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 真夜中に神木折れて織る錦 夏目漱石の俳句をどう読むか138 

真夜中に蹄の音や神の梅

 この時女は、裏の楢の木に繋いである、白い馬を引き出した。鬣を三度撫でて高い背にひらりと飛び乗った。鞍もない鐙もない裸馬であった。長く白い足で、太腹を蹴けると、馬はいっさんに駆け出した。誰かが篝りを継ぎ足したので、遠くの空が薄明るく見える。馬はこの明るいものを目懸けて闇の中を飛んで来る。鼻から火の柱のような息を二本出して飛んで来る。それでも女は細い足でしきりなしに馬の腹を蹴っている。馬は蹄の音が宙で鳴るほど早く飛んで来る。女の髪は吹流しのように闇の中に尾を曳ひいた。それでもまだ篝のある所まで来られない。
 すると真闇な道の傍で、たちまちこけこっこうという鶏の声がした。女は身を空様に、両手に握った手綱をうんと控えた。馬は前足の蹄を堅い岩の上に発矢と刻み込んだ。
 こけこっこうと鶏がまた一声鳴いた。
 女はあっと云って、緊めた手綱を一度に緩めた。馬は諸膝を折る。乗った人と共に真向へ前へのめった。岩の下は深い淵であった。
 蹄の跡はいまだに岩の上に残っている。鶏の鳴く真似をしたものは天探女である。この蹄の痕の岩に刻みつけられている間、天探女は自分の敵である。

(夏目漱石『夢十夜』)

 やはり神様は馬に乗るらしい。


発句類題全集 1-65 [11]


発句類題全集 1-65 [11]

 この神の梅にどのくらいの意味があるのかその塩梅が測りかねるところ。


発句類題全集 1-65 [11]


発句類題全集 1-65 [11]


発句帳 [1] 昌琢||玄仲||宗春写


文康発句集 小林文康 (二世雲岳園) 著小林文康 1895年


文康発句集 小林文康 (二世雲岳園) 著小林文康 1895年


把菅 2巻 [1] 風和 撰木村周吉 寫 1941年


類題芭蕉七部集

上下のさはらぬやうに神の梅
鶯も水あびてこよ神の梅

 少なくとも芭蕉七部集の「神の梅」は神社の中にある神聖な梅の木という程度の意味に解釈できる。

 いや、そうなると馬に乗っているのは必ずしも神様でなくともよいし、句のかたちとして

真夜中に蹄の音や神の梅

 として「や」で切れているわけだから「真夜中に蹄の音がする」と「神社の梅」分けてみると、「蹄の音」は幻聴のような感じがしてくる。要するにここには「姿は見えないのに不思議だな」が省かれているのではないか。

 つまり「真夜中に蹄の音がする。姿は見えないのに不思議だな。神社に梅が咲いている」というなんじゃこりゃな感じの句ではないのか。

 まあ真夜中に神社にいること自体なんじゃこりゃなのだが。

春の宵神木折れて静かなり


通俗日本全史 第7巻

 おまじない好きな漱石ならずとも不吉に感じる筈の「神木折れて」を「静かなり」で受けて、「ずっこけ」を狙っているのか、なおも神妙なのか掴みかねる句だ。

 どっちだ?

 五分ほど考えてみたが何とも判断ができない。

 どちらともどちらでないとも決めかねる。

 まあ両方でもいいか。

白桃や瑪瑙の梭で織る錦

 一見して白桃と錦の関係性がわからない。

 単に並列なのか、比喩なのか。

 並列ではないかな。

 しかし比喩としてはおさまりが悪い。

 単なる取り合わせか。

 白桃の花なのか実なのかもわからないぞ。

 大体春の句が詠まれている並びだからこれは花の方か。

 白桃の花が咲いている瑪瑙の梭で織った錦のようだ。

 と、花だとまあ落ち着くか

 瑪瑙の梭というのがいささか古代めいてそこが神仙という狙いであろう。漱石らしい。ロマンチックな句だ。

[余談]

ええと、

梅の寺麓の人語聞こゆなり

かな?

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