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山田潤二「夏目さん」・未来なんて一ミリも要らない


夏目さん


 夏目先生が亡くなられた。私共一高の腕白仲間では蔭で「夏目さん」と呼んで居た、時には「猫が」「猫さんが」と異名を呼んだこともある。私は其の親しみに還つて、先生も嫌つて居た「先生」と云ふ堅苦しい敬語を避けて、「夏目さん」で追憶が書きたい。

 夏目さんは私の學校生活二十餘年を通じて、印象に殘つた先生の一人である。あの品格の高い、一種の氣骨を帶んだ利かぬ氣の氣象が、教はつて居た當時から、其の作物を讀む每に、又其の噂を聞く毎に、私には云ひ知れぬ怡悅であつた。山高水長の風格― 此の詞は或は中らないかも知れぬが、暗香疎影― 其の氣品と風韻とは當代雙び少き我國の寶であつた。「草枕」に暗香浮動すれば、「門」には疎影斜に射す。

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 夏目さんには三年級でジヨージ、ヱリオツトのサイラス、マーナーを教はつた。大分難解の所もあつたが先生はすらすらと淀みなく片付けて行かれた。時々やかましい質問も出るが、ズンズン解決された。或時質問が漸次細かい所に入つて往つた時、突如夏目さんは「もう之れ以上教へない·····僕の月給はそんなエライ事を教へる程澤山には貰つて居ない。一體僕の月給は幾何だと思ふ」。質問して居た者も、聽いて居た者も呆氣に取られて了つた。夏目さんは眞面目な顏をして次へ講義して往かれた。

 此の人が當時の宰相陶庵候(※西園寺公望)に招かれて文星夜墜駿河臺の雨聲會に、「ほとゝぎす厠半ばに出兼ねたる」人である。此の難かしい質問を爲たのは友人の高柳君で、大抵每時間一囘は此の種の難質問をやるに定まつて居た。是れが即ち「野分」の高柳君で其の性格が能く描かれて居る。

 當時仲間の內で本名其の儘は少し酷過ぎると云ふ者もあつたが、同僚の菊地さん(一高教頭菊地壽人「猫」のヒシヤゴ)や杉さん(教授杉敏介「猫」のピンスケ)を本名其儘で槍玉に擧げた夏目さんの眼から見れば、生徒を使ふこと位は朝飯前の仕事であつたらう。

 此の高柳君が每時間一囘以上必ず對決的態度を以て道也先生と押問答を爲ることは、「野分」が出た當座は實に多大なる興味を齎す見物として全級を隨喜せしめたものである。高柳君は今東京法科大學の助教授で米國に留學して居る、此の訃報を聞いて恐らく其の類骨の高い學究的な顔を曇らすであらう。

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 恰度(ちやうど)「猫」の流行つて居た頃は、隨分種々の惡戲が行はれた。生徒の或者は校友會誌上に「吾輩は犬である」と題し、「謹みて此の一編を我尊敬する猫先生に捧ぐ」と前置きして、猫の隣家に住居して居る一高生の夏目さんに對する感想と批評とを其の筆致に眞似て輕妙に書いた、そして「隣家の猫が聲名に伴れて此頃頓に威張り出して困る」と濡して結んであつた。

 其の頃三崎座で「猫」が上場された。腕白仲間は何かの材料にもがなと多大の興味を以て押懸けたものだ。

「先生、三崎座の芝居をご覽になりましたか。」

「ウン······にア。」

「先生が素的に色白の粹な好男子ですよ。」と「菊地先生や杉先生は眞物も好いのですが、先生は大分得をして居られるから、是非一度お出でになつたら可いでせう。」夏目さんは默つて、生徒に喋舌るだけ喋舌らして放置いて無心に卓子の上に白墨で何か書いて居られた。

 教壇の直下に座つて居た友達の一人が、それを覗くべく起ち上つた。1日1日譯讀給へ。」と、其の友達は隙を一本見事に打込まれて、教室は忽ち平生の授業に變つた。

 授業が終つて後、卓子の周圍は人垣を成した。鳶色の塗が剝げかゝつた卓子面には猫と自分の顏が器用に竝べて落書されてあつた。「鶉籠」の自序に「學生の趣味を半文も下落させないことを確信する」と言ひ切つて居る夏日さんは、其の作物だけではない、教場でも、自宅でも、其の言動は悉く之れを一貫して居る。啻に學生の趣味だけではない、天下の人心をして、又趣味を下落させないだけではない、趣味の向上に於て、偉い力を與へて居た。

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 第一學期の試驗であつた、夏目さんは問題を配つてから、あの短い舌を廻り舌にした樣な發音で一と通り素讀をされた。其の素讀中に級の隅々から溜息が盛に起つた、問題が讀んだ本からは一つも出ず、且頗る難解で、素讀を聽いたゞけでは一寸見當が付かなかつたからだ。

「大分難しいだらう。」

「…………。」

「これは僕が此の頃讀んで居る小說の一節だ、僕が上から讀んで來て、そして又下の方を讀んで見て始めて解つた所だ、之れだけ切り離しては僕にも一寸判らぬ、僕は諸君が完全に譯讀し得るとは思つて居ない、どれ位まで扱す力があるかを試驗する爲に出した。」

 同級生は此註でやつと一と安心した。「先生、此のWraithと云ふ字は何ですか。」

「其の字を知らぬか······知らぬ者は手を擧げろ。」全級擧手「それは物怪と云ふ字だ。」

「先生、tramととふのは何ですか。」「そんな字を知らぬか······知らぬ者は手を擧げる。」全級擧手「それは罠だ、こんな字を知らぬ筈はない、皆が冗談やお附合に手を擧げてはいかぬ。」

「先生、Propaedeutistと云ふ字は何ですか。」「そんな發音があるか、プロペデユチストと云はなきアいけない、此の字か、知らぬ者は手を。」全級擧手「モウ教へない、モウ教へると全體教へることになる·······之れで歸るから、大人しくして。」

 夏目さんは生徒と難題とを殘して、さつさと出て往つたきり再び來なかつた。級中は大難物で時々溜息が聞こゆる外冗談一つ囁くものも無かつた、誰かゞ答案を出しに行き乍ら「猫の祟りで汗塗れだ」と落した時に始めて一同が笑つた。

 時間が來た時事務員がノコノコ入つて來て答案を纏めて歸つた。次の學期になつて、夏目さんの時間が來た。「先達の試驗で見ると諸君は案外力がある、あれだけ英語が讀めれば獨で字引を繰つてズンズン讀んだ方が利益になる、僕なんかに教はると却て損だよ······併し誰もgirlを眞實に譯し得たものが無かつた、あれは一體私窩子だよ、私窩子と譯さなきあ全文が死んで了ふ。」

 一高の秀才連は不幸にして此の時までgirlを淫賣と譯する道を知らなかつた、と聞いて問題を繰り返して見ると、果してgirlは淫賣であらねばならなかつた…………。

 沈々と更け行くテームス河畔の夜色、河上に眩く星影は自殺者の魂とも見ゆ、トボトボと流れ行く私窩子の姿は物怪にやあらむ、其の跫音は何事をか神祕を囁くにも似たり………… と云ふ樣な文章で、私窩子を徒歩哲學者に擬らへ、遠く黑ずんだるアカデミーの森に絡まして、深刻なる社會狀態の批評であつた。

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 今日常安寺の追悼會に參じた。そこに夏目さんの遺墨が陳べてあつた、夏目さんに俳句のあることは誰も知つて居る、そして五言詩のあることも私は「草枕」以來承知して居る、併し畫のあることは此處で始めて知つた。

 著書の裝禎や圖按に疑られたことは聞いて居たが、墨痕淋漓、氣品そのまゝの婆娑たる新竹の畫には、私かに餘技の多きことを惜んだ。本堂で香煙が「一夜」の樣に燻かれ、和尙が交々起つて香語を提唱する、文獻院漱石居士の夏目さんは、其の間靜に眼を外らして、香語の批評や來會者の觀察に餘念がない樣な姿が髣髴した。

 最後に修證義(※『正法眼蔵』を抜粋したもの)の第四章と第五章とが高く合唱せられた、故人を偲びつゝ聽聞すれば句々皆骨に徹る日々の生命を等閑にせず私に費さゞらんと行持せよ、光陰は矢よりも迅かなり、身命は露よりも脆し、何れの善巧方便ありてか過ぎにし一日を復び還し得たる。

 徒に百歳生けらんは恨むべき日月なり、悲むべき形骸なり。設ひ百歲の日月は聲色の奴婢と馳走すとも、其中一日の行持を行取せば、一生の百歲を行取するのみに非ず、百歲の他生をも度取すべきなり、此一日の身命は尊ぶべき身命なり貴ぶべき形骸なり。此行持あらん身心自らも愛すべし自らも敬ふべし。常安寺を出づれば、斑らに殘つた雪を吹いて風は襟に寒い。夏目さんの亡くなつたことは惜しいには相違ない、然し私には少しも悲くはない。

 夏目さんは自分の仕事と定めたことに對し、絕えず不動の態度を以て、他に阿りもせず、氣兼ねもせず、又自己を欺きもせず、矯めもせず、氣の向くがまゝに、何の屈託も遠慮もなく、死ぬまで押通して亡くなつたのではないか。今に及んで思想界の損失だと悲嘆し、腦味噌の迂囘が天才的だと驚嘆するのは遲い。悲しまず、驚かざる我は今氷上に春を見る。(大正五年十二月)

[出典]山田潤二 著『赤心録』民友社 1921年

[付記]

 昨夜、地上波で放送された「 Yogibo presents THE MATCH 2022」を観た。その中で武尊が「この試合で死んでもいいと思っている。未来なんて一ミリも要らない」と語っているのに痺れた。

 徒に百歳生けらんは恨むべき日月なりとはまさにその通り、死を迎えても悲しまず、驚かざるべく、後悔のないように生きねばならんとの思いを強くした。

 しかし漱石は「三崎座を見たいが行けるかしら」と虚子に葉書を出した切り、芝居の感想の続報がないので、素的に色白の粹な好男子が自分の役を演じている三崎座の芝居を観損じてどうも後悔しているようだ。








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