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ピストルにインテレストや蓮の花 夏目漱石の俳句をどう読むか41

夏痩せの此頃蚊にもせゝられず

せせ・る【挵る】
〔他五〕
①つつく。ほじくる。日葡辞書「クサキノネノツチヲセセル」。「歯を―・る」
②(小さな虫などが)くいつく。刺す。天草本伊曾保物語「蟻蠅がむらがつて―・るほどに」。「大黒柱を蟻が―・る」
③さぐりもとめる。あさる。日葡辞書「トリ(鳥)、ツチまたはイソ(磯)ヲセセル」
④もてあそぶ。からかう。今昔物語集27「ついまつの火を以て毛も無く―・る―・る焼きて」

広辞苑

 とはいえこの時よりは肥えていただろう。

 ここで詠まれている「蚊」は現在われわれが目にするものとは異なるものであろう。少なくともチカイエカではない。しかしヒトスジシマカであったにせよ、その性質が昔と今ではかなり異なるように感じるのだ。

 昔の蚊は羽音がしばらく周囲を巡り、羽音が聞こえなくなった瞬間に吸い付くという、少し間合いというものがあるものであった。

 しかし現在のヒトスジシマカは一直線に食いついて来る。間合いがない。この数年の夏の暑さで活動時期が短くなり、凶暴性を増したように思える。どうも都会の雀のように昔とは性格が変わってしまったようだ。

 今のヒトスジシマカならばがりがりであろうとお構いなしに刺してくるだろう。

 ……と真面目に解釈してもしょうがない。実際に蚊に刺されなかったわけでもなく痩せていたわけでも無かろう。痩せていたのはむしろ子規で、この句は大して痩せてもいない漱石が、僕も蚊に刺されないくらいに痩せたよと冗談を言っているというところか。

棚経や若い程猶哀れ也

 誰の霊に経が読まれているのか、解説にはない。誰か若い人が何年か前に亡くなったのを改めて盂蘭盆会で「哀れ」と詠んだのか。この「若い程猶哀れ也」はさすがに月並みであろう。

 子供の葬式が来た。羽織を着た男がたった二人ついている。小さい棺はまっ白な布で巻いてある。そのそばにきれいな風車を結いつけた。車がしきりに回る。車の羽弁が五色に塗ってある。それが一色になって回る。白い棺はきれいな風車を絶え間なく動かして、三四郎の横を通り越した。三四郎は美しい弔いだと思った。

(夏目漱石『三四郎』)

 漱石は後にはこんな心境を獲得する。確かに年寄りであるほど葬式の哀れさというものは薄れる。その順番を飛び越して早く死ぬ子供は哀れである。しかし「早く死ぬ子供は哀れ」とは「ハンドルネームがおかしい人間には近づかない方がいい」というくらい当たり前のことなので、わざわざ俳句にすることでもない。

 本当にどういう偶然か、まるでSNSでもフォローするかのように、本当にいかれた人にフォローされることがある。もう完全に、見るからにいかれている。どうやって生きているのかさっぱりわからない。ただ気持ち悪いとしか言いようがない。現実というのはそうした異常さにあふれている。漱石の「美しい弔いだと思った」という感覚は単なる異常ではない。何某かの真実を捉えている。一方「早く死ぬ子供は哀れ」は当たり前しかとらえていない。当たり前のことは詠まなくても良い。そうではないところを求めるべきであろう。

御死にたか今少ししたら蓮の花

 解説にピストル自殺した藤野古白、子規の従兄弟を弔う句だとある。「死んでしまったのか、もう少ししたら蓮の花の季節になるのに」という意味かと思って、はたと手が止まる。

 蓮の花の開花のピークは7~8月中旬頃。藤野古白の自殺は明治二十八年四月十二日。つまり「死んでしまったのか、もう少ししたら蓮の花の季節になるのに」ではなくて「今まさに蓮の花の季節になった、君はその前に死んでしまったのだなあ」と詠まれているという理屈だ。

 そしてこの藤野古白の自殺が「若い程猶哀れ也」にもかかるとするのであれば、やはりそこは少し違うようながする。生きることに興味がなくなりピストル自殺をしてしまう若さというものは確かに哀れではある。しかしその哀れは雛子の哀れとは異なる。だから「若い程猶」ということですらないのだ。生きることに興味がなくなりピストル自殺をしてしまう老いというものもまた哀れであろう。晩御飯のおかずに悩みピストル自殺をしてしまう主婦も哀れだ。ドーナツが食べたいと泣く子も哀れだ。人生は皆哀れだ。救いは何もない。


百年目にも参うず程蓮の飯

 解説に明治二十七年に病没した中野逍遥を弔う句とある。どうもこの時期立て続けに誰でもいいから弔いたかったらしい。

 現代では二百回忌くらいでなければ滑稽感はないが、当時は百回忌はさすがに冗談であろう。

 もしも漱石がこの句を詠んでいなければこの人は完全に忘れ去られてしまっていた人かもしれない。兎に角本が残ってよかった。

蜻蛉や杭を離るゝ事二寸

 そのままホバリングを詠んだ句か。これはオニヤンマやカトンボではなくシオカラトンボであろう。

 杭にとまって休めばいいものを、何がしたいのかほんのわずか離れている「わけのわからない」自己主張を滑稽に捉えた句とみてよいだろう。子規の評点は「〇」だが、これこそ「◎」でよいのではないか。


明治俳諧五万句
明治俳諧五万句


明治俳諧五万句


明治俳諧五万句

 蜻蛉といえば飛んでいくかとまるかというところ、漱石はホバリングというところを詠んだ。ほかにホバリングの句は、

大澤の水に尻うつ蜻蛉かな   一蛙

 くらいなものであるが、これは産卵。

蜻蛉や杭を離るゝ事二寸

 この句はそうした明確な目的もなく、何を考えているのか解らないというところが良い。

 まあ大抵の昆虫というのは何を考えているのか解らないものではあるが。

[余談]

 宇野氏の抒情について芥川龍之介氏は諧謔的抒情詩とよび、この爲に宇野氏が所謂「文藝の本道」を外れてゐるとしても「正にして雅ならざるもの」「正ならずして雅なるもの」を目分は高位に置きたいと述べてゐる。

 芥川氏は宇野氏の諧謔的抒情詩は「君以前にはなかつたものである。恐らくは又君以後にも無いであらう」といつてゐるが、まさしくその通りではある。

 卽ち芥川氏によつて「諧謔的抒情詩」とよばれた情〓とは、自嘲のメロデーであつた。

 宇野氏の作品に對して芥川龍之介氏が「雅にして正ならざるもの」といひ「文藝の本道から外れてゐる」としてもよろしいと述べたのが思ひ出される。

 小說-殊に我が國で非常に發達した短篇小說は、芥川龍之介氏などを最後として、次第に崩滅していつたといつてもよいと私には思はれる。昭和初年に於いてはすでに短篇小說は、完全にその完壁性を失つてしまつた。

作家の世界
十返一 著明石書房 1944年

 ふーん。

それが芥川、菊地氏等になると谷崎氏ほどの思想的藝術的の本質的特色のない人々だけに、一層現實を遊離した、しかも感情の硬化した技巧本位の作品しか書けない。

文学の革命期
武藤直治 著弘文館 1923年

 ふーん。

芥川氏の「點心」はまだ拜讀の光榮を有せぬが、點心と云ふ言葉は隨筆なりエッセイなりの眞意の大半を言ひ盡してゐると思ふ。英字の新聞雜誌によく「テイット、ビット」と云ふ欄がある。是を點心、珍饈などゝ譯する。

ちりがみ文章
十一谷義三郎 著厚生閣 1934年

芥川の悲劇は、自己の思想的立場である主我的個性主義ははつきりとその限界性を示されて居り、然も他の立場には容易に移行出來ないことを銳く意識させられた良心の、或は避け難い運命であつたのかも知れない。
だから其處には芥川の一面に代表されてゐたやうな、知的事樂への傾向なども相當一般化されたものになつてゐたのである。

近代日本文学の展望
片岡良一 著中央公論社 1941年

 ふーん。

自分は芥川氏の作品を餘り好まないが、しかしそのづばぬけた『技倆』の冴えには敬服してゐる。

貝殻追放 [第1]-3
水上滝太郎 著東光閣書店 1920年


東京書籍商組合員図書総目録


岡山県立戦捷記念図書館和漢図書目録 第1(大正8年2月18日現在)

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