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何てえ人でせう! 牧野信一の『凸面鏡』をどう読むか⑦

 新しく取り換えたばかりのマウスのように、牧野信一の文章は距離が測りかねる。こちらが如何に突き放そうとも歩み寄ろうとも関係ない。どうしたって彼の文章は異質なのだ。

 二回貼ったのに買わんのかね。それでいいのかね。

 三回ならどうだ。

「何てえ人でせう! 純ちやんには、阿母さんや妾が普段からどの位お前さんの事を心配してゐるか少しも解つてゐないのね。
 試験の準備ツたら少しもしないし、その上夜ときたら十二時前に帰つたことはなく……静だから勉強なのか、と思つて、妾は一日に何辺そつと見に来るか知れないのよ――いつでもお昼寝ばかりなんじやないの、でもね、妾達は責めませんでしたが、妾は阿母さんと、純ちやんの事が心配で何れ程泣いたか知れませんよ。阿母さんは八幡様へ御願まで懸けてるのよ。
 それに純ちやんには兄さんの事も心配にならないの? え?」
「試験など馬鹿/\しい。学校なんか止めだ。――兄さん? 仕方がないよ。病気なんだもの、」

(牧野信一『凸面鏡』)

 言われててますよ皆さん。何てえ人でしょうって。そりゃ昼寝てたら夜は遊びたくなるものだ。しかしあれだな、「彼」は幸せだな。勉強しなさいって言われているんだから。働かなくていいんだから。しかし待てよ。『爪』の道子は妹だった。『凸面鏡』の道子はもしかしたら姉? 

 ということは道子は何歳で、病気の「兄さん」は何をしてるのか? どうせろくな仕事もできまい。この家の家系は誰が支えているのか?

 生活保護か?

 いや、それにしちゃあ凸面鏡など洒落たものを買ったじゃないか。金持ちの家という設定なのか。そおいやあ牧野信一の家は金がありそうだがそういうことなのか。

彼が近頃は酒を飲むと云つて母や道子は大変に心配してゐるらしかつた。尤もいつの晩だつたか、友達の家で酒をすゝめられたが嫌ひでもあり弱くもあつたので、二三杯漸く飲むで少し酔つて家へ帰つた時、道子の前で実際の酔以上の酔態を示した事があつた。君千代といふのもそれと同じやうなものだつた。

(牧野信一『凸面鏡』)

 うむ分からない。

 全然わからないぞ。これは。

 酒が飲めるということは大人なんだろう。わざと酔っ払ったふりをしたのは甘えか。しかしその次の「君千代といふのもそれと同じやうなものだつた。」が全く分からない。「それ」は実際以上に酔ったふりをして見せることに繋がりそうである。しかし君千代が人なのか場所なのか分からなくなった。「酔ったふり」が君千代?

 なんのこっちゃ?

 家系に精神病の血統があるといはれ、現在彼の兄が発狂してゐるとは云へ、酒を飲むだらしいなどゝいふ事になると「試験が心配である」といふ言葉にかこつけて、そんなことよりも彼の精神状態や日常生活などに、ある疑ひの眼をもつて云つてゐるらしいところが往々に母や道子の言葉の裡にうかゞはれるので、彼は、余りに彼等の無智が嘆げかはしい、と思つた。
「まあ!」道子はつくづくあきれた、といふ投出しの色を示した。「純ちやんには真情といふものがまるでないのね。」
「あゝないよ。」

(牧野信一『凸面鏡』)

 道子が「まあ!」という一瞬の間に三百五文字が挟み込まれたのだ。何ちゅう書き方だ。しかもとことん訳の分からない三百五文字。

 母や道子は彼が近頃は酒を飲むと云つて大変に心配してゐるらしかつた。尤も彼は酒が好きなわけではなかつた。いつの晩だつたか、友達の家で酒をすゝめられた時も、酒に弱いので二三杯漸く飲んで少し酔つて家へ帰つた。その時、道子の前で実際の酔以上の酔態を示した事があつた。君千代のところへ行こうかなと言ったのも、酔ったふりといふのも同じやうな道子に対する甘えだつた。
 わざと酔ったふりをして見せたのに、家系に精神病の血統があり、現在彼の兄が発狂してゐるとは云へ、「試験が心配である」といふ言葉にかこつけて、彼の精神状態や日常生活などに、疑ひの眼をもつて云つてゐるところが往々に母や道子の言葉の裡にうかゞはれるので、彼は、余りに彼等の無智が嘆げかはしい、と思つた。

 こういうことか。

 僕は頭がおかしいんじゃなくて道子に甘えていただけなんだよと言う意味か。だとしたらやはり頭がおかしいぞ。

 火鉢に翳して細かに震へてゐる白い道子の指先から、その上気した奇麗な頬を想つた刹那、彼は穴へもぐり度いやうな羞恥を感じた。たつた二年足らずではあるが、全く姉と弟のやうにして同じ家で暮した道子に、「実は僕は姉さんに恋してゐるんだよ。」と云つたら――とてもそんなあり得べからざる光景は想像すら冷汗を覚ゆることで――でも、道子がどんな顔をするだらう、とまで思はずには居られない……と思ふと、――思ふさへ余りにとてつもない滑稽で、その前の晩なども、冷汗さへ許されぬ冷汗から、堪らなくなつて急いで電灯を消して、亀の子のやうに四肢をかじかめて床へもぐつた、馬鹿、馬鹿、馬鹿、と慌てゝ口走つた――この俺の顔を鏡に写して見度いと思ひながら。鏡に写した顔を、様々に――こんな顔も出来るものかなと思つた程、変つて、少しも笑ひたくならず……其儘凝と視詰めた……道子を想つた後は……。

(牧野信一『凸面鏡』)

 お前は松枝清顕か。

 それとも飯沼勲か。

 清顕から見て綾倉聡子は「全く姉と弟のやうにして同じ家で暮した」相手だった。飯沼勲と鬼頭槙子は一緒に暮らしていたわけではないが、やはり姉的存在だ。まあ鬼頭槙子の場合は三十過ぎの出戻りなので、姉というより、まあ姉か。

 で一体どういうことなんだ。道子には兄がいる。これが精神病。「全く姉と弟のやうにして同じ家で暮した」ということは実際には姉弟ではないということになるので、精神病の血統は道子側にあるのであって、「純ちゃん」には関係ないことになるのではないか。それとも道子と「全く姉と弟のやうにして同じ家で暮した」純は、血統的には道子の兄と繋がり、精神病は男系男子に引き継がれることが典範かなんかに書いてあるということなのか?

 それにしても二年とは言え、何故同居している?

 素人下宿に住み込み、家族同様に扱われてきた?

 それなら別に道子に惚れてもおかしくはないなあ。年か年下かという差はあれど素人下宿の娘さんと下宿する学生の恋の話なんてえのは探せばいくらでも見つかりそうだ。

 それなのに純の「思ふさへ余りにとてつもない滑稽で」という言い分はどうだろう。勿論男女の関係というのは当人同士にしかわからない線引きというものがあり、絶対にそういうことにはならないという取り決めのようなものが暗黙の裡に出来上がったうえでの仲良さというものもあり得るのだとは思う。しかし一般的には近親でもない限り、男性が身近な女性に惹かれてしまうのは当然すぎることである筈だ。二つ前の職場の先輩は昔の職場の女性全員をおかずにしたことがあると言っていた。それもまたどうかとは思うが、大きな矢印としては間違ってはいないのではなかろうか。そこにはまだ書かれていないタブーがあって、それゆえに順は過剰に禁忌を意識しているのか。それともただ純の羞恥心の異常さが現れているだけなのか。

 それはまだ誰にも解らない。何故ならここまでしか読んでいないからだ。

[附記]

 この「その前の晩なども」って凄いな。これも十二時過ぎなわけだ。

 で「道子を想つた後は……。」っておかずにしているんじゃないだろうな。

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