道道中仙道霜がれやおれを見掛て鉦叩く小松菜の一文把や今朝の霜一文に一ツ鉦打寒さかな寒さにもなれて歩行や信濃山としかさをうらやまれたる寒かなおのが姿にいふひいき目に見てさへ寒きそぶり哉今日も〓〓只木枯の菜屑かな一茶發句集木枯や行拔路次の上總山楢の葉の朝から散や豆ふ桶掛がねのさても淋しや散木葉鶯の口すぎに來る落葉かな門畑や猫をぢらして飛木葉作らるゝ菊から先へ枯にけり木瓜の株苅つくされて歸花野大根引すてられもせざりけり鶴遊べ葛飾大根今やひく尼寺や二人かゝつて大根引炭竈の空の小隅も浮世哉炭の火や齡のへるもあの通り
大寒や八月ほしきまつの月寒垢離の背中に龍の披露哉町中をよい年をして節季候いくつやら覺えぬ上に年わすれ樫木原に泊りて埋火に桂の鷗開えけり冬籠その夜に聞や山の雨燒穴の日〓〓にふえる紙衣かな鶯や黃色な聲で親を呼こつそりとしてかせぐなりみそさゞい初ゆきや椽から散し上草履はつ雪や古〓見ゆる壁の穴雪舟引や屋根から呼る屆け狀里並に藪の鍛冶屋も祭かな五十にて鰒の味をしる夜かな,とら鰒の顏をつん出す葉陰かな○つひの世の煙りの種となら柴のまがらぬ杖をたれのこしつゝ手をそらし〓〓つゝ活ばなの花の身ぶりを仕るかな時鳥さのみな鳴そ作るべき田はさら〓〓に持ぬ庵ぞ一一茶の連句一茶の連句は三韓人、迹祭、杖の竹の三集で大體どんな調子であるか解るが、頁の都合がついたので獨吟二卷及び三吟、門人の聯作をこゝに揭げる事にした。(晋)しなのぶり獨吟-茶こりよそけへいつけて置けよ御年玉どこの國でか春風のふく引かけてひつさばいては凧張てずんべらぼうにばか長い町ごうせいな噺にふける月の秋そねいに啼くなくつわ蝉見せいかず花火のあがるそれ揚る一茶の連句このけんまくにつけられし文めつぽうに妹のかたは器量がよいうらの田甫で何かさゝやくおやげねへ芝居のあるに雨がふるへいもの葉から露のころげる後の月見つめておなべはじめつゝ新酒の出來にたまげ申したこげたまに船に積こむ今年米それそのぼこにきも燒かせるなわんだれもさうじやぞ花の眞盛げいろも啼けばがにも這出す御笑止なこねへにたんと草の餅
がん丈な柱の見ゆる臺どころあちや一抔とうける盃餓鬼どもがへし折て來る花の枝やみくもに啼く籔のうぐひす日暮の卷獨吟一茶蚤蟬に侮られつゝ日も暮れぬ凉しく見ゆる庭の草花ィ水居風呂の桶の際より月出てことしの綿のはけ口を問ふ初雁にちよろ〓〓川を渡るなり庵の玄關の小綺麗なことまだ生て居ます〓〓と袴着て大佛つくる大淀の雪ちとばに待つてぢヾまつて行くせつなしなてゝのない子をつゝばらみごんぜやくほどなほつのる戀うんぜいに夕立雨がふり出したまつぱだかにてすゞむ椽先おつかなや犬が啼つく夜の道へい賣切つた市のくだものとつときの日傘をさして善光寺ろくに居ながら茶を飮んで出ろ煤じみたはぐろの水に月うつるていの矩縫へいんで寢そべれ米の直をのほづもなく引上てかまけながらも法事勤むる棒の來る酒屋の喧嘩年暮れぬふたり揃ふてかへる粕賣緣結ぶ神の榎の尊くて書つけておくあかつきの夢秋風の隣もおなじ草枕五百が蟲をはなす須磨山鼻先に月は上らせたまひけり洗濯ずれの門の靑石あさ〓〓の朝茶のために花植へて今や非人の鶯も啼く彼岸とてめでたき水も流れけり鳥帽子序に京へいて來るおとゝひの菖蒲の句をよく覺え入相聞けと窓をあてがふ世を忍ぶくすりにもなれ角田川たき火折り〓〓見ゆる乙姫打つけるやうに霰のたばしりて一番鍵のいそぐ松原山寺へ金二包みほうり込みどちのきぬたも古〓でなし月の雪うそ〓〓寒くなるまゝに露の中から下る川船みちのくや最上郡の住よくて鮪もいわしも只五文なり寄り合ふて念佛講の灸をすへ日がな一日花の散るなり
六六附本つく隣並びの店はりて茂助佛が開眼の秋もろこしの芳野も月の廣き世に椎さへあればすまんとぞ思ふ年のよる藥に松葉けぶらせん花やちれ〓〓雪やこん〓〓古すみれ死はづれたる嬉しさは東河內のおひがんの鐘あてなしに翦ゆく鳶の旅衣傘にかくるゝほどの我宿紫陽花もつゝじも文に書込てうそつき初し末の松やま門乞食いかなる人におはしけんかる〓〓と旅笠着れば揚雲雀庄屋の庭に春風ぞ吹くなに袋三喰人も見るや桐の一葉の今日もちる一峨月のほそさにいふ事もなし成美白露のかた山しぐれ壁ぬれて一茶しらぬ小鳥が來てもうなづく峨節季候のかろくすませし浮世也美階子のはしをわたす門川茶へこ牛の狂ひたかりし乳はなれ峨まゝ子の君のあぶらかけたり美けふこそは鍋かぶり日ぞ百合の花茶餅をくわせてかける謎也峨美茶峨美茶峨美茶峨峨美美茶茶峨峨美ころは安元三月の空山吹を湯水にちらす時津風寢て夏をまつ小酒屋のおく淡路舟わらは一人それたのむ藁とはいはずよしと答へし月影や御所の御ふるの茶の袷泊瀨の山霧櫻井の秋摺小木も引板の相手に成果ていとまごひぞと比丘の出らるゝあらしふく黑菎蒻の朝氣色へなつて舟をわたし始る誰かしる花のあちらの隱れ里ちから一ばい雲雀さへづる一茶の連句茶峨木槿集聯吟山川眺望不寒樓に招るゝ夜は九月六日也けり秋おしめ〓〓とか昔松一茶ほの〓〓月のうれしかりけり笹人雁の鳴く川の小隅に〓ふせて魚淵商人ふたり風に吹るゝ程哉梅咲て大事の年の暮さうに五柳豆など洗ふ音のさやけき厭路裏富士はどの窓からも見へるなり雪丸何やら祭る榎一本長皐夕顏の實ならぬ人に思はれて有麥忍び倦だる宵のかやり火菅根聯吟美茶峨美茶峨美茶峨美茶一茶
貧乏町のばか長き哉來澁柿の澁い顔するをかしさよ凉待もせぬのに有明の月可白露の終のけぶりは誰か妻根机にそよ〓〓浮舟の卷休漣のさら〓〓寄せる庭持て月茶を挽く小僧居眠にけり石片照の壬六月中時分茶里の便りさちぎる靑梅淵ふつとして仲の直りし西隣山月法事すぎても米を施す几來初花の烏帽子狩衣おかしくて淵丸小ひ草も春風ぞ吹く執筆風吹ばわかの浦にぞ似たりけり三千可宗祗めかして酒をたをるる舞凉あばら家のはなの先より晝の月文來萩に浴せる洗足の水龜石山霧の世中よしと騷ぐらん二休和尙の蓙に丸書いて置相月ある程の花は一度に咲にけり路雉子追ふ番にあたる夕暮柳來い〓〓と風呂の貝吹く薄霞人山のはづれに見ゆる女盲宿麥御藥を無理にすゝむる南無大悲皐菖蒲のひらく二十八日丸白膜の行燈部屋に風入て峨三千可舞凉文來來凉可根休月石茶淵麥皐丸峨みとり日記一茶稿
みとり日記父の發病より最期まで俳諧寺一茶父の發享和元年四月二十三日起し侍るに、病享和元年四月二十三日いかなればか、淺淺間しき處に、起し侍るに、蓬が下の土となり玉ふ前表ならめと、後に思ひ知りたり。にやありけん、いさゝか心地惱ましうとなんありけるに、は火にさはるが如くなれば、飯をすゝむれども、うつぶき玉ふらんと抱きいかなる惡日急に發熱さかんにして、膚ひと箸も咽へ通らず、こはいかにとたゞ揉み擦るより外はなかりけり。膚飯をすゝむれども、魂を消すといへども、せん術なく、ひとり驚き、せん術なく、藥をすゝむ二十四日晴友垣竹葉の許より、藥を貰ふてすゝめけり。みとり日記六九
容態不良二十五日曇晴病日々に重りて、今日はおも湯も通らず、たゞ賴みとするは、一一づづゝ納るのみなり。終日悶へ苦しみ、もがき玉ふ傍につき添ふことの悲しび、みづから病むより、思ひ增りて悲しかりき。醫師の診察二十六日晴野尻の里迅碩を請待して、診せしむるに脈は裡にしづみて、いはゆる陰性の傷寒なれば、快氣も萬にひとつなるべしと、賴もしげなく言はるゝ。心も轉倒してむげに空しき舟に乘れるが如く、さてしも果てぬ事なれば、無理に藥をすゝめける野尻の叔母泊る。聲低く看經二十八日晴祖師の忌日なりとて、朝とく嗽ぎなどし玉ふに、熱のさはりにもやならんと、止むれども强てとゞまり玉はず。一向に御佛に向ひ、常の如く看經なし玉ふに御聲低う聞ゆるばかり、哀へ玉ふうしろ姿こゝろ細く覺ゆ。父と仙六の爭ひ二十九日父は病の重りたまふにつけ、孤の我身の行末を案じ給ひてんや。いさゝかの所領は、はらからと二つ分けにして與へんとて、苦しき息の下より指圖なし給ふ。先づ田島てふ田と、河原てふところの田を、弟に附屬せんとありけるに、仙六こゝろ仙六一茶の繼母の生める弟なりに染まざりけん、父の仰にそぶく。其日父と仙六、いさかひして事止みぬ。皆、貪慾邪智、諂曲に眼くらみて、かゝる敦圍は起りけり。いかなれば不顧親任他五濁惡世の人界、淺ましき事なりき。この夜は別して脈惡ければ、一人にては心細く、父の心に叶はざる弟なれども、今はの時に至らば、血を分けたる子の事にしあれば、本意なくやあらんと、弟の心を思ひやりて父の傍に寢させつゝ、燈のかげに寢顏をふり向けて父の寢姿を守り居たりけるに、只苦しかる息を空へ向けて吐き玉ふに、見るも心痛ましく、汐の時の直るを便りに漸く安堵の思ひをなしぬ。野尻の醫師の方にあるてふ熊みとり日記
の膽用ゐて見たきとなんの玉ふに、僅一里の巷にしあれど、母は昨日父と爭へる事にしあれば、我れ求めに行きなば看病に心もとなく、弟をやとひて、我身の世にしあれは、なじかは惡ざまに請くべき。さるにても父の怒り玉ふ聲の細り、うたてき有樣な창よべは父に長の別れと思ひしに、今朝は父の責檻に遭ふ事のうれしさは、盲龜の浮木にあへりしもこれにはいかで勝るべき。かくて日もほろ〓〓たけて弟ものら〓〓戾りけり。田植時五月一日空晴れわたりて麥の穗いとおかしげに戰ぎ、百合も俄に紅白の色をあらはし、世の中は田植、早苗取りとひしめき合へるに、常にすこやかなる父の起もし玉はぬ御有樣、はがゆげに見えて哀れなりけり。父の怒り二日變起りて最も苦しび玉ふに、母は例の氣づかはしなるに、折しも夜の五月雨はれ二日て、て、水は草の上越す有樣なるに、仙六いづ地やらんと訊ね玉ふに、今は隱すべきよずがもなく、しか〓〓と答へ侍りける。父は二なくいきまき玉ひ、我に聞ずして、なじかは熊の膽乞ひに走らせしよ。汝迄我を蔑になすとて怒り玉ふ。閨の方よりははのよき折柄とて聲を勵まし、仙六に朝飯もたうべず往なせし一茶の骨盜人よ。弟の腹の空しき思ひ知らずやなど、あたりに人なき如く罵りけるに、我身一つの苦しさ今更すべき術もなく、首を疊にすりつけ手を摺りつゝ、重ねては愼むべしと涙を流して前非を悔みけるに、父の怒りもやゝ靜かになりき。いきみころしみ父の戒は、皆あらかひに見もし見向きもせず、弟は分地の方、父の中よろしからず、いかに腹がはりなりとも、斯く淺ましく挑みあふとは、いはゆる過去敵としも思はれ侍る。父は一茶の夜の目も寢ざるをいとをしみ玉ひ、晝寢して疲れを補へ、出て氣晴しせよ抔、和らかき言葉をかけ玉ふにつけても、母は父へのあたりつれなく、父の一寸のゆがみを咎めて三從の戒を忘る。これも母にうとまるゝ己れが、みとり自記
本意なさと思へども斯る枕元に附き添ふ故に、母は父にまで憂き目を見することの、本意なさと思へども斯る有樣を見捨て、いづ地へやそぶき果つべき。名醫道有を招く三日迅碩は己れが七にては、藥も得屆かざる旨〓げたりけるに、今迄神佛とも賴みし醫師には、斯く見はなさるゝ上は秘方佛力をかり、諸天應護の憐れみを請はんと思へども、宗法なりとて許さず。只手を空うして最期を待つより外は無かりけり。さてしも果じ事なれば、善光寺の醫師道有を招かまほしく頓みに人を走らせけり。いまに玉の〓のあまりも此度は元の人になり給へと、醫師の來るをのみ待ち居たりけるに、日入り果てゝ門々に燈もすころ、やゝ駕籠の見えければとく病人を見せしむるに、迅磧が云へるごとく、萬に一つも此の世の人とは見えずとなん言はるゝ。今は賴む可き綱も切れて、只湯水の咽に通ふを力に夜の明るを待たりけり。初時鳥の訪れ.四日昨日に打替りて顏うるはしく、何ぞ食うべたきなど言はるゝ嬉しさ限りなく、よべの藥のしるしに親の甦りたる心地して、片栗など練りて參らせけるに、椀に三つ四つすゝり込み給ひき。道有も此の趣きにて變の來たらざれば、程なく快氣なるべしとなん言はるゝに、枕に附き添ふ己れも稍安堵の思ひをなしぬ。道有老歸り玉ふに、古間の里まで見送り侍る。雨雲も西へ東へかたづきて、空の樣こよなう珍らしく、時鳥の初音、折得顏に〓げ渡る。この鳥とくに啼きつらんに、父の異例の日より日は日すがら夜は夜すがら、心を空にして、仕へまつれば魂狂ふ事のみにして、聞つるは今日初めての心地なりき。杜鵑我も氣あひのよき日なり凉めよと許しの出たり門の月今日田植日とてゆひしたる人、やとひたる人、家にある人一とせに一度のしつけ日ゆひ信濃の方言にて一〓の人互に仕事を助け合ふことをいふなれば皆出拂ひて、枕元に附添ふは我一人なり。日も壁際に春き、飯時にもならんとみとり日記なり
七六する頃、人の嫌ふ病なれば閨に入れ參らせけり。弟なる男の子言へるは我父も今死したらんにはよき往生なりなど語る。今より後に永らへば、活き過ると言はぬばかりなりき。親は二度逢はるゝものにあらねば、百とせ附添ひたりとも倦きたらまじく、猛き虎も親は喰はず、人の惡む鳥も五十日、親を養ひ過ごすとなん。況て人としてなでふ氣强くも斯る事や言ふべきものかは。さるにても父のいたはしく燈火をかゝげて首を揉み、足を揉みて參らするなり。炭火を煽りつゝ五日藥相應したりければ、しば〓〓參らせたく、炭火煽りつゝ心地よげなる寢姿つらつら守り奉るに、顏色うるはしく脈を伺ふに一つとして不足なければ、十ウに九ツは本服ならめと悅び侍りけり。末に思へば快氣あれかしと、思ふ慾目の見るところなりけり。足もとヘいつ來りしぞ蝸牛もとヘいつ來りしぞ蝸牛父の語る一茶の幼時六日天晴れたれば臥してばかりも退屈にや思召さむと、夜着打疊みて靠りかゝらせ申たりしに、來し方の物語りなど初め玉ひけり。そも〓〓汝は三歲の時より母に後れやゝ長くるにつけても後の母の中睦まじからず。日々魂をいため、夜々心火をもやし心の安き時はなかりき。ふと思ひけるやうは、一所にありなばいつ迄も斯くありなん。一とたび古〓をはなしたらんには、將た慕はしき事もやある可きと、十四歲といふ春遙々の江戶へとは赴かせたりき。あはれ餘所の親は今三とせ四とせ過ぎたらんには、家を任せ、汝にも安堵させ、我等も行末を樂しむべきに、年はも行かぬ瘦骨に荒奉公をさせ、つれなき親とも思ひつらめ。皆是れ宿世の因緣と諦めよや。我も二十四輩に身をなして彼の地に越えて、一度び汝にめぐり逢ひ、相果つるとも汝が手をからんと思ひしに、此度び遙々と來りて、斯る看病を受くるこそ淺からざる緣なれ。此度は往生遂たりとも何の悔みかあらんと、はら〓〓と涙を落し玉ふに、一茶はたゞ打伏してみとり日記
物をも得言はず。夏の雪の消やらず、不二の厚きより厚く、紅のべにより深さ父の恩をつき添ふ事もならで、たゞ浮める雲の如く、東にあるかと思へば西に漂ひ、光陰は坂の上に輪を轉がすが如く、今年二十五年になりぬ。頭は白き霜を頂くまで、親の側を遠ざかりぬる事、五逆罪といふとも是にすぎてんやと、心にふし拜み我れ泪を落しなば、病ひいよいよ重らせ玉ふべきと顏おし拭ひて打笑ひ、させる事心に思ひ玉はではや〓〓快氣なし給へと、藥をすゝめける。やがて健やかになり玉はゞ我れもゝとの彌太郎となり、草刈り、土堀りて心を安んじ、今迄の爲體許させ玉へと言へば、父〓限りなく喜び給ひぬ。梅賣りの聲七日晴仙六は藥を請ひに善光寺に行く。夏の日のつれ〓〓に在しければ、何ぞ食うべたきと問ひ參らせたれども、穀のたぐひしかじかと好み給はねば、梨一ツ參らせたく思へども、みすゞ刈る信濃の不自由なる我里は、靑葉がくれに雪の白じろ殘るばかb、b、野もせ山もせ夏尙寒き風の吹くのみなりき。梅賣る人の聲の門に聞ゆれば、靑梅食うべたきとむつがり玉へど、毒なりと參らせず。あはれいつの日か、毒斷ちのなき人にして見まほしく、掌の物取るごとく、こゝろは矢竹に騒げども、うつら〓〓と首重たげに、見え給ふぞ味氣なきありさまなり。待ち焦るゝ夜明け八日晴田休みなればとて、所緣あるも所緣なきも、聞傳へ語り傳へて、訪ひ來る人も多かりき父が好みものなりとて、酒持て來る人もあり。蕎麥粉持て來るもあり。父は喜ばしげに首を擡げて、手を合せほど〓〓に會釋し給ひき。身後黃金北斗にさゝゆるとも、如じ生前一抔の酒と、唐も大和も人の情等しく、亡き迹にて佛事、供養美々しく盡したらんより、存命の和らぐ言葉には優らじ。今は世下りて他の一寸の歪みは咎めて、己れが一尺のひがみは見えず。よろず後ろめたき勝にて、我身不孝なりと思へる人だになかりき。みとり日記
うけがたき人に生れてなよ竹の直ぐなる道に入るよしもがなこの夜は子一ツの頃より寢られねば夜永うし、まだ夜は明けぬか、鷄の啼かざるかと我に聞き玉ふこと三度、四度、七度、九度に及べども、只星明りのみにして、軒の妻の樅、楓の木かげ其處に彼處に暗く、梟の夜更けを唄うばかりなり。あはれ鷄の空音をつくりて、關の戶を明けし例しはあれど、夜の朗らかなるてふは天のなせる業にして、火を袋に入るる幻術は知らず、入り日を返す勢ひあらねば、只燈火をかゝげて寢顏を守るばかりなり。梨を求めに善光寺へ十日晴頻りに梨の實を食うべたきとむつがり玉へば、此の邊りの所緣あるも無きも親しき限り富たる家、心あたりある門、聞きつくし尋ね探し盡すといへども、ありのみ一ツ貯へたる人としなく、夏さへ淋しき山里なりき。今日はわけてのたまふなれば善光寺へ行かまほしく、曉に支度して門を出けるに、皇月の空もほの〓〓晴れて、白雪ははた山にあるからに、靑葉がくれの花は春を殘して、種蒔の山入など、懷しく時鳥の三聲、一聲もこよなく時めく空なるに、なじかは心晴れぬ曙なりけり。卯の下刻牟禮てふ驛に至るに這はそのかみ、一茶江戶へ赴けるの日、父の翁見送り玉ひし里なもけるが、今は二十四年の昔となりき。川の音坂の影も仄かに心覺えありて、何となく嬉しけれど、人は知らぬ顏のみとなりけり。醫師の家に居ますうちにと、足を早めければ、辰の刻ばかりに善光寺に着く。醫師はまだ朝飯頃と見えて、道有老の聲彼處に聞えければ、とみに病のさまを語りけるに、軈てからかしの匙取りつゝ、御藥合せて玉はりたり。そも〓〓此の地は御佛の淨土にしあれば、肆は軒をあらそひ、幌は風にひるがへり、入る人、出る人、國々より遙々步みを運びて、未來の成佛を願はぬ人なかりき。己れは今日父の命を受けて御藥使ひ將た梨を探しに來つるなれば、此の役濟まざらんうちは、御佛も遙拜して天をかけり。地をくゞりてなりとも、梨一ツ得みとり日記
八二まほしくある程の乾物店、ある程の靑物店を足を空にして駈け巡るに、悲しさは更らに片割れ一ツありといふ人はなかりき。昔、雪中に筍を堀り、氷上に魚を求めしためしもあるに、我梨一ツ得る能はざるは、皇天我を捨て玉ふかや。佛神我を見限り玉ふかや。一世ばかりの不孝にはあらじ、父はさぞ梨を待ち居玉はんや。此のまゝに歸りて父を何と慰めんやと思へば、胸造きふさがりて、忍び落る泪は大道を潤し、往き來の人の狂者と笑はんも恥かしく、暫らく手を組み、首をうなだれて心を沈めける。此の地に無き物いづ地にかぁらん。只一足も早く戾りて、藥ばし進め奉らんと手を空うして、吉田てふ里に來たれるに、木立の山鴉三ツ四ツ我を見ては、聲をたつるに何となく、父の身の上の心にかゝり息もつき敢ず、足を早めしほどに、日影は八つ時といふ頃宿に戾る。父はいつよりも顏うるはしく、笑ひを含み給ふに、梨を得ざりし事を語らば、又や氣色を失なはむ、兎やせんかせんとためらふに、父の聞給へば、ありのまゝを答へ、高田へ參りて尋來り參らすべしと、白雲のよすがも知らぬ根無し言を申して、父を宥め奉りしは本意なき夕べなりけらし。病父の心遣ひ十一日畠の雜役なりとて、人々はみな鎌提げ塊槌もて門を出れば、跡は父と差向ひなり。父はよう眠り玉へば、一茶は藥を煎じながらも、寢顏の蠅を追ひやりつゝ、病顏を守り居るに、父はやがて行末の世の中を語り出し玉ひて宣はく、我、斯くなりつつもつらつら成行を思ふに、此の家の者ども汝と我とは敵のやうに逆ひ、或は罵る。我れ惜しかる命永らふる中は我身にかへて、汝を救へばこそ一日、半時も家に居らるるなれ。我が亡き跡としもならば、いかで彼等に敵し難からん。日々夜々、修羅の苦しみ絕へざらめ。其時、汝、又我遺言も顧みず、鏡の形をうつすよりも明らかなり。生とし生ける者、病難、死苦は遁れ難し。汝足なへ腰かゞまりて故〓に戾りたらんには、家のうから、やからは、さみつるものよと、犬猫よりも淺ましく蔑み罵られたらんには草葉の蔭にでもいかばかり、悲しくやあらむ、口惜しくやあらむと涙をはらみとり日記
はらと落し玉ふに、一茶も隨喜の淚に打ふして、まこと親なればこそ、斯かる孤の不束なる身を憐み玉ふならめと、やゝ顏をあげて、斯る事心に掛け玉はず、此の度は我が命にかへても快氣なさしめむ、疾に快氣なし玉へ。御望み通り我も妻迎へして、御心のまゝに仕へ奉らんと云へば、喜ばしき體に笑ひ玉へり。晝になれば野の人はらはらと內へ戾りけり。厭はしき一家の者十二日病人水を好み玉ふこと頻りなるに、醫師の固く戒めたれば、水を煑かへしてすゝめけるに、水温しとてむつがり玉ふほど、〓の苦しみ然こそありつらめ、然れどもいかでか毒を進め奉るべき。醫師の申したりけること、つれなき事を申すもの哉とてひたすら聞入れ玉はざるにぞ、昨日まで爭かはれし母は毒をも顧みず、井戶の水を天目に三ツ四ツ續けて强らるゝ。これこそまことの〓水なれ、今迄の水は似せ物なりいしくも一茶は我をたばかりける哉とむつがり玉ふ。比干、紂王を諫めて胸を裂かれ奸人國にはびこる時は仁義施し難しとかや。これより水を好み玉ふこと、一日に二升あまりになむありける。枕元に附添ひて目前の非なる事、みす〓〓諫むること能はざるは、是非もなき事どもなりけり。良藥口に苦しと言へども、病に利ある諫言を聞入れ玉はぬはいかにや。毒をすゝむる人には嬉しげに、藥を强る者には惡しざまに思ひ玉ふ。家內、心を一つにして父の本腹を願はゞ、なじかは毒はすゝめらるべき、ならぬ世の中なりけり。酒强ふる邪しま人十三日今朝は別して心好しとて、酒食うべたきと言はるゝに、醫師のいかう止めたれば一雫なりとも全快まではすゝめまじと思ひしに、訪ひける人の曰く、若し死なれたらむに、さまで好まれしを停め申して、後に悔るとも甲斐なからむ、何にまれ、好まるゝものを多くはならずとも、一口二口はすゝめて見むこそ本意なれと言はるゝに、隙を見て魔を入れむと思ふ人、遠耳をそばだてゝ聞居たりしが、今朝は病人の好みとり日記
八六まるゝに任せて、進めよや、進めよやとて進めらる。病人は渡りに舟得しやうに日頃の望み足りぬ顔して呑まるゝ程に、鯨の海を吸ふが如く、朝の間に五合ばかり傾け玉do二十日餘りも穀食うべ玉はぬ病に、斯くあら〓〓しき事をなすは、三歲の兒に聞かせても眉をひそむべきと、一茶ひとり手に汗を握るといへども、二人に敵し難く終に諫むるに難かりき。表には父をいたはると見えて、心には死を喜ぶ人達のいたしざまこそ口惜しけれ。無理いふ病の咎十四日斯くて今朝の顔を見奉るに、昨日なかりし顔の腫みこそ心得ぬ。參らせし酒つら〓〓毒の顏にのぼりたるべしと、倩々五體をうかゞひ見るに、むくみ又倍せり。酒毒を消す藥をがなと思へども、偏地今の間に任せず、兎やせん角やせんと思ふばかりなり。隱すものは見度く、停むる物は食べ度きならひ、又た酒欲しきとなむの玉ひけり。今日は心にそむくとも、固く參らせまじと爭ひけるに、むつがり玉ふ氣色ゞならぬ聲にて、汝醫師にはあらじ、何をか知らむ。昨日のみて障りだきもの、何かは苦しかるべき。延引せずとも早く出せとむつがり玉ふ。今は諫むるに辭なく、然らば碗一ツにと誓ひて參らすに、舌打して飮み玉ふ有樣、も一ツほしげなれども、是におき玉へとすゝめざりき。父の咽をほすやうに傍なる人は言へども、火をもて薪を熾んにする如く.熱に酒もて病を增長さするよりは增りぬ可き。燈影仄かに稱名の聲十五印御顏のさま心に掛れば、夜の明るを待ちて伺ひ奉るに、財帛の邊りいさゝか惡き黑氣あらはれぬ。早く醫師に見せまほしく思へども、五里の道程にして、家內の者承知せざれば、只一人もだゆるとも、蟷螂が斧ふるごとく、無益の論なれば、空しく夜に入りぬ。そも〓〓床づき玉ふ日より、朝夕の看經怠る時なく、つとめ玉ふに今は起臥しもまゝならず、床にありながら、燈火の火の影ほのかに、稱名となへ玉ふ聲の常に變りて聞ゆるこそ何となく心細ければ、早く日經ち玉ふをのみ思へば、夜はとて明けがたく日とて暮れがたきに、晝は來るをわび、夜は明るを願はるゝが、やがて八みとり日記く.
聲の鷄の〓げわたりて、病人のよろこび我も安堵なしぬ。往生をすゝむる人は恨し十六日晴心にかゝるは顏のむくみなり。さりながら訪ふ人のあるが中に、ゑやみは二十日過ぎぬれば氣遣ひなし。斯く日經ちぬれば恙なし、心を確かにいたはれといへる人、又、或る人、枕元に寄り添ひ、往生の大事忘れ玉ふなと念佛をすゝめ。おのれも高々と唱ふる人あり。唯、人の淺ましさには父の本腹疑ひなしと力を添へる人は、詞のつやながらも嬉しく、往生をすゝむる人は、誠かは知らねど恨めし。聖の〓とゞかざる里のならひながら、家内の輩、弟シはじめとして、父は今往生遂げられなば、よき仕舞ひなど囁き合ふ。一人として父の本腹願ふものなし。只、邪見驕慢の咄しのみにして昔老たる姥を捨てけん遺風とも知られたる。痰ころ〓〓と鳴る十七日日々顏のむくみ、又々心にかゝるは痰のころ〓〓となるのみなり。抑も始めよりいさゝか痰の兆ありしが、痰は砂糖にて押へ下して是までは左程の事もなかりしが、今は凡人の力には覺束なしと、野尻の迅磧に消息飛ばして今や遲しと待たりけるに、何のさはりありてや其日は終に來ずなりぬ。折しも五月の短夜なれども每夜に明るを待たるゝ夜半ながら、今宵はわきて醫師の來らざれば明けがたき夜なりけり。斯くて朝飯の頃はいさゝか心安げとなりぬ。砂糖の爭ひ十八日夜明けて聊か快よくや覺すらん。起きて靠りかゝらむとなんの玉ふに、いと嬉しく例の如く夜着打ち重ぬれば、やゝ暫らくはもたれ居給ひけるが息遠しくやありけむ、又橫になり度きとなんの玉ふ。かくするうちに迅磧來りて、とみに父の樣を伺ひて言へらく、脈も宜しく只々むくみと痰一通りなれば、むくみを消す藥與へやるとて、匙とりて直に得さすれば、疾く煎んじすゝむるに相應やしけん。尿の度々下りけみとり日記
九〇50心すくやかになり玉ひけむ、すや〓〓と眠り玉ひけり。一茶は例の御足もみて居たりけるに、父はふと目を覺してのたまはく.汝この度の永々の夜晝の介抱過分なり。深き親子の緣にしあればこそ、斯る時に折り合ふならめ。必らず心勞なりなど思ひて吳れなよと、さめ〓〓とおぼすに、斯く命またくありけるも、皆親の恩にしあれば、十とせ二十とせ斯る病におはすとも、親に對して拙き心ばへを持つべき。心靜かに本腹なし玉へといへば、我も快氣とは思へども一世の重病にあれば、今も知れ難く己れ往生遂げなば、我が申す通り妻して、此の國を遠ざかる事勿れ。死後たりとも背くなと仰すに、斯かる有難き御言葉、天神地祇も御照覽あれば我心の岩木にも、たとへ亡き跡なりとも何かは變じ申すべき。後ろ安く思召せと宥むれば、夜も五更の頃、善光寺に便りあれば、父は砂糖求め度きよし言はるゝに、氣色惡しく起きて、是れ迄の砂糖何程〓〓と價を數へ立て、又砂糖食うべ度き所存かと、死にかゝる人に費へとなりぬればと、又かれこれ爭かひとはなりぬ。這は父の痰の藥にとゝのへたる砂糖を折々父50は吾に食うべよと言はるゝことあれば、吾が食うべると推察して斯く罵らるゝか。づれにもせよ、恐ろしき慾界なり。遂に砂糖を求めずなりぬ。此の夜子一ツの頃より大熱にして、氷水欲しとなんの玉ふ。井戶に汲みに行きなんとすれば、父は童の如く思はるゝにや、其時の仰せに井戶に落つるなゝどゝ〓訓ありければ、母は寢て居たりけるが、それを聞きつけて、こなたの寳の息子さ程にまで愛せらるゝもの哉と、忽ち瞋恚の眼に角を立て、髪の毛は針の如く逆立て、はたと白眼みし目ざし大蛇ともなる可き面ざしなりけり。父の言葉の終り十九日今迄は朝になれば心地好げに笑ひなどし玉ひしが、今朝は湯水も好み王はず顏色の容子も賴みと思ふ色艶も無かりけり。晝過ぎより病變じてもがき玉ふ事もなくこゝを揉め、かしこを叩けとの玉ふこともなく、木の佛を橫になしたる如く、すやすやと眠り玉ふばかりなり。或人の曰く、いやみの神の退き玉ふ時は、三日、四日程はみとり日記
ハ病人は物を食うべず、寢るものにあれば惡しき事にはあらずと言はるゝに、早く快氣を願ふ心よりさせる例しのありてふは父も幸ひ、我も看病の本意を遂げたる心地して後ろ安くぞ思ひける。夜も五更と覺しき頃に人々みな寐靜まり、日頃の疲れに我も暫し寐み、寐みずして物靜かなる折からなるに、父はうるはしく眼をあけ玉ひ、連れて步めと言はるゝ、いづくへは行き玉ふらんと問ひければ、言ふにや及ぶ、至心々經欲生我國と病ひなき時の聲の如く、高らかに唱へ玉ふ。心にかゝる事ばしの玉ふかなと、心に思へども囈言にやあるらんと心を澄まして居たりける。いざ行かん〓〓と頻りにの玉へば、我も起きる眞似して、いざ〓〓と四度、七度、九度ばかり言ひつゞくれば、又、すや〓〓と眠り玉ひき。後に思へば是ぞものゝの玉ひ終り、思へば辭世にてありしなり。窓を照らす月冷やかに熱は次第に盛んにして、朝は淡粉一口ばかりも食うべ玉ひしが、二十日晝頃よりは御顏の氣色の靑々と、眼は半ば塞ぎ玉ひ、物ばしの玉ひ度きやう唇動かし玉ふばかり出る息引く息に痰はころ〓〓と命をせめ、それさへ次第に弱り玉ひ、窓をさし入る日影も、未の步み近づく頃、人の佛も見分け玉はず。よろづ賴み少なき有樣なり。あはれ己れ命にかへて健やかなる父にして見まほしく、是れまで食うべ度きとの玉ふ事ありとも、惡かりなんと戒めしが、今は耆婆、遍鵲が匙も屆かざらむ。諸天善神の力も及ばさらむと、只、念佛を申すより外に賴みは無かりき。寢姿の蠅追ふも今日が限りかな斯くて日も暮れぬれば、枕元の器の水に甲斐なき唇を濡らすばかりなり。二十日の月は窓を照らし、隣々は寐靜まりて、八鷄の聲も遠く聞ゆる頃は、頻りに息通ひも低くなり、始めより心にかゝりし痰はしば〓〓咽を塞ぐ。あはれ迚も叶はざる玉の〓ならば、せめて痰を取りて參らせ度く思へども。華陀にあらざれば、如何なる術も更に支那古代の名醫知らず、只、しほ〓〓と手を空しくして、今はの時を待つのみ。胸の苦しびを天神地みとり日記
祇の憐れみもなく、夜は朗らかに明けかゝり、卯の上刻といへるに眠るが如く息絕させ玉ひたり。あはれ、空しき屍にとり附き、夢ならば早く覺よかし。夢にせよ、現にせよと、闇に燈を失へる心地して、世にたのみなき曙なりけり。悲しき昨日の夢二十一日無常の春の花は風に誘はれて散り、有界の秋の月は、雲にともなつて隱る況んや生者必滅、會者定離の世のならひ、誰しも一度は行く道なれど、父の命の昨日今日と知らざりけるも愚なり。一昨日までは父といどみ爭ひ、いさかひし人達も屍に取りつき、泪はら〓〓と流して、稱名の聲の曇り勝なるは、さしも偕老同穴の契りの未だ盡せざりしとは今こそ思ひ知られたる。法師は鹽崎てふ里にして、行程九里の巷なれば、葬ひは翌二十二日に定めたれども、所緣ある人は訪ひ集ひ、或は紙花をつくりなどして、暫らくは愁を避くるに似たりき。日は片壁に橫たはり、夕べを告る山鴉は西山さして飛び返り、無常の聲の入相は、無常の聲の入相は、皆人々の上に響き、さらでも夕べは悲しきに、集れる人々さへ、大かた我家へ返りければ、常に見る日の影さへも、物足らぬやう思はれて、これさへ悲しびの數とはなりぬ。今宵はまことの名殘と思へば、父の屍に添寢して、香の煙り絕間なる時は、寢姿つく〓〓ながめ奉るに、おとつひの朝笑ひながら、越し方行末の物語りありしが、今日の今は空しき屍と變じ給へば、おとつひの笑ひ顔が逢ひ納めなりき。是れまで惱みおはせる折は、朝はいさゝか快よければ五月の短夜も、父は明るを待兼ね玉ひ、我も父の御顏を見る嬉しさに鐘を恨み、鷄を罵りて夜明をのみ待ち居たりしが、今夜の明方が一世の別れ、翌日の悲しびはいかならんと思へば、胸もふさがり魂つぶれて、人なき國にしあれば、聲を限りに泣くべきを、さらでも誰はゞからぬ紅涙は、眼にさへぎつて眠られず、只死顏を守り居たりける。今迄長じて思ひし夜の今宵は、はら〓〓と明けにけり。葬りの日みとり日記はら〓〓りの日
九六二十二日親しき人は寄り集ひ、憂れたき屍は棺に納めて今は亡しき佛さへ、後の噂となりにけり。うたてかりきの世のありさまなりき。あはれ我は此の家の惣領と生れながら、如何なる過し世の緣あればや、親に付き添ひ仕へ奉らん事叶はず、然りといへども博奕、遊〓を好み、親の財寶を損じたるにもあらざるに、前世に世 讒したるむくひに、天より拙き性を下し玉ふにやあらむ。一寸の孝を盡さんとすれば、直に一尺の魔のそねみにあひ、小鹿の角の束の間も、家の治まる時しなかりき。父は我を一度、故〓を遠ざくるに如くはあらじと思はれけむ。十四歲の春の曉しほ〓〓家を出し時父は牟禮まで送り玉ひ、毒なる物は食うべなよ、人に惡しざまに思はれな。頓みに歸りて健かなる顔を、再び父に見せよやとて、最も懇ろなき言の葉に、思はず泪浮みしが未練な心ばし起りなば、連れなる人に笑はれむかと、父に弱き足を見せじと、無理に勇みて別れけり。而してより此の方、我は諸國渡らひを業として、東は松島象潟の月に吟び、西は吉野、小初瀨の花にうそぶき、念々不住猶電光、我も頭に霜を頂くまで、あるとある山々浦々を宿として、日を送る境界にて、若しはゝき木のあるにもあらぬ山の奧のうもれ木の道知らぬ里にしあらば、父の期日は夢にも知らじ、此の度不思議にも巡り來て、病の始め終り守るてふは、緣の綱のまだ切れずやあらむ。千早振る諏訪の御神の引合せにやと、是れのみ生前の面目なりき。今日申の刻ばかりに、木々の村雨しらばく晴れて、草の雫に夕日うすづく頃、やう〓〓鹽崎の導師來り玉ひて、今は野送りの時とはなりぬ。父のちなみの女どもは、白きいろてふ木綿をかつぎ、徑はいとゞ露けきに、夏蟬の音をのみ啼きて思ひを晴らし、我は山吹のいはぬ色なる悲しびを隱さむとすれど、泪は忍ぶによすがなく、道も遠からねば、棺草の高みにすえて、香をひねる手の力さへ、夢うつゝのやう覺えける。導師の願以斯功德と共に、棺は煙となりにけり。有爲轉變のありさまなり。俤に立ち添ふ影二十三日曉、灰よせなりとて、おの〓〓卯つ木の箸折りて仇し野に向ふ。今朝は、みとり日記今朝は、俤
の煙りさへ消へて、只誠なるは松風の凄々として、吹くのみなり。三日の夕べは逢ふて杯を頂き、今朝の曉は別れ悲しき白骨を拾ふ。喜怒哀樂あざなへる繩の如し。逢ふは別るゝ世の中、今更驚くべき事にあらねど、今までは父を賴みに、故〓へは來つれど今より後は誰を力にながらふ可き、心を引かさるゝ妻子もなく、する墨の身の境界も只きれ難きは玉の〓なりき。生殘る我にかるや草の露晝は人々より集ひ、力を添へての物語りに、しばし悲しびを忘るゝに似たり。夜は人々も大方にもどりて、ともし火の明るきにつけても、病床の邊りのなつかしく、白地に寢玉ひし父の目覺るを待つ心地して、なやみ玉ふ顏は目を離れず呼び玉ふ聲は、耳の底に殘りてまどろめば夢に見え、覺れば俤に立ち添ふ。夜な〓〓にかまけられたる蚤蚊哉行く水は再びかへらず、石の火は元の石にかへらず、八千度悔ゆるとも甲斐なき事にしあれど、賴みと思ふ緣りも皆かれ果てゝ知らぬ國へひとり放されし如く、便りなき孤の一茶が心、只々哀れ心細く思はるゝのみなりき。父ありて曙見たし二十八日初七日なれば父の在ぞかりける時、我に妻迎へして止めよと。人にも言ひ己れにも戒められしが、ある人の中に聞かぬ振りに、空耳したる人ありけり。ことに六慾兼備の輩遺言を守らせなば、顏亦め合ふ事の本意なければ、又元の雪水となりて如何なる岩木のはざまなりとも、身をひそめ風をいとひ、雨を凌がむにも.する墨の身ひとつ、何のばちか當るべき、しかあれど石ながらも、打たねば火を生せず、破れたる鐘もたゝけば、響くは天地自然のことはりなり。否や返事なきに無下に家出せむも、亡父の心にそぶくかと、しめ野分るを談じあひけるに、父の遺言守るとありけれは、母家の人の指圖に任せて其夜は止みぬ。父ありて曙見たし靑田面ーをはりーみとり日記便りなり靑田面ーをはりー
茶俳文選
茶俳文選八歲にして人の母下總國相馬郡ふぢしろの里に百姓忠藏といふものあり。朝夕のけふりも糸筋の心ぼそくくらして、夫婦人に雇れて、老母のこゝろをなぐさめける。其中に娘ひとりもたりける。貧家のならひ子守といふものもなくて、土べたに這ひ廻りて、草花をとらへてあはゝをならひ、鳴子の拍子に、てうちく~眞眞て、そよ吹風の草木を友に育けるがことし八ツになんなりける何にあやかりけん其娘常ならぬ身となりて、かりそめのなやみもなく、九月三日といふに彼桃太郞のやうなる、くり〓〓したるおのこをなんうみたりける。しかして其日より乳の出ること、屏口の柄拔たらむやうに、莚の外までとばしる物から、父はゝのよろこびはさら也、界隈の者も打群て、いまだ井筒のたけにもたらで、かゝる愛度ためしは今、世にくらべるものあらじ。永祿の昔を目の前に茶俳文選
見る事よと、とりはやしつゝ村よりむらに咄つぎ、いひふらしければ、やがて傾主きィ男子こしめして、其赤子の名をつけ下さるゝとなん沙汰しはべる。かゝりしものから野もせ山もせ、その噂ひろごりて誰しらぬといふ者もなく、人に人かさなりて、其家尋訪ふものから、祝におこせるうぶ衣、または百もん或は二百あるは五十ばかりのおひねりイ本といふもの、雪の降たるやうに積み累ねて)所〓〓に山をなせり。二親久しき貧の病も忽に忘れて、イ老母を今はころの儘に老母を養ひけり。實にく此家のまづしざすくはん述救世觀音かれが子と現じ給ふにや。是をおもへば、切る竹の節每に黃金のほろ〓〓こぼれ出しといふ古き物語も、さら〓〓いつはりにはあらざるべし。イ本是れうきたる說にあらず、市川の月船といふもの、きのふわざ〓〓見にまかりけるに、その娘、露ほどもはづかしき氣色なく、手あそびの偶人などうみたるやうに人々に見せけるとぞ下總國相馬郡土浦丸ニューチームチーチケーブ藤代驛下町百姓久右衛門死去その娘、露ほどもは死去忰妻母娘忠よ藏の申卅九三十五十七八才かな文化二年丑五月十一日生文化二年丑五月十一日生娘とや八九月三口生久太郞此久太郞は領主より下され候名なりとぞ文化九年九月廿八日認斗圓編「一茶翁文通」と九月三口生みゝつ貝の話上總國富津の浦にみゝつ貝と云かひ有ける。日々いく舟となくとりて、老若男女群りて、小刀やうの物にてなかの實をにりて、石なこの玉のやうに乾かためて、唐の問屋一茶俳文選
とやらむに送りけるとぞ、その売そこら散らばひ有ける。赤きはつゝじの咲亂たるがごとく、白きは梅の吹ちるにひとしく、ほと〓〓霞棚引春の山邊ににたり。此等の適木曾山の片邊りなどに持つたひたるをみるに、ひとつ〓〓綿につゝみ、ふかくひめ署て.假初の戯には箱開く事なく、ひゝなの日または晴々敷祭樣の時、いざ取出して手鹽皿といふ物になして、賓客をもてなすの第一の器とす。しかるに此所にてはこの壱のせんすべなく、境目〓〓の垣際に富士のやうにつみて、折々のあらしに吹へらす時を待ち、或は大道に引ちらして牛馬の蹄にふみくだかしむ。是全くひとつの物ながら山奥にては寶と尊とみ、海邊にては芥と賤しむ。げに〓〓崑山の麓には玉をもて鳥に投うち、彭蠡の濱には魚をもて犬を養ふとかや、是をおもへば三千世界の中には、黃金の捨塲に持あぐむ國もなどかあらざらん。金がふる〓〓てふ白雨をはら〓〓海へ捨るむら雲一茶斗固編「一茶翁文通」坊ぬけ落ちたる齒を見て十六日の晝ごろ、きせるの中塞りてければ、麥わらのやうに竹をけづりて、さし入置イ本たりけるに、中につまりてふつにぬけず。竹の先わづかに爪のかゝる程なれば、(せん)すべきやうなく、欠殘たるおく齒にて、しかと咥へて引たりけるに、竹は拔ずして齒はめり〓〓とぬけ落ぬ。あはれ、あが佛とたのみたる齒なりけるに、さうなきあやまちせしもの哉。釘ぬくものにてせば、力もいらず、すら〓〓とぬけぬべきを、人の手かる事のむづかしく、しかなせる也。此寺は廿年あまり折ふしやどりて、物ごとよそよそしくはあらねど、それさへ心のまゝたらぬ物から、かゝる憂き目に逢ぬ。ましてイ夜通し四十よ年の草枕、狼ふす草をかたしきて、終夜魂消るおそれをしのび、あらし吹舟にー茶俳文選
一〇六やどして、底の藻屑に身を浸すうきめをしのぎ、たま〓〓花咲く春にあひては、いささか、うれひを忘るゝに似たれど、ほと〓〓露ちる秋の行末をかなしむ。重荷負ひて休ふごとく、たのしびのうちに、くるしみ先立る其折〓〓のおのれをしらず、齡のひたイ今ものちゞまり行事を、けふ片われの齒を見るにつけつゝ思ひしられぬ。いつの日か、むしろ一枚も、我家といひて人に一飯施さるゝ身となりなば、是則安養世界なるべし。しは聲によべども〓〓ほたる火のしらぬ貌してつい走るかなかり〓〓と竹かじりけりきり〓〓す茶斗間編「一茶翁文通」身に添ふ寒さ上野の麓蝸牛のから家かりて、露の間の夢むすび所とす。きのふあたり住倦たる人のなせるわざにや、垣の蕣のそれなりに枯て、其實はほろ〓〓と落たり。いく人の泪をかけし果とも思れて、秋にたち增りて、土をならして菜のやうなるもの蒔置けるが、雪の片隅にほや〓〓と靑みぬ。是必愛度春を迎へて、餅いはふべき旦の料ならんか。壁は七福即生の守り張重て、盜人の輩を防ぎ、竈は大根注連といふものを引はへて回祿を迯んとす。荒神松はいまだ、野の色ながら横さまにこけたり。皆たゞ行末いつ迄か住果んあらましぞと見ゆるも、今は雲にや迹をくらましけん、山にや影をかくしけん。すべていづこか、つひの栖ならん。かくいふ我もしばしが程に、又、人にかくいはれんことをおもふのみ。身に添や前の主の寒迄前の主の寒迄「一茶發句集」一茶俳文選
なつかしの樂書や八月二十九日善光寺詣本堂の柱に長崎の舊友たれかれ、八月二十八日詣るとしるしてありけるに、今は三十年餘りの昔ならん。おのれ彼地にとヾまりて、一ツ鍋のもの喰ひて、笑ひのゝしりむつまじきノ達なり。あはれきのふ參りたらんには面會して、こしかた語りて心なぐさまんものを、互ひに四百餘里の道程へだゝりぬれば、ふたゝび此世には逢ひがたき齡にしあれば、しきりにしたはしくなつかしくなむ。近づきの樂書見へて秋の暮の暮「一茶發句集」因業婆を憎む上總國百首の〓は東南に山連り、西北にうみ開けて、防人の備へに究竟の地なりとて、此夏、陣屋いとなむ繩張といふこと有。其畠の瘤のやうにさし出て妨なる小家あり。主と見へて翌をもしらぬ老婆ひとり、麻をうみて居たりけるを、奉行人深く憐みて汝、子ありやといへば、老婆いふ。をのこひとりもちたりけるが、いつ〓〓のとし古〓をよ所にふり捨て、今は江戶の本所とやらんに、人の髪ゆふわざをなすよし、風のたよりに聞侍る。とばかり、泪はらひ〓〓こたふ。さあらば其男呼返すべし、よろしき替地にかひ〓〓しき家をあたへん。しかのみならず、其男には永く髪結司のゆるし文とらせて、汝には生涯二人ふちといふを申下して、身をやすくすぐさせん。あさ絲の細き稼ひをやめて、遲々たる春の日にちりかふ花に無常を親じ、凄々たる秋の夜にはかたぶく月に西方をねがひ、明暮心任せに菩薩の種を蒔なば、なんぼうたのしからん、汝が此家このかまへのさはりになるこそ、天より汝に幸ひ下し給ふなれ。とく爰をしりぞき、あしこにうつれよといふに、老婆むく〓〓はらだゝしきふりし一茶俳文選り。
一一〇て、灯心つかねたらんやうなる首打ふり〓〓いふやう、よくもあざむき給ふものかな。是はわらはが先祖よりいく世ともなく住ふるして、大事の〓〓栖なれば、たとへ黃金星にとゞく程給るとも、我目には一椀の麥飯にしかずとこそ思ひ候へ。たゞ〓〓此はにふの小屋こそ、さうなき寶なれ。よしや命斷るとも外へは行かじと、手すり足すり貝を作りて、なかぬばかりに申せば、奉行人の慈悲も今は施すべきよすがなく、老婆、のちになくひそ、と、ふたゝび繩ばりしてつひに其家をよきて地とりなりぬ。あはれ、月日の照らすかぎり、露霜のおつる所に生とし活るもの、たれか國命そむき奉らん、しぶときをこの者にぞありける。月さへもそしられ給ふタ凉みし給ふタ凉み文政板「一茶發句集」可相手の五元集けふは町隣なる麻美と前の日より約し置けるに、かれさはりありてやみぬ。さはとて翌の命侍ものかはと、たゞ獨來たりしに幸、懷に五元集といふものゝあれば。是其角の句集なり究竟の句相手なり。小坊主や親の供して山櫻や親の供して山櫻「一茶發句集」絲竹の聲十娘の舞ひ湯のある處は山かげながら、絲竹の聲常にして、老の心も浮き立ちて、さながら仙窟に入りしも、斯くやあらんと覺ゆ。十娘五雛の舞ひ、遊女、くゞつの聲、時ならぬ花の咲く心地す。彼の上人が、菩薩と見たまふも宜なる哉。此樓に上れば一時に衆苦を忘るゝ、不思議の別世界なりけり。三絃の撥で掃きやる霰かな一茶俳文選きやる霰かな
あなたうと御佛の結緣山下常樂院に人々こぞりて尊む佛おはしけるが、ことし千百年の供養なりとて、讀經いと殊勝也かくふつゝかなるおのれさへ、すぐせの結緣うすからざるにや。かゝる時に生れ逢ふことのうれしく、しばらく隨喜の泪を拭ひぬ。そのかみ其角、六あみだかけて鳴らん時鳥、とありしもけふのやうなる折にやあらん、是さへ今は百とせのかたみと成りぬ。かくいふけふもいつか又昔とならん、されど我後の世をたのみおく軒ばの梅さへ持ぬ境界、御佛、必見捨給ふなよ。花桶に蝶も聞かよ-大事讀もよ-大事文政版「一茶發句集」角田堤の春色閏二月二十九日といふ日、雨も漸おこたりぬれば、朝とく頭陀袋、首にかけて、足ついで例の角田堤にかゝる。東はほの〓〓しらみたれど、小藪小家はいまだ闇かりき。しかるに上のならせ給ふにや、川のおもてに天地丸、赤〓〓とうかめて、田中は新に道を作り、みぞ堀はこと〓〓く板をわたして、おの〓〓御遊を待と見へたり。誠に無心の草木にいたる迄、春風に伏しつゝ、めでたき御代をあふぐとぞ覺へ侍る。五百崎や御舟をかんで歸る雁る「一茶發句集」いたましの石太郞よ女子と小人はやしなひがたし。遠ざくれば妬み、近づくれば不遜迚、さすがの聖人溜息してあぐみ玉ふと見へたり。まして末世においてをや。老妻菊女といふもの、片葉の芦の片意地强く、おのが身のたしなみになるべきことを、人の〓れば、うはの空吹茶俳文選
一一四風のやかましとのみ、露〓〓守らざる物から、小兒二人ともに非業の命うしなひぬ。この夏は三度目に當れば、又前の通りならんと、いとゞ不便さに盤石の立るに等しく、雨風さへことゝもせずして、母に押つぶさるゝ事なく、したゝか長壽せよと.赤子を石太郎となん呼りける。母にしめしていふ。此さゞれ石百日あまりも經て、百貫目のかた石となる迄、必よ、背に負ふ事なかれと、日に千度いましめけるを、いかゞしたりけん、生れて九十六日といふ、けふ朝とく脊おひて負ひ殺しぬ。あはれ、今迄うれしげに笑ひたるも手のうら返さぬうち、若〓〓しき死貌を見るとは、思へば石と祝したるは、あたし野の墓印にぞありける。かく災ひにわざはひ累ぬるは、いかなるすぐせの業因にや惡い夢のみ當りけり嗚(烏い夢のみ當りけりかゞみ開さの餅祝して居へたるがいまだけぶりの立けるを嗚(烏最う一度せ一七日墓詣炎や目めて目を明け雜煮膳陽炎や目につきまとふ笑ひ顏五十九齡文政四年正月十七日捻香-行水の迹へもとらぬくやみとはしりつゝ泪ながれつるかなむごらしやかはひやとのみ思ひ寢の眠る隙さへ夢に見へつゝにつ茶「一茶遺墨鑑」みなかくの通り布施東海寺に詣けるに、一茶俳文選鷄どもの迹をしたひぬることの不便さに、門前の家により一一五
て、米一合ばかり買ひて、菫、蒲公のほとりにちらしけるを、やがて仲間喧嘩をいく所にも始たり。其うち木末より、鳩、雀、はら〓〓とび來りて、心しづかにくらひつゝ、鷄の來る時には、はやくもとの梢に逃きりぬ。鳩雀は蹴合の長かれかしとや思ふらん、士、農エ、商其外さま〓〓の稼ひ、みなかくの通り。米蒔も罪ぞよ鷄がけ合ぞよ一茶よ一一茶「一茶遺墨鑑」逆道を行ふ浮世者牛盜人と見らるゝとも、浮世者の行迹すべからずとは、尊き〓へなるを、ば盜人にもあらざるにもあらず、といふ、賊心の上ル肩衣もて粧ひつゝ、のみ行ふを浮世者とはいふ、にが〓〓しき處がらなりけり。春風の底意地寒し信濃山いかなれ專ら逆道山はせを翁の法力泊船集に夜着一つ祈り出したる寒さ哉夜着一ツ祈り出したるは、はせを翁の旅寢にして、おのれさせる法力あらざるに、幸なる哉、三子よりふくらかなる一衣のめぐみに、玄冬の烈風を防ぎて、さながら春の心ちになん。はっ雪や正月ものヽ着そ始一茶雪や正月ものヽ着そ始一一茶「一茶遺墨鑑」よるもさはるも茨の花柱ともたれし、なぬし喜左衞門といふ人に、あが佛の書一紙、いつはりとられしものから、魚の水に放れ、盲の杖もがれし心ちして、たのむ木陰も雨降れば、一夜やどるよすがもなく、六十里來りて墓より直に又、六十里の外の東へふみ出しぬ。一茶俳文選
に、茶店が竈のところ〓〓に雨ざれて、木母寺の花は大かた靑葉にうつりて、老其ぬ連れにば我櫻もあもる寒ぞい僅に暮春のありさまを殘せり。念佛の聲もなく、よばすかがりれゆきゝの人もまれ〓〓なる哉花がはぬ梅のそれとは、の操守りて、るに、と石にゑりつけぬ。の寶壽山長命寺に參る。はづかしやはづかしや蝶は暮れ思ひきや笄はさらなり、下總に杖促さんとする折から、をしの衾のむつましからんと思ひやられて、すべて女は髪のかざり。なつかしく覺えける。塚有、「西行に雨の宿かせ時鳥」蝶はひら〓〓常夫の名をさへ長く弘んとは。春の名殘り棄がたく、行衣の粧ひにのみ、春ひもがな亡夫左茗として、三巡りの堤にかゝりて、んきかすみがくれの櫻、世にあるうちも必、心を勞するは常なりけ闇にま松柏妻妙葩建之抦御佛の鬼の、虱をひねりつぶさんことのいたはしく、我味母にあてがひたまふものを、の柘榴に這は又門に捨て、すふと思出して、虱か斷食さするも見るに忍ざる折な古一茶俳文選〓虱をいたはる雨の木は寺亡夫を慕ふ貞婦やよ櫻もるももさはいよるもひも茨りがなのんきな花「一茶遺墨鑑」まゝ子一茶
一二〇しぶ〓〓十二文の寄進きのふよりの雨に烏川留る。かゝることのおそれを思へばこそ、彼是日を費して首途はしつれ。今は中々災ひの日をよりたるやうなり道急ぐ心も折て、日は斜ならざれど、新町高瀨屋五兵衛に泊、雨の疲れにすや〓〓寢たりけるに、夜五更のころ、專福寺とふとく染なしたる提燈てらして、枕おどろかして、いふやう、爰のかんな川に燈籠立てゝ、夜のゆきゝを助けんことを願ふ。全く少きをいとはず、施主に連れとかたる。かく並々ならぬ、うき旅一人見おとしたらん迚、さのみぼさちのとがめ給ふにもあらじ、ゆるし給へと、わぶれどせちにせがむ。さながら罪ありて、閻王の前に蹲るも、かくやあらんと思ふ、十二文きしんす。手枕や小言うても來る螢迹へかへらんとすれば、神奈川の橋なく、前へ進んと思へば烏川舟なし。たゞ籠鳥も、も來る螢前へ進んと思へば烏川舟なし。たゞ籠鳥の空を覗ふばかり也。とぶ螢山伏がうはの氣に空喰呼ぬしたりけやら行り螢闇きに迷ひて御佛は曉の星の光りに、四十九年の非をさとり給ふとかや。あら凡夫のおのれごとき五十九年が間、闇きよりくらきに迷ひて、はるかに照す月影さへ、たのむ程の力なく、たま〓〓非を改めんとすれば、暗々然として盲の書を讀み、蹇の踊らんとするに等しく、ます〓〓迷ひにまよひを重ねぬ。げに〓〓諺にいふ通り、愚につける藥もあらざれば、なほ行末も愚にして、愚のかはらぬ世を經べきことを願ふのみ。まん六の春となりなりけり門の雪さればこそろくな春なれ門の雪一茶俳文還
疫病ばらひ丑刻鳥川舟通上野國安中の門々、時ならぬ松かざり、注連引はへて騒ぐ、所の人に問へば、是よb信濃かけて、皆々疫になやみて、麻を倒すやうに伏し、霜の消るごとく失ぬるものから、かく祭して、今より後あらぶる心ましますなと、神をなだめ奉るといふ。げにげにけふの哀は、翌の我身に及んもはかりがたけれど、しばらくやうかはりて、初春の心ちしはべる。正月は似せてもよいぞ時鳥なでしこの正月いたせ郭公汝らもとしとり直せ時鳥せのてもよいた直ぞせ時郭時鳥公鳥正月いらもとしとりせ破落戶を憫む博奕を常の產として、世渡る者八人、鹿島屋三五右衛門にやどりを定め、より〓〓出て野の木陰、道のかたはら、蓙一枚の陣をかまへ、ゆきゝの旅客を泣かせしとかや。ある日長吏北右衛門といふ者、見とがめけるを、さま〓〓打擲して追もどしぬ。長吏なにかは等閑にすべき、界隈の穢多者ばかり、手毎に六尺棒を提つゝ、けふ巳刻ばかり柏原の出口々々を、屏風立たらんやうにして待うけたり。さすがの曲者ども、鳥にあらざれば逃るべき術もなく、こゝを最後とや思ひけん。おのおの刄ぬきかざして、しばしが程たゝかひけるが、たのむ刄も打落れて、鷹に追るゝ鳥のやうに、山を越えて逃るも有.藪に添て隱るゝもあり、こなたは得たりと、目を皿にしてはせ廻り、終に三人繩かけたり。忽野分の迹のごとくしづまりて、古間里宮の下なる榎、或は杉に一人づゝ木高く縛り上て、木石をなぶるに等しく、鐵尺振て責たゝく。血は流れて草-茶俳文選
を染め、聲は枯て狙におなじく、長吏は酒をすゝり〓〓笑のゝしりて賀ふ。是過し日會稽の耻を洗ふと見えたり。抑かれらが境界、かゝるうきめも馴つらん、諸人に面をさらして、露程のはづかしき氣色も見えず。又、其罪消えて後、いくばくのたのしみなすかと思へば、晝夜臂を張り、眼をいからして、魂をくるしむるのみ。餘所目には、一日の命保つべくも覺えず、されど心をやしなふ折もあるにや、でく〓〓ふとりてにく〓〓しき有さまなり。何事もなむあみだ佛閑古鳥もむあみだ佛閑古鳥川に沈むる亡きがら掬斗夢屍らしきものに、荒綱つけて川に入る兒有。是は一茶が亡きがらなれば、しか〓〓せよと、なにかは、かゝる拙き遊びすと問へば源藏の老婆がいひし也。我々のわざくれならずと答る時、曉の鳥かまびすく、門の蚊柱きえ〓〓に、夢は迹なくさめけるとや。げに〓〓我たま〓〓古〓に歸りて、二夜とも伏さず。又漂泊の身となりて、野を枕、草を敷寢として、南北洋ふ物から、友垣の眞心より、かゝる夢を見るなるべし。さはいへ、昔をはかせに占せたる、ためしもあれば、そゞろにおそろしく覺え侍る。曉の夢をはめなん時鳥李の木に小角豆實る善光寺毘沙門室の片原に、李の木ありけり。朶の間々に、長さ二寸程なる小角豆、四房七房いとうつくしく實入りぬ所がら佛のなし給ぶ、といふもことわりなり。是を思へば、末世とばかり見おとしがたく、此すゑ龜の齡をかりて、黃金花咲く時にあはんなど、かたり逢へるも、何となくなつかしく、昔の御代の心ちし侍る。山の木や來んどなるなら小豆餅一茶俳文選
鳥海山埋沒さきつ年の大なひに、鳥海山はくづれて海を埋め、蚶滿寺はゆりこみ、りぬ。さすが名どころも事ごとに、うらむが如くなりけり。象潟の缺をつかんて鳴千鳥沼田とかはんて鳥落雷人を殺す去八日申の刻ばかり、俄におどろ〓〓しき雲、覆ひかゝりて、夜のごとくに闇く、大雨石を蒔き、電り及を散らすいきほひなれば、ゆきゝの人は命たすけ給へと、木陰に便るも有、庇下に佇むも有、家にある者も、心からして桑原を唱へ、香を捻りて念佛申しつゝ、つゝしみけるに、程なく雨晴れて、東方に虹立、木末に蟬鳴て拭ひとりたるやうなる晴天とはなれりけり。しかるに鳴神下りて、吾妻橋のはし杭に爪迹三つ四つ殘し、又一つは下平井村田中に落て、所の人權四郎とかやいへる者を打くだき、なほ荒たらぬにや、そこらかけ廻り、稻葉のたぐひめり〓〓やきて、其災螽に及ぶ。げに〓〓七月七日品川妓婦店に落ぬるなど、餘所吹風になして、さらに尤と思ざりしが、今日目の前にして見るとは、おしごとならぬ天變なりけり。雷の焦し給ひぬ女郞花「側に立けりひ左官龜次郞の神通力としま町なる、うら家に住る壁の大工といふ者、七月の頃より、金毘羅の咒文唱へて、あらゆる望み叶へるとかや。町々の風聞たゞならず、けぶ見にまかりけるに、噂にたがはず、一心不亂に-て賽なす有、素足參りする有右、左、板壁にて僅三尺にたらぬ通路を、文七が元結こくやうに、尾花の風に亂れあひつゝ、行かひの男女たえさりき。おのおのすみやかに、寳を招き、忽ら病苦逃るゝを願ふなるべし。抑かゝるわ一茶俳文選一二七りき。
ざは、かしこき聖の鈴打ふりて、神をいさめ、尊き聖の珠數をしもみて、佛をたのみてこそ、炎天に雨ふり、枯木に花咲き、恐ろしき障礙も放るべく覺ゆ。されどしかじかの行ひは、供物のれうたやすからず、貧しき者は高山の雲、海底の玉と及ばぬとのみ、見なして、思ひ止ぬる物から、かりそめに手のとゞく賤しき人々、秘法さづけ給ふは、げに〓〓和光同塵の御心ならん。月花や抑是は白露をかに是なる俗行者左官龜次郞改金井左門と云、後九月七日比丘尼町へ遷座して、吉田殿配下坂本安房とよぶ。吉田殿配下坂本安房株番の序我らがたま〓〓練出せる發句といふものも、みづから新しきと誇れば、人は古しとあざけり、再びよく〓〓見れば、人の沙汰する通り、いかにも古くほと〓〓おのが心にもうんじ果て、三日許りも口を閉れば、よし汝は汝をせよ、我はもとの株番。おのれやれ今や五是亦木偶人の如く、へんてつもなく、よし五十の花の春茶稻を負ふ馬田川の舟を渡りて、高岡の北通り、金江津を川北になして行く。日ごろ時雨にぬかるみおほく、一足のあたる所は、帶の廣さ程なる片つきぬ。しかるに、口とりなき馬のしたゝか稻を負て、三四疋とろ〓〓來かゝるに、せんすべなく猶豫ひける。先に立たる馬のがぶ〓〓泥の中へよけてゆく迹の馬も引つゞきて、かたのごとくなして、又もとの道に出て、ゆさ〓〓と急ぎける。彼は重荷を負たれば、身じろぎ自由ならず我は頭陀袋一つ、いか樣にも片脇へよりてこそ、本意なるべけれ。馬の心に無法者とや思ひたらん。あまり不便さに堤に休らひ見おくりければ、しばらくしてかへりて、一茶俳文選
主をよびつゝ草はみてイむ。やがて刈穂をそれ〓〓にゆひつけて、人に物いふやうに追立れば、聞分て家の方へ歩み出しぬ。田の人に問へば、けふも今九ツ時迄に、七度かくして通ひけるとなんかたる。おのれ、人には常の產となすべき事もしらず、人の情にてながらふるは、物いはぬちくるゐに、はづかしき境界なり。ちる木の葉渡世念佛通りけりり盲人突刺さる二十四日、晴霜零、此夜西の下刻ばかり、おのれ住める相生町五丁目にて、按摩ひねりの盲人を、何者とも知らず、鍵もてしたかゝに突通して逃云る。あはやと町の人人、打寄ていづこの者ぞ、と問へば息の下より、僅に横綱の者ぞと、言ひもあへず息絕たり。そも〓〓此春よりかゝる稀有の事、まれ〓〓あるよし、風の吹やうに聞侍りしに、今日前に見ることのおそろしく、いとをしく、かなしく、にが〓〓しく、あはかなしく、れなみ〓〓の人ならましかば、曲者引捕へもすべきに、其身は目くらければ、闇の鳥の網に入り、流れの魚の毒にあへるがごとく、思ひがけぬ命うしなひけるよ、と見知らぬ者も袂を絞りぬ。是寶を奪ふ盜人にもあらず、又遺恨をふくみて、人を害するにもあらで、かゝる禍の起りけるは、魔王のたぐひの、此世を亂らんとするふるまひか、ともおばえて今このめでたき御代に、すめる心地もせず。かく見る〓〓我たぐひも、翌の日、此難にあはんとはかりしるべからず、と、うしろ寒き夜にぞありける。冬枯にどちか先立つ草の花も、ど米穀下直米穀下直にて、下々なんぎなるべしとは、日本の外濱までこと國の人々、うらしましからん。落穗かな一茶俳文選
口汚き女の罵う梅干のしはびたる老法師が、木根に腰打かけて、手爐の灰うつくしきしなして、淋しさにたへたる人もあらば、たばこの火ほどこすべき、つらつきしてあたり、櫻のどかにぞ、などひとり言いふさへ、たヾ人とは見えざりけり。又寢亂髪のちりもはらはで、やうじといふものに齒をすりつゝ、ぬり下駄から〓〓ならして、あちこちさまよふさま夫、十人ばかりもちたらんやうに、いろ〓〓しくぞ見え侍る。しかるに坂の下より、男五六人、糞たごといふもの、拐の迹前にゆひつけつゝ、かさい烏のなくやうに、わやくやかたりけるが、ほどなく木蔭に來かゝりて、女のかたはら過がてに、山の神けしかる朝起よな、雨もやふらんなど、ささやきけるを、はやく、女聞とがめ、おのれいしくもいひつるもの哉。今一度さのゝしりそ、しや首ねぢふせ、しや足打折てやらんなど、女ににげなきわろ口も、花の雪のちり〓〓吹ちりて、心に留るけはひもなく、皆皆木の間の春げしきとはなりぬ。下々に生れて夜もさ くら哉見物中に掏らる東叡山下の狂言、退屈まで十六文、と呼はりかけたるに見物す。しかるに相生町にて、きのふ貰ひたる、たばこ入盜まる、此ものにしろがね、いさゝか錺りなしたれば取りたるべし。前に開帳塲にて落しけるを、參詣の人拾ひとりてもどしけるが、終今他の物となる、されば始より我に緣なきものなるべし。梟の已はかすまぬつもり哉まもり哉古武士の面目今は昔、宇佐美駿河守定行といふ者ありけり。一茶俳文選君と賴める屋形の仰、もだしがたく
やありけん、長尾越前守政景といふ武士を、此池に害して、おのれも直ちに命を斷ぬ。比は永祿七年七月、けふなりといふ。あはれ忠のため、身を損ふは常なりといへども、或は親の悲をすくひ、又は子孫の榮花をねがふ、思ひきや、此人私の宿意にうはべを覆ひて、蓮の泥の汚れたる名を殘さんとは、彼道の眞人ともいふべし。秋風に御任せ申す浮藻哉祖母の三十三回忌ことし八月十四日、老婆三十三回忌なれば雲路を分てはる〓〓來る。其かひありて七月九日取越して、つとむとなん沙汰しける。おのれ三歲の時、母のおやは身まかりぬ老婆不便がりてむつきの汚らはしきもいとはす、明暮背に負ひ、懷に抱きて、人に腰を曲て乳を貰ひ、又首を下げて藥を乞っゝ育けるに、竹の子のうき節茂き世中もしらで、つか〓〓と伸ける。しかるに八歲といふ時後の母來りぬ。其母茨のいらいらしき行迹、山おろしのはげしき怒りをも、老婆袖となり、垣こなりて、助けましませばこそ、首に雪をいたゞく迄、露の命消え殘りて、古〓の空の月をも見め。誠にけふの法筵に逢ふことのうれしく、ありがたく、かくいふけふをさへ、老婆の守りたまふにや。秋風や佛に近き年の程苦の婆婆と草さへ伏か秋の暮苦の娑婆をつく〓〓法師ほうし哉風ののや佛に近き年の程婆婆と草さへ伏か秋の暮娑婆をつく〓〓法師ほうし哉近へとさ桂國の猫昔うつくしき鳥のありける。是をやしなふに酒食の美味をあてがふ、鳥は喰も呑もせずして、三日にして死きとかや。是全く人をもてなすやうに愛せばなりと、南花老人も云へり。されば悉くすき〓〓ありて心等しからず、我友桂國ひとつの猫をめでゝ一茶俳文選一三五
一三六夜は懷にあたゝめ、晝は衾の上に撫る、しかるにひたすら鳴て止まず、ともすれば迯歸らんとす。或時藁もてあやしげなるツグラといふ物を、作りてあてがふに、漸く氣にや叶ひけん。いと心よげにすや〓〓と寢入ぬ。わせわらや猫から先 へ安堵顏安堵顏勸農詞風流を樂む花圃ならで、後の畑、前の田の作物に志し、自ら鍬を把て耕し、先祖のたまものと、命の親に懇ろに盡し、吉野の櫻、更級の月よりも、己が業こそ樂けれ。朝夕心をとめて打むかふ菜種の花は、井出の山吹よりも好もしく、麥の穂の色は、牡丹芍藥より腹ごたへあるかと覺ゆ。朝顏より夕顏こそよけれ。萩菊よりも芋、午蒡に味あり。すべて花紅葉より栗、柿は寶の木なり。稻の穂なみの賑はしく、藁の前より腹滿る心地して、粟穗になる鶉より、野邊の蟲の音聞くが面白く、遠き名所、舊蹟より近き田圃の見廻りが飽かず。松島、鹽竈の美景より飯釜の下肝要なり。上作の名劍より鍬鎌は調法なり、書〓の掛物より、掛て見る作者の肥を油斷せず。投入の立花より茄子、大角豆の正風なるが見處多く、茶の湯、蹴鞠の遊びより、澁茶を呑んで昔話こそをかしけれ。玉の臺より茅屋の家居が心やすく、高きに居らねば落るあぶなげなく、迷はねば悟らず。念佛のかはりに、實義を盡すは神詣に比し、仁者にならうて山に木を植ゑ、智者の心を汲みて、田の水加減を專らにし、珍肴鮮肉の料理より錢入らずの雜炊が、後腹病める氣遣なし。總て世の中は飛鳥川の流れ、昨日の淵はけふの瀨となれが如し。唐の威陽宮、萬里の長城も終には亡び、平相國の驕りも一世のみ。鎌倉の將軍も三代を過ぎず。北條、足利の武威盡き、織田、豐臣の榮も終に一代なり。時過ぎ世變るはまことに夢のごとし。世に稀なる吟味も舌の上にあるうち、伽羅.蘭麝の薫もかぐうちのみ。樂は苦の基、財寳は後世の障り、遊興は暫時の夢、他の富めるも羨まず、身の貧も歎かず。唯愼しむべきは食慾、恐るべきは奢りなり。抑も田地一茶俳文選
は萬物の根元にして、國家の至寶なれば、父母のごとく敬ひ、主のごとくに尊み、妻子の如く育くみ、寸地をも捨てず。何處にても鍬先の天下泰平、五穀成就を願ふより外更になし。今年米親といふ字を拜みけり茶なにぶくろの序橘町といふ所は、芭蕉翁の袖の香なつかしとて、元夢法師そこに今日庵といふをいとなみて、うきよの月の見果どころとなんたのまれける。しかるに法師なくなりてより、ことし十三年、其庵知れる人さへも、したしき限りは白露のほろ〓〓-きえ、嵐のばつぱと吹ちり、庭も、まがきも秋の野らとなりて、いまはそれとさすべき靑草だにもなく、いたづらに、犬の臥處とはなれりけり。さるを泪もろき一峨老人、しきりにむかし戀しがりつゝ、ふるくありける元夢佛の.木像を安置せむと、則法師のゆめり、の跡に、ふたゝび今日庵むすぶべき、こゝろざしを起しぬ。おのれからの世にのあし吹のこされ、此時にあへるよろこびに、やがて再建のかうかしらとなりて、とも〓〓乙鳥い土をはこび、木つゝきの穴ほりて、一箕のちからをあはすものなり。一茶誌誌鬼の夫婦十ウは十ウながら、更に此世のものにはあらじ、今にも知れぬと人皆いへり。この女乳房を見するを嫌ひて、小兒の頭を懷にふかく入れて、乳を呑まする眞似して、やがて口に水をあてがふ業なれば、不思議にも男の乳のやうに平たく、乳房らしき氣はひひたすらぁらず。さてこそ知れ、始より乳の代りに、水をのまするを、ひしとつつみ、只腹下るとのみいひて、今はたゞ白く赤らみたる、肉と血をのみ下すなんめり。いかに人面獸心の富右衛門なればとて、此樣にむごくなさけなく振舞し、と.皆な〓〓おろ〓〓とさすりぬ。きやツ金を貪るばかりにてなせるにや、何ぞ怨める筋ありて致せ一茶俳文選
りや、りや、風上に置くもおそろしくなん。ものいはぬをさなの口を赤澁の水のせめとは鬼も知らじな乳戀しちゝこひしとや簑蟲のなき明しけん泣きくらしけん金比羅お鶴赤白の籏いく流れともなく、風に飜して、靑傘に花かざりつゝ鉦、鼓を響かして、白川殿下の免許といふもの竹に結添ひ、實に秋の野面の錦の有樣にもてはやす風情、よし有神事とも覺えるものから、里人に問へば、百姓半右衛門が家といふ。今夜は主の招きによりて、金比羅の秘法行ふとて、高き所に趺坐して、年頃四十餘りの女の、女郞花なまめき立る盛りはむかしにして、白き木綿を身にまとひ、髪は芒の亂れたる如く貌は棗の赤みたるやうに、夜叉の眼赫々と開きて、何か咒文を唱ふにつき、むらがる人をさへ、雀蚊虻と見下したるおもぶき、いかなる障怪もいかで、退かざらh誠に是無垢が勇みか、無邪鬼が怒りかともおぼへて、おそろしく行末いかなることに、身をやよすらんと思ひやられ待る。茨の花蟲まけさへもなかりけりかりけり茶文化五年五月十四日理屈地獄むかし〓き泉のむく〓〓と、湧出る別莊を持ちたるものありけり。たやすく人の汲みほさん事を恐れて、井筒のめぐりに覆におほひを作りて、偖年を經たりけるに、いつしか垣も朽ち水も惡くなりて、茨おどろおのがさま〓〓に茂りあひ、蛭子子子ところ得顏にをどりつゝ、遂に人知らぬ野中のうもれ井とぞなれりける。この路にこゝろざ一茶翁俳諧文選
すも又さの通り、よく〓〓魂の嘆を洗ひ、つとめて心のすみを汲ほさゞれば、彼の腐れ俳諧となりて、果は犬さへも喰はず成りぬべし。されどおのれが水の臭きは知らで世をうらみ人をそしりて、ゆく〓〓理屈地獄の苦びまぬかれざらんとす。さるをなげきて籠山の上人、年かしこくこの俳喰をいとなみ、日夜そこにこぞりて、おの〓〓練出せる句々の決斷所とす。春の始より入來る人々相かまへて、其場のがれの正月言葉など、かならずの玉ふまじきり。文化七年十二月日しなのゝ國乞食首領一茶書俳諧一茶翁文通斗囿編
影茶翁文通親とく消へよ名所の雪といふうか雀見て居て子どもとられけす折みしてやえんまの朝茶の二帳につく番鳴子ちにり梅寢聳正月十六日十王堂るや年を俳諧一茶翁文通かすぼ元るる化六庵に入十二月廿二日なりけりや年をもりやの大みしてふしや○日年をもまもりやめ息の二帳につくの才で日花子合なの斗哉り點た春固一四三編
(右ニ月畠象大鍬三日月やふはりと梅にうぐひすけろりくわんとしてはつ空にさし出す獅子のあたま聲のや柄○二に十鶯日な過くてのや烏と柳御梅萬がかか(右一枚)梅ばわか菜つむ手かにい鶯猫一題五句吐さ猫の戀や松身鰯魚俳諧一茶翁文通君かのら猫や盜すが遊民〓〓とかしこき人にしかられてくむも今さらせんすべなくむ代〇も戀は片烏日の山よの春畠いたすそタにやれ〓〓逢うもよのす春けさ打潟くしやや片日て手櫻二一涕をよ文をたつきも見へて角田體きりのうかに梅二月七日迄いさ鳳巾やと春風おやれ畠日いたすタそ橋ねのぢおやれ逢ベ過〓〓くさうもてて垣のす春の菜ががよす春けぼ啼のとろ梅かぞ汁すす痩かのはき哉みみ竈な花ず歲窪がなな雀川聲茶おなじく俳諧寺入道
(右申殘候かしく。の人に相成申候、正月廿四日出し候一書相とゞき候哉、大有菜樣此やうな小は三月廿四日貴評可被下候四五月ごろにも相成候はゞ、な〓喰我末斗も樣圃ふら花世をさくらだらけよ側り彌御安〓被成候哉奉賀候。からだ一世一代がてら參り申度、ん花咲子一ぬ哉哉茶されば私も漸此世先それ迄と(右木鶯凡古ア俳諧一茶翁文通みじわ母もカにから寺な桶木鶯凡大柴古アわかわ母もカ汙門道にら寺な桶にや四)三もカ三崎の井は遊女かしは木がかたみ也にや水のよしなき○も拭ひと込の畠ま人にるに起汲す灌にに三塚拭夜ぢはもまの螢夜り蝶百ひもふら花世をさくらだらけよ側りからだん花咲子一竹のな風とへへを聞年直見かのさも樣ふまよ側りらの癖せ直ばゆよ角る猫一せるよ菫らりれけ田時の大か櫻まけり川鳥戀事な哉でりぬ哉哉一四七茶一四六
右七)前の春はことしの事、わ蟀蝉名かのの月松白引唄の題をとりて洪う我のやち御冬は文化五年の句に候と水ふところめで乘覽のた行〓〓く通り(右右は陽鰒長石六十五)俳諧一茶翁文通蟀蝉名おち斯寢るもの月くる洪う露芒のちや夜御水お我炬燵でふところの覽の寒の〓〓の通は松がのゝさまといふんめつ炎くひなこに雪にやゝが今く梅鶯行まを鳴家れにてのみ蔓く居ヘのがたて見るりく日さ東叡山の靈殿幽にかすみて○ま文化五年三月廿日の事也けり九日樣のさくう雪に○やゝ今く行まの行〓〓くは目にな翌なりにのかく屑御り見翌なうりの秋きくり見て見るも木夜家用けゆ降事隣のけら行哉哉哉心りるる也哉花り哉茶茶
(右(右やく病神に引たくられ候得ば一向なく御評可被下候鳴梟なよ斗便り所つ〓〓囿ら小傳馬町三丁目さつてや茂兵衞守靜方そく樣れせ程直ませめはでる歸るの.ろしく奉賴候可祝。と、御安〓被成候哉。ちり殘る木の葉の風を待がごとし。犬と蝶他人むきでも念佛鳩いけんしていはく二月廿三日にはされば私正月十六日より、やされて上るなもし古人に相成候はゞ、やく病神にとりつかれ、かり雲け雀り哉集は冊に相成候間よ今にふら〓〓私も四月ごろ立歸りに參り度、日〓〓日の立つにも、淋しき春をなし給ふならめと、そなたに向て念佛申ばかり也。西山三月十日秋や生殘りて物淋しき折から○本おさのまれが序ながら御やうすうかゞひ度、乘るはどの霞如斯候可祝。九)八)親親俳〓一茶翁文通雀見て居て子どもとられけ輕井澤春色○西よつらさくませせるはかるり雲どのるの.け雀り霞雁雨り哉茶
等候。文でもなめたかと思はれんと推察候得ば、一ひぜんといふ腫物、げんか。靑陽、其箱に入御預置可被下候。迹祭り御集おくり申候、今以筆とり申候事のむづかしく、又あまり新句吐くゆへ、彌御安〓被成候哉奉賀。總身にでき申候得ば、書箱八百四十八文にて急に買申候、和歌三神の天窓敲き給ふにや。されば私は九月三日、旅中といふにこまり候御尊察可被下候。下總西林寺といふ山寺五十日あまり籠り申氣づかひなる所にはちと延慮。一日ぬれ鼠となりて步行候か私がおくり候紙包み十一月初つかたより吉田町廿四名聲可被下候。一松宇樣御集出來候はゞ、二月六日なひぜんにて手うごかず、ふち樣みちのくの屆分は、漸したゝめ申候かしく。私の逗留中御送り可被下候樣、一今郭俤御俳諧一茶翁文通なほとゝぎす花の公地のごでしろつか藏よやはこ大ゝじらや河原內まなは十)梅笠地でし藏よ○こ折でするさや正月十六日十王堂えなど貴評可被下候んらまば〓〓の帳につく合や引かすや大ゝじらや河ち原は樣內まな瞿瞿で山ぶお江ゝ麥のれしすゝほの戶こるたやと野を耻親ご引ゝよ一ののたかぎ山呑世番のすすよにぞ椒む點む茶御傳
右申入度早々かしく參り候哉。今日わざ〓〓參上候へども折あしく候間、一一一源則松本のうり上ともにしんじ候外二冊は御覽のゝち御返し可被下候隆達とすみれ二冊しん上仕候語と五月十一日ゆ三ふさま(右十二)長(右十一)蚊短庵萍萍さをしかよ我に待させよあとなる柱夜のののや苔その花夜花れ外や咲もよ來はといす樂能ベやい(〓ふこそ人もらなし花筆しらのが榎もぬさ茶一一一俳諧一茶翁文通世明庵居がにあらば〓〓とてころの蚊のたに小庵中無肉食○かせぎごといひ〓〓に出るやとして蔦そ〇花せぎさにままにやか出(〓られるな流山に參り申候、なや花筆し閑も行暮のが古俳鳥が蚊のさ茶え哉哉花子也く屋されば流山より二十冊一諧茶寺茶
(右十四)一蓑赤今月寢むしろやきり〓〓す聲おかち蟲い日花げ葉のと併頰張りてなくきりぐ〓もしい都て戀野ふけ分に吹かす足のうらはを三し寒月いかふしら名頃とす月との鳴なのが垣に翌御く根けも側し哉りす秋哉(右十三)星初下露世につ世白おれ俳諧一茶翁文通ち露の丸く見へてもの中るが魂豊○れて花火の玉やや場祈らぬ地獄のもとくたの迎秋野種分を文霜手のや何を萠菜のも麥ね暮を 何がかひゝるはやら夕ちどりのきりぐ〓すつ時雨か日樣姥七とのと捨山○もいさタもは三をやき寒月いし頃とら名給ゝるはきけいみのとふけしきの大きさが垣につふつふそます佛と吹がも蒔くしくや達そつく根けも側一くや達よし哉りす哉茶坊
(右十五)せまけれどお宿もふすぞあみだどのそなたたのむとおぼしめすなよつひの世のけふりの種になら柴の花山に住にくしとや夕きゝすむまさうなふんどしに笛つきさして星むかひ玉棚や上座して鳴くきり〓〓す俳諧歌二首擬惟然曲らぬ枝をたき殘しつゝもとのやけ野に鳴もどるらん雪坊がふうはりふはり哉俳諧寺入道前彌太郞小林古名月立かゝしそも〓〓 御我古秋一茶論俳諧文通しら露のあさ庵〓風き代の兩ややのの○寺藪あな國寳芦のかもたもさ程きらがのぬ例三なたの本い代りもけ小露夜ぶそが田の月桃水天和三年九月九日歿もかほ直ぎり給ふかなきのふうはりふはり哉りもけののりしの夜玉雨哉き雁也一五九一一五八茶
(右十七)初菊古御淋しさを鶴におよも朝佛みぢば霧のの○生も皆れそしらぬ迄しは日ぼれ也す(右十六)雁何な人並や一茶翁俳諧文通ど小けぶりやさて又鴫事か七月二十八日ころより北方にみゆ〓〓に人と生もの○ヽか芒樂もぶり〓〓ぞにさ寢わよれぐやのてはも朝角有我しど鮭を郷東やにくら見叡つて山ゝ年めぶ鮭を力明佛ら魂け露や文化七午七月と書添有けとりや親ふはやも是つはやも見叡ヽつて山も皆祭の鉢をさし出すゝぶり〓〓ぞれもいづく寄はればそ給よそ人汝ぐやのよへちふなのにかてふかゝしりじや小の男菜れか女秋日げくる芒立櫻くり草女稻まじ羅と法郞のきの田か郞のく漢萩師花暮星穗姫な山哉鹿畠花花ら哉一乙茶二
(右二十)里よかしと、てうし本城といふ所を過けるに、朝凉〓うちはやあつ里露の玉さく〓〓分か凉み並びたるはいさゝか小にくき風情也くきり小南むらばかり雨降けるにしのばすの池の蓮おかみて飯貝根にてれやしるのや家明や神手實を得る瀨かましくも菩薩さ追うかれ女ども川風に醉を吹かれて、まンののじ給螢はもらひ戶しり入ひけの雨る海貌(右十九)我蠅(右十八)秋秋落氣に入らぬ家もみとせさせる夜もなくてふり風風しにの水○あ吹草ななにたれ音任貌しせのての山淋の行一茶翁俳諧文通苔打くきりにののてけ花○咲ふなくも時聞にさまけせのじ給あひにけり山のり山行もら小家し月萩ひ戶しり入の海蝶かいよのひけり鐘哉なぞ哉花雨る貌-一茶茶茶坊坊性空上人も來
(右二十一)一茶翁俳諧文通などゝ申棄、立砂大人玄阿大人よろしく御傳聲可被下候靑水空か旱元御評可被下候拜奉希候やく夢夜や魃老さ稻師りのば花か迄りいへば早々申入候。ぶき度奉存候へば、閏七月二十四日頓首おそくとも冬の始めは參上候而得尊意候。備後福山よりね人々留るに任せ足をとゝめ候へども、地より歸道におもぶき候へども、秋暑に候得ども御安康御くらし被遊候哉奉賀候。夏よりの片照りにいまだ暑甚候へば、そろ〓〓秋冷に相成候はゞ早速に歸道におも小人もしきりに貴方なつかしく此行旅すゝみか大門通彌兵衛町今日庵く日夢師りの要樣か迄備後福山より用りい備後福山よりのまいく秋の-茶風夜何事も出立といそき候一一茶坊茶
間、おくり、十二月十五日御安〓被成候哉。されば序の書したゝめ、我正月の御手透御認可被下候。成美立腹にてつひ彫直しに相成こまり申候。斗國圃や〇大つ人ひ〓右申入度萬々得尊意候迄と申殘候かしくれ本行寺にて成美の草稿のまゝにて板屋にも左樣に候へば來三月ごろ參り候雪佛一茶(右二十二) (右二十四) (右二十三)二つ御安〓被成候哉奉賀候かしく。一茶翁俳諸文通いつぞやは得尊意、ことに御惠み忝奉存候。あ案直し候へば御評可被下候の藪十二月二十五日が心がりか春大原や木餅待つきやさそ小原女や〇雀かくれてのも竹を斗迄囿家大つうしあも人ひる〓人をりもみの宿餅膝のれか年右御禮申入度萬々來陽に申殘候かしく。猫ともの暮をがしらし雪鳴るつくて佛、一一巢一六六一茶兆茶
らし東の方に踏出して、井ももとの心をしる人ぞ汲と、く。兩度ながら御深志の程並み〓〓ならず奉存候。かゝる遠路のおくしなのゝ野中の埋文政二年七月廿七日一通、一茶翁俳諧文通○九月十二日相とゝき當年六月九日一通、ひとりうれし泪をこばし申候。舊冬十二月三日杖をな七月三日にとゝ(右二十六)三か行がけの駄賃になくや蝶の身もうろ〓〓欲のうかゝる代に何をほだすむぞよ金日題し東て都忘れの始なかへる右二十五)三貴評可被下候大原師走二十五日や木かくれての龜松どのゝいくつの蔭雜び祝に三は治○寢句湖世斗囿て樣れく始ふ年か六みてけき木のぞふじの十餅なさ世のらよをくのか植の州蛙雁な所猫山哉つく一茶茶
候子や〓○夏瘦の眞瓜に團扇を上げ申候。も引込思案になり申候。月ころ是非〓〓と思ひけるに、かぬ前から確井峠が胸につかへて、とつぶやきたる折からに、露喧どさて御句は○上白の露○足からみ○みそ萩はそら小便と一直いかゞ候哉其次○鹿のしかる所またまた御書累々難有奉存候椋注の嘩う九月十四日鳥○の下は斗岡の句を評せるなるべし玉す追れと人つまんでみたなあひみたがても人かくの通りに候得ば、にうすみぞれさぶ〓〓降ぬれば道ぬかり只ならず候に、風の神雨の神の暑いの何のかのといふうち、呼里老足のむつかしくるいかゝやらんいづれ御笑ひ被下可候かしく。るひをゝ得尊意萬々申上度御返事もしんじ不申わのわ寒ら渡たかはりり哉鳥鳥より取て歸し候。な又ことしことし三行つ(右二十七)御惠みはつ子のけふの玉はゝき、とにしなのゝかちけ雪も御加へ忝奉存候。其上に南方無垢世界童女のもちたる寶一片、正月十日御書二十六日拜見、一茶翁俳諧文通○彌御安〓被下候樣奉賀、手にとるより玉の〓も延る心ちし侍るなり。珍らしき御すりもの十葉、さて十こ影乳茸露喧ど呑法狩斗若僧の扇面に子二師の番の固御評可被下候にか休風よけに立耻ら手樣よ夜て寒の嘩う斗て寒もどの案るひをゝむ山るわのわだ子騷ら渡たはりり步かか行一なな哉鳥鳥一七〇茶
みどり子の二七日の墓心の上に肩衣かけて大道を歩くを、牛盜人と見らるゝも、おなじくむごらしやかはいやとのみ思ひ寢の春散花の杖にとまらぬなげきとは陽猫一茶翁俳諧文通ひか〓〓とつぶりにしみかすむ程たばこ吹つの子にかして遊ばす炎風やの目にそ思ひきれどもおもひきれども後世者のふるまひすべからずとは、こつ意き地ま善人といふせんかたなき所がらなりけり。寒ししなと手若ふ笑る梅ま菜ひののりつ貌山哉尊ときしめしなるを、花み我身を我珍らしくさながら生れ代りて、此正月一日初鷄に引起されて、去る十月十六日中風に吹倒されて直に北邙の忌み〓〓しき土と成しを、鶯春日餅今年よ駒歸組りみから丸まうけぞは竹でしてさへ風のもを湯一入治座とみに東山の旭のみかき出せる玉の春を迎へるとは、る道敷な者ふたゝび此世を歩くこゝちになんありける。あやよいさありは娑たみる梅婆らけのの遊口雨花りびふしぎにもせ申たるもおぼつかなく萬々春永にと申殘候かしく。月より一足も外へ出ず候へば一句もなく、二月五日されども少々御覽に入、鶯春よりも目にを一つるきまなとやいさあたみありはふ笑ひりつら貌口りしかし舊とし御聞盜
一七四ねぶる隙さへ夢に見へつゝ人に口明て菓子ねだる有樣を見るに、忍ばすか岡の龜ども、人に口明て菓子ねだる有樣を見るに、留さぞ浪屈ならめと、永日を喰ふやくはずや池の龜一茶などゝ指を嚙むばかりに候斗囿樣二白、布川月船折ふし句なども御聞被可候哉。今日庵迄舊とし申越し候へども、いまだ返書もなく、何とぞ風の便もあらば、御聞可被下候樣奉願上候。舊友一入なつかしく被存候。(右二十八)此苦の娑婆に萬年の逗ふやくはずや池の龜一茶十月二十一日出の御狀、十一月二十六日相屆彌御安〓奉賀。されば秋野の大すり物十葉、草々吹亂れて見事也、殊に愚か成を御植込忝奉存候それのみならず白寳二片御惠御辭退なく取込袋棚に納、御蔭を以て炭火澤山に、寒村孤僕的暖氣にありがたく奉存候。小人も十月十六日に淡雪の淺野の途中にて、辷り轉ぶと等しく中風起り、五里の道も駕にて庵に乘り込、とみに大根おろしのしばり汁にて、半身不遂は癒候へども、いまだもとのごとくの足に成かね候。花の三月ごろ身輕になり申候はゞ、步かれべきと奉存候。其時東の方へ踏出して、御ことばにすがり御うらの別莊にこもらんと、今からたのしみ申候。且暮の御すり被成候樣句御申越し候へども、いまだ春仕込不仕候。されども少々別紙に認しんじ候御評可被下候。十二月七日病中俳諧寺のていたらく袵形に吹込雪やまくら元はつものゝうちになくなれ門の雪初雪を着て戾りけり秘藏猫一茶翁俳諸文通一七五やまくら元雪猫り一七五
の世より出直して、の聲にかばと起て、去十月十六日中風に吹倒されて、餅冬さをしかやゑひして炭の火や朝大雪ちるや一茶翁俳諧文通ことし一水根搗籠聲江か引く隣が惡此に再び日本の地を歩くこゝちにそ。東山旭のほとけもいへぬしなの春ら丸まうけ拍へく世色子來物ののかき出たる玉の春を迎る事の嬉しく、にた祝喰鬼直に北部の泥とならむとしたるを、なめるけさの儀といころり小はを也の咳ばら婆ふ習逃婆子るの僧かかよ空哉なな霜ひ空なありがたく、あ此正月一日鷄寒我わ風栗江栗江節季候里の子や手でつくねのの戶御が子がい川や成やさゝらでなでるんめの摑い人塲みぶよなるけやくさすせた人やもてる窓時浮雪の雨寢の節垢兩門信らのの離や濃ん子いらに國只ぶじががせ分橋四なの摑いり並みぶよ五かなるけにの本やくさ釣すせ人龍のの大すやもてる披や窓時浮のよ露根九の雨寢空な霜ひ空な哉藏氷雪顏鳥花山
ん御句おのずからの芒○朝風やかのこ雪〇目に見ゆる秋はちと一句落着せずやありけ斗圃樣など一直つゝ仕候。と一直いかゞあらん早風雲かよからんか芭蕉忌は翁の日だけいひ過たらん袖の風はあまりくはしくやあらん目粟ともし火や砧一茶翁俳諧文通津に見ゆるから御意如何あらん、來秋とはなりぬはたて雲たのかの 風今のおり〓〓にの一しぐ是等にて御評可被下候通正藪葎入橫松すつぽんのおれ獨かくれ家やおり月村か口京乘島れ獨ののとしてにらみくらする蛙や馬あい島小の原隅座猫にもす時やつくらん春そつにゞはなく暮びやてへく柳夕ひ鳴る二かば雲日のやや拔夜まぐせはらあんなよよれとるあ胡にゞは垣とた蝶な是等みな〓〓甘心、小福帳にとめ申候。今の一しぐれくのおり〓〓にてかりものびやてへうう生く柳め梅れらる二柳ののけかば雲日の哉月花りなり雀哉灸月-茶
二白、何とぞ半紙此位にてよろしく、二帖勸進に付可被下候樣奉希候。てすり吳候樣、先便今日庵に御賴申上候間、來春初使に御送り可被下候。も御傳聲奉希候。每月十七日大傳馬鹽町萬屋藤助方迄飛脚やれ〓〓と申せば心急き春迄申殘候可祝。(右二十九)此板有之候一峨宗匠へ○札納せ參りせよと流すや橋上乞食ゝ親を 霜よけにして寢つ雪を着て戾りけり俳諧寺留守圖いや古はらひははる子藏哉猫秘ちとの間に櫻はさゝらほさちかな蝶とぶや日傘の陰の野酒盛り儡紙塞に書ちらし候(右三十)一茶御安〓被成候哉奉賀。されば私は正月十六日より傷寒に見込れて、今にふら〓〓仕候〓此集板價の殘り一圓ばかり有之候樣奉存候。もし古人になり候はゞ、かうでんと思召金貳百びき、日暮の里本行寺におくり可被下候。かく申っちも心苦しくまづかしく。一茶翁俳諧文通
二月五日鶯もしらなんではいるかきね哉下戶村やしんかんとしてんめの花出ついでにひんむしらるゝわか菜哉貴評可被下候斗圃さま茶さま(右三十一)俳諧寺の老和尙遷化なりと聞て亦幾生の間にめくり合ふ事ぞと歎そくして會下の大衆方まで申おくるの內はたして雪の片草鞋八巢道人九拜棺人九拜一茶書翰補遺○いつぞやは夜をこめて鷄のそらねをはかりて、御見廻御深志ありがたくと一口にいふも、あまりなぐり口上ながら、野中の古井もとの心をしる人ぞ汲む、と心に拜み申候其上何よりの御みやげ、是又忘れがたく忝奉存候。はた御歸のころは、牟禮の前坂邊りは、のしかし山のあたり迄、はね泥ならんと奉察候。されどあんころのさたもなく、御里入被成候哉奉賀候。私も年內に御禮がてら、參上などゝ口にていへど、甚よはり候と見へて、足だめしに古間迄參り候に、坂口にて二度休み、ほく〓〓と漸に歸庵仕候しだら、七種ごろはよ程よろしからんと奉存候。それ迄御安〓御累年可被遊候御禮申上度かしく。十二月八日一茶素俳諧文通
俳諧寺記沓芳しき楚地の雪といひ、木ごとに花ぞ咲にけるなどゝ、ほんぞうめさるゝは、錢金程きたなきものあらじと、手にさへふれざる雲の上人のことにして、雲の下の又其下の下〓〓の下國の信濃も.しなののおくしなのゝ片すみ、黑姫山の麓なるおのれ住る里は、木の葉はら〓〓と、峰のあらしの音ばかりして淋しく、人目も草もかれはてゝ、霜降月の始より白いものがちら〓〓すれば、惡いものが降る、寒いものが降ると、口々にのゝしりて初雪をいま〓〓しいといふベ哉旅人三四尺も積りぬれば、牛馬のゆきゝ、はたと止りて、雪車のはや緒の手ばやく、としもくれは鳥、あやしき菰にて家の四方をくるみ廻せば、忽常闇の世界となれりけbc晝も燈にて、絲くり、繩なひ、老たるは日夜ほだ火にかぢりつくからに、手足はけぶり黑み、髪は尖り、目は光りて、さながらあすらの體相にひとしく、餓顏しとたるもの貰ひ、蚤とりまなこの掛乞のたぐひ、わらじながらいろりにふみ込み、金は齒にあてゝ眞僞をさとり、葱竈に植りて靑葉を吹く、都て暖國のてぶりとは、とてもことかはりて、さらに化物小屋のありさまなりけり。羽はへて錢がとぶ也としの暮いまだ半出來ながら御評被下茶春甫樣掬斗樣春鏡樣雪士樣外に年の關辭、柏原雪賦も少々つくり候へども、手凍ヘ追々入尊覽度奉存候と茶手凍ヘ追々入尊覽度奉存候「一茶遺墨鑑」一茶翁俳諸文通
一八六二白成美も十一月十九日佛と成り申候十一月二十三日出の御書拜見彌安〓奉賀候。はた當冬、雪等降らぬやら目出度存候。されど私は來春ならでは歸〓もなりがたく奉存候。萬々來春と申殘候かしこ。十二月四日藥といふより始りぬあばれ喰年內立春柊にらよつと春立つ月よ哉繩帶の忰いくつぞけさの春など貴評可被下候茶文虎樣より始りぬあばれ喰春ついと春つ立ぞつけ月さよ哉春くの茶樣○其後御安〓被成候哉奉賀候。されば私前便に申越候通り、去十一月より、ひぜん發し外へ行も延慮いたし居候所、十二月十三日より足のうらへも腫候へば、山寺に籠り療治仕候。早直しの付藥も人々進め候へども、追込ん事をおそれ、さやうなる藥りさつばり用ずして、出來次第にいたし置候所、今以ぢく〓〓濃水したゝり申候。毒立等も一向不在候。食物等常の通り不相替、しかし十一月より今三月迄、丸四月どちへも行ず居り候へば、用むき一向に片付かずこまり入候。當月中ごろより、そろ〓〓上總の方に可參候へども.正味四月一日にて、五月二十一日迄には足を引ずりても墓參り仕り度、さやう候へば四月一月三十日の中には用むき半分も、らち明不申候と奉存候何を申も、ひぜんといふ人のいやがるものに、できられたる此度の仕合、是も前世の業因ならんとあきらめ申候。長々の留守さぞ〓〓退屈ならんと察し候へども、病には勝れず候。其方にはうす着になりて風でも引かぬやうに心がけ、何はたらかずともよろしく候間、十四日、十七日の茶日ばかり忘れぬやうに賴入候。舊冬より此方は雪ちら〓〓したる事も有之候へ一茶翁俳諸文通一八七
ども、一寸ともつもる事なく、埃ばつぱと、かん〓〓道なれば自由自在に馳歩んと思ひけるに、ひぜんに引とゞめられたる一茶が心、御推察可被下候。世俗にいふ通り、一升入の德利はいつでも一升より外這らずと心にあきらめ申候。四月は上總に參候間手紙もおぼつかなく長々申入候。かしく。三月三日一茶おきくどのへ一茶遺墨鑑○御安〓奉賀候。されば、私しは丸やけにて是迄參り候。るまで御泊め可被下候。右申入度かしく。亥六月十五日此人田中へ參り候。私し參土藏住居して一茶春土春耕大人燒土のはかり 〓〓や蛋騷〓○御安〓被成候哉奉賀候。されば殘り候一男子十二月二十一日歿候へば、御咄しの坊守ほしく候。參りて御賴み申上度候へ共、御地は靑蠅さはざの風聞おそろしさに延引仕候かしく。大は人か燒り 〓〓や蛋騷〓正月六日妻におくれて又子にさへ捨られて、娑婆の事の小むづかしく。彌陀佛のみやげにとしかくれ家やからつなど貴評可被下一茶翁俳諧文通なげきの木末晴るゝ間もなく、としの暮けるにを拾咄しのふ年哉忘らつ茶
候。ー、上候樣申入候。申上候へども、陽炎ばつばと立ち、素玩珠數一連、紫竹の珠は御序に御つき被成候て、大内山の時鳥の畫本下〓、されば過日は參り、人粟一茶翁俳諸文通つ餅梅室主人樣ぎも是も二十日三好屋を出立東行を急ぎ候。など貴評可被下候○よろしく候間右御承知可被下候。やも四疊半座敷のかけ物の折釘にかけ候而失念仕候樣申候。片道かたまり、長々御座敷ふさげ、野や原う三好屋より出候間、のに漸く心暖かにうつり申候。草並六川知洞樣迄、ありがたく奉存候。もぶ若筵尊家の壹軸此方に御送り被成候樣盛か御出し可被下候樣奉願上候。りな彌素玩も私より御禮申一九、御安〓被成奉賀茶もし素玩くくきゝん哉。大騒ぎなれば出立候而外點小商三は落手仕候。十二月十二日御書二十八日拜見、藪鮓になりはぐり先目出度かしく。步外ならは梅垣正月十五日と仕候へば御腹や立給ひけん、しにたや口十一月二十二日庵に入候に、りことしは久しぶりのきゝん、上梅がとび込むつい彌御安〓奉賀候。らふい二十七、や福〓〓茶八、衣その時、めづらしいやらして、さて又、金百匹御惠み忝奉存候、かか九と大雪、配ななちいび〓〓天にも雪の家はみり〓〓心細長沼など人粟つ餅指も月上人も口り上梅がとび込むついらふいい草並もぶや福〓〓若筵茶衣かか盛かりな配なな茶「一代全集」
りとかしく。二十冊代、いかゞ候哉、二白二合半領吉川といふ處を通り申候へば、急々に御送り可被下候。私しもひぜん癒りかね、是にて迹祭り雜用仕廻に候。五月頃ならでは、三月二十七日田植始り申候。歸〓なりがたく奉存候。右申入度萬々後書よ追摺尊地は右申入度萬々春永にと、二月二十二日申候樣ならば其珠數も梅松寺迄、花蝶花陽咲のとぶ炎善光寺御堂世かるかや堂ややはや伊新佛親達かしく。吉の鸞に我我初一茶翁俳諧文通菴の蚊の袷汝老翁岩に腰云々四月三日正風院法印樣松貴評被可候をかのせぎ見待花蝶希枚は樣る吉にの鸞に目出事原咥身松御屆け可被下樣奉希候。久るもにもへのしや耻も知し晝三日か親つ売時の煙しの子着逃の一茶哉た鳥月や顏管體「一代全集」
「一代全集」加賀御遊行とありて折角御立寄られ候所、折から他行仕候て、殺風景不過之御用捨下さるべく候。さて別後御なづかしきこと、むさし野の草葉しげく、あふみの湖より深し。世の中の流行、あづまものがたりなど、うけたまらず殘念に奉存候。御句澤山御聞かせ、中にも秋風の雲は連山をすりぬけて靑天きら〓〓と目立候樣、其外草花いな人等廿心仕候。又うるまの肩ありがたくとみに十五夜のはれを仕候。御短冊上々吉過ぎぶる〓〓ふるひながらしたゝめ申候、御笑納可被下候。春出板も仕候つもりをべん〓〓とづるけ候程に、おらが世といふ小集、板木屋いそがしくならぬ前にと、人にせつかれて本意なく出かけ候。御存の長沼へ御立寄被成候はゞ、得御意候事もあるべきが、もし間違ひ等もあらば、あづままで一書をもつてうかゞひ申度候。かしく。九月九日良夜十姨五夜や丁度もち捨はあれに候小僧連勸進なぐさみのはつち〓〓や御評可被下やもちち込む祈とかゝしり雨な候か秋日和一茶二十二日の書拜見、愈雨降り候へども御安〓に寺や駒場の世話やき被成候や奉賀候。されば茸取には杖笠等决してもたず候へば、山搜しなど御やめ可被下候。さて其後も只ふり降るものから、二十五日田中へと足を向け候へば、いまだ川滿々としてたまたま越す人を見るに、のしこし画を打越して、乳のあたりまで水に浸り申候へば、見おぢして川より六川へ取てかへし候。出金は彼地よりとゞけくれ候樣たのみ置候。左樣御承知可被下候。くれ〓〓山尋ねなど延引を申入候。かしく。一茶翁俳諧文通
八月二十九日洪水きなが蟲ら啼の流浮木るる哉十月二日の御書二十一日拜見、彌御安〓のおもむき奉賀候。されば犬筑波久しく心に願候に、此度送り給り衣のうらを得しやうに、うれしくおかしく熟覽候).さて私も十月十六日途中にて辷り轉ぶを相圖に中風起り、最早道駕籠にて菴に乘込み候。すはや成美の跡追ふて、彼國一見かと思ひけるに、手合せの藥にて口曲りも半身不遂も癒候し、しかれどもかの破れ道具なれば、生涯中風のつぎ目は直るまじく候。若又此まゝにころりとしたらば、御方角を迷ひ歩かん被存候其譯は文路がおらが世、春耕が菫塚、素鏡が種篩、此三部の外にもさまぐ〓江戶に參りて編むべく思ひ候間、其集との半途果たらば執心必ふはり〓〓として、一番に品川へも出かけ申べく、其時わつとかけ出し被成ず、幽靈太鼓のどろ〓〓でも鳴らして御用心可被下候。十一月十一日茶卓池樣○二白與惣治樣へもよろしく御傳へ可被下候樣願上候。此度大道上人御かへり被成候間、せうそく申上候。いよ〓〓御安〓奉賀候。隨て小人も霜月十九日東都に入申候。五月十三日より半月の留守にて、垣塀等日々のあらしに倒れ、庇などは夜々の雨に朽たれば、とみに其繕ひに取かかり、彼是と暇なく、又東西の知巳をも訪ひて、未だ俳事にさへかかり不申候間、御不音御用捨可被茶下候。松衣の事庵中を探し候へども、てしんじ申度左樣御承知可被下候。一御存の紛失一件六左衛門樣御歸り被成候はゞ、一茶翁俳諧文通一向に見ね不申候へば、跡より心しづかに尋候貴家に差上置候所の屏風の引裂
度、迹にて、しくこまり申候。師走廿日夜、早々かしく空しく歸り申候。文○虎四ツ時したゝめ、二月ごろは少々透に相成候樣に奉存候、樣ヘそれはさて置、廿一日卯刻便り所に參候處、愛度春を御迎被成候哉奉賀候。今少御待可被下候。二所飛脚未明の方立候右申入私事心せわに尊地と志申度候可祝。御安〓被成奉賀候。○されば俳諧寺坊守り大病にて出立大延引、口を防ぎ、き等、霜私も明日あたりより申上置候、彼方より御尋可被下候間、よけ坂などつくろふとて可それより脇目もふらず、好師走八日の大足し人に引尊方に赴き度、俳書三昧に閉籠り、御見せ可被成候樣奉願上候。ばる小萬々後の便りと申殘候可祝藪來正月は出板いたして世の人哉ー茶花牛一茶翁俳諧文通び馬ら名霜けふも〓〓竹よけの月よけ可やら正もに樣ま八月十二日貴評被下ヘづはま月元舌七日うに日ち貌あな見にと引しのたるたばる山も御ゝる火小蛙家安藪桶哉哉全哉哉一ーいづれ近々步行始め一九八茶「一代全集」
藪春の三梅甫主樣な韓し狀人の吹一れ茶けり(永森氏藏眞蹟)茶
三韓俳諧寺一茶著久止ひさしくといまらざるは、久止信木のかくれ、岩のはざまにも、ひさしくといまらざるは、法師の境界なり。しなの-人早の國に、ひとりの隱士あり。はやくよりその心ざしありて、森羅萬象を一盛の茶に放藥日本みづから一茶と名のりて、吾ひのもとと中中をこと〓〓くめぐりて、風餐露宿さ止宜又らに一方に足をとどめず。さるを此江戶に來りては、風土のよろしきにやめでけむ、ま、垣面白なんがかものおもしろるにやはなさけむ。ここに住る事。ををええやや余交增十年にもあまりぬべし。さるから、いよ〓〓まじはるものおほくなりまさりて、そは忘渡遲待本土をわするるに似たり。此ほど、すみだ川に逍遙せる頃、わたし舟のおそきをまつ寫とて、心なく我かげのうつれるをみるに、汀の浪は額によせ、雪とぶ尾花は頭につも信しなの法師の境界なり。の國に、森羅萬象を一盛の茶に放下し、ややさるから、此ほど、すみだ川に逍遙せる頃、とて、汀の浪は額によせ、雪とぶ尾花は頭につも三韓人二〇一
歴れるに、今はじめて、おどろくにはあらねど、かかる形になりて、いつまで名利の地渡にあるべきぞ。蟬の小川はわたらじと、ちかひし人もあるをと、はじめの心ざしにた違第恥忽骸里がひたるを、しきりにくひはぢて、たちまち草庵を打やぶり、古さとにひきこもらむ名建止と、舊知、心友のなごりをしみて、袂をひかへ、杖をとゞむれども、さらに聞いれず深見贈今はさらばとて、はなむけにふかき心ざしをみせて、さま〓〓の物おくる中に、ある長贈哀人、笠翁が〓賛一紙を、ながきかたみにとておくりぬ。その圖、其角、嵐雪と友ねする處を書て、其、嵐の二人すでに世をさり、われは八十餘の齡を得て、よの中にとヾ喜避まるよしの句あり。叟大によろこびて、是第一のたまもの也、われ此江戶にあそぶ中先立歌多暫止友だちのさきだてるもの、指を折にかずおほし。されば我しばらくとゞまるに似たれ異思當ど此笠翁が、夢物語にことならず、なほ我心の此畫に、おもひあたれる事多しとて記時Wすみやかに笠、わらぢ、すぢりもぢりにしたためて、霜しぐれをおかして、出たつ。渡邊雷行慌似かのわたのべの聖のがり、薄ならひにゆきけむあばたゞしさにもにたり。われ、まだ其と、後影遺うしろかげを見おくりて、置葉における、今朝の霜も、文化甲戌冬至日武藏野むさしのの草二十年の舊交、おもひ出る事のさま〓〓は、數足かぞふるにたらずとこそ。隨齋成美序三韓人
今ハむうー嵐雪ハ〓ハ〓フ〓ハ平妙と云-吋専用がもとにしそ〓〓むと列耳 寒〓〓耳酬和の塗く次腋は勇ふわ芳草菴笠な自〓賛羊十三三
梅竹元千鶴馬花をまつ氣のみぢかさよお年雪ちるやきの三京鍋た楢ひ斡人も人ととつに月と其雀かのう日ざのいさざよひの子日とにかりて病乘より同行三人、石の上の住居のこゝろせはしさよもくや人ととつにり乘月とのやや此鳴術かや坂東太郞目鼠二氣や玉川一見も今は昔のむかしとなりぬ。も中はのきせくふは見世の寒ばにさの本でふいと悲きせく步並居ある〓〓にへら行んたをう晴かれうえま櫻ばきくでらぬたし霞る〓〓ろ大朝九花たし足借たかきみタ家くかさ間文化十年十二月二十七日歿な文化十年五月十六日歿よ文化九年正月一日歿麥松素坐文化八年二月十九日歿敷浙の千羽文化四年八月十五日歿寛政七年七月二十日歿寛政三年九月十三日歿月歲箒寸素白のけ寛政二年三月十三日歿山り天明七年九月七日歿竹蓼くり合雲て音札諫一成一美圃瓢美茶宇井嶠江來丸雄阿太
朝秋おしげなく若葉折け元かりそめは三日にせうぞ米ふくべき日暮へのタ元日句なし二日試筆やはくぬふ見し旅をう百煙しが箒ばのかろにもの先人りなやもど近ほりやきき冬大痩かとと屋魚五るの晦ぎ月文化十一年十一月十八日歿らの山日だす人雨白完寥巢其み成ち朝秋谷菰元さ吹頰住炮極千お大か小山九あらしか果焙貫ど樂さな箱も葵に琵琶のうれたぬぶり萩書の二りのにか寺垣のづをしツか夫鼻な後盜きはをぐ結にを人き里百事破もれ來よはるにい野とじこのにれざ壁三き遊さ槌韓タ日暮へあらしびさなに小人ぬやをはくぬ百ぬり笹永う煙が雪きしが箒ばちづをしののもの先後盜き結にを人き百事ぐにさ脚かろ日にな里事破にいもよものりな近やもど野とほり左こはのにむ心入迹初にや相に濁にれざ〓〓あれよかかりやき冬大痩かきむる蝶咲君露のくるりとと五る甚さ春とけの晦月五瀨しの見れる寢華がのし秋きらぐ隣り山日雨郞山てし月て湖雨んに代れ風二〇九應-成二〇八ち々峨芹來松兆堂彥美美茶瓢圃茶美圃瓢美茶瓢圃茶
分鶯狼人小陽露畫聟卯のはな茂るともなしに垣根どこから別やの數座炎の世過入の頭やの朽おやのはが伏と見えてさつ貌くそや諷たてむ見か夜〓〓は來てなくにりれ疊かひちもんのうもさ果に椽ず翁えたつも絕けへとどるはどのるさて炭り摑こやる闇浦とも茨の村花むにさの蓮藤名朝陽丸太屋朝朔柿更朴さ小雀韓喰月衣の貌炎雉れ日木なけふやへ葉やの子ば人が塲や面升つにあ五のこ手をうつ中やほととぎす十日橫にい豆か器にて雲そ乙のささの煎るを鳴茫子まるせ然として菊 のし神おはのにこりあふたもかか守しぐれけあいしらろる出しすはの草給五晝家峠鴨のへ月鴨かも朝もいり花や晴咲哉な立粧朝朔さふやこくそたてりれひのささの煎る鳴茫子ちもうも果ま菊 のににる然としてはのか守すのし神お椽絕へもけこもかとはてどろるさ炭摑りる出しはすこやるとも茨のむ村の蓮藤峠鴨朝花へ月かも見ちの明櫻寢千か御のののもいりな立粧哉申花俵哉た鳥な師花花雪二一確藏東三大木菜守二一〇叟〓直梅諫凡久長心車老袁竹松宥令輝鶴化民卯國靜馬杜虛石堂也壽圃魯减閑匪兩阿丁
朝霜垣螢秋鍬吉原のうしろ見よと狗の供して來たるあ大加鰒連凉朝蛤す小畫山ず茂の翹風駕のがし川毒やをの口から蚊遣りも崩さへ消其は寒あれの蚤し身いうて足にそかのとり成來ではののせけて明ねばまがたおどの松も手くらがりぞ山ぶきや草にかくれて枯火もかくれぬ並風をことしの藪に此や世かならの月かつきの空へひつつ飯韓かもけて人がし川毒や焚崩さぬ長れの蚤し身いううの閑て足にのそとりt,程も月にした來ではのののずも聞か茶見やもかて明ねばまやもた込るまちりくらさる藪のきのたくるちよ又炬る月やかや櫻し白閑此ね柳榎くねけりけ長かぶ文化九年八月二十二日歿な屋りり友杉可一ける網そ燵障夜愛へ眞古文化九年十月二十七日歿鳥雙か享和三年六月二十五日歿か寛政十一年十一月二日歿なな雨立木ら代よか子か宕り菰らかのな屋り葉哉守ぐな哉な山花哉みな上下二一三友杉岩信二徐兎徐理素關大カ素斗總樹賀雫長堂竹砂松喜圃瓢柳一風峨樸· 貨玩
煤軒煤梅甲斐が軒郭十ひとりゐや又もなが掃下の公人七日〓〓と移り行淋しさは鎌猿橋ふみしめるころはただならぬ寒さなりけり三かや倉まがねの爰までけ舟にて十井や正にて鐘にあられ色に寢月あばし寺江戶で見て來し秋の別めまな時雨きこざりてきりぐきたりるのれのしに暑か三降茶筑さかケやの波かるのうに煙す山な時空月人鶯泉夏長花蝶蟲川竹けのに籠閑守賣の-添ふも韓の兩來き山やさがつのに皮人國出てら或や餘ふへ來人き山やさがつや又美人に朝〓〓人に暮遲き日せてらに元はつ夜愛所たてて月あ宕はのつ夜日れきめまんさで花螢朝にむ逢見ほ飯入くとしける過や月りてきりぐにう日きすなのおまりるののるくとるつ流しに暑か笹菴屋春しとさ夜にうれる梅茶筑さかケやの波かかかのぎのかけすけな屋るうになな雨す人なり哉りり敷煙す山な時女承蘆第升一月露近野守太司若鶴月々入白船水嶺英中山耕雨老阿
冬雪片竹傘春ひよ鳥の見えてはいや張枯ち齋風貌さがやるがやはうよや月う門に奈し藁の枯し良な打夜日芦ろ山き石也和や雀草あ海朝親秋初人素白す連さずしさ翹はもののまぎれににきく澁れのしばし麵こ戶の細のれや雪と人も夜をやりしき我のおかしばし筋笋さよにし野や過迷たのり蔦す咲嬉に枯ち山も韓雪さ似先萩し鰺の片かの人ややるやへこ戶やう梅よ月し藁うに奈親日かと呼と人を人こそのにもな打夜しふさ月筋山れていとまなき石也手そよ迄門にもなか姿け鳴やこいでよにしとふの日のぐゆ野かけどはつしぐれ麥のり日さ夜の暮るし春寒あか經て霞哉きな机菊のり日のり蔦もきれ釣のさ廣莚たひる天のてかけ柳さり秋つ露き瓶文化十一年三月三十日歿竿祗はか經かけ柳のばのけさり哉川りななり蔭文化十一年九月六日歿タ文化七年九月十四日歿た秋り一至雨素太研兄恒蒼靑月りなてきな机き哉川りななりり上魚女三雨渭白輪金總二一六兵澤代十水老之堤由長塘迪節石直九義岱價
霜鵙春用のない髪とおもへあ我菴は茶にも酒にもさがりな風れの蓮に我身を明くややや女筑ぢこと波かしをらまものどかたぐ活鍬たく暑霜あ置下里此な生見殺しにすると思ふな八衣ど埋火に朔う壁ざ麥のやにく莖家つす衞明袂らのもゞありの笙に赤きタめり先さのを飯がたはな都見過はけるとれるぬ生葉蕎梁世八衣三埋火に韓は中朔う壁ざ麥はややにく莖どう壁ざ麥のがり露で水の沼しは人にくやも子もこはいつ手つとや月す衞明袂らのも露おにとる一の所が明に一暮夜ゞあり笙きことの所なにがめりをしらじけらや終り步向ものりすはけるどうくとか活たりやなるあももや聞夜花すえ榎寒成にば夜春きりぐ〓梅けかののかけ寒や聞くななぞか夜露小のきりてら日にさり梅けののかのかけ寒文化九年九月三日歿け靑か和まか文化七年四月三日歿り簾な虹でな砂里女花の時松こ天り簾な虹で空雨原哉河風中嫌りななり哉雨す安池郁其知茶竹買越淡兒砂里子尼貞德二一八房明九嬌盛印、阿月賀文足〓叟風明水石
長雪鷄落枇朝花梅人はとし露見て居てもくらさる閑のの葉杷か咲とけ雨ねらひすましてさ先げてしてのや萩見し丘てが葉やかく町け雀の馬しの匂れ一のばた木ひ年きらをいると淋田のわはしきれ子成くにかき濡にけぬ出どなに扇大菴かもかけか根か埓松華三入春凉三誂かゝる代はつとして野分の月の出たりけりけさの雪竹のふし所をしヶ月のしやんとつ韓月雨のたさや萩もす人をや事や今居云うしたてにには 腹ば共梅生し見ゝきたふをとえも上(やぬに戶寢ら立見鳴藪入し暑櫻口廻文化八年十月二日水のばけさかかた鷄家なり哉なしなアサノ文杉松長沼允富竹み柳涼しさは誰のでもなし三し韓月雨に藤それさなしに長て閑へも蚊のさなりけし見ゝきなをいるととえも田のわはしり子成にかくけき出どなりはケの享和元年二月七日み月水のばけさかも山ぎ鷄家なりす哉なりな引、りな畠哉善光寺五信-葛天姥梨杉也二二〇濃杉松長沼允龍富竹み柳猿武柯春文反ち谷宇兆ト虎丸莊左日尺尾路古考什三翁長草
三此子唐あ-雀今桔つ袖崎な華人供や梗ひ引を前らやに市二初江戶參五茶右番目あ小は卯月二十五日發足の折から尺呑らしあ屋へり早の膳はとついざ〓〓とやのにに候山來有苗っひもらよ明だ御名へと月ぷ所通笛のり陽淋-韓しさ炎や人のをらり刈彼粟がの松雨の膳はとつの候山っもら御名へいくやを一茶立急して先しまひぬ分く岸もらのも靑折谷く岸を萓錢行ののの本ノマヽのこや萌幸小け拵我艸にもらのこやもらよなけへ臥うつ貌すもみの脇ふとし髭く〓〓牛のれくてもも洗も家凉降ひか丈りりを卯ほと筋むと 札苣のとと仕に廻夜ぞ三に入い過のなタふがのしさゝ女古郞につをけさ月けりいけくひはき畑立鐘りくにりよ疋てふり秋てなす佛花笹素掬允松魚呂春一呂春人淵人鏡斗鏡甫斗兆宇茶甫兆宇淵芳甫茶芳甫
門曲引我暑行う大郭鶯ぞくつ鶏け乙紛雁植我朝鑓春雪ちりて目ぼふ鳥れ共つ菴雨持風きや來がけをにやのりて又て狹腹猫ほ先念の春と成けひ落しふのち月佛しとり笑ひあとくおり〓〓ときひを牡ら申家椀し見丹し日ももる鷄公き螢あちらつのの茄ふ日〓〓と魚そりとしても身子ん殘をのまのりすも色たの水面五かのぎくな出がこ夜行う月のすま雨たな小宿畠り上けて所やの〓上の宿韓畠きり頭人日やきや來がけをもおり草見水辷まのしちれのりすれ月あ佛しおのりも色たとり笑ひあとくり〓〓ときひを牡ら申家し見丹し日もるりやさ門咲て永な門竿ばに歸かりけり苔田のけかの〓きかる雨りなとくば風し靑のてさ風吹き申家椀ぎひとりのて日もも行梅よ燈のすまのり梅との春籠老春ひのずり家秋文化十一年四月二十五日歿日和冬のはのかはの木のや鳥梅けか享和元年五月一日歿かくな水な哉雨ら哉花りな女成高井野兎フルマ白ケノ可田中希皐春雪其のの〓けかかはきるくな水なら哉花りな垣雨水哉なり雁なな二二五フルマ白ケノ可雪田中希釋雪有二三程魚笹掬素九歳女し其千鳥布耕園居飛候翠枝水九麥休可我淵人斗鏡う
朝田蕣晩みそ萩の咲えぬもけふに折られけりいふ〓とのさはるやう也夜な鼠や韓まで〓〓にのた人貌ゞのくも咲心ま見事すれてらをまるうしけ咲ゝれ梅春しりのはのげ更のな雨に衣華梅お人タ郭山降五柴氣タ初がさかはせみな暮公吹月の顏雨に入三月十日此邊の山ぶみして戶げやの雨も鳴やに霧友のやざく〓〓步く人たた十なにく癖の櫻空にくせづの咲のなも蔭やかれ付せ足りも朝すれたる秋晋風曰宗原は一茶の父なりらばそ仲〓〓に人のらや貌ゞや無の芦くも門そなに空く事にちよいとやまよくせづなかれづなもれて御りよくらをやかおくりも貌る咲朝れすうるの三ヶの月いな見てるらゝ日るき借か梅たの長化十春しのりの天て垣ぬ柳り家かりけ享和元年五月二十一日辭世せ門凉柏原宗はのい角田郭の置根鉢かぐな雨に衣華事十二月八日於當所歿甲二二七槌百草漫有可若斐都川公川ん哉敲なすなり甲飯田壺スハ何若素スハ六川知-蕉大稻村二丸々斐里翁原雨賴伯人藥綾洞茶長
粗雲所雲湖人に來てとまりさう蛙なく夜がやどり木雀雀にをしう〓〓の鳴ませ湖柳でれて聲のしは出來にけが見えても捨見がとゞくぞかるえりすやけてな春りむ足りり蟷閑風ど馬霜秋夕案山子の風や夜若歸る雁なけばぞけふも見てやりぬどきく賣にゑぼし着せの草螂古の韓やうな木が嬉しい人のの來鳥夜男るこめ明もあ窓ゝかしてなかろ長くらる覗かたもくかるかかな日閑ぬ春くり柄古げの事舟哉鳥な月よ火目雀をにを市〓〓やあ焚の鳴るこけてや小我にしばしのあるじせ甲藪斐のに中居しめるの富士膝の小ば見てゝは判せ日も並のるかるえベ暮小すやて家てなりるくむ足家櫻袋りるかかなあのり立比日閑ぬ春く雪る靑雪豆角梢良かの遠の腐力か伊柄古げの事の事の月よ上享和元年七月十七日歿越喜幽馬後櫻田な月よ哉哉な砂し鳥賣取な吹頭よ山越江左年司竹長干花春班士淇烏宇申千嵐州-重琴眉風里肅年嘯瓢當陶雄車明園頂洋齋影外作行
老長玉水鷄にも疎梅むら芒見やう見まね韓け閑まがうさつ人ゝなやりの華足平まれ壁見の家吹がまし世にあれるつの人の通よ迄かごを人まにへす穗る草に庵、のりけ出のか水肌三春稻幸鳥花江蚤有たけの夏のうまみ戶とりての櫻大殺錢しもははまが見日寒う月れし茶やのはしより寒藪木水の捨下てうつ妻どはにうさつて人ゝや人にもよも聞のしおしや蜑春の人とももなりのもの笑しお晴ふしるがましとやよが出るも見ご如れのやらせぬのもかのゆほととぎけりは荻春ののけりしり〓〓る募草明はかきつばたや角か力な取春るや角りに妻木文化十一年七月三日於高丘殘か子のの隱力哉聲水するな取常加越湖甘眉車秋處乾白陸賀中のずけのけな文化九年九月十五日歿せばる戶り庵月門りる奧本ノマヽ雨雄東雪素平陸遲里祗松な子ののせばる戶り庵門りる哉聲水する奧本ノマヽ常加二考淵原昂郷角月石鳴江中谷山大守白夫年
三梅濡山しぐるゝ老らくと見てやくはしく鳴色駕ににな天や窓づ野まっはかぬ近ヘ草付てのの露女螢しくか郞雲蕣おなじくはひとつで更よきり〓〓す梅の月うすくもこくもなかりけりや植しけふより華のやど黃煙菊そこらうちいひ合せ鳥もてば佗にのも名ころをもぬがし日つはて夜ひとたびは父にも花夏氣梅我盜韓山持たみじむ人てめや人尻子かこはやの夜にあらはれて鹿にか大野まらの飛しか這はしらやでつ戾て夜た入行な也てやとな也茶し馬梅のののよしのて月戶なく夜口高か享和三年十月二十五日歿の鳴五かか燈文化十年八月十二日歿な籠三卓長河千ぶの實はな花なれ雀山な鳥螽面哉な尾相伊出三松前布冥岳雉叙玉澧丘路椿秋張模勢野乙羽きよ輅啄來珂水高白堂擧池翠明松二女々席
草屑植梅湯賴三落道蝶柳黃聲ゆ我タ山夕立にうたせておふ門燕伏ぐれの山をひの野と螺山つにとはの思し谷き高づへ枯芦何をして人はる籠る折あ籠朝が間やののべのかゝしも逢韓るか昏よ〓〓の人所けふもらはき見れば迹はくへぬひるよりけりちかゝ衡と思兀しけはいさし親らふ桐でおやむ梅のひのの日に〓〓折根らはきの腰りのも轉御はか爪げや馬らきれて隱上先寒ればはきた月散也けし戶竹しな初口のがの松にかくれて 聞と螺くぬる馬暮き高へれてすぞへらふぬさほ歸ま流須旅よごむとゝりるれ磨ん 閑戶竹な霜箔のはけ-ろらぎけ芒け寛政十一年五月三日歿り關の古文化九平五月十五日歿文化四年三月二十五日於名古屋秋鳥京士乙都朗因葉月佛家なりも芒すり哉り哉蔭ら花魚攝京井長魯奇八尺月其金雪蒼州麥東梅逸五千眉齋隱淵坊艾居成菜雄虬更朗阿陽間人雄
むく、かたのごとくの書とゞく。八月二十一日、叟身まかりぬと聞、さながら、品蓮臺にてと御たのしみ候也。口同事也との外に哀たり。梅柳と申納候。たづねても世の中茶一如月二十日長ければみつがひとつをしるしぬ只むかしをおもふ度、上いまだ、活て居ると申ばかり、人楊下御往生も不被成候由。は人戀しくも、なし山ざくら萬事、最早生前、隨意々々、樗花不世き華むす春の花こんな親爺じやなかの斷自は伯ののらのが日雲來芒ふの千る藏を道る像穗鳥鳴ことしも司が伊もひ人もに達誰賛賛皆とおも付ゞぞこに閉たたきかそかるに夢す出明へる開〓にむねしば切く水暮やみ玉歸戶桔す畠つたになるか手か梗哉道文化二年三月十七日歿狐享和三年三月二十八日歿雁な箱な哉一桐大二萬松竹三米江津世き華む鷄す三韓らのが日千る道を鳴もゞこそるにあの世へさそはるゝやうに、手の筆の落るもしらず、おどろく折から、そゞろにうしろさ養寒また出へる開〓しにねば切く水玉歸戶桔最早生前、隨意々々、夫もまためでたからむか。御面會もあるまじく.御憐推々々。風流も先閉老は、こ上み樗なるか梗狐享和三年三月二十八日歿雁な箱な哉二萬松竹三米るか手か梗な箱な哉堂二三七老一津人草栖丸柳和隣齋人彥
逃歸りぬ。引續て、此編後一越の喜年、次はお韓江戶便,所文化十一年霜月十九日上野の雨什、我身の其多追〓〓の無常の風に吹立られて、上か鳴烏一ら人來三月刻が春小傅馬町三丁目幸手屋茂兵衛守靜方信州俳諧寺一茶一茶直に信濃へ茶
おらが春俳諧寺一茶著序世々の變風元祿に至りて、正雅やゝ定まりしよりこのかた、諸家の風調、おの〓〓其の得失によりて、風姿極りなしといへども、かの向上の一路は踏みたがふ事なく、ひばりのくちさかしく、蚯蚓の鈍くおかしげなる。又は蓬の直よかに、蕀のくねれるも、みな、自然の風骨を具して、しかも、正雅にもどらざるは天の妙といふべし。其の一妙を得たるしなぬの一茶、一期の風雅言行ともに洒落にして、闇王も腮をとき獄卒も臍をかかゆべし。しかはあれども毛頭れいの向上の本意を失はず、實に近世獨步の俳道人とせんか。こたび同國の一之、家に傳へし坊が遺稿をその儘上木して、追慕の志を盡す。予も亦舊知己をわすれず、坊が命終の年、柏原の舊里を訪ひて、往事を語るにあるひおの〓〓んか。予も亦舊知己をわすれず、坊が命終の年、春二三九
二四〇は泣、るも、あるひは笑ひて別れぬ。其佛まぼろしに見えて、これ又因緣によれるべらし。嘉永壬子春涅槃日東都瓢隱扨こそ、この集の序者にたて都瓢隱居逸淵團昔たんごの國、普甲寺といふ所に深く淨土をねがふ上人ありけり。としの始めは世間祝ひごとして、ざいめけばわれもせん迚、大卅日の夜ひとりつかふ小法師に手紙したゝめ渡して、翌の曉にしか〓〓せよと、きといひをしへて本堂へとまりにやりぬ。小法師は元日の旦、いまだ隅ミ〓〓は小闇キに、初鳥の聲とおなじくがばと起て、〓へのごとく、表門シを丁〓〓と敲けば內よりいづこよりと問ふ時、西方彌陀佛より年始の使僧に候、と答ふるよりはやく上人裸足にておどり出で、門の扉を左右へさつと開て、小法師を上座に稱じて、きのふの手紙をとりてうや〓〓しくいたゞきて、讀ていはく、其世界は衆苦充滿に候間はやく吾國に來たるべし。聖衆出むかひしてまち入候。とよみ終りて、おゝ〓〓と泣れけるとかや。此上人みづから工み拵へたる悲しみに、みづからなげきつゝ初春の淨衣を絞りて、したゝる泪を見て祝ふとは物に狂ふさまながら、俗人に對して無常を演ルを禮とすると聞からに、佛門においてはいはひの骨張なるべけれ。それとはいさゝか替りて、おのれらは俗塵に埋れて、世渡る境界ながら鶴龜にたぐへての祝盡しも、厄掛ひの口上めきて、そら〓〓しく思ふからに、から風の吹けばとぶ屑家はくづ屋のあるべきやうに門松立てず、煤はかず、雪の山路の曲り形りにことしの春も、あなた任せになんむかへける。目出度さもちう位なおらが春-茶こぞの五月生れたる娘に一人前の雜煑膳を居えて這へ笑へ二つになるぞけさからは文政二年正月一日春-茶
おみ猫の子や花苗白葎小うるさい花が咲く迚寢釋迦花らかくれ家佛の代壁が玉かの上や二月十五日陰あかの他人はの誹られ春はら世野秤寢庵遠あやをにての川望んな猫無かゝりつゝじやれおはしてもかなに官ざりにが胡もすのら蝶狐なかのへ鳴生か靑みするに花と二れけけか日お櫻灰さ山す名花苗白らく猫のつ代水善光寺堂前とし男つとむべき僕といふものもあらざれば月ぼのやに江花ん春わ盜もう色か時な人水や柳を作浴もておららん春る花し烏か給かの(頭注)へと見えヲ□ノサマ也、へ初ら〓〓と春ツボサウゾクハうてじん唄なウハギハ上衣ノツマヲハサミタル姿也、柳はれも〓〓しお端老花折木か哉哉なに玉カツラニツボリ姿ト云々午うなや柳はを作のらてな鳴生る〓〓しおらららん春しか靑みすに二れけけ日りけりみけりけ給のけり日る錢なり灸りふ月な今云カイトリハシ-茶茶
さらし布霞の足しに聳へけり妙專寺のあこ法師たか丸迚、ことし十一に成りけるが、三月七日の天うらーゝとか觀了すめるにめでゝ、くはんりうといふ、ふとく、たくましき荒法師を供して、荒井坂といふ所にまかりて、芹、薺などつみて遊ぶ折から飯綱おろしの雪解水、黑けぶり立て、動〓〓と鳴りわたりておし來たりしに、いかゞしたりけん、橋をふみはづしてだぶりと落たり。やあれ觀了、たのむ〓〓と呼はりて、爰に頭いづると見れば、かしこに手を出しつつ、たちまち其聲も蚊のなくやうに遠ざかると見るを、此世の名殘としていたましいかな、逆卷く波にまき込まれて、かげも容も見へざりけり、あはやと村の人々打群りて、炬をかかげてあちこち搜しけるに、一里ばかり川下の岩にはさまりてありけるをとり上て、さま〓〓介抱しけるに、むなしき袂より蕗の薹三ッ四ツこぼれ出たるを見るにつけても、いつものごとくいそ〓〓歸りて、家内へのみやげのれうにとりしものならんと、思ひやられて、鬼をひしぐ山人も皆〓〓袖をぞ絞りける。とみに駕にのせて、初夜過るころ寺にかき入れぬ。ちゝ母は今やおそしとかけ寄りて、目見るよりよゝ〓〓と、人目も耻ず大聲に泣ころびぬ。日ごろ人に無常をすゝむる境界も、其身に成りてはさすが、恩愛のきづなに心のむすび目ほどけぬるはことはり也けり。旦には笑ひはやして門出したるを、夕には物いはぬ屍となりてもどる、目もあ原本のゝしりとして消しありてられぬありさまにぞありける。しかるに九日野送なれば、おのれも棺の供につらなりぬ。とみ界も、けり。思ひきや下萌いそぐ若草を野邊のけふりになして見んとは一茶長〓〓の月日、雪の下にしのびたる蕗、蒲公のたぐひ、やをら春吹風の時を得て雪間〓〓をうれしげに首さしのべて、此世の明り見るやいなや、ぼつりとつみ切らるゝ、¥九
それを聞き得ざるは、ふ人もあり。しぎのなせるわざにて、いにしへ甘露を降らせ、乙女の天下りて舞しためしなきにしもあらず。つら〓〓思ふに、誰言ふともなく云ひ觸らして、正月元日の夜の丑の刻より始りて、今、此天下泰平に感じて、又吹風の迹なし事とけなすものもあり、其噂、東西南北にばつと弘りぬ。全く有りと信じがたく、其の身の罪の程によるべし。いつ〓〓の夜、天上の人も腹鼓うち、打つゞき八日目〓〓に、又ひたすらなしとかたづけがたし。そんぜうそこにて、俳優してたのしむならめ。天に音樂あるといふ事天地ふしかとききしといや、草の身になりなば、かれらも佛生得たるものになん。観鷹丸法師の親のごとくかなしまざらめや、お/通り拔け餅腹をこなしがてらのつぎ穗せよと垣から柳花大松梅おられとしてにらみくら猫島の獨のの花こ尻小尾隅ゝ座ではを盜な暮めぶてとちる三月十七日ほしな詣やとあが春ののと尾隅ゝる木ぶて陰とる鳴さすも小く小するかか開蝶雲月蛙なな帳哉雀か哉草木國土悉皆成佛とか二四六茶

聲有。て、おの〓〓息をこらして、何にまれあしからぬとりさたなりと、今や〓〓と待うち、三月十九日夕過より、夜はしら〓〓明て、誰かれ我が庵につどひ窓の梅の木に一茶正翌〓〓と待た屋むらの月や夜は一夜にわるゝうよる籔入橫霞雀馬鶯今五長なちりの身とともにふは〓〓紙帳哉小五おらの月雨も仕廻ひのはらり〓ヽか坐月ぐが病卯日春頭雨さみにを月八のもか天中はく間もな後日わ窓休にみらかをかぶ打よ也る 扇し今誕夏か日生のななは佛月むの子そこのけ〓〓村乘ロ迄のの京の日世やのも馳あ馬やまぐれあ島はも走しんかんとして鳥いそにのた原にはつごヾ泊掃ほたなしけりくりび御か經ややもく馬鳴ぐのもはく間もな休みか日わるゝうはよみらるをたなけとかく打ちきりびよて也がしもく鳴し今誕夏櫻櫻梅梅柳タ大が春きに日生のかかののか雲坐通のねけななは佛月なな月花な雀敷る雨哉り白一一茶飛茶茶
虫卯世這入竹蚊がちらりほらり是から老人形今までは罰もあたらはつわた梅のがの幽花に人瓜谷晴子よくばも一に茶形を引とらまへてる橋の下よりほ藤やとを一二品栖町橋人はこばせ軒よ並き りくつん遊泊ずのでベ寢とれ飯晝て社寐門たゝ煤雀が這は入竹此居花つむや扇をちよいとぼんのくぼあつばれの其おかとしよりおら一のにつ蚊のだまつてしくり〓〓かく門入風身一つすぐす迚山家のやもめの哀さはがれ呂戶が迄春にり里尺家天はどな隱と見るや鳴蚊の耳のそば仕とらの窓流し込だる大わか竹ぞ見ぬうちに山柱用廻てどこでたれ心けり此はしら麥のこを庵ろ打〓ヘぞれも苔水田けか〓か植笠此居其かおら一くりにと一栖軒よ並き りくこん遊をでベ〓ぞ寢とれもたゝ煤雀かの世蚊凉子ぎ拂のりえな水なな蠅ぞ帳哉すひ子茶
影法師はさながら西行らしく見えて殊勝なるに、心は雪と墨染の袖と思へば〓〓、入梅ことしみちのくの方修行せんと、乞食袋首かけて、小風呂敷せなかに負ひたれば、法寢子山芝笋麥秋や子を負ひ苔も花さく所子で獨越後女旅かけて商ひする哀さは山見し人や樂天上た蛇程坊休子はし世話はみ卯たな所花も法寢で春しやはし世話はみた所卯何時ヤゴサリマセウナ、ロウノノツミ立ツキテい花も世明三ばちいはし夏花にのけ木咲を捨衣月立ん賣
(頭注) (頭注)似雲法師西行に姿ばかりは似たれども心は雪とすみ染の袖晴のそらはづかしきに、今更すがた替へるもむづかしく、卯の花月十六日といふ日久しく寢馴れたる庵をうしろになして二三里も步みしころ、細杖をつく〓〓思ふに、おのれ、すでに六十の坂登りつめたれば、一期の月も西山にかたぶく命、又ながらへて歸らんことも、白川の關をはる〓〓越る身なれば、十府の菅菰の十に一つも、おぼつ(頭注)天哉子ノ迹ナカラ是モ歌ノヤウナレバ書ツケヌながらへて歸らんことも白川の關をはる〓〓越る身なれば茶かなしと案じつゞくる程に、ほとんど心細くて家々の鷄の時を告ル聲も、とつてかへせよと、よぶやうに聞へ、畠〓〓の麥に風のそよ吹くも、誰ぞまねくごとく覺へて、行道もしきりにすゝまざれば、とある木蔭に休らひて、瘦脛さすりつゝ詠るに柏原はあの山の外、雲のかゝれる下あたりなどゝおしはかられて、何となく名殘おしさに、思ふまじ見まじとすれど我 が家哉一茶おなじ心を古〓に花もあらねどふむ足の迹へ心を引くかすみかなあまひらをおどろかさじと靑麥にほどよき風の吹すぐるかな日々懈怠不惜寸陰けふの日も棒ふ(頭注)宋文公勸學文もり蟲よ翌も又茶勿レ謂今日不レ學而有レ來日。勿レ謂今年不レ學而有來來。日月逝矣。歲不二我延一鳴呼老。是誰之 無限欲有限命が春おら
今松はなれ鵜が子のなく船にもどりけりひいき鵜は又もから身で浮みけり大かくれ家とべななあついとてつらで手習ひした子哉迄のむほ暑螢田中川原如意湯に畫浴みしては蟬よあゆし今來た山を寢罸もあどは蚤みらだ蠅も小勢でくらしけりこ同り〓〓と迄じ佛た鳴事のら方てなずより晝畫らて通寐に蓮鳴見り蚊なの蚊れけ屋る上哉ばりおらななタ片三松直古起此か顏息度題のに搔陰き〓心に思ふことを世はやや蠅寢小迄蓙陰きあ〓〓風春にの不欲足目引い花なて童蜻でつ蛉唄涕て一錢人いか迯とまるむ入程をつふ張でさておるのもしる也りば螢夏や夏蓮に靑夏トか座座のけ田座るり哉な敷敷花り哉敷一希茶杖
わが友魚淵といふ人の所に、天が下にたぐひなき牡丹咲きたり迚、いひつぎきき傳へて.界隈はさらなり、よそ國の人も足を勞して、わざ〓〓見に來るもの日々多かりき。おのれも、けふ通がけに立より侍りけるに、五間ばかりに花園をしつらひ、雨覆ひの部など、今樣めかしてりゝしく、しろ、紅ゐ、紫はなのさま透間もなく開き揃ひたり。其の中に黑と黃なるは、いひしに達はず、目をおどろかす程、めづらしく妙なるが、心をしづめてふたゝび、花のありさまを思ふに、ばさ〓〓として何となく見すぼらしく、外の花にたくらぶれば、今を盛りのたをやめの側に、むなしき屍を粧ひ立てゝ、並べ置きたるやうにて、さら〓〓色つやなし。是主人のわざくれに、紙もて作りて、葉がくれにくゝりつけて、人を化すにぞありける。されど腰掛臺の價をむさぼるためにもあらで、たゞ日〓〓の群集に酒茶ついやして樂しむ、主の心おもひやられてしきりにをかしくなん。おらが春き。りて、
-紙屑もぼたん顔ぞよ葉がくれに茶蛙の野送爰らの子どもの戯に、蛙を生ながら土に埋めて、諷ふていはく、ひきどのゝお死なつた。おんばくもつてとむらひに〓〓と、口〓〓にはやして、茶苡の葉を彼うづめたる上に、打かぶせて歸りぬ。然るに本草綱目、車前草の異名を蝦蟇衣といふ。此國の俗、がいろの葉とよぶ、おのづからに和漢、心をおなじくすといふべし。むかしは、かばかりのざれごとさへいはれあるにや。卯の花のほろり〓〓や墓の一や墓の塚一茶此もの諸越の仙人に飛行自在の術ををしへ、我が朝天王寺には大たゝかひに、ゆゝ
嘯子の蟲合に、しき武名を殘しき。それは昔〓〓のことにして、今此治れる御代に隨ひ、ひよりて、つゝ、夏の夕暮せどに莚を廣げて、ゆう人と同じく涼む。ぜ一歌の判者にゑらまれしは、んとして其のつら魂一句いひたげにてぞありける。山福よ〓〓と呼べば、を汝が生涯のほまれなるべし。見る蛙やがて隅の藪よりのさ〓〓這哉-茶さる物から長ともに和らぎ電ついにくされて、蛇のつるみたるを打殺したりけるが、しなのの國墨坂といふ所に、ころりとおちて死けるとかや。中村何がしといふ醫師ありけり。其の夜かくれ其子親の業をつぎて、の物、づき〓〓痛み出だして、其の父のわざくれに三哲といふ。思鶯鵜の眞似は鴉より上手閨の蚊のぶんとばかそんじよそこ爰と靑田のひいきか雫ふ天こと窓なだでまけつてりに燒れけりりな子ども哉引居がるかなる狗蓮山留寢とらが雨など輕んじてぬれにけりにの番守並五月二十八日爰葉に此のの中も釣り放しなんへ爺でが來遠祈世の露はよタりと立しやるの〓曲蟬紙帳評水議のけかか聲りなな哉おらの番守並にか春まかだりまよつ出りとてたのよる引か議かかのける蟇蟾聲りなな哉一曲其-茶翠角茶
並み〓〓より勝れて、ふとくにくしきのやうなるものもちたりけり。然るに妻を迎へて、さてなりせんとするに、棒をつてしやうなるもの、直ちにめそ〓〓と小さく燈心に等しくふは〓〓として、今さらにふつとぬものから、耻かしく、もどかしくいま〓〓しく、婦人を替たらましかば、又幸あらんと、百人ばかりも、とり替へ引替え、妾をかゝえぬれど、みな〓〓前の通りなれば、狂氣のごとく、ただ、いらちにいらちて、今は獨身にてくらしけり。かゝることうぢ拾遺物語、其外、昔双紙などにばかりと、思ひ捨侍りけるを、今目の前に見んとは、是かの蛇の執念に、本ノマヽ其の家血筋たやすならんと、人〓〓ひそかに噂きけり。されば生とし活るもの、番、虱にいたる迄、命おしきは、人に同じからん。ましてつるみたるを殺すは、罪深きわざなるべし。ま魚どもや桶ともしらで門涼み茶ヲヽ延カシイ
關萍隈蓮人おはつ螢其の手ら聲の界の守が越大花花春のに子のか少灸なしをら後沼ま點はくはぬとびぶりや曲引のけかはらる所くやんあもやするう女木梅のき鹿雲下世かの闇哉な花古之爲關也。(頭注)鬼茨孟俳諧宗雲水に送る將以禦レ暴も子添て萍お晝ふしっけしおどろが下に住むはへの心おさなき身をいかにせん水ふねにうきてひれふる生け鯉の命まつ間もせはしなの世や彼岸の蚊釋迦のまねして喰れけりとくかすめとく〓〓かすめ放ち鳥ら顏淺や春かぼ間つら沼後ま山ぼ今之區爲關也。將以爲暴。見よ〓〓一凉のとらる所くやよ燃んあもやる〓〓るう石木一のきころ雲み俊光賴俊一大卿卿江茶茶丸
たりしに、古根よりそろ〓〓靑葉吹て、山に薪水をはこぶ道を作るに、ひたおとしに落し込むからに、に、木末は根際よりほきりと、て長閑なるに、boに張るころ.おいまだ眞白妙に風冴えて、然るを此國のならひ、月日の惠みとゞかず、高井郡六川郷六かはの里、らつや〓〓と芽を出して嬉しげなりけるを、が山鶯の折しり顔に鳴けば、隣〓〓の脊戶畠は草木靑みわたりて、春冬になれば東より、雨露の潤ひうとければ、嚴寒を欺くけしきとて、折れて仕廻ぬ。人ならば直に無常のけぶりと立昇るべ山の神の森にて、からうじて一尺ばかり伸けるを、愛宕山の石壇登るがごとし。恰も越のしら山、雪の消え口より見るに、西より、栗三つ拾ひ來りて、一夜に兀と湧出たるに等しく、やゝ卯月八日、其のとしやをら一尺ばかり伸びけ花もまれ〓〓咲けるに、東隣にて家を造り足しぬるから南より、漸二三月ごろ、また前のごとく家の雪北より、二七一哀れなるかな、庭の小隅に埋め置きを、栗の髪さけ虫の歌を〓彼山はおしなべ其の家の大雪を蟻櫻蝶疫風母な靑柿の迄あるでしこに二文{病茂馬小草江崎神のがも戶やふ林蚤をもつて番金錢住しは寺もし原だ居ぶ〓〓負てけせ尊が{道惡のも戶や雲くの云は寺峰はりととんだよりすつゞる籔き茶け蚊釜もぶ〓〓負よてせ尊り呑ふとし雲て流すし〓そ水を鳴つる浴よのぐ閑きせけの水け門古ん哉哉り峰哉凉り鳥二七〇
おく五歌仙繼下母部のひ又祇園拾遺まゝ子をもいたはる嫁の名をとげて葛の繩白をゆるされし文貞享四丁卯歌仙竹なげゝとて蚊さへ寢させうつくしきまゝ子の雪はらふは風の顏のぬまのま子おのれが不運を、す日は一日もなく、せばめられつゝ、居るといふばかりなるべし。き實入るちからなく、を落し込れてほきりと折れ、朝夕に覆かぶさりし目の上のなでしこやさるべき因緣ならんと思へば、科なき草木に及すことの不便也けり。鬼ばゝ山の山おろしに、ことし五十七年、されど此世の緣盡ざれば、ま辛夷も花の盛り也けり我又さの通り、年〓〓折れ〓〓、ゝはゝ露の玉の〓の今迄切さるもふしぎ也。木々吹折られ〓〓て、梅の魁に生れながら、くるしみも平生とは成りぬ。の日陰枯も果ずして生涯一尺程にて、ことし七年の星霜を累ぬれど、花晴〓〓しき世界に芽を出一一茨の遲生へに地を茶茶しかるに生て花咲おらがわづ山か木春西なる世をまゝくれて草ば其かりくれの引蒲そロかて草ばに團にし首に母血蘆る埋にのまの夜めを蠅穗僞られゝゝぬのけ子打子綿哉ん哉哉る雨る山崎宗風芭未芭未紅正一流蕉達蕉達雪勝鑑茶茶
二七四とらせざりければ、小さき土鍋のありけるを、我腹の子にとらせて、とらせざりければ、ゝてよめるとなん。鶯よなどさはなきそちやほしき小鍋やほしき母や戀しき貫之娘親のない子はどこでも知れる。爪を咥へて門に立つ、と子どもらに唄はるゝも心細!大かたの人交りもせずして、うらの畠に木萱など積たる片陰に跼りて、長の日をくらしぬ、我身ながらも哀也けり。我と來て遊ベや親のない我腹の子にとらせて、鶯の鳴くをきや親のない雀六才彌太郎書、大和國立田村に、むくつけき女ありて、まゝ子の咽を十日ほどほしてより、飯を一椀見せびらかしていふやう、是をあの石地藏のたべたらんには、汝にもとらせんとあるに、まゝ子はひだるさ、たへがたく、石佛の袖にすがりて、しか〓〓ねがひけるに、ふしぎやな、石佛、大口明てむし〓〓喰ひ給ふに、さすがのまゝ母の角もほつきり折れて、それより我うめる子とへだてなく、はごくみけるとなん。其地藏ぼさち今にありて、折〓〓の供物たへさりけり。ぼた餅や籔の佛も春の風一茶も春の風一茶こぞの夏、竹植る日のころ、うき節茂きうき世に生れたる娘、おろかにして、ものにさとかれ迚、名をさとゝよぶ。ことし誕生日祝ふころほひより、てうち〓〓あはゝ天窓てん〓〓、かぶり〓〓ふりながら、おなじ子どもの風車といふものをもてるを、しきりにほしがりてむづかれば、とみにとらせけるを、やがてむしや〓〓しやぶつて捨て、露程の執念なく、直に外の物に心うつりて、そこらにある茶碗を打破りつゝ、それもたゝちに倦て、障子のうす紙をめり〓〓むしるに、よくした〓〓とほむれば、誠と思ひきやら〓〓と笑ひて、ひたむしりにむしりぬ。心のうち一點の塵もなく、名おら春二七五
二七六月のきら〓〓しく〓く見ゆれば、迹なき俳優見るやうに、なか〓〓心の皺を伸しぬ。又人の來りて、わん〓〓はどこにといへば、犬に指し.かあ〓〓はと問へば、鳥にゆびさすさま、口もとより爪先迄、愛〓こぼれてあひらしく、いはヾ春の初草に胡蝶の戯るゝよりも、やさしくなん覺え待る。此おさな、佛の守りし給ひけん。逮夜の夕暮に、持佛堂に蠟燭てらして、鈴打ならせば、どこに居てもいそがはしく這よりて、さわらびのちいさき手を合せて、なんむ〓〓と唱ふ聲、しほらしく、ゆかしく、なつかしく殊勝也。それにつけても、おのれ、かしらにはいくらの霜をいたゞき、額にはしはじは波の寄せ來る齡にて、彌陀たのむすべもしらで、うか〓〓月日を費やすこそ、二つ子の手前もはづかしけれと思ふも、其の坐を退けば、はや地獄の種を蒔て、膝にむらがる蠅をにくみ、膳を巡る蚊をそしりつゝ、剩佛のいましめし酒を呑む」是ヨリ見ルニツケツヽ迄小兒ノサマ折から門に月さしていと涼(、外にわらはべの踊の聲のすれば、たやちに小椀投捨て、片いざりにいざり出て、聲を上げ手眞似して、うれしけなるを見(、るにつけつゝ、いつしか、かれをもふり分髪のたけになして、おどらせて見たらんには、二十五菩薩の管絃よりも、はるかまさりて興あるわざならんと、我身につもる老を忘れて、うさをなんはらしける。かく日すがら、をじかの角のつかの間も手足をうごかさずといふ事なくて、遊びつかれる物から、朝は日のたける迄眠る。其うちばかり母は正月と思ひ飯焚、そこら掃かたづけて、團扇ひら〓〓汗をさまして、閨に泣聲のするを目の覺むる相圖とさだめ、手かしこく抱き起して、うらの畠に尿やりて、乳房あてがえば、すは〓〓吸ひながら、むな板のあたりを打たゝきて、にこ〓〓笑ひ顔を作るに、母は長々胎内のくるしみも、日〓〓襁褓の穢らしきも、ほと〓〓忘れて、衣のうらの玉を得たるやうに、なでさすりて一入よろこぶありさまなりけらし。蚤の迹數へながらに添乳哉一茶より〓〓思ひ寄せたる小兒をも、遊び連にもと爰に集ぬ。柳からもゝんぐあゝあと出る子哉おらが春一
ければ去男にきらはれて親のもとに住みけるに、鵙折早春袴子花とあゝ立たひとり立らとても花の木鳴雨ら乙が着にあくと申れや箸とり初たる日女やい春やへた赤や格も子る子子子一ついの門ののよを頰の泣り草人夜履に間 のく方を出へやちいさた見おのが子の初節句見たくも、すすとはるる幟せ花へることし哉ふが植童もか時れての親ななに哉行手い子心しよみ女しぃず其其葉東羅子芭貞晝は人目茂げ角角捨來香堂蕉德凉妹餅子名bあ年蓬たのもしやてんつるてんばくや縛られ花寳風の吹其がこ月問萊の子がを小兒の行末を祝してがへにな木の餅き取ば影脊やら〓〓笑てくれろとく片んむ〓〓と引〓〓と木に負ふた手へて出な縛うてすがち形年蓬ららがれ春へや格たる門よをり夜履に間 のく方出へやちいさたすとはるせ花へることし哉が植童もれての親な哉行手い子心したな縛うがちうす見とはるる形並ふ子いる幟せらあへりなくんベ榾もよ我はやのやふかぶ子配け火子初更子な螢哉哉餅り哉哉袷衣哉二七九よみ女しぃず其葉東羅子芭貞二七八角捨來香堂蕉德
る千代の小松の、ば、にしはれたるに等しく、あら〓〓しき痘の神に見込れつゝ、花と共に、たれど、祝ひはやして、らめ顔しても、の期に及んでは、るも、去四月十六日、痘はかせぐちにて、露の世おらがかゝる不幸あらん迚、益〓〓よはりて、此世をしぼみぬ。春思ひ切がたきは恩愛のきづな也けり。さん俵法師といふを作りて、二葉ばかりの笑ひ盛りなる綠り子を、は行水のふたゝび歸らず、みちのくにまからんと善光寺迄步みけるを、露の世雪解の峽土の、側に見る目さへくるしげにぞありける。きのふよりけふは賴みすくなく、道祖神のとゞめ給ふならん。母は死顏にすがりて、な今水濃のさなかなれば、がらさりながほろ〓〓落るやうに、散花の梢にもどらぬくひごとなどゝ、笹湯浴せる眞似かたして、よゝ〓〓と泣もむべなるかな。寢耳に水のおし來るごとき、やをら咲ける初花の、らさはる事ありて止みぬ終に六月二十一日の蕣の瘡蓋といふもの取れば是も二三日經一神は送り出し茶あきこたれ泥び呼び歸さゞらめや。をいふなるべし。子を思ふ實情、所有畜類是世々親族となん、子鹿負夏人小夜しぐれなくは子の無い鹿に哉をのて山の親出やかくす親いかなる鬼男なりとも、さもと聞えて哀也。笹子ての吹子に烏藪にあ風のもら追親をしたひ子を悲む情に鳴廻りやはけ猛きもゝのふの心を和らぐるとは、もどかれり風の便りにもききなば、すて鳴りる鹿雀けの雲蛙の雀〃り哉鳴子二八〇一東五鬼樂しみ極りて愁ひ起るは、あうき世のならひなれど、もらら追親をしたひ子を悲む情はけれりて鹿雀に鳴はもどかれりすりるいまだたのしびも、の何ぞへたてのあるべきや。蛙のり哉鳴子一東五鬼茶陽明貫らさはる事ありて止みぬ一茶いかでか、かゝる眞心ふたゝ一半ばならざ
春柄蜻蛉のをやんごとなき人〓〓の歌も、子をうしなひて愛子をうしなひて釣りけふはどこまで行た事夢 氣なめのて違は母尋ぬがうらめしいるやぬ心に浮ぶまゝにふとしるし侍りぬ。り團扇よみ人しらずかかゝ千來十宿夜哀也夜半に捨子の泣聲は母に添寢の夢や見つらん似捨て行く親したふ子の片いざり世に立かねて音こそなかるれおおら六をのさな子た猶子母にはなれしころ娘身まかりけるに娘を葬りける夜孫娘におくれて三月三日野外に遊ぶ其夜母におくれたる子の哀さに子におくれたるころ出鶴顔もや土て我にやひとり飯くあ雛引身蒲らに忘團ばゝ出れも着ばせ桃が春尋ぬがうらめしいるしれと月やぬて見んふ秋り團ののられの-扇欠花ず暮踊爲家來杉猿其尙落卿代山風强角白梧
大俄貰直饒著々在機先未擧步時先已到あはれ蚊のついと古井に忍びけり寺川ふ頌大曲者隱れてうかゞふ圖やとよ日山扇んり早でで詣更須知有向上竅未動舌時先說了くうしし見れせしけな小りふ僧鹿扇ののかな人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道に迷ひぬる哉春とりしけ小りふ僧鹿扇ののか名親な兼輔卿茶
るに、霜は秋降る物から、老翁腰かけて一軸をさづくる圖に鎭西八郎爲朝、おのれ住める郷は、さすが獵夫も譬切りしは、我我鹿時九こと〓〓く變じざるはなかりけりおら家汝の鳥輪が幽を子蠅草春に待人礫うつ所に橘のからたちとなるのみならで、や虫四恰橫五おく信濃黑姫山のだら〓〓下りの小隅なれば、こと久しほ とめかゝる時になんありける。好栖りにくはら鳥もん草のよヘで鳴つし 萩仕にく廻けきの聞け萬木千草、りす花けり二八七上々國よりうつし植一雪は夏きえて、茶茶「、其夜親鳥らしく、紫の里近きあたり、太四郞五冠間の木太者夜すがら其の家の上に鳴ける哀れさに、とある門に、まが刀をかつひ炭團程なる黑き巢烏をとりて、に通るぐ扇袴かかなな箭御成り場所に、業人眤き子を思ふ闇やかはゆい〓〓とのの盜人おのが古〓に隱れて縛られしに下鳥鳥どもの餌蒔をしたふふびんさにに鶴罠母よどちらに箭をの乳を聲を烏の鳴あかすらん巡る呑やむ鹿がむのあら我お春に恰り鳥ものよヘで鳴つし 萩く仕ぐにく廻のけきの聞け子た時哉る雨りす花けりな二八七二八六立一籠伏せして有ける一茶茶茶志茶
お蟲木木-乳秋タ石稻赤雲白まかり出たるつ川妻をい笠のはや葉吐を國くひのく少のはと榮口(頭注)こせたりしを、成蹊子、飛二三史記李廣傳、こぞの冬、螢遍其人賛桃李不言下自成蹊手つひに不言人と成りしとなん、はをきくよはくぬつて〓〓つらつ啄念人通呑霧の風連にはぐれて二が經七月七日墓詣ゝの子春屁佛にやき止申るの番馬を步指堂がめだと風休の目よけてて壁し利け覺聞に迯川妻いをゝ春屁やを國き馬くひのくを賛桃李不言下自成蹊步のはとさ何を耀切づつ此まきはらりきし覺迯をくににちよの藪の墓にて稻ゝす申し妻にるやもたさ世やり木枯らが夏り直木引下木にえ稻てしてしゝす申か書るく笑く立し妻にやもくよつて居螢橋かゝし哉〓〓ひタ芒秋りるらが夏か鶯笠のもと回より此ころ、と行や螢佛菴木かののりと行哉哉魚な暮な穴哉る立墓候蔭立二八八茶申お
月蝕皆既潜人人の世は月もな古、上數郷丑ノ五刻左終亥七刻右方ヨリ缺、十五夜は高井野梨本氏にありてにはの月月留の守よ缺けり子六刻甚ク、居やま先もる一をせ人あらざりけるに、になん。立寄らば大木の下迚、秋得露の玉つまんで見たる我やうにどつさり寢山のらくらが遊びさ爰の諏方宮に、をしかの喰こぼしけり萩風やむしりた寺手さと女三十三日墓もや其下をゆきゝする人、椽の大きさ牛をかくす栗の古木ありて、大家には貧しき者の腰をかゞめて、の片上か足げ立がりし赤な日〓〓とり得ざるはなかりけり。んたやるわらのよ鹿小田夜菊は寒ののいのの哉哉花うち見たる所は菓一つも花花おはむきいふもことはり聲雁鍬お蕎酒秋さ得山ら麥盡が九月十六目正風院菊會おのが味噌のみそ臭をしらず國きてしんの坐につ春げのてた神ん農を顏切つがにもやま先顏る立なやつをせ缺目給やるく菊月鹿小田月月利にけひけかの見見見のの花哉哉なりり哉聲雁一茶
お蟷鵙頰下入杖山雀の輪拔けしなが菊どう風が螂のべたにあて戶道先園春や高井野の高みに上りてや聲追さと女笑顔して夢に見えけるまゝを庵のでや磁かれが畫五大步石んにん袋て疵解分鉢きもきになどし也の卷なすあ人こ魂でるがて里ん是きらわたりけりたき也らるをなれるきく故見渡菊くのたり眞郷よ瓜ののの小山とな鳥哉花花花盃お秋下入杖菊春でやきになあこるがて是きき也らるるきく故見菊くの郷よ瓜ののの小山と花花花盃-一茶茶
小小蝉子藪小菊なら繩目こ蔭供ん便の老戶迷ひせし折からに所とらやなぶをこ村爰なや心としと樂んの唐で馬耻箕お酒と藪影行行は大重木三炭狼喧小男鹿やゑひしてなめるけさむ一ら嘩すなあひみたがひら千鳥そつとつ根箱が介のつは善光寺門前憐乞食が春雪引のらしやからが火か糞の拍敲く木や錢みば降子朝四塗かのり捨てあるにころり五呼魚祝申樽り文さも義せ拭でばれしのやしぐふも小の咳ばらひはタ紅寒家僧按渡尻か時摩れけりつと葉かのり哉な雨坊立哉な霜鳥は大重木三炭こむら蔭供ん法な燈老寺僧の扇面にらやな師雁ををこ村に住松な耻心としば樂にんよでどつ燈とをとにり捨てあるにころり五文や小タ家僧より酒と夜つ釣屋の寒のむ行のことしかだ渡り步さよはしのがちなほかばのふやもぶてむも夜こ夜秋小るだ尻か時り寒ベり寒步の夜哉な雨哉し先哉酒鳥き暮砧土白一茶茶英飛茶
子か餅お彼張能菜木雪ちるや畠ながをし冬其寒はづかしやまかり出てとる江戶のとしおらかも川をわたらじと、しら髪つむりを吹れつゝ、迹垢が鳥籠東に下らんとして中途迄出たるに兩護小人閑居成不善がは離ら春り寺と子に國し惡院人やせくども橋原にな廿物のちかひし人さへあるに、か四呼名利の地に交る。喰聲の文る龍のをやの遊女習鬼やらい寒け披露小かり哉屋な木掠のまけ搗袋番畠是なが餅强盜はやりければ、まががにをらしとしねるな隣お庵通いはおどけをり福としや花ふ罪親へ畠がなまを春りねるなをり柳の枝にも花親へ來もすたるとり福ふとしやく來ちねもらももて折物四れ當い又へく助た喰文るきけれ歸のると座るなを也ちいりぬしなるるし十寒冬の夜さるる遊女ぞふ指し習寒節が夜け露ひと度籠りし深山を下りて、哉小か季な子南雪のさ候る哉哉佛霜籠空哉橋り屋なー茶茶
二九八廿一日節分聲に此世の鬼は迯るよなけふからは五月分ぞ麥の色札納梅の木や御祓箱を負ながら廿七日晴坊守り、朝とく起て飯を焚ける折から、東隣の園右衞門といふ者の餅搗なれば、例の通り來たるべし、冷てはあしかりなん、ほか〓〓湯けぶりの立うち賞翫せよといふからに、今や〓〓と待ちにまちて、飯は氷のごとく冷えて、餅はつひに來ずなりぬ。我門へ來さうにしたり配餅ー茶の五鬼月は分迯ぞる麥よな色けの梅箱を負ながらさう他力信心〓〓と、一向に他力にちからを入て、賴み込み候輩は、遂に他力繩に縛れて、自力地獄の炎の中へほたんとおち入候。其次に、かゝるきたなき土凡夫を、うつくしき黃金の膚になしくだされと、阿彌陀佛におし誂へに、誂ばなしにしておいて、はや五體は佛染み成りたるやうに、惡るすましなるも、自力の張本人たるべく候。問ていはく、いか樣に心得たらんには、御流儀に叶ひ侍りなん。答ていはく、別にむづかしき子細は不存候、たゞ自力、他力何のかのいふ、芥もくたをさらりと、ちくらが冲へ流して、さて後生の一大事は、其の身を如來の御前に投出して、地獄なりとも、極樂なりとも、あなた樣の御はからひ次第、あそばされくださりませと、御賴み申すばかり也。如斯决定しての上には、なむ阿みだ佛といふ口の下より、欲の網をはるの野に、手長蜘の行ひして人の目を霞め、世渡る雁のかりそめにも.我田へ水を引く盜み心を、ゆめ〓〓持べからず。しかる時は、あながち作り聲して念佛申に不及、ねがはずとも佛は守り給ふべし、是則當流に安心とは申也。穴かしこ。ともかくもあなた任せのとしの暮五十齡一茶おちが春二九九茶
原注文政二年十二月二十九日親鸞上人隔ヌル地獄極樂ヨクキケバ只一念ノシハザ也ケリ此の一卷や、信濃の俳諧寺一茶なるものゝ草稿にして、風調晒々落々と杜をなす。こや寸毫も晒落にあらず、しかもよく佛籬祖室をうかゞひ.さる法師がつれ〓〓もあやからず、一杯、白隱は猶しかなり。手ぶりはおのれが手ぶりにして、かが翁の細みをたどり、敢て世塵を厭ず、人情またやるかたなし。惡我此の外に何をかいはむ。嘉永四辛の亥春彼岸仲日瓢界四山人しるす〓 口彼の岸もさくら咲日となりにけりと惟然坊は元祿の一畸人にして、一茶坊は今世の一奇人也、そが發句のをかしみは、人々の口碑に殘りて、世のかたり草になるといへども、たゞに俳諧の皮肉にして、此坊が本旨にはあらさるべし。中野のさと一之が家に秘めおける一卷物や、ざれ言に淋しみをふくみ、可笑みにあはれを盡して、人情世態、無常觀想殘す處なし。もし百六十年のむかしに在て、祖翁の過眼を得んには、惟然の兄とやのたまはんか、弟とや申し玉はんか。惺庵西馬みすゞかる信濃國柏原の俳諧寺一茶翁は、文書ことにとりては今にかなへて、おかしくも哀にも、あやなすわざの並ぶ人なくなんおばゆる。其かけるものはやう木にゑりたるも多かれど、此肉筆草稿はうもれて年へたるを有明庵のあるじ、櫻木にちりばめしを、このたび。世にひろめんと、ふみや芳潤堂おもひおこしてなむ。こは見るがごと書て、涼しさも寒さも身にしるこゝちなるをたれかはめでざらん。はた此みちをまなばんは、いとよきまなびならずや。嘉永七甲寅春瓢蕩僧俳禪晋風曰く「おらが春」再板は右の序文を附して外題を「一茶翁文集」と改めて梓行せり。あとまつり
あとまつり一魚茶淵閱輯
三〇四芭蕉木槿の句碑文化九年魚淵建此碑は魚淵が筑紫甲良山麓の桃靑神社を日々遙拜し敬慕のあまり文化九年十月居村長沼の日吉神社境域に建設したもので迹祭との緣故あればこゝに揭げぬ秋青霊神木槿集所載迹祭正風堂魚淵輯俳諧寺一茶閱むかし〓〓、むつましき兄弟ありけり。親のわかれいたくかなしみて、一人は塜の前に萱草を植、いまひとりは紫苑を植たりけり。しかるに萱草を植たるものは、切蔓のふつゝりと忘れて、ぶたゝび足はこぶわさもせざりけるとぞ。しをんを植たる者は、ます〓〓いますときのやうに、あさ夕かゝさず、しんしちにまつりければ、おのづから塚のこゝろにかなひけん、ほしきと思ふ黃金しろがねなど、風の木の葉を吹つけるごとく、ざく〓〓たまりつゝ、のち〓〓はかぎりなく家富さかえけるとかや。かばかあとまつり
まつりかゝさず、て.て、りける。りの草さへ、酒御又その花に等しく、みずがきに木槿ありあけの左り明梅わ文されば、だ寳法人のこゝろを狂はするものから、-らる前化本じにに樂しんしちにとりおこなふ、けふもそのまつり日なりけり。我友魚淵、掃桔十か植まはしけるを、日々にあらたに蕉風吹おこりぬれば、もこ梗け我年筑紫高良山なる、むか奉世り背る十る我神慮にやかなひけん.なかの戶や月はつしくれ長閑桃靑靈社を勤請して、よく〓〓目利して植べきものになむありの菱吉けさ入書りに海て日主は、魚ぼちや〓〓としげり三〇六ます〓〓月々の歌うらにまかせ一茶淵茶て.て、仇門あとまつり飯にこよこよまふとん着鳩ちる花のひと雁連屁大まうしあて前雲圖にの歌の福しばし三の節功婆な根餅めかて句者なは々までせしをつに五がにま咄もは々まで寐たる山まねかこ梗け年しをつせてとの貝のに五羽下夜るに五ま奉さ〓〓に〓〓榎猫をり背る十るなかの戶や月はつしくれ長閑りの菱吉けさ入書りに海て日す小織鳴しる中、萩の凉入のも帳くらる淋着ほ苣大らに先しけつ旅霞りしるど津も畑く也に壁駕候過りけ人むりに海て日魚一茶淵、茶淵茶淵茶淵茶淵茶
我木俳目い神で諧泣赤たのもしき雨三陽人ごとに千代よろづよ霰ほ松花いで此母賃い·のは十炎まちの下なでしこをか來の日のの柿經顏よ鐘祭あ沼まをの汗てら〓〓見は〓〓りの小のでい御もの伯母瀨が膳に西うろぶはら〓〓筑波下らはとけぶみひをざるかのいとるとち並り木がたろ奇櫛·川なねベのげきり捨ふ槿さか妙ばる置月垣んらる院こねやあとまつりなまも利鼻ま化來ののさ祝のを一のよや狐ひ通こくつ休づをはりとづはを〓〓い御るりと馬じ晴人たやにめるのにいだき花)なうよ西う雀めうにるらはとぶいがをとるとち·川ねぐ花)なひ咲朝ぶ西うよの並りな畠ベの槿さふのるすて空隣覽せに置月垣んらる院こ茶淵茶淵茶茶淵茶淵茶淵茶淵
掟一木槿垣に馬つなぐ事一やうな戀といふ句、やりはなしにする事一すがの根のねもごろにいな舟のいな見かたきなどいふこと葉近年めづらしからざる事一目に立こと葉人の作りたるをうらやましがりて、外の題に作るは、吐捨たる唾をすゝるに同じと、昔もしかりしことなれば、彌愼むべき事一月並の祭に採題取迯する事右之條々不守輩此神垣にかたく入べからざるもの也月日月社務魚淵
をさりぬるものから、竹居士もこのくにに、薪居雪藻うあとまつり茶の花やいらぬ木の葉の來てか割なの螢こいこかすみから重たいやうに出る日きり〓〓す賣人も聞に來たりけのめが香がが日花。繪らやのいよと草もやまことに月とにた中かたみの一軸をはしらにかけて、桃靑社をうつし度と常にかたられけるが、しきしにけり聞よやかり山に月遠そ家きのはよくの御涅寺十槃時の夜出五ゝる像鳥鐘ぞ哉り哉春祭の上客とす。日三一三舞厭事ならずして世庸魚程み有雪雲ち和淵我凉可麥丸路土鳴猿ちな山大垣暮鳥蚊いぶしに木曾の御坂としられけりな夕ぐに燒菊越る子廣前にこやにれまでかゝつてけふもをのや大茶してひ日のなをそ一.き腹たは際かなをにをこ立口へかびぬ見けけらさくさのはゆるりあきるん紙盆一更大衣の葉の衣櫻哉月な哉風鳥るとるを櫻雉をやにの蒔子してついひ日つなざとそれ腹たかなをてそ行か水てよて立ををけなのは流くゆるりるれ寺んのけの更大衣の像鳥鐘ぞ哉り哉日雨り山衣櫻哉月な素掬公芦完杉稻呂二春松三一二ち鏡斗常角芳谷伽芳休甫宇
雉蟲顏あとまつりあすは我と起くらべ雲となり淡と成り水人ずきは見てもよき子鳴見や世提し人にきじ月も先や大辨き慶うがせ也のな鳴梅よ日るう象婆有番いと頭々明ちもくさがか傘に大山大を爺餅〓長權むが霧んにか現新の刀りをのにか凉あ五朝ふだらくや熊野勝弓を梅の木藪此かまくらや見やまの普請ざく〓〓風のさ六明狀れにタ人 麩の二階ぼさつ念紀隣をたのばみを砂まにのふのるかのむす利のうたも秋たけての百素むはほら來兒ゑにを夢を合湯陸ど月じあばまで奥のまりぶらさげる小蝶這寒からふい仕の夕ぐりせら舞きにけり見つすけ商穗れ陽かるるり人芒にてなのら來ををのに洒ととり〓〓かひへはねる貸なるく雁か咲す迹つど月じまりへはねよ日る門曇のめくりせらぞまにけりのり永、はの見つすけ蝶哉きにな花なて也に馬てるるりて炎な武雲如八葛梨呂公文春完素希松二掬春雲魚一猿日帶毛朗三翁士鏡淵芳常路耕芳鏡杖宇休斗甫士淵茶左
野穂音淺雪西うあとまつり降行芒のの間のややくの花はしに火をしへて淋しきと晝にも流らき寢見申込のるか入子米冬雷な筈桐秋鹿花の香に旣霞よす陽うまさうにわか人の世や世によしみに我花としなればちやらちるやら花のもはやひと葉 〓〓ぶののや炎さ〓〓と月蝶音ねの〓〓と若にふたの背中おとろ並手もとへびてつと成てまに葉へて夜の明にけりか菜 のもの暮るせの來む立下はてあやのゝ日日りるつけ草る大さ數暮にやし樂るま草月かたけ炭つ根寢庇くの雨なりりし降規虫がけ行芒の間ののれやくの花疊騷雀のや早晝にの氣ぎ日やしへてて淋しきとも流申る入早ぎもらき寢見はむ稻ににあたた込刈わのづかしさちこり跡のくらきるのれかしまかもめや合朝る込のか入こり跡たよりのくらきけのりかしめるゝも焚迄けや捨はりもてあ誰うややのけ草るてて少しづすみぞ寒る秋も山の見銀念か家こゝ日日りるつる歡五熟きげ月しの大し樂る秋も數暮にやま草くの暮河佛つな哉ろ雨柿花んるヲハリヘ冠南石アサ富吉三一七〓龍村白栗文龍竹み左谷茶巴田素なりり瓢マユミ田可し引哉哉ら道唐一文ヨコ山思九タン慶呂艸反女春文三一六五りりし引哉哉ら道石アサ富吉ち泉山齋之虎ト丸江蘭亭十泉木枝雅月英厚吹司古尾路什
さすがの名どころもまことにうらむがごとくなりけり象け蚊あさがほやとりつくものは草の花山さ我いまひとり門人さんさの唄で飯くふふかのが新外相馬舊都はの聲た柳味潟はら濱ケやの噌將住まばつぶれん花のも日欠漬門のらりくらり本をくるのどの雁摑むぞのかくして紅遊樂葉女に鳴かかか寢千なななよ宿水鳥さきのとしの大なひに鳥海山はくづれて海を埋め甘滿寺はゆりこみ沼とかはりぬ汙椿葺松飯萩馬う夕立いたどりのしんとしうかほどつめた替のの嘶こりの花のの花やきし戶花て屋や何處やをや山宿畑根よ山枕利のへのさばのをあらいほをひ口き花はにに峰櫻しづははどか廻まのたれなてな寒るへる木りでのか立りき蔦て座のり雪雲粉か春夏頭牛寒間け解の挽づの木ののさ哉り哉峰唄水坊哉らタカイノ春立東ムラ山月道其ユ田中希皐稻女成アイノシマ有佐龜鶴三一八翠杖鳥長布耕僊山人月年萩馬うけう嘶の花の花てこりのも日へのさばのをひ口にに峰しか廻またいほをひ口は本にをに峰のしづ雁どれてな寒るへるぞてりでの樂立りき座雪雲粉か春夏頭牛寒りき蔦てにりかかか寢のさりなななよ鳥白魚魚若素蕉飛淵淵茶人藥雨茶人月年
茶鶯あとまつり上の戶音淋行絲春二人して月代やつれにはぐれしきりぐ〓形にうしろ見せけりゆふの引やらうごく古案の雨晝は外やまをし理芭別さい蕉ふての忌戀立冬歸別のるれ主報見かぬひるややあきらなし夜な我の山けのぎ行絲春無しぐる菊の香や外にほしげもない小永き日のはしから出たり三日の月六る浦や鐘鳴か家閑木投丸こしかたのうとく明る夜はめでたしことにほととぎす古母盆やりに鳥寺のめてこころに三日月鐘度きく長見ゆ梅もさすくなのるもりやゆ若鳴ぬ春ふ葉事梅のベかよ花水哉なのを世尊と別鐘とはながれ鳴見かもるくたりけりひるなる山ややがもあきらり家し夜な稱葉杜かの山けのぎ名か若なす佛蝶子り雪哉寺出可野前布乙羽松陸司風改五越百雨幽石竹路龜奧後昨平素日冥來松席二綠非角郷々非考嘯海里文穴文
雀紫あとまつり大雨やくたびれ見ゆるをみなへし武春う.の入あひににほひなく櫻戶つゆの世と見へてさらりと蓮の花いとゞなけ等陽が士のが花十月十二日にあが花の花にこた宿に夜のうめの犬は宿の闇耻紙り勝手もの吼はか咲衣鷄卵袂き道具見ぬふりにけり川ばたのはをはす音落くなる二文なからを葉嚏草ぬなかかの奉かなな餅なりり日は過むひとへつ 殿閑室獨座櫻ぬの露木おず花む古藪木菊寒下陰にちよつと引越すす蔭里がらしや鉢もいはさくきの日盆しに來てやつや不ら 〓〓浪二よを寒椿もさ南白草にがぬき筑苧ヾみかなま里あ殼波くらの犬垣山のさくのおずはかゑの柿と見あひつくほどは咲のこ火ははす音落なかく過ぬ寒もさ草にがぬ苧まさなら葉天苧里ぬなかのあくら餅なりりす川犬垣山武雲三二三久竹永車心上水碓金茅鹿浦月鷺藏野一紀其午寥完成减馬歸兩非翁峨逸堂心松來美令麿令太人鴻白
正長落菜十灌雪隱にけふはことかくかをどけても角力になあたらしい虱」もくふやは月閑さのの葉月との花がしのて來に空露てたに鳴よにゝ字に撫孝うつあ行やへはりゞ顏くかるのるたやるうぐひすのあくもの喰むきあふて寒し咄しのくらけれや老仲か此山笋明み.無鷄芒朝月とよひ佛お寺や佛題西行上人生くは月來て此家の猫 とに住月夜會をね人あれ見がるひにもてなぬや星ち盡頭かのてくにのにのら間空露て夜戾くもい降やににねろやよ雨出-うつあ見が菜畑〓〓赤しでるひのあもて花てなの牡丹しけやへゞるひのあもに又うめのくかにもて花てるのるたやるぬな百〓りのし枯五里蕎大げしき秋又麥る月の百のあ雲里花時め〓りあ瀨ほすぞる成や菜す雀みたるたつと霄目田と月白のけ夜哉橋哉田とにま粥まるまかかのけけ〓かれの百のあ間ば花哉ななり水なし雲里花時め少少雲水在知足坊蛙徐年免有國袁春秋下雨太總一老應孤芝雨長七守對成塘節瓢足柳一鱗村丁樹耳竹美鴉々山山籟閑采靜
あとまつり馬の尾もな新花靑二度三度月が出たとて鉢タ立の過て人すむ庵た石狗木外蟷大閑虫天蝶四ツ橋やひとつ踏でもほとゝぎすね賣へぶ螂雨古窓飛烏脊戶の出ののに大坂にて兩かや出て花斧おらね若一にほて夜に入る國雪かから人のらく日かき解な牛ゝあなのらにるゆ音螢ふゆな來やま通やぬぞら三るうすり籠夏れ日か初けかり太のけのして月り月りな堂郎閑虫天蝶あさがほに引からまりし白髪窓飛かやらね雪から解あのゆ音まやぬ籠初り太か酒咲柳母寺賣古白ころへやむかしからいてあはに潜りれに成込たるにも出ののののつぼり顏露へ行うと鳴かとちるベやいらねがり若一にて夜に入る國雪から解あのゆら解められけり夏く日かな牛ゝあのらにるゆ音まぬふふ來や名肱月夜きとかやぬぞらるうす草のしりなま く夏れ日かのゝかしか家のぼかしてな月きな草らな哉暮り月り月りな堂郎な上飛常三二七古白乙儲松里湖鶴承双總彈陸金廣蒼官斗李月一至素兎丸史江石中老阿樹堤陵峨庫囿峰船白長廸
石なこの玉にもかゝれふぢ菜あさがほにおつつぶされし草家哉朝はうの花や寢に來るまでの丘あ葉ざくらやたゞの木どもの片隅町うらやいちはなかけにうめのがほのきげんをうつつ雁のめあてにいそぐさのぢ花ふやや釣櫻瓶じめりの竿にすのな湖薄榎水草くかのの子花哉履烏な家花泥十七汁の實にむしり込たしうめ梅の月あまり遠くははこれといふ花もなけれど背るタ風は見しり申や船の茶のた湯なこゝにか呼りろ戶鵜づかひが門あらはすやけさの達百貝人数としの梅力をいれてひら磨甲人忌はが眠やし百母松人喰魚寒鳥はあしはは鼻翌たきあとまつり磨甲五龜日忌はたつ妻のや子世引間鳥はも也あはなこゝは落かるりろをトのけれけかののの葉くかあき雨道鳴し穴り山行りな花安甲相三二八風其輪立し文砂貞德子雨房澧洞支素雉杉越柞簾都斐模ら至文之雅彥東明印阿盛十水々兀柏啄長·兒枝左賀
土負て出て子田春人あそべ凧の絲さ旅雁父まつくろな山か鞍馬かほとゝぎす雨の月あるいて見れいあとまつり一寢なか母手一のせ入らへの寄枚夜浦すぬるなで廻やや手れ國夜き犬りて人ばとや人の紙にもの揃て雨は芝來よた鳴ひは漏中なし花ざみへかなるつたすば人ぬけしのにく中水るるし春のもた寒鷄人む蛙も寢の時かさかの日かるず花風み鳥り哉な行ぞな雉子穩與佐の江や陽炎やよき音しら便に露咲や草松てに仕木をもちしかくれてとしの暮舞は夜ぬ々枇に小杷美田ののしき花鶴盆の月更てげにもとおもひけ山若うぐひすやあらしのひまのきの蔭角ふや力け葉まけふ月入のる相雲にはのつやざけきては落最一〓〓葉負り拍子哉と哉山若からへのおのとり廻し見や力ぬるまけき犬りて松て月とにもるよ鳴へつなのなば人ぬけしの中し春のたも寢のるるつたす々ざけく水るるよ小ては蛙階も寢最〓〓さかの日か子負り哉な行ぞな賣りと哉尾丹竹茂杜黃茂金月梅永路逸東少鷺馬六武有漫百重可張州都有推堂山東谷庭間齋郭人陽汝八吹合陵斐々二行里
春晝三しづのが日人馳早稻あとのふた春お朝ちる花はあさましけれどはぎあとまつり走したその子がほにとりまかれけ淺しけし曲て夜のに寢にはしたり萩もざのゝび靑し初しぐれめ後は時見れなりへにぬり槇も猫鹿のの梅のの子島蔭花花戀哉家鴨めがうれしがりけりけさの秋旅丹蜆うぐひすやけふは梅萩嫁合點して聞ばきくほど雁けふの日も入や木の葉のおくの家人と膝波汁賣もけふ入かもののらり燈出を水並雀のる門よりしぐれけ並のベのうぶなたもつりけり畑るがるにも鳴のと末夜されやかぶたてなんかり花ぎこ枯のなぬ芒哉鳥し梅り日かなる御代の月さ月野ほのやのぬ影をもいと へ小戾れりなしがたらるざのりな後しがるらなりへぬする咲女火草野ぶたか花ぎなんの郞桶の風かりこ枯の花哉庵哉なぬ芒哉鳥し梅り京伊近雪其定金杜芦蒼周菊其椿丘于春千文亞芳花宇申勢江雄成雅茶蓼涯虬終所仙堂高當雄影常溪之陶洋齋
摩長遠杜月やく束のやうに咲てゐるさくらかなさめのまへに見えて口をし春のゆきあらし山鳥のさかりとなりにけかたわれの月はどうしたほとゝぎずみやまをちからに見若つくばへき耶ひとつ吉野の郡に入てだれも日ましに成夜のずる〓〓冬となりにけ雲のう咲つるば日こすやが梅梅たり秋かののぬほ砌西明野へ菜のさかりり賣り海すな陽炎母水世あとまつり明花う正人しれありと歸るものあり門すにふるもさらにしぐれの御蔭哉鳥のづ暮守す月芭のや月の蕉花めしの菜や山忌ぶ厠にに·す見り とうてかるとて春なり不二のれ置のくうめのし人の落行葉い方がみ哉に息ふきかけついせぬ身は靜な落のり海朧りり賣り海す士山果花な月河攝安ビンコ古内來堺喜萬旅奇稻長木星米尺木空州讀人不知艾海阿三三四千能春白人瓦藝聲耙齋和淵九老譜彥齋艾阿阿漣衣全
め.め.の卓散にて、ある人問ふ。さるゝ通り、道ばたにもあらざるに、あとまつり螢はつかみ捨る程あり。晝も折〓〓舞步行けば、此山王の森の邊りは、三ヶ月堀とてよしあしの茂りもことさらに、殊に螢木槿何のゆかりありやといふ。去ながら、ひる見ればといふ螢の句こそ、首筋赤き螢かななどの句、おのれ答ふ、三三七所にかなひたら石にゑりいかにも申寒川舟のそばまで來たあさ山のありたけき日に水もい靑冬鷄百あ何さくらかざくら終しぐるはる雨や子ぼ頭追十月二十日たのhを、加四やれを十込おかやてりにを内野もか人が叱られて目をふさぎ我植てみな氣にいらぬきやう〓〓し氣のもや〓〓とするのいに居はづれに人の聲あり天ヾりに物へるば吹て喰くせ人たのも跡戀行つよしなけけつきりりかふく霜〓芒猫しヾ十込やそこらてりにをゐそよ尋來にりししなけるぐ若せつのるるタきりりかふく姿流峰牧か菜み霜〓芒猫あらししかかのの糺つの夜ののの門ベの日駒坊川み哉聲ナガサキ菊月サ九ゴ岫祥淇眉州哉月穂戀飾哉哉川なな、チクゴ文文古サカナガト羅ヾ甘三三六篤敏可西カド全秋禾峨道角曉丸禾也竹山谷風老彥友坡
つけなば、芭蕉翁草葉の陰から、首すぢより汗を流し、なんぼうかなしくやおぼしめさむと思ふものから、かたの如くいとなみ侍る。すべて人の心おもてのごとく、同じからざれば、人のあたまの蠅の世話やかむよりは、汝はなんぢの螢をせよ。我はわが木槿をと盃を納ぬ。文化十二年十月十二日信州長沼魚淵誌杖の竹松宇
杖杖鳴小隣茶京長閑さに鎗をひ見込の壁見山肴きじか水の込のらの竹郭ののの一若息よや番公竹さ子來竹うを舟大にたにのねつひに家りそを口戾てた人晴きる遊よおくとむぶのぎし藥春ら彩れた松立賣先んるて月り三三九魚雲素掬公春一松宇撰淵士鏡斗甫茶宇
花薄お杜戀杖一め雁冬念二待の芒も汁時か若てしさに嵯峨の 松つ構佛咲にイ籠雨し階竹ば鷗花ばうたも有に鎌せさへ雨の明倉のはよかやさを我通い月よ山とタへさにのさに入名せに降をか堤るくあそ似相石其酒かさものたね身朝咲秋名橋立百諸君石犬駕朗花風月自ころどもにがを寢ころび處にした日白にのに慢笛も例の位留のは須御なの牌置空磨娘うぐ座のげけをくるがともの咄しに通込書ひる慶衣り餅小唄てす里長むののを袖をこう張ま陰とら〓〓十實つまら山な一の日うたもさへ留のはの明倉はやの置ようぐかさを我通タけい月よ山ととともの咄しに書ひる慶衣てす里長むのどこでう張まら〓〓十き實つがばの二のななもさにのさに入を書ひるり堤るくあそさてののもうのね煙ま十き陰と長斗にりうりの彫に角くるか付嵐れなくるら〓〓實つまさらがの二のな入 て春年葉りけさり來〓〓なけば二のつす茶れせよ也ると里りねて雪むりてやくりるり花て完文二呂希春鏡休淵甫路宇芳完耕休士杖宇淵斗鏡甫常芳路休芳杖耕
春英画
て曰、十に過たり、はせを翁旅立の砌桐葉がとりあへず、はそれに異なりて老を助るの品にして、余所の國には杖つく事に定めありて、愛兒のわんばくたり共携る事なかれ、杖いまだ健なれば夏爐冬扇とさみし給ふなよ。の辭唐黍の殻もて杖に進しめし有。六十にして〓に杖つく事をゆるすとなん。竹、桐必犬打棒にする事なかれと。藜の類ひ只かろきを用とす。轉ぬ先の用心棒に杖を進め胡庵春爰に松字老人六甫すでに我國など、近頃屏風のやうに、かさねて、盲の空をなでるが如く、眼がねといふ物、佛もさたし申されざる調法になん有ける。杖虱を大象程にみせ、眼竹鏡いつの代より始めけるにや、紙にて蝶つがひとい.ふを拵へて、頌暗きよりくらきに迷ひなん。牛を芥子粒ばかりに見するも、老てしばらくも此ものなからましかば是等みな末世に生れたる樂しみなら疊で巾着におし込小とりまわしそれさえ世々に工みにたくみを魚渠が幻術なりけり。三四五淵又む賀二紙け會箔つかしある時にと語紙靜なる時は客〓に似たり動く時は破るに近し子銘代くゆめの花ふのひは建莚ふ杖のや三つは別立月け佛して十ひ鬼に鐵るな五るき紙棒柳つ日出子初か山なしかし時な掬吹くりて雨三四四執斗筆耕路杖
妙を得たる物から、られ、此もの初雪のちら〓〓する頃より世にいでゝ、ツ二ツあたへられて、めでられしも、辻番の爺が張火桶は、月は火月桃咲櫻の色に威を奪れてや、桶片時も是なくばあらじとときめきて、花說棚の隅、床の下に押入られ、蜘に宿かす憂世こそいと哀れなれ。はは夜盜を守る助けとなれり。な也又逢ふまでの印とて、某の卿の桐火桶は和歌の相談相手と撫桐火或は又樂隱居の疝氣をだます桶晝夜御側さらず、公焚さしの炭かけ一常褥の上にる事になをまた知らず、しらず。うしといへるは、頭巾に品あり。いつの代より冠り初しやまた〓〓しらず、本千枚ばりならば構ひなかるべし頰は少し出れとつらの皮の凩の强きも能ふせぐべし頭上より背まで能覆ふべし頭一〓〓あぐるにせんなし、何處の誰人の號たる爲なるやしらず、巾讃戯て讃して曰、只伊達風流をもはらとせり。高位貴人の御前にても是斗りは用何れの君より御免ありしや又素中にも御免ぼ鏡ずや。鉢うへの松にか杖夕凉の極力鋪張寫。煙霞山水句"如玉。苦心搜索集。月雲風雪扁竹是錦。や眼鏡をぶせかるけ頭て巾菊かの米な蟲〓三四七題三四六印
名柿の葉にあられならべるめのと哉見ど靑味蚤柿露秋月せこやらに雉噌の來ぬと目にもの見葉取のにたるは中〓〓罪の淺からむ今宵しも戶を〆すまして大斯ごう〓〓のあぢつけて咲身につゆいとな馬て木かの蠶嬉の下はけ蠅のし構にが蝶が內な痩鳴ぞのりきた義けよ吹山りなりのみす散れり茨きぬる家秋角あらぬ草一かのけの力たの葉な暮れり杖春彼萩初松片來火初松片來火晒あら暑しあつし何して暮そぎ方ち雁杉るをしるのに鴨焚は井な月やのて蟬ややらはおしあふ乙又雪が天一び出かをか窓杵たち積ぬたく車らけあらすめだし水ぬて鳥ひし山や鳴しの隅踊騷家伏のすつど靑味蚤柿露秋ののののち老婆洗衣〓竹月桃るの人なもやるるのに人も往流ら一やれうち積たくに來車らけけあらすて鳥ひ山鳴しあめき來よ吹なよ〓〓水ぬし山りのみするきぬるや家う春と田りばぎか家俄ベかけの力たの葉に霞ふ川哉め哉な哉雨きなり花取哉市哉富故故三四九ヌみ一魚二有厭三雪雲素完公掬呂杉稻杜松春人庸人好三四八ち千九茶淵休麥路哥丸士鏡芳常斗芳谷伽木宇甫和古
杖釣行松木水音夏朝雪の日や分別なしに傘眞直の雨に人の親のが仙秋やあかり吹消すさして燈とぼす花風の人にも菊雨のらしや灰ふるにうしろを見すせのの竹四はづれに男中ぬ珠五二めに數も小錢ぬれけ尺日か日去のしのて騷ひ雨てさ戶ぐ居る日りきのもわの千る住やの咲す木時黃細ご花ちぬ里見雷名晝の鳥げそ咲つつくのての月顏や弊廬幸山水に富めりぶりつやぼけ子居離ののりと木のどこくやる山庵れ我は寸な菫ややときの宿ど裏影に蛙てか初のた坊見となな戶なき寢來音末知ならのら枯をへ山ててたず足っ歸ん神ぞひ覗てや手も秋稻し里か金のての月顏つくやとどてかたとな來知ならてたずとなき寢さりきのも木時のもらへ山ててたひ鳥雇居今くに燕り間雨小秋手夜の柴のくてやも秋稻し里かぼ金るづかれか年るけ子〓かけいる無て夜の柴ののと雁みな人な竹な人な花すなりり相ノシマ逸北ヲカ麥六尾ハリ冠コマハ琴小シマ〓三五一哥大川知翠鷄呂武なりで雁月も砧暮れけ折マユミ田可花犬善光寺一相の木文吉左蘭田自石むら白三五〇六善光寺一相の木文文反艸五柳秋之直洞雨子止止雅吹日路古司什考雅厚江十耕齋
故辛裏今きり〓〓すあ春梅蠅よけおとろへにさえおめくやひもの畑もの咲やい三界無安といふ事を獨樂坊を訪ふに錠のかゝりければにい夜の草もつるしての生ま焚喰足かなぬまてれ噂にる花に鹽り見たをか屋鳴た貌しかしみを桐ら神のも我なよ秋ばれ千のたぞ扨どまるかせつ留もの鳥布こ一菴れ馬十月初春我う妹葉平玉何のの月風ざくらにまめな霰案山子は伏しも澄霜庵めが石に氏子ややややや咲子の多のうしろ隱夜ても猫豆時雀賣くし腐着雨花といのらもののつく處のの見袖朝れし松暮ゆがうか中にふ連ばけ服まし事節ふせ竹子ややぬま鹽り見たを屋鳴た貌しらう神の我よ秋ば千ぞ扨もなれのたどるかせつ秋山のい鳰橫た覺通芥さりけ子ののへ草の月けりるまらをし事節ふ閑よりけり子りけ古の花り鳥留もの鳥布こ一ののへ草の月へけり主秋風哉穀へ葉哉て風皺り枕海夜りり鳥三五三金松眞春公一吐素葛梨長アサノ文湯田中希高井ノ皇ヒタキ知三五二雲龍其柏春稻之令宇止甫常茶交檗三翁帶肅ト虎翠杖葉耕長
竹杖作眼三大時蜻藪菜飯にはよきうつろ入やどこやらのり鏡芳袖蛉河鳥菊たゞの人にも竹か野に又や岸けの日にて雁枝も天舟上夢に吹始は見しな込る餘着るれた所生平小秋闇秋榛庇麥しら露秋小雀なけがか風の洩打の家日に松など立渡したる物むづかしきあたりなれどさすがぜりの木るやみのはやじつとして井やのうす日な吹十日の深蚤に戶何我込を觀じててゝ入の事の春菊す淨く曇たあ〓〓とのる土らりりちあやよきて居てら思い背あやるこ家て入やどこやら袖蛉河けて鳥鳥に又や岸た寢らなくや海から日にる枝も天舟ば外上吹始は今もしの込る餘着樣た所なて候諷月があのりも菊す淨くるれのる土らりて月りち見ひ人るるのタかへ子らす夜門ん若のタああやよきて居へてららややきい背あやる戶き箱宿の鳴山る月れ春春戶きしら鳴山のの根田のふのタのくの匂こ菜凉つけののもゞかの花ほかり山雨秋みな川ひ鳥摘みれひ藪風山螺雲春葵うな菜國理永大力心車壽府袁七九碓鷺對蕉紀ー午寥完成英村峨歸貨非兩翁川丁來朴令雪佇雨逸峨心松來美
杖盆袷明雨鳥山岩我菊雪ちるやいくら有ててふ飛目にふるゝ松の山えわかかげやほきりと折の過着の咲鳥角と夜やのに雁けのて竹日行や田尾鹿やの螢に舍十なん梅さふもた茅歌よあをへれ色舞若をむくしぐタに花紙伎菜枯頭て高の野をのなも名よれしがよき影の歸い宿くごいろり芒ふかさ霜に夜るなせかみはるのつ明れなし參淋しさに爐の炭は寒薑素湯の香のかたじけなさや初時雨春由人咲見野つ月風陰待の空や嚏かけてもひや花る心地常ならざる時霜ややののうちに時か戶や棒犬牛駕はりあ鳩の口のはにのやうにくいしぐつ嘴す少はくひたぎてまぎれけりなるえもてつるる 敷しる有行ぞゝ人釜帶草放もやつむしろが市か來のののちののする見野とのの竹て日な口のにくいしぐつにはくひ高のもてな影つるよよしきのいる有くごぞゝ芒ふかさ霜にるなせもやつ市かかみはるのつ明れなし參ののちののすなにづ草く端哉哉り山り炭端露鳥味人む三五七みちのおく升世春雨浦月雨研其斗月一しもつふさ李至素一免徐淋竹守久東竹魯考鴻塘心明圓船入白峰長迪瓢一柳山馬靜减鶴
笹行鰐鴨寒片十出玉かきつむめ散やむら落葉汐みち來れのの水口下き暮六代川葉夜りのうしろ日や風ひくばりて竹をにばたわらじとくをぬの雨や翌楓尋頓三所手再もしと〓〓ははてて發にから來降越さ筑取する波るむやう姿かるやかやもしばやり夕はは間尖や江落な又馬る芹ある芹戶葉塀ひも山白とあ人杵太旅間蛙乾粟ざ露た聲ベうう刀持くに子やたせ成のののくに子鮭のくや螢ら穗のをし袋やをら門賴し稻にとにや獨のむきの雪女人虱本山とてて發から來さ筑す波む見小木風香をる橋がよ諷影ほに吹ふもひのろ尊の降るよ諷のおねふほいけに影ほにるりぞふいるもくぬさど名あやなりふさやあ吹丘若るやタる天お菜椎梅ざふさしかは間尖やるは荅しを芹ある芹のをののベ雨節蛙し迹やもや月のるやタて小するる芹戶葉塀ひももはをの土かけのあし物のくのかののく冬石らひベの嘶くし迹產な月ばベりきを川る家な花花ら竈壁かみつふさ松マヒ布三五八德白鶴野で平素與日秋冥魯かうづけあ石鹿茅鷺其簾み茶風杉砂貞ははち印志太丸白文左丸〓至長明尼阿老老松席角郷人人文々郷
はつ秋につヾいてうれし初人として華も身に添あ鼻焚目ふさけば耳にこたへる須磨の幸起されてふいと出たれば芥子の花も赤お戶ひは人にもよるやそさ捨し煙の雲やの寒らやいのロ、やすヘ虹あへ馬片ば吹りこそのる下り側のは鳥町氣てづかてあ行來のたれ冬かいやなほ とるこての住げのうりやぼ秋秋芒山北タ月れののぎの尾の天夜ち秋錢風山す穗花海雀船梅太露窓凉し杖黃行聞みち赤お戶鸝春折馴郞さのしひつのめにややて吉へ虻さらぼし年撫めゆに傘はもどしぬももやれけ海むの小なとたでくて度笹遊物えこぼらやもづ讀そう事かかきがぶさをしれくやえふなへいげはれ春今しひつなのがめに竹ややらぼやのロ皆し年撫めももやれけ虹あへ海島となたでくてる下り度やもへへえこぼら寢そにふれ行ぞてらそうきがぶさてをしれくやえになへいれ春今なるの住りやるるる山也出ののはひり雀雪庭草なもざ苔て朝山冬芒山北タかの掃のが時くのゆ料の木月ぎの尾の天な峰て山ら鳥ら花く理家立三六一あふ春鳥干五み少蓬岱方東李路逸をはさか三六〇月梅岳麻玉雉みが年車甘砂五仙雄頂當來汝山呂明陽臺郭人底間輅生珂?阿.啄〓大谷長長風
船灯そ薄む世元木寒何あ初稻梵走藁靑きのお鴫へし螢人のり柳し出してやりたき屋鳴くらりよふの月出根にして曇やね居け鷺りね更ての近りへ先ふ入がこてふ霞江の山寒て眠ヘたげたみ相し鶴おにたはつり靑うの暮きもや春けがつ守たつとがきめり山み葉藁靑お鴫へし螢雪のはしよりがらしやの空に乘る人のうつるら雨の日しとは事さを見おろのこ中をふり返り見に寒やのいて竹のな文のお夜る世隙貧もくすにくれてや木なやのてにひ萩葉出ら干一有のた人急やう掃り月よ菜燈のぐかせなのかゆ空人の日りのこくらりよの月出りりへ先がてこもらおにたはつりうきもや春けつ守たやうりぐつとがきめりすむねせ鉢なかのか言ひん廊葉ぐこまかるる思る落く不やなのるる秋や春筈るーらりよたら家る月ひよ葉岡二夏くツ若か鷦ゝ時こま鴨櫻夜け都か邊ののれの初日家葉な鷯き鳥鳥でしな雁哉花哉り鳥な哉山月て山袷哉哉釋ヨ風改五ゑか三六二有艸百漫重可千芳班寵文其杜金蒼椿翠路丘せ幽龜周石ひ都成寥菜虬堂川白高嘯殼泰海文斐丸二々行里影之車山常
山西草細鼻早誰鶯旅藤門を出て師走の人となわの雀山の〓〓と先稻がは人かにやや戶にの上居ま竹の鮎中釣と捧香にらだ覗拜やにの巨や名がねがきのつお雫かぬむ今髓給佛一利れ夜ば買か.と月のぬへへ寢が連なふすの輪中にれるり霞はてぞさ菴蛙世草雁山凩蛤留二稚仁の雀山の〓〓とのきののものやの守月の和やや戶竹柴く中來灯鳥や戶魚にしてか寺のてのに老やにくり〓〓とへ廻れば揃はし花ありとまで薪旭とら我世がたののる田と物間あ打ゝな芥なりなのたふわ長る子りやか寺中釣と雪宿のてのに老やにはし花ありとまでのきげんとるなり宵月夜覺馳の薪旭とら我世がたのの悟 は走る田と物間あ打やゝなななりなのた曲 突長るかりけりり苧夏霞る閑雲丘明殼のけとさのと賣り月りきよにに名ねがきつら給利れ夜買か.とのぬへへ寢ふす輪中にるりてぞ一ばる田とへへゝにるなりもぞ五行あ冬四楳月豊天すもぞのみ雁覺りりのにけりから構十のか浦の小けの末さのとお葉ん雀寺へ月な河枝小豆じま無り影な三六五ちくぜんぶなかいあ獲瓢子葵ん羅が玄篤蓬未ふ矩喜づごときちみん雀月へり影なりき家水よく哉かいせせ三六四奇木屋豐魯米井長万つ瓦定雪つ車風駿亭風蛙老物字矩流齋淵先烏郷隱彥眉齋和全雅後に梅室雄
樂る上人は、垣の朝顏の曲らふと、杖の靑蔓のひよろ〓〓長生きいたされしとかや。竹すぢがふと、あんな物と見すまして、かくても足りぬべきを、渠が氣儘にはびこれるを三六七竹有藪松かてふ飛やき萬うぐひすが客あしらひをしたりけりかげけ明代かげ國家安全五穀成就やてに蝶にはおぼこ育のうぐひ見ま寢てくふ六かれた草履の目にかゝるがん出蛙せたがてれをけ顏ばえ草十化ばも餘柳ふく出州す粧か水る藪大膝藤花芥子やたばこのむ子の留守三松秋雨のそこらあたりの寺風のつのるよ鴫のうしろつぼりと暮そこなうて澤ふしに頤のせてゆ瀧日二布せりと下〓〓の我等が納涼を天哉翁樂しみは夕顏棚の下涼み男はてゝら女はのうらやまれしもことはり也けりのの月や御菊う經にうしを心ゆまろ競る明ねにりんはるも蛙やふは御鹽す秋屋郭居してつかいつの念かな公み袷き由佛な松萬御う經うし出たまるればりるも草十蛙やふ鹽も餘す郭か出州いつの念か哉な公みき由佛なる、、リヨ人閑ひ三六六ながさき木北菊天岫、女女せした春成松松一よしうのかをけ宇茶女女女女女尾布宇海尼齋巴外丸
三六八もて帆かけ船のかたち丈は、衝立形のまがきを作りて、かぶりふる蔓をあちへねぢ、こちえまげて、やをらからませつゝ、さま〓〓にもてなさるゝ。蕣の身にとりては、か美くうつくしくすりみがきたる竹にありて、とりはやされんより、いぶせきすゝき、ち嫌かやのよりきらひなく、ひらおしにのたくり廻りて、つひ〓〓伸びたらんこそ花の本意成べけれ。されば、けふの賀莚にあるじの名の松なるを、さいはひに祝ひにいはひて、千代に八千代に萬世になどゝ、さま〓〓尾に尾を附てとりはやし侍らんも、何とやらおはむきらしく、人をなぶるに似たると思ふ物から、させる正月言葉はさらりと棚へ上げて、世の中の有べかゝりに、鶴のくろ〓〓、龜のはた〓〓、松のによき〓〓、竹のすら〓〓、たゞあれらはあんな物と見すまして、活たい程いき給へ、さらばと〓〓柏柏原に歸りぬ。俳諧寺一茶茶俳句分類晋風編
一茶俳句分類勝峰晋風編自然蟬鳴や天にひつつく筑摩川子子が天上するぞ三日の月天空天からでも降つたるやうに櫻かなつかれ鵜の見送る空や時鳥夜櫻や美人天から下るとて朧々小空はれたり迷ひ道靑天のとつばづれなり汐干潟炭竈の空の小隅も浮世哉ゆく年や空の靑さに守谷まで初梨の天から降た社だんかな神國は天から藥降りにけり晴一茶俳句分類三六九
此風に不足いふなり夏座敷すゞ風の曲りくねつて來りけりうつるとも櫻の風ぞ花の陰菴の煤風が拂つてくれにけり女郞花一夜の風に哀なる昔からこんな風かよ夕祓ひ形代をとく吹きふるせ萩薄一吹にほんの柳となりにけり嵐ふけ嵐其世の秋を人の松よ嵐や窓に吹入る鹿の聲雨朝晴にばち〓〓炭の機嫌哉おく露や晴天十日つゞくとて曇草原や蝶が出て舞ふひな曇雲行雲やだら〓〓急に夜のつまるむだ雲やむだ山つくる今日も又風我家を風よけにして浮寢鳥木枯や風に乘りゆく火けし馬風ばかりでも夕立の夕かなどこを風吹かと寢たるやもめ鹿冬枯や在所の雨が橫にふる雨の夜やつい隣にも小夜砧雨の夜や鉢の牡丹の品さだめ此雨にのつぴきならじ時鳥十日程雨請合ふか行々子百尋の雨だれ浴るきくらかな爐開やあつらへ通り夜の雨此雨の降間をまたで火取蟲降甘い露ばせを咲とて降りしよな甘露降る世もそつちのけ一夜酒煙一茶俳句分類初空を今こしらへる煙かなはや〓〓と誰冬こもる細煙蛤のつひの煙りや夕しぐれ細煙侮りもせで來る雁よ朝今朝程は芥に一本杜若朝夕や峰の小雀の門馴るる朝聲や子の曰くうめの花朝起の古風を捨ぬ乙鳥哉タ夕暮に土と語るや散る木の葉初雪をいま〓〓しいと夕かな
冬籠その夜に聞や山の雨夜に入れば只下るさへ鵜舟哉雁どもが夜を日についで渡りけり下京や夜は素人の節季候つきあひや今夜も人の年忘かすむ夜や果して人の立田山此たより聞とてある夜一時雨正月がへる夜な〓〓の霞かな朝燒朝燒がよろこばしいか蝸牛夕燒夕燒やから紅の露しぐれ螢飛夕べをあてやさし柳立鴨の今にはじめぬ夕かな今めかぬ夕べ〓〓の菫かな負菊をひとり見直す夕かな夕ぐれの頭巾に拾ふもみぢ哉晝松の蟬どこ迄鳴いて晝になる辛崎や晝もひとしほ夏の雨夜下々に生れて夜もさくらかな面白い夜はむかしなり更衣時雨ねば夜も明ぬなり片山家夕燒やから紅のはつ氷闇下闇の外の闇なり鵜飼村十五夜や闇になるのも待遠き十五夜や又あるとしの闇迄は人の聲闇でもさすが十五夜ぞ誰かある闇十五夜の又あらば日卯の花も佛の八日つとめけり世の中はこの九日ぞみそさゞい三十日頓着もなし浮寢烏燒穴の日に〓〓ふへる紙子かな御涅槃やとりわけ花の十五日煤はくも惡日なんどのむづかしやかつしかや南無二十日月草の花日向御地藏と日向ぼこして鳴千鳥落葉して日向に醉ひし小僧哉山本やしはす日向のこぼれ村古難やがたぼこ店の日向ぼこ三十三才ちゝといふても日が暮る秋の風我身一つの西日かな先ぐりに花咲く山や一日づゝよしあしもまた一日や古曆一茶俳句分類
翌は又どこの月夜の里神樂なまけるや翌日も月あり花ありと昨日雉子啼や昨日燒れし千代の松昨日寢し嵯峨山見ゆる春の雨年はへ笑へ二づになるぞ今朝からはおさな子や只三つでも年をとる花ぢやもの我もけさから三十九月花や四十九年のむだ歩行稻妻にならぶやどれも五十顏露ちるや五十以上の旅の衆日和蚤燒て日和占ふ山家かな今日今日の日や替てもやはり苔衣けふの日も棒ふり蟲よあすもまた今日まではまめで鳴たより〓〓す笠の蠅もう今日からは江戶者ぞ今日も〓〓といふ木枯の菜屑哉今日も〓〓絲引ずつて蜻蛉かな翌日夕乙鳥我には翌日のあてもなし舞蝶や翌日なき春を笑ひ顏出代の市にさらすや五十顏五十にて鰒の味をしる夜かな人ならば五十位ぞ鹿の戀名月や五十七年旅の秋短夜をよろこぶ年となりにけり年かさを羨まれたる寒かな町中をよい年をして節季候網代守年に不足はなかりけりやれも〓〓よい年をして節季候はづかしや罷り出てとる江戶の年去年去年勝つた〓〓と菊の披露かな一茶俳句分類大菊よ去年は勝た菊ながら今年今年からまるもうけぞよ今朝の春目出度さは今年の蚊にも食れけり乙松や今年まつりの赤扇雁啼くやあはれ今年も片月見小男鹿や今年うまれも秋の聲土地日本けふからは日本の雁ぞ樂に寐よ
日本の外ヶ濱まで落穂かな雁啼や今日本をはなるゝと日本の年をとるのが駱駝かな日の本や金も子をうむ御代の春我國我國は草も櫻を咲にけり我國はつい戯れも雪佛我國はけぶりも千代のためし哉我國は猿も鳥帽子をかぶりけり我朝我朝のものとは見えぬ海鼠哉松かげに寐てくふ六十餘州哉下國下々も下々下々の下國の凉しさよ唐もろこしは降かも雪のしぐれ口唐までも鵜呑顔して巨燵かな京京にもかくありたきよ軒の花花咲や京の美人の頰かぶり秋風の吹きぬく四條通りかな下京や闇いうちから花の春急くかよ京一見の時烏京を出て一息つくか初螢江戶そよ〓〓と江戶氣にそまぬ柳かな一霰はらり江戶氣の霰かな江戶も江戶江戶眞中の冬籠江戶ありて花撫子も賣にけり家なしも江戶の元日したりけり大江戶や藝なし猿も花の春梅咲や江戶見て來る子供客江戶住や二階窓から初職咲たりな江戶生ぬきの梅の花かしましや江戶見た雁の歸り樣大江戶やおもずおくせず杜若一茶俳句分類江戶も江戶江戶眞中の柳哉梅咲や里にひろがる江戶虱蚊もいまだ大あばれな6江戶の隅江戶の末又其末の菊の菴三日月や江戶の苦屋も秋の暮信濃信濃では月と佛とおらが蕎麥寢た迄は花の信濃と年の暮待宵やまたぬ雨ふる信濃山春風の底意地惡し信濃山八月や雨待宵の信濃山雪散るやおどけも言へぬ信濃山
古郷やよるもさわるも茨の花古〓へ流れ込みけり天の芒古郷や近よる人を切る芒古〓や併に搗き込む春の雪古〓は蠅まで人をさしにけり見限りし古〓の櫻咲きにけり田舍是程の上鶯を田舎かな待ち〓〓し日永となれど田舎哉人の世や田舎の梅も拜まるゝ町一切も鰹さわぎや隱者町都蚊柱の穴から見ゆる都かな染職橫から見ても都かな煩惱の都出よ〓〓初螢いが栗も花の都へ出たりけりさすとても都の蚊なり夕すゞみ都なり寒念佛に供つれる在所五月雨の竹にはさまる在所かなぼちや〓〓と雪にくるまる在所哉古〓古郷や西も東も茨の花の花門松や本町筋の夜の雨日の暮に風の揃ふや町の空わが町はしだれ嫌ひの柳かな本町をぶらり〓〓と凉みかな村風あげてゆるりとしたる小村哉下戶村やしんかんとして梅の花鶯の上きげんなり上戶村里我里はどう霞んでもいびつなりおのが里仕舞ふて何處へ田植笠田の雁や里の人數は今日もへる一茶俳句分類人里をとかくたよるや羽拔鳥鹿啼くや大きな里の大月夜人里に植れば曲る野菊かな山里やあゝのかうのと日延盆土へな土の雛も同じ祭かな路ばたの土めづらしやお正月土ころも心置くかよ巢立鳥彌陀堂の土になる氣かきり〓〓す霜枯や胡粉のはげし土團子長閑さや土まき散らす雪の上
白山の雪きら〓〓と暑かな川江戶川や人よけさして浮寐鳥かつしかや川向ふから御慶いふ雀子や川の中にて親を呼ぶ最う一つ川を越せとよ飛螢刀根川や稻から出て稻に入る暑き夜や蝙蝠かける川端に麓柿の實や幾日ころげて麓迄峠夕立の裏を見せたる峠かな菜の花のまつばづれなる富士の山かたつぶりそろ〓〓登れ不二の山河豚喰はぬ人には見せな富士の山淺草や家尻の不二も鳴雲雀行年もそ知らぬ富士の煙哉雉子鳴や見かけた山のあるやうに悠然として山を見る蛙かな有合の山ですますや今日の月佐保姫の染そこなひや班山水仙や垣に結ひこむ筑波山遠山が日玉にうつる蜻蛉かな遠山に野火がついたぞ初時雨野梅が香をはる〓〓尋ね入る野哉むさし野の草をつむとて晴着哉蝶とゝもに吾も七野をめぐる哉原おく露やあすは野原のなきやうに時雨るゝやたばこ法度の小金原湖氷とも知らで渡りし湖水哉湖水から出現したり雲の峰湖へすり出しけり雲の峰湖のとろりと霞む日なりけり一茶俳句分類夕雉子のはしり留りや鳰の湖氷ぞと氣がつけば鳴る湖水哉湖の小一里餘所の花火哉瀧湯の瀧も同じ音なり五月雨一尺の瀧も音して夕涼み瀧けぶり側で見るさへ花の雲おぼろ夜や酒の流れし瀧の月春雨や鯲ののぼるほどの瀧川川は又山吹咲きぬ吉野山かつしかや川向ひにて御慶いふ
最う一つ川を越せとよ飛養雀子や川の中にて親を呼ぶ流彼の桃も流れ來よ〓〓春霞心太から流れけり天の川水花散るや呑たき水を遠霞首だけの水にもそよぐ穂麥哉鶯にほうりつけたり嗽ひ水鼠尾草や水につければ風の吹冷水へすゝり込けり天の川うか〓〓と出水に逢ひし木槿哉海天に雲雀人間海に遊ぶ日ぞ波萩もはや色なる浪や夕はらひ岡茶も摘みぬ杉もつくりぬ岡の家道街道や人の通りも霜がるゝ藪入や三組一所に成田道神風や虻が〓へる山の道大根引大根で道を〓へけり來る人が道つけるなり門の雪隙村や菊の中なる朝茶道藪菊や畠の緣りに茶呑道隱家や菊の中なる茶殼道路通路に梯子わたすや杜若信濃路や上の上にも田植唄神風や虻かをしへる山の路石其通り石も鳴なり時鳥石疊つぎめ〓〓や草靑む橋通るはど橋を殘して刈穂哉一茶俳句分類都かな橋の下にも年忘春雨や無駄に渡りし二文橋凉しさや土橋の上の煙草盆稻妻にへな〓〓橋を渡りけり夕霧や馬のおぼえし橋の穴棧棧を唄でわたるや春の雨棧を知らずに來たり夕涼み田田に畑にてん〓〓舞の小蝶哉田のくろや菰一枚の晝寐小屋田の人を心でおがむ晝寐かな
ふく狐出で給ふぞよ春の雨こどもらも狐の眞似を芒かな狸長き夜の化くらべせん老狸猿猿の子に酒くれるなり茸狩梢から猿がをしへる茸かなおれにつぐ能なし猿や冬籠兎名月の御名代かよ白兎犬はね併の十と入けり犬の口畑門畠や米の字なりの雪解水はや淋し朝がほ蒔といふ畑菜畑を通してくれる十夜哉汁の實も蒔て置かれし畠ぞよ長閑けしや雨後の畠の朝けぶり棒きれでつゝいて置くや庵の畠生物狐蛙なくや狐の嫁が出た〓〓と犬の餅島が餅も搗かれけりうら窓や鹿の氣どりの犬の聲大道にころ〓〓犬の日永かな笋や女のほじる犬のまね三すじ程犬に負はせる稻穗かな橇や人の眞似して犬およぐ狗稻妻や狗はかり無慾顏狗の腹鼓打て稻 の露馬馬の子の寢入ばなゝり行々子馬までも萠黃の蚊屋に寢たりけり一茶俳句分類新しき蚊屋に寢るなり江戶の馬馬までも田体みすなり門の原道ばたや馬も喰れぬ捨早苗役馬の立眠りする柿の花乳ばなれの馬の顏より秋の風野の馬の頭干すなり秋の露赤馬の苦勞をなでる夜寒かな黑塗の馬の兀けりちる木葉馬までも正月衣配りけり五六匹馬干して置く枯野かな橫乘の馬のつづくや夕雲雀牛顏露
お仲間に猫も坐とるや年忘ぶち猫に追はれついでや火取蟲猫の子のちよいと押へる木の葉哉小布團や猫にもたるゝ足のうら煤竹にころ〓〓猫のじやれにけり百敷の都は猫もふとんかな猫つれて松へ同居や煤はらひ初雪を着て戾りけり秘藏猫ふところの猫も見てゐる一葉かな龜つる龜の遊ぶほどづゝ燒野哉永の日を喰ふや喰はずや池の龜牛の子が旅、へ行くなり秋の風永き日や牛の涎の一里ほど重荷負ふ牛や頭に積る雪逢坂や牛の上から心太鼠春雨や鼠のなめる隅田川陽炎や草の上ゆくぬれ鼠蛇の穴阿呆鼠が入りにけり穴樋を鼠のはしる落葉かな猫かくれ家や猫が三匹餅の番佗ぬれば猫のふとんも借にけり龜どのゝいくつの年ぞ不二の山鼈鼈も羽ほしげなり歸る雁すつぽんも朝飯得たか蓮の花すつぼんも時やつくらん春の月蜘蜘の巢の中へ這かゝるぬかご哉虱あら玉の年立かへる虱かな更衣替ても旅の虱かなやよ虱這へ〓〓春の行方へ彼岸とて袖に這する虱かな·一茶俳句分類中日と知つてのさばる虱哉鶴此門の霞むたそくや墨田の鶴掃溜へ鶴の下りけり和歌の浦畑打や田鶴啼わたるあたり迄鷄こゝ〓〓と牝鷄よぶや夕凉鳶鳶ひよろゝ〓〓神も御立げな鳥惡まるゝ鳥は羽も拔ぬなり明神の烏も祝へ田植飯
貝殻の不二がちよんぼり春の雨藪もゝんじの出さうな藪を梅の花山里や藪の中にも年の市鳥の音に咲うともせず藪の梅罷り出たるは此藪の蟇にて候草藪も君が代を吹く小夜砧藪村の貧乏なれて夕凉古札の藪にちら〓〓寒さかな木木の蔭やてふと宿るも他生の緣櫻〓〓と唄はれし老木かな澁柿と島も知つて通りけり鳥でも年とる松は持にけりとし取りのあてもないぞよ旅烏鴉めが推參したる堅田かな七種の音にまけじと鴉かな魚魚どもや桶とも知らで夕凉み松そびえ魚をとりて春を惜む哉あさら井や小魚と遊ぶ心太蟹名月や蟹も平を名乘り出貝1やまの木の枝おし曲げて晝寐哉木隱れや火のない庵へ火取蟲草臥や凉しい木陰見て通る川狩のうしろ明りやむら木立枝木啄やきのふ我見し枝をまた簑蟲や鳴ながら枝にぶら下る松松の奥そのまた奧や雪手洗秋風の吹けとは植ぬ小松哉門の月殊に男松の勇み聲天津雁おれが松には下りぬなり一茶俳句分類門々のいぢくれ松も朧かな凉風の出口もいくつ松柏草迯された草にうぢ〓〓火取蟲入らばけふ草葉の蔭の花に花暑き日や忘るゝ草を植てさへ秋風や草も角力とる男山ゆさ〓〓と春が行ぞよ野邊の草蠅よけの草を釣して扨どこへ草の葉や世の中よしと蠅さわぐ草雫今こしらへし凉風ぞ迎火は草のはづれの〓〓かな
むだ草も穂に穂が咲て三日の月今釣た草にあれ〓〓初螢草くれてさらば〓〓や駒の主竹短夜に竹の風くせ直りけりすゞ風も隣の竹のあまりかな鶯や棒に振つたる竹山に笹君が代は山笹も子を育てけり鹿の親笹吹く風に戾りけり笹傳ふ音ばかりでも〓水哉人生人なか〓〓に人と生れて秋の暮人選みして一人なり花の陰芽出しから人さす草はなかりけりべつたりと人のなる木や宮角力ゆけ螢とく〓〓人の呼ぶうちに雁行くや人のかれこれ云ふうちに人らしく替もかへたり苔衣人來たら蛙になれよ冷し瓜人を取る茸はたして美しき人はいざ直な案山子もなかりけり人ちらり木の葉もちらりほらり哉人顏は月より先きに缺にけり他人他の人の見るもはづかし夏座敷花のかげあかの他人はなかりけり人間人間は露と答へよ合點か人間がなくば曲らじ菊の花唐人唐人も見よや田植の笛太鼓一茶俳句分類君が代やから人も來て年忘男鶯や男法度の奧の院男禁制の門なり梅の花女春風の女見に出る女かな春風や女も越る箱根山雀子や女の中の豆いりにあめの夜やしかも女の寒念佛親親といふ字を知りてから餘寒かな今年米親といふ字を拜みけり
母の分もひとつ潜る茅の輪哉母の分摘めば用なき茶山かな母親を霜よけにして寢た子哉かたみ子や母が來るとて手を叩くあんよ〓〓や母を日傘持母親にさしかけさせし日傘哉母親や凉みがてらの針仕事姉鬼灯の口つきを姉の指南かな妻妻やなきしわがれ聲のきり〓〓す蟇どのゝ妻や侍らん子鳴くらん親子義理のある親子睦し夕凉み水入らぬ親子ぐらしや山の鹿さを鹿も親子三人暮しかな鶯も親子づとめや梅の花夫婦今穴に入るなり蛇も夫婦づれ棹鹿や芒のかげの幾夫婦父父ありて曙見たし靑田原母澁いとこ母が喰ひけり山の柿群衆芥子さげて群衆の中を通りけり鉾の兒群集に醉もせざりけり一人福豆も福茶も只の一人かな蚊いぶしも慰みになる一人かな夏山やひとりきげんの女郞花衣かへて坐つて見ても一人哉爐開て見てもつまらぬ一人かな若衆若衆は浴衣ぞいざや更衣若い衆に先越されしよ花の陰一茶俳句分類若衆が無理に請たる夜露かな若衆のつき合に寢る夜寒かな聟迯しなや水祝はるゝ五十聟聟星にいで披露せん稻の花娘靑柳に金平娘立にけり今ひとつ雛の目をせよよい娘蠶醫者〓〓はやる娘かな娘見よ身を賣られつゝ行螢孫年頭に孫の笑ひをみやげかな
ひと並に晝寢したふりする子哉子寶子寳が蚯蚓のたるぞ梶の葉に繼子又むだに口あく鳥のまゝ子かなまゝつこや晝寢しごとに蠅拾ふまゝつ子が一つ團扇の修覆哉まゝつ子や凉み仕事に藁たゝく爺もみぢ葉や爺はへり折り子は拾ふ屁放虫爺が垣根と知られけり婆霞ちれ〓〓孫が福耳に子供子ありてや蓬の門の蓬餅蓬萊に南無〓〓といふ子供哉若草や北野參りの子供講朝霜やしかも子供のお花賣たのもしやつんつるてんの初袷鵜の眞似を鵜より功者な子供哉是ほどの牡丹としかたする子かな形代にさらば〓〓をする子かな〓名月を取て吳れろと泣子かな。橇を子らに習ふてはきにけりが福耳に古婆々が肩にかけゝり蛇の衣婆々どのゝ眼鏡をかけて茶摘哉年寄好々や此年よりを呼子鳥年寄の袖と知らでや虎ケ雨老梅さくや老の頭にしみるほど今朝秋といふばかりでも老にけり松の木も老の仲間や秋の暮老が身は鼠も引かぬ夜寒かな隱居赤菊の天窓の秋や隱居達一茶俳句分類小坊主小坊主が棒を引ても吉書哉小坊主を人形に使ふ火腱哉小坊主や親の供して山櫻家ふしぎ〓〓生れた家今朝の春迹の家見るや霞めば霞むとて時雨るゝや家にしあれば初しぐれ北國や雪に家なきお正月苔はあれ花は咲けり埋れ家あばら家の其身そのまゝ明の春隱れ家や呑手をやとふ秋の暮
豆打の手應へもなき伏家哉梅の木のある顏もせぬ山家哉鶯よ老をうつるな草の家けふも〓〓霞んで暮らす小家哉雪散るや昨日は見えぬ借家札栖是がまあ終の栖か雪五尺栖より四五寸高きしをに哉立な雁住めばどつこも秋の暮春立や二軒つなぎの片住居庵蝶ひら〓〓庵の花を見とゞける隱れ家や花はすだれの靑いうち茶もつみぬ杉も作りぬ丘の家家こけて霜は柱と立にけりはなれ家やずん〓〓別の寒の入我家鶯の目利して啼く我家かな蟬鳴や我家も石になるやうに木枯や人なき家の角大師我家やたつた一人も年忘屑家元日も立のまんまの屑家かな名月の御覽の通り屑家哉庵の雪下手な消樣したりけり庵の苔花咲くすべも知らぬなり雉子鳴やこれより西は庵の領時鳥俗な庵とさみするな霞むなら霞めで捨てし庵哉鳥の巢に明わたしたる庵かな我庵や蛙初手から老を鳴きり〓〓すなきそ綴れもなき庵に御祝儀に月見て〆る庵かな橇や庵の前を足ついで三もんの若水あまる庵哉宿霞けりにぐる宿屋も迹の村雪どけや大旅籠屋のうらの松二階木枯やいつ封を切る裏二階夏の月二階住居は二階にて藏土藏から筋違にさすはつ日哉もみ藏のかげの小家も月見哉穴藏の中でものいふ春の雨壁薄壁やどこの穴から春が來るまどの穴壁の割れより吹雪哉
熊蜂も軒をば知つてもどりけりしぐれ込め門から二軒目の庵四五軒で一把をわける若菜哉夏の夜や二軒して見る草の花春立や二軒つなぎの片住居寒いぞよ軒の蜩唐がらし庇桃櫻庇〓〓の花見かな暑き日や庇をかじる馬鹿烏朝顏に貸して咲かせし庇かな世を捨ぬ人の庇もすゝきかな窓うしろから寒が入なり壁の穴秋風や壁のヘマムシヨ入道この壁にむだ書無用梅の花古壁や釘で書たる古曆名月やあてにもせざる壁の穴はつ雪や古〓見ゆる壁の穴壁に生る一本草や蚊のこもる柱羽蟻出るまでに目出度き柱哉露の身の一人通るとかく柱木啄の稽古にたゝく柱かな軒窓先や元日に來る雜煮賣出る月は紙帳の窓の通りかなそれ虻に世話をやかすな明り窓ころり寢や紙帳の窓の三日の月遠山の花に明るし東窓窓はみな梅が香となる眞晝かな戶戶口から靑水無月の月夜哉大でらの片戶さしけり夕紅葉閾大雨の國にちよいと蚊遣かな路次一茶俳句分類木枯や行拔路次の上總山門月朧よき門探りあてたるぞ門前や何萬石の遠がすみ稻妻や門へ寢ならぶめでた顏門口に來て氷るなり三井の鐘我門を山へ出て見る幟かな痩たりな門の螢に至るまで豐年の聲をあげゝり門の繩かるた程門の菜の花咲にけり我門はしだれ嫌ひの柳かな男禁制の門なり梅の花
我門に來さうにしたり配り餅雪解や門は雀の十五日雪ちりて人の大門通りけり門先にちよいと渦まく木の葉哉門の雁片足あげて思案かな初ものゝうちになくなれ門の雪福の來る門や野山の朝笑ひ世にあれば無理に解すや門の雪門の草はつはじめから疎まるゝ門かすぞ啼かずあそべ雀の子門さきや今年さしても夏木立門の夜や凉しい風も今すこし屋根雪舟引や屋根から呼る屆狀垣袖だけの垣の嬉しや春の雨夕顏や男結びの垣に咲く朝寒や垣の茶館の影法師來るも〓〓下手鶯ぞおれが垣柴垣や凉しき門に方違ひ落葉して三月頃の垣根かな鶯にあてがつて置く垣根哉山吹をさし出しさうな垣根哉塀塀合を通してくれる十夜哉椽陽炎や椽からころりねぼけ猫椽の蠅手をするとこを打れけり椽はなや二文花火も夜の體高椽を覗いて呼ぶや男鹿椽の猫勿體顔や菊の花座敷小座敷や袖で拭たる菊の酒併組も一ざしきなり梅の花霞日やしんかんとして大坐舗小幟のこつそり暮るゝ座敷哉一茶俳句分類お座敷や瓜をむくさへむづかしく人ひとり蠅もひとつや大座敷御殿鶯のゝにして啼や留守御殿後架卯の花の吉日持ちし後架哉野雪隱の後ろをかこふ柳かな一方は霜柱なり野雪隱雪隱の錠も明くなり梅の花庭乾くまで繩張る庭や若葉吹冷汁や庭の松かげさくら蔭
むだな身もことしの米をへらしり山水に米を搗かせて畫寢かな米まくも罪ぞよ鷄のかけ合ふぞよ飯君が代の大飯くふて櫻かな世がよくばも一ツとまれ飯の蠅飯けむり賑ひにけり夕砧初しぐし夕飯買に出たりけり飯粒や人も口あく雀の子大武家の飯すみきつて初鴉蝙蝠や鳥なき里の飯時分次の間の灯で飯をくふ夜寒かな築山築山やいはひて一つ時鳥屋舗鶯のまてに廻るや組屋舗茶屋萍の花よこい〓〓爺が茶屋存な外俗な茶屋あり萩の寺とし〓〓に霜枯にけりいろは茶屋霜枯やなくなりもせぬいろは茶屋米米直段くつくと下る暑かな露ちるやかきあつめたる米と砂晝飯をぶら下げて居る案山-哉餅二軒家や二枚餅つく秋の雨桃ところ〓〓何思ひ出て餅の音御取越飴で餅くふ咄し哉牡丹併の來べき空なり初時雨牡丹餅を喰へて霞む鳥かな酒酒臭き黃昏頃や菊の花花さくや日傘のかげの小酒盛大酒の諫言らしや閑古鳥夕立やはらりと酒の肴ほど一茶俳句分類十五夜のみ酒にも菊をちよいとさす菊の日やのみ手を雇ふ貰ひ酒酒五文つがせてまたぐ火鉢哉大火鉢またぎながらや茶椀酒酒土瓶茶土瓶も出る炬燵かな飮際のいさぎよきにも名月ぞ茶人形に茶を運ばせて凉み哉茶代とる迚ならふなり菊の花露置くや茶腹で越えるうつの山蚊屋釣りて喰ひに出るなり夕茶漬丘の家や蓮に吹れて夕茶漬
楢の葉の朝から散るや豆腐桶飴霞日や夕山かげの飴の笛汁出代や汁の實なども蒔て置朝凉や汁の實を釣る背戶の海〓大菜小菜食ふそばから花咲ぬ春雨や喰はれ殘りの鴨が啼萩の末芒のもとや喰祭冬籠惡もの喰のつのりけり煮〆山寺の茶に焚れけり初時雨湯菊主や火鉢の隅の素湯土瓶煙草せんこうで煙草ふき〓〓凉み哉雨晴や蝙の中なる朝煙草寢むしろや煙草吹かける女郞花今朝春が來た樣子なり煙草盆煙草盆足で尋ぬる寒かな豆腐宵越しの豆腐明りに藪蚊哉豆腐屋が來る朝顏が咲にけり蝶飛ぶや煑〆を配る蕗の葉に團子有やうは我も花より團子哉十團子蔦の若葉に包むべし衣かくあらば衣賣らましを春の霜布春風やおまんが布の形りに吹く羽織古紙衣ついり合せて羽折かな綿立ながら綿ふみぬいで出たりけり一茶俳句分類南無阿彌陀どてらの綿よひまやるぞ黑姫も色氣づいたか綿帽子縞おりかけの縞目にかゝる初袷ゆら〓〓と大名縞の芒かな袖袖たけの初花櫻咲にけり袖に併秤にかゝるうき世かな我袖を親とたのむや迯螢露の玉袖の上にもころげけり袴袴着て芝にころりと子の日哉
袂山蟬の袂の中を通りけり春日野の鹿に嗅るゝ袂かな衽衽なりに吹込む雪や枕もと手拭手拭で引かついだる若菜哉小男鹿に手拭貸さん角の跡風呂敷風呂敷を冠て見たり梅の花上下ちさい子の麻上下や梅の花洗灌寢せつけし子の洗濯や夏の月武士人は武士君小粒でも唐からし鍛冶里並に藪の鍛冶屋も祭かな門番門番が明てやりけり猫の戀門番のほまちの芥子の咲にけり堂守堂守と撞木と寢たり秋の雨僕手足まで寒晒なるしもべ哉すこしたらぬ僕や隣の雪も掃く三助三助が初瀨詣やはるの雨按摩夜時雨やから呼びされし按摩坊宿引宿引に女も出たり春の風博奕奧山も博奕の世なり春の雨聲〓〓に花の木陰の博奕かな窓の雪積んでこそ〓〓博奕かな一茶俳句分類乞食美しき凧ありにけり乞食小屋乞食子やあるきながらの風乞食まちとも見えざりし幟哉乞食子や膝の上なる夜の霜皮剝皮剝が腰かけ柳靑みけり傾城霜がれや鍋の墨かく小傾城傾城も世帶ごゝろの若菜哉辻君辻君とならびが岡や冬籠
はな先の掃溜塚も今朝の雪散松葉むしりながらや掃除番盜山の月花盜人をてらし給ふ盜めとの庇の餅や十三夜盜人の霞んでげゝら笑かな巾着切御十夜は巾着切も月夜かな錢江戶櫻花も錢だけ光るなり重箱の錢四五文や夕しぐれ暑き日や靑草見るも錢次第貧貧乏憂し〓〓と火桶抱へけり我宿の貧乏神も御供せよ夕顏も貧乏かくし咲にけり藪村や貧乏なれて夕凉み大名巨燵から大名見るや本通りつぶ濡の大名を見る火燵哉迹供は霞引きけり加賀守掃除すみ〓〓も掃除とゞくや木下闇鶯の馳走に掃かぬ垣根かな陽炎や掃捨芥も錢になる錢なしは靑草も見ず門凉み節季候や小錢も羽がはえて飛ぶ靑草も錢丈けそよぐ門すゞみ兩百兩の石につりあふ躅躑哉まつかげや扇でまねく千兩雨二步二步判も初音出しけり梅の花文小松菜の一文把や今朝の霜凉風に月をも添て二文かな一茶俳句分類椽はなや二文花火も夜の體一文に一つ鉦打つ寒かな撫子に二文が水を浴せけり三文の若水あまる庵かな一文が水を皆打つさゝ葉かな京住や五文の炭も目にかける借麻の葉に借錢書て流しけり賣板行にして賣られけり負相撲卯の花の花のなきさへ賣られけり買
出代の市にさらすや五十顔陽炎や子をかくされし親の顔稻妻やうつかりひよんとした顔へ榾の火や目出度御代の顏と顔人顏も霜がるゝなり巢鴨道東西の人顏はつと花火かな雁鴨や御成も知らで安堵顏なか〓〓に安堵顏なり羽拔鳥とら腹の顔をつん出す葉陰哉霜枯やどなたの顔も思案橋面浮れ猫どのつらさげて又來たぞ寢て買ふや元日焚の柴一把併買ひに孝女の出る夜寒かな鉢の梅見倒し買の手にかゝる駄賃夜駄賃の越後肴や夏木立肢體顏我々が顏もはつ日や御代の春朝顏や人の顏にはそつがある我を見て苦い顏する蛙かな梟よつら癖直せはるの雨夜〓〓やおなじ面でも夕凉み暑き日に面で手習した子かな慾面へ浴せかけたる櫻かな頰頰桁を切下げられな鵙の聲頰ぺたに飯くつつけての戀頭浮れ猫頭はりくらはしたりけり頭から湯けむり立つて節季候ぼんの窪から冷しけり天の川ぼんの窪に扇をちよいと小僧かな一茶俳句分類天窓坊主天窓をふり立てた御慶哉初空へさし出す獅子の天窓哉川柳天窓でわけて這入けり蒲英公の天窓はりつゝ猫の戀其門に天窓用心ころもがへはげ天窓輪をかけろと行々子小座頭の天窓へかぶる扇かなはせを忌に丸い天窓の披露哉水ざぶり佛なりやこそ天窓から寢たふりをすれば天窓に螢哉蜻蛉のすべり落ちたる天窓哉
世渡りの氷柱さがるや天窓から首御首に蠅が三匹とをまつた萍やはだかわらはが首筋に橫吹や猪首に着なす蒲頭巾目花咲や目につかはれて太和まで散芒寒くなるのが眼に見ゆる霧に乘る目つきして居る蟇哉目の役に拙者がならぶ月見哉ひいき目に見てさへ寒きそぶり哉名月や目につかはれて夜もすがら睨散る花にはつたと睨み蛙かな三ヶ月を睨みつめたる蜻蛉哉おれとして睨みくらする蛙かな口おとろへや花を折にも口曲る小蛙も啼くなり口を持たとて雲を吐く口つきしたり蟇明く口へ月がさすなり隅田川木枯や雀も口に使はるゝ鶯の口すぎに來る落葉かな我宿は口で吹いても出る蚊哉あゝ暑し何に口あく馬鹿烏齒山櫻花をし見れば齒のほしき隱れ家や齒のない聲で福は內福豆や福梅干や齒にあはぬ齒ざしりの拍子となりきり〓〓すすり古木のやうな齒ぐきで花の春齒を持たぬ口に咥へて接穗かな耳耳一つ御かし玉へ時鳥年寄と見てや鳴蚊も耳のそば耳に珠數かけて折なり草の花才伊甸分類聾鶯のまてに啼らんつんぼ家金上戶金聾と月見かな腮草花を腮でなぶるや勝角力捧突が腮でをしへる櫻かな夕暮の腮に突つばる扇かな手腕白がまづ手のひらへ筆始め手をすりて蚊帳の小隅をかりにせり手のひらへ飾つて見るや市の雛やれ打な蠅が手をすり足をする
手をずりて蚊屋の小隅をかりにり茸狩のから手で戾る騒かな椽の蠅手をするとこを打れけり初螢ついとそれたる手風かな里の子や手でつくねたる山の雪のし併や皺手の迹のあり〓〓と晝の蚊の來るや手をかへ品をかへ手探りに摑んでくべる粉炭哉法談の手眞似も見えて夏木立手まくらや年か暮よと暮まいと手枕や親子三人鵜のかせぎ手枕やぼんのくぼより飛ぶ螢腕枕する腕に蝶々の寢たりけり腕にも露がおくなり御茶賣掌錢が降れと拜む掌へさくら哉足足もとの明るいうちや歸る雁庚申の足の下から蕨かな投げ出した足の先なり雲の峰かな釘のやうな手足を秋の風寢莚や野分に吹かす足のうら足枕手枕鹿のむつましや寢莚や足でかぞへる雲の峰蓮の葉に片足のせて晝寢かな痩足やためつすかめつ見る蜻蛉見よ〓〓と片足立かよ小田の雁中足立して見せるなり杭の雁臑向ふ膿さふと切たる芒かな寒月に立つや仁王のからつ腦腰我松も腰がかゞみぬ秋の暮何果か腰のかゝんだ寒念佛膝一茶俳句分類金太郎が膝ふし切りの袷かな膝かしら木曾の夜寒に古びけりかさを着て膝を抱へて晝寢哉膝抱て羅漢顏して秋の暮指蟲の屁を指して笑ひ佛かな名月や指の先なる名所山髮初螢女の髪につながれな髪髭も白い仲間や花の陰田鼠鶉人は白髪と化にけり髪
虫干を背中でするや草枕肩三日月と肩をならべて網代守骨あばら骨撫でじとすれど夜寒哉骸骨の笛吹くやうに枯野哉鼻鼻先へ知惠ぶら下げて接穗かな來る蝶に鼻を明する垣根かな賓頭盧のお鼻を撫る小蝶哉この闇に鼻つまゝれな時鳥大佛の鼻から出る乙鳥かな穂芒やおれが小鬢もとも戰ぎ髭野大根大髭どのに引かれけり髭剃つて遊びに出るや春の月蝉が髭をかつぎて啼にけり乳片乳を握りながらや初笑ひ萍の花をながめて添乳かな蚤の跡かぞべながらに添乳かな背鬼灯を取つてつぶすや背中の子寒垢離の背中に龍の披露哉朝顏の花で鼻かむ女かな肌朝市に大肌ぬぎや春の雨夕月や大肌ぬいで蝸牛靑梅や餓鬼大將が肌拔いで皺初春も月夜となりぬ人の皺又ことし七五三潜るなり顏の皺腹なぐさみに腹を打なり夏の月きり〓〓す案山子の腹で鳴にけり產みさうな腹を抱えて蛙哉裸一茶俳句分類風の子や裸で逃る寒の灸爪垢爪や薺の前も恥かしき鼾鰒汁や最合世帶の惣斯欠春雨に大欠びする美人かな咳駒引や駒の威をかる咳拂鶯のぎよつとするぞよ咳拂影梅折や天窓の丸い影法師
此らるゝ入うらやましとしの暮叱られて又這入る鵜のいぢらしや負たとてしたゝか菊を叱りけり恐漏るものが恐しといふ〓かな恥恥入つて平たくなるやどろぼ猫恥かしや罷り出てとる江戶の年角落て恥かしげなり山の鹿泣泣くなとて母の踊るや門の月泣くものをつれていぬとや秋の風影法師もまめ息才ぞ今朝の春影法師に耻よ夜寒のむだ歩き朝寒や垣の茶旅の影法師誰々が影法師うすき閑古鳥影法師も祝ヘ只今年暮るゝ心我心露かとはしる靑田かな穂芒や細き心のさわがしき一夜さは出來心なり寒念佛叱叱てもしやあ〓〓として蛙かな關守が叱りかへすや猫の戀淚老ぬれば日の永いにも涙哉飛ぶ螢泪の露がなりつらん煤掃の世話のなき身を泪かな笑陽炎や目につきまとふ笑ひ顔夜凉が笑ひ納めでありしよな爐のはたやよべの笑ひが暇乞ひ祐成がふとん引はぐ笑かなをさな子や笑ふにつけて秋の暮寢狗のころ〓〓一人笑ひかな一茶俳句分類ねむりやう鷺に習はん冬籠暑き夜の荷と荷の間に寢たりけり菴の春寢そべる程は霞なり寐かへりをするぞ脇よれ蛬斯う寐るも我炬燵ではなかりけり名月や寢ながら拜む體たらく寐並びておのが靑田をそしる也不性鹿孵て居てひゝと答へけり不性鹿鳴放しては寐たりけり寐ぐらしに丁度よい程夜寒かな步行手に取れば歩きたくなる扇かな
寢むしろや尻を枕に夏の月寢謠の尻べた叩く扇かな夕立、畫寢の尻を打れけり橫槌に尻つゝかけて菊の花屎白露の玉ふんかくなきり〓〓す大茸馬糞も時を得たりけり屎虫や蜂となりても嫌はるゝ尿眞直な小便穴や門の雪杉でふく小便桶や更衣小便の身ぶるひ笑へきり〓〓す煤掃いた形で出歩るく小野郞哉菊園や歩きながらの小酒盛秋風を歩いて逃る螢かな奈良七日歩き出のある日永哉ぶら〓〓とあるき出のある日永哉這這渡る橋の下よりはとゝぎす門の蝶子が這へば飛び這へばとぶ土べたに子を這はせ置く菜摘哉畑打や子が這ひ行あるつくし原尻蝶寢るや草ひきむしる尻の先來年は小便くさき火燵哉春日野や駄菓子に交る鹿の尿小便もうかとはならず今朝の春病さる人は病氣をつかふ花見かな頭痛時鳥なくや頭痛のぬけるほど瘧今朝秋や瘧の落たるやうな空朝凉や瘡の落る山の松吃逆花を折る拍子にとれしやくり哉一茶俳句分類湯治日歸りの湯治もすなり春の雨器財駕駕先を下に〓〓と扇かな夕かげや駕の小脇の夏花持雪ちるや脇から見たら榮曜駕駕籠脇の高股立や寒の入雪ちるや御駕に運ぶ二八蕎麥舟
人なみに疊の上の月見哉障子梅が香に障子開けば月夜哉うつくしや障子の穴の天の川秋の夜や障子の穴の笛を吹く莚垂莚天窓で別る吹雪かな小莚や花くたびれのどた〓〓寢冷汁の筵引かする木かげかなさ莚や一文橋に霧の立つ菰菰はげばはやんか〓〓と梅の花遠かたや凧の上ゆく帆掛船五百崎や御船拜んで歸る雁はなれ鵜の子の泣船に戾りけり下見てもほう圖かないぞ涼み船おのれのみが船を出すなり秋の暮二人凉んで下る夜舟かな山燒の明りに下る夜舟かな揖綱代守天窓で揖を取にけり疊菱なりに雪か吹入る疊かな影ぼしの疊にうごくふくべ哉薄綠薄べりに傳ふ葱の雫かな繩木枯や繩ひつぱりし御成道繩つけて子に引かせけり丸氷弓負弓の藪にかゝりて春の雨鐵砲名月に乘じてかつぐ鐵砲かな脇差脇差の柄にふら〓〓若葉かな川狩や地藏の膝の小脇差一茶俳句分類刀茸とり刀でわける芒かな四五間の木太刀をかつく袷かな鍬鍬の柄に小僧の名あり菊の花鍬の柄に鶯啼くや小梅むら笠笠着るや梅の咲日を吉日と笠でするさらば〓〓や後霞煤くさき笠も櫻の降日哉涼しさや笠を帆にして煮賣卅おどる夜や誘ひ出さるゝ庵の壁
傘の雫ながらに 霞かな箒末の子や御墓參りの箒持竿百尺の竿のかしらに蜻蛉かな木枯や鎌ゆひつけし竿のさき錠そら錠と人にはつげよ梅の花柴の戶や錠の替りに蝸牛はせを忌や晝から錠の明く庵鍵庵の鍵松にあづけて月見かな妹か子や笠のほしさに田を植る笠を着た形でころりと晝寢哉曲者を人なとがめそ笠の雪ぬぎ捨し笠に一ばい螽かな笠の露眠らんとすれば犬の聲塗笠にはらり〓〓と扱茶かな煙管手序に煙管みがくや御取越傘傘さして箱根越すなり春の雨傘にべたりと付きし櫻かな步きなから傘ほせば時鳥かな名月や松にかけたる庵の鍵膳名月や膳に這ひよる子があらば有明や淺間の霧が膳を這ふ竈蝉のうけ取つて鳴く竈かな椀欠椀も同じ流れや立田川時雨るゝや親椀叩く啞乞食鵜の椀へ先に入れたる膾かな御目ざめの前や火桶に朝茶椀きり〓〓す茶椀蹴飛ばす所存哉一茶俳句分類汁椀にばつと夕顏明りかな箸陽炎やそばやが前の箸の山早乙女や箸にからまる草の花德利雪ふれや貧乏德利こけぬうち盃引かける大盃に胡蝶かな梅咲くや泥草鞋にて小盃盃よまつ流るるな三日の月筆添て思ふ盃流しけり川下や果は圖とりの小盃
米櫃の中や鈴蟲きり〓〓す盆ぬり盆にころりと蠅のすべりけり算盤算盤に肱をもたせて晝寢哉錢箱錢箱の穴より出たりきり〓〓す鍋草併を鍋でこねても祝かな鍋墨のかかれとでしも菫かな鍋の尻干にしならべたる雪解哉夕月や鍋の中にて鳴田にし小にくしや蚊帳の中にて小盃桶若水もとなりの桶で仕舞けり杉桶や有明月と心太樽から樽を又ふりて見る夜寒かな塗樽にさつと散りくる紅葉哉一摑み塗樽拭ふ紅葉かな笊五百崎や龜の子笊に鳴蛙大笊にふせられはぐる小蝶哉米櫃鍋尻にちらり〓〓と螢かな萍の鍋の中にも咲にけり山里は小鍋の中も名月ぞ釜小さしきや茶釜の中の夏の月蝶〓〓のふはりと飛んだ茶釜哉杵先や頭あふない雀の子秤靑柴や秤にかゝるはつ時雨蠟燭石上に蠟燭立てゝ接穂かな行燈行灯を畠に置て砧かな初雪や俵の上の小行燈夕立や行燈直す小椽先行燈で畠を通る春の雨行燈ではやし立てるや花の雪涼しさや糊のかわかぬ小行燈雪解や驚か三疋立白に陽炎や白の中からま一筋卯の花や臼の目切と鶯と雪ちりて隣の白の谺かな杵一茶俳句分類
提灯梅鉢の大提燈や霞併買に箱提燈や春の雨提燈は花の雲間へ入にけり火打花のかげ南無三火打なかりけり履履のならぬ所より梅の花草鞋卯の花の垣に名代の草鞋哉切れ草鞋螢とならば隅田川蒲團きるやあすの草鞋を枕元草履初雪や椽から落ちし上草履春風やとある垣根の赤草履人ありと見せる草履や田番小屋あさぢふや菫じめりの薄草履下駄門々の下駄の泥より春立ぬ陽炎や手に下駄はいて善光寺正月や貸下駄並ぶ日陰坂下駄ころりきやらり彼奴等の夕涼筆筆と我命くらべや夏百日紙酒くさき紙屑籠や菊の花棒先の紙もひら〓〓小春かな紙屑も牡丹顏ぞよ葉がくれに帳面一人と帳面につく寒さかな帳つゞる加勢もせずに旅寢とは笛稽古笛田はこと〓〓く靑みけり褌に笛つきさして星迎へ笛吹いて大三十日を飴の鳥三味線一茶俳句分類花咲くや三味線にのるお念佛三絃に鳴つくばかり千鳥かな將棊御免なり將棊の駒も箱の内瓢出初を祝ふてたゝく瓢かな鉦霜がれやおれを見掛て鉦叩く一文に一つ鉦打つ寒かな枕今落た角を枕に寢鹿かな小男鹿の路した角を枕かな
凉風に大福帳を枕かな山人の枕の際や雲の籠鶯やよくあきらめた籠の聲罠業の鳥罠を巡るやむら時雨元結掃溜に赤元結や春の雨杖ぬかるみへ杖つつぱつて初日哉川前や杖でつくりし雪解川な峰宗〓神社御寳前にかり奉る初時雨煤竹や藪の社も一社神神とおもふ方より三輪の日出哉蟲も鈴振るや住吉大明神おのづから頭が下るなり神路山神前に啼く棹鹿も子や欲しき神の灯や餅を定木に餅をきる雨神〓〓の留守洗濯や今日の雨神代にもあらじ一夜にこんな酒神風の吹や一夜に酒となる御神馬の塗へげにけり散紅葉鳥井卯の花に一人きりの鳥井かな鳴鹿の片顏かくす鳥居かな賽錢藪尻の賽錢箱や梅の花賽錢にあをり押さるゝ櫻かな注連赤注連や疱瘡神のことし竹一茶俳句分類禰宜山本や禰宜殿なしの里神樂山本や小禰宜一人の里神樂佛夏山や佛のきらひさうな花御佛や寢でござつても花と錢花散りて死も上手な佛かな死花をばつと咲せる佛かな山柿も佛の目には甘からむかりそめの雪も佛となりにけりおれが塲もとくたのむぞよ佛連とゝ喰た花と指さす佛かな
寒聲といふ南無阿彌陀佛かなさて長い夜が長いぞよ南無阿彌陀なむあみだ南無阿彌陀佛夜永かな寺大寺の片戶さしけり夕紅葉大寺は留守の體也夏木立山寺や椽の上なる鹿の聲暑さ日をとう〓〓善上寺詣哉やぶ寺の人氣の見えぬ十夜哉寒月の眞正面なり寒山寺夕月や御煤の過し善光寺せき候やはる〓〓かへる寺の門佛さへお留守なりけり秋日和御佛にかぢり付たる藪蚊かな晝の蚊を後にかくす佛かな人の爲しぐれておはす佛かなさく花をあてに持出す佛哉散花に佛とも法ともいはぬかな蓮の露佛の身には甘からん彌陀彌陀佛のみやげに年を拾ふ哉涼しさや彌陀成佛の此かたは鉦一つ打てば南無阿彌陀佛哉鶯や彌陀の淨土の東門寺借りてかたづけられつ年の暮尼寺尼寺や二人かゝつて大根引弟子尼の鬼灯植て置にけり地藏お地藏のお首にかけるかざり哉けふこそは地藏の衆もお正月花の世は地藏菩薩も親子哉名月やおれが外にも立地藏春風や地藏の膝の赤の飯石佛石佛風よけにして櫻かな一茶俳句分類野佛の袖につかれて雉子の啼く野佛の鼻の先より氷柱かな祖師秋の夜や祖師もかやうな石佛娑婆苦の娑婆や花が開けばひらく迚一本は櫻もちけり娑婆の役苦の娑婆と草さへ伏すか秋の暮念佛ねがはくば念佛をなけ夏の蟬念佛の申賃とる日永かな念佛せよ田鼠鶉になりたくば
開帳にあふや雀も親子連開帳のふりつぶされて秋の風勸化冬枯や諸勸化いれぬ小制札經法華よむ天窓の上やきり〓〓すホケ經と鳥も芭蕉の法事かな衆生咲く花の中にうごめく衆生哉六道六道の辻に立ちけり枯野原極樂穂芒に下手念佛のかくれけり念佛の指南所や蔦紅葉門の蔦嵯峨念佛の指南かな嵯峨流の大念佛や蔦紅葉西方西方の初空拜む法師かな開山開山は芭蕉樣しや菊の花開帳缺茶椀開帳したり梅の花開帳の目當てに立てし櫻哉花散るやとある木陰も小開帳西方の極樂道よ枯野原地獄地獄へは斯う參れとか閑古鳥露ちるや地獄の種を今日も蒔く世の中は地獄の上の花見哉鬼枯芒昔鬼ばヾあつたとさ泣な子ら時雨空から鬼が出る人鬼の里へ戾るやぬくめ鳥人鬼の見よ〓〓鹿は角落るそつくりと大津の鬼や寒念佛來て見ればこちが鬼なり蝦夷ヶ島一茶俳句分類原鬼のすむ沙汰もなくなる櫻哉精進さかさまの精進するや草の露露らるや我が精進はやがて誰朝顏やまだ精進の十五日此秋は精進酒の月見かな鐘身の上の鐘と知りつゝ夕凉あの月は太郞がのだぞ迎鐘霞まで生やうものか霜の鐘入相の鐘につき出すほたる哉入相のかね〓〓かねて火取虫
藪入や墓の松風うしろ吹く墓の木の影ぼし踏まぬ角力哉幽靈幽靈と人の見るらんすゝき原小僧柿の木であいと答へる小僧哉落葉して日向に醉ひし小僧哉其脇にころり小僧の寢釋迦哉順禮ふだらくや赤い袷の小順禮鬼灯や七つぐらゐの小順禮七歲の順禮ぶしや夕しぐれ俗のつく鐘もしぐるゝ嵯峨野、哉撞木棹鹿の撞木にねたる小春哉線香線香や平內堂の春の雨葬蟇どのゝ葬禮はやせ時鳥塚新米の相伴したり無緣塚塚の花にぬかつけば故〓なつかしやあら淋し塚はいつもの三十三才墓春風や順禮どもが練供養藤咲や順禮の聲鳥の聲人聲にぼつとしたやら夕櫻無言へら鷺は無言の行や行々子小言小言いふ相手もあらば今日の月ぶく〓〓と〓のうちの小言哉榾の火や小言八百酒五杯話むだ話虫に行灯消されけり火取虫話の腰を折られけり寢咄しの足で折り〓〓鳴子哉寢がてらや咄しがてらや山を燒く言語大聲や二十日過ての御萬歲梅折や盜みますると大聲に秋風やちいさい聲のあなかしこ人聲の方へやれ〓〓初螢方〓〓の聲にまごつく螢かな蜂か霜夜の聲を自慢かな人聲にもまれて靑む柳かな一茶俳句分類
うそ寒や蚯蚓の唄も一夜づゝ音頭小高みに音頭取りの蛙かな字小男鹿のしの字に寢たり長々と大の字にふんぞりかへる凉かな書盆の灰いろは書く子の夜寒かな樂書の一句拙し山ざくら讀雀等も何か讀ぞよ今年竹古語呼小組を呼下しけり小田の雁椋鳥と人に呼るゝ寒さかな呼あふて長閑にくらす野馬かな言虫どもかいふ事いふぞともすれば言譯に一夕立の通りけり聞入相の聞處なり草の花今少し雁を聞迚ふとんかな唄秋の原知たらなんぞ唄ふべき山菊の直なりけらしおのづから仰向に寢て靑丹よし奈良團扇方言小男鹿やえひしてなめる今朝の霜此處あちやとそんまの國界赤いぞよあのものおれが梅の花俗語時鳥けんもほろゝに通りけり向たい方へつんむいて菊の花幸にさく〓〓咲くややくざ菊連のない雁もさつさと歸りけりやれ啼なそれほど無事で歸る雁一茶俳句分類見るにつけぞつとするなり寒の水行あたりばつたりはたり團扇哉うきさうな雪かふうはりふうはりと今しがた來たよこしやくな鷦鷯おりよ雁一目さんに我前へみのし野にへんな櫻もなかりけりえゝやつと生たところが秋の暮我なりをうさんと見るや鹿の聲高うはごさりまれど木から蛙哉こちとらは花が咲うが咲まいが苦の娑婆をつく〓〓ぼうし〓〓哉梟よのうぼんとこか年の暮
露はらり〓〓大事の浮世かな出直して大名月ぞ〓〓大藪の人もせき候〓〓よ團栗のねん〓〓ころり〓〓かな初蟬のうきをみん〓〓見みん哉名月や下戶はしん〓〓しんの座につき合や不性〓〓に寒念佛今たつた今つつさしたれど柳かなせい出してそよげ若竹今のうち鳴雀その大根も今引ぞ今見ればっすだらけなりおれか蚊帳蚊柱よ月のお邪魔でないやうにもたいなや畫寢して聞く田植唄もたいなや花の日永を身にこまる疊語網代守こゝにとえへん〓〓哉澁柿のしぶ〓〓澁になりにけり雪ちらり〓〓冬至の難儀哉あれ月が〓〓と雁のさわぎ哉ちりの身のふはり〓〓と花の春みそさゞへきよろ〓〓何ぞ落したか日が永い〓〓とのらりくらり哉大螢ゆらり〓〓と通りけり今の間に二た夕立やあちら村今までは罰もあたらぬ晝寢かな白山畠や蕎麥の白きもぞつとする白黄色蝶も色どりしたりけり京夜白白いかたびら白い笠菊作り木戶より白きつむりかな黒浦風にお色の黑い雛かな赤蟬なくやつく〓〓赤い風車秋風やむしり殘りの赤い花一茶俳句分類お祭に赤い出立のとんば哉赤い月是は誰がのじや子供達赤い花うつら〓〓と今頃は短夜や赤い花咲く蔓のさき靑ことし米我等か小菜も靑みけりあながちに靑くなくとも簾かな黃黃鳥や黃色な聲で親を呼黃組白組來る蝶の出立哉淺黃淺黃だけ少しじみなり飛胡蝶な
月も月そも〓〓大の月夜かな大淀や大曙の 梅の花あつぱれの大若竹ぞ見ぬうちに鶯のさて大づらもせざりけり蚊もいまだ大あばれなり江戶の隅大酒の諫言らしや閑古鳥小小にくしや蚊屋の中にて小盃てはじめは小雷にてすますなり千代春立や千代のためしに立給ふ春立て磯菜も千代のためしかな上出來の淺黃空なり秋の露候折てさすそれも門松にて候閑古鳥泣坊主相違なく候船が着て候とはぐ布團かな御目度存じ候今朝の霜姨捨はあれに候と案山子かな義仲寺へ急ぎ候初時雨田の人よ御免候へ畫寢蚊帳それがしも宿なしに候秋の暮まかり出候これは閑古鳥大人の曳小松に千代やさみすらん踏初は千代の竹なりすゞめの子上々言元日や上々吉の淺黃空我春も上々吉ぞ 梅の花米國の上々吉の暑さかなヨ吉日の卯月八日も閑古島上野親分と見えて上座に啼蛙煤け雛しかも上座をめされけり靈棚や上座して啼くきり〓〓す殿よりも少し上座は菊の花一茶俳句分類人名時烏通れ辨慶ここにあり秋風や蓮生坊が馬の尻道灌の御覽の雪や三の丸貫之の梅につけたり三日の月櫻花晋子の落書まがひなし梅が香や平親王の御月夜西行にお宿申さむうこぎ飯やせ蛙負けるな一茶ここにあり春立や彌九郞改め一茶坊汝花守や夜は汝が八重重櫻
草の葉や馬鹿丁寧の五月雨さぶ〓〓と馬鹿念入れて五月雨蝙蝠やさらば汝と兩國へ汝等も福は待かよ鳴千鳥貴殿寒念佛さては貴殿でありしよな誰誰やらに似たるぞ鰒のふくれ面はや〓〓と誰冬籠る細煙りほく〓〓と霞んでくるはどなた哉鎌倉やむかしどなたの千代椿どれ〓〓がお目にとまりし櫻哉時鳥どなたも御聞なされたか馬鹿附言一茶の俳句は本集所載以外に七番日記、一茶句帳等活字に覆刻されたもの及び稿本のまゝの八番日記、九番日記.株番の類を合輯すれば一萬句を超加しやう。その中から二千句だけ選んで分類して見たが、頁の制限を受けて豫定の句數を採錄せずに了つた。此事をお斷りする。解題文政十年一茶が燒殘りの土藏で死去すると、門人は駈付けてさがして見たが、机の上にあつた句帳や日記の類は一部もなかつた。誰かゞ瞑目と同時に持出して了つたのだ。憎む可き不德漢だ。明治以後發見された稿本類には此時の盜難品が確かにあるに相違ない。贓品だ。贓品でも何でもよい。一茶の資料が續々發見されるのは喜ばしい。一茶同好會から出版された「一茶遺墨鑑」「七番日記」の外に「我春集」「株番」「八番日記」「九番日記」「寛政紀行」等も現存して研究家の手に渡つてゐる。刊本では俳諧寺可秋氏の「一茶一代全集」が量に於ても質に於ても優れてゐる。岡野知十氏の「一茶大江丸全集」は嘉永版の句集と自筆の「一茶句帳」及び「おらが春」の三集を收めてあるのみだ。私は本集に一茶の生活と藝術とを知るに決して不充分でないやうに輯めて置いた。殊に一茶の周圍を見るに大切な一茶と其門人の選集の採錄に心掛け、
四四六魚淵の「木槿集」素鏡の「たねおろし」も豫定に入れてあつたけれど紙數の都合で見合せる事にした。一茶の傳記は束松露香氏の「俳諧寺一茶」に指を屈せねばならぬ。私は二三首肯し難い個所はあるが大體に於て氏の研究の上に出ることが出來ない。茶の傳を知らうとする人に是非一讀をすゝめる。以下本集所載本の解題を記さう。文政板一茶發句集文政十二年刊上下俳諧寺社中校一茶の三回忌に門人が出版したので歿後机上の稿本が紛失したこと、門人の記臆せる句と、露店などで求めた日記から拾ひ集めたことが跋に見える。碓房の序、門人春甫の一茶肖像、校定者として門人魚淵、二休、春耕、稻長、呂芳、士英、素鏡、文路、希杖、楚江、雲士、掬斗、文虎、春甫の十四名が分擔署名し、一茶の句集にて一番信憑すべきものだ。四季雜五百十三句及び十五首の歌が添えてある。板本に兩種ある。一は小菊大の一冊本で春甫の一茶肖像の十德が無地である。-は半紙本の二冊で十德に淡墨を施し春甫の落疑が捺してある。題筌も版下も同一でその他に相違したところは無い。嘉板永一茶發句集嘉永元年刋二冊今井彥右衛門輯書林向榮堂が俳人墨芳に托して文政版の補遺に努め、一貝庵一貝と櫻園の序文を附して出版したのである。句數は文政版より多いが、どういふ理由から、文政版に見える句で採錄しないものが多數ある。俗に七部型といはれる携帶至便の小本仕立てゞ、信州善光寺の蔦屋伴五郞が版元になつて居る。櫻園の序文は天保十四年なので出版までに八年を要したことが知れる。流布本が多いため覆刻本の一茶句集は大〓これを底本としてゐる。私は最初全部載せる考であつたが文政版との重復を慮つて、前集に漏れたる句のみを擧げた。みとり日記享和元年稿一冊寫本一茶の父宗源が享和元年四月二十三日發病より五月二十三日其の初七日に至る一茶の看護日記で、言一句血と涙とで彩られ卒讀に堪へない悲痛な文章である。解題二冊
四四八一茶の孝心とその繼母及び母母ににすす執拗なる憎惡心は、父の病床看護に就て二人の邪慳で、不親切で、寧ろ邪魔もの扱ひにした爲めに憤慨したるにある。私の參考にした寫本は筆寫が拙くて校合に困つたが、俳諧寺可秋氏の一代全集に「父の終焉記」として載つてゐたのでそれと對照して漸く判明した。尙了解しにくい點もあつたが、草稿を見ない以上なんとも致し方なく其の儘にした。俳諧寺一茶翁文通天保年間寫-冊秋本斗圓編下總の一茶門人秋本斗固が一茶の書翰三十三通を手許に輯めて、其の復本として寫して置いたのだ。斗圓に宛てたものゝ中に俳句のみで手紙の體をなして居らぬものもある今日庵元夢の如き葛飾門の先輩や信州の門人魚淵等に送つた文もある。雜然秩序も何もないが一茶書翰集として纒つたものはこれを嚆矢とする。外題の下に不殘所持と記してある。八巢道人の跋は一茶の死去を悼んたので、此の文通の跋に書いたものではない。韓人文化十一年刋一冊一茶編三文化十一年冬一茶が江戶を去つて信濃の故〓へ引退する際、或人が笠翁自筆の其角、嵐雪及び笠翁の三人が巨燵に寢てゐる圖を餞別に送つた。顧みれば舊知已で既に故人となつたものが尠くない。それらの人を偲ぶ·共に諸國に散在する俳友の句を輯のて引退紀念にしやうと志した。脫稿は同年十一月十九日である。成美の跋文と笠翁の〓の模刻がある。三韓人の題名はこの〓から來てゐる江戶を主として下總、上總、安房、信濃、甲斐、近江、越後、越中、加賀、陸奧、出羽、三河、伊勢、相模、尾張、京都、攝津の十八ヶ國に渉つて遠く蝦夷松前に及んで其の交際の廣かつた事が推量される。故人には歿年月日を傍書してある。一茶の周到な注意が思はれる。伊豫松山の二疊庵栗田樗堂の書翰が自筆のまゝ刻してある。奥附に江戶便所とある守靜方が今でいふ投稿所になるのだ。おらが春嘉永五年刻冊一茶稿解題一稿
四五〇蕪村の新花摘と共に俳人の愛誦する名著である。文と〓と併せて稱美すべきものだその時々の隨筆と偶作と素樸な〓を配して、〓に說明があり欄外に頭注がある。版下は一茶自筆のまゝである。有明庵といふ人が版に起して嘉永五年可布庵逸淵の序を附したものが初版。安政元年書林芳潤堂がまた刷つて出したのが二版。明治十年信濃の白井一之が三韓人の笠翁畫を附して刷つたのが三版。都合三通りの版本があるが本文に異同はない。俳諧文庫本は挿〓を除き、俳諧名著本は頭注を略してある。本集には〓は勿論、頭注も本文の次に挿入して始めて完全に近い覆刻本となつたのである。因みに再版本は外題を「一茶翁俳諧文集」と改めてある。arthere迹祭文化十二年刋冊一茶閱魚淵が文化九二筑後の高良山麓なる桃靑靈神を信じ、居村長沼の日吉社内に芭蕉の木槿の句碑を立てゝ「木槿集」を出版したが、信心いよ〓〓凝つて同十二年一小詞を建立して桃靑靈神を勸請遷座した。その紀念に諸國の俳人から句を募り、一茶の校閱を仰いで出版したのである。魚淵の編輯とはなつてゐるが實際は一茶が代撰して、出版の事なども自身で奔走したらしく、斗圓の文通にも此事が出てゐる。一茶に直接の關係がある上、門人などの俳風を知るに必須な選集である。杖の竹文化十三年刋一 松宇編俳諧寺十哲の一人松宇の老年を賀して、同門の春甫は杖、掬斗は紙子、魚淵は眼鏡素鏡は頭巾、公常は火桶の記を贈つて祝つた紀念出版である。一茶の跋の外に誰かの序文がある筈だが、原本一冊よりなく對校するを得ないので好く分らぬ松宇は一茶より高齡でその歿年も前である。句集に松宇佛に手向けてといふ一茶の作がある。春英筆のさし繪に煙管を咥へてゐる坊主天窓が一茶らしい。松字は扇子を開いてゐるそれであらうか。一茶門の代表選集としてこゝに紹介したのである。解題題
たのである。はれるので、て置くより仕方がない。るやうな筆使ひであるが、大正十年八月家にたゞして探したが遂に所持者を得なかつた。とあるので文化十二年に出版されたらしく思はれ、右の外に「三韓人」の跋に編後一「一茶俳句分類」も私見によつて取捨したのである。或は豫告のみで出版されなかつたものかん知れぬ。韓人其他の「一茶俳文選」及び「書翰補遺」は私が諸書から抄錄しよく見ると一韓人の奥書から年代を推定したやうにも思來三月刻信州露香氏の傳には一見原版の現存す私の知れる限りの圖書館、俳諧寺一茶ともかく疑問とし藏書大正十年十二月九大正十年十一月廿五日印刷日發行有所權作著集全茶一選新發發印發著賣行刷行所所者者者東京市京橋區銀座四丁目東京市四谷區麴町十三丁目十四東京市芝區南佐久間町二丁目十四東京市四谷區麴町十三丁目十四勝東京市牛込區中里町十五番地近町大町振替口座東京一八三八六振替口座東京二一九九〇田藤田戶峰富書書作晋三店店逸郞三定價貳圓五拾錢晋風三記(刷印社會資合刷印外内芝京東)
發歌行題類川柳名句評釋釋評川題類芭選新一澤柳妙句蕉七所茶町田書店藏版書目夜東京市四谷區麴町十三丁目振替東京二一九九〇番全話選部集集英島伊勝町十崎秋の屋主人編藤峰松松晋三琴字風田著編編編送定送定送定送定送定價二圓五十料十二價價書料一圓八十十料價料價料一圓六ニ七六十六六十十錢錢店錢錢錢錢錢錢錢錢

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?