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芥川龍之介の『芭蕉雑記』に思うこと⑱ 読んでないなあ

『続猿蓑』は改刪していた

 芭蕉は一巻の書も著はしたことはない。所謂芭蕉の七部集なるものも悉く門人の著はしたものである。これは芭蕉自身の言葉によれば、名聞を好まぬ為だつたらしい。

(芥川龍之介『芭蕉雑記』)

 論旨に関わることなのであまり細かい粗は突きたくないが、吉田精一が註釈で粗を突いているので、その粗を突きたい。註釈には、

芭蕉著の句集・俳論はないが「奥の細道」等の紀行文を書いている。

『芥川龍之介全集』筑摩書房 昭和四十六年

 この「奥の細道」等と濁したところには日記などを含む考えであろうか。芥川の論旨は「芭蕉は名聞を求めぬので自ら著書を著さなかった」ということなので、吉田精一の註釈で十分芥川は論駁されている。しかし「芭蕉著の句集・俳論はない」というのはまた正しくない。

 「貝おほひ」「俳諧次韻」はどう扱うか。

https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko31/bunko31_a0056/bunko31_a0056_0002/bunko31_a0056_0002.pdf

 作中で名前の出てくる勝峯晉風の見立てが精査され、現在ではほぼ定説として伝わっている。

芭蕉七部集定本 勝峰晋風 編岩波書店 1925年

 なおこの本は、今ではほとんど情報が出てこない俳人の情報が網羅されているので一読をお薦めする。(※ただし菅沼曲水の没年を享保五年とするなど間違いはあり、ほかの資料と突き合わせる必要はある。当たり前か。)

 で、さて、話を戻せば、著者なのかどうかは別として、芭蕉はやはり自分の作品が世に出て残ることを希望していたのであり、『芭蕉雑記』の第一章は、むしろ何故か芭蕉は周りに人が集まってきて、作品を世に出そうと協力してくれるという不思議な魅力を持った俳人だった、というところに関心をシフトして読まなければならないだろう。芥川の表現では芭蕉は七部集の監修をしたということになっている。それくらいで句集が出る、という矛盾を芥川は指摘しているのであって、紀行文のあるなしなどむしろどうでもいいことだ。

『炭俵集』の編者は孤屋、野坡、利牛


 吉田精一は註釈で、『炭俵』の編者を野坡としている。これも現在では志太野坡、小泉孤屋、池田利牛編であることが柏木素龍の序文によって明らかだ。つまり吉田精一は『炭俵』を読んでいないということになる。

膳所と書いて何と読む?


「曲翠問ふ、発句を取りあつめ、集作ると云へる、此道の執心なるべきや。翁をう曰く、これ卑しき心より我が上手なるを知られんと我を忘れたる名聞より出いづる事也。」 

(芥川龍之介『芭蕉雑記』)

吉田精一は曲翠に註をつけて、

 菅沼曲翠(?~1717)。蕉門の俳人。膳所藩士で、叔父の隠居した幻住庵を修繕して芭蕉に提供。享保二年家老曽我権太夫の不正を憎んで殺し、自刀答した。

『芥川龍之介全集』筑摩書房 昭和四十六年

 としている。つまり文字は書いているけれど音は聞こえていないのだろう。「膳所」は「ぜぜ」と読み、普通は読めない。ルビがないのは読めていない証拠だ。曲翠ははじめ曲水と号し、元禄六年頃曲翠と号すので、芥川の引用の所から少しねじれているから仕方ない。

蕉翁俳談秘録 虚幻堂主人 編頴才新誌社 1894年
日本文学大辞典 1 藤村作 編新潮社 1935年

松永貞徳の没年は1654年


「集とは其風体の句々をえらび、我風体と云ふことを知らするまで也。我俳諧撰集の心なし。しかしながら貞徳以来其人々の風体ありて、宗因まで俳諧を唱となへ来れり。然しかれども我が云ふ所ところの俳諧は其俳諧にはことなりと云ふことにて、荷兮野水等に後見して『冬の日』『春の日』『あら野』等あり。」

(芥川龍之介『芭蕉雑記』)

 吉田精一は「貞徳」に註をつけて、

松永貞徳。(1571~1653)。

『芥川龍之介全集』筑摩書房 昭和四十六年

 としている。「俳諧御傘」には「ごさん」とルビがふられている。

計算サイト

 きちんきちんと確認しよう。百年残る仕事をしている自覚を持とう。もう遅いけど。

微妙に違う

「書きやうはいろいろあるべし。唯さわがしからぬ心づかひ有りたし。『猿簔』能筆なり。されども今少し大なり。作者の名大にていやしく見え侍はべる。」

(芥川龍之介『芭蕉雑記』)

 もしかしてこの時も芥川は、目の前で文字を書き写してはいないのではないかと疑われるところ。

書やうはいろいろ有べしさわがしからぬ心づかひ有りたし、猿みの能筆なり、されども今少し大なり作者の名大にていやしく見え侍るとなり

芭蕉全集
沼波瓊音 編岩波書店 1921年


芭蕉全集沼波瓊音 編岩波書店 1921年

 岩波書店の全集だから正しいなどと云うつもりはさらさらない。岩波書店の全集が間違っている例は散々示してきた。ただ芥川が参照している本の名前を記していないので、ここは岩波書店とのズレを記録しておくだけのことだ。そしてここにも吉田精一の註が付いていないので、こりゃあかんわ、と思うだけである。

[余談]


日本文学史 下 武島又次郎 述早稲田大学出版部 1909年


奥の細道詳解 黒沢教一 著黒沢淨 1920年


帝国歌学史 上巻 神谷保朗 著露の舎社中 1909年

 どないやねん。

野史には川岡雜談を引いて、久秀の弟尙秀の孫としてある。

画趣と詩味
笹川臨風 著中央書院 1913年

一說として貞德の母は松永久秀の伯母ともしてある。

画趣と詩味笹川臨風 著中央書院 1913年


画趣と詩味笹川臨風 著中央書院 1913年

 ほんまにどないやねん。

538 8のV 00 6の〓N〓4 5のV 00 6
コ1459勝峰七部集定本著岩波書店刊大正行14. 3. 7
序538-98七部集の俳諧は、萬葉集以後の日本の詩歌の關所であります。此の關所を通る詩歌の旅人のために、冬の日の險しく、春の日のやゝたひらな山坂から、曠野、ひさごの峠を越えて猿養の頂上にさしかゝり、關所の全景を俯瞰して、炭俵、續猿簑の平坦な道をやす〓〓下れる案內記となるやう編纂したのが、本書であります。流布本にある雜草はむしり、小石はふるひ落しましたが、本文は古版本に對照して、漢字と假名とを强てさし換へる事をせず、强てさし換へる事をせず、濁點一つの保存にも注意をはらひ、すべて原本の體裁を傳へる事にしました。必要な部分は別に頭註を施すといふ風に索引も亦辭書であるといふ考から、本文に載する俳句、連句をそつくり取つて、全句索引を添へ、別に作者四百三十餘名の主要なる傳記を附錄して置きました。大正十四年二月
炭猿ひ曠春冬七さのの部俵簔野集ご日日芭蕉七部集定本目次小集集集集集集見荷野坡、去珍荷荷勝來凡峰孤屋、磧兮兮兮兆晋利牛撰······二四七撰······一七七撰撰······一六〇撰撰風三元(次目集部七)
續猿簑集沾圃稿·····三一三七部集作者列傳勝峰晋風七部集俳句索引七部集連句索引(次目集部七)七部集小見冬の日は茶人の俳諧である。茶人の持味がある。それは光線の弱い、暗い、狹い、茶室の風炉手前に、檐のしぐれを佗ぶる陰性な心の動きでない。茶の湯者をしむ野邊の蒲公英野の春を黃に染める小さい花を愛でゝ、たま〓〓提げて行つた野風炉を沸かせる濶達な茶人味である。かれらは富に厭きる大分限者ではないが、この上の生活苦を求むる焦心を要しない、ゆとりを持つてゐる。暗い、狹い、茶室の風炉手前に、檐のしぐれを佗ぶる陰性な(見小集部七)ららうたげに物よむ娘かしづきてあはれ、好き聟取らせて、若き二人にその代と家とをゆづるのが日ごろの望みである。机に向ふ面映ゆげな娘の姿は、かれらのたまらない愛なのである。ゆふべの膳に鯛はなくとも、『冬待つ納豆たゝなるべし』の依びた食味を求める。絹ずれの柔かものよりは紙衣の荒い手ざはりを好む。經書に通ずる望みはないが、書架から亂抽する雜書に好んで耽る。一て机に向ふ面映
二冬の日に現はれた生活樣式の簡素で、和漢の稗史、傳奇から引いた材料の多い理由の一つである。作者の側から見るならば、野水は名古屋の惣町代役となつた名望家である。その家は御大工頭中井大和の舊邸を小判百五十兩で買取つたので、表口三十五間の大構であつた。晩年宗和流の茶道にかくれて、尾州千家茶道之記に、『茶事も名高く、道具の目利等にも名ある者也』とあるから、正眞の茶人である。重五は上材木町の問屋筋で、その子簑笠に店をまかせて宮の驛へやがて閑居した。杜國は尾張藩の切米を扱つて、後日それが爲め罪科に處せられやうとした。越人は、『彼は富めり、我は貧なり』とさへ稱してゐる。かれらが芭蕉に接する前に、既に俳諧のたしなみあつた事を閑却してならぬ。杜國が貞門の俳諧師椋梨一雪から奇才を試みられた一作、ちりけもとにてうぐひすの啼くの難句に對して紋どころ其の梅鉢や匂ふらむミ、ちりけ(身柱)を衣服の紋の梅で受け、その枝に鶯を啼かせた逸話の如き、これも作者の一人羽笠が伊丹派の鷺助に逢つて、附合で互ひに揶揄した如き、孰れも貞享以前である。野水、重五、荷今に(見小集部七)杜國が貞門の俳諧師椋くこれも作者の一人羽野水、重五、荷今に就いては確證ないが、此の道の素人でなかつたこと疑ひない。そこへ、芭蕉は狂歌の才士を慕ふ風狂人の態で、貞享元年十月、破れ笠に山茶花をとばしらせつゝ此の國へ漂ひ來たのである。鳴海の千代倉知足から宮の驛の林桐葉へ、桐葉から杜國、荷今へ紹介したのであらう。かれらは貞門、檀林の徒の勢力爭ひから、大閥小閥を構へて、今日の寫生閥のごとき角突きを不快に傍觀して居たので、芭蕉の門戶を張らない洒脫な態度と、寂の世界に徹しようとする眞贄な句作と、二つながら敬服して、そこ、こゝの吟席に招き、その新らしい俳諧の捌きを受けた。才人荷分はその間を斡旋して、遂に冬の日五卷が撰集されたのである。芭蕉の渾一した心境で氣分本位の新らしい捌きをなさうとしたとて、連衆に附合の素地がなく、稗史、傳奇の材料をこなす力がなく、殊に一卷を通じて新氣分を表現する茶人式な持味がなかつたなら、折角の意圖はむざ〓〓畫餅となつたであらう。春の日は〓士の俳諧である。〓士は武士階級から歸農して、士分の籍にある者を稱する。三
四苗字と帶刀との二特權を許されて、家格を落さず、かれらは種々の事情あつて半農生活に投じたが、苗字と帶刀との二特權を許されて、家格を落さず、舊緣ある地方人に信望されて居たのである。穗蓼生ふ藏を住ひに佗なして廂は雨に朽ち、壁はところ〓〓落ちて、萱葺の藏の影を投げた溝川には、がさ〓〓な蓼の白い花が咲いてゐる。信なしての語氣に取繕はぬその住ひを想はせて、靜閑な、やゝ落目の郷士の生活を描いたのである。我が名を橋の名に呼ば月藏住ひにいぶせく、『佗なして』ゐるが、一〓の仕事となれば仁俠な〓士の述懷である。私財を投じて往還に架けた橋の、誰いふとなく我が名に呼ばるゝを聞知つて、その橋に照る宵々の月を眺めて快心の體である。此の二句の情景は決してたゞの町人、百姓の姿でない。沒落した豪家の佛でない。私解のやうに風雅に佗ぶる有爲の郷士と見る時、或は作者その人の感慨でないかとすら疑はれて、現實感を深めて行くのである。春の日の撰者は、冬の日と同じく荷分である。彼は蓬左の橿木堂と號した。蓬左は熱田の神宮に近き冬の日と同じく荷分である。彼は蓬左の橿木堂と號した。蓬左は熱田の神宮に近き寓居をさしたので、橿木堂の號に芭蕉の『かしの木の花に構はぬ姿かな』と詠じた自然の氣高さと、荷今の人に屈せぬ强い性情とを語つてゐる。彼が芭蕉を惡評して破門された說は、持前の傲岸から人の憎みを買つて言觸らされたのである。作者には荷今の弟冬文、舟泉、雨桐の如き新人がゐる。旦藁は後に流浪したが、そのころは田家に竈を持つて、杜國に扶助された越人と共にところ〓〓に新顏を覗かせてゐる。冬の日以來の野水、重五は郊外の別墅に市塵をさけて閑逸の風情が、老熱した其の附句から窺はれるのである。羽笠はすこやかだが、正平は影を沒して、杜國も連句中に同坐して居ない。春の日三卷の連句は、誰が捌いたかゞ問題になつて來る。連句は捌く者の氣分で一坐の空氣が動く。材料の扱ひ方が變化する。冬の日を捌いた芭蕉はこの卷々の行はれた貞享三年の春、深川の舊庵に閉居したから、直接の捌きにあづかる筈がない。杜國か、杜國は空手形の咎めで三河に謫居してゐる。一人荷分は三卷を通じてその作を列する。彼が前年芭蕉に接して深くその直指を體得したので連衆から推され、明快な才智で捌きを附けたのであらう。荷兮が捌いたとすれば芭蕉の附句のない卷々のみでは、同門の思惑に對して撰集を憚る。その年の春、江戶蕉門の諸士が衆議判で行つた『蛙合』から(見小築部七)その年の春、五
六古池や蛙飛びこむ水の音純蕉風の閑寂境を提示した第一作を擧げ、それに、かねて私抄して置いた同門の發句を添へて刊行したのである。春の日の連句は、冬の日に幻惑されて傳奇的な構想と色彩が强い。自然の小景を骨董品として愛玩した茶人式な見方がある。荷兮の捌いた特色はどこにあるだらうか。舊文學の振向かうとしない農民生活の描寫である。肥桶をかつぐ農夫の純な生活味はないけれど、田園の四季のうつり、人の動き、朝暮の光景を率直に詠じた塲面に乏しくないのである。これは荷分の個人色といふよりは寧ろ、冬の日の傳奇的な霞を透いて匂ふ春の日特殊の地方色であると解する。水の音かねて私抄して置いた同門の發句を添へて刊行し自然の小景を骨董品として愛玩し田曠野は浪人の俳詣である。主家の扶持をたゝれた浪人は、知る邊をたよつてその家に寄食するか。裏店で手內職をしながら、其の日〓〓のしがない生活に落ちるかである。うす暗い路次の突きあたりの今朝よりも油あげする玉だすき妻に別れて日の淺い暮らしに、『後添よべといふがわりなき』といふ迷惑さうな前句を承けて、その佛事の膳立で臺所のごたつく情景である。油あげする若い女が後添の候補者である。玉だすきといふ言葉が、さうした人柄の女を際立たせる。あんごん張りてかへる浪人煤け行灯である。店先のでも小座敷用でも構はない。その張替を賴まれた浪人が、すき腹に油あげの匂ひを沁み込ませつゝ小刀を〓ぐ。糊を煑る。新規に張上げて戾つて行くそれ丈けの事である。亡妻の佛事に關係を持たせなくとも好い。油あげする忙しさと、行灯を張る浪人と、氣分の明暗を對照して現實な生活味を漂はせてゐる。曠野の配材の新色彩である。偶然ながら作者はいづれも浪人である。今朝よりもの嵐雪は、貞享中に越後の稻葉家に召仕へられて、一年ばかり袴の股立を取つて武士勤めをしたが、再び浪人して江戶の濱町に居た。或る女と梅太郞といふ子を儲けたさうだから、あの附句のやうな情景の經驗はあつたのである。行灯張りの越人は、名古屋に流寓して居たが、芭蕉の言葉に『二日勤めて二日あそび-醉和する時は平家をうたふ』とあるから、勤めとはいへ、日々の凌ぎがつけば好い氣まゝな勤めである。手內職に行灯を張る位はありさうな暮し七き(見小集部七)
向である。此の連句は嵐雪の浪宅でお互ひの生活記錄を兩吟に吹き込んだので、越人の江戶みやげの一卷なのである。越人は曠野に兩吟四卷を寄稿してゐるが、作品の量から附句の技量から見て、撰者の荷今を凌ぐ程の進境である。曠野は元祿二年の編集であゐ。朗詠集の部立にならひ、發句本位の新體裁を求めたので、作者の多くは勢ひ發句の部に集中されて、かれらの一本立となる道塲かのやうに無名作者の雜揉を來たしてゐる。選句の標準を蕉門に置いて、古人の作と雖もその蕉風の句境に近いものは採錄してゐる。だから堂上風の連歌の制定者宗祇の作も、笑ひの俳諧の大成者宗鑑の發句も、眞實な趣向であれば嫌はないのである。古鳥帽子の守武は散る花に佛の世界を戀ひ、さればこゝに檀林の宗因は謠がゝりの渡り候かで、客觀描寫に傾いてゐるが如きである。かと思へばあたつたひとり立たる冬の宿荷分のごとき撰者その人が無條件で、こんな貞德の『あゝたつたひとり立たることしかな』の古句取さへ敢てしてゐる。荷今が貞門に寐がへる筈はない。貞門も俳諧の一國と見て、たま〓〓緣語の世界へ誘惑されたのである。曠野は浪人の俳諧であるといふ言葉は、ばならない。曠野は作者それ〓〓が俳諧の國々を流浪して、ふ風に。發句本位の部立から見れば、其の語の內容を轉換させなけれ蕉風殊に發句の新道塲を曠野に構へたのである。といひさごは士分の俳諧である。同じ大小を差しながら拵への疎末な、同じ肩を怒らせながら附け元氣な、士分階級の生活がひさごの俳諧氣分を構成してゐる。かれらは五人扶持そこらの俸米に不平もなく勤めてゐる。非番の日に窮屈袋をぬいで同役と一石圍む位が、其の欝散なのである。碁いさかひ二人しらける有明に白を取らうが黑を持たうが、無關心で碁石を握るうちはいゝ。三番と五番と負越しになれば『この石は拙者の······』『いゝや、われらの······』と、二つの手がもつれて行灯へ黑い影をかさねる。その爭ひが夜を徹して冴えた心を尖らせる。同じ肩を怒らせながら附け元氣な、士分階級の生活がひさごの非番の日に窮屈袋をぬいで同役と一石圍む九
あきの夜番のもの申の聲有明の空に澄む拍子木のひゞき、夜番の聲で宵から一枚引き殘したまゝの雨戶へ氣がつく。そこからしら〓〓流るゝありあけの微光に、はつと朝勤のお互ひを思ひ合せて、執着の碁盤をはなれる。夜番の『ものもう』の一語に聯想を呼んで、その刹那の情調が動いてゐる。ひさごの附句を味解すれば、さもない事件を詠じたやうで、此の氣分の潤ひを持つものが尠くないのである。呼び步行けごも猫は歸らず子のない夫婦のいとしがる猫である。いつもは飼主の聲を聞いて、となりの屋根から、日南ぼつこの庭から駈け戾るのだけれど、いくら呼んでも來ない。もしや盜まれはしまいかと近所を呼び廻る。ほとぎす御小人町の雨あがり雨あがりの長屋の塀に附いて迷ひ猫をさがし行く。若葉の雫がほつり顏へ落ちる。その梢を仰ぐ視野を掠めて啼き過ぐる時鳥である。子飼の猫を案ずる人物も、呼びありく塲所も、御小人町で明瞭に其の輪廓を定めてゐる。その人とその塲所と、ひさごの俳諧の覘ひ所である。附句の姿である。ひさごは近江膳所の連衆が中心の連句五卷を收める。作者悉くが今いつた第三階級の武士でない。花見の卷の作者曲水は金紋挾箱の知行取である。乙州は大津の本陣である。正秀は同門露川の評に『下位に居て上居に交り、貧家にして富家にくだらず』といひ、若黨一人持たぬ歲日の吟に『刀さす供も連たし今朝の春』の作もあるから、漸く士分の格なのである。撰者は同じ膳所の珍磧である。芭蕉は酒落堂の記に、彼の風雅な構へと眺望の美を稱したが、珍磧は芭蕉に接して氣分中心の新附句に啓發されて、野徑、探志、及肩の連衆を語らひ、日夜句作に精進して遂に近江蕉門を起さうがため、元祿三年ひさごの撰集に志したのである。彼は連衆中でも、こしらへし藥も賣れず年の暮te.この平句が語るやうな百味簞笥に埃のかゝる佗しい醫者で、いさゝかながら扶持米も支給されてゐた。士分の俳諧たるひさごの撰者に適はしい境涯である。猿簑は隱士の俳諧である。六合八隱士は其の性に適するところを栖としてゐる。山にあつても隱士である。麓にあつても隱士である。月洩る木蔭にさし掛けた九尺の小庵を狹しとしない。淋しとしない。淋しさを以て、まことの故〓とさへしてゐる。一一
淋しさを愛する俳諧の隱士は、風雅の究竟地を山の淋しさに索めて山居するが、その淋しさにみたされぬ心を麓へ向けて再び山を下る。山の淋しさはたゞ松杉の嵐である。人間の淋しさは山よりむしろ麓を吹いてゐる。人と人の生活を措いて人間の淋しさはありやう譯はないのである。幻住庵の山室をその麓の無名庵に移した隱土芭蕉は、人間の淋しさを愛して風雅のまことに徹したのである。猿簑の俳諧をこゝに提唱したのである。草庵にしばらく居ては打やぶり西行の面影である。芭蕉の遺語にさうあるのだから疑ひを挾めない。が、既に面影である。うしろ向の人物である。歷史上の西行を對象としたのでない。彼の性行に近い隱逸者であれば能因で好い。芭蕉の感想で好いのである。句中の『しばらく居ては』を沈思すれば、しば〓〓庵を構へて、しば〓〓その庵をやぶつた芭蕉の淋しい瘦顏が、現前して來るでないか。これぞ芭蕉の全輪廓である。西行や能因は緣暈に過ぎない。此の塲合の面影は附句の一體で、いまん芭蕉の風雅の假象なのである。いのちうれしき撰集のさた芭蕉の前句を承け、しかとその情を踏まへて、作者の別箇の感激を同じく面影に托してゐる。流石に此の塲合の面影は附句の一體で、いまんいしき集のさた作者の別箇の感激を同じく面影に托してゐる。のさた芭蕉の前句を承け、流石に去來の附句である。さすらひの旅にある前句の遁世者が、舊廬に心をひかれつゝ、敕撰集の行はるゝ沙汰を聞き、詩歌に再生する歡びといふ解釋は正面の觀察である。淋しき山庵を出た芭蕉を麓の寺に訪ひ、風雅のまことを躰得した去來が、猿簑の撰集を師より許された其のうれしさである。撰集も嬉しきも現實の言葉である。去來の現實の感激なのである。斯く解してこそ、面影附に托した前後の句意は相照映して、現實の氣分が主客渾一の境地となつて、その俳諧に象徵されるのである。芭蕉の幻住庵入りは元祿三年四月である。その七月には山麓より遠からぬ木曾寺の無名庵に引越してゐる。『しばらく居ては』の眞情である。猿簑の幻住庵の記は此の無名庵で起草されたので、友人中邑翠濤君の藏する去來宛の書翰に、芭蕉はその推敲の苦心を語つてゐる。第二段に空山孱顏心相違いかゞ可レ有御座候や。但し胸中の空山たがへて候間くるしかるまじくや。このかみの御ぬしへ御尋可被下候。誹文御存知なきと被仰候へ共、實文にたがひ候半は無念に候間、こむづかしながら御加筆被下候へと御申可被下候。とある。『このかみ』は去來の兄で漢學者の向井震軒である。その頃の去來は京都中長者町に家居して、東洞院なる同門凡兆を誘ひ、或は無名庵の扉をたゝき、或は芭蕉を京都に招き、懇切の指導を受けつゝ三三現實の氣分が主客渾一の境地となつて、(見小集部七)
元祿四年の夏、漸く共撰の功を收めたのである。猿簑は隱士芭蕉の俳諧である。幻住庵の記といひ、凡右日記といひ、芭蕉の周圍に限られた私錄である。一集悉く蕉門の作者である。その撰を許された去來及び凡兆は要するに市中の隱士である。芭蕉は人間の淋しさを體驗せる俳諧の隱土である。猿簑は彼の風雅の大本なのである。炭俵は町人の俳諧である。町人式なそら〓〓しい感情の現金な表現がある。俗情に落ちる筈である。その附句には調子の低ひ覘ひがある。前後の句に對しての懸引がある。附け惱む塲所になれば輕く言ひ拔けて、その塲を投げる迯句の如きである。さればといつて炭俵を卑めてならない。炭俵の成立には別にその理由がある。江戶の町人階級はあの時代の經濟生活の全幅なので、それから特別の俳諧思想の發生していゝ背景を持つてゐる。炭俵を善意に解すれば時好に投じた流行體の新俳風である。無理解にこれを卑むのは蕉風の發達を知らない偏見である。茶の買置を下けて賣り出すこの茶は思惑買ひでない。投賣でない。季節に仕入れたのが賣れ殘つたのである。賣れる見込みの茶(見小集部七)賣れる見込みの茶が買置になつたので、値下げをした意味である。小資本の商人の苦しい商畧である。賣り出すといふ言葉が、逼迫したその手許を思はせる。巧まない、あり來りの言ひ廻しであるが、內容はかなり複雜してゐる。此の春はごうやら花の靜なる春になつたら景氣は持ち直る豫想のその春は來たが、世間の人氣は沈んで淋しい。こゝろまちの花は咲いたが、ごうやら世間はその花にすら沒交涉のしづかさである。茶の値下げを實行した商人の顏は、よそ吹く風の不景氣に暗く壓迫されてゐる。前句のどこを覘つたともない漠然たる附け方で、茶の賣出しにいら〓〓する心をじつと壓へつけてゐる。炭俵特有の附け肌である。芭蕉のにほひ、響き附は炭俵になつて、江戶の門人に强く意識されて來たらしい。芭蕉談には炭俵の百韻から例句を引いてにほひ、響きに就いて論證してゐる。ほろ〓〓あへの膳にこほるない袖を振つて見せたる物思ひほろ〓〓あへは菜とか蕗とかの味噌あへである。貧しい膳まはりである。後句の物思ひはほろ〓〓あ小資本の商人の苦しい商畧である。賣り出すといふ言こゝろまちの花は(見小集部七)芭蕉談には炭俵のるひ後句の物思ひはほろ〓〓あ一五
一六その物思ひはほろ〓〓といふ言葉の響きである。へから、必然聯想さるべき浪人の生活である。その物思ひはほろ〓〓といふ言葉の響きである。かう芭蕉談に說いてゐる。芭蕉談は疑問の書である。鬼貫の幻住庵訪問の起筆に對して、それより以後の炭俵や續猿簑に例證を求めた年代の錯誤が第一に不審である。無條件に信じられないが、芭蕉のにほひ、響きの旁證を炭俵から引用した一項は、その說の炭俵になつて江戶の門人に誤なく理解された事を裏書する。芭蕉談に擧げた炭俵の附句は利牛、野坡、孤屋の三吟百韻である。芭蕉の直接手を下さない三人限りの合作である。野坡たちが師の說を意識してゐないならば、その附句が不用意の間に案出される譯はないのである。炭俵時代の芭蕉は、畫は錠おろす市隱の生活を垣の朝顏に象徵させて、深川に在庵したが、炭俵の出版された元祿七年の六月は最後の上方行脚に上つてゐる。撰集の後見をしたが、その内容には深く干涉しなかつたらしいのである。炭俵の撰者は前記の野坡、孤屋、利牛の三人である。傲岸な許六は同門評に『元來三人ともに越後屋の手代なれば』といふ風に輕蔑してゐるが、野坡は輕みを以て俳諧の一家をなしてゐる。蓮花庵の寂雷和尙に參禪して、後に照笛居士と號した人物である。炭俵の撰者に聊か恥しくない。許六のいふ通り三人ともお店奉公の卑しい境遇としても、町人の俳諧である炭俵の新調を越後屋の店かう芭から、世の中に廣く流行させた事實は否認されない。俳諧の歷史に永く記錄される大きな成功である。續猿簑は未定稿である。續猿簑の俳諧を或る人格體に擬するは、未定稿なるが故に困難である。强ひて喩へれば附會の說となるから避ける。續猿簑の題號から云へば猿簑の延長であるが、その境地は炭俵に近い。炭俵の輕みを更に篩にかけて、町人式のそら〓〓しさをすべて振ひ落してゐる。猿簑の淋しさをやゝ引き下げて、人情の世界の淋しさを覘つてゐる。わかれを人がいひ出 せば泣く悲しい別れを人から悔まれて、その別れの幻覺を描いて又泣くのである。第三者との對話にふと唆られて發作的に泣くのである。その坐の一人が別れ話をいひ出して、一人が泣いて怨む意に取れば全く戀句の體である。それでは『人が』といふ三人稱を挾んで、別れの塲を一句の裏へ廻した技巧が無視され未定稿なるが故に困難である。强ひて喩へれば附會の說となる。前句のき『砂に這ふ棘の中の絡線の聲』を墓塲と睨んで、その聯想から臨終の別れを附けたのである。一七
八別れを對話體に扱つたところが、此の句の人情味である。火燵の火いけて勝手をしづまらせ泣き顏を拭いて火燵を出ながら、火の氣が强さうなので、灰をかけてこんもり高く火をいける。火を疎末にしない女らしい所作である。さて勝手を起して置いた氣の毒さから先づ寢しづまらせる。思ひやりの深い女らしい情味である。前句の對話が女同士である事は、この後句の解釋で明瞭に限定されるのである。曲齋は別れを旅立のなげきに見立がへをしてゐる。その說も存置していゝけれど、人情味の深刻な前幕を落さないで、舞臺をその愁歎の世話塲に廻した方が、作者の覘ひを外さない解釋である。續猿簑が芭蕉の歿後に刊行された經路は、その特色の不透明なるが如く迂餘してゐる。最初の發企者は沾圃である。沾圃は江戶の能役者寶生左太夫である。彼は同役の里圃及び鷺流の狂言師馬寛と共に、芭蕉の捌きを受けた歌仙を出版しようとして起稿したのである。その草稿が芭蕉の手に渡つて頭陀袋に收められ、元祿七年伊賀の東麓庵で、近江や伊賀の連衆の作をさし加へて、略、撰集の體裁が整つたところで芭蕉が客死したから、伊賀の松尾家へかたみに殘されたのである。(見小集部七)京都の書林井筒屋が頻りに懇望して、元祿十一年漸く未定稿のまゝ開板される事になつて、支考が遺稿に手を入れたのであるまいか、といふ疑惑を蕉門の人々に抱かせたのである。その疑惑は越人と支考との論爭に依つて看取されるが、越人は支考の削り掛の返事に對する論馭書猪の早太に、一、續猿簑に躑躅を正花に、松露を冬季に扱ひたる事。二、芭蕉に託して名月二句の評語を附記せる事。三、版本に墨消しの痕を見せて、遺稿の如く瞞着せる事。右の三條項を擧げて、支考の僞撰と斷定してゐる。要するに續猿簑は沾圃の起稿で、芭蕉がこれを改制し、猶未定稿なるを支考の加筆したものと見るのが穩當の見解である。二、(見小集部七)·猶未定稿なるを支考の加筆したものと見るの勝峰晋風識
水を司る役、水取(もひ主水(もんど)宮中にてとり)の略以て世に聞えたり醫竹齋と稱し、竹崎(ちくさい)尾張名に住し、狂歌を天下一庸狂歌の才子卽ち竹齋なり『甲子吟行の冬の程風吟すㄴ「名護屋に入る道ごありに貞享元年冬俳か有明の主水句事を不圖おもひ出て申侍る。」に覺えける。嵐にもめたり。笠は長途の雨にほころび、の諧しからしの身は竹齋に似たる哉らや日七のとばしる笠にむかし狂歌の才士、佗盡したるわび人、露部酒を屋集ふ紙衣はとまりとまりのつるくの此國にたどりしふら山我さへあはれ赤せ茶馬て花一.重荷野芭五兮水蕉(日の冬)
秋水一斗つと)のこと漏刻(しうすい(みづとけい(七靜獲)れ水、宗祇(そうぎ)宗祇の忘靑野村の一里塚近傍に熊坂物見の松、あり(婆心錄)ほとりにあ美濃の國山田の美濃國ないとのありがとう(七部木槌)次を二の尼といふの官女崩御の後、100元/30元/斤BOOMうらかた(占形)さかしき(點)中に小萬柳あり。(大鏡)こまんが柳攝津國田影法かけぼうし」の略(かげぼう)人影に含めたりを吾妻に下れるを句中10 L O L O X I X髪はやず髪はやす程業平、(大鏡)髪を切ら二條笠盜今乘黃ソカレ霧昏田影しら〓〓と碎けしは人の骨あ鳥賊はえびすの國のうら冬は枯れさわのけ謎にもとけじ時てひとりかか唐あ我二の尼に近衞蝶はむぐらにとば物に簾透顏のお僞りのつらしと乳をしぼりすて朝秋隣しあき髪日ぬぎて無理にもぬるは人物中法は庵鮮水ばしぞさにるえのの 記カ恨を橫なれさにはのやす間をしのぶ身のほど鷺に宿かすあたりにて一わか舟るじのぬち簾卒細りすすきの宗曉のしひく人はり〓〓に斗け念のにこまんが貧にに祇き都のな寒宿漏て矢の町娑にすこく〓との松がにくかすあたつひをお花の名のにむはちた野火くとを吹はぼか下る柳落るこへにり盛りきすり北唐各時付をなろ鼻り月んしを米匂ひ夜かかしれつなか居細ば虛燒りにてをなぞ鳥た何苣手が雨水て聲るむくるしかろ家て泣刈き三芭二杜野重杜野荷杜芭荷重芭野重杜野荷杜芭荷重芭野正蕉水五國水分國蕉兮五蕉水五國水兮國蕉兮五蕉水平國(日冬) (日の冬)
れし陸奥の名所也漫香沼なご古歌に詠ま淺香(あさか)淺香山、鞨皷(かつこ)樂器鶉ふけれの意。麻呂(まろ)瘤(ふすべ)今いふ「こぶ」なり。涯を佗びたる也語に緣りて、を千仞の岡に振ふ」おもへども俗人の境の文選「衣影上増」(標註)白氏文集風呂樋。居湯(おりゆ)釜のなき「月照藤花鮗(このしろ)槿を摘み、曲を打つ、置く」稱せる語(大鏡)山を唐の李白に擬して日東(じつとう)石川丈五車端韻に(標註)璡が帽上に明皇自ら紅「汝陽王璡鶉啼き耽れ床麻桃小三太に盃とらせひとつうたひ明日はかたきに首送りせ口雨野綾我箕牛はつ雪のことしも袴着日巾:ン東明緣更奧の鶉をこ呂菊霜廊ひけいの日さ花がしと瘤をちぎるちPletたまげのおもへども壯年いまだころもを振はず。ふに下ふにて語ゆまにとのり跡とのはかれきさ淺手るを袖月れけ尋だでま藤居湯はへは妹明鮗ぶ槿木李白たきに首らぎをのげ香にぬが魚ばいとこ折とのらをがのののる鞨車皷る見に眉たふは坊田蝶影志を恨のこ只るかの草さに螺貞をひの賀つ星孕むいのかな堀鳴羽葬きむ月德てかへのきたた夕ぐりなきすに琵せらなりるにうのけれをのふ花ゆだ琶をゑらん漉ベれ見んきし男泣て富りて食シットる也てきくきに打て五四芭重野芭荷野杜正重荷芭杜野重杜野荷杜芭荷重蕉五水蕪兮水國平五兮蕉國水五國水兮國蕉分五(日の冬) (日の冬)
活刈明神を祀る、の國境に白髪明神、獨活刈(うどかり)羽越神事なり(大鏡)其の獨秋蟬(しうせん)濟禪師の起せる禪宗の臨濟(りんざい)唐の臨唐輪(からわ)髷の名。きたる紙の名。薄樣(うすやう)薄く漉派の寄附を募るなり。奉加(ほうが)佛堂造立篠(さゝ)するなり。鶯を誘ひ、うぐひす嫁(よめり)かぶろ(禿)今のかむろる漁家の態也。綱にて屋上などを覆へかゞり(掛り)古き繩冬より啼が灯を入れて袂三ケの花鸚しらかみいさむひとりは典より硯〓を鷓ひ尾侍のケら秋月に戀蟬蓮奉篠窓道すがら美濃で打け櫛箱に餅す初花の世とや嫁のいかめ繩あみのかがり藤ひとつね三うぐひす起かぶろいくら月加こつこつとのみ地よ池ふかくのせにざ線はりのたてるめに實硯ぬ手め虛に鷺すか遲つきづの御梢をの<らかひ侍ケた聲ぬ唐か傘堂はゑ越長尾局き東京のら雫ふきく臨!ンの薄髪濟¥樣た輪ら遊子下の金コイチさにの不ん柿紙の燭よ閨春るのやは牡れのうる破ぞほし樣ぶ擧;てほ のぶ丹のか山蔕ヘと藏づち碁鳥いくのつををタりものかはゆれぬ獨內かか赤荷をさぼかき壁活侍げちさま枯す間さな七忘關びしなしる落す刈さかにりはつてき暮すひ十る人してるきく町て人七六荷重杜芭重野芭荷野杜荷重杜芭重野芭荷野杜荷重杜兮五國蕉五水蕉兮水國兮五國蕉五水蕉兮水國兮五國(日冬) (日の冬)
女官命婦(みやうぶ)後宮の培さる草にて奧州にて多く栽紅花(べに)染料となるは年經る也。縣(あがた)田舍、相撲力(すまふちから)たるごみ取の具也。扇(あふぎ)扇形に編み齒朶は誤り。靈(しぐれ)霰とある書の長さ二百八間あり。矢矧(やはぎ)三河、橋(しだ)ふる今の裏白朝しのぶ間のわざとて雛を作り居るま紅花買み命が月婦のき夜迄津君ち双六より浪にほととぎすきくの打米水にぐづのな旅んご寐れ來し行すて縣佛五ツクふ露蕎灯萩麥籠馬茶の湯者をしむ糞かく扇に風齒らうたげに物よむ娘岡眞まつうれ北朶氷庄命が杖をひく事僅に十步。ざ月つ屋婦のしげに囀る雲雀晝形グるの花菫見馬のの次郞眠と晝喰きののふき夜のかくみ松矢を馬別のやの花た迄津君双へへた撲青つさ相ふ御葉をみか菫見門初ねて月とり落をるより行浪よのの次魚郞のし力にを狩水みの押の滋を情野邊の蒲人解て橋とのうちのち畠旅賀撰11/くかしづきあのおの仰yきく長たりが寐樂ばらけ矢に稻すち六りき顏りれけれしのれぶ公霞の負づ乘ぬ哉也と反てり行て坊ずるて英み春てま哉九八荷杜野芭杜重芭荷重野荷杜野芭杜重正荷芭野重杜兮國水蕉國五蕉兮五水兮國水蕉國五平兮蕉水五國(日の冬) (日の冬)
花棘(はないばら)萬葉集「難波人芦火たが妻こそとこめづらしく屋はずゝたれどおの西行の歌にのきさらぎの望月ののもとにて春死なんそ「願くは花供して祭る胡麻千代祭り九月上の午の日胡麻をよまつり)加茂の末社、(ごまち帶を引く也。帶引(おびひき)逢引のの趣(婆心錄)在リ鐘ハ西方ニ在リ」白虎通に「琴ハ南方ニあだ人とさと」はあき樽にかへるふるの狂歌の心。とつの樽を呑ほして身「南無三寳ひ標詩に「笠重吳天雪」晦日(みそか)風加萩茂吹織花炭人賣棘花鶴加こが影う烹る事三雪襟リ晦のそお聲秋あだ捨芥子のひと吹なには津にあし火燒家はすすけたれどの日し見もひよよ湖をゆるして沙魚を放ちきか念す佛か藪にを琴へかだへつす川のれにぬ馬のすき狂望月人と日子やる秋るお飛き窓骨粧のかの高吳をはたましひ花の陰に入日を我もおなじく胡笠ののの日ね行東樽雄の柴麻を日のひがを燈へを國寒刈千霜妻つも夜はが月けしに起わびに 名の瓶く長にのび代市我も棺片にかにをこそを暗笠祭にに刀袖り振微す振酒す咲鏡黑おるへくをこぼ呑づめ賣なかか磨十十かなの鐘ほをらつ近きなへら帶つのすさとるけるしらみる日りり寒サムめく引てる者聲禪んくき年ん一〇一荷羽芭野杜荷重芭荷重野荷杜野芭杜重芭荷重野兮笠蕉水國兮五蕉兮五水兮國水蕉國五蕉兮五水(日の冬) (日冬)
白燕欵多(くわんとう)藥草あと」花に泣宣旨とよむ可しとい曲齋は八十年、TEC紙衣(かみこ)財源はやり來てありし年の祝ひを繰延いいか「はやり正正月疾癘俗お多福のこと語に三平二滿とあり。三平(まるがほ)山谷の地名。いはくら(岩倉)山域の戎する域内。いがき(齋垣)不淨を齋桂のはな百丈」とあり月の異名。「月ノ桂高サよし、法然上人の雜書にある敕して玉釵を鑄たる事男の親ある者を集め、和竹林寺に百義以上の、笠笠の註に見ゆ。この三句明解なし、太い寅は賤西八十宣白花霧門火捨お雲皷釣蘭僧冬血うないはくらのに守がきして誰とものやの十燕下らもか瓶の南か旨年七七も泣ま刀おき日手り家濁りての翁れてくふにつかぬ火燵に紙ばう旦の向來てに栗をあら撫子て賢に油桂だちそむる七をからいの櫻の本豆黴た〓の納かくにはは布事に三ツのしこぬす搗聟しをるなし水はねるた鍛辨子るはとの月子ち歌な知きか女め見くにずたなきかにつかしのころ冶ふなるす欵羽く鐘のかをカンザシ釵鶯越ら南ざ見 て木わらぬ人京+·急の慶の正るの日かう莟のタの童母をを冬にてなる七つらくてり人を離のるはのの起月くヘつむつ持鑄洗をけベきき寢見れ三れ像地フ〓て一三宮にれる音時まてるひ呑るしくにるん鳥平ガホて三荷羽芭野杜荷重芭羽杜野重荷羽芭野杜荷重芭羽杜野重兮笠蕉水國兮五蕉笠國水五兮笠蕉水國兮五蕉笠國水五(日の冬) (日の冬)
司馬溫公の獨樂園の轉獨樂庵(どくらくあん) (標註)柑子又牡丹をいふ。山橘(やまたちばな)藪に不二見の亭といふあ東海道藤枝、(標註)〓淨光寺具足(ぐそく)なし、(こう)鶴に似て丹頂俗に「かうづる」「かりぎぬ」)狩衣(かりき)正しくは山家の體い)やまがのありさま、(さんかのて秋のころ旅の漸酌くとはるれ江夏夏雉寂庭茶深追音樫冬ヒト檜の霜粥北のかたなくなく簾ね狩すするら衣れのぬ曉夢下責をにヨ花に我麻漸ひね泥をもなき具足に月のうすうすととる童ワツハ御連歌切蘭いとかりにいにで月すする田家眺望月にとしてくきかにとらにこころ近きに糸はず山朝や出くのと山木烏ゆる家鶴ヨれのよ獨曾る日のぬ曉下花身い橘帽ふ椿て牛のの夢はお庵樂と歌ふにさ作る子のむをそ花の士富切蘭鹽のこ體はをれあテッな々ツを鎧ヨかにに〓の戀女ぼ世のくる.のみいとかりぼ木ならるおしきのにしふろを集ら五風落ゆれのりびむやこ芹な捨あ見薄三のるるいつ葉け居らり春まのるてむん衣十香音寺に降りて雨て風り根四重五杜重芭荷羽野重杜荷芭野羽杜重芭荷杜羽芭野國五蕉兮笠水五國兮蕉水笠國五蕉兮國笠蕉水五(日の冬) (日の冬)
飯台(はんだい)りたるを尼に喩ふ。の花散りて、芥子尼(けしあま)罌粟坊主とな大角豆(さゝげ)勸むの誤り。みくすり(御藥)進むは莊子に「曳尾於泥中」の借字。籠興(ろうこし)籠は牢以て照應す。白洲(しらす)山茶花」水干(すゐかん)貞德時木枯の卷の脇句代俳諧の本式には烏帽りとい子、ふ大紋にて出席したにこの擧句を(RT至孝にして蹇の母を負人、深草瑞光寺を起す。元政(げんせい)彥根の事あり。ひて身延に詣でし逸仙の追加にて表六句な追加(つゐか)右の五歌し芥殊泥のうへに尾を曳鯉を拾ひ得 て御幸に進ス、む水のみくすりい水色元伏深政見色釣豆露萱御骨旅籠日,山春づをるるはすのみたてる蓮かさに飯臺のぞく月乞食のを見て坐に泪ぐみうちか干柿子にかに見よ追茶をのきの腐におか尼屋照幸輿衣加花つくさのま年にゆ秀白男木屋笛草簑にば小坊交りに打むらに炭團つ匂句洲猫幡のく根狐のをるにどふのひりふ風ら大むすののもらふしの難ン笠聖雪と袂てに角水木落鐘かや面ナソのわつも母れかのぞく月豆の花もろの瓜花牛掃を花破團こかのたみくの捨なををうつがをを喪つ山やぬるからかよねうベに片しののれくすのへあ打霰二七しにぶてつし入庇き前實て白しりめりひ拂一六羽羽羽野重杜荷芭野羽杜重芭荷羽野重杜荷芭野笠笠水五國兮蕉水笠國五蕉分笠水五國兮蕉水笠(日の冬) (日冬)
天和四甲子年十月改元貞享、芭蕉年四十一濃岐阜山か(標註)名、ちやんせん(茶茎)髪の謠曲木賊刈の面影附けたり。これを嫌へとも構はず四句目軍體なり。表に竹墻(たけがき)鏡尾村に別莊あり重五名古屋の郊外足(十寸(ぎふやま)美春銀木檜樽賊刈下着に髪を笠,火にに宮あをぶやる山春めくや人さまざまひ鎧櫻のわたりて。渡し船さわがしくなりゆく頃、ほどちかきに立より、曙見むと人々の戶扣あひて、熱田のかたにゆきぬ。並松のかたも見える。霞貞享甲子歲でになち二月十八日日がむり蛤にるにら月いと長閑なり。橋かあ中の一をぶ馬は今朝のけしきをおもひ出侍火時すちるにな重五が柴折おける竹墻かんにつや枯のあすたる立館ヘがく勢伊阜岐月は朝すせんし原の參也て連発李雨重て連り山海露て松八荷野芭杜重荷水蕉國五兮風桐五兮(日の冬) (日の春)
有限公司大學會讀我名を「あづさみこ」のこと(あづさ)。巫子にて針立(はりたて)鍼醫にいふて五位に準ぜられしを代の聖天子、文王(ぶんのう)支那周笛をいふか笛敦盛遺愛の靑葉のし(大鏡)鳥居より十八丁、鳥居より砂深鎌倉八幡は明は誤字(標註)有晨(ありあけ)古本農穗念蓼朝黑柳松の木に宮司が門はういともかしこき五召うつかりと麥なぐる家顏髮をた懷ばにぬ梓セッチるほきご肌傾須汐風によくよく鳥霧文我はだし入花わ雨お名佛朗豆かきよに居や拂寒王の磨くもり生をた城みのの寺かよわふ長寒腐お陰ぞここらに鞠なをふ一林に乳雫の 跡る日に蝶い藏ばに男りや鏡のに橋げを度に汗のをに鳶もぬの道半のとにをはのけなの沖住ひに佗なにる紙か骨角みの名秋見えほき奧み人ふ帷と鳶をほどだ岩聞御くのも子にあごのらぬつ位にきにそあの輿土笛脫黑ば呼はれ時ぶの切連ぐぐ砂か影すなつをかく鷗居くるしれけ雨き針殘待なきる行く移有世きり戴へ見な月三て也るぞて立しるてりや頃て里り晨に草てくむえく二〇荷重李昌重雨昌荷雨李荷重李昌重雨昌荷雨李荷重執昌兮五風圭五桐圭分桐風兮五風圭五桐圭兮桐風兮五筆圭(日の春) (日春)
は歌よまむ」の作あり。にほとゝぎす「芋洗ふ女西行なら芭蕉の句小督の局など世にあはぬ平家物語平人野水亭(やすいてい)名なら坂(奈良坂)奈良の古屋益屋町、般若路のつゞ太秦祭野郡太秦牛祭をいふ。九月十二日山城葛(うづまさまつかた〓〓つかしむ也。國訛を聞きて故郷をな寺々と同じほ傘朝世にあはいく春を花と竹とにいそが記弟念も兄にもらも局ぬ鳥ふ淚とりにゆ嵯に峨年のとなら坂や畑うつ山の旅鱈表笠松賣春釣瓶ひとつぬ弟曉菊お何口すすぐべとの風にたふれ三月六日野水亭にて衣負町白のもしろう霞むあも熊內あや大ていゆるき殘し旅節兄とぎ下近たま斗聞ら津かにづり垣太に秦た供もらも局西する付になを二人のりん濱車ていよ祭るぬき〓るふ淚行出な虫嵯なを二ほとの酒に家る蚊我にゆ人子過は水らかた〓〓八峨年ら雨入見なんしてぼば 歌屋國く重ざくに髪てになが袴のとくのかりてのけす剃〓おけつのる着のし苣りわ讀昏聲りぢんくり月醉るて鐘らくく畑てけんぐに二二羽越旦荷越旦野執羽越荷野旦李昌重雨昌荷雨李笠人藁今人藁水筆笠人分水藁風圭五桐圭兮桐風(日の春) (日の春)
万日の原寸鏡)はら)嵯峨にあり、秋會式などのさまにや十(まんにちの大年(おほとし)大晦日用ふ。杓杞(くこ)垣根などにものごと無我に(婆心錄)一遍なることのこと淨土寺のさま也正直有馬湯の山權現(大鏡)湯の山(ゆのやま)攝津たすく(大鏡)を曳きて旅人の往來を攝津金龍寺の千觀、がしなり麥の粉(むぎのこ)麥こ馬と云ふべし九日の月を出せる一奇句短句にて此卷月四つ出たり。(標註)長句に廿三陽大物里朝夕の若葉のために枸杞のとけしころひたる木の見漣田一君高力春こ都も名內諷月萩のつびやの持を雨炎は夜にの年も思侍ひな人ふけた三のかはに魂まふのくごつとめ井筋袖念盡きみてもえる廿か軍え薦〓ヒたとりののを花に宿日佛ちや筑紫せ浪つらぶ見無廿み末御殘りたるは唱栗のるにをふつるきさは馬根に花の鮎と春重オモ施の袂すの石勢伊湯お秋に九ぞ寺ぎる里哥や我ふと中代春すかの氷日雪のにる爺は々袂す万しにいふきの石ふの跡らよえのみ月のと中生れた婦夫き寺な麥うきひ申片眉勢お秋日山わ寒りのけだにのれのゑ隣す上脇のののくののけきくに子りくて月や粉て也棚ケに圖帶山らむ橋雨原二四二五羽荷越旦野羽荷越旦野羽荷越旦野羽荷越旦野羽越野笠人藁水笠兮人藁水笠分人藁水笠分人藁水笠人水(日の春) (日春)
拾遺集の歌意を轉用す(大鏡)ふとも誰かとくべき」岩代の結び松千とせを「我ことはえも心錄に「簀の子草」に誤簀の子茸(すのたけ)婆の廓也。四の宮(しのみや)大津從四位下源順の撰也。和名(わめう)和名抄、額(ひたへ)施餓鬼(せがき)無緣の亡靈を弔ふ佛式。見る也。まじ〓〓ひだるき(空腹)いぶかりて跡咲秋尋解永簀初雁雨磯立蘆蕨額烹蛙春別ひ岩まきぞわけよ際てのの三月十六日、の日行花ののの同十九日、今宵は更けたりとてやみぬ。荷兮室にて、同十九日、てるだののじに日にのるみ聞子や月聲や坊るく茸今道四和の菊も間施穗る岩あににお主き旦藁が田家にとまりての瓶事餓ガを鬼キ渡人木たて生朝の名はよにはをかふを笠宮なみづも燒りしをのるゆる昨もよみにん住ま旅や藏の摺の見臭クサ春ゆ五日りだからか枝のら僧る舟たきし月にむはあ火しむ錠ずひん見の傘集のる宿雨き忘つ唐輪にらかきすゆの雨るを白おと煙月馬か寢のらかは打る露順シタガフそふりつたるりの影のりも覺少二七んしてせぬ松てにつ里て端に子てり哉二六越荷野旦荷冬旦越冬野越荷野旦執冬荷越旦野人分水藁兮文藁人文水人分水藁筆文兮人藁水(日の春) (日の春)
旅の日程なり。あらまし(豫期)こゝは鳥羽(とば)志摩の港、止めたる話ありに人れ井蛙抄に爲〓連歌の席祿元年沒すにてと號す、紹鷗(せうおう)大黑庵(婆心其のひゞきを山柴を折りて龍利休の師、永土器(かはらけ)くをいふ(標註)岨(そは)石山の土を戴風朝瀧あらましのざこね筑摩も見て過ぬむさほりに帛着てありく世の莚岩二苔枚とキ大りものひ籠ろにさきけ我き山山我紹行蝶曇餅つ鳥碁莚岩連の每打壺鷗さらぎふきの三月十九日舟泉亭追加は春哥幸水ず花をら〓〓一羽なの二苔にかののて所食ののきを露枚と柴のもとにあたるい瓢たや餅酒すみあぶなつ若湊秋送あ押はら殘も水期のるはのまめにつのありてにおきずら祝汲聟踊日きれひ籠げベ岨ず雲の舟さろにてぬ洗きるふにわのく遊名ににさ音米ふ雪る雀ぶ君畫もら網く麥きけとはあつそが土り岩れ鳴日が起なひ入の作中らめな器二九て橋哉也に代てしによ月る庵はれんしく二八螽聽舟越荷冬曰越荷野冬荷野旦越冬旦越冬野髭雪泉人分文藁人今水文今水藁人文藁人文水(日の春) (日春)
酒はやし檐につるしあり。ねて、酒屋のしるしに杉の葉を束たるにて隱遁者。のがれたる世を遁れをいふ。Cロ、けふとてもけふ丑の日なるきのふ子日曬レ腰」白氏文集にさん(標註)「暖狀斜臥ん)芍藥園貞德の別莊也。(しやくやくゑ葉のあり數や御代の氏春」の作者。昌陸(しようりく)里村連歌師也。「玉松の冶か。後鳥羽院の御宇の番鍛(標註)、先朝曙け曙け星はら〓〓霞腰てらすの人元顏牡芹山傘古見け舟鯉門け初元昌朔張かか摘明のがれたる人の許へ行とて、てとてれへ野ば白こけ末の壁てひの月ふとても小やの〓〓の小松池て日人はさ春日陸春なを鷹もつ鍛冶のいかめし くき空の門はやくあけ三日花のとて垣睡蛙やれへ野分二顏水音芍松春の遠の木の松のき根垣胡飛りばこけ末の柳ま日丹のほ藥は海里間のはどの根蝶こてひの松ぬ里霞に雪のく園程牛の盡ののい酒く動負先のにらあの競ぬはむひらき酒ややなきくらん牛の睡殘くのりな馬御や水霞匂四り雪き足はざしき方り梅麥ゆ代くあやりのタ瓢かひののかけけ白寒の日るのし三哉音霞哉な哉夢色なりりしし原哉し春け龜重芭越旦同荷聽呑犀杜旦羽舟雨昌重利執荷洞五蕉人藁兮雪霞タ國藁笠泉桐圭五重筆分(日の春) (日春)
代の思想家老子也。老聃(らうたん)支那古でに死出を言ひ掛くすゞかけ(篠懸)木綿しュウさゆ(素湯)り遁世者野にて、り(大鏡)選集抄に西行、行いよーって信濃佐箒タ馬す傘若うれしさは葉かくれ梅のひとつ哉かほとときすさゆのみ燒てぬる夜藤蚊ひとつに寢られぬ夜半ぞ春 の榎麓ほとときすその山鳥山足花に埋れて夢より直に死んか春野吟木替逢坂の夜は、ておず老聃曰知足之足常足顏のにて微2お雜コトヲ雨サく炊スイこルれ暑たりけり夏のほきれて藁鳴屋蚊かを竹のうら武藏坊をとふらふつこ鳥板畑の餞木のにてかた夏の花別ま寺跡かに微2雜けた茶たでやく櫻笠見ゆるほとに明てまたうつふいて別摘をかさすタ櫻れしてゆく空こて踏屋を暑をのほ螢たのぬ曲か遲き背戶のれ見るもるさきて藁るるのの庵鳴屋夜雀尾す詠の衣川一タはふめ蚊かかか里は長日かか櫻た哉な月なな塚哉し暮哉なな哉な111つ柳越聽商舟龜杜越李九同重越荷李杜越雨人雪露泉洞國人風白五人分風國人(日の春) (日春)
近寄れば、はゝき木(箒木)其の姿花開く。萱草(くわんさう)五月ずと云ひ傳ふ紛れて見え古戰塲なり。八嶋平家の敗亡せるにて寺をいふ。齋宮の忌み詞瓦ふく經にあり。譬言品(ひゆぼん)法華「たうもろこし」なり。唐黍(たうきび)今の玉祭(たまゝつり) (こうろぎ)なり。今いふ蝉きり〓〓す瓦雲曉夏蓮萱朝秋ひとり琴柱はつれて寢顏閑居增戀は 末一りんに成チに朝來具山雁ははき六背戶の畑なすび黃はみてきり〓〓す貧家の玉祭魂待足折川譬喩品の三界無安猶如火宅といへる心を月그ホンのの音汙にぬユ宿くジヨクワタクかひる居木る池ききて八島をかける屏風の繪を見てふ着くて家顏もの面み白多し月や秋ぬ寺ま月の草秋殿戀着の〓〓人を休むくにつり夏は木をて深陰はなかむる中に昏にけ隨さわ分す暑るきる花浮葉の米隨唐各又さ搗柱茶も黍まとの一にわ分面ほく屋高寢むす暑白のし兄おろさんと入るかるるきやの遲月す木るふ夕ぬ秋月見る曾きけ夜見の夜か夜か臺ウチナ路か葉り哉船月哉な哉な哉哉な哉色り三五三四舟荷荷野野越芭雨越旦越重昌同荷塵泉分兮水水人蕉桐人藁人五圭今交(11の春) (日の春)
行灯(あんどん)時の吟也貞享元年、の如行宅にとゞめたる芭蕉を大垣あ此行馬雪霜馬貞享三丙寅年仲秋下浣灯を隱士にかりなる室をまうけて芭蕉翁をおくりてかへる時頃の氷ふみ寒芭蕉翁を宿し侍りてたのは冬さらののきぬへ原煤旅 寢れし氷けな蕣牛きふかむる雪ぞ寒は夕日の村しくれぞのに茶み子蚊 屋袋わき一るののを雪着薄つ名あしのせ冬殘くたか申籠哉れ哉なす三七三六荷杜越芭昌如大垣住杜分國人蕉碧行國(日の春) (日の春)
阿羅野蓬左(ほうさ)熱田の神宮を蓬萊宮といふより、宮の驛なる荷兮の橿木堂をさして云へる也。尾陽蓬左、尾陽蓬左、橿木堂主人荷今子、集を編て名をあら野といふ。何故に此名ある事をしらす。予はるかにおもひやるに、ひととせ、此〓に旅寢せし、をりをりの言捨、あつめて冬の日といふ。其日かけ相續きて、春の日また世にかかやかす。けにや衣更着彌生の空のけしき、柳櫻の錦をあらそひ、蝶鳥のおのかさま〓〓なる風情につきて、いささか實をそこなふものあればにや。糸ゆふのいとかすかなる心のはしの有かなきかに、たとりて、姫ゆりの何にもつかす、雲雀の大空にはなれて、道芝のみちしるへせんと、此野の原の野守とはなれるべらしらす。ひととせ、ひとゝ年也。せ(一年)貞享元職)朗詠集「霞はれみどりの空ののどけくてあるかなきかにあそぶいとゆふ山家集「雲雀たつあら野におふる姫百合の何につくともなきこゝろかな」野守(のもり)撰者荷分を擬したり。(野たとりて、無景のきはまりなき、し〓元祿二年彌生芭蕉桃青荒野集目錄卷之一花。郭公。月。雪50卷之二歲且。初春。仲春。暮春。卷之三初夏。仲夏。暮夏。曠)卷之四初秋。仲秋。暮秋。卷之五初冬。仲冬。歲暮。(野卷之六雜。卷Z七名所。旅神祇。述懷。戀無常。卷Z八釋〓。祝員外三九
は一夜一夜とまるは下は來ず中は來て居ず下山の邊に庵を構へ、「山崎宗鑑、々の下の客」と狂詠し、一夜庵と號したり讃岐、上琴彈長刀ながゞたな)此の句出づ未得撰、これはこれは寛文九年刊に一本草、誤り。一本「おそし」とあるは折柴冷花花見上しかふもとになりぬ花 の兄下々の下の客といはれん花のみねの雲すこしは花もましるへしち弟のいろはあけけり花のの山常る中下戶引て來るかひ花は折くふる枝酒ぬす人よものななく時瀧し宿哉何山暮薄曠野集卷之一兄連はちはなの山とことらまへて歌よ我ま汁里これはこれはとはかり花の芳野くもり氣たかく花の林た時つ舟る事淋よしのにて花三十句ゝをいはする花のあるし花つにのにに花そ散なに喰もや從し花は花りて誰咲て花弟傘も見のにしひる花のはおうし花迯けぞよぬるけいしす後人りりまやのの花宵い花よも見のののまの長か鬼まか時四枝雨し陰く時瀧し宿刀な瓦むな哉山岐津鷗ト長阜島津俊一島四〇荷胡舟鼠越亀野去尙友晨信路貞分步枝虹及泉彈似井人洞水來白五風德通室(一之卷野曠) (一之卷野〓)
貧(おひし)江戶新道、と前書あり。寳六年刊に「鎌倉にて」延言水撰、(標註)り落句あるにや可惜。杜宇二十句に斯くあれど十九句な小みたし栖せる三井秋風の事ある人洛外鳴瀧に隱薄板。こけら(株)板屋を葺くなりあひ(偷安)鳥籠の橿跡や先氣のつく野邊のほとときすほとときすごれからきかむ野の廣さある人の許にて發句せよ、と有けれは蠟燭の光りにくしやほと負目には靑葉い月首花獨なりあひやはつ花よりの物わす鳥來とこけて友選らひ葺ゐけるり花尾上のおもしろや理窟はなしに花山あひの花を夕日に見出したあ花に來てうつくしく成こころ疱瘡らのけな跡やまだ風見車ゆ賣る花花のの見あの疱瘡し子のそかし時鳥を飼おくものに、憂目見つらんほとときす山ほとときす初かつを求得て放やる時に、花ある人の山家にいたりて鳥酒のみ居たる人の繪に出して岡杜宇二十句ら木の花にかまはぬもとこけてのけなくて酒のむひとり哉な跡ロき 中やままのらだひねに聞け花葺見す見ゐけゆるすよるりるやり花とか鮑と尾時き蜀た上のの見鳥す魂哉り哉山れ雲り哉時哉薄傘時四三津松島越釣柳重素季芭芭荷冬冬野越心た風五下人雪堂吟蕉蕉兮文松水人苗つ芝下(一之卷野曠) (一之卷野曠)
有明」歌がるた德大寺左大臣のの歌を踏む(元)12百人一首後名所也、淀(よど)山城、た夜ふかきに」ゝきす淀のあたりのまかたに鳴て行らんほと拾遺集(大鏡)かつつ時鳥のけうと(氣疎)をいへり。爭ひて、ばひとり(奪取)月を賞玩する人々うつふき(俯臥)くらがり(闇)はゞかり(憚)あ蚊晴歌かるたにくき人かなほとときす馬と馬呼りあひけりほとときすくらかりやカかましきほとときすぶなしや今起てきく時鳥嬉しさや寢入らぬ先のほとときす三月ひとつはひとりかうつかりと春の心そほととき すほとときす十日もはやきそとこまても見とほすをかしけにほめて詠る屋わたりの宵はさひしけうとさにすこし脇むく月雨の月どこともなしのかるかると笹のうへ行月うつかりとうつふき居ぶなし聲ほとときすはゝれかしも月見る中屋ち淀にて月三十句たたありあけの月そ殘れる、ほ臭きときる跡寢空の覺鳴かりもなき烏か行起おうかやほととき月ちと吟しられしに、てきくつつしの月やののた野夜月薄今獨り夜やや中かの夜明宵か夜時時船郭時哉四五な影哉り哉な哉鳥鳥哉公鳥すな大智津岐杏風阜鼠津市昌島十二歲梅長一越一湍市李鈍同傘同一落虹髪柳碧人雪水舌山桃月可下雨泉髪梧彈(一之卷野曠) (一之卷野曠)
かい(櫂)紀納言の詩(大鏡)无勝於此夕之好こ「十二廻中いかい(嚴)大の意。年刊に笈日記、支考撰、元祿八も似す三日の月」てての歸有とあるたとへにるさ」と前書あり「大會根成就院むつかし(難)名名峠名月は夜明るきはもなひとつ家やいかいこと見るけふの 月名名月月月迄やとしに十二は有やや硯はだしてありく草かい突たてて抱カへて月つかりけり見なくなのかか中舟らな見名名名むつかしと月を見る日は火も燒かし名いつの月もあとを忘月名月の心いそきにや海もおもはす山れて哀も見す也名何暮影宵見る名事名月や下戶と下戶とのむつましき月はありきもたらぬ林かな月月月ふた夜たらぬほと見る月夜十三夜に月る月四三い朔月二日の見たてにも似 すやややもの人もたか見し橋日日日はあやに 月海も皷とのしなき月の夕かなの氣もなし海 のはさひしや月の覺えて人の月見聲と犬のこへてと月犬山見三日のなくなも見のこのかか月果哉影す哉ゑ中舟らな四六任四七芭荷荷杉一釣胡去同荷野二傘昌文越亀蕉分兮風髪雪及來兮水水下碧鱗人洞他(一之卷野曠) (一之卷野曠)
なる方にのみ積りてものかげのには降今のカルターミナルあるは再案にや。八年刊「陸奥衛、候」謠曲自然居士に殿の御顔のいろ直りて(標註)いざさらは」と桃隣撰、元祿「船頭銀河(あまのかは)をつかみ取りたる也。おしにぎる(押握る)雪雪は雪夜雪はくらき夜ものかげのふらぬも雪のひとつ哉道つふりてつ雪を見てから顏を洗ひけ雪雪にな馬に物陰見た戶き屋明冬にはひぬの留あ主したるり 雪雀のかの庵かな隈哉りなは車か竹い雪能銀何タくらき夜さゆかん雪見にころふ所日とも兄さためかたつのの道のつ大津にて月 夜ほと六五のさの雪二十句七ふりて河雪雪おとさぬやうに枝折ら日ややおしにきる手の奇川筋はかりほそ〓〓と馬屋にはひる雀麗か也んな雪江日な雪日日日日見やや落や行にはなして歸のる習灯けしてしはし見ん四八大きやて船ふ屋雪夜頭舟よ頃ぬののあるるどのやり留あな月は主くのしたるやる山 只小雀の雀顏月の宵舟かかのかまの夜その哉也四九芳傘んな哉りな山なて色哉ら月岐鷺除鳬阜加京小加塵賀岐一阜岡鶴崎伊一豫二松是越芭其ト川下汀風仙水芳幸人春生交蕉角髪聲泉枝(一之卷野廣) (一之卷野廣)
ぞありける」東洞院に住ひたるが伊勢が家も瀨にかはり行ものに淵にもあらぬわがやとよめる歌に古今集に其家を賣りて「あすか川伊勢の御、けれた笈の小文にれば」のみふかして元日寢わ空の名殘おしまむと酒と前文あ「宵のとし似たるもの也。鮭にあらず、乾鮭(からざけ)今の鹽燻製に曠野集卷之二ち雪雪舟かけていくかふれとも海 のはつはかられし雪の見所ありところ雪や先草履にて隣ま雪て元歌松わたれ人の手からもからし花二日にもぬかりはせじな花か水や凡千年のつる元月か日朝ざ雪かかか歲らののはやりの否4さ水旦く暮朝猶明何木た連りやや乾さすましたるかすめにならで年哥伊凡となけれど遲さく泡鮭にもしたし門 のに勢千雪やあか履かけわくら家にかしるてるやず買ふるに人る隣酒鷹聲み柏しはベののま强只の高て飯聲し哉五ら哉松肴誰繩春春五〇一加路賀-去文其風古釋芭芳野路荷桂冬鈴笑通晶來鱗角軒梵蕉川水通兮タ文(二之卷野曠) (一之卷野曠)
て痩たる女の貌也ふかいの面大能の面に漬けて飮む也(標註)し塩梅大服(おほぶく)茶を點山椒を茗碗にり(標註)小倉山の巽の藪中にあのゝ宮(野のみや)山城「おこしき」ともいふ。宮の御造材にて御木曳御木(大鏡)年を二年に取なしたり十如今見一年こ齒固(はがため)ふたつこそ「忽因時節 驚年幾四(みき)伊勢太神此一白氏文集小柑子(せうかうじ)今大あひあひに松なき門服は去年朝の春の青葉今朝と起て繩ふしほどく柳蓬見うさほ萊覺えんこら婦やふかいの面いかなら白もはみちや舟の匠や新のるか玉神のんなくの年馬かの屋大正佛蓬かさりにと誰か思ひだすたわら物の月宮やとしの旦はいかならの魚のかしらや炭たわらんうさほ松小小去伊ことふきの名をつけて見ん宿 の柑年勢子浦の栗春やちひさかりしかや御木ひ引ろは休む今ん松朝の芋の去若齒ふたつこそ老にはたらねとしの春固に梅の花かむにほひ水をうちかけて見よ雪のか梅な若山連て來て子月ご服は去年月萊よら花高柴し柑水のり神そたうとき今や舟の匠のかの子をうちか魚のしにう男初引の千寂しからさる 閑のは馬らや秋に琵まはせけり萬歲樂琶の木とり哉つ白ひ樂るまろはるも玉を神の匂ひのるしおもしろのの年る習朝年馬とを竈ひ朝かかのかの屋りとかけののかな五三やなん春つんな海哉哉こなり門頭梅春な五二岐大落如阜垣京と湍防柳冬傘冬朴同鼠長胡一同釣重同舟元昌同龜川風松下文什め水彈虹及井雪五泉廣碧洞梧行(二之卷野(酸) (一之卷野曠)
二年、曠野撰集の年也。巳の年(みのとし)元祿後地震にて跡形なし。元慶八年濱名の橘を造長さ五十六丈其どうぶくら(胴膨)拾遺集哉」くも鷹をすゑてけるたの花も折べきにねた(大鏡)「家づとにあま我我等巳のしづは歲夢年式か宿にも來るや春目かとに立るまつ毛やしづ御階にけふのやのやむかしの春のおほつかな濱宿を名ハの隣橋にの明今今朝に麥ののかけ厚さ春なりしま我萬初曙我等は袖傘しづ鶯吾側ジ女側ジ精若七くさをたたきたかりて女菜出して摘とも見出濡てつて鶴む袂た跡のつあとのは重木をきえ割若ぬ若たて鷹石藪見しれもどりに折らむ梅の花うめの花もの氣にいらぬけしき哉居釣裏濡てて折もて殘つほみし袂にもどてのたる梅お重かし梅かきぬ折磯し若菜のけ菜花り哉哉五五岐落越鷗玄素阜藤は歲つはすに初釣裏出の濡ゝ見む霞やうつる大春りての初松めの葉契る今朝やごうぷくかの春春りて齒てて春もてのの朶聲し袂たを名めか聞てめのかてのはたき名也葉契る今朝ま橋やりお木のけゐをかきえ今りぬ割れ折磯若菜菜菜かぬに麥の堅かえし若泣若畑年のけ厚さ魚かの方のけ子菜か春りしま々らみ春棚男五四昌犬山花り哉哉な哉哉な加津小賀俊島野越貞般僧同同荷同越同野梅タ室齋分人水舌道勝梧人步察秋羅春似水人(二之卷野曠) (二之卷野曠)
云ふ。つま(端)擔のはづれを(標註)卽題也。當座題(たうざのたい)ろふの一二寸」とあり。笈の小文に「やゝかけ兒(ちご)伊勢山田の人。弘氏民部(みんぶ)足代氏、胡來亭と稱す。びたる枝也。ずはえ(氣條)細長く伸行里行人かれ芝やまだかけろふの蝶かけろふや馬つきた水仙の見る間を春に得たりけり鳥當座題さし木くのを待るけしきやものゝかと兒のぬき見るさし木哉て簑程をののはか미크な眼のとろくとはれらぬ一霞ぬ霞二かか枝寸なな蝶つつきた鶯鶯鶯鶯あ鶯鶯梅の木になほやどり網代民部の息に逢てみのむしとしれつる梅のさかり哉花もなき梅のずはえそ梅折てあたり見廻す梅まの下かくしかねた接木く霞にににちひけほのののの水なじ聲啼啼てむ汲やそタにをこみさや鶯餌この脫かをほもたきひなな松とまるはすな藪ろへれらのあきるもふるぬ頭木す繼る一霞ぬ霞盛かたし新や巾捨らはね手片あら梅や母賴野中穗二かかか屋かれ釣にしのしか哉五七傘寸なななな敷なじ瓶も哉花きな一五六舟荷路傘芭冬塵野梅夢同市同一津-伊去島賀若長芭良蕉冬下泉分通下蕉文交水舌々柳笑桐來風蕉笠松髮(二之卷野哦) (二之卷野曠)
枝の垂れざるをいへ直(すぐ)まつすぐにてり書家王義之をいふ。蘭亭(らんてい)支那の所に置侍れと也(標註)集に出す時はわざと一芭蕉曰、相似たる句は、に始まるして、らずと唐崎大納言、白尾鷹(しらをのたか) (大鏡)鷹狩に用ひたるいふ白羽を繼尾鶴の君しせ、作るごとに紙綟に書か勾當望都、しと也竹の筒に入れ置き盲人、望一(もいつ)杉木氏、句を川舟や手をのへてつむつくつくし土橋や橫にはえたるつくくしすこ〓〓と案山子のけけりすこ〓〓と摘やつますやつく〓しすこ〓〓と親子摘けりつく〓し風池つくつくし頭巾にたまるひとつより何蘭亭の主人池に鵞を愛せられしは、のに事も吹鵞 なかたを後なしとし假名過のた書行習な筆意有故也。柳きふ柳か土 筆か風尺何さし柳たゝ直なるものはかりはやたわ事も吹かたを後なしと過の池尺立蛛は春は藪曉やふさの尻つまけたの圍に春雨かかのにる白白尾鷹の同雨はいせの望一春深同の椿も吹に雨く釣瓶にあがるつばき雨に蝶若弟草と氣見ものかつ過のたをみおたかか行るる呼かこより哉なぬぬるもしろし柳哉五九ぬるる柳明雫きふ白てこよ椿屋かか尾かかかなな陰哉な哉なな十龜一歲奇野小一越野素青冬塩蕉其舟鼠湍ト荷春笑人水堂江文車笠角泉助生水彈水枝分(二之卷野廣) (二之卷野曠)
自身の姿也。わがなり(我形)柳それの意なり古本濁點あり、うごくとも見えずと〓みても解すれど、「見えて」すがれ(縋)菊引靑蝙いそがしき野鍛治をしらぬ蝠にみたる〓月の柳風吹ふく風に麥菜の花や杉菜の土手のあひ〓〓万菜なうこくとも見えで畑うつのの歲の 花を花葉仕ののに菜座敷にうつる 日畦うち殘す舞のてうて花かる春なふる田麓かめ影嵐みしかくて垣にのかるさはれとも髮のゆかまとりつきすかれ〓〓柳は風にとりつか椿廣とき〓〓は簑手のとゝくほとはをらる庭 にまて一折本そ干へ植しらるふさ万なの名は忘れたれとも植にい柳きににも後へころたれて通ふ柳すの仲い柳ふ風歲庭 にまきにかてを春ににみに 鷹ぬ一折も日かた牛て本そた干へるはたの筏れ植さくら咲にけしさくらかわ〓よせわきをしらるふさてか月とむさくらなりるのむやふるす柳のなくぬる櫻〓かくら田麓めけか車か柳柳ぎ柳柳柳柳哉六一りな哉哉哉哉哉に哉りな哉な哉哉哉哉哉哉哉ん六〇生鷗素同荷校松杏此杏昌一一除笑越昌去〓傘長不橋風艸人碧來洞下虹悔林步秋分遊芳雨橋雨碧笑(二之卷野廣) (二之卷野廣)
る也唐綱(たうあみ)とあみ網を投げて魚を捕すへり(辷り)宗鑑、句なりと云り。の前にて、吟じたる發時の女院の御車乘らぬは乘らずにて、打消のぬの意也。き也あふのき(仰向)あほむつら(頰面)ゆ梭欄の葉にとまらてか三五はやつ原蝶をの中兒のを出見出すかぬ過枯か不飛啼手あかつきをむつかしさう行高いくすへりあふのきに寢て見ん野邊の何春風に力くら畫すこ〓〓と山うしろより見られぬ岨のさくら哉草ねほうろくのふ入てしはか〓り輪繩解てや聲につらを赤芝やふ圖立て入相きかをはふの暮聲につらを刈や闇飛かたしと馬に氣もつかぬ春ついて歌申て若のりのて 後菫日葉唐ぢ撰の土かた網にし骨やぬ居暮さとに入出つ水をふなあぐするはにぬかはつむるけねてゆるるす洞跡乘土ぬほるる笑るく岸雲ん遲さくのはら手るるる 蛙雉雉童菫か菫ぬの行胡胡ひ蛙蛙蛙のに子子雀かか菫菫胡蝶蝶かかかか蛙啼がかかか雲雀哉かな六三鷗舟なな草哉蝶哉哉なななな哉蛙なななななら津落松島山宗塩崎百炊梅柳一野荷忠去越落一除野一冬步泉水兮知歲玉餅風井下梧來人梧鑑車雪風水髪松(二之卷野夢) (二之卷野曠)
がりて也。とりつきて河にて」と前書あり。笈の小文に大和國「西塘(つゝみ)あざみ(薊)れて〆出しをくひたるたて出され戶を卸さ山まゆ(やま繭) (しほから)也。糖鰕(あみざこ)の魚醬(標註)岩に取す朧篝友黃燕い去あそふともゆくともしら山吹と蝶のまきれぬあらしか一重かと山吹のそくゆふへか親な角松麥行蝶のとまり殘さぬあさみ畑の人見るはるの塘人霞とりつきて山吹のそく岩行永永ほは山春きき火夜まもら落減昏のま年明ろけ畑む子漬てて來たといはぬののに山ほろと山吹やにたて出さの日日にゆ山あやや藤なに舟もにや啼巢巢人やすのみ油鐘のかくてしろ花と同親音を吹朧見塩しす陸咲くも見ゆ土撞しよかうすし夜る覗のかめ跡すけかと飮ふひぬはれは木のちる月らを殘しけ人浦な行りもぬのるくぬる汐やのやたか直ののよ鵜きるる雀りかれ桃汐夜すす躑藤干燕ののい塘わ舟小ぬへ瀧 のかるぬかの躅かの干鹿のか燕燕燕根かみかかり音也な花哉な酒哉哉雁なな哉哉哉哉ななろ音所なな六五同三友傘輪同岐蓬襟ト阜大式杜燭坂野ト龜兼荷越蕉旦鼠長長俊去野芭水枝洞正兮重下人笠藁彈虹之似來雨雪枝水蕉之國遊(二之卷野(廣) (二之卷野曠)
葉山にての吟也。山路にてを以て也髭に燒し、肖柏は香を愛せる貞享五年秋宗祇は髭を愛沒す。泉堺に住す。と號す、宗祇の門人、肖柏(せうはく)牡丹花大永七年和どもいふ草花也。いちはつ(一八)紫羅傘にはかな」ひとつ葉(石葦)笈日記「ひとつ葉の一葉玄寮ゆあび(湯浴)か玄糸とありたると同人(げんれう)前に柿ひらひらと若葉にとまるわけもなくその木〓〓若葉からすくになか切かぶの若葉を見れいちはつはをとこなるらん杜夏來てもたたひとつ葉のひとつ哉ゆあひして若の木のいたり過た葉見めに行夕はさののる若胡若冬くか蝶葉木ら葉哉哉哉若髭曠野集卷之三ころもかへ刀もさして見更衣襟もをらすやころもかへや白きは物に手のつかすたたくさに桔麥上は山路にてむけに、肖柏老人のもちたまひし嵐山といふ香を馬のはな文隣かくれけるとて、雪のあした、越人むけに、申つかはしけゐ。の持來たるを忘れかたく、に燒香もあ刈色けに初ては麥土にい山夏桑や文隣かくれけるとて、明る若葉の頃、のは下も木つかはの行あり種水るかり殘見め雪のあした、どのはさへてののり夏麥澤胡若冬くした卯更文隣にけ野一か蝶葉木らき哉穗木な哉哉哉哉哉衣哉に六七同岐藤不越阜釋鼠傘生作者不知林立夢鈍竹龜一芭荷路林寮々可洞洞蘿交人井蕉分彈下通(三之卷野凛) (三之卷野積)
也。栂(とが)今の樛(つが) (標註)葎室(りつしつ)むぐらの宿といふに同じ。さくらゐ基佐」せで篠にみたるゝ螢哉菊の塵、園女撰に「醉もの吟なるべし深川六間堀芭蕉庵にてしらけし(白芥子)雨蚊水草雨道闇刈窓くらき障子をのほき草よのり馬く屋らにき光人闇蚊のむれて栂の一ここらかと覗く遣はしめて、汲火に寢所て濡たる宵散さひしさの色は覺えすかつこ鳥庵の夜もみしかく成ぬすこしつつ大鳥麥けし散ての遣のきしらけしにはかな刈細の仲粒たひに兒そ拾ひぬけしの花な雨にこたへしけしの花深川の庵にて飛てあぶな暮夜からにしかるてのくよの間夏な傘はりは笹にみたる雨にこたへしけしの濡葎室をとふらはれける頃、たる菖袖蒲の袖追馬下くのぐるりよは屋直ぱらにるりれにせまくかき實き木出ぬ光けや、りのるをの澤る蝶里るし のに行呼曇見成にの螢螢のほ螢ゝのの啼り軒螢螢た螢る一鼠い葵蚊けけ端かかか螢かるかかタ重か哉六九二りり哉ななな哉な哉なな花哉哉ろな鈍六八杏小秋鷗ト含靑風不一元櫻井野嵐吉東李岐阜落嵐水雨春芳步枝呫江笛交髪輔水雪次巡桃梧蘭可(三之卷野積) (三之卷野廣)
もしろらす如く水に投ずるらし」 鵜繩を布を晒く也、鵜繩を鵜匠の巧みに捌に私說を述べんに來不可解となす膏風曰、也、「さばくる」ざは、るべし。雖解おしその先貞室の此句古とはその試みに「さFrace大正貳年間世の事にて畫寐を季題に扱ふは近こゝの題も蕉門にて樗(あふち)門院の好みといはる。は後水尾院火桶に撫子の花を書く又、東福〓事竹虹五此五おもしろうさらしさはくる鵜繩岐阜にて足汐藻聞を蚊の瘦て鎧のうへにとまり先聲鵜おもしろうてやかてかなしき鵜舟哉おなし所にておなしく曲鴨の巢の見えたりあるはか松笠江のに綠篝をの見見たえる夏ぬ藺松撫月頃月舟ののの引のあ子ののの雨は雨れ子て藻の花しほ花をかつげる 番や花根ののらつ時へ蒔やを親はらは小にはたたくてもなにても鮎傘粒柳より行姬繪かくす野に泥によこる書かも篝ににき燈さけ百ま音し合人をうら啼こなはえはなる折らほりまきてむ、中のぬ鵜ぬんれをぬるきし廻らす暑の弓む宵樗野くれたり鵜舟哉舟鵜て雨五汀水り晝さ鬘らのかか舟か飼憐記し間月か鷄のけ寢かかけん七雨なな哉な舟也哉哉雨な哉竹り哉ななり大淳越津大一野津七〇荷芭貞龜尙去長此兒胡路梅一越同鈍ト人可枝通鉗兒人分蕉室洞白龍水來虹橋竹及笑(三之卷野曠) (三之卷野(廣)
おもはず人に也。白雨(ゆうだち)夕立とを言ひ掛けたり。同義也。榎(えのき)に「え退き」所に遊びて(現に夕食き人もすさめずすさまじ夏のすびつの心地してり、諸集秋の身や」無名抄にㄴ「初秋中の一日此千鳥掛、「火おこさぬ季に指定して蝶羽思ひ掛けぬ桃涼しさをわすれてもとる川吹ちりて灯のとこやらゆか水の上ゆく蓮凉しおは簾凉タ楠凉しさ雲吹凉飛名山タタタすび冷き夏のしさよ立ちりてのもして凉は顏顏路顏しさ石も暮庵の留主にしはは庭 のやのすの人に逢け樓石砂龍のあや下つ草ゆかに峯夏へ來はのや夜やのに干腰動ち蚊つさやて秋はいろいろ のしや水し白榎傘かくの灯ほむは人のしらまタへすごきに夏の瓢焚もののや雨ぬけやタ顏啼ほとのく火のやや下宿なる所顏見らうにこゆのらはのからね垣たく也似にた簾る凉し水く下タりぬひ入木陰穗む蟬て野るら見ゆ夏か邊みの凉凉曇り日かかなの哀中さぬか炭るのな七三岐秀阜未哉舟音みみ哉口影ななり聲也哉哉也な俵里朝七二津鳴俊嶋如海同津市島偕ト同荷去旨玄傘法印下野昌長野芭其旦藤正學枝似風分來下水碧虹柳雪水蕉角藁蘿(三之卷野曠) (三之卷野廣)
形狀釣歸の如し。六月紫花を開く、釣鐘草(つりがねさう)其の枝の句なりと誤傳され虫干やたり此句加賀の北てのむ也。結ふ(むすぶ)手に掬ひひを深く剃り上げたるさかやき(月代)ひた釣麻虫引連す河笠を着てみな〓〓蓮骨に水のわれ蓮見む日にさかやきはわるゝとも松晨坂直か綿の花たま〓〓蘭に似た鐘の干垂た立あみはら〓〓と〓水骨きりて汐干の草露やをひてまに幕馬にの皆後らは淺黃ぬたま水をかに付このほふるすに結たせてわたますにれるへ着松れけ名て結沖のにはさくふる行り〓行〓ふの古るなる馬水〓水〓〓葉流暮にかの水か水水れへら花かかけなし路な哉な哉哉な哉り七五岐李ト阜素越一尙潦文俊長芙古堂人晨枝髪白月瀾似虹水梵風
笈日記にに送り出て三盃を傾侍ると前書あり「人々郊外に和名抄に田界と註す。畦道(あぜみち)畦はに虫生ぜす。牽牛子、(標註)毒あり、此葉萬治二年寂。寺の住職、雲居(うんこ)松島瑞嚴名は希膺朝葬朝男曠野集卷之四隣あさがほやひくみの水に殘る朝顏をその子にやるなくらふもの秋葉より葉にものいふやうや露 の風な子を守るものに、るやしら木朝顏いひし詞の句になりて、竹の 弓にうつしけに弦はらん音月りかたらひのちゝ一葉散音かしましきはかり也むや秋の夕けしき一梧の·)ち秋稻あき松畦凉顏や顏く葉松島雲居の寺にてか葉やひとつかふらん秋の散らな音かや麻刈あとの秋の虫風か初妻のり道しの垣はさ きらなや雲きはにさやしら木秋きはり通乘は白ほ酒音きの羽かの稻する物座盛織まま妻燈はふ跡す敷しをむや秋の夕けしきを臺露らはよゑよ東ま消りるりものじたらくぬ星の手向さかにつて啼にけ啼稻釣見さたえかふよに葉鱸はりけけかかぬりか西七七哉りりななん音月也さ哉な風風津方島仙七六其芭素一鷺昌去鼠胡鷗荷荷文芭杏圓越角蕉秋髪汀長來彈及步今分鱗蕉雨生化解人(四之卷野曠) (四之卷野廣)
白氏文集に曰「林間煖酒燒紅葉」年刊に東日記、言水撰、延寶九とまりたるや秋の暮」「かれ枝に烏の哉らぬ小艸花さく川邊宗祇の發句に「名もし笈日記に「こけて露けし鹿鹿紅葉にはたかをしへける酒山田藪の中に紅葉みしかきしらぬ人と物いひて見わとことなくと畑を獨にたのむ案山子賤のか宿の音に人鹿はとこやら秋カ驚地作のをは顏りて見ふ 蔦笑のるる夕草の立紅ひ斧石谷田棚行もえきれて紙燭をなくる薄草ばうばうからぬも荷ふ花野人作や 堀るはしめさひしき葡にはまらんむつくつくと繪を見る川や茶袋そかれ朶に烏のとまりけり秋名もしらぬ小草ひよろひよろと猶露けしや女郞ふまれてもなほうつくしや萩の花作るはしめさひしき葡萄哉花七八作芭舟わとことなくとし〓〓のふる根の切川仲人作宗祇法師のこと葉によりてか宿音のや秋や茶音蝙にもの蝠そは聞をは顏出りてまけに花見るくら秋秋高咲り秋のるる夕のき野秋草の立のの扇薄菊葉哀枝ニ葉のけかかくのくかのかからかか哉也七九宗越林哉哉間ゆりななれ暮れな暮なな薄なな哉伊一一豫津加益小島賀伏任作見口者不知東其重ト傘芭俊素胡荷芭和水斧順角五泉髪枝下音春蕉似堂及兮口蕉泉(四之卷野〓)
甲子吟行にせよや」とあり「我にきかに刀工也關孫六、故〓也。と改む、素牛(そぎう)後に惟然志津三郞、美濃關はその共ゐせき(堰壌)居を移し、素堂りえての端に寓し、(そたう)蓮池翁と稱した池に蓮を植後葛飾に下谷池作る。顏にしほれし人や」卷なり、五元集には「朝鬢帽子(びんばうし)鉢(標註)にきぬたうちて我にきかせよ坊かつま松心にもかからぬ市のきぬたさはつとして寢られぬ蚊屋の別れ 哉の木に吹あてられな秋の蝶はすの實のぬけつくしたる蓮のみか一本の蘆の穗瘦しゐせき哉恥もせす我なり秋と素堂へまかりて菊かはらけの手きは見せの露凋る人けふになりて菊作らうとおもひ一山路の菊野菊とも又ちかひけしら菊のちらぬそ少し口をなにとなく植しが菊一いそ關の素牛にあひての色荷兮か室に旅寢する夜、や作らぬ菊よし野にてそかわか草庵にたつねられし頃たる土器出されければ、の暮砧のや木に秋し孫凋吹あてられな秋らや六のるぬ野屋分人しき瘦し草臥なほせとて、ののおごりけりや空志はや菊鬢帽ハの花ゐせ鬢ののさ津白夜箔つけかしき這屋かのきけり八一子花りりき哉星敷な哉加加北賀二同其曉越昌巴一賀芭其曉胡舟防越水角麗人碧丈笑蕉角鼯及泉川人枝(四之卷野廣)
炒飯物質量に万句獨吟する事なれ万句興行と、後には連衆を集め、ぎよう)に行ったりこれせるこれを以てせる數一萬は一人にて(まんくこう謠曲三井寺に候へかし語らばやと思ひ「來り候釣今曠野集卷之五見しり逢ふ人のやとりのはつしくれ何おもひ出すこの夕あめつちのはなしとたゆる時雨かな蘆の穗やまねく哀よりちるあはれ殘る葉ものこらずちれや梅もとき淋しさはかなぐりて蔦さ一夜來て三井寺うた鐘朝人を待うくる日に萬句興行に京なる人に申遣しける初のは冬下猶降空橿のこすしくれはのかり見る時實へ 霜落へ初しくれのる汐寢木時か雨雨覺かな八三哉哉哉な八二濃伊芦千州豫炊落荷湍尙湖路加王梧兮水白春通生タ閣
くす物なり。鷹の巾(たかのきん)紙にてつくり鷹の頭をか(大鏡)葱(ねぶか)古本の、(しのぶ)は書損也。木賊(とくさ)。石路(つば)圍炉爐(ゐろり)る賞讃なりるは、世に「凩の荷今」と稱すこの發句に對す葱あ爐鷹凩鷹蓮冬あたらしき釣瓶にか枯に風の休みも冬寒狩靑くとも木池居スヱ石縫ものをたゝみてあたる火白の破シてをかし や石蕗石簑麥仲さの梨茶の花はもののついてに見たる哉枇杷の花人のわするる木陰かな枇杷の花人のわするる木の葉たく跡は淋しに渡を-凩に漬月のの白虫葉とけしやの花しくれにぬれて猶淋冬出吹て蒔しの路石かののツ守はてて二日とら大度にけた奇いつて根ちは見柿ひきつ賊のか麗々れけをか麥まく頃のかのあまつは月り月にらた冬ら見葉皆の簑ゆなそりかし や成ふるくのふ着るきるき月面蕪鷹枯枯見しるに成きる野葱石圍夜白かの野物蕗庵やち時葉かか衣か爐に哉きな巾哉哉なな哉の燵か歸か裏ける雨八五花哉へな花しな哉りか哉八四俊野蕉杏松一洞ト文胡落一同昌野李同同一荷傘似水笠雨芳髪雪枝鱗及梧井碧水最髪今下(五之卷野礦) (五之卷野曠)
新也。汐木(しほき)鹽を燒くせんたん(梅檀)棟也。「とばしる」と同義語也。たばしる「笠にとばしる」冬の日の脇の白炭のむかしの雪の枝」衛(ちどり)によりて斯く呼ばるゝ「白炭や燒かぬの作峠打つ深水霜の朝せんだんの實のこほれ棚の菜の葉に見たる氷柴搔しら波とつれてたばしる霰のよ戶すをるほとく間に馬糞にましやむる馬夜をこめて雪舟ぬつくりと雪舟に乘たるにくさ哉屋より雪舟に乘た引出する 奴朝か入な哉馬いたおろしおく鐘しつかなる霰雪朝舟靑つけかへておくるゝ雪舟のはや〓哉汙鮮に舟井を掘る者は六月寒く、出海引たく火にを見たもあるらん友千しやのて羽や壺谷白休埋にむ聲黑も直突米つくをとこは冬裸なり。めたこたつ鴨赤にきむ立る 衝か氷氷て室室かし居哉哉鳥ならる朝舟靑炭海汙兼き鼠鮮井を掘る者は六月寒く、出して谷にに屋よをりきのよ竈出海題わの菜の葉に見たる氷戶すたける柴をおろより池の膓し穴のてり雪雪舟て何り氷をるふ壺舟てのほとく間にさ埋に乘そにしたき氷松時く葉突引おにましやらめたこつ出すろす搔け覗にやきむせば薄る 衝朝汐りきむるけて木柱,薄け霰霰ふか居かかけ霰かかり鳥なるな哉哉氷りなり哉哉哉なな重津島勝津島八六な八七龜利冬村龜忠炭白含龜一長荷鼠夜除俊勝杜宗杏林洞重松俊洞知貼洞井虹兮彈舟風似吉國之雨斧治吉(五之卷野廣) (五之卷野廣)
その實をル戸の土蔵に哉の杼浮世の人のみやけ同行木曾に旅し元祿元年、にや(標註)の句あれば、、芭蕉、越人と「木曾まめ也田作(たづくり)今のご杼(とち)「火ともす」と云ふ多椿の莟の赤みつくを大門煤田年の暮杼のせんとて、吾餅花の後はすゝけてちりぬは餅つきや內にもをらす酒くらひ拂る書ひ 梅近く榾つみかへる菜てよめにさけぬものあり年たる瓢か畑へのな哉し暮冬膝火とほして幾日い拂木曾の月見て來る人のみやけにとて、ひ 梅にさけたるる籠つこけし庇またより作つおくらる。松歲節シまに暮をつを鼠たう年の暮まてうしなはす、よりつ實ひとつころ〓〓とり.て蛤一荷ひ追り.めふそはん此は起せは冬つ起てと夜せに蛤出のはなるる一り寒抒の實ひとかさりにや瓢つぬ寒さか畑へのしは冬さ哉ひな哉し暮らき椿哉加一塩賀八九龜內荷一龜野尙李芭龜洞習兮髪洞水白下蕉洞笑車(五之卷野曠) (五之卷野曠)
也には騎手、葵付たる十五日。駒迎(こまむかへ)八月かへ)十日朔日更衣の節會を行ふ。(ころも八日。灌佛(くわんぶつ)四月時祭三月中午日石〓水(いはしみず)臨二月上申日。春日祭(かすがまつり)年中行事歌合の題詠也葵をつくる加茂の競馬爪若うお曠野集卷之六玉草の葉十月更衣け沓年施いはけなや屠蘇撰菜乞巧奠ち端音駒灌しき髪も石〓水臨時祭こと春日祭供屠蘇白散年中行事內十二句雜ふもしつかにかさすさくら虫や足のも迎よ明米痩午の佛てほとこす米その旅りて日に衣かの七葵や鳥をれたるきりきりすタついてに洗ふ佛居姿付へよとかへり花九草のなやためそ藤駒る初る人次第覺のむ髪え虫莟かよ臭薄かへききし達哉な同同同同同荷同同同荷分兮(六之卷野曠)
はし(觜)より採る。詩夏孰れも「白氏文集」也馬、五節(ごせち)元日、踏歌、端午、豐明白綿を脫する事にて夏季綿脫(わたぬぎ)着衣の花水氷追舞蓮綿行寢賣春來無伴閑遊少。に留主花下云歸因美景。雪凉鳥ゐ白片落梅浮潤水。今日不知誰計會。詩題十六句れ追姫五微風吹袂衣。脫は松春留春春不住。入ルもな心はも得春歸人寂寞。のか引ほクき春め暑月貧家何所。池晩蓮芳謝。の香も夜來秋雨後。のにの大抵四時心總苦旅それ(ののして儺節にとはもな留は添や幾そても心主し水脇度切も秋氣颯然新れ行有客來唯贈北窓風。水したた不寒復不〓。に付春風春水一時來。またなにはつるる鬼風ま就中斷膓是秋天。らてはなし秋のぬの指らてか水聞きまるしたをにけり北のはにたの折るるせる行野る 隣梅春に氣こ守よ花か白ののけ色ろかのなし風面り空窓哉かな下九二九三同同野同荷同同同同同野水兮水(六之卷野曠) (六之卷野曠)
きばう(玉簪草)かげろふ(陽炎)盡歌合の撰あり。良、文明十三年歿、職人禪閣(ぜんがう)一條兼こがらし(凩)きを覺ゆる也。ひたるう腹のひもじ佛鉢かけろふの夕日にいたきつふりかな鋸鋸目立禪閣の撰ひのこし給ひしも、さすがにをかしくて、名の禮に腰膿く白髪哉朝か五白こからしの松の葉かきとつれ立て馬糞搔九五秋露こからしもしはし息ひとり寢や泣たる顏ひとしきりひたるうなりて夜そ長殘燈影閃墙。斜月光穿牖。月た糊付木突釣瓶繩打るさや酒のみによる秋白頭夜禮佛名經。寂寞深村夜。菊十月江南天氣好。萬物秋霜能壞色。や素顏遲遲鐘皷初長夜。の雨晴て耿耿星河欲曙天。瓜よふ人ののきはう折けむつくもか賣闇たや水き素出鷄殘雁雪中聞。て斜月光穿牖。もて可憐冬景似春華。て來は見よなぬむ村くつく小にまとのし人やを白秋雪もなのの髪の春のみ里家哉雁哉霜月きし同同同同舟野同同同同同野泉水水(六之卷野曠)
にていふ佛餉也。御佛供(おぶく)一向宗水講杜ねやの蚊や御佛供たく火に出て行よの花なから植かへらるる牡丹あ若物すきやむかしの春西施午釋巳辰夘玉貌風沙勝畫圖。王昭君はる風に帶ゆるみた一日留守をする事待りて西かけろふの抱つけはわがころもがなひ木宮中拾得娥眉斧。不獻吾君是愛君。八八전국生小頭鞋履窄衣裳。スホ〓雲髯半偏新睡覺。楊貴妃;ハミタレテの上陽人魂在何李夫人許眠よんに藍りにつ繪もま き干書香煙引到焚香處。青黛點眉眉細長。シウトキ外人不見應笑。ハ上のれ花冠不整下堂來。をか來ぬ冬踏ふるのるす扇日の儘寢とかか柳なら顏もなな哉かか九七同なんな同同釣越同同同越雪人人(六之卷野積)
し臭木る葉を持ちて蜀漆(くさき)桐に似た臭桐といふ。臭氣强莊子の語に依つて、る。稱す。者越人別號を負山子と後人眉山子に誤作魚を寄せて獲る、火ぶりり也。夜振松明の光りにさゞえ(榮螺子)枝鹿蟬散秋お鳴突五七夕よものからなから師走の市にうるささ え一方藏舟於壑藏山於澤。絕聖棄知大盜乃止力者負之而走。はテ梅さく謂之固矣。桃の繼然而夜半有木かな一海な里笛月月所にありて生をたつ事是非なし。雨や鷄とまる野山申の未牛馬四足是謂ニ久。落馬首穿牛鼻是謂人。のは暮梅鵜さ川〓〓の火く桃の繼ふ木りかかは銳川て者魚もしろと魚か虫の行かけなか鳥の〓音らむし賣に行蜀て天上に跡手武家さなかす事もく鰯をとの夕食過にけりき盡謂之固矣。桃引まもき日あしかすのけるのは花火なあはれさよふりはき然而夜半有盆むり漆ねかかのか作哉九九同だりしなな月ななり含含兒樹同釣同越越同人人貼呫竹水雪(六之卷野曠) (六之卷野曠)
(のり)とりしの誤也。古本「苔とりし」は海苔宗の〓祖源空也法然(ほうねん)淨士奇行世に知らる一休(いつきう)其の奸賊也師直(もろなほ)高氏にて足利家に仕へし元年、しらずめて去り、藤房(ふぢふさ)行く處を後醍醐帝を諫建武海苔とりしあとには土もなかりけり奧美時なく聲のつくろひもな雞海いろ〓〓のかたちをかしや月 の山法ユブキモノハイノチナカシ頭鈍の者雪壽山一しく人に師鳥藤頭岩は岩然休直鳴房の霰やむにに見時なへをしりにけりらるるるかまてるき岩鶉〓紅アイネのかかか一〇一角な雲なな湍湍鼠湍長一市水水彈水虹井山(六之卷野曠) (六之卷野廣)
はての森阿波手(あはて)尾張あ甲子吟行に「湖水眺望」とありゆる白妙の我衣手はぬ萬葉るは紀伊也。れにけるかも」「藤白のみ坂をこと作れ鏡)琵琶橋(びわばし)名古あり、屋より津島へ行く道に長さ六十間大貝のおとほら貝也。て住けるが角田川見せ友の武藏の國にとし經にてむつましかりつるりて」と詞書あり。んとさそひけれはまか一もと草、未得撰、山伏の吹く「京り。「賣たし」に作るは非な賣をし(うり惜し)一本(標註)雪藁嵯峨迄は見事あゆみ一把かりて花み曠野集卷之七白八關こえてここも藤しろみさ芳麥うつや內外もなき湖五月雨にかくれぬものやせたの橋野の水出まてさ布り子け賣り志を五賀しの月更さ雨と衣か湖十牛みよしのはいかに秋たつ貝のいさのほれ嵯峨の鮎くひに都六角田川にて夜もまた更科の郡かお夕月九月十三夜や杖ら崎の松は花より殘重琵琶橋眺望一魚名もなし鳥羽のあたりのの水まさりけり六美濃國關といふ所の山寺に、ふとや。霞把かりて花み出るの所鬼奧もまて骨嶽まにまさやさて水式り子見たるふな部賣藤の咲たるを見て、きふり志を彌ぬるおか花阿龍るほろ賀し生大角五のさ波田更かかか手に江か田か月さ吟し給哉なり哉て山な川なと島雨と衣一〇二一〇三含荷湍芭荷杜越芭破貞一去芭重杜宗祇法師人蕉笠室髪來蕉五國貼分水蕉分國(七之卷野礦) (七之卷野曠)
笈の小文に武峯より龍門へ越す道也「臍峠。多まりて」笈の小文にとあり。「鳴海にと小文庫にりひとつ脫てとあり。「せなに負け史邦撰、をの(小野)山城。日につぐの意。夜の日(よるのひ)夜を萱律(かやつ)尾張海東郡朝の景物なれば也。(標註不盡と十三夜の月は本時櫻花雲夜星よし野山もたた大雪のゆふ雪の不二藁屋一ツにかくれけり唐冬されのひとり轆轤や小野のおくむさし野とおもへと冬の日脚かなめつらしと生海鼠を燒やをの崎崎のや闇とまりを見よと合せて初しくれやなく千へ〓鳥哉奧唐湖鳴をむさし野やいく所にも見る突屋は根萱津のあまのうまひとつ脫て後のとけし日の鳴鳴唐土に富士あらはけふの月も見突突はの萱馬津やのり過す鳥あまのう羽田まこか鳥雀大和國草尾村にてのかよけ謠に似たる旅寢り上にやすらふ峠旅の崎のある人の餞別に咲な入里かよ日やはみやりや萱をとまりや不た上にやすらから見せん村しく時舟眠湊破おさのにり過す鳥にの見りの合あお晝て小家のすへてまのうひて笑ひけり一〇五の通行ぬ生ふ峠なり羽田衣さ桃くまかかのけかか千へこかへな花りなな拂鳥哉れ雨哉なよ津一俊洗島伊隨尙豫一〇四素除芭荷一タ芭芭如芭野湍舟淵胡風蕉分髪楓蕉蕉行蕉水水笑似悪友白泉支及堂(七之卷野曠) (七之卷野曠)
ふ〓きて、元信狩野桶(かのをけ)狩野(大鏡)貧かりし時桶にひさげるをいるか」甲子吟行の後山にある澤庵の墓とあり。「犬も時雨る品川東海寺明治三十七年四月三日發行定價金壹拾貞享五年、名古屋より更科に向ふ七句とも芭蕉越人と狩とまり〓〓稻すり唄も替 り野桶に鹿をなづけよ秋蜘月に行脇能きけは親船にうつきぬた澤草入月に今しはし行おくられつ更霧物いはじた秋鳴稻タ五蚊をころすうちに夜明寢越人旅立けるよしを聞て、差おくりつ果は木曾の秋つめ京より申遣す。よ馬のうへ庵野狩野桶といふもの、の桶巢に鹿をなづけよ秋の是其角のはなむけに、も散行秋妻品川にて人に別るるとて枕の犬墓もしをわく級枕のは風に申月さらしなに行、芭蕉士を送る立にとの入らぬに食たく宿そく、の桶れ雨巢の月は二人に見られけり人〓〓にむかひてにはしりて袂にやもしのよ姿をか柱ゝさへ秋のかなしさよ是わつをね大芽くも付たる別れ名かめ松に見えたすをれ京より申遣す。れよるかかひとしほ出かとまり行の馬別るする夜秋秋のれ秋市明旅おくるとて、ののかかけののうぬまかのかの寐安聲一〇七芭暮ななり山庵へてな蟬なり家哉き一〇六冬京ち荷文一立路芭野荷鼠舟野一釣傘松昌蕉鱗井寮ね分通蕉水分彈泉水井雪下芳碧松(七之卷野(廣) (七之卷野曠)
船頭に、西行上人の天龍川にて貞德にかれし逸事による。の句ありとり立たることし哉」かしらをたゝ「あゝたつたひ思ふ」玉葉集にかとぞおもふ母かとぞ〓となく聲きけば父「山鳥のほろたぶさ(醫)旅寢して見しや浮世の煤はら寒けれと二人旅寢そたのもしき里人越人と吉田の驛にてのわたり候かはしのひ霜散櫻餘か天ああたつたひとり立龍てたたかれた子きゆ旅夢に見し羽織父あやめさす軒さへ餘所のついて 哉母の高野にてしきりに戀し雉子の聲一〇九所ら尻いく落葉それ程袖もほころひす見花を草庵を捨て出る時る時は氷述高野にて其角に別るる時なな鳴海にて芭蕉子に逢てれぬ刀うたてや村しくれ津常島のるのれてにひと懷時行た田のの 馬はり守氷あぶ蛙たさりに見てかれ入も消てはしるて田を打孀)かてはり恥候田綿の入にけりたたけぬもかを行またるりはし浮打千へる乞奧世鳥雪冬食のかかのかのの哉院なな也ひ霜な暮宿荷芭梅杜落快路同芭宗傘越荷野荷兮蕉舌國梧宣通蕉因下人兮水兮秀(七之卷野廣) (七之卷野廣)
也。さより(織)今のさんま暖南(たんぱ)温壷也。たらちめ親の枕詞也つぶね(奴僕)痛心」廿四孝に「曾參齧指の吟也村なる杜國の適居にて貞享四年、三河國保美さうぶ(菖蒲)落葉かく身はつぶねともならば やある人のもとより見よやとて、落葉を一籠おくら古目榾た哀似肩されはこそあれたき儘こからしの落葉にやぶる小ゆびか舊里の人にいひつかはす。鎌倉建長寺にまうてての霜の行かりさま〓〓の過しかくれ家やよめ菜の中に一さ古郷の事、なれて〓のらち合や人のいほりをたつねて年衣本う老を待すして、遠火 にる九月十日素堂の亭にてしや白髪にかつく麻やや家をむしはのふう落綟入湯をもらひけり親臍めやにの耳親の思ひ出る曉に葉白子なすひも餘る住ひ鬢先におとろふ。白髪をかくしけり二一〓子暖髪白やにさにてゆるをに近足甫燒ほる菊思なくとしのさやをよるとしやす冷ふとしの島佗 寢ん 鐘ののせさ霜垣殘老のかのよの穗る木のか一暮暮暮な聲りなな宿哉菊賞啻夏な盤Scu一一〇越除芭西去鼠荷越杜芭曉嵐龜杉杏荷人風蕉武來彈分人國蕉鼯雪洞風雨兮(七之卷野礦) (七之卷野礦)
色こ媚生、長恨歌に「囘頭一笑百さゝげめし(大角豆飯)六宮粉黛無顏ふ。越人「妻妾の羈につか(標註)契約せし時ありと云はれ候まじ」と芭蕉に宵一めくり人待かぬるをとりささけめし妹か垣根むし干に小袖着て見る虫干の眼に立まくらふたつ蚊屋出て寐顏また見る別れかなきぬ〓〓や余の事よりもほとときす春の野にこころある人の素顏さひしき折に闇六宮粉黛無顏色の稻妻消すやは荒月女にけかのかかな顏りなな哉宵妻の名のあらは消し給松つしりなかまなしと家主やくれし女郞の中しくるゝら薄に明る妻戶旅のよめりへ神送か物松つしりなかきぬ〓〓を霰見よとてもとりけ山おそろしやきぬ〓〓のころ鉢たたき畑に物おもははや蕪り引山戀おもひ火燵を明ていかなら畑のに中しくるゝ物寐に巨燵消たるおもは旅のよめりは別やれ蕪か無末期に常におもすは荒へやにけかのかか蕪送な顏りななり引なん哉な花一一二一一三伊一有勢尙長心冬文長除昌冬松嵐舟俊越小荷白虹棘文瀾虹風妻碧松芳簑泉似人春今(七之卷野曠) (七之卷野曠)
いふ。下也、山城市原野にて貴船の一原野小町が墓ありと(いちはらの)元祿元年歿す。作者コ齋は江戶の人、す。千子なり、いもうと(妹)去來の妹元祿元年沒雜談集に辨ぜる如し相に過ぎす、な」守武辭世はにして、ふは見ゆらん我世か其角既に此句は觀「朝顏にけ置似た顏のあらは出て見ん一あ子におくれける頃はれなりあ水ねられすやかたへひえ行北おろしをみなへししでの里人それたのむ妻の追善に李下か妻の身まかりしをいたみて一一五去自あた花の小瓜と見ゆ橘手のうへにかなしく消南無咲辭無世をはやく妻の身まかりける頃月の桐の一葉と思ふ無散る花を南無阿彌陀佛と夕かな無常迅速つ散つ隙なきけしの畠哉露一原野にてある人、のいもうとの追善にける松坂の浮瓢といふ人の、や空たゝ有明のほとときや世月や末期にか小な子うしなはれける時申遺すをつ町りり隙ゝか燈籠一つに主コ顏な一骨見き身まかりたるにいひやりのぬるけし見はちきる事螢かのさ踊りへりかり畠よ齋し哉な也す哉京去堺元自釣落野荷荷傘守來悅雪梧水分來兮順下武(七之卷野廣) (七之卷野曠)
五百年忌は元祿二年也元年二月十六日示寂西行(さいぎやう)建久て」とあり笈日記にる人の心を思ひやり「少年を失へ木連神曠野集卷之八うではつきり負て來翹やその望の日としほれ履垣釋おなし遠忌に西行上人五百歲忌に伊勢にて沫雪のとゝかぬうちに消にけり鳥邊野のかたや念佛の冬の鳥埋をさその首に蜂のはく僧もありけり雨や〓火旅にて身まかれる人をある人の追善にもきゆやる母母におくれける子の哀をコ齊身まかりし後おもひもかけす涅もな人野のと有明殘るさくら子きおろしけりねはんのかたやゆやひとり飯く鼾巢かくる仁王さ泪へ念佛の冬ののな烹ニユのけか槃るふ秋し 秋花一一七哉りな像像おのの杜松胡荷鼠芭月と暮暮加小賀鼠國芳及兮彈蕉芭尙其春彈蕉白角(八之卷野曠) (七之卷野曠)
戌辰(ぼしん)貞享五年五元集に興して」と連歌のかたはらに對とあり。「日輪寺の僧陀羅華こ法華經序品に「天雨曼フラス笈の小文にければ」て此日におゐておかし侍るに鹿の子を產を見は奈良にて爰かしこ詣とあり「灌佛の日江湖、ごうこ)禪の洞家一夏の修行也(標註)提婆達多品に出づ龍女成佛のこと法華經齋十十腰灌灌夏咲海古ほろ〓〓と落るなみたやへひの玉音寺やの尾上のさくら咲にけりつるさぬ鐘の菫草古觀散花おも佛に音つり奈良にて佛のの日に生れあふ鹿の子其頃〓し白か八島にて龍女成佛の所に至りて、女房の聽聞所と覺て、事なれば聽聞にまかりて、に、貞享成辰の歲彌生一日、に慈惠大師迂座執事法華八講の侍るよし、酒かね僧を扇てたたく花と東照宮の別當僧正の御房も序品の心を、佗ん尊き塩のに、高野にて士る十如是ふ事ながれて通のに佛山寺のしけれはにふの花來扇禮のやけのやの酒か家ねりふのて其木つ間僧儀は聖を庵蔭るはへ呼と〓〓のさ一んな寺むかりのこ御簾たれ奧くらき所あり。も日しぬしのひあへす、かし咄しむるの江彌ウの湖生紅彌〓御ん〓かの水山か水かさか部牡か鼻かむ聲かのな一一九荷哉なねな屋丹なな肴寺一一八加一賀伊千豫尙芭蕪一一俊越越其冬今笑雪白蕉葉井閣井似人人角松(八之卷野廣) (八之卷野底)
攝待(せつたい)折かけ也。けて手向る小さき燈籠(標註)盆會に墓へか內に水鷄、それによるか定家卿の十二月花鳥の(大鏡)雁、鶉あり。草せる所。んじ)安國論寺窟に籠りて、日蓮、安國論を四年間岩(あんこくろ垣稻攝攝魂まつり道ふみあく待の魂石折かけの火をとるむしのかなしさよ籠に施餓鬼の棚のくづれ 哉燕進雁くはぬほころひや僧の縫せ鉢夏おとろくや門もてありく施饑鬼棚衣待待祭妻平等施一切ある寺の興行に不圖其心を感して、ある人四時の景物なりとて、越に引こころ佛にならはぬ導呂の我も雁をくらはす。覗く水雞と鶉とを不食、はせをかのみ卽身成佛着鎌倉の安國論寺にてて又は人のもとにありて、れければものりげて子出御ににに施餓はしら見立ん松の舟たた行人をととめけ又にて寺大の坊晝は木綿立出んとしけるに、の佛よ主り鬼寢な鼓をうくる法をかしや月かへりをのは酒しけりかか棚ほをるへむのくづる夏ころもんの佛手野一り野菊向またしぐうを中かけか時師のかれ 哉雨哉舟てそ哉哉りけなりな一二一一二〇鼠ト-其荷ト荷俊釣ト龜文探荷鼠愚彈枝井角兮枝分似雪枝洞里丸分彈益(八之卷野廣) (八之卷野(演)
ついり(徴雨)しや」なり。ありて句は五元集に「大津の驛」と「馬もせは双雪か月竹立て如渡得船の頃月ま千朝作増曉秋の雪尊如商人得主の日や酒如裸者得衣觀寐する人のさはり藥王品七句如寒者得火か馬もか如子得母六のおけはとりつくささげ相手呼こむついりか六つ如暗得燈わく時わ如病得醫り同折古寺の雪や伽のさや夜くの白 に置てこわされ日かやのやか淚おび隣〓手梅も藍や呼こむついりか水の樽のかゆる時に起さるく直見付榎拾咲せはし年のく二にふたの伐るや鉢たもせ王氷あまつ山に雪南のる邊じるかけのかた雪片見らるなり哉な家なれき佛腕舞ん越一二三同同同同同胡胡其文一俊荷及及角瀾井似分人(八之卷野曠) (八之卷野曠)
かゞり火也。明りをとるために焚く庭火(にはび)神苑にてえびす(夷)御祓(みそぎ)身の罪け事也。がれを祓ひきよむる神月覺えなくあたまそさ額もしキみるほ月何灯上鶯しん〓〓と梅散きさもらき水あひや廿古きさ下とやらをかめは寒冬此月のえひすはこちにいされや禰宜の提た冬川破宮御宮タ手の花繪門ほとときす神樂の中原扇寺字迄一の瘧オコリ度灯まにをきなわれかくこからしや里の子覗く神も二月廿五日奉納に宮や雪汁の宮神馬ウあさにのさはらきかや祗れ迄洗來一の後見かすあひや瘧オコリ度灯の川てみるて梅か渡ら木齒朶まにを人るほ宜きなわのりのの也ぬてり四か葉け來見瑞シやうに神かかざり見かのれかく後と日にするのるの籬也かりよかのる中る神梅し 梅を通り火ホ串さくらをるた御御梅神獅さ く庭月のかみけりる輿祓祓串蛙のののののの火の子まる社油す部かかかけかから露梅花中梅梅哉梅頭筒哉一二五屋なななりなな哉哉一二四雨舟越釣昌龜同荷釣落松尙荷未龜玄好李鈍立重何泉人雪碧洞兮雪梧芳白兮學洞察葉桃可寮五(八之卷野曠) (八之卷野曠)
勢八瀨川をいふ。鈴鹿川(すゞかゞは)伊みの」高砂の謠に々の神かくら夜のつゝとあり「久しき代り刷毛序集、「權七にしめす」文あ露川撰、に古本靑苔とあるは書損也。肩橋橋鈴跡かつらきの神にはふとき庭杭の"c鹿方や川御と夜祓寢明直かのすかる旅夜の煤の神は神樂跡聞君いく春も竹その儘に見荷兮か四十の春にか付代やはいくよになりみかく事な君先先生千代の秋にほひにしるしことし米靑祝海しはしかくれ居ける人に申つかはす身へ苔魂梅をこころの冬こもり疊はの何ほともとれ沖の上に杖つかん石靑の若宮奉納しらぬ祝海か祝代やへ苔と哥の直も上のすく妙ニヘになののりゆ神きるぬ長閑神樂神玉から火樂か々椿な也ひ哉哉な樂ん石一二七越重冬ト村昌野利芭同龜傘蕉洞下人五文枝俊碧水重(八之卷野曠) (八之卷野廣)
ゆ小學致知類に虎の事見(大鏡)かゝるみねのしら雲」叡山を四明といふ、東四明(ひがししめい)花咲頃の朝な〓〓にに喜六也四明は江戶上野東叡山の臣也、その作「芳野山氏昌俊と號す永井家(きろく)佐川田東煎て作る」箕は書損、字典に橘形如橘に「蜜を以て米を和しおこし(かんじき) (標註) (数粗)和名抄古本〓涙奉使虎隨八月槎望京華聽猿實下三聲城落日斜毎依北斗杜甫秋興の詩に養府孤下しといふ。初めて取りたる鷹を打鷹うつ(大鏡)鷹を獲ること武風士門橇カンジキ手の麥麥喰し雁ほさりに聞しに、此句尾陽の野水子の作とて、とおもへさいつ頃、曠野集員外もをきを見ん。誰か花を思はさらん、こころとす。我、東四明の麓に在て、花の心はこれをよつて佐川田喜六の、誰か市中にありて朝のけしよしの山朝な度も吟して、この文人の事つかりて、下る三聲の淚といへるも、なるをや。誠のおほふへからさる事左の如し。猶雁の句をしたひて、實の字、實に此句を感ず。むかしあまたありける人の中に、に、虎に追れたる人ありて、獨、色を變したるよし虎の物語せしほさりに聞しに、こころとす。なるをや。〓〓いいる歌を實に感す。のに、を忘れ花におほのの石路の靜さ鷹目月もとなしう待し利おもへるかさつ闇と山をのおろととけられしを三人開き、れすことわかれか田野へ居を移して、芭蕉翁傳へしを、な又も初やにぬほすし春峰雁秋老杜のこころ猿を聞て實に虎の物語せし米のとらのな近のひう來陽らいくし一二九雲にりて炎しな一二八越荷野素人兮水人兮水堂(外員野曠) (外員野曠)
利根(とね)法印。千句(せんく)大原千句のこと、催主細川玄旨釆の卷、柏木(かしはき)源氏若病卽ちかつけ也。ことふもの所せく起り」倦か〓脚いの水トリ漸家子(ゐのこ)立猪也。年十八從、高野山にて殉死す、步鵜(かちう)一人づかひの鵜也。んさく)不破の萬作豐臣秀次の扈(ふはのま(標註)坂東太郞柏狐木明冬の日のてか〓〓ししてかき曇寒るうやなりら·西たもる東利も根の鐘川の姥千露 の立か袋より經とり露しくれ步鵜にかくすもの見せよと人の立かゝりかしこまる諫に淚こほす秋火箸のはねて手のあうれしとしのふ不になるより出る里破つのか暮のきら萬け酒也し作て桶一三一ぶら〓〓ときのふの市の塩いな狐豕さ木子に行と羽さつのやき と脚く氣事のやの頃人のつくつくと皆の織見聞うちえるつら着るんたて月秋あづぶとふらしをりについて瀧さのるさうさつて句身は泥のやうな事もなきにをのかけやくへりやき となりな脚ないらよく氣ら·西も松るほ一ごより事のたもなな重な明れり合のる東くき櫻む直て出出に皆利タき過す盜北る里けりもる破うち根月もるる草ののか暮の辻えの鐘人物お夜咲山道むの鳴きら萬け酒相着川ののもか殘ののらうる也し作て桶撲るんたてり舟聲妻ひなり寺端ハ雨へ音一三〇人分水人今水人分水人分水人今水人兮水人今水人兮水(外員野曠) (外員野曠)
剽盗を召捕りし事見女車にて嵯峨に詣で今昔物語に賴光の家人法輪法輪寺也。(大鏡)ほうりん)嵯峨の宜禰が麻(ねぎがぬさ)百足(むかで)の木也。しめ(標)水上のしるしかへとり(渫取)秋凉荻時〓〓にものさ袖湯湯いくつともなくてめつたに藏樂し殿すやとまる莚ゐり頃もとのて來木お、もる綿ふ川た樂道の邊に立くらしたる夜一す駄聲の寒るとこともしの過頃し簔とをて裾お、も是れに夜た夕月遠一のとそ風らし殿すの百は淺大墨そ捨花さ水やとの足る根てせまけしやめか露かるとこともしのきさみて干にいそがは正月ことに忘れつ過きとめて池のに雲のの浪にしは春りけ女さ莚ゐりし簔の懼や舟正ふ都きれもとを白早間へのてるも嵯車して裾さきにるくお、も是藥泊め奉いはぬ峨ののやテるふ宜もれぬ引にをうちたに酒のすさ加たまか花の法髭る川のつた造年禰が古所そきかなけき解荷 をなき蜊と帳定ならヘと春一三三輪男月端也り榮麻綿やせめりて里りしつりすり昌釣龜荷野舟釣昌荷龜筆釣一三二舟野昌荷龜碧雪洞今水泉雪碧兮洞雪泉水碧分洞分水人兮水(外員野曠) (外員野曠)
小湊出生の地にて誕生寺あ(こみなと)日蓮宗の一派。高田派(たかたは)一向かづら垢離(ごり)水垢離を取る也。かまきり(蟷螂)鯲(どぢやう)泥鰌也。雜樋のたが燕盃入向配所にて干魚 のハ垢ま離か突てくや人るむく起に物いひつけてまた夏人なみに桶のかづらを入しまひのや日脇見る差さ間に泥のして花美夕霞染ものとりてかへるら柳しのうらのき鯲うきかけまきりり春のの人なみにつ田い日水門哥つやお心八しのももこまのしやもひ唄離や重のうらのきい日ほ大初忘るみ過をうか突てすや出山鯲か合て吹作は秋は足行たくやけけうたたりどれはるゆの人にか茄るるふきりか輕はたかけにさ間に泥のきへやり町子聲減加の程土はま安みの着のもの何ちきり落房る上下ものよおも小らせなり春る照の寮り戶高藪ひほそほえの舟ふんるのの精にけ付小のなの田深こ眠つのにな暖へん三五卵水進行りて湊窓る月派しむり<つ番てりにし一三四冬松舟野釣昌荷龜舟野昌釣.龜荷野舟釣昌荷龜舟野文芳泉水雪碧兮洞泉水碧雪洞兮水泉雪碧今洞泉水(外員野曠) (外員野曠)
の作者、隆辰和泉堺の人隆達節をはじ(りうたつ)小唄こと見ゆれしを、加茂にて威儀師に奪は狹衣に飛鳥井の君が、取かへしたるみうしの逸話也。語に出る右大臣あべの火鼠のころもはし(端)竹取物俗のの意也。「とんでもなき」きはびこれるをいふ秋草の咲とてもなき垂井(たるい)美濃。何幾山隆ロ數灯高み火秋けふも又もの拾はんと立い弓たま〓〓ひき砂たく中のるの勝木の力角淋さふ〓〓と流れ馬長のとほれ持買うてはつく〓〓と錦着る身のうとましく莚しさはふまへ垂て 井麥のあ宿つふ冬のみのゆ雨一三七酒淚馬十月よまて弓事年たま〓〓け辰に珠くりかけて脇手も入齒に聲のをおほひつしわか息のン春つ辰鼠の草ふたきやうに見ゆる月のとてもなき咲程みしさは里のとほれ見より踏はつしてそ落せじとうち笑日のひもうちしめりたる花のをのも入齒に聲ののとてもなのを順せじとうち皮き秋朧半双紙うて菊お禮のたくめやに井かつのほ飛のせも膳衣を中のるの馬をらをひ繪をき宿の渡へつ鳥す持たのし冬のいな月るやるとしき息ンつの春井先にを口てにひねつ木の咲程みのたのなの、生事るうのの見しけつ來はとつるたか雨く影寒鰯也るへ風君顏るきつるつてしてれけ荷文芳泉文分泉芳分文芳泉文分泉芳兮文芳泉文兮泉芳分(外員野曠)
貯へ置く也。糞汁をそゝき干付て土菌(つちこえ)畑土に(婆心錄)きくらげ(木茸)からかひ(揶揄)りなるべしかたぎは(婆心錄)片方の見誤崩れを支る也。を突張に用ゐ、突張(ついはり)杭など崕道の履けり。けて濱邊にては具に〓をつ(標註)下駄のかはりに初引月のあらさがなくも人のからか捨秋旅のしたさに出るし車は琵琶のかたぎにてなりひ時通路印土月のき春次代まゐりた黃昏噌味けしの花とり直す曉ふかく提ダ菜雨位六判菌畑嵐荷一の鳥そらさ顏の第曉らきや瀑を買に夜見に글戾る花のはしま見朝のふをふになひ若に突ツおたお赤〓〓にす門つにむなと葉かなタ〓〓、張ハ)ごせぬこころのも貝るにさくりしろ音やす〓〓と請おこはあすのし露のたまし 戀るけての袖に呼り寮のきたてる戶きてたた隣間娑の迯物そ搔かのき折山あかけさにをこのよ散にけり品ホン浮かけ坊く口りににわひ氣へうせた主らのもあのめ旅くな薪かよて一三九さりきてり共けり口り家て立兒る分しむ同野同荷同野荷同分同水同分水分水分分文芳泉文分泉芳兮(外員野曠)
月十五日、の壽を祝する也生身魂(いきみたま)七存命の父母月十六日、公事根言に信濃駒迎八甲斐同十七をつみ、天仙蓼かけがね(懸金)とす。ひたして食用芽(またゝひ)忍ぶとも曳をかさね居る也。ひそかに媾山の端に松と樅とのかすかめてたくもよばれにけらし生身魂駒のやど昨日は信濃けふたゝ人となりて着物うちは八秋タか日ののあらしにむかしせはけか月しねのすきといる千〇酒きかけてつ看いて淨は經なま瑠甲やおのるて理斐る天段忍三方の數むつかしと火にくふ庇供ふともしらぬ顏にて一奉をのつけて草鞋を住谷居へか掃は二暑太月ころ〓〓と寢きか花錢氣立のよき人供き仙蓼にのふともしらぬ顏にて一くけつきたばこにくら〓〓とすお奉を鼓日咲朝一たかけやのつけてひや鶯たきに貫りとこころ小ね冷腹かけばか告に塩とたき食にに行大を住けてあ聟る階春原谷居に木子つさい鰹嵯へかいてしそほ賃の一のり引峨はしのほは春まく川の草なま甲やおののめら二かる結び岸花みるぬ年枕かるるて斐る中暮也んし一一一筆同水同兮同水兮水同分水兮水兮水今同水同今同水(外員野曠) (外員野曠)
より十二たるは、れたるは花の賀、正月より六月までに生so (大鏡)創業のたち七月こと也。繩うつまみ(眉)手の筋(てのすぢ)手相のことあはう(啞方)痴人也。つかへ(痞)團(うちは)「執扇如〓團月ことつくり(德利)其角の句に蚊を疵にして五百兩」「夏の夜や釣瓶繩を編ふ喰秋柿あれこれと猫の子をえるさま〓〓に年使たくるまてあはう也けの者に返事またすりる大花の賀にこらへかねた眞木柱つかとつくりを誰置かへてころふらん蚊おもひかけなき風のをるはかり夏へおさへてよりか吹のの夜そのゝりら疵打む我儘にいつか此世をとこてやら手の筋見せてまみおもたけに泣は月に柄をさしたらはよき蚊のをるはかり夏の夜着使月まみ寢なから書か內勢跡もやますつゝきぬ。の句をずんじ出すに、しろさに、月さしのほるけしきは、柄をさしたらはよき團扇と、夏の夜の疵といふ、畫の暑さもなくなるおも宗鑑法師なほ其しろさに、月さしのほるけしきは、のものの糊のこはきへのののれて浦の苫屋のはひりて猶も又の人に法華はひりてけしタ者くににへ文きふ釣おさへの柿瓶を字のゆ畑こてよりかそむまほもは汐る繩なさゆ干春淚かく見皆ら物のうる見か落むへる澁れす思そ團なほ其犬一四三よせつ戶き客しつて顏ひりゝりら哉一四二傘越下同人同下同人同下同人下下筆同人同下人(外員野曠) (外員野曠)
莊子に「之種我樹之成而實五石魏王ドル我大瓠名藤袴(ふぢばかま)草の字をあてたり。ㄱ持つをいふ。るあはれなり」如くからひすやかまびすや」とし聒の「雁の聲は遠く聞えた淋しくからびを婆心錄はとある枕草紙に事也。ぐり合ふ諸曲百萬の故釋迦堂の念佛にて、を尋ねて狂ひあるき、百萬(ひやくまん)一子め苴許引受け也。さ)りひ人の請(ひとのうけ)身の誤字かと疑ふ。、 B婆心錄は(つと)な大鏡は(あさ)とい標註は苣(ちゐのころ草(狗尾草)獨鈷鎌首より出づ。もたけて、を持ち、將家歌合に顯照は獨鈷まくび)相爭ひたる寂連は鎌首を井蛙抄に左大か(どつこ、小諸(こもろ)信濃。瓢藤雁かねもしつかに聞はからひすや酒しひならふこの頃の月百むつ〓〓と月見お吹風にゐのころ灯歌にき理簞酒田皆万樂田千醉さめの水の飮みたき人の請にはたつことも半白またゝしつか袴深川の夜ろ臺あをしせはをたはしく瓜や苴やを荷の〓〓と小諸の誰も同はせ大は窮ひきくるこお油獻きされな屈なられる音に疊わせこほこ立の獨鈷にひのこはなる雨たてるす鎌首五ふこのの草し皆石るめ櫻所申宿顏築のきてちろの秋てよりまゐらはかひすのふら押の淋花ふ親に似て山頃のつくか晝降し念のかくしなりタらのの時町ひな〓〓とすける出れ也暮一四五ん月き春佛分中込し秋飛りるしや同越同芭越人蕉人人下人下人下人同下同人同下同人下
やたへなん」月のうはの空にてかけ端のこゝろもしらで行源氏夕顏の卷に「山の芭蕉の發句初瀨にこもる堂の隅」「春の夜や神子(みこ)く澄みたる鏡也。十寸鏡(ますかゝみ)よ破戶(やぶれど)蕃を名のる郷士也立蕃(げんば)諸蕃の事を掌る官名、こゝは玄來名利地長安(ちやうあん)支那路難」の古都也。空手無金行詩に「長安古膳部に手つかずそのますへりきぬ(辷り來ぬ)いそくさき(磯臭き)ゝ下げたる也。行あ時家破人去ていまた此何あ垣初月と花比良手もつかす晝の御膳もすへりきぬものいそくさき風ひきたまふ聲 の舟路うつくしなりけりきぬ〓〓やあまりかほそくあてやかに足風ひきた駄はかせまふぬ雨の聲 のあうつくしけほのいそかしと師走物おもひゐるみ雲風月やものいそくさきひとり世醫の多きこその穗鳥瀨なくてせ戶雀里に事のうはのにくににの鼠のさも雲にははかせさへ古き立長吹はのさ釘服紗誰煩こつま話安れあひ打のけもるころふやく寺ぬ雨の空にて消さうに一四七神はふ妹か夕なが御坐の匂ひン·子蕃につ目かし高て露る付る淚はき根ののく是歸堂のものいひるつこつむ十麥の寸挽のをあ名をつたへ空にる名の最の春北にしてほる、ほ肌け跡立し利むれ中片けのぬほの市とり出てけそめてに隅る鏡割末きのれ地人越同芭人蕉人蕉人蕉人蕉人蕉同人蒸人蕉人蕉人蕉人蕉人蕉(外員野曠)
離魂の煩え貧窮人を救へり子の放埓なるを勘當し京室町の宗甫、いふ。大家財を二萬兩に替二人の今の離魂病也。漢醫にかけの病と(かげのなやまぶた(瞼)心錄)再版誰を唯に誤る古詩に「醉後耳熱」秋芭蕉元祿元年(貞享五〓元)科紀行を終へて、に來る江戶越人を伴ひ更說〓也。談義(たんぎ)淨土宗の月、三夜さの月は待宵、旣望(いざよひ)也名婆酒空恨誰菊いとほしき子を他人とも名付あやけど直して見しつらき魚熱き耳につきたるさ·リをともなつからりけるぬ月の金江二のか万落ナ·花の頃談義まゐりもうらいか馳走する子田さい〓〓なにめしくしをから喰の瓦痩てて庇by,文腥の字きか間秋の田をからせぬ公事の長ひきていか砧さい〓〓なもめしく遠くから瓦鞍に庇by,文の字い木間ねに藥ぶ來るり靜齒いか飮て魚三田さい〓〓な蟬たか萩翁に伴はれて來る人のめつらしきに着コに今荷の文やをと御き夜のる來てのにももな淚しわするさにめしく離魂前庭しつにぶまり裾に月のをくらりけるの 煩にさに舞、疊をたか茶見ののの雲にとを月へけはすな金おそろ曉た水引い江二すまのるにすか天ねめことりひの万むか夏なりくやにしきり津ぶたりけまな舟一四九な兩るてね衣るてり雁ちしき屋るり一四八越其人同角同人同角同人同角人人角蕉人蕉人蕉人蕉(外員野礦) (外員野曠)
宿(しゆく)にて着物の裾也。衣の妻(きぬのつま)褄見ず」を見沖に穴をおけて、も名をのみ聞て目には平家物語にはなし、西王母(さいわうぼ)日十六歲の男女振袖に云し人も昔はありて今東方朔(とうほうさく)り、月令博物筌に六月十六て、東方朔と聞し「西王母と袖留の式とい土器の大饅頭をと念者事也。日也、ふ兒戯也。錢を抛つて穴いち八朔(はつさく)八月一こゝは後の雛の勝負を爭穴を地に穿ち築出、(標註)村の邊りまでを云ふ。呼續(よびつき)尾張のあさつき(胡葱)烏居崎より笠寺(ねんじや)男色タや西あちきなや戶にはさまるゝ饅頭をうれしき袖につ花とさしたる草滿穴夕まくれまたうらめしき紙衣夜着弓念す者法ひ師たはる秋突のああげきのか窓せむ花道弓ひい米戀よう花そものきゝや思ひ寢もしねられす王のは月いちに塵+リ烏め色の富の親とも逢しき世につけて死しすくつ母とたに乞食に宿ろろ香にあさ敷不なつのくや鸚鵡東方朔の 舌も東さひかさりて音わか斷の長した櫻う笠は士へさたつぬのるち師もはきををふ夜るき馬鎭のな伊はに走の目淺黃に秋喚ヨ膾士守あか勢ら荷腹なたみにぬ垣ゆ續みとりの圖とりきめのひふのり打のしは人みののひかは八草强たけ臥ま衣の妻か見はけ一の春也てせや朔枕カつりてんきす損る瓶暮一五〇一五、同同人同角同人同角人人同角同人同角同人同角同(外員野曠) (外員野曠)
歌二鳥の一也。よふこ烏(喚子どり)和磁(きぬた)也。後そへをとれとすゝめらるゝ日のわかれがおもはるふるき小唄に「はなれ〓〓のあの雲見れば明こ(のち添)後妻ツレサカモラジ我不醮なり(標註)ろの事也。外面(そとも)家のうしち白着明初雪泪今朝よりも油あけする玉行後そひよべといふかはり灯はりてかへるた賤シ山川つ疱唱瘡は月我よふこ鳥日川外秋もらじ新酒は人の醒うそ寒しいつる花物みね露のをのれ哥顏越はしらす聲ほのく透れとほ るは程城やことしのひたる桐みしかきと冬の日や鵜の喰ものをさかすら遠から見るへかりけあひて牧にま面うるはなれ〓〓のうきのを宿みしになは磁はのく藥書そ群ご日の髪にり透を寒引しいちはれのかきてとは醫そうて暮ほ るは草ち泣何をいれ者るてかとしらす中の居宵城わとも長へミらつそ後るの一る齒下ぬけもふらりのたの里にや朝木咄姿女月つ浪すな雲や白ののに寐湯すりん起にんしや客影脫人ききにるき道馬行て嫌き一五二一五三野同落野越嵐水梧水同人雪同人同雪同越同雪同人同雪同人雪(外員野曠) (外員野曠)
事取也。たるにを公忠に子細を間はせ曹子にて大和物語に醍醐帝あるらへもせず」てなくぞといへごていみじうなく、(婆心錄)もの、「髪をふり覆ふ泣き居る女る故いなどくさび(轄)道筋に莚をしく也。莚道(えんだう)行幸のこそぐり櫟)の略うつれり。かゞきより三弦の手にすがゞき(〓搔也わかせこ(吾背子)情人しづかかき笋のす也。步ゆ(3)入れ持ち登れる事見野の萩を掘り、任果て上洛の時、無名抄に陸奧守爲仲、川越しの課役長櫃に宮城何はづかしといやかる馬にかきのせてしか〓〓ものをいはぬか事かをる泣府け中ん 髪を飴をね振つふれおりほなき行ひ耳烹くわら〓〓とくさびぬけたる山伏住て人しかる雨い峰の松あぢなあたりを見出し更る夜の湯はむつかしと水飲川わかせこをわりなくかくす緣の柳桃具下旅思かすこそくりあ止つやたねぶといた越の步ふ灯足戶す齒やようても花のかがちてや玉らはさまる雲る過らめ子るうちのこゝがこ皆てさきのてもなまの玉子に押かせいく月とあとく鶯おこす習かち人さあにくときし聞ふる 顔さふ例るをぬけの頃れし月らかふ相の、振此數おろのう行長にのつるも一き莚面れおきおのなほ奇住た秋櫃草くな初白ほ米くらろ文麗のきなきなのの臥道や一五五ひれ車りに午すけにさたり僧て戀下き雨萩つ野落水梧水梧水梧水梧水同梧水梧水梧水梧水梧水梧水梧水(外員野曠) (外員野()
くらかり峠は大和平群ねぶりころべ郡にありて、(睡り轉河内境也。〓と不審。塘(つゝみ)に鰤(カニ)なりといへ鯖皆同じ、ふな)和名抄に鮒、婆心錄肩衣(かたぎぬ)占(うらなひ)寒(さえ)冴也。とゞき(屆)一春朝占黍+じを軒寂里さきくさや正木を引肩衣はれつ酒何寒問うと〓〓と寢起なからに湯をわ寒葛ッ宮れても淚にもの深籠司ゆが妻にほれらくくご踊ゝきて夜半〓への切ほとに越の言にのれて二雪く三タかね誰蛉た深肩里雨每な事月けもふりころわののよ上しかく月こそさはき秋女を夫ごかゆのひ炭りのてきらにくくらかり峠こえ呼く干は手め入賣花秋にめさるうらやのゝきて魚やすいにし皆はあひり夜卿を際は先のはいべ先を備をへつとへる夫てやつ女にかにに瓶冬雲見み居はき中打われて二みこ塘醉誘ふ氷るもこ鳴雀すまてと垣つの~けりれ五ならくくう三むきふらまし十かす朝り也しるに酒り間一五六りひ鋤文きき日秋は人ん一五七鼠一長胡彈井梧水同梧同水梧水井彈虹及彈井及虹井彈虹及(外員野曠) (外員野曠)
狀也。御有樣(おありさま)行こき(扱)しごく也。唐丸註ぎ、保寺、紀伊名草郡濱中村、さし矢あり。卷藁を射る也。(大鏡)紀州家の御魂屋標鴨の羽にては長つゝじ(躑躅) (たうまる)鶤鷄板毒御御暮こきたるやうにしほむ過て障子のかけのうそ寒有樣入道の宮のはかな萩けの此木春はなしするうちもさい〓〓手を洗ひ秤ハカリ坐紙鋏のに敷衣に 明暮か程のああかるう綿りきるのる成蚊〓〓人り屋裾もにくしを睡松釣落るののけつら興枝りく春若浦蒜ニ見るもかしこき紀者風くらふ香にのさし矢射てに脛吹まく浦ぬく〓〓と日脚衣まくらもせ紙見は片年へな有のわね風引にに衣くらふ香にに 明暮ぎりのさし矢射てにたすほとのてたとか入なかのああぬり踏ち瓜ぶかるう綿りきけすについ寐入てるの所一たてる灸る成蚊〓〓まの遠さは皆しるな過切人の人り屋裾もくにつれ黑きも跡くしをかをる花伊るぬき庭る喰のなも松釣るり御の月し花唐の白극ぬ足けるなののけつらけの魂凉也曇丸内雨ウチ也音に葉き月き興枝りくんり蔭屋し一五八一五九及虹彈井及虹井彈虹及彈井及虹井彈虹及彈井及虹(外員野曠) (外員野曠)
せい(身丈)也。入込爵祿を賜ふ。十一日、司召(つかさめし)八月の鞘袋也似たる皺ある、鞘(ひきはた)蟾の肌に在京の官人に革造り乾坤外」元稹の詩に答せる人也。惠子(けいし)莊子と間樽而浮ね乎江湖莊子曰、瓠何不慮以爲大用大今子有五石之さごの撰者也所の人濱田酒堂也、珍碩(ちんせき)近江膳ラ夫子固柮於ひ(いりこみ)混浴「壼中天地是はいつれの所にして、けたる事なく、ちに陷る。あらす。江南の珍碩、後の惠子にして、オノオ或は大樽に造りて、醒て見るに、サ我にひさこをおくれり。用ることをしらす。あらす。鞍月籾千い置待白旅西木とり入。い入込にひ中名は元祿三六月ふ人の花にはき日さもとに汁事る見のとかによき我にひさこをおくれり。ての諏さつごなほ吾知人とも見えきたりて、をもも三唯せ訪ま歲く假習虱乾坤の外なることを。日月陽秋きららかにして、つら〓〓其ほとりに睡り、皆風雅の藻思をいへり。サウ雪のあけほの、あやまりて此う闇の郭公もかしらす、一のるのかいくは駒方涌1デ杣內きも江湖をわたれ、是はこれ水漿をもり、のににぬへ湯か輸高裏太行降秋は落の天もきの刀春といへるふくへにも異なり。酒をたしなむ器にもマ吾またしタ替のや氣櫻け山間る來わ司の暮なか出て其事を云て、り一六、伏暮雨てさ召鞘ヒキハタてりな越智一六〇曲珍翁越每日此うちにを人碩翁水碩翁水碩翁水碩しらす、吾また(ごさひ) (ごさひ)
もほしとしねたくわがせこはて歌せし佛也。はこずなほざりにだにれるに、り「よもすゞしねざめそでも秋にへたてなきはなしぜにすこしと返かぜ」のかりほたまくらもま續草庵集に兼好の許よしばしとひませ」、頓阿「(大鏡)よね新北京市公安局海淀分局關守か手東弓」萬葉に手東弓とよめ「朝もよし紀の(たづかゆみ)下野高田より伊勢に移(大鏡)して、此處を本山とす。田派の本山、名也。かまつ)白子(しらこ)若松一身田(いしんでん)高寛政年中共に伊勢の地(わ持佛(ぢぶつ)肌身に添へて祈る佛也はげ(兀げ)花花憎我れ双假六手羅ウスモノ文何千秋雁部風行の千中〓〓に土間物おもふ身に物喰へとせつかれて細月見き筋るよ顏のり戀袖つおのりもきつ露一醫貫唯月熊順細酒てはけたるあ月咲薄束によ風は者の四あ夜名の野書禮見きの目日のてり讀芳錢方は持弓見を死まりほ船るのいも花か〓〓里紀たぬを覗くまてむよ野藥佛いとはるとをなら蝶のたま ねにきあづかしとにぬのにのののる盛道このりはるな居ごや戀たり飮草け明踊ぶれむた關泣力現のり白かはつはのはか守給さそかのおりのりを渡まる蚤暮ぬ返し庵う御子ーイふかへも肝も成ひ頑カタクナけ哀け欠らもか念か波廻分けの枯るをのならたななろ身若のきつり別り露て月煎1也し佛りんにりちきるふ田ディ松音露一六三一六二水翁水碩翁水碩翁水碩翁水碩翁水碩翁水碩翁水碩翁水(ごさひ) (ごさひ)
庄野(しやうの)伊勢亀山より二里。みづがき(瑞籬)りふし多き小歌にすが具おほひの序に小六(ころく)小唄也つと見ゆ。いたる竹の杖ふし「小ブ和日(にはひ)婆心錄に「のどか」と訓めり。そろばん(十呂盤)かます(蒲笥)叺也。さましぬる」夢は覺ぬる「紛らはし」むつかしや同「めを三册子に汐旅鮠〓小六うたひし市のか約佛の申ちひさく見ゆる川てをがむみづへ此村の廣きに醫者かはらさる世を退屈もせすに過生そろばんおけはものしりといふ鯛あかるのな浦のかり春かけりな一六五こしら紫蘇の實をかますに入る夕間蝙うつり香の羽織を首に秋のいろ〓〓の名もむつかしや春うたれて蝶夢のは覺庄念花の約親駕う虻ソこそくらさは姿野佛の子の蝠たにあ稚の申色宮のならひて月 にあすへど長れさかいよき里て緣し藥もうれ すてかもほ閑 にさるの人のをれ覗犬がらるのな浦下月のまは嫗ウにおのむはてせかぬつらのるておわ峠をは春給かり春和六ほつと年へ引まらひもの越しさのか日ろれさのがのるた山けりきふけくぬ出てのな也夜てれ暮き端さ俤暮てりふりる草中越荷路翁珍分人兮同碩同通同碩同通同碩同通同碩同通碩碩(ごさひ) (ごさひ)
たしおか枕草紙に引って「あせぬまりの香る楞嚴經に見えたりひしほ(醬)標すもゝ(李) (標註)蕎麥に溫鈍の附一畜也走す」はんといろの濱に舟をますほ(眞蘇枋)奧細道越前也。「ますほの小貝ひろ汗の香をかかえて衣をとり殘ししのふ夜のをかしうなりて笑出すなれ加減又とは出來じひしほ珍らしや逢何文珠よりともの繭H顏せ智烹をぬ惠る見も也にぬ繋と別落る特立れし釣味愚がまとてりうどんうつ里の は蕎麥眞白に西鐵花春な碁いさかひ二人しらける有秋な砂風にますほの小のまのぬる一つ餬ひ夜小麥番のの痩物申か拾貝はてのねはらすましきりに雨はうち秋か鉋城さのまのの下はか旅よりともめた夜小遠りも眞や泣音どせ持る出又白のもをぬる子秋にくもす百のおも也にの夕そ痩にの酒も人ぬつ山か拾貝はてるはのあ別る裸皆れののた醒の明たねはせら夘月るさ立膳けてれし味まとむ月の胴廣たきく哉旅に降て棚噌痴りし影中きは一六六聲一六七珍にりて怒乙泥里野碩誰州土東徑同兮同人同兮人今人兮人兮人兮人(ごさひ) (ごさひ)
根を刻みて、菜食(なめし)菜又は大て炊く飯にまぜ起りたる也手の長さ十八丁亀山との間にあり、大岡寺(たいこじ)關とこはる痛む也、虫の繩ばくち(博奕)こと百文を百文に通用する丁百(ちやうびやく)錢心錄)町の貸座敷ならん。し川原咄し(標註)もはれてに作る魘にや原本、京、の書損か、見ゆれども、木健康宮川丁か(かはらばな異本に又おおそはれ「おけはれて」と糊か黃連時配呑來月煮ニ花雪タタ蟲剛き夜着にちひさ只、邊ののこはる月にに菜古半壹そ見一馬顏け女舟目る知ら昏く所シ〓きににふ郎邊氣染シに步に乘る越の遊女れに世つはな泪く雨の風春れら里召 神のも花ははは行も又川中のこはるのを違にの庄に世れて岩屋に足こぞり山を船百見姓くこ心力大ク居お月幽ちひつけて塩屋つぞ主か細岡酒をし原もく見にも靈舞迄のののな殿氣に寺殘寄りき咄ふもの坊かくをに皆のも都食御き用叶繩手座泣供"御帽烏かる荒の主泣忘ら高て丁寒時のと留ものらうれ生しをよく覺か遣おそ嗅座へ吹頭や子まらきふ百さらやつちは出の一出早の雨下敷た透らにくれらうれみきなれす一六九てきし也ん蛤てら譟せっ子すす蕨せ錢にとす刈て也えるて一六八筆野誰土州徑東碩土誰徑州碩東誰碩州徑東土誰州土東徑(ごさひ) (ごさひ)
なごといふ魚の煮がらかますこ(梭魚子)いかねて卷ける樽。卷樽(まきたる)輪を重からうす(碓)らざる句をいふ雜(ざふ)四季の題の入邪聲也。咳氣聲(がいきごゑ)風初鶯雪花の.秋獨風蟷寢萩呂螂て御簾の香に吹そこなひ寐心スごと底のにに起て戀そ聞あ錢百龜唯姓の百杉看小田醉村髪くせに四寢のの雜經入のごとの雛やにの寒加呂の御落奧のて唄そろ木キ糞シ烹綿ワの牛ギウ甲片の花の細をは十嗽たの巾うきのら隅目にあけ老にに減は枕のにの前てへるからにな聲仕着間るるに若の下戀そ樽か卷るにのしつ近にきひへま風時苗葉跡うまきるてあてゆろののにてをつくますこの塵居スエな鳴ら出へしはきは 冬かるきう鳴と雨ふ寐月はし笛りな也坊旅すのふもり氣か直し咳ガに雞のけら出け主行のの來くせさつるしき氣キ行一七〇啼役るへしり衆燈月繩て音すしきて際聲一七〇探里珍乙二野及正昌探里珍乙秀房志東碩州嘯徑肩秀房志東碩州土誰徑州碩東(ごさひ) (ごさひ)
紙手(しで)紙にて造れる房也。る店、鯉棚(こひだな)鯉を賣棚は店也傳馬(てんま)驛傳の馬ワタ、木綿(もめん)第三は木爰はモメン也。る雀の鳴さわぐ也。(標鷹の餌にすぢゝめきセツキの方言。節ご(せちこ)節衣にて葢屋也上茨(うはふき)以レ以レ最上(もがみ)暗傳さわ〓〓と切籠い染喰薄曇葢カサま手みしかに手拭ねちて腰に繩戀にをは集るかた寺の最き上目をぬらす禿のうそに取あ煤はくうちは次居に田さ花の物奉加汲水き馬か撰あて鉢いる雀をにたくはくうり憂き盛に野頃をに味りひなら畫はの序にもほかたをにま日はどんみりと荷る上にののへる呼藥さ木らふ鳥京狂日るかち付鎗る鑵れ綿ふ籠羽もふ待たはこ紙のる一我下のて袷聲の町の見獅子の節にご最き次居に嬉そしのかな手風に鯉棚筋にはまやをも寒明きねのすかの出霜をぢ屋今のやゆる春着さ上け替ける吹の狹りしほみぬれめ年風茨け侍てるれ月て秋箱ロ付の色るてき米寒一七二て一七三嘯徑肩秀房志東碩州嘯徑肩秀房志東碩州嘯徑肩(ごさひ) (ごさひ)
剃髮者。禪門(ぜんもん)男子のく人もなし」。常の鐘の聲聞ておとろ間の山の唄に(標註)「諸行無「おづる」と訓めり。恐る(おそる)婆心錄にたる下駄也。片足(かたし)跛になり觜ふと札也立る也除の爲め、角大師(つのたいし)虫山烏(はし太)元三大師の〓竹に挾みて山烏(はし太)齒薄本羅綾堂雲江い月須誓七七片文+じ足虫觜月影に利疇アゼ火あ獨無狐な度明雪痛をを雀ひ戶酒酒あ理氷ぬとて大脇差も打くれてにるをる子居師花たも走咲る度矮キャ膳ものに雞空戀にすし替のかけま銀りるす河あらの磨みはくかまへをかしき門ふ道は鳴はを皆とれるた吹里のをる恐また〓〓やむま百もたてのつゞの子師芋は苗わむ人袂たては山花る物たぐのを休わ霞代居も走れぐのし荒厩計彈咲弓みのやくする糞三は不木もむ姿壁の家ほかけ時をりの禪かるに空り由自りたる履とらを鳴に野のき〓は給門きにすた鳴は鼻口痩にしのちのしのになる供れ別つやるにの春し鼠角た書ひら祖ら入かま銀や臺のぬるかの大路 にら文のりてぬ組父し相りす河る所侍るん也け字空顏師一七四珍正一五珍秀碩秀碩秀碩同秀碩秀碩秀碩秀碩秀碩秀碩同秀同碩秀(ごさひ) (ごさひ)
地也術也。反魂(はんこん)方士の人をつくり、五德(ごとく)德元の語不變(ふへん)不易の境撰集抄に西行の骨にてに俳諧に五つの德ありせること見えたりといへり失敗に歸幻術(げんじつ)我翁(わがおきな)芭蕉年冬行脚(あんぎや)元祿二也をいふ。やしほ(八引)色の濃き素布子(すぬのこ)隈本也。搔たる窓也。藤垣(ふぢかき)藤にて(くまもと)熊本けむ。侍ると申されける。しなみ也。長く人に移りて、俳諧の集つくる事、て、出ぬへし。そかに侍るにや。としてその句に魂の入されは、猿に小簑を着せて俳諧の神を入たまひけれは、あたに懼るへき幻術なり。晋其角序彼西行上人の、只俳諧に魂の入たらむにこそとて我翁、不變の變をしらしむ。されは魂の入たらはァイウエオよく響て、古今にわたりて此道のおもて起すへき時なれや。人には成て侍れとも、骨にて人を作りたてゝ聲はわれたる笛を吹やうになん夢にゆめ見るに似たるへし。これを元として、五德はいふに及はす、五の聲のわかれさるは反魂の法のおろ此集をつくりたて猿簑とは名たちまち斷膓のおもひを叫ひ行脚の頃伊賀越しける山中に一七七いかならん吟聲も心をこらすへきた久しく世にとゝまり幻術の第一猿散北子澤幾尊藤や呼素秋口簔花規步山日け垣野にし御に布路入に上の行けともの果雪ほ小〓ハ子も初小窓馬のめ一苫수るぬ踏塲引人判にてい楓〓〓つ町か紙にす月肥にもる木の猫ご夜見後そさ燭の寒ゆ雨は叱ふまを音るるあ芽あ歸ら也役隈者のるの狹陽り萠千二かられけ革時お炎て立りす〓.り船本袴宜き一七六秀碩秀碩秀碩秀碩秀碩秀碩(養猿) (ごさひ)
に白き條あり(逆志抄)名ゑとひゝくひ、鴻(ひ沼太郎(ぬまたらう)ゝくひ)に似て眼の上一に似たり長さ一寸はかり、炒(いさゝ)琵琶湖の魚ハゼくす八郞右衛門、雲竹(うんちく)北向氏書道を好二人也。(ぼんてう)猿簑撰者の去來凡兆(きよらい)鑓幾あれきけと時雨來る時初しくれ猿も 小持人雨冬のかき猶時や振雨並ひたつるしくれかけぬく勢田か簑ねた夜る 砂の鐘猿簑集卷之一かせて書。付申されける。舟廣元祿辛未歲五月下浣なつかしや奈良の隣の一しくれ伊勢の境に入て一七九曾澤持人人にぬやのかき猶ひとりしくるる沼振かれて乘し時たつるしくれ雨時是か序もその心をとり魂を合せて、雨かれて乘し時簑夜る 砂ののをほしけ鐘のか太かのふの去來、な郞な橋ね聲也雲膳僧正丈千所竹凡兆のほしけなるにま一七八尙史其芭書良白邦秀草那角蕉(一卷簑猿) (簑猿)
ば猿におよる(御寐)狂言うつて何とおよるそ」「行々舟の中にの里麿の歌に竹田黑木(くろき)り 、そのは超越大米ち幡人(たけた)山城、代つて死をはかれり靈照女をまなぶ醜婦也父に父爵居士に仕へ禪(れうしやうぢ多福風邪といふ。煩腫(ほうはれ)俗にお簀子(すのこ)蓑茶澁棹禪百キ歸初初古古雜炊の名ところならは冬こもりこ虫の茶の花ゆゑに折られけ寺草翁の堅田に閑居を聞てのの津寒の花寶やさ牡子ほるゝ丹もの靑人なき花し冬のまかま靈つ照裸へる女砂よけ新いそかしや沖の時雨の田に稗馬こからしたしくるるや黑木つむ家こ一まされし星の光りや柿鹿奈良にてをのなかさなり臥 るかめて通柿舌り霜田草淀にていろも動くもの霜に行や北斗の寺かりてをの鳥の花ににになやその何とさ松蜑 のや居子ほるゝかれ殻けふるしくれ竹田の里のや頰腫いたむ人かたへの冬るにおもめて落北野もよ人なき中葉斗し敷るのやなのやるんそ枯杭き眞帆小の窓明り一八〇十神莚船星行しく靈野よ霜夜照夜か本の十な無きの夜の片か時へる女哉な立顏月月れ中哉前帆な雨れ一八一イ車其カ膳イ裾土所カ伊百去賀膳昌羽所大乙八津几猿越カ几芭嵐几同其野來角兆雖人道芳兆蕉蘭兆角水歲來房紅州兆(一卷簑猿) (一卷簑猿)
前敦賀の浦つゞき也。矢田の野(やだのゝ)越背門口(せとぐち)て渦卷をいふ。巴(ともえ)千鳥のむれ(標註)という頃からね! と人に言はれて路通撰、をわびて」とあり。らっきまた風心や勸進牒に「に石の鳥居あり多賀(たが)近江多賀明神高宮驛のみちばた生海鼠(なまこ)赤柏ふる也。月朔日には赤豆飯を用至にあらずとも、十一冬(あかゝしわ)草津(くさつ)東海道の一、名物姥か餅を賣門寢こころや巨燵蒲團前の小家も遊ふ背矢田の野やいつ迄か雪にまふれて門の口のあと入江に踏浦消のなくれに 鳴すの ほ濱や鳴 ち千るちと鳥ご狼浦み木ましはりは紙衣の切を讓り貧風交や巴をくつすむあ炭道茶湯とてつめたき日に竈に手負の猪倒の住今膳神晦尾頭のこゝろもとなき一水、兎前は世をたのむけしきのらつかぬ旅のこころや置こたつ竈にはたに多賀夜く寒無ま霜月朔旦迎へ日つくは眠る處をさやおもひ切た磯のあや月はへもとやお小手くのり水過はしをも負寒水外口行ひものを姥くきにもたすり切の種の馴姿の ほ鳥ち濱やたたる冬のの居ややになのかのゐ鳴 ち千るちる 友れ畫至さめれ稽も寒の釣生海干の海冬や水し馬こと鳥ご千らけけのかぬけ古さ鼠の仙赤のか衞一八三り哉り鳥衞りり面な內り哉哉菜哉蜂花柏鈴な一八二イヲハリ半カ芥几其イ探カ去デハ坂田ヲハリイ旦不良カエ几龜ト尙几千丈史去曾丈芭珍尙兆那草邦來良草殘境兆角蕉兆翁白丸來藁玉品碩白(一卷簑猿) (一卷簑猿)
鵲(かさゝぎ)膝突(ひざつき)小半疊のへりの附たる也。(大「蓬萊島」に出づに與へしにてを了り元祿二年、其の文大垣にて竹戶奧細道行脚朝飯(あさい)も改むべきよしなり」なり-出版におよぶとの戶にあらず津より先師の文に去來抄に「出版の後大此木戶柴の一部也。余吾(よご)近江琵琶湖霜わきも子か爪紅粉のこす雪まろけやけの手を吹て遣る雪丸け一八五初初み呼鵲機膝疊首見柴襟しつかさを數珠もおもはす網代守魚のかけ鵜のやるせなき氷がな輕死鳥筏水雪欄突か御白砂に候すにかしこまりゐる霰尻共底題竹戶之会目は我翁行脚の古き衾をあたへらる記あり、出して初雪見は雪その目出やの卷る士れのにの戶まややへ橋はしるにもをの見葉蒲寐て見內降すさやよて鷹鮒首に音のへ團鎖操号入て居るなるてかり手を部居や賣霰旅はの引な來へこの雪朝見屋さに人かさ さ入るたるて飯えほあ見う狂寒りら顏跡覗てのぬすとはれてかなふしやんのやるく出あ霰嵐そや略之冬余鷹人來ら石冬冬吾小鴛丸朝はるれかかか紙此部ののののの鴨のけ朗誰迄哉なななな衾衾山旅月月顏海哉中一八四木イ示野カ大津尼ナカサキ智暮其セ畫凡探羽史其史丈探曾竹杉旦路丈丸紅邦角好兆蜂童邦草丸良戶月年角風藁通草節(一卷簑猿) (一卷簑猿)
食也弱法師(よろほうし)乞てもの乞ひの來らぬや一特集:中間餅の江戶の町家に札152.5±12.5も元祿二年歲暮の吟也。延喜帝第二子也。空也(くうや)釋光勝、津豐島郡の特產也。としまごさ(豐島産)攝やの芒といふ也。にて御假屋を造る、祭七月二十七日也。穗屋(ほや)信濃御射山ほ芒見ゆ字去來抄に「下京や」の五芭蕉の助言なりと暮薄年〓人に:家節夜鉢か乳誰雪衰ひつかけて行呑青亞追悼子に世一雪な下のの〓〓やかたちいやて壁季月たら法乙州か新宅にて神住吉奉納ちと老草庵の留守をとひては簾も信濃路を過るにか京行夜家候鮭子日の師樂は我たてはるや〓〓川川や年一をにきもには竹の子笠そや我や曾祖父をきけは小も雪の重門か又鼻に憐空世健も穗つま望をやは顏に似ぬものはは米也屋ゆ息なな雪吹のとしまこさらは雪の旅むあむうけや伊何せかの渡したる師の一るてへ白せ痩らけ筋上かとしき芒せ我しき煤事し鉢もはまさすのやの餅は面た寒庵雪夜勢もり刈殘熊の手の年拂なのたの走のけののの野一八七宿枕札忘ひし內きか內哉る雪し原雨一八六凡同イ祐順カ其同去長其芭丈乙芭尙去卯ナカサキ羽ヲハリ其芭同來和角蕉甫琢角草州蕉白來七笠角蕉兆(一卷簑猿) (一卷簑猿)
ずる。序に面目ある意也。に應すへき時なれや」「此道のおもて起おもておこす(面起す)角櫓(すみやぐら)條(すぢ)附ける也袴のひだの幾くたりやりくれ(遣繰)蜀入相のひひきの中やほと魂なくや木の間晝時子夏野を橫に馬引むけかすみ曇り猿簑集卷之二時鳥魂ま鳥規か有明のおもておこすやほとゝき夏すみ曇り行方や時としの暮いね〓〓と人にいはれつ年のくれやりくれて又やさむしろ年の大としや手のおかれたる人こころ破れ袴の幾くたり暮杉路其羽としの暮瀧なて何けすふよりかみのわたりはもくみさなにや曇のき限れりみ野りのいそかのてよほとの間門誰のンも幾くたすかき角時構なき鳥櫓鳥す一八九なすへしすり丈羽史智凡尙芭木其杉路其草紅邦月兆白蕉節角風通角紅(二卷簑猿)
·無名抄に眞野の入江に冬の來て衣千鳥もかるや鶴の毛「身にぞしる行寺也。務尼.慈母(じば)其角の母妙日歿、墓は二本榎、貞享四年四月八上む予も亦」素堂此ことはを常に燐客は半日の閑を得ればうき我をなし、主は半日の閑を失ふととあり。長嘯隱士の日「獨すむほと面白きは嵯峨日記に古歌に註まぎれぬ朝の間の心やもとの心なるらん」(標「起出てものに南都(なんと)奈良也。貞享五年四月、行の折也。の邸跡なりといふ。來の別莊也、落柿舍(らくしゝや)去小堀遠州吉野紀若花水にうつしかへた葉かくれぬ花を牡松戀破豆うき我心起〓〓の心うこ井の末に淺〓〓〓しかきつはた靑くさき匂ひもゆかしけしの似合しきけしの一重智惠のある人には見せしけしの 花ち島別番かくれぬ花を牡四月八日詣慈母墓旅館庭せまく、楓茶色植垣題去來嵯嵯峨落柿舍二句やる畑わさとも木部けれは松島一見の時、死なはな南都旅店起出て物にまきれぬ朝の間の翁に供せられて、るやる時やなきを淋しからせよ閑古鶴に身をかれほとときす鳥畑の代わさと色も木心官に庭草を見す我すま、や千鳥もかるや鶴の毛衣殿部成塚鹿の子かすすや屋あかしにわたりてもてさほ丹もかきやる茂り一なよとのの通ひ名所須磨のさけ米姿つ囊:かかかとよめり子きかはた道な花里花ななり鳥規す一八一亡杜人エ全其トセ曲遊奧去女曾凡仙半嵐珍越芭曾良兆化殘蘭國碩人峰角水蕉良州來(二卷簑猿)
引越し也。わたまし(移徒)家移り郡筑摩社、筑摩(つくま)近江坂田神事也蛸壺(たこつぼ)蛸を取る器也。四月朔日の又火串、ともし(照射)ねらひ狩夏山の狩也。祀る廣寺境内、豐國(とよくに)大阪方(大鏡)豐臣秀吉を蝓得自由こ負屋一蝸牛、丈草隱遁の詩に「多年化做 話年の吟也るほとなれば」源氏須磨の卷に家也かひ屋(飼屋)蠶を飼ふのうらはたゝはひわた貞亨五「明石年五月六日也。姿一集には有へきものらず顏に同新七討死す、役にて藤堂仁右衞門寛文四年の吟也。也」草紙に芭蕉曰氏總角につ粽結ふ(ちまきゆふ) (大鏡)いろとりたり」元和元大阪「物語の赤額髪を引かれ家君蛸猪に吹か竹竹洗ひたけの子誰五月雨に家ふり捨て蝸這夏大淋しさに客人やとふま隈粽阪五月六日、笹結やのふ見廣片ぬ葉手世うにの夏るは隈粽根葺かか五月三日、代壺ね牛明石夜泊の濯豐國にて此境はひわたるほと、出覗草奧州高館にて笹結の麥角よややのふや子子やくのふか見と並んてやはのき奈わたましせる家にてや稚き時の繪のすやます畠隣に惡大阪討死の遠忌を吊ひて兵ぬにもみこむ柿味りひぬ筑かへ力良さるるともしかを誰にたとふなわ屋共世摩なうにのきけといへるも爰の事にやか下の蟾かの祭き隣空なよ下ゆ夏るはふけも夢に都のや須ののはさ鍋を五めく磨蟾め五つしむる 菖ひ夏惡閨り月し明のの十餅額蒲とのさ太へののか雨一九三り石聲跡年哉つ月なひ郞き花桐一八二な粽髪イ蟬カエ岩芭トヲハリ薄千木凡同同芭尙其越芭正芭去凡節兆蕉吟白翁蕉角人蕉秀蕉來兆芝那(二卷簑猿) (二卷簑猿)
茶所也。しからき(滋樂)近江の六尺(ろくしやく)駕昇也が事也老醫(らうい)村田忠庵つゝくり(綴り)料足(れうそく)錢也奧の細道に「笠島は」年任國にて卒す。正四位陸奧守、實方(さねかた)右中將馬士(うまかた)長德四麥つし百六縫日髪つ笠馬かみ姓尺藁孫を愛してのか哀にも思ひよらすして、りし時も、物くまゝ、予にいたみの句乞ける。その老醫いまそか七十餘の老醫みまかりけるに、や着もせてよこす弟子共こそりてな五月くい、の剃大和、とめて、島や紀伊の境はてなし坂にて、奉加すゝめけれは、いつこ五月料足つつみたる紙のの徃來の順禮をとぬかりはしに書つけ侍る。とめて、島りなく打過るにふ處に有と〓ふ。と尋侍れは、奧州名取の郡に入て、士の謂次士くりもはてなし坂や一夜に金精のらももや道やとかくゆるささりけれは、の家あき麥着やいつこ五月一力さらに見しれる人にあらさりけれは、ふやにも道より一里はかり左の方、し子茶お葵夜とりつく茶せて供と傾にふりつゝきたる五月雨、山しに行て第中將實方の塚はいつくにや也さつき雨古來稀なる年にこそといく金やのたけしよこすさらや弟子共こそりてなのさつてやん五ぬかりつや夫摘五き五五雨笠島とい麥婦う月月あ月月いとわき蛙一九五畑連た雨雨め雨雨道セ游正智去其羽芭凡去芭史月刀秀來角紅蕉兆來蕉邦(二卷簑猿)
本朝文選に出づ、にの母も我をまつらん」らん子なくらんその子「憶良らは今はまか萬葉空つり(そらつり)病後の逆上也。熊野山中也。八鬼尾谷(やきをたに)也(逆志抄)聖德太子二歲の御像に具也。眉掃(まゆはき)化粧道して御袴をめさせ給ふ子凉草立さ空つりやかしらふらつく百合の花螢あなかちに鵜とせりあはぬかもめ 哉見むらやや奚百おそろしき八鬼尾合は中く花の顏谷螢闇螢田御袴のはつれなつかし眉の法隆寺開帳、掃出羽の最上を過て畝をの面豆南無佛の太子を拜す影つにしてたひ行紅田眉風麥餞風見や燒蚊辞を作りて病む見三熊野へ詣ける時火膳所、流の勢田の螢見出のしら川の關こえてまや蚊屋もはつさぬ旅別泣や後らやや我夜や畝をの來ん其子や船曲水の樓にて吹のはしめて百やおそろしき八鬼尾よ頭二句ど鰹合は中小り醉はさつにしてまてくの先て供や母たにお泣れ奧ひも蚊の喰んくて百ほ出のふ山家行鳰紅合花つす田植うの螢粉粉のののか螢やかののか宿一九七花な舟みな花花たな一九六花トセ里大サカ何嵐乙半尙田ナカサキ上芭イ万千カ凡去同芭東蘭州處殘白尼蕉兆來乎那蕉紅(二卷簑猿)
にて元祿元年歿千子(せんし)去來の妹實を結び、其竹則枯也。五十年にして、しねんこ(自然枯)竹は花咲き大津の間、日の岡(ひのおか)京と一里塜の西也(逆志抄)蟻(すむし)朽木に糠をかけたる如く生ずる蟲は夜すがらいねでせこ舟曳唄にまつ」(大鏡)魚にねぶらず、「花にねぶた我隙明(ひまあき)信高を吉次か冠者の惺哉」五元集に「夏の夜吉次(きちじ)金賣橘次うとく(有德)富豪也な青夕顏にしねんこの藪吹風そあつた暑し籬によれは日水日日白渡哀客頓て死ふ白舟下隙きみし無月も鼻つきあは草もとへ、千子の身まかりけるを聞て、のの引引素堂の蓮池邊雨やの妻鐘燒雨りふ闇雨さ明して、うとく成、人はか夜岡やこかれてあ田ややのかりややぬけしきは見えす蟬のこゑや彰麻刈る露の玉やの湯申つかはし侍ける。よはれてつらきしつけや地や蓮蚤を人につれて參宮する從者に、小入さのて居虫時鹽一聞の吉次袖な唱藻麻所なかく枚は出もよの哥の刈かかかめのつ花覗く流て冠今底つへる蟬のみのの國より去來かんあつさ哉からやんあ暑すのら捨すねるの行者土つ暑か髪牛き數奇蟻くあ日ふ露蟬耳名に用ささりのの屋か鳴たののかのこのの殘はなむけ一九八干一九九哉し落舌哉な蛙花まタな玉ゑ聲穴哉エ巴ト羽イ槐芭カセ探嵐丈芭野木正同凡乙嵐史千凡其蕉山紅童節秀兆州蘭邦那兆市蕉雪雪草角(二卷簑猿)
志抄)したる如きもの也。(逆荷の葉七八枚を大きく云ふ草の葉に似て、鬱金の葉はだんとくと終夜(よもすがら)大聖寺の城下。全昌寺(ぜんしようじ)茗日、月鉾(つきほこ)六月七祇園祭の鉾也。朝芦終人芭秋猿簑集卷之三雲タ月唇す原露にに加賀の全昌寺に宿す似 て猿も蕉かつくりとぬけ初る風のにしたらくに寢れは凉しき夕部かなしさや朝草門ンに荷ひ込水無月や朝めしくはぬ夕すゝ此句東武よりきこゆ、秋夜はしめて洛に入て暮や屼グ鉾峰や似 て葉や墨ややしさや秋鷺鬱蓮今は何にや屼グつの金ニ風をのく並兒寢きもちは兒畠もし素堂かひ比叡に似た物手なかのぬくのらに花ひとつのをれた夜額すあや組と齒るをす秋のややのき秋裏秋秋雲みのののかののの薄か風風二〇·風風山せか峰粧なみ江山曾戶凡珍路杉大サカ之不知讀人去曾千凡宗嵐兆川良碩通風道來良那兆次蘭(三卷簑猿) (二卷簑猿)
夘七(うしち)去來の甥村に通る間の嶺也。枴(あふご)今の天秤棒〓見(ひみ)長崎より大長崎に住す。秋の長雨のつゞきてし秋黴雨り(あきしめり)ふ〓〓したるをい(逆志抄)ふぬかご(零余子)と急ぎて也ころぶ(轉)早く逢はんはこぶ(運ぶ)草君ま迷秋そよ〓〓や藪ひ風子やのとて果高手笑蕣朝都七夕や餘りいそかはころふ文合歡の木の葉こしもいとへ星のかけに月も住や六ま日も常しりけりの夜には似す角力へ取し初初大比叡やはこふ野菜三葉露ちりてや猪の跡は臥芝枯の刈がひ風をに八瀨、顏元祿二年翁に供せられて、七に別れてにやにもなく瀨灯つくしよりかへりけるに、ね月手子やかけてをらて籠畫は物うも泣にも似ぬかこの蔓よぬはも住きちりてやそをはらに遊吟して、のと鶴もま畫か六く眠れ親てこのはま日も常の枴ののかしるなるのもる跡思の芒中鳴物間しりけりはここ音柴うりの文書るついてようのみちのくより三越路に二〇三日見といふ山にて、さるひ先はのさかりの枯過りやほとかのろ動秋き行柱木木木の起へし花初あらしや露萩芒やく槿角あ黴雨りか桐のか芒はか槿かれか力へのしけか卯露芒な原つな哉なすな取し苗しり二〇二ヒラタ李去ミカハ子旦セイ及風カ去凡羽史千杉嵐杜イカ少年同芭凡野去由來兆紅尹藁邦那風蘭肩麥來若蕉兆童來(三卷簑猿) (三卷簑猿)
いとど(竈馬)りに」先達(さきたち)奧細道長島の藩に仕へし事あかりあれは先立て行勢國長島と云ふ所にゆにいせ(伊勢)曾良は同國とあり。「曾良は腹を病て伊抄にしで(四手)幣也。松かさ(松笠)たなこ(棚尾)加茂の社に淚のかゝるかな又いの攝社也。につかはとおもふあはれ「かしこまるしで撰集謠曲實盛にひけるぞや」んやな齋藤別當にて候「あなむざ病海士の家は小海老にましるいととなから、か菊から草のかふと、加賀の小松と云所、雁のまのあたり、夜寒多田の神社の寶物として實盛にあはれにおほえて同しく錦のきれ有。落て旅遠き事寐哉哉初桐百いつくにかたふれ臥とも萩舌のて、かかり行脚しけるに、木にうつら鳴鳥いせまて先達けるとて、鳴や入日さかかの國にていたはり侍りしな込る女塀松のの原內原栗葉三日月に蓋のあたまをかくしけり稗月やとめてたく成りぬ初矢フ橋に渡る人とめ月夜機菜月葉むさんやなおもしろう松かさもえ雁舌稗畑雁堅田にて賀茂に詣、月なこの社の神垣に、て、翁を茅舍に宿してお見いせにまうてける時かかり行脚しけるに、にやりやとめてたく成りぬ初せのや二まのあたり、行鳴ん夜してに淚のかかる哉と、伏橋壁葉甲燈やににとるなまくらもと入日さしな込る女塀松の原內入日さの取つきてよみしとや。見のに來渡る人とめ中下のて鳴夜ののきり〓〓城てしなむしるかの上人のたよの薄女塀月捨月は 月の遠き事の夜廓夜んよ聲す原二〇五イ土カ亡千人亡落人凡去半之風尙芭同芭芭曾芳來殘道子麥白蕉蕉梧兆蕉良(三卷簑猿) (三卷簑猿)
澁糟(しぶかす)柿澁のゴキと聲す。似て鰭に刺あり、きゞう〓) (逆志抄)ゴキかじかに猶子(いうし)甥也。部也。一戶(いちのへ)陸奥南〓淨光寺代々の住職を遊行(ゆぎやう)氣比(けひ)越前一宮也いふ也人を開祖とする、藤澤一遍上たぶさ(譬)上人に就き剃髪する式にて本願寺かみそり(髮剃)お刺刀(六條)の澁むつかしき拍子も見えす物の音ひとり倒るゝ稗初僧正のいもとの小屋潮や鳴門の浪月向吹京あやまりてききう明降り一月芭か月かかる夜の月も見にけり野邊送り〓遊行上人の古例を聞てし遊行の仲秋の望、戶のの元祿二年つるかの湊に月を見て、氣比の明神に詣、かねて今宵に成よき宿も月見りるぬ月契なりかの風筑蕉糟の見月け一鳥不鳴山更幽か友達の六條にかみそりいたたくとてまかりけるに、法師たふさ見送る朝月穗しかねて今宵に成紫法やれやよきの葉けややの衣處相去師は人の碪にいそややか鳴も猶子を送葬して打馬は宿手年たふさ見拍ら迯や寺のもやのか手すのふし月空月へしのもてもおさもるた茶見にとるかかしゝのり行喰のるのる砂る月ふ駒氣き月へる里るすむ飛ぬか木ひ僧の朝膝神か蟻おつか荒色か脚たははのかのと仲か月の樂二〇七曾な哉畠哉舟哉し上な雨間け夜へらつ上二〇六史イ卓カ凡嵐正越去凡尙羽昌去芭曾尙凡丈乙良兆蘭秀人來兆白紅房來蕉良白兆草州袋邦(三卷簑猿) (三卷簑猿)
風ほろし(風疹)はしか宗對馬守の御道具を借隔年九月十五日執行、り用ひしとなり。神田祭(かんだまつり)はさかふに出づ落柿舍の記、うなゐ(童子)尺八寸也。田舍間(いなかま)京間の六寸二分に對し、五鳩ふく上行(うへゆく)へる也。鳩の聲を吹きまねて捕手を合せて、挾まる也。本朝文選塩世立行花肌柿稻高田鳩菊を切あとまはらにもなりにけりこ鰭上旅秋芒しら魚神田祭されはこそひなの拍子のあなるかな神祭田の皷うつ音拍子さへあつまなりとや。神祭田のの出ぬしの土手に鶸頃のおの舍神寒自題落柿舍か釣行ふ枕の中の浪間齒には鶺秋のる四五大衆名田の竹しやゆや梢つく母のお薄頃の日も來澁下やどく鹿の鴒はさ日切のはちらつく橋の下にも皷うへつのタ弱ヨを出は鳴有る柿山りきか尾やるま迎かきあらしる日ら雲原ふの風すつのるや寒合つふうなしやのや隙ほきり薄哉雲菊し鱸秋蕎軒秋 の蚊もなし稻ちろかか紅紅ゐのきのつの麥の暮しなな足葉二〇九葉山哉秋れ宿り天畠下二〇八エ千トカヽ小松塵去荷同凡丈嵐凡凡土珍其尙半凡珍兮兆草雪兆生來兆芳碩角白殘兆碩里(三卷簑猿) (三卷義猿)
年。辛未林和靖の詩句也。少女也。神宮の神饌に奉仕する御子良子(おこらこ)太に見ゆ元祿元年の吟笈の小文軒端の梅の花の初て家隆の歌にをかなき羽にも匂ふらん「尋來るはに仕へし人也。殿ならんか去來は其家月廿九日月次與行通題勸進牒、上臈(じやうろう)菊亭梅とあり(標註)路通撰に「正(しんび)元祿四寢灰痩梅初梅梅梅梅猿簑集卷之四入日うめ御子か見ぬ方の花や匂ひを案內者くれて梅の匂ひしきりなりけれは、辛未のとし彌生のはしめつかた、くるしき窓の細といふ句を、目よしのの山に日舊友嵐窓か、や闇日ころの相捨蝶香庭くる武江におもむく旅亭の殘夢のし梅きに窓鳴りの細込ひひきか目や闇のくる藪か暗香浮動月黃昏當の梅咲か上薦の山莊に、咲春て人子良館の後に梅有といへは當かののてや良子の一のや香興香香てや酒の通ひのあたらしし白作木骨やや梅やきに梅りやな砂山路獵分のまし〓〓けるに候し奉りて怒のコ悔も此利もとゆかし梅うたきのこ一入怒るふ身敷筋ろ里入る犬は牛のむ流といふ句を、舊友嵐窓か、れに目を蕗のやは垣のもすや闇屑根軒梅谷のも日ころ牛かのののあのののたうま梅二一一な房な梅花き花奧角ねりセ支凡膳其蟬半所カ句去乙風千芭土露州麥幽兆那蕉角鼠殘芳空來沾(四卷簑猿) (四卷簑猿)
灸する也灸(やいと)窓に凭りて薄氷(うすらひ)鯲(どぢやう)掛る也。の鐘にて、百八(ひやくはち)百八煩惱の闇に藪鶯鶯鶯鶯鉢朧薄うくひすや遠路なから禮かへやはや一聲のしたりか我七摘裾宵初野百夢のやややたと氷種捨事ひとり寐もよき宿とらん初折ての憶翁之客中の八人いまた風雅を忘れさる也。感動身にしみわたり、市その夜の夢に正しくまみえて、はふるき事のやうにおもひ侍れとも、畠去雪窓下駄は雪たはやとやて月ややのて柳やき松わ鯲踏跡にうかるる朝に菜西か踏雪雁まはの齒に一來のつ付灸をにかりを落ぬ夜黑かのかつ薺漕に追のねてた一の泪もおとすはかりなれは、すさに迯たみしらんの迷はつく小田のすとしに咲き來け匂すゑ垣なしきひた月る若るてひ悅るけしき有。かれこやなり穗夜芹根菜若摘宵たはかゆ闇折にふれて二一二かかかか朧かの芹らか草な菜若子ののな二一三探ら土しほな也な花哉すな亡枕り舟菜日梅梅イ魚凡カエイ溪一去トカ其同其丈其路嵐如嵐史去其嵐丸日兆角石桐來角草角通雪行蘭邦來角蘭(四卷簑猿)
長野志抄に「うろこたち」と虛木立(からこたち)逆見ゆる也といへり林家中心事一五〇円あらおこし(荒起)柴也。骨柴(ほねしば)枯れしござ(産)詠也。當座(たうざ)卽席の題頃かくたり月塲(には) (標註)廿日正月のす、よこた日田溝の事也。地名にあらぶを猿の腰かけと見立し也此瘤(このこぶ)柳のこ人の手にとられて後やさくら海苔陽陽白春雨にたたき出したりつく〓〓しかけろふや土もこなさぬあらおこし炎炎魚やとりつやや海ほ苔ろ〓〓きは下兼落部るるの岸雪のう買の合砂へせ野糸陽骨柴の刈られなからもこの出かはりや櫃にあまれるこさの野の梅のちりしほ寒き二月出春うき友にかまれて猫のうらやまし思ひき.る麥待うら雪靑よ垣此馬遊ロ炎代風にぬきも飯田家に有てに や露沾公にて餘寒の當座中瘤瘤こしにとらへて放こた川はさる植處の持なへ汁柳このや幼やに子やに やのやのた川はさいとほのちりしほ寒き二月まし正蛤し供こころに物つ月るろ〓〓いたあ遊定るもかれ處のそ下るははめふき.るすやなするぬ戀やへ也るの塲鯉きかく狐虛あ織羽空な猫時猫たのの柳柳す柳きか木合芽はかかののりす住かかかな二一五立へせ哉れ丈哉なめ戀妻月み處ななな同エ遠トトなイ氷土カ凡百荷元杉ヲハリ其凡嵐龜尙同揚木イ尙カ龜去越芭兆固芳歲分志峰角兆雪翁白翁來人蒸水白啖白水宅(四卷簑猿) (四卷簑猿)
濱也ま)攝津西成郡、今の北田養の島(たみのゝしこもく(芥)ごみくづ也に「雨水流於地者」潦(にはたずみ)文選註きぼ(疑寶)葱の花也。をへそと見立し也臍(ほそ)へそ也、田螺くお竹也。書損なりと見ゆ。木舞(こまひ)壁の心に去來抄に「畦うつり」の狗背(ぜんまい)逆志抄は(さいこ)と訓紫胡(のぜり)藥草也。いい日のかけやこもくの上の親すすめかのほり爰にもすむや潦二一七紙蝶里桃桃春振蜂泥は春不春春立藏み彼狗鳶の人の風舞る性雨雨雨いとゆふに顏引 のかけろふ柳ご龜高山に臥てさ並の岸背切來て一夜寐にけり花境の臍のほのや雨のあ配にこまややさややわふ虫前のれて下るや屋くや塵り落しありか座木苗代田か山よ根今裏常寒さにや白しますに舞か簑きのやはのえ柴根りな水る起り紀もにたらなのの小燕なりにてら胡ほやか嶽を行くのさ出の一はもするぬ雛竹島草るの葱田垣やのるや畦軒になくれるに雁の夜せ原むの螺根女駕去年虫つの春鯲し雲花伊勢通涅二蕨作りのやへきかかののののたのの咲のひ槃夜か獨薄潦哉ほなな子衆雛糞ひ雀賣雨門ぬ雁道像哉な活曇二一六イカヽ山珍園カ桃中半イミカハ烏羽荻カ去イ澤カ凡イ野路嵐配カ芭嵐昌史羽史芭猿嵐碩風妖殘推巢紅子來房邦紅邦蕉雖虎雉兆水通雪力蕉(四卷簑猿) (四卷簑猿)
梅を椿に取なしたる也ざゝん老かくるやと」古今集にふてふ梅の花をりてか「鶯の笠にぬ笄(かうがひ)木瓜(ぼけ)莇(あざみ)小鍋あらひし黄草」嵯峨日記に「むかし誰す道具。焙爐(ほいろ)茶を乾か樟(くす)雞鶯初さくらまた追〓〓に咲の笠落したる蝸笄小坊主や松にかくれて山さくら一枝はをらぬもわろし山さくら東叡山に遊ふ一白山木菫ひ子霞鷲闇荷瓜莇旅して見たく野牛我身かよわく病かちなりけれは、むつかしと、も櫛も此春さまをかへてむかし吹の玉〓は芭蕉庵のふるきを訪草やの道もなき山路にさまよひて越より飛彈へ行とて、のもよの鞍聲打のや讃小り巢待んあり夜ふも露宇鍋か鳴見え來のや落もむふ洗中樟巢きこゆるに治む春しせきのまのをのひしあかのたる拍るり枯枝雲雲るり籠の渡りのあやうき所々、たは焙まし子と雀つ爐るつ雀のややに日は入はしてや山髪けつらんも物くのとやは椿雉子のさち椿匂はなりかしら椽はこき高上くかかりかふこの鳴のらそなな椿な時ぬれ聲り哉ぬ衞先二一八二一九凡イ利芭カ津國山本坂羽上エ山曲トイ石凡カ尙其車芭芭杉芭土兆白角雪蕉氏紅來蕉店水蕉風口兆蕉芳(四卷簑猿) (四卷簔猿)
東武(とうぶ)江戶也。見ゆち見難きこと奧儀抄にの神を祭る、葛城(かつらき)一言主の食也、常齋(じやうとき)午時はつ〓〓(小端)畫餉也。そのかた古歌に「見わたせば麓はかりに咲そめて花に山おくあるみよしの〓花靱(はなうつぼ)箭のさや也、矢を盛る器。江談抄に「玄賓僧都、都を辭する時、君か都はすまずまされ山水きよしことおほきこり(逆志抄)遠つ國は倉にて討死す。道灌(たうくわん)太田持資也、文明十八年鎌欄道腥一猶常有明のはつ〓〓に咲く遲さく齋にはつれてけふは花の鼠眞大あ知まかね〓〓母の物かたりつたへて、後かの地にくたりぬ。亡父の墓東武谷中に有しに、三歲にて別れ、廿年の里は皆花守墓の前に櫻植置侍るよし、の子孫かやに、里に附られけると、伊賀の國花垣の庄は、見はた皆し花花云傳へ侍れは守にの明里先に見し枝なら灌道灌由にのほるや花峰花も奧ありとや、やよし源氏の〓を見て葛城のふもとを過る干き共浪人のやとにてる僧の嫌る人にあかはしや花吸ふ蜂の往見他の墓、にはつれてけふは花にややは春僧はた花よなの皆し夜猶さくら咲みたれ侍れはのはじ〓〓と花はし最よしのに深く吟し入てのの奧の花ちその中夜ひにるの 代のあそのかみ奈良の八重櫻の料のしの明花ゆれ花行を其櫻を尋佗けるのんちのふその神嵐見立かのへ花都か還かののる姿二二一な果哉靱哉なり顏鳥ら櫻丈伊長半賀羽嵐曾凡去園同芭千史紅蘭良眉殘兆來風蕉那邦草(四卷簑猿) (四卷簑猿)
木曾義仲、鷺(うそ)月粟津原にて討死す。元晉元年正泊船集、たるを」日の暮れかゝりけるに市とかやいふ所にて、藤のおぼつかなく咲きとあり和行脚のときに風國撰に「大丹波樞(くるゝ)戶のおとしとぼその事也。也庚午かうご)元祿三年行春其鷽山草海花山つ春春とかくして卯の花つほむ鳥臥燒にけりされとも花はちりすましの木曾塜望湖水惜春ちの大和行脚の時棠庚午の歲、を夜の聲やてのる近江の人とをしみける石ともなら す宿はし海躑や聞花誰躅か伽家を燒て初はにかよけ行尾の藍てるころ滿初見よとや夕日のよた瀨樞りりの木やお堂曾山彌ひ藤夜と籠の路生ねののしり馬哉哉影り花月行伊式山賀江普凡戶加北賀芭曾こ智探芭蕉良州之川月丸蕉船兆枝(四卷簑猿)
ふ也(標註)雪げ(ゆき氣)雪降らんと、黃昏雲の立つをいにて茶賦の作者也盧同(ろどう)唐の茶人生ずる海苔也。すいぜんじ(水前寺)肥後熊本の水前寺の池にねござ(寐莫産)めりやす(莫大小)る戶也。まいら戶おどす(威)細き棧のあ文集に一々刷毛衣刷(かひつくろひ)白氏苔此猿簑集卷之五火ともしに吸ものは先出來されしすいせんしいちときにほつれたる去年のねこさのしたたるゝ芙蓉 の花のはら〓〓とち書何事はきこころよきめりやすの足袋も無言のうちはしづかなり股鳶ほ雪まいひとり直さ三里春人た一ななくる引とけし里蓉 のぬふのも無言のうちはしづかなり見からもにに木盧あえもら戶き朝のき羽きつまり風も花同墨をす暮寒りきの初くにかの刷二日にかのて〓れ蔦這おら木はら〓〓とち皆れきしたぬぬるる川こえて並男道をと鳴は嶋登の今ふる居か午かすかすのは葉物仕の朝月しく秋暮名物の名かるなか篠つるのもし舞の手の貝る峰北喰腹りえける宵張つしたのて水朧にふのののまくり寺風置立鉢夜てる二二五くて梨月弓るれ史凡芭去蕉來邦兆來蕉兆邦來蕉邦兆蕉來兆邦來蕉邦兆蕉來(五卷簑猿) (五卷簔猿)
格好なるをいふ也。とびようし(度拍子)不乾して「ひもの」とす。うるめ(鰛)鰯に似たりり鞍につなぐ紐〓也。鰍(しりがい)馬の尻よいへる也。その火炎を雲の赤きとたゝら(鑪鞴)ふいご也ぬのこ(布子)靑天(せいてん)らたちの垣根也。枳殻垣(きこくがき)か草此筋は銀も見しらす不た灰ゝとひようしにうちたたくう長る市押靑二番柴の戶せはしけに櫛てかしらをかきちらし一うき人を枳殻垣より隣をかりて車たあ枇たぬ湖天おい隣痩去來九むらに蛙こはか中杷構合のも骨ゝとひようしにう草つゝて水まはもを芭蕉九にち取の靴ら寐こや蕎麥の有秋明のひやのし古有か切たまたつの着もくの凡兆九葉て別りた雲は習ぬたくう果のくれ史邦九にの月る死くるすまれて歌をよむさと匂木るの又ふのて起ま風立比の直るる穗す門ひや芽の窓た假の良朝刀さしくる自くののくらせ引タき由めに夏も赤まタほひ力間脇一出ののはきく初ら見出こさえくな暮差二二七よ枚て聲月立な空られ霜けよすんむき二二六去芭凡兆來蕉兆來蕉兆邦兆來蕉兆邦蕉來邦兆來蕉兆邦(五卷簑猿)
取る爲めの民也。升落(ますおとし)鼠を上守)てんじやうまもり唐辛子也。でつち(丁稚)黑ぼこ地子(ぢご)年頁米也。にて香料に用ふる也。茴香(ういきやう)藥草也しわぶる(恬)しやぶる黑土也。きくあらしかな」ぬ間にこゝろのよそにくらまたひと花もちら刈管道心の歌に「山ざ天草庵にしはらく居て追さま〓〓に品かはりたる戀をして二二九そゆ蚤こそ〓〓と草鞋戶障子もむしろかこひの足てんしやうまもりいつか色ついて五猿茴立待魚道のた年僧湯能蕗の引香かをつちの袋六かの心儘にてにや殿の芽とりに行燈ちのの人登骨しみ踏のおこりふ本一猿實はりの嬉てよ入ころる荷早生斗と寒を竹屏わ七し蓋ひこしきのひをふ水こきす木の世く吹の風ふ尾地寺小る集撰ははあ落起たに作るほ御馬黑ほけつ子經をに落す寶の倒を御の迄冬のは花の打し月はるかタ子すはのぬのこ門老住ゆりやる夜賣したかへ佗女つほさふ半升初さ屋た刀のるる秋のるあらし子の見をうむけ櫃落秋く敷たりしり持道潴ミツタマリ也月かしき共鑑てき時す二二八兆來蕉兆來蕉兆來蕉兆來蕉兆來蕉兆來蕉兆來蕉兆來蕉(五卷簑猿) (五卷簑猿)
む意也。かすり(掠)こゝは惜し灰汁桶(あくをけ)摩耶(まや)攝津、付たる口也。かますこ(梭魚子)人を安置す寺といふ觀音及び摩夫口處(くちど)蛭の汲ひ天上たひら雪(標註)にて唯ひら〓〓降雪也かたびら雪新灰汁桶の雫やみけりきり〓〓す乘摩町夕めしにものおもひけふは忘れて休迎蛭のせは口處しをき殿かきてより氣の金.少迎鍔と人によはフせはしき千代經へきものをさま〓〓子日して鶯の音にたひら雪ふる手何何あ鶯なあ御かすみうこ浮出疊ふらかすりて宵敷ならしたるの內ゆの耶凡兆十二芭蕉十二をつのら留平守世の風かしてゑは口處な見音へにそ秋の呂し高根るもをか肱にてらしたる虱ご粥果すきまにう去來十二か這なすに雲のたにも更きかきてすあひれ.ぬすれすは露行明宵のるより氣喰こかまるらし月寐晝の花る廣はにる皆身 のねふ小斗やく味はか春十かすのきも 泪むなしの安ふよ風れののけるたか板く町き月さ日にき薫る駒盃に秋きけ敷りみるみ也二三〇去野芭凡水來兆蕉來水蕉兆水來兆蕉來水蕉兆來蕉兆來蕉(五卷簑猿) (五卷簑猿)
津の蕉門。乙州(おとくに)近江大祖翁一世に此卷のみか草也。(標註)櫻を正花に用ひしは、閣(ゐ)疊表に用ひる水あかそぶ(赤澁)龍膽なりとす。おもひ草八雲御抄に明行灯也。有明し(ありあかし)有十三(大鏡)念寺にて剃髪す初名、年二保延三年北山西西念(さいねん)西行の糸晝物雨加賣の茂堤うそつきに自慢いはせて遊ふらん夕月又人もわすれし あも夜岡大事のの萱鮓ねをとかのそ御りぶ廟出の守す水る夕月すさましき女春冬か柴し何花とちる旅空木餞こ州東武行櫻眠より田の靑やきて茂の社は凡兆九よもへさす家のむのおの曾は腹るの夜岡ろのあれにるや芭蕉九やの靑尻の馳一〓〓水も三酢野水九とのらは鷺聲ひ走莖身月いのり高のに山は去來九にに蘭のは草智惠もはかなくて有狼明のしなおく成のね陰傳春西曙に身く有ねをたの咲の無名よいをとの狼るふも念御かくかそきさきに尊常乘りのし北四よ廟ら十れ衣そおろしけくさ迅す社よ出守なけかつ着覽二三三らりよ速て也きするくくるらて三水來兆蕉水來蕉兆來水兆蕉水來蕉兆來水兆蕉(五卷簑猿) (五卷簑猿)
店屋(てんや)論ぜざるにや(標註)今は嫌ふべけれと、懷に人は斯る瑣々たる事は日に、「に」の字並びて鑓の柄に、古春の箕手にかたどれる也陳立の法にて箕星の座「きのて」とよむべし(みのて)大鏡にる句にて候」の西行をおもひよせた發心の去來文にとあり。「實ふるもの(大鏡)してつくり、しとき(棄)もち米を蒸神前に備大汙春懷萩鍵の卯發放稻雲笠しとき祝うて下さ雀あ鳴た小田にらしき春梅身膽別店灰汐雀す內片隅にぬのにの二階やるうつらの跡は見えも心のの葉の初客延にのはこたちゆかれるらた鈴なる屋れくひ端のしるしのもせのくふ供のはしき手雞蒔の心若はにれ柄さ手か札みきる松藏のあも日刻の菜ぬぬおもひくつれれ紙のにちにたをた薄の頭の虫たせ小田にまりこの宿のくふ供のらまよ仕立すあのられはすらる札箕かにのは齒のしつかなり舞た手とこたかししかかりたぬ百てたにち土持ころなきのきから外む舌よ並に呼ゆかれかえ春取ぬ聲手へしのる鳥みるらののとろゝ戀ふたてれ所かる菜る 花海秋のなは鈴な明を紺小る暮になしののは經ののつの一しけ西た鹿きせあのけれほきて下糸り机跡暮ら月聲て二三五り方れ山風すき月りやの汁二三四土半正去凡智素珍乙芭芳殘芳殘來秀兆來州兆月州男碩州蕉碩男蕉州男碩州蕉(五卷簑猿) (五卷簑猿)
る事。こくめん(刻面)律義な咳聲(しはぶき)大年(おほとし)大晦日るらん」あふべき事のかなはざ蛤刄(はまくりば)職人はまくりばなる小刀の盡歌合に「いつまてか元祿三年、を探山居土といふ木多氏八郞左衛門、うじん)膳所候の家士、幻住老人芭蕉四十七號(げんじうらくゝる(括)唯一(ゆいゝつ)神道。守近津尾八幡宮也國に建立す天皇天平九年救して諸國分寺(こくぶぢ)聖武石山(いしやま)近江。國分村鎭奧羽、さる事十年斗にして、侍りしを、を得たり。塵を同うしたまふも又貴し。る傍に住すてし草の戶あり。象潟の暑き日に面をこかし、今は八年斗昔に成りて、幻住庵といふ。と五十年やゝあるしの僧何かしは、蓬、日頃は人の詣さりけれは、根笹、近き身は簑虫のみのを失ひ、高すなこ、正に幻住老人の名をのみ殘せり。軒をかこみ屋根もり壁落て、あゆみくるしき北海の荒磯にきひ勇士菅沼氏曲水子の伯父になんいとと神さひ物しつかな二三七蝸牛家を離れて、予又市中を狐狸ふしと侍りしを、を得たり。塵を同うしたまふも又貴し。る傍に住すてし草の戶あり。石山の奥、岩間のうしろに山あり、ふTh神體は彌陀の尊像とかや。麓に細き流を渡りて、幻住庵記日頃は人の詣さりけれは、翠微に登る事、唯一の家には甚忌なる事を兩部光を和け、國分山といふ。三曲二百步にして八幡宮たゝせたまそのかみ國分寺の名を傳ふなるいとと神さひ物しつかな芭蕉艸利益のふTh猿簑集卷之六形薄添花にまたことしのつ薄雪か、る竹咳此爰小雛醬む棚象潟の暑き日に面をこかし、な聲度もと刀は油のきのもねにそのねさせてしは袂か繪隣ふほどこくはちかきか打は火蛤をはなお、合とを及もる習ちめせも染ふなひか竹をく着す便高すなこ、るるたきれものたも大細るめ椽し春割定會須年る工んつ月る磨そのかみ國分寺の名を傳ふなるから下津なた見破肩ののはせす駄盆顏ひる扇衣浦夜こ芭二三六羽野史嵐猿園蕉狐狸ふしと艸紅水邦蘭風芳雖風殘雖風殘(六 卷簑猿) (五卷簑猿)
鳩の浮巢の流とゝまるへき、きびす(踵)すを破りて、今歲湖水の波に漂ふ。シ軒端茨あらため、芦の一本の蔭たシ軒端茨あらため、垣根結添なとして、卯月の初いとかりそめに入し山やかて出しとさへおもひそみぬ。さすかに春の名殘も遠からす。つゝし咲殘時鳥しは〓〓過る程、宿かし鳥の便さへ有を、木つゝきのそぞろに興して魂、吳楚東南にはしり、身は瀟湘、洞のもしく、の、り、山藤松に懸りて、木つゝきの滿湘(せうしやう)支那の滿水、湘水の二川也洞庭(とうてい)支那の名湖也。つゝくともいとはしなど、吳楚東南にはしり、身は瀟湘、洞北風海城あり、橋あり、卷(六庭にたつ。山は未申にそはたち、人家よき程に隔り、南薰峰よりおろし、を浸して凉し。日枝の山、比良の高根より辛崎の松は霞こめて、城(しろ)膳所。橋(はし)瀨田。笠取(かさとり)山城也釣たるる舟有。笠取に通ふ木樵の聲、美景物としてたらすと云事なし。麓の小田に早苗とるうた、螢飛かふ夕闇の土峯(しほう)不二山也田上山(たなかみやま)さゝふ(篠生)近江栗田郡。黑津(くろつ)近江田上山の麓也。空に水雞のたたく音、にかよひて、武藏野のふるき栖もおもひいてられ、中にも三上山は士峰の佛にかよひて、田上山に古人をかそふ。ささふか嶽、千丈か峰、袴腰といふ山あり。黑津の里はいとくろう茂りて、網代守にそとよみけん萬葉集の姿なりけり。猶眺望くまなからんと、後の峰に這登り、松本彼の海棠に巢をいとなひ、主簿峰にの棚作り、藁の圓座を敷て、猿の腰掛と名付。徐佺か徒にはあらす。唯王翁(わうおう)王道人參禪四方、歸結屋於主栓峯上除簿(ぢよせん)家有海棠數株、結巢其上孱顏(せんがん)山の高き也る岩間の苔しみつ汲ほ古歌に「とく〓〓と落す人もなき住居かな」高良山(かうらさん)筑後僧正は連臺院主一如僧正也甲斐(かひ)加茂の祠官家也藤井甲斐守敦直、能書庵を結へる王翁、徐佺か徒にはあらす。唯睡癖山民と成て、孱顏に足をなけ出し、空山に虱を捫て坐す。たま〓〓心まめなる時は、谷の〓水を汲て自炊く。とく〓〓の雫を佗て、一爐の備へいとかろし。はた昔住けん人の誠に心高く住なし侍りて、たくみ置ける物すきもなし。持佛一間を隔て、夜の物をさむへき處なといささかしつらへり。さるを筑紫高良山の僧正は、加茂の甲斐何かしか嚴子にて、此たひ洛にのほりいまそかりけるを、ある人をして額をこふ。いとやす〓〓と筆唯睡癖山民と成て、孱顏に足をなけ出し、たま〓〓心まめなる時は、谷の〓水を汲て自炊く。とはた昔住けん人の誠に心高く住なしと夜の物をさむへき處なといささかしつらへり。袋猿)卷(六此たひ洛にのほりいまそかりけるを、ある人をして額をこふ。いとやす〓〓と筆を染て、幻住庵の三字をおくらる。頓て草庵の記念となしぬ。すへて山居といひ旅寐と云、さる器たくはふへくもなし。木曾の檜笠、越の菅簑斗、枕の上の柱にかけたり。畫は稀〓〓とふらふ人々に心を動し、あるは宮守の翁、里のをのこ共入來りて、ゐのししの稻くひあらし、兎の豆畑にかよふなと、我聞しらぬ農談、日既にいとやす〓〓と筆を染て、幻住庵の三字をおくらる。すへて山居といひ檜笠(ひのきかさ)菅簑(すがみの)農談(のうだん)朱晦庵の詩に「野人載 酒來農談日己タ」夜座(やざ)唐詩に「夜坐不厭江上月」周兩(まうりやう)うすきもの影也りて、日既に山の端にかかれは、夜座靜に月を待ては影を伴ひ、灯を取ては周兩に是非をこら二三九
す。かくいへはとて、ひたふるに閑寂を好み、山野に跡をかくさむとにはあらす。やゝ病身人に倦て、世をいとひし人に似たり。〓、年月の移こし拙き身の科をおもふに、ある時は仕官懸命の地をうらやみ、一たひは佛籬祖室の扉に入らんとせしも、たとりなき風雲に身をせめ、花鳥に情を勞して、暫く生涯のはかり事とさへなれは、終に無能無才にして此一筋につなかる。樂天は五臟の神をやふり、老杜は瘦たり。賢愚文質のひとしからさるも、いつれか幻の栖ならすやとおもひ捨てす。かくいへはとて、仕官懸命(しくわんけいめい)君に仕へて知行俸祿を願ふ也。佛籬祖室(ぶつりそしつ)惠能語錄に「吾三十而窺佛佛祖室」此一筋(このひとすぢ)風雅の道、樂天(らくてん)白氏名即ち俳諧也は居易。老杜(らうと)杜甫字は子美も、暫く生涯のはかり事とさへ(六卷簑猿)ふしぬ。先たのむ椎の木もあり夏木立題ニ芭蕉翁國分山幻住庵記之後何世無隱士以心隱爲賢也何處無山川風景因人美也。間讀芭蕉翁幻住庵;可謂人與山川共相得焉。迺作鄙廼(すなはち)記乃織其賢且知山川得其人而益美矣。章一篇歌之曰。琶湖南今國分嶺茅屋竹椽纔數間滿口錦繡輝山川此地自古富勝覽今元祿庚午仲秋日古松鬱兮綠陰〓內有佳人獨養生風景依稀入誹城今日因君尙益榮纔(わづかに)依稀(いき)勝覽(しようらん)名所と同じ。今(六卷簑猿)震軒(しんけん)向井氏元端向震軒と號す、去來の兄也震軒具草二四一
だかえ(抱)不案内なるをいふ。たと〓〓し覺束なくおぶく(御佛餉)より花遲し。岩梨(いはなし)常の梨れ啼をいふ也はら〓〓時、くつさめ(嚏)鷄のみだ椎凉笠木顏細軒海鷄時目月待五羽くたと〓〓し峰に下駄はく螢おもふ事紙帳にかけと送りけり贈紙帳しついつたきて蕗の葉にもるおぶくそも飛疊の上もこけの露近脛ハ十の山文に書こすの訪に留主なりしつあやもつ鳥几右日記六羽庵とりまはす下木さやかやふ葎疊きにはさ背きにわたして 明のやをさ海岩五めつら中のの休梨たは月手ともにをの洗か栗尻柱中上め折雨〓あ見凉そてえての葉沈む時ふ目のも處ると米しふや程になか靜に鳴かタや花こや猿夏や水也るやむる一うけ海蟬椎〓す風閑の鷄夏麓水五くら凉のか水すの鷄古月つののあなのかし聲本哉み色哉鳥闇き露山しみく山な二四三セ市ミノ垂井朴亡柳正人セ泥元セ怒二四二如史探乙里野珍千凡去野曲隱水行陰秀邦土志志誰州東徑碩那兆來水水(六卷簑猿) (六卷義猿)
明年は元祿四年なるべし也。こす(越す)縫によこすいとど(竈馬)いふ(逆志抄)日をいふ、を解夏として安居九十日を結夏、又夏百日と七月十五日一夏(いちげ)四月十五也麥の粉は勢(はつたい)凉春蓮里鳴やいとと鹽にほこりのたまる迄越人と同しく訪合ては今夕の實の飯共時に飛のあ入つさ庵かかなな蓮桶石稻縫木秋しらタ一一膳兩 やの山同明年彌生尋舊庵は今夕しさのの履露もまたあら簑の行ぬく傍に生けり風に色紙に書贈袋麥の粉を土產すこれや昇猿腰掛夏書所輪立夏や花行簑や入音米ここれあらしも果す戶のひつやきれて鳴やむきり〓〓ややのこ田るやす檜飯此かてはたせれの山や早の庵時藥上鳥にをにさはかりや苗臭山のくほみよを飛の佛袋羽の田のことし麥さあけのたけに夕や入のへつさ-り住庵し 秋土萩蓼しへ旅 捨かかの產ののかきしみななす風哉露二四五曾花なりり好凉セ羽智扇嵐等越何昌長魯崎木北尙及之半良蘭哉人處房紅月節枝白肩町道残(六卷簑猿) (六卷簑猿)
二四六跋首體(しゆきやう)響に同じ、正風吟聲の義也。倫衣〓正記に「終南山にて猿の袈裟を盜せるを見み岩上に生禪群猿これに効ひ坐禪す」人沐猴而冠」頂冠頂羽本紀に「楚楳ばい)梅也。狐腋白裘くきう)古語に(こえきのは「千金之表非一狐之腋也憧々(とう〓〓)人のつらなり來る也。也、仲は次也、同門の義昆仲(こんちう)昆は兄也。施倪(ほうけい)婦女子の義也。吃(とき)時也。兆來(てうらい)凡兆、去來の二人也。スルニノニヌスミ猿養者芭蕉翁消稽之首韻也。非比彼山寺倫衣朝市頂冠笑。只任心感物寫興只而已矣。洛下逸人凡兆去來隨翁翁遊學楳館竹窓躪等凌節斯有し歲、属撰此集1:ラ,すっトナdef玩弄無巳。自謂絕超狐腋白表者也。於是四方喰友憧々往來。或千里寄書書中サカンニシナシナニス皆有佳句。日蘊月隆各程文章。然有昆仲騒士不集錄者。索居竄栖爲〓〓ナリ通信。且有施虎婦人不〓琢磨者。飽言細語爲レ害。同志雖無至其域何棄其人乎哉。果分四序作六卷。故不遑廣搜他家文林也。維吃元祿四稔辛未仲ニタマタマスラルモトメ夏。余掛錫於洛陽旅亭偶北來吟席。見需記此事題〓書尾。卒援〓毫不揣拙。庶幾一簑高張有補干詞海漁人云。猿)簑卷(六風狂野衲丈草漢正竹書書之正竹(せいちく)北向雲竹の門人也。炭俵序漢相如の文に「朝開瓦窓夕汲心泉」此集を撰める孤屋、の泉をくみしりて、野坡、利牛等は常に芭蕉の軒に行かよひ、瓦の窓をひらき心緑十あまりなゝの文字の野風をはけみあへる輩也。霜凍り冬とののあれまさる夜、この二三子庵に侍て、火桶にけし炭をおこす。庵主是に口十十をほとけ、宋人の手龜らすといへる藥是ならんと、しのの折箸に煻のささやかなるを竪におき、橫になほしつゝ、金屏の松の古さよ冬籠。と舌よりまろひいつる聲の、三人りか耳に入、さとくもうつる鵜の目鷹の目ともの是に魂のすわりたる。けにや是を思ひ立、春の日ののつと出しより、秋の月にかしらかたむけつゝやや吟終り篇なりて、竟にあめつちの二卷にわかつとなん。是をひらき見るに有聲の〓をあやとり、をさむれは又くぬき炭の筋見えたり。けたしくも題號をかく付侍る事は、詩の正義にいへる五ツの品、あるはやまとの卷〓〓のたくひにはあらね二四七瓦の窓をひらき心緑霜凍り冬「宋人有善爲莊子に不過手之藥者」爐(おき)炭の火起れる也炭)俵(序をほとけ、王維曰「詩有聲〓、〓無聲詩」けたしくも(葢斯)毛詩正義日「名篇之例義無定準、多不過五〓る事は、
る也士の組頭をさしていへ御頭(おかしら)小祿の相塲の高き也。米の直(こめのね)米のやしらぬ深山のふしくぬき友となりぬるねや醉醒集に常に歌作れるをいふ。定家の桐火桶によりてのうつみ火」「ちきりあれひゝけり(響)つら(列)途なるべし元祿七年上方行脚の首今此事をかうかへ、炭たはらといへるは誹也けりと獨こちたるを、や、此集をえらふ媒と成にたり。この心もて、炭たはらといへるは誹也けりと獨こちたるを、や、る境にはあらしかしと、此集をえらふ媒と成にたり。其初をおもふに、口をつくむ。この心もて、題號おのつからひゝけり。宜しう序書てよと云捨てわかれぬ。小子聞をりて、よしと思ひうるとさらに辨をつく行の首途に、かの冬籠の夜桐火桶のもとにより、ど、例の口に任せたるにもあらす。やつかれか手を携へて再會の期を契り、くぬき炭のふる歌をうちすしつるうつりに、竊により所ありつる事ならし。かつ此等の集の事に及て、CON二四八ひと日芭蕉旅ど、家梅か香にのつと日の上處普のたよりにあか請くをに春の雉手透にとり子のる鳴米家炭俵集上卷宵元祿七の年夏閏さつき初三の日御御奈娘藪上處良頭の普をへ越しはなす秋のさのたよりにあか請く內はら〓〓とせ通ひ堅菊もらはるるめいわくをに春同しつらなうの雉人に手透にとり子あのしるるは鳴細ひ月米基せしのの付た今上年をへく通はひ堅をに春雨同しつらなうの口をつくむ。の人にふらあの出る山路かくぬき炭のふる歌をうちすしつるうつりに、しるるは鳴ぬ細ひ月六基しのの付た素月二四九手ぬさき雲直てつな龍同野芭よしと思ひうると書さらに辨をつく蕉坡蕉同坡同蕉坡蕉(卷上俵炭) (序俵炭)
法印(ほういん)山伏也牢は浪に通ずる慣用字〓人(らうにん)浪人也おもて替也。表かへ(おもて替)疊の淨土宗にて行ふ法會也より十日までの十夜、十夜(じふや)十月五日東風(こち)に至る間、壬生(みぶ)京、三月十四日より廿四日ふ也念佛蹄を行壬生寺居合(ゐあい)林崎重信の發明せる劒術の一派め殘り。未進(みしん)年貢の納左右(さう)たより、り沙汰也。御袋(おふくろ)母親のこと。こんにやく(蒟蒻)と門しめてたまつて寐たる方〓〓に十夜ひ桐ろうの木た高金くのて內表月のか冴かへる法繩初町露衆初終東風か門てせに糞の押る江戶の左右向ひの亭千ご預け未又ひた門ひこちにもいれどか魚鳥の印午雁こんにやく宵手ろうをた進に家の此にのの鳴もを湯女居つ相に尼ミたる味喰春乘の一るまま高夜あ東下治も房ら手懸持いのくのりをのくのりに下は病ひ噌く方て送すお內いきれを吹に 肱カナチわと居出取はに濱に靑るまや月の壬醉合地かりをすにて寒窓麥花こ冴から主わ生てひ敷殘押御遣ぬうののぬるね白登のとてへ袋るをさ振面つ花るをら向算な雜あ出か牢舞す白なのかれらはま念のぬ見名けの河用二五一炊け來り人てるさり音すてふし佛蔭き月事岸二五〇りるる蕉坡蕉同坡蕉坡蕉坡蕉坡蕉坡蕉坡同蕉坡蕉坡蕉坡蕉坡(卷上俵炭) (卷上俵炭)
赤澁の水にて染る也。泥染(とろぞめ)田野のの意也。ざまくあさみ(薊)苣(ちさ)いふ俗說によれる也の便りに商れける」やうの物をしらへて京住て弟子寂閑らとの作者、兼好(けんこう)攝津安部野にと莚徒然草綱ぬき雪沓也。やし也。節々(せつ〓〓)頻りにかひわり(貝割)豆のも雜役(ざうやく)牝馬也いぼ(疣)革にて作れる俗にたゞくさ泥染をな細片兼隣へもしらせす嫁をつれて來黑隣綱ぬきのいぼの跡ある人五百ののさかはけをら松ぬ黑二度に奉漸雜雞飯役人早外あ屏風のかけに見ゆ公と谷てかあ稻〓〓道好三百のをの頭雨ののののふ〓〓しらちこちすもとざはさも吟く見中鞍さか春み莚節かき流れにの晩朔降は口まくのるてなをけを々や織しはやる下らはく嫁れ稻日小苣けきもこに坂 の顏にたまみて芋をせは日ぬ二度に崎岡譽るも呼を畫はの生相ろの圍ふか雀に花りる墨雪か聖はすた鮨ぬ鼾秋堀かむとりひに鐘に宵相まさ菓かのるのう護來出の撲もか子り暮なけわうらんりて二五三風院りる月塲てるり盆て二五二く月てりつへりる野利嵐雪坡牛雪坡牛雪坡牛雪坡牛雪坡牛雪坡牛雪蕉坡(卷上俵炭) (卷上俵炭)
かび(躾)錄にあひたるにや術に秀てたる故に召抱喧嘩に强きこの弟、(婆心劒上に假にきるもの也。上張(うはゞり)着衣の溝川(みぞかは)はしらする體也雪のあひ間に、使ひをかいわい(界隈)囉はぬ(もらはぬ)荷をいへるか(大鏡)河内にて作る鍋の送り上空晝獨鎌弟黍金婿くわた〓〓と河內の荷物送りか心抱か來見上らてる娘る子のるの世箸小との便は成にけりせんをすたくける婿心賣手からうつて見せたるたたき鉦今に庄屋の口はほとけすそまかひ馬此今あ倉佛はとう〓〓か張豆ふか川にまかりての花咲のつをののたるしのらり〓〓塲穗かの年來見上のいらと水か母たたよりは細のてる通覗さ鷄びを處喧殘わいき暮娘る子の嘩御のるけぬのに殘すののと雪し聞せに走らのれふぬり細江らはのは程はけるし口戶のすの足何世小をさとめは跡風小酒し正れて人にな便のりもほと鳥てふににの'雨る麥月花ぬりす吹皆する囉を最降溝ののけむはすのす出倒よらたく中て二五五利岱て川緣)餅蔭引るしする月れるんぬける二五四芭孤牛水蕉屋坡牛雪坡牛雪坡牛雪坡牛雪坡牛雪坡牛(卷上俵炭) (卷上俵炭)
さけて(下げて)安賣也むこと。よくなりて食慾の進少正權四分準四位殿上人有大僧都(さうづ)職原抄に燭臺(しよくたい)蠟燭架をさし立てるもの燭淺茅生(あさぢふ)はつち(鉢)鉢坊主也はがし(剝)食慾の進此鯲茶風妹晩寐今不屆ふとん丸けてものな隣と中のきり着の儘にすくんて寐れは汗を置わすれたるかねを尋泣事のひそかに出來息災雪堪年客置はか家僧ミのの春汁細を處たりと塀のころ貢れの都つち坊主を上わのの〓〓す薪に祖父の白髪の忍を若はよに 誰濟間に雪すな跡し買なうのなといい仕た送吹か夜れ柳置らう者れ明もと所事もとほめの厚りとはのたをやをよかのの下より寐ぬてる中か今らさりたあと烏へらて七さかのしけの先工ら提へにを花よもゐタ夫めてをねしあ惡おたのてくを鳴文らふぬれに鳴の指る淺茅もすたてをかうひるし靜賣な見わをは出秋宵照さけ見燭生らな朧みな出りにたやるるしかのりよりる臺かきるにすりゐる月てるすて行りる也てせ月二五六二五七牛水蕉屋水牛屋蕉牛水蕉屋水牛屋蕉牛水蕉屋水牛屋蕉(卷上俵炭) (卷上俵炭)
(頰赤)檀(まゆみ)註中にて小鳥の啼く也。矢川(やかは)伊勢、るり(瑠瑞鳥)ぢゝめき古賣女ありし町也標中ほあか鷹の餌籠の干葉(ひば)繫腰中也(標註)てゝれ(視)貫兩脚上いばら(茨)布さらし也晒(さらし)川原などのかね(鉦)宿(しゆく)宿塲道也。ウぢちめきの中てえり出するりほあか坊主になれとやはり仁平治松暮掃竿与竹雨岸子花余橫名吹馬晒山このころは宿の通りす坂のあは 裸百各見雲月主になれとやはりかのた〓〓いうるやは月に力がの韻九句草のにのにのは茶町父根矢川へはひるうらあ干りい上間にとそよ〓〓際胼もつな珠は數なと葉色よはて女にかのれのりらしのら茹て紬む懸のに斗ひか合鳩かてせらき汁檀われ菫風ねたくば惡めかの眞てたつのかも荷た鳴り薄闇ちくふ白んれ吹すふきくり早出らの通るさ人よ西しに苗ほ立囀出かき落芋夜二五九り也し聲せ風て咲舟てるす也し鮎畑二五八孤野利屋坡牛屋坡牛屋坡牛屋坡牛水蕉牛屋水牛屋蕉(卷上俵炭) (卷上俵炭)
いなる牛の事也こつてい(特牛)頭の大ずいき(芋黄)芋の莖也てゝ起る熱病也。瘡日(おこりび)日を隔せくり」舞羽(まひは)舶繰「かといふ糸掛也方言(標註)見ずなといふ東近江の行くを行かず、うらの詞(裏のことば)見るを三は只に大數を云へる辨(べん)辨官也。のみか(標註)十二御影供(みえいく)三月いほひ出十一日、弘法の忌日也。ゞれて腫物となる也。炙の跡のたひしこ(鯷)暮隣切ニオほ瘡日段〓〓に西國なつれあひの名をいやしけに呼廻り隣のうらの遠き井の本帶生4天近日十す藤く尙蜣也き舞ほ御椋只本のいか賣な江の二いきの長てすげたる下駄羽ろ〓〓あへ氣をまきらかせとも待こころのはの袖影の路奇あ堂〓〓と二日灸ののか月の三たる方はあからむ竹うり喰のを供戾實らのの麗は橫ら納倒ふ糸振頃り落直相うさし辨のの武て見するも物にの豆しよもの連るによらにるあ負遠衣士の荷のつとひの膳にこほ るり手打た人のた屋三のまをけ口音裳につる來き仕るつ根こむひしこ日詞そはふそ月のの植くさつこる井重込たはかほいは花 くの聞をそと打て古のた廣は大す思ひつもる照初くのろ揃ひ二六一柱き庭こ早繰ひ漬色くる出くり也りて水ひ二六〇屋坡牛屋坡牛屋坡牛屋坡牛屋坡牛屋坡牛屋坡牛屋坡牛(卷上俵炭) (卷上俵炭)
物客か。迦と彌陀也(大鏡)妓王寺(ぎわうぢ)嵯峨けふ(京)けんかくは見小倉山の麓、二尊は釋はって風が建て置くをいふと父錦公の御領地」賴政の筆風の說也。晋風曰、畑中にと書して그土龍除(よりまさの賴政尻手(しりて)海雲(もづく)海草也。石垣なともなき小城也かきあけ城(保障土城)天滿(てんま)大阪。師走比丘尼くに)旅かせぎの賣女(しはすび暇(もみ)三ヲ機妓物麥椽廣餅師搗ニウひつそりと盆は過燃しさる薪を尻手にさしく月濱赤け又賣鍋小端ナ晝弦花十む天伐り透す〓王每畑嫌袖迄戶でからくみし居ふはけんかく寂しかりけり二六三御の四滿走も子持にな手くい寺能のに打に五をうのは鑄腫の起の白比宿小のう局かひこは庭に起かも替か颪か兩狀丘たころを宮のし地きのにしてヘのけをへに上れは二尊る海にと尼男はとふりまはしす古らにあれ着はを足の引又しのの新檜す渡念を空雲け張參わく諷荷らのいだ賴る入し城すのす風た投とる買をしきうた政るれあひて呂るく榜〓て出つるの船れか寒かの淨たの示シ見しかか跡觀のけへさ屋さにへ土院く筆杭クるて也り桶斗るて音者りてよえち根寺二六三坡屋牛坡屋牛坡屋牛坡屋牛屋坡牛屋坡牛屋坡牛屋坡牛(卷上俵炭) (卷上俵炭)
鏡七條通り丹波口也樫原(かたきはら)京の(大樣也所をいふにあらず染模龍田川(たつたかは)名とんど(爆竹)なめすゝき(滑養)榎茸濕(しつ)り云へるか菩提達磨の九年面壁ようそ〓〓時皮膚病也。薄暮也。敷何名大拭落花筋三ウ目ほや〓〓ととんどほこらす雲ちき投薄尙入尻水かゝさすに中の己錢さしに御茶屋の見入又たのみして足丸なめすゝきひ打水立か金の違を縫て無理雪輕來な九年言て舟菜とつくのこまかに初手ものゝし腹に菩あ御に內ひる十つるうそ〓〓つに碁立弓上引に人日提げくに畑ののす菰鯨木盤ま濕同しるのる越ゆにと引なよを心れ詞敷居く返てま宿る袷綿味の濃美に裏るちりうに月時し噌鳴する鵙きにのかひ事居わぬのとり日たの借めのの豆る鱈つ跡栃砂らかの聞るるをよ塀をにつのら雨龍を祭りあ朝の降來たらをのけかす六のよ樫惣つ田出るのの雲出る也ふ繼木てひる月音く原汁れき川す也きく聲はひ月膓し二六四二六五坡屋牛坡屋牛坡屋牛坡屋牛坡屋牛坡屋牛坡屋牛坡屋牛(卷上俵炭) (卷上俵炭)
門(もん)町締りの門也暑病(あつやみ)定り也。定免(でうめん)年貢の也に横木の棧を打てる戶まいら戶(眞平戶)表方言」うんじ(慍)精進箸(いもいばし)ま)「朔日たてらと云ふ朔日しま(婆心錄) (ついたちし名ウ定減もせぬ鍛冶屋の見世の店さらレ門ン建直す町の相談東蓬みちのくのけふ關越ん筥雲やまいら戶はつすか萊に聞はや伊勢蓬彼暑幾も病は夕月丁里三門岸も包免ニ訴氣にかうんし和春立春の部發句人過ン月のをてに訟寧ら離れや仕殊にはかな重一建ぶりに事年今戾る醫者濟か臺仙果かるかも禮順やおらのすて用土なもの鮭名のて俵た朔の引風の土る日しまのをの伊花、ら字手も越をうるさにの八娵ぶ勢しのぬ欲やをに口專のらるおと聞のさのろ咲ほきはなかの精襟つ海り初き立逢かろりもつるそ進もき老二六七杉松便春て坂りへてのり筋りら箸とて二六六濁芭執風子蕉筆坡屋牛坡屋牛坡屋牛坡屋牛坡屋牛(卷上俵炭) (卷上俵炭)
れたり」徒然草に一重の梅を軒近く植ら「京極入道は喰つみなす重詰也かき(柿袴)柿色の小袴年賀客をもてとならは我戀はみやこ莖立(くゝたち)野菜の中の詞(ちうのことば)の妹につまれもやせとうの立てる也、(大鏡)「春の野のくゝたち古歌越とて播磨の鹿は丹波に候へは草の深きに臥ん平家物語に「暖になりとばしる(飛沫)まはすること。すまする(住する)住ま如き光りをいへり。日の射して糸の亂るゝ朧朧七うちむれて若菜摘野月洛よりの文のはしに草や足粧つしかもけ紅み赤梅梅梅う梅長初目猶喰い刀春どかめ梅松下そな味咲ち日いつさす供もや窓のうちを見こみて一は月をなこともの、梅香咲木か影にきみか祝しは〓〓に咲噌てるのや親我れやふ丹波の鹿も歸るとの湯やもしるも顏に匂つ娘筋口殿糸臼 のの莖中門木きつれ〓〓草しす七くさはやすを見てへる 薺に曾名て來つ立徒春そろをのののま立挽のかれたも明崩光と詞坊をよる木匂ひけすはねと梅つや主雀わけれのにへののるしてるま年ののかり直日初御の今朝脛よきれ切妻梅しの日姿慶れの水檜かかかゆ刻か戶ののけ匂か曲かかは時祝もきのなりななや宜ひの袴春て二六八大膳京洒サカ正所去袴春な二六九しみな哉花花りひイ土カ去仙野其杉野游利支曲露野利孤沾岱來杖坡角風坡刀牛芳考翠沾坡牛屋圃水堂秀來(卷上俵炭) (卷上俵炭)
聲の文(こゑのあや)看屋也。吟にや。三ケ一は富士を見ての古手賣(ふるてうり)古籮(ふご)春にてモツコ前書あり。鄙の懷紙にこねり(木練柿)「洛中」と鶯鶯鶯猫長猫の子のくんつほくれつ十朧大枝念鶺障うくひすにうくひすの一聲も念土傘町五こ鶯閑人深川の會に月椿子ねり柳に入て冬はに中鴒やの五原長くの扶さ越し月のな ひまこ押への門ほうと戀日や聲をもへらして植し柳持とりてしたるかるす柳柳た持とりてしたる伐ふ分し尾は初立やてから籮見たはに手や寒はふらるた藥のなつぬにたる見ま起を息か睡名さの習散る付しすら月れ出ほ宿く行殘を入にけりへぬを込やさる鳴のてむのかも椿椿椿な柳るるす豆雀聲ん朝小て古三頭舞巾かかかきか柳腐かのか蝶哀手ケか朧哉哉哉哉哉賣な文な哉也賣な月な二七一ななな一二七〇僧丈曲湖孤芭利一野素湖利野桃其嵐其野之大サカ利仙翠春屋蕉牛風坡龍春牛坡隣角雪角坡道牛花草(卷上俵炭) (卷上俵炭)
倫盜あり」五元集にとあり「折るに殺生男の子の抱かれながら喜ぶさまをいへり家の行厨也。はつめぢか(初鯨)四ツごき(四ツ五器)佛かう(頭)かみの音便也花柿中烏牡丹すく人もや花見勅明日といふ花見の宵のくらたかれてもをのここいきる花見哉のめ袈裟ゆすり直しの湯を片膝すやや花庭のさの中哉花鋸うか〓〓と來ては花見の留主居めつらしや內て花見のはつめちか誰老あ四ツごきの揃はぬ花見こころ哉山山花は櫻僧守花きに何かしのかうの殿の花見に侍りてはたのき、かたはらの松蔭をたのみてうへのの花見にまかり侍りしに、母さめ下の掃音小く袈裟ゆすり直からきめものの音にうたの聲もさま〓〓なりにける。しなりと花に五戒そもよやも川花袈らもの白除もそに装毛きしてから椿散に飛ち湯絕れ珠か越るむしにならをかへ相數見せて花すつきたや片しらす應をくる小膝家すとを突や庭のな川や人〓〓幕打さわ蔭遲のこさる花のし櫻はさや花あ花のつかく見水家かくのさのは見け赤は哉哉椿き二·一二なら哉車櫻なら哉花せり支嵐普越前福井祐之大サカ智大津尼嵐其湖北斜〓孤去素丈杉芭野全甫道月雪角春枝嶺口屋來龍草風蕉坡考雪(卷上俵炭) (卷上俵炭)
の出入を禁じたる處也法度塲(ほつとば)諸人ごみ(塵芥)したるゝ(枝垂るゝ)日也。上巳(じやうみ)三月三布の煮出し汁也。昆布たし(こぶたし)昆ふゞく(雪吹)法氣鳥ほ散春瀧青藪麻鬼晝帶食祭折おちつきは魚屋まか昆布だしや花に氣のつく庫裏坊主せや櫻かり二七四日か度此集いまた半なる頃、塲の垣よ殘雨柳旅行にて相よそ題しらす半垣つらきの神はいつれそ夜の舟程路をてられて子ににに乘るやふしみの桃川餅のをな居かるゝ來るるもや汐干桃雛のつのの上のまかやの路をてられて種每年踏〓〓ここるつ時子に巳てよ行ほやへ種の蜂泥に皆遊き燒に馬るさくらふ每つの 巢餅のあふ青野命のよ葉のみしつ打し顏年をなつ日孤屋旅立事ありけるに、り燒のた居かるゝまるなくの隅た込か來内門藥るゝる麥やふ小くるるやはのや屋もてや汐干山く菫の風燕二根鮎汐桃桃さ花やか嵐のか三のか干のののかののかく見臺品二七五な哉末な本漏な哉花花花雛花な哉所らなイ猿カ怒サカ田夫爲子ミ如ノ其野仙芭芭孤利野桃沾同野孤同利坡華雖誰珊蕉有蕉屋牛坡行角隣德坡屋牛(卷上俵炭) (卷上俵炭)
芦毛(あしげ)聽にて色たが掛也。かづらかけ(籀掛)桶の靑白也(標註)れのつきざるを惜しむ也とこ迄見送るとも、別如意を愛したるを以て棹のうた髭宗祇(ひげそうぎ)宗船唄也。物のかはきの早きをい夫氣の好く晴れて、へり干卯扇花雀綿更鹽梅雲棹のうたはやうら凉しめち髭宗題しらす祗池に蓮あるここうのうの花に扣ありくやか卯の花に蘆毛の馬鶯髭卯のの川迄見送りて霞と旅行に衣魚首さくらを夏の部發句や屋よ花花花竹のあとりぬ十の夏とのやく日や裏のに絕く暖今旅はふこす干子間ら簾朝寐やた迄たはきす藪のき白はく月行餘たかん闇柳の及姿日馬せは斗にし程もや也花ののは別老つ夜及衣の茂り哉かへ衣しさ衣れ同をろからか明の越かか更かかけし鳴二七七哉船け哉門し衣りり事へへ二七六芭素湖支許去芭利子雪九野嵐利野蕉堂春考六來蕉牛珊芝節坡雪牛坡(卷上俵炭) (卷上俵炭)
粽(ちまき)を作りて賣れり(標註)元祿の頃紙にて冑人形小人形(こにんぎやう)さうぶ(菖蒲)をたよりにつかむ別れ芭蕉の留別にかな」「麥の穗の名あり(大鏡)役に家東に柿を献し其見郡立政寺、柿き(かきてら)美濃渥關ヶ原のし一二の橋伏見街道にあり(いちにのは文文五さうふ懸て見はやさつきの風の色五月日もなまて雨くや傘につけたる小人形水ロ澄上かもぬるあやなし粽五め把哉浦麥刈麥麥柿子靑木桃行時聞五風畑寺規ほと翁の旅行を川崎迄送りて跡の田植端麥かま郭おなし時に込の日おなしこころを灯灯鳥もな雲顏ときすまて午ややしの穗にやくのを一て公くむ出麥と共にそよくや筑穗いやしや作のれは麥舟月空二田ロらぬ出て二階にの鳴なののかけ植茶に上さ匂〓〓風か夜橋もるてやれ摘詮ひにしのな蠅もや遲ぬが遣もなせ夜ねしの猶や格聞た離麥宿き作子雨るやしん明りに五れのの螢波とかな時杜子時か子把二七九嵐際中内時山りなる鳥宇規鳥な規二七八大サカ洒其ミ〓桃岱野利許千野利素芭杉嵐其桃雪隣堂角水坡牛六川口坡牛龍蕉風雪角隣(卷上俵炭) (卷上俵炭)
ざこ(雜魚)杓(ひしやく)柄杓也またがる(跨)にあらず。句の一にして芭蕉の作御斷賴入候」翁との違にて杉風より炭俵に紛入候、に「羽州岸本氏の發句、川中のとある發公羽と芭蕉の遺言狀房也、薔陸(やまごばう)山牛根を藥用とす。留中、と編者の註なり。島田の塚本如舟方に逗此句を送り越せり江戶へ便りあり〓の錄引也。物語にある美保谷と景みほのや(美保谷)平家强きをいへる也。首の骨の並松(なみまつ)松並木也崎行凉すすしさや浮洲の上のさこくらへす風しさをしれと杓はすくれて凉しヒシヤクの五雫位かのな聲二八一川中の根木によろこす月五五さ五五駿〓二枯並帷み風灯影に動く此句は桃隣より書てこしぬ月雨や顏も枕し凉月月み月此句は島田よりの便に山松夏柴月五月雨河三子ほ雨雨をしひてとらするさよ塀にまたた雨雨路の番にを旅ののややれにのやや力鷄畫見下や露隣及はか顏は色花ぬ夏もの小鮒を首へは鳴けや橘あき木葉かぬとての骨こそやもに淀けもつ町懸あもあか握る子葉ぶ 凉もも川茶しるの五るるつの雫位凉竹のみのる大丸のさつ足暑袷甲光の商かのかのか供和木匂かさのかかなな聲な枝りな本薩哉川橋ひな哉豆ななれ二八〇素仙な備〓前智ナ女探卯カサ可芭キ去岱嵐野桃素芭猿魯長斜崎臥來峰月芝七南蕉水蘭坡隣龍蕉雖町嶺高龍花(卷上俵炭) (卷上俵炭)
薔(なぎ)也。水葵を開く(標註) (みづあほひ)夏秋紫花浮の妾也。山吹、巴、上品也あらき(阿剌吉)泡盛のあるじ(饗應) 0る山、なきを站といふ。はへ山(配山)草木のあ慰斗(のし)鮑也。き机也(大鏡)脇息のごときにて小さ定家机(ていかづくゑ)けうとき(氣疎)ともに義仲竹團猪な螢雨曉は晝や世熨橘けう一早乙女にかへてとり夕涼みあふなき石にのほりけ三日月のかけにて凉む哀か一三枝り乞へ斗あらき泡盛なと名あるかきりを取出て、給ひて諭さしむ。然るにある會にそれをよく知て、のさるへき人、子や僕か酒をたしなむ事を、兒の齒くきのかたく戒め美あるしせ11/しののいののま木曾路にて顏や題しらす日月賣見子はと牙かきの目山や人やふ中む定くや磯菜凉しき島かまやすき侍にかれし雨をきやの雨家蝶けはもる氣さも年かけにて凉町雨もすさ降机巴のな鷲け蟬もうろつこま貢足の齒ののもきのたかはさ畠め出あくきのら竹栖あるらタかせのぬるたる菜ぬり茄落のやるよけし田くやつ生く花美若雲子す若借蓮植とこさ水葉のか李葉着のるのか飯のかき哉峰哉な哉哉葵哉花み顏な哉花ろなり二八三へサミ爲殘楚カ二八二嵐仙祐怒仙丈乙北智許嵐里正杉素野雪花甫風有香舟花草州鯤月六雪東秀風堂坡(卷上俵炭) (卷上俵炭)
のらる球くとは塩これは酒にあらず、一個大正貳年、(標註)筑波の相望を云へり。望峰(ぼうはう)不二とにて、初秋より晩秋への順序ざるをいへる也。として、ぞ、一品名(電話本局二四)四もち汐(望汐)大汐也。松名家炭俵集下卷家名名月改改行雲を寐て居て見る其夕つかた、ある人の別墅にいさなはれ、て酒に外のかたをなかめ出して名のつやくもち買月秋名むさしの仲秋の月、初て見侍て望峰ノ不盡、筑波をこほつ木立も寒し後の月二八五こ蔭月てられけれは汗をかきて汐や見つめてもゐや 椽とりまは月ややてことや 椽の序をえらはす。秋のあはれ、いつれか〓〓の中に、の生誰に橋とりま船吹揚起名のし低のも見さにつ初よ江すぬや盡日打和きて物語しくしるす今夜森の月夏坐後日黍一月を翫て時候暑のの月の夜のよしか月月見鳩哉虛ゆさきな二八四其利里洒荷去湖野利角牛東堂兮來春坡牛(卷下俵炭) (卷上俵炭)
出つ閉關の說、不二は駿河の國なれば殊によく見みるかといその町名のゆかりよりへる也。るかしつ也か香を櫻の花にもたせてしかな目傭(ひよう)日雇人足柳の枝にさかせてLのめのみ古歌におれます。「梅唐黍に映ずる也。たらきび(唐黍)灯影のに似たり(標註)躬恒形の硯は鹿の足跡今集の作者大河内躬恒躬恒形(みつねかた)古こうろぎ(蝉)本朝文選に朝踊星笹盆の月寐たかと門をた名たうきひにかけらふ軒たなはたやふりかはりたる天の川鹿友蟷悔いふ人のときれやきり〓〓す朝年よれは聲はかるゝこてしか顏閉朝の月る孟蘭盆合七螂にくんて落た鹿鹿ほ秋旅行のときの人のもとめによりてか.や關顏葉タにもえたつ紅や虫へやふのろきやほ畫不二見ゆるかと駿河鳴なやきにむをと日は程枕跡箸て朝錠見傭に は付てやか顏出お硯追はろ醉やへるてのやるそきり〓〓すは行すて星たや蚊 屋るぬす柳躬小跡門盆む膳かき玉祭恒ツネ鹿のかののけののか形哉上こ 哉な垣垣り月り緣))へ町素二八六二八七素車孤爲丈智大津湖利芭野李江州洒嵐孤其龍來屋有草月春合蕉坡由堂雪屋角龍(卷下俵炭) (卷下俵炭)
鼻先の歌かるたを拾ふて茸を採るをいへるやうに女どもの爭ひ端(はた)えに風かけてすがひ「したり咲く萩のふるすかひ(背向)山家集に〓〓にをじか鳴なり」形容せる也註)韓の役に、南蠻(なんばん)豐公征を獲たりとも傳へらる唐辛子の種綿の實の形を桃に含貫云(標とちふく1ヲふつゝか(不束)おのが(己)菊茸蘆芦片花宮近箕秋落柿紺園狩のの難波津にて穗穗にや城薄草江風畑女中の茸狩を見ての岡にのふつつかなれは、治世南蠻にて久しかりしゆゑにや。たうからしの名を南蠻からしといへるは、名なるへし。のかかたちを、き天のそき、干て窓に皆やさしからぬ名目は、そらみ、このめる人々のもて遊ひて付たる天資自然の理、八つなり、とちふく綿モクなといへるはお未詳。さら〓〓恨む汝か生れ付かれかほうつの栗秋植物のふつつかなれは、菊名なるへし。き天のそき、の菊奥や野花路ややのどなも鼻にやのや茄谷あ萩顏らる色の箸萩す子るにやへ本に先う撫やかひに立る鹿 のの數のあな霧刈ちを呼なつ上夏とちふく綿かのほか子出る方るよるくすら供す歌や夢りゝらもか客稻や秋九ここのは蟹りの村かれかるのほうつのるの寄日の哉た膳ろ端雀花長み二八八土桃甲所哉二八九杉其去丈猿野桃孤木祐利桃屋白甫牛隣風角來草雖童隣芳(卷下俵炭) (卷下俵炭)
二九〇石臺にのせられ上々の仕合也。へからす。かれか愛をうくるや。て、竹緣のはしのかたにあるは、すりばち(摺鉢)つるべ(釣瓶)ともすれは、ともすれは、すりはちのわれ、底ぬけのつるべに、土かはれて、屋根のはつれ、二階のつま、物干の日かけをたのめるなと、あやふく見え侍るを朝顏のかけをたのめるなと、はかなきたくひには、誰も〓〓思はす。大かたは、かつら髭、つり鬚のますらをにかしつかれて、ひんほ樽の口をうつす、みさかなとなり、不食不菜ひ20元 200元起實驗證據有限公司に「御肴に何よけん」みさかなとなり、不食不菜のとき、ふと取出され、多くはやつこ豆腐の頃、榮花の頂上とせり。かくは道のほと紅葉の色を見するを、かくは天滿宮也。北野(きたの)京の北野いへと、ある人北野まうての歸るさに、りの、小童にこかね一兩くれて、なんちか青〓〓とひとつ實のりしを、所望せし事ありといへは、いやしめらるへきにもあらす。しかしいまはその人〓〓も此世をさりつれは、いよ〓〓愛をもたの小序(せうじよ)むへからす。からきめも見すへからすと小序をしかいふ。唐辛子の根ごと引拔かるゝ最期の、いたましきを哀れむ也石臺を終に根こきや唐辛子野坡題しらす相撲取ならふや秋のからにしき嵐雪居風呂の下や案山子の身の終り丈草碪ひとりよき染物の匂ひ哉洒堂秋の暮いよ〓〓かるくなる身哉荷兮いくち(黃蕈)茸狩やいくちも兒は嬉し顏二九一利合
す愉風が風上海通用金の規則の木の根にはあらの根といへるにて、る如く見ゆるより、Firster,すいかならーく敏行の歌にれぬる」目にはさやかに見えねども風のおとにぞ驚か「秋來ぬと文撰に、冬枯のたり。寫にて入集せる事見えの作也。公羽と翁の誤猿舞師集、出羽岸本公羽種黑芋箒凩初凩刈蜘櫻こからしの根にすか冬市凩庖秋來タ喰時蕎木み目南宮山に詣て霜藪麥ののや初や風る顏雨巢枯中冬の部丁けり沖のやにや盻マタタキ猫や冬沖に秋腹にのの菰ののの霜蝶へと跡き張磯木よ片は風汁のしにのやのののれり袖はらしゝま時蘇け霜今葉あ斗毛ま行は寒く秋朝もてもな鐵ふふ雨の行けのりきもるむ冬す見おきらなしり小や冬ち寒付猫立するとさ山しきかること時初さ檜皮の臺家かめ松小かます不の月池り夜か二きののけ寒ろ二九三丈雨哉哉面所な哉原へ哉颪れ雲上り哉二九二荊游桃八楚殘桐斜支僧依北芭桃其其支草口刀隣桑舟香奚嶺梁蕉隣角角々枝考(卷下俵炭) (卷下俵炭)
夫木集の笛も吹やみにけり」は何にかなぐさまん隣「ひとり寐を今旅立つをいふ也。月朔日、神送り(かみおくり)十神々の出雲に略してソバといふと同蕎麥切(そばきれ)今江甲賀郡にあり宗にて寺領二百石。飯道寺(はんたうじ)近天台みそさゞい(三十三才)雪雪初初初魚足蕎こ人神鉢鞍小有漏卷壺壺夜大根引といふ事を時に小雨坊隣明旅寐のころ芭蕉翁を我草屋に招きてらぬ程今日はらのの雪雪雪雪麥の聲寒さを下の五文字にすゑて送のり夜荒半たをる過宵冬の夜、しに有つるを見て、右の二句は深川の庵へおとつれし頃、今爰に出しぬ。しに有つるを見て、店も時日や頃をに小とぬ日に庵かさうそみやににやと切のり隣はと雨なに吸ものもなき塀見飯道寺にて莚もしらけて寒薄やうくもるの事をう先たれ隣れ今は日崩や顏挨は主のちる度れ馬て拶若乘白宵々時上ののをも衆るは雨てるの挽しくれ他國よりの狀のは蔦鼻し寒そや寫しよ 草しそささのはへ冬冬寒さ寒土大大やもうしけののさかさ大根根みかの哉根引引ぬな庵のいへらり月月哉な二九四二九五猿依買利野里我利示野洒野芭野許斜雖々山牛坡東眉牛蜂坡堂坡蕉坡六嶺(卷下俵炭) (卷下俵炭)
間信仰也。を待ちて、庚申(かうしん)その日徹夜する俗元腹(げんぶく)元服手代(てだい)る煙出し也。事にて、曲突(へつい)「くど」の竈のうしろな定家卿の逸事也。打はやす京の神事也。御火燒(おほたき)十一月、神前に柴をたきて、宗長の歌に賤がをだまき〓ㄴし同じ事のみ老ぬれば「くりかへ餅搗やすす拂障子煤掃は己海へ誰庚申やことに火燵のあ座る敷榾禪門の革足袋寒菊や粉糠かなしさの胸に打こむ枯野哉江の船や曲ッ突にミまる雪の鷺海炭賣はつ雪や先馬屋から消むそ朱の鞍や佐野杉此暮もまたくりかへしおなし事待春や氷山伏の見事に出たつしはす哉白御火燒のもりものとるな村からず歲暮煤掃との魚題不知山のふる誰か火ののの横丁は元腹や白鳥鳴のにが棚〓や緣曉き雪ましる塵あくをのさ組か匂立さへ渡りの雪の駒はつ雲におか朧す濟たひるかくるろすかるてのた雪る也は大波る夜履草手代哉工かのお里神五六杉の夜哉十白の吹か雪吹のな樂尺箸端な哉る鶴た取と二九六二九七杉智嵐野万芭同其殘丈之智許芭呂羽黑亡人素こ湖許北支風月雪坡乎蕉角香草道月六蕉丸龍州タ六枝考(卷下俵炭) (卷下俵炭)
俄に吐瀉する急病也寉亂(くわくらん)夏日、 (や四門四宗も只一つ也。芭蕉の句に「月かけ四扉(よとびら)善光寺L尾上(をのへ)山頂也。いかゞ(如何)せ)かとあれど聞えず。標註に、なしよせ(濟寄なじませ(馴染せ)也。朝秋爪年年袴鍋ふたのけば〓〓ささ田足下祖行な道息坊輕主つ月お京父年取て心着の芭蕉よりの文に、のし秋の部のの霧へりことに者ふ畔名たひ道のく空よ夜暮のか手まぬのは宇治にれ尾京せ聟のき子守かは互に着たかして居る八ツ下りへるす簔は雀を亂かのし針き日ては早かにのく上へやに豆はしらかて入とならは狀ひとつのくれの事いかゝ、傭一鶯火のさしもさへるは丸糞三るむ苗す把白米簔桶る揃羽杉こ一あ船海す太りとしはもにや羽と編雀四るてをさしつこ落扉わ離年きす笠捨ろす貝たれなと有し其か錢俵遣かしかこもり年のてのしれは斗の吹るたののの節二九九置きてす也門て鷹りひな暮暮暮二九八李孤其湖素野猿孤智角屋角屋角同屋同角同屋角春龍坡雖屋月由(卷下俵炭) (卷下俵炭)
あばた(痘癈)ぶと(蚋)宮(みや)近江高宮也。梅津よりみふねよそひ大井川行幸記(貫之)に下(おり)りを知る爲め也。繩にて、鈴繩(すゞなわ)蹶の脉月の桂のこなた春の水中の上り下治年間の印本あり「をくり判官」といふ萬說〓淨瑠璃の双紙に標年貫鈴行顏燈夏草のぶとにさされてやつれけり小紙辛君いざ帶宮雁け上燭塗北崎稗來のあむかしの子之繩にして吟終りぬ。孤屋旅立事出來て、栗はたといへは小僧いとののにねはこはれ次第と塩ミ片のふと豆蜜心あとなき金のつかしよへのにのよき縮物もむなてり雀塩梅下鮭引なのの着出しさかすはしたし尋のミ柑津た片冷かああさて洛へのほりけるゆゑに、つら言張に來てるこものら核のたり桂筏るれはうしのはせのま居らたくた月る荷もなはての 家風花浮せりの秋落しきかひおつ呂も寐前て酒のちやひ今四句末滿との哀くの雲くるなをりかうひてみるくのた待てるち道置ち也月錢三〇〇船也壁殘行れ籠い三〇一屋角屋角屋角屋角屋角屋角屋同角屋角屋角屋(俵炭卷下) (卷下俵炭)
身體(しんだい)「身代」の名所也。九里に駒野村あり、長谷(はせ)長谷寺、銅壷(どうこ)大野氏(あまのし)桃隣ほんのり染りたる也。はんなり、紅うこんのより平織物也。瓜北臺銅此買人鴫時年よりたものを常住瓜の花是からなんほ手にか入月道くたり拾ひあつめて案ごんと水の落る秋はんなりと細工に染るよ塀近くに居れと長谷歸鍵いごむも分つよう降壺度込りのな所天野氏興行るかは眞持につよりのんと平よに 夜た米もらのけふ藥けしひのやの黑ずはなり外はき身て小の機に彌生ね負に念佛からは寒たなまてまはほ水きかこ體言火もは來聞りる奇いる雨のぬ桐んのる麗る汲て遣のりと打明て鳥た誰桶十樂てゆ戾十のしさゝもは五なる娵に月ねをつひる花遊めま秋わま見ど日盆タる紅うこんの掃のまたいろ山り 置このつる廻たこふの仕立そは見かやふかか子ろてらしぬるむ也せ哉露三〇三くるすてつ也內月合る一〇〇一利野桃坡隣牛坡隣牛坡隣牛坡隣牛坡隣牛坡隣牛坡隣牛坡隣(卷下俵炭) (俵炭卷下)
割木(わりき)新也。工也。勤番せる木工、番匠(はんしやう)京に今の大一月也。神無月(かみなづき)十くど過ぎるをいふ也。あくどくかたぐ(傾)老人の話の髮置(かみおき)川の筋也。富田(とんた)山城宇治しやうしん(正眞)菜(さい)網好割物番振髪燒帷同よいやうに我手に占しやうしんこれはあた子まさも肩れてまたに かからぬを薪星片降ち內京杉の匠賣先隙神無月廿日、て置物子しはてつとも風さも木のかの沖をまさ事のよははも肩へのの餅け樫は雁盜にりり迄雪菜踏老木れてまたの末咄しのあくとくてに月部薪かた屋にく待也近山やあ組惣をの深川にて卽興て見やに か末つにすはた小はかけ合えすのとらす別にす舟ききや月を節時をみれふなう見ふた家から月十二聲に國のぬさ見る引雨す也えぬかてもゆる思るねも富るに暑は置をかたか秋かひ長て花案さぬて八け露のかねるす閑の入來田念に商見く日て霜風なて軒講にて三〇五さ也三〇四蔭舟る紛入てひる利孤野芭屋牛蕉坡牛屋坡蕉坡牛隣坡牛隣牛坡隣牛坡隣牛(卷下俵炭) (卷下俵炭)
れたる也。產(よろこぶ)子供の生鯉を獲る鈴繩也。いらひ(諾)借り合ふこ帶し(おびし)腰間也。灯也肩癖(けんべき)肩壁也籠に紙を貼て用ゆる挑籠挑灯(かごてうちん)ひだるきじきこと。を云り(標註)餓鬼(がき)島人の異形(空腹)ひも風中算干川明ひとたくさと新畠砂此粕カセ馬上鯉止壁よ無又用塩物平越吹島塀買お肩し泡たのを筆沙出を地ごにに癖氣みのきのくてににのののらるき鳴てたの汰す口帶ら出子秋た傍たな浮世鴨向ののしれ糞ぬくも鬼餓門七ツぬ干はに籠む雪のはのき輩の大の寺のたみ落あ葉き綱を鷗のの寐ての合狀む晦日にし立を苞ツかたほへ薄の水を笠るつくのう手をも五る下をりは內日むさ湯る灯挑を雜に殊軍にもむゐあす屋談かひ尻させぬ借い跡の四ツす京るとくさらきふなとり雪のつる月る十音つ戀てはもうの吹消も大のへかタらさのめ住なせ藪かにう青と石れすの膏しせ事るり月ひき鐘產居りて垣り藥空也三〇七花ててぬ行へ草取る三〇六屋牛蕉坡牛屋坡蕉屋牛蕉坡牛屋坡蕉屋牛蕉坡牛屋坡蕉(卷下俵炭) (俵炭卷下)
きはつく(際付)汚れるふ也手前者(てまへもの)中稻株の茂る也。國西國にて分限者をいの一驛也。熊谷(くまがい)中仙道とぎるゝ下肴(げざかな)輪炭(わずみ)春は胴炭也(婆心錄)にかへて茶事に用ふる杜絕る也。ねちみやく(涅竟)茶宵竹熊手前者のひとりも見二身にあたる風もふ川馬下雪背中め稻筥どち莚くの三谷粟あ日輪目にのこもらつたに風邪のはかの皮の疊このをひ肴の炭黑へのほる子子松らの月を雪荷ほ直きはつの踏物寐らし堤かたごを出るをのか參りろ所にさにのきられちものと米き舟前かこちへすもれれ口花連く上に花ちりり小鮎かさ雨てる濱の見のののをかへらたては赤を揚イク鰹は〓〓れ三ねいてやへのる 夏るふる廣大にき拂塲らはゆ旅る浦ぬはの干門節秋き名打ふはふ月ちのするてかる工大過盆秋の〓〓ら來てのも脇の賣水の畑薄月の明ゆ寒尙春時中やみ戾行三〇九る地夜供て空し風分くり三〇八依利杉石沾野岱利桃子芭孤杉菊珊隣々合坡風菊圃珊坡水牛隣珊蕉屋風牛屋坡蕉(卷下俵炭) (卷下俵炭)
雪舟(せつしう)名は等揚わせて正二年寂。〓聖也。永雲谷寺に住す、來りて也。つ(唾)て佛壇をいふ也。御前(おまへ)一向宗に精進日(いもひび)込む料也。逢(よもぎ)草餅につき大雪餅物朝又今男男花の雨あらそふうちに降約束にかゝみて居れは蚊次七ツのかねにのま小し部屋てつにむりに蓬駕籠そ呼ろすゝけ酒損隣わ取背おもひ只うつ〓〓と親集戶へめ廻てはれは多山きへ精取阪の人にす舟てなくはと自慢こきち米曇まをとまれは朝へさを集はぬる御前の箔のはけか行しも搗めれりりして佛てわてててにはの火をせ俵はれは味氣祖れ飯ててへ多よか母たとりて山藥は、ききしこへ埓撰者芭蕉門人小志孤泉野太三一一氏氏のる出ににせ氣冬を代かか行雉子小へし來喰るかかりにの顏あ來らのり進ゝみのるてるれ聲入月也けるし禮込日りち聲三一〇氏屋坡沾曾水隣風良牛珊坡合風牛珊圃依隣良屋水風(卷下俵炭) (卷下俵炭)
やかて晴た花は櫻、だをやみなれは」あたりなる柳見に行ける中にるに、ありと前したゝりいま春雨きよらかなる助に近き聽雨撰に春煤(すゝ)煤掃のこと。狗背(ぜんまい)續猿蓑集卷之上初荷とる馬士もこのみの羽織內春はとさつく晩ののからすのふ畠ほるまる脇煤八孫澁柿もことしは風に狗背かれて肌きのふから日和內差九元祿七歲次甲戌六月廿八日をかに間しま跡か替空ごれらてへてるてすほはかたまる雨祖肌のしはやか父ふ寒畠降のかうほ柳餅るれ月の旅借たなの着るか池利田段三一三刀錢りる色ひて聲な氏三一二里馬沾芭牛沾蕉莧里蕉沽圃寛圃蕉(上卷蓑猿續)
たをやか(嬋娟)心錄山の境にて嶮岨也黑谷より眞如堂に出る長刀坂(なぎなたざか)りもの)伴僧(ばんそう)駕(の婆穴を穿ちがたき也。貫穴(ぬきあな)けやきの角(かく)の堅くて、小擧(こあげ)母子て其の融通を受くる賴懸をなして、春無盡(はるむじん)月たてあひと也。月と花との風情を競ふ(たのもし) (立合)のこクジ引に有明一提(ひとさげ)削シ伴む月濱槻禪引立て無理に舞するたそつと火入に春長持に小擧有明におくる笹約籬なくいつくへか後は汰沙まふたに星のそ伊見ややれ待出寺あたまう十里あまりの葉に小路つう僧てのにれしのにわ勢の盡無事つ束のとには來菊傍ぬの角ーらり下まにと小長ての輩娵牛の日向つ揃聞しつなと門鳥栗ににあごの、出の入こ刀るも名衆はは空仲に落ふ埋餘一俵そベ花のすにほ坂駕榎乘のかをてふの間つ札籾京て所提れもたてあひてのなきおもしろきのさうくは砂晴そたかののへ賣落をか冬のむくちすぬるは作は道出やかまこのり甥書かにすかれのわの揃內ふ貫う靑くと太えつ坊つ來薫タキモノさ三一五る風き聲<ひ證也穴へ雲と逢夫日主れけりて沾蕉莧里蕉沾里寛沾蕉寛里蕉沾里莧沾蕉寛里蕉沾里寛上卷養猿續) (上卷養猿續)
ふ也見そこなひ(見損ひ)にせ銀を摑まされしをい形容也。ふつ〓〓五十雀など也(婆心錄)山雀雀の字(からのじ)小雀日雀、四十雀こんなにの伊勢の望一が息子の取りし時日目の「我庵は花の嫁る振り也。有ふり(ある振)金の有朶纏(そめかせ)甘酒の沸く悔しさはけふの一步の見そこなひ請莚狀をす敷んて奉て公ふ外のり洗する足霜莚氣立雀花ははや殘らぬ春の鶯俵明臺何よすきたる茶前の天氣きつかはしし春蓑座有ふて瀨なの米はは頭所風にたす事たつ家りのかしふをを 買つもな字路も秋すく葉ぬしのるしらつしるのり敷蕪のや合にから伊むくしなて岸揃め住か點はなみ勢するてたてくるはのうのり居てののこふひほ煩う雪を竿る重てかわ洲辛房女住に稻に早のめたて國る公ふの供子覗をれはしおも渡て陽るたて掃のきぬの呼か穗き方り五く秋ろる 鳥炎年くれて三一六居殘染花一籠けへの駒のす六甘暮きのの纏盛德迎客る人酒て月聲水る三一七しりりて月里沽馬沾寛里沽寛里沾寛里沾莧里沾寛里沾寛圃圃寛里寛(上卷養猿續) (上卷蓑猿續)
損ならん板「頭」とあり、頃限り也。町切(まちきり)明の街(ころ)古町内祿にありついて行く也有付(ありつき)浪人の實(まこと)と全く同案也。て歌仙あり、哉」を芭蕉の發句としさみたつ鷹引居る霰續深川集、梅人撰に「里圃の句い卑下(ひげ)敦賀(つるが)は越前也三崎(みさき)は能登、町此肌入て秋錢顏卑盆か下して庭によにはりて實:のほになま母るし取た錢殿大根のそたた上下とも花のかけ巢を立雉子聞て氣味よきい直口汁荷冬あ有卑あ三年〓〓に家う切さのかの〓〓のから田て付にのからむ崎に 月みしはりて實ちとま立氣れて實:御にに敦さの立寺麥のら見も鷹味た行のほになまこ賀とく頃の朝にぬ土にのき居引土のよき帷時子出母のるしたあの指をま茄荷まるののちの霜か羽けいつご圖つ者と中わ通茶ふるの杉のあ玉子のるあつのしくかな嵐わく舞か苗貰ひのと笹暮り料理ぬか淋は書てを刈の出嵩馬めむれらか陽へのも庄問ののく小し直と盛む次三一九錢秋て飛な炎り風の内て露月ふ商きしるてるく也三一八馬芭沾里里沾寛蕉圃圃里沾寛里沽寛里沽寛里沾寛里沾寛里(上卷養猿續) (上卷蓑猿續)
絡線(ぎす)彎蟲に似てギス〓〓と鳴く虫也。ごまめいふ仰(げふ)仰山也。時痛みの起る也突かれて傷ける眼の時突目(つきめ)ものに群郡。伊駒(いこま)こと目利(めきゝ)鑑定家の都東山淨土宗惣本山也智恩院(ちおんゐん)京鱓田作とも大和平折月かけにことし烟草仰おもひのまま<には加減突目のにの早違砂火燵の火いけて勝手をしつ別一石を人ふかみ云し出碓せ賣物百けこ柴う草狀爼智おもひのまま一柳姓になりてを有伊ま目さ<の葉にくほみの水にふま舟き箱利の恩石を這のたくの暑さ·の明駒旅は澁めのを鱸院七ツにはなふ人てら減突ふか棘紙を傍〓へ花のへ高う鵙は氣遣駿家にのの目みのはつ膳河替の中よりとは水後に云世門明そよりとも中の絡線スの中にふのり違起し出のみあ間をはつ綿飛よをはのい楓稻をふもれらる絡おらたつつとのかて吸夜せ長立ぬ脚暮わ噂天澄ろめてつとるりけ屋てのま閑片カズさ渡日請しか極根見寒氣らはのせしけそりのちの取な流やり出てき葺三二一るさ相米せ泣聲ぬ置菜よりら鳥雨り影てりしくて三二〇里沾寛里沾莧里沽莧里沾莧里沾莧里沾寛里沾寛里沾寛(上卷簑猿鑛)
すべしとの說あり基くを以て續猿簑の題號は此句に標卷頭に出ひたる也。馳走酒のもてなしに逢少う(すくなう)不猫蛇、の句と云へり支考の竄入なり越人撰に此花舞ひをする也。見世(みせ)店也、を嫁にやつて一人も殘手拂(てはらひ)むすめらぬ也。ぬは俗にムツツリ也。につ(莞爾)につともせ早仕初き朔聟盆雞水猿冬花のあとつつしの方か手水山-中晝通篠か日一寺參あさ日かしか簑よ拂竹に重國寐りのあるはに雨りの宮のまひ際らん來てにし羽のま寒も降はひの娘門し日よかると光畠織はりに癖なさにし池けれて少け衆をあなのが荷るのるとこのつをれたあうたをや人靑柴中ともせする失直てる成こち濱ののか有葉頃明てたやへ狀のかし直き見世たがやていをより靜ど霜のたしり山るおもて娵つてけまのつ振舞左ら吉にね鮨るつ暮た道 あな松か池際仕の小しろいはの樅千じぬ物けのるのたりる露なのの立さカヘデ楓るくて岡哉風鴨三二三鰯り月れ右語り魚秋月春るた三二二惟支芭沽然考蕉然考蕉然考蕉然考蕉然考蕉圃里沽莧里沾莫(上卷簑猿續) (上卷簑猿續)
水秋」林氏詩に「含衣裳湖なき也。け(氣)花の咲く氣配もひ大工遣ひ鑿や鋸の音也。(だいくづか駄馬也。乘掛(のりかけ)驛次の大せつ(大切)兩親の命日なり。(標註)後妻也。後呼(のちよび)後添、草郡にある三井寺也。紀三井(きみい)紀伊名米鳥此あたり彌生は花の鴨のあ定か寐籠汗のとまる今朝を酒來大後見て通る紀三井は花大赤奧雪こち風今宵は六月十六日のそら、水にかよひ、月は東方の亂山にかゝけて、衣裳に湖水の秋をふくむ。され搗我喧嘩のさた今宵賦ら荷のよせ呼ら工る持ひとりにいともをぬのか手あ雞りつの身け遣程つらりとおこす松娘のこころとりしつもき內にふらのまたな日の又西になり北てふひ頭肴世乘のわ義脈衣裳に湖水の秋をふくむ。市は並のをのけかもはをのよしとて奧やは掛二む今大け中に庭す近はし日さ度事をき中有と野盤子支考ぬかの皆かのけもな押歸聞た月年出の暮せ屋ら咲され三二五ぬくあるゆのの正見しの家泥かのれら敷かるにな永きかか春て也風夢ふるめ面て作衆道ねぬらり日り三二四考然蕉考蕉然考蕉然考蕉然考蕉然考蕉然考蕉(上卷簑猿續) (上卷蓑猿續)
くばらねど(配らねど)席を分たざる也。は今宵の遊ひはしめより尊卑の席をくはらねと、しは〓〓酌てみたれす。人そこ〓〓に凉みふして、野を思ひ山をおもふ。たま〓〓かたりなせる人さヘ、さらに人を興せしめんとにあらねは、あなかちに辯のたくみをもとめす。唯、萍の水にしたかあながち(强)ヘ、ちに辯のたくみをもとめす。唯、萍の水にしたかひ、水の魚をすましむるたとへにそ侍りける。阿叟は深川の草庵に四年の春秋をかさねて、ことしは、みな月さつきのあはひをわたりて、伊賀の山中に父母の古墳をとふらひ、洛の嵯峨山に旅寐して加茂、祇園の凉みにもたたよはす。かくてや此山に秋を待れけんと思ふに、さすか湖水の納凉も阿阿叟(あそう)芭蕉のこと也。「翁」の代りに用ひたり。とぶらひ(弔)展墓也。て加茂、此山(このやま)石山の幻住庵也。山に秋を待れけんと思ふに、わすれかたくて、また三四里の暑を凌て、爰に草管沼氏(すがぬまうじ)曲翠也。鞋の駕をととむ。今宵は菅沼氏をあるしとして僧あり、俗あり、俗にして僧に似たるものあり。その交のあはきものは、砂川の岸に小松をひたせるか如し。深からねはすこからす、かつ味なうしてあり、俗あり、そ莊子に「君子交淡如レ水」の交のあはきものは、砂川の岸に小松をひたせるか如し。深からねはすこからす、かつ味なうして人にあかるゝなし。幾年なつかしかりし人〓〓のさしむきて、わするゝに似たれと、おのつからよ人にあかるゝなし。幾年なつかしかりし人〓〓のさしむきて、わするゝに似たれと、おのつからよろこへる色、人の顏にうかひて、おほえす雞鳴て月もかたふきけるや。まして魂祭る頃は、阿叟も古さとの方へとこころさし申されしを、支考は伊勢の方に住ところ求て、時雨の頃はむかへんなともおもふ也。しからは湖の水鳥のやかて、はら〓〓に立別れて、いつか此あそひにおなしからん。去さしむきて、うかゞひ(覗)古さと(故〓)伊賀の上野也。湖(にほ)琵琶湖は一に鳰の湖といへり去三二七
うご)革籠(かはこ)反故程いつそ(何時ぞ)ほほど馬宿のさま也(婆心錄)馬引(うまひき)道中の天氣」天文志に「鳶高飛而定也つゝ分る權物面桶(めんつ)飯を一人(わけも興宴(きやうえん)平畦(ひらあぜ)春平猪月鶯夏餅好のことしの花にあら正月ものの襟藪正馬秋持お鳶飯山し古露尾張てつきしもとの名風をかはのれたはふれあひぬ。今宵の興宴何そあからさまならん。年の今宵は夢のことく、明年はいまたきたらす。櫃ねふるものあらは、年の今宵は夢のことく、かに月引風畦に佛かてなか狩まけきいは夜らてらうの革ものはや普わ菜の事工る塲つそのほと村請賑たを顏歌夫面石のて雪籠ら崩のににの蒔たてし桶へひによま錢もりれ罸盃の數に水をのまさんと、るにを外つに名反近ぬけるうて明初門タしへをごもりを故はさもよこよるの日るた書追分るおに蓮した音いたすむはに月居はさ橋る火てにる雲しをの冷そそろに醉てらされなの風こしの照打出か駕のこ入椽し道三二九也すてる影呂跡込番降鎌すし昇色むて先物三二八芭支惟臥曲芭考然高翠蕉高然考翠蕉考然高翠蕉考然高翠蕉(上卷簑猿續)
鈍く聞ゆる也とん(鈍)鐘のひゞきの際(きは)晦日前を俗に名矢木際といふ(やき) (標註)大和の地狹箱(はさみばこ)れ)表一箇レと訓む疊の表也。(おもてひとこ箇はコあづく(預)盛今虫封相笹蕨何喰腰大呑こなの高ぞ着際き間籠付宿つかかる瀨釣ろ〓〓かのこそとあととねに鑓を見かくす花なしへろけ日はをのぬを四文鐘の手をに積のあ條あ箱分和は棒時壻も先りをせにるにはもしの來舟扉とんにくくぬにつ舅藤お角た酒雪た卯山る盆へけもののつ月伏しのるた棚橋のうのあ口聞表川引氣矢野にのせよゆ一原薦の上月つくはな遣木の狹るないきの下てる八箇町衆暮るしひ町末箱るて三三〇高考然高翠然考蕉高翠然考蕉高翠蕉(上卷簑猿續) (上卷簑猿續)
ゆ店をひらく。その家に宿り琴を以て也挑み、文君(ぶんくん)卓文君司馬相如の妻、史記に見携へて家出し酒相如哉古歌にあかる(倦る)厭はしき也のおもてにあらはるゝむとすれはさくら花月(注解)「見つくして寐黑津の里は殊にその名蒟蒻(こんにやく)近江物也窺はし(はかくうかゝはじの意也かゝはじ)人咲蒟蓑二我咲曇見るところおもふ所や酒人の氣もかく窺はしはつさ賭にして降出されけりさくら七ツ虫の庭花る部の膳をやより花見に日屋や木む出方にひらくやに琴ふつかしさ く野のり中ら見音けおのせ吹直な込すこる花よ窓のさくる初鯛は老さ女のらのつ木く中北くは花角近顏寐續猿蓑集卷之下温石のあかるる夜散道富貴なる酒屋にあそひて、い蒻か田れに、時花るに春之部のか家て竹れしや櫻分に又みん月日似名思ひ出らるるに木るにぬ物花見人の發のをかしらやごる股くくや句は飯ん音軒文君か爪音も醉のまきおせも半のかや米山よ窓のやる出る初初さく初さく五さ鯛は老さす花花よ十くらのつ木く中北くはさのの初石ら哉鼻櫻哉ら哉面ら狩な哉友山櫻らら桃李卓子沾木乙陽猿沾支惟洒丈洞芭其露首里袋珊荷節州和雖德考然堂草木蕉角沾(下卷管猿續)
跡と見たる也。折りに行きける下駄の梅の根際までその枝を碓(からうす)あり、五元集に「宰府奉納」と野老賣(ところう濡椽(ぬれえん)敷居の外の廂なき椽側也に小豆、奈良茶(ならちや)茶飯る也。粟を炊きまぜ置床也步きの出來るかざり床持ち(おきどこ)寐薄病あたらしき翠僧の庭は投里守衣しら梅春もタ梟濡花八重さくら京にもうつる奈良茶一椽若日や菜は薺花ご見ほのるあて土やな旦か那はなかれ木の根やあらはるる花の瀧山門に花ものものし木のふとり笠を着せて似合ん人は誰三三四一一ぬ所天神の社に詣てや梅雪僧入坊梅更梅附柳株波の日りれやややたしかな家もなきあたり梅梅のの匂際ひまたを下てて駄籠のん跡のやにの着やのや直やの鳴を梅庭梅確遊やややけしきととのふ月大黑棚も梅の杜薺止すか舩ののはのきひ大丹にむご壁にせ匂簾またく相はほのの置てく業黑聞岨ひま梅手寒しるあて床やな棚ゆのめたを下て寒のさ蕗はうりも若きる若土やり直すし 梅やて駄かのめ野菜薺菜な旦軒花ののりたの老とかかかか那のの跡花哉花賣花梅三三五うなななら哉寺花春大千魚万曾良昌其野芭尾孤曲嵐同沾卓一少其年如舟川日乎良品房角水蕉頭屋翠雪圃袋鷺角雪桐(下卷簑猿續) (下卷簑猿續)
食品添加物。ほろゝ(標註)ほろゝは保呂打ない、和名抄に鳥の俗謂保古歌にらす細脛を大長刀にさふとかけはや」「鶯の花ふみち梅は梅、それ〓〓朧ろなるをいへい。柳は柳にて、ながしもと(流し元)西河(にしがう)芳野にあり、笈の小文に見ゆ。はる姿也。巢の中の子乙鳥をいた親乙鳥の身を窄めて、瀧鶯鶯鶯鶯輪靑近時蠅身につけと鮎の子のこゝろすさまし瀧行鴨や東風につれて芳野西河の瀧の磯を雀燕巢駒しら魚の一かたまりや汐たる陽炎と共にちらつく小鮎春そこ壷もひしけと雉子に柳道う子鳥雨鳥附魚をのやまややにくれ手田かけのしたれくゝををしちになるや中鳥のや野長柳〓〓 の姉はやをの眼蓑もと休めは刀に身お音のにの塀かて水うに朧を細うして親 こりそさつ馬へ祈もらひ越かか似やし乘ちかのるんなのる雀のへす馬の合しきはつすまん雉子通かちなやつく小ののろナ承れ風けりしるら梅子ほろかや磯を飼雛白高藪し呂塵柳馬やりやののろ上かかの古川梅籬のしかのあ銀根のもとみ三三七哉音みな櫃鳥屋哉聲哉前りなな曲柳柳柳際三三六と少蜂年野江李東意子圃土釣河槐長傘洒去芭智史其巴九千遊珊水芳箒瓢市嵐童虹下堂來蕉月邦角丈節由元那糸(下卷簑猿續) (下卷簑猿續)
網也四つ手(よつて)よつでぶるゝなどの「かぶれ」かぶれ(氣觸)漆にかよめがはぎ(藁高)嫁茱る意也同じ心持にて芭蕉の句にゝの花の葉に似附かざたんぼく椿や花のよそ心」と「葉にそむ早蕨(さわらび)宵若白白我堤茨味川春の野なとまりても翅思ひかねその里たけ蒲公英や葉にはそくはぬ花さかりう味早踏日のかけに猫の抓出すふく魚魚深川に遊ひてをふるひ寄せたる四ツのしろき噂も淀春よりころひ落れはすはら咲添きかひの草白日しつか也噌猫戀附胡蝶蕨み跨戀け部倒くらや雨やややりても萠たつ世草やいつれの草にかふれけん泡松をにや付すたむ話るき蘆蟻春やののの道草角のや櫻泡にや屋すししろき噂笠形土堤のるをた月の匂ひににとふものも鬼花によめはえにりにの土ややて猶花切目にすも筆 の動く胡蝶山むやなさよめ話る猫く肥のくやるきつきぬへ猫野の猫活獨三る柱土蕗のれみあか長み蟻春やかか盜の芽葉う大たかさはしのの手か道草哉しな三三九柳な喰戀哉哉根なみき三三八りう·ミ巳支探尼猿羽此正圃一タ正乃拙馬荒車闇其山梅百考丸箔桐可秀龍侯莧雀來指雖紅筋秀角蜂(下卷簑猿續)
なしき」のだなり道灌の歌に欵冬(やまぶき)たも 此次の方「七重八重を常に召玉ふ」運如上人傳に德に似たる僧の略衣也小服綿(こぶくわた)十「小服綿脇踊(わきをどり)落る也。鹿は春になればその角の異名也。衣更着(きさらき)二月御田刈也。千刈(せんかり)住吉の山取穗取穗ちり椿あまりもろさにあはけて見枯て臺るやに椿花の小花梅伏金白千苗妙振晝風蝶衣吹欵冬附躑躅藤や垣に服あ見題の發句に、江東の李由か祖父の懷舊の法事に、さそ綿にふ光を彌陀の光明といふ事を桃や歌やごせ舞妓玉おの〓〓經文のつは脇はさそさく柑刈福春春落寐吹の更桃桃附櫻札綿やけて見枯かの耕鹿に舞着はのやしして花てにふらとまや田笠心行舞おの中に桃藥雫のつかさ臺たをあ干るを種縫やにるたにややたの盛もかをて廣せ出來椿ねごるり落へあ野はにうや衰るの咲せま上の也すすのきりのしたる寒繼てほす也さくひ椿の桃桃桃水宵鹿き小たきそつ難胡蝶る蝶と見のかはのののの波月らの蝶かゝの三四一へる穴なき踊花花花人夜麻角哉なな羽惟闇野洞殘角其水雪介色·桃一此木澤雪重テ闇ハ指坡水香上角鷗芝我隣鷺筋節雉窓行指然(下卷〓猿續) (下卷簑猿續)
より鱒(しび)鮪寄の膾也。群り寄るこ(しびまぐまたぎ(跨)不盡(ふじ)富士山也。坐り居る也。居る(すわる)石に蛙の圃也、大津の能太夫也。主馬(しゆめ)本間氏沾若行沫春春春咄物山藪掘山のほり帆の淡路はな品川汐に干不盡 のかけ陽黑小米花奈良のはつれやほこの松のそたち炎草やや巖まにた腰きの越かたや黑出品おこすつゝしの株吹ちもるか祭春疇田家の人に對して雨よ春雨附春雪のわき端を草ちよのなにかし主馬か、雨や唐さか雜川つ雪雨は春にくややや枕へわきを月や穗ちも光りうつろふ 鍛雨に追るる春ま調りや雨く蛙ち麥るた盡 の子や蛙にのつつ武江の旅店を尋ける時丸るあかうたるかにとかき合の越哀の追るけ座とりら祭勸居る顏のかたややるなれるるうり也く鱘け鍛るや蟻の冶ち若み桐奉汐汐きぬ石冶る春春春藤なかの加干干ののかひ臺ののののよまかとり花す家ら三四三万配土ら苗帳哉哉直;笠槌本所兩雨月り三四二長魯崎風許闇去風風桃支游乃〓〓雪洒乎カ芳睡六指來睡麥首考刀龍ロ町口芝堂(下卷簑猿續) (下卷錢猿續)
をして太夫代の能役者、元年歿。世阿彌(せあみ)室町時から山の井、且は常にかはりたる事名は元〓、鼠をも嫁か君と季吟選に「歲二世觀世康正羽ぶきは羽たゝき也。み」に似たる故、螺看に螺(にし)海贏も用ふ。(標注)「ばいの詩經に公召之」倒衣裳〓之倒之自「東方未明顯ズ莚道(えんたう)小室節(こむろぶし)をいふ也。雀かくれ(標注)草木の生立元初鶯萬楪ユツリハ明る夜のほのかに嬉しよめの世阿彌まつりや靑か蓬人元母鶯莚若朧引三春木聲春才日冬とし、の方詩にいへる衣裳を顕倒すといふ事を、の紋めつらしや萊書越し侍れは日や夜深も日水道の芽たつ雀かくれに歲鳥尺や夜三月盡の每やや橘や世見やのや旦雜はをのの日に 獨左阿ま孫をまうけてよ見ぬ具煑年手白中鯉や彌まつりや靑右にたくして春茶す過のにうつく酒には活にひらき片やつかひた交ぬのやるて霞賣な鏡衣のうららるる木野羽ののののり過のしやみ老のふい里立名中やるてうらし田ゆやし螺のぬ梅無き松かお老父か文にきつ所き殘に春小け市の調かのつかのもそのか薄かしの室參の花三四五猿法な蔭ら君梅て始貝氷きなな取池節り中ミ三四四均苔り少武年風土去嵐其芭千山圃尙百支支仙正雖睡芳來雪角蕉川蜂萡白歲仙考浪花秀水蘇(下卷簑猿續) (下卷簑猿續)
朝熊山(あさまやま)伊鳴瀧(なるたき)山城。かさい(葛西)武藏。天涯(注解)巢始到家杜鵑啼處在僧聖徒の詩に「燕子辭レかつら(鬘)若夷(わかえびす)元日その札を賣りあるく者る洛中の者爭觀る」の老尼若狭より洛に入洛」年五月若狭白比丘尼上臥雲日件に中原康富記に「百歲「文安六齒朶(した)郭淀燕鳴子し時曉虫搗我元世枇初鮭齒朶の葉に見よ包尾の鯛の背たらおふ物を見の簀の寒氣をほとくせはや初花子ぬ瀧鳥郭夏之部干此句は石山の麓にて、公よの規ら粟宿れの春杷のの日供にはのその日に似たかり居のな濱な電公やはや色業のやさもな名くか餅にやはらく其しめつらに鏡すゑ にけ年置ところなき猫かやをやや葉のい瀨しにや大ぬ何つらに鏡す髮のは先のの田巡禮の吟して通りけるとや。に森鳴 けや中かし郭やとむや湖さかは若惣夜を空な森せ水木そはらけあ狹領や白やりのふれほのや中ほとときあし蔭さり藏慥と白藏やゑ にのふ朝に也ひの初も比ひと子熊時濁子らけ五日若初丘日そのらり公す規山鳥り規三四七きりり器影夷霞尼哉りき三四六耕野蔦り春沾蘆如支曾丈其圃沾是竹任山斜前左圃本雪考良草角角圃樂戶行蜂嶺川柳雪童雫(下卷簑猿續) (下卷簑猿續)
冷汁山もえ(山燃)山燒の火(にびやし)のこと。(ひやじる)煑冷いふ木の功者に若葉するを年功(ねんこう)柿の古木がらし、風國撰に「瓜姫瓜(ひめうり)花と葉の泥」二寸程。と共に小さし實の大さト固りになりて咲けるに吹きちゞめられちゞみ(縮)藻の花の風一橙(だい〓〓)冷山白姫年手のとゝく水際うれしかきつ姫朝客藻タタ晝夏此里橙蓮の葉やこころもと藺の花にひた汁雲題山家之百合や垣根菊顏顏はせを庵の卽興ややや茄日醉は子も百中瓜露の功園中二句や木附草花瓜あ顏くやにる花やややはひえや合のの日やにや古の袖にこよをち日し共醉老裸子えの根上木姿にこれてて木入てくのすかをよはかかに 蓮〓〓水顏もわたるりもれとも花てみ起花まれいはれも凉の寄出はしてさ柿つりたてか重か瓜し蠅お水なきの濁り入たる夜窓す先へたり咲百や合蜘る若の柿れ夏ぬ夏るらのは離か江半の盛さは杜杜のの葉の木木な哉過穴りくた若若花糸哉花立立す三四九至土んれ三四八亡嵐人芭イ宇カ沾芭良白此殘沾拙尾支素千此野闇多曉蕉品雪筋香蘭蕉圃候都圃頭考龍川筋荻指(下卷簑猿續) (下卷簑猿續)
石ふし者「 性性沉伏而在石間〓和名抄にねぢ(捩)すくめ(竦)無花果(いちじゆく)あるはいかにそや」參して歸る時の作也日あり日人人 法律にしたしてしかるにこゝに入集し去來抄に卯七と也。て、そるゝよそにそれて飛ぶ螢の煙をさけ顏也。まて(眞手)まじめなる腰凉しさや椽より足をふ生醉かをねちすくめた石石凉はせを葉や風なきうちふ深川の庵に宿してしさしやや駕裏門籠を出て無生すす蚊里早京田植うたまてなる顏ふとる身の植おくれ乙入女やに鳥結んて羽の田麁三一花す田ふ納かか漫興三句けて中に涼しき階日月に草のほたるしさ遣螢の乙入早相牡つをし果し凉しさ女り火の煙にそる子や苗な丹ゝ行めくりてやややさに鳥るかよや廣結んて羽膳燕牛門の尾振て川明て夕す葉竹のは握握出明て夕に田り行藪さるやらむ植たは明にけやのれるらののか早水苗諷るんのぬ凉子す繩朝ふ歸さつたひ螢のひ早笠牡かけかのす手凉タかかお出苗のる丹な三五、るな中み道み凉りななし哉紐中哉と三五〇雪支洒万杜ナカサキ重史惟半野許支北重魚闇卯ナガサキ風芝考堂乎年翠邦然殘荻六考枝行日指七弦(下卷簑猿續) (下卷簑猿續)
粘(のり)糊也。は月の凉味に取返す意は暑氣に惱みしを、とりかへり(取返す)畫夜つて敵に當る武技也。棒つかひ(棍手)棒を取いさめ(諫)寢冷を注意されたる也かたはみ(酢漿草)なれば危くて困る也。默禮(もくれい)石の上庫裏(くり)暑草茨煤取實李夜凉默立若筍立粘積か職人の凉き葺盛た凉禮いそかしき中をぬけ藪醫者のいさめ申されしに答へ侍る風に出來し盛しありく人にまき竹寄のゆも竹の子あはせを翁を茅屋にまねきてににさ日はみやむかひの見世やぬれなけ戶ふかのとる夏さにこや烟はるてや扇をかさす手暑を垣內は見や帷はるむのや照かたまり蚫も夜暑さも請世一子まのる日いつをしあての重着る盛羽た壁のこわ月にとりまつと 鍛いつ寐ほた凉岸のやらあさ織る冷こりるみ冶やは月のあまたるのぬつれて庫のタや棒風屋つすの暑さし 庭裏崩のさ疊ほかしつ暑のかたす石凉凉のか暑かかそへか臺かさ暑のさよのみみれ窓三五三曲な哉ななりすな所ひ哉哉隅すりみ上哉哉哉尾我素怒張三五二可沾里卓印乙正万野里我土正去同游翠誠圃東袋苔峰覽風州秀乎荻圃眉芳秀來刀(下卷簑猿續) (下卷簑猿續)
は上りたる樣也。立に逢ひて途中で戻れ中戻り(ちうもどり)夕蟬の聲と共に夕立爲辨抄、傘也、さし合(さしあはせ)相なせる事見ゆ翁のもの語に此ほと白病蠶とい氏文集を見て黴(つゆ)りて、おもしろければ」最合にさしたる蠶煩ふの句作をとあへるこの詞の老鶯と支考著に故酒はやし(酒帘)せばき(狹)きくべる也。くべて麥のからを焚とぼし(乏)タ異虫夏瘦もねかひの中のひとつ川狩にいてゝのくふ夏菜とほしや寺畫籠森き白ゆタ白タ五さ白じ蟬闇草寐の蟬立雨月鷺か雜つふ五月雨附夕立せはきところに、老母をやしなひてのくふ夏菜のな雨かつを立みはに燒し夏目く蟬とや立やや雨たやに螢我凉來ち蓮や青やて手ややに中れ踵せいやさてらしかけたる竹もか麥潮布し傘のく戾ち鳴て去けりしかのこ織きか葉しよもり蠶かほ動ことほし聲たなるらくほるる合しれ煩や止むうちる窓や家たらやてけぬふ酒へのあやくす園磯桑や寺りはのては暮つ蟬蟬ま池つ黴や紫柳なのはつ時きのの一のの日たのの蘇鮠り畑哉鰹聲聲聲町皮蘆傘ひ畑中し分三五四三五五イ如セ〓テ不ハ水蔦文杉葉曉乙胡正圃曉苔拙沾芭鷗雫鳥眞口風拾烏州故秀水鳥蘇侯圃蕉玉(下卷簑猿續) (下卷囊猿續)
老杜の詩は「稻穫空雲ならん。水川平對石門この誤(標註)圓位(えんゐ)西行也。初め大實坊圓位といへり以て、句に私評を加へたるを私撰なりとの說あり。こゝに支考が師芭蕉の續猿簑は支考の覃(たかむしろ)北窓之下こ淵明の傳に「夏日高臥澤瀉(おもだか)る。笊(いがき)飯蘿にも作「ざる」の事也。名名帷粘窓蝸澤梅魚月子潟晋の淵明をうらやむ形牛や角に道引付晝藤む貧僧のくるしみ、冬の寒さはふせくよすかなきに、夏日の納涼は、扇一本にして世上に交る。このはねなか帷ひは子かやすふるし錢晝五寐あ名こなし出して、なし出して、平田渺々と曇りたるは、師のたとり申されし麓は、霧橫たはり水なかれて、しに、ことしは伊賀の山中にして、いへるにもかなへるなるへし。はれにけりこころあるへき初時雨かな。月の此間わかつへからす。花いつれか是いつれか非ならんと侍りかと老杜か唯雲水のみなりと見月を待つ高根の雲は名月の夜この二句をその次の綿はたけえてと圓位法綿秋之部形に月のやきふの麓ねなに道やる引かの付笊幸霧ひはかかもと寐やへたあのやす田むふのるれそその次の綿はたけ三五七えのる雨く澁し臺てよくの日うも五寐やきあのち畠り百哉簞哉と面は三五六重馬同芭支惟芭水野重蕉考然蕉鷗童翠莧(下卷簑猿續) (下卷簑猿續)
遠見(とほみ)斥候「ものみ」の松也蕎麥と月の名所也。更科(さらしな)信濃。いさかひ(鬪諍)有陰」直千金、東坡の詩に花有〓香月「春宵一刻古今集にを花とちらすはかりの桂の實やはなる光り「秋の來て月歸(ひらた)小舟の薄くして長きもの也。田簑(たみの)攝津北濱邊の地名也。名名名ふたつあらはいさかひやせん今日の月月や長屋のかけを人の行名名老名名拜名名中名名月月切月月月もの花に〓香あり月に陰ありて、は、のむ所の一筋に便あらん。す。るひかりを花とちらす斗に。とおもひやりたれは、んつはらにす。言葉麁にして心はなやかなり。しからは前は寂寞をむねとし、たた後の人なほあるへし。吾こころ何そ是非をはかる事をなさ月のかつらのみやはな是も詩歌の間をもれ後は風興をもいはゝ今のこ月む月月のん月月ややのや氣ややや〓〓の心根とはんに身やのやは寐も遠草梨灰更長西海か今四な吹科ぬ見のににかよく宵五所くて尊のく氣捨よりれの人に松らのるり冷し月れはにみかのつる乘やは星も內門人にくけと田今蚊、衰帳しのしも白月もま月支考評て日哀み船めのなき見なり見のか也三五九泥ん舟す月し花哉し客哉月な三五八重需風山圃左配不凉闇智露如洒芹友笑國蜂水柳力玉葉指月沾行堂(下卷簑猿續) (下卷簑猿續)
曳舟也。舟引(ふなひき)淀川の塲(には)川芭蕉庵の近傍也。五本松(ごほんまつ)深は寶生左太夫也關寺の三也作者沾圃謠曲の中の姨捨、檜垣、三老女(さんらうぢよ)靑手柴(あをてしば)によき土地柄の意也。庵地(いほち)庵を結ぶ川いさよひは闇の間もなし蕎麥の花十六夜はわつかに闇のはし上ど此川下や月めの哉友月蔦露姨待舟飛名名塲名山柿け二引入月月淀川のほとりに日を暮して捨に鳥家に三老女といふ事あり。宵へ侍しをおもひ出ての月に床置の伊勢の山田にありて、か深川の末、月見し七夕影てののやや居の名つを 闇や蒔まどやら月道客何聲て里ちのとて此五本松といふ所に船をさして海川の下音や聞月長月入ににかにもか月のつ五畑庵のまあのほるた手ひし見匂とも寐助迄地たとよをろまなとかりの庵をおもひ立けるに尋る月見哉三六〇ひ亡父將監か秘してつたしや定飛たやしけうはしか共行尋聞らやのぬんる塀てつすきらにぬけや長梢のふ月月夜女や靑峰月月月めの廊か屋の飛見見の中莚手の見見見哉友下な根月脚哉哉道方機柴月哉哉三六、猿同芭牧里馬沾景丈正野丹利木宗如空支雖蕉童東莧圃桃草秀荻楓合枝比眞牙考(下卷簑猿續) (下卷簑猿續)
花らうたけ也。枕草紙にたる」る花と、もじにとうかった「かまつかの弓固(ゆみかため)男持たる數を杖にて打郡鵜坂の社にて、鵜坂(うざか)越中婦負女のつまね花(鳳仙花)るを云ふ。ねびぬ(調)年のたけた袖中抄に七夕七姫の一薰姫(たきものひめ)中(ちう)虛空也。蔦の葉や折く雞頭のち雞頭枯のほる葉は物うしや雞頭花百合弓固とる頃な山人の畫寐をしはれか蔦つさよ姫のなまりも床しつまね花一をみなへし鵜坂の杖にたゝかれな女郎花ね細工にもならぬ桔梗のほつみ哉朝秋立栗ぬかや庭にかたよる朝今の秋朝船形りの雲しはらく星やの影星更行たなはたをいかなる神にいはふへき贈芭蕉庵筋露秋草立秋風合や雨戶にさはやは過芙はのやをやや殘る雁花ひ花中見水のに薫田ら事來蓉野ぬ透吹置の姫す動しれに馬通てるをる上らや骨のくるぬ時語藤近のする語の秋荻日猶るはし姿桔雲團れ天のの數哉赤命か畠か梗のも朝のら風聲し哉ま道な哉峰三六三ち烏川三六二桃カ、山中荷雪至芭万史風支烏馬濁隨柳左露乙沾東凉惟妖兮芝曉蕉乎邦麥浪栗莧子友梅次川州圃潮葉然(下卷簑猿續) (下卷袋猿續)
形(なり)竈馬(こほろき)けり」經よむ聲はたふとかり花を手向るぎほうしの悅目抄に「りんたうのにやあら野に「菊の宴」ありて同じく其角の句書損を正して再入とぬけがら(脫殻)長(たけ)の意か(標註)からめかし音にて「くわらめかし」風のふく傍に「か」と加筆あり。元版「蟷螂や」とありて簑秋火竈きほうしの傍に經よむいととかな虫のの馬夜消やや形やて夢顏胴ににと鼾とに似まよふか飛合つしきり月虫くのくの袋影す朝水何雀秋粟老の名のありともしらての穗を見上る時鶺雁蓮蟷蜻蕣朝風ぬ虫のの顏虫附鳥な子風秋の鴒かけの螂蛉もの顏朝每實夜消あ風ねにし顏やからに長くらりとの穗やのややや這の髭二を走にに腹何形やてりて莟夢か胴にほゆらつに並ひて死朝も番見り輕さくらをのにしから烟と鼾とにれ顏黑上失冷味似たそめまよふか草したへけり蔦合かむるたく浦すあるへの人もつしや時るへかるしきりんねやて秋秋行さ四や白笘の秋蟬るん石竿月虫く髪錫柳薄かののせ十鳴川屋のののののくの袋帽のか月つ風風時三六五支式游風時雀鶉原哉蟬空おつ上先影す聲棚子舟な夜ら女可三六四芭支氷馬丈示蔦探杜水正北其風闇田杉上考之刀蕉考固莧草峰雫丸若鷗秀枝南角麥指尼下(下卷簑猿續) (下卷簑猿續)
て記入したる爲めかだ」墨消しあり。「蕎麥はま家をとはれて元版「いせの斗從に山の句の前書を誤つ」として、こと。阿叟(あそう)師芭蕉のつぶ〓〓(圓々)也便(たより)妻也。稻の殿(いねのとの)稻る也。野分に向つてふみ耐へふんぱるしなへ(撓) (踏張)强きことづて寐尻後松初秋空まつ茸やしらぬ木の葉の炭團つふ〓〓と箒い明稻獨あ松農かす鹿屋楓ふんはるやおの伊賀の山中に、茸栗燒な妻茸木實附菌ほ居稻れのへりに鹿おとろか業ほつから草のしなのややにのつのやて妻葉やくに塀鹽日澁落まや雲留や夜に都和や守て細きにも似す秋てに阿叟の閑居を訪らひてに柿稻を闇ものすこし稻明すにく飛へ末野ももたの妻のれるは分にむ近けりと漬るの方戾鹿たはり海やりへきすすむ石行るる行ヘす山榎五かを鳴風村はりつく一の柿便ほ位雲海野ふ野子の紅の盛實のかとのののの分柱分の哉音葉形り哉色聲殿三六七なけ端上哉賣哉聲三六六圃風少一年一風北芭惟沾重洒立爲芭宗土猿九圃酌睡鯤蕉然圃翠堂虎有蕉芳比東雖節燕國(下卷簑猿續) (下卷簑猿續)
むかばきて製る。前を被ふもの(行藤)毛皮に袴の翁草の異名(おきなぐさ)菊戰せし大上戶也。(標註)池上の大蛇丸底深と酒種次(たるつぐ)江戸大塚の人地黄坊といひいが(毬)すんど(寸胴)さまたげる(妨)る小作人也。起しせし畑を起した行行廣借む煑ゑ翁そ肌居山早蕎百なりていくらかもの木起一さま秋秋かはきやかかる山暮澤麥り題〓屏木ほ菊の寒霜雀大師河原に遊ひて、り稻伊勢の斗從に山家を訪れてしせし人は迯け草のやかけし庵のはまた花てもてたける道もにくま秋しき始の刈つよさに手をや綿二のとこ下子る寒鼓背のて落をひろや百やにさに弓負雫狸な十西あや河やつけのてにと瓜樽次といふものの孫にあひて原出日か芋鶸らきた糸歸噂寒白上迎しのに顏るのるや路し菊も戶來鳴なふり栗の恨秋今日菊の菊玉の恙花の唐そ麥蕎すん小る霜や小す山疇し穗蕎麥いかのののの牡なの辛のと菜の百路の懸のか三六九な暮菊露花丹種し子莖刈畑稻姓哉稻哉花三六八車芭乙野丈〓支濁蔦沾木惟同支斗乃芭如買蕉州水草峰考子雫圃節然考從龍蕉雪山庸(下卷餐猿續) (下卷簑猿續)
平押(ひらおし)くつをるゝ(頽)興行」王申冬十韵塞、と証書あり月三日許六亭許六撰に「元祿臥莊子に「援觸體 枕而薄(すゝき起きてもいい。土馬(しゆめ)俳號丹野近江の殿(はぜ)沙魚也。平初けしくれね稻一この頃柿更身殘あ粟五押時ふ時時雨附霜冬之部生前をしめさるるものなり。ふれ、ふれ、を枕として終に夢うつつをわかたさるも、なとは此あそひにことならんや。かの髑體只この所を〓て、の本馬主馬の宅に骸骨共の笛、鼓をかまへて、能する葉に舞臺の壁にかけたり。燒味噌盛誠に生前のたはらん薄箸の妻るふるらか六雜斗人もとしよに雨雨又葉夜る蚊鷹ら十秋や五のにやひたのの小海老反はまた松風垣の結顏鍋くつ燒稻に忘壁小田のの味こ露れに家つのひやして殿一くを結所くの時ち作芋かものるれの目か盛家こほる出らるつく夜るや誠に生前のたはらのるん初 し只時煑日初薄ん笑秋お松のる雨加影くか時の只このひ靱の寒哉減三七一哉れす雨穗聲哉雨哉中つ野馬露芭北野芭宗桑万門荻四畦團之三七〇明莧沾蕉枝坡蒸波乎子友止友道(下卷簑猿締) (下卷簑猿續)
芭蕉の句な」ゞひとつ葉のひとつか「夏來てもた沖西(おきにし)風の名必らず雨降るといふ。曆には一年六度ありて八專太陰(はつせんにじり(躙)殘菊の宴を行へるをい展重陽花開時則重陽」九日也。東坡の詩に「菊未は四年、ふ也。展は「のべる」也。て一月繰延べて元版辛西は誤記也。十月延喜帝の御國忌に(てんちょうや重陽(ちようやう)九月癸酉は六年辛楚王閨鏡中雨(標註)菊何八菊柚菊ひ初沖高柿石更穴椀柴畠專と西包浮雲をそなたの空におきにしのみより時雨て里魚ののの霜みに熊賣賣をすゝめられける事になりぬ。なきにしもあらねは、陽といへるこゝろにより、なほ秋菊を詠して、なきにしもあらねは、陽といへるこゝろにより、頃は花いまためくみもやらす、重陽の宴を神無月のけふにまうけ侍る事は、元祿辛酉之初冬九日素堂菊園之遊かつは展重陽のためし菊花ひらく時則重そのるつ客のの氣色香やのよむ置夜のもや葉や犬もか雨味やや朝り日て出やいてや出圓さやふ起庭日日影よりこそ雨になりけれ和香鏡て一のよも爐坐しあか上に葉土くなをにうつる一は芳引てをにつきり切りて時くかしぬらす野に置ま境たた出込雨のやくのんすはしりるやるる今む時の菊菊藪菊履朝爪時寐ら時し雨初幾けののののの人〓〓そののの雨時時雨くか時廻り枝露中露底霜跡哉分雨哉れ雨三七三なり三七二馬曾沾桃其芭支北沾里露野鷄爲空闇莧良圃隣角蕉考鯤圃圃川荻口有牙指(下卷簑猿續) (下卷簑猿續)
作者也。宗比(そうひ)續猿簑のをもてかへるなり」人はみな千々のこかね行の家集也、山家集(さんかしふ)西事史記に出づを惜みて救ひ得ざりしはんとせるも、罪を負ふに金を以て贖なん(長男)苑蟲の次男苑蟲(はんれい)ちやう捨やらて命をおふるその歌に長男金名は節、竹洞(ちくどう)人見氏林明春の門人にて陶淵明の意栖の他柴桑(さいさう)薄陽縣造化(ざうくわ)麓冬星山冬山おもひなし木の葉ちる夜木葉附冬枯さ茶え花ても江凩落のて鮒ひやら雪む-水な水より足さはり川本柳坊宗比の庵を尋ねてや木の葉梅茶露うるしせぬ琴范蠡のちやうなんのこころをいへる、さに習ふ。仙ほ仙草や附木練風にしらへあはせて、夕にし是を朝にして、とて、人氏、今その菊をま柴桑の隱士無弦の琴をの大ならん事をむさほり、造化もうはふに及はし。ひて、おのつからなるを愛すとい翫しをおもふに、菊も輪三七四やえの花も·の〓や木てひこ人見竹洞老人、家に菊ありて琴なし。ひて、おのつからなるを愛すといかけたるにあらすやもは元より花くの落とほの咲塀葉つさみひて、やわてふよたやはぬみつからほこりぬ。あるは聲なきに聽、素琴を送られしより、かけたるにあらすや是をた葉れ勝れきやひらく黑菊し作らぬ菊木雪つやのきやの藪水の日葉岩落や星のの鳥散歸氷山家集の題屋ののかあるはか葉のりし仙透のな間哉數椿聲花な是を三七五き花間友枳惟露沾露土車芭惟氷曲素風然沾德笠芳庸蕉然固翠堂(下卷簑猿續) (下卷簑猿續)
筌(うけ)浮標也。を用ふ。電(あられ)今は霰の字を悅ぶ也。牛は順風を恐れ、(註解)逆風杓汐(くむしほ)のと(能登)鴨爲驚」鶩(あひる)曲禮註cheのばす(伸)はぢずや(恥ずや)杓うか〓〓と海月に交る汐にころひ入へき立氅ケコロモ入小塵夷木こ木凩野見えすくや子追草枯冬枯に去年來て見たる友に手うつてた、ぬ鴨牛枯えひは夷枯枯濱講かやはにか鳥附魚鴨海夜のとの海を見てのはひけにす講やらや色に手うつてたつ酢枯て行てをや千るより犬つ鳥てた講賣藁し背に道て碇や追み庚電た鶩にま中ものはす物は霜刈にてのにぬもきふ見枯先取て持か申こ鴨袴ち田かえ野はぬく筌日待着のひらへく、ちろもにらるすのきるにのせ畦なぬす見めのなま生海堤鴨しな船千ふなし成にけに牛す鐵カナ牛氣ケののる散も鶴し鴨はしやるもあもな女落薄こ鼠かのく屋鳥浦けのせのめ郞葉氷三七七岱哉哉な足衞形哉衞りり角水聲す首りし哉花哉イ三七六亡利乍人車芭闇丈蔦句利芭塵惟風智支利乃桃杉一セ水庸雪木蕉指草雫空合蕉生然斤月考牛龍醉風道(下卷簑猿續) (下卷簑猿續)
事也はたれ雪まだら雪の朝こみ(朝込)とあり五元集に「門に橋ある」込む藁也。すさ(寸莎)壁土にきりかけぼうし(影法師)。かくぶついかりうを」(杜夫魚)ともい又伊髪剃思はすの片壁雪垣やしらぬ人には霜のたて鷦鷯家は雪あられ朝初雪や自由さやふたつ子も草鞋を出すやけふの雪埋火や壁には 客のかけほうし何事も寐入詑しさは夜着をかけたる火燵哉水仙や門をあら猫のかけ出す軒や冬の月喰物かくふつや腹を並ら一賀大こ雪埋火冬月附〓る魚也。杜夫魚は河豚の大さにて水上にうかふ、越の川にのみあ塩はやみや和重降來雪降や門門賣に雪と心月に月初る雪見やかきの雪橋を出れま白あるか追て山か日かるは薄あ行置は江也紙り魚や比枝るはたるきりくや雪良のす寒酒タこたのふ冬へ雪て降霞のの前されさの間月夜すのの花嶽後俵雪哉味暮つ三七九ま月前少桃年三七八配陽丈圃支蔦祐タ同其洞芭支小丈里拙杉カ和草吟考雫甫菊角木先蕉考春草圃侯風(下卷簑猿續)下卷袋猿續)
新丁子市壁の腰張に用ふ。工藝大學(湊紙)標ちゃんに鳥の袴着ぬの句、師走(しはす)折敷(をしき)食時(めしどき)炭俵に旣年袴猿賣門餅餅煤煤才す煤狼娵鉢食夜こねかへす道も師走砂歲暮附節季候やま きて衣配師走大もは覺煤掃附餅搗を送りを入時神石砂ち搗搗た鉢たたき神の着年もは掃市ぬや木やや搗ややききにはきやあたまにかふるみなやのたや樂樂やり門きかに誰聟にま きのあ火や隣親とつてもい鼠忘れて干かも齒も登りすますを入手かを折のな子呼もて衣配傳りか敷か追へ過鮭ら俵賣らあす兼い一込すけす喰しめの出をんりなるたて枚るや黄かりす下羽年さのの市のやる行踏鉢鉢鉢手やす煤楊ぬ織のし年年洗小鷄男くひたための寒見の荷部たら、たけ鉢とくののひさ山のと紙さの三八一れひ暮暮髪ま伏塒屋くき舞中ききり叩哉ミ闇ノ馬三八〇其李万車草里曾馬嵐岱惟黃殘沾許馬路史角由乎來士東良佛蘭水然如莧逸香圃六莧草邦(下卷簑猿濱) (下卷簑猿續)
「もぐらもち」也。十龍(うごろもち)今の鳴(なり)どんす(緞子)濱荻(はまをぎ)芦也。ふ(財布)天鵞毛(びろうど)さい爼板山火燵より霜柱寒聲植節季候や漸餘所に寐てとんす夜の着の年忘井の水のあたたかにな寒るさ哉裁屑は末の子かもつ衣 くはり節季候の拍子をぬかす明家哉盜人に逢小屏風に茶を挽か一しきり鳴てしつけし除夜の鐘濱荻に筆天鵝毛のさいふさかして年の暮桶の輪のひとつ新らし年の暮引打こほす小豆雜冬今はなき人とはなりし。陰竹にまうて侍りけれは、そのとしの暮かかる事もいひ殘して、此句は圖司呂丸か、羽黑より京にのほるとて、伊勢にもむにおややに寐すふ人の山伏參猿寐にか河弱所たをのかあ村風り出夜結せ粒尻行時寒て來もも根抓けのし歸ぬあてどし銀市のし長る 寒さかなはるりやの寒冬夜やつ道藪の年年年師さ日半土つののののの走哉哉向哉龍み端中中暮三八三暮暮少桃年三八二沾雪圃仙李土斜利山尙土支芭惟猿荻正圃谷芝仙杖下芳嶺合蜂後白芳考蕉然雖子秀(下卷簑猿續) (下卷簑猿續)
ふる箸也。麻木(をがら)盆會に供衛門也。七年也。このかみ(兄)松尾半左甲戌(かふじゆつ)元祿け合せ也。婆は斛飯王の子にて從兄弟也、釋迦は淨飯王の子、(註解)善惡二道のか提者義楚六帖に、釋氏住夏不可畜飼(註解猫は「於ニ涅槃(ねはん)二月十五!!をいふ釋迦の示寂せる日家山寐喰灌散かなしさや灌貧山ね涅菊道物佛魂甲戌の夏大津に侍しを、悼少年二句はとてせられけれは、伏花佛灌福寺は槃涅釋〓の部刈具も祭やや皆やや佛のやん會や像槃やの皆釋つ杖坊ま猫赤佛冬か水迦ゝし並ふる附麻木の箸もおカことをしるき守に舊里にかへりて、主皺手追善た〓〓やと生たくさし表白をり提具哀膓くれ合すこのかみのもとより消息居髪や婆も薪てるのとは從弟と井る目盆會をいとなむう魂のね二戶や珠墓ふにたなと參魂魂きつま三屋の槃涅はん數のたおき並三八五祭祭りりし日根像像音す處三八四惟芭沾去嵐之不曲山不芭沾杉然蕉圃來雪道玉翠蜂撤蕉圃風(下卷装猿續) (下卷簑猿續)
食堂(じきたう)得せる也臘八(らふはち)十二月八日釋迦明星を見て成蓮の忌日也。御影講(おめいこう)日難の地なり。かまくら(鎌倉)日蓮受麥食手けし畑や散しつまりてあるとなきと二本さしけりけしの花佛在世別も凉何のあれかのあれ今膓柚墓首そのるるぬ元祿七年の夏、かにや柿餅はせを翁の別を見送りて喰屋なのが店らの坂別送旅之部ま堂しく洛東の眞如堂にして、雜題雜をさくりて臘も御影講原のの別は八柿座かまくらの龍口寺に詣て親をしりぬ其子にやしに朝の間涼し夏念ふの川越問ふや不二にや雀も野も稻稻は柿鳴拜妻喰な山れや妻にみな善光寺如來開帳の時見にのりとがふれけすつる日夕しくるらやははりる不念大納御桶其は秋ののれ二佛師豆影の時上三八七惟荷哉れ佛詣哉講汁講水か風三八六支支野重乙智去如許沾支木然兮考坡翠州月來行六圃梁節考(下卷簑猿續) (下卷簑猿續)
話あり西行二見の浦にて扇を文臺として詠歌せる逸(標註)かつへ(渴)る間の村也。あしあらひ(足洗)常陸の水戸より名古會に至伊達衣、日蓮宗の本山。身延(みのぶ)久遠寺也あり陸下向に江戶を出る時送りの人々に」等躬撰にと詞書常我文煎明燕大十くるしさも茶にはかつ熊野路稻そのかみは谷地なりけらし小夜磁出羽の國におもむく時、みちのくのさかひを過て年鮎にへ鼠旅布は名常陸國あしあらひといふ所に行暮て、團ほとせしに、臺囘國の心さしも、つ妻出羽の國におもむく時、もなくついたつ蟬甲斐の身延に詣ける時、の子の白魚よと留洛の惟然か宅より古〓に歸る時許六か木曾路におもむく時人の心にもの團けの土の子やり別の子も出のていはて寐間扇も小粒になり浮てその夜はさる事ありとて、の心たひ砂橘家世牛立白にたくたく漸く伊勢のくににいたりてらけ旅はの秋寒路くすにも寐たをにのらあらるめ乘宇都の山邊にかかりてけ送るり蔦別のれ芋もけ旅つし木くけ送を似はのし旅曾へるこかしけりよるりる夜ぬやぬ盆の旅宿をかささ三八九やとり求ん原す路秋旅鈴蔦椎さ凉のかか寒のの鹿のの哉し馬たな哉風宿山道哉花亡呂人三八八沾史我猿曾同許公野越木芭丈芭圃丸邦峰雖良六羽徑人節蕉草蕉(下卷簑猿續) (下卷簑猿續)
兵衛といふ舟塚本は姓也、塚本(つかもと)俳號如名を孫掛去來丈草奉行せり」(削片腹いたき事也」不猫支考曰「翁の密撰にて蛇越人曰「翁の自撰とはの通說然るべし。支考の改刪せるなりと續猿簑は芭蕉の遺稿を續猿簑集は芭蕉翁の一派の書也。野、たへ、世に廣むる事をゆるし給へり。翁の兄松尾何かしの許にあり。何人の撰といふ事をしらす。書中或は墨けし、それかし懇望年を經て、あるひは書入等のおほく漸今歲の春本書をあ翁迂化の後伊賀上野、跡を以て直に板行をなす物也。侍るは、草稿の書なれはなり。侍るは、たへ、宿かりて名初椽元祿十一寅五月吉日て、元祿三年の冬、島田の驛、て、りけれは、瓜にや寐る一夜別時の軒の下にかかまりふして道をなのらす塚本か家にいたりて栗津の草庵より武江におもむくと情にや一字をかへす、煩梅ふにる枕小一行をあらためす、時ゐつつ屋庄兵雨も豆哉と粥三九一衛翁迂化の後伊賀上は同支書その書、せ勝重を考其手(下卷簑猿續) (下卷簑猿續)
七部集作者列傳
殘せるが、元祿十一年の杉風歲旦牒に今朝見ればかすむやう也筑波山板久 友五とあれば、晩年故〓に退隱せる如し。イウヂユウ友重イウホ祐甫伊賀上野の人。神戶屋八郞右衞門と稱す。晩に髪を落して禪門に入る。寶永七年八月十五日歿す。年七十九。イチウノツマ一有妻伊勢山田の女。斯波氏一有の妻園女也。元祿二年芭蕉の〓示に接し、同五年所天一有と共に大阪に出で、夫婦にて前句附の點者などをなし居たるが、所天の歿後よく貞操を守り、江戶に下元祿十一年の杉風歲七部集作者列傳江戶の僧。有名なる三絃師石田古近江なりとの說あれど確證を見ず。イウシ遊糸美濃の人。イウタウ遊刀近江膳所の能太夫。垂葉堂と號す。芭蕉門人歲旦牒に日々放下焉謠曲猶增長煤掃をしても身にある埃哉遊刀の句あれば、能樂を業とせるを(あ)アフギ扇近江膳所の女。糸竹の技に通じ、同所瓦屋彦次郞の妾たりしが、剃髮して妙壽尼といふ。アンシ闇指江戶の人。其角に導かれて蕉門に入る。貞享五年。笠寺や乘敷さます一すゞみ闇指の發句にて其角、芭蕉と三物あ列者作集部七) (傳の發句にて其角、り。の句あれば、能樂を業とせるを知るべし。イウゴ友五常陸の人。江戶に來り、深川の芭蕉庵に出入し、數卷の連句を(いーゐ) 1依々(4) (いーゐ)
(いーゐ)二りて深川に住み、眼科を業とす。享保十一年四月二十日歿す。年六十三。イチケウ一橋出羽の人。イチダウ道伊勢の人。イツシヤク酌イツシヤウ一〓〓芳賀氏。名は治貞、冥靈堂と號す。鷄冠井令德より附屬されし昆山の印によつて、昆山翁二世と呼べり。江戶兩替町にて醫名を順益と稱し、開業の傍、〓事を好みて知らる。寶永四年四月五日歿す。年六十三。イツセイ一井尾張名古屋の人。貞享四年芭蕉をその家に招き旅寢よし宿は師走の夕月夜芭蕉の句により、七吟半歌仙を行ひしこと、熟田三歌仙に見ゆ。イツセウ一天小杉氏。名は味賴、加賀金澤の人o寛文時代の諸集に其の作あまた見え、高瀨梅盛の門人なるが、芭蕉の人となりを慕ひ、迎へて逢見んとして果さず、元祿元年十一月六日歿す。一に小榲氏、俳林小傳に稱茶屋新七とあれど暫らく疑ひを存す。イツセウ一笑若山氏。尾張津島の人也。掠梨一雪の撰集に其の作散見すれば始め貞門の徒たりしが、後、蕉門に歸せるならんか。加賀の一笑と混同せらるれど、同名異人也。イツセツ一雪掠梨氏。三郞兵衞と稱す。京都の人。松永貞德の門に入り、牛露軒、柳風庵と號す。寛文三年茶杓竹を著して、同門安原貞室の正章千句を難じたるが、其の作却つて異風あり。延寶八年九月二日歿す。年六十。イツセン一泉伊豫の人。イツタン啖伊賀の人。イツトウ一東伊賀上野の少年作者。イツトウ桐伊賀上野にて京屋權右衞門といふ商賈なりしが、後、京都に移居す。イツパツ一變一橋(傳列者作集部七)貞享四年芭蕉一變美濃岐阜の人。イツプウ一風濱島氏、尾張名古屋の人也。イチリユウ-龍近江大津の人。茶店助六と呼ばる。インタイ印苔ヰイウ爲有洛外嵯峨の人。蕉門諸集の肩書に農夫又は田夫とあれば、純朴なる一農夫なるべく、常に去來の導きを受く。ヰゲン意元キゼン惟然廣瀨氏。美濃關の人。家貧困なりしが、一日梅花の散るを見て頓悟し、鳥落人素牛と號して、蕉門に歸依すること深し。師亡き後、風羅念佛を唱へて諸國を廻り、伊丹派と相携へて口語本位の新風を起し、同門に難ぜられしが屈せず、奇行多し。關に辨慶庵、姫路に風羅堂あり。正德元年二月九日歿す。年六十餘。ウサウ烏巢加藤氏。名は玄順、三河吉田の人醫を業とす。ウシチ卯七簑田氏。十里亭と號す。長崎の人、去來の甥也。流布本去來抄は、去來と卯七の對談を後人の潤色せるものなる可し。ウタツ宇多津伊賀上野の人。ウトウ雨桐ウリツ烏栗來川氏。伊賀上野の人。ウリツ羽笠尾張熱田の人。家號を橋屋といひ.彌左衞門と稱す。有馬にて伊丹の鷺助に逢ひサギスケ鷺助はおもふた通り顏すずし羽笠三河吉田の(3)ウコウ羽紅凡兆の妻、とめ女。早く尼となり、たま〓〓所天凡兆の下獄するや、忍苦節に耐へ、其の寃の雪がるゝを待ち、大阪近傍に隱れすめる事、土芳手記に見ゆ。其角の花摘に我子なら供にはやらじ夜の雪加工業とめとある作者とめは江戶のト女にて加生卽ち凡兆の妻とせるは誤記なるべし。(傳列者作集部七) (いーゐ) (う)三
(う) (えーゑ) (七)四といへるに、そのかへし片羽を直ぐに笠にきる夏鷺助と挨拶ありしこと猫耳集(享保十四)にあり。其孫羽笠に越人の門下也。を怒りて論難し、直言を以て同門に畏怖さる。享保年中名古屋に歿す。年八十餘。ヱツスヰ越水エフシウ葉拾ヱンカイ圓解美濃の人。ヱシン淵支ヱンシヤ鹽車ヱンスイ猿雖窪田氏。家號を內神屋といひ、惣七郞と稱す。伊賀上野の人。東麓庵、西麓庵の號あり、剃髪して意專といふ。元祿七年七月芭蕉その亭の夜坐にて、あれ〓〓て末は海ゆく野分かな芭蕉の一卷、卓袋筆の草稿のまゝ、芭蕉翁門人故人眞蹟(天明二)にあり。寶永元年十一月十日殁す。年六十五。ヱンスヰ遠水樋口氏。江戶の人。其角の五元集に遠水三十五日おほふ哉さまさぬ袖を納豆汁其角の悼吟あり。ヱンブウ園風伊賀上野の人。元祿三年冬、芭蕉をその家に迎へ、曉や雪をすきぬく藪の月園風を立句に九吟歌仙を行ひたり。(おオウシウ奧州遊女也。桿柯は「東都新吉原茗殁其角の五元列者作集部七) (傳(えーゑ)エキオン益音尾張津島の人。ヱツジン越人越智氏。名は十藏、負山子と號す。其の著鵠尾冠(享保二)に、「私は越路の者に候間名も越人と申候、壯年に及ぶ比より故〓を出で流浪仕り」名古屋に來りて杜國の扶助をうけ、儒を小出洞齋に學び、蕉門に歸せる事見ゆ。芭蕉の歿後、支考の跋扈荷屋の名妓、歌俳香茶に長じ、最能書の聞へ、世の知る處也」(猿簑さがし)といひ、何丸は上方の遊女なりとして、この說を駁し居れど(七部小鑑)確證に乏し。オワホ鷗歩美濃岐阜の人。オキ翁芭蕉の敬稱也。其角のいつを昔(元祿三)の例にならひ、瓢集には翁とのみ記したるが。芭蕉これを見て「は〓かる可し」と謙退し、猿簑集以後あらためて芭蕉と明記するに至りしこと、去來の遺書にあり。オトクニ乙州川井氏。祇々庵と號す。近江大津の驛長也。母を智月、妻を荷月といひ、一家蕉門に入りて聞〓許六の同門評に「師の恩によつて乙州と言ふ名は出たり」と述べ、猿簑逆志抄にオトクニと傍訓あるに從ふ。寶永年中殁す。近江堅田の僧。千那の養子也。本福寺の第十二世、明因上人とい、權大僧都なり。荷庵、タ陽觀、瞬七亭、百布軒の號あり少年の時芭蕉に見え、其の顏に疣のありしを記臆し、人に語れに見ること屋土里塚(寬保三)ゆ延享四年五月八日發す。年八十四。カクセイ鶴聲三河岡崎の人。カケイ荷分山本氏。橿木堂、撫贅庵と號す。尾張熱田の人にして蓬左の荷兮と稱さる。許六は芭蕉勘當の門人なりと貶したれど、越人の猪早太(享保十四)にその虚妄なるを辨じあり。一雪の晴小袖(寛文十)に「尾州山本氏加慶」とある五部七)集作者列(修(かカイガ介我佐保氏。孫四郞と稱す。江戶本所の帳面商也。甘雨亭と號し、初め普船といふ。享保三年六月八日歿す。年六十七。カイキヤウ芥境尾張の人。カイセツ偕雪カウイウ校遊カウセツ耕雪カクジヤウ角上近江大妻を荷(五) (5)
(六) (4)は同人か。竹人の芭蕉翁全傳には森田八郞右衞門とあり。カショ何處大阪の人。曰人の蕉門諸生全傳に享保十六年二月十一日歿す、光明山念佛寺に葬る。とあれど疑はし。カセイ加生凡兆を見よ。カセイ可誠伊賀上野のノ。木屋助八と稱す。カナ可南去來の妾也。去來先生事實に、「有一妾名貞從生二女(登美多美)皆嫁」とある貞從は尼となりて後の名ならんか。士朗の琶琶園隨筆に去來の歿後、遺書を十五兩にて、支考に賣却せるよしあれど眞否を知らず。ガビ我眉カヘウ河瓢ガホウ我峰ガンヲウ岩翁多賀谷氏。長左衞門と稱す。江戶靈岸島に住し、幕府の桶御用をつとむ。延寶八年の獨吟二十歌仙に長天も地につきにけり底の雪岩翁の一卷あり。龜翁の父也。享保七年六月八日歿す。ガンテン含咕大和郡山の人。カメスケ龜助(き)す。キウハク九白キカク其角榎本氏。名は侃憲、竹下東順の子也。醫名を順哲といひ、寶晋齋狂而堂、螺舍、渉川、晋子、の諸號あり。一に龜鶴と書す。延寶時代より芭蕉の直弟として、聲望俳門を壓し、傲岸西鶴の如きすら大矢數俳諧の後見を乞ひ、貞門檀林の徒と雖も交友を嫌はず。師歿後自ら一派をなして、後人これを江戶座と稱したり)。寶永四年二月晦日歿す。年四十七。キギン季吟北村氏。名は靜厚、久助と稱す。近江北村の人宗龍の孫也。醫名を芦庵といひ、俳諧は貞室に學(傳列者作集部七)キウセツ九節伊賀上野の人。內神屋源六と稱びしが、後、貞德の直門となり、拾穗軒と號し、別に湖月齋、七松子とよぶ。國文註釋の功を以て、江戶幕府に召され、歌學所を修めて、再昌院法印として聞ゆ寶永二年六月十五日歿す。年八十二。キセイ奇生キチジ吉次龜洞キドウ武井氏。尾張名古屋の人。貞享四年十一月、昌碧亭の會にて芭蕉の直指を受く。キヲウ龜翁多賀谷氏。萬右衞門と稱す。元祿三年十四才にして其角の花摘を承け、一夏百句を吟じ、路通の勸進牒(元祿四)にあり。其角の序に「キ翁が才を耻ぢ」とあれば、其の俳才を稱されし事知るthe江戶の人巖翁の子也。キハク己白美濃岐阜の僧。草々庵と號す。貞享五年芭蕉を洛の旅寓に訪ひしるべして見せばやみのゝ田植唄己白と吟じ、美濃に案内して人々を蕉門に入らしむ。キフウ枳風江戶の人。貞享四年の續の原に白魚や石にさはらば消ぬべし枳風の作見えたるが、後は其角に師事せる如し。キフケン及肩近江膳所の人。キヤウウ杏雨美濃岐阜の人。キヨクスヰ曲翠菅沼氏。外記、一に曲水、馬指堂と號す。芭蕉その剛直を愛し、風雅の三等を論ぜる書を與へて諭す處あり。蝶夢これを註解し俳詣三等文(寛政十)と題せる刊本世に行はる。近江膳所の藩主本多氏に仕へ、享保五年七月二十日、同僚曾我權太夫の奸を憎み、刺殺して刄に伏す。キヨクスヰ曲水曲翠と同じ。ギヨジツ魚日西澤氏。玄丹、伊賀上野の人也。キヨダウ裾道近江膳所の人。キヨライ去來向井氏。名は兼時、平次郞と稱す。叔父久米氏に養はれしが、七集部七) (き)
(4) (4) 3 (f)武を以て身を立るを欲せず。洛に上りて堂上の諸家に出入し、深く蕉門を信じて篤實の聞えあり。關西三十三國の俳諧奉行と稱されしが、洛外嵯峨に落柿舍を構へ、師の遠〓を守りて遂に歿す。世に出でず。年五十四。寶永元年九月十日キヨリク許六森川氏。百仲、羽官は字也。近江彥根の藩士にして、知行三百石。五老井、菊阿佛、碌々庵、如石齋の諸號あり。芭蕉の道統を承けたりと稱し、同門を評するに假借せず。初め支考と好かりしが、その勸めに從ひ、本朝文選を風俗文選と改題後、支考同名の文鑑を版行せるより、終世敵視するに至る。正德五年八3八中尾氏。名は家重、源左衞門と稱す。伊賀上野の人。享保十六年六月十一日歿す。クワイセン快宣クワウイツ黃逸近江彥根の人。クワウジヤク山城嵯峨の人。荒雀クワコウ花紅江戶の人。グワカウ臥高近江膳所の人。許六の同門評に「膳所衆の風雅いまだたしかならず」とて、その一人に擧ぐ。古寫本臥馬、甚しきは掛馬に誤る。グワコウ畫好本多氏。近江膳所の人也。月二十日歿す。年六十。ギンニヨ闇如キンスヰ均水美濃の人。キンセツ襟雪美濃岐阜の人。?クウガ空芽伊勢山田の人。グエキ愚益ククウ句空加賀金澤の僧。卯辰山の邊に柳陰軒を結ぶ。芭蕉行脚の杖をその庵に止めてちる柳あるじも我も鐘を聞く芭蕉の作あり。クワイシ槐市(傳列者作集部七)畫好近江膳所の人也。月澄や狐こはがる兒の供の句あり。列坐七人にて戀の戯作ありしこと、泥足の其傾(元祿七)に見ゆ。ケイセキ溪石江戶の人。貞享四年の句錢別と題せる芭蕉の草稿に、冬の日を猶したはるゝほまれ哉溪石の送別吟あり、後其角に屬せる如し。ケイセキ桂夕ケイタウ景桃京都上御靈神社の別常。一に景桃丸とあれば、年少なりし如く、元祿三年冬、芭蕉招かれて半日は神を友にやとし忘と吟じ、その家にて、忘年の俳諧ありし事、ものゝ親(天明三)に見え、境內にこの句碑を存す。ゲウウ曉烏ゲウゴ曉〓ケンセイ兼正ゲンコ玄虎藤堂氏。伊賀上野の人。元祿六年芭蕉、江戶の藩邸にて、「菜根を喫して終日丈夫に談話す」と前文して、ものゝふの大根からき話かな芭蕉の作及び兩吟を試み、伊賀にても亦其の園中に道遙せる吟あれば、藤堂家中の重臣なるべし。ゲンサツ玄察ゲンシホウイン玄旨法印細川氏。藤孝、薙髪して玄旨幽齋と號し、歌學を以て聞へ、慶長五年その居城田邊にありて、九けケイコウ〓口宮崎氏。美濃大垣の藩士。致仕して東千と稱す。此筋、千川、文鳥の三子と共に蕉門に歸し、元祿二年芭蕉長途の草鞋を大垣にとき、九月三日落着の夜野あらしに鳩吹立る行脚かな不知の卷に出坐す。許六の評に「老功の門人なり」とあり。以て同門に許されたるを知るべし。ケイコウ鷄口ケイシ畦止大阪の人。元祿七年九月色蕉發病前、その家に招かれ、月下送兒部七)集作(傳列者後(f)
(1) (こ)石田三成に圍はれしが、後陽成帝古今傳授の亡ぶべきを嘆き、敕して兵を解かしむ。貞德歌道の師にして連歌の發句あり。慶長十五年歿す。ゲンレウ玄寮玄察の「察」の草體を見誤れる原版の書損ならずやと思はる。ゲンクワウ元廣ゲンシ元志ゲンジユン元順攝津堺の人。利牛の二人殘りて、撰集の功を收めたる如し。コウウ公羽岸本氏。出羽の人。炭俵にその名の翁に紛らしきため、芭蕉の作に誤入されたること、芭蕉の遺言狀に在り。コウエウ好葉コキフ胡及ココ胡故近江膳所の人。吹萬亭と號す。ココクコ谷コサイコ齋江戶の人。芭蕉の古式俳諧(表十句)と稱する貞享二年六月の作。涼しさの凝くだくるか水車〓風の卷に出坐し、翌三年の初懷紙撰集の功をにも見えたれば、蕉門初期の作者として重きをなし居たる如し。貞享五年七月二十一日歿す。コシユン湖春北村氏。名は季重、俳諧堂と號す。父季吟をたすけ、歌學を以て江戶幕府に仕へ、法橘に叙せられ、蕉門の徒に接して句風一新したるが、元祿十年一月十五日父に先立ちて歿す。其の子湖元、家學を嗣ぐ。コセキ湖夕コツポウ兀峰櫻井氏。武右衞門と稱す。備前岡山の人、江戶に勤番し、舊門の徒と往來す、元祿六年の吟水鳥よ汝は誰を恐るゝぞ〓峰を發句に芭蕉出坐の俳諧あり、作者(傳列吹萬亭と號す。(こ)コヲク孤屋小泉氏。許六の評に越後屋の手代とあれば、江戶三井兩替店につとむとの通說信ずべし。炭俵の撰、半途にして上京し、野坡その著桃の實(元祿六)に出づ。中國筋の蕉風はこの人を以て起れる如し。コポン古梵釋氏。(さ)サイセキ犀夕サウシ草士サカガミシ坂上氏攝津山本の人。サジ左次尾張の儈。許六の評に「師に對面せぬ門人なり」といひ、「この僧器きよく眼つよし」とあれば一方に認められし如し。サリウ左柳美濃大垣の人。元祿二年芭蕉その亭にてはやく咲け九日も近し宿の菊芭蕉と吟じ、一歌仙を催したり。サボク乍木原田氏、覺右衞門と稱す。伊賀上野の人也。元祿三年二月その亭にて鶯の笠落したる椿かな芭蕉の發句にで一順の俳諧あり。サンカ傘下尾張名古屋の人。ザンカウ殘香美濃の人。サンカ杉下サンプウ杉風杉山氏。市兵衞と稱す。江戶小田原町にありて幕府の納屋御用をつとむ。採茶庵、五雲亭、簑翁、衰杖の號あり。芭蕉の江戶に來りて以來、常に師を扶助し、深川の別莊をその庵にあて、衣食のうれひ無からしむ。晩年家運傾きて振はず、享保十七年六月十三日歿す。年七十八。サンポウ杉峰尾張名古屋の人。サンシウ山秀サンセン山川寺村氏。彌右衞門と稱す。藤堂藩士にして江戶に勤番し、其角の花摘集の板下を書ける人也。サンテン山店石川氏。北鯤の弟、江戶の人也。元祿七年芭蕉の錢別に新麥はわざとすゝめぬ首途かな山店を立句として兩吟を試み、小文(傷列者作集部七)元祿二年芭蕉そ(9) (3〓)一一
(3) (し)庫(元祿九)に見えたり。サンポウ山蜂シシイウ四友土屋氏。外記と稱す。松平出羽守に仕へ、江戶の藩邸に勤む。芭蕉の桃靑時代その家にて、二百韵を行ひ、一年その旅立を鎌倉に送りて、霜をふむでちむば引まで送りけりはせをの作あり。續猿簑の四友は或は別人か。シイン子尹シサン子珊江戶深川の人。元祿七年芭蕉の上方行脚の發足前、その亭にて紫陽花や藪を小庭の別坐鋪芭蕉の吟により、錢別の歌仙を行ひ、これを一集として伊賀に送る。別坐鋪集(元祿七)これ也。シイン市隱美濃垂井の人。シザン市山シリウ市柳尾張津島の人。シカウ支考各務氏。美濃北野の人。生家を村瀨氏といひ、大智寺の鎭藏主と呼ばれしが、伊勢に赴いて醫となり、凉莵に導れて芭蕉に逢ひ心服す。獅子庵、野盤子、東華坊、西華坊、梅花佛の諸號あり。四方に旅して門戶を張りしか、佯死して阿難話(正德元)を作り、自ら遺弟蓮二坊といひ盛に俳論の書を著したり。享保十六年二月七日歿す。年六十七。シユウ支幽近江膳所の雲水也。シロウ支浪シリヤウ支梁江戶深川の人。元祿五年芭蕉を招き、口切の俳諧を行ひたり。シキン此筋宮崎氏。荊口の長子、許六の評に三兄弟のうち「發句のかたは此筋に秀逸見ゆ」とあり。美濃大垣の藩士也。シケウ此橋シゲウ此曉シダウ之道槐本氏。大阪道修町の町家にて伏見屋といふ。蟻門亭、諷竹齋北方の號あり。元祿七年九月芭蕉作集部七) (修列者の發病せるはその家に於て也。力なきお宿申せし時雨かな之道の悼吟、けだし實情なるべし。シハウ史邦根津氏。知雨亭と稱す。京都の浪人人o仙洞御所に勤めしが、して江戶に下り、帷子は日々にすさまじ鵙の聲史邦の句にて芭蕉及び岱水の三吟あり0芭蕉の二見文臺及び嵯峨日記の遺稿を傳來したるが、其の終るところを知らず。猿簑逆志抄にフミクニと訓ず。舊說名古屋の醫師、中村春庵といふは誤也。ジホウ示蜂植田氏。權左衞門と稱す。伊賀上野の人也。ジエツ自悅濵川氏。名は行中、季吟に師事したるが、檀林の徒に接して、後「師風を變じて一風流をつくる」と誹家大系圖(春明著)にあり。ジチク兒竹シウセイ秀正美濃岐阜の人。シウセン舟泉尾張名古屋の人。貞享四年芭蕉を名古屋に迎へ、その捌を受けし連衆の一人也。シウハウ秋芳シキシ式之濱氏。一右衞門と稱す。曠野のころ大阪に寓居したるが、後、伊賀上野に歸省し、芭蕉と吟席に會して、屢々その〓示を受く。シヤヨウ車庸〓江氏。長兵衞と稱す。大阪の人元祿四年芭.蕉の作「己が火を木々の螢や花の宿」に感じ、己が光(元祿五)を撰び、越えて七年芭蕉を大阪の家に招き、秋の夜をうちくづしたる噺かな芭蕉の句にて俳諧一順あり。シヤライ車來山岸氏。半六と稱す。伊賀上野の人。芭蕉の姉聟半殘の弟也。シヤドウ洒堂濱田氏。醫名を道夕といひ、洒落堂を略して洒堂と號し、珍夕、又は珍碩の號あり。近江膳所の승元祿五年江戶に赴き、芭蕉庵の客となり、深川集を撰びしが七部集に劣らざる名著と稱せ部七)集作列 者貞享四年芭蕉その捌を受け伊賀C一三
(らる。後大阪に寓居し、所に住す。シヤレイ斜嶺美濃大垣の人、元祿四年の冬、芭蕉をその庵に泊めて、もらぬほど今日は時兩よ草の屋根斜嶺の作あり。芭蕉その第三を附けなやみ、十數句を試みて漸く治定せること、朱柚のけふの昔(元祿十二)に見えたり。シヤウケイ昌圭シャウシャウ昌勝尾張犬山の人。シヤウチヤウ昌長シヤウバウ昌房近江膳所の人、茶屋與次兵衞と稱す。芭蕉に接して數卷の作あり、連衆中に重んぜらる。晩年膳シヤウヘキ昌碧尾張名古屋の人。貞享四年十一月、芭蕉を正客にむかへ、ためつけて雪見にまかる紙衣哉芭蕉の發句にて、一順の俳諧あり。シヤウカ松下尾張津島の人。シヤウハウ松芳シヤウキチ勝吉尾長津島の人。ジヤウシウ常秀シヤウハク尙白江左氏。名は三益、木翁、芳齋、老贅子の諸號あり。近江大津にありて名醫の聞え高く、京極家の扶持を受けたり。岡村不トに學びしが、一度び芭蕉に接してその風格を敬ひ、許六その他をすゝめて門に入らしめ、蕉門の故老を以て許さる。享保七年七月十九日歿す。年七十三。シヤウヘイ正平名古屋蕉門初期の作者なるが、蕉門諸生全傳に紀伊若山の人とたま〓〓旅寓中連衆のあれば、一人に加りたるなる可く、後の諸集にその作の見えざる所以ならんか。シヤウロ商露ジヤクフウ若風美濃長良の人。シユシツ執筆宗匠の命をうけ、文臺を捌く、俳諧の役名にして、人名にあらす。略式には坐中の一人、執筆の名によつて附句を試むる慣例あれば、七部集の卷にある執筆部七)集作(傳列者の名は、後者の場合の稱なるべLoジユセウ需笑ジユスヰ樹水能登の人。大惠堂と號す。シユンジ俊似伊藤氏。尾張津島の人也。ジユンタク順琢佐治氏。洞木と號す。伊賀上野の人。順琢は醫名也。ジユンジ渟兒ジヨカウ如行近藤氏。美濃大垣の藩士也。貞享四年十一月、名古屋の旅寓に在りて、林桐葉の紹介により芭蕉の門に入り、旅人と我見はやさん笠の雪如行を發句に三吟一折あり。後者の場合の稱なるべジョセツ如雪ジヨシン如眞伊勢の人。ジヨフウ如風尾張鳴海の如意寺の第六世也。文英和尙といひ、名は耻心、玄翁と號す。貞享四年十一月、その寺に芭蕉を招き、めづらしや落葉のころの翁草如風の一順あり、寳永二年九月二十一日歿す。ジヨフウ除風美濃岐阜の人。百花坊と號す。後、讃岐に至り、宗鑑の舊跡一夜庵を再興す。シヨクイウ燭遊シンキヨク心棘シンベウ心苗シントク信德伊藤氏。助左衞門と稱す。梨柿圍、竹犬子、宗肖の號あり。幼時松永貞德に見え德の一字を許され、信德を號となす。後高瀨梅盛を師とせるが、檀林の徒と往來して新風にはしる。芭蕉の江戶より書を寄せて、洛の風躰を問へるに雨の日や門提げて行く杜若信德の句を得てこれを報ず。これ蕉風の先蹤也。元祿十一年十月十三日歿す。年六十六。シンプウ晨風伊勢松坂の人。(+)ズイイウ隨友一五部七)集作者列伊賀上野行{ (t)
(+) (G)伊豫の人。スイオウ水鷗スイギヨク炊玉美濃岐阜の人。(せ)セイコウ靑江セイシウ正秀水田氏。利右衞門と稱す。近江膳所藩に仕へ小身也。元祿初年祝融の災に逢ひ、藏燒けてさはるものなき月見哉正秀と吟じ、芭蕉その風懷を稱揚してより、蕉門に參じ、竹靑堂、竹節堂の號あり。訓讀してマサヒデといふ。享保八年八月三日歿す。年六十七。セイドウ〓洞セイリン生林セイム西武山本氏。通稱を綿屋九郞左衞門ニシタケといひ、剃髪して「西武を音に號へて法名とす」(大系圖)七歲より松永貞德の〓旨を受け、永く執筆を勤め、貞門の秘決故實を授與され、寬永六年十一月、洛の妙滿寺に始めて俳席を起したり。貞門七俳仙の一人、別に無外軒の號あり。延寶六年二月十八日歿す。年七十三。セウシユン小春加賀金澤の人。宮竹屋伊右衞門と稱する藥屋也。元祿二年芭蕉、曾良の二人を宿し、寢るまでの名殘なりけり秋の〓小春の作にて俳諧あり。セウサウ笑草セウリツ蕉笠美濃岐阜の人。ゼコウ是幸ゼラク是樂セキカ夕可セキキク夕菊江戶の人。貞享四年冬、芭蕉の句錢別に誰が家に沓をとゞめん雪の榾タ菊の作あり。芭蕉に接して數卷の歌仙を殘す。セキダウ夕道名古屋本町の書肆也。風月孫堂助と稱す。貞享四年冬、芭蕉その店に立寄り、いざゝらば雪見にころぶところまで芭蕉部七)集作(傳列者芭蕉のの吟あり、同家に俳諧あれば必らず杖をまげて、師弟のかたらひ淺からざりしといふ。セキフウ夕楓セキキク石菊セキコウ石口伊賀上野の人。セツコウ拙侯セツシ雪芝廣岡氏。山田屋市兵衞と稱す。元祿七年夏、芭蕉その庭前にて涼しさやすぐに野松の枝のなり芭蕉と卽興し、その遺蹟今にあり。セツソウ雪窓センカ沾荷岩城平の藩主內藤氏に仕へ、露沾子の附人也。嵐雪の其袋(元祿三)に蜻蛉の壁を抱ゆる西日かな沾荷の句にて芭蕉及び露沾の俳諧あり、主君を通じて、蕉門の作風を窺ひ得たる如し。セントク沾德水間氏。名は友兼、次郞左衞門と稱す。歌道を飛鳥井雅章に問ふて友齋といひ、內藤露沾公の知遇を得て、蕉門に接近し、句境一新せるが、後これに檀林の餘風をまじへ、江戶座の別派を起して行はれたり。享保十一年五月三十日歿す。年六十五。センポ沾圃服部氏。家藝の能樂をうけ、寳生左太夫といひ、幾重齋と號す。野々口立圓と母方の緣ありて、元祿六年芭蕉の後見にて二世立圃を嗣ぐ。翠年芭蕉の殁するや、翁草二卷を撰して師恩に報じたり。センギン蟬吟藤堂氏。名は良忠、伊賀上野の人。本藩伊勢津藤堂氏の城代家老たる新七郞良精の嗣子也。俳諧を北村季吟に學び、續山井(寬文七)に入集せる作多し。芭蕉の主君なりしが、家督をつぐに至らず、寛文六年四月二十五日歿す。ゼンソ蟬鼠近江膳所の人。センクワ仙化江戶の人。靑蟾堂と號す。貞享三年深川芭蕉庵にて、衆議判を行ひたる蛙の發句二十番を梓行して、蛙合といふ。芭蕉の七)集部作(t)
(せ) (そ)八古池や蛙飛び込む水の音芭蕉の作はこの時の吟にて、この集にて最初に知られし也。センクワ仙花仙華あるは同人ならん。センヂヤウ仙杖大久保氏、茂兵衞と稱す。伊賀上野の人也。センカク千閣伊豫の人。センシ千子去來の妹也。向井元升の女、名はちね。〓水氏に嫁して一子を儲く。元祿元年五月十五日歿す。センセン千川宮崎氏。荊口の次子也。美濃大垣の藩士なるが、芭蕉その家にて折々に伊吹か見てや冬ごもり芭蕉と吟じ、許六またその。兄弟の「中にも千川すぐれたり」と評す。センナ千那近江堅田の三上氏名は明式、本福寺第十一世也。權律師となる。萄萄坊、宮山子、生々の號あり。菅野谷高政の門人なりしか、貞享二年芭蕉を洛六條の旅寓に訪ひて、〓示を受け、蕉門の伽葉を以て敬せらる。享保八年四月十七日歿す。年七十八。ゼンセン前川美濃大垣の人。奥の細道に前川子と敬稱すれば、大垣藩要職の士なるべし。センアク洗惡ゼ·ポウ全峰江戶の人。ゼンプウ善風美濃長良の人。(そ)ソウイン宗因西山氏。名は豐一、次郞作と稱す西翁、梅翁、西幽子、野梅子、向榮庵の諸號あり。肥後八代の藩主加藤風庵に仕へ、豪信法印に連歌を聞き、主家沒落後里村昌琢にたより、大阪天滿天神の月次宗匠となりしが、小倉の卽非禪師に參し、再び大阪に來つて檀林の新風を起し、時の俳壇を風靡したり。天和二年三月二十八日沒す。年七十八。ソウカン宗鑑作(傳列者伊賀支那氏。名は範重、彌三郞と稱す。近江の人。足利家に仕へ、主君義熙の歿後剃髮し、尼ケ崎に閑居したるが、更に山崎に草庵を結び、人呼んで山崎の宗鑑といふ。晩年讚岐有明演なる興昌寺に一夜庵を構へ、又別に對月庵と號したり。天文二十二年十月二日歿す。年八十九。ソウギホウシ宗祇法師飯尾氏。種玉庵、自然齋、見外齋、不審齊と號す。紀伊藤並莊の人。默雲禪師に參し、東常綠に古今傅授を受け、叔父宗砌に連歌を學び、明應四年新筑波集を撰し、連歌道の大成者と稱せらる。居常髯を愛し、香を焚いてこれを薰らす。文龜二年七月三十日箱根湯本に歿す。年八十二〇ソウシ宗之ソウジ宗次猿簑に入集を乞ひけるが、取るべき句なし。たま〓〓芭蕉に安坐をすゝめられ「おゆるし候へ、じだらくに居れば凉しく侍る」といひし言葉を發句として撰に入れたること、去來抄にあり。ソウハ宗波江戶本所原庭の定林寺住職也。深川の芭蕉庵に出入し、貞享四年の鹿島詣に、曾良と共に同行したり。一に滄波と書す。ソウヒ宗比伊勢の人。本柳坊と號す。33g宗和江戶の人。ソシウ楚舟江戶の人。ソシウ素秋美濃岐阜の人。ソダン素男近江大津の人。ソダウ素堂山口氏。名は信章、勘兵衞と稱す。甲斐山口の〓士、笛吹川の治水工事に功を收む。北村季吟の門人、其日庵、今日庵、蓮池翁、信章齋の號あり。江戶東叡山下の不忍池畔に庵を構へ、後葛飾に移つて芭蕉の心友たり。享保元年八月十五日歿す。年七十五。ソラ曾良岩波氏。名は正字、庄左衞門と稱す。信濃下諏訪の人。伊勢長島藩に仕へしが、浪人して江戶一九列者作集部七) (傳(そ)
(1) (た)に出で、河合惣五郞といひ、吉川惟足の門人となり、芭蕉庵に出入し.奥の細道に同行したり後、廻國して壹岐の勝水に至り寶永七年五月二十二日彼の地にて殁す。年六十二。ソラン素覽三輪氏。四郞太夫と稱す。一に山田氏、鷄頭野客といふ。尾張名古屋の人。元祿七年芭蕉佐屋にて水鷄啼くと人のいへばや佐屋泊芭蕉と吟じ、三吟の俳諧あり。ソリユウ素龍江戶淺草の自性院住職也。素龍齋全故と號し、和歌及び書道に巧みにして、芭蕉もその人となりを畏敬せる如く、炭俵の序文によつて交情のあつかりしを窺ふべし。元祿十二年十一月二十二日歿す。ンメン鼠彈尾張名古屋の僧。許六の評に「あら野には多く出でられて、後沙汰すくなし」とあり。(た)タイソ苔蘇岡本氏。名は正次、次郞左衞門と稱す。瓢竹庵はその號也。伊賀上野の藤堂修理家に仕へ、致仕の後剃髮す。寳永六年三月三日歿す。遺言して一樹の椿を植ゑて墓石に代へ、水鉢に「驗看此椿」の四字を刻して子孫を誠む。タイスヰ岱水江月深川の人。芭蕉庵の近傍に住み居たるが、芭蕉一日「硯やある發句せしに、是が脇、第三をなすべき」といひて、生ながら一つに氷る生海鼠哉芭蕉の句を示し、兩吟一折を試みたること、木曾の谷(寶永元)の序文にあり。ダイタン大丹タウエウ桃妖加賀山中の溫泉宿、和泉屋又兵衞といふ。元祿二年芭蕉入湯の折は、猶少年なりしが、其の怜例なるを愛し、桃妖の號を與へたり。タウセン桃先太田氏。又四郞と稱す。三河新城の人、白雪の長子也。元祿四年芭蕉、白雪の家に杖をとゞめ七)部(傳列者作集桃先又四郞と稱す。三河新白雪の長子也。元祿四白雪の家に杖をとゞめ其の二子を祝ひ、其匂ひ桃より白し水仙花芭蕉と吟じ、一順の歌仙あり、桃先の號はその時附與されし也。タウゴ桃後太田氏。半四郞と稱す。白雪の次子、桃先の弟也。支考の笈日記に水仙の花を桃先、桃後のいふに因み、二兄弟に命名されし也といへり。桃首タウシユ尾張の人。タウスイ桃醉タウリン桃隣天野氏。藤太夫と稱す。太白堂、吳竹軒、桃池堂、桃翁の號あり。伊賀上野の人、桃池姓にて芭蕉の甥とも又は從弟なりとの說あり。江戶に來りて、蕉門のために盡すところ尠からず。元祿九年師の足跡を慕ひ、奥羽を行脚し、陸奥衛五卷を撰む。享保四年十二月九日歿す。年八十一。タガミノアマ田上尼久米氏。去來の叔母といふ。長崎の人、田上の庵に閑居し、惟然の行脚をしばらく止めて、扶持せし事あり。ダクシ濁子美濃中川氏。甚五兵衞と稱す。大垣の人、江戶に勤番して蕉門に入る。後素水と改む。貞享二年の句錢別に江戶櫻心かよはんいく時雨濁子の送別吟にて半歌仙あり。芭蕉庵六物の一なる四山瓢は後、其の家に珍藏せしものといふ。タクタイ卓袋貝增氏、市兵衞と稱す。如是庵の號あり、伊賀上野の人。元祿七年十月、芭蕉浪花に病む急報に接し、土芳と共に伊賀蕉門を代表して發足したるが、死期に後れ、泣く〓〓遺髮を携へ歸りて、愛染院に故〓塚を營む、寶永三年八月十五日大阪の旅寓にて歿す。年四十八。タクチ澤雉山內氏。善四郞と稱す。個人上野の人也。タダトモ忠知神野氏。忠左衞門と稱す。號を沾木子といふ。江戶の人、井坂春〓門なるが、白炭や燒かぬむかしの雪長惟扶部七)作集者個人上號を井坂(モ)二
(た) (1)の枝忠知の作人日に高く、白炭の忠知と稱せらる。重賴の小夜中山集(寛文四)既にこの句を載すれば、忠知の作たるに疑ひなし。延寶四年十一月十七日事に感じて自刄す。年五十二。タツたつ三河伊奈の女。白雪のきれ〓〓打込(元祿十三)による。或はこれと別人なるやも知れず。タングワン探丸藤堂氏。伊賀上野の城代、蟬吟の舍弟、又は遺子といふ。元祿五年芭蕉、その別墅の花見に招かれ、さま〓〓の事思ひ出す櫻かな芭蕉の感慨ありしが、後の樣々庵はこの句にちなみて設けし庭中の小亭也。タンシ探志近江膳所の人。元祿四年芭蕉その家にて御明しの消て夜寒や彎むし探志を立句に、膳所の連衆と共に俳諧一順あり。タンセツ探雪近江膳所の人。ダンイウ團友岩田氏。名は正致、權七郞と稱す。伊勢山田の人、神風館をつぎ、團友齋涼莵といふ。芭蕉の直指を受け、殁後江戶に出で、其角に接し、北越に旅して支考に近づき、三疋猿(寶永元)に俳諧の眞行草を躰得して、伊勢風を唱へたり。享保二年四月二十八日歿す。年五十七。タンコウ旦藁尾張名古屋の人、郊外に居を構ヘ、〓貧を事とせるが、後は鍼醫などを渡世し、越人の悼吟に夕たちや娑婆の袖ゆく三瀨河越人とあれば、享保年間發せるが如Loタンスヰ湍水タンフウ丹楓元祿四年芭蕉そ(傳列者作集部七)タンスヰ湍水タンフウ丹楓らチクコ竹戶美濃大垣の鍛冶工也。元祿二年如行亭にて、芭蕉の爲に按摩の勞を取り、其の行脚中携へし紙衾に衾の記を添へて與へらる。其の記、蓬萊島(安永三)にあり。チクドウ竹洞人見氏。名は節、友元と稱す。林道春に學び、本朝通鑑編纂の一人也。元祿九年歿す。チゲツ智月川井氏。歌路若く宮仕へして、と呼びしが、大津の傳馬役佐右衞門の妻となる。乙州の母也。元祿四年芭蕉、智月より後々のかたみを望はれ、「六そぢの霜にむかふ人に形見を乞はれて、いとちからなし。我先に死ねとにや」と苦笑し、幻住庵の記を書きて與へたり。寶永三年發す。チネちね千子を見よ。チヤウコウ長虹尾張名古屋の人。竹葉軒と號す。貞享五年七月芭蕉その家にて、粟稗にとぼしくもあらず草の庵芭蕉を立句に俳諧興行あり。チヤウシ長之チャウシヤウ長松チヤウビ長眉伊賀上野の人。チヤウワ長和ヂヤウサウ丈草內藤氏。庄之助と稱す。佛幻庵懶窩、弘句庵の號あり。尾張犬山の人、指頭を斷つて世を遁れ、熊野山の玉堂和尙に參じ、洛の史邦亭にて芭蕉に見え、篤實を以て同門に推さる。師歿して近江粟津の龍ヶ岡に庵を結び、三年の喪に服したり。寶永元年二月二十四日歿す。年四十三。チヤウセツ聽雪尾張名古屋の人。貞享四年芭蕉の行脚を迎へ、その捌を受けし連衆の一人也。古集時に聽處に誤る。ヂユウイウ重友ヂユウカウ重行長山氏。五郞左衞門と稱す。出羽鶴岡の人。芭蕉元祿二年の行脚に、羽黑山よりその家に至り、めづらけや山を出羽の初茄子芭蕉の句にて、四吟歌仙を殘したり。ヂユウゴ重五加藤氏。嘉右衞門と稱す。尾張名古屋の人、川方屋といふ材木商也。其の子簑笠に家をゆづり隱居して彌兵衞といひしが、享保年中病を以て剃髪す。越人祝部七)作集者列(傷(5)
(+) (〓〓して雪と共にやまも冠を脫にけり越人と吟じたる事鶴尾冠に見ゆ。七部十寸鏡に松井半七とあれど從ひ難し。ヂユウジ重治尾張津島の人。ヂユウスイ重翠伊賀上野の人。ヂンコウ塵交尾張の人。ヂンセイ塵生加賀小松の人。村井屋又三郞といる。元祿二年芭蕉此處にて、しほらしき名や小松ふく萩芒芭蕉の作あり。これを發句に俳諧一卷を起せる連衆也。チンセキ珍碩洒堂を見よ。チリ千里損居士と號す。大和竹内の人。江戶淺草に寓居したるが、芭蕉一日訪れて海苔汁の手際見せけり淺黃腕芭蕉と吟じ、貞享二年の野晒紀行に同行したり。元祿九年七月十二日歿す。歷代滑稽傳に加賀山中の和泉屋又兵衞に耻しめられ、貞德の末弟となれる說あれど、附會に近し延寳元年二月七日歿す。年六十四。デイキン泥芹江戶の人。デイド泥土近江膳所の人。テウシウ釣箒テウスヰ釣水テウセツ釣雪尾張名古屋の人。禁酒の句碑、山茶花に科かうむらん酒一ッ釣雪を立てしこと、荷分の曠野後集(元祿六)に見ゆ。テウダ蔦雫テキシ荻子(癖列者作集部七) (三テイシツ貞室安原氏。名は正章、鑑屋彥左衞門と稱す。貞德の愛弟にて承應元年八月點業を許され、薙髮して貞室といひ、二世花の本をつぎ、別に一囊子、一囊軒と號す。辻氏、名は景方、五平治と稱す、伊賀上野の人。享保十四年十月十日歿す。トワジユン東巡美濃岐阜の人。トウジユン東順竹下氏。赤子と號す。其角の父也〓近江堅田の人、由良正春に學びしが、江戶に出でて醫を業元祿六とし、遂に蕉門に入る。年八月二十九日歿す。年七十二〇トウテウ東潮和田氏。江戶の人。一印,堵中干、東潮庵の號あり。後嵐雪に附屬し、元祿十五年歿す。トウシヤウ冬松トウブン冬文尾張名古屋の人。蕉門諸生全傳に「荷分の弟といふ」とあり。トウラ藤蘿トコク杜國坪井氏。平兵衞と稱す。尾張名古屋の富商なりしが、罪に坐して三河保美に隱れ、世に出でず。貞享四年十一月芭蕉その閑居を訪ひ、翌五年吉野紀行に伴ひ、戯れに萬菊丸と呼べり。滴居後又は野人といふ。の號を野仁、元祿三年五月五日歿す。年四十餘。トジヤク杜若土田氏。名は正祇、小左衞門と稱す。初號を柞良といふ。伊賀上野の人、享保十四年八月六日歿す。トスヰ杜水トネン杜年牡年(ボネン)を見よ。トハウ土芳服部氏。名は保英、半左衞門と(と)トウケイ桐奚江戶深川の人。元祿五年の支梁亭口切に芭蕉と一坐したるが、後は杉風に附屬せるが如し。ドウスヰ洞水ドウセツ洞雪ドウボク洞木順琢を見よ。トウサイ等裁越前福井の人。連歌師櫻井元輔の門人にて俳名を筋景といひ、芭蕉の奥細道には「こゝに等裁といふ古き隱士あり」とありて、十年の知己なりし如し。(〓) (〓〓)集部七)作半左衞門と(〓)二五
(〓) (七) E (エ)稱す。初號を芦馬といひ、近江水口にて偶然芭蕉と邂逅して其の門にはげみ、一年簑虫の音を聞きに來よ草の庵芭蕉の句を面壁の圖に賛し、その居を訪ふて與へしかば、簑虫庵と名づけ、又、些中庵と號し、伊賀蕉門の故老たり。享保十五年一月十八日歿す。年七十四。トジウ斗從伊勢の人。元祿七年支考に件はれ、伊賀の舊里に芭蕉の閑居をたゝき、その門に入る。ドスイ怒誰近江膳所の人。元祿五年江戶の芭蕉庵を訪ひ風流のまことを啼くや時鳥凉葉の卷に出坐し、芭蕉の捌を受けたり。ドフウ怒風高宮氏。美濃大垣の人。貞享四年蕉門に入り、後、京都に出でて寓居す。トメとめ羽紅を見よ。ドンカ鈍可ドンカ呑霞なナイシウ內習ナイリユウ乃龍にニシヤウ二嘯近江膳所の人。ニスヰ二水芭蕉の捌を受けニンカウ任行ニンコウ任口山城伏見の西岸寺第三世、寶譽上人。松江重賴の門人なれど、檀林派の諸士と交際ありて新奇の作多し。貞享二年の春、芭蕉上人に謁し、高德を仰ぎて曰く我衣に伏見の桃の雫せよ貞享三年四月十三日歿す。ニンタ任他はバイザン買山伊賀の人。バイジ梅餌美濃岐阜の人。バイゼツ梅舌ハイリキ配力杉野氏、名は房通、勘兵衞と稱(傳列者作集部七)元祿五年江戶の勘兵衞と稱す。伊賀上野の人。芭蕉が一笑なる俳人より得て愛玩せる水鷄笛、その銘靈極(うごころ)を秘藏したり。享保十七年十一月十七日歿す、年八十一。ハウセイ方生尾張津島の人。ハウセン芳川バウセン防川ハクセツ白雪太田氏。名は長孝、金右衞門と稱す。家號を升屋といひ、三河新城の人。一家俳諧を好み、芭蕉鳳來寺に參詣の途次、立寄りしを喜び、蕉門に歸し、密雲翁、有髮山人の號あり。享保十二年六月七日歿す。年七十四。ハクシ薄芝尾張の人。かっく馬寛、鷺氏。名は貞綱、仁右衞門と稱す。鷺流の狂言師也。江戶に來りて、蕉門の徒とまじはり、續猿簑にその作の出る多きを以て知らる。一說に沾圃の次子也といふ。元祿七年八月二十一日歿す。年五十九。ハザン巴山江戶の人。ぶりつ芭蕉松尾氏。甚七郞宗房と稱す。伊賀上野の人、城代藤堂氏に仕へ嗣君、蟬吟の俳諧を好むにならひ、ひたすら貞門の作風を模するのみなりしが、〓を出でゝ東下し、江戶檀林の徒に接してよリ.しばらく流行を趁ひたれど悟るところあつて新風を起し、遂に蕉風の俳諧を大成したり。釣月軒、栩々齋、天々軒、鳳尾風羅坊、杖錢子の諸號を用ひ、芭蕉庵桃青を以て世に聞ゆ。元祿七年十月十二日大阪花屋裏の旅寓に歿す。年五十一。ハヂヤウ巴丈尾張名古屋の人。ハツサウ八桑江戶の人。深川芭蕉庵の近くに居を構へ、屢々吟席をかさね、元祿七年の子珊亭の送別に一坐して、芭蕉の遺言狀にその名見ゆれば、所緣の深き人なるべし。バブツ馬佛近江彥根の人。六成堂と號す。病臥すること六年、芭蕉の三囘忌にそくさいで花見る人のう(モ)
(エ) (5) (2)らやまし馬佛と詠めるが、その年、元祿九年十一月二十日歿す。バンサイ般齋加藤氏。名は等空、冬木翁と號す。攝津の人。貞德歌道の門人にして、俳諧には臨淵といひ、貞門の諸集にその序文の出るもの多し。延寶二年八月十一日歿す。ハンザン半殘山岸氏。名は棟重、重左衞門と稱す。伊賀上野の人、芭蕉の姉聟也。松尾家系圖を按ずるに姉妹六人のうち、長兄半左衞門の次なる芭蕉のすぐ姉を娶りたる如し。享保十一年六月二日發す。年七十三。ハツ破笠小川氏。名は宗宇、平助と稱す。馬佛元祿九年夢中庵、笠翁、卯觀子の號あり。江戶の人、蒔繪及び象嵌の技に秀づ。蕉門に入れるは平助時代にして、其嵐の兩子と蒲團ひとつに寒夜を凌ぎし自〓、二水〇三韓人にあり。延享四年六月四日歿す。年八十五。〓ピトウ尾頭伊賀上野明覺寺の僧也。ヒヤクサイ百歲西島氏。十郞右衞門と稱す。伊賀上野の人、父の八兵衞、治水家を以て聞え、上野赤坂町なる芭蕉の生家に隣し、常に相往來したりといふ。ヒヨウコ氷固松本氏。長右衞門と稱す。後に非群といふ。日歿す。享保七年十二月一ふフウキン風斤フウゲン風弦伊勢の人。芭蕉の附與せる號也。曰く「風弦は琴にあらず、琵によく宮商角徵羽の音にあらず、かなふ」フウコク風國京都の人。去來の甥といふ。醫を名古屋玄達に學び、蕉門に參し元祿七年師大阪に病むと聞き、北野に家を借り、こゝに療養を乞はんとして果さず。歿後師の發句の散佚を惜しみ泊船集(元祿九)た選む。許六の評に「俳諧の卷には花實ともにありて、部七)者(傷列後にしかも取はやしも見えたり」とあり。元祿十三年七月三日歿す。フウスイ風睡淺井氏。理右衞門と稱す。伊賀上野の人也。フウセン風泉フウテキ風笛蕉門諸生全傳に「叡山の僧か、茶店に張りある短册に」として松〓聞け我住む山の朧月風笛(文政七)に出づ。フウリンケン風鈴軒內藤氏。名は義泰、右京亮といふ岩城平の藩主、八萬石を領す。風鈴軒はその號也。別に風虎、紫硯、白藤子と稱し、西山檀林の宗因に學びしが、貞門、兩派に偏せず、當時の俳壇の保護者を以て知られたり。貞享三年十二月五日歿す。ブエウ蕪葉フギヨク不玉伊藤氏。名は元順、淵庵と號す。出羽酒田の醫也。元祿二年芭蕉その亭に行脚の笠を脫ぎ、江上を晩望し、あつみ由や吹浦かけて夕涼み芭蕉と吟じ、俳諧一順を行ふ。同六年獨吟の歌仙を芭蕉に送り、批言を求めし一卷あり、秋の夜と題して刊行さる。フクワイ不悔フコウ不交マッ不撤美濃岐阜の人。フスヰ芙水フセン普船介我を見よ。フゼン普全越前福井の人。ファン,島仙ブセン武仙少年の作者也。プンテウ文鳥宮崎氏。美濃大垣の人。荊口の第三子也。許六の評に「文鳥は三男たるによつて風雅もまたか伊賀(傳列者作集部七)の句をあぐ。フウバク風麥小川氏。次郞太夫と稱す。伊賀上野の人、梢風尼の父也。元祿三年の瓢集「木の下に」の卷と同じ發句にて、別に伊賀の連衆と催せる歌仙あり、簑虫庵小集(3)
(2) (一)くの如し、上手の兄にしたがひ行末執心次第、名人にも至るべし」と望みを囑したり。ブンラン文瀾ブンリン文鱗和泉堺の人。江戶の旅寓にありたるが、秋田の文鱗とは同名異人也。ブンリ文里ほホウウ蓬雨美濃岐阜の人。ホウラン峰嵐伊賀上野の少年作者也。ホカク圃角芭蕉その扇に賛を望まれて、前髪もまだ若草の匂ひかなの句あれば年若き作者なりしなるべし。ホギン圃吟ホスヰ圃水ホセン圃仙ホハク圃箔ホヱン圃燕ホクコン北鯤江戶の人、山店の兄也。初期よりの蕉門作者にして、獨吟二十歌仙(延寶八)に、此花に大師も角を折れけり北鯤の一卷見ゆ。ホクシ北枝立花氏。源四郞と稱す。加賀金澤の人。研工、牧童の弟也。翠臺、趙子の號あり。元祿二年芭蕉の行脚を迎へ、吟席を重ねて名殘を惜しみ、小松より山中に見送り、松岡にて袂を別つ時もの書きて扇引裂く名殘。かな芭蕉の句を與へらる。蕉門の風狂人として奇行あり。享保三年五月十二日歿す。ボクシ木枝ボクセツ木節望月氏。稽翁と號す。近江大津の醫師也。元祿七年六月、芭蕉を招き秋ちかきこゝろの寄るや四疊半芭蕉を立句に四吟歌仙ありしが、越えて十月大阪に病むや、馳せて病床に至り、投藥に努めたり。ボクハク木白伊賀の人。ボクシト枝(傳近江日野の人。遠方と號し、貞門の作者なりしが、一年芭蕉江戶にて知れる外記なる者の甥綱彥を日野にたづれ、いざさかな馳走はなくと冬ごもり綱彥の句にて、俳諧を行へる時に一坐して蕉門に入り、後、尾張津島に至りて蓮花寺に寓居したるこど、紫映の陽炎集(天明四)に見えたり。ポクタクト宅向日氏。江戶の人。延寶七年の獨吟二十歌仙に猫の妻夫婦といがみたまひけり十宅の一卷を寄せ、十六歲の年少を以て人々に驚したるが、安藤冠里子の御前にて「くずすべき出(三)代までの畠かな」を柴雫の爲め代句し、感賞されし事、李撰文選(寶曆十二)あり。延享二年一月二十八日歿す。年九十二。ポクジウ朴什ポクスヰ朴水近江膳所の人。ポクドウ牧童立花氏。彥三郞と稱す。加賀小松の人、金澤に出で刀研工をなし、北枝の兄也。芭蕉逢ひ見て「牧童はよき男なり」と評したる支考の語、草刈笛(元祿十三)にあり。常に居眠りの癖ありて、眠りのうちに四十年を送ると稱さる。ポネン暮年長崎の人ボネン牡年久米氏。名は利文、七郞左衞門と稱す。長崎の人去來の弟也。本文「杜」の行躰に紛らしきを以て、社年となし置きたるが、支考の泉日記(元祿十一)を見るに「牡年魯町は骨肉の間にして」とあり、牡年亭の夜話も見えたれば、牡年正しかる可し。ボンテウ凡兆野澤氏。春花園と號す、加生はその初號也。加賀金澤の人、京都東洞院に寓して、醫をいとなも曰人の說に「罪ある人にしたしみ、其の連累を受く」といふ種文の猿舞師(元祿十一)に「讀人しらず」として猪の首のつよさよ年の暮の句あり、獄中の作といはるる花の春の原句はこれなるべし。三部七)延寶七年の
(三) (ま) (か) (C) (s) (や)す。攝津の人、連歌を宗祗にまなび、文明十四年十一月大原の十如院にて、附句を吟じ合ひ是非を論ず、大原三吟(正保四)これ也。モリタケ守武薗田氏。荒木田七家の一也。伊勢山田の人、天文十年內宮長官となり、正四位上に叙せらる。宗祇及び宗長に連歌の道を問ひ、享祿三年初めて、松屋にはたゞかうやくの子日かな守武を發句に俳諧百韵を獨吟し、進んで天文九年自ら式目を按じ、獨吟千句を成就したり。宗祇の三島千句にならひたる試作なるか、此の千句の功により俳諧の祖と稱せらる。大永五年世中百年を越えて漸くゆるされしも耻ぢて、世と人とを避け、正德四年歿す。(ま)マンコ万乎伊賀上野の人。大阪屋は家號にて、次郞太夫と稱したり。享保九年八月十五日歿す。五ミカツ未學むムム夢々尾張津島の人。もモトスケ元輔櫻井氏。一に基佐、中務丞と稱首を詠じ、世に伊勢論語の名あり、天文十八年八月八日歿す。年七十七。(や)ヤウスイ楊水桃靑門下の獨吟二十江戶の人。歌仙に夫れ虹は蛙吟じて雲とかや楊水之の一卷見え、延寶九年信德の七百五十韵を承け、次韵を興行するに選ばれ、其の作者の一人たり。ヤウワ陽和山岸氏。名は宿見、伊賀上野の人o享保三年三月三日歿す。ヤケイ野徑近江膳所の人。緣督堂と號す。部七)集作(傳列者中務丞と稱緣督堂と號す。芭蕉門人歲旦牒(元祿十一)にテハス桃符換來賑市店初束風やおのれ浮るゝ紙燕緣督堂野徑と見ゆ。ヤスイ野水岡田氏。家號を備前屋といひ、佐左衞門と稱し、名古屋大和町の町家也。元祿十三年惣町代役となりしが、退役の後は宜齋と呼び、髮を落して、轉幽といへり。芭蕉「麥喰し雁とおもへど別かな」の句を感じ、牡丹花肖柏傳來の墨池を與へ、尾張蕉門の故老なりしも、晩年茶道に心を寄せ、名古屋に千家流の茶道を起したり。寬保三年三月二十二日歿す。年八十六。ヤテキ野荻(4) (s)ヤドウ野童京都の人。仙洞御所に勤めしが去來の導きを以て芭蕉と接し、吟席をともにして歌仙數卷を殘す。元祿十四年六月十二日落雷のため、御所の宿直所にありて震死す。ヤハ野坡志田氏。彌助と稱す。越前福井の人、江戶越後屋の手代をつとめしが、蕉門の作者中輕みを以て稱せられ、大阪に樗木社を起し、淺生庵、紗帽子、三日庵、高津翁の諸號あり。虛栗に野馬とあるは其の初號也。元文三年一月三日歿す。年七十八、ヤメイ野明京都の郊外嵯峨の人。はじめ鳳例といひ、關化堂常牧の門なりしが、蕉門に歸し、その名の例を厭ふべしとし、芭蕉命じて野明に改めしむ。ヤシウ夜舟(5)ラウゲツ潦月ラクゴ落梧加島氏。美濃岐阜の人。元祿五年夏芭蕉を稻葉山の亭に招き、山かげや身をやしなはむ瓜畠はせをの作ありしかば、瓜畠集を撰ばんとして果さず、元祿四年歿す。ランコ嵐虎ランサ嵐簑ランスイ嵐推ランセツ嵐雪服部氏。久米之助といひ、彥兵衞者作集部七) (傳列彥兵衞(s)三三
(ら) (,)と稱す。江戶湯島の人、獨吟二十歌仙に嵐亭治助と呼びしが、後、嵐雪とあらため、雪中庵、不白軒、寒蓼堂の諸號あり。時新庄、井上の兩家に仕へ、又、稻葉家に抱へられ、越後新發田にありしかど中年身を退き、其角とならびて蕉門の桃さくらと稱せられ、後世其の傳系を雪門と稱したり。寶永四年十一月十三日歿す。年五十四。ランラン嵐蘭松倉氏。又五郞と稱す。島原の城主松倉藩の家中なりしが、島原の亂に主家斷絕して浪人となり、江戶淺草に寓居す。獨吟二十歌仙に赤鰯鬼の草莖なるべしや嵐蘭(,)の作あり、蕉門の發展に功ありしが、元祿三年八月二十七日歿す。年四十七。深川の庵を結べる時、庭中に一株の芭蕉をおくり植ゑ、人呼んで芭蕉庵と稱するに至りしは李下の心づくし也。一年芭蕉の旅立に句を寄せ、芭蕉野分その句に草鞋かへよかし李下と錢したり。リシン李晨美濃岐阜の人。リタウ李桃リフウ李風リリ李里リウイン柳陰リウウ柳雨リウバイ柳梅リウフウ柳風出羽新庄の人。盛信といふ。元祿二年芭蕉その家に招かれ、りリイウ李由河野氏。名は亮隅、買年は字也。近江平田の明照寺十四世、四梅盧と號す。元祿四年冬、芭蕉この寺にて百年のけしきを庭の落葉かな芭蕉と吟ぜし師緣により、笠塚を築いてまつる。許六と殊によく、撰集の如き常に共編の體裁を取れり。寳永二年六月二十二日歿す。年四十九。リカ李下江戶の人、蕉門初期の作者也。(傳列者作集部七)元風の香も南にちかし最上川芭蕉の作あり。リギウ利牛池田氏。十右衞門と稱す。江戶越後屋につとめ、野坡、孤屋の舍羅の荒二人と炭俵の撰者也。小田(元祿十二)に「一季半季の奉公のいかに〓〓いそがしき世にや」といひて、請狀の隙に一日花見かな利牛の句あれば、吳服屋の手代の忙しかりし日ごろを思ふべし。リセツ利雪中野氏。與兵衞と稱す。伊賀上野の人也。リヂユウ利重リトウ里東(リ) (2)近江膳所の人。リヤウエフ凉葉美濃大垣の人。芭蕉庵の會に、風流のまことを啼くや時鳥凉葉の歌仙及び凉葉亭の會に、芭蕉江戶に出でゝの出坐を見れば、深川のほとりに旅寓せるなるべし。リヤウボン良品友田氏。覺左衞門と稱す。伊賀上野の人、梢風尼の父也。元祿二年十一月、その家にて芭蕉出坐のいざ子供はしりかん玉霞芭蕉の句にて俳諧一順あり。ログワン呂丸圖師氏。佐吉と稱す。一に露丸、凋柏堂の號あり。出羽々黑山の〓士にて奥羽行脚の時蕉門に入りしが、後江戶に師を訪ひ、三日月日記の草稿を與へられ、喜びて上洛したるに病を得て、元祿六年二月二日發す。ロサウ路草伊勢山田の人。路草亭乙孝と號す。元祿五年芭蕉を引いて紙衣のぬるとも折らん雨の花芭蕉にて一順あり、一幅半(元祿十四)によるにその後深川の庵を訪へるに「折節の興、繪の事なご、さま〓〓うかみて、手にとる士峰の雪見よと、みづから河岸にあなひせられし」といふ。部七)者伊賀上(3) (2)三五
(20)ロツウ路通齊部氏。美濃の人。芭蕉行脚の道にて出逢ひ、歌才あるを以て門人とす。元祿二年江戶に來り深川の庵に近く借家したるも、貧窮にて店立をくひ、返店の文翌三年觀音の靈夢を草したり。により、俳諧勸進牒を著したるか、偶々芭蕉の意に逆へる事あり、三井寺定光坊の取傚しにて勘氣を許さる。享保年間大阪にて殁す。ロセキ芦夕美濃の人。ロホン芦本浦田氏。藤太夫と稱す。伊勢山田の人也。ロセン露沾內藤氏。名は義英、下野守に叙せられ、岩城平の藩主風虎子の嗣子なるが、若く隱居して俳諧にあそび、遊薗堂、傍池亭の號あり。檀林、蕉門の諸士を招き吟席を共にしつゝ、遂に一派を聞きたり。貞享四年の句錢別に時は秋吉野をこめし旅のつと露沾の歌仙あり。一流をなせるは元祿以後に屬する如し。享保十八年九月十四日歿す。年七十九。ロセン露川澤氏。市郞右衞門と稱す。家號な藤屋といひ、名古屋の珠數師也月空庵、霧山軒、鱠山子の號あり。伊賀友生の人にて許六の評に「師の國より出たる人にて風雅の手筋もよし」とあり北國及び西國を行脚し、支考と勢力を爭ひ、論難をまじへたり。寬保三年八月二十三日歿す。年八十二。ロリツ露笠ロチヤウ魯町向井氏。名は成元、字を叔明と元升の第三子、去來の弟いった。也し延寶七年長崎の聖堂祭酒となり、貞享二年唐船の邪〓の書を舶載せるを檢し、これを押收して官俸を受く。享保十二年二月九日歿す。年七十二。ロテイ鷺汀尾張鳴海の人。計四百三十三人但、別名を除く。(傳列者作集部七)伊勢山下野守に叙俳旬索引
臘發炭續猿職炭猿〓猿〓〓嚙あかつきをむづかしさうに啼蛙靑柳にもたれて通す車かな靑柳の泥にしたるゝ汐干哉靑柳のしだれくゝれや馬の曲靑柳のしだれや鯉の住處靑海苔は何ほどもとれ沖の石靑雲や舟ながし遺る時鳥靑くさき匂ひもゆかしけしの花靑くともとくさは冬の見物哉靑草は湯入ながめんあつさ哉靑海や羽白黑鴨赤がしらあゝたつたひとり立たる冬の宿發炭職炭猿〓〓嚙(1) (あ)七部集俳句索引越素芭九一傘素嵐文巴忠荷人秋蕉節空六〇二三八·····三三六啖下······一二七龍······二七八鱗山八五······一九九蘭······一九一知······分······一〇八空六〇二三八···二一四八五八七炭曠續續猿續炭猿猿噸噸嚴炭炭藏炭續春秋風やとても薄は動くはず秋風や田の上山のくぼみより秋風やしら木の弓に弦はらん秋風に申かねたる別れかな秋風に蝶やあぶなき池の上依赤味噌の口を明けり梅の花曉の釣瓶にあがるつばきかな曉の目をさまさせよ蓮の花曉の雹をさそふや子規曉の夏陰茶屋の遲きかな子尙野游去荷乙其昌嚴炭續春秋の暮いよ〓〓かるくなる身哉秋の雨晴て瓜よぶ人もなし秋空や日和くるはす柿の色秋立や中に吹るゝ雲の峯秋風や蓮をちからに花ひとつ秋風や二番烟草のねさせ時秋風や茄子の數のあらはるゝ荷野洒左游子不知讀人···二〇一木分······二九一堂······三六七次······三六二刀······三六五水白······二八九尹九四···二〇三昌分······二九一堂······三六七來水白······二八九尹白兮州角······二八二·····三四七水······一〇六々······二九二刀······二六九圭九四···二〇三西口七天ニ(引索旬俳)
瓢曠曠(大)炭嚴春〓猿(炭)芦の穗や顏撫上る夢ごゝろ炭(炭)芦の穗に箸うつ方や客の膳卷斷炭啜猿畦道や苗代時の角大師畦道に乘物すゑる稻葉かな汗出して谷に突こむ氷室哉明日といふ花見の宵のくらさ哉足もともしらけて寒し冬の月足のべて姫百合折らす晝寐哉足跡に櫻を曲る庵ふたつ芦の穂やまねく哀よりちるあはれ芦原や鷺の寐ぬ夜を秋の風朝めしの湯を片膝や庭の花朝日二分柳の動く匂ひ哉麻の露皆こぼれけり馬の路麻の種每年踏る桃の花朝寐する人のさはりや鉢たゝき朝露や欝金畠のあきの風(15)曠續讀炭春曠續職續鹽續猿春續噴炭顎上ゲ土にいつの種とて麥一穗曉の目をさまさせよ蓮の花曙の人顏牡丹霞にひらきけり曙や伽藍〓〓雪見舞明ぼのや稻妻戻る雲の端あけぼのや鶯とまるはね釣瓶明ぼのは橘くらし旅すがた曙は春の初めやどうぶくら明る夜のほのかに嬉しよめが君灰汁桶の雫やみけりきり〓〓す秋ひとり琴柱はづれて寐ぬ夜哉秋の夜や夢と鼾ときりぐ〓す秋の夜やおびゆる時に起さるゝ秋の空尾上の杉に離れたり秋の暮鵜川〓〓の火ぶりかな朝朝顏をその子にやるなくらふもの風や薰姫の團もち(あ)正鷺冬〓我此杜路山丈去孤荷李利文凡荷乙玄乙杜荷土一我野其凡荷水胡其含汀秀······一七四松口眉橋國通川草······二八八來······二八八屋······二七三なって晨牛······二七四瀾······一二二兆······二〇一七七八七······二七三·····二九五七〇〓八二····二〇一三占州桐峯兆州寮鷗······三六四芳······三六六水角」七兮············三六二老······二八二三國······兮······一二二奏三八九吾···三四五·····二三〇兮······三及······一三三角······二九九九九咕······續猿(曠)職職續猿曠職續續〓續卷曠炭漿三粟がらの小家作らん松の中哀さや盲麻刈る露の玉あはれなり燈籠一つに主コ齋哀なる落葉に燒や嶋さよりあの雲は稻妻をまつたより哉穴熊の出ては引込時雨かなあながちに鵜とせりあはぬかもめ哉尙白······一九七跡や先氣のつく野邊のほとゝぎす跡の方と寐直す夜の神樂かな暑き日や扇をかざす手のほそり味ひや櫻の花によめがはぎあたらしき釣瓶にかゝる葱かなあたらしき翠簾まだ寒し梅の花 万あたらしき茶袋一つ冬籠あた花の小瓜と見ゆるちぎり哉あたなりと花に五戒の櫻かなあそぶともゆくともしらぬ燕かな團槐コ荷芭爲重野印車ト荷荷其去友······三七〇市······一九八蕉齋······一五五兮······二一有······三七二五······水菅來······三三八枝······〓〓〓なって兮······一一四角······二七三來······七豐······一二六···三五三八五···三三五〓〓續鹽續曠續(炭)炭強猿順猿春鹽續續〓續朝露の花透通す桔梗哉あさ露のぎばう折けむつくもがみ朝露によごれて凉し瓜の土あさ漬の大根あらふ月夜哉朝こみや月雪薄き酒の味朝顏や畫は錠おろす門の垣朝がほや日傭出て行跡の垣あさがほやひくみの水に殘る月蕣やぬかごの蔓のほとかれず蕣や垣ほのまゝのじだらくさ朝顏は鶴眠る間のさかりかな朝顏は末一りんに成にけり朝顏は酒盛しらぬさかり哉蕣の這てしたるゝ柳哉朝顏の莟かぞへん薄月夜朝顏の白きは露も見えぬ也朝顏にしほれし人や髮帽子柳舟芭俊其芭利胡及舟闇荷其文風芭田上尼······三六四似指一梅······三六二泉蕉······三四九角色蕉、及ん饒蕉、兮······角······三六四合······二八七肩〓麥······二〇二泉九五八五···三七九···二八六七···二〇二兵〓六六···三六四兵(引索句俳) (引索句俳)
強職曠ふ驗曠廢猿(え) (猿)筏士の見かへる跡や鴛の中獲續いざゆかん雪見にころぶ所まで池に鵞なし假名書習ふ柳陰何日とも見さだめがたや宵の月いく春も竹その儘に見ゆるかな幾人か時雨かけぬく勢田の橋いくすべり骨をる岸の蛙哉いく落葉それ程袖もほころびす生身魂疊の上に杖つかん伊賀大和重る山や雪の花いかのぼり爰にもすむや潦(6)いかに見よと難面牛をうつ霰(1) (1) (五) (16)續曠獲沫雪や雨に追るゝ春の笠沫雪のとゞかぬうちに消にけりあれきけと時雨來る夜の鐘の聲順曠(以春(炭) (炭)曠職猿(炭)〓(炭)噸驗猿續續雨の月とこともなしの薄明雨の暮傘のぐるりに啼蚊哉雨乞の雨氣こはがる借着哉行灯の煤けぞ寒き雪のくれ行灯を月の夜にせん時鳥行灯をしひてとらする凉かな銀河見習海士の家聖呼こむ彌生かな海士の家は小海老にまじるいとゞ哉芭蕉······二〇四扇屋の暖簾白し衣かへあふのきに寐て見ん野邊の雲雀哉近江路やすがひに立る鹿の長あぶなしや今起てきく時鳥粟ぬかや庭にかたよる今朝の秋あひ〓〓に松なき門もおもしろや粟稗とめでたく成りね初月夜粟の穗を見上る時や鳴鶉(あ)ふ頃や月のそら越二丈越嵐探鶴千利除土傘柳半支露人芝風川人牛芳······二八八水、聲·····閣······一九九風······下殘······二〇五考······三六五草······二八三雪子豐充〓···二七八···二八一只····工七七空四四吾······三六二芭素一重丈去荷亀配園羽木風鼠其蕉堂泉五草來兮洞力風笠節······一八四只无四八····一二六···一七九空···一〇八······一二七···三七九······二一七七麥、彈〓角色···三四三···一六六···一七九曠嘶續職猿續續炭曠(〓)曠顎續〓續續〓五いそがしき野鍛冶をしらぬ柳哉いそがしき中に聞けり蜀魂いそがしき中をぬけたる凉み哉伊勢浦や御木引休む今朝の春石山や行かではたせし秋の風石ぶしや裏門明て夕すゞみ石に置て香炉をぬらす時雨哉石臺を終に根こぎや唐辛子石釣てつぼみたる梅折しけり石切の音も聞けり秋の暮石籠に施餓鬼の棚のくづれ哉石臼の破てをかしや石蕗の花いさみ立鷹引居る嵐かな十六夜もまだ更科の郡かな十六夜はわづかに闇のはじめ哉いざよひは闇の間もなし蕎麥の花いさのぼれ嵯峨の鮎くひに都鳥荷釣游亀羽牡野野玄傘文胡里芭芭猿貞續猿續猿猿炭廣炭續續猿續續猿〓鹽贖あれ〓〓て末は海行野分哉ある僧の嫌ひし花の都かなあるとなきと二本さしけりけしの花智月······三八七有明のはつ〓〓に咲く遲ざくら有明のおもておこすやほとゝぎす有明となれば度々しぐれかなあらけなや風車賣花の時改て酒に名のつく暑かなあら鷹の壁にちかづく夜寒哉あら猫のかけ出す軒や冬の月あら磯やはしり馴たる友千鳥鮎の子の白魚送る別れ哉鮎の子のこゝろすさまじ瀧の音あやまりてぎゞうおさへる蝙哉あやめさす軒さへ餘所のついで哉雨の夜は下ばかり行螢かなあめつちのはなしとだゆる時雨哉猿凡史其許薄利畦丈去芭土嵐荷含湖咕雖······三六六兆······二二一邦······二二〇角······一八九六〓芝······牛一草······三七八蕉······三八八芳······三三七蘭······二〇七分······一〇九春·······二九四四二····二八四止······三七〇來······一八三充全兮雪刀洞紅年萩坡察及、下里〓、蕉······一〇三雖室······一〇三圃······三一九蕉·····三六一六〇四三·····三五二吾二四五·····三五一·三七二···二九一至五光···一二〇八四······三六一(引索旬俳) (引索句俳)
猿猿(炭)猿曠臟護炭(炭)猿續續臟猿續噸續芋喰の腹へらしけり初時雨今は世をたのむけしきや冬の蜂庵の夜もみじかく成ぬすこしづゝ家こぼつ木立も寒し後の月(1)入相のひゞきの中やほとゝぎす入相の梅に鳴り込ひゞきかないま來たといはぬばかりの燕哉家は皆杖に白髪の墓參り家買てことし見初る月夜哉家々やかたちいやしき煤拂ひ茨ゆふ垣もしまらぬ暑さかな茨はら咲添ふものも鬼あざみいはけなや屠蘇なめ初る人次第井の末に淺〓〓〓しかきつばた井の水のあたゝかになる寒さ哉藺の花や泥によごるゝ宵の雨藺の花にひた〓〓水の濁りかな(16)令猿斷猿(英噸續猿猿(土) (英猿續猿(〓)曠猿炭いつたきて蕗の葉にもるおぶくぞも里東······二四二いつこけし廂起せば冬つばきいづくにかたふれ臥とも萩の原五日まで水澄かぬるあやめ哉いちはつはをとこなるらん杜若一日は花見のあてや旦那寺一夏入る山さばかりや旅寐好一月は我に米かせ鉢たゝき一方は梅さく桃の繼木かな市中や木の葉もおちず不二風市中はものゝ匂ひや夏の月無花果や廣葉にむかふ夕凉一戶や衣もやぶるゝ駒むかへいたゞける柴をおろせば霰哉いそがしや野分の空の夜這星いそがしや沖の時雨の眞帆片帆いそがしき春を雀のかき袴(1) (4)亀曾桃一沾魯丈越桃凡惟去宗一去洒隣來······一八〇來堂······二六八人兆え草一笑······公洞······良······二〇四隣······二七九老井ニ圃·三三四町······二四四···一八七九九〓···二二七然······三五一·····二〇七八六스羽風〓旦長嵐芭其荷祐素荒荷半李鈍此麥蕉紅······一八九之雪·ナ藁······角······二八五兮······二八五甫······一八七雀······三三八覽······三五三殘······一九一筋······三四九······二一口······二九三〓齒交······三八五なつ兮······下···三八三七二可······猿猿續續炭猿續炭續うき我を淋しがらせよ閑古鳥うき友にかまれて猫の空ながめうき戀にたえでや猫の盜喰うか〓〓と海月に交るなまこ哉うか〓〓と來ては花見の留守居哉魚のかけ鵜のやるせなき氷かな魚あぶる幸もあれ澁うちは魚店や莚うち上て冬の月植竹に河風寒し道の端七瓢贈罐曠續いろ〓〓の名もむつかしや春の草いろ〓〓のかたちをかしや月の雲煎つけて砂路あつし原の馬入月に今しばし行とまりかな入海や碇の筌になく衛猿炭猿猿猿續續曠籠獲鹽曠猿猿猿猿演猪に吹かへさるゝともしかな猪の牙にもけたる茄子かないね〓〓と人にいはれつ年のくれ稻の花これを佛の土產哉稻かつぐ母に出迎ふうなゐ哉いなづまや闇の方行五位の聲稻妻や雲にへりとる海の上稻妻やきのふは東けふは西稻妻や顏の所が薄の穗稻妻や浮世をめぐる鈴鹿山稻妻にはしり付たる別れかな稻妻に大佛をがむ野中哉田舍間の薄べり寒し菊の宿いとゆふに顏引のばせ作り獨活糸遊のいとあそぶ也虛木立いつ迄か雪にまぶれて鳴ちどりいつの月もあとを忘れて哀也六(う)芭去支車丈探馬里土珎湍史立闇正爲路智凡芭宗其芭越釣荷尙配氷千荷來蕉······一九〇考······三三九庸······三七七寛······三五六來······二九五芳······三八三草······二七二丸······一八五······二一四寮磧······一六四指一水、atom野じ·三八九·····一〇七三七固······二一五那······一八三カ······二一六兮······比······三六六角白······二〇八秀······一九二月兆······二〇八蕉······三六六有······二八三通······一八八······二四五七蕉······三七一人······三八八爭······一〇六兮······一二〇異(引索旬俳) (引索句俳)
聊續職噸曠曠贖炭續職曠炭曠職職猿續うで首に蜂の巢かくる仁王哉埋火や壁には客のかげぼうし埋火もきゆや泪の烹るおとうつかりと春の心ぞほとゝぎすうつかりとうつぶき居たり時鳥美しく人に見らるゝ〓かな美しき鯲うきけり春の水うちむれて若菜摘野に脛かゆし打こぼす小豆も市の師走哉打をりて何ぞにしたき氷柱哉うち明てほどこす米ぞ虫臭き團歌かるたにくき人かなほとゝぎす歌か否連歌にあらずにし肴(う)賣侍町のあつさ哉うたゝ寐に炬燵消たる別れかな薄氷やわづかに咲る芹の花薄雪や梅の際まで下駄の跡〓猿曠贖炭曠炭曠猿曠炭續職續〓續炭鶯 の鶯の啼や餌ひろふ片手にも鶯も水あびて來よ神の梅雪踏落す垣穗かな鶯の啼そこなへるあらし哉うぐひすの一聲も念を入にけり鶯の聲に脫だる頭巾かな鶯の聲に起行雀 か鶯の聲聞まゐれ鶯の笠落したる椿かな鶯に水汲こぼすあしたかな鶯にほうと息する朝かな鶯に橘見する羽ぶきかな鶯になじみもなきや新屋敷鶯に長刀かゝる承塵かな鶯にちひさき藪も捨られじ鶯に手もと休めんながしもとうぐひすに藥をしへん聲の文()年な男松芭芭市李長舟仙正夜荷怒智文嵐其魚亀-若去利市桃昌芭梅嵐土夢其-智其杖芳······一一七蕉蕉山桃虹泉舟秀······三八二兮鱗風······二八三月簑角日三六·····一一六四五四五a00···一三五二八元尖九〓四四五·一一三·二一三······三三五桐風來隣蕉洞······一二四牛柳勝角芳······三四五笑、爭······二七〇々舌·エ·····二一三五六要···二七一五六···二七〇五四··二一九〓五六三六五六月······三三六角······二七〇曠炭猿炭曠職春(春)春猿猿猿曠炭炭炭炭梅折てあたり見廻す野中かな海山の鳥鳴立る雪吹かな海山に五月雨そふや一くらみ海へふる霓や雲に波のおと馬屋より雪舟引出す朝かな馬と馬呼りあひけりほとゝぎす馬替ておくれたりけり夏の月馬はぬれ牛は夕日の村しぐれ馬をさへながむる雪のあした哉馬士の謂次第也さつき雨馬かりて竹田の里や行しぐれ上行と下來る雲や秋の天鵜のづらに筋こぼれて憐也夘の花やくらき柳の及越しうの花の絕間たゝかん闇の門うの花に扣ありくやかづらかけ卯の花に芦毛の馬の夜明哉九猿職猿贖續續曠曠續猿猿續續炭猿炭猿鷽の聲聞初てより山路哉薄ぐもり氣だかく花の林かな薄壁の一重は何かとしの宿牛もなし鳥羽のあたりの五月雨牛の行道は枯野のはじめ哉後屋の塀にすれたり村紅葉うしろより見られぬ岨のさくら哉うごくとも見えで畑うつ麓哉鶯や柳のうしろ藪の前鶯や窓に灸をすゑながら鶯やはや一聲のしたりがほ鶯や野は塀越の風呂上り鶯や雜煑過ての里つゞき鶯や竹の子藪に老を鳴鶯や下駄の齒につく小田の土鶯や門はたま〓〓豆腐賣うぐひすや遠路ながら禮かへし其式信去桃北冬去芭魚溪史尙芭凡野乙凡其一鈍聽杜芭史乙凡荷芭去支許式信去髪州兆······二四二國蕉州角······二九七井······nu雪那兆······二〇八蕉來······二七七兮·····六······二七七考······二七七〓···二九六八七圖壹〓云一番······一八〇七二···二七七之來蕉邦蕉醉······三七六松坡······二七〇兆德······鯤來日·····二二三四〇·····一八七髮······一〇三·····三六七六二六〓······二一三石······二一三······三三六白······三四四·····二七七······二一三角······二一三(引索句俳) (引索句俳)
猿續續續續猿順續續起〓〓の心うごかすかきつばた起しせし人は迯けり蕎麥の花翁草二百十日も恙なし沖西の朝日くり出す時雨哉拜む氣もなくて尊や今日の月尾頭のこゝろもとなき生海鼠哉をかしげにほめて詠る月夜かな老の身は今宵の月も內でみん老の名のありともしらで四十雀(え-ゑ) (お-を)續曠猿曠(炭)炭額炭(英猿猿猿猿猿炭(英)炭梅一木つれ〓草の姿かな梅むきや笊かたむく日の面うめの花もの氣にいらぬけしき哉うめの木や此一筋を蕗のたう梅の木になほやどり木や梅の花梅ちるや糸の光の日の匂ひ梅さくらふた月斗別れけり梅さくら中をたるまず桃の花うめ咲や曰の挽木のよき曲り梅咲て湯殿の崩れ直しけり梅咲て人の怒の悔もあり梅が香や分入里は牛の角梅が香や山路獵入る犬のまね梅が香や砂利敷流す谷の奧梅が香や酒の通ひのあたらしき梅が香の筋に立よる初日かな梅が香にのつと日の出る山路かな(う) (え) (猿)襟卷に首引入て冬の月續續嗽續籠莚道は年の霞の立所かな繪馬見る人の後のさくら哉話男椽に寐る情や梅に小豆粥ゑぼし子やなど白菊の玉牡丹えびす講鶩も鴨に成にけり(お-を)仙車蔦沾山去一重芭杉百支玄濁利露重越其芭土利水曲利露句去土蟬支芭沾鼠牛來······二一〇芳······二一〇蕉······二四九芳翠考······二六八空······二一〇沾翠人角牛······二七六鷗······三四一蕉·········三五六······二一〇······二六九······二六八······二六九·····二一〇······二一〇二六八至兵化······一九一席圃來重·······三六九蜂蜜蕉髪八十友······三五九······三六八:······三六五11/4三五九三四五風······一八四歲考寮······三四四子······三六九合······三九〇三五三七七(猿)浦風や巴をくづすむら衛卷曠續續曠炭獲猿うれしさは葉がくれ梅のひとつ哉嬉しさや寐入らぬ先のほとゝぎすうるしせぬ琴や作らぬ菊の友賣石やとつてもいなず年の暮うら白もはみちる神の馬屋哉浦風やむらがる蠅の離れ際うらやまし思ひきる時猫の戀梅若菜まりこの宿のとろゝ汁二〇驗炭炭啜職曠炭曠炭曠鹽猿猿續順曠曠斧の音や蝙蝠出る秋のくれト鬼の子に餅を居るも雛かな踊るべき程には醉て盆の月おどろくや門もてありく施餓鬼棚男くさき羽織を星の手向かな落葉かく身はつぶねともならばやな越人······二落栗や谷にながるゝ蟹の甲落着に荷兮の文や天津雁おちつきは魚屋まかせや櫻がりおそろしやきぬ〓〓のころ鉢たゝき昌碧をさな子やひとり飯くふ秋の暮御子良子の一もとゆかし梅の花桶の輪やきれて鳴やむきりぎりす桶の輪のひとつ新らし年の暮奧山は霰にへるか岩の角おくられつおくりつ果は木曾の秋置露や小町が骨の見事さよ一如李荷杏祐其利尙芭昌猿湍芭釣枝·····行由······二八六兮雨丁甫······二八九牛蕉角······一四八白······二六原ノ水充·····二七四·····三〇兵······二七四···一一三······二一一二三五雖······三八二···一〇〇112藝三雪······一五五續春(大) (〓) (炭)夷講酢賣に袴着せにけり榎木まで櫻の遲き詠めかな江の船や曲突にとまる雪の鷺ヘツイ枝ながらむし賣に行蜀漆かな枝長く伐らぬ習を椿かなクサキ(え-ゑ)芭荷素含湖杜杏素草胡岱曾越芭人······二一四蕉······二三四國雨堂士及水良······一八三量圖···三七四······三八一〓·····二七九蕉······三七六兮······龍······二九六呫······春······二七一三次(引索句俳) (引索句俳)
曠曠籠續炭曠驗曠續曠猿續續續職順おろしおく鐘しづかなる霰かな折時になりて迯けり花の枝折〓〓や雨戶にさはる荻の聲居りよさに河原鶸來る小菜畑折かへるさくらふゞくや臺所折かけの火をとる虫のかなしさよ親も子も同じ飮人や桃の酒おも痩て葵付たる髪薄し澤潟や道付かへる雨のあとおもふ事ながれて通る〓水かなおもふ事紙帳にかけと送りけりおもひなし木の葉ちる夜や星の數思ひかねその里たける野猫かな思はずの雪見や日枝の前後おもはずの人に逢けり夕凉みおもしろや理窟ばなしに花の雲所猿猿續曠續猿炭(火)炭廠炭發續曠續續大粒な雨にこたへしけしの花大坂や見ぬ世の夏の五十年狼のあと踏消すや濱ちどり狼を送りかへすか鉢たゝき朧夜やながくてしろき藤の花朧夜を白酒賣の名殘かな朧とは松の黑さに月夜かな朧月まだはなされぬ頭巾哉朧月一足づゝもわかれかな御火燒のもりものとるな村がらす覺えなくあたまぞさがる神の梅帶程に川のながるゝ汐干かな負し子の口まねするや時鳥追かけて電にころぶ千鳥哉Ice追れてや脇にはづるゝ鬼の面姨捨を闇にのぼるやけふの月おのづから草のしなへを野分哉(お-を) (を(か)勝鷗雪支孤探傘荷野荷野沾巳丈如越東蟬史沾兼支其仙去智舟沾松蔦荷沾圃花泉燕······三六六考來年十兮······圃······三六一巡吟邦圃正角德······二七四下月······二九六交···一九三全三〇六五······三四四······二一三·····二七〇······二六九······一二四四三···三七七九二吉·····步·····芝······三六三丸分け兮考······三六八屋······二七四T童······三五六德風会四二···一二〇六五九···一九九徑······二四二·····三七五···三三九百三···三七九草七三四人·····炭職猿駿曠猿曠嗾炭猿炭驗盛猿柿寺に麥穗いやしや作とり垣越に引導覗くばせを哉垣ごしにとらへて放す柳哉柿の木のいたり過たる若葉哉杜若生ん繪書の來る日かなかゝる夜の月も見にけり野邊送り〓火に藤のすゝけぬ鵜舟かな蚊をころすうちに夜明る旅寐哉庚申やことに火燵のある座敷笄も櫛もむかしやちり椿紅梅は娘すまする妻戶哉講釋の眠りにつかふ扇かな蝙蝠にみだるゝ月の柳かな海棠の花は滿たり夜の月三三穣(通)〓〓斷續〓續續鹽贖猿猿广州(炭)猿續おもしろう松かさもえよ薄月夜おもしろうさらしさばくる鵜繩哉おもしろうてやがてかなしき鵜舟哉芭蕉おもしろと鰯引けり盆の月溫石のあかるゝ夜半や初ざくら女出て鶴たつあとの若菜かなをみなへし鵜坂の杖にたゝかれな女郞花ねびぬ馬骨の姿かなをみなへししでの里人それたのむ貧て來る母おろしけりねはん像大峯やよしのゝ奧の花の果大比叡やはこぶ野菜の露しげし大服は去年の靑葉の匂ひかな大原やてふの出て舞朧月大としや手のおかれたる人ごゝろ大年や親子俵のさし荷ひ野丈羽土貞含露小馬濁自鼠曾防万乎······三八一草彈川紅······一八沾悅と良童······二〇二芳覚······室······春·····子·咕············二〇五七〇七二九九······三三二五五六三··三六二···一一五···一一七···二二一五三·····二七〇か〓ト遠越釣去亀昌殘羽杉釣荷普枝······三一口······二七八水······二一四紅風人······雪、洞來······二〇七船光九七窒碧······一〇六香······二九七······二一九···二六九九七雪······今す六〇三···一一七(引索句俳) (引索句俳)
發曠續猿曠續曠續曠續猿續(炭)柿のなる本を子供の寄所曠猿炭續陽炎や巖に腰のかけぢから陽炎と共にちらつく小鮎哉野馬に子供遊ばす狐かな影ふた夜たらぬほど見る月夜哉賭にして降出されけりさくら狩掻よする馬糞にまじる霰哉柿の袈裟ゆすり直すや花の中柿の名の五助と共に月見哉柿の葉に燒味噌盛らん薄箸柿ぬしや梢はちかきあらし山柿包む日和もなしやむら時雨かげろふの夕日にいたきつぶりかな舟泉······かけろふの抱つけばわがころもかな越人······かけ法師たぶさ見送る朝月夜かくれ家やよめ菜の中に殘る菊かくぶつや腹を並らべて降霰(か)配圃凡卓杉支嵐柮林北利如宗去露枝牛波來······二〇八水······三三七兆考候······三七八風斧······眞······三六〇川······三七二力······三四三雪子袋······二〇六〓〓···二一五四七···三三三···一一〇八六·····二七三······二八九···三七〇續炭曠續炭曠曠曠續猿續猿籠(炭續曠噴搗栗や餅にやはらぐ其しめり刀さす供もつれたし今朝の春かたびらは淺黃着て行〓水哉帷子のねがひはやすし錢五百帷子の下ぬぎ懸る袷かなかたびらのちゞむや秋の夕げしき肩付はいくよになりぬ長閑也肩衣は綟子にてゆるせ老の夏かたばみや照かたまりし庭の隅蝸牛角ふりわけよ須磨明石蝸牛角引藤のそよぎ哉蝸牛打かぶせたるつばきかな片壁や雪降かゝるすさ俵片岡の萩や刈ほす稻の端風吹に舞の出來たる小蝶かな風ふかぬ日はわがなりの柳哉風の吹かたを後のやなぎかな沾正尙支素方冬杉野芭水圃猿重校野坂上氏······二一九圃秀アニ白·····若い龍······二八〇生······文······三六萩······三五二奪、鷗······三五六風······一〇吟······三七九雖······二八八遊行······三四〇水······三四六···二六八古云共三一층五九護(天曠曠續(一八、曠續春炭春猿曠曠)川原迄瘧まぎれに御祓かな續)川上と此川下や月の友曠曠)一五川淀や泡をやすむる芦の角川中の根木によころぶ凉みかな川舟や手をのべてつむつくぐ〓し狩野桶に鹿をなづけよ秋の山かなぐりて蔦さへ霜の汐木哉かなしさや麻木の箸もおとな並かなしさの胸に折こむ枯野哉門あかで梅の瑞籬をがみけり門松をうりて蛤一荷ひ門砂やまきて師走の洗ひ髪門は松芍藥園の雪寒しかつらぎの神はいづれぞ夜の雛かつこ鳥板屋の脊戶の一里塜がつくりとぬけ初る齒や秋の風かつらぎの神にはふとき庭火哉續猿曠曠春猿曠猿曠曠猿續猿猿猿猿職風毎に長くらべけり蔦かつら霞より見え來る雲のかしら哉橿の木の花にかまはぬすがた哉かさなるや雪のある山只の山傘張の睡り胡蝶のやどり哉笠嶋やいづこ五月のぬかり道笠を着てみな〓〓蓮に暮にけり笠あふつ柱凉しや風の色かざりにと誰が思ひだすたわら物かざり木にならで年ふる柏かな鵲の橋よりこぼす霰かな籠の目や潮こぼるるはつ鰹陽炎やほろ〓〓落る岸の砂陽炎やとりつき兼る雪のうへかけろふや柴胡の原の薄曇かげろふや土もこなさぬあらおこし百歲······二一五かげろふや馬の眼のとろ〓〓と荷芭杉石芭加重芭古史冬一示葉土傘下······芳舊、梵邦号蕉······二一六舊文、拾······三五五下······三六四晶······蜂口······二一八生······五······豐〓三···一九四七四·二四三〓五一五······二一五·····二一五毛四猿芭冬荷芭荷千惟呂重内里舟其越杉村蕉文蕉兮閣雖······三三八丸然人······分······一〇七五······習······東······三八一皇角······二七四·····二八一五九····一二五···三六一全三八五··二九六三三八九흥量風······二〇一俊······一二六(引索句俳) (引索句俳)
曠曠炭(大曠卷續ふ續獲猿かれ朶に烏のとまりけり秋の暮枯色は麥ばかり見る夏野哉かる〓〓と笹のうへ行月夜哉刈草の馬屋に光る螢かな刈蕎麥の跡の霜ふむすゞめ哉刈込し麥の匂ひや宿の内かり家をむさぼる菊の垣穗哉雁きゝて又一寐入する夜哉雁がねもしづかに聞ばからびすや雁がねにゆらつく浦の営屋哉借りかけし菴の噂や今日の菊雁くはぬこゝろ佛にならはぬぞからながら師走の市にうるさゞえ雀の字や揃うて渡る鳥の聲カラ輕尻の蒲團ばかりや冬の旅から尻の馬に見て行千鳥かなから鮭も空也の痩も寒の内(カ) (き) (一八、瓢曠猿曠炭猿續續送續〓猿春曠曠春蟷螂の腹を冷すか石の上カマキリ寒菊や粉糠のかゝる臼の端亀の甲烹らるゝ時は鳴もせず上下のさはらぬやうに神の梅神迎へ水口たちが馬の鈴神垣やおもひもかけず涅槃像神送り荒たる宵の土大根髮剃や一夜に金精て五月雨髮剃は降來雪か比良の嶽蟷螂にくんで落たるぬかご哉顏に似ぬ發句も出よ初櫻かへるさや酒のみによる秋の里歸り花それにも敷ん莚きれ瓦ふく家も面白や秋の月かはらけの手ぎは見せばや菊の花河骨に水のわれ行流れ哉蛙のみ聞てゆゝしき寐覺哉か芭生梅-桐利曉雨越馬丈荷越馬暮傘芭芭乙昌珍芭洒凡陽蔦爲芭舟其野其芙野蕉林髮上舌II奚······二九三牛······二七九麗······一〇桐······人寛······草······三六九兮······三一人······寛······三一六年······一八四下······一〇八蕉······一八六大六七四五六九三五三五三五五究蕉堂有一蕉······三三二角······一八〇角水、水······蕉······二九六碧······碩水州······一七〇ニ··一八二···一一七···二九四兆······一九四和······三七九雫······三六五···二八七九五泉······三五스七四〓曠曠續續續猿炭曠曠菊の名は忘れたれども植にけり菊の露凋る人や鬢帽子菊の氣味ふかき境や藪の中菊刈や冬たく新のおき處菊の香や庭に切たる履の底菊を切あとまばらにもなかりけり聞までは二階にねたり子規聞しらぬ哥も妙なり神々樂聞をればたゝくでもなき水鷄哉セン一曠曠續續曠炭かわく時〓水見付る山邊かな枯芝や若葉たづねて行胡蝶枯はてゝ露にはぢずや女郞花枯のぼる葉は物うしや鷄頭花枯柴に畫顏あつし足の豆かれ芝やまだかけろふの一二寸噸(曠)炭春曠曠春續曠職曠卷曠歐ふ猿鮪カンバセ萱草は隨分暑き花の色蚊屋臭き寐覺うつゝや時鳥蚊ひとつに寐られぬ夜半ぞ春の暮蚊のむれて栂の一木の曇りけり蚊の瘦て鎧のうへにとまりけり鴨の巢の見えたりあるはかくれたり路通······顏や寒聲や山伏村の長つゞみ唐崎やとまり合せて初しぐれから崎の松は花よりおぼろにて傘に押分見たるやなぎ哉傘をたゝまで螢見る夜かな傘に齒朶かゝりけりえ方棚かや原の中を出かぬる胡蝶哉蚊遣り火の煙にそるゝ螢かな蚊遣火に寐所せまく成にけり蚊屋出て寐顏また見る別れかな葎の中の花うつぎ一六隨芭芭舟タ炊荷許杏長一重小一怒仙蕉兮虹誰杖······三八三蕉道六髪笑······泉雨······春······玉五······友······一〇四·····一〇二···二七一三三五四查〓三五〇究····一二圖三六九七〇七二···二四三(き)生其桃杉芭其桃利野胡百杉万芭斜林······角······隣······三七三風······三八四蕉······三七三角······二〇八隣······二七八重······三六水층스さつ嶺及······一二三歲·····風······三七六平······三六三蕉、六三毛······二八〇(引索句俳) (引索句俳)
續猿續續炭猿(猿)くつさめのあと靜也夏の山猿春猿贖曠續續首の座は稻妻のする其時か首出して初雪見はや此会喰物も皆水くさし魂まつり喰物や門賣ありく冬の月喰つみや木曾の匂ひの檜もの沓音もしづかにかざすさくら哉唇に墨つく兒のすゞみかな草臥て宿かるころや藤の花具足着て顏のみ多し月見船楠も動くやう也蟬の聲草むらや百合は中〓〓花の顏草枕犬もしぐれか夜の聲草ばう〓〓からぬも荷ふ花野かな草の葉や足のをれたるきり〓〓すクサ(草の戶や暑を月にとりかへす草枯に手うつてたゝぬ鴨もあり續猿猿續炭續猿曠續續炭炭曠曠續金柑はまだ盛り也桃の花君が代やみがく事なき玉椿君が代や筑摩祭も鍋ひとつ君が手もまじるなるべし花芒きぼうしの傍に經よむいとゞかな碪ひとりよき染物の匂ひ哉きぬたうちて我にきかせよ坊がつま芭蕉······きぬ〓〓や余の事よりもほとゝぎす除風······一二三きぬ〓〓を霰見よとてもどりけりきつと來て鳴て去けり蟬の聲木つゝきにわたして明る水鷄哉きさらぎや廿四日の月の梅衣更着や大黑棚も梅の花衣更着のかさねや寒き蝶の羽氣相よき靑葉の麥の嵐哉菊畠客も圓坐をにじりけり菊畑奧ある霧のくもり哉き()介越越去可洒冬胡泥荷野惟仙馬杉華松······二三莫來4alr然風······二八八人故······三五四土······二四三南······三六四我······三四一人······一九二水······三三五堂······二九一······一二六·二〇三合···一二四···三四〇······二七五···三七三木竹嵐里岱野荷千芭野昌半芭任荷我利節······三八六圃······三七八水兮蕉戶······一八四雪······三八五蕉水那水碧殘兮峯ロ牛······三七六···二六八······二四二九〇···二〇〇···二二三三五〓一九さいら六九一三重猿炭炭曠曠曠炭續曠嘛猿(炭)蜘の巢のきれ行冬や小松原炭卷籠猿曠)蜘の巢の是も散行秋の庵曠蔵並ぶ裏は燕の通ひ道鞍壺に小坊主乘るや大根引くらがりや力がましきほとゝぎす闇きよりくらき人呼螢かなくらき夜に物陰見たり雪の隈悔いふ人のとぎれやきり〓〓す曇る日や野中の花の北面蛛の圍に春雨かゝる雫かな雲の峯腰かけ所たくむなり雲の峯今のは比叡に似た物か雲霞とこ迄行も同じ事雲折〓〓人を休むる月見かなクムシホ首出して岡の花見よ鮑とり杓汐にころび入べき生海鼠哉隈笹の廣葉うるはし餅粽嚱贖猿曠(き)嗽猿續猿續曠曠きり〓〓す燈臺消て啼にけり切かぶの若葉を見ればさくら哉霧はれよ姿を松に見えぬまで梧の葉やひとつかぶらん秋の風桐の木にうづら鳴なる塀の内きゆる時は水も消てはしる也狂句こがらしの身は竹齋に似たる哉芭蕉····兄弟のいろはあげけり花の時京筑紫去年の月とふ僧仲間京入や鳥羽の田植の歸る中客ぶりや居所かへる蟬のこゑ客あるじ共に蓮の蠅おはんす素不鼠圓芭路鼠丈卯探良解秋彈草.「七······三五〇雪······一九八品······三四九交、蕉、通······一〇九彈······七〓一〇六実···二〇四一四···二〇六猿曠曠草苅よそれが思ひか萩の露草刈の袖より出る螢かな草刈て菫撰出す童かな凡芭傘風二丈猿路斜奇野之野芭利岩荷李ト鷗兆蕉······二九四笛······水嶺坡草······二八七雖下······牛水道······二〇〇蕉通······一〇七雪······三七七翁······一九三兮·········二一六四四究〓···三三三·二九三天〓···二七六呈豐枝由步·······二〇三充登(引索句俳)
〓曠嗷炭嘛續敷(1)こがらしの落葉にやぶる小ゆびかな杜國······一一〇凩に二日の月のふきちるか凩に吹とられけり鷹の巾木がくれて茶摘も聞や杜宇子をひとり守て田を打孀かな聲每に獨活や野老や市の中聲あらば鮎も啼らん鵜飼舟(こ) (こ)荷杏芭快苔越雨兮······蕉·····蘇······三四四宜······一〇九人······公八五·二七八七二炭曠續卷續續續曠)けふになりて菊作らうとおもひけり兼好も莚織けり花ざかりけふの日やついでに洗ふ佛達けふ斗人もとしよれ初しぐれ多けふとても小松負らん牛の夢實にもとは請て寐冷の暑さ哉けし蒔と畑迄行ん月見哉けし畑や散しづまりて佛在世嵐荷芭聽正空乙二水···舊、書い兮······雪秀·····牙······三六〇州······三八七···二五二九〇八···三七一三·三五三(炭(曠暮猿續曠状(曠)灌佛の其頃〓し白かさね曠職續續春籲曠曠續曠灌佛の日に生れあふ鹿の子かな元朝や何となけれど遲ざくら元日や夜深き衣のうらおもて元日やまだ片なりの梅の花元日の木の間の競馬足ゆるし元日や置ところなき猫の五器元日は明すましたるかすみ哉觀音の尾上のさくら咲にけり黑ほこの松のそだちや若みどり黑みけり沖の時雨の行ところ淋暮いかに月の氣もなし海の果暮て行年のまうけや伊勢熊野くるしさも茶にはかつへぬ盆の旅車道雪なき冬のあしたかな來る秋は風斗でもなかりけりし花の後の鬼瓦() (i)芭尙路千猿重竹一俊土丈友荷去曾小北通川笑て枝······二九二白雖戶似······二八良······三八九蕉············一一九五、芳······三四三草······二九三五······兮······來······一八七春······ニ九五三四三重三〇員其實五一四〇四七究續猿曠續續(炭)風や盻しげき猫續曠猿續嘖炭續曠炭曠炭腰かけて中に凉しき階子かな小米花奈良のはづれや鍛冶が家心にもかゝらぬ市のきぬたかな心なき代官殿やほとゝぎすこ〓らかと覗く菖蒲の軒端哉木枯や藁まきちらす牛の角こがらしや頬腫いたむ人の顏木枯や背中ふかるゝ牛の聲こがらしや里の子覗く神興部屋こがらしや刈田の畔の鐵氣水凩や沖より寒き山のきれ凩や色にも見えず散もせずこがらしもしばし息つく小春哉凩の藪にとゞまる小家かなこがらしの松の葉かきとつれ立てこがらしの根にすがり付檜皮哉名二一の面曠春續曠炭曠續曠續曠)けし散て直に實を見る夕哉曠曠今朝は猶空はかり見る時雨哉今朝の春寂しからざる閑かなけさの春海は程あり麥の原今朝と起て繩ふしほとく柳哉整につゝみてぬくし鴨の足下々の下の客といはれん花の宿けうときは鷲の栖や雲の峰けうとさにすこし脇むく月夜かな鷄頭や雁の來る時猶赤し鷄頭の雪になるまで紅かな鷄頭のちる事しらぬ日數哉續讓灌佛やつゝじ並ぶる井戶の屋根灌佛や釋迦と提婆は從弟どしけ酒万曉去秋塵八芭風尙惟其智野殘舟桃李落冬雨鼠芭越祐昌芭市至曲之廳堂······三五一乎······三四三來······一九〇芳······生······三七六桑······二九三蕉······一八一斤·····白······三五然······三七六角······二九二月······三七六水······香······二九三泉······隣······二九三八〇充三七六九〓九五桐梧彈蕉、桃······蕉······三七七甫······二八三碧境······三六三松······人······山······一〇〇···三六三犬全〓三〇垂四三四翠道······三八五······三八四(引索旬俳) (引索句俳
炭續炭續〓續續曠(猿)此瘤はさるの持べき柳かな續猿猿春炭曠曠春この頃の垣の結目や初時雨この頃のおもはるゝ哉稻の秋此暮もまたくりかへしおなじ事柴の戶や鎻のさゝれて冬の月こねりをもへらして植し柳哉來ぬ殿を唐黍高し見おろさん五人扶持とりてしだるゝ柳哉異草に我かちがほや園の紫蘇ことぶきの名をつけて見ん宿の梅子供には先惣領や藏びらき火燵より寐に行時は夜半哉去年の巢の土ぬり直す燕かな去年の春ちひさかりしが芋頭腰の扇禮儀はかりの御山かな腰てらす元日里の睡りかなこねか) (こ)へす道も師走の市のさま〓炭)察猿猿(英續續癈猿穫炭炭衣着て又はなしけり一時雨ころもがへや白きは物に手のつかず路通······更衣十日はやくば花ざかりころもがへ刀もさして見たき哉更衣襟もをらずやだゞくさにこれは〓〓とばかり花の芳野山子や待んあまり雲雀の高あがり子や泣ん其子の母も蚊の喰ん紺菊も色に呼出す九日哉蒟蒻の名物とはん山ざくらこま鳥の音ぞ似合しき白銀屋駒鳥の眼のさやはづす高根哉氷ゐし添水またなる春の風小坊主や松にかくれて山ざくら竈馬や顏に飛つく袋棚こほろぎや箸で追やる膳の上昆布たしや花に氣のつく庫裏坊主(こ) (き)鼠野鼠傘貞杉嵐桃李長傘野其北孤利坡蘭······一九七室·枝······三六四彈······一二一彈 1下風······二一八隣······二八九虹······三三七下水奏二三突炎명里······三三三三三五〓角······二一九屋······二八七牛······二七四野土ト杉其曾湖荷野蔦昌蔦雪俊元一犀坡芳坡雫但し、廣宅春兮夕······風······二九七良······三八一碧無PL芝·····雪······一一九角······一八四·····三ヒ一·····二〇八······二一四···二七一三五ニ一二三五吾···三四六·三八三六四吾三續續猿春炭猿曠續顬續曠續曠猿炭春曠)此頃は小粒になりぬ五月雨小服綿に光をやとせ玉つばき小屏風に茶を挽かゝる寒さかな戀死なは我塚でなけ子規鯉の音水ほのくらく梅白し子は裸父はてゝれで早苗舟五羽六羽庵とりまはす閑古鳥海鼠膓の壺埋めたき氷室哉木の下に狸出迎ふ穗懸哉木のもとに汁も鱠も櫻かな木の芽たつ雀がくれやぬけ參り此月のえびすはこちにいます哉此中の古木はいづれ柿の花木の葉たく跡は淋しき圍炉裏哉この寒さ牡丹の花のまつ裸この頃は先挨拶も寒さかな此頃の氷ふみわる名殘哉シ趙嗽曠(英曠嗽續猿續炭癩炭續額續咲かゝる花や飯米五十石嵯峨迄は見事あゆみぬ花ざかり劣咲つ散つ隙なきけしの畠哉先舟の親もかまはぬ鵜舟かな崎風はすぐれて凉し五位の聲月額もしみるほど也梅の露酒部屋に琴の音せよ窓のはな雜炊のなどころならば多ごもり早乙女に結んでやらん笠の紐早乙女にかへてとりたる菜飯哉さうぶ入湯をもらひけり一盤さうぶ懸てみばやさつきの風の色才覺に隣のかゝや煤見舞細工にもならぬ桔梗の つぼみ哉五六十海老つひやして饅一つ(さ)き續角斜奧羽利元利買翁均松此一車示尙杜桃傘淳智荷雨惟其闇嵐荷洒馬隨之國州······一九〇山嶺······三八三笠······筋······三四八髪八、來······一八一牛トレ志······二四三水······三四四芳······三五峰······二九四白.上······三四一重······三〇三元公······三六八二六、公七〇룻首······三三三下······一一四兒······月)兮······一〇二桐······三四然······三三三指七二···二八一角······一八一···三五〇雪······二八二兮·····二〇堂······二七九寛······三八〇友······三六二道······三七〇(引索旬俳) (引索旬俳)
續續續(炭)籠籠曠積釀炭炭炭續炭續曠猿簑にもれたる霜の松露哉更級の月は二人に見られけりさよ姫のなまりも床しつまね花小夜千鳥庚申待の船屋形小夜時雨隣の臼は挽やみぬ山門に花もの〓〓し木のふとり三尺の鯉はぬるみゆ春の池寒けれど二人旅寐ぞたのもしき五月雨や柱芽を出す市の家五月雨や鷄とまるはね作り五月雨や隣へかける丸木橋五月雨や露の葉にもる商陸五月雨や傘につけたる小人形五月雨や踵よごれぬ磯づたひ五月雨や顏も枕もものゝ本さみたれや蠶煩ふ桑の畑五月雨は傘に音なきを雨間哉さい、(き) '느猿驗猿〓發〓炭敷續續續敷〓(炭)續曠(續)里坊に確きくやうめの花里は今夕飯時のあつさかな里人のわたり候かはしの霜里人の臍落したる田螺かな五月闇水鷄ではなし人の家さぞ砧孫六屋しき志津屋敷さし柳たゞ直なるもおもしろし笹の葉に枕付てや星むかへさゝげめし妹が垣根は荒にけり山茶花も落てや雪の散椿山茶花は元よりひらく歸り花鮭の簀の寒氣をほどく初日哉櫻見て行あたりたる乞食哉櫻咲里を眠りて通りけり櫻木や菰張まはす冬がまへ咲花をむづかしけなる老本哉咲にけりふべんな寺の紅牡丹(さ)沾荷史丈野一仙芭松釣素嵐其沾岱芭亀昌何宗嵐舟其一其心露車左梅タ支木-桐圓······三三坡龍分······邦······三六三草······蕉······一〇八芳の、死し雪蘭······二八一水一〇六三七七······二九四······三三四三四一〇六次···二八〇角······二七九圃······三五四······二八一蕉······三日間七〇洞······棘井······一一九泉角······二八房······三三五處······二四五因······一〇八推······二一七〓^角······第一五九··一三笠······三七五庸······三七五柳······三四六舌······一〇九楓······一〇五梁······二九三節······三三三續曠鴨嗽續續猿曠炭曠炭續鴫突は萱津のあまのうまご哉ジキ ドウしぐれねばまた松風の只おかず鴫突の行かげながき日あしかな鴫突の馬やり過す鳥羽田かな食堂に雀鳴なり夕しぐれじか燒や麥がらくべて柳鮠しがらきや茶山しに行夫婦連鹿笛の上手を盡すあはれさよ鹿のふむ跡や硯の躬恒形鹿の音に人の顏見る夕かな十五日立や睦月の古手賣自由さや月を追行置ごたつ二五續曠續炭曠(出)覽猿曠續鹽猿(〓職猿〓〓嗽續續五月雨の色や淀川大和川五月雨に柳きはまる汀かなさみだれに小鮒を握る子供哉五月雨にかくれぬものやせたの橋五月雨に家ふり捨てなめくじりさま〓〓の過しを思ふとしの暮さまたげる道もにくまじ疇の稻さは姫やふかいの面いかならん棹鹿のかさなり臥る枯野かな棹のうたはやうら凉しめぢか船さびしさの色は覺えずかつこ鳥淋しさに客人やとふまつりかな淋しさは櫃の實落る寐覺哉さはれども髪のゆがまぬ柳哉里霞む夕を松の盛かな里の子が燕握る早苗かな里〓〓の姿かはりぬ夏木立古今早蕨や笠とり山の柱うりさればこそあれたき儘の霜の宿猿も木に登りすますや年の暮北淵兒胡支文正樹素一之洞正芭車凡除如鼠土湖野尙芦杏野支野桃一野芭枝······三七一支······一〇四竹······及······一〇四龍一考······三八七秀······一九五髪道······二七〇木······三七九烏······三五五水九次···二八七充春水白萩······三四八芳······一八一雨水考······三五〇兆······一九三風·弧ハク!隣······二八〇龍······七〇坡······二八一蕉······一〇三···一一明〓······三六八〓······二七七交······一九三〓층五七來······三八一秀······三三九蕉······一〇(引索句俳) (引索句俳)
猿續曠續曠猿曠(炭)白魚の白き匂ひや杉の箸續續續續〓猿(英白玉の露にきはつく椿かな白鷺や靑くもならず微の中曠)白菊や素顏で見むを秋の霜しら菊のちらぬぞ少し口をしき白雲や頃根をわたる百合の花しらけしにはかなや蝶の鼠いろ白魚や海苔は下部の買合せ白魚の骨や式部が大江山しら魚の一かたまりや汐たるみ續)白魚のしろき噂もつきぬべし白魚をふるひ寄せたる四ツ手哉しら梅やたしかな家もなきあたり職人の帷子着たる夕すゞみ機欄の葉にとまらで過る胡蝶哉機欄の葉の霰に狂ふ嵐かなシュ朱の鞍や佐野へ渡りの雪の駒(二) (+)ュ猿猿曠曠籲炭猿猿續猿曠猿猿猿續猿猿澁柿をながめて通る十夜哉椎の木をだかえて鳴や蟬の聲柴の戶をほどく間にやむ霰哉柴舟の花咲にけり宵の雨柴賣やいでゝ時雨の幾廻り東雲やまいら戶はづすかざり松じねんこの藪吹風ぞあつかりし死るまで操なるらん鷹の顏品川に不盡のかけなき汐干哉しづかさを數珠も思はず網代守しづやしづ御階にけふの麥厚ししづかさは栗の葉沈む〓水哉じたらくに寐れば凉しき夕部かな下闇や地虫ながらの蟬の聲齒朶の葉に見よ包尾の鯛のそり時雨きや並びかねたる炒ふねしぐるゝや黑木つむ家の窓明り(二裾朴杏闇濁ト枝······野旦闇丈荷柳宗嵐耕千凡兆······一八〇道······一八一水指雨······指子······二六七童······一九九藁······一八四陰草············二四三八六四···三七二···三四三金分······五四······二四三次······二〇〇雪······一九八〓〓······三四六那······一七九車不野昌支嵐其荷子之山其土梅千野北碧來······二一九水考.j蜂玉······三五四蘭······角······二一五やすい角川九四스三四八交··一〇二珊···三三七道······二九六···三三八·三三八·····三三五芳······三五二查餌······童······一八五枝······二九六猿續續續曠續曠猿續續曠猿嗷猿尻すぼに夜明の鹿や風の音しりながら薄に明る妻戶かな知人にあはじ〓〓と花見かな白桃や雫も落ず水の色しら濱や何を木陰に時鳥しらぬ人と物いひて見る紅葉哉しら浪やゆらつく橋の下紅葉しら波とつれてたばしる霰かなしら露もまだあら簑の行へかな卷猿曠曠炭曠猿卷續猿曠(きく)猿敷猿炭(猿)澁糟やからすも喰ず荒畠昌陸の松とは盡ぬ御代の春常齋にはづれてけふは花の鳥正月の魚のかしらや炭だわら尺ばかりはやたわみぬる柳哉障子越し月のなびかす柳哉しん〓〓と梅散りかゝる庭火哉新田に稗殻けぶるしぐれかな霜寒き旅寐に蚊屋を着せ申す霜柱おのがあげしや土龍霜やけの手を吹て遣る雪まろげ霜の朝せんだんの實のこぼれけり霜月や觀のイ々ならび居て下京や雪つむ上の夜の雨汐引て藻の花しぼむ暑さかな鹽魚の齒にはざかふや秋の暮鹽魚の裏干す日也衣かへ衰老は簾もあけず庵の雪ロ水仙や練塀われし日の透間水仙や門を出れば江の月夜水仙の見る間を春に得たりけり水仙の花のみだれや藪屋しき(+)其曲支路惟風小去桃曾東塵重北利千傘小素荷昌如圃羽杜荷凡兒荷嵐正那重······春龍兮行下······房.仙紅國兮兮三〇······二二〇五三五九·····二七一三···一八〇〓······三八三一八五公四兆······一八六七〇竹···········二〇九雪······二七六秀······二〇七角······一八六翠······三七四考······三七八通······然······三七四毛睡······三六七來、隣······三四〇春······一三三···二二一良······三四七充順······生······二〇八公治······枝······二四四(引索句俳) (引索句俳)
猿炭續猿(曠)簾して凉しや宿のはひり口曠猿曠炭(曠)鈴鹿川夜明の旅の神樂哉續續曠籠籠炭趙炭竈に手負の猪の倒れけり相撲取ならぶや秋のからにしきすびつさへすごきに夏の炭俵巢の中や身を細うして親乙鳥砂よけや蜑のかたへの冬木立裾折て菜をつみしらん草枕進み出で坊主をかしや月の舟雀よりやすき姿や衣がへ雀子の髭も黑むや秋の風雀子や姉に貰ひし雛の櫃煤拂ひ梅にさけたる瓢かな(3)煤はきや忘れて出る鉢ひらき煤はきや鼠追込黃セリの 中すゝ拂障子をはぐは手代哉煤はきや折數一枚踏くだく(廿)敷曠炭續職猿續曠噎〓敷〓猿炭臘(炭)凉しさは座敷より釣〓かな涼しさに榎もやらぬ木陰かなすゞしさをわすれてもどる川邊哉すゞしさをしれと杓の雫かな凉しくも野山にみつる念佛哉凉風や我より先に百合の花乙凉風に出來した壁のこはれ哉隙明や蚤の出で行耳の穴杉のはの雪朧也夜の鶴좋冷じや灯のこる夏の朝すご〓〓と山や暮けん遲ざくらすご〓〓と摘やつまずやつく〓〓し其角······すご〓〓と親子摘けりつく〓〓しすご〓〓と案山子のけけり土筆双六の相手呼こむついりかなすがれ〓〓柳は風にとりつかん居風呂の下や案山子の身の終り(4)昌未兀去游藤舟蕉胡丈支丈玄旨法印···-一笑州······峯······二八一來······三八六長······學蘿······笠考······二九六刀······三五二泉······草······二九一髪······及······三三草······一九八七〓〓一九七三空无无五九六〇凡嵐其峯凡荷嵐昌雪式塊一一闇殘万惟兆······一八二角嵐碧雪······二九一兆······一八一井分から著...雪······二三堅·一沓······三八〇〓三三七〓···一二六三···二七六之······三六五市······三三七八八如······三八〇乎······二九七然······三八一籠續曠密猿(炭)駿河路や花橘も茶の匂ひ續猿猿續曠續(き)炭曠節季候や弱りて歸る藪の中節季候の拍子をぬかす明家哉精出して摘とも見えぬ若菜哉小柑子栗やひろはん松の門篩釣頃も有らし鱸つり李盛る見世のほこりの暑哉菫草小鍋洗ひしあとやこれ住つかぬ旅のこゝろや置ごたつ角いれし人をかしらや花の友すみきりて汐干の沖の〓水哉炭燒に澁柿たのむ便かな炭賣のおのが妻こそ黑からめ炭賣の橫丁さがる吹雪哉炭竈の穴ふさぐやら薄けぶり召(te)籠續曠密猿籠炭續猿續炭續巻〓嗽曠續續猿續炭猿すゝはきやあたまにかぶるみなと紙黃逸······三八〇煤掃は己が棚つる大工かな煤さがる日盛あつし臺所すゞかけやしでゆく空の衣川凉めとて切ぬきにけり北の窓涼しさよ白雨ながら入日影凉しさよ塀にまたがる竹の枝凉しさよ牛の尾振て川の中凉しさや樓の下ゆく水の音凉しさや一重羽織の風たまり凉しさやともに米かむ椎が本すゞしさや竹握り行藪づたひ涼しさや此庵をさへ住捨し涼しさや駕籠を出ての繩手道凉しさや椽より足をぶらさげるすゞしさや浮洲の上のざこくらべすゞしさや朝草門に荷ひ込芭怒商野去卵万俊我如半曾重支去几露似眉行來風······三五三麥七······二八一乎殘蕉······二九七水······良······二四五擧考...兆······二〇〇三九三〓三五、〓··三五二·····二四三···三五一···三五一···三五一······二八一尙桃舟野半芭万曲芭丈俊玄重湖亀洞······八七蕉······二八〇水似乎······三五二蕉·····一八二草······三三二虎······三六六夕······二九六······二一八山田五·····二白······三八二後······三八三泉水殘······二〇八吾〓(引索句俳) (引索旬俳)
〓曠曠炭猿續續曠續曠曠猿(英鷹居て折にもとかし梅の花鷹居て石けつまづく枯野哉鷹狩の路にひきたる蕪かな道灌や花はその代を嵐かな田植うたまてなる顏の諷ひ出し尊さの涙や直に氷るらんたうきびにかげろふ軒や玉祭り橙や日にこがれたる夏木立大名の寐間に寐たる夜寒哉松明に山吹うすし夜のいろそれ〓〓の朧のなりや梅柳雪舟引や休むも直に立てゐる空つりやかしらふらつく百合の花空豆の花咲にけり麥の緣(〓) (三)それがしも月見る中の獨かな(大)續曠曠猿(英猿猿猿曠續續嗷卷猿(明職續猿曠續炭猿ゼンマイ禪寺の松の落葉や神無月洗灌やきぬにもみこむ柿の花蟬なくや布織る窓の暮時分蟬の音に武家の夕食過にけり狗脊の塵にえらるゝ蕨かな千觀が馬もかせはし年のくれ千刈の田をかへす也難波人背戶の畑なすび黃ばみてきり〓〓す旦藁...背門口の入江にのぼる千鳥哉攝待にたゞ行人をとゞめけり攝待のはしら見立ん松のかげ背たらおふ物を見せばや花の春膳所米や早苗のたけに夕凉關こえてこゝも藤しろみさか哉勢鴿や走り失たる白川原鶺鴒の尾は見付ざる柳哉節季候に又望むべき事もなしゼ(廿) (〓)嵐凡薄其曉釣丈俊釣野氷順宗祇法師···一〇二一半一兆······一八〇芝······一九二驚······三四〇鳥.草······一八三固······三六五雪······二一六角······一二二雪·T但し、童風······二七一書·琢······一八七···三五五次ニ···一二〇三二···三四六殘······二四四鷗松蕉重越洒嵐闇許野千湍亀孤何步芳蘭笠水指······三四八堂······二八六行······三五〇人······一二三六······三八九霊八五八五···二二一盡洞水那······三三六豐〓處······一九七屋······二五五猿猿續曠曠曠炭炭曠續炭炭炭續猿猿曠たけの子や稚き時の繪のすさび竹の子の力を誰にたとふべき筍にぬはるゝ岸の崩かな笋の時よりしるし弓の竹竹の子に行燈さげて廻りけり竹立ておけばとりつくさゝげ哉茸狩や鼻の先なる歌かるた茸狩やいくちも兒は嬉し顔澤庵の墓をわかれの秋の暮瀧壺もひしげと雉子のほろゝ哉瀧つぼに命打込小鮎かなだかれてもをのこゞいきる花見哉誰母ぞ花に珠數くる遲ざくら高みより時雨て里は寐時分高土手に鶸の鳴日や雲ちぎれ高灯籠畫は物うき柱かな高聲につらを赤むる雉子かな(曠)その人の鼾さへなし秋の暮猿炭續曠猿續續續曠籠猿春猿炭そよ〓〓や藪の中より初あらし蕎麥切に吸ものもなき寒さ哉蕎麥はまだ花でもてなす山路哉側濡て袂の重き磯菜哉其春の石ともならず木曾の馬そのつるや西瓜上戶の花の種そのかみは谷地なりけらし小夜磁その親をしりぬ其子は秋の風袖すりて松の葉契る今朝の春麁相なる膳は出されぬ牡丹哉僧正のいもとの小屋のきぬた哉そ芹摘とてこけて酒なき瓢哉膳まはり外にものなし赤柏禪門の革足袋おろす十夜哉芭凡可去長胡其利文去爲斜祐里珍千一且利芭藤其乙沾公支梅風尙旦良許來虹蕉······一九二兆······一九二及誠······三五三角······二八八來合······二九一鱗······嶺······二七三甫······二七三有······二七五那圃······三七二碩七〇七〇······一二三CIO······三三六·····二〇八······二〇二空雪······羅州藁······二〇三蕉······三六八角.圃·····三六九牛······二九五羽······三八八白考,弦······三五〇百1至五一六·····二二二一天〓······二〇七藁······品······一八二六······二九六三(引索句俳)
續噴(炭續猿猿曠猿續猿猿〓猿猿嘴炭猿裁屑は末の子がもつ衣くばり橘のかをり顏見ぬはかりなり橘や定家机のありどころ立寄ればむつと鍛冶屋の暑哉立さわぐ今や紀の雁伊勢の雁立ざまや蚊屋もはづさぬ旅の宿立臼に若草見たる明屋哉立出る秋の夕や風ほろし立ありく人にまぎれて凉み哉疊目は我手のあとぞ紙〓たゞ暑し籬によれば髪の落黃昏にたて出されたる燕かな紙鳶切れて白根が嶽を行へ哉蛸壷やはかなき夢を夏の月竹の雪落て夜るなく雀かな竹の子や兒の齒ぐきの美しきたけの子や畠隣に惡太郞(た) (猿)誰とても健ならば雪の旅曠猿炭曠續(曠)春隨臘猿(曠)たれ人の手がらもからじ花の春誰覗く奈良の都の閨の桐誰と誰が緣組濟で里神樂たらちめの暖甫や冷ん鐘の聲蒲公英や葉にはそぐはぬ花ざかり魂まつり道ふみあくる野菊かな魂まつり柱にむかふ夕かな魂祭り舟より酒を手向けり玉しきの衣かへよとかへり花だまされし星の光りや小夜時雨峠より雪舟乘りおろす汐木哉額猿近道ををしへぢからや古柳智惠のある人には見せじけしの花ち(5)李珍古千卯其鼠圃ト越亀荷羽鼠山荷杉沾澤里龜凡去曾木鼠桃芭塵嵐去蜂······三八三兮風······二八二兆······二〇九來······三五二妖······二一七來、雪······二八三來······一九二圃······三五三雉······二一六東······一九七助······良······一八四節······一九九彈二蕉······一九二·····一一四五八六五四九梵ノ箔角彈洞兮-那······一九二七······一八六······二九七·····一一一···三三九枝······一〇〇〓人ヘ三二九紅······一八〇彈······八六由······三三六碩······一九一曠噴炭猿續猿(猿)田の畝の豆つたひ行螢かな嘖曠續猿曠曠曠曠曠續峠迄硯抱へて月見かな旅寐して見しや浮世の煤はらひ旅なれぬ刀うたてや村しぐれ旅人の心にも似よ椎の花旅枕鹿のつき合軒の下谷川や茶袋そゝぐ秋のくれ棚作るはじめさびしき葡萄哉七夕よものかす事もなきむかしたなばたやふりかはりたる天の川七夕や餘りいそがばころぶべしたなばたをいかなる神にいはふべき沾圃······三六二田と畑を獨にたのむ案山子かなたど〓〓し峯に下駄はく五月闇たてゝ見む霞やうつる大かゞみ田作に鼠追ふ夜の寒さ哉立鴨を犬追かくる堤かな任芭益越嵐杜探野乍芭常千方作者不知···一龜秀志洞木雪······二八六若······二〇二水他·····蕉······一〇八藝里······二〇八乎······一九六音人······泉······異······一〇八···三八八充六九光···二四三〓八九······三七七猿續炭曠續曠(〓)曠炭猿猿曠(猿)、(曠)猿嗤額ちる時の心やすさよ米囊花ケシノ塵濱にたゝぬ日もなし浦衛散殘るつゝじの藥や二三本散はてゝ跡なきものは花火哉ちり椿あまりもろさに繼で見るちら〓〓や泡雪かゝる酒强飯千代の秋にほひにしるしことし米朝鮮を見たもあるらん友千鳥長松が親の名で來る御慶かな茶湯とてつめたき日にも稽古哉茶の花やほるゝ人なき靈照女茶の花はものゝついでに見たる哉粽結ふ片手にはさむ額髪父母のしきりに戀し雉子の聲乳呑子に世を渡したる師走哉ちからなや麻刈あとの秋の風近道や木の股くゞる花の山 洞ナ越旬子桂野荷亀村野亀越李芭芭尙越三三坡兮坡人······一九一珊洞俊空······三七七ク/翁·····二七五九九·····三四一五〇一二七〓·····二六八·····一八二人······一八一ハ晨······蕉······一九三蕉······一〇九白······一八六兵人······木······三三(引索句俳) (引索句俳)
猿續曠續曠續曠續曠續曠(き)猿續曠(三摘捨て蹈付がたき若菜かな積あげて暑さいやます疊かなつまなしと家主やくれし女郞花妻の名のあらば消し給へ神送りつまの下かくしかねたる繼穗哉つぶ〓〓と箒をもるゝ榎の實哉椿まで折そへらるゝさくら哉燕や田をおりかへす馬のあと燕も御寺の皷かへりうて燕は土で家する木曾路かな燕の巢を覗き行雀かな燕の居なじむ空やほとゝぎす角落てやすくも見ゆる小鹿哉つゝみかねて月とり落す靈哉つゞくりもはてなし坂や五月雨堤よりころび落ればすみれかな土橋や橫にはえたるつく〓〓し(三)嗽曠曠猿猿續炭曠猿籠曠曠曠曠嗽月の頃隣の榎伐にけり月に行脇差つめよ馬のうへ月に柄をさしたらばよき團哉月〓し遊行のもてる砂の上月かけや拍手もるゝ膝の上月影や海の音聞長廊下月影に動く夏木や葉の光りつきわりて松葉掻けり薄氷つかみあふ子供のたけや麥畠(1)散花や佛生れて二三日ちる花は酒ぬす人よ〓〓散る花の間はむかし咄しかな散花にたぶさ恥けり奧の院散る花を南無阿彌陀佛と夕かな散たびに兒ぞ拾ひぬけしの花(ち) (三)路卓荷越傘重越野其猿長芦蕉杜去馬塩胡野宗芭史牧可除游不舟越杜守吉通袋······三五三人人角.虹本分······一一三下童······三三七雖······三八九笠國·····來······一九四寛······三三八翠······三六七車·········二一三······二三毛六···一二一六四····三四七釜八五九武······一四次······人······二八玉······三八五泉······國······一〇九四交風蕉邦童刀······一九五及ノ水鑑南······二八一···一二三······一〇七三·····二〇六·····二〇六······三六一公續歡曠曠猿曠曠曠炭曠曠曠續曠連たつや從弟はおうし花の時連あまたまたせて結ぶ〓水哉連て來て子にまはせけり萬歲樂釣がねの下降のこすしぐれかな釣鐘草後に付たる名なるべし露置て月入あとや塀の屋根爪取て心やさしや年ごもりつりがねを扇でたゝく花の寺爪髪も旅の姿や駒むかへ猿曠曠猿曠(猿)月待や海を尻目に夕すゞみ曠曠猿(曠)つけかへておくるゝ雪舟のはや緒哉含咕炭續續猿〓噴曠月鉾月ひとつばひとりがちの今宵哉月花の初は琵琶の木どり哉土はこぶ羅に散込椿かな蔦の葉や殘らず動く秋の風蔦かつら月まだたらぬ梢かな晦日も過行姥がゐのこかな作り置てこわされもせじ雪佛つく〓〓と繪を見る秋の扇かなつく〓〓し頭巾にたまるひとつより靑江······つきたかと兒のぬき見るさし木哉月雪のためにもしたし門の松月見れば人の磁にいそがはし月見せん伏見の城の捨廓月花もなくて酒のむひとり哉召や兒の額の薄粧請大分羽釣孤荷里尙小舟去去正曾一芭一蕉紅雪泉雪······井自己白來······來······二〇五死じ、屋······二七一分······三六三東······三六一··一八二八七······一二三尤春······无毛三···二〇七二四三二〇〇四五四二五二手のとゞく水際うれしかきつはた手のとゞくほどはをらるゝ櫻哉手のうへにかなしく消る螢かな手をついて哥申あぐる蛙かな手をかけてをらで過行木槿哉(二去宗杉宇多都······三四八一橋······來······二四鑑······風······二〇二츠空荷文炊越冬馬素荷一兮瀾松······一一八非、寛······三六一龍······二九八玉······人······兮·····四二占垂全占九(引索旬俳) (引索句俳)
猿曠曠續曠炭曠續籠曠續嚱(猿)鳶の羽も刷ぬはつしぐれ續曠ニ飛石の石龍や草の下すゞみ曠(と)とりつきて山吹のぞく岩根哉鳥共も寐入て居るか余吾の海鳥飛であぶなきけしの一重哉鳥籠の憂目見つらんほとゝぎす取あげて見るや椿のほぞの穴友減て啼音かひなや夜の雁友鹿の鳴を見かへる小鹿哉灯のかすか也けり梅の中團栗の落て飛けり石ぼとけ蜻蛉や何の味ある竿の先とまり〓〓稻すり唄も替りけりとまりても翅は動く胡蝶かな遠淺や浪にしめさす蜊とり飛入の客に手をうつ月見哉飛入てしばし水ゆく蛙かな(な續曠猿時〓〓は水にかちけり川柳とき〓〓は簑干さくら咲にけりとかくして卯の花つぼむ彌生哉嚱續猿續瓢炭猿猿續炭曠曠天龍でたゝかれたまへ雪の暮手まはしに朝の間凉し夏念佛蝶の來て一夜寐にけり葱のきぼ蝶鳥を待るけしきやものゝ枝蝶の舞おつる椿にうたるゝな鐵砲の遠音にくもる卯月哉てしかなと朝顏ははす柳かな出かはりや櫃にあまれるござの丈出代や幼ごゝろに物あはれ出かはりや哀勸る奉加帳挑灯のどこやらゆかし凉み舟挑灯の空に詮なし子規杉(〓) ((〓)越野半荷闇野湖亀嵐許ト蓬路落季洞旦車釣爲探ち柳亀去正俊落意除山風川元······三三六二六殘六人······一〇八坡······兮·····指······三四〇徑······一六七春······二八七枝······風······二七八翁······二一五雪······二一五三八七······二一七毛······三四三三三雨梧······夢來通······一八四吟來······二八七梅木······三四一洞但人有······三六六丸······三六五秀〓六八四三六五雪······一二四ね······一〇七·····三三九一三二···二二四···三六〇七三さ梧·····應〓嗷曠續猿籠炭鳴〓〓て袂にすがる秋の蟬啼立て入相きかぬかはづかな永き日や鐘撞跡もくれぬ也永き日や油しめ木のよわる音ながれ木の根やあらはるゝ花の瀧なが〓〓と川一筋や雪の原中切の梨に氣のつく月見哉中下もそれ相應の花見哉猿曠炭(英續曠泥龜や苗代水の畦つたひ鳥邊野のかたや念佛の冬の月鳥の行燒野の隈や風の末鳥の音も絕へず家蔭の赤椿取葺の内のあつさや棒つかひとりつきて筏をとむる柳哉(英噎炭續猿炭猿曠續炭續曠曠ふ曠曠曠年の夜や曾祖父をきけは小手枕十團子も小粒になりぬ秋の風とばしるも顏に匂へる薺かな隣なる朝顏竹にうつしけり年よれば聲はかるゝぞきり〓〓す年よりて牛に乘りけり蔦の道年の夜は豆はしらかす俵がなとしの暮破れ袴の幾くたり年の暮杼の實一つころ〓〓と年の市誰を呼らん羽織どの年の暮互にこすき錢遣ひとし〓〓のふる根に高き薄かな年ごとに鳥居の藤の荅かなとし男干秋樂を習ひけりとこまでも見とほす月の野中哉どことなく地をはふ蔦の哀也齋に來て庵一日の〓水哉な落ト野如凡配一素小猿支史邦······二一七乙昌州春······一六六雖······二七五考······二七二··三五三六〇碧·····其鷗智木長猿杉荷其野許俊荷舟長越一兮坡但角······二六九風······一八八分笑······二九步······月······二八七節······三八八和······一八七雖······二九八角······六泉虹·····水······七七八九三八一二九八三八六九つ吾四五充枝井······一〇六水雪子梧······兆······一八六カ······三五九空窒窒···三三四龍······二七二(引索句俳) (2!索旬俳)
曠卷曠曠炭續猿猿續炭續炭猿曠(な)なりあひやはつ花よりの物わすれなら坂や畑うつ山の八重ざくらなら漬に親よぶ浦の汐干哉名もしらぬ小草花咲野菊かな南無や空たゞ有明のほとゝぎす並松を見かけて町の暑かな生醉をねぢすくめたる凉かな腥きはな最中のゆふべ哉猶見たし花に明行神の顏なほ〓く咲や葉勝の水仙花猶いきれ門徒坊主の水祝ひ苗札や笠縫をきの宵月夜鍋ぶたのけば〓〓しさよ年の暮名はへちま夕顏に似て哀也菜畑や二葉の中のむしの聲なの花の座敷にうつる日影哉菜の花の畦うち殘すながめ哉LE礦續猿噴續卷猿〓猿炭ふ續猿曠續猿夏の夜や焚火に簾見ゆる里夏の夜や崩れて明し冷し物夏山や木蔭〓〓の江湖部屋夏草や兵共がゆめの跡夏來てもたゞひとつ葉のひとつ哉夏菊や茄子の花は先へさく夏川の音に宿かる木曾路哉夏がすみ曇り行方や時鳥夏かげの畫寐はほんの佛かななつかしや奈良の隣の一しぐれなじませて鶯一羽としの暮梨の花しぐれにぬれて猶淋し投入や梅の相手は蕗のたう鳴やいとゞ鹽にほこりのたまる迄なく聲のつくろひもなき鶉かななぐりても萠たつ世話や春の草なき人の小袖も今や土用干(なら野旦越素元臥雪長芭氷沾此孤長尙傘〓旦芭蕪芭芭拙重木愚曾智野良越鼠正芭蕉蕉蕉節益品蟬藁·····五月水人蕉葉······一一九候······三四九良······秀······三三八〓·····三二八三五〓〓二八二二一九二八八四······三三五······二四五······一〇〇·····一九九固虹蕉白······二〇五洞·····藁眉······二二一圃······二六八筋······三四〇屋······二九八下······人掌下芝······三五一水順······高······二八〇四〓臺六二一······二二〇···三七四七二六六猿嗽曠續炭猿續〓猿(猿)鷄もはら〓〓時か水鷄なく續續にべもなくついたつ蟬や旅の宿塲に居て月見ながらや莚機雞の聲もきこゆる山ざくら虹の根をかくす野中の樗かな似た顏のあらば出て見ん一踊り二の膳やさくら吹込鯛の鼻二三番鷄は鳴どもあつさ哉荷鞍ふむ春の雀や椽の先煮木綿の雫に寒し菊の花似合しや白髮にかつぐ麻木賣似合しきけしの一重や須磨の里鳴瀧の名にやせりあふ子規なりかゝる蟬がら落す李哉六E續炭曠曠曠續續曠續曠曠嗽續續猿炭曠嘖續菜の花や杉菜の土手のあひ〓〓になにとなく植しが菊の白き哉何の氣もつかぬに土手の菫かな何なりとからめかし行秋の風何のあれかのあれ今日は大師講何とやらをがめば寒し梅の花何事も寐入まで也紙ふすま何事もなしと過行柳かな何事の見たてにも似ず三日の月何事ぞ花見る人の長刀何魚のかざしに置ん菊の枝七ツより花見におこる女中哉七種や跡にうかるゝ朝がらす七草や粧しかけて切刻み七くさをたゝきたがりて泣子哉撫子や蒔繪書人をうらむらん夏瘦もねがひの中のひとつなり野利去凡鈍落子魯土支龜杜如殘長巴忠支如越小越芭去曾陽其野俊越如丈、蕉坡似春·····三七八人角行······三八六來虹······人······一二四良和人·····眞······三五五知······考······三六五さ스查禿兇四〇·····三七三······三三三·····二一三·····二六九至七二梧國······一九一珊兆······二一九町芳······二一八洞······一一〇徑······三八八合······三六〇來······二四二By考······三六九七二···一五五······三三三···二八〇雪······三四七香······二八三(引索旬俳) (引索句俳)
續曠ふ炭炭炭噸續猿猿續曠猿猿のぼり帆の淡路はなれぬ汐干哉のどけしや麥まく頃の衣がへのどけしや湊の晝の生ざかな長閑さや寒の名殘も三ケ一熨斗むくや磯菜涼しき島がまへ鋸にからきめ見せて花つばき殘る葉ものこらずちれや梅もどき殘る蚊や忘れ時出る秋の雨軒近き岩梨折るな猿のあし野畠や雁追のけて摘若菜野は枯てのばすものなし鶴の首のゝ宮やとしの旦はいかならん野の梅のちりしほ寒き二月哉野を橫に馬引むけよほとゝぎすシ(19)は猿續續續續猿曠猿曠續續寐ぐるしき窓の細目や闇の梅寐がへりに鹿おどろかす鳴子哉寐人なばもの引きせよ花の下寐入らぬに食たく宿ぞ明安き濡椽や薺こぼるゝ土ながらぬれ色や大かはらけの初日影ぬり直す壁のしめりや軒の花縫物や着もせでよごす五月雨縫ものをたゝみてあたる火燵哉縫にこす藥袋や萩の露ぬつくりと雪舟に乘たるにくさ哉盜人に逢た夜もあり年の暮ぬけがらに並びて死る秋の蟬(めぬ(ね去一荷利正嵐加四千史支朴尙芭乙野冬一嵐任卓羽落扇荷芭丈來······三四三井······分······一〇五牛······二七〇秀······二八二雪······二七二牛友······三七〇那······二四二邦······二三考······三七六什·····白······二一五蕉······一八九八四〓五三州······二二酌······三六七松······一〇六水······九三袋······三三四梧蕉雪······三三四行······三四六紅······一九五なら1菅下一八四三四八七·····三八二·三菱炭曠(炭)曠續猿噴續炭曠猿續續曠噴續(炭)猿曠續續續猿炭炭嗽續續續猿兀山の力及ばぬあつさかなはき庭の砂あつからぬ曇哉はき掃除してから椿散にけりはかられじ雪の見所ありどころ墓原や稻妻やどる桶の水葉がくれぬ花を牡丹の姿かな齒固に梅の花かむにほひかな袴着ぬ聟入もありとしの暮庖丁の片袖くらし月の雲灰捨て白梅うるむ桓根かなみほうろくの土とる跡は菫かな四粘になる蚫も夜のあつさかな粘ごはな帷子かぶる畫寐哉海苔とりしあとには土もなかりけり湍水······一〇一リ里惟東······三五三然·····三五六年功の老木も柿の若葉哉念入て冬からつぼむ椿かな合歡の木の葉ごしもいとへ星のかけ芭蕉ねぶたしと馬には乘らぬ菫草涅槃像赤き表具も目にたゝず鼠共春の夜あれぞ花靱猫の戀初手から鳴て哀也猫の子のくんづほぐれつ小蝶哉ねられずやかたへひえ行北おろしねはん會や皺手鼠とも出立の芋をこがしけりねやの蚊や御佛供たく火に出て行寐所や梅の匂ひをたて籠ん寐道具のかた〓〓やうき魂祭寐時分に又みん月か初ざくら寐ごゝろや炬燵蒲團のさめぬ内合する珠數の音去千曲荷芭沾丈半野其釣大去其其坡來······一五圃川······三四八翠······二七一なら!蕉殘草······三八八丹······三三五來、角······二七〇雪·T角······一八三······二〇二空···三八四·三八四·····二二一·二七〇九七···三八五角······三三二(五)猿荷野野支全如李其野凡坡雖······二八〇兮······水梁·····峯行由二九八、三八一角一水兆三三·二七二五〇三八六700吾···二九二查(引索句俳) (引索旬俳)
續猿續炭續猿猿猿嘖猿(曠)はつ花に誰傘ぞいま〓〓し炭續曠春曠猿は初日影穢莖立とつまればや初春やよくして過る無調法初春や年は若狭の白比丘尼はつ春のめでたき名也堅魚々初春の遠里牛のなき日哉はつ蝶を兒の見出す笑ひかな初蝶や骨なき身にも梅の花初露や猪の臥芝の起あがり初茸や鹽にも漬ず一盛り初霜や猫の毛も立臺所はつ霜や犬の土かく爪の跡初霜に行や北斗の星の前初霜に何とおよるぞ船の中初潮や鳴門の浪の飛脚舟はつしぐれ何おもひ出すこの夕初しぐれ猿も小簑をほしけ也猿猿曠噸猿續續曠卷曠噴曠曠續猿猿續肌寒き始にあかし蕎麥の莖肌寒し竹切山の薄紅葉機おりや壁に來て鳴夜は月よばせを葉や風なきうちの朝凉み芭蕉葉や打かへし行月のかげ芭蕉葉は何になれとや秋の風蓮見む日にさかやきはわるゝともはすの實のぬけつくしたる蓮のみか越人······蓮の實の共に飛入庵かな蓮の實に輕さくらべん蟬の空蓮の葉やこゝろもとなき水離れ蓮の香も行水したる氣色哉蓮池の深さわするゝ浮葉哉蓮池のかたちは見ゆる枯葉哉橋杭や御祓かゝる煤はらひはげ山や下行水の澤卯木はけ山や朧の月のすみ所は惟凡風史乙路晨等示白野荷一ト夢式兮髪枝哉峯雪水之·····州風麥邦通々然······三六八兆······二〇九······二〇五三五一二〇六·····二〇一七四八〇·····二四五三五三元九三〓八五···一二六〓吉利風前越昌長柳半去沾楚北百其凡湍芭舟角兆水鯤蕉······圃歲······一八〇風來······二〇二虹殘······二一〇牛······二六八書、川······三四六人)睡······三四五五四三〇四查三六七······二九三HII······一八〇·····二〇七八三一九猿猿曠曠曠炭炭猿曠續曠猿炭(き)曠炭曠鳩ふくや澁柿原の蕎麥畑果もなく瀨の鳴音や秋黴雨りはつとして寐られぬ蚊屋の別れ哉初夢や濱名の橋の今のさまはつ雪や先草履にて隣まではつ雪や先馬屋から消そむる初雪や塀の崩れの蔦のうへ初雪や鷹部屋覗く朝朗初雪やことしのびたる桐の木に初雪や門に橋あり夕間暮はつ雪やおしにぎる手の奇麗なり初雪や内に居さうな人は誰初雪の見事や馬の鼻ばしらはつ雪のことしも袴着てかへるはつ雪に戶明ぬ留守の庵哉初雪に隣を顏でをしへけりはつ雪を見てから顏を洗ひけり續猿噴猿續猿續續噴猿炭曠續曠猿猿猿初時雨小鍋の芋の煮加減初ざくらまた追〓〓に咲ばこそはつきりと有明殘るさくらかな初雁に行燈とるなまくらもと初瓜や道に煩ふ枕もと初市や雪に漕來る若菜舟八專の兩やあつまる菊の露八九間空で雨降柳かな恥もせず我なり秋とおごりけり蜂とまる木舞の竹や虫の糞鉢卷をとれば若衆ぞ大根引鉢の子に木綿をうくる法師哉鉢たゝき干鮭賣をすゝめけり鉢たゝき出も來ぬ村や雪の雁鉢たゝき來ぬ夜となれば朧也鉢たゝき憐は顏に似ぬものか葉月や矢橋に渡る人とめん千馬利荷落支嵐沾芭北昌野ト馬野去乙珍史胡越路許買史野其傘其利野是野越坡幸牛水人六角······一八五邦人角······三七九下運..邦······水······碩······二〇八······二〇三及······合吾五〇···二九六山······二九五一五一三究······二九五四四九·····二九五四九寛······三八〇水州······一八七子······二〇五枝來······二一三坡······二九四蘭蕉枝······三一梧房ノ圃······三七三莧······三七一雪······二一九分······一七七·····二〇四考〓···三九〇···二三三三合···二一七〓(引索句俳) (引索旬俳)
續續嗽(炭)花薄とらへぢからや村雀曠曠曠炭曠曠曠卷曠曠猿續猿はなの山どことらまへて歌よまん花の中下戶引て來るかひな哉花のかけ謠に似たる旅寐かな花のあと今朝はよほどの茂り哉花に酒僧とも侘ん塩肴花に來て齒朶かざり見る社哉花に來てうつくしく成こゝろ哉花に埋れて夢より直に死んかな花ながら植かへらるゝ牡丹かな花鳥とこけら葺ゐる尾上哉花ちるや伽藍の樞おとし行花散て竹見る軒のやすさ哉花芒大名衆をまつりかな花さそふ桃や歌舞妓の脇踊花笠をきせて似合ん人は誰花賣に留守たのまるゝ隣かなは逸し猿續續續炭猿適(猿)春風にこかすな雛の駕の衆猿曠猿猿猿ふ曠續ふ春雨や屋根の小草に花咲ぬ春雨や簑につゝまん雉子の聲春雨や枕くづるゝうたひ本春雨や光りうつろふ鍛冶が鎚春雨や蜂の巢つたふ屋根の漏春雨や田簑の島の鯲賣春雨や唐丸あがる臺所春雨やあらしも果ず戶のひづみはる雨はいせの望一がこより哉はる雨のあがるや軒になく雀春雨にたゝき出したりつく〓〓し春風にぬぎも定めぬ羽織かな春風に力くらぶる雲雀かなはる風に帶ゆるみたる寐顏かな膓をさぐりて見れば納豆汁ハラワタははら〓〓と〓水に松の古葉かな(1)モッ嵐酒支桃芭史游嵐湍羽元亀野萩越許長晨亀芭子其鈍た越越冬凡洒野嵐其其野洞人童······二八八角······三四一角······三三四蕉水······風······珊······二七七角······一一八可······一五五つ······人······文······兆······二二二堂······三三二爭······二〇九四〇四二五堅三〓三〓虎ノ蘭考...蕉······二七五紅······二一七翁···二一六堂······三三七···三四二首······三四三邦······二一六刀······三四二···二四五五八水·····志······二一五······二一四空水······干···二一七〓人······六······三八六占虹·····猿猿日のあつさ盟の底の蟻かな日當の梅咲ころや屑牛房スムシ續曠炭猿卷續續續曠曠曠猿はれやかに置床直す花の春晴ちぎる空鳴行やほとゝぎす春や祝ふ丹波の鹿も歸るとて春の夜は誰か初瀨の堂籠り春めくや人さま〓〓の伊勢參り春もやゝけしきとゝのふ月と梅春の日や茶の木の中の小室節春の野やいづれの草にかぶれけん春の野にこゝろある人の素顏哉春の雨弟ともを呼でこよはる近く榾つみかへる菜畑哉春雨や山より出る雲の門嘯曠蘊猿籠炭籠續炭春(む)續炭猿嗽(炭)曠葉より葉にものいふやうや露の音はやぶさの尻つまげたる白尾哉濱荻に筆を結せてとしの暮這出よかひ屋が下の蟾の聲はひるより先取て見る落葉哉はへ山や人もすさめぬ生くるみ蠅うちになるゝ雀の子飼かな母方の紋めづらしやきそ始箒目に霜の蘇鐵の寒さ哉はゝき木はながむる中に昏にけり箒木の微雨こぼれて鳴蚊哉コ咄さへ調子合けり春の雨花守や白きかしらを突あはせ花水にうつしかへたる茂りかな花もなき梅のずはえぞ賴母しき花はよも毛むしにならじ家櫻花の山常折くぶる枝もなし一サ鼠野呂芭一北河山游塵柳乃去其冬嵐(1)凡支一落去曾荷芭正羽鼠亀猿梧一有妻······二三來鷺······三三四良兮彈蕉······秀······三四四紅······三三八洞······雖······二一六圖·二六八······二三三九三三五兵公瓢蜂龍松雪井······水鯤來······二七三角······一九〇蕉······一九三雨·····丸道······三七六刀······二九三交······彈······七天······三八二·····二八二···三三七···三四五〓〓···三四二五六···二七三四二兆······一九九幽······二二(引索句俳) (引索旬俳)
獲猿猿曠曠續曠猿曠曠曠曠猿曠曠續續(J)人の手にとられて後やさくら海苔人に似て猿も手を組秋のかぜ人に家をかはせて我は年忘人霞む舟と陸との汐干かなひとつ脫で後におひぬ衣がへひとつ葉や一葉〓〓の今朝の霜ひとつ家やいかいこと見るけふの月亀洞······一夜〓〓寒き姿や釣干菜一夜來て三井寺うたへ初しぐれ一本のなすびもあまる住ひかな一本の芦の穗瘦しゐぜき哉一めぐり人待かぬるをどりかな一袋これや鳥羽田のことし麥一葉づゝ柿の葉皆に成にけり一葉散音かしましきばかり也一露もこぼさぬ菊の氷かな一田づゝ行めぐりてや水のおと杉珍芭友芭支探尙杏防尙之一仙芭北川蕉······三七五枝······三五〇化······峯蕉白······一三道······二四四髮······碩重、丸······一八二白······雨······一〇··二一五······二〇一八七六五蕉······一〇五考······三七二哭八三八〇八四兵嗾猿炭曠曠續續曠猿猿猿炭猿猿續猿嗽膝節をつゝめと出る寒さ哉膝突にかしこまりゐる霰かな髭宗祇池に蓮あるこゝろ哉髭に燒香もあるべし更衣引いきに後へころぶ柳かな引鳥の中に交るや田にし取引むすぶ一粒銀や年の暮引立て馬にのまする〓水かな彼岸前寒さも一夜二夜哉稗の穗の馬迯したる氣色哉日燒田や時〓〓つらく鳴蛙日半路をてられて來るや桃の花日の道や葵傾くさつきあめ日のかげやこもくの上の親すゞめ日のかげに猫の抓出す獨活芽哉日の岡やこがれて暑き牛の舌日の入や舟に見て行桃の花(1)塩史素荷鷗支萩潦路越乙野芭珍一正一人州桐月秀······一九九髪······一〇五通······二一六碩分の1坡······二七四蕉······一九四車······邦······一八五堂······二七七あつ浪······三四四子······三八二公奏六〇占······二〇七······一九九·····二一七······三三九額續續嘖猿續臘猿續曠猿〓續曠續炭續姫百合や上よりさがる蜘の糸姫瓜や袖に入ても重からず貧福のまことをしるや涅槃像雲雀より上にやすらふ峠かなひばり鳴中の柏子や雉子の聲枇杷の葉のなほ慥也初霞枇杷の花人のわするゝ木陰かなひね麥の味なき空や五月雨獨居て留守ものすごし稻の殿獨來て友選びけり花の山ひとり寐もよき宿とらん初子日ひとり寐や泣たる顏にまどの月火の消て胴にまよふか虫の聲火とぼして幾日になりぬ冬椿人も見ぬ春や鏡のうらの梅人聲の夜半を過る寒さ哉人の氣もかく窺はじはつざくら〓續續續續〓續猿噴續(炭)猿曠曠猿(炭)猿曠一筋は花野にちかし畠道一霜の寒さや芋のすんど刈一時雨又くづをるゝ日影哉ひとしきりひだるうなりて夜ぞ長き野水一しきり鳴てしづけし除夜の鐘一里は皆花守の子孫かや一里の炭賣はいつ冬ごもり一株の牡丹は寒き若菜かな一枝はすげなき竹の若葉哉一枝はをらぬもわろし山ざくら一重かと山吹のぞくゆふべかな一色や作らぬ菊の花ざかり一いろも動くものなき霜夜哉一いきれ蝶もうろつく若葉哉ひつかけて行や雪吹のとしまござ直垂をぬがずに結ぶ〓水かな一塩に初白魚や雪の前鳥支杉露利芭一尾仙尙襟曉野楚去一福張ハム井頭花······二八三舟······二八三來······一八六蕉雪水······一八〇白······二一九栗······三六三考······三六八風······三七八沾······三七一九四合······三八三·····二二〇要·三三四六番스占素至山芭芭斜-木一冬去野正-芭野沾松笑水坡······二九四蕉節秀龍蜂蕉嶺髪東來:三四八曉······三四九···三八四···一〇五···二一八···三四六八四一三······三六六四二〓凸三六百八八蕉······三四五德······三三三(引索旬俳(引句索俳)
曠卷續續嗽續猿曠春曠續猿猿續嗤續曠嘖炭續續猿嗤炭續續曠曠嗤續猿續猿(續)廣澤や脊負て歸る秋の暮廣庭に一本植しさくらかな晝舟に乘るやふしみの桃の花畫寐して花にせはしき胡蝶哉書寐して手の動止むうちは哉晝まではさのみいそがず時鳥畫ばかり日のさす洞の菫かな畫顏や雨降足らぬ花の顏晝顏や日はくもれども花盛り平押に五反田くもる時雨哉ひら〓〓と若葉にとまる胡蝶哉ひよろ〓〓と猶露けしや女郞花冷汁に散てもよしや花の陰冷汁はひえすましたり杜若百八のかねて迷ひや闇の梅百なりていくらがものぞ唐辛子百姓も麥に取つく茶摘うた(ひ) (15) (15)文月や六日も常の夜には似ずふまれてもなほうつくしや萩の花舟〓〓の小松に雪の殘りけり舟にたく火に聲たつる衡かな船形りの雲しばらくや星の影舟人にぬかれて乘し時雨かな舟引の妻の唱歌かねぶの花舟引の道かたよけて月見哉舟かけていくかふれども海の雪ふとる身の植おくれたる早苗哉不圖飛で後に居なほる蛙かな佛名の禮に腰懷く白髮哉藤の花たゞうつぶいて別かな二つあらばいさかひやせん今日の月智月······三五九ふたつ子も草鞋を出すやけふの雪ふたつこそ老にはたらねとしの春二見まで庵地尋る月見哉芭舟旦亀東尙千丈芳魚松野越支落支川梧······藁草······三六〇日······三五〇T水······人·考······三七九考······蕉潮······三六二那······一九八泉洞······白······一七九100六三〇八七五〇空九五三吾三八〇野笑桃雪杉智舟智沾野竹芭胡沾其木去洞蕉圃角及來······一九五隣泉月節······三六八豐風······三五五圃······三四九明······三七一窓······三四〇月······一八九水······三六九六···二七四查云老六四·····三四八······二一二猿猿曠噸曠(英續曠續續續卷罐續續續炭曠猿續續續續續猿曠噴曠曠猿續猿不性さやかき起されし春の雨伏見かと菜種の上の桃の花梟の鳴止む岨の若菜かな更行や水田の上の天の川更る夜や鏡にうつる一しぐれ吹風の相手や空に月一つ吹風に鷹かたよせるやなぎ哉ふく風に牛のわきむく柳哉吹ちりて水の上ゆく蓮かな深き池氷の時に覗きけり風流のはじめや奧の田植うた天鵝毛のさいふさがして年の暮廣澤やひとりしぐるゝ沼太郞二日にもぬかりはせじな化の春更る夜や稻こく家の笑ひ聲ふ續猿振舞や下坐になほる去年の雛降りかねて今宵に成りぬ月の雨冬籠またよりそはん此はしら冬ざれや禰宣のさけたる油筒冬ざれのひとり轆轤や小野のおく冬枯の磯に今朝見るとさか哉冬枯に去年來て見たる友もなし冬枯に風の休みもなき野かな冬川や木の葉は黑き岩の間冬梅のひとつふたつや鳥の聲麓より足ざはりよき木の葉かな麓寺かくれぬものは櫻哉ふんばるや野分にむかふ柱賣文台の扇ひらけば秋凉し踏跨く土堤の切目や路のたうふみ倒す形に花さく土大根文もなく口上もなし粽五把去尙芭落一芭乃洞惟土枳李九呂拙乃嵐芭芭雪曲惟鷄万凡松杏秀俊芭惟史蕉兆芳」似人空蕉······一九六蕉芝······三四一翠······三三四乎·····雨······正一口·····五二一六···三六二1114 3re·····二〇六六〇六〇七三八六然······三八二邦······一七九風然風節雪芳ノ、龍······三三九蕉······二九二龍候······三三九梧丸······三八九雪······二七九來······二一七白······二〇六八蕉······三笑······一〇四三七六八五···三七五···三七五··三七五三三六六(引索旬俳) (引索句俳)
猿猿續嘖炭續噴猿卷猿春猿曠炭續曠炭時鳥何もなき野の門ン構へ蜀魂なくや木の間の角櫓時鳥なくや湖水のさゝ濁りほとゝぎす鳴やむ時をしりにけりほとゝぎす鳴〓〓風が雨になる子規なかぬ夜白し朝熊山ほとゝぎす十日もはやき夜船哉時鳥瀧よりかみのわたりかなほとゝぎすその山鳥の尾は長し時鳥脊中見てやる麓かなほとゝぎすさゆのみ燒てぬる夜哉時鳥けふに限りて誰もなしほとゝぎすとれからきかむ野の廣さ柳風······子規顏の出されぬ格子かな郭公かさいの森や中やどりほとゝぎす神業の中を通りけり時鳥一二の橋の夜明かなほ(土)チ凡史丈一利支風丈九曲李尙野沾玄其考草白水風兆······一八九邦······一八九草······三四七井······一〇〇牛······二七八泉······白······一八九坡······二七八圃······三四七察······一二五角·····三尺圖······一八九三三四二〓四三·二七八曠猿曠猿曠曠續(英木瓜莇旅して見たく野はなりぬ蓬萊や舟の匠のかんなくづボほころびや僧の縫せる夏ごろもヶ木履はく僧もありけり雨の花木履ぬく傍に生けり蓼の花瘡疱の跡まだみゆる花見哉蓬萊の具につかひたし螺の貝蓬萊に聞ばや伊勢の初便(ほ)鹽卷曠嗷猿續炭古〓や臍の〓になくとしの暮古池や蛙飛こむ水の音古宮や雪汁かゝる獅子頭古寺やつるさぬ鐘の菫草古寺の簀子も靑し冬がまへ振落し行や廣野の鹿の角振賣の雁あはれ也えびす講(h)ほ鼠山杜木傘湍圃芭芭芭釣一凡澤芭節蕉店······二一八菊一彈······三〇國······二七下水···········二四四·····二六七四二五三三四日蕉蕉雪井······一八兆······一八一蕉····一二四雉······三四〇···三〇五三三(英猿炭猿ふ猿待春や氷にまじる塵あくた待中の正月もはやくだり月町中へしだるゝ宿の柳かなまじはりは紙子の切を讓りけり曲江に箭の見えぬ鵜舟哉まがはしや花吸ふ蜂の往還り(ま)曠職續炭籠曠曠曠曠炭炭(銀)猿曠猿猿炭猿猿炭猿春曠續炭續法度塲の垣より內は菫かな牡丹すく人もや花見とはさくら榾の火や曉がたの五六尺骨柴の刈られながらもこの芽哉榾の火に親子足さす佗寐かな螢見や船頭醉ておぼつかな螢見や爰おそろしき八鬼尾谷螢見し雨の夕や水葵螢火や吹とばされて鳰のやみ螢飛疊の上もこけの露ほそ〓〓とごみ燒門の燕かな細脛のやすめ處や夏の山星はら〓〓霞まぬ先の四方の色星崎の闇を見よとやなく千鳥星さえて江の鮒ひらむ落葉哉星星合にもえたつ紅や蚊屋の緣合を見置て語れ朝鳥ほろ〓〓と落るなみだやへびの玉ほろ〓〓と山吹ちるか瀧の音掘おこすつゝじの株や蟻のより盆の月寐たかと門をたゝきけり穗は枯て臺に花咲椿かな佛より神ぞたふとき今朝の春時鳥またぬこゝろの折もありほとゝぎすはばかりもなき鳥かな時鳥なみたおさへて笑ひけり智楊利丈梅園越芭雪野殘と荷鼠除野湖丈凡去芭仙去乙怒涼田上尼······一九七珍呑芭露孤春兆來花レ來州沾草······二九七誰坡······二七五碩蕉······一九七霞蕉居P葉·····二七三·····二一五·····一一···二八三·····二四二·····二七五···二四二······三七五···二八六······三六二一九六三C B M風草······一八三餌千月······二九七水······二一四牛······二七一七一蕉風······芝、坡······二八六彈人······一一八香りめつ兮······一三九齒···三四二···三四一〓圖一二五(引索句俳) (引索旬俳)
猿炭炭曠籠猿續猿曠曠猿曠(炭猿續(春)噫炭猿曠猿曠春續曠曠續續猿曠曠曠炭續祭まで遊ぶ日なくて花見哉先たのむ椎の木もあり夏木立まつ白に梅の咲たつ南かな眞先に見し枝ならんちる櫻先祝へ梅をこゝろの多ごもり先明て野の末ひくき霞かな松の葉や細きにも似ず秋の聲松の中しぐるゝ旅のよめり哉松の木に吹あてられな秋の蝶松茸や都にちかき山の形まつ茸やしらぬ木の葉のへばりつく芭蕉······三六七松鳥や鶴に身をかれほとゝぎす松高し引馬つるゝ年をとこ松かざり伊勢が家買人は誰松笠の綠を見たる夏野かな松蔭や生船揚に江の月見待宵の月に床しや定飛脚(全) (2)野芭胡芭荷丈風俊舟惟曾釣其ト里景坡人蕉及草蕉兮國似泉然雪角桃······三六一··二七四·····二四〇·····一二二Oll···一二七三······三六六二三八〇·····三六七良······一九〇五二五七一枝······東······二八五(2)道ばたに多賀の鳥居の寒さ哉道くだり拾ひあつめて案山子哉みちのくのけふ關越ん筥の海老御手洗の木の葉の中の蛙かな味噌部屋の匂ひに肥る三葉哉みぞれ降音や朝飯の出來る迄鷦鷯家はとぎるゝはたれ雲みじか夜を吉次が冠者に名殘哉見しり逢ふ人のやどりの時雨哉みじかくて垣にのがるゝ柳哉三葉ちりて跡は枯木や桐の苗三聲ほど跡のおかしや郭公三日月のかけにて凉む哀かな三日月に鱶のあたまをかくしけり三日月に草のほたるは明にけり見かへれば白壁いやし夕霞見覺えんこや新玉の年の海尙桃杉好タ畫祐其荷此凡一素之野越長桥葉甫······三七九角······一九八兆人······隣······三〇二なって堂······二八二虹······白······一八二髪ル、風······二六七可·····好······一八五道······二〇五荻·····三五〇····三五三元全六〇···二〇二圖三五三敷炭續炭猿猿猿曠續猿曠曠曠嚝曠嗽曠みねの雲すこしは花もまじるべし箕に干て窓にとちふく綿の桃身につけと祈るや梅の籬際みな〓〓に咲そろはねと梅の花水無月や朝めしくはぬ夕すゞみ水無月も鼻つきあはす數奇屋哉水無月の水を種にや水仙花水無月の桐の一葉と思ふべし水もあり朝顏たもて錫の舟水底を見て來た顏の小鴨哉水鳥のはしに付たる梅白し水棚の菜の葉に見たる氷かな水汲て濡たる袖の螢かな水あびよ藍干上を踏ずとも湖の水まさりけり五月雨湖を屋根から見せん村しぐれ道細く追はれぬ澤の螢哉續曠猿猿猿繼曠曠曠猿續曠續曠迷ひ子の親のこゝろや芒原眉掃を面影にして紅粉の花豆植る畑も木部屋も名所かな萬才や左右にひらいて松の蔭萬歲の宿を隣に明にけり万歲を仕舞てうてる春田哉舞姫に幾度指を折にけりまねき〓〓〓の先の芒かな爼板に人參の根の寒さ哉窓くらき障子をのぼるほたる哉窓形に畫寐の臺 や松虫は通る跡より啼にけり簟見えすくや子持ひらめの薄永見上しがふもとになりぬ花の瀧ふう野孤遊野嵐凡不野風丈野勝鷗釣去尙靑岱俊羽芭凡荷昌荷凡沾不芭一去坡蘭來玉······一八二步屋······二八九麥·兆······一九九草······一八四雪··水······參水······一五水······吉······白······一〇四江······四···三三六一二九···二〇〇1층〓公究九·····一〇三充碧圃······三八三交······來号兆······二〇三髪······紅······二〇三分子1蕉······一九六一九八兆······三四五吾六〓充蕉······三五六七水······三七七似······四(引索旬俳) (引索句俳)
曠猿續續曠猿曠曠猿猿炭炭猿嗽臘猿炭猿獲(炭桃猿ふ猿續續猿曠曠見やるさへ旅人寒し石部山宮守の灯をわくる火串かな宮の後川渡り見るさくらかな都にも住まじりけり角力取宮城野の萩や夏より秋の花木兎やおもひ切たる畫の面みゝづくは眠る處をさゝれけりみほのやは首の骨こそ甲なれ身ぶるひに露のこぼるゝ靱哉御袴のはづれなつかし紅粉の花巳の年やむかしの春のおぼつかなみの虫や常のなりにて涅槃像簑虫や形に似合し月の影蓑虫の出方にひらくさくら哉簑虫の茶の花ゆゑに折られける蓑虫のいつから見るや歸花みのむしとしれつる梅のさかり哉(3) (t) (む)むづかしと月を見る日は火も燒かじ荷分······むづかしき拍子も見えず里神樂虫のくふ夏菜とぼしや寺の畑虫干や幕をふるへばさくら花虫干の眼に立まくらふたつかな虫干のその日に似たり藏ひらきむし干に小袖着て見る女かなむざんやな甲の下のきりぐ〓すむさし野やいく所にも見る時雨むさし野とおもへど冬の日脚かな麥藁の家してやらん雨蛙麥飯にやつるゝ戀か猫の妻麥蒔て奇麗に成し庵かな麥の葉に菜の花かゝる嵐かな麥畑や出ぬけても猶麥の中麥畑の人見るはるの塘かな麥の穗と共にそよぐや筑波山(3b)曾〓ト文圃冬芭舟洗智芭昌不野杜千良枝瀾「黨碧悔坡角つ文······一二蕉······二〇五悪國ロ泉······一〇四川······二七八月······異···二〇七三五占·····一二···三四六···一〇四一五···二一四八四六······二七九齒智亀李去桃芥半仙萩千荷野杜卓猿昌蕉桃來花袋笠洞隣······二八八水碧月······一八四·····一二五·····一二五·····二〇二境······一八三殘······一八三·····二八〇子······三七〇一九六那······吾兮·········二一六三六百若········三三三二一雖······八四丟續嘖炭敷曠曠籠穫續續嗤猿猿敷續猿嘖嘖嘖曠嘖(炭猿續續曠曠贖名月や草のくらみに白き花名月やかい突たてゝつなぐ舟名月や椽とりまはす黍の虛名月や海もおもはず山も見ず名月は夜明るきはもなかりけり名月はありきもたらぬ林かな名月の花かと見えて綿畠名月の海より冷る田蓑かな名月に麓の露や田のくもり名月にかくれし星の哀也目や遠う耳や近よるとしの暮目下にも中の詞や年の時宜目の下や手洗ふ程に海凉し目には靑葉山ほとゝぎす初がつを(b)麥ぬかに餅屋の店の別れ哉荷麥出來て鰹までくふ山家かな麥喰し雁とおもへどわかれかな麥刈て桑の木ばかり殘りけり麥がらにしかるゝ里の葵かな麥を忘れ花におぼれぬ雁ならし麥うつや內外もなき志賀のさと麥跡の田植や遲き螢時向のよき宿も月見る契かなむかばきやかゝる山路の菊の露花鈍素重許亢野作者不知···曾分······三八七良い峰堂······一二九紅······一九六水······三八可〓六······二七九五······〓交101···二〇六一三元ti見るところおもふ所や初ざくら見るものと覺えて人の月見哉見る人もたしなき月の夕かなみよしのはいかに秋たつ貝のおと左昌去去越釣芭洒芭泥西孤市素野荷乙破柳來蕉蕉碧······來······人······雪··堂費武······一一一屋······二六八隱······二四三堂············三五九要······二八五要要四七···三五七三八、三七七三五九四三州水ならし笠······一〇三···三三三哭四七(引索旬俳) (引索句俳)
猿猿猿曠續嗷續續續猿曠嗽曠炭噫繼もし桃柳配りありくや女の子羽桃の花境しまらぬ垣根かな門前の小家も遊ぶ冬至かな紅葉にはたがをしへける酒の間藻の花をちゞみ寄たる入江哉藻の花をかづける蜑の鬘かな物よわき草の座とりや春の雨もの〓〓の心根とはん月見哉ものゝふの川越問ふや不二詣物の音ひとり倒るゝかゞしかな物ずきやむかしの春の儘ならんものかげのふらぬも雪のひとつ哉物おもひ火燵を明ていかならん物いはじたゞさへ秋のかなしさよもち汐の橋の低さよ今日の月餅花の後はすゝけてちりぬべし餅搗や火をかいて行男部屋(中烏凡其殘胡〓露重凡越松舟舟利野岱炭續猿曠續續續續嗽續曠炭續續續續曠明月や不二見ゆるかと駿河町明月や西にかゝれば蚊屋の月明月や處は寺の茶の木はら名月やはだしでありく草の中名月や灰吹捨るかげもなし名月や寐ぬ所には門しめず名月や何もひろはず夜の道名月や長屋のかけを人の行名月やとしに十二は有ながら名月や遠見の松に人もなし名月や皷の聲と犬のこゑ名月や誰吹起す森の鳩名月や四五人のりし船舟名月や更科よりのとまり客名月や里のにほひの靑手柴名月や聲かしましき女中方名月や下戶と下戶とのむつまじき(is) (五)素如昌傘不風野闇文圃二洒需凉木丹胡紅······二一七巢······二一七兆······一八三角及沾翠水香······三四九兆······二〇七芳テ、ロ人······牛······二八五水······三八一泉······一三泉······一〇六充七〇···三四二...三五八·····三八七九六四九公萩龍······二八六行······三五八房······二〇七下······玉······三五九指······三五九鱗水、國······三五九掌下水······三五九笑······三五九葉、枝······三六〇楓及く異·····三六〇呉呉···二八五···三五九···三六〇四七續(炭)猿曠猿猿續猿猿獲續曠續續炭藪噂や穗麥にとゞく藤の花藪垣や馬の顏かく桃の花藪の雪柳はかりはすがたかな藪の中に紅葉みじかき立枝哉家根葺と並んでふける菖蒲哉痩藪や作りたふれの軒の梅宿かりて名をなのらする時雨哉燒にけりされども花はちりすまし頓て死ぬけしきは見えず蟬のこゑ漸くに寐所出來ぬ年の中唐士に富士あらばけふの月も見よ森の蟬涼しき聲やあつき聲守梅のあそび業なり野老賣漏らぬ程けふは時雨よ草の庵矢田の野や浦のなぐれに鳴衛(や)炭曠續續猿猿穫嗷餅搗や元腹さする草履取餅つきや内にもをらず酒ぐらひ餅搗やあがり兼たる鷄の塒もち搗の手傳するや小山伏百舌鳥鳴や入日さし込女松原百舌鳥の居る野中の杭よ十月默禮にこまる涼みや石の上もえきれて紙燭をなぐる薄かな炭曠炭續續炭めづらしや內で花見のはつめじかめづらしと生海鼠を燒やをのの奧食の時皆あつまるや山ざくら食時やかならず下手の鉢叩妙福の心あてありさくら麻明月や見つめてもゐぬ夜一よさも〓孤探林其千芭凡北芭土素乙其斜野李嵐馬凡嵐正荷杉俊野路木湖···········角丸蕉······三九〇兆······一八三枝······二二二ロ屋那······二二蕉·····一九八芳······三八二······三四二···二七五······二一三元······一九二州角······三三五嶺······二九四堂······一〇四···三五四坡······二九七佛······三八一下······蘭······三八一兆······二〇四蘭······一八〇秀······三五二兮······八八六風······二七二似······一〇四坡······二七四草···三八〇節······三四〇春······二八五(引索句俳) (引索句俳)
、猿續職續願雪の江の大舟よりは小舟哉雪汁や蛤いかす塲のすみ雪垣やしらぬ人には霜のたて雪折やかゝる二王の片腕雪あられ心のかはる寒さ哉ゆあびして若葉見に行夕かな(19願猿曠猿猿猿猿續猿續驗贖贖強鹽曠炭(焼)續蘊(〓嘶續〓曠曠山寺や猫守り居るねはん像山寺に米搗ほどの月夜哉山つゝじ海に見よとや夕日影山路の菊野菊とも又ちがひけり山路來て夕顏見たる野中哉山柴にうら白まじる竈かな山里に喰ものしひる花見かな山ざくらちるや小川の水車山櫻小川飛越すをなごかな山陰や猿が尻抓冬日山雀のどこやらに鳴霜の稻山賤が鹿驚つくりて笑ひけり山あひの花を夕日に見出したり八重ざくら京にもうつる奈良茶哉八重霞奧まで見たる龍田かな藪深く蝶氣のつかぬ椿かな藪見しれもどりに折らむ梅の花向屋わたりの宵はさびしや月の影破垣やわざと鹿の子の通ひ道破扇一度に流す御祓かな鍵持の猶振たつるしぐれかなやりくれて又やさむしろ年の暮闇の夜や巢をまどはして鳴衡闇の夜や小供泣出す螢舟病僧の庭はく梅のさかり哉病雁の夜寒に落て旅寐哉芳木蔦俊タ鈍市曾未正其芭凡曾芭不越智越市重尙智曹コ斗重心沾杜ト落川菊······三七九似······一二二自隼ト可······四九···二一四···三七九老撤······三八四人月柳五白人·····谷口月······二七三全······二七三從······三六八五二苗······圃······三三四國······枝······折ら〓.···二二三스〓吾四〇···三八三充里一〇二五八臺柳事I.角······一八八蕉······二一八兆······一九六秀······一七九良······一九一良······三三五蕉······二〇四呈···一二五猿續壙(曠)一個〓(英(英贖(炭)猿春職猿曠〓〓行秋の四五日弱るすゝきかな行秋を鼓弓の糸の恨かな雪ふりて馬屋にはひる雀かな雪の日や船頭とのゝ顏の色雪の日や酒樽拾ふあまの家雪の日や川筋ばかりほそ〓〓と雪の日や薄やうくもる寫しもの雪の松をれ口見れば尙寒し雪の不二藁屋一ツにかくれけり雪の日に庵かさうぞみそさゞい雪の日は竹の子笠ぞまさりける雪の原聲の子の薄か雪殘る鬼嶽さぶき彌生かな雪ちるや穗屋の芒の刈殘し雪の旅それらではなし秋の空雪の暮猶さやけしや鷹の聲雪の朝乾鮭わくる聲高し五九な卷籠曠續炭續猿春春續(英續春(〓續猿護山や花垣根〓〓の酒ばやし山もえにのがれて咲や杜若山まゆに花咲かぬる躑躅哉山伏や坊主をやとふ魂祭山伏の見事に出たつしはす哉山吹や垣に千たる蓑ひとへ山吹や宇治の焙爐の匂ふ時山ぶきのあぶなき岨のくづれ哉山吹と蝶のまぎれぬあらしかな山吹も散るか祭の鱒なますンやまぶきも巴も出る田植かな山人の晝寢をしばれ蔦かつら山畑の茶摘をかざす夕日哉山畑に物おもはゞや蕪引山の端をちから顏也春の月山鳥や躑躅よけ行尾のひねり山鳥のちつとも寐ぬや峯の月五八丈乙鳧其胡鷲猿杉湍依羽昌含芭野桂冬亀尾荷沾嵐闇芭越ト洒許桃重松魯探宗洞······頭······三四八兮指蕉枝圃······三八五人六雪〓······二九七妖······三六三芳·····一一三堂······三四二五······丸比······三六〇町······三四二三窒·三四一····二一九元〓······二八二三·····二二二州仙蕉及水汀笠······一八六文······草······二〇九角······雖······二九五風······三〇八碧タ······水······.n咕······一〇二·····三六九兇只······一二三四九二四·二九五〓三六〓종종(引索句俳) (引索句俳)
續猿(曠)夕月や杖に水なぶる角田川續嗽猿續曠續猿續續百合は過芙蓉を語る命哉夢に見し羽織は綿の入にけり夢去てまた一匂ひ宵の梅弓固とる頃なれや藤ばかまゆふ闇の唐網に入る蛙かな夕闇は螢もしるや酒ばやし夕波の船に聞ゆる薺かな夕月夜行灯けしてしばし見ん白雨や蓮の葉たゝく池の蘆白雨や蓮一枚の捨あたま白雨や中戻りして蟬の聲蘊籲續曠曠獲炭〓曠續炭鹽續(〓曠曠柚も柿も拜まれにけり御影講柚の色や起上りたる菊の露楪の世阿彌まつりや靑かつら行人の簑をはなれぬ霞かな行人や堀にはまらんむら薄行春も心得がほの野守かな行春のあみ塩からを殘しけり行春を近江の人とをしみける行蝶のとまり殘さぬあざみかな行つくや蛙の居る石の直行雲を寐て居てみるや夏坐しき行〓〓て程のかはらぬ霞かな行かゝり輪繩解てやる雉子かな行年よ京へとならば狀ひとつ行年や親に白髪をかくしけり行鴨や東風につれての磯をしみ行秋や手をひろげたる栗のいが(14)猿續曠夜神樂や鼻息白し面の内夜神樂に齒も喰しめぬ寒さ哉夜をこめて雪舟に乘たる娵入哉(よ) 1p (五)其史長風野嵐支一水孤ト越苔嵐正沾其嵐冬胡野野芭湖越燭風野塵塩釣芭文及水坡圃······三八六角水蕉睡交箒蕉雪······三四五車·三七三五七大九三釜···二二三春·····二九八人······二畜遊······三三三·····二八四毛空三三七·····三六九角······一八七邦······三八〇八七虹·····麥······三六三水······一〇八蘭······二三浪······三六三六三井·····鷗······三五五屋······三三四呎枝······人······一〇三蘇···三五四蘭······一九九秀······三五四曠續炭職(猿)夕暮や〓並びたる雲の峯猿續猿續曠續續嗷(英曠春猿夕立や檜の臭の一しきり夕立やちらしかけたる竹の皮白雨や鐘聞はづす日の夕夕立にさし合けり日傘夕立にどの大名かひとしほり夕立に干傘ぬるゝ垣穗かなゆふ立に傘かる家やま一町夕涼みあぶなき石にのぼりけり夕顏や醉て顏出す窓の穴夕顏や裸で起て夜半過夕顏や秋はいろ〓〓の瓢かな夕顔は蚊の啼ほどのくらさ哉夕顏の汁は秋しる夜寒哉夕顏のしぼむは人のしらぬ也夕顏に雜炊暑き藁屋かな夕顏によばれてつらき暑さ哉羽紅······一九九及曉史拙傘傘圃野去芭嵐芭偕支野越來候······三五四蕉蕉考人肩······二四四鳥······三五四邦······一九八下下水······〓〓蘭······三四九雪水······三六七三三四·二八二·二〇〇······三四九〓〓······二九二〓〓嗽續炭猿曠(領炭續續贖曠〓猿曠曠隨〓宵の間は笹にみだるゝ螢かな世の業や髮はあれども若夷世の中や年貢畠のけしの花淀よりも瀨田に鳴けかし郭公能きけは親舟にうつきぬたかな能ほどにはなして歸る月夜哉夜の雪おとさぬやうに枝折らん夜の日や不破の小家のすゝ拂世の中は鶺鴒の尾の隙もなしよの木にもまぎれぬ冬の柳哉四ツごきの揃はぬ花見ごゝろかな夜涼やむかひの見世は月がさす余所に寐てどんすの夜着の年忘余所の田の蛙入ぬも浮世かな芳野出で布子賣をし更衣よし野山もたゞ大雪のゆふべ哉よこた川植處なき柳かな六一元山里凡越巡芭里支落杜野尙一一除如蜂東蕉圃考梧國水髪風交輔···········三四六······二八二兆······二〇九九七人······禮······三四七··二七二三五二三八二一二八2018··一〇四白······二一四井······一〇七只四九行······一〇五(引索句俳) (引索旬俳)
炭曠續猿曠猿續續曠噸曠曠續春續續綿をぬぐ旅寐はせはし更衣綿の花たま〓〓蘭に似たる哉早稻刈て落つき顏や小百姓鷲の巢の樟の枯枝に日は入ぬわけもなくその木〓〓の若葉哉わきも子が爪紅粉のこす雪まろけ別るゝや柿喰ひながら坂の上若水や手にうつくしき薄氷わか水や凡千年のつるべ繩若水をうちかけて見よ雪の梅若葉からすぐにながめの冬木哉曠)若菜より七夕草ぞ覺えよき若菜つむ跡は木を割畑かな若竹や烟のいづる庫裏の窓若竹のうら踏たるゝ雀かな若草や松に付たき蟻の道若草やまたぎ越たる桐の苗(わ)敷猿猿(猿)終夜秋風きくや裏の山續續曠ふ猿弱法師我門ゆるせ餅の札娵入の門も過けり鉢たゝき呼かへす鮒賣見えぬあられ哉宵の雨しるや土〓の長みじか宵に見し橋はさびしや月の影宵闇の稻妻消すや月の顏宵の月西に薺のきこゆなりヨ(+) (5) (七) (3)其曾許凡闇一長如(わ)虹角······一八七良······二〇一六······三八〇兆······一八五指······三三八髪······行······二三四七·····一二(猿)欄干に夜ちる花の立姿炭老僧も袈裟かつぎたる花見哉(5)連翹やその望の日としほれけり(五) (ろ)九素乃凡亀探惟武亀藤荷越曲亀此風風鈴軒······蘿兮節······二七六洞然······三八七仙······三四四洞兆······二一八人洞······丸······一八五挈筋······三三八堂······龍······三六八睡······〓〓五五二六七ハム五五·三五三三三三四三胡羽之紅道······二七三·····二二一及······一七七曠曠曠猿曠續續猿嗽噸我もらじ新酒は人の醒やすき我は春目かどに立るまつ毛かな我等式が宿にも來るや今朝の春笑にも泣にも似ざる木槿かな藁一把かりて花みる阿波手哉椀賣も出よ芳野の初時雨詫しさは夜着をかけたる火燵哉渡りかけて藻の花覗く流かな渡し守ばかり簑着る時雨哉綿脫は松風聞に行ころか猿曠(猿)我事と候の迯し根芹哉續曠穫續續強曠(續)輪をかけて馬乘通る柳かな若楓茶色に成も一さかりわが宿はどこやら秋の草葉哉我宿はかつらに鏡すゑにけり我まゝをいはする花のあるじ哉我布團いたゞく旅の寒さ哉我庭や木ぶり見直すはつ櫻我かげや月に猶なく猫の戀吾書てよめぬものあり年の暮吾裏も殘しておかぬ若菜哉(b)猿春曠曠六尺も力おとしや五月雨六月の汗ぬぐひ居る臺かな炉を出て度々月ぞ面白き蠟燭のひかりにくしやほとゝぎす嵐般貞嵐湍空桃凡傘野曲宗是路沾沾丈探尙素巴其越野越齋室蘭水牙兆····一九水雪ナ先······三七八T一三五四〓·二〇二······一〇二······三七二二人〓〓〓〓荷草秋和白丈水······一九〇樂······三四六丸通······光四〇···三八九:····三三三······二一三···三三九公〓······三三六人角······一九五人水三四八五四三(引索旬俳) (引索句俳)
連旬索引
續曠〓瓢繼嗤春(ぐ)續(曠)秋草のとてもなき程咲みだれ瓢曠秋風に女車秋入初る肥後の隈本曉ふかく提婆品よむ曉いかに車ゆくすぢ縣ふる花見次郞と仰がれて赤い小宮はあたらしきうち赤秋風わたる門の居風呂秋風の船をこはがる波の音秋をなほなく盜人の妻秋うそ寒しいつも湯嫌あからむ麥をまづ刈てとる鷄頭を庭のの髭正男面〓曠(炭)七部集連句索引瓢(あ)あ松惟曲亀越越正里荷荷重惟利洞···一三三兮兮五然圃······三一八·····一三八三九21mm芳······一三六人、牛······二六二然秀······一七六···三二九水······一六二110一二五人···········一三八三九21mm炭炭炭續(英瓢曠猿瓢卷瓢曠(炭(き)曠瓢噴曠明はつる伊勢の辛洲の年籠り明しらむ籠挑灯を吹消して明ればかすむ野鼠の顏明るやら西も東も鐘の聲灰汁桶の雫やみけりきり〓〓す秋萩の御前に近き坊主衆秋の和名にかゝ秋の夜番の物申 の秋の田をからせぬ公事の長びきて秋の空尾上の杉に離れたり秋のころ旅の御連歌いとかりに秋のけしきの畑見る客秋の色宮も覗かせ給ひけり秋のあらしにむかし淨瑠璃秋になるより里の酒桶ア朝雲はれて氣味よき雉子の聲朝霧に日傭揃る貝吹て〃房る順聲續(英瓢曠(炭(き)曠一杉孤里孤珍野凡及旦珍越其芭越路荷野水碩······一七四····一三〇肩藁人碩二三〓一七······一四八491.···一四〇角を··二九九水······一三一兆······二三〇通······一六四犀牛···三〇六蕉·····人······三豊風······三一〇屋······二九九圃······三一七····一三〇二三〓一七三五(引索旬連)
藏曠猿卷炭(春)雨の雫の角のなき草(さく炭(炭)曠炭猿瓢炭瓢續瓢(も)雨止て雲のちぎるゝ面白や雨の若葉にたてる戶の口雨のやどりの無常迅速雨の日も瓶燒やらん煙たつ雨こゆる淺香の田螺堀うゑて雨あがり珠數懸鳩の鳴出して行燈の引出しさがすはした錢行灯はりてかへる浪人網のもの近づき舟に聲かけてあぶらかすりて宵寐する秋逢より顏を見ぬ別れして近江路のうらの詞を聞初て虻にさゝるゝ春の山中相宿とあと先にたつ矢木の町あひの山彈はるの入相じあひだとぎるゝ大名の供ら瓢猿瓢曠(きく)炭職(炭)春炭(き)春卷春(かく)曠卷疇道や苗代時の角大師汗ぬぐひ端のしるしの紺の糸汗の香をかゝえて衣をとり殘し明日は髪そる宵の月影越明日はかたきに首送りせん足なし碁盤よう借に來る足駄はかせぬ雨のあけぼの足輕の子守して居る八ツ下り芦の穗を摺る傘 のあざみや苣に雀鮨もる麻かりといふ哥の集あむ朝夕の若葉のために枸杞うゑて朝熊下る出家ぼくぐ朝朗豆腐を鳶にとられける朝月夜双六打の旅寐して朝毎の干魚備るみづ垣に朝毎の露あはれさに麥作る(あ)端正半越重野越孤執利芭荷雨昌杜落旦落野野荷雨杜孤孤嵐利芭荷野珍支正子梧水水兮桐國屋屋牛蕉兮坡雪、碩考珊······三〇八秀······一七五·····一五五·····一三九二六二〇五···二五九·····三〇〇二三···三〇五·····二三〇·····一六六·二二〇一六番···三三〇桐筆蕉藁······秀······一七四國人······一五三坡······二六五屋······二九九牛兮圭梧······一五六殘······二三五人······一六六五五人······一四六云·····二五二五二四三三九元炭曠(さく)續續(き)續續卷炭續曠(ロ) (き)曠泡氣の雪に雜談も せあれこれと猫の子をえるさまぐ〓に執筆有付て行出羽の有明におくるゝ花のたてあひてアラハタいあるじは貧にたへし虛家有ふりしたる國方の客有明の主水に酒屋つくらせて有明高う明はつるそらあらましのざこね筑摩も見て過ぬ新畠の糞も落つく雪のうへあら田の土のかわく陽炎あらさがなくも人のからかひあらこと〓〓し長櫃の萩綾ひとへ居湯に志賀の花漉てあやにくに煩ふ妹が夕ながめす三ぬ庄內野杜馬沾荷芭馬野孤里荷落杜越坡國寛······三一七蕉國圃······三一八分寛······三二〇水屋······三〇六圃······三一九兮······梧······一五四人······一四七···三〇六·····一四二二·····三一四元元四(き)炭炭曠曠〓春曠炭炭猿猿曠炭曠續(えく)あはれさの謎にもとけじ時鳥あばたといへば小僧いやがる粟をかられて廣き畑地あの雲は誰が涙つゝむぞ穴いちに塵うちはらひ草枕越あとなかりける金二万兩跡ぞ花四の宮よりは唐輪にてあて事もなき夕月夜かな預けたる味噌取に遣る向河岸暑病の殊に土用をうるさがりあつ風呂ずきの宵〓〓の月あつし〓〓と門〓〓の聲暑き日や腹がけばかり引結びあちこちすれは晝の鐘うつあぢきなや戶にはさまるゝ衣の妻あたまうつなと門の書つけあだ人と樽を棺に呑ほさん二野孤利芭越旦野野孤凡芭荷利其芭重三水屋牛蕉藁水坡屋兆蕉牛······三〇〇·····三〇八···一四七人······一五一人······一四九〓···一三〇二三〇······二六六·····二三一····二二七491···一四一······二五三角······一五〇蕉······三一四一〇五······三(引索句連) (引索句連)
炭(きく)炭嗤瓢續春春(さく)猿炭猿嗾續卷曠猿今に庄屋の口はほどけず今ぞ恨の矢をはな つ家のながれたあとを見に行家なくて服紗につゝむ十寸鏡いふ事を唯一方へ落しけり飯〓なる面桶にはさむ火打鎌ヒッ岩の間より藏見ゆる里岩苔とりの籠にさげられいはくらの聟なつかしのころ稻の葉延のちからなき風稻に子のさす雨のはら〓〓いのち嬉しき撰集のさた家子に行と羽織うち着て猪を狩塲の外へ追にがしいともかしこき五位の針立いとほしき子を他人とも名付たり糸櫻腹一はいに咲にけり(1) (う)聲例炭籠春曠曠職炭愈瓢炭(炭瓢曠(え) (소) (とく)いさみ立鷹引居る嵐かないざ心あとなき金のつかひ道伊駒氣遣ふ綿とりの雨いく春を花と竹とにいそがしく幾年を順禮もせず口をしきいくつの笠を荷ふ强力いくつともなくてめつたに藏造り幾月ぶりで越る逢坂幾日路も苦で月見る役者船いきりたる鎗一筋に狹箱息ふきかへす霍亂の針生ながら直に打こむひしこ漬生鯛あがる浦の春かないかめしく瓦庇の木藥屋鳥賊はえびすの國のうらかたいかに見よと難面牛をうつ霰いがきして誰ともしらぬ人の像(1)野荷利越珍惟野旦重珍杉去野曲昌越去里其沾昌松越釣野珍及其利珍越野羽荷兮坡······二五四碩然水黨五碩風來翠牛······二五六人······一四七水······一三一圭······人······一四九來······二三三三三、三····三二九兵六三言·····三〇九·····二二九·三三二圃圃牛圭人······一四八芳······一三六雪肩······一七二笠······坡······二六六五〓······三一九角······三〇〇···三二〇三人······一五〇···一三三碩······一七六角······二九九······二六〇碩······金七兮······三七三(冬)瓢炭炭瓢曠炭春瓢曠(炭)嗷猿炭續炭〓(きく)續瓢曠曠續愈猿猿曠春曠續噴瓢板へぎて踏所なき庭の内磯際に施餓鬼の僧の集りて伊勢の下向にべつたりと逢醫いつより寒い十月のそらいつやらも鶯聞ぬ此おくに僞りのつらしと乳をしぼりすていづくへか後は沙汰なき甥坊主一貫の錢むづかしと返しけり一荷になひし露のきくらげ一駄過してこれも古綿壹步につなぐ丁百の錢いちどきに二日の物も喰て置市中はものの匂ひや夏の月いそがしと師走の空に立出て醫の多きこそ目ぐるほしけれ一石者の藥は飮ぬ分別ふみし確カラウスの四米色深き男猫ひとつを捨かねていろ〓〓の名もむづかしや春の草入月に夜はほんのりと打明て入舟つゞく月の六月入込に諏訪の涌湯の夕間暮入こみて足輕町の藪深し入來る人に味噌豆を出す入かゝる日に蝶いそぐなり疱瘡顏の透とほる程齒の白き妹をよい所からもらはるゝイいらぬとて大脇差も打くれて印判おとす袖ぞ物うきいまや別れの刀さし出す今の間に雪の厚さを指て見る今の間に鑓を見かくす橋のうへモガホ(う)五杜珍利利曲亀孤荷正越孤野去孤臥桃沾芭里越翁落重里曲野亀乙凡凡兆······二二七一旦蕉隣水圃州井······一五九圃水圃······三一四梧藁······五兆······二二五···三〇二·····一五五ニ···三一四·····一六三ニ元洞······一三三······三二一······一六八云···一四六人······一四······一六三國アリ碩牛水來牛·····洞······一三四国民主兮······秀······一七五人······一五二屋······二五六水······一三九屋······二五七高······三三一モ···一六四三〇二二五五······一六一二六四三·····二二六(引索句連)句連)
(炙)炭護炭強瓢(大)炭嗤炭炭炭猿愈曠猿(きく)梅が香にのつと日の出る山路かな馬のとほれば馬のいなゝく馬に召神主殿をうらやみて馬に出ぬ日は内で戀する馬がはなれてわめく人聲姥ざくら一重櫻も咲殘り越上塗なしに張ておく上張を通さぬ程の雨降て上おきの千葉きざむもうはの空夘の刻の箕手に並ぶ小西方うどんうつ里のはづれの月の影うと〓〓と寐起ながらに湯をわかす胡及······一五七うつり香の羽織を首に引まきて鶉ふけれと車ひきけり(う)うんじ果たる八專のそら馬引て賑ひ初る月の影馬の荷物のさはる干もの沽(えーゑ)壁芭利臥冬乙芭孤孤岱野珍荷珍荷圃州······一六八碩······二三四碩······一六四高坡······三〇六兮······一六六兮·····文······一三ヒ蕉······三〇六人······一三〇屋······三〇一水······二五五牛下屋······二五九蕉······二四九···二六六······三二九三〇五曠(ぐ)續續猿瓢(き)續猿曠猿(きく)續猿炭噴猿臼をおこせばきりぐ〓す飛牛の跡とぶらふ草の夕ぐれに請狀すんで奉公ぶりする鶯の路には雪を掃殘し鶯の音にたひら雪ふる鶯の寒き聲にて鳴出し二鶯はいつぞのほどに音を入て浮世の果は皆小町也うき世につけて死ぬ人は損うき人を枳殻垣よりくゞらせん魚に喰あく濱の雜炊茴香の實を吹落す夕あらしうぐひす起よ紙燭とぼしてうきははたちを越る三平うき旅は鵙とつれ立渡り鳥魚の骨しわぶる迄の老を見て魚をもつらぬ月の江の舟(う)越芭沾馬凡芭臥芭越芭杜里芭芭越去蕉莫蕉人······一四四圃······三一六兆······二三一嘯······一七一高······三二八蕉······二二八舊來······二二八蕉······二三〇人······一五〇蕉······二二六國圃.一人······一四九四···三一七三Oニ····二五一瓢炭瓢(き)曠(き)炭續春炭炭曠曠曠猿醉を細目にあけてふかるゝ江戶の左右向ひの亭主登られて江戶酒を花咲度に戀しがり江を近く獨樂庵と世を捨てうれしとしのぶ不破の萬作うれしげに囀る雲雀ちり〓〓と瓜の花是からなんぼ手にかゝる賣物の澁紙つゝみおろし置賣殘したる虫はなつ月賣手もしらず賴政の筆賣手からうつて見せたるたゝき鉦恨たる淚まぶたにとゞまりて占を上手にめさるうらやまし浦風に脛吹まくる月涼し梅若菜まりこの宿のとろゝ汁(え-ゑ)七曠曠春曠曠續炭瓢卷曠曠猿炭應(猿)瓢瓢空蟬の離魂の煩のおそろしき美しき鯲うきけり春の水内へはひりて猶ほゆる犬内はどさつく晩のふるまひ內でより菜がなうても花の蔭諷ひ盡せる春の湯の山歌唄うたる聲のほそ〓〓歌あはせ獨鈷鎌首まゐらるゝ薄雪のこまかに初手を降出し薄雪たわむすゝき痩たり薄雪かゝる竹の割下駄羅に日をいとはるゝ御かたちうつかりと麥なぐる家に連待て打むれて浦の苦屋の汐干見ようたれて蝶の夢は覺ぬるうそつきに自慢いはせて遊ぶらん薄曇る日はどんみりと霜をれて六野芭正重越芭桃里執孤嵐越野長芭其舟李越傘里利翁旦舟越野利正史曲乙州······一七二風牛藁泉人水牛角······一四九T圃······三一三秀······一七五邦······二三六水······一六二泉······一三五二人······一四三一三·三〇四一四百〓三四一四、·····二三二····二六四蕉圃筆虹······一五八蕉······二三四人······一三一隣······三〇二屋ト雪······二五四人······一四九水······一五六九三二一二三·二六三徑······一七〇蕉······二五〇秀······一七五五······三五(引索句連) (引索句連)
卷曠(曠)思ふさま押あふ月に草臥つ(冬)猿瓢(冬)續猿(冬)卷春瓢炭(續)折〓〓は突目の起る天氣相曠曠(おーを)をるゝはすのみたてる蓮の實御留守となれば廣き板敷親子ならびて月にものくふおもふ事布搗哥にわらはれておもひのまゝに早稻で屋根葺おもひ切たる死ぐるひ見よおもひかねつも夜るの帶引おもひがけなき風吹のそらおもひ合たりとれも高田派表町ゆづりて二人髮剃んおもしろう霞むかた〓〓の鐘女郞花心細氣におそはれて大水のあげくに畑の砂のけて大年は念佛唱ふるえびす棚大勢の人に法華をこなされて(か炭炭續(き)炭曠(冬)炭(炭)曠(冬)襟に高雄が片袖をとく瓢炭(ぐ)曠おくれて一羽海わたる鷹小栗よむ片言ませて哀也奧の世並は近年の作奧のきさらぎを只なきに泣置わすれたるかねを尋る萩の聲どこともしれぬ所ぞや岡ざきや矢矧の橋の長き哉御茶屋の見ゆる宿のとりつき御頭へ菊もらはるゝめいわくさ御有樣入道の宮のはかなげに(お-を)撰あまされて寒き明ぼの緣端に腫たる足を投出して緣さまたげの恨のこりし醉ざめの水の飮たき頃なれや(おーを)芭凡里珍野野里史重傘釣越野執利旦越孤其芭野孤執杜利野鼠芭探孤芭傘蕉兆圃碩圃邦人筆菓水人······一四三水五一T雪·ア水、牛······二六五天〓二〇······三二一二四三二番·····三二一···二二六10一四二···一三四三三三六九〓屋······二九九水角······三〇一蕉······三二四屋······二五七筆······國牛······二六四坡······二四九彈······一五九1三五九蕉······志屋蕉下···二六三一〇一三一一四一五(春)瓢藏贖(冬)曠贖猿贖(冬)影法の曉寒く火を燒て春(猿)笠あたらしき春の明ぼの炭笠白き太秦祭過にけり駕のとほらぬ峠越たり陽炎のもえ殘りたる夫婦にてかけひの先の瓶氷る朝かけがねかけて看經の中影うすき行燈けしに起わびてかくすもの見せよと人の立かゝり垣穗のさゝげ露はこぼれて書なぐる墨〓をかしく秋暮てかゝる府中を飴ねぶり行かゝさずに中の巳の日を祭る也か,九續曠炭續猿炭炭續卷(英(き) (英春炭職炭猿炭噴大阪の人にすれたる冬の月大きな鐘のどんに聞ゆる追たてゝ早き御馬の刀持帶ときながら居風呂を待帶賣の戾り連だつ花くもり尾張でつきしもとの名になるおの〓〓なみだ笛を戴く同じ事老の咄しのあくどくて音もなき具足に月のうす〓〓と羽男まじりに蓬そろへる弟も兄も鳥とりにゆく弟はとう〓〓江戶で人になる落着に荷兮の文や天津雁落かゝるうそ〓〓時の雨の音押合て寐ては又立假まくら瘧日をまぎらかせども待こゝろ桶のかづらを入しまひけり八利惟去孤孤芭荷桃岱李利其野芭利昌おろ〓〓と小諸の宿の畫時分おれが事歌によまるゝ橋の番野乙路越鼠芭野野越芭史野利傘芭州······二三四蕉水邦水······通······一六四彈······一五六水ト蕉······牛······二六四人······人······一三一水······一五五三呈三一四一一〇一四七·····二二四蕉下······一四五三三元然來合······三一〇屋蕉屋······三〇〇兮·····隣笠水風······坡牛······二五四蕉·····三三一·····二二九······二六〇·三三六···三〇四···三二角······一四八···二六五·····二二六牛······二六一碧······一三五〓三五二二(引索句連) (引索句連)
炭猿(〓瓢炭曠卷瓢續炭炭(を)炭卷瓢曠炭鎌倉のたより聞せに走らする顏のをかしき生れつき也泥顏に物着てうたゝ寐の月顏かまへをかしき門口の文字顏見に戻る花の旅立顏にこぼるゝ玉笹の露かへるやら山陰傳ふ四十から歸るけしきか乙鳥ざわつく壁をたゝきて寐せぬ夕月かぶろいくらの春ぞかはゆき買込だ米で身體たゝまるゝ蝙蝠の長閑につらをさし出て蛙のみ聞てゆゝしき寐覺哉かはらざる世を退屈もせずに過川越の步にさゝれ行秋の雨川越の帶しの水をあぶながり懷ブ(かつに梓き居る正野松雨其里野桃芭野利路野荷野野炭(をく(曠)風ひきたまふ聲のうつくし越春續(曠)風に吹れて歸る市人曠炭猿(き) (きく)曠炭曠春瓢(冬)風吹ぬ秋の日瓶に酒なき日風細う夜明烏の鳴わたり風の目利を初秋の雲風のなき秋の日舟に網入よ風にたすかる早稻の穗の月組買の七ツ下りを音づれてかすみうごかぬ畫のねぶたき樫檜山家の體を木葉降かしらの露をふるふ赤馬柏木の脚氣の頃のつくぐ〓とかした處のくれぬ細引かしこまる諫に淚こぼすらし傘の內近付になる雨の昏に蓋に盛る鳥羽の町屋の今年米笠ぬぎて無理にもぬるゝ北時雨(か)岱芭荷荷里芭利去重重野嵐野李野荷秀······一七四坡······二五五芳······一三八桐土······一六八角······三〇〇圃······三一八舊水水水······二三二隣······三〇三なる!坡······三〇七牛······三〇三通······一六四水·········二一···三〇七兵二五······一五四水······二五六蕉······人······一呉兮·····一二九兮······圃······三一七蕉······一四六牛······三〇六來······二三〇五水五······雪······二五五水、風徑エ二元四一二一··一三一三···一七二兮········三曠(き) (ぐ)續猿瓢(冬)瓢曠炭愈炭愈(き)瓢炭曠から風の大岡寺繩手吹透し通路の突張こけて迯かへり粥すゝる曉花にかしこまり萱屋まばらに炭團つく白鴨のあぶらのまだぬけぬ春加茂のやしろはよき社也加茂川や胡麻千代祭り微近み龜の甲烹らるゝ時は鳴もせず橘の路もしどろに春の來て堪忍ならぬ七夕の照り看經の嗽にまぎるゝ咳氣聲上のたよりにあがる米の直上下ともに朝茶のむ秋髮はやす間をしのぶ身のほど髪くせに枕の跡を寐直して髪置は雪踏とらする思案にて紙子の綿の裾に落つく長タドン野野野羽芭荷荷利支乙州里芭馬芭乙野徑······一六九笠······兮水······一三九水······蕉······二三三令?牛蕉蕉考······三二五州坡東······一七〇虹······一五八莧······三一九西六二二·〇三元二七七···二四九二······一七〇···三〇四曠曠(炭)川から直に小鮎いらする炭(かく曠曠春炭猿曠炭炭猿曠瓢炭川越くれば城下の道越人······一五二蚊のをるばかり夏の夜の疵金佛の細き御足をさするらん門守の翁に紙子かりて寐る門の石月待闇のやすらひに門を過行茄子よびこむ記念にもらふ嵯峨の苣畑帷子も肩にかゝらぬ暑さにて形なき繪を習ひたる會津盆肩衣はづれ酒に醉ふ人片道は春の小坂のかたまりて片はげ山に月を見るかな片隅に虫齒かゝえて暮の月片風たちて過る白雨片足〓〓の木履たづぬる風止みて秋の鷗の尻さがり一〇越石嵐重野荷重野嵐長野利乙胡珍利菊······三〇九人······一四二雪ナ、水五十兮······一三四五十坡く曹虹······一五七州···二五四三·····三九三···三〇四二三六坡······二五二牛······三〇五2二m及······一五九碩······一七四牛······三〇七(引索句連) (引索句連)
炭炭(く) (ぐ)猿春炭嗷(英續續曠曠炭續噸嗽京は惣別家に念入客を送りて提る燭臺狂句こがらしの身は竹齋に似たる哉芭蕉巾に木槿をはさむ琵琶打金鍔と人によばるゝ身の安さ君のつとめに氷ふみわけ君來ねばこはれ次第の家となり黍もてはやすいにしへの酒黍の穗は殘らず風に吹倒れ際の日和に雪の氣遺ひ着物を碪にうてと一つ脫着ものゝ糊のこはき春かぜ着の儘にすくんで寐れは汗をかき衣引かぶる人の足音キンツバきのふから日和かたまる月の色着がへの分を舟へあづくる砧も遠く鞍にいねぶり·シ(き) (?利岱荷芭羽其野野惟沽嵐越利臥芭一牛蕉坡圃人水······二五七兮雪蕉······一四八井······一五九笠······角······三〇一水······一五六然······三三〇牛······二五七高······三三〇···三〇四四····二三一二五··二五四···三一三三一三(英曠春(소)續機嫌能かひこは庭に起かゝり菊萩の庭に疊を引ずりて菊ある垣によい子見ておくきえぬ卒都婆にすこ〓〓と泣聞て氣味よき杉苗の風炭飄炭曠瓢(く)續續(英かれし柳を今にをしみて雁行かたや白子若松雁の下たる筏ながるゝ雁がねもしづかに聞ばからびすや假の持佛にむかふ念佛狩衣の下に鎧ふ春風雀の字や揃うて渡る鳥の聲辛崎へ雀のこもる秋のくれすから身で市の中を押あふ(か) (き+) (き)野越旦荷馬岱翁其越珍芭芭馬其坡藁兮人······一四九莧······三一九···二六三二三二水······二五六角······三〇〇蕉蕉人······一四五碩······一六三角一六二四三二五莧······三一六·····三〇一續(冬)曠(きく)猿續驗(炭炭春(さく) (き) (炭炭炭妓王寺のうへに上れは二尊院霧に舟ひく人はちんばか霧下りて本郷の鐘七つきく伐り透す〓と檜のすれあひてきり〓〓す薪の下より鳴出して切蛯の喰倒したる植たばこ桐の木高く月冴るなり霧拂ふ鏡に人の影移り曠瓢曠曠炭曠(炭愈(全く(く)曠猿(炭)岸のいばらの眞白に咲(さく續春明きぬ〓〓やあまりかぼそくあてやかに芭蕉···一四、狐の狐つきとや人の見るらん越きつきたばこにくら〓〓とする氣にかゝる朔日しまの精進箸氣たてのよきと聟にほしがる北より冷る月の雲行北野の馬塲にもゆる陽炎北の御門を押あけの春北のかたなく〓〓簾おしやりて木鋏に明るう成りし松の枝木曾の酢莖に春もくれつゝ雉追に烏帽子の女五三十きさんじな靑葉の頃の樅楓きさらぎや餅酒すべき雪ありてきさらぎや瀑を買に夜をこめて恐る弓かりにやるサラ珍荷野野孤正芭羽長凡野野惟聽冬坡碩······一七四水人······一三一兮······一四一蕉笠屋······三〇一秀······一七六虹······一五八兆······二三二坡······二五九水······然······三二三雪·····二六六······一四一四三二九文······一三八具足めさせにけふの初午櫛箱に餅すゑる閨ほのかなる草むらに蛙こはがる夕間暮草の葉にくぼみの水の澄ちぎり口〓〓に寺の指圖を書直し口をしと瘤をちぎるちからなき宮司が妻にほれられてうきアスト馬野落荷凡馬胡孤野雨野杜孤利野水梧兮兆寛······三二〇及······一五七莧······三一八五·····一五五六······二二七屋坡桐水國屋牛坡······二六一·····二六三·····二五一二〇二三···二六二···二五六連) (引索句連)
籲炭籟(炭)けふもだらつく浮前の船(冬)けふは妹の眉かきにゆき(さく(冬)炭強嗽炭續(きく)〓(瓢)けふも又川原咄しをよく覺え槻の角のはてぬ貫穴肩癖にはる湯屋の膏藥元政の草の袂も破ぬべしけぶたきやうに見ゆる月かげけふはけんかく寂しかりけり五ケンゲ兼好も莚織けり花ざかりけふも又もの拾はんと立いづる芥子のひとへに名をこぼす禪けしの花とり直す間に散にけり喧嘩のさたもむざとせられぬけふの暑さはそよりともせぬ形菫の畠六反續猿瓢瓢續(春)くもりに沖の岩黑く見え瓢春(きく)愈炭讀驗瓤(炭)くばり納豆を仕込廣庭續(春)ロすゝぐべき〓水ながるゝ來る程の乘掛は皆出家衆來る春につけても都忘られず內藏頭かと呼聲はたれ暗がりに藥鑵の下をもやし付鞍置る三歲駒に秋の來て悔しさはけふの一步の見そこなひ曇らずてらず雲雀雲かうばしき南京の地熊野見たきと泣給ひけり熊谷の堤きれたる秋の水供奉の草鞋を谷へ掃こみ喰柿も又くふ柿も皆澁し喰物に味の付こそ嬉しけれ喰かねぬ增も舅も口きいて()け鳴也け(こ)馬利芭杜惟嵐荷荷里孤野野馬杜松惟里乙昌翁馬執荷羽翁岱野傘珍芭孤越莫牛蕉國一然水東、屋坡······二六三雪··兮······一三六兮······一三六其T芳·····一三八國······isma三〇三七九···三二四···二五二三六···三〇一四···三二一一〇州然······三二四東······一六九房筆兮水蕉草ノ笠······水······三〇九下······碩······屋······二六一人······二三四··一七二一八一···三一六二〇二九三二三一·····一四一三三一三三·····三三〇三炭(曠)下戶は皆いく月のおぼろけ(き)炭續春曠芥子尼の小坊交りに打むれて今朝よりも油あげする玉だすき下肴を一舟濱に打明て仰に加減の違ふ夜寒さ鷄頭見てはまた鼾かく傾城乳をかくす有晨if瓤(税猿猿(水) (き)瓢(炭(かく)猿瓢炭瓢瓢春曠)心やすげに土もらふなり曠爰もとはおもふ便も須磨の浦心見らるゝ箸のせんたく心の底に戀ぞありける苔ながら花に並ぶる手水鉢こきたるやうにしぼむ萩の葉こがれ飛たましひ花の陰に入聲よき念佛藪をへだつる小六うたひし市のかへるさ小畫のころの空しづか也小三太に盃とらせひとつうたひ小刀の蛤刄なる細工ばこ小唄そろへるからうすの繩好物の餅をたやさぬ秋の風口上果ぬいにざまの時宜碁いさかひ二人しらける有明に碁打を送るきぬぐ〓の月嗽(炭) (續)くわらりと空の晴る靑雲炭炭春炭曠くわら〓〓とくさびぬけたる米車くわた〓〓と河内の荷物送りかけ黑谷の口は岡崎聖護院黑髪をたはぬるほどに切殘し暮の月橫に負來る古柱暮の月干葉の茹汁惡くさし暮過て障子のかけのうそ寒き亀嵐里猿芭長荷荷珍利芭半探野正怒野荷越芭落馬野昌芭落野利荷野利胡人梧坡兮······寛蕉······三〇八圭······云三一五·····一五四·····三二一·····二五三二〇蕉坡坡梧牛ならず牛······二五九三四一五··二五四···二五三二······二六一及······一五九洞東雖雪·蕉虹兮兮碩牛蕉殘城、秀······一七六誰····一六七言···二五四···一七一····二三六·····二二五·····一五九二一〇一六五···二六三五·····二三六志······一七一···三〇五元水······(引索句連) (引索句連)
炭贖(〓雜役の鞍を下せば日が暮てさい〓〓ながら文字間に來る西王母東方朔も目には見ず(さ) (三)さ春炭(猿)五六本生木つけたる瀦曠曠續炭續鹽きく炭職垢離かく人の着ものゝ番米つく音は師走なりけりこんにやくばかり殘る名月ごまめを膳にあらめ片菜駒のやど昨日は信濃けふは甲斐ころ〓〓と寐たる木賃の草枕ころびたる木の根に花の鮎とらむ米搗もけふはよしとて歸る也氷ふみ行水の稻づま五百のかけを二度にとりけり鯉の鳴子の綱をひかへる戀の親とも逢ふ夜たのまん 越荷野昌其支芭沾野重凡野孤續炭(炭) (冬) (冬) (き)炭續炭續猿〓瓢猿瓢(かく續今年は雨のふらぬ六月殊に照年の此あたり彌生は花のけもなくて今年の暮は何もこつ〓〓とのみ地藏きる町骨を見て坐に泪ぐみうちかへりこちにもいれどから曰をかすこち風の又西になり北になり東風かぜに糞のいきれを吹まはし火燵の火いけて勝手をしづまらせ湖水の秋の比良の初霜こそ〓〓と草鞋を作る月夜ざしこそぐりおこす相住の儈こそぐられてはわらふ俤こしらへし藥もうれず年の暮乞食の簑をもらふしのゝめ腰かけ積し藤棚の下臥チ小角豆の花もろし囉はぬ惟芭野野荷芭野惟芭馬凡落路芭珍荷野芭越水考蕉圃兆碧······角.分······一四一水五十坡······二五三屋······三〇七人······一五〇二四ニ〓o三二五··二五〇三ISI·····二二八八坡······二五三奮人······一五〇三四蕉坡人、然······三二五水兮蕉然坡······二五〇奮草下兆通蕉碩兮高·二五四······三二四···二五〇···三二一·三三六梧·········二二六···一六五·····三三一三見一四二六四兵天六續續(さく)曠曠瓢曠曠炭續巻續曠炭曠猿春)櫻ちる中馬ながく連曠笹の葉に小路埋ておもしろき笹つとを棒につけたる狹箱篠ふかく梢は柿の帶さびし酒よりも肴のやすき月見して酒の半に膳持てたつ酒ではげたるあたま成らん酒しひならふこの頃の月酒熱き耳につきたるさゞめごと酒をとまれば祖母の氣に入さくらの後は楓わかやぐサ.盃も忘るばかりの下戶の月サ咲わけの菊にはをしき白露ぞサエさきぐさや正木を引に誘ふらん盛なる花にも扉おしよせて竿竹に茶色の紬たぐりよせ寒ゆく夜半の越の雪鋤草庵にしばらく居ては打やぶり二七愈(き) (炭春瓢瓢續(猿)此春も虛同が男居なりにて(炭)猿職炭猿炭曠炭炭戀にはかたき最上侍戀せぬきぬた臨濟をまつ子は裸父はてゝれで早苗舟こは魂まつるきさらぎの月木のもとに汁も鱠も櫻かな此村の廣きに醫者のなかりけり此盆は實の母のあと問て此春はどうやら花の靜なる此夏もかなめをくゝる破扇此年になりて灸の跡もなき此度の藥はきゝし秋の露此筋は銀も見しらず不自由さよ此島の餓鬼も手をする月と花此里に古き立番の名をつたへこのごろは宿の通りも薄らぎしシテリ此かいわいの小鳥皆よる沾臥野支荷曲芭其野沾重越胡支昌野長芭昌芭利旦翁荷馬史利園一野芭芭芭利利水考蕉圃·····三一四高······三三〇分······一三六水······一六三角······一四九坡······三一〇五人一及······一五七坡······二五九虹······一五七圃······三二〇考······三三一碧······一三四蕉······二二九六···三二四···一四五元〓蕉牛藁房······一七三兮······一六五莧······三一八邦······二二五風······二三六蕉牛······二五六井······一五八蕉坡······三〇三蕉·····二五九11m··三〇六牛······二五八牛······二五四七三一六一興(引索句連) (引索句連)
(冬)續猿(冬) (冬) (さく)曠瓢(さ)曠炭炭瓢炭忍ぶともしらぬ顏にて一二年しとぎ祝うて下されにけり日東の李白が坊に月を見てジツトウしのぶ間のわざとて雛を作り居るしなぬ合點で煩うて居るしづかさに飯臺のぞく月の前靜御前に舞をすゝむる賤の家に賢なる女見てかへる賤を遠から見るべかりけり四十は老のうつくしき際齒朶の葉を初狩人の矢に負て次第〓〓にあたゝかになる紙燭して尋て來たり酒の殘鴫紫蘇の實をかますに入る夕間暮しきりに雨はうちあけて降敷金に弓同心の跡を繼眞し黑に來て遊ぶ也桃野野沾素重重其重野珍野冬珍其越野(さく)猿猿卷炭續猿瓢(冬)春曠)寂しき秋を女夫居りけり曠續曠)ざぶ〓〓と流れを渡る月の影曠曠曠三線からん不破の關人さま〓〓に品かはりたる戀をして淋しさは垂井の宿の冬の雨里見え初て午の貝ふく里深く躍〓へに二三日里人に薦を施す秋の雨越里離れ順禮引のぶらつきて定らぬ娘のこゝろとりしづめ座頭のむすこ女房呼けり坐敷程ある蚊屋を釣けりさし木つきたる月の朧夜さゝらに狂ふ獅子の春風さゝやく事の皆聞えつる山茶花匂ふ笠のこがらし羽漣や三井の末寺の跡とりに重凡荷落舟芭長利芭沾一凡二荷旦(ゝゝ)し水水圃男五五角クノ水五一文······一三八隣······三〇三水······一五三碩······一七〇角ら碩······一六四人······一六七坡······二六五九一二、三二(10.0)四六一元一三八···三〇一五十兆梧泉蕉虹人牛蕉兆分······一三七ならい等藁六·····二二九·····一五六······一三七·····二二四二七〓······二六六····三二五圃······三一七井······一五八···二二五嘯······三三1:12七宝(きく)炭春續(大(冬)霜月や鸛のイ々ならび居て炭續炭(きく)續猿猿續瓢續續霜霜氣たる蕪くふ子供五六人しまうて錢を分る駕昇塩出す鴨の苞ほどくなり汐風によく〓〓きけば鷗なく十里あまりの餘所へ出かゝり十二三辨の衣裳の打揃ひ十四五兩のふりまはしする澁柿もことしは風にふかれたり師走比丘尼の諷の寒さよしばし宗祗の名を付し水柴舟の花の中よりつゝと出で柴の戶や蕎麥ぬすまれて歌をよむ柴さす家のむねをからげる篠竹まじる柴をいたゞくシしのぶ夜のをかしうなりて笑出すに一九まだ見る蕣の食(七十) (えく) (今)曠曠秋蟬の虛に聲きくしづかさは秋水一斗漏つくす夜ぞ秋湖かすかに琴かへす者しか〓〓ものもいはぬつれなきしをりについて瀧の鳴る音ち愈續(猿)猿引の猿と世を經る秋の月炭曠猿(炭)算用に浮世を立る京住居續噴炭猿蓑にもれたる霜の松露哉さわ〓〓と切籠の紙手に風吹て晒の上にひばり轉る寒うなりたる利根の川舟參宮の衆をこちで仕立る三里あまりの道かゝえける三方の數むづかしと火にくぶる三人ながらおもしろき春(杜荷沾芭孤昌里利孤里孤杜沾史去惟荷野野野芭野二沾芭利荷芭沾去荷執國兮圃蕉國屋······三〇七書牛圃······三一四國巴圃······三二〇來······二三二屋ト屋·····二六二邦······二二六然······三二二兮······一六六五四······三一六·····三二八二〇····二六〇二六二···三一三·三蕉水水水水············一五五110七三10黨嘯······一七二牛蕉圃······分圃來三二二·····二二八······二五八·····一三〇三〇七·····三二二·····二二五兮····一四一筆······二六七(引索句連) (引索句連)
卷卷瓢瓢炭續(き)嗽(き)炭(瓢)雀を荷ふ籠のぢゝめき猿瓢(炭)すた〓〓いうて荷ふ落鮎炭炭續須磨寺に汗の惟子脫かへむ簀の子茸生ふる五月雨の中素布子一つ夜寒也けり砂の小麥の瘦てはら〓〓砂にぬくみのうつる靑草捨られてくねるか爲の離れ鳥捨て春ふる奉加帳なり筋違ひに木綿袷の龍田川スヂガ砂を這ふ棘の中の絡線の聲捨し子は柴刈長にのびつらん雀かたよる百舌鳥の一聲鈴繩に鮭のさはればひゞく也煤はくうちは次に居替るすゝけぬる御前の箔のはげかゝり煤をしまへばはや餅の段(3) (せ) (公)愈敷猿(ぐ) (冬)瓢猿炭(大)瓢(猿)汐さたまらぬ外の海づら乙(ぐ)續續曠猿酌順禮死ぬる道のかげろふ珠數くりかけて脇息のうへ汐のさす椽の下まで和日也新疊敷ならしたる月かけに野しらかみいさむ越の獨活刈しよろ〓〓水に蘭のそよぐらん凡寂として椿の花の落る音庄屋の松をよみておくりぬ庄野の里の犬におどされ狀箱を駿河の飛脚請取て醬油ねさせてしばし月見るしやうしんこれはあはぬ商ひ正月ものゝ襟もよごさず唱哥はしらず聲ほそりやる下京は宇治の糞舟さしつれてとる童蘭切にいでL (4)荷曲松野杜荷珍沽猿桃臥嵐孤珍重越正里野沽羽越野野孤智二孤里子沾人五······秀······一七六東、圃控、笠······人······一三二水······坡······二六四屋······二五八月······二三五嘯······一七二屋······三〇〇東······一七三珊······三二圃······三一三100二七···一六七··三〇六···三二一三一〇分兆州水······一六二水國兮水芳······一三七國四隣、高······三二九雪七三三玉五九碩······一六五···三二〇雖······二三六··三〇四···一五二屋······二九九碩······一六五···二三五······二三〇贖炭炭猿續卷愈(多)西南に桂のはなの荅む時猿錢脊戶へ廻れば山へ行みちセツシウ咳聲の隣はちかき椽づたひ雪舟でなくばと自慢こきちらし瀨がしらのぼる陽炎の水紹鷗が瓢はありて米はなく誓文を百もたてたる別れ路に靑天に有明月の朝ぼらけー三ふし野貫に鰹一岱沽土里野正去羽瓢曠猿(冬)瓢〓猿瓢瓢炭曠猿炭(きく) (ぐ) (えく)續炭曠(さく)涼しやと莚もてくる川の端杉村の花は若葉に雨氣つき杉の木末に月かたぐ也銀すさまじき女の智惠もはかなくて双六の目を覗くまで暮かヽりすがゞき習ふ頃のうき戀吸ものは先出來されしすいぜんじずいきの長のあまるこつてい水干を秀句の聖わかやかに白燕濁らぬ水に羽を洗ひ汁の實にこまる茄子の出盛て尻輕にする返事聞よく白露の群て泣居る女客しら〓〓と碎けしは人の骨か何に(+)蛤かはん月は海炭賣のおのが妻こそ黑からめすもゝ持子の皆裸むし越人······一六墨ぞめは正月ごとに忘れつゝすみきる松のしづかなりけり須磨はまだ物不自由なる臺所野素重正水······一三二男······二三四五······秀······一七四二(t)野去翁怒利落芭孤野荷芭沾孤越杜水ニ圃······三一〇芳圃···水來水······三一〇秀じ、笠······一二一·····二三六三一六二八二日三來誰水······二三三牛······三〇四···二三二登···一七〇梧······一五四蕉······二二五屋······二六ベ七水······なって蕉······圃······三一八屋······二六五國聖三六人······一五三三三(引索句連) (引
瓢炭猿(冬)嗽續續猿續續曠續嗷瓢續瓢蟷螂落てきゆる 行道者のはさむ編笠の節道心のおこりは花のつぼむ時桃花を手折る貞德の富代まゐりたゞやす〓〓と請おひて臺所けふは奇麗に掃立て臺所秋の住居に住かへて大膽におもひくづれぬ戀をして大せつな日が二日有暮のかね大根のそだゝぬ土にふしくれて大根きざみて干にいそがし大工遣ひの奧に聞ゆる太皷たゝきに階子のぼるかそろばんおけばものしりといふぞろ〓〓ありく盆の上薦衆それ世は泪雨と時雨と(大(C) (大)燈續炭猿(ぎん)炭削やうに長刀坂の冬の風息災に祖父の白髮のめでたさよ僧やゝ寒く寺にかへるか僧ものいはず欵冬を呑僧都のもとへ先文をやる多(そ)續冬、瓢曠猿炭炭猿瓢狗脊かれて肌寒うなる宣旨かしこく釵を鑄るだ禪寺に一日あそぶ砂のうへ千部讀花の盛りの一身田千句いとなむ北山の寺せはしげに櫛でかしらをかきちらし凡兆·····二二六脊中へのぼる子をかはゆがる錢さしに菰引ちぎる朝の月錢かりてまた取つかぬ小商錢入の巾着下て月に行(せ) (を)芭里重珍荷桃野里正蕉圃号五十硬イ隣······三〇九圃······三一八秀······一七一坡······二六四:·····一三〇三三三五三一二正其去正荷野馬半芭芭荷芭野越支里里岱凡羽芭兆······二二八笠······圃······三一五水······二五七蕉······二五六三蕉坡殘兮來兮寛蕉角平蕉······三二五水······一四一秀······一七一ニ元ル···二二八ニ元·三〇二···三一七·二三五書·三三11m2五人東······一六八考·····三三〇······一六五曠炭(かく) (さん(英瓢卷炭曠春瓢(瓢)黃昏は船幽靈の泣やらん瓢曠愈炭ふ續たぞやとばしる笠の山茶花黃昏の門さまたげに薪分黃昏を橫にながむる月細し 杜竹の皮雪踏にかへる夏の來て澤山に兀め〓〓と叱られて瀧壺に柴押まけて音とめん抱上る子の小便をする高みより踏はづしてぞ落にける高びくのみぞ雪の山〓〓高瀨をあぐる表一尊げに小判かぞふる革袴たゞ人となりて着物うちはおり唯四方なたゞしづかなる雨の降出し唯牛糞に風のふく音たゞ居るまゝに肱わづらふ只奇麗さに口そゝぐ水利る草庵の露箇野珍越珍野野珍荷石珍越利冬越曲珍瓢炭曠愈曠炭猿瓢(冬) (きく)發曠(炭)曠續炭炭蕎雪舟に乘る越の遊女の寒さうに空豆の花咲にけり麥の緣そらおもしろき山口の家染て憂き木綿袷のねずみ色損ばかりしてかしこ顏也添ばそふほどこくめんな顏蕎麥さへ靑し滋賀樂の坊袖ぞ露けき嵯峨の法輪その儘にころび落たる升落外をざまくに圍ふ相撲塲外そめ色の富士は淺黃に秋の暮その望の日を我もおなじくそつと火入におとす薰そつと覗けば酒の最中訴訟が濟で土手になる筋野麥眞白に山の胴中面藥の草わけに行野孤荷里越杉園越野芭去嵐嵐釣沽利人水來屋······二五五分······一三八東······一七二風蕉徑······一六八雪·雪·人······一五〇風······三一〇雪······二五二圃······三一五牛······二五五坡······二六六·····二三六葵二···二二九···一五二三坡國菊下、人、碩碩······一七六人碩水兮······一三八碩······一七六文······一三六人······翠······三三〇牛······二六〇碩 八牛······二五四水······一四〇壹······一四四·····一七〇·····二五〇···一六九二·三〇九元二五(引索句連) (引索句連)
罐(炭)祖父が手の火桶も落す斗也炭(き)續猿炭炭炭曠春(き)炭續茶の買置をさけて賣出す茶に糸ゆふをそむる風の香持佛の顏に夕日さし込千代經べき物をさま〓〓子の日して千鳥鳴一夜〓〓に寒うなりちつとも風のふかぬ長閑さぢゞめきの中でより出するりほあか孤屋馳走する子の瘦てかひなき力の筋をつぎし中の子血刀かくす月のくらきに近くに居れど長谷をまだ見ぬ智恩院の替りの噂極りて中國よりの狀の吉左右(大) (+) (三)孤重曲野野其芭野荷野馬惟芭蕉······二三一屋坡坡蕉水坡角······二九九草ノ、然······三二三五······翠······三二九兮·········二五六三五······二五一·三〇五······二五九······一四八三三······三〇二···三二〇(かく)卷猿瓢炭(さく) (曠)田にしを喰て腥きくち春猿(曠)立かへり松明直ぎる道の端春瓢春猿續猿猿旅衣笛に落花を旅衣あたま斗りを蚊屋かりてたぬきをおとす篠張の弓田の片隅に苗のとりさし田の畔に早苗把て投て置田中なるこまんが柳落るころ田を持て花見る里に生れけり棚に火ともす大年の夜尋よる坊主は住まず錠おりて手束弓紀の關守立てのる渡しの舟の月影に立かゝり屏風を倒す女子共立家を買てはひれば秋暮てたゝらの雲のまだ赤き空たゝどひやうしに長き脇差(む)打が頑に拂(1)羽羽史泥孤芭荷羽園野珍冬野凡里去去笠邦等ニ十屋蕉兮笠風來水·····〓〓文、水、兆······二二八來二二三···二二四三·五··二九九·····一四八ニ三···二三六二七···一六二云···一三〇圃······三一六······二二六······二二七愈續瓢續強發續卷ツイタチ月氷る師走の空の銀河月かけの雪も近よる雲の色月影に利休の家を鼻にかけ月かけにことし烟草を吸て見る使の者に返事またするつい田作りに落る精進朔日の日はどこへやら振舞れ朔日を鷹もつ鍛冶のいかめしく(1) (〓愈(炭)猿蘋炭(きく散花に雪踏引ずる音ありて茶莚のきはつく上に花ちりてちる花に日は暮れども長咄しちらほらと米の揚塲の行戻り町內の秋も更行明やしき桃灯過てあとくらきくれ茶の湯者をしむ野邊の蒲公英職(曠)〓(ぐ)、卷曠(冬)袂より硯をひらき山かげに(炭)段〓〓に西國武士の荷のつどひ(〓)炭猿瓢瓢猿曠瓢たわらに鯽をつかみこむ秋誰より花を先へ見てとる誰か來て裾にかけたる夏衣樽火にあぶる枯原の松たらかされしやイる月鱈負て大津の濱に入にけり段〓〓や小塩大原嵯峨の花たま〓〓砂の中の木のはしだまされてまた薪部屋に待足袋踏よごす黑ぼこの道度〓〓芋をもらはるゝ也旅人の虱かき行春暮て旅の馳走に有明しおく旅するうちのこゝろ奇麗さ旅姿稚なき人の嫗つれて子正支正沽越野芭荷越珍芭去野子正一落其荷荷旦芭野孤冬野芭珍曲芭落路來水珊平人······一五三獨ハ蕉······三〇八三、·····二三一······一五五·····三〇九なって秀······一七五考······三二八秀······一七四圃······三二一人······一四二水······一三五蕉······三二三ㅎ井······一五七梧······一五六角······一四九なって蕉水屋坡蕉兮······東ト碩水蕉文······一三六梧通八···一三三二三七一二五、会···三〇四····二二九一七一一六一··二三二二番一六五(引索旬連) (引索句連)
(炭)貫之の梅津桂の花もみぢ贖(大) (を)卷(きく) (き)〓春炭續(さく)曠(瓢)連露ははらりと蓮の椽先露の身は泥のやうなる物おもひ弦鶴見る窓の月かすかなり釣瓶ひとつを二人してわけ釣瓶に粟をあらふ日のくれ釣柿に屋根ふかれたる片庇つら〓〓一つよう降たる雨のついやむ露萩の相撲力を撰はれずつれなの醫者の後姿やつれあひの名をいやしげに呼廻り打も力颪海期智の名もなしも 皆雲座と頭る也桶里嵐孤野昌荷羽孤孤荷利曲芭荷(冬)月は遲かれ牡丹ぬす人(曠)月の夕に釣瓶繩うつ瓢愈炭(曠)月の朝鶯〓にいそぐらん續炭(曠)月の朧や飛鳥井の君曠曠曠(か)曠春卷發月待に傍輩衆のうち揃ひ月待て仮の內裏の司召月花に庄屋を寄て高ぶらせ月花にかきあげ城の跡斗月の宿書を引ちらす中に寐て月のかげより合にけり辻相撲月のかくるゝ四扉の門月の秋旅のしたさに出るなり月にたてる唐輪の髪の赤枯て月に柄をさしたらばよき團哉月なき浪に重石おく橋月なき空の門はやくあけ月と花比良の高根を北にして(1) (つ) ( (三)馬珍珍利杜傘越越其冬野荷荷宗羽執芭兮屋兮牛翠蕉兮東雪屋水事笠······屋······三〇〇三元一三···二六一二三三七二三三六三〇二······三二八八···一三〇寛碩碩牛國下人人角兮蕉文······一三七笠ニ筆水、鑑······一四二······三一五1六一六八·····二六三···一四三一一二〇三三·二九九10m分······一三九七二四三〇要炭猿(英春(く) (炭瓢猿愈炭續猿曠曠炭(きく)炭天滿の狀を又わすれけりてんじやうまもりいつか色づく天氣の相よ三日月の照り蝶水のみにおるゝ岩橋蝶はむぐらにとばかり鼻かむてふ〓〓しくも譽るかひわり鐵炮の遠音にくもる卯月哉でつちの荷ふ水こぼしたり手みじかに手拭ねぢて腰にさげ手前者のひとりも見えぬ浦の秋手拂に娘をやつて娵のさた手の平に虱這する花のかげ手もつかず晝の御膳もすべりきぬ手をさしかざす峯の陽炎定免を今年の風に欲ほりて朝鮮の細りすゝきの匂ひなき丁寧に仙臺俵の口かゞり曠炭(き)曠曠炭曠(き) (英(くて)曠(英應炭瓢(瓢)月夜〓〓に明渡る猿露を相手に居合ひとぬき皷露しぐれ步鵜に出る暮かけて露おく狐風やかなしき燕も大かたかへる寮の窓綱ぬきのいぼの跡ある雪のうへ葛籠とゞきて切ほどく文堤より田の靑やぎていさぎよきづぶとふられて過るむら雨包で戻る鮭のやきものつゝみかねて月とり落す靈哉土菌を夕〓〓に搔よせて로つたひ道には丸太ころばすつく〓〓と錦着る身のうとましく次の小部屋でつにむせる聲月見る顏の袖おもき露手カチウ向る辨慶の宮月野去孤舟芭嵐野凡正野馬芭芭野野杜孤荷芭杜越舟嵐鼠凡野孤杜荷孤冬利曲珍蕉國屋······二六六來坡······二六六坡······二六二兆······二二九坡······三〇九泉徑······一六七秀······莫ア、蕉······二三〇蕉······一四六水······三九屋······二六〇雪······二五三······二二九二九三一七三···三二二二蕉兆兮······一三一水國內人······國兮·····二五〇六ico泉······一三五雪······二五三彈······一五七·····一三三三屋······二六六八·····一三九屋······二九九文······一三七牛······三一一水······一六三碩······一六二(引索句連) (引索句連)
(き)職炭續贖猿續噸續春春炭續炭炭炭(冬)隣さかしき町に下り居る寅の日の旦を鍛冶の急起て灯に手をおほひつゝ春の風どんどゝ水の落る秋かぜ通りのなさに見世たつる秋遠淺や浪にしめさす蜊とり鳶の羽も刷ぬはつしぐれ鳶で工夫をしたる照降問れても淚にものの言にくき鳥籠をづらりとおこす松の風鳥羽の湊の踊わらひにどの家も東の方に窓をあけ殿の御立のあとは淋しき隣へ行て火をとりて來る隣へもしらせず嫁をつれて來て隣のうらの遠き井の本鳥居より半道奧の砂行て(三)な春炭麵贖(さく(き)曠(炭曠解てやおかん枝むすぶ松十時ならず念佛聞ゆる盆の内時〓〓は百姓迄も烏帽子にて時〓〓にものさへくはぬ花の春豆腐つくりて母の喪に入灯籠ふたつに情くらぶる灯臺の油こぼして押かくしトウダイ十日の菊のをしき事也荷銅壺よりなまぬる汲で遣ふ也冬利怒昌野杜傘野續續職猿瓢てり葉の岸のおもしろき月寺のひけたる山際の春田樂きれて櫻淋店屋ものくふ供の手がはり傳馬を呼る我まはり口(〓) (三)しきと芭舟野支亀去支一惟昌冬野沽子野利重沾馬越去正來井然文坡圃珊坡坡······三〇二考······考...圭牛五舊泉······洞······三二三IIII一二三三四···三二九二毛三三二〇元·····二五一六·····三一〇二三五六一牛誰碧文······水國下〓·三〇三···一六九三七八一四坡······三〇二兮······一三七圃······三一六寛······三二二人······一四五來······二三五秀······一七二瓢曠炭瓢瓢(さと春炭春(ぐ) (をく炭炭炭泥のうへに尾を曳鯉を拾ひ得て泥にこゝろの〓き芹の根泥染をながき流れにのぼすらん隣から節々嫁を呼に來る取集めては多き精進日猿曠炭炭炭(炭炭續曠炭猿炭炭號(金)曠(冬)隣をかりて車引こむとつくりを誰置かへてころぶらんとたりと塀のころぶ秋風孤どたくたと大晦日も四ツの鐘鯲汁若い者よりよくなりて年よりたものを常住ねめまはし年の豆蜜柑の核も落ちりて年〓〓に家うちのものと中わるく年たくるまであはう也けり戶でからくみし居風呂の屋根戶障子もむしろがこひの賣屋敷處〓〓に雉子の鳴たつ床更て語ればいとこなる男小麦どこもかも花の三月中時分とこでやら手の筋見せて物思ひ毒なりと瓜一切も喰ぬ也木賊刈下着に髪をちやせんして凡兆······二二六傘孤芭利其里傘野芭野孤傘荷長重牛圃坡蕉角蕉坡下······一四二屋······二五六屋······三〇七兮下······屋······三〇八下·····虹······一五九五············二五六······三〇二COO三一八一三三·····二六二·····二二九·····二四九一三五六ながめやる秋の夕ぞたゞ廣き半はこわす築山の秋中よくて傍輩合の借いらひ中にもせいの高き山伏中〓〓に土間に居れば蚤もなしなかだちそむる七夕のつま永き日や今朝を昨日に忘るらんない袖を振て見するも物思ひ内侍のえらぶ代々の眉の圖な傘荷野翁曲杜荷利荷杜重嵐野曾兮兮······一六六坡······三〇七水······一六三分······二四T國······牛······二六一···一四四一六一三〓坡國ノ五······雪······二五二良······三一〇六四······二五三(引索句連) (引索旬連)
曠續續(冬)猿炭猿(なにぎはしく瓜や苴やを荷ひ込荷持ひとりにいとゞ永き日荷がちら〓〓と通る馬次二の尼に近衞の花の盛りきく二番草取りも果さず穗に出て二三疊寐所もらふ門の脇二階の客はたゝれたるあきE (に) (6) (五)續瓢猿春〓炭〓瓢なれぬ娵にはかくす內證なれ加減又とは出來じひしほ味噌ならべて嬉し十の盃なら坂や畑うつ山の八重ざくら奈良通ひ同じつらなる細基手なめすゝきとる裏の塀あはひ泪みるはなれ〓〓のうき雲になみだぐみけり供の侍職贖贖曠猿(ぐ)順續(大)炭炭續曠(〓)猿)何おもひ草狼のなく炭何事もなくてめでたき駒迎何事も長安は是名利の地何事もうちしめりたる花の負何事か呼りあひては打わらひ何事を泣けん髪を振おほひ何を見るにも露斗なり七ツのかねに駕籠呼に來る夏深き山橘にさくら見ん荷夏の日や見る間に泥の照付て夏の夜や崩れて明し冷し物夏草のぶとにさゝれてやつれけり投打も腹立まゝにめつた也泣事のひそかに出來し淺茅生に長持に小擧の仲間そは〓〓と長持買うてかへるやゝ寒涙見せじとうち笑ひつゝ(な沾芭荷鼠落野野杉荷芭其孤芭沾舟松傘支里野去子芭沾荷去旦野利嵐珍蕉水下······一四四考······三二四圃······三一九來·····珊······三〇九三三······二三四來藁牛雪碩坡······二四九圃······三一五兮·····一六六······二三〇三···二六四二三一四蕉四丁兮彈梧水水風兮兮蕉角屋蕉圃······三一四泉···三一七要三六電二五五一····二三二···三一一三五二三三六:00···二六五二五七····一三七芳······一三六續寐汗のとまる今朝がたの夢わ三一猿(えく)職ぬのこ着習ふ風の夕ぐれ凡盜人の記念の松の吹をれてぬく〓〓と日脚のしれぬ花曇ぬ芭長臍(冬)續(冬)〓愈瓢瓢瓢瓢炭炭炭炭(瓢)繩(水)曠春瓢猿炭(瓢)何ともせぬに落る釣棚瓢春續猿なまぬる一つ餅ひかねたり乙州······一六七尙きのふより今日は大旱尙言つのる詞からかひ鍋の鑄かけを念入て見る繩手を下りて靑麥の出來繩あみのかゞりはやぶれ壁落て菜畑ふむなと呼りかけたり名もかち栗と爺申上ゲ名はさま〓〓に降替る雨何よりも蝶の現ぞあはれなる何ゆゑぞ粥すゝるにも泪ぐみ何やら聞ん我國の聲越何年菩提しれぬ栃の木何ぞの時は山伏になる何事も無言のうちはしづかなりを集る眞寺の上茨利野野野及重荷野珍翁去孤越曲去坡坡坡牛······二六一五水碩···二六五······二六三二三、肩······一七三分······一三九云三六一二三來······二三〇壹人······屋······二六五人······一突翠······三三〇來······二二四蒜くらふ香に遠ざかりけり庭に木曾作る戀の薄衣鷄があがるとやがて暮の月烹る事をゆるして沙魚を放ちける烹た玉子なまの玉子も一文に煮染の塩のからき早歲西日のとかによき天氣なり西風にますほの小貝拾はせて憎れていらぬ躍の肝を煎) Ber支鼠羽芭杜野怒珍泥珍蕉兆虹······一五九·····二二六三彈······一五八兆蕉水誰······一六八國······碩······一六一土······一六七碩······一六三三五······三二三一〇······一五四考······三二五(引索句連) (引索句連)
嘛(冬)曠職籠(猿)年に一斗の地子はかる也冬と炭瓢春曠贖炭(を)瓢ねられぬ夢を責るむら雨年貢濟だとほめられにけり念者法師は秋のあきかぜ念佛申てをがむみづがき念佛寒げに秋あはれ也ねぶりころべと雲雀鳴也直のしれた帷子時の貰ひもの寢ながら書か文字のゆがむ戶寐ごとに起て聞ば鷄啼寐處に誰もねてゐぬ宵の月ねざめ〓〓のさても七十ねぶといたがる顏のきたなきヂ(19)は瓢(英炭愈猿春猿(きく)曠職瓢炭炭(炭炭瓢曠觜ふとのわやくに鳴し春の空筥こしらへて鰹節賣る掃はあとから檀ちる也はきも習はぬ太刀の鞘はぎごゝろよきめりやすの足袋萩ふみたふす万日の原萩の札薄の札によみなして萩織る笠を市に振する羽秤にかゝる人〓〓の興胡齒ぎしりにさへ曉のかね齒を痛む人の姿を〓に書て坊主の着たる簑はをかしき坊主になれどやはり仁平治法印の湯治を送る花ざかり方〓〓に十夜の内のかねの音鮠釣のちひさく見ゆる川の端配所にて干魚の加滅おぼえつゝハ〓は[珍野野翁凡野乙越珍芭其利芭路釣軒ながく月こそさはれ五十間野菊まで尋ぬる蝶の羽をれて(1)野芭杜去芭越路李落落里傘芭杜昌水蕉·····一五六玉來蕉梧梧國······風圃人·····渾蕉國下西···二二八···二五七一二七、一空三一五六二番三三元··一一三三···二五六房······一七一坡兆〓坡水笠······及······一五八人碩蕉角牛蕉通磧······一七四こう···二五九天······二二四二四······二三五二······一四九二·五二三一······二九九···二五九·····二五一···一六五雪······一三四愈猿(曠)初嵐はつせの寮の坊主共(きく)瓢續發春炭炭續炭續曠瓢春春續(き)初花の世とや嫁のいかめしく初花に雛の卷樽居ならべ初荷とる馬土もこのみの羽織着て初瀨に籠る堂の初雁の聲にみづから火を打ぬ初雁に乘懸下地敷て見る初午に女房のおやこ振舞て初あらし畠の人のかけまはりはつち坊主を上へあがらず八九間空で雨降柳かなはづかしといやがる馬にかきのせて落梧······一五五鉢いひならふ聲の出かぬるはだしの跡も見えぬ時雨ぞ肌寒み一度は骨をほどく世に肌入て秋になしけり暮の月蓮池に鷺の子遊ぶ夕間暮片隅杜珍馬芭冬野芭野支利芭珍重荷沾杜國碩蕉水寛······三一三文······坡······二五〇牛······二五七····一七一···一四七二七蕉······二五一一三九考·····三二三蕉······三一三碩······一七二二五······兮······二〇圃······三一八國······七(冬)乘物に簾透顏おぼろなる猿瓢瓢斷續猿猿廣春續曠乘出して肱にあまる春の駒糊剛き夜着にちひさき御座數で呑に行居酒の荒の一課飮でわすゝる茶は水になる呑ごゝろ手をせぬ酒の引はなし蚤をふるひに起し初秋能登の七尾の冬は住うきのどけしや早き泊に荷を解てのどけしや筑紫の袂伊勢の帶後呼の内義は今度屋敷から後ぞひよべといふがはりなき三二配所を見舞ふ供御の蛤泥灰蒔ちらすからし菜の跡灰うちたゝくうるめ一枚凡兆······二二七11凡キ兆······二三五一六九重去泥乙其曲芭凡昌越支越型五十蕉碧〓、人角っ兆······二二八三來······二三一土······一六九···一発···一四九撃ナ···三三〇·····二二九···一三〓考······三二四人······一五二(引索(引索句連)
(猿)春曠猿春續曠續卷續(全く(戻炭續炭冬)春の白洲の雪掃をよぶ曠ははるの舟間に酒のなき里春の日に仕舞てかへる經机春の旅節供なるらん袴着て春の暮ありき〓〓も睡るらん春のからすの畠ほる聲春の朝赤貝はきてありく兒春しづかなる竿の染纏春雨のくらがり峠こえすまし春雨袖に御歌いただく春風に普請のつもりいたす也はやり來て撫子かざる正月に晩の仕事の工夫する也はんなりと細工に染る紅うこん伴僧はしる駕の番匠が樫の小節を引かねて(は三月(1)曙のそらわき續炭續猿曠(かん) (冬)花に長男の紙鳶あぐる頃炭(全く猿曠瓢瓢曠職曠(冬)花のかげ巢を立雉子の舞かへり花の內引越て居る樫原花の雨あらそふうちに降出して花のあとつゝじの方がおもしろい花にまだことしのつれも定らず花に泣櫻の黴とすてにける花とちる身は西念が衣着て花とさしたる草の一瓶花薄あまりまねけばうら枯て花咲は芳野あたりを欠廻り花咲けりとこころまめ也花ざかり都もいまだ定らず花ざかり又百人の膳立に花蕀馬骨の霜に咲かへり初雪やことしのびたる桐の木にはつ雪のことしも袴着てかへる(は(は里荷正荷重胡沾舟里野荷惟杜岱桃芭孤沾利桃里野芭李芭其翁曲荷荷荷杜野野水秀兮及兮兮·····五······圃······三一三泉······一三八圃······三一七水······然······三二九國······水······二五六隣······三〇三蕉······三一五屋······三〇五······二三三一三二······二三五三モ······一五八二共三三圃牛隣······三二水蕉風蕉兮水圃······三二二角色水······一六三國水三三八···二六五·二三六三二〇···二三一1층一三兮······一四〇·····一三二分〓〓二一三三四(きく)曠續(炭) (き)曠曠猿飄(さく) (炭)ひきずる牛の〓こぼれつく引捨し車は琵琶のかたぎにて卑下して庭によい料理くふ彼岸過一重の花の咲立て檜笠に宮をやつす朝露火箸のはねて手のあつき也火鼠の皮の衣をたづね來て火ともしに暮れば登る峯の寺火を吹いて居る禪門の祖父火おかぬ火燵なき人を見ん稗と〓との片落つる籠(二)三五(春)春行道の笠もむつかし春續瓢春めくや人さま〓〓の伊勢參り春無盡まづ落札が作太夫春は旅ともおもはざる旅飄續續(さく)炭猿曠驗〓(曠)はねのぬけたる黑き唐丸曠炭續飄飄曠噸半氣違ひの坊主泣出す濱迄は宿の男の荷をかかえ濱出しの牛に俵をはこぶ也蛤とりは皆女中馬糞かく扇に風のうち霞み馬塲の喧嘩の跡にすむ月放やるうづらの跡は見えもせずはねあひて牧にまじらぬ里の馬はなしするうちもさい〓〓手を洗ひ鼠彈······花見にと女子斗がつれ立て花ははや殘らぬ春のただくれて花はあかいよ月はおぼろ夜花の頃晝の日待に節ご着て花の頃談義まゐりもうらやまし 越花の賀にこらへかねたる淚落つ花の香にあさつき膾みどり也なり三四珍野芭一荷嵐素鼠嵐芭馬路野傘越坡蕉······三一五井······一五七兮·········雪······二五四男······二三四彈······一五九雪ナ蕉······二五八人······一四八碩······一六九······二六二···一五二二八寛······三一六通······一六五徑······一七三下······一四三人······一五一八杜野馬野杜荷舟去正芭孤野荷馬荷國來蕪水······一三九寛······三一八坡······二六七國······分·····一三一泉······一三六秀······一七五屋四六···二二五三···三〇一水······兮·····莫分······一六七元元···三一四(引索句連) (引索
續炭續曠飄續炭瓢猿曠猿續曠炭(ぐん)曠(税)畫寐の癖を直しかねけりひらり〓〓と雪のふり出し平畦に菜を蒔たてしたばこ跡百万もくるひ所よ花の春百姓の木綿仕まへば冬の來て百姓になりて世間も長閑さよ隙を盜で今日もねて來る雲雀鳴里は厩糞かきちらし雲雀鳴小田に土持ころなれや雲雀さへづるころの肌ぬき枇杷の古葉に木の芽もえ立日は寒けれど靜なる岡日のみじかきと冬の朝起日の出るまへの赤きふゆ空日のちり〓〓に野に米を刈日の出やけふは何せん暖に日のあたる方はあからむ竹の色(U) (h)猿(冬)人(炭)炭曠猿曠)曠炭炭春(冬)炭春曠續人もわすれしあかそぶの水人のもの負ねば樂な花ごころ人のさはらぬ松黑むなり人の請にはたつこともなし人にもくれず名物の梨人なみに脇差さして花に行人去ていまだ御坐の匂ひける曠)人おひにゆく春の川岸ひつそりと盆は過たる淨土寺ひだるきは殊に軍の大事なりひだるき事も旅のひとつにひだりに橋をすかす岐阜山ひたといひ出すお袋の事額にあたる春雨のもり庇をつけて住居かはりぬ引立て無理に舞するたをやかさ色の粧ひ(1)を鏡磨寒凡荷野利越去釣越執利芭越野芭旦荷芭利支傘里馬利珍珍越史芭落孤正舟孤蕉牛邦蕉梧平下牛碩犀屋······二六〇東十莫碩人······一四七考······三二九泉······一三四三三三···二五五三豆1t5··三二一···三〇四···一七五〓······二二七三二二一三···三〇八二坡兆······二三二分かり牛來·····二二四筆······一四一蕉······三〇六人······蕉······二五〇藁蕉······三一五二三三三二五三人······一四四雪······一三五人······一四七牛······二六二兵六水······云兮······一四一廳(きく)曠〓猿炭曠炭炭續藤垣の窓に紙燭を狹おき伏見木幡の鐘花をうつ袋より經とり出す草のうへ吹とられたる笠とりに行吹るゝ胼もつらき闇の夜封付し文箱來たる月の暮更る夜の湯はむづかしと水飮て蕗の芽とりに行燈ゆりけす拭立て御上の敷居ひからする吹風にゐのころ草のふら〓〓と(ふ)炭炭猿炭猿ひろふた金で表がへする廣袖をうへに引張る舟の者蛭の口處をかきて氣味よき畫の水鷄のはしる溝川畫眠る靑鷺の身の尊さよ春(猿)雛の袂を染る春かぜ(炭)ひとつくなりに鱈の雲膓嗽(を)猿炭飄續猿(冬)曠飄續(猿)一構楸つくる窓のはな飄曠ひひなかざりて伊勢の八朔ひとりは典侍の局か内侍か獨寐て奧の間ひろき旅の月ひとり直りし今朝の腹立ひとり世話やく寺の跡とり獨ある母をすゝめて花の蔭利獨ある子も矮鷄に替ける一夜かる宿は馬かふ寺なれや一重羽織が失てたづぬる一ふき風の木葉しづまるひとつの傘の下擧りさす一里の炭賣はいつ冬ごもり一雨降てあたゝかな風里里こぞり山の下刈羽其杜昌去越珍野支芭荷孤一怒凡珍荷荷野芭孤越利孤芭野孤芭芭芭分水屋蕉分·····一三〇蕉碩······一七六屋······二六五人······一四四牛······七一番·····二二八car···二五九1100坡屋蕉蕉蕉······二五五·····二五一······二六二···二三一···二三三考蕉兮紅······二三六來房牛井······一五六國內屋······二六四誰······一六八角······一五一七······一七一····二二五人······一四六二五五一七五碩·····水······宝三つ三···二二四七兆······二二七圃······三二二(引索句連) (引索
春瓢(かく)猿猿春炭炭炭炭炭冬〓飄)細き筋より戀つのりつつ曠ほととぎす西行ならば歌讀ん子規御小人町の雨あがり佛喰たる魚解きほつれたる去年のねござのしたゝるゝ凡兆發心の初にこゆる鈴鹿山穗蓼生ふ藏を住ひに佗なして細〓〓と朔日ごろの宵の月干せる疊のころぶ町中干物を日向の方へゐざらせて星さへ見えず二十八日ほか〓〓と二日炙のいぼひ出奉加めす御堂に金うち荷なひ奉加の序にもほのかなる月奉公のくるしき顏に墨ぬりて(ほ) (ほ)まけい荷珍芭芭重利曲越利孤野重乙嵐兮坡蕉人五州······一七三牛······三〇七五十牛······二五二水······一六二屋······三〇五雪······二五三碩······蕉······二三四三天天九·····二二五二一四個······二六〇六猿續(冬)續猿春(冬)冬枯わけてひとり唐苣(さく)縣(猿)懷に手をあたたむる秋の月(曠)藤袴誰窮屈にめでつらん芭炭炭續炭(多)藤の實つたふ雫ぼつちり曠芙蓉の花のはら〓〓とちる冬よりは少う成りし池の鴨冬まつ納豆たたくなるべし野冬のまさきの霜ながら飛冬の日のてか〓〓としてかき曇り冬の朝日のあはれなりけり冬空のあれに成たる北おろし文王の林にけふも土つりて文書ほどの力さへなきふとん丸げてものおもひゐる不屆な隣と中の惡うなりぶつ〓〓なるを覗く甘酒藤ですげたる下駄の重たき(h) (ヘ)史沾沾越芭凡野李珍芭岱凡馬重野邦圃水圃蕉兆水風碩蕉水兆人······一三〇蕉坡莧······三一六五······二二五···三二二三三三元西·····二三二二〇···一六二···二五七·二五七三翌·····二六一三七春續曠曠(を、續猿まじ〓〓人を見たる馬の子孫が跡とる祖父の借錢まくらもせずについ寐入る月眞木柱つかへおさへてよりかかりまがき迄津浪の水にくづれ行籬の菊の名乘さまぐ〓まいら戶に蔦這かかる宵の月(ま)三九炭炭續瓢炭猿曠嗾ほろ〓〓あへの膳にこぼるるほや〓〓とどんどほこらす雲ちぎれ 孤屋······二六四盆じまひ一荷で直ぎる鮨の魚本堂はまだ荒壁のはしら組本堂はしる音はとろ〓〓ほととぎす皆鳴仕舞たり時鳥またぬこゝろの折もあり時鳥鼠のあるる最中に越孤惟珍野芭荷坡蕉屋······二六〇碩······一七五分······一三八人······一四七然······三二三1층三五炭(かく)續炭曠炭炭(炭)塀の外まで桐のひろがる俵米もしめりて重き花盛屏風のかけに見ゆる菓子盆塀に門ある五十减もせぬ鍛冶屋の見世の店ざらし紅花買みちにほとゝぎすきく飄簞の大きさ五石ばかり也平地の寺のうすき藪垣,石取〓(炭)振賣の雁あはれ也えびす講飄續炭曠風呂の加減のしづか也けり古きばくちの殘るかまくら古き革籠に反故おしこむ降てはやすみ時雨する軒ぶら〓〓ときのふの市の〓いなだ三八〓荷馬鼠越荷里芭利荷沾芭越芭孤桃野野惟芭野荷兮·········蕉······二二四兮······莧······三一三彈······一五八人······一四二國······三一五二六九兮牛······二六七圃······三一七蕉······二五二憐······三〇二人······一四五蕉······三〇七屋······三〇六········九蕉坡徑······一七一徑······一六九然······三二八分···三〇五(三〇三···一三一(引索句連) (引索句連)
曠續卷瓢曠續嗤續(さく(き) (き) (冬)晦日をさむく刀賣る年(き)炭曠炭嗽道すがら美濃で打ける碁を忘る道くだり拾ひあつめて案山子哉味噌する音の隣さわがし未進の高のはてぬ算用見わたすほどは皆つゝじ也見るもかしこき紀伊の御魂屋見て通る紀三井は花の咲かかり見つけたり廿九日の月寒き見知られて岩屋に足も留られずみせはさびしき麥の挽割見事に揃ふ籾のはえ口三夜さの月見雲なかりけり三崎敦賀の荷の嵩む也三ケの花鸚鵡尾長の鳥いくさ三日月の東は暗く鐘の聲御幸に進む水のみくすりユ(み)炭卷猿炭續續瓢曠猿瓢炭炭(大)ふ(炭)又此春炭松坂や矢川へはひるうら通り待人入し小御門 の(炭)又御局の古着いただく利松風にたふれぬほどの酒の醉町衆のづらりと醉て花の蔭町切に月見の頃のあつめ錢まだ七ツにはならぬ日の影まだ上京も見ゆるやや寒マタヾピ又も大事の鮓をとり出す天仙參に冷食あさし春の暮また泣出す酒の醒ぎは又たのみして美濃だよりきく又沙汰なしにむすめ產また献立の皆ちがひけり又今朝も佛の飯で埓をあけまたかび殘る正月の餅まもすまぬ牢人(2)鎰ヨロコブ野羽去野沾里及荷去越野野傘野利野芭桃舟重芭胡胡芭荷泥芭沾越馬重芭重蕉隣泉五蕉及及蕉兮人寛五蕉五土圃······三一四蕉·········三〇二三一〇···二五一一元·····一五八·····三二四二五三六一号······一四八···三一八七一〇六坡來坡笠······圃肩圃······三一九兮來坡坡、坡······三〇七坡人······一六六下牛牛···二五九二三······二二八·····二五〇二二〇一二三ing·····二三二···二六四···一四四二五一···三一〇····二五五二三五曠(水) (炭曠炭嗤續曠(炭)宮の縮のあたらしきうち春春續猿瓢續曠曠)水しほはゆき安房の小湊皆道の邊に立くらしたる宜禰が麻水行幸のために洗ふ土器都に廿日はやき麥の粉蓑はしらみのわかぬ一德峯の松あぢなあたりを見出したり箕に鮗の魚をいたゞき身はぬれ紙の取所なき身にあたる風もふは〓〓薄月夜水菜に鯨まじる惣汁水せきとめて池のかへどり水汲かへる鯉棚の秋水かるゝ池の中より道ありて道ばたに乞食の鎭守垣ゆひて際光る濱の小同音に申す¥四念佛越鰯螽孤羽馬野杜土桃野野亀野惟支其荷瓢炭(全)炭猿嘖曠曠續(炭)續(冬)眞晝の馬の眠た顏也(冬)窓に手づから薄樣をすき炭春麻呂が月袖に鞨鞍を鳴すらん丸九十日濕をわづらふ摩耶が高根に雲のかかれる饅頭をうれしき袖につゝみける滿月に不斷櫻をながめばやまみおもたげに泣はらす顏まぶたに星のこぼれかかれる舞羽の糸も手につかず繰爼の鱸に水をかけ流し先沖迄は見ゆる入舟松の木に宮司が門はうつぶきて四〇御簾の香に吹そこなひし笛の役御影供ごろの人のそはつくみ探利重利野其其越馬野野里野桃雨國芳坡徑然隣······三〇八水洞兮·····一三三髭······尾笠······莧······三一七水······一五四人······一四五考······角······一五一二九···三〇〇二五四·····二三五六六······一三二···一三五···一七二···三二三三志······一七一牛······二六〇五牛水角角.坡······二六一人······一四三水、圃水桐······二一·····二六五·····二三一······一五〇三六、莧······三一五······三二〇隣······三〇四五九七(引索句連) (引索
(猿)物賣の尻聲高く名乘すて噴炭續炭卷炭ものいそくさき舟路なりけり餅搗の臼をとし〓〓買かへて餅好のことしの花にあらはれて餅米を搗て俵へはかり込餅を喰つヽ祝ふ君が代燃しざる薪を尻手にさしくべて(も) (も) (遞)炭瓢炭瓢炭續瓢めでたくもよばれにけらし生身魂めつたに風邪のはやる盆過珍らしや繭烹る也と立どまり·飯の中なる芋を堀る月目の中おもく見遣がちなる目黑參りのつれのねちみやく目利で家はよい暮しなり目をぬらす禿のうそに取あげて籠春炭續炭曠炭曠嚱(炭)むかひの小言誰も見廻す送曠猿炭虫籠釣四條の角の川原町むさぼりに帛着てありく世の中に增が來て娘の世とは成にけり增が來てにつともせずに物語椋の實落る屋根くさる也むく起にものいひつけてまた眠り麥畠の替地に渡る榜示杭麥をわすれ花におぼれぬ雁ならし迎せはしき殿よりのふみむく起にして參る觀音向まで突やる程の小舟にて百足の懼る藥たきけりむかしの子ありしのばせて置む曠耳や齒やようても花の數ならずむ) (b)去越利曲桃旦野野利荷嵐野野馬探惟冬利支野野利利素荷去野野其野來······二三三隣······三一〇薬人······一四六牛·····二六二翠十坡······二六二三三九二九水合······三〇九分31雪······二五三伊予坡······三〇八貰し、志······一七三······一四〇一六夫ins牛然······三三〇坡······二六〇牛來文······牛······二五四考...水ト堂······一二九水元···三二三···一三四·····二六二···二六三兮······一三四···二三一坡······三〇三1三角······三〇〇水······一五五愈(炭)門で押るゝ壬生の念佛炭炭瓢炭(炭火〓曠春炭瓢春炭火猿曠噴文珠の智慧も繋特が愚癡門ン建直す町の相談門しめてだまつて寐たる面白さ籾臼つくる柚がはやわざもはや彌生も十五日たつもはや仕事もならぬおとろへ武士の鷹うつ山もほど近しものごと無我によき隣也物毎も子持になればだメくさに 野物おもふ身に物喰へとせつかれて物思ふ軍の中は片脇にもの靜なるおこし米うり越ものききわかぬ馬士の圖とり物おもひ只うつ〓〓と親がゝりものおもひけふは忘れて休む日に物おもひゐる神子のものいひ四三越芭孤芭曲利利越越越翁羽孤野芭炭冬炭續瓢猿曠炭(春)莚二枚もひろき我庵曠〓續炭瓢瓢むれて來て栗も榎もむくの聲無理に居たる膳もすゝまずむね打合せ着たる肩衣むつ〓〓と月見る顏の親に似て娘を堅う人にあはせ莚ふまへて蕎麥あふつみゆむしろ敷べき喚續の春莚を數て無筆のたのむ狀の跡さき虫は皆つゞれ〓〓と鳴やらん正蟲のこはるに用叶へたき乙外シの洗四二ぬ足沾珍半傘芭松越越里利目を縫て無理に鳴する鵙の聲命婦の君より米なんと來す名月の間に合せたき芋畑(6)孤重芭蕉人······一六六蕉······二五〇屋······二六七牛······三〇三牛······二六六笠ニ人······一二九人······一二九人、坡······二六三水水·····一六一人······一五一屋······三一〇蕉······一四七······二五一〓·····一六二〓······二三一屋······二六四五········蕉·····二五八九圃······三一五碩······一七五殘······二三六下······蕉······二四九芳······一三七人······人······一五一圃可牛······三〇七秀······一七四州······一六九一四六···三一六(引索句連) (引索句連)
(曠)柳ちるかと例の莚道發續猿瓢曠續炭炭(さく曠曠炭(A),猿柳のうらのかまきりの卵やつと聞出す京の道づれ痩骨のまだ起直る力なきやしほの楓木の芽萠立やけど直して見しっらきかな約束の小魚一提賣に來て約束にかゞみて居れば蚊に喰れ燒物に組合たる富田鰍八十年を三漸くはれて富士みゆる寺八重山吹ははたちなるべし八日の月のすきといるまで漸と雨降やみて秋の風利股引の朝からぬるゝ川こえて(6) (P)つ見る童母持て活松野馬史正其馬曾桃野野荷荷凡驗(職猿曠瓢炭(さく炭猿(猿)ゆがみて蓋のあはぬ半櫃凡蘊湯殿まゐりの木綿たつ也湯殿は竹の簀の子佗しき夕霞染ものとりてかへるらん冬行月のうはの空にて消さうに雪のやうなるかますこの塵雪の松をれ口見れば尙寒し雪の狂吳の國の笠めづらしき雪の跡吹はがしたる朧月雪げに寒き島の北風雪かきわけし中の泥道(〓〓(中)ゆ(+)舟芭越杉荷孤史支乙州······一七一文、泉蕉邦兆兮屋人······一四七風······三〇八考···一三五···一三三·····二二八一〇······二五七······二二五···三二四·····二二九炭猿殲曠猿鑓持ばかり戻る夕月野鑓の柄に立すがりたる花の暮やゝ初秋のやみ上りなるやゝおもひ寐もしねられず打臥て野去越凡芳······一三五水邦秀·一角良隣寛······三一四寛水水······一三四分······一四〇兮·····牛······二五三二五···二二六···一七六三晩·····三一四···三一一···三〇四三三兆ト來坡、···三〇三······二三五水······一三五人······一五〇三四曠曠(英炭曠曠猿曠瓢曠猿曠曠炭〓弓ひきたくる勝角力とて弓すゝびたる突あげの窓夕めしにかますこ喰ば風薫夕まぐれまたうらめしき紙子夜着夕邊の月に菜食嗅出す夕せはしき酒ついでやる夕月夜岡の萱ねの御廟守る夕月の雲の白さをうちながめ夕月の入際はやき塘ぎは夕月に醫者の名字を聞はづり夕烏宿の長さに腹のたつ曠卷春炭嗷續曠續曠(全く曠炭炭續炭春續山伏住て人しかるなり野山ぶきのあぶなき岨のくづれ哉山は花所殘らず遊ぶ日に山の根際のかねかすか也山の端に松と樅とのかすかなる山に門ある有明の月山里の秋めづらしと生鰯山から石に名を書て出す山川や鵜の喰ものをさがすらん山霞む月一時に館立て破戶の釘打付る春の末家普請を春の手透にとり付て藪越しはなす秋のさびしき藪から村へぬけるうら道和らかものを娵の襟もと柳よき陰ぞこゝらに鞠なきや柳の傍へ門をたてけり越冬岱野芭松臥落兩越野野支孤重里よしや鸚鵡の舌のみじかき夜寒の簑を裾に引きせ橫雲にそよ〓〓風の吹出ずよいやうに我手に占を置て見るよ其釣孤利舟其凡越怒荷芭舟鼠利其水······一五五蕉人······文······水······二五八桐水······一四〇芳······一三七高······三二八人梧······一五三坡······二四九坡······二四九考······三二九圃······三二〇屋······二六六五······元二九·····三二三元一四七二雪······牛······三〇四屋······二五八角······一五〇壹兆蕉泉······角っ人泉彈角っ誰······一六九兮······一四〇牛〓〓〓五一··二三一一五、···二三一二二···一五七···二六六···一五〇(引索句連) (引索句連)
(炭)炭炭炭續曠卷猿續曠曠春瓢卷續(冬)曠早稻も晩稻も相生に出る輪炭のちりを拂ふ春風わざ〓〓わせて藥代の禮分にならるゝ娶の仕合脇差に替てほしがる旅刀若者のさし矢射てをる花の蔭別の月になみだあらはせ別れせはしき鷄の下別を人がいひ出せば泣我もらじ新酒は人の醒やすき我儘にいつか此世をそむくべき我春の若水汲に畫起て越人......我名は里のなぶりもの也我名を橋の名に呼る月我手に脈を大事がらるゝ我月出よ身はおぼろなるわがせこをわりなくかくす椽の下(h)野利依利芭一荷土里嵐越翁荷芭杜野坡牛牛蕉井人蕉圃兮4ar芳······二三五々雪國············二五二······三〇八···三一〇·····三〇三····三一三······一五八元······三二一一三一一三元二三三·····三二四三水······一五四曠(く) (き)樂する頃とおもふ年榮廊下は藤の影つたふ也らうたげに物よむ娘かしづきてら炭炭卷炭曠曠瓢炭炭炭春縫より平の機に火桶はとり置て与力町よりむかふ西風鎧ながらの火にあたる也終宵尼の持病を押へけるよまで双紙の繪を先に見るよぶこ鳥とは何をいふらん呼步行けども猫は歸らず宵〓〓の月をかこちて旅大工宵の内はら〓〓とせし月の雲余の草なしに菫たんぼゝ世にあはぬ局涙に年とりてよすぎたる茶前の天氣きづかはし(よ) (ら) (e) (五)桃利李野舟越正依芭岱雨里(3)牛風泉々昌重重五碧······一三三五十四障害牛風城、泉蕉秀······一七六人······一五三桐······圃······三一七々水······二五八···三〇三·····二五九元···二五〇···一三六·三〇九·····二四九三(わ) (冬)我いのり明がたの星孕むべく(冬)我庵は鷺に宿かすあたりにて(b)春續春(炭)割木のやすき國の露霜蕨烹る岩木の臭き宿かりて蕨こはゞる卯月野の末わや〓〓とのみ御輿かく里曠(き)六位になりし戀の浮氣さ籠興ゆるす木瓜の山あひロ(3)春曠曠瓢(全)蘭の油にしめ木うつ音羅綾の袂しぼり給ひぬ連哥のもとにあたるいそがし(五)理をはなれたる秋の夕暮隆辰も入齒に聲のしわがるゝリ芭越芭重野荷荷野冬越冬正芭水なって奮···三〇五云人······蕉······三三〇二〇五······兮······一三九水······一六元文······人······一四五文······一二七秀······一七五蕉·····三(引索句連) (引索句連)
二一一一一八五五三二一八八八七七六六五二二二一一九七七二二一六八一六八四二一一七三七五五五○。九九〇八二八一一一頁三一七七六五註六一二二八九五二八七三四三七六二註五行思える https://t.山賤か笋の荷兮散はて名古屋大和町ひだりジ木立賣(ぢし)もの芭蕉七部集定本正誤表際し古版本を對照して訂正したる個所尠からず。を以て改刪せる者あるを發見し最初本文は西馬の標註七部集に準據したるが、且つ板下をしたゝめたる幹雄の誤寫もあれば、字句の異同を檢するに及び、左に本文印刷後發見したる誤植を揭ぐ。校正に西馬の私意正桂夕か女牢此地揚姥後五八地入たらは鐵酸も 宮本昭和4年7月-9月散はて山賤の第の荷今さくらモ名古屋益屋町け人度子水のをンひでりふ(ぢご)誤同三三三七六三五三五二三四三二九五五四三二六、五同三五列傳七頁二段三段行九七一五九二一八八師恩に報じたり。翁草二卷を著して年師の歿するやに入りたるが元祿六年芭蕉の門江戶の能役者也。リホ如く追加す里東の次に左記の里圃翌加拿大豆腐準備中心正の一項を削る。恩に報じたり草二卷を著して師蕉の歿するや沾圃-翌年芭象刈田の畦杜年洞水藥種大舟初雪に見事風たよりこわれ哉打こむ誤
發大正十四年三月大正十四年三月二三日印一日第一刷發行刷所版行有權所南神保町十六東京市神田區印發著刷行刷者所者小東京市麹町區飯田町六丁目一番地酒井吉藏岩東京市神田區南神保町十六番地波茂雄勝東京市牛込區中里町十五番地峰晋風芭蒸七部集定本定價貳圓八拾錢岩波振替東京二六二四〇番電話四谷五八七〇番書店所刷印社究〓
コ145多の日抄露伴學人著菊判三〇二頁定價貳圓參拾錢布裝國入送料書留貳拾五錢俳諧一道明治に復興せるに似たりと雖も世人唯其の發句を言へるのみ發句は俳諧連歌の首章の義なり其の全部にあらず宗鑑守武以來漸々發達せる俳諧は貞德宗因を經て芭蕉に至り一大進步を遂げ徒らに諧謔の小技に過ぎざりし者も或は境に應じて思を抒べ緣に隨ひて感を發し或は性質に本づきて意を寫し事景に托して情を灑ぎ駸駸として眞の詩の域內に入るに至れる也故に俳諧を知り芭蕉を知らんとせば發句の〓究のみにて足る可きにあらず此書は所謂蕉風の旗幟を一世に立てたる芭蕉七部の第一たる「冬の日」一部を評釋して曉臺、關更、鶯笠、何丸、麥水、升六、曲齋等の古解を參酌し丁寧親切に芭蕉並に其旗下俊秀の眞旨を發せんことを期したり。續芭蕉俳句研究安倍幸田小宮太田沼波勝峰阿部和辻著紙表裝凾人四六判六五二頁送料書留貳拾參錢定價貳圓八拾錢芭蕉俳句〓究は思ひがけぬ人々の間までも同情を得ることが出來たので、同人等はこの〓究の發表が無意義でなかつたことを喜びました。この續編は〓究會第二年の收穫で、前年度よりは一層油が乘り、一層賑やかに論じ合つて居ります。芭蕉の句をこの同人らと一所に味つてみたいとお考へになる方々には、この續編は前の本よりも一層多くの興味を與へ得るでせう。冗談を云つたり、枝葉の論に入つたりしながら芭蕉の句を味ひたくはない、とお考へになる方々には、强ひておすゝめはしませんが、冗談の中にも深い人生が動き得ることを知つて居られる方々は、お讀みください靜かな、朗らかな、さうして意味深い、いゝ心地におなりになることを保證いたします。岩波書店

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