今更ながら


 こんなことが話題になっているが、まだ引かない人がいる。

 確証バイアス恐るべし。

 こんなデマが拡がるのは明治の文豪の中で夏目漱石だけが人気を保ち続けたからではあるまいか。

「兎に角」なんて坪内逍遥以前から普通に使われているのに。

 私は女が今広い世間の中にたった一人立って、一寸も身動きのできない位置にいる事を知っていた。そうしてそれが私の力でどうする訳にも行かないほどに、せっぱつまった境遇である事も知っていた。私は手のつけようのない人の苦痛を傍観する位置に立たせられてじっとしていた。
 私は服薬の時間を計るため、客の前も憚らず常に袂時計を座蒲団の傍に置く癖をもっていた。
「もう十一時だから御帰りなさい」と私はしまいに女に云った。女は厭な顔もせずに立ち上った。私はまた「夜がけけたから送って行って上げましょう」と云って、女と共に沓脱ぎに下りた。
 その時美くしい月が静かな夜を残る隈なく照らしていた。往来へ出ると、ひっそりした土の上にひびく下駄の音はまるで聞こえなかった。私は懐手をしたまま帽子も被らずに、女の後に跟いて行った。曲り角の所で女はちょっと会釈して、「先生に送っていただいてはもったいのうございます」と云った。「もったいない訳がありません。同じ人間です」と私は答えた。
 次の曲り角へ来たとき女は「先生に送っていただくのは光栄でございます」とまた云った。私は「本当に光栄と思いますか」と真面目に尋ねた。女は簡単に「思います」とはっきり答えた。私は「そんなら死なずに生きていらっしゃい」と云った。私は女がこの言葉をどう解釈したか知らない。私はそれから一丁ばかり行って、また宅の方へ引き返したのである。(夏目漱石『硝子戸の中』)

どう?

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