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芥川龍之介 「さうして幸福に感じてゐる」

白南風や大河の海豚啼き渡る

[大正十年 六月六日 小島政二郎宛]



夕月や槐にまじる合歓の花

[大正十年 六月十四日 岡栄一郎宛]



僕東京に住む能はざるも北京に住まば本望なり

[大正十年 六月二十一日 室生犀星宛]




北京なら一二年留学しても好いと云ふ気がします

[大正十年 六月二十四日 下島勲宛]




花合歓に風吹くところ支那服を着つつわが行く姿を思へ

[大正十年 六月二十七日 小穴隆一宛]




僕は近頃文壇とか小説と云ふものと全然没交渉に生活してゐる、さうして幸福に感じてゐる

[大正十年 七月十二日 南部修太郎宛]



たそがれはかなしきものかはろばろと夷の市に我は来にけり

此処にして心はかなし町行けどかの花合歓は見えがてぬかも

[大正十年 七月十二日 小穴隆一宛]



支那がへり我鬼は病みつゝ汝を待てり洗馬ゆかへらばとひ来ませすぐ

病めばまだ入谷もとはずこもり居り草の家にふる雨をききつつ

汝がために筆と墨とは買ひ来しもよきや悪きやためしもまだせず

[大正十年 八月三日 小穴隆一宛]

 芥川はよほど北京が気に入ったらしい。この年の暮れにはひどい神経衰弱に陥る。そう考えると、殺すくらいなら一二年北京に遊ばせてあげてもよかったんじゃないかなという気がする。

 殺すくらいならね。

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山鬼貫薫ニューヨー〓
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例言鬼貫い伊丹の俳人なり。今多く世に傳はらず。此編或は以て、其名俳壇に高うして、然かも其句と文と、江湖斯道の欠を補ふに足らんか鬼貫生前自ら句と文とを輯めて、俳諧七車を著はす。鬼貫歿後、書肆揚芳堂と稱するものこれを得て、荒木某と共に之を梓に上さんとしたりしが、終に果さず。後明和五年、京都の俳人不夜菴太祇、七車より拔章して鬼貫句選を刻す。固より完璧にあらざるなり。天明三年大阪の書坊興文堂高橋氏、其祖父只川が鬼貫の門人たりし山緣を以て、荒木氏と〓り、句選に出でたるを除き、自余の句文を拾うて之を公にす。これ今稀に坊間に傳ぶる印本の俳諧七車なり。鬼貫句選の下卷は即ち禁足旅記なり。これ元祿三年刊犬居士の斷片一-
ニたるに過ぎず。由て之を削る。印本七車上下二冊句と文とを收む。句の部今之を鬼貫句選後編と名け、原書の儘之を載し、文の部これに七車の自序を加へて、鬼貫文集と題す。鬼貫古稀の賀集、千歳眉毒册といふ。稿本にして今世に傳ふるなし。安永八年伊丹の書林文篁、其寫本を得て、同書載する所の獨吟百韵と、鬼貫の俳友峰房の句集竹瓦樓句鈔と併せて之を梓行す。本集收むる所の獨吟百韵は、即ちこれより抄せしものなり。伊丹生俳諧と伊丹發何合とは、鬼貫の吟詠にあらずと雖も、伊丹の俳風を窺ふに益するものあるを以て、乃ち本集に採錄す。獨吟百韵及伊丹生俳諧の二書は、巖谷小波君の架中に得たるもの、厚く同君に謝す。卷首に挿入せる鬼貫の筆は、何れも古色掬すべき逸品なりしが、彫一一-伊丹の一-何れも古色掬すべき逸品なりしが、彫成りて後大に其面目を異にせり。看者諒焉。初花の幅は齋藤雀志君の愛什、初郭公の書は佐藤六石君の所藏に係る。齋藤綠雨君は、終始編者に向て、周到なる注意を與へられ、森しづか君また編輯上の勞をとられたること少からず。特に之を謝す。星野麥人、酒葉月人の二子は常に編者の傍に在て、謄寫の勞を扶けたり。一明治三十一年五月大野洒竹識三例言
次目伊丹發句伊獨犬ひ鬼鬼貫句選後篇鬼丹生俳吟とりこ貫貫伊丹鬼貫居百文旬合諧韵士と集選傳合諧韵士Scou二三·二七三二二九禿ニ元圭
みきありつ
伊丹鬼貫傳大野酒竹6鬼貫は攝州伊丹の住人加樂井氏の支族にして、其先は陸奥なる和泉三郞忠國より出づ。姓は上島氏、名は治房、通稱航、〓、〓、、、、、、、、、其、其云〓〓、〓〓〓を與三兵衞と謂ふ。槿花翁、馬樂堂、囉々哩大居士佛兄等の諸號あり。寛文元年辛丑春の末、攝州河邊郡有明の岡猪名野の邊り、伊丹(米海梅)も書(c)の里に生れく中比浴の堀河に寓し、後浪華に出で、えゞみ川の西北なる福島に住しぬ。『須磨の秋の風のしみたる帆柱か』の吟は福島に居を移しゝ時の吐囑なり。此より姓を平泉とは改伊丹虫貫傳
めつ。壯年の比、大和郡山、本多侯に仕へたりしかど、久しからで母の病めるに逢うて、祿を辭し、歸去來を吟す。享保十八年癸丑、七十三にして髮を落し、法諱を即翁と號す.伊丹の地は、古くより連歌、俳諧の好き人多かりしかば、おのづから耳に心にうつりて、鬼貫其八歲の時、『こひ〓〓といへど螢が飛んで行く』、と口吟したることありき.天資風雅を好めるものから、より〓〓俳諧を吟ずることあまたなりしが、延寶元年癸丑、鬼貫十三歳になりし時、松江重賴の門に入りて、一向に貞門古風の俳諧を學びたり.重賴は松永貞德の高弟にして、別に維舟と號し、當時の俳壇に鳴りし者なり。鬼貫此より大に俳道の針路を悟り、常に獨吟の百韻を綴り、其頃名ある古老の方〓〓へ送りて、批點刪正を竟めたりき。斯くて延寶四年丙辰、十六歲の比より、俳諧談林風の祖西山宗因の風流に心うつりて、古風をすて>談林の俳調をいひ習ひ、猶そののりをも越えて、文字餘り、文字足らず、或は寓言、或は異形、さま〓〓言ひ散らして、天賣の才藻をもらしたりき古風、談林の俳諧、是れ果して鬼貫が畢生諷咏すべきの器にてありしか。鬼貫は古風談林の圏堵に彷遑して、竟に一新立脚地を定むること能はざりしか。あらず、鬼貫は鬼貫の俳諧を創めたり.鬼貫は古風、談林の格調を弄ひたりと伊丹丸貫傳
雖も、「俳諧は狂句作意をいふとのみ心得たるばかり、一概にかたよるべき道にもあらず、猶深き奧もやあらん」と、天和元年辛酉の頃より、大に感する所あり、後五年を經て、貞享二年乙丑、鬼貫廿五歲の時、終に「まことの外に俳諧なし」と自悟徹底したりけり。其獨言に述へて曰く、句を作るに、姿詞をのみ工にすれば、まことすくなし。只心を深く入れて、姿言葉にかゝはらぬこそ好ましけれ。形と言詞とに吸々たるは、鬼貫以前の俳風なり。たゞそれ形と言詞とに力む、故に餘韻なく風致なし。鬼貫の俳諧は斯の如きものにあらざるなり。また七車に謂て白く、上手とは句を面白く作るをいふ。名人とはさのみ面白き聞えもなうて、底ぬかく匂ひあるをいへり.面白く作る、是れ古風談林の俳諧なり。底深く匂ひある、是れ鬼貫が俳諧なり。超然として新俳諸の旗幟を樹つ、正にこれ俳壇上の一大轉步、幽玄深奧の俳諧は芭蕉と共に、鬼貫によりても要求せられしなりけり。鬼貫の俳諧は極めて自然なり。求めず、爲らず、感其まゝを描寫す。用ゐる所の言詞は俗言あり、雅言あり、また方言あり。採る所の形は飄々たり、輕々たり。朗々吟誦の間、限りなき情をひき起さしむるもの、これ鬼貫の俳諧なり。伊丹風の俳諧とは盖し其地に因て名けしものなり。而して斯風の祖と稱すべきは、實に也雲軒宗旦其人なりとす。宗伊丹鬼貫傳
旦は松井氏(國民地)、攝州伊丹の人、宗因の門人なり。俳家大系圖に「伊丹風の祖なり」とあり、無盡經、野梅集、鵜眞似、かやうに候者は、等の諸書を出遠山鳥、無分別、籠ぬけ、して、伊丹に於ける俳壇を支配したりき。宗旦伊丹に俳諧の風を吹き鳴らしゝより、斯道に優遊せしもの數多かりけるが、中にも鬼貫、靑人、鷺助、百丸、春堂、蟻道、人角、貞林、木岳、鐵幽等其鏘々たる者にてありき。此等の俳人伊丹に據て、一種の俳風を催す、伊丹風茲に於てか榮ふ。而して鬼貫は一頭地を抽きたる俳人にてありしなり。鬼貫一生の行事また記るすべき者あり。今普く諸書を獵して、こゝに此を揭ぐ。俳諧七車に曰、今世に俳諧を事とする人、鬼貫を知らぬあり、知りぬるも亦深く捜りぬるは稀なり。これまたく當時、此翁はもと伊丹の一豪家にして、點者てふ稱を立す、はた彼の支考、野坡ほと自ら街ありける類にあらさりし故にや。其小傳を閱するに、〓を出て後は浪速に、暫くは洛にも居を寓せ、導引をもて年月を送るのよすがとす。其術たるや、もと明人某國の亂を避けて、瓊浦に投せしを、道古なるもの親み隨ひ、願を探りて其技をうけ授りぬ。翁は即ち古が高弟にして、藍より出るの妙あり。天性眞率不覊にしでよろづ物に拘はらず、學あり才秀て、識最も高し.曾で弱か伊丹丸貫傳七
りし時、重賴に學ひ宗因を友とし、既に三十年に及んでは、卓然として一家を成し、同〓の百丸、靑人等を拂へ、終に伊丹風なるものを興す。其調天に倚り、地を拔き、俗を用ゐて俗を離れ、初は入り易きか如くにして、彌見れは、彌深し。生涯の佳什、人のしりぬるかぎりは更、にもいはず、すべて集中にあるは解しがたく、あるは無味なる、あるは嶮なる類なとは、初心しばらくも手つけずてありなん、束ねていへば、たゞ其氣象の高く逸れたるに、目とゝめぬへくこそ。此道發明の旨は獨語に見えたり。芭蕉には十六七年もや遅れたりけめと、八ツの頃より指を染られしと見ゆれば、稽古の功はけつく先たちてやありけん、世の常の話にも、さいつころ筆執しめけら桃靑をのこ、其質さかしとしも覺ねざりしが、いつしか諸處にいちしるく振回ありくよなと、打ちほゝ笑みて蔑視せられし由なれば、まいて其餘の作者は論する事をまたず。八十に今ふたつ滿たて、やまひに臥れし時、諸門人枕のもとにさしつどひて、句を乞けるに、否吾常々興に觸れ、事に感して、發句をもせしかと、今はた簀を易ふるに臨て、煩はしう何をかいひ出へきと答へられしを、一人おして、さりともおほす事なからましや、あはれおせあれかしと强ゐければ、微笑してさらば吾生付て蛇嫌ひなる事は、そこたちも知りてん.なくなりて野邊送すべかめる時、彼の柩おほふなる旗の頭に、靑き蛇の伊丹鬼貫傳九
き舌出したる、いと心地あしからめ。これを不用にとりは赤かりたびてよと、いひつゝ終られぬとぞ. (此こと其節側にありし五馬なる人八十近くにて存生の話隨齋諧話に曰、伊丹の鬼貫は、肝のふとき者なりしとぞ。通稱三郞兵衛といひて、近衛の御領の造酒家なりし。かねて近衛へも御立入申せしに、或時御殿に御會ありて、何の宮くれの殿上人なとあまた、集ひたまふ折ふし、御勝手に三郞兵衛來れるよしを申すに、それは鬼貫といひて、俳諧體の句つくれるものぞ、召し出て句申させよなど、まろうどたち申あたまふに、やがて御席に參りて平伏す。何にても俳諧の句申せ、題など得させんかと、殿の申し給ふ。時に鬼貫頭をあげて、御座敷をきと見めぐらすに、御床に土佐の何某が〓ける小町の掛繪あり、あはれあの掛もの給はば、賛して奉りたしと申すに、皆笑ひたまひて、やがてさし出させたまふに、御硯こひて少しもためらはず、筆たぶと染めて、小町のかしらの程に、先づあちらむけと五文字書て、さてしはしあるに、皆さしのぞき給ふ。其後よく案してしづかに筆をとりて、うしろもゆかし花の色と書付て、恐れ入る風情してしざりぬるに、皆〓〓めで興じたまうて、けふの會は此三郞兵衞男にいひかたれぬれば、いと興なしとて御會もそれまでにて止みけるとぞ。是は浪花の大江丸がものかたりなり。伊丹丸貫傳
著作堂一夕話に曰、浪花客中或人の話に、鬼貫中頃は行はれさりしにや、ひところ和州郡山侯の足輕なとつとめ、その後大阪に住みて、小兒の導引なとして、かすかに世をわたりぬ。今なほ大坂に鬼貫導引とて、小兒の療治に、足より上へもみ上る按摩の法のこれり。笠とりて跡ちからなや春の雨鬼貫これ郡山を辭して、大坂へかへる時の發句なりといふ。歸庵の後、一夕友人醒世子とこの話に及ぶ。醒世子の云、雜談集かと覺えし、其角が伊丹の歲旦帳見るやうにてなど、書きしを思へば、鬼貫さばかり行はれざりしやうにもみえず.延享の頃、東人の鬼貫といふまぎれもの、伊丹の鬼貫と名のりて、諸國を遊歷したることあり。今も折〓〓その墨跡を見ることぞかし。人の名を贋せて欺くこと今に等し名をにせらるゝ程なれば、鬼貫といふ名は頗る高かりしなるべし.鬼貫導引も若しくはこの假鬼貫浪速あたりへ流れ行てはしめけるにやといへり。愚按ずるに伊丹と大坂は僅五里餘をへだて、殊に鬼貫大坂にも住めれは、思尺の間にて贋物は知るべし。蕉門頭陀物語に曰、難波の濁江に咽渴かし、短かきあしの葉蔭にふしては、床に蓬はたのしめども、一女のやしなひ心の外に、今は鬼貫の名を隱し、朝夕の煙りをいとふ。昔は花洛に遊吟して、翁と〓讃の遊をもなせしが、其人は東伊丹鬼貫傳
西に錫をならし、吾はよしあしに身をひそめ、釜中の魚の水をしたゝめ、みなしろなして、長物なければともしびの陰に一通をしたゝめ、一貴一賤交を見るといふ、それもまづしきひがみといはん。きのふ門前に車馬をつなぎ、けふは雀の巢にあらされ、餌にあたふべき一粒もなく、今日にせまり候間、自殺に及ひ候.なき跡人をさはがせじと、この一條を殘し候。御存じの娘ひとり、鼻に木の實のきずもあらず.情ある人すくひとりて、若菜にあさらひの水を汲ませ、雪には堀江の枯芦を折らせて、薪水手のまゝに御遣ひ給はれかし。蓬生のひめとおとしめ給ふなと、書とゞめて稱名す。娘おどろきて刄にすがり、やよまち給へ、われ死なん、いとけなくして母を見ず、父のふところに人となれり、われ聞く刄は仇ありしとき、うらみを切る.この故にこそ國をおさめ身を守る日の本の寶とや。未だきかず、貧にせまり子をたすけて、尊き父をころすものとは。よしなやな、われあればこそ父のほだしいくほどぞ.又刄に身をさくとも、父の貧父の愁かさぬるの罪となる。ひたすら川竹の流に沈み、代をとりて孝にかへんと、よゝとなきて聲を惜まず。時にあれたる戶をたゝき、頭陀重く杖を曳きて、久しく面せざる路通來る。親子あはて面をかへ、刄を箱に納めながら、娘はかたへにまぎれ入りぬ.鬼貫この事つゝむに忍びず、ゑか〓〓の事を語れば、路通も雨の如く淚伊丹丸貫傳
を落し、人の行衛のはかなきを歎じ、鼻うちかみていへりけるは、死すべからず、賣るべからず、父をすくひ、子をすくふ、我にひとつの術ありと、鬼貫か耳に口をあはす。其後鬼貫も幸を得て、賑々しく世を渡る。されども知れる者はうき名をうたひ、路通は似筆の上手といはれて、社中の憤を受けしとぞ。俳諧世說に曰、路通鬼貫か貧にせまるを見て、是を憐み、鬼貫にさゝやきて、あらぬ邪なる事せしごかける書あり.大なる僞なり.鬼貫は蕉風にあらずといへども、其頃伊丹の鬼貫と人の稱し、もてはやしたる賢固の隱者なり。既に貧にせまりし時、一女を高家のおもひものにと媒する人ありしに、鬼貫かたく義を守りて、是をゆるさず。かくまで風流の人、たとひ水火の中へ陷るとも、豈によこしまなることにくみせんや.ましで路通もさる者なり。何とて風流の人に對してあらぬ巧みを語らん。かゝる事ゑるしたる人の其志の野鄙なることを察すべし.古書に曰く、詩は志をいふと、俳諧に於ても又恥さらんや。俳家奇人談に曰、上嶋惣兵衛は攝州伊丹の人、針料を以て浪花に遊ぶ。家貧うして、資用に乏し。或人その一女を權貴の妾に賣らんことをすゝむ。義を守りて之を固辭す。其性の嚴正なる大率斯の如し。然るを或書に、蕉門路通と惡事をさゝやき、又ともに亡師の法會を妨ぐなどいへるは大な伊丹鬼貫傳
る安談なり。俳諧を重賴に學んで、鬼貫といふ。元祿享保の間來山と雁行して。名四方に聞ゆ。或時禪意を一問せられて、『庭前に白く咲たる山茶かな』、是端的機鋒何减栢樹子之話。云々。俳家大系圖に曰、或人の云、鬼貫の二字を高貴の御方きこしめされて、句はいと風流びたるに、などてかく恐ろしききn名やつけゝると、笑ませ給ひぬと聞きて、佛兄と改めたりといへり。俳諧花見車に曰、鬼貫。おれに.大名もどりなり。まだも一かせぎ望んでゐさんす故、流れの身ともなられず。風俗は太夫にしても恥かしからず。月しろやむかしに近き須磨の浦攝津名所圖會に曰、墨染寺。伊丹寺町に在り。禪宗曹洞、京師深草の里道元禪師の舊跡。墨染寺荒廢により、伊丹の住人加樂井氏といふ者、こゝに遷して再興せり。其後荒木村重の菩提所となる。加樂井氏は後世上島氏と改む。○鬼貫墓。同寺に在り。加樂井氏の支族也、故に上島と稱す。○鬼貫蹟。福島にあり。舊趾今定かならず云々。* * * * * * 花見る客をながめては、骸骨の上を粧へるかと嘲り、喞々たる虫の音色に、行水の捨所なきを悲みし、俳壇の奇骨囉々哩の鬼貫が、無限の寂を呑んで兜率の天に上りしは、實伊丹鬼貫傳
に元文三年戊午秋八月二日なりき。年を享る七十有八、仙林則翁居士と墓面に鐫す。武庫淡路右に遠く、伊駒かづらぎ左に高う、伊丹墨染寺の苔深く露したゝる所、嗚呼是れ俳人鬼貫が千古萬古、靜かに眠れるの地なり。〓
鬼貫全集大野酒竹編鬼貫句選序道にたとりふかき翁ありけり。そのゆくや、たかきより飛、ひくきより躍いづ。峻きに立、ほそきをつたふ、ざれありき、おもむろにありく、夢のうき橋足さはらす、ふむにあゝろよしとなん、世はなれけれはにや、おにつらといふ。むへ鬼なるかな。そのたゑ玉に金に、代にきたゆる句そこ鬼貫全集序三そのゆくや、ふむにあゝろよしとなん、むへ鬼なるかな。鬼貫全集序
七車といふ家の集は、を見もし學たひもせは、れそれをもつへて、とめで、はくといへとも、人のあゝろにたらねはや猶もとむ、月の影とゝきてはいらいの幸大〓ならんかし。けふあの道にゆく人の、り.し、から、延寶より享保にいたる、自笑か乞にまかせ、見きゝにうつしけるか、あまねく鬼つらのおにたる、世にあらはれねは·よしなしや。おゝろの花のにほひに足り、わか芭蕉翁にたの翁を東西に左右あれに序してあたふる事になれたの道の盛世をてらし見て、漸くかはかりにこそ侍り.右か思ふもの無凝自在予もも心のあは○我雪何五中鬼貫句選雪何五中大鬼貫何選ほんのりとほのや元日なりにけりよお器垣宿旦の試くも香やの老む春筆人麿の尊像にむかひて梅春之部卷之一きふや松かにはの春たつけふの餅八町しし來ふ十吹らけに忘八にれけしのるりし去親具松年年の持機の足の花て嫌空餅風よお器垣宿明和五年春二月卷之一不夜菴太祇考訂不花て嫌空餅夜庵太祇
O曙春あ日しう爲宿梅山爲芽六烏うくひすの鳴けは何やらなつかしうや散里か柳日帽替か子の顔ほの〓〓と梅てや吹の八何に梅旋頭句初日にそ井梅のつ遊の鼻れの春ふ中と戶の花毛小詠に鳥よりまるはも,枝七そはみま拔のたに日のなつも.ははしつたむぬちな糞寒とるか梅は天王をけしし梅かりとのしななのかの花ら花寺てり哉花〓〓芽六烏うくひすは山ほとゝきすはかりなり庭日しう鬼貫句選南ら前やちのふみにに魚晴水麥族谷の爲軒の鶯眼ととはれしに即答空道和尙いかなるか是なんぢか俳もやてに卷之一白のと行尻目もた障ぐこ意の爲のま葉子咲ろ〓〓すて末もつや湖水の蘭の驚たセ白の白るら魚しに見枝の鶯椿ぬ目春春猫はゆかの日る春の黒魚霜影.哉か柳日帽意の爲蘭の驚る枝の鶯椿かな妻魚霜影.哉霞〓
0 Q.懶水ゆかしさのあて〓〓しきや雉子の聲北草麥春た誰このへ入よりかはの日家出や塚てお夕霧か塚にて請骨を乞て郡山をたちいつる名残二月二日京に住ところもとめてにれは柳なくてもあはれなの雲鉢やははや醬雀ろに庭笠油東人か鳥うにあ出れは花のなんのぬけむ雀のく後の春のすかるあれたの砂あふねる春さ椿のめなかひ下カるて雨草哉りな水北誰春た人人何まよふひ月狀雨遠きさ山お鬼貫句選見になほた里の吹られ遁ろ〓〓のくてれ親は玉水にてひとり舟にて伏見をくたる夜はけき佛卷之一麥前咲やのの日江や人畫戶曉菜に鳥か和かは灯んの入日人た見追8か馴て霞もよしや種·やる降たるけ蛙むけに朝りはややり歸かや雀水昆淀陽春雀の子十五日ののるもののの池雨鴈み子かり底橋月お山へか入なほ吹や庭笠にぬ雀く後の春のの砂あひかてけ蛙たはる水昆淀陽のの池橋椿かの底て雨な二七
本に從ふ今姑く原入るべし常に雜に日曉の句過按、四0〓か春賤一樹あ猫あみとり立きしの姫松めて春春鳥いなうとの花の前なりはの草ののらまた目の夜中靑住吉にて里家春日月尋かつまにわかれし悼伊丹帶洗二月すゑ催然にとはれてのち錢別のの姿にの口もほとけすま枕持只柳た嗅〓やた靑の畫る柳糸過らのやぬ裾や目春初さ野止らかた尾水日杖軒桃永浪一春ありのみのありとは梨子の花香一一鬼貫句選うつ鍬ら·井ののきの風の女らに洲やいた人日底や黃檗山にて四日晚木戶へ折や卷之一をに去三ヘへ都敷遊我帝は年のの足保に飛そこなひあ雀ひ立蚊客のの吐暮形らひのけらと松せたのり出馬原しこくり有すし梨子の花す刀とりに桃大や清み蛙水鬼津ら見れのの花哉瓦馬h寺草からな汁春ののらの只柳た靑の畫柳糸過のやぬ春尾水日たかれく。らなぬ風長のかさ哉たよ鳥流な二九
恥花摺骸何心富それは又そか士あての花てよし野て餘をはくしけま鳥鉢骨にのれのは煩惱あれは衆生あり三月十日はせを翁懷舊支考萬句與行に鐵卵懷舊の何と老雪はうは5花へ世浮氣に花はれ夢るをにはさへヽをの一はれ賑粧ぬつ時燒て、てふすくの野つる鳥花む花見よしのの風の此う菴見花のつかかかの盛谷さ去九花$鬼貫句選日よりよし牛は野にな水く年重のたてやなるやらもの頃黑谷にて櫻の花を入て送られし返し兵部太輔光成のもとより文の中に咲狀時の吟なるよし人申しはへる此句長伯老人より俳諧歌傳受の卷之一花石咲扇にも頃こりよさ櫻としも歌鳥をい絕よ足も花のた見ぬむ寐て山さ二れ咲こりは念山本佛さ馬やは諸咲にけ櫻れかくく四のけ職花$花摺骸くもヽ絕ぬて、てふ花念佛此う菴見つかかかくく四のけならら本木り人りなな陰は猶山聲音三
順花のない木による人そたゝならう又もまた花にちら武花花士散そつろム、もなてや大心禪師六十賀人に師弟のむすひせまほしくいはれし多田院花見ふ御寺に行でなんきこえし觀世音のたゝせたま定家癖の夢中に抱とめたまひしと見又らふ音なかまつは散陽やならかやのき夢花れてうつら〓〓散な花ヽにすりもも花圓抱くらむ陰耳の、城のの花奧ね春春目野鶯又咲からに見るからに花のちるからに春鬼貫句還雨雨どつちへぞ春も末宏やに又ねるは田よひの降のけふはかりとて降にけ横村花と擧散彌生晦の雨を京に住ことありて古郷をはなれけるる春のすゑ友にむかうて申いてけつ卷之一に行には花にもは鼻蜆あるち花におもふ堅ヘとつれなけもおりり飛ゆはも春藤ま命くれののはかれな野鶯又武花花春雨田よひ士散そあるにヘとつからかや夢なりも圓抱くらむ城寺れけもり飛ゆ藤ま命く散おすはも花れのはかの、りう歟花頃れな風ね
間鹽尻は不二のやうなるものならん松藏棹小風にのの夜川やゐ歌夜更に雜初瀬に旅寢して樂の跡をおもうてまくらをなして夢となる織女の觀四て、はむかしの海中比の淵今は田夫か略もて池田唐船す十人松又川のか過てもさにおもしろや水音たは聲のみ高淵重見きたえまは鍬やすくかし白つヽら水いみの星哉車淀御·松藏棹鬼貫句選車風にの川は間東山院御葬禮を拜み奉りての月夜のな卷之一重たやく音水哉い鼠み車三五
春淀鬼貫句選鬼貫句選我はまた浮世をぬかてころも日とて夏卷之二はしにとてう月三日かの寺に行て方寺に籠りけるを望にまかせつかふれるものゝ尼のねかひありて四と花手にさ久ヘし行きか袷ふ日と舟て夏やと夏ほの淀のミたりを過けるほと春みてる夜離波よリ船にのりて明手のさ今ヘ來行るか山夏之との部にさ卷之二ヘし行るきかふかつ不夜菴太祇考訂か更つかへな衣ら三七
花戀はきか空此津雲枕花のあ夏はいく度きかんほとヽにとのの國の玉川玄ち惜鳴やヽぬやうに人はいふなりならし江戶にて鳥羽繩手を通りて傘のゑるしにおなし雲井のほとヽきすきいむく水氣すむ身田の底のほとゝきすけさ耳にも君もれむすもするり夏嬉物は拂山しやほといとふへ、ヽ峠の衣郭きききか時柴かすすな鳥車人夜蚊空此非情にもなましい神〓〓と鬼貫句還むかしとへは卵塔まての葉末のを後よ奈良にて題吳猛卯月廿七日四吟ヘ行て言葉を杏かふりにおきての例にならひてむはらの花といふよと望みけれは彼男のむかし杜若ひし所とてありけるに人の發句せみよしのゝ川上に樂平の際れたま拳之二毛春灯けに日いく夜むかしの時白て深き茂りし親枇はのて杷と斯つのヽや若葉らき時かあにのをちいく夜むかしの時白てし親君もはの物と斯いヽやへ、ヽ峠き時郭きききか時柴かかな哉山す鳥鳥公すすすな鳥車人三九
葉心ならてまはるもおか雨そふる寐てたち花の起てもけふの日をさそ五月雨におもひ出ん我我の後に飽蚊なりともかむり身のか懸旅行の里橋にてたの〓〓發句せし時おなしく歸るさに猫信かつまにおくれし悼つく〓〓とおもふしやにもなくさむ細踏橘西5つふしたなに吟りは櫻ふとあろにたふやし茶はしる塀牡蝸居丹牛引のそ藪螢壁戀章此遣夜丸貫句選もさそな明やすいとは垣見一志原軒はやや重にらな卯月廿七日道聞といふ醫師の新宅海音快氣のよろこひに發句乞れて端卒松雨人の旅宿にてやあにて發句望れしを卷之二午都ぬつ心婆蚊にを女豊やへのめのあひを飛ほたる帳の車たて粽葺つ粽にらるつの飛不h花あ國昆陽の池形は來やな津'月た僞りとめり風はる志原軒はの粽粽櫻らふとあろにの不國形hやはしる牡蝸し茶塀來な津'月た居丹牛引のり風はる哉畑哉草内そ
鳴夏鶯飛卿の巢はあタ鳴蟬のその木にもまた居つゆ鬼貫句還くせ菊や鮎暮水はに音はの底底探題蟬休斗新宅みや川町にあそひて鶯の聲なかりせは目白哉といへるを今ならはし露鮎卷之二やを竹鳥をのつきものなり夏にとりたるせみにう入腹雲蟬見つゆなた只るくくる川青相家流瀨か夏鶯タ草の花の水にまか根竹佗さみたれや鮓のおもしもなめくしり五月雨にさなから渡る二王かやは鵜とゝもにこゝろは水をくゝり行れのぬさつき雨たゝふるものと覺えけり野のすゑやかりき畑を草壺これ脇四吟興行大坂へ行て東行興行ににの水や飼おと雪も毛にた隱花に虫せて根か置まは細くく池のうて落を咲にけり嵯ぬいつるひ峨庵かの坊哉な月竹佗や菊や暮れのぬうつまは細くて落た只るる川青を咲にけり嵯ぬ峨庵の坊哉家瀨ひ國のぬ居か木かか寺聲歟哉鳥立なな四三
夏草の根も葉もとちへとふなりとさ水すゝ風やあちらむ六夏の日のうなてし子よ河原に足のやけるまては月や臼無月や風にふかく松兩興行京より伊丹ヘ行己夫にゑほし着せて小町の給のかゝりたる家にて知牛老母死を悼田·家とをか蓮うは.んて水の底にさへさきたるみこうかれにふる里そつき臼す池のたれ髪を龜へさ水雲夏タ水夕立のまたやなんとけふの署さはと石の塵を吹凉夏鬼貫句還あの山もけふのあつさの行風の草立の無や日にや峯月の汗タ族旅獅子谷虛を身な卷之二行行凉隣空事をんいつくに下駄はかとは在をはに所離るヽほとけ哉もめみ嵐の崩して瀨田の水の色かはちれ風てて松ふ術の旅の空い哉聲てhも.六凉夏風の空とにもみう瀨田の水の色ちそてつき臼松術の哉聲を龜へ四五
鬼貫句選國日冬は又夏かまし玄やといひにけり木須玄玄夏の盛磨に此あつま々神らよろ〓〓と常は流るををせ雜ぬ星の顔糺の原山崎にて秋水無月の頃舍羅か剃髪しけるを花よ人になつたら見にまはとみたらし明日も油ど志なつかしも暮か謠めからけやしほ問木答のず音ヽ大井川ヽはかみヽ來り衣哉れるん日夏の盛初此ひら〓〓と木の葉うこきて秋そたつ心鬼貫句選あはれけもまたほめく夜の秋の風そよりともせいて秋たつことかいのなんて秋の來たとも見にす心から秋露略のを秋起初卷之三と初秋雨待之秋ててれ部寐秋かた露たやそつやら起風雨たのその露や音木須玄神部志卷之三めそ木の音不夜菴太祇考訂はかヽ來りるん四七
1 |しよ作るき温故集行ふ秋間宵はいつも秋に野鬼貫句選は水む風かのなれやり足やのねものかたりの里を通りて野徑に遊ふ前には軒の松風流水にひたしてなのためにはとたのしく覺えてかすかなり今は間なれはやかて月ほひやゝかに後にに野徑の虫時し家は汐津はしといふ橋のほとり也捨ところなきむし吹のも野分に吹送りてたのれ〓〓か聲卷之三美わ松風に吹くる虫濃たのかつに木り氣近けさ江ヘをむしのりもに草の人のののこゑ秋のあゑ聲露顏風秋間稻人の親のくるとはこゝろにて顏にむ內そちへふかはこちらへ吹は秋の風藏こほるゝにつけてわりなし萩の露つのも葉にま秋下り舟にて鳥の萩も百三十里とヽまるも百卅里人むかうて笑ふわかれて思ふゆくやはゆ月高井立志餞別も淀落ふのても下かへ もか與たふく萩かふり三秋ややに廣右の玉玉ま署かまかの水されり露つりつり車哉桐朝內風か藏のも人の秋ののされり哉顏風露四九
れりの」に作故集にはろさ」温「淋しさ「おもふ朝げふの秋におもひやる只の秋さへくらさ思芭蕉にもおもはせふりのうこん哉あたこ火に稻つま光るとひやうし哉鬼貫句還寒ひのけふ餘高山はたのれひとり立なは並ひなを見る〓と暫時にいくはくそやあし見しにはやかはり其けしきもまた〓となしされとも腰を帶たる雲の今富士の形は〓るにいさゝかかはる老母の身まかりける夜來山か老母の死を聞て送る句〓〓おなしからすして新なる宮士り卷之三戀いつ逢〓とそ親にのる日名なをた打や磁鳥れかまてのぬ聲な此露お古茫〓〓と取みたしたるすゝきかな伏吹ゆ見か薄かのも城呼しろさ急には見えぬ薄やににんら玉獨聞出有岡のむかしをあはれにおほえて窓伊丹あたこ火今はむかしの秋もなくてた茨やはにいよる町よくくろなり薄の露のあほるも屋雨つ夜のの吹持る更う後たやきりつむしの聲らのる秋に女薄のく嗚郞ヽそか鶉花風よやなす人伏見呼らにれ嗚まてぬ鶉五一
e馬はゆけと今朝の富士見る秋によつほりと秋の空なる富士の山む鴈うつうら聲かかヽしね古今景色のかはらぬこそあれからん外山の國に名あるはあれと夕くれにまたなの夜とは秋とは今かね人の妻の摺鉢の音やにさし入月がけつれてわたる雁萩の葉そよくゆふへさよ更る砧ねといふにもあらて鴈のから穴の來山か妻の追悼後にもあかすよ秋の飛ゆくむそら路吹犬衣衣鬼貫句選風つうも野の花や月夜うらめし開ならよかろれなやつ待旅老母をいさなひてりはき捨て安座す畫のころまては陋しやう〓〓ほこ所なくそこ〓〓に棚なとつらせて家せはくておほからぬ道具さへ置く道なし稻てき踏ては花をやふりふますしてはゆ卷之三脊京泊の稻八秋見の、ひ香はにに遠出かはきふれ寐んはの綿具覺足露の玉か櫃な帽子風うつ風つうもヽかはふんの綿具足そ櫃帽子嘸空烏聲哉五三
木月珍月野もよをしも山木月珍月秋はものゝあすみちて明日かける月のけふこそな見野も玄み〓〓と立て見にけりけふの月るよをしも山病ほ連草もととけ名夜半の兩後ふと晝かとそ首て我月十九句後歌もは漸よいは世界く影さ去年月夜鳥は雲れぬ月の今宵哉皆ののヘの命花たち、マいつも鳴くに花そ咲月るくこそき窓のれ〓〓の花月見ゑ春虫月明愚此更名る鬼貫知選もよほ〓〓になはな痴秋行月ら此くはやや鳴父の身まかりける忌中の名月は良夜大雨十五夜兩ふりけれは名月くもりけれはは今膝花雨卷之三月のと戶降朧月る宵に佛獨に子に紙はをなら月を〓〓とも更とた明爰更のに明てとんて出るもて.るなもらり詠何押月い窓め忌ひ見月정らのとのか見のに中つ月は哉をもなはな痴秋行月ほいはれぬ月の今宵哉皆ののヘのも命花たち、マに花そ咲月るくこそき窓のれ〓〓の花月詠め忌らのに中五五
にとあり賊集にはの文字温名樅見富士の山にちいさうも秋燈ノ火銀もてはとかくかしあ玄須磨の月月ゆくとの代ぬこのの月木や水けや更木述、懷中秋十七日女の身まかりけるを歌人は居なから入唐すにうき世のるれと月の爲には外の濱おとのすんと立たむ人の空見えかしののれの國かあてまほて雨近き月もきのふ哉てなともふる今なき月し哉光る月すまのりる雨の月夜け兩の宵哉浦り月哉何燈ノ火とこのゆく後豆との方をうつ鬼貫句選をの月月喰やヽ後名月遊女の給に讚すの空に晴て月明々たりみゆ猶頃さりて十五夜の兩も今宵東山の峯をまねきて實非情さへとけふは梢の松風もくれぬさきより後の月手まめなといふもをな稍か浦といふ盃に後名月て卷之三雨纔おや豆のの現もうてゐるその降間なの月の袖に〓〓花時をとけも山ふ詠ののは端閨の月や豆うつを月ヽ水なともふる今る雨の月兩の宵月哉けふ詠ののは端閨の月月やに五七
落菊の香のひとつをのこす匂古なよ玄ろ鬼貫句還寺穂かも文くや拾き夜を痴みむろ山の嵐は立田川の錦におち別所畫山の紅葉は今江原氏鷄賀の家になかれよりて世に其名を照す寸法は族泊病翁屋阿貢月次初會高サ臺しh栗卷之三ひし記紅を鶉葉草氣三寸壹步いののけ糞ひねりての外たは翁はる捨奈を椽に旅良のけね露ひ久今又の月もあふのいてこそ甲斐はあれ宗破いか因芭とのたは蕉ヽ心貞享四の秋長月十七日の夜更行まけれは宗因墓十五夜も雨なりける十三夜もふりおなし夜ねられぬほとにこゝかしヾに庭のけしき人はゑらす重こをめくりてや春や鳴陽是朝死ふれ猫こののなそ竈夜るぬれ時に秋しかもはねのかむる秋秋せをののか久宗今よ破い鬼貫句還もか因芭とののな夜るれし竈ぬのけ糞ひねりて外たははる捨奈椽に旅良時に翁かから空の菊秋の塚もはねむるせをかをのけねの町下り哉露ひの拂哉哉な月五九
竪壹尺八步橫壹尺九寸裏には別所山滿願寺尊悟寺住之時奥昌寄進之と朱を以てならへたり蒔繪はむかしの秋底に匂ひて夕に月をおもひ朝に奥山の聲をしたふ實月日とこしなへに流れてちらぬ影さへ眼に沉みやをらあしかたをおもふにいくはくの人の心の種となりけんそと知らぬ言の葉の數さへすゝろに戀しくこそ侍れあとし寶永ひのとの亥の秋菊の花む壹尺八步壹尺九寸すふ窓のもとに筆を置ぬむかし色の底に見えつヽ花紅葉寄謠無常目をさませ後去らぬ世の紅葉狩あゝ蕎麥ひとり芽屋の雨を白にして草の葉の岩にとりあふ老母草かな木にも似す扨もちいさき榎の實哉去程にうちひらきたる刈田かな賀言の葉の落穂拾ふもた、のみかな九月盡むかしやら今やらうつゝ秋のくれ雜鬼貫句還卷之三むか言の葉穂拾ふもた、のみかな卷之三六
來いといふ時にはこいておういお戀もさそ空をとこらを此ゆふ契不逢戀さしあふらさしつゝ寢ぬ夜い君こらを此ゆふへ油さ夜哉鬼貫句選卷之四不夜菴太祇考訂冬之部ヽかに冬の日なたの寒き哉陽や流石に寒し小六月大阪へ着てつめたいにつけてもゆかし京の山福島住居のとし冬もまた松の木持てむかひけりつく〓〓とものゝはしまる火燵哉さ栗の柴にからるゝ小春哉なんと菊のかなくられうそ枯てたに鬼貫句選卷之四あたタ陽つめ六三
作るるく」に一本「あ「苑る、」物すごやあらおもしろや歸り花枯冬葉麥種古蘆枯は蒔な寺や散やすに世の中をすてよ〓〓と捨させてや在 1宇治にての寢覺は物うきを久しく交りける友の身まかりけるときこえ侍りけれはいとゝさへ旅て妹ひ難郷皮あとからひろふ坊主ともかな平波ふか軒む入等く湯にくらを見江院椶雀まえのの桐かつつのさ頰る夕庭ヽ寒らのかけお時引靑川皆茶荒る鬼貫句選と雨か空越人のひう〓〓と木からしの音も似ぬ夜のおもひヽへてなしき時てやの花て白拍子の尼になりて久しくすみける庵に立よりて野もかれ落葉さへなき頃關をくものと知はたうとし.神匂や卷之四も鷹白い毛になるつはの花赤年のひ春風み羽きはに雨をきくや高野はいよしせ足空はラかヽゆゆし似くし天る枇くた峯冬杷朝王の枯の日牡山寺送松柳花山丹哉お時引荒ると雨か枯冬葉麥種古鬼貫句選蘆枯は蒔な寺く湯にらを見雀まえかつつ頰る夕木の枝にかふりかならのけ松柳花山丹哉波面也六五
膝宵いつも鬼貫旬選か月しらつめの旅そ我また是何者そ空〓寂"夢又夢それこれ又何事そやふをはおもはさりしをとおもふもか中に親しみにひかれてきのふけ夜あらしに鐵卵去て來らず是何者り一生爰に盡て月も日も十に滿る故郷を都にわかれて立かへる秋を時鳥の聲きく夜毎も懶き田さそな志らぬ身のあはれさよはや時うつにやありけん散かゝる紅葉のころ雲見るものとは卷之四泊にかたれい木ゆく曾の違遠水家沙千ね糸鳥干鴨汲鳴れのかや唯潟われをせむ折ふしの雨むかしをそほちて更にりて不夜城に入は花ありて姿寒からす歌はふしなうて匂ひあり聲は筑後三毛領にておもふに花の頃より其かたち凋みこけるといふたくひならて玉ありぬ聲のこほるくゑくれ須おと千沖やもたく見えて浮にお烏磨の明石の舟ににはもの玄か〓〓しくも鳴ふ人なし沖のこしてら浪歸る鴨ゆの海らかけり聲鴨士れ千鳥な鴨汲鳥らにたい木く違曾の寒さかふ冬の月な寢覺哉六七
〇紙待灯漸のひて冬のゆくへやよい雪白我は路妙宿つ子宵火のかし着て見のの錢の.夜哉山家契盤谷はかたちまてオ覺あり初雪に友をまねきにつかはしける雪のはしり穗見にこ頭言と別話や榾にふすほる薪こぬ巾葉0.にやをか唐土のほとゝ耳咲狸空折やをあけてすらさそ雪む煙つ雪白我はちらとのみ雪富雪て富士か富士にて雪かふしの雪こ鬼貫句還にの士の笑ひ雨にもわらふむかし哉降の雪飯後の雪を悼て申つかはしける寒ふれる人の中むつましう今は開守十二月二日初雪おさなき子におくれし人のもとへもなくてたのしめる宿に行て夜雪卷之四か握苦我降雪はうき世の花いれ津うは·あの國の〓〓と師つき炭者な走團るまな哉かて雪富こに士の路妙宿つ子宵火の國の〓〓と師者な走つるまヘのさ草ふきゐさな雪哉かてて空れ頰りする哉六九
0ふくと程〓のやうなるものはなし鰒く井のもとの朝何世節鉢わ殊寢水よりも季ての扣れ勝日ゆゑにい、冷5花古也かか歲や臼こかし來て間てや5ね牛けて空暮長み餅もての也さ草氷の其後のな我糞きすし葉月雪顏やかに盛らふことて覺はおはなむ氷あるのりの人す空うるみけりも鉢柱降にか氷きぬ也るたの柱氷のけよ鉢せ水そ柱け聲るり扣きぬ車や哉り燃流惜柵灯鏡花月惜寐よそねよ夢のゆくへの年を君鬼貫句選れをまを雪'めるやの花·をしな翌とも寐たら起たら春てある雜月をまつ夜過こし春火てや磨·う髪花に獨居の僧の庵に行てのそ見卷之四灰底ののに春れかさへ匂ふ年の夜そ扇をうちきせ春まつつす盡しほみにま老や年のととな年のて念佛哉庵若ゆそれまるさま年か峠よりつかを待た夜を日なりて念佛哉のけよ鉢七七
人間に知惠ほとわるい物はなし跋五子の風韻を知らさる者には、與に俳諧を語るへからす。爰に五子といふものは、其角、嵐雪、素堂、去來、鬼貫なり。其爲、嵐雪おの〓〓其集あり。素堂はもとより句少く、去來はおのつから句多きも。諸家の選にもるゝこと侍らす。獨り鬼貫は大家にして、世に傳はる句稀なり。不夜庵大祇、年頃此事を嘆きて、藻鹽草こゝかしこに搔集めて、數百句を得たり。譬はゝ蒼海に網して、魚を求むるか如し、なほ洩れたるもの、幾はくか侍らむ。さるを鬼貫句選と題して、早く世の好士に傳へむと、例の氣短かなる板元は八文字屋自笑也.于時明和巳丑春正月三菓軒蕪村書蕪村書鬼貫句選終鬼貴旬(株)往篇
春鬼貫句選後篇事はじめいくやゐなのゝ玄らうつぼ大ふくや淡初日影まづさかづきや先打わらふはなのはるい鬼貫句選た立ヽや後篇猪名野の古〓に春をむかへてく和州郡山に年をむかへて星路やの出た中も大見り和かさな正らいい月松茶こ三の日ま笠山山立ヽや歲春且之の部もりら月松茶こ三の日ま笠山山山色七三
高降日門松やうしろにわらふ武庫雲春嘉雲花鳥のこゑ雨ニ火のかをるより雪氣いねあげよ明て秋の田か儀横包と立年候や數にむの此年元日の雪を四十五になりける元日やとし德棚のにぎやよ去初は誰や年日さも鏡あ老の五のををら初人のをこ虫はらノ玉よかげりほとのし日の梅ごさのしの花お年き今かふりほろし立き花ヽる世む朝かヘにややのヘ起せかのにろ空は空きうさ山朝日あはれげもいにて春たつ朝ちとり梅龜初ひあ鬼貫句選のの風も紅れよ砂からに鶴を着そむるあした哉月よ千たのし十種はしめに日の銳背やとや湯のすや去年の道を受つたへて祇園の社にまゐりて江戶より歸京のとし江戶にて大としの夜いさいかの神に去水う後篇海年た代は老の年の冠つやは目くのを捨つのさ轍の初くるま明しますあのもゝたきヽ初むかしかつ初しい額初ねちが休日のどす三山花りみあれよ砂か休日のどすのヘ起せかの三山花りみ空きうさ山七五
聞君鳶喰ておきやくていかしませ五加木飯鬼貫句選うぶりごこ松の木と名はしりなはがか誰そ地のらかへてはじめて和州郡山のきさらぎをむ文台〓箱を靑人が家に求得たるよ明石の人麿塚の松の木もて造りし百韵獨吟はいくわい難波順禮の一番に後篇月あかき夜圓通法師にあひてろこびに俳諧興行花すや木摩の里行餅ぶ峯蛙のつぼみを見初けりのがあらし母もがや水ら雉か呼く子のトろ鳥み節句明けてはまぐり養出す盃のうたてやなさくらを見れば咲きにけり殘る火爐まだ山里はこたつ梅や紅人のけ七吟なり此連中は鬼貫才麿來山補天虚四鶴万海執筆跡月梅の湯のすき人ならば花も見んこ子をたつぬる母の網もて花すくふ上をかきたる繪に讀せよといふ即時巳もの如月十日鐵卵懷舊俳諧百韵與行のみのたねをわりてすつるな春朧なははるひ物ゆのたふ初らか障子ベにぬかヽ哉て色なみ盃はがか呼く子のトかヽろ鳥聲み哉なみ七七來才七六山麿
狀獄みうぐひすの靑き音を鳴こすゑ苗君見よやゐな芽止去鬼貫句還年代られぬ又きさを出すより物や隱ればほぎてえたりと物がたりありけるをこと枝得一根者大欲也と文字までたぼ彌生廿五日長谷川立賢夢想に以一京へかへらんといふ時二月廿五日惟然にとはれて廿八日正月十五日亡子が一回忌に後篇や.居江心ヘ戶を時行もかたしもて降のませ花ちらば手花の黑ねわけりにすを無らつ春根れかのかき草V2ヘ雨な事う井ら小止去雨降ると戶堀てまづうつろふぐちひすはれて正月十五日桜を入て送られし返しらなりければ何となく物語しけるにそこらまばひさしく音信ざりける人のもとにのはしに兵部太輔光成のもとより文の中に居所をうつりかへてこなたよりも花をつゝみてその紙九重の狀より花のこぼれけりに內藏賣てなんとい障ヘ子とも例の8白やし松初火の日影年ぐ心をたねに無火根れかのかきの日影草V2ヘ雨な事ふ花影哉七九
角春宇治に來て屏風に似たる松はるさめの物の相手こヽ杉麥の野ろふとやにの關生期日老母と大久保道古をいさ所望玉腕子は惠林大德のたまはりけるなひて高蜜寺ヘ行けるに道古發句上禪師詩をたくり文をよせられて譽に蹲ある筆工なり。元祿みつのとのひつ名となん、それのみならず、あまたのヽ餅巳は"に踞て居るわかひハあ都がのありるをはな雛に夫婦づれとか8茶比もころ桃れつなつのうよみ哉花む松こ月月老せじと來それをだにそなたも春をおしまずやあくたにも散氣はなれてまあ丸貫句遺も雪じ卯の花月のはしめ、其隣に居をう牡ほどに旬望みしほどにれば、發句してくれよかしと、いひして同氏正因一座しけるに發句所望正月廿日高森其愼の許へまねかれはいくわいの板行やみなんとて發うつぶし染といふ書をして四吟がつして、やがて心おかね程になりけ後篇丹も江戶止水所望何初たにか殘日もふ花遲もかれ廿筆な日にヽ杉もにひがあるふか花比もころもれ廿筆な日に八一
行梅樹梅雨そのそこにおのれを梅去十か鬼貫句選うぐひすよいつをむかしの雪のこゑ年春のへりのこゑやかの花目に三の里といふ題にての卷頭來山取次に生蓮寺にまねかれて狩野峯信か勇士に梅をかきたる給籠といふ盃に朝生四日はじめて逢ける人にらの産神京へまゐりて古〓へかへる日夜後篇此をも寐花たたえせん松の花ぬのまらで比顏又のい籬網に鳥つか引とからかは去十か年春のののを玄る雲奧の彌生九日醞碼の御門主へ召されけすとて柳水所沼正因が許にまねかれけるに、をりふ河内國の人八虹があつめし土師の梅る時御所認たなしく廿五日北野の御社ヘ奉納て發句所詔ありける即興の花白く匂ひ、床に貫之の係をかけだ晴さりけるに處のかたへなる梅し雨ふりあかりて空のけしきいまきさらぎ五日大佛のほとりに、高森に梅心瀧8をも星おのと音しれもて鼻もお畫花なやが雲か網に鳥つか引とのがからかは咲れら八三
膝幾けふの日玄ら髪うき今朝の昔の春我ひとりむれつとしひとつ又もかさねつ梅の花春合す雛のの 文て所詔賴朝の文もたる人に逢て言葉の便.我寸亭にまねかれし時春日の題にけたりけるよろ京に來りけるぼどに、久しく過しむとし花のつぼめる比、我をたづねて伊丹より年々東武に通ひける人、こよく見ほましき事を乞ければ心とをのよ柳脊に中はゝ花のやをびにひりてはじめや旅が鶴日川かか端からす岡なにな初先惠方みの鬼貫句選聲武士の數こを鶴びを述べぬ淺からねば脇句をつくりて、よろこむまのはなむけすとて、唐明に發句をそへておくりけるぼどに、心ざしや、といふを聞て溪驚子がもとより、春のうち吾妻のかたにくだりなんし侍るゑらせこしけるほどに、いひつかは來山が男子まふけたるよろこびを、新宅のよろこびに俳諧與行後篇とかしをもかたりなんと、引とゝめてめ幸ナチそ聞よなかろしけめれ松い花のなぐ聲はりるか端かな山まなにな八五
す蛙いちよ折よしと花もほゝゑむ白鳴つ柳の奥た雲人は、こと三月九日桃賀宅にて即興りて、是より北國行脚おもひ立侍る伊勢の凉兎きさらぎの末京にのぼのありける物語など聞て三日桃賀のもとにて、よろこべる事い人麿影供にと、いひし程に餞別立の幾の日代夜木詞末のの忘草もの廣花るのし花御のな中きを覽歌旅に風春軒はま松情のす芽蛙鶴幾遠目うつりや花にむせたるよしの山雁春丸貫句選啼龜春生て聞さ草のすうてを龜ののあゆ來六十賀に龜は萬年の友といふ題にてにまねかれし時所望に曉はじめて孫をまふけたるよろこび初戀夜のつ後篇梅がる春む獨鐘の吟石町族宿にて上野た持たるすそ野み六れるのかねを聞て程ばベよつよりあにきもひとりむめのはな春みとし日や春かのか春のなな幾遠春白雁丸貫句選啼て春鳴雲るのベ花にのむめのはな歌旅軒春ぶ端まのか春のくかくのかな富友な霞雨ろなら花な笠士鬼溪八六八七貫爲
5 5賃とらで花の香やあちらびけうしろもゆかかたかほや見ぬしの木やかる小町の繪に大阪愛宕の水奉納の給馬所認に大舜の給に京の九間がもとより、よひのとし樫の給に箔をもて雲をかきたるふるき源氏牛面を見せたる小町の給に木の杖をたくりしにむ象やも花かしのの扇田を奥山のはなの色初隣か袖枝百ちにかへすにし花の水源動のど氏か色り雲花な墨玉さ梅かく鬼貫句選つく杖のしちくにあゆめもりことの便りにに瓜くが雲のら香七十賀に妻の一周忌いとなむ人の發句乞ひ句所認にけるほどに人月次の俳諧せまほ、しとて初會の發金松に鷹をかきたる繪に八十賀にや一切經堂の繪馬に後篇咲のを遠衆生言つ.山に葉か見蒔のむみちてこ初春せさ日眉くに瓜くがか蒔みちて枝百ちやさくせし花の眉軒ヽ動のら#くかのの千ど氏か麻らな八聲鳥色り雲花な
笠ひ雲やにほふ海もさくらも富士の枝鞍ロ口ほ娑婆鬼貫句選の上に人もおぼえずさくら紅どけの荷と閑立和尙性川充眞に馬の繪をかのある人の老母八十賀に發句所謂せ英一蝶が書たるほていの繪にしける野に馬ひとつかきたる繪にられてらに舟かきたる給に賛望まれて宮士のすそ野に櫻の花と田子のうせて、予に賛を望まれし程に書て遺後篇にこ〓〓草の花初何月花ゆ花もかはしぶな玉くれ時鞍ロ鳥娑婆よの巢に、にに如此いへり、其外麻の花麻手麻の産等みな夏ミ連は夏之蒔は春なり、さくらの時分に種まくを古歌にさくら麻の苧生のしたくさあけれたも人はをりにこそよれ西行「とめこいし梅さかりなる我宿をうとき杖鳥やヾあかでわかれし妻の名なれば伊丹鴨阜の吟所望に佐川流塲兩吟せまほしきとて發句:面かしの梅かきたる給に世のさへづりも石の花去影年さのが色出すすむゝめ花さくら麻のの花、紅年の色出すしぶな花玉くれのろ馬時椿聲花九
雨世七夕に契りひとつ着て出ぬも悔しき面影水のはく花正月十一日佐川流筠兩吟所望の時即興同廿日の夜芳室宅ヘ行で同十六日或人の老母九十賀にてを認めるにらのかたちをうつし、文して予が賛下野國那須の住人大金隨有みづかあさみに蛙かきたる給に賛詔まれしむや筆百らおきてしぬのの翁林峠のにも花春風九初日十ざ雨世何花春落の面鬼貫句還も垣雨日めやかもしのやう立圓のかきけるふたりの翁をいとどにけなき童のうつくしくうつしたる只川は我門を叩く事久し神祇の春の發句所·部に歌三味總をわきにせし女につし蒔たる盃に高砂住の江のめでたきためしをうに予がこゝろばせを書と聞えしほ雲の後篇も底魚たをら和ヘぬ光さに神顏のが袖のせ八すな連よ重やし理呼聲も垣雨影水のやぬ翁の重し理花ざ聲の十ざ子くの花若香かのかく鳥ら糸衣綠哉な雛らら九三
岸ま花玄らいとやいなおほせ咲鬼貫句選花やとしの下手なる遲陰た桶や附俳諧平外體む月入や三つ書たる繪に、賛のぞまれて落ちて、其ほとりに離れ馬をふたつ子着て幣持たるに、瀧のいさぎよく山櫻の盛なる枝に、猿の二三疋島帽遊びけるに、はや入相のたとづれま正月七日雲猫と北野不動の茶店に後篇けよといひければ、とりあへすうづれ人も少くなりけるに、發句せ千ふ相代はの汐四季並載かの名干ね立鳥よぶのに淡ざ人のま花か山月花鳥鳥いほこれ今をむかしのふかみけれど、今ここに出して下を略せり句本集夏部にも出たりふかみ草初夏なるべ三寸一分、金物打ケヤキヌグヒ板裏黑塗○此右文臺寸法、竪一尺九寸横一尺一寸、足の高さやや此人のうつはもの方圓自在に輝な花の作れるかたちを寫したる文臺備後國府中の住人亀川氏鬼冬牡丹ん、猫百とせの後をことぶき侍りてにさく龜鶴よと望まれて花桶と名をよびたる竹に發句書附らをの白し髪ぼもみる.夜かのヽた桶ややの淡初のヽ路くこぞ山ら鳥散冠草雨み九五
京瀧のの京田秋松瀧の菅瓢免貫句選もやの原草第ま糸竹みどりの中に木瓜つ取の花とは町やつり夢芝柏東武に行をたるに、發句を又乞かやされて即時天滿祭を拜みて坂上害闇堂にて小倉色紙を乞て見彌生二日聞舟亭にてにはな後篇やで想み日小龍こ大ん、の和れ倉がし聞ぼ和色香の太顏え子紙もぼ皷見つ供のな.るのる麥や憐しや夜やぼ立田神瓢枯宇水松菅か鷄白春夕ぐはや原草第まくんが蘆治無取れは鮎こ鳥の夏川月てな時や京にのぼりてさくら塚の四吟へたとづれて飾るさにも梵天瓜をくも之難やや白夏あ部波朝伏のこゑに脈見る山きの腹や入霧見味蛙見め江立のなはるふのて川し吠川きさふの眞に瀨にし水きの腹太顏味蛙見江立のもぼ皷見つ供なはるのて川な.るのる麥やし吠川さふのしや夜やぼ立眞に瀨し水まヽ夏時のうこ田桑けか路けら見のでし衣鳥音なり歌瓜りな哉り波山音九七
年靑鬼貫句還ふれば虎や梅にすの此ほのぐ〓やに顏を五月廿八日雨ふらざりければ發句せよと、乞けるほどに即時を床にかけて、俳諧興行有ける、予にとて、狩野元信が書たる人麻呂の像ひて行けるに、こよひのもてなしにて、百水轍士之白百丸各うちかたら五月十四日金毛が家に日を待例有俳諧の道をしへよと小桂がいひしてくれよと乞ひける時即時時其後篇勢も志なかてみめこだぬそや島味夏忘帽を明靑水嵐さみだれに金はしめらぬ手夏タ風呂ふけ草に立やのも須磨にやすらひてる程に、其勢になれといへば、發句しるを我に文字定めよといひ侍りけ山下正榮俳名あらたまりたう思へ已夫にみぼし着せてまれて即時といへる兩替屋に行ける日、發句望仲夏の頃京に住ける日野屋何がしその夜風呂に入し時、又所詔せしを卒ひ崩都れや蚋にさゝれし所をばと婆りぬ花ものよのめややるれ雲鳥わ水ののざ鏡峯糞哉嵐タ夏や梅草に立にのめやる忘帽雲鳥われ子しの水ののざ草顏れ花鏡峯糞哉九九
よ九十とぶほたる國へ秋おもも來ぬ其多衣賀さ一き美濃國加納に行ける時九十二にて身まかりけるにおくる水無月廿五日讃州の人におくる餞孝玄にはじめて逢て別にへけるにはん女の住けるあとゝて、人のをしへぞな妻にたくれしを悼ておくるも二たの道も人明もら〓〓のやないんだら雲の上お閨すし8のいその夏木いそか草とれもまはね〓〓く僞夏とぞよ夏九十秋お筍た盜まつとならばいなば又こん秋もやがて鬼貫句選はのもし人穂にの靑野が原を通りて句所望の時即時六月の時鳥といふ題にて、發句所詔內匠にまねかれしに加納にしぼらくありける時、野々山金毛亭にて橘といふ題を出して發るさの名殘にりけるに、心ざしのあさからねば歸中村氏端山が許にてしばらくやど後篇塚出やる何もむ雲ものさ加納·はるつのヽ靑ね夏のか田な時草も多衣は人さ一の閨の草とまはく僞夏か田ら立と衣ぞな時草一〇一
若卯夏夏雲あと雨鬼貫句選竹のが草にふしな花來に長風興行ば返しりける事を、句に聞えこし彌生の峰巳夫が近き隣に住ご久しく音信ざ光彥が有馬の湯より出たるに贈るれが一曲に耳をよせて岸野次郞三郞は三筋の糸にほこり日はきのふになり、けふ手に落けれまだ、きのふけふなりける日、初てかて、普く世に其名をしられぬ。後鯖のれ剛糸隣染きにヘ初中のむすび先たたよつる.るも大天し初霞野竹のが草たちばな水ららぞや凉が降靈山にて廿八日の雨を五月五日はじめて大野のえて句してくれよかし、石塔に彫附て手を失ひてのち、京にのぼりて、我に發、一心院常念佛向たう侍ると願ひしを、あはれに覺大阪に住ける錫太といひしもの妻庭し袖るは其日〓〓を行鉦そ寐のこて水音に橘に死有の落むぬや起に入てからて一水ららぞ音に橘死有のるむに入てかし哉ぬや起初らて一ヽか音だか心降もな哉けなる院泪ぞ一〇三
風花五花麥の穂も竹けふ〓とに枇あらの風のいくた月や凉穂·は雨忍證上人の所望にて御子谷眺望溪水が新宅にて俳諧興行咲眞葛が原にて產神興行て十九日におくる五月十三日蟻道身まかりけると聞ふれる人のもとへ、今宮祭に行て祇園の御輿洗にし身はのら猫の床めづらをむ赤筆跡杷も鈴ふるらむかにびにしのもぬ机置るつ馬のヽにをヽのい名雲夢さ法殘有見路めのか馬哉哉聲な草菅物夜下竹あら鬼貫何選いをにおの鹿もかくやなくらむ。四行夫木、夜を殘すれざめに聞ぞあはれなる夏野は殘す寐居ぬ人し不五月十日月尋興行に、けふより幾久しくちなみ結ばんに、橘の發句してくれよと乞ける程といふ俳諧の書をたもひ立ける程人羨鳥はじめて我宿に飛來て、花橘橋の島といぶ有ける、香ばしき國のぬにたるの卷を書たる繪に賛後篇はニむけたるや袖ざのこめもやヽ夏夏ろ山のたはのや雪雲の下見柴いにの月おやは夏ろ山馬ヽやの雲雲の夢殘有見れ見柴路めのか馬草風草車哉哉聲な草菅一〇五
靑あぢきなやひろけぬ文に飛ほたるむい鬼貫句還梅す山かさのつくしにいさむび葉に心ためたひやま北野にまゐりて願事有ける人のもとへ、廿六夜待にまねかれて所望に輕人がつくしに革立けるむまのはるなむけ後篇同素山におくるみ人の子が身まかりけるを悼みて贈や夜の埒もはや明やすきしややこ人のの顏筆る照に宮居旅雲る出見かか神な祭海待目床葉風橘むいざになびくけぶりも夏の雪にまくら父よ耳にあふくらに心今題黃香卯月の末安藤賴母殿に行て即時今宮まつりに桃賀亭へまねかれてとの悅びを述べぬて、殊勝に侍ければ、一句おくりぬなびくと詠じけん昔にたもひよせ笠をいたヾき杖を携へて、富士見んと立出たる雲皷法師がすがた風にをにむ二句か骨ゆかしや鞍あぶかぬ風の折しあのこふぎかをり哉ヽかろ見哉なみ種す山かさよひの筆に旅雲出見ろかか神見哉な草な祭み種一〇
鳴香足花雲露ふところに鬼貫句選ち盤跡とらせ杉のの實に餞別馬貞といひし人つくしへ出立ける杉の村立にほとゝぎす書たる繪に小蝶草に水鶏をかきたる給に月の初居所遠くうつし行ける新宅で、花匂ひ月さやかなる時々おとつのことぶきにおくる一禮一周忌るヽ事も近かりけるを、ことし水無後篇烟なのき中花こそにほへのもああを垣首凉らつしき途しにに梨聲庵夏子雨はまちたもこんこずと雲ヽ詔海庵老和尙所詔ける繪に(雜)禰宜の傘さして片手に燈を提て行卯月の末三人を書たる繪に賛所望呑流といひし人同紅のほとりに住のぎ影す馬神追ゑの海を夏の花く船し頭お傘ちのの人盤跡とと水に里こが氷の上を打ならす石な礫のころ〓〓のふなのヽ國諏訪の湖をよめる古歌に「うなゐや雲端い蓬午つしなむ野礫のの朝端か五ド雲ヽ花こそにほへし梨夏夏子かののののの雲の花な霜窓下人つみ一元、
秋鬼貫句遺もは秋タて麥つきやむしろ結か鬼貫句遺もら井戶立髪、審とひするこかの里人は歌に「股の女がかきつき麥をほしかれて夕ま此句いづれに定むべきか、先づ書付置、秋ややらや大和めぐりして田家行水や後篇之鏡蟬宇むし脫は西瓜に逢す月のみ部はの田の炭帶ろな跡團まなれ白扇がととてにしひひ朝日日ののすの四行俄都ヾ南相凌凌夜をのこす玄ら鳥のこゑに尾のむくちなしにはなうぎ番是は予が句のよし先年京にて流布ありしと置也或人物語有ける、されど、控書になき故とヾめわらは麥や末社の神をかきたる給にに離れたる寢恍におもひよりてざめおもひやりて一句を贈る子におくれ給へる人に夜の鶴のね老ては子に從ふ四行の夏野の鹿の鳴音を今東行子杖に袖掃にまくらに夏の露老嚙ち庭のはゝきあかむみて窓の花る嫁田植がかかななむか審團扇がにま煙りけり日嫁田植がかの相か雨麥み水撲門なな
心寄此田の水筆をみなへし猿にもなるゝ山路鬼貫句選かそと秋ヽめて菊らぬ人もは膝らに出て又七利陽童子に別れし年、八月十五夜に重月次の發旬乞はれての湯と後篇タ栗陽にへ代參せし物語をことぶきて多賀谷氏初の九月江府を出で、伊勢にを子成味いあの8てあくらうなやる星のへい菊か節もけ月の.逢句重見舞ふの夜かうかのか心寄靈佛蟷うづら鳴く田も見ねたりな鼠丸堂出て玄に螂こ棚も是に草のや蚊は血ふくれて飛いなば影法師の鎌を立体斗宅にて須磨の月は行に十三里、名月を待に廿日あまりといふを聞す、あらしや光枝氏備後閱福山へ出陣の御供せうこはの法師や蘭舟亭にて別傳和尙相見の時所望劔術執行する人にられしを祝して鬼は8馴つしるるか립ヽ8るな糸力ヽ須瓜味陣磨あと屋るかの月哉く佛蟷出て玄かそヽに螂こに成味てあか립る星のへるな節もヽ須逢句重陣磨夜かうのと屋かの月哉なぞな月な袖なや哉一一三三
九月十三夜、明星待て病後のことふきをいへるの月入て顏よし星の空今津に住ける野田某の翁が許に行て、萬葉集の物語など聞て日をくれてかへるさ、發旬して立といひしほどに、彼集の詞をとりて二里いぬる門に立たつ芽ハ子の月宮の嗅あきたつ森のかげろふや惟然が伊丹の我の宿に來りていふ句秋晴れたあら鬼つらのゆふべやなとりあへずいぜんおじやつた時はま佛の兄の禪罪をたゝかうと思ふと後のの空二里宮のい嗅だ夏し、あまたゝびなり。刑轢出がたに、やう〓〓ことしの秋にこそ其室には入りたれ圓水澁柿の霜にあふこそうれしけれ身は〓栗の味もしや〓〓りも紫野といふ題を得て風玉に月の輪きほふむらさき野九月盛住吉の神送りにたれもみな打あふのくや四社の前奧の海といふ盃に花に月身をばいづくにおりやしらぬいんし中の秋、老母にはなれける魂祭りに去年に似たけふならばこそ鯖くはめ鬼貫句選後篇澁柿風玉野社の前ぬ一一五
たが身にもひとつふたつは秋の空むかふぞや相生のやうに此秋も春にさもこそも香さへ菊さへいつもさへ御所柿のさもあか〓〓と木の空にそちとこちの中に季を持わかれ哉物愛宕い火やむれつゝ暮を花ざは也雲軒宗旦懷舊独狹の繪には島臺にかふめぐりて十三のことしになれ昆陽池蟬子古〓に歸る餞別にぬ魚の片常に思ひ常にむ目や水のか月り八星鬼貫句還も嘸影物久卯の鬼貫句還も身ひ、とつを最たのむ三日の月より滿るまでか雲花や嘸たや朝立重八月十五夜出雲國風水、東武に行なんとて、京に七月の郭公といふ題にて俳諧獨吟の千句を思ひ出て、長月の獨吟戀百韻空のぼりけるにあひてはじめ玉津島に願をかけ奉りて後篇京を陽踊にどの崩千句の內中秋こ夜れこえなば素たらにるてつかほと此ら富ゆ空士ヽふの秋にぎベ菊哉すか雲い千句の內こ夜らにる中のこえなば素片つ目か此ら富やゆ空士水ふの秋にぎのベ菊哉立す月一一七
友弓張のつるむかしやら今やらうつゝ秋のくれど見と5せた枕ひとつそヾろながらになみだ吹風す寢路通移徙興行夜更るまであるじとかたりて見まほしくて、九月五日彼地に宿し、大野より京へ歸る時、敦賀といふ所日はじめて彼地に到る越前國大野城主に仕へて八月廿一九月廿二日、出雲の國の人、風水が死るて下8略がにはなすやどりかな夜も慥文な車秋に氣ののをな秋寢覺のれて聲哉夢菊菊よ露とりに起て目をするくもりが芋もやゝみの入るほどに三日秋とつれて神に出るかず身はいづこあ鬼貫句選風ふれ蚊のほめひにきくやや窓に文月七日の曇りを鶏賀宅にて八月十日溪水月次の俳諧興行に九月朔日人の妻もとめたるにみに火袋深き木の間に入ける女のもとにて心を文車の文にのせて、やさしき數去せしよしを聞て後篇垣なき中のむすびまくらにかぬ壁を須磨便かかのかななな卷なの月よ秋どあ見風ひ5や須磨覺かかのかななな卷な哉一一九
魂鼠尾草のよそも御名よぶゆふ月は々にや立見あ今や間とて姿なけ心中七立八月十五夜九月十三日の月を朝同よろこびを述おなじくらば花にう人元タたの秋薄初づのつやを音も脫モバケれ星眞のれも袖木どのわすし後瓜みになだれをこ魂地秋秋身明影法愚痴〓〓去年のあすの心にくもる月見かな只のかめづらしと 我鬼貫句選らの日と來てさなのきかする時鳥かな菅家御歌に「ながめずば夢の枕に過ぬべし月夜や師ばの十五夜て九月十二日黒門ヘ神事にまねかれの夢うやにこゝろを分とひとかに更る月後篇面七句こゝに並べ書つくの月ま、影影のそこへまねく尾花哉くさらのヘるらや空や月月水見見窓窓ののかかのの晝月なは月月神月は々にや立見あ今や間薄やれ星眞の袖木どのわすし後瓜みにの三つなだれをこすベれぐ此よび哉髪柏さ光ひ
靈燈わすれめや世にありのみの魂むかへこぼるゝにつけてわりなし萩の露火露引をの望みし時鷄賀東武發句錢別金毛日特に菊な立添て、發句せよととくるけるを悼みて送る千及がいつくしみ深かりける千白人の妻の身まかりけると聞きてお中さといひし門弟子、長月の末身まかり心元二句朝ぞに待なか.が菊な(株)きのふ夜旅笑の出顏カか山な燈幾駒行秋やむかしをからで富士ひとりその秋のおぼえはなかば富士の空秋ふ鬼貫句選立るにや富士さとをまねく玉箱根山にて古郷を想ひ九月八日江戶に下りける時、廿日あほどに書て送りけるやがて伊豫國に歸りなんといへるねよりて俳諧の物語などしけるに、鯉水といふ人、京に在て我許にたづ江戶より京にかへりてことし又裾野にむかふまり八とせむかしの秋をかさねて、消後篇ぬをほうしろとか尾花二子けにに旅萩歸のり山露秋ふ立るに火露引き夜の顏歸のカかり山露草山な
秋初世秋又行まねくと秋にはかや先は來ぜ題老萊于久しく逢ざる人の、京にのぼりけるす。を覆てみどりなり百丸因幡堂のほとりに閑居をうつ初を悔てが、ちかき內に江戶へかへりなんと〓月の末齋藤某が母の身まかりし耳此を秋はむかふに人家もなく、常盤木日かて宿親我有きけゆがl.物そむくを馬鹿踊ふづ上顏ベるこや朝朝旅そ薄ぼほぶらら散くけける千代ませと菊もまひたるすがた哉-七袖鬼貫句還輪草に五馬やや玉のつはれて聞えし名残りに五十賀よろこべる事ありとて、何がしの許三宅吟東十三回忌に七か十六夜へはじめてまねかれける時、發旬こ七つのむつ露後篇タ走跡げのたれ尾の山かのさてにも花かり光なれしをの星鐘星菊 のづのにの秋空-七袖秋に鬼貫句還輪やはか草に五馬や有が物か上顏り光こやれ旅をのそ薄星鐘星ぶづのにのらら散くら花露秋空けけるろ.一二五
春柴よ鹿月月笠にせよ千待花やこよ影や小望月の雨を右は松島雲尾和尙の手跡にて持けや、池の汀に集會仕度候秋月明白し詠歌の御心持無御座候いふ國にて侍る句して書付よとありけるにるを、閑立和尙にまゐらせける時、發雲居ひとい雨月は消ム字の馬すずを鳥旅か鬼貫句還けはしに猿の折たる氷柱巖月廿日あまり和州こほり山に行後篇しのはよし野の戶や入野氣音十三夜佐川氏へ行ける時、兩吟所望、秋季に鳴門集といふ書を文十撰し、卷頭兩まつる。葉鶏頭に蟷螂をかきたる給にて吉野の句をとありしに吟の歌仙ありるに、馬のはなむけに一句をつかふ玉井氏松堂、身のさちありて旅立けやの即時渦はなれて白し秋の行先も人これをかざすと秋日をにのま花ぬひ.とすこもむ奧秋むのの浪影冬之部の馬す鳥秋かぐのののの浪なり跡秋月風雲〓二一七
冬花雪に〓〓そけんによもなうて戶を明た錄とぐや梅の歌色はからびの身にあまりたる匂や部大輔光成のもとより乞求て元綠惠心信都の作とや、島丸光廣病の賛多賀谷氏江府に歸る錢別とてたなじ月廿三日、芝板亭にてさる事十一戊寅腰月十七日併講與行有ける小野小町の水像を今大路兵初ありて君雲伊が駒歳あたりのとしの暮はてたる暮の馬下ひ冬か木りな立に冬餅花をとゝしのから鮭買うてやすいものひ.まつ宵かなんと菊のか春ちある?丸貫句選ちめうかうわらひヽ杵たさく物と知ればたふとし神送り臟月十二日伊胸某宅へはじめて行旅歲に餅つくる家の子、手をやぶりてうすき所認のヽ後篇血をおとしけるに暮泊頭に火血を見ると巾なぐられうぞ枯てだに風を初たやは吹耳餅かわすられよお空をのこ行明つすよ冬てさ大火牡居哉か入丹るかある?めち梅の歌杵餅の馬下つよひさか木り哉な立に二一九
山行花なきを霜死年年人と年の淀春さとしの夜もあかしがたやら須磨心明日ありと闇にふすらんとしの山鬼貫句選をと木もの。麿しの瀨みしめ塵の出年忌に元錄十五年霜月十五日貞線翁五十ぢ片せ神後篇雲 へやてひとつ市奧(題文)のなは何にの手も都のひをおに業ちきし世名はなしとくよにか聾話よら山せて千しにあ伏ふ馬代年角見飾.と し若炭のやの田ま翁賣翁聲車簸奥川でとしぞけふ朝日や羽節春年をまとふ季行としのそらの何ふるとさだ待二候に花の重十二月二日鶏賀東武へ下りける錢御用新たに仰承けるを親して十一月十日錦贊初て興行、羽二重の別し時所認おなじ月十二日不及宅にまねかれや年のくれ、以下十三句に年降いのちや暮の花岸のめ咲身や隙さぬ冬ぞらなや後にくるゝ松るヘひたのもしきにわいそがしきがすし竹にかれむつら草き霜らん羽春待二名はなしたのもしき若む翁き霜らん三三
タ.う重花鬼貫句選陽ぐ音ねをの着雪ひすや冬のにほひをたきとめるの興行十月十三日、伊豫國美鳥、京に登りてふ俳諧の書をやりし時、發句して奥ける時所望翠拾興行同じく十九日、丸次にをだまきとい十二月十二日の夜、各遊興の地に行に書付くれよかしと望しほどに裏門にに後篇さ寒見す五一文もさたがはもるに字やし法ほど寒しづら師しくぬや小年ま姿雪う物重花駒麥春ぐ音ねを引蒔ならばたんとやの壬白に承り候へば、益氣湯參候よし、哉と、〓付候よし此頃本草綱目に身を入候人は、日用の時錢を吹順ある家なれば祝して鶏賃李夢想開の俳諧充て發句所望助も申傳申候無名庵にて人の口もが大事にて候まゝ、又肉食も可被成跡妹惟然坊外へは出して御求あるべくと鷺が霜月十三日猶湯はをやこし待し頰たにつらヾに候まめ梅かせがに寒しめ小六のりひかののぶ鮒月內てめな花陰り鯰一三三オ麿
寢雪ラ天鬼貫句還覺霜か照りうき身に旅秡を備へ、御酒などよろこばしく見何がしが許へ行けるに、太神宮の御や諸にてえける粗に、折ふし筒に入たる花の江戶に在ける時。安藤何がしどのまふけぬひやる句某が母身まかりけるをいたみてついろ〓〓とり添てことぶきの數に後篇消程梅をこ日に旅比そ椿の桶の猿覚のにゆ冬れ水冬雪ラ天世ともし汲汐來るとしの身もたのもしや枇杷の花15.つの格や千く膓賀宅にて鳴海の人、千島の題にて發句所望備前岡山、山知といふ人にはいりなんと、出立ける馬のはなむけに京に登りける身にわづらひある人の、養生すとてのちなみむずびし時一高興行て、國元の春をむかへ、又春夏の比來に居びの鳥くら言葉の交かわりでこしてを咲す寒冬るをらごゝろよく咲中やふ歸かさる冬みか海草な士15.霜か照つの格りをこ旅そ交猿覚るのゆ中冬れや木かさか心ヽ日冬みか海な花み和椿草な士一三五
名叶夜春寒三つはや陽のめぐみて冬の5ちヘあらしや待か5ばぞ陽やらぬ旅宿の寢覺に古郷を思ひて袋の繪にことぶきを添て述送り侍江原和風の新宅に招かれ侍りて、布る題大黑天よし原にて素山宅にて挨拶鶴賀宅にて廿六夜待なるふと幸に時あ姿雨る夜もしびつの底の旅まくほ家なめのきや花城る霜笑ひぶのかのく花あ年去5鬼貫句選ら年をちヘ待かのに似てどこかたのし消產題王嚢葉屋何がしにまねかれてむ年內立春二句ひとつこゝ題因子騫ぬ冬松そものたつ地や魂ら窓のろ香し霜や角霞厚のむ釜洞年こか後篇の魂ろ香し霜や厚やのる霜笑冬の心花釜こひぶののののはかのく花音鹿內花りな花らろ車
鬼貫句選後篇終鬼貫文集
鬼貫文集序跋類俳諧七車序乳ぶさを握るわらべの、花にゑみ月に向ひて指さすこそ、天性のまことにはあらめかし。いやしくも智惠といふもの出て、そのあしたを待ち、其夕をたのしとするより、僞のはしとはなれるなるべし。子は寛文元年かのとのうし、梅さくらのにほひも、きのふの籬にこだれ、やゝ卯の花の白髪見するみつがひとつのあした、有明の岡、猪名野細江のほとり、無海といふ所に胞衣をときぬ。こヽはいにしへより連俳のすき人多く、おめづがら耳に心にうつりて、八ツになりけるとし、こび(といへぜ蜜がとんで行こび(とい序數頰とん鬼貫文集二三元
これを我わざこと歌のはじめとして、より〓〓句をいふこと數あり。十三歳の頃松江の翁をまねきて、流をくまんといふより、明暮此道に心を盡しぬ。其頃又世に匂へる梅の翁をはじめ、名たゝる俳師や、雲の扉を叩きて來れる時に、座をならべずといふ事なし。寛文八つちのとの申の歲より、花月に心を馴るゝ事凡六十年に及へり。猶此後天數のかぎりしらるゝ夕までなるべし。これそもいかなる因緣ぞや。夫俳諧の道に入ること、初心をはなれて上手にいたり、上手を離るゝ所名人ならん。上手とは句を面白く作るをいふ。名人とはさのみ面白き聞えもなうて、底深く匂ひあるをいへり。猶其奥に至りては、色もなく香もなきをこそ得たる所といふなるべし。.抑十七歲の昔より、人にかはりて梓にちりばめたる俳諧の書あり。獨吟の書あり。とし〓〓いひすてたる發句あり。又序や跋や詞書や、つゞまやかに玄るし置て、子孫に永く殘さんとの心をのするものから、なゝくるまと名づけて、享保十二丁の未のとし、さくらをかざす窓のもとに筆をれきぬ。高すなご集序俳諧の大道は、言習ふにも得ず、句のかたち作りならふにも得ず、唯我平生の氣心高天原に遊んで、雪月花の誠なるに戯れ、神妙をしらば、目にみえぬ夢の浮橋、足さはらずして、踏に心よき地平たらん。その花に鳴〃うぐひす、其水に住かはづ、いづれの歌袋も、すべて天地の袋なり。それが中に、羅門外月尋は、難波の流に高すなごの囀をなして、一集の名とす。いふこゝろは、盡キぬ道に算へたるの砂子か、あゆみくるしきとよめるのすなごか。さては、かたよらぬすなごなるよな。そのかたよらぬこそ、大道なれといつて、元祿五年季夏の日、堀川の馬樂堂書"ぬ。佛の兄序元祿よつのとし、1鬼貫の名を馬樂堂にかはり、ことしまた佛兄となりて、俳諧の自序していふ。そも〓〓此書の名となせし心は、古歌によめる佛鬼貫文集序敗類
め兄にはあらず、是なんのあにぞや。しれる人は弟にあらず。夫れ道ひるき俳諧、みちせばき俳諧、千筋あり一筋あり、束ねて大道あり、內あり外あり、內外なし。あら、むづかしの言葉やな、わすれて年をへし物元祿十一戊寅成仲冬日實花集序いんじ俳諧を古しとすれど、十德をとづさず、今を新しといへど、羽織だにもかさねじとす。道はます〓〓はびこれりといへども、道はいよ〓〓枯々、に似たり。こゝに八雲たつ國の人丸山子、ことし彌生の中比、九重の東山に席をまふけて、百韵興行の日、そのかたちたやしく、禮を上にかさね、像を下に着す。かの御抄に、公任經信の兩卿もしらざるとか聞えしを、此人は知にやあらん。實花集と題號して、子に序せよといふ。恐ろしけれど筆をとらばや。元祿十六康米の年花左下繪何の姿序細くからび、ふとくたくましく、うつりゆく時々、おの〓〓はいかいに戯れ、それが心を感じ、これが言葉をむつまじとして、ならべたる數にはなりぬされど月の報なきにたらず、花のにほやかなるにとゞかず。たけ高からず心淺ければ、その姿なんかのすがたには似ぬものならし。これはそも何のすがたぞといふより、此書の名にまふけて、たから永き七かさねのとし、春むつみ月のすゑ、連る中の求ノに應じて、鬼貫書キぬ。老の寐覺序百九所望俳諧は、天のうずめの命の岩戶の戯より中比古今集の、もろこしの吉野うぐひすのひとくのたぐひ、ながく世に傳り、守武、宗鑑其ノ玄たゝりを汲しより、貞德あり立画あり、重頼あり。百丸やぞの松江の筆をなめて、花鳥に心をうつし、月雪に笠をたづさへ、此道に耽る事久し、今鬼貫文集序賊類
はた、其いひすてたる句をひろひて、こゝに番ひ、みづから評を付て、予にはし書せよといへども、一鳥の落字なければ、過策をもて補ふ言葉もなし。おもふに、丸はたヾ老の寐覺のよく富ノ者者るるべし。しかのみならず、心また其折每のむかしにかへりて、更に黑髪を據ヲなん事、是俳中の仙ならんやといふ。享保元ひのえ申のとし櫻月中旬俳諧童子〓序〓順水丈人撰俳諧童子〓請請序因賦一章安然童子〓順水童子〓+其說良有以善哉童子〓わらべ達皮は味ないぞ眞桑瓜大悟物狂序井發旬敗子丙〓季夏始赴東武。;辭友人鶯動于其〓、送且謂曰。吾之所欲見者;吾之所欲見者元;惟富士山耳。雖〓聞諸在來之客、戸大而已。景象罪詳、請子記來及於我乎。月歸于難波、遂至其塚上愴然而嘴曰。難矣生也、將與雅語之。ル一但雖其人無言猶在耳我我欺於死哉。洗輪荻露教於繁知云。囉々哩居土鬼貫富士の形は、書るにいさゝかゝはる事なし。されども腰に帶たる雲の。今見しにはやかはり、そのけしきもまた〓〓おなじからずして、新。なる不二をみる事、其數暫時にいくばくだや。あし高山はおのれ獨り立なば、ならびなからん、外山の國に名あるはあれど、今景色のかはらぬこそあれ。にによつぼりと秋の空夕ぐれにまた馬はゆけど今朝の不二みる峯は八葉にひらきて、不生不滅の雪を頂き、鬼貫文集序改頓なる不華の山秋路哉吹。ぬ嵐の松の聲、裾野にな
石を換て生れぬ先のかぬむしの音、鶯動々々、是今たしかに聞け、承れ。石を換て生れぬ先の父ぞこひしき。此手向草は、よとせむかしの秋にしほれぬ。それが中に、鸞が末期に詠めし松は、天地に久し。我その木のもとに獨句を次で、ことし又不消の露をむかふ。百韻根は常盤しばし紅葉ぬ、松のつたきのふもけふも露は白けれ鬼貫あの雁の來るやよひはかヘるらh下略和歌の道は我朝の法也。法は常也。その常をしらば俳諧をしるべし。俳諧の夢覺なばまた常をしらん。なれど、我いまだ此道の達人を見ず。世人皆風體にかゝはり、或は句を巧みにし、言葉をかざりて、前句のなじ是今たしかに聞け、承れ。根つた鬼貫あらhみをもわきまへず。或は懷紙坐所、又は正花をあらそひ、我を立る章是おのれに徳なき故なり。德あれば人夫を惡敷におかず。若我を以て德を押ス時は、其我にゆづりて、作る所の句の中に、卷頭あるの意味をしらす。唯俳諧の味を喰ひ、今日のたすかる事をえずして得る所、皆病のみなり。曰ク人と我と常いふ所の言葉、十七十四にきれば、こと〓〓く俳諧え。其世界をしらば、全體前句のなじみあるべし。發句も亦ノ目前の常を作らば、意味深うしてしかも匂ひあらん。その大道にいたらずして、かたちを似せば、一句になどか色香を持たん。善惡を知て、姿風體のよき所にとゞまるも、是病なれば、只可不可のふたつをもわするべし。わするゝといふも亦おなじ病なり。ひとり立我俳諧を觀ずれば上手でもなし下手にてもなし元祿三度午五月日鬼貫文集序敗類
萩の百よせの序高津の月は、蘆角が萩にかたぶき、大寺のかねは曉の露につたふて、威情日閑也。間の夜の覺束なさは、よきあたりに燈籠置て、其風情あり。夜の露の日に打かはきたる、うるほへる花にはなくてあはれ深し。又雨にうたれ風に吹ゅれ、おのれどち亂合へるは、するどにはあらず。明暮此風〓に富ノる事、秋はたヾ蘆角が家に有べし。見及び聞傳へて、誰それの送れる句とり揃て、萩の百よせといふ名にして、書をなせる日、序を乞に默止がたくて書きぬ。萩を分てをぞかたくわするヽな遠千鳥序時は逢がたくて失ひやすし。こゝに來山といひし人、俳道に其名高く、世もて其風をしたはずといふ事なし。子若かりし比より、したしく相かたらひ侍りける。昔養雪の窓をたゝいて、爲にはあらねど、小鍋やほしかたくわするヽなきと、手づから惠み來りし。其名を小西と呼でいまそかり、鍋の命はつきなかりしを、去年の時雨月の初、定なき數に入"ぬ其比何に悼でつかうま、つりし、我袖のきはづきもかはらざるに、早キーめでりのけふにむかふ。むかしれもふゑぐれ降夜の鍋の音生前の風流は木の葉駒にくはしくのすれば、更にもいはじ。彼翁天性酒を受すといへども、終に親疎靑白の賑をわかたず。しば〓〓沈醉の中にも俳諧を諷ふ事、おそらくは一斗百篇の詩を恥ずといふべし。世の人十萬堂と稱美せり。其美をしたひ、其德をあふぐ食客門人、筆をしで盡しがたし。それが中に鳥路齊文十、ひとり節を守り志の高き事、彼陣后山も麓なるべし。よて遠千鳥を編して、いさゝか師恩を酬ゅんとす。これが序を乞ふにいなみがたく、享保ののとの酉、初冬の日、槿花翁おにつら筆をとるものならし、伊丹發句合跋伊丹發句合の部に載せたれは省く鬼貫文集摩跋類
郭公の卷の跋支考はとゝぎすの盃に醉て、西に行クバ、產神うのはなの匂ひをおしむ。是を束ねて、序は素堂がすみに、すゞめの墨ぐろきに書キぬわいと夏の蛙の鳴すもと寶永二乙西の夏洛の永昌陽鬼貫書荒小田跋舍羅撰あら小田といふ書を作りて、言葉の種をまけば、花あり實あり、是といかいの鳥追。うねくと船に筋違ふ鴨の聲佛兄古園俳格跋泉字盤只、ことし仲夏の比、富士を右にし、頭を俳諧に傾ヶ、車にして、なす所古園俳格。是を抱きて、初冬又富士を左にして去。元錄十五主午初冬犬居士鬼貫花あり實あり、筋違ふ鴨の聲佛兄富士を右にし、頭を俳諧に傾ヶ、足を訪尋の是を抱きて、初冬又富士を左にして去。犬居士鬼貫▲▲贈辭記讃類南都松井和泉へおくる詞墨は聖實の〓をとこしむへに傳へ、あるは千里の外に人の心を通はし、あるは四季をり〓〓の詞の花の中立ともなれりける。何がし松井氏、その功を貴み、その德を感じ、今製家のをろそかに成ける事を歎きて、遠く橋の京の昔の匂ひをれこし、紀貫之の梅のかをりをしたひて、普く時歌連俳の句を乞。もとめものしける。それが中に子は伊勢の御の梅の脉歌の句をとりていふのみ花と見てをられぬ水に石の雲閑立和尙におくる詞難波津や、天みつ北のかたほとり、砂原といふ所に、西方便と聞えし際逸の行者あり、柴の扉をとぢて、甘露王につかへ、庭あづかなるに、こ鬼貫文集贈辭記讚類一五〇石の雲
と草を養ひ置て、をり〓〓ごとの花をささげ、明暮御名をこがるゝ聲の、いとたふとかりければ、垣のそともをゆきかふ人、袖に辭おかずといふ事なし。すべて此世に生る〓肇、死るるををりり顔なる、も、みなしらぬにやあらん。必死よる例ある事をひじりにとふてしれ。まけよ蒔け佛の種も彼岸から靑松居をことぷく詞九重や社〓の名だゝるは、初音まゆ空よりも高く、かへる浪なきといひし磯邊の木陰によりては、かへらん事をおしみ、立わかれいなばの山には、今かへりこんとの契りを殘し、都のつとに、いざと想しあねはのすがたは、人ならぬ事をうらみ、曾根高砂のめでたきためしも、住の江の岸におもひよせ、そのことぶきを、また何がしが庭にうつしこしらへて、千代ふべき事をまねくものならじ靑陽の空に鶴きく花の床らく花の床大口理右衛門におくる詞大口理右術門、去年霜降月のはじめ、白生の底ふた羽を二夜つヾけて夢に見しとなん。ことしの秋よるしき公役の仰承りて、家の格式人に越たりけるをことぶきておくることば。大口氏何がし、よゝ難波津に富で、仲尼のほめし所にしたがへば、求めずして、萬幸おのづからきぞひぬ。いんじは、白かねや霜降月のはじめ、玉爪、金詳を夢見し事、ひと夜ならずとかや。ことし寐覺月の中比、所の循吏かしこき仰ごとありて、又あらたにさきくをかさね、揚る事麻の如し。おほけなけれど、師尙父になぞらへて、陰德のいさほしならずや。ことぶきいはんとて、寳永のつちのえ子、猶千代よばふ菊月の末、筆を取てかいつけて見す。夢の色のこがね粧ふ日の出かな一桃子におくる詞鬼貫文集贈辭記讚類な
東武一桃子と聞えし人は、はるかなる唐土舟の流シよる長崎の府生也けらし。一とせなにはづの梅のにほひをしたひ、一帆の風に身をまかせて、わまみつや老松の名をもたる所に住、とゞまりて、富るる、落葉かく人、あまねく長生の救ひをしたまひぬれば、不老を〓フ人すら、門前に市をなさずといふ事なし。予もしばらく軒をならべる友となるより、筆をして物いはせよかしと、戯にたはふれ侍りて、一句をたはふるゝものなり。朝風や菊のうなづく菊の露岡田休意におくる詞うぐひすの聲めづらしき朝より、ゆふべ〓〓かねの音さへ重り、犬吠るあたりを桃盛なる里なるらんといそがれ、とかくして、春おしき空も、卯の花月夜に心移りて、さくらの花の佛をわすれ、菖蒲ふく軒端も、きのふになりて、風のおとづるゝ窓によるこそわりなけれ。秋たつ朝は、星をいたゞきて枕にそむき、やさしき數にも入なんやと、露とるかた手a、硯なんどを洗ひ、それも又跡にながして、くだ物よるこぶ人の心こそ澁からね。三五夜の空もひと日〓〓指のかずさへをりつくし、其の夜になりては、又最中過なん明日の心をおもひおかれ、菊の花日ざすあしたは、きぬの綿さへ身になじみて、火桶かゝゆる老の寐覺は、窓に雲行そらをうちながめて、年くるゝこそたのしけれ。珠數くりて春を待こそ仕事なれ文臺記句集に出たれば畧す六玉川讃百九は一軸の玉川を弄んで、眼をそゝぎ心を洗て、是をたのしみとして、六國の景色身をはなたず。其ちからやつよからん、懷や廣からん。予もひとゝせかの川をわたりて、たのしき事を得たれば、それを投出しぬ。是乙二へ蛙の飛んだ足の甲次の川は、在所分明ならず。書圖は丸子が扉におなじ。鬼貫文集贈辭記讃類五五れ五五
玉川を雪カと見れば四月哉はるかに百餘里はへだゝれど、川は卯の花の隣にながく、なへに臼を帶たり。川風や夏の日落る臼の音非情は時を得て花をむすび、月は常住の水にやどる。むらさきも白もおなじ萩の枝にいづれを分て月やどるらん汐風枯蘆に吹わたりて、友ずれの音、かろ〓〓とみゝにさはり、へ寒ういろどりたれば、心既に其國の境界にならふ。;いざさらば餘醱漉の5で千鳥きこわすれては汲やしつらんとありし〓と、皆人毒水などいへど、とか聞し谷水や風にたよふ月の糞調布はとこし目にささはあらぬや風にたよふ月の糞元祿十三庚及臘月日佛兄書小町の木像を九問にゆづりける副文小町の名はまち〓〓なる中に、明月記現形の神名ひとつにのせて、日の本のわざ事に遊びたのしむ人も、わするゝ事なし昔惠心院源信の觀室に有て、人麿赤人猿丸黒主小町にあへりと、それより、滿蓄沙彌が歌を感ず。其因にや、其作は百とせのかたち残れり。中比陽明殿下の御家にて、寺田無禪に傳はり、ひさしく私敷して持ッり。是ももゝとせあまり十の五の齡をかさね、手かき歌よび事、人よくしれり。さるを今大路兵部大輔光成、あつく信仰して、これが家に祭る。其後ふがき故ありて、我物となれるより、花月の魂いますがごとくうやまひ、ほとゝぎすに起され、雪にたはふれしも、皆御影にさそはれけるよと思ひとりしを、門人何がし、養雛齋九間我にわざことの道しるべせよといふより、燈火のもとにありては、昔の人の佛をしたひ、窓によりでは、昨日の雲の行方を思ふ。鬼貫文集贈辭記讚類ニギル兄書
其風流さすがにいやしからねば、此神像のやどす所も、我にひとしき事を思ひよりて、鳥丸光廣卿の副文、又子が心覺えをかいそへ、享保五庚子のとし神むかへ月朔日、九問にこれをゆづりて、永く其家に輝きませとあふぐのみならし。木がらしの底に花行老の浪鬼貫北條團水が許より愚者といふ題をこして發句乞けるほどに道に慥なる人は、しらぬをしらざるとす。慥かならざるは、しらず顏なるをよしとす。此故に下手なうして、しかも下手多し。達人の俳諧は、みづから述てみづから心をよろこばしむ。彼ノ知り顏の人は、みづから述て人におよぼし、よしといへば悅び、惡しといへばくるしむ。是己がくらければなり。其くらき事を、己はよくしりて人に際す。達人は是をみれどもあらはれず、あらはされば、しらざると思ふたぐひ多し。それ變をしりて人に先。ずる有、盲者これをにくむ。たとへば剛强のものにつれ立て、柔弱のものゝ道を歩ムに、腹を立るにひとし。抑貞德、立國、重賴三老の風姿、世に流布するの後、梅翁出て是を變化す。其時古風をはなれざるの輩、嘲哢して放狂の體といへるを、ふるしと云てわらふ人すら、今の變化をにくむは、其ふるしとさしたる輩のたぐひに覺えずして、今己が心のなりたる事をしれ。來いといふ時ははこいでおういい大元式卷頭物狂といふものぐるひに、興なきはなし。我大梧物狂は其興なき、初諸人笑つてとらず。是珍と、又いやしめざるは柳水ひとり、是迷惑、あらおそろしの此人やな寒空に都を迯し物ぐるひい初諸あらを迯し物ぐるひ鬼貫文集贈辭記讀類
亰修類亡子を悼し詞元祿八玄のとしの睦月の六日の夜、母の夢想に、南面に松はえにけり、といふ句を見て、其年の亥の月の中の支の日、弗の上刻に誕生す。名を永太部と呼んで、日を送り月を重ェるにしたがひて、聰明人にこえ、平生もてあそぶわざは、武氣自然に備り、生得强勢なりしを、今年初陽の上の五日より疱瘡のためにおかされ、醫療應せずして、中の五日の戌の下〓に終りぬ抑かゝる凶事のあるべきにや、南面の松ゆゑゑきに枯れ、西裏の松は風や〓らかなるに大枝をれぬ。其外あまたの前表をあらはし來れば、ひとへに天數のまぬがれざる所か。されと愛念しぼらくも離んがたくて、老少不定の明理たちまちに曇らんとし、夜の雨は窓をくヾつて胸を叩き、松吹風はいつも聞。音よはあらず。とかくして一七日の夕、骸を納ノたる寺に行て土に埋て子の咲花もある事よ日は西山に入て、明朝東山に出。庭の梅の花今年又花生ず。一切是空年の夢。昨日ノ永太郎、今日利陽童子.木をわりて見たれは中に花もなしされども木より花はさきぬる元祿十三庚辰孟春廿一日父佛兄手向鹽屋何がしが死去を悼て贈る詞花のあした、月のゆふべ、友とせし人の、窓にイむ面影も、いつしか野邊の煙と立のぼりて、その事かの事、夢になりはつるうつゝ心こそかなしけれ。山吹にさ·きだつ雨や身のひと〇百丸追悼丸貫文集哀傷類一六、花もある事よ庭の梅の花今年又花生ず。一切是空年の父佛兄手向つ雨や身のひと〇一六、
西行は花の下にて我死んとよみて、其きさらぎの中の五日にながく世をねぶれるとかや。百翁は上人に一日遲し。歌人俳人ともに、かのきしにいたりて、蓮を同じうせん事をこそ思ひやり侍れ、落日や釋迦もうしろに入さ山百丸が妻の身まかりしを聞ておくる悼の詞此佛、百丸と現のかたらひしける比よりむつまじく、花にほひ月さやかなる時々、九夏の風、玄冬のふすまにも我軒端をとひ、彼ノ家に行て心おかぬ程にありけるを、我やことしの春、さる事ありて京に住離れぬ。彌生の中比、故〓にくだりてまみえまつるに、はやあす歸りなん、持病御快、やがて都へなんどいさめ侍れば、うちなみだぐみて、いらへもなきほどに見えつる。今のおどろきに思ひ合せてあはれにたへがたうこそ侍れ。春の夜の面ざし,もなし夏の月蟻道一周忌に手向る詞蟻道や維舟の門人にて、我ガ俳諧の弟なり。天性風をいとひ花をおもひ、雲をあやしみて月を愛しつゝ、市中に在て〓閑の扉をしむ。かの鶏頭や、鉢叩や、是をいはずば、蟻道も蟻道にはあらじ。いひ得て即蟻道也。その初音や、雪の曙や、心と詞と能ッ相叶て、都鄙遠境の耳をめぐり、貴賤頭を春きて、其感こまやかに味ふ事、舌頭に箕形の業をなさし、む。かくて見もしらぬ人すら、霞をあはれみ、露をかなしむ心を養育するの粮としい其序をゝしへずして、いくばくの人に伴ふ。それいづれの上をのぞき、又其下*におらん事かたかるべし。から鮭は誰が娘ともしれぬなり此句は予が持し、小町の木像の、からびたるにむかへるうるはしさ也。若〓〓の魚の呼〓事あらば、蟻道又いづれの水をかあたへん。此人や深く風雅の境をこえ、遠く月花の迹をわきまへ、いつしか妄想能斷して、無着T眞心の佛性をも見得したるなるべし嗟蟻道、去年の橘月、むかしの人の鬼貫文集哀傷類
あすしらぬ身ながら、數に入りぬ。ことし、手向っるのみ.夏章のそのけふにむかふ朝、一枝を夏章の秋まつ程ぞ廿露王鬼貫法屋宗旦七回忌をいたむ詞瓢簞の鯰いんでいづくにかある。なしといはむとすれば、水ば流てちん風は吹て颯々。死や生や七になりし石佛宗旦末期に「世の中はたヾ瓢簞の大餘おさへ〓〓てにげていにけり」といへるを思ひて書たる詞なり。池西言水が一周忌に發句を手向よと方役が許より乞けるほど送りける詞書をよむ其名ばかりをとヾめ置て、枯野の薄に俤を見し古人の魂を動かせしは、むかしなり。池西言水俳諧に業をたてゝ、世の中に副ふ。あかれぬ人の王鬼貫水ば流てちん數にて、維舟の流を汲ながら、しかも其舟にもつながれず。筆の道學ずしで、佐理道風が假名の手もとを覺ねい。人よくまじはりをむすぶ。七十の年の後、埋れる苔をしたひて、今やわすれぬ志にあそび、此いさほしに寄ル人は、なにがし方役なり。是もすける心ざしをとらず。誰ルかれ月花のかたらひ多ッして、窓軒端をたのしとす。我も交の莚に曲を覺ねし友なれば、をかしさ、あはれさ、心のはしながら、なきあとの石の面こそせんなけれ。朽もせぬ石に袖なし花すき慶志を悼で鷄賀へ送る言葉慶志はとし比はいかいに心をゆだねて、能"友に交"、能ク人したしめる事、たとへば、花に朝のあらしをいとひ、月のゆふべのうき雲を思ふごとくにこそ有げれ。されど彼ノ四ッの品まぬがれぬ世のならひなれば、いつのころよりか身にいたづきのいるにまかせて、吉野初瀨の春秋も人のなが鬼貫文集哀傷類一五金き
めとはなりぬめれど、ゐながら心をよろこばしむるこそ、去此不遠の理りにも叶ぬべしや。されば飛花落葉のさかひあり、有爲轉變のならひまで、常によくわきまへたるにや、霜の二日の朝嵐に正念にして、無佛ともに行けるこそ、有がたけれ。散とのみ見る目や娑婆の冬木立來山追悼花にとはれ月に音信しも、、むかしの數に入て、其事かのことに幾十とせの夢をかぞへ、我袖のきはづきも、戀しき今の形見とはなりぬ。文も見ぬしくれふる夜ぞ定なき娑婆の冬木立鬼貫文集終ひとりこと
獨言序世に俳諧をもてあそふとみさかりにして、心あるもなきも、わひためなく、奴婢僅僕のやからまて、口にまかせて、さりにくきはかりいひしろひぬれは、かつはあさはかなるたはれどゝのみ聞ゆれと、其源は難波津淺香山の、山の井よりなかれて、人倫を和し、人の心をなくさむるは、またく和歌の德にかはらずや。和歌にも俳諧體とてあなれは、その中よりわかれ出たるにやあるらん.しかあれは遠くも近くも、俳諧に名ある人の名句とて聞ゆるは、其心幽玄にし獨言序一大六さそくも、
〓其姿又妖艶なる物をや.爰に鬼貫と聞えし人は、またいと若かりし時より、此〓にに身をゆたね、筑波山はやましけやま分入にも、本より志のまとをしをりにして、既に佳境に至れり。年ふるまゝに、其名高く世になりてもら、人の口にある秀句ともは、誠に一唱三歎に堪すなむ有ける。此人年比、心にこめし俳諧の心用ゐを、親しき門人のこふによて、二帖に〓書して、獨言となむ、名付られしをみれば、むへも限りなき〓と成ぬへき、玉寶の物とみゆ。されは予に其趣を、書の始にかいつくへきよし申給へと、我またしらぬ道なれは、いかほの沿のいかにしてと、固辭し侍る物から、しかまにそむるあなかちに、聞え物し給へれば、せむすへなくて、筆にまかせ侍る物ならし。以敬齊長伯誌
ひとりこと上○俳諧の道は、あさきに似て深く、やすきに似てつたはりかたし。初心の時は、淺きよりふかきに入、至りて後は深きよりあさきに出とか聞し.むかしは人の心すなほにして、初中後を經しかと、今はその修行する人たにすくなく、心皆さきにはしりて、いつしか人もゆるさぬ上手にはなりけらし。これをおもふに、·俳諧は只當座の化口にして、根もなきいひ捨草なりと、かろき事におもへるなるへし。是もまた和歌の一體とか聞時は、かりにも淺〓〓敷おもふへき道にはあらぬを、はいなき事にそ侍る。○大かたの人は、口にまかせていひつゝくるを、この道の達者なりと心得て、更に我に益ある事をしらす.俳諧は只ま〓とにもとつく、中立なりと心をよせて修行すへし。たとへはわかき人の、親にいたくいさめひとりこと上一七一
られん時、腹たゝしきこゝろの出る事あらは、親といふ前句に子として、腹立る體を、付句に取なほして見侍るへし。全くのりなしみはあらし。又打杖のよききを、かなしめる心ならは、よくなしむへし。さあれは親にむかひて蜂吹は、神慮にもにくませ給ふ所なりとおそれて、孝心にもとつき、あるは人につかふる身の、慰むかたにいさなはれて、用をうしろになす心をも、付句に取をほして、それを改め、或は他人のましはりたに、四海みな兄弟なりと、心のあゆみをつけ、常のわさを俳諧になそらへ、はいかいを又つねのむつまし事に案しよらは、自然と句毎にのりなしみも出來ぬへし.○ことやうの句を作りて、それを新しとおもふ人は、此道を深く尋ね見されは、遠きさかひに入りかたくや侍らん、詞は古きを用ゐ、心は新しきを用ゆとこそ聞しか。〇一座におもしろき付句の、一二句もつゝきたらん時、それよりも猶ま一二句もつゝきたらん時、それよりも猶まさりたる句をせんと、大かたの人は、一入ちからを入て案し侍れと、いかにもあろ〓〓とやり句する人まれ也。只よき句を〓〓と、獨り獨りか案しいらは、しかも能句の出る事かたくや侍らん。さら〓〓とやりなかしたる跡は、更に能句も出來ぬへし。程よき遺句は、未練の人の及ふ所にはあらず。○○句句は月雪花、木々艸々、其外生る物のたくひすへて、何にてもあれ、ひとつ〓〓に物いはせたらんに、かくまても我事をいひをよほしぬる物かなと、深くよろこひなん。心詞にあらされは、ま〓とすくなくや侍らん。○付句はのりなしみを專一にすへし。宗祇法師の雜談にも、上手の付句は、他人の中よきかことし。下手のは、親類の中あしきかことしと、いひたまひけるとそ。〇句を作るに、すかた詞をのみ工みにすれは、ま〓とすくなし。只心を深ひとりこと上ま〓とすくなし。只心を深
ぐ入て、姿とばにかゝはらぬこそこのましけれ。古歌にもあれ、古事にもあれ、ひたすら案し探りて、句を作ると、をのつから心ようかふ所を、用ゐるとのさかひならんか。○句は師匠のがたちによく似せて仕習ふへし.修し得たらん後は、そのかたちをはなれて、天性ひとり〓〓か、得たる風儀をこそ用ゐまほしけれ.○ある人、扨も俳諧はならぬ物にて候と、いひけるほとに、其ならぬ物と知たまふは、ひとかとの事にて侍る。子は天性數奇て此道にこゝろを畫す事、をよそ四十年にあまりて、行にも座するにも、忘るゝ事なく臥時はまくらのほとりに硯を置て、寢さめたに外なけれは、道のなりかたしといふ所を、聊わきまふに似たり.平生深く心をもいれさる人の、ならぬ物としり顏にいひたまふこそきこねね。○俳諧をする人、あらましにもいひこなせは、はや得たり顏に止まるあり。無下にほいなくそ侍る。或時は句もなりやすきやうにおほえ、又或時はひたすらなりかたくもなり侍らん事、幾かはりも有ぬへし。深く入なん人は、其程〓〓に功つもり、て、猶むつかしき事を覺侍らん。修行の道に限りあらされは、至りて止まる奧もあらし。只臨終の夕まての修行と知へし。たとへは宗祇法師は、連歌の達人にて、余にならへる人もなしとはいへと、祇公ひとりの上には今五とせゐ給はゝ、五年の功、十とせなからへたまはゝ、十年の功も有つへき事にこそ。○新しく作りたる句は、やがてふるくなるべし。只とこしなへに、古くもならす、又あたらしくもならぬをこそ、能句とはいひ侍るへくや。作意にのみかゝはりていふ句と、ま〓とを深く案し入て、一句のすかた詞にかゝはらぬとの差別なるへし。○歲旦の題に、只の春の句も聞に、また元日やとさへいへは、元日の句なりとのみおもひて、心のよそ〓〓しきもおほし。花の句は花のみをひとりこと上
いひ、月の句は月のみいひて、しかも意味深きをよしとす。うはの空に案する人は、句に心にちからなきにまあせて、色〓〓の事品を取ましヘおもひよせて、をのつから工みに作るなるへし。○いつはりを除きて、まとをのみいひのへんと、ちからを入て案し侍るは、いつはりいふにはまさりたれと、これも又ま〓とを作りたる、細工の句にて侍り、此道を修し得たらん人の、虛實のふたつに力を入すしで、いひ出す所、句每にいつはりなきをこそ、をのつからのま〓ととはいひ侍るへけれ。是なん常の心に僞りなく、世のあはれをも深くおもひ入たる故なるへし。○いにしへの俳諧は、來る幾日の興行なりと、前廣に定置て、詠草に則付して、再々返まてもまはしたれは、句數もいてき侍り、當日に至りて、或は朝飯後よりはしまりたるは、夜半をも越て終り、又晝過てあつまりぬるは、大かた夜もしら〓〓と明わたる程にみちぬ。、今時の俳譜は、再返をたにまはす事まれなりけれは、座の上の句數はおほく侍れと、滿る所はいにしへの席の、三分か一にもたらす。古人は各沈思して、尤句每に宗匠の心をうかゝひ、宗匠は又故なき句を取事なし。あるは前句に不便をくはへ、あるはのりなしみを専一に、案し侍りけれは、をのつから時のうつりたるなるへし。の作意をいひ立たる句は、心なき人の耳にも、おもしろしとやおほえ侍らん。又おもしろきは、句のやまひなりとそ。修し得たる人の曲玄の句は、修行なき人の耳には、おほろけにもかよふ事かたかるへし。しかもその詞やすけれは、いはゝ誰もいふへき所なりとやおもひ侍らん。○聞えぬとい久句に、幽玄と不首尾の差別侍り。まとを辨へぬ人の、さま〓〓に句を作りて、是にても未聞え兼て、おもしろからしと、ひたぬきに詞をぬきて、後には何の事とも聞えぬ句になり侍れと、作者は初一念の趣向を、こゝろに忘れ侍らぬは、我のみ獨り聞ゆるにまかせひとりこと上
つたなき心をもて、て、いひなるむるもかた腹いたし。又曲玄の句は、つたなき心をもて、其意味のおもしろきところを聞得ぬなるへし。○新篇の俳諧興行して、いひつらぬる所、句にいつはりおほきは、いかてか神虛にかなふへき。句每にま〓とを辨へさる人の、努〓〓おもひ立へき事にあらす、もたいなきわさにそ侍る。御影のかゝりたる座に着ては、各其日の神主なりと心を改め、又御影のかゝらさる席には、心のうちに勘請申て、在か如くつゝしむ人は、いつはりなき句も出來ぬへしや。○追善懷舊の俳諧も、ま〓とをはこはさる時は、これも佛の道にそむき侍らん.○花の句は、一座の宗匠、または功者にゆつりて、努〓〓このむへからす。貴人小人なとには、花を所望しつへき品も侍り。夫ともに宗匠の言葉をまたすして、外より會釋すへき事にあらす。むかしは月雪郭公ま〓とをはこはさる時は、これも佛の道にそむき侍の類ひは、功者の外遠慮しつれと、今時は其わかちをも辨へす、いつしか此道のかたちを、とり失ひ侍るもおほし。それより仕習ひたる作者は、斟酌あるへき句のすへをもしらす、なけかしき事にそ侍る。○發句第三なとしたる作者は、花の句をせさる者のやうに、おほえたるもおかしくこそ。○脇句は文字にてとめ。第三はに留、にて留、らん留、もなし、はなし、なとヽもとめ侍るとはかりは、誰も皆しる事にて侍れと、何故かくは、定置たるそといふ、然る所以をしる人まれなり。又脇句のてには留、第三の文字留、なれや留、なとゝいふ事もあり來り侍る。○表の十三句めを月の座、裏にては十一句め月、十三句めを花の座と定侍れと、又月花共に取あけてする時は、何句めにてもくるしからす。さあれは月花の座とは、何ゆゑ定置たるそと、いふ事をさへ辨へしらぬ人も侍る。ひとりこと上上
○花は櫻花といふさへ、正花にならねは、ましてこと木はいふにも及はす。しからは何をさして、花とはいひけんやと、深く尋ね入へき事にこそタ○鎌倉の右大將、西行上人に弓馬のみちをたつね給ひし時、馬は大江の千里が、月みれはの歌のすかたにて、乘たまへと答られけれは、ほと拍子を心得たまひて、即座に馬の乘かたをさとり給ひけるとそ。俳諧にも句のほと拍子は上手のうへのしわさなるへし。○我句をおもしろく作り侍らんより、きくははるかにいたりかたしと、古人の詞にも見え侍り。ひたすら修行し侍らん道なるへし。○發句に動くといふ事侍り。たとへはつはなの何を、すみれの何にしていへは、又それにもなり、杜若の句を、あやめの句にして見れは、なるをこそ嫌ふことにて侍れ、餘はなそらへて考ふへし。○心すなほに生れつきたる人も、俳諧にてはたゝうそのみいひならひ、かたち實體なるも、おなしく異形を盡せる人おほし。俳諧といふ物は、いかなる事を益とはなせるそと、深く尋ね入なん事もなく、口に出るにまかせて、いひなくさむわさなりと、只がろ〓〓敷おもひとるは、聊この道を辨さる故にて侍る。心すなほなる人、俳諧にていふことくようそつきて、世に交るへきや。又風俗かうとうにしおして、世に交る人の、衣服に典さむる程の模樣をそめ、或はまた羽、袴袴の上に、甲か立鳥帽子なんとを着して、人中へ出よといはゝ、出へきや能々考しるへし。それ俳諧は和歌のはしなれは、心を種として萬つの〓との葉となり、目に見わぬ鬼神をも哀とおもはせ、猛きものヽふをもなくさむる道とこそ開しか俳諧を修して、ま〓との道を行侍らは、なさけしちぬ人すら情をしる。あるは不孝不忠の人も、不の字を遠さくへし。只世に交はりて、さしむく所を、前句に立てひとつ〓〓、村句に取なほして考見るへし。前句と付句と、肌もあはずのりなしみのなき時は、ひとりこと上
是すなほの道にあらしと、たしなみ改むへき事にこそ。○人とわれと、常いふ詞を句に作れは、悉く俳諧なりと、辨へしらさる人は、付句の味ひをもしる事かたかるへし。○古風もむかしは當風ならし。今はた當風とおほしき句も、又いつしか古風となり侍らん。古風といふも、當風といふも、ともに作り求めたる句のすかたによりて、新古の名はあれと、修し得てま〓との道を行けん人の句は、幾とせ經るとも、新古の差別はあらし。只この道に深く心を、入なん人のまれなるこそなけかしけれ。○俳諧のわる道に入たる人の、會に連りて、前句よ心をもはこはす、兼てこしらへ置たる句をもて、つけはめたるは、古き鞘に刀を入るゝかことし。又兼てといふにも品あり、心さし深かりし人の、萬つに心わたりて、より〓〓おもひおける趣向のうちより、求めすして前句にすかりて出たらんを、程よく句に作りて、つけなし侍るは、かの道にふ辨へしらさるける人の、歌袋とやらんいふにもひとしがるへしや。○秀逸の發句といへるは、打きこゆる所、何とらへておもしろき事も見えす。只詞すなほにたけ高くして、其意味口をして述る事かたきをこそいひ侍れ。是は常に詞を巧みよせたる句をのみ、面白き事に覺て、もてあそふ人の耳には、聊かよふへからす。世に周ねく人のゆるしたる作者の、秀逸と名にたてる發句を聞て、その底の聞えさる輩は、我心にうたかひをおこして、修し入て見侍らは、自然とおもしろき意味をもしる事あらん。その分上に至らは、自句に秀逸をもまふけぬへし。小細工にのみ心止まりて、我とほめしてん作者は、終に人の句の秀逸を聞得てたのしむへきさかひにもいらす。もとより身を終ふるまて、一句のぬしともなりなん事かたくや侍らん。○此道を修し得たらん人に、いつ時代の句を作りてきかせよといはゝ、それ〓〓に句のすかたを、いひあらはす事やすかるへし。まして〓とやひとりこと上
うの句は、猶更いひやすき事に侍らん。すへて細工にわたる所、むつかしき事にはあらす。只ま〓とを深くおもひ入て、句のすかたは其時の、うまれ次第とあきらめたらん人の句は、すかたかならす一樣ならす。獨吟の俳諧なとは、所〓〓自然と心かはりて、見るに飽事あらし。未練の人に此所をしてきかせよといはゝ、まねても及ひかたくや侍らん。一筋にこりかたまりたる、作者の獨吟の句は、みつから他出侍りて、つゐにわか心にもかなふへからす。いはんや人の聞所をや。作り求たる句は、いひやすく、もとめさる句は、いひかたからん。その所に心をつけ侍りて、他念なく修行すへし。いひやすき事を是として、いひ及ほしかたきを非なりと、かたくなに覺たる人には、ほとこしぬへき言葉はあらし。○鶯はうくひす、蛙はかはつと、聞ゆるこそおのれ〓〓か歌なるへけれ。うくひすに蛙の聲なく、かとつにうくひすの囀りなきこそ、ま〓にには侍れ。○俳諧の修行もなくて、心のみ高く止りたる作者は、たとへはたかとのゝ上にのほりて、四方山をなかめつくしたる人の、心ゆう〓〓と打晴たりといへるを聞て、我もともに風景を見てんとて、居なから其所に至らん事をこのめるかとし。ひとつ〓〓階をのほらすして、いかてか高き所に至るへき。此理りをよくわきまへ侍りて、未練の人はひたすら修行すへき事にそ侍る○未熟にしてわれこそ熟したれと、おもへる人は、おろかにそ侍る。修し得たる覺もなくて、上手になるへき道理はあらしと、我とわか心をさりて、あやまりをしるへし。修行なき人の器用一へんにて、及ふへき事にもあらす。又智惠才覺をもて至るへき道にもあらし。○俳諧の修行といへるは、ひたすら何にまとの味ひを稽古して、平生人に交るをも、すくにそのま〓とを用ゐて、いつはりなき事をむねと、心ひとりごと上
一六得たらんをこそいふへけれ。○我は俳諧を仕習ひてより、いくとせを重ねたりと、指をかそへてそれをのみ、修行なりとおもへる人は、心得違ひも侍らん。ま〓との道にこヽろよせすして、句のうへをのみいひもてあそひたる作者は、たとひいくとせをふるとも、身の益とはならすや侍らん。○俳諧に地、自句、やり句、格外といふ事侍り。地といへるは、さのみおもしろき事にもかヽはらすして、前句によくつけてとほるをいふへし。自句とは、見つからの手くせをもて、おもしろく作りおしたるなるへし。遺句は其あたり、能句のつゝきたらん上か、又はむつかしき前句にて付かたき所を、かろ〓〓とつけのけ侍りて、程よくやりたるをやいひ侍らん。格外といふは打きこゆる所、更に前句に付よるへき句とも見えねと、底にてよく付侍りて、しかも威深きをいふなるへし。○百韻の內、地三十三、遺句三十三、自句十七、格外十七、と古人のいひけるは、あなかち句の數を、其〓とくにしわけよといふよはあらす。百韻皆つけかた一樣なる時は、見るに他なんといへる心なるへし。○連俳のわかれは、遠く見る時はとほく、近く見る時は脊を合するか如し。たとへは東西にわかれ行人の、一步しける時は袖をならへ、裾をふまへぬれと、東へ行ん西へ行んと、心さしのちかひたる所より、わがるゝといふ名のあるか如し。俳言のつよからん句は、一步よりわかれ行たる人の遠きさかひを、隔るたくひならし。又言葉やすらかにして、打きこゆる所は、連歌めきたる句も、心さす所連歌のいきかたならさるは、全く俳諧なるへし。これなん脊合せたる人の、東西へ行にひとしかるへしや。あるは又連歌にいふましき詞つゝきをもて、俳譜なりといへるたくひも有ぬへき事にそ侍る。とかく其一句をとらへて論せすんは、又一〓にもいひかたき事なるへし。○○諧譜は連歌を元として、連歌を忘るへしと、古人の詞にも見え侍りしひとりこと上二八七
カ○つよき句、よきき句の事、大かたの人は俳言かちにいひて、句のかたちいかめしく作り、或は文字を聲にていふたくひをのみ、つよき句なりと覺侍る。心得ちかひなるへき歟。たとへはかさ○なる人の、喧嘩しける時、其さまさをから、勇士に似たれと、底意に死へきま〓ともな只人の恐るへき樣を作りたれは、死ぬへき塲にをよびて、迯る事ずみやかなるかことし。又ま〓とを深くおもひ入て、すかた詞柔和に仕立たるを、よせき何なりといへるも、又心得違ひなるへしや。たとへは物とうめしける人に行あひて、我にあやまりなき事にも、詞をつくしてやはらかにいひける時は、よ〓かりしやうに見え侍れと、やむ事を得さるになりては、足もさらずして死をきはむるか如し。まとすくなかりしをよきき句といひ、ま〓とを深くおもひ入なんを、つよき句なりとはいふなるへしや。その虛實をも辨へすして、句のすかた詞にのみかゝはりて、强弱の沙汰しけん人は、未熟にしてひとへにあやまりなん事にや侍らん。○いにしへの俳諧師は、百日の稽古より一日の座功といひて、只會に出なん事を、大切に思ひ侍りし。實山類、水邊、居所の體用、或は句のいき方、つけかた、さし合等、輪廻の沙汰、其外の詮義まて、くはしく侍れは、一日の座功も大切の事にて侍し。○ま〓とを深くおもひ入て、言のへたるも、詞よろしからさるはほいなくそ侍る。心と詞とよく應したらん句をこそ、このむ所には侍らめ。○詞すなほに仕立たらん句を、專一なりと一〓におもふへからす。俳言たくましからんにこそ、はいかいの趣はたち侍るへけれ。○宗長法師の雜話に、付句は只前句にはなれて、しかもはなれぬやうに有へし。たとへは蓮の莖を引切て見るへし。はなれやすくして、しかもその糸絕る事なし。其とくに打越のかれ、前句の心を捨るは、蓮のひとりこと上未熟にしてひとへにあやま
くきを切に異ならす。扨緣語をひかへ、寄合をわきはさめるは、糸のつゝきけるか如しと、俳諧にも又ともに信すへき事にこそ。○いにしへはいかいの書をあむといへは、國〓〓より發句を書付て、撰む人のかたへおくり侍り、其內長點かけたる句を、小短冊に書留おきて、くはへ侍りしを、今は初心の作者に至るまて、此句を入へしとて、をして書付おくり侍りき。又興行の俳諧に、一順をまはし侍るも、いにしへは付句を二句つゝして、宗匠の心をうかゝひ、其後詠草に書付侍り。今は付句も、作者の心ひとつにてきはめ、いつれへうかかふよしもなくて、すくに書付てまはし侍る。かくまて法外の事になりける物かなと、そゝろにかなしく侍る。○いにしへは名所なとに、物をもて付る句は、古歌にても、古事にても、慥ならん證據なき句は、付させ侍らす。某はまた廿にも見たさる比、先師松江の翁と、梅花翁と列座の會に出て、糸のちよと見には近きも遠し吉野山といふ前句に、腰にぐへをさけてふらと付侍りけれは、吉野山にふくへ其故有事にやと、師のとかめにあひける程に、當惑して先御前句といへと、句前もとほく侍る間、付へきやうあらは、その儘付よとひたすら申されける程に、卒爾の事をいひ出けんと、一座の人のおもへるところも面目なくて、見よし野の花の盛をさねとひてひさこたつさへ道たとりゆくといふ古歌にすかりて付侍りきと、當座の作意をもて此歌を拵て答けれは、めつらしく候、これは何にある歌にやと、尋ねられける程に、たしか方葉か、夫木にて見候といひけれは、やかて執筆に書せられける。いかなれは師の心をかすめ、かく僞りをもてもたいなくも、懷紙ひとりこと上には近きも遠し吉野山
をけかしたる各、かへす〓〓も道にそむきし事、今はたおそろしくそ侍る。其外俳諧を只かろき事に、おもひなしたるうちの句なと、ひとつ〓〓かそへ出さは、無量のあやまりも侍らん。○元祿十七年の春、ささらきのはしめ、或人のもとへ行けるに、床に貫之の像をかけて、發句所望せられし時、折ふし空かき曇て、こさめ降ける中に、離の梅のしろく咲て、そこらおほつかなき程に見え侍りけれは、雨雲の梅を星とも畫なからといふ句をつかうまつりぬ。かれこれ案しめくらしける中に、ふと蟻通の諷をおもひ出して、よき趣向とらへたりとて、取あへす仕立たる句にて侍り。惑說をも辨へすして、うかと心得たれは、かくあやまりなる句をも仕出し侍りぬ。すへてむつかしき句を案し入たる時、よき趣向のうかみたるは、日てりに雨得たらんこゝちして、やかて句に作り待る事、大かたの人の常にて侍る。其時今一かへし返して、心のうちに吟味有へき事にこそ。○いにしへ守武、宗鑑、連歌に對して、俳諧を興し、貞德、立圃、重賴、また中興して、專ら世上に此道をひろむ。しかれとも其詞かたく、式こまやかにして、初學の人の、道に入かたき所をおもひよりて、その後梅翁當風を作りてうたふ。其句の姿詞花やかに、打くつろきたれは、人皆おはく古風を捨て、その當風にかたふき侍りぬ。それより猶さま〓〓に移りかはりて、いつしか彼古風をうしなひ侍りき。其古へをしれる人は、次第に世をさり侍りて、風儀のうつりかはりし末より、學ひ入たる作者、そのいにしへをしらされは、法外なる事を法外なりともしらす、或は又今新しとおもひて、仕待る句も、古來いひつくしたる內にありて、古かりし事をも、辨へさるたくひも見え侍る、只句のすかたは、いかやうにうつりかはり侍るとも、古格をたつねしりて、ひとりこと上其時今一かへし返して、心のう
あるましき事心の底に置たらん作者は、おのつから法外の仕かたは、あるましき事にや侍らむ。○それかし八歲に成ける頃、いなけなる發句しそめてより、十三歲の比、松江維舟に師のちなみをむすひて、かの翁の古風をまなひ、此道に心をいれて、不斷獨吟の百韻をつゝり、その比名に立る古老のかた〓〓へ送りて、點をこのみ見る〓と、いく卷といふ其數をしらす。かくて十六歲の比より、梅翁老人の風流花やかに心うつりて、又其當風をいひ習ひ、猶其のりをもこえ侍りて、文字あまり、文字たらす、或は寓言、或は異形、さま〓〓いひちらせし比、發句付句によらす、人によしといはれ、我心よもおもしろかりしやうに有けるをも、修行しつる覺もなくてなす所、よき句にと有へきやうはあらしと、ひたすら我心にうたかひを起して、更にこゝろをとゝむる事なく、思ふにいにしへよりの俳諧は、みお詞たくみにし、一句のすかたおほくはせちにして、或おのつから法外の仕かたは、は色品をかさるのみにて心淺し。つら〓〓よき歌といふをおもふに、詞に巧みもなく、姿に色品をもかさらす、只さら〓〓とよみなかして、玄かも其心深し。いにしへより、俳諧の發句をおもふに、靑柳のまゆかく岸のひたひ哉まん丸に出れとなかき春日かなうつふいておとるゆへにやほんのくほ山伏はしふくとかふれときん柿またその比當風と聞えし句、摺小木も紅葉しにけり唐からしこれらはかの宗祗法師の說に、非道、〓道、非正道、進正道といへるたくひ成へし。たゝ俳諧は狂句作意をいふとのみ、心得たるはかり、一槩にかたよるへき道にもあらす。猶深き奧もやあらんと、延寶九年の頃より骨髓にとほりて、物みな心にそむ事なく、やゝ五とせを經て、ひとりこと上一室
一九六おもひもうけしより、そのかこと〓〓くうせて、それ〓〓貞享二年の春、ま〓との外に俳諧なしと、おもひもうけしより、そのかさりたる色品も、かの一句のたくみも、こと〓〓くうせて、それ〓〓は皆ぞら〓とゝなりぬ。○修し得たる人の、物かたりをうつして、未熟の人にむかひて、我しり顏にいへるを、力なきひとは、その〓とはを信して、けに達人なりとおもふを、よろこへる輩は、よこしまのわさにて侍る。及はぬ道は、ひたすら修行し侍るへきを、他念心をもこらさす、勞をもついやさすして、只口先をもて、上手なりと人におもはれんとと、このむこゝろこそあさましけれ。○當時もてはやす俳諧の中に、此句を聞給へと語り待るを、前句は何といふにやと問人あれは、今時前句をたつね給ふは、扨も古めかしく侍る。當風は前句なんとに、かゝはる事候はすといふ人なともありけに聞ゆ、にか〓〓しくこそ侍れ。○いにしへ談林風、伊丹風なといひて、句にさま〓〓異形をつくせし時節も、更に前句を忘るゝ事なく、或は文字をけうとく、あましたる句もあれと、二句隔る掟を守らすといふ事なかりし。○いにしへは一座百韻の俳諧をも、句每に覺て、或は歸りて人にかたり、或は悉く書留なんとし侍りし。今當風なりといへるは、歌仙の句をたにおほゆる人おし。これをおもふに、いにしへは綠語をつたひて付侍れは、一句〓〓おもひ出せは、おほえ侍りし。今は前句に綠語なきとを、詮なりとおほえて、作り立たる句にて侍れは、何とらへておもひ出へき種もあらしひとへに前句につかさる各なるへし。○祝儀の發句は、そのことふきをのへ侍りて、さのみ句のかたちに手抦をこのむへからす。付句はたゝ、いむへき詞に能々心をはこひてすへし○同季を付れは、よしとのみ心得て、たとへは正月の句に、三月の、物をひとりこと上一九名よしとのみ心得て、たとへは正月の句に、三月の、物を上一九名
つけ、四月の句に六月の物をもて付る、作者も侍り。付句はよくこゝろをはこひて、時節相違なきやうにすへき事專一なるへし。○懸の詞をさへいへは、戀の句なりとおもひて、本情なき句もおほく聞え侍る。詞よ戀にはうすく侍るとも、心の深からんこそ、このむ所にはあれ。しかはあれと、俳諧の修行もなく、心のみたかくとまりて、此所を仕侍らは、かへりてひか〓とにも成るらんか。○鶯はきゝ、郭公はまち佗るごそ、詮なるへけれ。そのほか四季折〓〓の草木、生類に至るまてひとつ〓〓その物〓〓をとらへて、くはしく所詮を辨へしりて、句にもをよほしぬへき事にそ侍る、うくひすつけたらん句を郭公にいひかへ、梅つけたらんをさくらにいひかへて、前句になしむへしや。物の所詮を辨之りなんこそ、第一の事なるへけ○春の月は、くれそむるより臘たちて、物たらぬけしき。○夏の月は、灯を遠く置て詠め深し。○秋の月は、窓に軒に、海に川に、野に山に。○冬の月は、一むらの雲の、雨こほし行隙を照していそかし。○春の雨は、物こもりて淋し。○夕立は、氣晴て凉し。〇五月雨は、欝〓〓とさひし。○秋の雨は、底より淋し。○冬の雨は、するとにさひし。○未練の人の俳諧は、春雨のと五文字言出し時、秋さめのと付替るらんといふこそうたてけれ。春雨前に出候といへは、ひとりこと上
ひとりこと下○とし立かへるあした、去年ことしの雲の引わかるゝ比、鳥の聲やゝ花やかに、殘る灯に鏡立て、妹かころものうらめつらしく、粧ひなし、家〓〓に神なといはひ、かはらけとり〓〓にむつましく、門には松立ならへ、砂うちまきて、〓とふきいひかはす、人の往來も、二日三日まては、常の牛馬の通ひもなくて、うらゝかに、あるは庭かまとに手あしさしのへて、うちねふりなんとしたるも、いそかしからす。○梅は軒の垂氷のふと〓〓敷、冬のこゝちもまたはなれかたきに、一輪のにほひ、窓よりこほれ入て、やゝ春めき、きさらきの比は、誓願寺に火をともして、人の心をかゝけ、あるはかた山里の、折かけ垣に見ゆるもやさし。ならへ、○室咲はいつの比、ひとりこと誰人のまち佗て、おもひよりけん、實あたゝかなると下二〇一
と、春にまかへて、咲出る花の心こそすなほなり。○うくひすは聲めつらしき、朝より障子にうつる、日影ものとやかにおほえ、きのふけふ野山もけしきたちて、とちたる水も、をのつからなかるゝ比、聲もともによくほとけて、霞に伴ひ、花にあそふ、又靑葉か枝に囀る比は、ひたすらおしき。○蛙は水の底にて鳴初るより、上に出て、雨こふ聲もあはれに、旅にあれは、古〓の空なつかしく、あるは夜もすから、野になく聲の、枕につたふ〓覺こそたヽならね。○柳は花よりもなほ風情に花あり、水にひかれ風にしたかひて、しかも音なく、夏は笠なうして、体らふ人を覆ひ、秋は一葉の水にうかみて、風にあゆみ、冬はしくれにおもしろく、雪になかめ深し。○櫻は初花より人の心もうき〓〓敷、きのふくれ、けふくれ、爰かしこ咲も、殘らぬ折節は、花もたぬ木の梢〓〓もうるはしく、ぐるれは、又あすもこんと契り置しに、雨降もうたてし。とかくして春も末になりゆけは、散つくす世の有樣を見つれと、又來る春をたのむもはかなし。あるは遠山さくら、靑葉かくれの遲さくら、若葉の花、風情をの一樣ならす櫻は百華に秀て、古今もろ人風雅の中立とす。○桃の花は櫻よりよく肥てにこやかなり。○梨子の花はひそかに面白し。〇つヽし、藤、山吹、其外名をもてる物、古歌にすがり、古き詞にもたれて、只おもしろしとのみ、大かた上にてなかむる人おはし。庭より詠る人は、我心われに道しるへして、まことのおもしろき所に入へし。其成より出たらん發句は、その意味言葉よ、述る事かたくや侍らん。○野につくり〓〓と、人の見にしは、わか菜つむ比より、草〓〓にたはふれ出て、すみれつはなに、春おしきまてなるへし。○卯月朔日は、櫃くさき衣の袖に、手さし入るより、身もかろく、氣もひとりこと下氣も
すたれかへらるゝ上さまの事は、はかりてもひときはかはりて覺ゆ。すたれかへらるゝ上さまの事は、はかりてもいひかたし。○郭公の比は、誰もみを空に心を置て、月にあこかれ、雨にしたへと、まれにもきかぬ折ふしは、もし夢のうちにや鳴つらん、人もや聞つらんと、ねさめ〓〓をうらみ、又たまさかにも聞つる後は、なほしたはしく、人の家より文もて出るをも、いかなる心をやいひおくりけんとゆかし。○ふかみ草はほこりあにうつくし々、○芍藥はすけなきやうにてうつくし。○卯の花は郭公と中よく、あるは月と見て、闇をわすれ、雪と見て寒からす。○花橘はあて〓〓敷、おもしろしとも見ねす。心のうちになかめはふか闇をわすれ、雪と見て寒かおもしろしとも見ねす。心のうちになかめはふか○螢はひとつふたつ見え初る軒は、夜道行草むら、瀬田の奥に舟さし入天、花と見る柳の盛。○蟬は日のつよき程、聲くるしけに、夕くれは淋し。又山路ゆく折節、梢の聲谷川に落るも涼し。○蓮の花は朝のなかめ、一入いさきよく、畫は又凉し。夕くれは心沈む。此華、佛の物にこゝろうつりてみれは、さかり久しからすして、ちりきはのもろきもたうとし。猶ふかく賞して、觀念の奥に至らは、埋れたる佛性、終に忘心の泥をも出つへし○涼は國阿の堂、華頂山の山門、四條糺の床は、心散りてさはかし。又うた田舎は、樗なんとの下に、畫寢むしろ敷たるもこのもし。○秋立つ朝は、山のすかた雲のたゝすまひ、木草にわたる風のけしきも、きのふには似す、心よりおもひなせるにはあらて、おのつから情のうこく所なるへし。ひとりこと下夜道行草むら、瀬田の奥に舟さし入夕くれは淋し。又山路ゆく折節、又下
〇七夕の日は、誰もとく起て、露とり初るより、あるはことの葉をならあるは古き歌を吟して、更に心を起し、あるはまた糸竹をならし、酒にたはふれ、舟に遊ひて、あすにならんことをおしむ。○桐の葉は、やすくおちて、あはれを告るさま、いつれの木よりもはやし。月のためには、日比覆へる窓軒端も晴やかに見ゆ。○朝かほははかなき世の。ことはりをしらしめ。なさけしらぬ人すら、佛にむかふ心をおこせは、しはめる夕をこそ、此花の心とやいはむ。○萩のさかりは、野をわけ入て、かひくるゝをもしらす。人の庭に有ては、露ふく風に花をおもひ、かたふく月に俤をおしむ。又花もやかてならんと見る比の風情こそ、いひれらすおかしけれ。愛する人のまれなるそ、うらみには侍る。○荻はむかしより、風にしたしみて、そよくの名あり。○薄は色〓〓の花もてる草の中に、ひとり立て、かたちつくろはす、かしこからす、心なき人には、風情を隱し、心あらん人には風情を顯はす。唯その人の、程〓〓に見ゆるなるへし。みの笠取もとめて、行けん人の、晴間まついのちの程も、ゑらしといひけん、道のこゝろさしは、かくおもひ入なんこそ有かたけれ。○女郞花はあさはかになかむる時は、さのみもあらし。よりそひてゑはし心をうつしみれは、立のきかたし。たとへはすけなき女の、情ふかきかことし。又雨の後は、物やおもふと、とはれ顏にうつふき、あるは風に狂ひて、くねりなんとしたるけしきは恨るに似たり。○中元の日は、蓮葉に飯をもり、鯖といふいをに、鯖さし入て生る身を〓とふき、親もたらぬ家には、鼠尾草に水打そゝき、こしかたの有增をおもひ出して、千〓のあやまちを悔、或は萬つの惠みを玄たひて、袖さへぬるゝ折節、佛唱ふるよその夕もおもひやらる。○次の夕は火をもて、靈送るはかなし。山には大文字、ひとりこと下妙法舟やうの物、
かたちあらはし火をさしよする程は、去はしこゝろもうき立侍れと、かたちあらはして、やかて跡なく消るも又はかなき。○躍はかたちより、心を狂はせ、心よりかたちにまよふ。わらんへの品よきには、開たどる親の、夜もすから付まとひ、あるはあらをのこのさま〓〓に出立た、る、希有とくもおかし。顏つゝみたれは、誰ともしらす。見る人にたちよりて、我そと人に語りなせそと、さヽやきなんとしたるは、しらせ顏にて又おかし。あるは身もをしさけ、かたき女の帶帷子なと取出して、すかたを人におとらせ見るもやさし○虫は雨玄めやかなる日、雛のほとりにおろ〓〓鳴出たる、晝さへ物あはれなり。月の夜は月にほこり、闇の夜はなみにむもれす。あるは野こしの風に、おのれ〓〓か吹送る聲、いつ死ぬへしとも聞えねと、秋かきる命の程そはかなき。つくねんとして、夜も更こゝろも沈みて、何にこほるゝとはしらぬなみたそおつる。○紅葉の比はきのふの雨に、けふの梢をおもひ、けふ又あすの時雨をおもふ。時しも空定めなけれは、かひ打晴て枝も葉も、雫たちたるに、夕日こほるゝ風情こそ、色ことにうるはしけれ。適に遠山をのそめは、耳にかよはぬ鹿の聲さへ、心にうごきて、其里人の目をさましけん、夜々の寢覺をおもひ、あるは名にたてる山の、あらしはけしき折ふしは、あからめなせそといひけん、筏士かつゝりの袖も、いつしか錦にかはりて、おのか影さへ庭にみゆらん、花は散をいとへと、紅葉はちりてたになかめをのこす。○膈はひとつ〓〓山こなて、跡なく見果る舟の上にて、古〓のかたに行ちかふ聲、又番ひ〓〓ならひゆく中に、はしたなる鳥のましはりたる、いつくの網にか身をうしなひけんと、妻の心そおもひやらる。○鹿は角ありて、そのかたちいかめしけれと、おそろしき名にもたゝす。あるは紅葉の林にたゝすみ、萩のもとの月にあこかれ、妻をこひ、友ひとと下
をゑたひて、秋のあはれを聲につかねて、鳴ものならし。實き人の害をさけて、友にしけんも、けにさもこそあらめ。又齡を延るためしは、蒼くしろく黑くなん、色をかゆるときけは、鶴龜のめてたき數にも類ふへしや。○菊は霜か花かと見まかふ、朝まち得たる心地そする、にほひを萬花のしりへにこほし、風に倣り、霜を睨みて、おのれ顏なる風情、殿上の庭に有ては、富るか〓とく、民家の圓にありては、ひそめるかとし。世人これを愛して、ちまたに行かふさま、信に一日の行脚あり、俗に一日の旅行あり、それか中に、髪老たる人の、目鏡なんと顏におしあてて、離のほとりのそきまはるあり。わかやかなる人は嘲らめと、松柏の契りによせておほふ。此花ひとり年〓〓に、めつらしきかたちを咲出侍れは、猶いくはくの數つもりけんと、千世經へき後の人の、なかめそうらやまれ侍る。○神無月は春に似てうるはしく、花は櫻か枝にかへりて、俤を見するとすれと、其色打かはきて、さすかになやめるかとし。夕陽はやくめくり、夜たけなはにして、空行風枕にこたへ、木葉の雨軒にそほちて、更に秋の寢さめをうしなふ。○霜は木草みな枯せと、しろき事花にかはりて咲か〓とし。あるはとしくれぬる人の、かしらをおかして、後の世のちかき事をしめし、あるは曉をしむきぬ〓〓には、しはし足跡をのこして、形見ともなしけらし。又瓦に置ては、鬼の顔さへけはひぬれと、行つかぬさまそおかし。○雪は音なうして、夜もすから降ともしらす。常の心に、朝戶おしひらけは、そこらみな白妙になりて、木々の梢を埋み、あはらなる賤か軒はも、風情つきてふくら雀の、つく〓〓とならひゐたる、ころもかしたき心地そする。又山〓〓を見渡しては、旅行人のさそなるらめとおもひやり、あるは岡野への松の一むらより、朝け夕食のけふりの、細ひとりこど下
く立のほるも佗し。〓〓は松にたまらす、竹に聲もろく、地におちては、米錢るに似たれは、すゝめ鷄なんとの、まかへて皆を費しけるもわでとくくゆゆ。消る事は、露よりも猶すみやかなれは、詠めも又ともにいそかし。○氷は風寒き夜、水の面いつしかとちて、日ころの月の影も沉めす。朝な〓〓日影にうかめる、魚のかしらを覆ひ、かへる浪なきとなかめけん、志賀の磯邊の捨ふねは。繋かすして行事なく、あるは世を捨人の庵には、筧のおとも絕〓〓になりて、事たるほともかよはす。柄拘は桶のうちにいつきて、柄を握れともうこかす。あるはわらんへの、瓶より出しもて遊ひては、たゝく音あねのことく、むかへはまた鏡の〓とし。とかくして年も、きのふにくるゝあした、厚きうすき、ためさるるおはん惠みこそ有がたけれ。水無月朔日は、これをはこひて、上に奉るとなん。此例は千世萬代も消る事なく、めてたき氷なるらん。○千鳥の聲は沖にたゝよふ、舟の中の旅人、戀路にまよふひとり寢の枕、老たる人のいねかて、すへて耳にかよふ所、心〓〓に品かはりて、あはれの數は、おほかりけらし。ゑかのみならす、沙のみち干を〓ては、かの武士の譽れをのこし、加茂のかはらの川風には、夜たゝ聲吹流して、もろ人のねふりを洗ひ、けふもくれぬる聲のうちには、あすしらぬ身のはかなき事にもうつりやすく、黑谷山の念佛にしたはる。是なん夜毎に人の心を殺してん、かの鳥のおこせるならし。○火は爐邊に春をまねきて、窓に鶯の聲なき事を恨み、獨り雨聞圍の中には、夜もすから灰なとせゝりて、やをら心の底をさかし、あるはかかまる指を補ひては、筆とりて、更行鐘のおもひをのへ、あたゝめし衣の化にさめにし心の奥なと、書つくしたる、うさには下にこかれし、その比そしたはる。又むつましくみゆる物は、つま子取まいたる火縫、あはれしらるゝものは、老たる人の火桶にもたれて、何おもふらんとひとりこと下
見ゆるの。○果の朔日は、子をもたぬ人たに、我もやかで白にちなまんなと、ともに打いさみて、隣の餅に〓とふきいひかたらひ、妻なき人はむかへん事をおもひて、顏まだしらぬ子孫をしたふ。又都のはつれ〓〓此日より姥らといふもの出て、門〓〓にさまよひ、聲さまの囂々敷より、人の心も何くれとせはしくそ覺ゆる。○節季候はいつの世よりか初りけん、實春秋のものとは、見えぬかたちこそおかしけれ。手うちたゝきて、拍子よくそろひたるに、物なといそかしく荷ひて、庭通りたる人に、間ぬけのしたるもかた腹いたき。○煤拂ひは人の顏みな、埃におほれて、誰とも更に見えわかねは、聲をすかたに呼かはすもおかし。又置所わすれて、自比たつぬれ共見ねさりし物の、出なんとしたるは、我物なから拾ひたる心地そする。○餅突は家〓〓に、其日をたかへす、けふはおすはと、親しき人〓〓行かはして、とり〓〓賑ふ中に、老たる女の例しり顔に、下知なんとしたる家は、物こもりてみゆ。又をさなき人の、柳か枝に餅むしりつけて、花と見るよろこひこそ、其むかし戀しくは侍れ。○としの內にも春たつといへは、口影もおのつから打のとめきて、口もほとけぬ。うくひすのおろ〓〓鳴出るそ、折知顏にてやさし。人みな元方に棚打わ、たし、くれ初れは新しきかはらけならへて、灯にきやかにかゝけたて、目にさへ見ねぬ鬼にむかひて、豆たつ人のつこと聲出せるにそ、いつくかすみかなるらんとおほゆ。又老らくのひとつ〓〓かそふる豆の手にさへ、あまる齡ひこそめてたけれ。門にはやくはらひといふものゝよふかたに立よりて、例の〓とふき一口にいひなかし下又はしりまはる、心の內そせはしき。年もみなとに漕よする寶舟には、誰も皆いねつみたる、眠りのうちこそたのしけれ。〇一とせもはや、けふのみにくれよする日、世のわさしけき人すら、爰ひとりこと下二一五爰
かしこはしりまとふさま、しれる人に行かふたに、纔に半面を笑らひて、物さへいはす、心みな常の所におかされは、むかふる人に行あたりて、もてる物のそむけるをも、辨へすして、ひとつふたつ云あへるもあり。又かたはらには、いかにしてわか足踏てんやと、とかめ出たるより、と葉廣かり、手おしまくり、いかりのゝしりなんとして、時のうつるをたにわするゝもけうとし。家〓〓に松竹植ならへ、しめ繩とりつけて、例のくさ〓〓かさりたるにそ、事いそかしき中にも、けしき立て春おそけにみゆ。又むつましきかきりは、大暮の〓とふき行かはし、あるは又をけら求むる神の庭には、鈴ふる袖も實なまめかし。風のけしきも、猶更過るに、化口いひあへる八坂の奥こそ、むかしおほえてそゝろにたうとく侍れ。手每に火繩かひふりて、いさみもて歸るは、あすの竈を賑しそめんとならし。人の往來もやゝ絕〓〓に、閨のともし火に、枕うちかたふけて、春秋のあらましをおもひかへし、又逢へきけふにもあらしと、さゝんとかさね置たる衣の、りける。かきりなく名殘しらるヽ折節、明なは袖にほやかなるにそ、心もやかて花にはな旅○門出したらん日、行人とゝまる人、ともに打いさみぬれと、見送り見かへりなんとしたるは、心にかなふいのちならはと、相おもふぼとこそわりなけれ。住なれし里の木立は、行にまかせて梢をかくし、跡しら雲の入重にかさなりては、めなれし山も埋みぬれは、心へたつなとおもふはかりこそかなしけれ。春はもろ鳥の囀に物なつかしく、あるは遠山のしろく見ゆるをも、雲か花かと心をつくし、夏は郭公の一聲に、雲の行術をしたひ、あるは木陰に立休らひては、汗吹風に袂をなひとりこと下
くさめ、〓水水かかゝゝ道の邊には、心をすゝしめて時をうつす。秋は又名もしらぬ草々に、花をむすひて、遠かりし野路澤邊をたに、いつ行としもなくて過ぬ。あるは又夕日程なくかたふく時は、やとるへきかたもおほつかなくて、野にゐる人に打むかひて、道の程たつねなんとしたるに、遠くいひなしたるはにくし。時雨の比は、笠の雫も定なくて、日影なからに、身打ぬるゝこそうき物なれ。雪はなほつちくもふる物なから、木々の梢しろ妙になりぬる時は、吉野初瀨のこしがたをおもひ出して、旅の心を慰みけらし。査の程はまきるゝ事もおほかりけれと、なしみなき枕に夜々の寢さめをかそへみれは、あるはきぬたの音、更行鐘、川の瀬のおと、千鳥の聲、海ちかきやとの、磯打浪の聲風の氣色も更て、行雁かね、雨ゑめやかなる軒の雫、かたすみにて綿つむく音、上手に申念佛の音聲さも佗しけなる、犬の長吠はる〓〓來ては、やとりかはらぬ空の星さへ、影あはれにおほね、何につけても古〓の便のみ、おほつかなくて、人やりならぬ道をうらむる折ふし、我國人のかへるにあひては、文たのまんと筆とりたれと、またせて時うつすへくもあらねは、心の程あらましにも書とりかたくて、物にもなやまて、爰まては來ぬるとはかり、かいしたゝめて、やかで又わかれ行こそほいなけれ。なは行〓〓て心あてなる國に入ては、きのふけふうゐ〓〓しかりしも、人の心に鬼なけれは、いつしかなしみ付て、おもしろき事、をかしき事にふれては、人なみに興を催すにも、古〓の事のみ心の底に有けれは、慰むわさもみしかく盡ぬ。又かへるさにおもむきては、ひと日〓〓.國のちかくなるにまかせて、なほとけしなきに、道おそき馬やとひたる程、腹たゝしき物はあらし。やう〓〓かへり着なんとしける日、我岡のへの木立なんと、見え初るこそうれしけれ。笠破れ杖みしかく、色さへ黑うおも痩、麻の小衣うちしほれたるに、つま子出むかひて、とふきいひあへる中に、なみたくみなんとひとりこと下
したるは、いつかはとおもひしたに、たち得たるうれしさ、あるはうからん旅の、あらましなとおしはかりての心ならめ。童僕よろこひむかへ、稚子門にまつといひけん心の程は、國こそかはれ、しはしか內は、夜々の寢覺も旅のこゝちにまとひぬるを、寧天井より心つきては、我宿なりとおほゆる程にそ有ける。又悔しかりしは、日ころしたひたる名ところたに、或時は雨にさへられ、あるは日うちかたふきて、泊りをいそき、歸さにはかならす、立よらんとおもひて過ぬるをも、古〓のかたに打むきては、一足をたに費しかたくて、又來へき折もあらめと、見殘したりしも、終に行へきよすかもなくて、としふりなんとしたる、後の心こそ口惜けれ。戀○心は法界にして、無量なる物なから、一念まよふ所は、大河の水の、幾なる塵によとむかとし。されはまだみぬ人をも、風の便に聞しより、なとや忘れかたく思ひ、或は筆のかたちを見ては、やさしからん心をしたひ、あるは蘆垣のまちかきあたりに、休らふ折ふし、きよらかなる物こしを聞ては、水なとこひよりて、すかた見むよすかを求め、あるは又道行ふりに、志とみ格子のうちより、顏さし出したるを見ては、はとりの家に立よりて、商ふ物の價なんと尋て、よそなからかの家の名をとひて、過るもありあるは花見る比ほひ、あるは又神に佛に、詣めく日、色よき女の出立たる中に、かりそめにおもひかけては、添よるへき便もかなと思ふ折ふし、俄なる村雨なんとしけれは、傘のやとりをもてより、あるは又火繩たつ物さし出して、うつしもらひ、或は近きかたの、道をしへなんとしたるも、こゝろつくしのはしなりけらし。それか中に、うしろすかた人にすくれたるを見て、爰かしこつひとりこと下
きまとひたるに、行ぬけてたちむかひたれは、すかたには似つかぬ顏に、興さまして、立のきたるもおかし。あるは又いはぬおもひに、こかるゝ身の人なみに、交りなして、折まつ程の久しきにも、何かに詞うつりて、われおもふとは玄り顔なるもうれし。又片陰にて紙の皺おしのはして、ゑのひやかによみなんとしたる風情は、まるめて捨置たる文のおほえもうれし。あるは心にあまるおもひにふしては、佛たのみ神に申て、打祈るさま、人にむかひては中〓〓えもいはれぬまてを、物いはせ給はねはとて、心の底うちあかしたるも、おろかにておかし。又人ゑれぬ通ひ路には、犬さへあやしめて、宵〓〓每に胸さはかしく、打もころしつへしといひけむ、何かしか文もおもひあたれと、喰ふ物ごかしやりて、尾をふるまてに、飼つけなし、あるはけにくき關守に、物あたへなんとしたる、心つかひこそいそかしけれ。誰とはゑらぬ人の、例の時をもたかへすや竹吹てとほりたるは、今宵もまたあくかれ來ぬると、之らせ顏なる玄のひ音ならん。鴫の羽かきと、よみげんにも、おもひたくへてやさし。星のあゆみもはるかにかたふき、空吹風も音さひわたりて、籬のほとりに立休らふ程、よその斯も聞ゆる比ほひ、ねやふかくしのひやかに、きぬのおとなひしけれは、それそと心もそゝろなるに、いかに久しく待ぬるやと、袂引ゆく手も打ふるひ、ねりの村戶をさくり〓〓て、身を橫さまにひそめ入ては、音せぬまてに跡さしよせ、物さへいはてため息したるも、心あまりてうれし。寢てこそとけめと、枕打かたふけしに、灯遠く置たれは、顔はせのほのかに見ねて、さしむかひなから、床しき心ちそする。とし月つれなかりつる、こゝろつくしなとうらみましへて、かたりたれば、いつはりおほき人の數にやあらんと思へと、いつの文より心ひかれて、とはかり顏うちあからめたるも、と葉おほきにはまさりておほゆ。恥らふさまも、なとやうちとけ顏に見ゆれは、心にもたぬ人のうはさなんと、ひとりこと下ヨ
いひたはふれたるに、息みしかくかよへと、上にも見せす、腹たて初るよそひこそうれしけれ。あるは又ちかきあたりなる、女をこひて、文かよはしける.に、いつの夕、かならすと聞ねしより、指の數さへ心ひとつに、くれかねて空打なかむる折節は、雨くだすなとたのみをかけ、あふ夜まつ心の程は、人こそゑらね、やゝその夕になりては、入相の鐘につねのあはれもなくて、いさましくふたつみつ、螢とびかふ宵間には、つたひ來ん君がもすそのあかりせよ、、なとあらぬ事のみ思ひあつめて、まつ心こそたのしけれ。千世をひと夜とかはす枕は、また宵ながらこと葉のこりて、あけほのいそぐ鳥鐘の聲に、おとろかされて、又いつかはといひし名殘も、むせるはかりに、起わかれては、書にしかるゝ草引おこし、そむける籬をつくろひなして、ゆく影うしなふ窓の內には、髪の香殘る枕ひとつこそかたみなれ。又寢の夢の覺る朝は、何につけても心そまねは、野に出ては山うちなかめ、川のほとりにかひつくはうては、水の行衛も物なつかしく、そゝろめきたる風情、ながれにうつりて、我影なからすごく見ゆるも淺まし。あるは又ちきり深かりし中たに、よそに心のうつりなんとしだるは、舟車にもつまれぬはかり、腹たゝしきにも、おもひつくせし事のみかそへて、こゝろひとつのむかし戀しき、我ねやのうちこそ佗しけれ。祝それやまと歌は、天地ひらけ初しより、地の花の天にはしまり、天の月の地にすめる、天地和合の大道、たゝちに詞となりて、神を貴み、君をあかめ、世を治め、身をゝさむる道とはなりけらし。春は先梅かさすより、桃の雫の盃にしたゝり、あやめふく軒には、のほり甲なんとを立ならへて、よこしまの氣を之りそけ、菊の白露は淵となるらん、ひとりこき下
いく世のすゑまてをいひ〓とふき、一陽來りかへる比には、をさなき人の髪を置そめ、袴着初なんとして、神に詣せんとて、出たちたるを、老たる人の校に肱かけて、見送りゐたる、心の內こそたのもしけれ。四海浪しつかにして、橋わたさぬ道もなけれは、往來に足をたにぬらさす。かくおほん惠みふかく、治る國のためしには、民くさ打うるほひて、俳諧の連ね歌をつらね、なは萬歲をうたひて、人皆鶴龜の齡を宏たふ。かゝる御代こそあふくべけれ。右二帖者、年比思ひ寄たる事とも、寢覺〓〓に、け置侍りしを、あなかちに乞にて、者也。寢覺〓〓に、千及市貢にあたぶる鬼貫跋古曰、詩經變爲楚辭楚辭變爲唐律也。我國和歌有長歌、短歌、旋-〓歌、泊連歌、誹-也。乃隨世變也。如誹諧自本歌若論之則野也。然其實不野也。今鬼貫俳諧非野語乃實語也。淵明詩有達磨骨髓則俳-諸亦入其妙處亦蓋到古-人和-歌-佳-元に境其可得乎。余閱鬼貫獨言集其詞絕妙而有味焉。我以謂、連歌宗祇宗長得妙、誹諸鬼貫獨得妙言者乎。勉旃享保戊戌佛誕生日紫野巨妙子書干〓源南軒政
ひとりこと終
犬居士八月三十日、大坂の市を立て、山居をはなれ、里蒙の閑なるを好んて、四ハソ福島に心を動し、みつから犬居士と呼て、俳道をはゆ。尾もなくまた頭もなし。家は汐津はしといふ橋のほとり也。前には軒軒松松、流水にひたして、なほひやゝかに、後は野徑のむし、時しも野分は吹送りて、おのれ〓〓か聲かすかなり。今は間なれは、やがて月のためにはとたのしく覺ねて、間がりの松の木さベも秋の風明れは長月朔日、家せはくておほからぬ道具さへ、おき所なく、そこそセこに棚なとつらせて、畫のころまでは陋し。やう〓〓ほこりはき捨て安座す。吹風や稻の香にはふ具足櫃犬居士caiり風おき所なく、そこそやう〓〓ほこりはき捨て安稻の香にはふ具足櫃cai
なり。むかふは堂島の新地、し。忘れ、右には武庫淡路のつゝき遠く聳えて、三日、れをおもふたに、來れる人もなけれは、須わ.出て聞ばおぬ天月瓢叟のおとつれに、磨入日を惜む歸帆、せ地の雜も六句の吟持のる秋なた此夕はさらにもかなし。らの風のしみたる帆の霧家立ならび舟きほふ。露り半は屋上に見こして、しのな物埋む雲もなくうち晴て、さこ〓ちかいいひし秋の風季の間左は伊駒かつらぎの峯はるかに高に松にな誰りの堀江の川風に、すかたしらぬ旅人のわか筵もて木か哉致景〓〓〓〓的的同鬼由西海の浪を貫平五日、夜鷄た朝双石月秋荅シ晦書大居橋十萬堂にとはれて、ま歌日と六を、さぬくつの風k士たうを仙ね洗すはきあやた心のめち和てふ目か男るてむ讚もシもつ來にはの所いりか毛け勢ま付兩、吟してつれ〓〓を送る。筆ふぬ見に帶なはし物賦せるの舟に雪クにの弟篩は酒はやな文り用焦鳴國こつり字意も子取てけるける千のなにりり宿じりて濱鳥桃よしむ讚シも來にの所いり毛勢ま付ふぬ見に帶し物賦せるの舟にの弟篩は酒はやなり用焦鳴つり意子取てけるける千にり宿じりて濱鳥しさこ〓ちかいひし秋の風季のに松なりのて木筵かIIIII山同貫同山同鬼來貫同平同鬼由貫山貫平
ウ大貧雜曇長閑しをのどけよとこそ屋氣あかお二ン大つはいろ居根にのれわ僧煮らつ士のくらの巢はあくかは又らの月よ喰ねはらをとこの虛言を入たる頭藥ね何ひ後り時せ心めて見えたる日本にてと聞し楯サも氣苔のかける內もとよをためてなるやかははい萌め歸出つもの釋ては目出度てるるけ耳る迦四いふべけれ來庭まなは陀ぬ塜盜如ンるるりぎ袋特そ人來月哉顏名姉シ狐箔鳥腰雪中ひ門タ晴懸·乞お日〓〓に名もや女て曇と番き帽もに外こ踊の茶るしのまのつて子との德ふもさりわ月つた留花ぬら梯ンほてくろししのふが利れ違ぶかはて腹守む子島ふ見り賤す凉し馬立てのか、つするたあヽ明てかさるや借永しき縫今は歸ノりむむ原暮が大てき樣つ恨脇の下の每安菩のけ一ののるあ艸水に樂提るり日物雛君りつすあてか同山同貫同山同貫同山同貫同同山貫山貫同山同貫同山同貫
十五日、七日、猶比さりて、けふは梢の松風も暮ぬ。は木綿なれと、けふは家〓〓に鍬を体めて、秋あ跡機秋風、國風風盤水見ゆ。た向重陽後の名月のし月ねのの十五夜の雨も今宵の空に晴て月明〓〓たり。のを綿入たる衣の、吹野か花雨つれたち出て、網中なはの渡先より東山の峯をまねきて、降にりにるっ牛馬の息まても靜え。時しけ細はは時しり顏に藍まては染ねとやさし。燒ほとりの.野徑に遊ふ。たけりし鷺酎みりやふ人の.のをののい花栗よ袋顏ろき盛めのおのこのすかた月實非情さへと見ゆ。鬼盤同貫貫水錦輝渉卯馬き·キい日泥ッ色胸こ犬居士蘭錢哥合そのを月の龜のに家見にとて、の佛く羽家仙見の白つ影風を八程こはて胴いかつ日臺うそ前の吹野か花つれたち出て、中なは渡りにるっけ細はは燒ほとりの.野徑に遊ふ。りし鷺酎み人の.のをのい花よ顏ろき盛はてか呂敷つ日臺うそ前が鶴くに確けはつヘもらかのるのどくん後く門す物よはてもる下ナなつん.新はか月赤るひ通ど熱るな秋米夜兩友を得たり。夜まて語りて三吟滿て別る。赤るひど飯領にるら土朝鎗風のかに內て人す糞朗持よ食なニ二三五貫風十貫風十貫風文鬼虛同貫鬼盤十貫風貫水
湯今〓署家名內綿風鱸タ檜蚰片荷ず紙ささ勘か禪畠晴い待犬餞居ひ餞る當らてら人居ひ鳶く門士墳別つ黒延文氣のびののちのれ雛きしはなにおそるま湯菊くて上戶貌見たせれれで婆らはのるまてしやかはたてるせどま棺にも持た捨おくげいに雨島しは落るだちなきも鯛淀原隱すあ手も論法秋るとタのつ鰆羽島の花ぬかへさ味のろ紅かてら人入の端くる藏子の月皮艇ジ輪もと世たののしらのぬ事たらのにのくし異と氣か小判たきがぬ潮とねたき火ろな風りもくめる醒く、おふあるまさもさくめの岩をつふくぬんさはるあ釣く神影嫁のゐすの木しや兩も.をきる大師食隣な春長すの日舟出芭横下-との伊駒どれ閑花のる蕉切まし異と氣か判たがぬな風りもく也に上衣妻す噌月ヘ葉のす帶て髪山もやさ盛數海ばてひ二三五十貫風十貫風十貫風十貫風十貫風十貫風十貫風十貫風十
Loけど、らに馴て、すはず心すみで、なほ過るに、はれなるべし。ほのくらきころ、廿日の夕暮大坂に出て、我願もたり不孝にもあらずとおもひ立ぬ。居なから再廻のまなこをおよぼし、夜は牧方、葉葉の里にふくれと、ひ幽我大居士船ひく男らの岸つたひよ、や靈のむかしの秋をしたひ顏なるもまた哀れに覺ゆ。の〓〓と月は佐田の空にいてヽ、身江口の里はをた宵闇の覺束なく、出に難波の地をはなれて行、月所秋伏見への船かりて入る。はも風白あ寒かた〓〓は虫の音たえて、りしし川浪まくらの下をたゝきて、親にち〓〓心ばかりを脫けてゆかば、すや森のともしひ影うすく、ふ秋草葉の露は、のきた風原川風は今も旅人のまくり左右おなしくおいと神〓〓是も物のあ夢もむを遠く遊ふ事、しかく、心あらば、北窓の月は、私2旅紙が籠鬱寥たる秋の、言ふめてたき閑居なるめれど、のも功者な事を申しべしな雜禁足之旅記遠山の曉にそむき、傳暫老親のためにおもげれはより東はまして夢にも志らす伊勢まゐりの時開まてハ行ぬそれらろ見てとり是中〓〓あつまの方に旅したけれど、來てほしや不二の山に我や里南面の秋日い、軒をめくる事はやし。のらせいやしければたのしみのおもひみ秋よこしかた見つくしたる所々、の蕃ち椒風虛文由用なきに身風十平我私2旅紙が月も白や里しのらせや秋秋よのの蕃ち風椒風由虛文風十平
夜は湖水の月など、逢坂にいたる。里はなれて、案內する子をやとひて、別れて開の神明にまゐる。なと、と愛らしくて、琵し箔犬居琶は物かたりしけれは、の士の鯖な出家ひとりつれたつ。給ふをもならへず只釋迦のみたうとく見ねこの沙門日蓮宗なれとたゝの佛の數音といむかし行基の、はい釋舌さへまはらすいひしも、月迦つ三井寺より高觀音にのぼる。のに深かの法師行基に一問ありとて發句す。れ鼠の鯖つけたる馬にあひてよみたまひける歌か動しゆく〓〓法の事など殊勝に聞ねて、かぶくや紅秋りけ實別れはおとなしき物を葉のり鮒色所〓〓事念ごろは、廿一日、曙ちかきころ、牛それより深草に行く、伏り畠になりてさひし。霧すがたとは見ゆるほとなり。見の御人ふしみにつく。中草露道なうして風はむかしのにほ來すひもなく今は野人のくるまのみ往に淀のわたりをゆく。亭唐少何車將黍+ヒやら朝ほらけうちなかめ行に、屋かに敷ら見落をゆすたる水草はねけくるのゝ牛御元政車か舊庵に落らをむら霧川つらに立のほれと、すた草はねけのゝ露りま町は所〓〓家のとな水車の
松本を過て、また膳所を行はなれて、柿大津の子お月樣とは瀨我いかにね茸田しひ喰せや山もろこ川に至る。のら木義此所より道を右にのほりての兼長はしをわたりてもとりに芭蕉かいほりにたつねて秋椎か曾仲石塚平横の秋の田の面の物あはれなる中に、が塜塚類の渺〓〓とコ,木精人の家のうしろに柿の木ありて、寒も形進しあもいかかうしにてりや、かヽりは夏秋ぬ田み木のかか山立月ななは、行す止らずして、しかもその古きをのかるへしと、りて、て、廿二日、親後な四秋樂例の病ひおこらん、句のすかたはかはるやうなれと、犬居士ぶ仁架2く心新らしきはなし。の草津を出て、過とはしらて面目獨吟らと姥れくは野俳諧もなく、月る原か初伊丹風のおでやる夜さり、にて宿のわかれに發句す。屋を只俳諧をのり物にして、にて世の常の俗言を以て作らは、お根な伏ふやまひもなき大安樂界にいたらむ。びく我しはらく爰に遊ふ。るなやるみなおなじうつはものゝ中をめぐやミかか馬う今しけおもふに付所しな〓〓あり大つか年名る6た薬常をわたる人あらは、二四三此地にも安心せ全俳諧にして、瀨我いかにね田しひ山のかヽみか山な二四三
廿三日、近江の國をわかれて、す。なる。石邊みな口は、けふは霧ふかうてあやなし。つ聞ゆるはかりわひし。白川橋といふをわたりて、吹し大居士まそれかためにとて、ば朝日よりさきに出て、鬼貫の鈴鹿の山にきたれはやら白吹ぬこの獨吟にまきれて發句もなく、狂のけ噺歌石し櫛鈴鹿の峠につく、のをして爰にもとおもへと、をいさゝかの石塔あり。あ買はれたやにす常はこの所より湖水を見れと、く秋秋る趣向もなくて、のの霜ほとりの松風は、風けふはつち山にかり寐旅若に蟹か坂に大久ベ霜熊山いわ名傾彼金も胎水代の家ひか城もし〓岸に着事のちよにのるあ胃をのなれすかの木與し去地り月を見つくし花に飽ををカ年ら年ぐ石紙震綾羽まつりの花にして首たわごれ捨貫のれの、らににやすに坊は鳥ふとまむあお捨家居の癖主まふ澁ぐはすをにに先なりぬて死にたき數るはれ文あ柿う嗅起秋らけ寄なやののはども也らるけりて6り比月髭ん欲きてや常はこの所より湖水を見れと、秋の霜けふはつち山にかり寐旅6
匂傾泣ヱ木又$法あ山念秋あ大珍あ哀のほとりに遊ぶ。瓠界來り口。中の事は、道すから見るに、六汗かきて坂をくたる。とせ文雜それのみならすとおもひ〓〓て、かいさとて行。の月野の草の茫々として、野山の色は新玉の空よりうつりかはるならひ、霧にくもりて見えぬ湖〓1をまた田村堂にのほりて、もさも是も我も骸は津の國において、びらけすなりす田かれかゝりたる中をみれは、むら鈴鹿川を渡る。か瓦の奉加つく。川堂心は今關の宿實世の曾ひ城のほの和ら華ら伏のかたおは宿と里歌みにたのけし身はき石らく妻煩はそをは腹てうてベち月棒らとてちんばな るまもたにふさ立となくに夜賣米あ時にはさやりる榮るにかにふり行すのたなの里踊伽羅かれ米たなる-るきなしたをる田女休湯のお崩のぃる正珠くき燒つ郭植ゼの殿客れド敷居士さら星に歌見打仙きくてち月付居ただてきす沓けりされ作初る數て哉きれ公日も糞山宗連★嵐老頭界質界貫界貫界貫界同貫同界同鬼瓠貫界實世の
廿四日、燒せて心のひけり。たる所なり。國四日市といふ所にとまりて、弧身哀島家犬居士といふ書を出されけるほとに風三大居士の里のたれ原買桑名にいづ。富界間のも磯よりちいさき釣ふねの、やののもめに灸古花のど藥界に乞し鳥鱸す風はげしくて、は師は見の餘食を去の無羽た今日石藥師にていひたる句書つく。膾情年前世たのいさにめのの界戀は病せ船こはさに宿とる。すに行方覺東なく見やりて、綿のす塚江十文ひけ初ゑの戶かり穗いて宇春にて行三國五人座敷は海を請貫界貫界貫界貫蛤など確親〓た憂惡世お住と名父露すを鸞3松ち事女により母度のヾし蹈とをのはのふの貝外みやろなら遠里小野の背戶ヘ装義る萬にいがま5まふふ理喰歲婆質きつつゐし祖大りにも月らてとのにき師新の片つ春ははきませ松のねき將の音酒丸れて舞たまふやのと江n〓に置おをさ出は鮒きもヒ呑てを樣のらや鹽ぬくと月かけれしまたなさとららしこて立れそ顏ふれ花鱸の膾させにけり三國五人界貫界貫界貫界貫界貫同界貫11
午のさがりに、風なほりて船だす。うち晴てそこ〓〓おもしろかりし物を、甲のかしらより雨になりてうい目す。漸日のおはる比、熱田にあかりて今宵の宿かる。熱田にて鱸の膾吐にけ十五日、なるみの宿をすぎて、行さき尾張三河のさかひ橋あり。おはりのかた半は板をわたし、三河の地はつちはしなり。發句合尾張板かけてさらに見するや草の 露此繼橋おはりのかたよりも土をわたせはかくまてのながめあるまし飯よりつちに行うつりて草は橋にさへうらかれぬと秋のあはれをさおはり板かの 露らにも見せなん心尤深し三河板わたる人に見するや草の露此句三河の人は尾張のかたに板渡せるを見て橋を土になしたりといヘリ意味左右おなしきかされとも草は三河の地にうらかれてあはれはこの國の勝たるへし池鯉鮒をすきて、やはぎにつく。藪生たる所、かの長者の跡なといひて、田の中に見ゆ。やとひたる馬士の、是によそへてと望むほとた、耳ちかき世の一ふしをとりて、上瑠璃よかり田の番は夜計わか心の留守見まひすとて燈外見ゆ。幸にこの人とらへて、ゆく〓〓兩吟して赤坂に宿とる。亥のさかりまて語りて、また例のひとり寐す。大居士板わ露
番狐板つ時ぬ初錢花藥い稻栗大居士匠つたか鳥け春のの比のむつをの餅をのでいて和-銅常背かすけく鼻つ日節ついのだれ香はを香ふれを句味けくん雨さののをのえさ噌のに山伏の聞たか次しか屋童沖人も比丘覗ゆるますのわろき年たぬれるでのなさけみそく室傾う尼食しのす泣城ゑひらかる剝時な風る種の半のれにすけてにム呂舟そ床紙か蔀月たて高小鏡若まウ山か上月小-蓄岡燈夜更て身きは事公ま代のに悴世ガ麥崎はらひ.刈のに勝たるあ笑御て歌 はか籠くれに橋歌物黄〓おふら調仙な れなやもすきのとのさロかりの待長愛す融とらすま作、らけ田よ馬さん風るこむしり迯く堂立ちてのき汰山や雪壁やけひし中物のけ家の秋盜の吹の音にのの間水穴り人松にりて顏霜もす長時な風る種のす二五三同外同貧同外同貫同外同貫同外同貫同外同貫同外同鬼燈貫外
廿七日、ゑら須賀を越て、船より前坂にあかりて、我ふた川を過行、火うち坂といふ所に休て、よし田の町にて鶉聞て霧旅のあこう大居士雨のと裾つ天流を渡る。に日は月しはら屋根爰にも三河遠江の境に川橋あり。やに三鳴また夜の心になりて荒井につく、どこらにむて河吉御上洛の御時は、より濱田今宵は濱松に明す。かのし名露通お濱名の橋の跡なつかしくて、濱のとれろす茶のやある橋名のましりけは二階からはこの川舟橋になりぬと、秋橋の月幾秋木の空をりそれを渡りて、哉二五五えつゝき、廿六日、蛙花音品蒟醉こおど湯シ片目をも損しれほとなくてごゆの宿ノにかゝる。かひ氣す萌こ梢ひとつになりて、ま見はひ見舟なる亀のひのまに佗つて春百立よも行に津な月てたタして守夜にはも日く歸るもののれふる昆陽の池つ目天る日の影さへもらぬほとなり。い顏夜すお里かに窓はま着棚ご神しそ戾のおき市猶行道の左右に、にのぬ樂り經ほの、ラ枝泪年明、てのけ青めのさたによ笛り薬笠坊よ大きなる松は執同貫同外同貫同外同貫筆通れやあるは二階から秋橋の月の空船頭の
句に、廿八日、袋井を出て行道の田のほとりに賜おとす人あり。物かたりす。この與に掛川をこして、秋かくあはれ見ゆるよと、池田の宿ノにゆやが石塔あり。我田の中に雪隱一つ立たるは箕を伏たるか鹽がまか田の中に棒の一本立たるは〓をおとすか千の字かの祖夢師その類まあつまる實宗符か事を閉傳へて、かくおかしき事をおもひ出て我も老佐母夜舟世を觀して、けふのとまりはにつ坂に定ぬ。中も橋山老母のはかなくやならんとしたひし女も、ゆおやかもなつかしくなりたり。我も秋まのされは伊丹の馬櫻か狂た水け大居士ふともてしんうみありてあつまへ下られけるに長期か書たる事などおもひ出て我も家のためにやけてかの言の葉も殘らぬとれはあはれにてその家をたつぬるに火家の障子よかゝれたりけると聞おきたの西の岸に宿して命をうしなふとある流を汲で齢ひをのふ今は東海道の菊川此宿にとまりけるか音は南陽縣の菊下承久三年の秋中御門中納言家行と聞えちからなくさし入て發心ほそし松杉のすけなう立たる中に朝日影菊れ川秋三日あり佐夜○のn山夜○のn山
富霞緒後ツ吝生き殘る親舌の根小床果脳身ひとつのは犬居士突めじ短朝のむ坊のやにめをい曲り猿死そ雲にか行おのか世の雪轡るの顏び當'1ヘに事のはたへをあらに心は灰見はすとすぐに外か見に海おをタみつはてすとも石ノ貰士のてなすのたか埒析欲め獸の花やひた雨や酒の笑な玄ぬ明れさきけく空はの月のはみうて念り濱繩や香也んて天なまた素龍にとはれて、綿素蘿痩本露のほそりをち入龍楓半脂ネ來のあ天歌のの障子に兩遠く水なうして越るにやすし羽仙に我は元錄三年の秋其亡魂を吊ふ家行は承久三年の秋述懷を書く織ひ窓大障な井漸子まりこのやどの初夜までに、おたて河かけ寒はりしとふとや長り、し燒られ秋月宇津大秋じの井は風のの本來のみけりしとふとや長り、れ月宇津か埒析めら秋のは風のやに大山河風二五九同龍同貫同龍同貫同龍同貫同龍同鬼素貫龍
貫正月なれはよらぬ勝尾寺貫廿九日、阿邊川を行時、東路の夜露こふたる紙子哉道〓〓わか心ふたつにわかれて、半心は此句冬也。惣して露月なとのたくひ、季のかきりある物にむすひては、いつれもその季にひかさるゝならひ、然れは夜露こふ紙子、全秋ならすといふ。また半心の曰く、かなしい哉、汝色を見ていまたそのいろに奪はるゝ事、尤物につれては四季の間をわたる、露月なれは句體うち聞にたる所秋なし。され共一とせの長月は、はやけふ明日のかきりしられて、この宿を過るに、吾妻の秋の形見は、夜露しみたる紙子に乙そ殘れりと、深くも秋をしたひてなり。また此露冬にして聞所、いさゝがの意味なし。句は是心より作れるすかた、爰において汝心をとるや、すかたをとるやといへは、實至極の秋なりし物をと、心またびとつになりて、符中にかゝる。爰は竹にて物作るよらぬ勝尾寺家あまたなり虫籠を買イヒ裾野に 向ひけり江尻をすきて〓見寺に登る。庭上秋深うして佛格靜に高し海原見やる所に望めは心のひまた心よはくなれり秋の日や浪に浮たる三穂の邊奧津の浦の海士の蚫とるなと、都にはなきをと見る。猶あら波の磯つたひに、道直ならて、實所の名もとおもふに、また古〓なつかしくて、雜ふる里や猶心はそ親しらす由井かん原をこして、富士川につく。色さへ餘所の水にかはりて、船のさる事甚はやし。大居士野に 向ひけり猶心はそ富士川につく。親しらす色さへ餘所の水にかはりて、船の
なり。磯はたにさいの川原あり。に鈴鹿の坂は、權現にまゐりて、の小石あまた積かさねたるを見るにも、かしの木は、人人ににものらす、水神の留守るすとおもお地海藏のもやこの汗にも似す。我か雜すそ影念佛する法師の家、にに漸小田原にくたるその外岩根道いく曲にもまかりて、へは神の鳴あくふ子をしたふ數しられて物あはれ箱や留磯千鳥所〓〓に聞え、根守山中〓〓往來の人ならはすほとに。ひ、もりて、三島の社を拜み奉るに、うき島か原を久しく通りて、よし原に臥て晦日の朝、十月朔日、はるかなれと、のほり〓〓て、千秋不二川や目くるほしさに秋浮し御池は水の面靑み立て、草のさひ渡る神風に梢の雫おつるも遠し。ま宿を出て行。振日や今宵いまたそのうへに枕す。箱根の峠にいたる。や苔雜露の富に俗にこの山にて、みな幾抱あらんとおもふ斗の松杉、士香は·え底覺束なくすごし。のら手つけふ三しまの空にいたゝきたる雪は、たす變るの死人に逢たる例おほしといひ馬神眞砂はその白玉にうるほ朝のの〓腹朗空間なく立こ氣大居辛勞士や馬にすそののろに鳴手物小く變田のや原朝磯千鳥の朗空中〓〓
無念の念佛す。藤澤にとまりて、之道けふは隙にして來りぬといひけるを、それより大磯にこえて、とへは、實心はかり行道なれは、落る事もなきまと、+さむ月の夜や虎とつ月の二日御海道より十町はかり地の山陰なりといふ。かよりほどかやへ二里時雨けりき空に前は餅歌仙今は二日遊行の御堂にまゐる。い燈坂もとゝおもか我つめたし石もによもふなふや貧我の里ふ家くかまたとらへて、り田後梅して過く。くやけ朝勤の御法たうとく、のに凩り〓同鬼之會我の里を貫遺我もウ神脇早中遠伊酒日花百長侍畠大居士當ち稲勢のかた六日、〓〓さ汲い樽開のせ鳴もかb緣な雉のしに 醉わら打拾き親にそひぬになく者噂る子寄ふは居日迯りるヽれ浪に虫にし人つし時他人なりのる這すの殘食た坊斗駕ほ草〓履大作のに拜みし5のる主經籠るる磯あそひる道ね弱味春隙よのは生天けくにさのなみ天て漁りかり草てよ空して井すかかまたとらへて、りけり二六五道同貫同道同貫同道同貫同道同鬼之貫遺我も
しな川より、深さ聞くて見ねす。かな川を過て、江戶に入て日本橋を渡る。密ッひや門殿蝸あたまから鮒の燒むA二大居士さしあ入談日に徒ヽなれとか野鐵砲洲の御堂を見やりて。よか爰にも富士の人穴といふあなあり。寺はにか人にしヽるに堂折ゆり繙よ六てふしる子より出るり千ら將十の寒れ茶物の枕女代しのなさめて賀の房冬の風菊花のし2たの泪づ呼月音の苗奧けさよ歌き月口廣くあいて、同貫道貫同道貫沙瓢腹糞盜家幸名路ふる心ひく無汰のある庄屋の兄の大知惠主若算の灰手らおのわ口にて馬まのかの病にし世ひ紙面おかし日根やわれ處なしのに付みかぬのれお-へ士はる紫の前はを蕗切れしな袋勝貰うはの蒔まの噺手つそし繪勘T秋ヽさずふしと風けたうを追か師の當は風りも.のたてらどの舞拍の棚戶ぞ夜月るけてにち昔空れめ顏子內之吹影冬の風月音の同道同貫同道局貫同道同貫同奧の
我事いふに短く、嵐雪に行て宿す。サ句はその袋にむかふ。去年の秋は、弧界この庵に來て夜長く、ことしの春は伴自か日永うして、福鶴年叡テ〓さお君見いつもなから雪は降りけり不二の山か引國の貫覽ラによやふの聲はの月のあ·まよ隱また歸りていふに長し。すからら我る菊は る藤分そ居七ぬ手いののけ尺をり上る貰道門のののかヽふ廣影ぞの詠かた樂に笑つて夜もすから兩吟す。京に莖客きあ除のののる人姉山り地て腹桶雪同貫同雪同鬼嵐貫雪上名海鼠喰や膳年拭瀨狐玉人船山さ日大居士のたつぞヽ鉾り面ひ毎ふの垢よかひらの水にかのう歌いき地れ淺ヘ能へ夜のへに猫く待なた畫の高き男s藏ま蓼くのてゐいにへさ耻夜藤分七ぬいののけ尺をり上るかつい寐所つつ紫蚤老さ猶かは鞆+e物しはる貰道門のののかヽり の蘇とをめのくかのに化孕のる.嚙るご花一販おふ廣影ぞの詠かた京に莖客きあ除のののる夜糸僧く粧心うと朝か神ひのひ妻ロ連る田たてう朗な心板時人姉山り地て腹桶二六九雪貫同雪貫雪貫雪貫雪貫雪貫雪同貫同雪同鬼嵐貫雪上
犬つから也.十三日の杖、盧生か榮花は、歌蠅仙はしぢき行も鬼貫歸も居士、か一-五五十年の夢、けいてか辛るき心目は手を止まるもまた、囉々哩か觀樂は、し東た弓貫同跋もみ旅-心荒伯西新所I,あ白近釣月〓二た千束な火を母風振の瓜ぶ川年瓶ものかし節.呂を入りの江井まかか喰ク,らるき立鼠湯その住桶て戶くけ吉切とやこに野持くれかるで精らるりねののるはは地みゆにまらしど震ど山の木伯紙び初くでけ雨もす海父もも和〓千代をなとら買よつなのく魚の花秋しき實ぎさメへのの着住なのの見き侘け大居士居士元錄三庚午十月日終で精京寺町二條上ル町井筒屋庄兵衛板へンて醉ン肌物所し水味よ顏ぬか二七、雪同貫雪貫雪貫雪貫雪貫雪貫
이 때 마事務
ヲ刈な露惜ち卯俳諧聯句百韵俳諧聯句百韵露むからそこら淋しく稻ほしての種さか島りには消拾るは月れぬの玉色ほこりするあす曙つりての釣瓶初ぬるの花なにかに物にうれしつくからにまむ數種奇や島にと人稀に消にのてこる菅延す笠は垣月井かの花むのさ奇や島りにと人消にてこるすは垣月は戶り紐.竹幾のれ付の音の白槿んて子髪花鬼翁二七三貫
一部分黃に紅軒書ほく〓〓晴て行之はつい尺をもすそ踏むまで老よせて俳諧聯句百韵よ食にgの夢足逢も野せにむ荷に見らうてぬ霜ととものせぬむかしは誰かたりて初二はなて夜鶉水にう貝に味噌をすらおらく川のロ知らかのき脊〓まら中ぬらか、朔せてに月つまし日かて雁鳥にるくく音菊の羽味山ゐさりらは合ものの數繩つか出朝さたは片露行手くけ松頭雀んえや屁軒書初.釜折富士に來て行ノ雲花竹窓く打くたけても浪鏡あくれなすぐには〓ら·を履をを筋ののに夢やか波瘦心鹿くこは只遠追にむ空に嗅雪にのうて寺見しふなみの心に「はに我文春るの冬るけさのぬ花雨車をヽ槌の丸きう道ヘ屆あ夢にま身ののとをか玄のたの月あきもくとつは松炭5安秋のら夏飽やふ初.釜折せぬか玄きし風車よさ風影磯衣くら也二五五
リ山を卷く雲さへ風になぶられてわ明水隨渺佛く緣々影夢我ものならぬ足埋法礫すのはしたはせれな氣の屆ととらむかをきつ月昏ふれ秋かむ蝸煤くしぬもたりは牛ののやぬこ顏曇後に自筧ら虛くか8幾秋をおしらの隣在は山空〓く夜世すろるるかさ何八よいくらたの片へ1は折道をものりヘ迄旅ょむな戶ふ吹瘦谷糞に行袋さかニ宵ささ秋と冬と中竹陣い摺併諧聯句百韵樓蚊は妻め座あ立乳はれ汗墨帳の雨おもしろく更ふくれは乞て敷さのにめのぬも逢ふうれしさの包からの草かのな留さつ雲まされて名ら鞠ら主をにののく殘故のし筆河內誰に郷しにたくや明てけふののに破と遠め宮は夢春るれきてのね送山獨りねん降探ヽ聞砂綴くる馬なしさする·らやのゆしふ亂なく月ら上るてむ髪りん·らわ竹陣い摺明水隨渺の隣在は山空〓く世すろるるかさ何八よらたの片へ1ろるさ八よたへ1二七七
烟僧土花番吹ウ春雲いつ沈んて名月もはやむかしめい俳諧聯句百韵底か風問鐘は二ほたれらまくらをなふる朝たよりはあいそ盡きて、の後心ににはは番にそれぬは心ももたぬ筏心か合羽の案山子とはなる羽何水るは〓〓動ひ吐にのせ雲跡はのく橋腹をた梅行ペし埋む下軒柱の春はのあくさし秋きくこてら朝そそ凍やしくの風こかはし志めこ蝶待守山る空にれれ春な鮎に都猿五お織近關さ飯取てもとつた歌3ヘかのひの來の月るぬき所も粒ら日は短しとさしのそきて聲の柴錦薺のう古との瀨芳のり秋をにカ鎻たけ野の月笠袖おろ駕池をての忘な此て鴦のに請れきをして瀧ま頃國はや若くしはこ雲さ何は水カ合て空使る花をが見水世る着さく待昇せまなり行界てんらつみくぬつい昇せまてんらつみくぬつ二七九
獨吟百韵終俳諧聯句百韵熱リ夏草花と乞食川に出て野に出て麵行人にまねき三說顏其袂うちつゝきたる日すつる身のほとのにのいはゝ法に夜に浮あな鈴過世朝く置百かねはこそむすぼふれわ日とかくふてをのらら負の峠すはる行さおたる花すゝるれは大神もくヽすた髯秋を山しが一和なりけり思まるさの道くたまたひて窓ヘに春も出はの入のも出て風け道に宵內慶月き露享保十五年庚戌四月二八
伊丹生俳优
吟五年風願智惠のによつと出てちやつと引で片つぶさず隅ヘ情た。にははあるおら金六ら福によう搥と十を持ヽやてゑカ今持いひご何にしすく鶯予伊丹生俳諧伊丹生俳諧か隅ヘ情た。あには聲は獨はあるおら金らに吟福搥にようらと皆·つ十をす持ヽやてゑカカ今持い罪や深なした鼻ごにく久からんの壁む朧月助穴代いつかひごぽしま何しすくんせや大からんのが蛙る黒賢達靑人二八三
今伊鬼げぬ朝然綱百扨あ通目伊丹、生俳諧霧れ敷けの一丹貫つに金も夜や字かぼのもとも月鴉光の時古命すルはの.6晴さ情尾前水ぼと間うは歌きはするののにはりしおよがにく女長光り有樂物下たかのむは鬼もぐな忙ひしに富し志はもきりし然わろむ染の士き賀握やの戀花見一寺らのと鼠右味蛤春猫 と酒ず町足のぞくとは知らで姿の花もなや島伽羅切をおの手を扇にのせし昔物がをを二にの茸原レきてと鷺とののと宿ほえぬ實盛にてや有らん木るつと秋虛く孫にには老瓢に禿は左の夜なれと明に不じれねしに椽はれ思てと先まのぼる爪あロでは話儀松なたヘす首原げ柿下はけとらしにるつのらのりたりけりからは也た市れ葉月くけ花見一寺らのと飛に鳥ら旅西れ者家戶さ付つのや:風ず衣行松露す也り隆にめて二八五
は風文律名名月谷八二非邪羅あふのけに蹴倒してみんつゝはりをシウの伊丹生佛諧や人め陰ぞの覺儀制をの曲そモシヤく補ホを多鈴2.世繪に薄伽邪羅登理保度々かやや甘てに仙界.づさ恠줄5よ茶奇三シヤれは瑞のにきにや女な狐念ある尻てクシヤホる佛天土Fびかあ房霧と意たかは牛らの々に月の闇らめづく宿マの唱大大ら借ウ花中めヘきしの動不らんのにカ瀧絕空き行なて聲也古醬荻露.味靑次俳三ヘ第油のとヘ老諧シの五聲ははをに人十獨六器榮誰月法テ醉と樂のか吟三の仁か體し女た語右風つ丸句是鐘術顏にけさるけはか入門の音しのみりさがの赤信露貴し蠅習夢のさるのくか頭のひ舞よ名て夜巾百春丸三六七
煮在仄テひ燕夏上伊丹生併證畫の所くなか門がの武やのと夜智內套い近の短惠や目びの床はげもら氣ちさ田增淋古兵幸山はら金今紙極芋獨ぞ會補のさし寺法若里めくれか槌さら付樂はのに所流のにた何匂仕猿現皷の翁じこし五箱か國ひや猴狸や旅利のつの文にな年のるに釋を木秋た閉傳は問い宿伊と通書大授辻に三くる5んがはうれ丹おを重つ草胡'つ色善一に佛六も失韻て木界ひ夜のたくてにみの非くの成寐かしなもる戶醬し歌君ん比門にふや者 都吟世の間花し照り日ぶわ立きしには置の照り日わでにた書きしには置と赤き行こ巢長ム犬明そをかのそしぼコ韻ての秋のす掛者みるるにみの非くの成寐露風月れて殿草峨煮ヽ道二八え
しつ難村誰寐鳴付百草痛枯ひ傾花順田脇間お伊勢まゐりありがたけれはなりけりや大春何悪地嶽悲城宵のやひのに舍指の手なの枝のこのら、のら程秋て鬼にとはれなげんこ取り擁を護身にもはぶあさ取は色のしたや匂の定割のやもはひりまはつ有戀め價靑希は古し來繪のなきなグきけしきふ鳥遠れ封りむ尻うん囀露房ぬを世踵かつすりけ醫が付のにしき露德てき者月行中てを伊丹生俳諧波薄3て呼石姓め紙けたつく富起いかと思木れくいに渡てらにるとり松や喰V2.付す遺と針ゆりと釣細がも此へは又黃成直る瓶の糸るふて句爰ふもゑ清の折〓〓水きばつはに津ておむつを腹に寺との身れ名山そヘ堅をまがらかしのの崎垂を著たりつふしる國はも其てら胡淋らき席のその後せ麻しひ宿拜鴉秋る月は世やh所きて老み護はのな二九一
ひ柳花猿う二葬我商大旦那亥の子伊丹生俳諧や汁よ風禮なりふり樽た階がを津りもかにはのゑほよ拜て樣口す寐に乳屋やらしかみ買もらひにかのば口まほこ一枚せしめたいかにれ倒たふ野菊しもらねてとしお胸は。ははのが首を血に裏ついて 男まかなちあヘみたむせし市んとあらひめうがだけてどひ?ふきぬさわすれ艸似る喧くさのが家きの合の嘩られ彌口な丙魚ぬ月第ふて陀鼻み午伊剃は孫蚊脈正花何丹こや酌屋のぼは麥子釣う能〓つつ大蒔形艸螢味の香を新はを皆笑ふともかとりものし春ほれ獨吟まで工ののがもか初ヒい村尾な月尻のりのまふの雜あ光年太りのむぬ喉たる風と廳をまらく郞か呼ヲ達すに星な鷺俗もけ助二六五
螢水螢水相是渡茶粟ちす乞ニ〓うらみいへばついこそぐりてまぎらかす麁島器には邊のよと多ツヽかの置井ものあわのにこたりンツき神ろら母へてら火吉筒ぬ頃テツ桶はかばの躍りやこ野ゐ屋ヽかは踏持なくる火ンがかを堤ドわりや機たをゑ言門春はのロのる嗅たるれ葉ののテンにた日は能用け5質井戶ツンどおらよとらあけ心すものるさのとのたトせにンるり貝秋よ月る上り〓鼻伊丹生佛諸ム筋やはつに俳言をうははれ旬體よは〓〓とけるを思ひ朝夕の南無あみたふつ年つもつて六十七議末の世の近つヽりゆくこそおなこなれら横にヘもさし通ふくなくやうと霞鴉初魂場花もを獨春もぬくる分のヒて夜も程の明うなあき吟は火のかるぼ名れた出る殘はがこ京おらすなか冬な三衆ししき、紀二九五古人柿保玖重西顯也賴翁成友是
法土明木案すそ畫寢目ひく體方訥ら山子のなりはかエつなのと理すぼや爺がはたくたつる〓此句を當流の上手の直されしはんいどうの聾なれゑむかさけぶかこがらしの聲屋の夢路はゆるぶは鐘のかををふうと飛根歌に見や雨のは5てらの草とも代聲すさまじくしてわ尻おえ月のヾしらしい髭せ木曾そこ行ぞ殘さゆるおは代秋たしむか戀聲ごのむしけしし無かなふえのいろき常なりぞく違ぬつへふんとやつ所俄な脚足いらふこたつのうちや丸からんロ月や大音も伊丹生併論は、布將お作,にはまか62なあまごにくか坊人形はちりとあたまはかりがこけ出るわいなきさまの夢もわが夢もく香もなく雪は消にけれしや主何めだすれはこいきみ にてて此村てに こはたそよづとづヽ裾虎くのか脛れ過よあだあくどふせおふるひけりはむ傾をとかひる城と花くい野たとりのるごらし邊ら庵り行陰く三六六
天下此私奈口鼻か名をちまと伊丹生俳諧太夫さまは半分こしめせ草のあも神花良づけに拙は衆が儀太夫にはえいはす上聾粁にわせうらにも發旬望みやつた此春織士坊五幾内佛順遭とて也爲自慢でおりやろなあさならぬ-桃はかいでした巳につに耳女子さなこなかふものしる醉けりひしの餅いはせけり雛の酒聞りめゆかやぬせる一切衆生誰も心は呼蓬花老あのの子も桃鶯鳥下暮美腰色花月の桂두隙醫者のうどん豆腐のたのしみなげぶしよりもわが事の秋をかなしむよろづの祖母そちがに誹の枝にひきしもその露がか一刀根付も顏のよなもてふさ三シ笑くあら四いやほい〓〓て五百糸ちすの當よしやらははすきやはむくnせうき何く佛うのとのすらさりか春啼風霞んまんいに私拙は發旬ゆぬる一切衆生誰も心は呼老の子鶯鳥三元九三百青鷺蟻靑百紀九人助道人九
タ大空〓蚊屋の中て五段を舞麥公島原で裸になつた報いじや反古蚊 屋鼻こちらむいてあつちあ伊丹生佛諸り秋立家佛腹てほんづ衆がやにはるやた夏明遊人た其頃の羅漢はもや高見裸花夏野しにのにれはやひな似見ほにへあゆむ田うゑ哉蚊ヒニる合せ屋あり王ヘかぬたま國るに臍のは明にけり蚊星所花やさきの瀑さののか見花思買穴中な衆盛大空〓鼻す古お天十公鼻だだゑて置くもひぞ出る花に蚊やつる我むかし平へ地二もならはの式牛若丸天狗丈ヘ題文を認まれた花功者なる人類文を認まれけれは氣界四吟を望みのよし御申被成候朧るを聞てヘ共え致し不申候故其代に日がせ鼻藥月か花鮪りやにの蹴師合つまじ下こにま參にぽ·けりりるて鼻花すりしや雛や毛見花臘朧の·哉月月平づ地二鼻藥月かやにのに似見れ師つまじほに合せま參ぬた所花やまりりるさきしや雛やか見花毛見花臘朧のな衆盛拔·哉所月月殿三〇一青鷺三蟻百百靑鷺蟻百青鷺百三蟻鷺鶏人助紀道九九人助道九人助丸紀道助助
傾子曲味噌味噌尾の砧御所柿をこねり〓〓是ひ鴉ほはま等5め城の付て方を弟て諸いにられのに惡名よぶやたくら柿引秋松菜國一よち風づ子一つて而明てり見に日皆になしけりりげのくす叡はたらぬう江船かなゑ山見しぶ柿と付るる江へゆて御便しに所鮒り暑てくれなのか有作かu柿なりりな是色鹽尾の砧ほ5め曲色落したか釣瓶はあれとも西瓜はなし眠藏に入よと見しがあまぼし下された誰伊丹生佛諧亂拍子皮をふみやつてすべりやるなおろしの塚に生けり祖母なめし靈がは靑衣や源左み有しぞく兄檜女郞花熊福枕物狂ひも啼第垣た坂5れ柿殿畠聲ウて大去將のやふぶ中の案山にうときはきら女藪目も郞太子白か花郞哉或ひ是は衣諸ち5り殿畠聲去のぶ中の案山き目子白見に日皆になしけりりす叡ゑ山る江へ便鮒りウげのやたらぬう江船かな見しぶ柿う付らしもに暑かてか有作か哉或ひuなりりな三〇三蟻靑三同百靑百三強三百三靑瀨鷺春人鷺道入紀九人九紀動紀九紀人兵助堂角助
腰あたご火や江戶鬼灯めせところてんものまゐれ伊丹生俳諧せんじ物姥姥鳶大西瓜かたぎの杖にすかりて玄は〓〓と大西瓜其直段わづかに八分百よりはやすし本や目でつならば身ふるひや關た此句四ツ〓ずる事をじらぬ人は石國今まゐり柿山伏寺橘ま栖かふて見う後の出洗澤せう衣が秋鳥時おどし替雨鳶舟飛躍御あ乙i松茸おとるへて靑べつかいを住家〓子か剛か御位や等りて月見にゆ前らv志か花三人みぼし茸釣白に今舟辨度がグ是界戾子左し帶の仕ぶりよ鳥おど小狐か柄"つ樣がた見せけりこなのつりぞ朝かけ太郞顏んやてりはくuh露植寸比丘尼かめ時ぬ菊ね菊し兩や物畠し子か剛やか御や位前v柄"つ樣がかた見せけりこなふて見う後の出洗のつ澤せりぞ朝かうけ太郞顏てんや衣がりはuh植秋鳥く露寸比丘尼かめ時おどし時ぬ菊ね菊し替雨兩や物畠し三〇五靑鷺同百青百蟻三青百〓百蟻百人九人丸道紀人九人九道丸助
伊丹生俳諧、終伊丹生俳諧枯餅水氷黛內ぬあそひすき何シにも時我寒作く親蘆つ鳥消の.にれやりつきせ居て旅の人見て行坊主ころしや夕にはのきてあと石山まゐり石に腰かけて孝猩畠あかあ笛や々にらみもをはる千おりて冷ぬ宿こそめでたけれひゆ歲穴いへゑし猩としややぐこそや玄らる々れこやろ成神ぬ時萬冬ゞ風ぶに時雨猩りの猩らけ樂雨カ時々鮒普々hる堂.哉な雨元祿五壬申中夏日寺町通二條上ル町井筒屋庄兵衛梓行ぶにhる堂.哉な雨三〇七百三蟻鷺靑鷺三蟻百靑鷺丸紀道助人助紀道九人助
伊丹菅丁合
伊丹發句合序我師貞悟かいへる、此道は賢愚同笑あり。しかはあれと、玉樹兼葭の境なきにしもあらす。されは尋か俳諧をみるに、情を一句に添へて、詞をあたらしく粧り、己よりおろがなるを惑すとも覺えす。かくいへはよきに似たれと、何とて人の宥すへきにはあらし。自然に師弟の愛におほれて、其先をしらす。あはれ世の人に、我か思ふ萬か一つも、よしと沙汰せられなは、老の悅ひなるへし、扨も他人の見聞、處こそ耻しけれ、廣く學ひ、深く愼み、おのれを高ふる事な伊丹發句合sock
かれ。己こそと思ふは、ひとの能事の見えぬ故なりとしめされける。されと恣なるは我意なり、守りのよわきは常なり、鬼貫百丸の兩翁、予か句の瑾を外につくろひ、うちにたま〓〓難せらるゝをも、陳して非を理にいひ、曲先達をかすむるの罪、覺えても幾そ度そや。是は年來のちなみに讓り、みちの外に寄せありて見ゆる、さるを却て、師か恨にやあらん。爰に椎本の翁は、師が舊き芳契にして、風采昔にあり、其名今に曇らす。是そより向ふ鏡なるはど、既に有岡に移つて、同心座神かいつくしみふかく、窓にいるさの影、松に障らす、竹に嵐の足る事をわきまへ、けにや師か言葉のはし〓〓を思ふに、翌を待に久しく、頓に人々に四季の句を進め、左に備へ右に我句をならへ、二十八番强て判を乞ふ。それか中にいとはるゝ句は、かさねてを改め、二たひ拙きによるまし。若よしと沙汰あるは、老師か心をなくさめんものなり。かの貞享の頃、不トか編る續ケ原のつゝきにはあらて、西行上人みつからの歌を番はして、俊成卿に判を乞はれし、たくひによるそかし。我なかく俳諧に驕るましきために、得者の句をともに爰に顯し侍る。霄雨軒伊丹發句合
う二十八番四季句合つむ物語には、まれたれ共、おほろけにおもふなと、ひける御歌にも、ことはりをいへる成へし。朝またき松茸ざふ髭のない蛤うり、れ袖も老はとて買は右左良峯の宗貞にある女の母の讀て出せる、持若菜は手つからつみ、の我衣手に雪はふりつゝと、腰無下か人をめくませ給ふいとたうとし。古今集に時康のみこの、るな若るもてはやすをことふきとする是らの類ひも和歌の品にはよ菜若か菜な哉いともかしこき聖詠春のヽに衣の人に若菜を給月蘭尋舟又大和き餅をうるうれはとて、すそをぬらしてつめる若菜とも聞え侍る。定め侍る。伊丹發句合のこされし橋の柳は、左東坡か詩に、つへたるは、から若やかなる風情をあらはして、ためしを心あまりて聞ゆ。二番かさ右左八十の翁なほ强健といはんがごとし。よ舟勝買は無下にいやしきわざなりと、猶有小舟來賣餅といふ句を得て、麥ににわ柳出舟のあとにひとりたてりて、柳かのる右つむ袖もといへる五もしに、むヽ老のこしかるとことぶきをそす柳ふか程な農業のたすけにつみて三一三旅人のために折左右難なく持に古き代のめてたき後離人と共に月尋村おのつれ番にわ柳若無下菜かるなヽる柳若か菜な哉後蘭舟村
簾にちりて、芹川の春や昔芹の香かうはしく、柳をわたり花をうかちて、室、伊丹發句合中幸といふにひとし。にの雨右道左道せばからぬ御車のさきを遮る、勝をはこヽ右簾中の雨は、はか飛去り飛きたりて、すらるぬなみのみとりもはるゝ時を得て、乙燕おのが翅にふるひ殘す花の島か哉な向人全不畏切莫入吳三一五おのが自由を四方月金尋風ル〓行冷蜘したの日糸につらぬいて、左軒端の蜘網をむすんて、て、かの宋季任が晩春の詩に、に巢〓に塵右左勝梅な一き片梅の·ひ夜るの露おもく、蛛絲似惜春深去網住桃花不許飛五色に明らかなり。のかニ面りカかなな珠萬顆をなすに、落梅一片かろく亂月花フ尋天と詠あ、蜘方難なくよろし。して、右柳は黃に糸をたれ、寂寥をおくるとの詞を殘して、とも柳の題に切ならすや。三番一段の春の光り同し心にむすひよせぬると聞え侍る。梅麥はみどりに莖をのへて、村興なといふ題に叶ふへきか。心をあましたる姿はなはだよろし。烟により雨に和仍左のされ無傾城之笑耳、にあらそはぬ粧ひ、の字を五もしにまうけて作り得られたり。したる心にもかよひてなつかし。四番この一種左りにすくれて〓し。燕すへて一點の塵なし。右梅の潔白をいひたてゝ、氷姿玉骨世外佳人但恨誠に此花ひとり、タヽムラクハ自春冷艷幸のの一ヽ片梅かの·ひらぬか燕りかかなな金花風天
露ならん、一毛はちまたの埃に染らす、風の簾に影をならへ、巢いまたかはかねは、雛いまだならすと、餘情右にあり。五番櫻新左億廣事紙に蜂追ふ空や初さくら長父右證市しらぬひとりに咲や山さくら月尋初櫻ほころひて、たま〓〓春の遊ひを催す時、空あたゝかにして、人間の倉をはまぬ蜂露を酒とし、花を糧として蜜を釀せんと、飛花を追うていそかし。毒尾をおそれて、人また蜂に忙かし。一日の風光かぎりありて、かれも去り是も去る。はな紙にといへる五文字に、女のつよからぬ心をよせて、小町がうたの我身よにふるキツ〓キといへる情を、費したるにもあらんか。右ひそかに啄木の身をか億廣事長鼻紙にふ空や初さくら父くす所を尋ねて、靜にいとゆふの地にいたる時を見るに、うつさぬさくらおのつからさきて、我身ひとつの春にあふ心ちこそすれと儒生商買の二ツの一塲を出て、茶を煑て詩を賦し、食を分ちて鳥にあたふの心、五文字に盡し得られたり。綺席の初櫻も、さしおきがたく覺ゆれとも、間適の山さくらに心とヾ、まり侍る。六番菜花左菜の花のすたれに登る朝日哉麥秀右勝菜の花の世界に足ルや虻の醉月尋萬葉に、かみつけのさのゝくゝたちとよめる、拾遺集物の名をよめるに、にくゝたちぬるはる霞かなと聞えしが、畦をつらねて花になり、露もうこんをしたむに似て、朝日に映し、草色入簾とい伊丹發句合三一七たれに登る朝日哉麥秀
ある杖、左陳簡、齋が時に、伊丹發句合をとふては窓をたゝき、この心を得られたるなるべし。たの香なかく影身に添て、し右の左杖を勝き荒増相伴只〓枝從令老子都無事落蓮。其共不願詩空なやて醉を盡して瓢を携へ、老と相ともなひ、馬上ヽきのふはしら雲の山わけ暮し、やの衣衣か更ヘ漸く春をゝさめて、百錢をかけて疲た億麿事月長尋父隱花朝二醉て、黃世界といふ句より出て、左淀川のはや瀨、かしく、にのそみて魚をうらやみ、鮎によせて句とはなりぬ。花は蜂の酒といふ詞にもかよひて、ひし詠めもうつり、日儲ケ影七番のよしこれ眠りて、手ごろの礫を飛したるは、水右小左勝に鮎落まふれう舟のと讀しより、矢花影欄干の光りも思ひよせておかし。に小を放鮎春の富貴をおほゆるおのか世界、しりぞいて網をむすばんも、衆魚則成隊順行すといふに似たり。菜の花に足る虻の、胡蝶と共に花の衢に射つる礫惠子もなんぞ此句の作者なら左よりはよろしとやいはむ。小か鮎哉なむらまけの詞を小月德-いともと七尋蕎麥の右蕪菁淵群二ねばしらじ。たる所ありてよしとおもふ。魚の浮もしづむも、かけ春の.水静に流れて浪せす、八番右水に矢を射るは、更梭を渫はすならん。衣荇を亂し藻をひるかへして、燕如矢飛といはんが如し。されとも左りの礫、の儲ケ香の鮎なにて放ヽつや礫衣かかなヘ億麿事長德七父取得遊ぶ朝日
花の色に染し袂は脫かゆれとも、匂ふ雫は手中になめらかなり。右客中過寒食馬上改春衣、といふ詩によりて作せられしか、和して〓き夏のはしめ、霞吹晴て花も若葉にあたらしき空とは、詠かへられしと覺ゆ。詩は長途の旅衣をあらためつけしと聞ゆるを、八十氏人の粧ひうつして見るが如しと勝にさだむ。九番卯花左持の花に聞とる奉の一手かな金風右うの花にふたりの沓や夕月夜月尋左しのびかよひて、琵琶の曲を聞とりたるといふ、しかも其夜は、月もあかゝりけるとあれは、卯花のひかりもまばゆく、ゑらけたる夜ならんと思ひやりて、作せられけるにや。右萬葉に、春ざれ卯とる奉の一手かな金風は卯花くだし我こえし妹が垣間はあれにけるかも、とよめる下心にも似かよひて、こと男の通路、卯花の雪をくだしそこなひけるに、ふたりの沓を見とがめけるやうに聞ゆ。ふたりの沓は、かさなる沓なとゝよみしもあればなり。左右ともによろし。十番早苗左勝によこれる庭の早苗かな後村右5ゆる手にとくや早苗の宵の雨月尋左富る庭には、奇樹怪石を置て、眼を悅はしむるを、常の事と思ふに、それにはあらて、ひと隅に水せき入て、手づから早苗取植で、農家のからきいとなみを、こゝろみんとの作、詞新たに意切なり。よごれるといふ詞もよろし。李紳か憫農の短篇に、汗滴禾下土と伊丹發句合三二一試みにれる庭の早苗かな後村
いひけるに同じ。汗を流して、田泥にあまねく、、粒々辛苦の心をあまして、一句尤高し。なほしいはヾ、かりほのいほのとまをあらみの御製も、自然と此句の餘情に聞え侍る。右よべのさみだれあらたに晴て、田子が手ぶさにふりほどく苗の雫、普く國をうるほすきざしは得たれとも、左の仁心にはをとれるにや。十一番帷子左勝かたびらやせみの小川の水淺黃蘭舟右かたひらや十日の泥の花あやめ月尋夏衣うすきに、思ふせみの小川とならは、鑒穿の吟ならん。只川邊の〓涼をかたひらの色になして、石川やせみの小川のきよけれはとよめれば、流れを尋てすゝぎあげたる、水淺黃の一作奇麗なかたび蘭舟り。右は風雨門前十日ノ泥といふにならひて、降つゝきたる五月雨を、十日の泥と詠して、花あやめの一重を、かたびらにかけての親句とは聞え侍る。されとも物數奇は左の方よろしと覺ゆ。十二番蟬左勝3,病蟬の膚をとくや天の酒花天右草鞋に水乞陰や蟬の聲月尋左楊妃が宿酒をくるしみ、後苑の花の露を吸て、熱を消し肺を〓くしける、今いふ齋女も、炎暑にむされて、ひめもす鳴て、漸く金莖仙人の露をのみ、樹間に凉を得て、兩翼長喙のうるほひとはなりぬ。病蟬の詞のより所、賈島に得て力ありてよし。右客中の蟬を詠するが如し。鞋に水乞といへるにて、驛路に膓を慘意を盡伊丹發句合三二三3,天病蟬のをとくやの酒花天
ゆの文章を食で、跡を、を思ふの切なる事、十德布子のおもて、左夕面の宿の機は、ん。b.とも、の如く、して、伊丹發句合かれて、こりに埋れて、ふいふ心は夕貌のたそかれ、右五條あたりの夕顔をいへるやうにおほゆ、か帳の綠もかけす、情のいたる所は皆かくのごとくあらずば、うち守るまてに涙をふるふか、机の置所さへなき行末を、誰と對語するものもなく、はや空しく周程の才名を賣而巳、かの小雅に八月断壺といふ如く、腐小惟子、織事をやめて、秦川の寳氏が妻の錦にはあらで、儒氈の靑きもたしなます、の旅へやりける夫のてゝれのたすけならタツヒサコテ反故障子のいとゞうちくろみて烟机句底にいだきて、ひとりいたんで書殘したる手爰において遠くへだてゐる夫の詞は此句より深きものあり置一生塵を出ず、所夕顏のやとりもいたつらに孔孟講解の榜をさら又必すふかゝら夕顏の腐儒素襖はかま月ン机はほ尋倒タタ價なくけし、顏ゝぐ共、左松に傍ふ岩井鶴の、にらに愁ふと、十三番樽柳の綠陰によれは、十三番鳥や市に濁らぬ流れは〓しと、右反左勝ふ右も左持吟餘あるに似たれとも、羽古8を障タ立清影を生するといふならん。よ干子顏水續聲暑く流れて浙が如く、るすの〓〓機水左右ともに汲んで好風味。水明カか左の病蟬あはれふかし。りなな右野人の鞋はす麥月德·客心聞てさ秀尋七顏に鳥持羽古を障干子すの〓機水明かりな麥德·秀七
ち燈の花き頭にちりぬ。灯花ならんを、れてといふ、とへにこれによらす。伊丹發句合る客あり眠る事なうして、衣かたしき待ほとの恨は、り十七番萩く右や右の左す持碁其程の思ひいくばくぞや。帯啼蛋の聲透間の風に響きあひて、にやに萩ちむ惜鳴やむ折こそ、碁のかけものに錢財を得ん事をいとむ。る迄やたゝ汝による。きをつ待りく夜り人の音つるゝにおとろかさく閑敵菜子落灯花と聞えて、か逢見ての嬉しさは、土すな三二七左右勝負もなく床麥月德秀尋七ひち鷺き何にとはつゞけられし、右難なく尤宜し。愁ふる天の時、一葉のうへに、左門田の風に、にひ十六番十五番水禽孤影白といふ句に並て、氣とは右左り左〓持置秋その匂ひ其すがたともなく、いくばくの心をくだきて、秋の光りをひるかへして、そた蟲めて立かたの如くに聞ゆれとも、秋つや影らや詠め居てよろし。秋水の風の色年の老行物の色、はしめて凉しきを玄る秋を感するにや。感情は左にあり。右窓より外の月後尋村左人のるりひ萩くと持啼秋やにた萩む蟲立かたの如くに聞ゆれとも、秋惜つ迄やを影つ待やく夜水りかの色土な三二七感情は左にあり。麥德後秀七村
妬まれて木萩もちるや草の中月尋左とふ人まれに住とる門邊に、ちり敷萩を拂ひよせて、落花の畔をなしたる、うつし得られたり。右木萩といひて、草の中にたてりて、妬まれ散かと心よせられたりと見えたり。源氏物語によめる、小萩が露にはあらて、木といふ字に對して、妬の詞得られしやうに聞ゆ。左右ともに難なし。爰にいふへき事には侍らねとも、木萩と書るにいさゝかいふかる事あり。萩は萩蕭とつヾきて、蒿の類なりとあり。萬葉にうはぎつむを、はぎつむなどよめる草な?。萩は歌にも小萩とのみ、書ならはしたるを、近き頃世に行はれたる書をみるに、萩に木萩あり、小萩ありと記せり。又連歌を〓ふる書とてあり、是にも木萩といふありて、宮城野のもとあらのこはぎなとよみて、木の萩にて弓などに作ると書り。此義甚だ心得がたし。木の如くそだちて冬枯す、春莖より葉を生すといふとも、木萩と書ん事口をし。たとへ冬かれもせず、丈餘に立のびある共、小萩と書んに何のさまたげかあらん。萩の歌よまんに、是は小萩をよみ、是は木萩をよむといはんもわつらはし。又歌に木萩と書んもつたなし。小の字は、只心なくかりにまうけて、そへたる字なるべし。小比叡小初瀨なといふになそらふべきか。又蓮を芙蓉といふに對して、木芙蓉といふとは事かはりたり。是その花のよく相似たれは、木の字を加へてわかちたるなり。木萩をから萩ともいふよしを記せり。匠材集には、枯萩をから萩といふとあり。此義信用せり。今の書に萬葉にまはぎと讀るは、木萩の事んと書り。萬葉に遠里小野の眞はき、白菅のまのゝはぎはらなとハシ讀るは、樣の字にて、是は萩にはあらて、針の木といふものなり。小米今俗にハンノ木といふ、針木なるを略して、樣といふなるべし。夏のあいだうす白く、ちいさき花咲て、秋楊梅の大きさなる、色伊丹發句合
も紫黑の實をむすふなり。川そひあるひは山そひ、田畠のへりに植で、その皮を取て物を染る、是をハンノ木染といふ。わきてあつまの方に多し。漁獵の網などをも、專ら染るなり。日本紀日本後紀に、擦すり衣といへるも是なり。神樂歌に、さいはりに衣はそめんとあり。拾遺には衣はすらんとあるも、此はりの木染なり。題には前張とかゝれたるは、すべて神の名をかりて書る事多し。ギ是すそれになぞらへて思ふべし。萬葉第七に、寄木歌とて此樣をよめり同十四東歌に、いかほろのそひのはり原とよめる哥二首ヤあり。又詠哥本紀上、卷に、舍人間田が歌に、八隅知然吾皇之中.略ギエ昇然山尾之樣枝在乎とよめる。ゑかるに萩にも萩の花ずりとよめる事あれは、人のまどへる事多かるべし。榛は萩にあらぬ事明らかなるを、古くより萩とのみ思ひあやまれり。能〓萬葉を見てわきまふへき事か。今いふ木萩を、貝原氏が萬葉にまはきといへりハヤハギと書るを思へは、萩樣各別なる事をよくかんかへさると見えたり。ハもしいにしへより、木萩と書事あらは、此榛をいふならん。木にもはぎの名あれは、萩といふ訓を假り用ゐて、木萩とかゝんにさまたけなかるべし。十八番雁左雨の夜は雁もたつぬる酒屋哉花天右勝老鴈の足もぬらさす草のらヘ月尋左年々寒を帶て來る雁の旅、酒を釀する折にあへばなり。路上行r ;スシル人正斷魂、借問酒家在何處、またいふ行客要尋沽酒處かれこれ·を思ふに、鴈を旅客のたくひに比して作せられしと聞ゆ。右萬里の雲をわたりつかれて、蒹葭の水に求食力もなく、飮喙の步みも伊丹發句合三三一雁雨の夜もたつぬる酒屋哉花天
海海風くるみ、老を扶け悅ひを交るの幸あるは、ほしいまゝならて、ふ長者の車ともいはん。山蝶の二十番をの十九番酒醉る面は春を覺ふの心佳なり。右右左左〓雪勝車鏡孫よ、にあゆす汀洲に憩ふにや、霜重九月十三夜つる陽さりとも左り忘愁の作をよしとや申さん。もやる解やけふ一日重九の酒にもとゆひの霜も後ぬのヘ左には勝れりとす。の菊に蝶の車は、月菊し蘭月長1隱逸をと卅尋父菊も初後左一枝の紅葉は折得でも、面も、左長月の月をよく云課せられしと聞ゆ。伊丹發句合り侍れとも、言外にあり。海山の詠物なし。によめる夕月夜かぞけき野邊なといつるおりにうつりて、たものせみ二十一番人の通路にふみならしたるとや。月ちたる右左勝ぬ刈左りの詠め曲に遠白體なり。右秋もくれに成て、弓す田初霜の朝をまつに、もむホひ甲紅の葉か斐なし瀧の中をられぬ水の瀧のながれ、すのや野づらもあせはてたるは、徑薄月の名こりを惜みたる意、後の月の時節によくうつ此月見はてゝ後、か紅葉音な月金月一景かけた刈田の尋尋風さらに萬葉初も山のみをすあゆ汀洲に憩ふにや、重陽む霜甲つもかをられぬ水の瀧のながれ、すや薄紅葉月一景かけた尋斐なし瀧のる解や後ぬヘ左には勝れりとす。の音月し金蘭1長卅父風
鶴麥石日三更共、伊丹發句合影あざやかに、かへり花は粧ひ春に迷ふ、垣の意をいへるか。高きにのそます、ゑやこは甚た寒を恐れて、に影二十四番左の落葉、の神右も左星右も瘦勝をた鳥の翅を刷ふてよろしとさたむ。磨出したると作せられて、右風をして葉をふき盡して、木葉をかづきて、在一七歸磨るた花窓九月の梨花といふに並て同し。たま〓〓飛って東南に廻る、るや落かり百花のひらくる暖をまつとの葉へはりかな花景色明らかなりといな三三五月月三更を照す、後風を厭ひて月尋村尋一枝憔へ星の日むかともことの葉草のうるほひは、枯野に目だつ石の鳥居、左后稷よくかの天に配して、すがるのますらをも、る樣の詠めにや。鴣にけふの二十三番し二十二番脊左な右左に勝きめく勝石音の字あまりて、漸木のみそ、め時紅葉に酌み風流にたのしみて尤よろし。殘雨葉一村の豊饒益人等がなすなるべし。鳥る、めくみそめたる麥の時雨とこそ。居た落左の時雨にあり。や初る葉吟未了とや申さん。時か時南な雨哉德月花七尋天右かせきされ右の鴣影のた漸みそ、める殘窓九月の梨花といふに並て同し。りはな三三五月る、やた落かる葉時へりか南花な哉德花後尋一枝憔村七天
手短伊丹發旬合退之が短繁の歌に、句の愛あるにや。冷眼を却って眠ると聞え、の詩に、の河の洲の離鳩も思ひ合せて、か翅の錦の衾、足藥におもはるゝ共に白頭にいたらんといふに同し。み二十六番に爲基一段榮枯事都在沙陽冷眼中といふより、な右楽左勝粟ら左の鴛の句にならべて、紅衣翠擬の粧ひもせす、にる墻角君有短繁棄といふ句をひるかへして、ヽ冬よ籠こ身尤一、手は得られたるにはあれとも、れや多情を云盡せり。冬ラルヽ〓テてこ頸を交へよろこひをなす、冬相思ふの意人としならは、も荷もなき汀の鷗とよせ、籠り三三七右は黃濟か敗荷蘭月出たるやう尋舟文左のか短荷妻悴の時によせて、右石垣しわたしたる一、樹物めきて、れし。れるやうに、す。待夜の床に香油を嗜み、人の風流此鳥に比して、の影尤も斜輝あり。もに二十五番今こゝにいふは鴛の契の眞ならん。あ艶陽の天のうるはしき姿にあらぬ所、な左き右ふ勝時ならぬ芳菲しばらく紅錦の地は得たれ共、汀其日西に瘦たるといふ飼をそへて、に夜も水眠鳥愛鬢を身めたるを、掻頭になてゝ人をまとはずかたちづくりるなてきカす鴛大山祗神之子木華開耶姫を祭も雙び宿し雙び浮ぶ、めの哉髢シよく云叶へられたり。鴛のつとゝ云ならん。月金親句とはせら尋風左の日おの妻藥にあにに墻角君有短繁棄といふ句をひるかへして、よこれラルヽ〓テて冬籠三三七月尋る夜ヽ冬も水鳥籠身なてや冬す鴛このも髢シり蘭金舟風文
武初左歌をよくすれとも、なりたるは、佗たるに、左圍情の別れをいふにはあらて、伊丹發句合わかるゝといへるにや。士拂からんと、つして〓に似たる所、雪二十八番のひの子右船左勝左よりは宜しとさたむ。ひまより玄らむ一朝の雪、大の-髪に眞に印鑑を見るが如くならん。路うゆ煤に暮行年を遏るの聲もなく、か半窓の梅梢をそべて、拂は右ふり晴たる雪に、見ふぬるや日やひとりねの曉更の長きをうらみや室のおもしろく起出るを夜着に印煤拂君鑑三三九梁の煤を飛す時誰が筆にも及ひかた千山萬落はるかにう人跡馬蹄縱橫にかさ月長月尋父尋煤お又窮にして無油の歌あり、塲に書を明らかにする才もなく、す。ばうて、てゝ書をみる便なけれは、右膓に酒をたくはへす、かならす、も.冬こもり憐れありて悲し、つらに爐を圍て、二十七番し無德の身の冬こもりは、ろき右左朔風衣巾に透し、勝螢囊の車を追はんとすれ共、夜着の別れやけさの雪煖に眠るのみと、雪粟おのつから膚に生りて、情左よりは淺からす。苦殺泥途跣足人と、短榮にすてられしとやいはん。鑿壁の衡を學んとするに、かへつて短繁にさへ棄られしとや。綺筵に觴をとるたのしみもしら身をせめたるの沈思に聞ゆ。十月霜螢なし、ナよこれこゞへたる麥破窓に老さら隣火夜明ら秀只いた案前にあ拂も.しひ夜着の別れやけさの雪うゆ暮行年を遏るの聲もなく、はぬ日や煤拂かふや室の君三三九梁の煤を飛す時月尋長麥父秀
ウ間右四時之詠五十六句、甲午孟春人日坂陽椎本舊鄉貞夫少文才應評忍老呵筆而塞友人之責、〃傳辱於千里爾云。こ降併暮瘦お牛わたる丁伊丹發句合搗の稻の松にしけふはさられし月忌なり出舞は皆ぬの伊月百韻即與$ゐのことく聲なしけの見麻ほ達た畫の2.かの手て袴すを音け字の橋のぬ戶冠かおのる鶉もくろ庭にをのらも門ひ裾するのふひい身にしみてふの水はうらゝを玉暖らすそらか上かや刷な草けきし長く梅しりに雪履り秋ふは刀て鶯華暮瘦お杪口入右はきはめて勞をのべられたり。かしらからけぬなとゝ讀しに似たり。いそがしき身のうへをいひたてゝ、しき祿につなかれて、き事をいへるやうに聞ゆ。めたるは、にうつりて、花をそむける靑織皓齒、別に一興を得て尤よろし。市中の塵埃をさけむが爲、ひまゆく駒のあゆみもせまり、され共春まつ宿のいそぎせんも、樓船の歌扇こゝろうつり侍る。一年三百六十日醉て暮たる年の氷に礫走らする子や、右物部は、左はいたつてたのしみを云、飮客妓を携へて船をうか平生威儀の正し光陰の矢の水鳥のすこ秀舟七執後花長金蘭麥月德筆村天父風舟秀尋七
ニウくニ蝶軾風書朝一生月秋石の背に泥ぬる愚鳥豆緩畑買兄;く水畝年にく〓もり帆はかにの腐ににもよ痩碁貧花人登もり麥るしも今こて盤しなをのなに·ま馬に淺やまりお黃負妻腹はしの程の日てりにてかききみ鐵しふ峯の入のちすはをたる王たる香なこてるま兒のを相るヽ走寺器脫るの雪トの漸るるの粟すの戀袖解て月寒みん礎花る鼻伊丹發句合山も半,ひわつかても近垣爰中都の餘所の子にゑなから老をうやまはれあしたの瓜をら月〓にににの蟬の見さ早下見ひ帛:露食荒剛たぬし向ら裂;殘會のぬ音にか中新めん袷の着の犬けしたの實るや伊るや松鞠て船銳町勢の十もしるのみ子と風のはの裏のやを年むまも鞭ヘ退の蚊よげけ產のらの來うる屈紋帳也買て貧ん節てち蔓たぬ三四三村風舟七尋父天村秀舟風尋七天父秀村風舟七尋父風村天尋
傾初こま新黒晩な鶏顧實にたてかけてさまする弓のあたゝかわれ伊丹發句合占城信陣短りも人は無跪なのの氣はならぬねか骨かこるきは皮のののしたにてにたち籠宴椀諷辻閑淚らうちはる玉跡へから先とはしふは老のはしめにて霜の銀を山て襟をて、し流鯉に君のみのにおよヘる輔ニシらぬさゆ仕廻ふ也送ヽ見しかこ車カチかる菱雪つずる若るこの5のつ月むらる傘花つ袋きまり艸か月ひ.つ吹燈髪知唐冬茶も棟にのく臺の過のの供ソ先と石葉に篩こほかな登たらち貌て詩渡の德塲なしかにかはしのときるぬかか跡ひのたひきら鱧春のるかりいつりヽに世ひら竿水のせる汲はつと槌のひも歩、蛤をまてた次をお飽て日らの宵つ美る寂の第戴さかの賦蜆しなきまののし來匂ひる幣城花汗きる橋きりてりヽる三四五秀父等舟風天七秀父尋村風舟七尋父天村秀舟風尋七天父秀
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四覺一名ウ住朝老朧道鳰の息春とろゝ雉子伊丹發句合は初月のPエ春たやる聲靑し勝って冑の春月ン解や女交題時候不同かの·光か夫け山居のむすほをれ八喧橋りしの〓を玄めん嘩かやつをけて麥梅柳けののり陰鬚花方折たくり窓かく藤をぬらす吉紅の月ましこの顏の水.ゆ書ののる扇敷へ葉ち花りに齒のあのからのつよきまじはりら咲と黑ふみつ く端れに遊ふ久もたをのぬすらぬ猿事てひ味に御たかく所にあにのな思るたのひのや露かはれ神いす赤なか時る慮とて飯りる雨ヽて執花金麥德七秀筆天風十二句十二句一十二句十二句句後長蘭月舟尋村父十四句十二句三四九六馬甘〓保言十二句十二句秀尋舟父七天風村父舟水櫻泉鷹幹水
草燒す笈あつさりと酒甘日行な數鞋野む人を咲澁き射をか雲雀はの出て山芳野竹林寺にて四行上人の安置佛紀州道成寺にてをおかみ奉りておるぬな乳我身てを弓い我手の家くもてを菅-花·にによ癖の重립るほ笠に笑しとるなむ櫻は佛嬉らはやけな駒おちのし蕗ぬてりすのつの接接花柳奥るるて旅餅た木木のか齒かこ寐の梅蝸鳥は雨行足山明〓ひとつ〓〓音あらは花のち るを裂凝やきのふのぬの水寺わた姫梨にやがるとつ鐘空唇まれもめ見りて芽つらしせ鴉も.をよはのゆ桃かかるやうぬかむ梅の伊丹發句合牛やもなけ東は雨のほとゝ飼にしれはつ夏の伊豫の國久万といふ所に一夜をいはや出いかにけつあふヽ咲夜更きず哉衣と柳り月の·は別のれ鳴哉道比鳥なう哉哉下な迄とそ哉カ京京同京有馬僧百三五一大坂座之千菊南魚花氷文桃後德麥金泉吟萬秋春花十賀神白及院里水天村七秀風流水山蘭堂三
病押行秋行初伊丹發句合鹿合秋高馬秋秋のてやしのや桑名のわたりにてふのあした同門の月尋か都をあとに有岡に向角人身〓足水にやはをのにのめ持はははしやよとするろふぐさちやのて山よ鯉行秋行初蝶夜とん栗の丸指た柿篤晴舞髪の香脫て見せはやの蚊の血を花に待や天いへともの々ヽのにか花ちるからす葉葉た水たきねかねてのに世のゆす猶か木はをつやか文お比かいら箱蚤のさらすしそ撫とまるがたちを花とと下まぬてに鮎ろ子き葵間るるかしの戰をヽ若たかのやか器粟ふ十の空夏葉きつ匂蛇い夜の木か古らひ.のき花見タ秋高馬秋陰や五月の比菊さかりなるを見て霜のうれひも夏のるろふぐさやのて山よ草船覺か秋ののの東つの蔓中なら風道星哉月、立な扇哉哉衣り畠る指三五三沖山鷄仙秀三柳龍重長月沖一宗幕全鼠葉大和今井原見扉賀鶴可惟水風春父尋見ロ.雪女暇禮文水
下戶たってら菊の花見て遊夢琴敲辻子三面露又九月の世歌いの日にのの絃白おてや見後泣のやく日の後村有馬に遊んて月見ると告ごしはも推すこぬ人は駒空て今も雛雲我か行都宵酒を炒てくに罪はと宮に見のもふ鳥ノの裏にねたみなし入拂つも繫廻鱠見たりるたふれしよふやあ月りるなてれけや水見菊る秋き稻ふ染空ハのび馴ののののの鬚かこけり棹な門月哉蟬聲花菊籠三徑や雪雪寒めつ伊丹發句合よたゝの病ら奧の冬古郷昨日少年今日白頭あれてもひとし唇我やはしめの老の醫〓〓をあ我身の雪おいとてす齒りなをのけて水そ松仙寒みのた月に諷ふ滿つ日詠八朔紅梅ける返事に書てつかはしけるから座座の梅こそ笑匂ひへ誰たつ日こそ匂へ竹かの多花hき聲置春き僧僧僧今津さき女僧長人可雲麥楓文金又花德父角得步秀水人風下天七三五五好盈天雲晩爲鷺松科垂皷山杖助
廣雪新鷺の毛のみ杖此美片〓あ北にい汁ゆまれう物なら雪の山しやは寒カ足澤道貴ゆき商人の手なさ栗きはははの月尋伊丹にこもりけるをとふ布の手いす覺根落も鷺月其かな坊主もおそれ翁た東鼻あさよ名てとれなかあかヘりもてはらたら外久しあい寒さらみにあやくのしししてヘゆ雨歸武る水雪る鴨ま鴨路のり庫嵐の見寒そけかるの網積夜友用暮思風なくつ初雪竹の親鸞の日やい伊丹發句合なたなのて代ひ惡千鳥かの雪や葉きや木やもけ嵯峨てもらひし三毛のの美のて所々くも鹽とは烏水鐵さるるかの雪に玉をのそ雪ふりふりやゆか人酒むすふやのにるふずをのの聲た衣て記御抱ぐす光ヾやいはし庭の園く一やまをありやのあしろのや書軒花旅網今竹む馬雪夜の寒のの寐代朝の文のかのの雪雪雪壺守哉猫守雪な鈴沓やしヘのり庫空花風哉顏哉哉鳴りな程聲同同同大坂標三五十七吐梅南風菊蘭秋長幕柳左菊秋蘭標尼崎千流装民春百人六馬貞斧李月手里州院舟蘭父女郭礫山妻岑枕我道堂三角水櫻爲鷹天
棲雪春約月妻姫鍬曉暮ましき日カの松のや束の乞の待るなのや柄 に箭冬北野に詣て我程に行て冬かれの氣色見よとてさそはれし冬日至き數ひさもの梅を待にた小きの咲宵り春枯俄もにめ梅のにの野にも廻の暮くや空れ暮汗る候みゆやてや鷺て被麥畫をき大鴨伊丹發句合鳥はのきく白誹唐人筆談-くに霰慣ふや小は丸し松夜神のの松の乞のや待にた小き咲宵り春もに枯梅のにのも廻空れ暮汗るやてやて被麥大鴨野のやゆ鷺き虛菜松の晦寒のの.か樂風瓢飯平前日狐聲床な三五九オ百靑馬金光立仙後鷺月麿丸人櫻毛彥吟鶴村房尋
跋伊丹の發句合といふものを、月尋が懷より出して、予に跋を乞ふ。みれはかの里の好士等の句に對して、獨り四七の數を番ひたるなり。其すかたは面の如くにして、おの〓〓一樣ならす。天性の得たるをもて、おのつからの風情となるに似たるなるへし。才麿が評は、幕をもて花を粧ひ、船をうかへて月の見所を求るが如し。難波津や、梅の翁の匂ひたえす、柿園の翁の雫かはかずして、實靑からず澁からぬもの、是この月尋ならんかし。槿花居士鬼貫三六一伊丹發句合敗
竹屋町通油小路西へ入町柏屋安兵衞板伊丹發句合格鬼貫全集とわり
有所權版明治三十一年五月廿二日發行明治三十、年年月十八日耶刷著竹酒野大** *** **●-割引¥其實。●〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓村蕪謝與錢六稅郵○〓拾三價定中心!※330寫書に引き、せるを世或は蕪村の巧に比す、の傳を編む。の明星なりけり。宜なり、世に本書の好著として歡迎せらるゝやの知る處にして又先生が明治の俳墳に一新機軸を開發大野酒竹先生之を遺憾としてを放つと雖も其詳傳に於ては漢として人の知るなし、なる俳風を打破して遠く明治の今日にいたるまで異彩の一派を起じたる蕪村は、南北二宗の畜風を自家の藥値中に鎔成して別に與謝風そも酒竹先生が斯道に博識なるは夙に世一個年の經營苦心を以てこゝに與謝窯村彼が清高なる氣韻は實に當時の織弱今や先生蕪村を傳す、斷簡零星に徵し、俳諧史上に於ても芭蕉以後謄本印發行所印發著刷刷行所者者者鬼貫全集奥付實價金五拾錢東京市京橋區築地三丁目十五番地春東京市日本橋區通四丁東京市京橋區築地三丁目十五番地東京市日本橋區通四丁目五番地(電話濱花千〇七十九番)帝國印刷株式會社陽根岸高光和田篤太郞大野洒竹電話五十一番壹
明治文運の隆盛なる、俳譜も亦其機運に乘じて、知ると、知らざると、皆十七文字を弄せざるなし其弊や遂に亂雜に流れ、偶ま新機軸を出。さんとするもの整本は格調に入らず、格調に入るものは舊體に泥む、此亂麻の俳風を如何せむ。俳諸名家選は士千万堂紅葉先生が、此丈草、杉風、惟然、鬼貫四家の句集を編して迷津の渡船となしたるものなり千十紅堂万葉選俳諸家 名遷錢五金稅郵○錢五昔金價定排太太諧俳諧木太刀は秋聲會吟。味の粹を拔さで類題體に編成し、別に文本若干を添へて上下共一卷となす角田竹冷還近刊川村雨谷〓四六版雅裝上下共一冊明治和歌〓草は四季十二ヶ月の歌題の下に其々の用語作例を詳記し、添る古今集二十卷、非毛鏡、冠辭例、草分衣等何れも古の學者が斯道の爲に力を盡して樞遺されしものを以てした閱裁は細字薄紙の精巧を極めて、月花に遊びれば、和歌に志すの爲には欠くべからざる良書なり野山に村を身く節の、行李にも收めらるべく、懷にもひそみつべし撰新增補掌中明治和歌〓草郵實谷壯太郞漏輯藤井惟勉閱
蕪村、曉臺、關更、白雄、蓼太は共に天明寛政の間に出で俳諧中興の偉人として遍く世の知る處なり然れども其句多くは逸散して僅に類題の諸書に佛を存するに止まる、今伊藤松宇先生多年苦心の結果、五家が一代の俳句を餘す處なく蒐輯して、廣く斯道に志す者の爲に天明當時の俳風を知らしめんとす。近來俳書の出版さるゝ者多しといへども、此書の如き好著述は他に其類を見るなからん、集句發傑五興中伊藤松宇編近刊

086925-000-1 79-70鬼貫全集大野洒竹/編M3 1 DBE-00 52

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