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芥川龍之介 「奴隷市場」

しかしこの町の芝居には安来節芝居などもかかつてゐます。

一昨晩ちよつと覗きに行つたら、五つになる女の子が「蛸に骨なし何とかには何とかなし、わたしや子供で色気なし」とうたつてゐました。

奴隷市場を見たやうな気がしました。

[大正十四年四月十七日 石黒定一宛]



蛸に骨なし玉子に角なし、情なし世辭なし、小町に穴なし達磨さんに足がなし。

日本の流行唄 藤沢衛彦 編日本伝説叢書刊行会 1922年


日本の流行唄 藤沢衛彦 編日本伝説叢書刊行会 1922年

蛸に骨なし海鼠に目なし、紅屋の旦那に首が無い。

日本民謡全集 続編 前田林外 (儀作) 編本郷書院 1907年


日本民謡全集 続編 前田林外 (儀作) 編本郷書院 1907年

蛸に骨なし海鼠に眼なし秋田の殿樣頸がない

東田川郡郷土教育資料 山形県東田川郡教育会 編山形県東田川郡教育会 1932年


東田川郡郷土教育資料 山形県東田川郡教育会 編山形県東田川郡教育会 1932年

蛸に骨なし海月に目なし。狸の睪丸八疊敷。

千葉県夷隅郡誌 千葉県夷隅郡 編夷隅郡 1924年


千葉県夷隅郡誌 千葉県夷隅郡 編夷隅郡 1924年

隱居さんは色氣なし

流行新歌集 湯浅春江堂 1914年


流行新歌集 湯浅春江堂 1914年

 小町に穴なしにくらべれば色気無しの方がまだ上品ながら、この印象は『温泉だより』の淫靡な感じに影響してはいないだろうか。、

[漱石全集テキストデータ]

七月十日五六五
五六六○例刻起。霧の如く雨の如きもの世を蔽ふ。電信柱の向ふに見える烟突が霞んでゐる。電信柱か烟突か區別がつかず。其向ふの丸い森は丸で見えず。○いつか電線を勘定して見やうと思ふが。晴れた時は目まぐるしくつて出來ない。雨のときはぼんやりして出來ない。○昨夜寐るとき頭を洗ふ。○藤井節太郞より手紙。此人は自分で香魚を漁つたといつて小包でよこして吳れたのが、箱入だつたものだからすつかり腐れてゐた。其旨を通じてやつたら殘念がつて今度は腐らないのを贈りたいが生憎雨で不漁であると云つて來た中に不如歸の巢を見付けた事が書いてある。原原「國留宮內者相扣押御殿取調シスム米背等因で、所所のくなくにな候。鶯其他の巢を見付け得ざりしものか石ころの上に巢形もなく卵二個を生みて孵化に黽め居候ひしが人氣に驚ろきて飛び申候田舍にても時鳥の巢は珍らしく鹽田氏と相談の上燕の巢にて(税等)化せしめんと歸宅後燕の巢を求め候ひしも折惡しく一番子終原原りにてよろしきもの無之仕方なさに捨置申候浮化したら人工的に飼養して見る積候。雲に啼きてこそ時鳥の特色はあれ籠に入れては俗に落ち申候ならんも茶店などにて思ひがけなく鳴かしてやるも多少の面白味有之べく歌の會俳席などの實物題に出しても俗中に幾分かの味有之べく候かと存候。電信柱か雨のときはぼ二匹ともうまく行つたら一匹は差し上げてもよろしくと存候。永日小品に小鳥に興味を持たるゝ樣見受候につき云々○例の髪を茶煎にした東のはづれの女今朝も洗顔所にて顏を洗ふ。つき添二人、ばあさんに中年の年增なり。いづれも上流の召使とも見えず。寧ろ田舍びたり。當人は例の如くぬうたる顏とぬうたる態度にてやつてゐる。大きなブリキの藥鑵に湯をわかして瀨戶引の金盟に湯を入れさしてゐる。長い箱以外に下女が小さな茶碗を持つて來た。其中に糊の樣なものが這入つてゐる。當人原はそれを指の先に塗り付けて、片方にに置いた茶碗樣のものに入れてある妙なもの(一寸見たら木の葉の樣に見えた)を取り出して、其糊をすり付けてゐる。よく見たら四五本の金齒を腮の脊に喰つつけたものであつた。般若の樣な氣がした。原○是公から吳れた盆栽を大事に枕元に据えて置いたのを昨日見ると黃色な葉が大分出來た。自分は盆栽を手がけた事がない。たま〓〓買つてくるとみんな枯れて仕舞ふ。驚ろいて水を吹いた。枯れなければいゝがと思ふ。みだりに水をやるのが却つて枯らす工夫ではなからうかと思ふ。梅雨はやんだのやら、やまないのやら、空はいまだに暗い。原原○朝東新來。鈴木三重吉、小宮豐隆來。鳥村苳三來。太田正男來。神崎恒子來、花束をくれる。鳥居素川、杉村楚人冠來。野村傳四來。賑やかな日曜を過す。晩方一軒置いて隣りの恵者の看護婦隣りの支那人の室へ來て抗議を申し至八七永日小品に小鳥に興味神崎恒子來、花束をくれる。
五六八込む。手前の方の患者は老人ですから、高い聲をして話をしない樣にして下さいといふ。婦は特等看護婦のよし。加藤さんといふ。是から看護婦會をたてるんだといふ。此看護七月十一日例刻起。曇、陰、暗新胃腸病學を讀む。枯れかゝつた盆栽を洗顏所の窓の張出の上にのせる。○是公から繪端書がくる。是で三度目なり。此前のは夕張の炭坑附近の懸崖の景色。是には左五、原原加二太、久保田勝美皆々一口づゝ病氣見舞を延べてゐる。今日のは登別の湯の瀧の氣色なり十本許の瀧に五六人打たれてゐる。其右のはづれは西加二太に似てゐる。「今着。此瀧に打たれた心地は何とも云へない好い心地、君も二三度此所にて打るゝとすぐ癒ります、是公」とあつた。○昨日東の言傳にはひな子が熱が出たから醫者に見てもらうので、今日はことによると病院へ行かれないと妻が云つたさうである。○突然皆川正禧が來る。一昨日出て來て誰かから余の病氣の事をきいて、大方入院してゐるだらうと思つて尋ねに來たのだといふ。屋久杉の謠の見臺を三つ、棕梠の葉の團扇を四五本、薩摩燒の猪口を一つくれる。○森田草平來。妻來。原〇二三日前より新らしい看護婦を二名廊下で見受ける。朝洗面所で新らしい人に逢ふ。金緣の眼朝洗面所で新らしい人に逢ふ。金緣の眼鏡をかけた男也。と見ゆる。夫からさつき手水に行つたら頗る脊の高き患者に逢ふ。毎日入院と退院がある七月十二日原例起。便通少なし。陰。潤。細雨眼を奪いて飛ブニ似タリ。○昨日の長身の人ニ今朝洗面所デ逢フ。西洋人でもなからうけれども慥かに合の子なり。原○黑田朋心來。松根來。北白川宮の御用掛をかねる事になつたといふ。西洋料理を食ふ。○太田善男來。森卷吉來。○二階の角の人今日三時か四時に死ぬ。毎晩うなれる由。細君は子供三人ありといふ。いつでも小さいのを負つてゐた。脊の高い女なり。患者は三十四といふ。來た時から大勢看護して入れ替り立ち替り見えたり。あるときは鍋で何か食ふ樣、湯治に來て間借をするに似たり。病人は久しい間滋養浣腸の由にきけり。原○同じく二階の向側の楷子段の入口の支那人に附添の看護婦やり切れないと云つて歸る。支那人はくさくつて厭なんだといふ。支那人七月十三日五九九
五·七○曇。例起。○昨夜、死亡せる患者の部屋に集ひたる人影もなし。間として疊のみ見ゆ。片隅に布團をたゝみ重ねたり。○看護婦云ふ今日は祇園祭ですと。長野にも祇園祭あり町々から屋臺を出して盛なる由。東京に祇園はないと〓へてやる。○東はづれの慈姑の髪の女、突然ゐなくなる。何でも昨日抔は今迄の附添の外に若い銀杏返しの女が二人も泊り込んでゐた。よく聞けば上野の別莊とかへ來た所まだ空かないとかにて不得已病院へ入つた所、空いたときいて急に引き移つたのだといふ。うちの附添の聞いた事だから何處に間違があるかも知れない。○今日久し振にて薄き日の光を見る。從つてあつし。晩方稻妻しきりに起り雨ついで至る。○九時頃看護婦が緣に出てもう月夜だといふ。雨は何時か晴れたと見ゆ○妻來。是公來。胃に棚を釣つて物を載せた樣だと云ふ。小宮來。間として疊のみ見ゆ。片隅に布團をたゝみ長野にも祇園祭あり町々から屋臺を出して盛なる由。東京に七月十四日○例起。快晴。病院に入つてから始めての快晴なり。好い御天氣で御座いますといふ。洗面所にて二軒置いて東隣りの附添の下女○蒟蒻の最後の日なり。今日より焦げた所しきりに痒し。いかに熱いのを乘せても痒し。仕舞には手を出して搔きたくなる○看護婦が膏藥を貼り替へに來て美事に燒けましたといふ。杉本さんが囘診の時是はあと迄記念になりますといふ。此黑い色が記念になつて年來の胃病が癒れば黑く燒けた皮膚は嬉しい記念である。原○花屋から桔梗と女郞花とくわりんばいを買ふ。くれりんばいは始めての花なり。白くて子供のチンボコの樣な形の蕾をなす。葉は柿の葉の葉裏のあれ程にがさつかぬものなり。○楓の盆栽を物干臺から取り下して緣に置く。見違へるやうに生々した。○鋸草の殘つたのを短かく切つてコップに活けたら水が赤くなつた。是は葉を染めて美くしくしたものだといふ事が始めて分つた。○小便に行つたら階子段の上の洗面所の所で余の看護婦が若い男と話をしてゐた。歸つてからあれが國の人かと聞いたらさうだと答へた。病氣は何だと云つたら腹膜だと答へた。此二月から病院に來て六月に二週間程國の方を旅行して又入院したのだといふ。醫者は安靜にして一日寐てゐるがいゝと云ふのださうだが自分は堪へられないので、忍んで外出をするといふ。結核性らし。年は十九といふ。○野村傳四來。畫家が雛鷄をかく時牡鷄を合せかくは事實でないといふ。雛鷄は常に牝鶏に連れいかに熱いのを乘せても痒し。仕舞に白くて子供の雛鷄は常に牝鶏に連れ五七一
五·三·られて歩いてゐるものだといふ。俳家の猫の戀も間違つ(て)ゐるといふ。私のうちの猫は正月に戀をして三月に子を生んで五月に又戀をする。再度の戀の時は子供を放り出して構はない。つまり二度さかる。しかも兩方とも春ぢやないといふ。油かす(約束の)を持つて來て楓の盆栽にふりかけて去る。七月十五日○例起。洗面所にて支那人の鄭さん王さん郭さんなるものと合の子の中川さんなるものと一所になる。鄭さんは余の隣室にゐる。王さんは東から二番目なり。寐坊也。今朝看護婦から王さん試驗中は早く起きなくつちや不可ませんよと催促されてゐた。郭さんは香水だの油だのを持つて顏を洗に出てくる。水の中に香水をたらして身體などを拭いてゐる。しかも附添から支那人は臭くていやだと云つて逃げられたものは此郭さんである。今朝便所へ這入つたら郭さんの名前の貼付けた便器がれい〓〓ときん隱しの前に置いてある。大將便を垂れて戶棚に仕舞ふ事を敢てしなかつたのである。○昨日王さんと鄭さん〓隣の部屋で話をしてゐると、病院の男が緣側の硝子障子を拭いてゐ原るので廊下の仕切りを開けてゐた。一軒置いて隣りの看護婦と支那人と話を始めた。王「私の顏色は今日は惡いでせう」看「どうだか、何時も洗顏所で見る丈だから、あすこへ行つて見なければ分りやしない」王「夫ぢや仕方がない」看「王さんは丸で駄々つ子の樣だ」看護婦は夫から鄭さんと話をしてゐた。「矢張御國が好いでせうね。始めて東京へ來た時は厭でしたらうね」「えゝ、言葉からして分らない」「鄭さんは本郷ですか」「駒場です。靑山の電車の終點を下りて」「農科はあつちにあるんですか」○今朝東のはづれの看護婦が氷枕の水をあける時、余の石鹼入の中へ其水をどつと入れた。りの後藤さんの看護婦が合の子の中川さんの齒磨入を流の下へ落した。○昨日は此合の子の中川さんの姊さんが來たといふ。脊が高くつて瘠せて、余の看護婦が云ふ。○東はづれの患者は慈姑の髮の女のあとへ引移つたのである。氷で冷してゐる。い看護婦は二人附添つてゐるらしい。○此間患者の死んだ部屋が又ふさがつたといふから今朝見たら靑い蚊帳が垂れてゐた。五十三あすこへ行つて見なければ分りやしない」東隣色が赤く髮が赤いと氷で冷してゐる。何病だか分らな
五七四原の前をなふははののぐら良くなっへ就是へ歸ってみるときもときア原たので細かい雨が降つてゐるといふ事が分つた。傘にて短冊の樣なものゝなかに三日月が書いてあつた。○雨ふる。十一時過歇む。物干に上つて天下を望む。中庭に盆栽を數多竝べたり。誰の所有なるやを知らず。○廣瀨歸芳氏余と前後して入院せしが、此間森卷吉が見舞に行つたら、此院内の空氣がいやだからもう出ると云つてゐたさうである。物干に出て天下を觀望した歸りに室の前を通つて見たら、果して外の人が這入つてゐた。其前の室に御爺さんが一人ゐる。是は文人畫にありさうな白い髯を蓄へてゐる。此間もゐた。蒟蒻の濟んだ今日通つて見るとまだゐる。眼鏡をかけて仰向に寐て本を讀んでゐた。浴衣は手拭をつぎ合せた凉しさうなものである。床に墨畫の文人畫をかけて竹の花活に杜松か何かを活けてゐる。夫は遠州とか古流とか法に叶つた枝を曲げたり撓はしたりしたものである。此御爺さんは病院を家として此所に落付いて生活してゐるらしい。壁にかけた驗溫表がひら〓〓して見えた。其數は十枚程ある。一枚十五日分だから决して昨今の御客ではない。○今日も支那人が隣の部屋へ來て話してゐる。何を云つてゐるか薩張り分らない。然し其音調の接續高低は言葉の意味が分らない丈それ丈よく分る。寐てゐて近所の部屋へ來た見舞客の談話をきいてゐると意味の分らない時は丁度支那人の談話と同じ趣で聞く事が出來るが、意味が通じる物干に上つて天下を望む。中庭に盆栽を數多竝べたり。誰の所有なるや否やillusionが破れてしまふ。○三時過やけどの膏藥を貼り易へる。やけどならもつと痛みさうなものだが些とも痛くない。○風呂場へ行つて足と頭を洗ふ。三助曰くちと御辛抱が足りませんでしたなと。何の意味か分らぬ故え?と聞き返すと又大きな聲でちと御辛抱が足りませんでしたなと云ふ。仕方がないからうんと肯つた。すると少しつめて熱いのを取り替へ引き替へやる人は十日位で濟みますと云ふ。余はそんな人があるかと思つた。始めの二三日は熱くて堪らなかつた。七月十六日○例起夜來雨。顏を洗つてもまだ部屋の掃除が出來ず。病院をぶら〓〓す。試驗室で胃の中へ管を入れて洗つてゐた。驗便所へ四方八方から便が輻輳して來た。めまぐるしく二人ばかりの看護婦が働いてゐた。どうするのだか能く分らない。狹い部屋に便器が一杯ならんでゐるので足を入れやうがなかつた。看護婦は水の自由に出る水道の栓を前に控えて何かしてゐたらしかつた。原原○座敷の硝子を開けて置くと廊下を通る人は大〓部部の中をのぞき込んで行く。見舞人でも患者原でも看護婦でもさうである。たゞ合の子の中山さん丈は眞直を見て行く。是はさすがに西洋流な所がある。○鏡で舌を見たら牛の舌を思ひ出した。少し白いけれども滑かで肌理が大變こまかになつた。さ少し白いけれども滑かで肌理が大變こまかになつた。五七五さ
五十六うして見てゐると舌の上が萬遍なく波の樣に動く。是は新發見である。此間新胃腸病學を讀んだら舌は診斷の足しにはならないとあつた。咀嚼をよくするものは舌苔がない。咀嚼のわるいものは舌苔が多いとあつた。入院當時は舌が厚かつたしかも焦げて黑かつた。今はかくの如しだが咀嚼は同じ事である。如何。矢張り胃がよくなつたからぢやないか。○今日は盆の十六日である。○體重をはかる。四十八キロ七百。○隣の支那人が入らつしやい、入らつしやいと云つて寄席かなんぞの假聲を使ふ。入院の同國人の話に來てゐたものが部屋を出て行くとき又入らつしやいと大きな聲を出す。入院の同國人七月十七日例起。細雨霏々。○昨夕方臼川來。銀行の監査役になつたといふ。是は親類の銀行のよし。不動貯蓄とかで資本金は十萬位の小さなもの。○看護婦がもう御用もないから御ひまをくれといふ。小石川の親類から呼びに來たが多分國のいとこが死んで國で歸れといふんではなからうかと云ふ。妻にあした病院の仕拂日だから例仕拂と看護婦の日當を持つてくる樣に手紙を出す是は親類の銀行のよし。不動貯蓄とかで資本金原やがと皆川と鎌田と佐治が三人揃つてくる。○廣田道太郞がくる。やがと皆川と鎌田と佐治が三人揃つてくる。てくる。○森田がくる。みんな歸る。東が辨當を食つて去る。原○憐りの病人が退院。病氣はよくない樣である。氣の毒である。商人らし。○三時過便所へ行つたら一軒置いて東隣りの十七號の患者も何時の間にか退院してゐる。い顏の五十代の爺さんであつた。白髪頭を五分刈にして、夜中でもよく咳をしてゐた。それに東が宅から着物をもつ是は蒼七月十八日○例起。細雨。しばらくして歇む。原○一軒置いて西隣りの御婆さんは名古屋とか橫濱とかの財產家で、大きな宿屋を作つて人に借してゐるんだとか云ふ。地面と屋敷とかゞ五萬坪あるといふ。それでたつた一人で毫も親類がない。自分の所有をどうしたら好からうと云ふのださうである。是は看護婦の話なり。おれに相談すれば何うでもしてやると答へた。○此間出た慈姑の髮の女は名古屋とかの財產家で未亡人ださうである。病院へ這入つても間食ばかりしてゐる。食物がまづいとか何とか云つてゐる。あるとき看護婦が行つたら稻荷壽司を食つてゐたさうである。五七七
五七八○昨日退院した隣りの後藤さんは古着屋ださうである。○突然○○○○○が見舞にくる。肺病で國へ歸つて仕舞つたと聞いたが、どうしたかと思つたら此三月頃出て來たのだといふ。弓削田から病氣の事を聞いたと云つてゐた。○森田が昨日生田の原稿を持つて來たのをいけないと云つたら、無斷でそれを社へ廻して仕舞つた。癪に障るから自分で書いてひる迄に社へ持たしてやつた。○妻來○病院の部屋が一つ空くとすぐ塞がる。昨日の後藤さんの部屋ももう塞つた。昨日の後藤さんの部屋ももう塞つた。七月十九日例起。輕陰。原○管が來る。重武が一本足で鷺の樣に立つ事を覺えたといふ。原○隣りGO患者が十二支腸蟲で驅蟲をして、ひよろ〓〓して余の室へ這入つてくる。眼がくらんだんだといふ。○高田の姊がくる。○始めて外出。髮を刈る。叮嚀なる刈方に驚ろいた。仕舞に櫛と髮剃とを重ねて頭の周圍をぞりぞりと剃つた。鋏で髮をかるのみか、髮剃で髮をそるのは珍らしい事である。十二錢の所を二十眼がくら原錢やつて歸る。此髮を刈つた男余の頭を刈りながら『好い毛ですね。つて何返もほめる○栗原古城來。晩食をくつて九時頃迄話す。鏝を使つて曲げた樣だと云平田禿木氏の弟の死んだ話をきく七月二十日例起。晴。隣りの患(右)顏洗場にて昨日は失禮しましたといふ。原○雲出づ。白い雲が薄く濁つた中かに、微かに赤みを帶びてゐる。その奥には紫の匂も見える。數は切れる樣に續がる樣に澤山であつた。其背景たる靑空もつや消しである。暖かく藏れてゐる。冴えたぎら〓〓したものではない。嫩雲である。○森田、東來。湯に入つて身體を拭く。○山田茂子來。女郞花桔梗、くわりんばいを吳れる。○此朝菊とりうせいと樺色の八重の襞の亂れたのを買ふ。原原○橋口〓來。グロクスニやとかいふ花をくれる。葉を切つて砂に埋れば接くといふ。熱帶の植物で尤も熾な色をなす。花の形はまだ知らず、蕾は細長く釣鐘の如し。豐隆來、パナマの帽子を被つてゐる。五十九
五八〇七月二十一日○例起。かたまつた糞が出る。此二三日然り。○昨夜電車の通る往來に荷車の音とがや〓〓いふ人聲が耳に入つて眼が覺めたから、も〔う〕夜が明けたのかと思つたらまだ三時であつた。何事か分らず。熱帶の花白いくわりんばいと對して異彩を放つ。强烈なる色のうちに紫と赤と黑を藏す。○朝原稿をかいてゐると芥舟がくる。少し待つてもらう所へ長谷川達子がくる。絹絲をかゞつて作つた莓をくれる。半日ばかり每日やつて十日かゝつたといふ。明朝國へ歸るといふ。○入浴。太田善男來長く話して歸る。○非常に暑い日なり。昨日から始めて暑い日を經驗ス。今日は飯を食つてもあつい。汗が出る。○蒟蒻をやめてから旣に七日になるよし早きもの也。も〔う〕夜今日は飯を食つてもあつい。汗が出る。七月二十二日○例起。寐苦しき晩を過ごしたり。最初眼が覺めたら電車の音がするのでもう夜が明けたのかと思つたらまだ十二時前であつた。次にもう障子が薄明るくなつてゐたからと思つてマツチを擦つ原て時計を見たら一時過であつた。障子には廊下の電燈が映つてゐたのである。うと〓〓して四時半にまた眼がさめた。足を布團の上で右へやり左りへやり仕舞には厚い寐床から疊の上へ落ちて見たくなつた。○昨夜は日比谷公園に散步した。噴水に月が映るさまが面白かつた。○朝植木に水をやつて有樂町山下町を散步。渴。茶を一合程のむ。○昨日芥舟が來て床の花を見て、あれは唐菖蒲といふものだと〓へた。バイブルにある野の百合といふのはあの事だと云つた。○桐生悠々來。中村是公來。蚊遣香をくれる。小使が間違へ早稻田へ持つて行つた事は、其小使が又病院へ持つて來たとき始めて分つた。兵糧がなくなつたら何時でもさう云へと云つて歸る。○森卷吉來。小宮來、明日歸るといふ。森田來。○妻來。夕食後アイスクリームを食ふ。○夜散步。烏森、愛宕町、湖月といふ料理屋だの、藝者屋のある所を通る。夏の暑い晩だから家のうちが大〓眞 ロえる。ある家は簀垂をかけて奥の軒に岐阜提灯をつけて蟲を鳴かしてゐた。ある米屋では二階で謠をうたつてる下に凉臺を往來へ出して三四人腰をかけて、其一人が尺八を吹いてゐ〔た〕。ある家では裸の男が二人できやりをうたつてゐた。ある車(昼)の帳場では是も裸が五六人一室に思ひ〓〓の態度で話しをしてゐた中に倶利迦羅の男が床儿の樣なものに腰を原かけて、一同より少し高く腰を据えてゐたのが目に立つた。ある家では主人と客と相談して謠をうたつてゐた。ふしも分らないし、字も讀めないらしかつた。始め其聲が耳に入つたときは又此五八バイブルにある野の百合
五八一所でもキヤリを遣つてゐるなと思つた。ある家は五六組の柔術遣ひが汗を流してゐた。○蚊がぶん〓〓くる。よく見たら是公から貰つた蚊遣香が消えてゐた。七月二十三日例起。日比谷公園散步。今日は午飯を食つてから五時間して胃の消化の試驗。○朝小宮を送つて阿部、安倍、森田がくる。原稿二三を持つてくる。兄來。アイスクリームを食ふ。森田歸る。渡邊和太郞來。華山の一掃百態をくれる。(審美書院出版)。戶川秋骨、田部隆次來。(審美書院出版)。七月二十四日例起。○昨夜銀座を散步。今朝は日比谷。○昨日午飯後五時間目に消化の試驗をやる。四十グラム殘る。食事は三の大で藥を兩食の間に二度飮んで、しかも四十グラム殘つては心細い。余のからだでは三の大以上を食はなければ間に合はぬ由原○二等に大きな圓錐形の金魚鉢に金魚を澤山買つて眺めてゐる人がある。けて樂んでゐる人がある。蟲籠をつるしてゐる人がある。○石井柏亭がきて畫集の序をかけといふ。生田長江もくる。滿洲で農業計畫のため。原風鈴を鳴らし釣葱をか橋本左五が來る。昨日着いたといふ。七月二十五日例起。上厠便通なし。胃液の試驗のため五時三十分燒パン一切白湯一合を飮む。散步露國公使舘の竹の色、壁にかゝる蔦の色を見る。七時九分前試驗室に行つて、クダにて胃の酸をとる。序に洗滌。成績可なる方。肉を半人前增してくれる事になる。○物集芳子和子來。森田來。一番最初に倉光空喝來。うそを書きましたと云つて名士禪とかいふものを見せる。余に關したから嘘をかいてゐる。君は新聞記者としてづう〓〓しくなつてゐる上に座禪などをやつて二重にづう〓〓しくなつてゐると云つてやつた。○東來。渡邊和太郞兄弟來。下から廣瀨歸芳常磐大定をつれてくる。そこへ中村是公來。見なれ原ぬ人を連れて、いやし又來やうといふて去る。階下に見なれぬ人を追馳けて挨拶をしたら龍居賴三であつた。客がつゞいて少し頭が痛くなつた。五八三
五八七月二十六日○夜來强雨の聲をきく。すさまじかりし。例起。濛々。下の部屋で飼ふ蟲鳴く。○物集の御父さんが病氣だといふ。さうして賴んでも醫者にかゝつてくれぬといふ。いえ掛りませんといふのださうである。○昨日東云ふ奥さんは小供の避暑地をさがしに出られた。○野村來四時頃からロゼツタホテルで親睦會がある由。皆川廣田來。妻來。歸る時車をたのむ早稻田迄七十五錢といふ。○階下のジエレニアム入院當時に見たとき旣に咲けり。今朝ふと氣が付て手摺から下を見ると依然として咲いてゐる。長くもつ花なり。時日の早く立つ事を忘る。○皆川今夜の汽車にて〓里に向つて去る。いえ掛りま妻來。歸る時車をたのむ早七月二十七日○例起。陰曇。○昨日花賣來らず。洗顔所にて菊の枯葉を〓りて再び竹筒に插む。食前十五分程散歩。〇一昨日より菜を二品つけてくれる。晩には玉子燒とコールドミート二切を食ふ。○西隣の支那人二等に去つて代りに若い人來る。看護婦と話してゐる。書生の町人なり。金持ならん。○グロキシニヤ花落つ。洗顏所の手摺に乘せて置く。原○來訪者、寶生新、見舞に烟草をくれる。森治太郞。○石井柏亭の新畫譜の序をかく。鈴木の弟。七月二十八日○例起。一晴、もや未だ晴れず。日比谷公園散步。る。原○昨夜は銀座を散歩信盛堂で齒磨と石鹼をかふ。天上堂の屋根に上る。やうな氣がした。○朝漸く落付く。少々讀書。森圓月長い萌黄の風呂敷に包んだ桐の箱を抱いてくる。まだ〓〓と云ふ處なるべし。眞蹟のよしを別に添たる卷物の初に書きしるす○坂本四方太、森田草平來。圓月亦來。是から不折の處へ行くといふ。石井柏亭來。郁がくる。夫から飯田政良がくる。妻は仕事を持參して取り出すひまなくして歸る。○夜銀座散步、裏通りで女がオルガンに合せて踴つてゐた。○東のはづれの人退院(驅蟲中子供の病氣のよしで)。日比谷公園散步。桐の葉の丸くて小さい樣な樹に長い細い實がな原天上堂の屋根に上る。脚の下を見て身のすくむ子規の書は夫から小林五五
五八六○一軒置いて西の御婆さんも退院の模樣。訪問の若い女、洗顏所で洗濯をしてゐた附添の女に、今年中もつでせうかと聞いてゐる。御婆さんは胃がんの由然し步行自由也。○小林がきて承はれば胃がんだとかいふ話でといふ。橋口もさう云ふ。七月二十九日例起。日比谷公園散歩。帝國劇場、警視廳等の(新築中)間を通り拔ける○昨日の胃の消化の試驗は二十グラム程殘りし由原○西村醉夢來り。「雜誌」學生揭載の談話を筆記す。談は英語〓育に就てなり○北海道有珠山破裂。鐵嶺丸沈沒。白瀨中尉の南極探檢原○是公來。今日三時の滊車で歸るといふ。森圓月來懸物の箱をとつて去る。(新築中)間を通り拔ける七月三十日例より十分遲く起る。五時十分。四時頃眼覺む。終夜夢を見る。○昨夜は銀座散步、電氣噴水を見、蓄音機を二所できく。發明舘を見る。○今朝例の如く日比谷散步序に平野屋の新築三井集會所の前を通る。○體重をはかる。四十九キロ四百也。前は四十八キロ百五十。雨一二滴顏にあたる。○奥太一郞熊本より出京病院訪問。森圓月金婚式の書畫帖を持つて來て見せてくれる。森田草平來。中村蓊來。○退院してもよろしからうと云ふ。明日退院に決す。一軒置いて東の人も退院、一軒置いて西の御婆さんも退院挨拶にくる。下の廣瀨歸芳も退院是も挨拶にくる。○雨ぱら〓〓落つ。晩に南佐久間町愛宕下町日蔭(11),銀座を散步。暗い小路へ這入つたら天井に頭の屆きさうな家でブイオリンを彈いてゐた。其隣りで婆さんが南無妙法蓮華經と大きな聲を出してゐた。少し行くと左側の二階家の奧で眼鏡をかけた婆さんが薩摩琵琶を彈いてゐた。謠つてゐるものも女である。よく見ると妙齡の女であつた。机を置いて本を載せて小さな聲を出してゐた。婆さんが大きな聲で〓へてゐる。十許の女の子が坐つてゐた。濱の家の裏で擦硝子に歌澤とかいてあつた。二階で歌つてゐた。森圓月金婚式の書畫帖を持つて來て見せてくれる。森田草平一軒置いて西の七月三十一日例起。曇。日比谷公園散歩。原○八時橋本左五來。九時の汽車で三島へ行つて大坂へ寄るとの事也。〇一昨日森圓月の置いて行つた扇に何か書いてくれと賴まれてゐるので詩でも書かうと思つて、考へた。沈吟して五言一首を得た。五七七
五八八窓外白雲歸。扇へ書いた。來宿山中寺、更加老衲衣、寂然禪夢底、十年來詩を作つた事は殆んどない。自分でも奇な感じがした。○今日退院。斷-明治四十三年夏胃腸病院入院中頃-片○IdealistトシテノIbsen.迂濶突飛なり。それを日本の靑年が讀んで一圖ニ實社會に影響あるものと速斷して生活に表現せんとするeffortヲナス。Ibsenノ書いた國にてもidealナリ。日本ニテハ無論idealナリ。これを履行せんとして窮し窮して煩悶す。寧ろgratuitousナtortureナリ○アルismヲ奉ズルハ可。他ノiaBヲ排スルハHerノdiversityヲunifyセントスル智識慾カ、blindナルpassion [youthful]ニモトヅク。さう片付ねば生きてゐられぬのはmonotonousナNewデナケレバ送レヌト云フ事ナリ。片輪トモ云ヒ得ベシ。IEFハactionニテdeterminateナリ思想(感情)三六歩八indeterminateナリindeterminateナルハ茫漠ナル故ニアラズ。アラユルalter- nativeヲ具備スル故ナリ。Harmony. ENDノharmonyトハアラユルelementsガ援ケ合フテone Ca)ニleadスルノ意味ニアラズ。opposing elements,カンセリングfactorsニCal placeヲ與ヘテvaluationノgradationヲツケル〓ナリ。ダカラ結果ハresultantナリ。additionニアラズ。dualismニテモ五九九ナ
五五七trialismニテモ差支ナシ。elements balanceガ取レタトキハinactivityデ差支ナシ○Eucken Sense-Naturalism, Thought-Intellectualism,田umanism云々(Religion Immanent Idealismヲモ含ム)而シテ是等ノ矛盾衝突よりIN meamigヲ見出シ難シト云フ。原根本的ニHHPト·〇円〇曾ニ支配サレベク一八、different ismsガ調和助長シテCID great Ca leadセザレバナラヌ如クニ考フ。li.cヲ斯クナラネバナラヌト考フルハ旣ニprejudiceナリ。Infハカクアルモノナリ。○以太利カラ佛蘭西ニ行ツタ時ハ器械的ニ運搬セラレタルカノ觀アリ。今考ヘテモ物足ラヌ心地ス。以太利佛蘭西間ノ旅行ハ夫デヨシ。モシ〓〓〓全全ガカク器械的ニ運搬セラルヽモノトスレバ情ナクナル。シテ見レバ吾々ノINハ吾々ノwillデleadセザルベカラズ○(セザルベカラズ)トハ此場合ニ於テprejudiceニアラズ。現ニ吾人ノBerハ吾人ノwillテleadシツヽアルガ故ニ此willガ全く不用ニ歸シタルとキ物足らぬ感ヲ起スナリ。○同時ニ吾人ノIHIハ悉ク自己ノwillデleadシツヽアラヌ事モfactナリ。是ヲwillアリト片付ケwillナシト片付ケ、而シテ我儘ナegolsmヲ主張シテ威張リ。powerless pessimismヲ唱ヘテ悲觀スルハ全ク片眼ナレバナリ。Practicalナ問題ハ何處迄ガ自分ノ〓〓〓ナナク、何處迄ガ他ノ〓三シクハnatureノ爲ニ支配セラルベキカヲ極める丈ナリwillアリトヲnatureノ爲ニ支○此proportion○故ニuniversalハ時ト場合デ定マルナ且ツconcreteナ事ハ云ヘヌナリ。云ヘバformalニ云ヘル丈ナリ○放タレルト云フ〓ハ一方ニ囚ヘラルヽト云フ事なり。○Emancipationガmodern 6)デアルト同時(一一union Ene organizationガmodern CNデアル。ソレガ矛盾ダト云フ。何ノ矛盾カアラン。何ノmodernカアラン。昔ヨリ然リ。同ジ形式は何時デモ繰返サレテゐる也。○Capitalist unionヲ說キ又之ヲ實行ス。organization去レ〓彼等自身ノbusiness以外ノconductハemancipationノ權化ニ過ギズ。國家ノタメニ設ケラレタル機關陸海軍、〓育其他一又union organization黨ナリ。去レ〓國家ノ爲ニ存在セザル彼等ノprivate NH2 emanci- pationノGRニ過ギズ○前者ト逆ナル性質ノartistハ固ヨリ大體ニ於テemancipationヲ本音とシテGMスルモノナリ。去レドモ營業的ニ又ハ勢力擴張ノ上ニテハ自然ノ結果union organizationナリ。俗ニ之ヲ黨同異伐と云ふ。ヲ本音とシテorganization GMスルモノナリ。ナリ。俗ニ之ヲ黨○Napoleon, Wellington, Nelson,東郷大將、Christ, Buddha -heroノ時代ハ漸ク五九passing. Why?
五九二Intellectualism, G equality.えらくならうと云ふattemptコトニ己レ一人偉くならattemptニ於テanachronismデアルシ、desire三枚分illusionデアル。dependシテ事ガナセル時代ハ交通ノ不便ナ世ノ事也。educationノ普及セザル時Individualism, Intellectualism, G equality.えらくならうと云ふattemptコトニ己レ一人偉くならうと云ふのはattemptニ於テanachronismデアルシ、desire三枚分illusionデアル。○われ自身ニdependシテ事ガナセル時代ハ交通ノ不便ナ世ノ事也。educationノ普及セザル時代ノ事也。○今ノ世ハ個人ガ一般ノcommunity dependシテ生キル程度ノ多キ時代ナリ昔ハcommumガ個人ニdependシテ生存スル時代ナリ、○個人そのものは夫程accountニ入らず。平凡ナルものも適當ナcircumstancesノ下ニ置カレヽバ相應ナモノニナルナリ、金持ノ馬鹿息子ガ大學ヲ卒業シテ留學ヲスレバ、貧乏人ノ頭腦アル靑年よりモ(えラク)ナルナリ、シテ生キル程度ノ多キ時代ナリ昔ハcommum○芝居(筋ト技巧)、下手な筋を優れたる技巧を以て表現するは腐つた鷄卵に第一流ノcookeryノ極致ヲ盡すが如し。上手な筋を愚なる技巧デ演ズルハうち立ての蕎麥を露なしに食ふが如し。創作(人生と藝術)もこれニ似たり。○創作のdepthは其內容のまとまりにあり。一句ニまとまるにあり。人生を道破セル一句にまとまるにあり。一句ニまとまるにあり。人生を道破セル一句にま故ニまとまる樣に書いてなければならず、又まとまる樣に讀まねばならず故に創作家ノphilosophyノ必要なる程度に於テ讀者ノphilosophyも必要なり。一句にまとまらずして、此一句の力を冥々に感得する事あり。此時讀者ハたゞ咏嘆ス。たゞ之原を道破セルものは批評家なり始めから一句にまとまらずして展開的のものあり、此時ノ面白味は平面也故ニdepthヲナサズ其他ノ意味ニ於テまとまらぬものは愚作なり。〇一句ニまとまるといふ事はparticular caseガgeneral caseニreduceサレルト云フ意味なり。更ニ云ヘバparticular case applicationガ廣キナリparticular caseガ孤立セルparticular caseデナクテgiven speciesノtypeトシテ見ルヲ得ルガ故ナリ(此意味ノtypeハ平凡トカ型トカ云フCafeニアラズ)、ツマリ融通ノ利クparticular caseナル故ニ深キナリ。故particularデアルト共にuniversalナルtendencyヲ有スルナリ。permanentナル感ジヲ與フルナリparticularityトuniversalityノ一致スル所ガ極トナル。眞ノ意味に於ルparticularハ名ノ示ス如クparticularナリgeneralizeシ難キモノナリ。scientist collectスル零碎ノinstanceナリ。故友informationニハナル。然シナガラ夫以外ニハ感興ナシ。要スルニ一種ノsurpriseモシクたゞ之此時ノ面白味は平面也故ニdepthヲナサズpermanentナル感ジヲgeneralizeシ難キモノナリ。scientist要スルニ一種ノsurprise五三モシク
五九四stimulusヲ與フル丈ナリ。此single, isolated instancesヲアツメテ其ウチヨリcommonナ所ヲ引キ拔ケバgeneralizationガ出來ル。(science)所謂depthノアル創作はカクgeneralizeサレタtruthヲ代表スベキparticular caseナリ。model exampleナリ○けれども此generalizationニアフparticularヲサガサウトスルト出來損フナリ例(性格描寫ノ如シoriginal conceptionヲ以テ、其conceptionニ合フ樣ニカクト屹度型ニ落チルparticular universalダケレ〓死ヌト云フ弊ニナル。ダカラoriginal conceptionヲ捨テテparticularカラ出テサウシテ其結果ガ一種ノconceptionヲ與ヘル樣ニスベキデアル要スルニ性格ハconceptionカラ來ルモノデハナイ。conceptionハ數多ノ實際ノcharacter generalizationデ人間カラ二等親ニモ三等親ニモ離レテゐる。ダカラ性格ハconsistentナルヨリハ活動スル方ガ好い。consistentデ死ンダcharacterハヨクアル。矛盾シテ活動スルノモアル。要スルニカヽル人ヲ書カウトキメテ掛ツテハ死ニヤスイ。たゞ斯ク云フタ斯ク行ツタ、斯ク考ヘタト云フ圖ヲツヅケテ行ツテ其圖ガ一枚々々ニ生キテゐれば前後ハ矛盾シテモ活タ人間ガ出來ルナリ。如何トナレバ實際ノ人間ハいくらでも矛盾シテゐるからである。たゞ活躍スル樣ニ書かんと力むべし。かゝる性格ヲ書かうと力むベカラズ。ヲアツメテ其ウチヨリcommonナ所ヲ引キ拔ケバgeneralization generalizeサレタtruthヲ代表スベキparticular caseナリ。性格ガ出ルト云フ〓ハ(余ノ考デハ)取モ直サズ其人間ガ生キテゐると云ふ事也其人ノqualityガdescribeサレルト云フ意味ニ取ツテハ間違である。今ノ評家は性格云々と云フガ、此點ニ於テ注意ヲ拂ツテゐないらしい)○作物ノ批評ガ肯綮ニ當ラヌ時作者ハ驚ろいたり、不平を云つたり、憤つたりする。然し夫ハ無理デアル。Purely artisticナ批評(複雜ナ他ノ事情ヲ交ヘヌ)デスラ、みんな各自勝手ナモノデアル。自信ノアル批評デスラ其通リデアル。况ンヤ出鱈目ヲヤ、(此出鱈目ハ大分アル)然シ多クノ批評ノウチデドレガ一番正シイカヾ决定出來ルモノトシテ、(夫ハ容易ニ出來ナイ、或ハ不可能カモ知レナイ)、其正シイノガ勝ヲ占メ得ルト思フハ可笑イ事デアル。Artノ世界デハ能ク人ガ斯云フ迷信ニ近イ考ヲ持ツテゐる。今日ノ作物ガ今日人ニ認メラレナクテモ、其作物ガヨクアリサヘスレバ何時カ一度ハ世ニ認メラレル〓ガアルト信ジテゐるらしい。正直ナラ何時カ一度ハ成功スルト信ジテゐる連中ト同ジデアル。道德ノ世界デハ(然シ)善ガ原勝ツテ惡ガ亡ビルモノト版行ノ樣ニ人ガ信ジテゐナイ。ダカラ道德界ニ於ル觀察點ガ美術界ニ於原ル觀察ヨリモ進ンデゐるノデアル。今更天道是耶非カ何ゾト叫ブ野暮ナモノハナイ。正直ナラ何時カ一度ハ出世スルカモ知レナイ、然シ出世スル程人ニ認メラレル前ニ免職ニナレ五五五不平を云つたり、憤つたりする。然し夫ハ無自
五九六バソレギリデアル。後世ノjudgmentハ公平だと云つテ事蹟ガ湮滅スレバjudgeシヤウガナイ。又後世ハ(公平ナ代リニハ)冷淡ナモノデアル。湮滅シタ事蹟ヲ誰ガ物數奇ニ掘出サウゾ。辯護士ノ話ニ有罪ノモノガ無罪ニナツタリ無罪ガ有罪ニナツタリスルノハ珍ラシクナイト云フ事デアル。夫ハ其筈だと思フ。それが其筈ならArtノ世界でもさうぢやないか。(Intellectノdomainデモ同ジデアル。)時メク學者ニクダラナイノガ澤山アル。隱レタルニ偉イノモゐる。流行ル藪醫モアレバ流行ラヌ眞醫モアル。Chanceガドノ位prevailスルカも觀念スレバ夫迄デアル。此chanceヲ10. minateスルノガ正シキ人ノ所爲デアル、此chanceヲhateスルノガ正シキ人indignationデアル。chanceヲhateスルノガ正シキ人○近來は現代的トカ輓近的トカ云フ言葉ヲ無暗ニ使フ。サウシテ其內容ハトニカク此等ノ言葉ヲ使ツテ其字ヲ知ル〓ガ、又は其意味ヲ解スル〓ガ、又ハ自カラガ其特色ヲ有スル〓ガ誇デアルカノ如ク振舞フ。ソレハ別段ノ事デナイ樣ニナツテゐるガ少シ考へルト昔トハ反對デアル。昔ハ古人トカ古代トカヲ尊敬シタモノデアル。支那日本ハ無論デアルシ、西洋デモShakespeare DanteトカMichael AngeloトカヲEllyノtypeトシテ之ヲ口ニシタ、(今デモ多少サウデアルliving authorヲ大學デ講義するなんて事ハまあ無イ〓エナツテゐる。dignityニ關スル〓トナツテヰル。)然ルニ今ハ(コトニ日本)ハRodin Ibsen Andreiefトカ何トカ新シイ人ノ名前ヲ口ニスル〓ガ權威ニナツテゐル。西洋ハ夫程劇シクナイガ是も大勢ハサウダラウ。少ナクトモ昔シノ大家ニ夫程敬意ヲ拂ハナク原ナツタ〓ハ事實ダラロ。シテ見ルト二十世紀ノ人間ハ自分ト緣ノ遠イ昔ノ人ヲidolizeスルヨリモ自分ト時ヲ同クスル人ヲ尊敬スル又ハ尊敬シ得ル樣ニナツタノデアル。此傾向ヲ極端へ持ツテ行クト自己崇拜ト云フ〓デアル。(Individualism egoism) (否?寧ろ我々ハegoismカラ出立スルノデハナイカ?自己崇拜ガ第一デ、他人ハ寧ロ第二ニ來ルノデハナイカ。已ヲ得ナイカラ他ヲ崇拜スルノダラウ。古人ハ崇拜シナクテモ好イガ崇拜シテモ自分ノ利害ニ關係シナイカラ別ノ世界ノ事ダカラ公平ニ崇拜スルノダラウ。今人ハ同時ニ生キテゐルカラ何ダ蚊ダツテ惡ク見えルノダラウ。ウチノ下女ガ世間ニ對シテハえライ旦那ノ缺點ヲ列擧スル樣ナモノダラウ)古人崇拜ガ衰へ、今人崇拜ガ衰ヘ自我崇拜ガ根本ニナル。今ノ日本人ガ西洋人ノ名前ノ新ラシイノヲ引張ツテ來ルノハ此等ヲ崇拜スルヨリモ此等ヲ口ニスルprideヲ得意トスルノダカラツマリハ他ヲadmireスルノ聲デナクツテ自己ヲadmireスルノ方便デアルdignityニ關スル〓トナツテヰル。) Andreiefトカ何トカ新シイ人ノ名前ヲ少ナクトモ昔シノ大家ニ夫程敬意ヲ拂ハナクidolizeスルヨリモ自分ト時ヲ同クスル五九七
五六八○恰モ輕薄兒ガ富貴權威ノアル人ノ名前ヲ絕えズ口ニシテ夫ト親交アルガ如クニシテ自己ノ虛榮ヲ充スガ如シ。其人一旦富ヲ失ヒ權ヲ失スレバケロリトシテ昨日ノ事ヲ忘ルヽ如クス。方今西洋ニ名アル大家ト云フモノヲ何カノハヅミデ急ニ名聲ヲ失墜セシメテサウシテ此等ヲ口ニスル日本人ノ顏ヲ見タイ。ケロリトシテそんな人ガあるかと云ふ風ヲセヌモノ幾人カアル。ソンナ〓ガ試驗出來ルモノカ、價値アルカラホメルノダ、其證據ニハ彼等大家ノ名ヲ一朝ニシテ墜ス人工的手段ハナイジヤナイカト辯ズルカモ知レナイ。サウカモ知レヌ。ケレドモ余ハ公等ニ信用ヲ置カヌモノナリ。公等モシ余ノ信用ヲ得ントナラバ旣成ノ名聲ヲ口ニセズ本家本元ノ西洋人ガマダ氣ノツカヌ先ニ、眞ニ價値アル大家ヲ指名シ來レ○新聞小說ノ運命○文晁の畫日記-明治四十三年八月六日より明治四十四年一月二十一日まで-八月六日十一時の汽車で修善寺に向ふ。東洋城來らず、白切符二枚を懷中して乘る。しまつた事をしたと思ふ。途中車掌が電報を持つて來て、松根は一汽車後れたる故國府津か御殿場で待ち合せろとしょう、○品川から白服の軍人らしき人乘る。紹の小紋の樣に細かい縞の着物をきた人、下女と向側にゐる。紗の羽織に紫の紐をさげてダイヤの指環をはめた男、壯士の親方か辯護士か。義太夫を語る。○白切符の買ひ餘しの割戾しの件をボイに聞き合はしてもらふ。御殿場で三圓九十六錢を受取る。原角の茶屋でいかふ。三時〇九分。五時二十九分迄待つ。御殿場は五月燒けたり。家皆新けれども皆粗末なり。目に入るは富士講のみ、西洋人の出入ちよく〓〓見ゆ。○三島で四十分待つ。大仁へ着いたら車が一挺もゐない。漸く三臺を驅り出す。荷物は荷車で運ぶ。途中雨來る。車夫の脛丈見ゆ。車に提灯の光映る。夫がぐる〓〓廻る。道端の草に灯うつる。其外は暗。川かと思ふ。ほろの中から仰向く暗いと思つたものが微かに薄くなつて空につゞいて五九九
+00ゐる。黑いのは山か森か近いのか遠いのか分らない。雨ざつと至る。車夫幌をつぐ。蛙の聲夥し。○菊屋別舘着。座敷なし。關子爵の居たといふ部屋に入る。新らしい座敷也。西村家貸切と書いてある。今夜丈の都合なり。入浴。喫飯。强雨の聲をきく。八月七日原雨聲。雨戶をあくれば溪聲なり。上厠無便。浴漕に下る。混雜。妙な工夫をしてひげをそる。朝飯鷄卵二個。汁一。飯三。飯後上厠便あり。○東洋城番頭と談判部屋の都合つきかねる樣也。本店なら一間ある由。今の部屋は前にも山が見え、後ろにも山が見え。寐てゐると頭も足も山なり。好い部ならん。十疊と六疊つゞき也。此離れの二階を折れ曲つた角には昨日品川から乘つた軍人が何時の間にか來てゐた。海軍少將の由。○碧雲山峯をはれやかにす。須臾にして雨。飴賣の笛の聲をきく〇十時本店に移る。三階に入れられる。しばらくして考へると是は宅へ歸るか別の處へ行つた方がよい。十日に來るといふ新築の座敷十疊を談判して借りる事にする。○胃常ならず。膨滿でもなければ疼痛でもなければ嘈囃でもなくて幾分かそれを具へてゐる。凝と寐てゐる。眠り覺めると多少は好い心持也。とう〓〓五時頃迄起たず。アイスクリームを一抔呑む。思ふに朝飯を食ひ過ぎたると汁の實の野菜や、海苔を口にせし爲ならん混雜。妙な工夫をしてひげをそる。○日落つ。隣りで觀世流の謠をうたふ。其隣りで三味線を彈き出す。りでジエームスの多元的宇宙を讀む何だか意味が分らず。○九時に寐る。十時に東洋城來。御上が今御休みになつたと云ふ。が「猫一を讀んだ由。三味線の方聞き手多し。獨十一時頃迄話して歸る。宮樣八月八日雨。五時起上〓便通なし。入浴。浴後胃痙攣を起す。不快堪へがたし。〇十二時頃又入浴又ケイレン。漸く一杯の飯を食ふ。○隣の客どこかへ行く。雨月半分と藤渡半分を謠ふ。四時過松根より迎、足駄をかりて行く。七時頃晩餐。誂ものをわざ〓〓本店から取り寄せる。午よりは食慾あり。松根に含漱劑を作つても原らつてうがひをする。かんの聲が潰れたので咽喉と鼻の間の間を濕すと少しは好い心持なり。鼻洟を拭ふ。○殿下が余に話をしてくれと松根迄云はれる由。袴も羽織もなし、且此聲では聞く人も話す人も苦痛故斷はる。松根の方でも慣例なき事故御用掛の責任を考へて未だ殿下へは受合はぬよし。○八時過歸りて服藥。隣りは謠、向座敷は義太夫、辨慶上使の半頃也。一時間半過入浴歸りて又服藥。忽ち胃ケイレンに罹る。どうしても湯がわるい樣に思ふ。不快堪へがたし。六〇一、
六〇〇○半夜夢醒む、一體に胸苦しくて堪えがたし。○余に取つては湯治よりも胃膓病院の方遙かによし。して心持がよかつた。便通が規則正しくあつた。身體が毫も苦痛の訴がなかつた。萬事整頓八月九日雨。伊豆鐵道がとまるかも知れぬといふ。八月十日八月十一日八月十二日夢の如く生死の中程に日を送る。膽汁と酸液を一升程吐いてから漸く人心地なり。氷と牛乳の原原みにて命を養ふ。あれの報知諸々より至る。東京より水害の聞き合せ來る。湯河原の旅屋流れて其實物がどことかへ上つたといふ。松根が余の病狀を報知していつでも來られる支度をせよと妻にいつてやつた。それを後から電報で取り消す。○半夜一息づゝ胃の苦痛を句切つてせい〓〓と生きてゐる心地は苦しい。ない。あつても何うしてくれる事も出來ない。膏汗が顏から脊中へ出る。誰もこれを知るものは八月十三日○今日も亦あれる。隣の人は先達て立つと云つて雨の爲に二日程延ばした。今日は是非と云つてゐたが此模樣ではどうするか。○障子を立てゝ寐る。○午葛湯、おも湯、玉子豆腐○晩、重湯一椀、刺身、葛練、原○下女に今日は幾日だねと聞く、多分十四日でせうと云ふ。よく知しませんと云ふ。呑氣也。あしたから新聞を御取りなさいといふ。○下女の話に下の八番の御客が何とかいふ處にゐて、水が出て主人が別莊へ逃げてくれと云ふのに藝者をあげて醉つて寐たら四時頃水が出て山が崩れて見る間に押し流された。逃げた御客は東京へも歸られず三島迄は汽車が通じると云ふので三島迄來てそれから馬車で此處へ來たといふ。今日は是非と云つて原よく知しませんと云ふ。呑氣也。あ八月十四日六〇三
七〇四雨聲、耳を減かす。三時頃迄眠られず。天明眠覺む。牛乳、チリ玉、重湯にて朝飯。食後うと〓〓する。終夜强雨の音を聞く。不安。上〓排便。入浴、聲耳に入る。山聲、酸出。樹聲、苦痛。胃部謠の十五日十六日苦痛一字を書く能はず十七日十八日十九日ノ事を忘れぬ爲に書く八月二十日の四時過なり。原〇十七日咄血、熊の膽の如きもの。醫者見て苦い顔す〇十八日東洋城來り、今社から社員一名と胃腸病院の醫師一名をよこす。立つと云ふ電話あり。十二時四十分の汽車で○同夜二人來。由原〇十九日又咄血。大和堂から長距離電話をかけたら胃腸病院で社へ知らせて、夫から社で驚ろいた夫から氷で冷す。安靜療法。硝酸銀原原○今朝漸く乳五酌、ソツプ五酌、を飮む。二時間後膨滿苦痛。○ひるから氣分よし。氷依然。水飴。氷を嚙む。三時間目の藥にて漸く癒る。八月二十一日〇十九日の吐血以後滋養浣腸。食物は流動物丈。○昨日森成氏歸京の筈の處見當たゝぬ爲め滯在。○但し院長よりは着以後直ちに當分其地にとゞまり看護に手を盡すべしと好意の電報あり、○昨夜終列車にて玄耳來。池邊と相談どんな醫者でもどんな器械でも送る事にした由。來て見れば夫程にもなしといふ。醫者のいふ事をきかぬ爲也といふ。○始め東洋城が宅へ手紙を出して妻に來る用意をうながす。夫から電報にて見合せろといふ。宅からは忙がしい處(て)長距離電話をかける。細君と知らず町嚀に問答せり。後にて聞けば山田三良の家の電話のよし六〇五
○五時半硝酸銀を呑む。○昨夕澁川一五〇持參。意味不明一分として貰ふ事にする○朝食牛乳一合。半熟鷄卵一個、水飴三匙。○昨朝は氷囊の重みに堪えず。今日は何の苦なし。○澁川十時四十分の汽車で歸る。○弘法樣の御祭りで四時頃から花火が揚る。七草色々なり。妻にきくと是は坂元のはからひの由。相談の上今月の月給の目錄を活版にしてある。雷鳴、軍旗、露牡丹、秋の八月二十二日○快晴。牛乳一合、重湯五勺、玉子黃味一つ。○昨夜は寐ながら弘法樣の花火を見る。秋の景色也。原坂、森、妻三人にて椽で水瓜を食ふ。原○昨日松根不來。妃殿下は晩に山莊へ御起の由。○家のもの夜山莊で酒を酌む。二時過就寢のよし。○東洋城歸京。十二時頃發原○尺八の大家と三味線と踴子下の廊下で合奏○坂元森成裏の山で七草を折り來る○高田早苗投宿八月二十三日快晴。女郞花、野菊、男郞花、薄、萩桔梗、紫の玉(藤の如きもの)○おくび生臭し。猶出血するものと見ゆ。便は無類血色あり原○高田早苗氏の名刺を番頭持參。坂元に此方の名刺を依賴。高田氏謠をうたひ初む。八月二十四日〔以下九月七日迄夏目鏡記〕朝より顏色惡シ杉本副院長午後四時大仁着ニテ來ル診察ノ後夜八時急ニ吐血五百ガラムト云フ、シ一時人事不省カンフル注射十五食エン注射ニテヤヽ生氣ツク皆朝迄モタヌ者ト思フ社ニ電報ヲカケル夜中子ムラズ八月二十五日朝容態聞ケバキケンナレドゴク安靜ニシテ居レバモチナヲスカモ知レヌト云フ杉本氏歸ル東京ノ家ノ東カラ電話ガカヽリ今朝一番デ夏目兄上高田姉上御夫婦小供三人高濱さん野上さん森田さん中根倫さんお
七七八立ちになりましたと云ふ大塚さん大磯から來ラル安倍さんも來てクレル一汽車ヲクレテ野村さんも來ル池邊氏モ來ラル八月二十六日容態ヤヽ良好日野餐奥村鹿太郞、滿鐵ノ山崎氏、春陽堂ハ菓子折ヲクレル鈴木三重吉、春陽堂、湯淺廉孫、高田知一郞、菅虎雄、森卷吉、看ゴ婦二人、八月二十七日容態別ニ異狀ナシ見舞客小宮豐隆渡邊和太郞香水とビスケツトヲモラフ高尾忠堅早稻田大學ノ學生、早矢仕四郞元同ジ學校ニ居タ人ノヨシ、奧村又モウ少しヨクナツタラ來マストアツタニカヘル其時小供兄姉上倫野村さん一處ニカヘル八月二十八日容態別狀ナシ森成さん東京ニ用事ガ出來テ歸ル病院カラヌカダト云フ先生代理ニヨコシテ吳レル見舞客小林都高須賀淳平石井柏亭行德二郞野間眞綱八月二十九日晴容態良好ニテ此分ナラバ心配ナシトノ事皆安心シテ東京ヘカヘラル太塚さん菅さん森さん野上さん小林さん湯淺さん野間さん大倉書店ヨリ見舞狀ユソヘテ小包デ菓子折ヲクレル名古屋ノ鈴木カラ心配シテ每日容態ヲ電報デシラシテ吳レロト云テタル見舞トシテ金二十五圓クレル其金デ毛ブトンヲ買テ病人ニカケヨウト思ヒ野上さんニタノム八月三十日晴容態別ニ異狀ナシヌカダ醫師午後二時ノ汽車ニテ歸ル森成サン入リカワリ東京カラ歸テクル其時行德サン高須賀サン一處ニ歸ル夜滿鐵ノ中村サンカラ山崎氏ヲヨコシテ御見舞トシテ金三百圓ヲ下サル八月三十一日晴容態異狀ナシ今日カラソツプヲノマセルト云故朝トリヲ買テ切テモラヒ酒トツクリヲカリテ其中ヘトリヲ入レユセンニカケテ火鉢デソツプヲコシラエル夕方名古屋カラ鈴木ガクル二三日前ニアツラエタハネブトンガクル
六一〇九月一日晴容態ヤヽ良好ナリ早稻田大學生小林修二郞ト云フ人ガクル中村さんノ使山崎さん歸ル鈴木モ午後カラ歸ルイロ〓〓東京へ買物ヲ賴ムク方野間さんガ東京カラクル九月二日晴容態變りなし今日カラソップガ三度ニナル食ベル事バカリカンガヘテイルヨシ坂元サンガ七時頃カラゲリヲシテ腹ガイタイト云ヒ出スカイロヲコシラヘテ上ル夜九時頃ニナリ内丸サンガ來ル九月三日雨容態異狀ナシ朝十時ノ汽車デ内丸サンガ歸ル野間サンモ午後二時ノ汽車ニテ鹿兒島へ歸ル九月四日晴容態同じ朝九時頃湯淺サンガ東京カラ歸道ニヨル阿部次郞サンガ午後ニクル山形カラ歸リ道東京ヲス通リシテ當地ヘクル病人に話シタラ酒デモノマシテ上ゲロト云フ事故ビールヲ二本小宮サント二人デノム湯淺サン三時ノ汽車デ歸ル九月五日雨容態だん〓〓よろし阿部サント小宮サンガサン步ニ行キ歸リニ草花ヲ取テクル花イケニサス九月六日晴異狀ナシ今日は十時食鹽ノカン腸ヲスル四人ガヽリデオコシテ大便ヲサセル少シ出タヨシハダカニシテセナカヲアルコールデフキ着物ヲネルト取カヘルワラブトンノ上ヘナミノフトンヲ二枚カサネテ其上ヘ寐カス皆大變心配シタレド別ニ變リナシ大キニ安心阿部サン午後二時ノ汽車デ東京ヘ歸ル九月七日雨容態よろし今日一番デ坂元サン歸ルカバンヲ持テ行テモラフ野上サン夕方クル御土產ヲクレル九月八日○別るゝや夢一筋の天の川秋の江に打ち込む杭の響かな六一
六一二○秋風や唐紅の咽喉佛○赤蜻蛉、燕○languid stillness weak state。painless passivity○庇護。被庇護。○氷○Intellectualityニindifference. Self-assertionニindifference.人事ノ葛藤ニindifference○goodness. peace, calmness. Out OP straggle tor. existence. material prosperity.○nature○Essen'住宅。西洋と日本ノ懸隔。○自然淘汰に逆ふ療治。小兒の撫育より手がかゝる。○吾より云へば死にたくなし。只勿體なし。weak state。painless passivity半白の人果して此看護をうくる價値ありや○九月九日十一時と二時に間食。を五十ダラム位宛○正食湯煎ソープ三十グ、葛湯百グ、○アイスクリームの器械は鈴木送る、アイスクリームは冷たくていやになる。ペプトン·カーニス今日から三十を百にス○吐血の時モルヒン注射再度の嘔氣を恐れて十日○昨夜森成氏と禁烟の約をなす。る必要なし。食後一本宛にす○森成氏初診の時の胃の亂調の働をかたる○最後の吐血の時、二囘の注射。ブンメルン原○紫苑みそはぎ○萬年筆をふる力なし○ひかん白萩梅林より來る。○病院で一ヶ月半、修善寺で一ヶ月是から何月かゝるか分らない惜い時間也。つたと思へ。○時間を惜いと思ふ程人間に精力が出たのだらう○森成氏又歸京今朝臥して思ふ左のみ旨くなけれど夫程害にならぬものを禁ず小宮云ふ牢へ這入十一日六一三
六一四○曹達ビスケツトは十七日頃より○子供の手紙を讀む。九月十二日秋晴寐ながら空を見る。ひげをそる。原秋晴に病間あるや髭を剃る秋の空淺黃に澄めり杉に斧昨夕大和堂來りいふ。仰臥不動の忍耐感心なり是でよくならなければ醫師の責任○羽根布團を買はぬ理由九月十三日○昨夜森成氏歸來。羽根枕。○暗雲層疊○まだ氷囊を盛る。○宮本叔氏○吐血は醫師の責任也と杉本氏いふ羽根枕。鹽瀨の飴。ソーダビスケツト來る。○昨日より妻頭病むとて寐る。○晝ソツプ五十より七十グラムに增○秋雨蕭々、二絃琴と三味線を合せてゐる○臼川歸る○四時頃突然ビスケツト一個を森成さんが食はしてくれる。嬉しい事限なし九月十四日○よすがらの雨○衰に夜寒逼るや雨の音○旅にやむ夜寒心や世は情〇一夜眠さめて枕頭に一一三子を見る蕭々の雨と聞くらん宵の伽○秋風やひヾの入りたる胃の袋○藝術の議論や人生上の理窟が一時は厭になつた。一竿風月、明窓淨九さう云ふ趣味が募つた。六一五
六·六微雨當窓冷、一燈洩竹靑といふ句を得た。風流の昔戀しき紙衣かな○體力日に加はる。床の上にて身體を動かす力、頭を枕にずらす力にて自分によく分る。〇十一時眞のソーダビスケツトを半分吳れる。東京より送るものと云ふ。鹽氣ありて些の甘味なし〇二兄皆早く死す。死する時一本の白髪なし。余の兩鬢漸く白からんとして又一縷の命をつなぐ生殘る吾恥かしや鬢の霜○四時に灌腸をやるよし。最後の吐血後一週間にして第一灌腸。宿便出るや否や。といふ句を得た。余の兩鬢漸く白からんとして又一縷の命をつなぐ今日二週間にして第二灌腸なり。九月十五日○秋雨山村を鎖す○昨日灌腸脫便好成蹟○昨夜東來。洪水の寫眞帖。ロヤルアカデミー○朝飯ソツプ百グラム。ソーダビスケツト半片立秋の紺落ち付くや伊豫絣土產○骨立を吹けば疾む身に野分かな○今朝髪をけづる。稍寒の鏡もなくに櫛る。○昨夜より白毛布をかく〓楚佳意九月十六日○暗雨將至○昨夜重湯を呑むまづき事甚し。ビスケツトに更へる事を談判中々聞いてくれず○今朝より漸く氷を取り除く○耕香舘畫騰を見る。蘇氏印譜が見たくなる。○重湯葛湯水飴の力を借りて仰臥靜かに衰弱の囘復を待つはまだるこき退屈なり併せて長閑なる美はしき心なり。年四十にして始めて赤子の心を得たり。此丹精を敢てする諸人に謝す○健全なる人の胃潰瘍は三週間で全治する由。余は最後の出血より計算して今三週間目なり。漸く日に半片のビスケツトを許さるゝに過ぎず六一七
六一八九月十七日○一番にて小宮歸る。雨○安心安神靜意靜情。この忙しき世にかゝる境地に住し得るものは至福也。○昨夜主人鯛一尾を贈る。氷嚢を取り去れる祝の心にや鯛切れば鱗眼を射る稍寒み病の賜也。九月十八日○秋晴澄徹昨夜は十五夜で美くしき月のよし○昨夜東洋城歸京の途次寄る。九雲堂の見舞のコツプ虞美人艸の模樣のものをくれる。戶部の一輪插是は本人の土產也。○地方にて知らぬ人余の病氣を心配するもの澤山ある由難有き事也。京都の髮結某余の小さき寫眞を飾る由。金之助といふ藝者も愛讀者のよし。東洋城より聞く宮樣余によろしくとの事也。○今日は體力囘復と思ふ。明日になると夫がイリユージヨンである。今日は切實に何か思ふ明日になると夫がイリユージヨンである。今日は切實に何か思ふ明日今朝はソーダビスケツトを一枚もらふ。旨くも何ともなかつた夢中に獻立などをして樂んでゐたがよくなつて見ると馬鹿氣てゐる○午食に起き返りて始めて粥半椀を食ふ。起き直りつゝある退儀を思へば粥の味も半分は減る位也。吾は是程疲れたりやと驚く○一等軍醫正矢島氏伊東迄來れる序にと見舞はる森氏の命令也○病む日又簾の隙より秋の蝶○晩に百グラムのオートミール旨し湯煎ソツプ百グラム玉子豆腐、あん百グラム九月十九日○晴○昨夜は御月見をするとて妻が宿から栗などを取り寄せてゐた。いた栗がもう出てゐるかと思つて驚病んでより白萩に露の繁く降る事よ○花が凋むと裏の山から誰かゞ取つて來てくれる。其時は森成さんが大抵一所である。女郞花、六一九
六·十薄、桔梗、野菊、あざみに似たものが多い。○昨日臼川の送つた宇治拾遺を少し讀む。少し讀むと馬鹿々々しくなる。○瓶に插した薄の葉の上に何時の間にか蟋蟀が一匹留つてゐる。風が搖れるたびに搖れてゐる○晝のうち恍惚として神遠き思ひあり。生れてより斯の如き退懷を恣にせる事なし。衰弱の結果原にや。夜は却つて寐られず屢眼覺む。昨夜は修善寺の大鼓の鳴るを待ちたり蜻蛉の夢や幾度杭の先蜻蛉や留り損ねて羽の光○取り留むる命も細き薄かな○九月二十日夜來の雨。しば〓〓眼覺む。大風鳴萬木山雨〓高樓撼病骨稜如劍一燈靑欲愁原○東云ふ先生は蒼い高々しい顔をしてゐながら食物の事ばかり考へてゐるから可笑しいと。はソツプをやめてオートミールか粥を增す事をねだりて拒絕さる。間食にミルクとカジノビスケツトを食ふは丸で赤子也。昨日粥を口へ運んでもらう處は赤子也佛より瘦せて哀れや曼珠沙華原○昨夜看護婦に二度時を聞く。始は四時十分前。後は五時十五分前。修禪寺の太鼓は五時頃より鳴るものと知れり。○昨日より病前に讀みかけた六づかしい本を寐ながら少々讀むに頭の工合は病前と差して異ならず。其癖起き直りて便器にかゝる事は一世の大事業の如く困難である。かほど衰弱したものが何うして哲學的の書物抔を讀む事が出來るかと思ふと不思議である。妻に其事を話すと、あなたは惡かつた二三日頭が判然し過ぎてみんな困りました。○蘇氏印略が來る。面白いけれども讀めるのは極めて少ない。○雨中床屋が來て髭を剃る。○胸も肩も脊も觸るとぼろ〓〓する原○南畫宗を買はうと思つたが贅澤過ぎるので躊躇す。妻に話すと御買ひなさいといふ。原修禪寺の太鼓は五時頃より後は五時十五分前。妻に話すと御買ひなさいといふ。九月二十一日○昨夜始めて普通の人の如く眠りたる感あり。蟲遠近病む夜ぞ靜なる心節々の痛柔らぎたるためか。體力囘復のためか六ハニ
大三三○餘所心三味聞きゐればそゞろ寒原○月を亘るわがいたつきや旅に菊○起きもならぬわが枕邊や菊を待つ○朝オートミール百グラムになる。ソーダビスケツト一枚ソップ前に同じ○昨日宮本博士來診の報あり。日取未だ定まらず。博士は一度余に逢ひたき由過日云はれたる由。〓額田さんは激石といふ人はどんな顔か見て置きたいと思つて來たと。○玄耳より醉古堂劒掃と列仙傳を送り來る。(蘇氏印略の一卷を看通した時也)原○爽颯の秋風椽より入る○嬉しい。生を九仭に失つて命を一簀につなぎ得たるは嬉しい。生き返るわれ嬉しさよ菊の秋○遠くにて瓦をたゝく音す○夜半魚池中に躍る水時あつて池に注ぐ。未だ其狀を見たる事なし○養其無象象故常存守其無體也故全眞全眞相濟可以長生天得其眞故長地得其眞故久人得其眞故壽(長生詮)洞古經よりか?○(大通經より?靜爲之性心在其中矣動爲之心性在其中矣心生性滅心滅性生現如空無象湛然圓滿九月二十二日○秋冷。昨夜は矢張よく眠らず○圓覺曾參文字禪眉毛今日着前緣靑山不拒庸人骨却下九原月在天○たそがれに參れと菊の御使ひ○九月二十三日○昨日より咽喉わろし。濕布原○妻が桑の莨盆を賣つてくる。二圓五十錢といふ。桑は陳腐である。もう一つあつた樟のを見てよければ代へたいと思ふ。松の盆(角)六圓程といふ。奇麗也。たゞ全體透明ならず。且つ丸盆が好ましいと思ふ。妻もしかいふ。賴んで外をさがして見る事にする。○粥も旨い。ビスケツトも旨い。オートミールも旨い。人間食事の旨いのは幸福である。其上大事にされて、顏迄人が洗つてくれる。糞小便の世話は無論の事。これを難有いと云はずんば何を六三三
六二四妻と外に男一人附添ふて轉地先にあるは華族樣のか難有いと云はんや。醫師一人、看護婦二人、贅澤也。○昨日は雨終日。午前にジエームスの講義をよむ。面白い。話の本を讀む。面白い。○昨雨を聞く。夜もやまず。範賴の墓濡るゝらん秋の雨○菊作り門札見れば左京かな○午前ジエームスを讀み了る。好き本を讀んだ心地す。○昨夜熱度三十七度一分。輕微の氣管支にて右の方が犯されてゐる由。禁ぜらる。○(病後對鏡)洪水のあとに色なき茄子かな原○家を出る時植木屋の苗から植をて庭に下した鶏頭が三四(+)かと思ふ。其頃は芭蕉の影に花隱元といふものも咲いてゐた。植木屋が此鷄頭を萬代紅といふ。雁來紅の間違かと思つたらさうぢやない。は眞赤になるのだと云つた。○菜の花の中の小家や桃一木醫師一人、看護婦二人、面白い。蘇氏印略を繰返し見る。面白い。會手を出して本を讀む事をになつてゐた。どの位に延びた雁來紅は斑入で是○秋淺き樓に一人や小雨がち○四時過便通始めて尋常に近き色なり。起きるとき橫になつて一寸休んで、起き上つて足をベツドから下して休んで漸く便器にかゝる。手は少し力あれど、足は全く萎て丸で腰の拔けた人の如し。甚しき衰弱なり。九月二十四日○秋淺き樓に一人や小雨がち○生きて仰ぐ空の高さよ赤蜻蛉○今日は新鮮のさしみ(もしあれば)を少し食はせてくれる筈。刺身は夫程でもなし○昨夜右の足の骨が痛むので眠が覺めた。肉がなくて骨許の上へ片々の足を載せたため也。其外尻が痛み手が麻痺して眠の覺むる事多し。○昨夜痰がつかへて三四度せく。其度に看護婦が起きてくれた。○今夜は特別列車で觀光團が修善寺へ押かけるよし。其上宮本叔氏と杉本氏もくる由○鶴の影穗蓼に長き入日かな○午飯後髭をそり、髮を梳り、脫糞、衣服を着換へ、坂元の持つて來た新らしい毛布を懸ける。原天氣〓澄(坂元は昨夜沼津迄來り今朝一番でくる大祭日と日曜と重なる爲也。六五五
六二六○朝Croceの美學を讀む。○一山や秋色々の竹の色○四時頃楚人冠至る。觀光團と一所也。いもの也○腹へる。森成氏へ訴へる。拒絕汽車が一圓いくらとまりが八十五錢馬車が十錢といふ安森成氏へ訴へる。拒絕九月二十五日○曇。昨日觀光團のため終夜擾々。相變らず眠らず。夜通し風呂場に人氣あり。朝は暗いうちから顏を洗ふ。夜半に下女の笑ふ聲す。黎明に又下女の聲す。思ふに下女は床に入らざりしなるべし。○昨夜宮本杉本二氏來診。十時頃喫飯。醫師も規律ある生活は送りがたし。其上觀光團にて恐らく眠り得ざりしならん。○風流人未死病裡領〓閑日々山中事朝々見碧山○宮本氏云ふ今二週間にて歸京し得べし。まづ二十日と見れば可からんと。診斷の結果なり。同氏は杉本氏と午頃歸る。坂元も同時に歸る。十時頃喫飯。醫師も規律ある生活は送りがたし。其上觀光團にて恐ら診斷の結果なり。同○古里に歸るは嬉し菊の頃○午飯に鯛の刺身四切を食はせらる。平常刺身に嗜好なきも矢張旨し。ソーダビスケツトに水を塗り食鹽をつけて烙りたるを食ふ。是亦旨し。○昨日觀光團に加つて見舞に來てくれた畔柳岡田二人去るとて十一時頃來る。○靜なる病に秋の空晴れたり○菊の宴に心利きたる下部かな○午後一時楚人冠去る。大切に秋を守れと去りにけり○二時頃より蒸暑、蟬なく。○クローチエを讀んで疲勞。原○無言の玄境、放恣なる安靜、努力なき想像(雲の岫を出るが如く。起りて自然に消ゆ。無抵抗の放任、目的なき靜臥。消極に安んずる倦怠。悠々たる精神。墨碍なき活動。苦を感ぜざる程の想像。義務なき腦の作用。ソーダビスケツトに水を九月二十六日○昨夜始めて起き直つて食事。橫に見る世界と竪に見る天地と異なる事を知る。食事うまし。六十五夜
六八八に入つて元氣あり。妻から失心中の事をきく。失心中にも血を吐いて妻の肩へ送れる由。其時間は三十分位注射十六筒といふ坂元がふるへて時々奧さんしつかりなさいと云つた。電報をかけるのに手がふるへて字が書けなかつた由。余の見たる吐血は僅かに一部分なりしなり。成程夫では危險な筈である。余は今日迄あれ程の吐血で死ぬのは不思議と思ふてゐた。人間の血の三分一を吐けば昏睡し。三分二を吐けば死する由○昨夜は藥の所爲か比較的安眠(四時頃迄)然し夢は始終見たり。友人の坊主が叡山の麓迄うどんを食ふたと云つて一時間許りの間に歸つて來た。さうしてうどん程天下に旨いものはないと云つてゐた○朝始めて起き直つて顔を洗ひ髮を梳る。心地よし。○始めて床の上に起き上りて坐りたる時、今迄橫にのみ見たる世界が竪に見えて新らしき心地なり心地よし。今迄橫にのみ見たる世界が竪に見えて新らしき心地な竪に見て事珍らしや秋の山坐して見る天下の秋も二た月目○其時松陰に百日紅の殘紅を見る。久しき花なり。どつと床に伏したる前旣に咲けるものなり○病正に輕快に移らんとして、今更病を慕ふの情に堪えず。本復の後はかゝる寬容ある、stressなき生涯、自己の好む儘の心の働きを盡して朝より夕に至る時間、朝夕余の周圍に奉侍して凡て世話と親切を盡す社會の人、知人朋友もしくは余を雇ふ人のインダルジエンス。-是等は悉く一朝の夢と消え去りて、殘るものは鐵の如き堅き世界と、磨き澄まさねばならぬ意志と、戰はねばならぬ社會丈ならん。余は一日も今日の幸福を棄るを欲せず。切に考ふれば希望三分二は物質的狀况にあり。金を欲するや切也。○床に就きたる人の天地は床の上に限られる事無論也。されどもわが病甚しき時の天地は狭き布原團の一部分に限られたり。足の付く脊の觸るゝ處腰の据はる所丈にて其他はわが領分にあらぬ心(通)なり。衰弱甚しければ容易に動きもならぬ故也。小き枕にてもわが領分と領分でなき所ありき頭を動かす(一)大變な事業也。○病床のつれ〓〓に妻より吐血の時の模樣をきく。慄然たるものあり。危篤の電報を方々へかけたる由。妻は五六日何も食はなかつた由。森成さんも四五日殆んど飯も食はずに休息せざりし由。顧みれば細き糸の上を步みて深い谷を渡つた樣なものである。○看護婦を呼ぶとき杉本さんが早く行かないと間に合はないと云つた由。吐血後一週間は危險なりし由。杉本氏歸る時もう一度吐血すれば助からぬ由を妻に云へる由吐血後一週間は危險な九月二十七日○曇。床の上に起きて顏洗、食事、六二九
六三〇然し寐てゐる事が大變樂になつた。○昨夜もよく寐ず。寐れば必ず夢を見る。然し寐てゐる事が大變樂になつた。○寐られぬ夜ともし置いて室明き夜の長かな○午腹減りて殆んど起き直る事能はず。食後疲れて熟睡三十分藥の時間に看護婦に起さる。○妻君と森成さんと東と朝日瀧へ行つたらしい。午院閑寂○反物屋が雁皮紙織と、眞綿織を持つてくる。眞綿織は伊豆の大島の產也。○三人觀音樣より歸る。堂守から菊を乞ふて來る。(金をやつて)堂守に菊乞ひ得たる小錢かな○力なや痩せたる吾に秋の粥○佳き竹に吾名を刻む日長かな○見もて行く蘇氏の印譜や竹の露○範賴の墓守も花を作るから今度はあすこで貰つてくるといふ。秋草を仕立てつ墓を守る身かな寐れば必ず夢を見る。雅な質で雅な色なり九月二十八日○曇。昨夜も不眠。去れども眼が冴えるにあらずうと〓〓として天明に至る也。秋の蚊の螫さんとすなり夜明方や我を螫さんと賴家の昔も嘸栗の味鮎の丈日に延びつらん病んでより肌寒をかこつも君の情かな○○九月二十八日○昨日昨夜便通二囘。一囘を胃腸病院に送る。夜安々と寐る。然し眼未明に覺む。○桔梗、菊紫苑、桔梗は濃くふつくらしたり。貧しからぬ秋の便りや枕元紫苑は高く大きく薄紫の菊の婆裟たるに似たり九月二十九日○仰臥人如啞默然對大空大空雲不動終日杏相同○昨日も髭剃。細君の注意による。始めは顯の下を剃り落した時は殘り惜さうなりき六三一
六三二○京に歸る日も近付いて黄菊哉○晩に玉子の煎りたるを食ふ九月三十日陰。漸々寐心よくなる。○東京より返事。二日前に送つた便に血は交らない由申し來る○昨夜オレーフ油を十グラム程飮む。是は酸を抑へる功、いたみをとめる功、幽門の出口を滑に原する功。及び滋養の功ある由。(或病人四十筒の注射をした時オレーフで溶解した(藥液の)ために大いに元氣を囘復せる由。十月一日○稻の香や月改まる病心地日似三春永心隨野水空牀頭花一片閑落小眠中○取寄せたる〓六家詩鈔、唐賢詩集、宋元明詩集來○名古屋の鈴木來る○午鯛のうしほを食ふ。十月二日○夜寐られず。看護婦に小便をさして貰ふ。○明方戶を明ける時の心持天の河消ゆるか夢の覺束な○夢擁銀河白露流夜分形影一燈愁原旗亭病近修禪寺聽到晨鐘早上秋○初めて百舌をきく裏座敷林に近き百舌の聲○歸るは嬉し梧桐の未だ靑きうち○雨猶歇まず。細雨也○午前雲晴日出づ。ミン〓〓猶鳴く○細君、東、森成どこかへ行つたと見えて音なし。三時半。寐れば夢を見る。夢を見ればすぐ覺める。○奧の院。(二十一日の絕食)六三三
六三四○歸るべくて歸らぬ吾に月今宵十月三日○陰。秋かと思へば夏の末、夏の末かと思へば秋。柿も大分赤き由。原は半分黃くと。雲を洩る日ざしも薄き一葉哉○小宮が毎日の樣に繪葉書をよこす。歌麿の浮世繪にこんな人になりたいとか、る芝居が見たいとか書いてある。たわいもない事である。臼川も自畫の繪葉書をくれる。御能のスケツチを色取つたものである。松風、である。たまには文句入である。甚だうまい○昨夜。鯛の煑たのを食ふ。夏の末かと思へば秋。柿も大分赤き由。栗もとうから出てゐる。稻こんな人を演ず松風、鉢の木、山姥等十月四日○陰雨を帶ぶ。昨夜雨滴千萬點を聞き盡す。睡眠狀態漸々平生に近づく○昨日花を更ゆ。コスモス、菊、菊と野菊の中間にて黃なるもの。東君の取つて來てくれたもの○氣管支漸く治まる○昨日妻髪を洗ふ。○殘骸猶春を盛るに堪えたりと前書して甦へる我は夜長に少しづゝ骨の上に春滴るや粥の味米は東京より取り寄せたるものなり○鶴鴒多き所なり鶺鴒や小松の枝に白き糞松濡るゝ。濡るゝは女松。降るは秋雨○寐てゐれば粟に鶉の興もなく○氣管支にて體を拭く事を禁ぜられたれば觸るとざら〓〓して人間の肌とは覺えず。鷄の羽を引きたる如し粟の如き肌を切に守る身かな○午障子を開けば晴空澄徹久し振也。體を拭く。垢出でゝぼろ〓〓す。寐卷を着更ふ。よき心地なり。やがて腹減りて汗出づ。○夜は朝食を思ひ、朝は晝飯を思ひ、晝は夕飯を思ふ。命は食にありと。此諺の適切なる余の上に若くなし。自然はよく人間を作れり。余は今食事の事をのみ考へて生きてゐる六三五鷄の羽を引垢出でゝぼろ〓〓す。寐卷を着更ふ。よき心
六五三○萬事休時一息囘。風過梧葉動秋去。漫道山中三月滯。歸期勿後黃花節。餘生豈忍比殘灰。露滴竹根沈翠來。証知門外一蹊開。恐有雁聲落舊苔。十月五日○晴、稍寒。眠無事、殆んど平生に近し。○淋漓鮮血腹中文嘔照黃昏漾綺紋入夜通身渾是骨臥牀如石夢寒雲○野菜の高き處なりほうれん草の浸し物一人前二十五錢。鷄の高き處也。に三百目の湯煎ソツプを飮む。其代が日々に二圓乃至三圓也。可驚〇十一日に歸る由。其前にもう一遍便を東京に送りて檢査させると。○冷やかな瓦を鳥の遠近す百目八九十錢。余は日十月六日○快晴心地よし。昨夜眠穩。冷かや人寐靜まり水の音○昨日森成さん畠山入道とかの城跡へ行つて歸りにあけびといふものを取つてくる。ぼけ茄子の小さいのが葡萄のつるになつてゐる樣也うまいよし。女郞花と野菊を澤山取つてくる。莖黄に花靑く普通にあらず。野菊が砂壁に映りて暗き所に星の如くに簇がる。的礫と壁に野菊を照し見る鳥つゝいて半うつろのあけび哉○昨日ベアリングの露文學を讀み出す。一昨日にて現今哲學讀了○天下自多事被吹天下風高秋知鬢白衰病夢顏紅懷友讎無到讀書道不窮瘠軀猶裏骨愼勿妄磨瓏十月七日快晴。安眠常人と同じ。○朝寒や太鼓に痛き五十棒○鏡中人己老嘔血骨猶存六三七
六人八病起期何日夕陽復一村十月八日原○數へると明後日は東京へ歸る日也。嬉しくもある。又厭でもある。歸りたくもある。もない。現狀は餘程の苦痛でなければ變る事を敢てし得ないものである。○顏に漸く血の色が出て來た。歸りたく十月九日○雨濛々。朝食。に染つてゐる先づ黃なる百日紅に小雨かな○昨日看護婦が裏の緣側に出てもうあの柚が黄になりましたと云ふ。り床の上に起き返りて庭を眺めると殘紅をかすかに着けながら、百日紅が旣に黃明後日は東京へ歸る日取ないたつきも久しくなりぬ柚は黄に○コスモスを活けて東が持つて來る。コスモスは干菓子に似てゐると云つたら東は何故ですかと聞いた。何故と聞いちや仕方がないと答へた。花瓶の後ろに銀の袋戶と金の袋戶がある。下が銀で上が金である。中間が砂壁である。其砂壁の所に白と赤の花が點々として美しく映じてゐる。さうして其葉の處が靑く銀紙に映つてゐる。十月十日○陰。○昨夜、寄木細工を取り寄せて色々見る。箱を三つ買ふ。皆婦人趣味なり。あけびの箱を買ふ。又誂へた樟の烟草盆と烟草箱が一昨日出來上る。○愈明日東京へ歸れると思ふと嬉しい○客夢囘時一鳥鳴夜來山雨曉來晴孤峯頂上孤松色早映紅暾鬱々明○足腰の立たぬ案山子を車かな○昨夜見やげもの抔を買ふ事を相談する。やるとなると何處も彼處もやらなければならぬので大變になる。細君がなる丈葉書入と修善寺飴と柚羊羹で間に合せて置かうといふ。それもよからうといふ。皆婦人趣味なり。あけびの箱を買ふ。六十五九
六四〇原の神代あの金産ましはげの聲を買って準遷論則以及に先也と多い無へてやる事にする。○骨許りになりて案山子の浮世かな原○扶け起す案山子の足十月十一日愈歸る日也。雨濛々、人々天を仰ぐ。荷拵出來。九時出立の筈。○甘鯛の頭付にて粥二椀、オートミール一椀をしたゝむ。○雨の中を馬車にのる。人の考案にて橇の如きものにて二階を下る。夫を馬車の中へ入れる。浴客皆出見る。橇は白布で蔽はる。わが第一の葬式の如し原○雨の中を大仁に至る二月目にて始めて戶外の景色を見る。雨ながら樂し。日に入るもの皆新なり。稻の色尤も目を惹く。竹、松山、岩、木槿、蕎麥、柿薄、曼珠沙華、射干、悉く愉快なり。山々僅かに紅葉す。秋になつて又來たしと願ふ。○大仁にて菊屋の主人、番頭先づあり。番頭は人足四人をつれて三島迄來る。漸くに汽車を乘りかゆ。人足なかりせば必ず後れたらん。一等室借切りなり。九人のを六人前出す二十二圓某也。神奈川にて東洋城乘る。大森にて楚人冠乘る。新橋にて人々出迎はる少々驚く直ちに擔架にのる。夫を馬車の中へ入れる。浴原日に入るもの皆新な射干、悉く愉快なり。雨ながら樂し。薄、曼珠沙華、大抵の人には目禮した積なり。あとで聞けば知らぬ人多し。釣臺で病院に行く。暗い中で四邊更に分らず○入院故〓に歸るが如し。修善寺より靜なり。面會謝絕、醫局の札をかゝげたる由。壁を塗り交へ疊をかへて待つてゐると云はれた杉本氏の言葉はまことなり。落付いて寐る。電車の音も左迄ならず。○終夜雨あとで聞けば知らぬ人多し。釣臺で病院に行く。暗い中で四邊更十二日○朝。食パン二片、牛乳一合、ソツプ一合、○昨日途中にて○病んで來り病んで去る吾に案山子哉○濡るゝ松の間に蕎麥を見付たる○藪陰や濡れて立つ鳥蕎麥の花○稻熟し人癒えて去るや溫泉の村柿紅葉せり纒はる蔦の靑き哉就中竹綠也秋の村牛乳一合、ソツプ一合、玉子一個を食ふ。修善寺の倍にあたる六四、
六四二○數ふべく大きな芋の葉なりけり○新らしき命に秋の古きかな○院長の病氣を昨夜後藤さんに聞く。えゝ又寒くなつたものですから原原今朝妻が來て實はあなたに隱してゐました病長は死んで、葬式には香奠を以て東さんに行つてもらひました。死んだのは先月五日のよし。森成さんが最初に歸つたのは危篤のため後で歸つたのは葬式のためだといふ。わるくなつたのは八月の二十四日頃卽ち余の吐血したる頃なり。初め余の森成さんを迎へたる時、院長はわざ〓〓電報で其地にて充分看護せよと電報をかけたり。治療を受けた余は未だ生きてあり治療を命じたる人は旣に死す。驚くべし逝く人に留まる人に來る雁○杉本さんが疊替をして待つてゐるといふ。成程疊も新らしく壁も塗りかへ、居心地頗るよし。○滿鐵の龍居が來て中村が心配してゐる由を妻に物語る。金が要るなら遠慮なく云へといふ意味らし〔と〕いふ成程疊も新らしく壁も塗りかへ、襖も張り替へたり。金が要るなら遠慮なく云へといふ意味十月十三日○陰雨。○雞頭に後れず或夜月の雁○釣臺に野菊も見えぬ桐油哉○安倍、坂元、池邊、來。妻來○夜十二時地震あり○ジエームスの死を雜誌で見る。八月末の事、六十九歲。十月十四日○陰雨○病室の新らしくなりたるを喜んで〔俳句を書きて消してあり〕○昨日滿鐵の山崎氏又見舞を持參。十月十五日○思ひけり既に幾夜の蟋蟀○曉に氷を摧く音を聞く。はづれの人は胃潰瘍の由。原しかも重體と聞く。本復を祈る。六四三
六四四○曉より烈しき雨。恍惚として詩の推敲や俳句の改竄を夢中にやる。〓露下南硼黃花粲照顏欲行沿碉遠却得與雲還○Dr. Furnivallノ死七月九日のAtheneaum Saturdayトアリ○Dr. Atheneaum Saturdayトアリ十月十六日陰。二時半より眼覺む。天地有無裏死生交謝時人間失寄託如踞一藕絲命根何處來靈臺不可知窈窕日月遐岌々萬象危こゝ迄考へたら看護婦が起き(モ)掃除を始めた。○昨夜浣腸○幽明忽咫尺乾坤半餉移乾坤半餉移單軀跨雙界隻眼挂大疑幸生天子國未逢當代師四十猶兀々斯道果屬誰○鈴木、森田、小宮次の室に來り語る外にも人ある樣なり○狩野來る由會はず歸す。昨日の小林醫師も同じ。今朝長與又郞氏戶口迄來て引き返せる由十月十七日陰。四時に眼覺む。縹緲天地外杏然無寄託命根何處在唯覺天日暗幽明固比隣單軀入雙界休言閱兩極生住天子國生死交謝時懸命一藕絲窈窕不可知翻怪人間奇乾坤一瞬移隻眼挂大疑曷得窮兩儀未許稱人師大豆121
六四六四十徒兀々斯道竟屬誰朝食前に昨日の詩を改めてこんなものにした。ら存して置く。原○病院でも朝五時頃になると大鼓の聲が聞える。な心持がした。過ぎし秋を夢みよと打ち覺めよとうつ○孤愁澹難語况逢蕭颯悲仰臥秋已關一病欲銀髭寥廓天空在默觀高果枝實際の詩である。詩のための詩ではない。だか始めて聞いた時は恍惚のうちに修善寺に居た樣○十月十七日○晴。○昨服部より銀の莨入を取り寄せて見る。に修善寺にて森成國手へと前書して朝寒も夜寒も人の情かなといふ句をほる事にする。森成さんと相談の上、光澤けしの小さい奴を擇びそれ價は十三圓五十錢也彫賃は知らず十月十八日○昨日澁川柳次郞來禮を述ぶ○同昨日妻來。池邊の所に至り余の旨を傳へたる由を語る○昨日寐てゐてフラネルの柄を擇ぶ。○昨日、修善寺の菊屋の朝日より電話、御誂の寄木の箱は數不足故新たに作らせるから待つて吳れといふ。妻にきくと十六個注文したといふ。皆禮にやるなり。○今朝昨日の古詩を作り了へ帳面の末尾に書く。〔帳面の末尾より揭出〕縹緲玄黃外生死交謝時査然無寄託懸命一藕絲命根何處是窈窕不可知-只驚白日暗翻怪人間奇ー單心貫雙界隻眼挂大疑幽明咄嗟變乾坤頃刻移敢言閱兩極曷得明二儀語默共勃窣吾事問向誰-生死交謝時懸命一藕絲窈窕不可知翻怪人間奇ー隻眼挂大疑乾坤頃刻移曷得明二儀吾事問向誰-六四十
六四八孤愁來落枕又搖蕭颯悲仰臥秋已關苦病欲銀髭寥廓天猶在高樹空餘枝對比仲悵久晩懷無盡期○秋意體によろし。○今朝眼醒めて發句を思ふ遂にならず鳴かぬ夜は蝉も亦死んだと思ふと云ふ樣な意味のものなり。○鷗外漁史より「涓酒」を贈り來る。激石先生に捧げ上ると書いてありたり○宮本叔氏見舞。東京市廳迄來れりといふ。暫時にして歸り去る。又搖蕭颯悲苦病欲銀髭高樹空餘枝晩懷無盡期恐縮十月十九日○快晴。昨夜莨入の上へ貼る雁皮の上へ細字で發句と前書をかく。る。寫眞では燒き付けがたしといふ。○朝食前脫使。○リードのナチユラルエンドソシアルモラルスを讀み出す。それを貼り付けて彫る事にすエンドソシアルモラルスを讀み出す。○菅來る。重武が脚氣で鎌倉へ連れて歸つたと云ふ。自分も大森を引き上げて鎌倉に居る由○內丸來。東洋城來。皆面會謝絕を無視して來る。東洋城と俳句を作る。宮内省御料地のバタを四斤くれる。十月二十日快晴○昨日寅彥より長き手紙屆く。面白し。○「思ひ出す事など」由也病氣の事を內丸の報知で知れる由。旅行中の事など巨細記しあり一を書き草平に送る。十一時半頃突然花火の音をきく。寺內統監の歸京の十月二十一日雨。朝東洋城に端書を出す。菊の句をたのまれた故也。昨日草平來。○妻來。昨夜よりウオードのダイナミツクソシオロジーを讀む。獨乙の哲學者の言說は雲の峯の如し。ウオード抔の著述は地を行く人に似たり。たり。而して足遂に地を離れず。散文的也○森成君に病氣前の寫眞を望まれて一句を題すしばらく話す平々たり坦々六四九
六〇〇顧みる我面影やすでに秋原○昨日池邊來。過般來社から出して吳れた金の所置に就いて自分に一任せよといふ。は歸り勿々妻を以て辨償の事を申し出でたるなり○一等に入院の人は食道癌一人。胃癌一人。胃潰瘍一人。何れも死ぬ人のみなり。中途にて退院他の二人はもう二三日で六づかしいといふ。親類抔聚まる模樣也。のもあきらめさへすれば何でもないと云ひたる由。諾す。實何れも死ぬ人のみなり。食道癌の人は親類抔聚まる模樣也。胃癌の人は死ぬ十月二十二日○陰。昨夜十一時三十分、二時二十分前、四時三十分前に目覺む。○曉や夢のこなたに淡き月是は寐ながらの句也。今朝の實况にはあらず○緣にベコニヤあり。昨日妻の持つて來たもの。實は菊を買ふ積の處植木屋が十六貫だといふので、森成さんが五貫にまけろと云つたら負けなかつた。歸りに六貫やると云つたら矢張負けなかつづか.さうである。今年は水で菊が高いさうである。○ぶら下る蜘蛛の糸こそ冷やかに晝食後始めて室内をあるく。木庵の落欵が見たくなりし故也。序に北の廊下口迄出て面會謝絕四時三十分前に目覺む。序に北の廊下口迄出て面會謝絕の貼紙を見る。十月二十二日半晴。十一時過。三時半小便をする。○嬉しく思ふ蹴鞠の如き菊の影原○昨夜九時半頃胃癌の加藤さんが死んだよし。道理で眼を覺ますと人聲が聞へた。余(エ)看病原原のため徹夜するのかと思つてゐた。一等室に残るは目潰瘍の二人である其一人は二三日有つか有たぬかといふ所なり。○肩に來て人懷かしや赤蜻蛉○澁柿も熟れて王維の詩集哉十月二十三日○晴。夜十時、三時十五分前に目醒む。兩度共小便。つく〓〓と行燈の夜の長さかな小行燈夜半の秋こそ古めけり○尻の痛み漸く癒ゆ六五三
六五二○細き足漸く瘠せた身體を支ふ。力石を持ち上げる樣な氣分直る。○胃潰瘍の人今日晩景に死す。吾等三人のうちわれ一人生殘る。氣の毒の心地す。此病人嘔氣ありて始終げえ〓〓吐きたるに此二三日は靜なる故或は快氣に向へるかと思へるに實は疲勞の極聲を出す元氣を失ひたるものと知れたり。十月二十五日○雨と陰の間。桃花馬上少年時(醉吟時)笑據銀鞍拂柳枝綠水如今迢遞去空留明月照秋思別懸猶可考。○一叢の薄に風の强き哉○雨多き今年と案山子聞くからに柿一つ枝に殘りて烏哉一等患者三名のうち二名死して余獨り生存す。運命の不思議な事を思ひ。○昨地震あり。看護婦が見舞に來る。長き地震なり。三時半と覺ゆ。上の句あり。十月二十六日陰。二十三か二十四の日記をつけ損つたり。○一昨夜二十四日の晩澁川玄耳入院。胃カタールか何か分らぬ由。ちつとも知らず余の病氣につき世話をしてくれた男今は余と同じ樣に病院の患者となる。うその樣なり。○昨日純一來る。純一を見たのは八月六日ぎりなり。少し脊が高くなつた樣なり○今朝水洟出づ。のどえがらつぽし。始めて袷をきる。原○山田美妙齋の死を新聞できく。癌種のよし。十月二十七日○晴。三時頃より眼覺む。眠つたり覺めたりして例刻迄過ぐ。馬上靑年老鏡中白髮新幸生天子國願作太平民君が琴塵を拂へば鳴る秋か。詩一首句一句を褥中に得。六五三
六四四(寅彥のヴイオリンの事を考へ出して)原○弓削田が來て大分長く話をする。區役役所の役人の樣な服裝をしてゐる。十月二十八日○晴。身體を拭く。○昨日東より井カーの佛譯來る。二三頁讀む。○明日は霞寶會の日なり。森成さんは行かれるにや。十月二十九日○雲出づ。陰晴共に不明。○昨夜服部より森成さんにやる莨入を持參。細君不在にて金なき故拂はず。○澁川の妻君が來て、ウエーフアーとカルヽス煎餅をくれる○中根榮といふ名古屋の人「思ひ出す事など」を讀んで長い手紙をくれる。○中村務來。西村醉夢來。○日課例によりウアードのダイナミツク社會學、井カーの佛譯。○森成さんが越後高田の翁飴をくれる。一日に三つ許さる。小僧又持つて歸る。○雨の音蕭々の夜十月三十日○陰將に晴んとす○昨日は客四人に接す。社の山本。澁川の妻君。中村翁。西村醉夢。○昨日體量をはかる。フラネルに薄い毛織のシヤツを着て四十四キロ五百ありたり。もと病院を出た時は四十九キロなにがしなりき○坂本來(ひるから)、晩妻來。ごた〓〓する氣分にて、自分の思ふ事出來ず。不快なり。○晩に病院の園丁が手作りの菊二鉢を贈り來る。見事なる白菊也。白菊は院長の遺愛の品のよし。院長は菊を愛せるよし。英國から取寄せた菊が咲いた時見せたら口が利けないので、胸に手をあてゝ其手を以て胸を打ち喜を表したりといふ。○森成さんに莨入を贈る。○願ふ所は閑靜なり、ざわつく事非常に厭なりもと病院を十月三十一日○曉に昨夜の菊を見る。六五五
六五六原○風流の友の逢ひたし。人生だの藝術だの何のかのといふものには逢ひたくなし。○今の余は人の聲よりも禽の聲を好む。女の顔よりも空の色を好む。客よりも花を好む。談笑よりも默想を好む。遊〓よりも讀書を好む。願ふ所は閑適にあり。厭ふものは塵事なり原○妻が昨夜來る時車屋の菊屋で病院へ行くならと云つてダリやを吳れた。此ダリヤは丸で菊の樣な大きなものである。花瓣の亂れた具合も丸で大輪の菊である。色は赤、薄紅、黄等である。何となく下品で菊とは較べられない。梅もどきの傍へ放り込んだら不釣合な事甚しい。○余の病中のプログラムを打ち毀して、其損失を償ふて餘りある樣な友人なら余はいつでも驩迎する。余はかくの如き友人を多く持たない事を甚だ口惜く思ふ。○澁川の室より小さい菊の土鍋の平たいのに入れて、長い蔓をつけて提げる樣にしたものを吳れる。苔の間に白砂を蒔いて、札を立てゝ目黑の里としてある。○神崎さんがダリヤを吳れる。ダリヤは今年に入つて非常に發達した樣である。大輪の菊の如きもの續々出る。明けの菊色未だしき枕元日盛りやしばらく菊を緣のうち緣に上す君が遺愛の白き菊井戶の水汲む白菊の晨哉談笑よ大輪の菊の如き蔓で提げる目黑の菊を小鉢哉十一月二日陰。昨草平來、丸善と南江堂へ電話をかけてもらふ。本兩氏の相談の經過を報告の爲め、○朝倫敦の大谷正信よりプレイゴーアー、り○身體を拭き爪を剪る。形ばかりの浴す菊の二日哉坂元來、是は醫師の謝禮につき池邊と宮及びソサエチー一部寄贈、修善寺へ屆きたるを囘送せ十一月三日雨。三日の菊雨と變るや昨夕より十一月四日晴。からだを拭く。六五七
六六八○小使が貸してくれた二鉢の白菊に蟲がつく。小使がそれを癒してやると云つて代りに別の鉢を貸してくれた。それは黄の蕋に細い長花片が間を置いて出てゐるものである。野菊の大きいものである。普通の菊よりも雅である。○小西海南見舞にくる。讃岐の話をする。○太田祐三郞が立派な風月堂の菓子折を置いて行く。四日の日附のある菓子折なり。四日の日附のある菓子折なり。十一月五日○ナゴやの鈴木より花瓶を送る旨申し來る。○森成さんが越後の笹飴をくれる。雅なものなれど旨からず。カステラはと聞いたら胃にも腸にも瓦斯があるから御止しなさいと云つて止められる。原○森圓月來る。疲勞を言譯にして不會。一時間程して小使手紙を以て來る。藏澤の墨竹の軸を添ふ。御見舞とも御土產とも致し進呈すとあり。早速床にかく。○體重四十五キロ三百。前週より一キロ九百グラム增す。十二貫餘なり。○病院へ入つたら好い花瓶と好い懸物が欲しいと云つてゐたら、偶然にも森圓月が藏澤の竹をくれる。禎次が花瓶をくれるといふ報知をする。人間萬事かう思ふ樣に行けば難有いものである。原○笹飴の笹の香やカステラはと聞いたら胃にも腸に藏澤の墨竹の軸を添○菊の鉢は夜見る方よし。燭し見るは白き菊なれば明らさま○夜鐵瓶の音をきく。十一月六日○つね子、えい子、あい子三人來る。有樂座の御伽芝居を見に行く。歸りに又寄る。十一月七日晴。○鈴木より花瓶とヾく。平安萬磯堂と葢に銘あり。十一月八日○昨日丸善よりケンブリヂ、英文學史五六二卷を持參す。○昨晩町井さんに菊を買に行つてもらふ。十輪で十二錢也。直ちに鈴木のくれた瓶に插む。朝副院長兩名宛の手紙をかく。三等の病人喧騒して堪へがたき故なり。六九九
六十〇十一月九日晴。午前陰に變ず。十一月十日秋雨蕭々。看護婦が小說を讀んでゐる。奇麗な表紙だから何だと聞いたら笑つてゐる。原あつた。六づかしい本だから止せと注告した。見ると虞美人草で十一月十一日霧。霧中に電燈を見る。○金子薫園より短冊と畫帖に題句をたのまる。○今日は修善寺を出て一ケ月目なり十一月十二日晴。是公、三重吉、山口弘一より來信。○三重吉喇叭を稽古す。○○體量。藏澤の竹を得てより露の庵四十六キロ七百。前週より一キロ四百增加ス。十一月十三日晴。○新聞で楠〓子さんの死を知る。九日大磯で死んで、十九日に東京で葬式の由。驚く。○大塚から楠〓さんの死んだ報知と廣告に友人總代として余の名を用ひて可いかといふ照會が電話でくる。○池邊義象氏來。倫敦で逢つたぎりなり○東來、洋服を着てゐる。東洋城來。○妻來。十一月十四日晴○昨日山田の奥さんから鉢植の西洋花をもらう。雪の下の葉よりも遙かによし雪の下の樣な葉に菫の樣な紫の花が出てゐる。大大
六人三○妻來。○菅來。橫濱に行くといふ。銅牛來。森成さんの出診料として五百圓事務に拂ふ。十一月十五日○晴。床の中で楠〓子さんの爲に手向の句を作る棺には菊抛げ入れよ有らん程有る程の菊抛げ入れよ棺の中○ひたすらに石を除くれば春の水○十一月十六日○曇○昨夜二時頃火事ありと見えて、蒸汽喞筒の鈴の音聞ゆ。今朝きけば麻布長坂の下のよし。十一月十七日晴。看護婦が又菊をもらつて來て瓶に活ける。入院患者に植木屋があつて澤山餘つた花を洗面所に置いてどなたでも好ければ持つて入らつしやいと云ふのださうである。菊の名を知らず○昨日池邊三山薩天錫の詩集と蛻巖の詩集を持つて來てくれる。蛻巖の詩の七言絕句抔はゴマカシもの多し。蛻巖の文章に至つては甚だ整はず、まゝ稚氣を交十一月十八日晴。始めて微霜を見る。須臾にして日の爲に解く。○今日午飯に始めてめしを食はせる。粥より旨し。十一月十九日晴。今日は楠〓さんの葬式である。好き天氣で幸である。○妻が昨日電話で風邪の由を言ひ越す。今朝森成さんが來(一二)昨夕見舞に行つたと云ふ。原の氣味故處法を置いて歸つたといふ。今日大塚の葬儀には行かれぬらし風邪十一月二十日晴。此前入院した時よりは肥ゆ。增して行く。昨日體重をはかる十二貫九百四十也。一週間に四五百目づゝ六五三
大本町十一月二十一日晴。昨日午後五時頃渡邊和太郞さん橫濱より來る。八時頃迄話して歸る。十一月二十二日晴。午前石井柏亭來。十一月二十三日原曇。午後黑田朋信友○蛻巖集後篇の八の終にある梁邦鼐の撰した蛻巖府君行述の一節に曰く府君年三十業見二毛。未及五十。齒牙豁。眉髪皓々。七十齒牙不復存一根。眉髪咸黃。十一月二十四日風坂元來。晩餐の時電燈悉く消ゆ。二十分後又明なり十一月二十五日晴。今日より午も晩も普通の飯となる。午食後二時間程寐る。覺めると頭が痛む、る。八時頃覺めると今度は胸がわるい、さうして頭も依然として痛い。晩食後又寐十一月二十六日晴。朝乳をやめる。頭少しよし○今日より野菜を少し宛食はせる。生返る心地なり○池邊三山來。社の金を社長が君にやるから隨意に處置したら善からうといふ。余も其處で貰ふ事にする。せめて二三百圓でも取つて公共の事に使つたらといつたら面倒だと云つて歸つた。十一月二十七日○久し振りで妻(天)る。つてゐた由。始めてきく。頭が痛いといふ。筆は此間からパラチフス、毎日森成さんの厄介にな十一月二十八日晴。山田茂子さんから奇麗な薔薇をくれる。○二三日前から肴が全くいやになる。副食についてゐる些少の野菜を食ふ。六五五
六六六山田さんへ電話をかけてうちへ其由を取○龍居賴三來訪次いでもらふ。明朝九時是公が新橋へ着く由をいふ。十一月二十九日晴。能成來、草平來、是公來。是公は馬車に乘つて來たといふ。看護婦の話也十一月三十日雨。寒氣を覺ゆ。始めて入浴心地快。十二月一日原晝晴。韋柳詩集と王猛詩集を買ふ。十二月二日晴。菅の重武が死んだので妻が鎌倉へ行く。重武はベースボルで足を怪我して夫から足を切つて片足になつた。夫から脚氣だと云つて菅が東京から鎌倉へ連れて行つた。さうしたら肋膜だといふ。氣の毒な事をした。十二月三日晴。玄耳が來て人から賴まれた短冊をかけといふ。松山がくる。夏以來逢はず。十二月四日晴。栗原、梅谷來。○玄耳先生退院。十二月五日欠十二月六日是公が龍居賴三と一所にくる。龍居君がシルクハツトを被つてゐるから何處へ行つたかときいたら、野村龍太の御母さんの葬式に行つた歸りだといふ。六六七
六十八十二月七日晴。十二月八日晴。坂元、小宮、來。夜に入りて東洋城來。十二月九日晴。島村苳三來。十二月十日晴。生田長江來。行德來。體重五十一キロ(十三貫五百六十六匁)。夜奧村來。十二月十一日晴內丸、野村。妻、東小供下の竹中から花束をくれる。十二月十二日晴。太田祐三郞が來る。何時の間にか相場師になつて、結城紬の着物を着てゐるには驚ろいた。十二月十三日晴。欠十二月十四日晴菅來十二月十五日晴橋口來。水仙をくれる。支那の沙市の話をする十二月十六日晴、欠夜雨十二月十七日六六九
六·七晴、高原操來。十二月十八日欠行德歸.十二月十九日欠十二月二十日曇〓。能成來。今明日中に歸省すといふ。障子をあけると鳶色の霧なり。倫敦の臭がして不愉快なり十二月二十一日陰。橋本左五郞來。午過草平豐隆來。豊隆明夕故〓に出立結婚の爲也。十二月二十二日晴。六時草平來。七時山田の奧さん來。西洋花二鉢をくれる。十二月二十三日晴。中村是公、龍居賴三、鈴木禎次、高濱虛子、妻十二月二十四日晴、體重五二キロ百、十二月二十五日晴、三浦見習士官。天生目一治。中村是公。渡邊和太郞。十二月二十六日晴。大塚、坂元、竹中、妻、十二月二十七日晴。物集和子、草平、本多直次郞、六七一
六十三十二月二十八日晴。戶川秋骨橋本左五郞十二月二十九日晴。坂本四方太。坂元雪鳥十二月三十日晴。森卷吉、妻十二月三十一日欠一月一日島村、子供、野上一月二日妻來、一月三日中根倫、坂元、小林修次郞、野村傳四、東新、一月四日原晴。夜古〓時待。-鹽瀨の大きな菓子折をくれる。重くてやつと有つやうなものなり。敷ごと玄關に置いて行つたのを翌日午になつて漸く病室に擔ひ入る。風呂一月五日欠一月六日欠六七三
六十四一月七日神崎、野村、體重五三キロ三百(十四貫百七十八匁)一月八日欠一月九日原山田繁子、服部嘉香、妻一月十日犬塚武夫、坂元雪鳥、一月十一日森田草平、一月十四日體重五十四キロ二百(十四貫四百十七匁)鈴木謹爾、岡田耕三、一月二十一日五十四キロ八百(十四貫五百七十六匁)六十五
六七六〓-明治四十三年仲秋頃より明治四十四年初夏頃まで-片○Art and. Life and Philosophy. sic sic Life is art: analizability, synthesizability. Its changability, its dependence on the environment. Philosophy; its isolated character, its unmovability, its fixity and void, it leaves out the sum total of life's content. Philosophy is form, art content: formal unification possible, at the same time its application possible. Art is never united in principle, its myriad variety, its living powers, its application in real life.○○unification its myriad possible, at the same variety, its living powers, time its application its application×X Joseph Hooker aged 93 Jefferies and Johnson at 30.000 people coming Linnean Society Reno, July 14. June 16. coming六七七
六七八Millionaire suffering from privations××M〓nsterberg Encyclop〓dia 11th edition- 5.0.000 Cambridge university Times 4.0.000 1.0.000 sic Haydns was reported twice as dead. On one Oxfordノ學生ノliterary taste Litt. D. 3000ノ中twentyガDr. of Lit.ノ學位ヲ得ル處へsic Haydns was reported twice as Oxfordノ學生ノliterary taste 3000ノ中twentyガDr. of Dynamic Sociology××occasion- attendスX sic translater sic Mone 1910,十月6th. Bergson一Blancノ上デ死ス、靑年、Pogson. Heart collapse壽命○ジエームス○俳句詩○Cosmogeny. low temperature- gas liquid solid human life -teleological int.○Fechner-consciousness of the Physicist-molecular activities○變化、antagonism. fossilized.○Continuity ?-Gap ? life-death int.○earth ) of cr〔y〕stal ? -analogous organic-inorgganic light-darkness Metaphysic-pyrarnid六七九
六八〇gold in nature grammar * Generalization=fact. One partial truth is made use of as if Pilgrimage ?-sightseeing ? involves an enormous expense. Uniformity. (law of)=both assumption and fact. excludes all others. fact becomes untrue, or whole truth. Eucken, Spiritual Life. Comte Ennui. Altruism and ego1sm Sequential changeノ爲ノdisturbance. Complexity (opposite qualities)ノ爲ノdisturbance. Disintegration of matter and integration of motion. Disintegration of motion and integration of matter.○Dostoiewskie一epileptic死刑ヲ受ケタルアトノ心。○統一病。Phenomenal world.東との會話○Jamesノ文章.○generalization as if it were the○○○Life. Comte Ennui.○matter.○○○○○Baudelaire. Douglas Jerrold. Modesty-Word. Nature-Humboldt. Universality of consciousness〃〃life sic Man as he ideally is-metaphysist Man as he has been-evolutionist Man as he actually is-Empiricist○24 hours.-constant Work to go through in a Natural conclusion. Jerrold. in a day-incessant increase. feeding clothing sheltering transportation 1 Self-preservation Essential social force六八一
六八日2 Reproduction commerce finance Aesthetic Non-Essential- Moral○Professionals-duty-pain Amateursー-pleasure -impartiality-exclude personal inclination.-mechanicalization of self. -unity extorted out one 's supple and susceptible likings. -a means for strangers to trust upon, by lowering oneself to the state of inanimate fixity.-( a means of self-preservation at the expense of his wilfulness. )-there is no spiritual element in stereotyped rules and routines. -J ustice-regularity etc.ーin○卵ヲ孵化スルAmerica 1駝鳥○Crystal 1 normal formハpolyhedron. Irregularity-angle-facet-axisガ缺乏ス○Planet 1 orbitハellipse.所ガ完全ナellipseデナイノハmutual attraction 1 law.○Kant Earth spheroidal formリツキ54○Mortality-average 40. 68○○Prodigality of Nature卵の數87 Homer, Plato, Aristotle ( colour sense) -是等ノ現代ニ於ルpositionヲ見ても我等と彼等の差ハ昨と今ノ如き觀あり。〓〔〓小〕B.C.何年ノ樣な心持セズ。inorganic, organic, living animal, man-〓〓long evolutionカラ見レバminuteデアル。短カイ。先ヅa no evolutionト見テモよい。然るに吾々は互ニ違フ樣ニ思フ。(兄弟デモ友人デモ、外國人ハ無論)夫丈人間ガ細カイノデアル。人間ノ細カク發達セル〓モ亦驚くべきである。○無理ニ讀む事。時間ノ制限、多忙、名譽ノ爲め、gemessenヲ妨グ。詩集を讀む例Nature Aristotle卵の數87 position時間ノ制限、多忙、名譽ノ爲め、gemessenヲ妨グ。詩集を讀む例○Sensation-feeling Perception-intellect and Sentiment Judgment 1 Simple Synchronical Complex higher Synchronicalデアル〔ヲ〕得ベシ(intuition)六八三
六八四idea - right or wrong good or bad Sentimentヽimportance. As important as intellectual judgment, nay more.ハ余ノ考デ是ヲ云フナリ、彼等一派ノpsychologistノ云フ如クfeelingガconservativeガprogressiveノcaseノミナラズ。wrong bad Intuitionトデintellectデ十人ガ十人トモ人ヲ殺シテモ同ジ○劃一ノ刑罰ハ不備ナリ。法律ハ之ヲ無視ス。〓育モ然リ。circumstancesノ下ニ殺スモノナシ。○Scienceハlaw of uniformity of time and spaceノ上ニ樹立ス、ダカラ世界ノ果ヲ斷ジ數萬年ノ昔を斷ジ、又數千年ノ未來ヲ斷ズ。所ガhuman beingsヲgovernスルlawハ(モシアリトスガナイノカ又ハuniformityガアツテモ非applicationガ利カナイ。是ハuniformityルモ)毫モ常ニ複雜デall casesガall differentデアルケメデアル。甲ニ金ヲヤツテ悅ンダカラ乙へ持ツテ行クト却ツテ怒ラレル〓ガアル。是ハ甲ト乙ヲ同じlawガgovernシテ居ナイト見傚スヨリモ甲ト乙ガ旣ニ同一ノモノデナイト見ルベキ〔カ〕至當デアル。サウシテ甲、乙、丙、丁、戍、ロ悉クdifferentダトスレバ是等ガuniformity law月governサレルニシタ所デsimilar caseハ生涯ニ一遍モナイ方ガ常識ノ判斷デアル。故リlawハnatureヽworldニ於ル如クhuman worldヲgovernシテ居ル。但シ個々人々infinite varietyヲ構成スル故ニ甲一人ニapplyベミIawヲ發見スルノハ人間ノ手際トシテtoo complicateナモノデアル。ヨシ之ヲ見出シタ所デソレヲNH applyスル〓ハ猶更出來〔ヌ〕ナリ。從ツテlawハアツテモナイト一般ニchaoticデアル。夫ダカラ人間ハ昔カラ盲目ダト云ハレテ居ル。始終遣リ損ツテバカリ居ル。此所ニ人間ノ變化ノアル所ガアリ學者ノ及バザル所ガアリ、不可思議ニ見えル所ガアリ、面白イ所ガアリ口惜イ所ガアルノデアル。土木ノ技師ガ橋ヲ作ル樣ニ萬事前カラ分ツタラバ人間學ヲ〓究サヘスレバ政治家ニハスグナレル。ソウシテ內閣總辭職ハ決シテ起リツコナイ譯デアルタヾ人間學ガ土木工學ノ樣ニ淺薄ナモノデナイノデ天晴ナ學者モ車夫ヤ何カニ對シ遣リ損ナツテ怒ラレタリ、恥ヲカヽセラレタリシテ居ル。ソコガ公平デ非常ニ興味ノアル所デアル。○Mechanical invention〓literary 1) objective (association and 2) new combination 3) objectiveニ放射シテtest invention dis.ノ同ジ所、testス六八五
大人大Mechanical invention valueハ實地ノapplicationガ出來ル出來ナイデキマル。Literary inventionハ夫程デモナイ樣ニ見エルガcriterionハ矢張リ冥々ノ間ニ其所ニ歸着シテ居ル。コンナ人間ガアルモノカト云はれるとそれがultimateト人モ思ヒ我モ思フ樣也、けれどもmechanical inventionノガnature reproductionデハinventionニナラナイノミナラズ、可成natureカラ飛び離れたものでなくてはvalueガナイ樣ニ考ヘラレル、所ガ創作ハnature其物(reproduction)デモvalueガアル樣ニ云はれてゐる。Mechanical Maupassant, Ne Confession de Th〓odulfe Sabot. Sabotガ坊サンノ所へ行ツテconfessionヲヤツテ寺ノ修繕ヲ受負ハシテモラフ、○三重吉、小宮ヲ傍ニ置イテ云フ、何一夜作リデヤツツケテシマイマシタ、ネー小宮、○作物ヲホメルト得意ニナリ、ワルク云フト悄ゲル、而シテ擧止ハ是ト反對ニホメルト卑下シワルク云フト辯護スル、○京傳畫、櫻ノ下ニ花魁トカムロ、二圓五十錢、千蔭、冠一ツ上ニ字アリ、一圓五十錢、バラニ頰白、蘆雪、ロセツハ應擧ノ十哲デス、ヨク出來テ居マス、小竹ノ詩ハ小竹ノSabot. Sabotガ坊サンノ所へ行ツテconfessionヲヨク出來テ居マス、小竹ノ詩ハ小竹ノ原處立チ切ツテアル、○夜店、日蓮上人、物茂卿、親鸞上人、弘法大師、○三色版ノ上ニ司馬江漢描之、○家內喜多留、子產婦、勝男武士○大久保から戶山へ拔ける處で雨ニ逢ふ。どうせと思つたからズブ濡デ悠々とあるく、後から馳ケテ通り越すものがある。若葉がdark〔な〕杉を背景ニシテ軟かに見える。夫が一齊ニ葉ヲ翻が原〔ヘ〕シタカカラ軟カイ者ガ急ニ凄まじくなつて背景ノ杉ノ物すごい色ト調和シタ○胸突坂の上ヲ通ルト大キナ竹藪ガアツタ幹モ葉モ悉く黃色い、其繁ツタ間から空ガ見える。左右は若葉ノ節、○a,b,c,d,l,l.私ノ〓ハル片ハ〓一ジヤナクツテヨ、サウ段々改良スルノ子、親鸞上人、弘法大師、左私ノ〓ハル片ハ〓一ジヤナクツテヨ、サウ段々改良スルノ子、六九七
六八八記-明治四十四年五月九日より十二月十五日まで-日原〇五月九日〇〇さんの婚禮披露。五時の約束で五時過し過ぎに西片町へ着いたら門前にもう五六臺の車が見えた。床を前にして婿さんの親類が五人程竝んでゐる。何れも黑羽二重の紋付であるが、一寸田舎風にも見える。○禎次さん丈が縞の着物を着てゐたが、是は自分が縞の着物でも好いかと念を押したので、御交際の爲とも見られた。○しばらくして〇〇醫學博士夫婦が來た。是も媳方の親類で余も其方であるからまづ主人側である。博士は絹帽にフロツクであつた。大學に二十五年以上〓授をしてゐると云つた。學生のときは大學東校とか云つて、自分の妻の父などゝ同じ仲間であつたと云つた。○又しばらくして〇〇〇男爵夫婦が來た。此妻君は舊幕の遺臣某伯爵の娘である。男爵は大變長原く官海に居た丈で古くから名前を聞いてゐたが會つて見ると存外若い顏をしてゐる。頭も黑い。○御媳さんが出て挨拶をした。穆さんの奧さんも出て御辭儀をした。鈴木の御父さんが御前は〇○さんには始めてだらうと云つたらすゞ子さんはとぼけて、始めましてと自分に挨拶をしたから六九九是は自分が縞の着物でも好いかと念を押したので、御交
六九〇原自分も始めましてと頭を下げた。夫丈では物足らなかつたから、い時も御逹者で···と付け加へて置いた。實際朝鮮ではすゞ子さんのうちに二週間も世話になつてゐたのである。○つい御近所に居りますが、と男爵が博士に挨拶をした。原原○すづ子さんの朝鮮からつれて來た二人の男の子が、後ろから來て自分の頭を撫でゝて行つた。「おい覺えてゐるか」と云つたら「知らないや」と答へた○やがて宴席へ招待される。〇〇組の重役の〇〇學士が仲人で、其人と余が英國にゐた時、一一〓の識があるので余を其隣へやつた。すると余は老博士の上に坐る事になつたので、席をかへて、鈴木の御父さんの上に坐る事にした。余G2)上座には白髮の御老人がゐる。御父さんの紹介によると此老人は始終地方〔に〕居て親戚ながらいつも東京にゐた事がない、原近頃やつと裁判官をやめて東京へ來たのだと云つた。御爺さんは正四位勳四等······と名刺を一々配つてあるいてゐた。原○やがて御膳が出た。是は儀式的のもので、赤塗の盃に椀が付いてゐる丈である。原原丸髷に行つた原紋付の女が一々客の前へ銚子を持つて來て、一々御辭義をして盃へ酒へ三度に注いで又御辭義をして隣へ行く。みんな伊豫紋の下女ださうである。盃をもらひに歩く時そこに坐つてゐた女に酌を賴まうと思つて、おいと呼びかけて橫を向いたら豈計らんやすゞ子さんであつたので驚ろいた位である。椀をあけたら鯛の切身が入つてゐた。それを一口くつて箸を置いた。酒は一口も飮ま原なかつた。程なく此膳は徹囘された。···と付け加へ原○次には臺の上に口取を盛つて、傍に刺身をつけた膳を運んだ。猪口もついてゐる。それに鯛つ原原た味噌汁が出た。副膳には一尺餘の燒鯛とうま煑(ふき、)と、酢のもの(鰹か)、○みんな主人側が廻つてあるく、仲人の學士がまづ先を越してくる。次に博士もくる。次に正四位の老人が來る。是では無精な余も如何ともする能はなくなつて、まづ御婿さんの處へ行つて御盃を頂戴した。どうか宜しくと云つて挨拶した。あちらへ御出の節は是非御電報を願ひます、ええ濱寺から電車で通つてゐます、私は英國だの佛蘭西だの露西亞だのに八年居りました。○御嫁さんからも盃をもらふ。次に仲人の奥さんの番になつた。是は英國で牛鍋を御馳走になつた人だが、今見ても思ひ出せない。金鎖を襟からかけて金緣の眼鏡をかけてゐる。「英國の方が好いでせう」と聞いたら「えゝ九年も居りましたから向ふの方が大變宜う御座います」と云ふ。「もう然し東京に御慣れでせう」と云ふと、「漸くなれました。近頃では御友達も出來ましたし」「今度は漫遊に入らしつたら好いでせう」「えゝ何時でも參りたう御座います」「あの時分より大分肥られた、御前は氣が付かないかも知れないが」と旦那の方が云つた。旦那は朝九時から日暮迄殆んど坐らないで立ちつゞけに忙がしい事を述べた。英國の方が規則正しい生活が出來て可い、彼地では夜人が來る事などは滅多にない、晩めしもまあ宅でたべるのが例であるが、日本では宅で食ふのが稀な位です、どうもあなた方の生活が羨ましいです······「傍から見ると誰の職業でも好く見えるものですよ、-それぢやもつと英國に入らつしつた六九
六ハニら可かつたんですね」原「私も歸りたくはなかつたのですが、子供の〓育が困るので御處置をつけに來たので、夫から實は又向ふへ渡る積りの處を、此方へ引き取られまして、夫に支那の方で會社が大分損をしまして、其片付方に南〓の方へ旅行をするやら何やらでとう〓〓此方へ引きとめられて仕舞ひました」。○博士の前へ出ると「あなたの御病氣は何で御座いましたか」「へえ潰瘍、たしか額田が修善寺へ參りはしませんか」「成程宮本叔が」「えゝ私は熊本で、八代で御座います、池邊君や德富君とは知り合で御座います」「池邊君抔の方があなたより後輩でせう」「えゝ後輩になります」原○それから正四位の老人からも盃を貰つて、御婿さんの親類は略して席へ返つた。博士の奥さんの前で、すゞ子さんが今日は大變勤めるのですねと云つた。○自分の席へ歸つてから鈴木の御父さんと書畫の話をした(或は席を離れぬ前)「あれはりやうらいです、鵬齋よりも字は旨いです、私は大雅堂のものを四十點持つてゐます。いえ集めた譯ぢやない、道具屋の方で上方へ買出しに行つて是はどうでせうと見せにくる。夫を原御前いくらで買つたかかと聞くと、いくら〓〓と答へる。それで私がぢやいくらで買つてやらふと云ふと宜しう御座いますと云つて置いて行く。あの屏風などは十三圓で買つたのを二十圓で買博士の奥さんふ約束をしたら月末に十八圓とかいて來ました。あの金丈でも燒くと二圓五十錢位出ます」「私は大雅堂の松島の全景をかいた繪卷物を持つて居ます。是は大雅堂が二十七のとき金澤に原原行つてゐて書いたものです。終りに紅芙蓉の印があります。紅芙蓉は旨いです」原「大雅堂の廿のときの瀧を持つてゐます。が北宗の筆と狩野の筆をまぜたやうなものです。大雅堂は柳澤に行つてから南畫の風を覺えたのです」「私はもと金剛寺坂に居ました。隣が福地源一郞の宅でした。福地の妻君が癪を起して······した事がありました。昔は崖の下は崖の上から斜に尺をとつて、其間は誰の所有でもなかつたのです、だから苦情が起りません。町の名でも昔は往來へ付けたものです。だから片方で名の違つてゐる樣な事はありません、それで德川家の所有の地面抔は無稅でした。越後の高田抔もさうです。江戶も無論さうです。所が市ヶ谷に本村町といふ所があつて、あすこ丈が稅を取られました。何んでかと云ふと書き損つたのであります、昔は一度書き損ふと夫成になつたのです」「私は觀世黑雪の書いた謠本を百册持つてゐます、珍らしい黑い雪の樣だと云ふので賜つた名です、秀忠公の時代でした。夫を見ると今の謠でわからない所がよく分ります。羽衣に······色人はと云ふのがありますが、色人では分りません、黑雪の本を調べて見ると宮人です」「此疊は麻に澁をかけたものです、昔は御城の疊はみな紅色の緣を取つたものです、黑い緣は六六三大黑い緣は
六十四臺所に限りました。又緣なしは牢屋の疊です、御目見え以下は板の間、御目見え以上は緣なしです。白麻に十文字をかいて其中に丸をかいたのを本願寺では用ひてゐました。これを本願寺緣と稱へます。極いゝのは絹の緣です、丁度御雛さまのと同樣です」「此太刀は慶長頃のです。此具足はもつと新しう御座います」男爵は鎧に興味があると見えて鎧の噺をした。かう云ふものは無くなるのは惜しい。獨乙でもカブトや胸アテは昔の具足の眞似をしたのを用ゐる。「今鎧を造るものがたつた二人殘つてゐます······、二重橋の前の楠公の像は不都合です、あゝ原あぶみを前へ出し反り却つては落ちます、さうして手綱の先があゝ手の先へあまつては邪魔で仕原方がない手綱の先は下押し込んで小指と藥(土)の間に挾むものです。夫からあの太刀が間違つてゐる。あれでは一里位かけると鞍へぶつかつて、鞘がワレテ仕舞ます。騎馬では尻鞘にかぎつたものです。熊の皮でも、虎の皮でも、又鬼丸などゝ云ふ作りになると皮の上を漆で塗つたものです」高砂をやらうと思ふが節のついた本がない。カ○禎次さんが謠をうたひますと云つて着座した。夏目さんは文句を知つちやゐないだら〔う〕「私は御目出度い謠は知らない」と云ふと御父さんが笑ひながら、「鞍馬天狗から蟬丸俊寛······禎次さんの謠はしつかりしてゐるが聲がメタリツクで蓄音機に似た處がある。獨乙でも高砂をやらうと思ふが節のついた本がない。カ○やがて膳を引いて新らしい膳が又出た。此度のも副膳がついてゐる。本膳には汁、御つぼ、それから御平、御酢あへ、御椀(汁)等である。是で膳が五度出て、汁が五つ出た譯になる。○朱塗の御椀で飯を食つて御代りに茶をかけてくれと云つたら御湯ですかと下女が聞き返した。婚禮では茶を用ひぬものださうだ。湯は蕎麥屋の湯を入れるやうな器に入れてあつた。矢張朱塗である。○人々がたちかけた。緣側でそれはエスコートよと云ふ女の聲がした。多分九年間英國に居た夫人の語だらうと思つた。○遠く照らされた庭のつゝぢの前に庭下駄を穿いた納戶色の紋付を着た女が二人立つて話をしてゐた。前は崖である。原「帝國劇場も見えます。九段の花火を見えます、何でも見えます」と御父さんが云つた。原○車の蹴込に入れた御土產は重かつた。料理と、靑い籃の中に鏗節が七本と藤村の菓(千)が添へてあつた。菓子は羊羹の中に松が染め拔いてあるのが一つ、白い蛤の形をした上に鶴の首がちよんぼり付いてゐる69が一つ、眞赤な龜の子が一つあつた。本膳には汁、御つぼ、そ多分九年間英國に居た夫○あい子曰くあの幼稚園の誰さんはころんで犬のうんちを舐めたつて、六五五
六九六○又曰く支那人の子が來るのよ。名はねえ、名は提灯胴つて云ふの○植木屋が花菱と云ふ黃色な三瓣の花のものと、八重の虞美人草とそれからカー子ーシヨンを吳れる原○西村が手紙をよこして電氣遊園に勤務してゐるが當分囑托で月給三十五圓だといふ。御梅さんの事をどうするとも云つて來ない。此前の便には余に一二度妻にも一二度たヾ宜敷賴むと云つて來た丈である。花菱と云ふ黃色な三瓣の花のものと、八重の虞美人草とそれからカー子ーシヨンを〇五月十一日池の端で勸業展覽會を見る。三光堂の蓄音機が絕えず廣告の爲に鳴つてゐた。場後に植木屋がある。蘭の鉢が赤紫の花を着けてゐた。三圓五十錢のを買はうと思つたがやめた原から錦花車模樣、太平樂樣、檜扇模樣、等あり、大内織と云ふ帶もあつた。歸りに草臥れて江戶川から車にのる。夏帽に脊拔のセル服夏帽に脊拔のセル服○小宮のはロジカルダけれども駄目です。たとへば私が金がないといふと私に向つて酒を飮むなと云ふんでせう、飮みやしないと云ふとだつて醉つてるぢやないかと云ふのです。論理にや叶つてゐるが忌むべき論理です。原原私や淋しくつて酒を呑まずにや入られないです、酒を呑むと夫でも仕事をする氣になるんです、飮まないと丸で寂寞で堪らない、所が飮んでも矢張り寂寞です、-今日も人の宅へ行つたら主人が留守だから待つてゐたが歸つて來ない、所がそいつが妙な奴で下女と二人で住んでゐるんですよ。で私は昨夕徹夜したから其所で今迄寐ました。眼が醒めてもまだ歸つて來ないから、夫から下女に酒を買はして飮んでやつて來たのです。然し酒をのむと判斷力がなくなりますね、いえ陶然として天下を併呑する樣な氣持ぢやない、益淋しいのです、夫で判斷抔はどうでもよくなるんです、-昨夕徹夜をしたら曉烏が鳴いたが、あけがたの鳥は氣味がわるいものですな、一種厭な心持になりました。-さうして一生懸命に何かやらうとすると益頭がいら〓〓してくるのです、何だかグウ〓〓大きい鼾聲をかく奴があるのです、下へ行つて見ると夫が八十の御婆さんなんだから、天下に自分に同情してくれるものは一人もない樣な氣がしました。さうかと思原ふと、ギリ〓〓どこかで井戶を酌み始めたのです·····○京都にゐるものが東京が戀しくなつて矢も楯もたまらなくなつて、仕舞には京都の停車場迄散原原步に來て、東京から來た滊車と、滊車に乘つてゐる人の顏を見ると云ふ早稻〔田〕座を東へ突き當つて江戶川の終點に出やうとするところは新開町のごた〓〓した所六九七
六人八原であるが、丁度其突き當りの往來の向側が少し凹んで柳の枝が一本ある所に、小肥りに肥つた双子木綿の羽織着物に角帶の〓た男、帽子を被らずに、俎下駄を穿いてゐる。綿フラネルの裏のついた大きな袋を兩手で持つて見物人を見廻してゐる(見物人は彼の周圍に澤山群がつてゐる。)諸君僕がこの袋の中から玉子を出す此からつぽうの袋の中から屹度出して見せる。驚ろいちやいけない、種は懷中にあるんだからと云ひながら片手を胸の所で握つてそれをさつと開ける眞似をして、袋の中に手を入れると玉子が底から出た。彼はそれを土の上へならべた。諸君もう一つ出原すから見てゐたまへと云つて袋を片手〔で〕ぐつとしごくさうして又何か放げ込んだ眞似をして、中へ手を入れると玉子が出て來る。今度はひつくり返して出して見せると云ひながら、袋を裏返しにして置いて、さうして同樣の手眞似をして第三番目の卵を出す。彼はそれを丁寧に地面の上に竝べて、どうだ諸君かうやつて出さうとすれば何個でも出せる。然しさう玉子ばかり出してもつまらないから、今度は一つ生きた鳥を出さう···或日朝九時頃江戶川の電車に乘る必要があつて矢來の交番の所から一直線に例の柳の所迄來て、ふと氣がつくと例の男が依然として立つてゐた。朝ぱらだから見物人は一人もゐない、彼も亦諸君玉子を出して見せるとも何とも云はない、彼は退屈の餘りか、小石を空中に打ち上げて其落ちて來る所を手に持つたステツキで叩いてゐた。さうしてさも大事業でもしてゐるかの如き樣子を見せてゐた。○腸チフスノ患者。枕の下へ卷紙をまいて入れてゐる。醫者が見ても可いかと聞いたら不可ないと云ふ。醫者は詩でも作つたもの(とっ考へて、そんなに頭を使つちやならんと云ひながら引き出して見ると、三尺ばかりの紙に鰻屋だの料理屋の名が一面にかいてあつた。病氣が癒つたら一軒每に食つてまはる積だつたのだといふ(是は醫者の話)同じ患者自から云ふ。腹が減つて何か食ひたくて仕方がない、仕方がないから腹が痛いからパップをして吳れと云つて蒟蒻を腹へのせてもらつて、夫を夜具を被つて半分程食つた。同じ患者、弟にそつと云ひつけて羊羹の箱をとり寄せて底を拔いて上部は何ともない樣にして中味を食つて仕舞つた。夫から熱が出て、半年程は腰がたゝなくなつて、今でも髪の毛が五十位の爺さんの樣に薄くなつてゐる同じ患者の病室へ細君が子供を抱いて見舞に來たら、患者其子供の手に持つてゐる菓子を見て、食ひたくて、とう〓〓夫を引つたくつて食つた。それがため遂に死んでしまつた。〇〇の弟が華嚴の瀑から飛び込んだと云ふ報知は聞いたが、今日〇〇が來て其〓末を話した。○佐野の吳服店の總支配人であつたが、家を出て結城の紺屋へ行つて十圓かりて栃木から日光へ來て、そこでビール一本を二時間かゝつてのんで、夫から山で生玉子を三つ食つて五十錢でつり六九九
七〇〇をとつて、瀑の上に立つて羽織を袖だゝみにして、時計を置いて、帽子を取つた。其有樣が五郞兵衞茶屋からよく見えるので、上さんが手招きをしたら自殺者の方でも手招きをした。夫から大きな聲で詩か何かを吟じてすぐ飛び込んでしまつた。上さんは樣子が變だから下女を駐在所へ走したが間に合はなかつた。○金錢上の事は悉く義務を果してゐる。女とも關係がない、全く厭世と云ふ。學問をしないで朝から晩迄金で氣を使ふのが馬鹿氣て來たのだと云ふ。家では父はあまり嚴格にし過ぎたのを悔い、原兄は學問をさせなかつたのをなげき。繼母(母の妹)はなさぬ中だから猶茫然として何うしてこんな事が起つたのだらうかと悄れてゐる、さうである。○日記が二三年あるさうである。それは段々々々厭世的になつて、仕舞には滅茶々々になる。すると已めにしてある。夫から二三ヶ月すると又始める。其時は今日はうらゝかな天氣だから又日記を書き始める抔と書き出して眞面目であるが、段々感想がせまつて、とう〓〓こんが(つつかつて滅茶々々になると又已めて仕まふ。斯樣に已めては書き、書いては已め、緩より急になり、急になつてやめ、又緩に始まつて急に終るといふ風であつたさうである。○宇都宮とかで寫眞を撮つたのが死後八日程經つてから、寫眞師から家へ屆いたさうである。普通の顏をしてゐたと云ふ。普○五月十四日急に端書が來て國振の御馳走をするから今夕來てくれと云ふ。ついで電報が來た。五時といふ約束だけれども少し後れて六時過につく。江戶川から電車に乘つて、駿河臺下で乘換えて吳服橋で乘りかえて、又茅場町で乘りかへて、築地橋で下る。新富座は雁次郞とかいふ役者の興行で大分賑かである。松根の宅は妾宅の樣な所である。築地邊の空氣は山の手と比べると遙かに陽氣である。水の光も柔かに見える。日のあるうち一寸散歩に出る立〓中學の橫から月が出る。薄赤い光りの下に圓があるが、其圓が高い家根でよく見えない。川沿を右へ曲つて月耕と云ふ畫家の前を通つて、乘りつけの車屋の所で電話をかける。御話中、又右へ折れて月島通ひの職工の通る町を國光社の處迄來て自働電話をかける。原○御馳走はさつまといふものである。是は白味噌の中へ魚內を擦り込んで中に同じく魚の切味を生で入れて、葱を副へて、釜から移したての熱い飯にかけて喰ふ。其外に梅肉といふ梅びしほに似たものがあつた。○此間は越後の燕の人から寺泊の名產孕みずしと云ふものを貰つた。壽司だけれども飯はない。鯛の子を鯛の身で柏餅の樣につゝんだものである〇一二年前は新喜樂で婆さんから大明魚の子と云ふのを食はされた。飮めますよと婆さんが云つたる壽司だけれども飯はない。飮めますよと婆さんが云つ七〇一
七〇二○御梅さんを嫁にやるので妻が先方へ行つて話をして來た。×始は親類へ周旋する筈だつたのが其方が不緣になつたものだから、今度は自分がもらふと云ひ出したのである。×所が一年中に二つ嫁入を出すと、嫁に惡い事があると妻が聞いたので御梅さんの里がなくなつて仕舞つた。兄は大連にゐる。母は淺草に居るけれども、是は御梅さんと何等の關係もない。〓あしたが日がいゝので十時から一時の間に結納の取替せをするんだと云ふ。結納の字を書いてくれと云ふが、何とかくやら分らない、此間御房の處へ贈つて來たのはうろ覺えに覺えてはゐるが殆んど樣式を忘れてしまつた。のみならず女からのは假名で書くとか、男からのは本字でかくとか若しくは其反對であるとかで丸で分らない。×うちで里になつてくれと云ふが前の譯で駄目になるとすれば或は媒人位にはならなければならない。とすると紋付の着物位は着なければならない。×妻と三々九度の議論をした。女から飮んで男が受けて今度は女が納める。それを別々の盃で三度繰り返すのが法だと妻が云ふから、さうぢやあるまい。一つ盃を男が呑んで、女が受けて、女が又呑んで男が受けて納める。その度に三度注ぐ眞似をするから三々九度になる譯だと云つた×結納は臺にのしを付けて、白髮を包んで、眞中へ金を包む水引をかけた包を載せるのださうだ。今度は自分がもらふと云ひ此金は男が三十圓出すと、女が十五圓と云ふ風に半分を返すのださうだ。おれの時は三十五圓出して三十圓返して貰つたのださうだが客な事である。尤も地方によると男が澤山出して女はいくらでも構はない所もあるさうだ。×御房さんのときは男の方は四圓で女は二圓であつた、其代り向ふから指環が來たから此方は袴原地を買つてやつた。原御房さんの結婚は兄さんが七八十圓うちで百圓程出した。縮緬の二枚、帶、簞笥、鏡臺、用簞笥、夜具等である。夜具は蒲團二枚かけ蒲團と夜着で更紗の木綿で二十圓程かかつたとか云ふ。×御梅さんのはときはさんに貸してある紋羽二重をやつて、○に貸して六圓の質に入れた帶を出してやつて都合するんだと云ふ。夫から西村が質に入れた着物を十五圓程受け出してやつて、原簟笥は淺草へ行つて見てもし西村が賣り拂つてゐなければ夫を持つて行くのださうだ。鏡臺はある。針箱は破れかゝつてゐるが繕ろへばよからう。其外に夜具を一組作つて夫で間に合せる積である。○昨日松根の所へ行つた時は晩から夜にかけてゞあつたにも拘はらず、シャツなしで襦袢を着てゐた。今朝は雨が降つて急に寒くなつた。フラネルの寐卷で起きて見たら堪えられないですぐ袷を着た。夫でも寒いので綿入羽織を着た。猶凌げないので湯に入つた。遂に股引を穿いた。五月は十五日である。七〇三
七〇四原○昨夜御梅さんの結納を「方正」へ書かせられた。御房さんの書式があつたから其を引きうつしの樣に眞似た。たヾ指環一個といふ所丈を拔かした。目錄一勝男武士壹臺一子產婦〃一壽留女〃一志良賀〃一末廣〃右の通幾久敷御受納被下度候也以上明治四十四年五月十五日原ほうしようと云ふ紙は墨を吸ひ込んで丸で書けない。字の坐りも惡い、恰形も變である。書法は丸で駄目、自分ながら厭になつて、三四枚消をした。妻がそんなに反古にされちや困ると云ひ出した。やつと書いて「右の通り」の處へくると、「御受納」と云ふ字で一行一抔になつて仕舞つた。第二行目には「以上」の二字丈でなくちや不可ないか、はみ出しちや駄目かと聞くと妻も壹〃〃〃臺〃考へてゐたが多分駄目なんだらうと云ふ。仕方がないから又書き直した。さう崩さないで謹直に書いて吳れと云ふ注文を妻がする、と云つて顏眞卿の樣な楷書ぢや字がぶそろになつて一劃一劃が思ひ〓〓の品をして丸でしめ括りのない字になる。仕方がないから略した樣な本字の樣な楷とも行とも草とも片付かないものを書いた。我ながら淺間しいと思つて、內心は悄氣てゐた。是でも先達は賴まれてヌメへ二三枚書いたんだがと思ふと何だか人が違ふ樣な氣がした。妻はそれを受け取つて器械的に細く折つて(二枚重ねて)机の上へ置いた。十七日○昨日は大變な御客が來た。十一時頃生田が平塚明子の御母さんを連れて來た。朝日に出てゐる原自敍傳を徹囘してくれと云ふのである。段々事情を聞くと森田が全然違約してゐる。生田に車で森田の處へ迎ひに行つてもらふ。社へ出てゐるからとて電話をかけて呼び寄せる事にしたら。手紙を寄こして行かぬからといふ事であつた。小宮が來てゐたので又車で迎にやる。夜八時頃迄かかる。○黑本植氏が修學旅行の生徒をつれて來た序に行德が連れてくる。嵯峨へ雪見に行つて瓢の酒を飮んでゐる時に嵐山小學校の看板がうまく出來てゐたので筆者を聞いたら容易に分らなかつた。後に鹿苑の獨山と知れたといふ話をする。三十年前坊主を救つた+a
七〇六ら其法兄が私を尋ねてゐるといふので尋ねて行つたら仁和寺の和尙であつた。和尙が畫をよく描くと云つてゐた。良寛が飴のすきな話をした。良寬に飴をやつて、其飴を舐る手をつらまへて、さあ書いてくれと賴んだら、よしと云つて其手は食はんと書いたさうである。○高田の姊が此間から喘息で寐てゐる。滋養物をちつとも食はない。此度は六づかしいかも知れないと醫者が云ふから見て來てやれと矢來から云つてくる。姊ももう死ぬのかと思ふと不憫である。五月十九日。此間の木曜にも今度の木曜にも鈴木春吉が來る。三年ばかり宇都宮の叔父さんの處から上州の安中から橫濱の親類のうちを囘つて歩いて、東京へ歸つて見たら自分の宅は引越してゐたと云ふ。隨分呑氣な男である。宇都宮の叔父さんは新聞屋さんですといふ。下野新聞の社長らしい。安中の御叔父さんは小學校の先生ださうである。近頃は成城學校の傍の原へ行つてべースボールをやつてゐるさうである。指を怪我をしたと云つて繃帶を卷いてゐる。ベースボールの講釋をきく。春吉から「大和」の馬場といふ男がカフヘー·プランタンで喧嘩をした話を聞く。此人は醉ふと笑つて怒つて泣いて一人で三人上戶を兼るんださうである。何でも待合の上さんか何かゞ御客と一所に來てゐたら、カフヘーのものが夫を大變丁寧にするのが癪に障つて、何でえ、向ふが客なら此方も客だと云ふ樣な事を云つてじぶくり出したら、來合せてゐた松崎天民が仲裁に這入つたら、第一手前が癪に障るんだと天民へ喰つて掛つた。西洋人がなだめると、箆棒めぺら〓〓分らねぇ事を云つてゐやがるとか何とか方々へ吹き掛けてとう〓〓皿を抛げて壞して仕舞つた。所原が其皿は佛蘭西製のものださうである。當人は皿が惜けりや歸してやらあと懷から紙入を出した原のを主人がまあ〓〓夫には及ばないからと止めたさうである。尤も此皿は彼の財布の底を拂いても辨償する事の出來ない位なものらしかつたのださうである。翌日主人は彼の定連たる事を謝絶して、どうも君の樣なものが來ると外の邪魔になるから止してくれと云つたさうである。春吉が又玉章の話をした。多分若い時の事だらう。いゝ旦那があつて、夫が手分をして玉章のものを買ひ集めにかゝつた。さうして有りさへすれば馬鹿な價でどん〓〓買つて仕舞つた。夫から書畫屋の方でも玉章といふと大變よく賣れるといふ評判になつたのださうだ。赤い日の出の下へ波を二つ程かいて夫で三十圓とか云つてゐる。原昨日十九日〇〇のうちへ見舞に行つた。築戶の廣くなつた通りを行つて、簞笥屋の角の細い通原りを曲つた橫町である。古い塀のある、古の屋根の小さい家だ。玄關の二疊の疊などもさゝくれて汚ない。其次の南向の六疊に炬燵櫓の上へ枕(タエルで包んだ)をつけて、下に薄い蒲團を敷七〇七
+00原いて臥きてゐた。婆さんが脊中をさすつてゐた。是が〇〇の旦那ですかと云つて驚ろいた顔をして、御見外れ申しましたと云つて、鯨の手の着いた四角な莨盆へ火を入れて出した。座布團も黃縞の木綿の薄いのであつた。けれども小ざつぱりして垢は着いてゐなかつた。室が古いのに額が古いから何處も〓新といふ感じはない。額は四五年前に見た。筒井憲と書いたのと佐瀨得所のと夫からまだあつたがいづれも茶色になつてゐる。何を見ても廢頽の感じがある。たゞ庭の先に葉を出した秋海棠と、五月十九日の開放しにした障子の外の空氣、(空は見えない)と、病人の着てゐる、紡績織の繻子の半襟のかゝつた袷丈が陽氣に見える。「此うちは始めてだ」と云つて、見廻した。「どうです、少し惡いさうぢやありませんか。然し思つたより可いやうだ。〇〇の話ぢや食物が·····姊は口を切る前に唾を呑み込む樣な樣子をして、「でもね。やつぐ時日かんやしづゝ御飯が食べられる樣になつモーしを重建や御ぜんをね-どうも夫迄は御箸の音を聞いても厭な心持がして、御醫者さんが、病氣は夫程でもないが營養が取れないと衰弱するからつて、無理に何でもいゝから食べろつて云ふんだけれども、食べると、すぐ反吐して仕舞ふ-ぢや御かゝのソツプが好いだらうつて、-そら私が御肴だの何だの丸で食べない事を知つてゐるものだから-御市ちやんがわざ〓〓親切に拵らえてくれてね、好ければ又拵えると云ふんだけれども、さう〓〓は氣の毒だから、今度は少し惡いさうぢやありませんか。然うちで拵らえたんだが、-御市ちやんもあの旦那も養子だけれども、まことに親切にして吳れてね、叔母さん〓〓て、大事に〔して〕吳れる。あの人は働きものでね、近頃ぢや大變都合がいゝ樣です、謠が道樂で鼓もやるしね、御弟子が二十人ばかり有つて、利口な人は違つたものでね、道樂をしても御金になる事をやるからね、」言葉丈ははき〓〓してゐるが、其はき〓〓してゐるうちに重苦しい努力があつて、何時もの樣にのべつではない、時々呼息を切る。其所に餘裕があるので聞いてゐても聞きよかつた。「此間○子さんにも御願ひして置いたが、もし私が萬一の事があつたら、あれ丈をどうか御願ひします義理が惡いから」何でも〇〇〇〇〇の金を〇〇圓とか預つたのを使つて仕舞つたから、死んだら返してやつてくれと云ふんださうだ。「かうやつて、我慢で遣つてゐるうちは可いけれども今に口も何も利けなくなると何うする事も出來ないから今の內御願ひして置きます、夫からね、御葬の費用を少しすけて下さい。夫から、○さんに小使を少しづゝ遣つて下さい。○ちやんがあの通りやくざだから······死んだら返してやつてく二十一日五月高須賀淳平が病氣見舞の禮に來る。先月一寸ぶり返したと云ふ。同じ血でも咽喉から出るのと七〇九
七一〇足を切つて出るのは違ふと云つてゐた。〇〇の社長が信長の樣な人だと云ふ事を云ふ。多數彼の爲に盡す代りには光秀が出て來る。彼は社內で博奕をやつて、負けると月給に棒を引いたものださうである。紙屋へ代が拂へないと、頰冠りをして車を引いて紙屋へ出掛けてゆすつて、さうして紙を供給さした。云々。神田の白牡丹の主人とかゞ梅毒で病院に這入つたものが余の猫を讀むのに書物の小口が切つてないのを看護刀に小刀をよく〓いで切らせる所が、小刀が切れゝば切れる程切り損ふと、主人が原なる程漱石といふ男は人に手數をかけるべく出來上つた男だ。博士問題を辭して文部省に手數を掛けると同樣の遣り口だ。と憤慨してゐたさうである。此主人は電話で妻を病院に呼んで時計の時間を計つて、細君の病院へ來た時間と途中の時間を比較して、御前は何時何分に出ると云つたが、時計の上で是々掛つてゐる。嘘だらうと一時間位小言を云ふのださうだ。五月二十一日川羽田からの手紙に、苗代ももう二寸ばかりに伸びまして、麥も漸く色づいて來ました。昨秋の大洪水の結果として財力疲弊の極に達してゐる今日此頃收獲の期に近づいた麥圃を眺めることはどの位愉快で心强いか知れません五月二十一日原えい子が二三日前八つ位の學校友達を連れて來た。其子が御辭義をするから、へい入らつしやいと云つた。あとから二人遊んでゐる所へ行つて、あなたの御父さんは何をして入らつしやるのと聞いたら御父さんは日露戰爭に出て死んだのとたゞ一口答へた。余はあとを云ふ氣にならなかつた。何だか非常に痛ましい氣がした。五月二十二日○森圓月が掛物の箱を抱へてくる。何かと思つたら余の書いたものを表裝したのである。懸けて見せると云つて壁にかけた。余としては好い出來には相違ないが、矢張り拙い。赤坂の溜池とかへ表裝にやつたら、職人が粗忽をしたと見えて、乾かない所を刷毛で撫でたと見えて、紙上の墨が白い處へ薄く流れたと云つた。よく見ると左樣見えるが然し大した事はない。序に箱へ何か書いてくれと云ふから日々山中と書いた上に裏へ明治辛亥初夏漱石山人と認めた。是も注文である。まづい出來である。又序だと云つて唐紙へ靑山元不動白雲自去來と書けといふから書いた。二枚書いたが是は少々俗氣なく出來上つた。圓月は兩方取つて歸つた。原○圓月の話に近頃は(玉泉堂の番頭の話)短册が丸で賣れなくなつた。して見ると歌がはやらなして見ると歌がはやらな七二
七一二くなつたのだらう。其代り絹が大變賣れ出した。もとは東京中で絹を商ふうちが三軒で壹ヶ月の賣上高が千圓位だつたのに、今は十軒もあつて一萬圓も賣る。此間去る畫家の畫會があつた時は一日に絹が千枚賣れたさうである。晩に帝國劇場へ(文藝協會の案內で)ハムレツト劇を見に行く。四時からだけれども、虛子が來て謠を二番うたつたので遲くなつて、六時過になる。七時に食事のため三十分の幕間があつたので、ぶら〓〓してゐると、二階の玄關上で大塚と千葉掬香と、畔柳芥舟に會つた。千葉先生は葉卷をふかして、どうもあれぢや聲が徹らないから駄目だと云つて、私はカインツのを見たと云つてゐた。いつそ外國語學校の卒業生に原語でやらせたらとも云つてゐた。坪內さんは氣の毒だ。あんなに骨を折つて、あれ丈の事をしたが、それが全くの無理な勞力である。坪內さんがあんなに沙翁にはまり込まないうちに、注意して翻へさせるとよかつた。あれ〓原丈の人、あれ丈の金、あれ丈の時、と勞力、-あゝもつと有効が事がいくらでも出來る。氣の毒な事だ。あの連中は不入ならば世間が惡いと云ふだらう、一般の人が見なければ、それは無〓育だからと云ふだらう。失敗すれば自分が惡いとは思はないで、まだ劇の趣味が發達しない抔と云ふだらう。そんなものぢやない。あれが成功したら夫こそ趣味も何もない上調子のわい〓〓連ばかりで世間が出來てゐる事を證據立てるのである。あれが失敗すれば世間が分つてゐる證據である。理由は述べればあの人々に納得の行く樣に述べる事が出來る。坪內さんがあれ丈の事をし出す勢力がある丈それ文、坪内さんが人を誤まつたやうな氣がする。上にゐるものは眼が利かなくつては駄目だ。幾多の雜兵の命を奪つて、それで仕事をしとげたと思つてゐる。五月二十四日○昨夜十一時頃謠會から歸ると、純一が頭が痛いと云つて、氷を載せてゐる。時々痙攣があつて、腦膜炎の樣だとの事。醫者をどうしやうかと考へたが、樣子が少しいゝ樣だから見合せたのだと云ふ。心配でならないが寐た。朝起きると純一は鉢卷をして遊んでゐた。幼稚園でころんだとかさうして笑つたとか要領を得ない事を云つてゐる。○朝評議員會議に行く。初雷、驟雨至る。○米がひまをもらひ度といふ。どうするのかと思つたら、又もとの亭主と一所になるんだと云ふ。此亭主は向ふの駄菓子屋の裏に住んでゐる。米は千葉のもので嫁に行つた先の亭主が飮んだくれだといふので離緣をして、東京へ出て來て今の亭主の處へ片付いた處が、亭主が矢張呑だくれで、米の奉公をしてゐる時にためた五十圓と衣類を卷き上げて、其上打たり擲いたりひどい事をするので米はとう〓〓自分の家へ奉公に來て仕舞つた。すると亭主の方ではまだ何だ蚊だと云つて付七三
七一四け纒つてくる。米も此五十圓を取り還したいと云ふ未練がある。其内亭主の所へ女が來た。それが新らしい女房かと思ふと又今度は束髪のが來た。來たといふ通知があると又間もなく出て行つた。すると今度は米が元へ歸りたいと云ひ出した。原原の将ガス人権確定ヘ子其のチム人気りそんな方で今ないの業務の事是は柳町の富士屋に奉公をしてゐた處が富士屋がつぶれて又此方へ奉公替をしたのださうである。實はもつと早く來る筈の處給金のたまつたのを取つてからにしやうと思つて遲くなつたのださうである。所が今日の夕方富士屋から此女の貸を證文にして持つて來た。それが僞證文らしいとか何とか云つて、持つて來たものを物置へ連れて行つて色々話をしてゐた。〇五月二十五日豐田さんが來て純一に注射をする。第三號のヂフテリや血精、免疫千五〇〇。原○小林が來るから一所に散歩する。相變らずべら〓〓のべつに喋舌る。弟は下駄穿のまゝ華嚴へ飛び込んだのださうである。さうして瀧壺へでなく、瀧の中へ躍り込んだから、瀧と共に下るの原が一二間見えたさうである。大體は巖頭に立つと蒼くなつて顫へて、己を得ず瀧壺迄下りて行つて其所から飛び込むんだと云ふ。あるときは親子三人飛び込んだ。其時父は謠をうたひ、娘は舞をまひ、母は三味を彈いてから飛び込んだ。ある投身者の許嫁の女が女親と一所に來て、巖の上に坐つて、此所から飛び込んだのですかと聞いて二時間ばかり、動かなかつたと云ふ。先年宅にゐた伴男も華嚴へ飛び込む積で其所へ行つて茶屋へ休んでゐると、向ふ側から書生體の男が來て瀧の上で洋傘を置いて、袂から袋を出してそれを頭の上からすぽりと被つて、さうしてすぐ飛び込んだのを見て、怖くなつてすぐ引き返したさうである。○小宮の話に鈴木は結婚したと云ふ話である。余は丸で知らない。相手は例の平野屋の御常ださうである。御常といふ名を聞いて、愈かと思つた。何でも此前の水曜に三十間堀の富貴亭で結婚式をあげたんだと云ふ。丹羽とかいふ男が媒酌人だか、里親だか分らないものになつてゐるさうである。富貴亭は會席膳が一人前一圓ださうである安いものである。原○御梅さんの甲州にゐる叔父さんが結婚費用として十圓送つて來たといふ。妻はそれを簟笥の方原へ廻したと云つてゐる。簞笥は三方桐で十圓乃至七圓大變安いんだといふ。人足は一人車で夜具原と簀笥を積んで先方へ屆ける事にした。向ふでは祝儀の都合があるから何人だか知らしてくれと云ふから、さう極めて仕舞つた。先方の御母さんが、申の日だが何うでせうと云ふ。今迄ゐる宅を去るのだから丁度好いだらうと答へてとう〓〓さう極つたと云ふ。荷物は今夜出す筈である。原櫛に中ざしは御房さんと同じ卵甲だけれども大變安い、兼安で買つたのは十圓積であつたが、今原度のは三圓五十錢である、さうして見た所は同じである。平打の後ろざしは金卷繪に靑貝の蝶を出したものであつた。ち五
七六五月二十六日〇二十二日帝國座文藝協會のハムレツトへ招待〇二十四日會議〇二十五日大掃除〇二十六日〇二十七日御嫁の媒人原○兩國で電車を降りて馬喰町から左へ曲つて大丸の通から人形町の通へ出ると遠くに柳々が兩側に靑々と見えた。明治座の處から濱町の日本橋倶樂部の橫を這入つて細い洒落た家のある小路を原曲つたり折れたりしてどう〓〓河岸へ出たら橋の臺を鍊瓦で積んでゐた。柳橋を渡〔つて〕深川亭の所から瓦町へ出て須賀町から工業學校の前へ出ると記念祭の花火が上つた。藏前で鋏を買つ原て烟草を飮んで電車に乘つて歸る。原原原○晩に簟笥へ唐樣模樣の袋をかけて、車に積んで夫に夜具一包と、用簞笥と、針箱と鏡臺を添へて美添へ送る。車夫にはこつちからも向ふからも五十錢づゝやるんだと云ふ。八時過に御梅さんが長々御厄介になりまして、此度は又一方ならぬ御心配を掛けましてと云つて暇乞に來る。今夜は淺草へ行つて一晩留つてあす美添へ落ち合ふのである。方がわるいからだ針箱と鏡臺を添へと云ふ。五月二十七日(土曜)○夕方から御梅さんの媒酌人として御婿さんの所へ行く。西五軒町だから車で行けば大した道程ではない。こゝだと云はれて見ると表通りから細い通り否寧ろ路次に這入る。車がからうじて拔原けられる處である。其所の二軒目の小さん門の處に「美添」といふ標札があつた。つきあたりの格子戶を開けると、如何にも手狭でありさうに見える。沓脫に立つて一人が自由に身を動かす事さへ出來ない。美添さんはこゝに御母さんと、弟と妹と都合四人で住んでゐる。夫に御梅さんを加へると五人である。床を敷いたら寐る所もあるまいと思はれる。玄關の右が茶の間と見えるが、是は二疊か三疊ですぐ臺所につゞいてゐる。玄關の奥の座敷は六疊に過ぎない。其橫に三疊があるが唐紙で見えない。余と妻と筆はそこへ坐つて御母さんに挨拶をした。御母さんは色の黑い五十四五の女であつた。田舍もの見たやうな顏ではあるが、然し眼鼻だちは整つてゐる。其上言葉遣抔は極めて上品である。式は手狭だから裏でやると云ふ。裏といふのは今迄御父さんの存生中住んでゐた家で今度人に讓り渡したものである。建仁寺の間を拔けるとすぐ小さな庭へ出る。余と妻は一寸式をやる處を拜見と云つて、緣側からあがつた。汚ない古い家である。座敷が二つある。奧の方で式をやるの七七
七一八で次の方に婿、其前の三疊の方に嫁を控えさして、我々が兩方の部屋から出て差向ひに坐らして三々九度をやらせるのである。三疊は眞闇であつたが、御梅さんの持つて來た唐草の模樣の蔽を原かけた簟笥が半分見えた。下には赤い毛布が敷いてあつた。原原妻次の間に桃子が二つ黑塗の膳の上にのつてゐた。それに紙で折つた雌蝶雌蝶を結ひつける。はどつちが雄でどつちが雌だか分らないと云ふ。御母さんに聞くと私もこんなものを書いた本を仕舞なくしたものだから、と云つて、二つを竝べて見て、たしか此先の尖つた方が雌かと思ひま原すと云ふので、さう極つた。余は手傳つてそれを桃子に結びつけた。其部屋には晩の御馳走の口取が竝べてあつた。海老の赤(C)のときんとんが目についた。「おいおれは此所へ坐つて、此緣側から、美添を連れて出て、向ふむきに竝んで坐るんだね」「さうです美添さんと御梅さんが向き合ふ樣に」「合圖をしなくつちや何時出ていゝか分らない」「大丈夫です」「さうして筆は何所から出るんだ」原「筆は此襖をあけて、盃と御佛子を持つて御夫婦の間へ出るんです」筆はとくに此役の爲に庸はれたのである。原〇三人は又元の家へ歸つた。そこで御婿さんに合つて少し話をした。おもに圖書舘の話をした。向ふむきに竝んで坐るんだね」おもに圖書舘の話をした。(此路次は赤城の坂の下へ拔けられる、中には五十圓位の家賃のうちがある。廣い池がある。そ原れから三十圓位の貸家もある。其所には三四年前から博堵打が這入つてゐる。家賃はちつとも拂はない。夜中の二時か三時に女房抔が泣き込んで家には食ふものも着るものもない、歸つてくれと夫を伴れにくる。夫は今直歸るなどゝ云つてゐる。冬の寒い晩などはことに悲酸である。)○其內御嫁さんが見えたとか云ふので妻が立つて裏の例の暗い部屋に連れて行つた。余も御婿さんと例の口取の竝んでゐる部屋で待つてゐなければならない。御婿さんは何處へ行つたか分らない、狹いうちだからすぐ分る筈だが、一向影が見えない、獨りでのそ〓〓口取の處へ來ると、自轉車の置いてある妙な處から出て來た。此處へ坐るんだと〓へて、又少し話をした。御梅さんは妻に髮か何か直してもらつてゐた。○もう宜しう御座いますと筆が云つて來た。婿さんを連れて約束の通り緣側から座敷へ這入つて原四人が向ひ合せにすわる。筆が襖を開けて佛子を持つて來るべきのであるが、何時迄待つても靜まり返つてゐる。妻は仕方なしに及び腰をして襖の角をとん〓〓と敲いた。すると筆は襖を開け原てにや〓〓と笑つた。さうして〓つた通り嫁の前へ三寶と桃子を置いて叮嚀に頭を下げた。夫から盃へ酒を注いで、三々九度をやる度に都合九度御辭儀をした。一方の盃を濟まして一方へ持つて行く時に立つたびに、眞中につりランプが下つてゐて、夫が筆の頭に打つかつた。リボンが油でよごれる樣な氣がした。リボンは白茶の樣な色であつた。筆は其度にうす笑をした。七一九
七二〇○盃が濟んで元の座敷へ歸つて、夫婦の左右に余と妻がならんで向ふ側に御母さんと弟と妹が竝んで膳についた。親類の盃をする。妹は九位である。黑の紋付に袴をはいてゐた。弟は外國語學校の制服を着てゐた。かねて來るべく豫期された叔父さんが來ない、是は埼玉のいはつきとかの郡役所へ勤めてゐて、極めて忙がしい身體だから遲刻するかも知れないと云つた。(筆が活動寫原眞に行きたいから歸してくれと云つた。御母さんが强いてといふので飯を食ふ事にした)○御叔父さんの來たのは彼是九時近くであつたらう。「どうも用が片付かないで······と云譯をした。イワツキと云ふ所は太田道灌の城跡ださうで、うまく出來てゐると云ふ話であつた。舊幕時代原は大正といふ二萬石許の小大名の領地であつたさうである。大宮迄一里馬車で來て夫から滊車に乘るのださうである。五月二十八日○妻が昨日から月經があると云ひ出した。月經が三月にあつて、四五となかつたので或は懷姙ではなからうかと思つてゐた。實は四月に月經がとまつたと聞いて、おや又かと思つた。子供は七人ある。其上病院から出るとすぐ又一人殖える是ぢや遣り切れないと考へた。所が又月經がある原と聞いで夫では姙娠ぢやなかつたのかと思つて大いに突心した。原尤もいつもの樣に惡疽はちつともなく飯は平常の如く食つてゐたから不思議だと思つてゐた。○音樂會へ行かうかと思つて本郷へ行つて切符を買はうかと思つたが、みまつに切符を賣る樣子がないので、聞く氣にもならず、又電車で上野迄行つて山の手線に乘り換えた。日暮里、田端、巢鴨などを通つて新宿迄來て又甲武線へ乘換へて大久保で下りた。拔辨天の坂の途中の古道具屋に虎の二幅對があつて、其畫が氣に入つたので、越前守岸駒とあるのが本當か僞かは論ぜず、價を聞いて見る氣になつたからである。音樂會べ行く時妻に金をくれと云つたら「はい」と云つ原て十圓渡したので、又ひやかす氣が起つたのが、本で音樂會の方を己めてわざ〓〓山の手線へ乘り換へたやうなものである。所が停車場を降りて其所へ來て見ると岸駒の畫はもうなかつた。○朝は久し振で矢野義二郞が朝鮮から出て來て話をした。○夕方になると妻が急に下腹がつつ張ると云ひ出した。仕舞には腹の方迄突張ると云ふ。御產の輕いのをする樣な痛み方だと云ふ。中々落付さうもない、腰のあたりをさすつたり揉んだりしたが心配で不可ない。中島襄吉さんを賴む事にして、電話を山田さんの處で賴んで掛けると、中島さんは子供が病氣で來られない代診ならすぐ行くと云ふ。代診でいゝ惡いと云ふ議論が始まつた。妻は水原を呼んでくれと云ふ。けれども下女は代診でもいゝから直來てくれと賴んで仕舞つたといふ。夫ぢや兎に角それを待つて、其模樣で又外の人を呼ぶ事にしやうとなつた。時計を見てゐるが中々來ない、七二
thi十時過になつてくる。或は流產だらうと云ふ鑑定である。口元にあるのを器械で出してくれる。器械を金盥へ入れて煑沸さして、夫から藥をひたして、脫脂綿をひたして、治療にか〔ゝ〕つた。中々手間が入るので十一時半頃になつた。○診斷によれば流產に相違ない。危險もなからうけれども出血でもあつて氣分に變化があるやうなら呼んで吳れいつでも出るからと云ふ。此方も心配になつた。氷嚢や藥鑵に湯の用意をして置く。車屋にあと押をさせて藥をとりにやる。是は出血の豫防だから今夜飮んで置く方がいゝのださうである。起きてゐやうかと相談したら何寐てもいゝとの事だから、寐た。苦しくなつたら起してくれと賴んで寐た樣なものゝ、橫になると前後も知らず寐て、藥取の車夫が歸つたのも知らなかつた。あくる日眼がさめるかさめないうちに醫者が來た。仕方がないから、會はずに厠に入つて飯をくつてゐると、醫者は今日も手術をして、歸つた。玄關先で一寸逢つたら、自然の儘にして出るのを待つ方がいゝだらう、大しを事は御座いますまい、先生も其內上がるかも知れんが何しろ御子供が惡いものですからと云ふ。妻にきくと、血が出ないうちなら、流產にせずに濟んだのかも知れなかつたのだと醫者が云つたさうだ。-其言葉を聞いて、自分の作つたものを壞して仕舞つて濟まない樣な氣がした。又殘酷な事をしたと云ふ樣な氣もした。さうして姙娠でなくて先づ仕合せであつたと云ふ昨日の安心は何處かへ行つて仕舞つた。五月二十九日○三山來。中島襄吉さん、松尾氏、洗滌五月三十日○雨ふる。柿の花點々として落つ、あい子が傘をさして、しやがんで一生懸命に拾つてゐる○松尾氏來、洗滌、まだ少し殘つてゐるかも知れぬと云ふ。病人は平氣にて痛全くなし○雅樂演奏(合)の案內あり、六月三日五月三十一日○雨晴、透き通る樣な空なり、湯殿の擦硝子に昨夜の湯氣が露になつて凝り付いてゐる。下に蠅が一匹靜肅にとまつてゐる。硝子の缺けた隙間から樫の若葉が見える。其葉の茂つた間から靑空が見える。二つのあざやかな色が判然區別される。意識の明確になる朝である。○十一時頃御梅さんの母(實は母でもなんでもない)が來る。斯んなに御厄介にならうとは思ひませんでした。どうも何から何迄恐れ入りました。萬事私の方で致さなくてはならないのですがと挨拶をする。涙を拭いてゐる。LHIE
七二四六月一日木曜なので三重吉と小宮がひるのうちに來る。丁度「賴政」を謠ひかけてゐる所であつた。三重吉は先頃の結婚に就て、「どうも、とう〓〓何だか要領を得ない事を云つてゐる。大いに面目ない樣な樣子である。所がしばらくすると大變調子が變つて先生何か祝つて下さいと云ひ出した。「實はね、今のうちに押入の樣で唐紙の立たない所があるんで、大屋にね一體こゝには襖かなんぞあつても宜ささうなものぢやありませんかと云ふと大屋も成程さうだと云つて、大工原の所へさう云ひに行くと、大工が冗談云つちや不可ねえ、ありや簞笥を入れる所だ。あの男は田舍ぺえだから知らないんでさあと凹まされちまつたんですが、東京ぢや何ですね、簞笥を裝飾に原するんですね、-どうでせう簞笥を一つ奢つてくれませんか、何そんなに高かあありません十原原圓位で買へるでせう」。「簞笥は大き過ぎるから用簞笥位で負けとけ」「そらねぎつて來た。大きくつても構ひません、先生が脊負つて來ないでも人足を出しますから」「摺鉢とか箒とか云ふものぢや間に合はんか」「益下落しますね、あんまり下品でさあ」「末廣と云つて扇は目出度いものだが、夫ぢや一層扇を一對やらふか」「夏だから扇は結構かも知れない。澁團扇に火吹竹なんざあ洒落てますね」と云つて三重吉はしきりに落花生の砂糖の衣のかゝつた(6)を食つてゐる。「其內行幸を仰ぎたいもんですね」「うん何か謠つてやるよ」「どうぞ願ひます、かねての御約、束通り俊寛でも宜う御座います」話はやがて新らしい細君の上になつた。「どうも急に世帶じみた、昨日抔も月給を取つて君の所へ行つて歸りに腹が減つて蕎麥が食ひたくつて仕方がない。けれども自分一人で食つちや濟まん樣な氣がして。とう〓〓宅へ歸つた。九時頃。さうしたら御つねが飯を食はずに待つてゐたよ。けれども何にもなかつた。方々へ拂をしたら、とう〓〓米屋丈足りなくなつた。······あいつはね衣物は持つてゐる。帶は二十本位持つてゐる。おれの紙入に小遣のないのを氣にして、始終五圓位は入れて置くよ。御婆さんをよくするぜ」と頻りに小宮に話してゐた。まあ琴瑟和合といふものだらう。○晩に春吉がくる。君は酒を飮むかと聞いたら「えゝ飮ませれば飮みます、」菓子は?「菓子も原同じですな」「のん氣なんだらう」「えゝまあそんなものでせう」道龍樣のあとの原へ行つて、原珠なげをやると下宿の主人が出て營業妨害だといふ。すると向ふの方に住んでゐる畫師のおやぢも出て來て、自分のうちには子供がゐる。子供は未成品だ、是からどんなものになるか知れない、夫に怪我でもあつてはどの位國家の損だか分らない、失禮ながらボール抔をやる人は大抵人間が分つてゐると云つて小言を云ふさうである。輜重輸卒、春吉は日露戰爭のときに補助とか何とかいふ輸卒になつたさうである。になひに水を汲んだり、とろで物を運んだりしたうち二十五六貫ある破裂彈の箱を脊負つてあるいたが七三五
古三六是はころぶと危險だから歩けたのだらうと云ふ事であよく擔げたものだと自分で感心してゐた。つくる。六月二日○內田が來て書をかいてくれといふから書いた。かうやつて手習をしてゐるうちに旨くなるやうである。○七時過でもまだ少し空明りがある。牛込見付から市ケ谷の方を見ると外濠の電車の下の土手が靑く霧がかゝつたやうに見える。下の水は平であるが、不規則な處丈皺が寄つてちゞれた縮緬の樣になつて白く光線を反射してゐる。其平らな透明な中に長く火の柱の樣なものが寫つてゐる。それは濠端にある電燈の影であつた。其周圍には牛込の高臺の老木の若葉の陰が遠くから落ちてうすい影になつてゐる。影の盡きた所に空の影がより明るく見えるので樹の影であるといふ事が分る。眼の前は左右の柳がふさ〓〓と雨を含んで甲武線に通ふ橋下の道からは櫻の葉が眼を射つた。電車の燈が遙かに動いて去り、又向ふから動いて來る。奇麗な畫であつた。かうやつて手習をしてゐるうちに旨くなるやう六月三日○夜來の雨いまだ晴れず、陰。午頃に路略乾くやうな氣がする。拜啓陳者來六月三日雅樂稽古所に於て音樂演習相催候間同日午後一時より御來聽被下度候此段御案內申進候也明治四十四年五月樂部長宮地嚴夫夏目金之助殿と云ふ。招待狀を懷中に入れて家を出る。牛込御門內に着いたのは丁度一時五分前である。門內にはたゞ人力が二三臺ある丈である。正面の玄關で招待狀を示して、帽子と杖をあづけると、此方へと云ふから跟いて行くと左の突き當の部屋にフロツクを着た人が二三腰をかけて話してゐる。其部屋へ這入らないで、右に曲ると、金屏風が立てある間を拔けて、こちらへと椅子の竝んだ所を指し示される。其所は三間を長くつなげた細長い見所で丁度舞臺の正面にあたる所であつた。まだ人が五六しか來てゐない、前の列に紋付の女が三四人、一番後ろにカーキー色の軍服の士官が二人と外に五六人ゐる。尤も正面でない、左右の見所には澤山ゐた。元來舞臺の三方は見所と切れて雨も日も自由に屆く。其間は四五尺もあらう。それを直角に三方から取り卷いて見所としてゐる。向つて左の方には束髮の袴の女が澤山ゐた。是は學習院女子部に關係のある人たちだと後から聞いた。其隣りの仕切つた所には大槻文彥さんの顏が見えた。隣に十德を着た白髯の爺さんがゐたが、是は何だか知らない。右側の見所は高等師範とかきいたが是は見えなかつた。○舞臺の正面には赤黑の木綿幅位の切を竪につぎ合せた幕がかゝつてゐる。さうして其一行に妙十三七樂部長宮地嚴夫
七二八な紋が竪に竝んでゐる。あとで聞いたら織田信長の紋ださうである。信長が王室の式微を嘆いてどうとかしたと云ふ緣故から來たものださうである。其幕の上下は紫地に金の唐草の模樣ある緣で包んであつた。其前の眞中に太鼓がある。是は薄くて丸い枠のなかに這入つてゐて、中央に金原と綠と赤で丸い模樣がある。左りのはぢに火製斗位の大さの鐘是も枠に入つてゐる。琴が二、琵琶が二面其前は靑い毛氈で敷き詰めた舞ふ所である。見所には紫に白く菊を染め出た幕が張つてあつた。○何時の間にか傍に鍋島侯爵が來て誰かと何か話してゐる。今日は〓育會があるので來られない原と云ふのは細君の事なんだらう。つしいて坊主頭の丸々した眼の丸い小作りな處が獨島と話をしてゐる。是は後で皇太子妃殿下の兄にあたる九條公爵だと云ふ事を〓はつた。もう一人細君をつれて來た無髯の人(人品のあまりよくない男)は此等の人と話をしてゐたが、是は古谷久綱と云ふ故伊藤公の引立を受けた式部官であつた。細君の紋が曾我兄弟の紋なのが眼についた。あとであの細君はどこから來たときいたら慥か伊東元帥の娘だとか云ふ話であつた。伊東だからあゝ云ふ紋をつけるのだらう。高崎正風と云ふ御歌所の長も見えた。山口圖書頭の顏は知つてゐた。頭がすつかり禿げた、沙翁の寫眞G-樣である。高橋順太郞? (醫科の)文科の漢學の御爺さん(名前が出て來ない)、宮內次官の河村金五郞(是は二十餘年前大學のボートレースで顏丈知つてゐる)坪內博士夫婦?○やがて樂人が出た。みんな烏帽子をかぶつて直垂といふ樣なものをきてゐる其半分は朱の勝つた茶で、半分は紫の混つた茶である。三臺鹽と云ふ曲と、嘉辰といふ朗詠をやる。夫が過ぎて舞樂になる。始めには例として振鉾をやる。其時の樂人の出立は悉く鳥兜と云ふのだら〔う〕妙な原ものを被つて、錦で作つた上下の上の鯨の骨の入らないやうなものをきて、白の先で幅三寸位の赤い絹のついた袖をつけて、白い括り袴で胡坐をかく頗る雅である。鉾をもつたものは一人左の帳の影からでる筒袖の先を括つた上に矢張りチやン〓〓の樣なものを着てゐる。夫が舞ひ已んで、此度は右から又一人出て夫で御仕舞である。○次には「春庭花」是は四人冠をつけて其冠に梅の花を插んで出る。薄茶の紗の樣な袖の廣い上衣に丸い五色の模樣の紋を胸やら袖やらに着けてゐて、片肌を脫いで白い衣と、袖のさきの赤い緣をあらはしてゐる。帶の垂れた所に紫の色が見える。黃金作りGO)太刀を佩いてゐる。ヅボンは白である。四人が四人調子を揃えて如何にも閑雅に舞ふのである。足の踏方手ののばし方優長な體操である。○次は敷手である。樂人の服裝は悉くあらたまる。けれどもカツトは前と同じなり。舞手は薄納戶の紗に例の五色の模樣、模樣は胸に一つ左右の袂に一つ、股の前に一つ、尻に一つ、脊に一つあり、○拔頭、毒々しい天狗の樣な面をつけて出る。袖口を括つた朱色の衣、褪赤地に唐にしきの樣な毒々しい天狗の樣な面をつけて出る。袖口を括つた朱色の衣、褪赤地に唐にしきの樣な七二九
七三〇模樣の二つ三つあるチヤン〓〓、肩から胴、上膝〔の〕所迄同じ幅で垂れてゐる。さうして緣に原細い房の幾重にもなつたものをつける。あたまは綿の頭巾の樣なもの、坊主が因導を渡す時の恰好のもの、ヅボンは錦なり、凡てが丸で錦の獵人也○還城樂は服裝は略同じ、面は矢張眞赤なれど飄逸の趣あり、團子鼻、金蛇を持つて喜んで躍る。○蘇志摩利、珍らしきものゝ由、靑い簑の樣なもの、をばら〓〓に着て、腰に靑い笠をぶら下げて四人出てくる。中頃から腰の笠をかぶつて舞ふ。原○御茶を上げますと云ふから、別室に行つて狹い處を紅茶を飮み、咖啡色のカステラと、チヨコレートを一つ食ふ。サンドヰツチは食はず、喫烟室で煙草を吸つてゐると、東儀氏が誰かと話してゐる。東儀はやがて去る。「とう〓〓-を罷めて役者になつたさうだ」「儲かるのかね」えゝ儲かるんだらう」「大變なものになつたね」「此間ハム〔レ〕ツトとかを演ると云ふ事が新聞に出てゐたがあの方なのですか」「えゝさうださうです」原岩倉掌典長と九條公爵と萬で小路の三貴族の間にこんな談話が交換されてゐた。咖啡色のカステラと、チヨコ東儀はやがて去る。六月四日○快晴、急にあつくなる。フラネルの下に薄い襯衣を着てゐて、坐つてゐると少し堪えがたい○六月五日○暑昨日と同じ北側の緣に出て、籐椅子に寐て、ノイエ·ルンドシヤウを見る。地面が濕つて滑原かで實に好い氣持で英國などでは千金を出してもこんな色と肌色の地面は手に入らない。萩は柔かく伸びて二尺位になつた。其隣りの薄も細い葉を左右前後にひろげた。紫陽花は透る樣な葉を原日に照らしてゐる。猫の墓標は雨で字がかすかに殘るやうになつた。前に白い小さな茶碗が具へてある。其前に生けた竹筒の口だけが見える。中から薄紫の花の色が出てゐる。小供が東菊を插したのだらう。靜かな眠つた空氣であつた、(少し曇つてゐたから)其中でカン〓〓と云ふ、鐵を打つ音がする。(昨夜宗參寺の門前を通行したら新らしく往來に堀り上げた土の底が幽かな火に照らされてゐた、穴の中に蠟燭が立つてゐた、向ふに提灯を點けて、三四人がアン井ルの上で鐵を打つてゐた。大きな鐵の火鉢もあつた。)大方昨夜の工事のつゞきだらうと思つて聞いてゐた。原○一週間前に黑い猫をもらつて來た。是は飄げた顏をした怪物であつた。貰つた夜はえひ子とあい子をひつかいて寐かさなかつたと云ふ。次の夜は妻の夜具の上へ糞をした。其次の夜はゲツゲ七三一
七三二ツと云つて何か吐いた。又其次の日はあい子が猫の糞をつかんで泣き出した。今日は朝からオルガンGS)後ろへ這入て仕舞つた。さうして泡の樣なものを吐く、尻からは寒天の樣な粘液を出す。柳町の醫者の所へ連れて行つたら小さいのに無暗に硬いものを食はしたからだと云つた。牛乳以外に何にも食はしてはいけないと云つて藥をくれた。診察料と藥で四十錢、下女は足りないから又來ますと云つて歸つて來た。藥を飮んだら元氣になつて其日の夕方から疊で爪を磨ぎ出した。○Natural dwelling lor. passengerと書いて障子に張つてあるのに驚いて軒燈を見ると、朱で天然居と書いてある。勝手口の障子には天然居勝手口也と貼りつけてある。格子の上を見ると支那人の名刺が五六枚貼つてあつた。○目白に行つて麥の正に黃なるを見た。六月七日○新の所へ行つて隅田川の語りを習ふ。藤野老人が近頃出京して新の家に居て新版の謠本の校正をしてゐた。老人が酒と碁は上達しないといふ話の序に勝負事の談になつて、雨敬の花をひいた事を話した。雨敬とか澁澤とかいふ連中が花を引くと二日も徹夜をする。無論さう云ふ席へは人を入れないが、藤野老人の知つてゐる某といふ男は近い關係からそんな所へ出入りをして、急用のあるときは一寸と云つて室外へ呼び出して用を辨じた。元來此等の人は所謂紳商だから金持に違ないが、千以上負けると「むき」になつて、いきり出してくる。さうして話があつて呼び出しても頭が整はない爲に一向纏まりがつかない。然るに雨敬のみは神色自若たるものでいつ呼び出しても其席で平然として平常の如くに用を辨ずる。是が彼の他と異つた所であると、藤野老人は雨敬との關係で〇〇家が甲武鐵道の株をあんなに買つたのだと話してゐた。藤野老人は昔の留守居役であつたので、始終御馳走の席などへ出たが、其頃は客十人に就て盃が四つ位と云ふ割で一人が一つ宛は盃を有つてゐなかつた。其所で主人役はいつでも盃をもらつて歩かなければならない。酒が呑めないで役も勤まるまいと思ふ位苦しんだと云つてゐた○德田秋江が來て姦通事件の話をする。小說の樣に面白かつた。御增と岡田、秋江の淋病、關口臺町から喜久井町、增の姊の亭主文吉、文吉の家で團扇を見て、日光の宿屋へ行つて一軒々々去年の宿帳を調べてあるく事、神山旅舘に、岡田某同增と書いてあつた事、文吉との談判、神田の家具屋の齋藤と云ふ所に妾奉公をしてゐるといふ嘘、御增の實兄の女房の兄の三百代言、向ふの利害を代表して來て、秋江の味方になつて、岡山へ岡田をゆすりに行かうと云ふ相談、德田の岡山行、女の東京へ歸り、德田が後から歸ると女はもうゐなくなつてゐる。○伊藤長七君來、愈長野の〓育會へ出席の事を諾す七三三
士三四原五月八日○結城素明と森圓月と來て、繪と書を交換す。素明の話に、大阪に森一鳳といふ繪家がゐて、あるとき雨が降つてゐる藻刈舟を畫いたら、人が續々賴みに來る。仕舞には藻刈舟に飽きて外のものを畫いたら氣に入らなかつた。是は藻を刈る一鳳(儲かる一方)と云ふ謎なのであるさうである。近頃美術院派の畫家に梅村(倍損)と云ふのがあつて、ちつとも流行らなかつた。其弟には櫻村(大損)と云ふのがゐて猶流行らなかつた。とう〓〓名前を易へて仕舞つたさうである○同素明の話に、文晁時代には席畫を二三度かくと一年の生計があつた。是は御大名が御客をする餘興に畫家が出て席畫をかく大抵はうちから畫いて行く位形式的なものであつた。すると其御客が三十人ゐるとすれば三十枚かゝなければならないが、是は歸つて約一年のうちにかく。さうして其料は主人側の大名から取るのださうである。さうして文晁にはこんな席畫が毎日のやうにあつたさうである。六月九日○本多來○早稻田鶴卷町から關口へ出て土手傳に細川家の裏から砂利場へ出て、學習院の裏を落合に出て、高田停車場から歸る。×關口で瀧の上のちよろ〓〓流を小供が跣足で渉つて遊んでゐる。出來る。×田は鋤き返して苗代三寸許り、畔に靑草、ふに靑い高い土手、其上を電車が通る、原×アーチの赤鍊瓦、鐵橋、〓麥刈り入れ、×芋の芽一寸左側の田圃に水菓子屋氷屋抔遠く望めば靑々としてゐる、學習院の裏へ出ると向六月十日○會議に出る。森田の小說不評判、半ば辯護、半ば同意して歸る、○昨日は帝國座で高麗連の惣見があつた。例の御種さんが藤間の關係から切符を持つて來て、奧さんどうぞ入らしつて下さいと云ふ。少し都合が惡いからと斷はると、夫でも受取つた切符は(十五枚とか)向ふへ返す事が出來ないのだから是非と云ふ。賣れる丈賣つて、餘りを向へ返すのは當前の事である。始めから師弟の關係を緊張して、是丈は賣れても賣れなくても御前の擔任だと捌けぬ前から押し付けがましく不當の義務を脊負せるのは馬鹿氣てゐる。不埒な藝人根性か七三五
七三六ら出た厭な點だから妻に斷はらした。聞けば芝居が濟んでから電車を待つ間に七人連でカフエープランタンへ行つたさうである。其中には秋聲と田村とし子が居た。さうして勘定は小宮が拂つたのださうである六月十一日○昨日から大相撲。原○午少し前中村是公がくる。薄茶色の雨コートを來て丸でオツトセーの御化けの樣ななりをして玄關に立つてゐた。飯を食ふと云ふから牛を取つて牛鍋で飯を食ふ。柳生の所から廻つて來たと云ふ。是から山口宗義の處へ行つて、四時に家へ歸つて夫から四時半頃帝國座へ行くんだといふ。膠州灣の總督のトロツペルとか云ふ男が日本へ來て芝居を見たいといふから案內をするのだと云○傘を持つて散歩に出る。の勝負だらう。番町富士見町を足駄であるく。夕方の號外を方々で賣つてゐる。相撲六月十二日○今日から入梅だと云ふ。陰。東の空煤烟に鎖されたるが如し。○昨日妻が長野へ喰つ付いて行くと云ひ出して聞かない。○鈴木さんの所で男の三一毛猫が四匹生れたので是が大きくなると、だと喜んでゐるうちに二疋は病氣で死んで仕舞つた。一匹五百圓合せて四五二千圓六月十三日○昨夕、鈴木が醉ばらつてくる。白縮緬の半襟に薩摩絣、茶の千筋の袴へ透綾の羽織をきて丸で傘屋の主人が町內の葬式に立つて、懷に强飯の折でも入れてゐさうである。是は此間泥棒に洋服をすつかり取られた爲である。森田が氣の毒がつて自分の質に入れてあるのをやるから、出せと云ふが、出すには利を入れて五圓許り要る。其金がないから結婚祝の十圓許の品物を五圓に負けるから現金で吳れといふ。夫は羽織が可笑しいのだからおれの紹の古いのをやるから夫を着て間に合せろと云つたら、どうも紋が違ふから四五日はいゝが長くは困ると云ふ。とう〓〓五圓取られる。〇〇〇に〇〇〇〇とかいふ代議士がゐる。其弟に○とかいふ男が一一百萬の財產があつて、金持でない器量はどうでも出の惡くないものを嫁にもらひたいとか云つて、妻の末の妹をどうかと云ふ原相談があつた。丁度〇〇が來たから〇〇町に○○といふのがあるかと聞くと、「えゝあのおやぢは何でももとは犬殺しをした樣に云はれます、警察の代書をやつて、夫から〇〇〇〇〇〇を起し七三七
七三八たまあもぐりの樣なものです、何で二百萬あるものですか、〇〇町邊はみんな自分の地所だつて好い加減な事を云つてらあ、あの○はわたしが小僧のときから遊んだ奴です、人間はわるくはありませんが、まあ道樂息子で、かゝあ何か養ふ力はありません、國の中學や何かを落第して、高等商業なにかにゐるものですか、まあ然し緣ですからよく人に聞いて御覽なさいまし。○昨夕下女の時が妻に話すのを聞けば「あの奧樣支那人の言葉は少しは分りますね」「さうかい、分るつて何んな言葉が」「でも反物を買つて下さいつて云つて來るのを、○○が入らないよと云ふと、夫でも見るだけ、まあ見て下さいと云ひましたよ」「夫や御前支那語ぢやない、日本語ぢやないか」「でも丸つきり分らないと思つたら少しは分るんですもの、可笑しいぢや御座いませんか」「夫やいくら支那人だつて日本語を使やあ分る筈だあね」○あい子云ふ「あのね幼稚園にゐる支那人は提灯胴と云ふ名なのよ」○昨日露國のポポフと云ふ男、神學校長瀨沼氏と共に來る。此人は日本の文學を〓究したいと云ふ志望のよし、浦鹽の東洋語學校の三年生で、今度卒業論文に余のかいた何かを中心にして論じたいと云ふのださうである。卒業の上は日本へ來て文學〓究をやる積ださうである。「門」をやる。六月十四日○昨夕紀尾井町を散步。歸りに牛込見附迄來て、西の空を見るとどす黑い雲が一面にひろがつて、それが半圓を描いて次第に薄くなつてゐる。中心の所は甚だ濃い、稻妻がさす。神樂坂へ來ると、人が馳け出す。手を出して見ると、雨が一二滴あたつた。植木屋露店悉く荷をしまひかける。寺町で早稻田歸りの車にのる。車を往來に卸して烟草を呑んでゐた。やがてきせるを仕舞つて、どうです參りませうかと云ふから、辨天町迄いくらと云ふと十二錢やつて下さいといふ。乘るとき原橋の上だと云つたら夏目さんでしたねといふ。うちへく坂の所から降り出す、家へ這入ると凄ま原じい雨が音がし出した。○神田駿河臺散步、淡路町の裏を無暗に通つたら御神樂をしてゐた。馬鹿が二人で何か手眞似で話してゐる。そばの二階でそれを見下してゐる。かみの縮れた美人がゐた。○朝のうちは長野の講演會でやる講演の腹案を纒めてドラフトにする。○妻が昨日歌舞伎座の鶉の四か五を注文してゐたのを鈴木が急に朝鮮に歸るので斷つて來たから、斷はりに山田へ行く。○晩に坂元がくる。坂元は文藝委員會の書記見たやうなものをやつてゐる。委員會の話などをやる。「杜若」を一番謠ふ。委員會の話などをや六月十五日七三九
七四〇、○朝內田榮造がきて短册をかいてくれといふ。書いてやる。先生私の耳は動きますといふ。成程動く。左右同時に同樣に動く。小供のとき小學校で叱られて腹を立てゝ齒を喰ひしばつて見たら、何だか妙だから鏡へ向いて見たら耳が動いた。夫が始めだらうと云ふ。○小林郁來、又短册をかゝせられる。○小宮來○小林修次郞來又短册をかゝせられる○神崎恒子來○關〓瀾がきて扇子へ書いてくれといふ○夜鈴木春吉來○春吉が北海道へ測量に行つた話(三十二年頃)をする。○熊笹が高さ二丈位に一面生に生えてゐる。夫を刈つて見通すやうにして進む、朝起きて見るとマムシが日向にとぐろを捲いてゐる。それを遠くから棒で押えて、逃がさないやうにして、傍へ寄つてみんなで打ち殺して仕舞ふ。それを臟腑を拔いて火に燒いて鹽をつけて食つた。味は肉と魚の間の樣に覺えてゐる。(蛇は糞をするか、卵を何處から生むかと聞いたら知らないと云つた。)○あらゆる茸を食つた。ます茸と云ふのは廣葢程大きい、蒲鉾の樣だつた。月見茸といふのは抱ます茸と云ふのは廣葢程大きい、蒲鉾の樣だつた。月見茸といふのは抱へる程大きい(是は食はない)鼠茸といふのは三つ葉の根の樣である。○大きな傘の中へ葡萄を一杯入れて來て食ふ。舌が荒れて弱つた。○澤へ蚊帳を持つて行つて川魚(〇〇〇)を捕つた。蚊帳が臭くなる。〇一週間絕食をした。是は人足が村へ米を取りに行つたあとで雨が降つて、澤の水がまして澤傳ひに歸れなくなつたからである。仕舞には夜だか晝だか分らなくなつた。夫でも便はある小便も原原○山にはくほ蜂ほどのあぶが居る。夫からだにがゐる。それがからだに食ひ入つて手で障つた位では落ちない。あぶは群をなす。帽子から白布をさげて眼の所だけあける。○熊にあつた。夜テントの外で焚火へあたつてゐたら、がさ〓〓出て來た。曲角などで出逢ふ恐れがあるときは騒いで行く。○大風にあつて、芒原から三抱もある樹の竝んでゐる所へ逃げ込んだら、樹の幹が風に搖られて根が動くので丸で地震の樣にからだがゆすぶれた。○大木を片方から鋸で引き片方から斧を入れて倒す。丁度自分の方へ半分程切つてまだ大丈夫と原原思ふ樹が倒れた。幸ひ首丈ばあとへ引いて尻持を突いたら膝は凹地で少し倒れた木と間があつて助かつた。樹の幹が風に搖られて六月十六日七四一
七四二十二時に寐る。○南明倶樂部にて謠會あり、藤野老人の謠をきく。十一時過歸る。夫が門を敲く、玉屋が門をたゝく。三時頃から五時半迄寐る微雨至る。車六月十七日○愈細君の同行にて長野行○王子の先のしそ畠、紫色、長さ二三寸○田を堀り返す。苗代三寸許、田植をしてゐるのもある。もう濟んだのもある。○一等列車は高崎迄しかなし。列車ボイも食堂もなし。原○浦和の先に來て大きな停車停についたら、大宮であつた。辨當を賣つてゐる。向ふ側に實業の日本を讀んでゐた、銀緣眼鏡のつめ襟のハンチングの人が是から先はいけませんよと云ふ、高崎にもあるが落ちますといふので、とう〓〓買ふ。二個五十錢原○ふと好い香がするから向を見ると、ハンチングの隣に東洋人だかニホン人だか分らない、腹の非常に肥つた男が葉卷をくゆらしてゐた。是は大宮からのそりと這入つて來た男である。○前の眼鏡の人の眼鏡が鼻をはづれてゐる。それを平氣で實業の日本を讀んでゐる。○鐵道の御役人らしい人が浦和附近で朝日の一頁をかしてくれた。己のを借りて返したのだと思つたらさうではなかつた。此人は上野を出るときか〔ら〕朝日を讀んでわらび、浦和、大宮ときもう濟んだのもある。腹のてもまだ眼を放さなかつた。漸く桶川邊でやめた。○高崎で山が見える。段々高くなる。橫川といふ驛に碓氷嶺一里とあつた。原○トン子ルヲ十程拔けて熊の平といふ停車停前後ともトン子ルの中の小さな驛である。汽車は何の爲に停るにや下りて見ると汽罐に水を入れる爲なり、よくこんな高い所で供水の便があると思ふ。汽罐車は眞中に一つ、後ろに一つ、なり、○トン子ル二十六を出ると輕井澤なり、プラツトフオームを逍遙して列車に歸ると、フロツクコートを着たまがひパナマを被つた男が夏目先生は御出でありませんかと云ふ私ですといふと、私は長野縣の〓育會から命ぜられて先生をこゝで御迎をして長野迄御連れ申すものでありますとい汽車は何よくこんな高い所で供水の便があると思ふ。汽罐車は○すると今這入つて來た洋服の土方の親方とも云ふべき見えの男が夏目君僕は野田だ(高等學校時代に居つた)といふ。成程よく見ると野田である。長野の土木技師をしてゐる。あれが淺間で、あれが何と一々說明をする。前の男は北佐久小諸小學校長田中直次君である。から松と雨敬の關係、桂公の別莊、あやめさくと(一七)しほらしいと云ふ歌、布引觀音、姥捨山、牛に引かれて善光寺參り。妻女山、茶臼山、あんずの樹、其他を說明す。○長野にて師範學校長以下の出迎をうく。犀北舘といふのにとまる。七四三
七四四○夜色々な人の訪問をうく。○森成さんが高田から迎ひにくる。六月十八日○善光寺境内向つて右池に河骨、蓮、菖蒲、文人畫理想の松ある處、小庵あり看板に曰く元祖藤原原原八骨指南所三代目玉廼谷一爲。蛙しきりに鳴く。聲聲聞ゆ。主人は坊主で妻君らしき人と暗い部屋で活花を眺めてゐた。前に黑白ぶちの小さい耳の尖つた日本犬が寐てゐた○常照坊常明坊の石段の上の左の處で浴衣の丸髷の女が御薩の丸揚を食つてゐ〔た〕。○石道四間幅左右柳松柏抔○入口に名物生蕎麥かどの大丸○十時半頃から議事堂で講演十二時過旅宿に歸る。二時十分の汽車で立つ。薄謝といふ包をくれる。奧さんの分も拂ふから宿は其儘といふ拂はないで出る。高田迄の切符上等を二枚くれる。○妙高山の頂きに雪の筋が見える。○麥黄、植付すむ。○五時過高田着、一筋に細長い町なり。森成さんの家につく。家の構造、裏は川、畠、○六時半柳絲〓にて夕飯。中學校長、師範校長、農學校長、高田新聞二名、高田日報二、離れ座離れ座敷、前に泉水築山、雨蕭々、蛙鳴く。〇六月十九日原○中學校にて講演天天體操場、上から生徒の顏を見ると、玉子の行列の如し。何もいふ事なくして困る。雨大至聲聞えず〇十一時五十九分の汽車で雨を冒して直江津に至る。雨漸く晴。五智に行く。わくら樓、原○樓の作り。長庇し、土緣、內庭のはづれに戶を立てる。十疊の三間つゞき。高麗緣。床稼穡の圖米俵、垣、柳下の子守、馬をひいて行く人。額煙波浩蕩松方伯。庇の外の藤棚半庇の上にかぶる。屏風銀地○右のはづれ、彌彥。左に能登の鼻、向に佐渡CP○庭前柴垣。砂山つゞき。汀に砂磧に船點々。原○內庭の端に手水鉢葉蘭、石露、紫陽花(3)○屏風、詩佛、鵬齋、蕪村の嵐雪、巢兆春琴の菊竹、竹谷の蘭、文晁の富士○〓津の石油礦業事務室。がけ緣、破椅子四脚、硝子窓から見える波、中の角火鉢、テーブルの原上から電報用紙がぶら下る。縞の縮の襯衣をきた。事務員らしき人が崖傳ひに海岸へ下りる。井戶の深三百間鐵繩の上下に七分を費やす。どろをしやくつてゐた。上から生徒の顏を見ると、玉子の行列の如し。何もいふ事なくし古ニュー
七四六○テーブル。傍「白米の通片田鑛場御中」○國分寺稱武帝の建立といふ立札あり、傍に鏡が池の舊跡あり、○わぐら樓にて一寸午睡し、湯に入る。醬油通春日組片田事務御中大いなる本堂に五智如來を安ず、親鸞謫居の迹あり、湯に入る。快。六時二十五分の汽車で高田へ歸る。三等列車丈なり六月二十日○八時出發田川、菊池、高田日報主幹送る。松本にて下車天主閣を見る。鹽尻峠の隧道。原姨捨山、長野で諏訪の守屋氏出迎ふ。田毎の月、○六月二十一日朝七時頃出て、下社春の宮、秋の宮へ行く。潮水の緣に沿ふて車を走らす、水と道の間に植付の濟んだ許の靑田あり、其間に土を殘して小さい樹を植う。林檎らし。小さい實に袋をかぶせてゐる。波平。歸途は春の樣な心地、藻刈船。對岸の山、色が斑らに變化、其下の人家、○家の前を水が流れる。水をとめて槽を作り其內に魚を飼つてゐるのもある。鍋の葢が一つ浮いてゐるのもある。秋の宮へ行く。水をとめて槽を作り其內に魚を飼つてゐるのもある。鍋の葢が一つ浮い○中庭が表から透いて見える田舍の料理屋もある。○きたない家の二階に胃活の看板がかゝつて、屋根の上に古手拭の鉢卷をした男がつくろひをしてゐる。○下社の四方に一ノ御柱(五丈五尺)二ノ御柱(五丈)三ノ御柱(四丈五尺)四の御柱(四丈)の柱を立つ。七年目とか云ふ。春の宮へは二月一日、秋の宮へは八月一日に移る。鳥居から丸石を敷いた道をだら〓〓に上る。萱葺の素樸な宮なり。杉の森。〇六月二十八日一昨夕散步から歸るとどつと降り出して、昨日は終日の雨に風が加はる。が音を立てゝ飛ぶ。午後四時から美學〓究會へ出て講演をする筈であるが、れゝば好いと思ふ。〇三四日前(長野から歸つた翌日か)寺田が歸朝した。御土產をくれた。プローチを妻に、四本のリボンを娘に、ミユージカルボツクスを純一に。○同じく三四日前に津田靑楓と杉本正生がくる。○昨日ベルグソンを讀み出して「數」の篇に至つたら六づかしいが面白い、日は講演の頭をとゝのへる都合があつて見合せる。今日は怪しい空に風少し穩かになつてく金のリンクスを余に、もつと讀みたいが今七四七
古典歸りに夜八時半頃本〓で寺田の宿を尋ねる。○車で大學御殿迄行つて講演をやる。風烈し幸に雨は歇んでゐた。十時過歸る。六月二十九日○朝雨がどう〓〓と降る。豪壯のうちに凄然の氣色なり。午頃小降になる。謠會へ行く。中野武營。中野岩太、細川侯爵等を御客にしての霞寶會なり。て歸る。入違に寺田が來たよし。晩に小宮と岡田がくる。原車で神田の南瞑舘へ實盛と草紙洗を聞い六月三十日○朝雨がまたどう〓〓と降る。新聞を見ると大分水が出る。新聞が濡れてゐる。七月一日○終日雨。晦冥。じめ〓〓して堪へがたし。○飯田のため大阪へ電報をかける○ベルグソンの「時間」と「空間」の論をよむ○夕方少し雨やむ。門を出づ。薄墨の空の雲はやく走る中に仄かに靑きもの見ゆ。明日晴かと云ふ氣も起つた。ゐる船河原橋の下で大勢四つ手を卸してゐる。それを土左でも見る樣に人がたかつて七月二日○晦冥益甚し。牛込御門行を見合せて宅にゐる。七月三日○相變らずの雨にてくさ〓〓する。踏むもの觸るゝもの悉くじめ〓〓して心地惡し。二時頃寺田がくる。第五の出身者が五六人精養軒で飯を食ふから出ないかと云ふ。雨では恐れるがと思つたが思ひ切つて出る事にした。江戶川終點へ出る間の道の惡さ加減はまことに言語に絕してゐる。仕舞に腹が立つ。然し土を鑑賞する事が出來たら此位美的な土はあるまい。フアインで粘り氣が原あつて柔かで申し分がない。是をはき寄せて、タンクを作つて壁土に利用したら通行者にも經濟にもなるだらうと云ふ事を寺田が申し出た。歸りには豪雨の御蔭で此どろが悉く流れてゐた。○精養軒では久し振りに木下理學博士、田丸博士、石崎所長、內丸助〓授、野並專賣局技師と寺田と余と落ち合つた。食後木下が余から叱られた話をする。懷舊談が多かつた。九時過出る。寺田が江戶川迄送つてくる。(木下云ふ病氣の時見舞ふと思つたが、昔し叱られた事を思ひ出すと古典
七五〇恐くて行く氣がしなかつた)七月四日○雨が依然として堂々と降る。今日は九段に夜能があるから見ないかと野上から誘はれた。此雨は音丈聞いてゐても凄まじい。七月八日○暑甚し。風吹く。午後より烈風。晩方散步。店を半分閉ぢたる處あり。往來で人の帽子を飛ばしたものに逢ふ事數囘。たちどまつて風の過ぐるを待つもの澤山あり。風の音ひゆ〓〓と鳴る。此日日比谷公園に萬朝所催の電車市有反對の市民大會あり。歸りに電柱に號外の張出あり。○神樂坂の演藝舘の看板に早川辰燕とか云ふ浪花節の口上に「昨年六月より滿韓巡業の處本年六月に至り長男○○早稻田大學在學中靑山腦病院にて死去の報に接し悲哀と親愛にて感慨登壇諸君の同情と割愛を煩はすと云爾」○寺田來。ビールを飮む。明後日國へ歸るといふ。七月九日○晴天。暑甚し。晩方水道町から神樂坂を散步。榎町の角の倉田屋の隣の提灯屋が纒ひを書いて上下に熨斗を散らして、眞中を藍に塗つて、其處へ銀で棒を引いてゐた。天井には岐阜提灯が澤山ぶら下つてゐた。原○神坂坂に蟲屋が荷を出してゐた。長さ一間位の荷の上を屋根の樣にして前に暖簾をかけてゐる。黑い中に白で字が染め出してある。眞中に山の下へ越の字其左右に蟲の名が竝べてある。松蟲、鈴蟲、轡蟲······中には籠が一杯ある。扇の形、舟の形鳥籠の形、紫のひもで括つたものや、緋の紐で結ひたもの、夫から家の形に出來たもの、蟲屋は其下に腰を掛けてゐる。殆んど足を動かす事さへ出來ない。七月十日晴。暑甚。朝社の會議に行く。歸つて長椅子の上でぼんやりしてゐた。五時頃車で安倍の家へ行く夫からケーベル先生の宅へ行く。御茶の水で電車を降りて先生の家の前迄來ると、高い二階の窓から先生の頭が出てゐる。烟草の烟りが見える。入口で安倍が久保君々々々と云ふ。久保君は海軍中尉であつたが軍人をやめて大學へ來て哲學を〓究してゐる。久保君が二階へ上つて行くと、先生が高い處から降りて來た。ミスターナツメ、アイアムグラツドツ」シノユーと云ふ。階子段の下で握手をして二階へ上る。先生の書齋は大きなテーブルがあつて本があ七五
七五二つて古い椅子が二三脚ある。頗る古びてゐる。少しも雅な所も華奢な所もない。たゞ荒凉の感がある。先生は縮のシヤツにケンドンの上衣をきた丈である。襟さへ着けてゐなかつた。「君が盛裝してゐるのに私はこんななりで」と云はれた。○「ハーン」の話アブノーマル○「ウード」の話原○昔しケーベル先生の處へ行つて置いてもらへと牧卷から云はれた話、〇十八年日本にゐるといふ話、失望ハシナイ、大ナル豫期を持つて來なかつたからと云ふ話○圖書舘とコンサートと芝居がなくて日本は困る丈だと云ふ話○日暮が庭の樹に鳴く話日暮が好だと云ふ話トカゲが美くしいと云ふ話○ロシヤ人には日本人によく似た顏があるといふ話。三十年前の寫眞原○鳥が凍へ死んだ話下の食堂に行く白布がない。四人一方に一人づゝ坐る。何を飮むジン、ブランデー?と聞かれる。余は葡萄酒とビールを飮んだ。○梟が好きだと云ふ話蝙蝠が好きだと云ふ話。羽はデ井ルの羽だ。○椿がきらひの話。菊は紙造りの樣だと云ふ話、リヽーオフゼヴレーの好きな話。何を飮むジン、ブランデー?と聞かれリヽーオフゼヴレーの好きな話。○日本の果物は林檎丈食へる。他は駄目だと云ふ話○今から百年したら日本にオペラが出來るだらうと云ふ話。原○日本で音樂家の資格あるものは幸田だけだ。尤もピやニストと云ふ意味ではない。たゞ音樂家と云ふ丈だ。日本人は指丈で彈くからだめだ。頭がないから駄目だ。○自分が音樂をやるといふ事は日本へ來たら誰にも知らせない筈だつた。處がどうしてかそれが知れた。然しもう近頃は斷然どこへも出ない事に極めた。自分で獨り樂しむ丈である。音樂學校は音樂の學校ぢやない、スカンダルの學校だ。第一あの校長は駄目だ。○ブラウニングは嫌だ。ウオーヅウオースの哲學の詩は全く厭だ。ポーは好だ。ホフマンは猶好だ。新らしいのはあまり好かない。アンドレーフは厭だ。チエホフは非常に立派な文體だ。○自分が日本を去れば永久に去る。一寸歸國などはしない。○自分のやつてゐる仕事はすきだ。自分の書生が好だ。淋しい事はない。散步つて、何處へ散步する。町へも出られまい。本を讀んでゐる丈だ○メレジユコースキーのアレキサンダーと云ふ小說をよんだ。甚だ佳い。○コフヒーが、凡ての飮料のうちで一番好きだ。此間和蘭公使舘で飮んだコフヒーが一番上等である。たゞ音散步つて、何處へ七五三
十五日○儀式は大嫌だ。あしたも卒業式があるが無論缺席をする。どうも三時間も立つてゐるのは原敵はない。もつだ簡單に出來る事をわざ〓〓あんなに面倒にする。七月十一日○かん〓〓照り付ける。殆んど堪へがたい。籐椅子の上でこん〓〓としてゐる。晩方えい子とあい子と純一を連れて神樂坂へ散歩に出る。氷屋でアイスクリームを呑む。純一は氷あづきを食ふと云ふ。おもちや屋でえい子は金製のベツド、あい子は西洋人形、純一は飛行機を買ふ。此飛行機は飛ぶ事受合の處ちつとも飛ばず翌日すぐ破れて仕舞つた。七月十二日○今日もかん〓〓で殆んど堪へられない。晩に又三人連れて江戶川へ行く。硝子入りの菓子と菓子の烟管、烟草入と夫から旅行用のブランデー入れまがひに菓子の這入つたものを買ふ。きせると烟草入は純一、ブランデー入は伸六への土產、純一どぶへ落ちる。○江戶川へ來ると往來へ店を出して、眞菰、〓殻、みぞ萩、鬼ほうづき、(靑くて所々薄赤くなつてゐるもの)を賣つてゐる。盆の心持を促がした。みぞ萩、鬼ほうづき、(靑くて所々薄赤くなつ七月十三日○漸く曇る。少し凌ぎよし。七月十四日〇六時頃散步に出やうかと思つてゐると空が急に暗くなつて雨が木の葉を打つ音がした。夫がまたゝく間に豪然として地上のあらゆるものを鳴らしてすさまじく降り出した。すると雷が鳴つた。雷より稻妻の方が烈しかつた。光りが段々になつて最高度は白晝と異なる所なく光つた。さうして其段々が一瞬の間に凡てを經過してしまふ。あとは暗くなつて物凄い。芭蕉がすさまじく動いた。光りに恐れて下女が(緣側の戶を立てゝゐた)突然玄關へ來てつつ伏した。此時電燈が全く消えた。巨人が帛を裂くやうな音がして夫がすぐ割れた。七月十五日快晴。又熱くなつた。○ねだられて活動寫眞に行く。あつくて仕方がない。一等は少しすいてるので、まだ凌げるのだが外は鮨をつめたやうで、うぢや〓〓してゐる。伯爵夫人とかいふものをやる。女をなぐつたり、十三五三
七五六原男をつき飛ばしたり殺伐な眞似ばかりをする。さうして口籍入りだから猶いやになる。幸ひ白はがや〓〓してよく聞えなかつた。エイ子、恒子、筆子は夫で泣いてゐる。何で泣いてゐるのだか分らない。筆は十三、恒は十一、エイ子は九つである。夫から西洋のおどけたのを見る。其方が面白い。歸りに氷葡萄を飮む。七月十六日○盆。少し曇る。る。午後四時頃山田の奥さんがくる。粽をくれる。山田さんの前に小宮と鈴木がく七月十七日○曇十時頃から降り出す。○昨夕江戶川を散歩して澤山ある橋のうちの尤も小さい橋の欄干によつて東を眺めたら、水の左原右から水の上にのしかゝるやうに柳が綠の枝をさし出してゐた。夫が遠くに行つて櫻の變つて兩岸が蒼く丸くこんもりと高く見(う)る中に水が長く流れた其中を橋がいくつも橫切つてゐる。さうして凡ての末に後樂園の高い森の中から砲兵工廠の烟突が二本出てゐた。○今度は電車終點の所へ來て同じく橋の欄干に倚つて西の方を望んだ。其時は人の顏が漸く區別される位の薄暮であつた。其上空が曇つてゐた。けれども其薄黑い空明りが水の上に落ちる爲か流一面が蒼茫とした地面の上よりも岸よりも明らかにきら〓〓してゐた。其中に小船に人が二人乘つて棹さして上つて行く。船も人も只眞黑に輪廓が眼に映ずる丈であつた。動く棹が細く黑く矢張り見えた。此黑いものがひかる水に包まれて〓り燈籠の影法師の如く見えた。やがて堅にさす棹の色がぼんやりして判然しなくなつた。七月二十一日原○曇、十一時過滿鐵に行く。そこで午餐を認め。夫から自働車で停車場へ行く。鎌倉行。滊車中〇〇のいたづら話をきく。○○に藝者が惚れたやうに老妓から云はせる。〇〇が夫を眞と思ふ。長春から川上がくるのを奉天で待ち受けて、長春にゐる川上の關係のある女の寫眞を雜誌から切り拔いて臺紙へ張りつけ、滿鐵公所の下女に手紙をかゝして、夫を郵便で出す、川上が奉天へ着くや否や郵便を受取る。みんなの前で半分あけてやめる。みんなで追求する。獨りでストーヴの所で見る。其裏を見たと云つて、責める。云々。○二時過鎌倉着電車で長谷迄くる。別莊は長谷寺の後ろにある。光則寺の入口の右手の高い所なり、東南が開けて、東の正面に材木座と山を見る。中間に松原が見える。夫が風に削られて斜めに海の方から逆に高くなつてゐる。山の前の灣夫から右の方は大海。樓の右手大松、左斷崖、前七五七
其築山を降りて(芝生の)畠、蜜柑、菜園、芋など生える。池の中の藤棚原○杉山茂丸の別莊。山を上る。鹽をあびる。夜十二時寐る。七月二十二日曇0.モヤで向の山がぼうとしてゐる。海が殆んど見えなかつた。段々明かになる。船點々。帆走る。沖の方の第二の山脈の下の處水光る。厠に上ると窓から崖が見える。蟹がゐる。原○八時頃から小坪へ漁に行く。昔し來た事のある村を今見れば失つ張り魚臭き所、道幅一軒許の原處右が段落に磯になつてゐる所、左が段上りに登つてゐる所が記臆と一致する。小坪へ來た事は來たが何といふ宅か分らない。西のもので南の方から養子に來たものと云つて聞くんださうである。隨分昔話の樣な聞き方なり。とし子さんが極りが惡いと云つて聞くのを厭がる。子供に聞いたら知らぬといふ。婆さんに聞いたらしばらくしてそれならあすこだらうと云つて〓へてくれる。編笠をかぶつて歌をうたつて月琴を彈く女が休んでゐた。そこから十間許來て右へ曲ると、石段が三級ばかりに仕切られてゐる。いづれも踏み減らして凹形になつてゐる。其天邊へくると五坪程の空地を前に家内の眞黑になつた萱葺がある。軒下に御祭りの提灯があるのを見てとし子さん原が田中吉太郞といふのですと云ふ。無花果が隅に二三本、未熟の果、きり〓〓〔す〕の籠が懸け段々明かになる。船點々。帆てあつて、下に痩せこけた鷄が四羽ゐる。あみはいびつのブシユカンの樣である。入口に杓子、日盛一家其上に田中吉太郞一同〓女くさくて堪らなかつたのがなれて漸く直る。婆さん曰く實は賴んで置いたが今朝の天氣だからと云つて舟で出たから呼びにやりました。○磯へ出て舟にのる。たこを突く。鏡の構造。藻がゆつくり動搖する。○生簀の魚を買ふ。いさき、すゞき、黑鯛○いきに橋の上を通る。海岸橋といふ。下は滑川ならん。車夫は閻魔川だといふ。左手の畠に黃なものが見える、菜の花の感じ、唐瓜なるべし。good effect.○歸りに海濱院の所で舟を上る。八幡前へ行く。○めしを食つて午睡三時三十三分の汽車で急行新橋着。原○車中で〇〇曰く。滊車に大便所をつけるときは大議論ありし由、夫から寢臺車をつけるときも然り。○井上が淺野侯の寶物の懸物を奪ふ話。伊國公使になつたとき呼ばれて寶物の二幅對を見せられる。出立後留守に向つて先日のを一幅讓つて頂きたいといふ。淺野家では大臣の事だから評議の末承知の旨を答ふ。井上は返事に二幅共御讓り被下候よし難有しとあり。夫から淺野家では寶物を決して懸けて人に見せない。あみはいびつのブシユカンの樣である。入口に杓子、左手の畠に黃夫から寢臺車をつけるときも古五九
七六〇七月二十六日○昨夜十一時頃より暴風雨、二時頃に至つて凄まじき音して寐られず、そつと起きて、外を見ると、風の狂ふ中に木の鞭たるゝ樣見ゆるが如く見えざるが如し、空に少し赤味ありたる樣覺ゆ(余厠の窓より見たり)電燈消えて眞暗也。原○新聞今朝號外を出す。相模灘の颶風東京灣に海嘯を起し。州崎の堤防を破壞、貸座敷一戶を倒す。娼妓十五六名死す。嫖客の死體も續々出る。○高輪の鐵路破壞下り列車不通○逆流大川口より浸入深川水となる。○舟が陸へ乘り上げて家を倒しかけたるあり。原州崎の堤防を破壞、貸座敷一戶を倒八月九日○七月二十六日の暴風雨が漸く歇んだと思つたら又したゝかに雨が降つたので天龍川の堤が切れて汽車が不通になつた。それを徒步連絡で十町ばかり足を勞すれば濟むやうになつたのは一昨日である。其十町が七町に減じたと今日の新聞にあつた。所が昨日の新聞に暴風雨の警戒があつたので、もしやと思つてゐると、重い空の中から昨夜枕元にしたゝか降つた。明けて見ると又したたか降る。午頃少し輕くなつたら午後から又どうどつと降る。是では折角の連絡も亦不通になると思つてゐると、社から小池君が來て、實は高原が今朝立つたが連絡が切れて靜岡で留つてゐる原との話。昨日の大坂からの電報に東海道延着につき十一日に御着あるやう十日に立たれたしとあつくろ、自分は明朝八時半の一二等最急行で行く積であつたが、不通では仕方がない。講演は十二原日からだから十一日の八時半でも連絡さへつけば間に合ふ。車夫に電話で新橋局へあすの連絡の模樣を聞き合せてもらふ。車屋が歸つて今は不通ですが明日にならなければ明日の事は不明だ、まあ大抵六づかしからうと云ふ返事をした。まあ大抵六づかしからう十日○夜眼を三度さます。一度は靜かであつたがあとの二度は大變な音をして雨が降つてゐた。明日はとても不通だらうと思ふ。昨夕寐る時、車夫に起きがけに電話をかけて不通か連絡がついたかを聞き合せてもし不通ならば、汽車不通あすの朝迄待つて見るといふ電報を社へかけるやうに命じた。所が今朝六時に起きて飯を食つて、七時過になつても車夫が歸らない。聞いて見ると電話原が御話中に中々かゝらないのだといふ事が分つた。そのうち七時四十分になつた。八時三十分の汽車には殆んど返事の如何に關らず到底間に合ひさうもない。雨は一時小降りになると共に天地大六
七六二が非常に靜かになつた。表をあるく人の足音が耳に入る。門の外を窺ふとあらゆる泥を洗つたやうに白い砂利の肌が明か(ら)さまに見えた。八時頃車夫が歸つて、矢張不通だといふ。新聞の延着したのを見ると、颶風沖繩に滯在す九日朝四國沖にありし颶風の中心は豫期の如く西北に進行し屋久島附近を通過し支那東海に入り目下東經百二十八度北緯三十一度の邊にありて中心の示度七百五十粍を僅に降りたり又沖繩島附近に在りし颶風の中心は依然として滯在す、沖繩より電報未着につき詳細を知る能はず九州にては東の風頗る强しと雖〓して曇天にして處々驟雨あり甲武兩毛地方にては雷雨のため多量の降雨あり東京附近に大雨ありしは之が爲なり東京附近は十日天候不原良ならざるべし、東京午後三時迄雨量十三粍(九日午後二時迄實況)東京地方警戒△五區(東海道地方)を警戒す、風雨强かるべし颶風は琉球の南東洋上(北緯二十四度東經百二十八度)にあり示度七百四十粍、北方に向ひ進行しつゝあり(十日午前零時三十分)△東京地方を警戒す風雨强かるべし以下略(同上)△第一區二區三區四區(臺灣九州四國中國畿内)を警戒す暴風雨の虞あり以下同上(十日午前零時三十分)とあつた。十時頃蟬が鳴き出して空の奧に日光をつゝみたる氣合なり。つと云ふ。雷なる。格子を拭いてゐた下女あ十一日快晴新橋に行くと東海道全通とある。早速乘り込む。鶴見の手前で電信柱の半水に埋れたのを見る。道中夫程の災害もなき模樣、袋井の處はレイルの下を刳つて二十尺ばかり持つて行つたので長さは僅ばかりである。車中川崎造船所の桑ばた、小山正太郞畫伯、濱野工學、遞信省の猪木士彥に逢ふ。暑甚し。八時半つく。長谷川高原兩氏迎へらる。銀水に入る。川向の家なり。對岸に病院、前に圖書舘、公會堂、夜暑甚し、緣側を明け放して寐る。八公十二日原五時半起床、朝見ろとさだなき旅足なり下宿の少し氣の利いたやうなものなり、た紙を一杯にしく。たまらぬ暑なり、七時になつても下女が床を上げに來ず。九時過箕面電車にて箕面に行く溪流の間を上る。朝日倶樂部は寺の左の崖の上にあり、七三室に澁を引い登、繩
七六暖簾、ぢヾと婆、婆はつんぼ。ぢいさんも。婆さんはくり〓〓坊主である。其上又外の婆さんの頭をくり〓〓にしてゐる。脊中を叩くと、おや御免やす、今八十六の御婆さんの頭を剃つとる所原だすよつて、-御婆さんぢつとしてゐなはれや、もう少しげけれ、-よう剃つたけれ毛は一本もありやせんよつて、何も恐ろしい事あありやせん。-御婆さんは頭を撫でゝ、大きにといふ。それから御免やすといつて歸つて行く。御婆さんどこだと聞くと千秋閣だす、御歸りに御寄りやす。千秋閣とは入口の立派な料理屋なり。原瀧の處に七丁程上る。シブキを浴びて床几に腰を掛けて話す。夫から倶樂部に歸つて千秋亭から料理をとつて食ふ。ひる寐。五時頃起きる。婆さんが又湯に入れといふ。やめて入らず。又電車で梅田に歸る。夫から直に明石に向ふ。社の販賣部の男案内をしたり荷物を持つてくれる。八時三十分明石着衝濤館に入る。庭先三間の所に三尺程の石垣あり、波が其外でじやぶ〓〓といふ。原原川か海か分らず、船で三味線を引ひて提灯をつけて來る。幅の廣い凉み船なり。販賣の人歸る。たゞ波の音をきく。十三日昨夜次の部屋で何かこそ〓〓いふ。よく聞くと西洋人である。黑い影が一寸蚊帳へさす。ればもうなし、しばらくして彼烟草を呑むといふ聲がする。下の座敷で騒ぐ。見返朝六時頃起きて風呂へ這入らうとすると雨戶がしまつてゐて、明ける事出來ず。やうやく冷水を浴びてゐると女が風呂の戶を開ける。部屋へ歸つて雨戶を開けて海を見る、男が二人出て泳ぎ出す。下の男何處からかボートを借りて來て漕ぎ廻る。昨夕の藝者が一人づゝ乘る。夫から漁船を雇つて乘りうつるに、かの男眞黑な小供を二人舳艫に乘せて漕ぎ廻る。藝者大きな聲を出して阿呆といふ。舞子の先が見える。淡路の燈臺が見える。泳いでゐる人の足がよく見える。くらげが見える。帆懸船がぞく〓〓出る。午後公開堂で演說。宿に郡長、市長、助役などくる。七時頃歸る。九時着、紫雲樓に入る。泳いでゐる人の足がよく見える。くらげが見える。市長、助役などくる。七時頃歸る。九時着、紫雲樓に入る。十四日快晴九時五十二分の汽車で和歌山に行く事にする。和歌山からすぐ電車で和歌の浦に着。あしべやの別莊には菊池總長がゐるので、望海樓といふのにとまる。晩がた裏のエレベーターに上る。東洋第一海拔二百尺とある。岩山のいたゞきに茶店あり猿が二匹ゐる。キリといふ宿の仲居が一所にくる。裏へ下り玉津島明神の傍から電車に乘つて紀三井寺に參詣。牧氏と余は石段に降參す、薄暮の景色を見る。晩に白い蚊帳を釣り明け放して寐る夫でも寐苦しい。朝起涼しさや蚊帳の中より和歌の浦圡五
七夫十五日原早車で新和歌の浦に行く長者議員某氏の招く所といふ。トン子ル二つ。運動場といふのは砲臺の出來損の如し。歸りに權現樣に上る。橋の所に乞食が二人ゐる。石段は一直線で三にしきる。夫から片男波を見る。稀らしく大きな波が堤を越えてくる。電車で和歌山へ行く途中から降る。縣會議事堂は蒸し熱い事夥し。宴會を開くといふから固辭しても聞かず、已を得ず風月といふのに赴き離れで待つてゐる。宴開くる頃から風雨となる。隣席の綿子ル商望海樓は危險だといふ。藝妓の踴と和歌山雲右衞門の話を聞いて外へ出ると吹降りである。西岡君は三度も電話をかけて大丈夫かと聞いたら大丈夫と云ふ。牧君にどうしませうかと云ふと牧君は夏目さんどうしませうと云ふ。北尾君がこちらが宜しいでせうと云ふ。後醍院君は是非和歌の浦迄行くと主張する。余原原等三人はあとの西岡、後醍院、早記の○○君と和歌の浦に向ふ。余等は富士屋といふのに入る。原電燈が消える。ランプを着ける。其ランプが又消える。慘澹たる所へ和歌の浦の連中が徒歩で引き返す、車で紀伊每日の所迄行つて電車を待つてゐると電車は來るには來るが向へ行くのは何とかの松原迄で其先は松が倒れて行けないといふ。何時(20)待つても埓が明かないので歸つて來原たといふ。西岡君は今望海樓が今夜中持つか持たぬかゞ疑問だといふ。是は電話をかけても通じないからだといふ。所が富士屋から電話をかければ望海樓へよく通じる。風雨鳴動のうちに愈十六日となる十六日今朝十時の汽車で大阪へ歸らなければならない、西岡君は早朝荷物を和歌の浦迄取に行く。な引でなければ行けぬといふので二人の車夫を雇ふ(後で壹圓八十錢平生の三倍とられる。)つて、向ふは何でもない、三階の客は皆よく寐たといふ。一時頃大阪着。晩の六時に平野町の川卯とかへ慰勞會に出席する筈なり。つ歸十一月十一日大阪で病氣をして湯川病院に這入つて(八月十九日?)歸つて痔を切開して以後丸で日記をつけない。其間に池邊が主筆をやめた。余も辭表を出した。から九月十四日に東京へ○昨日も佐藤さんに行つた。(佐藤さんには隔日に行く)。支那人の患者にあなたの家は何處かと聞いてゐた。武昌の附近だと答へた。なに外に心配もないが弟が一人參謀になつてゐるのが、七七七
七六八どうしたか心配ですと答へてゐた。佐藤さんに聞くと是は工科の學生ださうだ。又一人の支那の學生が來たのに向つて、あなたの所の公使はどこかへ姿を隱したといふぢやありませんかと聞いてゐる。えゝ公使も氣の毒です。留學生の學資が來ないのに、政府の信用がないから銀行で金を原原借してくれないのです。大きな類ならすだしもですけれども二十萬や北十萬ちや離も借さなす。公使は自分の金を十萬圓出しました。氣の毒ですといつてゐる。是は漢口の稅關長の伜ださ原うである。〓近頃の新聞は革命の二字で持ち切つてゐる。革命といふやうな不祥な言葉として多少遠慮しなければならなかつた言葉で全紙埋まつてゐるのみならず日本人は皆革命黨に同情してゐる。-革命の勢がかう早く方々へ飛火しやうとは思はなかつた。一ヶ月立つか立たないのに北京の朝廷は殆んど亡びたも同然になつた樣子である。痛快といふよりも寧ろ恐ろしい。原關閉のの革命令人が見見のな業者も同じ前朝を女なは多くるのみな○佐藤さんから錦織剛正の話を聞いた。錦は佐藤さんの父の家に寄食してゐた。さうして其町で一番物持の一人娘をそゝのかして小判三百枚を盜み出して東京へ出たのださうである。入獄して出るや否や人氣取りの爲に圓遊一派の藝人の寄附金で各區に米屋をこしらへて米を實費で貧民に頒つ人氣取りの策を講じた。實際二三所に米屋を開いて、自分の居宅の近所では米を施こしか安原賣かした樣子であつた。夫から飮口の製造所を造つた。のみ口といふものは專問家でなくては出原來なくて其專問家は東京に十五六人しかゐない其他は大阪にゐるといふので、夫等を雇ひ集めて「のみぐち」製造會社を作つた。所が一年程して職工がストライキをやつて滅茶々々になつて仕舞つた。次に九州の或る海岸に古代の釣鐘が沈んでゐるの(七)上げる。上げた鐘は宮內省で十萬圓で御買上になるとか號して金を集めにかゝつた。然るに此鐘は普通の繩や紐では揚げられない。毛綱が必要だとか號して神社佛閣に奉納してあるのを貰つて步いた。いざ潜水夫を雇つて深つて見ると岩と貝で一ぱいだから一々金槌か何かで敲いて離さなければならないとか云ひ出した。さうしして折角の毛綱は切れて仕舞つたからもう一本拵らえるとか云ひ出した。其上此鐘は村で祭てあるのだからもし引き揚げるなら村のものへ何萬か遣らなければならない。-こんな事を云つて步いてゐたが鐘は夫切になつて仕舞つた。-今では本所邊に畫工をしてゐる。原○今日から綿入を着る。(天長節に始めて密柑を八百屋に見る)十一月十八日原○昨晩は木曜日だつたけれども内暖倶樂部へ含をうたひに行く。碧梧桐、虛子、四方太なども來る。久し振で同吟す。能も久し振りで此十二日に見た。櫻間伴馬の改名披露の能であつた。○昨日より妙に生溫かい、丸で肅殺といふ感じを失つて春先ののぼせる季候である。昨夜十時原事業た。七六八
七七〇さうして厭に頭痛を誘ふ風が强く吹く○今日は依然として不快な暖氣である。さうして厭に頭痛を誘ふ風が强く吹く○昨夜弓削田來不在、一昨夜松山來。○今晩地震八あるといつて鈴木さんが〓へに來た。妻は今夜は隣の部屋で勉强なさいと云ふ。何故だと聞けば此室は本箱が倒れる恐れがあるからですといふ。○芭蕉まだ靑し。山茶花しきりに散る。苔の靑き上に瓣が折り重なつて亂れてゐる。梧桐はもう黄色になつた。梧桐はもう十一月十九日○袁世凱といふ人が此間內閣を組織した其顏觸は新聞に出てゐたが內四人は滿人ださうである。是は立憲君主政體で行く積ださうである。武昌の方は共和國を建設するのが主意だとかいふ。廣東の總督は斷髮令を下したと書いてある。○昨日妻が机の前へ來ていふには「あなたなぞが朝日新聞に居たつて居なくつたつて同じ事ぢやありませんか」「仰せの如くだ。何の爲にもならない」と答へた。すると妻は「たゞ看板なのでせう」と云つた。余は「看板にもならないさ」と答へた。出たいといふものを何だ蚊だと云つて引き留めるにも當るまいと思ふが、其處が人情か義理か利害か便宜かなのだらう。十一月二十日〇十八日に弓削田が來て考へ直せといふから辭表を撤囘したら今朝池邊から夫を送り屆けて吳れた。松山が午後來るといふ電報をかける○佐藤さんの所で又肛門の切開部の出口をひろげる。がり〓〓搔く音がした。今度は思ふ存分行つたといふ。看護婦も是で本當に濟みましたといふ。然し深さは五分程まだある。此先癒るとしてもまだ二三度はこんな思ひをしなければならないかも知れない。餘程たちの惡い痔と見える。○朝日講演集を三部送つてくる。自分の丈を一息に讀んで見た。思つたよりも下らない氣がする。原○昨雨の雨晴れて、茶黃の梧葉に日がきら〓〓當る。濡れた紅葉が一面に庭に落ちてゐる。子供が夫を拾つて緣へ竝べてゐた。十一月二十三日○例により暖、木曜だけれども久し振にのんきな外出をやらうと思つて出る。少し雨が降る電車に乘ると晴れる。本〓通りに敷石の人道が出來たのに驚ろく。(寺田の話に之は四萬圓を要したとかいふ)寺田の宅で少し話して、蕪村と五岳の畫を見る。連立つて表慶舘へ行く。王義之の眞筆と賀知章の眞筆を見る。是は珍らしいものである。支那人の花鳥畫の面白いのもあつた。歸り原原に上野精養軒へ盛裝の白紋及びシルクハツトが續々車、馬車及び自働車を馳るのを見る。醫科の七七
七七三九段迄歩いて電車に乘つて歸る。〓授多し。家迄くる。たから亭へ來て晝飯を食つたら二時半である。疲勞。夜。寺田十一月二十四日○異常に暖、九時過より雨。庭砌に蛙鳴を聞く。此間から蛙がなく。どうも一匹らしい。丸で春先の感である。○佐藤さんの所で膀胱鏡を見る。ニツケルの管の先が匙の先の樣に曲つた所にガラスがあつて、其內に電氣の光が通つて、其光がプリズムに反射して管の口の所でレンズに擴大されて眼に入る裝置である。マーゲン·ウンテルズツフングといふ器械の繪も見たが是は一ノ管で空氣を送り、電燈をつけかねて管の先から箸の樣なものを出して物をつまんで引き出し得る樣な裝置が出來てゐる。是等の道具は破損すると日本では丸で修復が出來ないのださうである。膀胱鏡の粗末なのが五十圓少し變つたのは百圓もするさうである。○脾臟の鐵分を貯蓄するといふ機能が近頃漸く發見されたといふ話も聞いた。是は余も近來の雜誌で見た。○房楊子を呑んで胃を切開した話も聞いた。○靜脈の血をとつて動物の血と交ぜて血球が互にデストロイしなければ黴毒のない證據になると庭砌に蛙鳴を聞く。此間から蛙がなく。どうも一匹らしい。丸で春是は余も近來の雜いふ話を聞いた。○肉牙の話も聞いた。瘢痕にも多少の血管が通つてゐるのださうである。十一月二十五日○新來る。備後福山の柚餅をくれる。盛久をならふ。賴政をさらふ。謠も何時迄も小供らしくならひ、小供らしく〓へられるので毫も上達した樣でない。時々は馬鹿氣た心持がする十一月二十六日○朝起きると朗らかな空に曙光が充ち渡つて最勝寺の大欅の幹の半分を朝日が染めてゐた。緊縮の感が全身に起る。此頃は暖か過ぎて秋らしくなかつたが今日始めて積極的に身のしまる心持を得た。夫でも段々暖かになつた。玄耳の處へ行く。佐藤さんへ〓る。風起る。○國民の島田賢平氏人の爲めにコンラツドの小說を借りにくる十一月二十七日○漸く秋の風を聞く。肌にも秋の風と感ぜらる。梧桐は殆んど片葉をとヾめず。芭蕉猶靑くさら〓〓と鳴る。裂けながら鳴る。七三三
七七四支那へ出兵一大隊程で北京の日本人の守護をするのださうである。昨曉小村侯爵死す。十一月二十八日曇。どんよりして陰氣からすくめられる樣な天氣である。冬の近づいた氣分である。曇る中に原原大陽が薄く見えるのを眺めると倫敦の時候を思ひ出す。夫でも大陽が毒血の樣な色をしてゐないのが、まだ荒涼の感を柔げる。空氣の臭も少し違ふ。晝頃からわびしい雨となる。今日は帝國座で文藝協會の「人形の家」があるので招待を受けやうかと思つてゐたが書齋から薄暗く芭蕉近頃芭蕉をよく觀察してゐるが芭蕉は露がいくらしとゞに降つても枯れない。山茶花が散り梧桐がから坊主になるのにまだ靑々としてゐるのが毎日見る度に不思議でならない。)にかゝるのを見るといつそやめやうかといふ氣にもなる。·入浴後妻が着物を出して吳れたのでフロツクに改めて車を命ずると、車屋の男は筆と恒を迎ひに女子大學へ行つた、主人は士官學校へ是亦客を迎に行つたから少し待つてくれといふ。時間はもう四時過である。四時三十分に開會といふのだから間に合はない。然し少し待つてゐやうとしてフロツクの儘立つたり椅子へ腰を卸したりしてゐたが、とう〓〓待ち切れず誰か外のものを雇つてくれと註文しに行くと雨が降つては奇麗なのは出てゐないから少しの間歸る迄待つてくれといふ。不都合な事だと思ひながら雨を眺めて敷島を一本を吸つてゐるうちに四時二十分になつたので、もうやめやうといつて外套を脫ぎにかゝると、御孃樣御歸りといつて車夫が芝居の樣な大きな聲を出して玄關へ車を引き入れた。帝國座へ着いたらもう始まつてゐた。けれども入は存外少なかつた、招待だからと思つてフロツクを着て行つたがそんなに極つた人は極めて稀であつた。向ふに千葉鑛藏氏がゐて挨拶をする。此間も有樂座で逢つた。社の松山が其後變つた事もないかと云つて話をしにくる。後ろからやあ先生と西村醉夢が呼びかける。德田秋江君がよく御出掛でしたと聲をかける。今日はぽんたが來てゐますといふ。ぽんたは自分の前を通つた。存外よくない女である。前に野間伍造がゐるといふ。白髪まじりの角刈で大島の着物に茶の羽織で丸で請負師の樣に見えた立つ處を見ると夫でも袴を着けてゐる。野間伍造といふ人は二十何年か前に二三度逢つたが色白の好男子とのみ心得てゐたのに斯うも變るかと思つてもどうしても同人とは受取れない。自分も名乘りでもしたら先では矢張り同じ感じを起すのだらう。二三軒右へ寄つた所に三宅雪嶺氏が來てゐた。是には挨拶をしなかつた。島田賢平氏が先達は御邪魔をしました虛子も來てゐま〔す〕といふから二階を見上げると虛子が番附を振つて合圖をしてゐるので御辭儀をした。すま子とかいふ女のノラは女主人公であるが顏が甚だ洋服と釣り合はない、もう一人出てくる女も御白粉をめちや塗りにしてゐる上に眼鼻立が丸で洋服にはうつらない。ノラの仕草は芝居としてはどうだかしらんが、あの思ひ入れやジエスチユアーや表情は强ひて一種の刺激を觀客に塗り付けやうとするのでいやな所が澤山あつた。東儀とか土肥とかいふ人は普通の人間らしくて此七七五
七十八厭味が少しもないから心持がよかつた。人形の家丈見て一人歸らうと思つて右側の玄關へ出ると車夫がゐない、外の奴が誰です呼んで上げませうと云つたが、幸雨が歇んでゐたので供待部屋へ行つて見ると矢張りゐない。おやまだ飯でも食ひに行つて歸らないのかと思つて、見廻すと右の方に自分の膝掛が見えたので彼は其下に長くなつて寐てゐる事が分つた。「おい、そいつだ」といふと外のものが「旦那の御歸りだ、起きろ〓〓」と云つた。まだ早い積だつたら宅へ歸つたらもう九時半であつた。夕食には何もないといふ。そんなら帝國座で何か食へばよかつたと思つた。蕎麥を取つてもらつて夫を食つて寐る。そんなら帝十一月二十九日○快晴、新來、盛久のつゞきを〓はる。原○日暮中村翁來。談話中小供が三人廊下を馳けて來て笑ひながら一寸來て下さいといふ。大方ひな子がひき付けたのだらうと思つて六疊へ行つて見ると妻が抱いて顏へ濡手拭などをのせてゐる。唇の色が蒼い。然しよくある事だから今に癒るだらうと思つてゐると、いつもと樣子が違ふといふので前の中山さんを呼びにやつた所で、丁度下女があわてゝ歸つて來た所であつた。今其所へ出掛〔る〕といふ處に會つたので、すぐ來てくれるといふ話である。其通り中山さんがやつて來たが、何だか樣子が可笑しいから注射をしませうと云つて注射をしたが効目がない、肛門を見ると開いてゐる。眼を開けて照らすと瞳孔が散つてゐる。是は駄目ですと手もなく云つて仕舞ふ。何だか嘘の樣な氣がする。中山さんも不思議ですといふ。からし湯でも使はしたらと思つて相談すると遣つて見ろといふから瓦斯で湯を沸かしてからしを買ひにやつて腰湯を使はしたが同じ事である。タエルで拭いて又元の通りに寐かした。可哀想な氣がする。口を開けて眼を半眼にして丸で眠つてゐるやうである。○○さんが來ても駄目だらうなといふと妻もえゝと答へてゐる。其原內○○さんがどうかしましたかと笑ひながら這入つてくる。駄目ですと云つて樣子を話すと屹度なつて、烈しく人工呼吸をやつてゐたが、どうも不思議だなと二度も三度も繰返してゐる。「死亡診斷書を書いて頂きませうか」と云つて書いてもらふ事にする。屏風がないから仕方がない。六疊に置いては可哀想だから座敷の次の間へ北枕に寐かす枕元に原風船を置いてある。葬具屋から白木の机と線香立、花立、樒、白團子、をもつてくる。あした區役所へ行つて死亡屆を出して埋葬證書をもらふ事は行德に賴む。寺の談判は兄に賴む、十二月一日は友引で緣喜が惡いといふので二日にする。十一月三十日○經帷子をみんなが少しづゝ縫ふ。原女の子が多いので袖や裾が方々の手に渡る。藤が半紙を以て七七七
十大豐隆も恒子も行德も居合せた來て南無阿彌陀佛といふ字を一杯かいてくれといふ。筆子もかく、豐隆も恒子も行德も居合せたものは皆書かせられる。○棺に入れる。裸にすると脊の方が紫色になつてゐる。小さい珠數を手にかける、小さい藁草履、編笠を入れる。赤い毛絲の編んだ足袋を入れる。珠がぶら〓〓して歩いて居る所が眼に浮ぶ。人形を入れてやる。葢をして白綸子の布をかける。○行德が朝の內區役所へ行つ(一〓)死亡屆やら埋葬證書やらの手つゞき(て〓)濟ましてくれる。兄が本法寺へ懸合つて百ケ日迄仕切つて二十五圓位にする談判を引受けてくれる。葬具屋に喪柩車一臺をあつらへる。御者の酒代やら何やらを合せて三十圓程である。筆子もかく、十二月一日○昨夜はおたねさん、御房さん、御梅さん抔が來て通夜をしてくれる。自分は御免蒙つて寐た。夜中に眼が覺めると話聲が聞えた。○漢陽は六晝夜の激戰の後とう〓〓官軍の手に歸したと傳へられる。革命軍が武陽を守る事も困原難だとかいふ。間間次夫をを接すするやつに云ひ傳へられなお心軍きかうをゐつて原する。革命軍の大將黎元洪は休戰を申し込み、滿州政府の代表者と各省の代表(〓〓)と革命黨の代表者を上海に會して和議を講ぜんといふ條件を出したさうだ自分は御免蒙つて寐た。十二月二日葬式を濟まして落合の燒場から歸つて、みんなの歸るのを送つて坐つてゐると寺田が又來たので話をしてゐるうちに六時近くなつた。小供が中ノ間で白木の机の前に坐つて昨夕の通夜僧の讀經の眞似をして笑つてゐる。昨夕の通夜僧は三部經を讀んで和讚をうたつた。和讚は親鸞上人の作つたものに三代目の何とかいふ人が節づけをしたものださうである。御文樣は八代目の蓮如上人の作ださうである。此通夜僧は本法寺の十三代前の通達院が辻說〓をした話をした。此辻說法の話が上野の宮樣の耳に入つて度々召されたある時、駕籠で送らせたら、菊の紋の駕籠を歸さずに次の度私風情の乘つたものにあなたが再度御召になるのはよくないからと云つて貰つて仕舞つて、夫へ乘つて兩國で矢張辻說〓をしてゐた所が幕府で不審を抱いて其理由をたゞしたさうである。○今朝九時の出棺で六時半に起出でゝ服を改めて時の至るを待つてゐた。妻は黑の繻子帶に黑紋服小供は縮緬の紋付に袴純一丈は海軍服に黑紗を捲き。南無阿彌陀佛と書いた短册をちらして棺の中に入れる。みんなの買つてくれた玩具を入れる。あしたの朝來るから顏を見せて下さいといつた山田の奥さんが來て棺の中をのぞき込む。やがて釘付にして綸子の覆をかけて花輪をのせて喪車の中に入れる。黑い馬、黑い幕の下から花環が少し見える。七七九
七八〇○僧は五人、讀經を略してもらつて早く燒香を濟ます。○落合の燒場へ行く自分、倫小宮。小供の時見た記憶が少しある。つて歸る。(十圓だけれども子供だから六圓いくらで濟む)○杉の森の中に弘法大師千五十年供養塔といふのがある。其下に熊笹が生へて吹井戶があつて、茶屋がある、橋がある。それを渡つて行く。原○晩秋の落木、黄な銀杏、高い木(枯枝)殘つた葉が時々落ちる。大變長く時間がかゝる。のに瞬間每に非常に早く〓轉する。一等の竈に入れて鍵を持大變長く時間がかゝる。夫だ十二月三日○骨をひろふ爲に落合迄行かなければならない。心持よくはれた。九時二十分車で家を出る。自分等夫婦と行德と小一と夫から藤であつた。昨日の路を又通るのだから幾分かは親しいやうな氣がする。谷を隔てゝ目白臺のつゞきとも見える所に枯木と黄葉と常磐木と夫から麥の靑いのと大根の靑いと新らしい家が錯綜して見える。大部分葉を失つた大きなけやきの幹が道の左右にならんで高く立つてゐる其幹は白けて枝の先は高く空に聳えてゐる。幹の頑丈な割合に先は非常に細い枝を持つてゐる。さうして其枝がフアインに澤山かたまつてゐるから、ひとかたまりの樣でさ原うして其隙間〓〓に空を割り込ませてゐる。夫から此高い木が左右に竝んで路が少し廻つてゐるので丁度眼界が三角(往來を橫ぎる地平線をベースにした)細長く高い三角になつて其頂點は枝と枝の交叉した所にあるから道は暗い筈だが却つて通常の通である。枝の上の方に黃を根調にして靑を交ぜた樣な葉がついてゐるが、夫を一眼見ると不純に穗先を染めた繪筆でべつとり枝の上へなすり付けた樣である。たゞ光線の具合で角度の違ふ陰陽の違ふ葉が各自に色をなすとき一筆で引いたといふ感は消えて頗る複雜な(色以上に意味のある物質)に見えてくる。○火葬場に着いて鍵はときくと妻は忘れましたといふ。愚な事だと思つて腹が立つ。家から此所原迄四十分懸つてゐるから、今から取に行けば往來八十分でさうして今十時だから十一時二十分になつて仕舞ふ。時間は十一時迄だから間に合はないかも知れないが、すぐ菊屋の若い男に藤を乘原せて取りにやる。値子戶から道え日影を音に殺案に腰を掛けて二和上の上に蘭星を拠座敷には觀音の像がかゝつてゐる。骨拾ひが二三組來る。一組は婆さん許りの四五人連であつたが、是は自分の羽織袴やら門內に待つてゐる車やらに氣をかねたのか小聲で話をする丈であつた。脊原の高いとかすりの着物を着た男の子は活潑に壷を下さいといふて一番安い十六錢程のを買つて行つた。三番目には散髪に角帶をしめた女だか男だか分らない人間と束髪と婆さんが來て、まだ時間はありませうねと聞いてゐた。退屈だから燒場の中を徘徊してゐると並等といふのにぽつ〓〓眞鍮に○○○○殿とかいた札がかゝつてゐる。然し鍵もなければ封印もついてゐない。裏には奇原麗な孟宗藪がある。向に松薪が山の樣に積んである。其下は靑い麥畠で其先が又〓つやきに高く七八一
大人なつてゐる。又茶屋の前へ來ると事務の男が出て來て犬にからかつてゐる。やがて十一時五分前原頃に藤の車が歸つて來た。上等の壹號の前へ行くと昨日の花壇が少し淵みかけて前に其へてあ御封印をといふから構はん明けてくれと賴んだらへいと云つて、おんぼうが鍵を入れてかちやりと音をさせて黑い鐵の扉を左右に開いた。奧は薄暗いなかに灰色の丸いものやら黑いものやら白いものやらが一かたまりに見える丈である。いま出しませうと云つてレールを二本前へ繼ぎ足して鐵の環のやうなものを棺臺の端へかけて引張り出した。其内から頭と顏の所と二三の骨を出して後は奇麗に篩つて持つて參りませうと云ひながら入口に置いてある臺の上にそれ等を竝べた。竹箸と木箸を一本宛にして吾等はそれを白い壺の中に拾ひ込んだ腦を入れやうとしたら夫は後になさいましと云ふ所へ篩つた殘りを持つてくる。齒は別になさいますか、と聞いて齒を拾ひ分けてくれる顎をくしや〓〓とつぶして中から出したのもある。何だか白米を選り分けてゐるやうである。是が御腹の中にあるものですと綿の黑く燒けたやうなものを見せる。腸の事を云ふのか知らんと思つた。おんぼうの一人は箸で壺の中をかき交ぜて骨の容積を少なくする。最後に腦蓋を葢の樣にかぶせて白い壺のふたを載せるとともに腦蓋はくしやりと破れて、ふたは隙間なく落付いた。手袋をかけたまゝのおんぼうが針金を出して夫を結ひてくれる。又木の箱の中に入れて風呂敷につゝむ。車へのる時は自分の膝の上へ載せた。○生きて居るときはひな子がほかの子よりも大切だとも思はなかつた。死んで見るとあれが一番死んで見るとあれが一番可愛い樣に思ふ。さうして殘つた子は入らない樣に見える。○表をあるいて小い子供を見ると此子が健全に遊んでゐるのに吾子は何故生きてゐられないのかといふ不審が起る。○昨日不圖座敷にあつた炭取を見た。此炭取は自分が外國から歸つて世帶を持ちたてにせめて炭取丈でもと思つて奇麗なのを買つて置いた。それはひな子の生れる五六年も前の事である。其炭取はまだどこも何ともなく存在してゐるのに、いくらでも代りのある炭取は依然としてあるのに、破壞してもすぐ償ふ事の出來る炭取はかうしてあるのに、かけ代のないひな子は死んで仕舞つた。どうして此炭取と代る事が出來なかつたのだらう。原○昨日は葬式今(ロ〓は骨上げ、明後日は納骨明日はもしするとすれば待夜である。多忙である。然し凡ての努力をした後で考へると凡ての努力が無益の努力である。死を生に變化させる努力で原なければ凡てが無益である。こんな遺恨な事はない。○自分の胃にはひゞが入つた。自分の精神にもひヾが入つた樣な氣がする。如何となれば囘復しがたき哀愁が思ひ出す度に起るからである。○また子供を作れば同じぢやないかと云ふ人がある。ひな子と同じ樣な子が生れても遺恨は同じ事であらう。愛はパーソナルなものである。小村侯が死んでも小村候に代る人があれば日本人民は夫で滿足する。仕事の爲に重寶がられたり、才學手腕のため聲望を負ふ人は此點に於て其人自大人如何となれば囘復し
七八四其人自身に對する愛は之よりベターなものがあつても身を敬愛される人よりも非常な損である。移す事の出來ないものである十二月四日原○待夜。ほんの內々のものが寄つて位牌の前で飯をくふ。それでも二の膳でさしみ、口取、燒肴、酢のもの、御平、白和へ、汁、御椀、鳥のうま煮などが竝んでゐた。それを車屋へ二人分やつたら、禮を云ひに二返來たさうである。行德へも持たしてやる。植木屋だの下女だのは宅で食はす。自分は後れて來訪中の中村と共に膳につく。純一が膳の上を飛んで跨ぐとか云つて騒動してゐた。原○此朝佐藤さんへ行つて又痔の中を開けて疎通をよくしたら五分の深さと思つたものがまだ一寸程ある。途中に瘢痕が瘤起してゐたのを底と間違へてゐたのださうで、其瘢痕を搔き落してしまつたら一寸許りになるのださうである。しかも穴の方向が腸の方へ近寄つてゐるのだから腸へつづいてゐるかも知れないのが甚だ心配である。凡て此穴の肛門に寄つた側はひつかゝれたあとが痛い。反對の方は何ともない。十二月五日○新聞を見ると官軍と革命軍の間に三日間の休戰が成立して其間に講和條件をきめるのださうである。彼等から見ればひな子の死んだ事などは何でもあるまい。自分の肛門も勘定には這入るまい。〇十時にひな子の骨を本法寺へ納め(百ケ日間あづかつてもらふ約束)に行く自分等夫婦とひな子の姊妹(純一と伸六は行かず)と妻妹豐子、御房さん及び下女藤。骨は箱ごと白い布につゝんで藤が車に乘せる。原原○小僧が出て來て佛の燈明をつける。其奥にある蠟燭立に蠟燭をつける。三奉に御供を盛つたも原のを其兩側に置く。增の前の下に自木机机にひな子の骨を載せたものへ白い紀を掛けて二人の衆徒が一段低い疊の上に竝んで如來に向つて竝んで平伏する。しばらくして茶の袈裟をかけた若い僧が佛壇の後ろから出て來て一段高い本堂のはづれ迄進んで夫から佛壇の方へ向き直つて、疊半疊程の席へ上つてばたりと何かを落すと同時に平伏した二人は頭を上げる。讀經が始まる。阿彌陀經であつた。○若い僧は一人で退く。衆徒のうち一人が殘つて本堂の段をのぼつて向つて左手の棚から黑塗の箱を持つて出て、吾等と同平面へ下りて、前へ進む一步の足を奇麗に又後へ戾して東向に着席して御文樣をよむ。「······朝に紅顏あつて夕に白骨となる。-六親眷屬嘆き悲めども其甲斐なし?彼等から見ればひな子の死んだ事などは何でもあるまい。自分の肛門も勘定には這入るま原常子は香入の中の香をつまんで香爐の中に入れ七五○夫から仕切をあけて出て來て御燒香をといふ。
六人八べきのを間違へて香爐の中の灰をつまんで香の中に入れた。○終つて座敷で休息中主僧が出て挨拶をする。あなたが金之助さんと仰しやるのですかといふ。初めましてといふ。(私は夏目家のものですが分家を致しましたので、今度始めて御厄介になります。)○是で一段落ついた。十二月六日○晴風强し、稍冬の感。風の音の所爲だらう。芭蕉はまだ靑い。朝は濃い露が降りて微雨の後の樣に庭一面に濡れてゐた。原○佐藤さんの處へ行つたら細菌とはこんなものですと云つて八百五十倍の顯微鏡を見せられて、着色のものだから丸で圖にした樣なものである。かいこの種の樣にかたまつてゐた。是は葡萄狀原の細菌ださうである。外に捍狀といふのもあるさうだ。淋病のは不染質が中央にあるため染めると二つに見えるさうである。○眞山靑果が佐藤さんと同級であつたといふ事を聞いた。學校に泥棒があつて眞山ださうであると人から聞いた通りを云つたら眞山が誣〓の訴をすると云ひ出したのださうである。順天堂に自分の弟子を入れて死んだとき醫者の云付を間違へて看護婦がアトロヒンを注射器に入れたから死芭蕉はまだ靑い。朝は濃い露が降りて微雨の後んだと云ひ張つて、あの看護婦をなぐらせれば我慢すると云つて懸合つたさうである。○山師の醫者が金を出して廣告の代りに新聞の雜報を利用する話を聞いた。神谷傳兵衞なるものが十年前に足の裏に針を立てたのが今日に至つて某醫學士のX光線の力で所在を發見して肩から出たといふ如きである。今報知新聞にドクトル何とかいふものが新ツベルクリンの功能を書き立てゝゐるが如きも其例であるさうである。開業の當時通信社のもの抔が來て素人には面白い事實が屹度あるだらうから、是非新聞に御出しなさいと勸めたといふ原十二月八日○朝池邊に行く。松山が來て、支那の革命の話をしてゐる。かといふ話である。○夜岡田がひな子の爲に葉牡丹と菊と水仙を持つて來てくれる。線香をあげて歸る支那の革命の話をしてゐる。干涉は出來まいが金を貸したらどう二七日に墓參をしたいといふ十二月八日○佐藤さんへ行く痔が癒るのやら癒らぬのやら實以て厄介である。○今日倫敦の天氣の樣に往來が暗い。九段下から見ると燈籠やら燈明臺が茫として陰の如く見え七八七
大人る。○佐藤氏曰く屁は臭いが新らしい糞は夫程臭いものぢやない。○此間鈴木が先生が死んだら葬儀の意匠を私に任せろといふ。おれが死んだら藝者の手古舞をつけてきやりで送つてくれといふとさうするとうかれて生き返るだらうと云つてみんなが笑つた。○今朝妻があなたは何でも世間に反對するつきあひの出來ない方だ。人が來て御通夜をすると云原へば夫には及ばないから歸せといふなんてえのが夫です。己が死んでも其代り御通夜なんどしなくても好いよと云つたら、夜中に鼠でも出て來て鼻の頭でも食ふでせうといふから、さうして痛いと云つて生き返れば結構だと答へた。〇十二月六日午前八時に休戰は撤囘、黎元洪と袁の代表者の談判は不調。武昌は漸く勢づける模樣とあり。攝政王醇親王は退位の上奏をなす。武昌は漸く勢づける模十二月九日○初めて白い霜が降る。芭蕉を見ると無慘にくしや〓〓になつて裂けて下を向いてゐる。色は火に焦げたやうに茶色をしてちゞれて仕舞つた。○霞寶會へ行く湯谷の女つれと鉢の木のしてつれを謠はせられる。九郞の鸚鵡小町を聞く。どこがうまいか一寸分らず。少なくとも面白味がなかつた。之に反して新のワキは壯大雄拔の感を禁色は火じ得なかつた。十二月十日○畔柳芥舟來。留守に魯庵來。昨日藪柑子來るよし承はる。十二月十一日○あい子、純一風邪十二月十二日○痔瘻の分泌少なくなる。し○夜あい子熱出る。氷で頭をひやす。○えい子を相手に鞠をつく。原○ふぢ黑ぶしのそばの坐りだこの所腫れて動けず。大分の抵抗力を押し切つてより膏藥を入れても痛からず却つて心地よ十二月十三日七八九
七九〇○盛久の稽古○こたつであい子とふざけて遊ぶ。御八つの燒芋を食ふ。○空密に暗く室內凍るやうに寒し。ストーヴを焚く。瓦斯漏れて臭ければやめる。○霞寶會で鸚鵡小町を謠つた連中の報酬をきく。九郞二十五圓、政吉八圓桐谷四圓、藤野三圓新評して曰く九郞の小町心持はで過ぎたり。年の所爲ならんと。中老には調子が低くなり、夫から過ぎると又高くなるものゝ由。而して地の所もう少し上げたいと思ふ所却つて低かりし由十二月十四日○昨夜ストーブを焚き小供と唱歌をうたふ。もういくつ寐ると御正月といふ唱歌である。○今日氣候少し緩む。朝早く覺む。○江戶川端の櫻はみな葉をふるふ。ひとり柳の樹のみまだ綠の色を失ひ切らずにゐる。柳は中々散り盡さぬものである。○昨日の新聞に九日午前九時より十五日間休戰の約なる由(支那戰爭)見ゆ。○昨朝新に盛久のつゞきを習ふ。强吟のくせの處にて散々の體となる。○藤太田さんへ行つて坐りだこを切つてもらふ。車夫がおんぶして二十貫ある重い〓〓といふ。○森圓月來。子規と余の俳句を雙幅にしたるものを持つて來て見せる。素明の畫の表裝出來たるもういくつ寐ると御正月といふ唱歌である。ひとり柳の樹のみまだ綠の色を失ひ切らずにゐる。柳は中々見ゆ。原原角に激石と彫つたもの及び磁印材一個をくれる。を持つて來てくれる。十二月十五日○今日から小說を書かうと思つてまだ書かず。他から見れば怠けるなり。自分から云へば何もする事が出來ぬ位小說の趣向其他が氣にかゝる也〇十四十五は深川八幡の市、十八十九日は淺草觀音、二十二十一日は神田明神、芝愛宕。終日何もせざればなり。二十三二十四は七九一
もつと斷-明治四十四年五月十六日より同十二月頃まで-片ー原〇一昨年四十二年秋(八九月の頃)森田と明子さんが電車で偶然出會。三崎町のある宿屋で樣烟」の事實の有無の議論あり。翌日歸宅。其時森田よりの先方への手紙にて奥樣に面會を申し込み生田君を立會はせんと云ふ。○平塚氏宅へ生田森田兩氏奥さんと明子さんとの會見。煤烟の事實の有無に就て談合。森田は事實と云ひ明子さんは事實でないと云ふ。夫では煤烟を取り消すと云ふ。然し世間から忘れられてゐるものを復活させる恐ある故其儘にしたし。且其後も此件につき一切書かれざらん事を希望する旨を述べて森田承諾す(明子さんに關する事)又當人同志直接の文通もすまじき旨の約束もととのふ。○半年あまりして(去年の四月)森田より突然明子さんの處へ出す。(匿名にて。)是非御目にかゝつて(白山の電車停留所へ何時何分)〓算したいと云ふ。明子さん留守。奧さん開封の上生七九三
七九四田氏へ行く。放つて置くがよからうと云ふ意見で其儘にして置く。○同日に三通奥さんの所へ來る。再三の事故平塚さんの耳に入る。夫ではとて平塚氏自身面會の旨を告げて、翌日奥さんが生田方へ行かる。生田君余の所へ來る。二人で夕飯〔み〕神樂坂で食つて話す。生田はそんな事をしては困ると云ふ。森田の答は別になし。其時平塚の手紙を注意されて見て、そんなら行くから一所に行つて吳れと云ふ。○その二三日後森田と生田と同道して平塚氏迄田回〓。森田より問題を提供すべき筈の處一向其區景色なきより平塚氏より「此問題はこれぎりにして頂きたい」と云ふ依賴あり。「娘が雜誌記者に話したからと森田が八かましく云ふが、家族も親戚もそんな事は喜んでゐない。だから森田氏にも世人の記憶を囘復する樣な事は書いてくれるな」と賴み、森田は決局承諾す。(たゞし立合人として生田氏の考によると、問題外に涉つての話多かりしは事實〔な〕ら)○其以後事件なし○自敍傳出てより以來生田は責任を感じつゝも感情の離隔などありて、其事に對して何も云はず○そこへ明子さんが生田の宅へ來て自分の想像として父は困るだらうと云はれた。奥さんは神戶で東京の朝日を見て、平塚さんに相談をされた。×Extension of Education X×××X Levelling tendency-Democratic movement In the intellectual domain-Destruction of authorities.-Anarchic Isa hero a chimerical being-an illusion ? Is it impossible for a Buddha or a Christ to exist in the 20th Conclusion. Equality-no hero worship. a exist in the 20th Cent. X Ancient Education-inspiration-imitation-admiration-practical effect-at the expense of the Intellect.×Modern Education-Disillusion-confession -effect on the sense of Shame-truth--fact-forced conduct (for the sake of an ideal) gave place for the open and unconcealed exposure of weak~ nesses. gam in honesty loss in aspiration.負惜(虛僞)ノ減少;墮落ノ增長-平凡化.-They are there because they look perfectly legitimate in social estimation. (Indulgence) exception-military and naval-〓師X The effect of this education and appearance of Naturalistic Literature. Taking advantage of social indulgence. Finding support in the moral ground of honesty. Education-inspiration-imitation-admiration-practical effect-at the expense of the of of Naturalistic Literature. honesty.七九五
七九六strict sense of the word. A man 's course of conduct becomes suddenly excusable, when followed step by step looked at as a third person and social being it is quite of repulsion is mingled with that of an uncertain emotion tempted to the same course of conduct. -consequently×Its success.-No wicked person in the placed under particular circumstances in the true path of psychology, though culpable or even odious. Even the sense of that he may, when put similarly, be sympathy and indulgence. X Its decay.-on account of abuse.-Artistic want of sympathy. (Shock) X Reversion where ? honesty, on one hand straightforwardness sic hypocricy on the other Reserve會釋honesty Perfect stage會釋,遠慮in the strict Defect-i. e. enormity and abnormality, resulting in indulgence exp ansion of strictness Ccldness,制裁indulgence,制裁on one hand sympathy on the other narrow-mindedness sympathy Perfect stage○學者と名譽○新聞小說際ドイ〓、○日本人ノ體格容貌○自己ノ作物○オベツカノ言語文晁、北齋、モーパサン、フランス畫ト文學、昔ノ日本ノ畫〔H〕ト今ノ畫工=文士ト今ノ文士昔ニ恐入ル昔ニ恐入ラズLife, art, philosophy.中味と形、noteヲ取ルトキハ中味ノ爲ニトル、ソレガ已ヲ得ズ一種ノ形トナル。原-後カラnoteヲ讀ムトキハ形ニヨツテ內味ヲ推〓ニナル、殼カラ中味ヲコシラ.ヘル〓ニナル氣ガ拔ケル、ダカラ役ニ立タナイ〓ガ多イ、役ニ立ツ場合ハ輪廓カラ中味ガ逆ニ充實サレ得ル場合ニ限ル、七九七
七九八原謠、王乘、effortナシ原儀太夫、等、自然。自然ニ出來テ〓〓〓-〓--藝、落語、體操、practice. (步行)、pure formニ合ス、相撲、Art. INHOハ此意味ニ於テG4T Eハphilosophy Philosophy itselfダカラBifハNH4ヲ含ム、IHHカラcontentヲ取ツタモノヲ構成スルガphilosophyハlivingハpowerニナラナイ、Experienceノimportance.無學デモ無心ニノ助ケニハナリニクイ、philosopherハformカラphilosopher.イクラphilosopherデモaction contentsファルinspireシナケレバナラナイ、原給使カラ上ツタ人ト大學出ノ新シイ人、大シタ學問ガナクテ立派ナ作ヲスル人、學問ガアツテpracticallyニ役ニ立タヌ人、學問ハ(人事上ノ) delicateナ區別ナシ、實際ノ事ハ非常ニdelicate決シテ起ラズ、反應モ决シテsameナラズ、其nice distinctionヲミニartistハ事實カラ云ヘバartistハphilosopherヨリモモツトdelicate delicateナ區別アリ、analogyハfeelシテ事ニ當ル、故ナphilosopherデアル、ナ極端ハ分別思議ノ時間ヲ許サズシテ分別思議ノモタラスRマバタキ、地震ノトキ飛ビ出シタ〓、軍略、其他、resultヲ實行ス、intuitionデアル。原×大抵ノ人ハ結果論者ナリ、人ヲ評シテ危儉トいふ、人モシ危險ニ陷ツタトキ始メテ夫見タカト云ふ。人モシ危險ヲ逃ルレバ內ニ耻ヅ。是等ハ自己ノjudgmentノ正否ヲ未來ニ質スモノナリ。×Philosophyハ過去ヲ材料トシテdeliberateシテ未來ヲ决スルナリ、x Artistハ現在ニ卽シテ過去モ未來モナキナリ、故artistノ六九〇freeナリ、而シテ又尤モnecessitateセラルヽナリ、whole beingガ茲ニ向フナリ、intuitive (back ground pastヲ帶ビルphilosophyヲ骨格トシタル、又futureヲ鷲ヅカミニスル自信ヲ持ツタル、サウシテ殆ンド是等ヲ思量スル暇ナキ)ニ働クナリ。×此intuitionガ必ズ當ルトハ限ラズ。Bifハ過去ノ練習デsuccessハ未來ノadaptabilityアンドル七九九アンドル
A0ルカラデアル。當ル場合ニハケレドモ當ラヌトハ限ラズ。是ハ山デハナイ、又勝負ノ賽デモナイ、御ミクジ、トノ類デモナイ、シカアラザル可ラザル一種ノ念力ナリ、ダカラ自分ニ全ク經驗ノナイ〓ニハ働ラカズ。無經驗無學ナル者ガ此山カラ金ガ出ルカ出ナイカヲ認定シタツテ直覺ガ働ク筈ガナイ○時代後れ。家ノ下女仙臺、長野、房州、長大。○結婚-表慶舘、上野精養-自働車、馬車、白石の詩、澤庵和尙、王、賀の書、明畫、六祖の畫原原吳州、なんかうの茶碗柿右衞門、仁〓乾山、(1)AトBノ確執。(2)Aノ得意(2) vanityニ損ニナル) (BノAニ對シテ講和セザ〔ル〕可ラザル) (3)Bノ動作(1Aノ得意ノ妨害(1)今日迄ノ態度ヲ策といふ四絕對謝罪○關口水道町ノ變化○痔Kleyノ畫○不思議(ひな)子ノ死○子供ノ死、夫婦ノ和解○子供ノ死freethinker superstitiousスナナ二○鎌倉、○雅樂蛸取、小坪八〇一
<011○婚禮、太神宮、五軒町、○明石、和歌山○大阪病院○痔括約筋○能樂堂左陣松風○有樂座名人會四昇三三○帝國劇場、ノラ○子供の死。葬、火葬場、骨拾○關口と早稻田の變りやう。○小川町停留所五軒町、西片町田川敬太郞森本申妹春妙須永市藏千代百代吾1咲一男重嘉吉田口要作俊松本恒藏〃但川It is calculated that a single bacterium comfortably lodged in a nourishing medium , produce 16,500,000 descendants in twenty-four hours, and at the end of the third day have a family of 47,000,000,000,000 or in words, forty-seven millions of millions. will will八〇川
八〇四四○黑人ノ仕事、テmeans,○黑人ノ競爭Same direction寸、尺、丈absurd (株)ノ保存) Mei CaC Hノlifeヲ長クスル。(自己ノfreedomト特色ヲ犧牲ニシalong ono special Tine.俳句ノ例藝者ノ例○黑人ノ自覺×還元(modified form)的X Zow departure (different plane)○Art.女ノ言語動作芝居(子供ヲ道具)五分化原○耳垢取、桂菴、士藏倉引、田舍、東京、學問〓○結果、深狹、箱の四方ををる。時間の不足、-同情、不同情、○不具者。嫌厭の點原士藏倉引、元祖藤八拳、半襟、帽子、襟飾、シヤツ屋、-〓〓、特殊、雜貨店、八〇五
八〇六記-明治四十五年五月より大正元年十月五日までー日○代議士の運動猛烈なる時(四十五年五月十五日選擧)ある人來りて某の爲に投票を依賴す。座に寺田理學博士あり、依賴者の歸りたる後、どうして代議士などになりたい氣が起るだらうとい○五年振に中川芳太郞に逢ふ。近頃は羅甸語を〓へてゐますと、夫からイリアツドが讀めるやうになりましたといふ。小宮と鈴木が驚ろく。余も驚ろく。○右は世の中に全く利害を異にする人間が生存するいゝ證據なり○日本橋の某議員候補者の事務所に來て、あなたを投票して今歸りだといつてわざ〓〓斷つて名刺を置いて行つたものが七百何名とかあつたが、實際投票の數は其半分しかなかつた由。是程御叮嚀なうそを吐くのは(候補者のやり口にわるい所があるからでもあらうが)彼等の道德の程度が甚だ低いといふ證據也。此道德の水準をどうして高める(七八)といふ事が選擧問題よりも餘程な大事件大問題なるべし。夫からイリアツドが讀めるやう八〇七
八〇八〇五月二十三日霞寶會。六郞の隅田川。モガ〓〓何を云つてゐるか分らず。斯んなirritatingなものなし是を含蓄と心得るのは沙汰の限りなり。然し謠を外にして末段の所作は面白かつた。春日偶成其、莫道風塵老竹深鶯亂囀其二竹密能通水風光誰是主其三細雨看花後虛堂迎晝永其四樹暗幽聽鳥春風無遠近當軒野趣新〓晝臥聽春花高不隱春好日屬詩人光風靜坐中流水出門空天明仄見花吹到野人家其五抱病衡門老江山春意動其六渡口春潮靜漁翁眠未覺其七流鶯呼夢去昨夜春愁色其八樹下開襟坐落花人不識其九草色空階下孤鶯呼偶去其十憂時涕淚多客夢落煙波扁舟半柳陰山色入江深微雨濕花來依稀上綠苔吟懷與道新啼鳥自殘春萋々雨後靑遲日滿閑庭八〇九
八一〇渡盡東西水春風吹不斷三過翠柳橋春恨幾條々原の二廿二五月夜夜間町木形長選の爲行を盡行するとし炎英なると交行く。今日中止!!!と張りつけてある。わざ〓〓案內をして理由もなく中止す。驚ろくべき無責任原なり。テントの中に飛行器あり。カーチスなるものは恐らく山師ならん。×電車の內で齋藤與里にあふ。土曜劇場の歸りといふ。×大曲の觀世では追善の能をやつてゐる。芝の山內では自動車、自轉車の展覽會あり、帝國劇場はマチネ、自轉車の展覽會あり、帝國劇場X Justiceト贔屓X Loveと義務(Sex×利害心トKindnessノ欲ト未來の子供ヲ育テル務)○他の權威が自己の權威に變化する時之を生活の革命といふ。其時期。及び說明。○「人を見たら泥棒と思へ」「信を人の腹中に置く」兩者の意味、其對照○文藝協會。ボストンの四部合唱。樂團。博文舘二十五年記念祝賀會。行啓能。自由劇場、アーチヤー驩迎會。土曜劇場の合併。上野音樂會。露西亞音原○五月六日夜靑年會舘にて露西亞音樂團の唱歌を聽く。團體なり。服裝はなやかにて奇妙なり。四五十人の原○五月二日?妻小猫を踏み潰す。醫者とても駄目といふ。晩に線香をあげる。く再び醫者に連れて行く。遂に埋める。もとの猫と同じ所也。翌日まだ腹が動○九日上野音樂會を聽きに行く。ハイカラの會なり。管絃樂も合唱も面白し○十日行啓能を見る。山縣松方の元老乃木さん抔あり○新曰く最初舞臺に出る時は見物の顏も自身の所作も分らず夢中にて下る。段々度數重なるにつけ見所にゐる人の顏やら樣子やらが明瞭になる。けれども同時に彼等の動作に囚はれる。最後に八一
八一二は明瞭に見えながら丸で彼等が眼中になくなる。新は常に臆病を自白す。地震で屋根へ飛び出し原たり窓から飛び下りた話をする男であるが、臺台の上では大抵の雷があつても平氣なりと語れり。○雨晴天一碧愛見衡門下水暖柳西東明々白地風〇六月十六日市村座へ行く〇六月二十二日畔柳芥舟佳例により郷里の櫻坊を持つて來てくれる〇二十三日中村是公愛久澤直哉來。二時過自働車で向島へ行く露伴、〓香の香浮園を訪問夫から堀切の菖蒲を見て、東五軒町迄歸る。六時前也。夫から築地の瓢家へ行く。夫から芝の是公の家から牛込へ歸る十時半也。自働車だからこんなにあるけるのだと思ふ。○芳菲看漸饒却愧丹靑技韶景蕩詩情春風描不成○高梧能宿露靜坐〓蒲上疎竹不藏秋寥々似在舟六月二十九、三十、一日鎌倉○江島の岩屋へ這入る手前の橋の處にて、男女二人退潮の岩の上にて貝か何か尋ね〓る有樣也。歸りに見ると彼等の蝙蝠と足袋と草履と風呂敷が見えるけれども二人の姿が見えず。まさか入水でもなからうと思つたが何だか不安であつた。橋の上を少し步くと、彼等は夢中になつてまだ何か探してゐた。彼等の姿は岩の影で見えなかつたのである。○ある腰辨出張の前ある待合に行き素人を注文す。主婦よろしいと云つて寫眞を見せる。其中に自分の妻君の寫眞あり。主婦曰く此人○日から○日迄でなければ御意に應ぜずと腰辨腹の中で計算して見ると丁度自分の出張する間の日取也○鎌倉の別莊の生垣には珊瑚樹多しゆづり葉の如き厚さ光澤ある葉なり地味に合ふと見えて發育甚だよろし。大きなのもあり。八幡境內蓮池の柳の陰に一本あり。細かな茶色な花をつく。原○光明寺境内(材木座)に開祖記主禪師手植の白檀あり見事な木なり○茂子の別莊を北側の庭から見ると京都邊の古刹の趣がある。たゞ少しく家庭趣味を交へた所が八三
八四違ふ丈である。南側は頗る時代が着いてゐない。○鮑百目二十錢也。二つ三百五十目故七十錢にあたる。を加へ一圓へ買ひとる。籠は頗る重し。さゞい。とこぶしを交へ蛸一疋(五錢)○綠雲高幾尺雨過更成趣葉々疊〓陰蝸牛陟翠岑〇七月十三日?臨風大觀二人に招かれて下谷伊豫紋に行く。原二十一日小供を鎌倉へ遣る。一滊車先に行つて菅の家に入る。二階から海を見る。涼し。主人原と書を論ず。何紹基の書を見る。午後小供のゐる所へ行く。材木座紅ゲ谷といふ。思つたよりも汚なき家也。夏二月にて四十圓の家なれば尤もなり。庭に面して畠あり、畠の先に山あり大きな松を寐ながら見る。其所は甚だ可。たヾ家の建方に至つては如何とも賞めがたし。東京の新開地の尤も下等な借屋の如し。〇二十二日、濱へ出て見ると、海濱院に逗留の唐人海につかつてゐる。女は赤や水色の手拭樣の原ものを頭へ卷きつける。着物も膝迄のを着る。四時五十何分の滊車で歸る。で晩餐。車を雇ふ。二臺にて一圓〇八錢。稻妻ゴロ〓〓雨。東洋軒の出張所〇二十三日是公突然來る。晩餐を食ひに行けといふ。築地の山口へ行く。御しん、しめ子、御しほ、小露、ひな子抔といふ藝者の顏を見る。外に六べえさんと自稱する藝者から金神さまの講釋を聞いて信者にさせられる。此六べえさんは松前の(北海道)產なり。言葉なまりあり。○大觀畫をやるといふ。の方先づ出來上る。獨坐空齋裏大觀居士贈野水辭君巷徂徠隨所澹余の書をくれといふ。仕方がないから御禮の詩をかくといふてやる。詩丹靑引興長圓覺道人藏閑雲入我堂住在自然郷○流山の秋元梧樓又入らざる明治百家短册帖とかを出板す序をかけと云つて聞かず。添へてやる。手紙に詩を八五
八一六雲箋有響墨痕斜好句誰書草底蛇九十九人渾是錦集將春色到吾家百人を九十九人としたるは余を除きたる也。九人は謙遜でもなし。事實を申した積也。余の短册は實際物になつてゐるとは思へず、九十〇七月三十日午前零時四十分陛下崩御の旨公示。同時踐祚の式あり。〇三十一日に改元の詔書あり朕菲德を以て大統を承け祖宗の靈に告げて萬機の政を行ふ茲に先帝の定制に遵ひ明治四十五年七月三十日以後を改めて大正元年と爲す主者施行せよ御名御璽明治四十五年七月三十日各大臣連署右は公羊傳に「君子大居正」易經に「大享以正天之道也」とあるによる。先帝の御謚號は明治天皇○朝見式詔勅朕俄に大喪に遭ひ哀痛極罔し但だ皇位一日も曠くすべからず國政須臾も廢すべからざるを以て朕茲に踐祚の式を行へり顧ふに先帝睿明の資を以て維新の運に膺り萬機の政を親らし內治を振刷し外交を伸張し大憲を制して祖訓を昭にし典禮を頒ちて蒼生を撫す文〓茲に敷き武備爰に整ひ庶績咸熈り國威維揚る其の盛德鴻業萬民具に仰ぎ列邦共に視る寔に前古未だ曾て有らざる所也朕今萬世一系の帝位を踐み統治の大權を繼承す祖宗の宏謨に遵ひ憲法の條章に由り之れが行使を愆ること無く以て先帝の遺業を失墜せざらん事を期す有司須らく先帝に盡したる所を以て朕に事へ臣民亦和衷協同して忠誠致すべし爾等克く朕が意を體し朕が事を奬順せよ○大正元年七月三十一日齋藤海軍大臣及上原陸軍大臣を宮中に召され陸海軍人に左の詔勅を賜ふ朕茲に大統を嗣ぎ列聖の遺烈を承け萬世一系の帝祚を踐むに方り特に朕が親愛する陸海軍人に〓ぐ惟ふに皇考曩に汝等に軍人の精神五箇條を訓諭し一誠以て之をく可きを示し給へり汝等軍人は夙夜此聖訓を奉體し累次の征戰を經國威を宣揚し皇基恢弘し以て曠古の偉八七
八一八勳を翼成したり朕は朕が統率する所の軍隊は卽ち是皇考の慈育愛撫し給たる所の軍隊なるを念ひ汝等軍人の忠勇に信倚し皇考の遺業を紹述し倍々皇國の光威を顯彰し億兆の福社を增進せんことを冀ふ汝等軍人は皇考の遺訓に由り以て直に之を朕が躬に效し愈々奉公の志を輩くし思索の選を愼み宇內の大勢に鑑み時世の進運に伴ひ拮据勵精各其本分を竭くし朕が股肱たるの實を擧げ以て皇謨を扶翼せんことを期せよ○右に對する陸軍大臣の奉答文畏くも優渥なる勅諭を賜はり感激の至に堪へず臣等鞠躬盡瘁誓つて叡旨に副ひ奉らんことを期す海軍大臣の奉答陛下登極に方り特に陸海軍人に優渥なる聖勅を賜ふ臣等感激の至りに禁へず誓て叡旨に副ひ奉らんことを期す海軍々人を代表し謹んで奉答す○朝見式勅語に對する西園寺首相の奉答臣公望誠惶誠恐伏して言うす大行天皇奄に登退あらせられ臣民憂懼措く所を知らず今叡聖文武なる天皇陛下大統を承けさせられ茲に〓訓を垂れ給ふ聖〓遠く慮り睿圖遺す臣等鞠躬盡瘁誓つて叡旨に副ひ奉らん臣等感激の至りに禁へず誓て叡旨なく上は先帝の鴻業を續ぎて憲法の條章に循ひ下は億兆の和協を奬めて忠誠の至情を輸さしめ以て祖宗の休光を無窮に發揚せむとし給ふ是れ寔に宇內の齊く仰ぐ所にして臣庶の永く賴る所也臣等聖勅を拜し感激の至りに勝へず今より後益匪躬の節を效し夙夜淬礪邦家の進連を扶翊し以て聖旨に答へ奉らんことを誓ふ臣公望誠惶誠恐頓首謹みて奏す○三十一日拜訣式竝に納棺式御船(內棺の事か)の厚さ七分、中棺は二寸外棺は三寸、三棺の間はセメントを詰込、總體の長さ一丈高さ三尺四寸幅四尺、棺臺の厚五寸其上に白の薄緣、靈柩は臺と共に白木の吳床の上に安置し白羽二重を以て覆ふ。前に幅一尺五寸四方高一尺五寸四方位の根付の眞榊一對と御忌火、御神饌、御幣帛。御船の中に入れる遺骸には白羽二重の〓き衣、同じ枕、三襲の褥、丹其他の香具數種同じ枕、三襲の褥、丹其他の香具數種〇一日の新聞に左の廣〓を出したるものあり八一九
八二〇御崩御に付謹で弔意を表し奉候日本橋區久松町三十五舊稱森又組屋商大正電浪花二九振替東京九六一店五四純絹製一掛章金十五金三十宮內省告示に基き喪章發賣仕候五掛以上御屆可申候喪章錢錢○轎車(牛車)總體御黑塗にて御寸法は英照皇太后陛下の御時より長大となり御型は夕顏型なり外側の大輪は七箇にて一輪の組矢二十一枚、左右と上部は栗色網代にて御簾は四箇所に垂下され前後兩面と左右の上部後方に於る二箇所にて竹は本磨緣編絲とも鈍色、御簾の內側の御引立は四箇所とも近江表鼠色の平絹を用ひ御引立の上部より垂下すべき簾は鈍色の精好屋根裏は黑塗の格天井御簾の上部に吊るすべき瓔珞は何れも黃金色の御紋章菊花と花菱にて御楊は黑色の漆塗なり御金具は全部黃金色なり尙萬一の場合の御雨被は靑漆色の桐油にて製造し御紐は白色なりといふ○御輦(靑山より桃山迄)御神輿に均しきものにて一名葱華輦と申し總體黑色と爲し金具類は飾なき素銅四方の御垂簾は本磨きの竹、組絲、緣總て鈍色の絹を用ひ、四隅に鈍色平絹の御惟を垂れ御屋根四隅の尖端に原は絹絲の房を吊るし堅添棒、橫添棒とも漆塗の黑にて屋根裏は合天井、垂木の末端には素銅の飾を附し御輦の後部は觀音扉也扉の外面には御簾を垂る御萬一の御雨被は濃黃色の桐油にて四箇所に金の御紋章を施さるゝ筈也〇八月二日鎌倉に行き二日三日とまつて四日の夜歸る。原九時四十分の滊車で行く。商家の男、姊妹と見える女を三人つれて乘る。何れも落付かず、相應の服裝と相應の言葉遣ひをしながら立つたりゐたり毫も餘裕なき風。中の女の帶をさして妻が麻ですよといふ。成程。白麻に薄い藍で松を染め下に茶色の線で家薄紅の紅葉。むかしの御殿女中の着物かかいどりにありさうな野暮なものなり。變な好みの復活と思ふ。○伸六二日程前より熱。猩紅熱ときまつて今朝病院に入院したといふ。車で行つて見る。東京か八二東京か
八三ら呼び寄せた看護婦とつねが世話をしてゐる。猩紅熱は咽喉と腎臟を冒す由にて其方の注意を怠らぬやうにするとか。經過は一ヶ月かゝるといふ。彼の布團やかい卷を病院で消毒してもらふ。夜消毒をしに家に來る人五六人。皆白い着物をきて家中石炭酸の臭がする。散步から連れて戾つた小供が盆槍してしまふ。暗い夜で、あたりの別莊はしんとしてゐる中で自分の家丈が火の影や白い着物の行違ふ影でごた〓〓するのを立つて見てゐるのは變である。「少しも品物が傷みはしません。二三日立つと臭が拔けてすつかり故の通になります」と云つて消毒掛の人が、しきりに消毒をすゝめる。自分の洋服と妻の着物丈はチヤブ臺に載せて暗い畠の中に出して置く。夜は夜具が足りないのを工夫して二つの蚊帳に子供六人我等夫婦岡田とみねと寐る。三日。小宮が藤村の菓子をもつてくる。くろを脊負つてボチや〓〓す。小宮とまる。純一飯を十一杯食つて腹がくるしいといふ。ケンをやる。みんなで海へ行く。遠淺でよき所なり。子供等は浮ぶいろはがるたをとる。源平でジヤン四日寒いのを我慢して海へ這入る。ひるからあみだをやる。二錢の籤にあたる。昨夜妻が病院から歸つて、病院の看護婦の不親切を訴ふ。事務と看護婦へ金をやつて來たといふ。アイスクリームを食へと醫師がいふ。さうして付添には室外へ出てはならないといふ。さうして誰も來なければ、どうしてアイスクリームを食ふ事が出來やう。馬鹿々々しい事である。白い着物も病院で貸してくれる(是は妻が事務で聞き合せて承知した事)のを貸さないで着なくては不可ないといなべ此病院は評判のわるい病院ださうである。何か看護婦にいふとふんと答へる丈ださうである。看護婦長にいふと普通の答はするが一向其通にはしないのださうである。東京から來てくれた付添の看護婦が妻にこんな所は始めてだと云つたさうである。去年か一昨年妻の遠緣のものが此所に這入つた時抔は湯たんぽの湯さへ拵らへなかつたといふ。五時頃伸六の見舞に行く今日は大變よくつてバナヽを四つ食つたさうである。床の上で電車をおもちやにして遊んでゐた。原六時過の滊車で歸る。日曜だものだから中等客一杯。小宮と一等に移る此所には獨乙人が五六人乘つてゐた。八時過銀座の佛蘭西料理へ這入つて晩食をくふ。夜街頭をあるくと大變寒い。妙な氣候であつた。○松の枝に御櫃が干してある。蟹が松の下を這ふ。原まさきの桓。ひかんの黄な花(婆さんが西洋の芭蕉といふ)桔梗。百合。月見草。唐茄子。ササギ。玉蜀黍。芋。茄子。仁參(丸い仁參)。靑いトマト。床の上で電車を桔梗。百合。月見草。唐茄子。サ八二三
ハ一四珊瑚樹の垣。珊瑚樹の花。遠くから望むと綺麗なり。光明寺の裏の松山の松が軒を壓して見える。○八月十七日鹽原行原九時三十分の急行。赤坊に聞くと大分中等が込みあひさうなので上等にのる。寢臺六人前上を併せて十二人分)の列車にたゞ一人なり。煽風器が頭の上で鳴る。大宮々々、浦和々々、といふ聲を聞いて寐てゐる十二時頃食堂に行く。食堂のつぎに喫烟室其次が中等の一部。其此方からのつき當りの左の隅に丸髷の女、突當りに男、つれだか何だか分らず。食卓の前の男(色の靑い丁稚上りと見える)海老のフライを二皿食ふ。左側の男しやつ一枚で食ひながら書物をよむ。しばらくする(ハ〓)さつきの女と男がつれ立つて食堂へ這入つてくる。はじめて連といふ事が分る。西那須(二)、へ下車。輕便鐵道の特等へ乘る。さつきの男女向側へ腰をかける。關谷で下車車を雇ふ。一番先がしやつ一枚で書物をよんだ男其次は帽子の下ヘハンケチを風に吹かせた男其次が自分、女と男は後れて來る。いゝ路なり蘇格土蘭土を思ひ出す松、山、谷、靑藍の水。後から四臺つゞき(是は自分のすぐ隣りの中等室に家族一同のれる人)くる。特等列車のうち寢臺六人前上浦和々々、といくる。特等列車のうちでどちらへ手前は鹽の湯へ參りますといつた男の妻子もくる。大網といふ所で私は米屋で御座いますといつて仙臺平の男が呼びとめる。其間にあとの車が先になる。やがてしやつ一枚の男は橋の處で寫眞をとる。余の次の室の一團は松家の門口でとまる。余の車は美人のあとからずん〓〓行く。男と彼女の距離よりも彼女と余の距離の方餘程近し。連か御供と見える。米屋の所で一寸御茶を一つといふうちに又かの女と遠かる。余が別舘へ又出掛ると彼等は又楓川樓から引き返す客が多くて斷はられたものならん。別舘は變な所なり、只閑靜といふのみなり。米屋へ入湯に行く。○八月十八日寶の湯へ行く。きのふ見た馬が河原でまだ草を食つてゐる。白と黑の斑な馬。小栗宗丹か會我蕭白の書きさうな變な馬なり。寶の湯の前に石があつて朱字で千葉縣野田醬油產地何の某。神經痛が癒つたとか書いてある。五時過だといふのに大入で這入る場所もない。小屋掛中は男も女も滅茶々々なり。女の隣へ入れてもらふ。尻からぶく〓〓と玉が出る。是湯の湧くなり。そばの蓆に一人寐てゐる。ごみだらけ也。ラヂウムが含まれてゐるとかいふ話ですと女がいふ。石を四つ五つ竝べて御由是を一つ持つて行かう「御止しなさいよ、そんなつまらないものを。第一重くつ原て仕樣がありやしない」「重いたつて滊車が重い丈だ」余は「何にするんですか」と聞いた「盆八二五
八二六栽にあしらふんです」と答へる。、カル石ヤラ斑入ヤラあつたが何れも愚なつまらぬものであつた。夫でも當人は堀出物の氣で河原へ行つて探し出したのだと威張つてゐた。原○晝から鹽の湯へ行くといつて出る、米屋の子僧馳けて來て曰く只今東京から二人見えましたと。行道に本店に行くと二人は湯に入つてゐる。夫を待ち合はして一所に鹽の湯へ行く。玉屋へ電話をかけてくれる。ペンキの箱の樣な宅の三階の角の室に通る。時々三階がゆれる。廊下傳ひに湯に行く。一町餘り下る。谷川の岸に湯壺が六個ある。男も女も區別なし。入浴の上谷川で頭を洗ふ。是公女按摩をとる。「按摩さん何處だね」「古町です」「按摩さん御亭主があるかい」「おれは四十六だが亭主に持たないか」「おとつさんに持ちませう」G.P「山でつつころがした松の木でろた、樣な女でも······人が袖引きや腹が立つ」按摩曰く御金をためて東京へ行つて藝者を上げて歌を聞きたい。按摩歸る時、按摩さんあぶないよ大丈夫かいと聞く。大丈夫ですといふ。猶念を押すと按摩は階子段をとん〓〓と馳け下りるやうにする。驚ろいたなあと引き返す是公宿るといふ。藥を忘れたため留る能はず、余一人歸る。薄暮山を下る。古町を外れると宿の番頭が提灯をつけて迎にくる。下女が御淋しいでせうといふ。蓄音機でもやりませうかと聞く。蓄音機を持ち出して一時間ばかり聞く。原○昨日の朝三位の洞穴へ行く岩の間に茂る其所の崖から水が垂れる、夫から階子段を下りて愈本式の穴に入る。蠟燭を點けて白い上蔽を借りて這入る。裏道傳ひに岨道を下る。螢草、夕貌、蘆川柳、葛の間に牛の樣な岩あり。街道に出て引き返す。昨日の女結付草履にて男と一所にくる。家に歸りて足袋を穿き洋傘を持つて八幡樣へ行く。細長い石段夫が曲つたりたるんだりしてゐる。上り切ると大きな杉が二本。逆さ杉といふ畫端書にあるものなり。見るとそばに先刻の女と男がしやがんで納涼んでゐる。正一位正八幡宮は憐れなものなり。泉があつて杉の木立がある余一人歸る。薄暮山を下る。古町を外れると宿蓄音機でもやりませうかと聞く。蓄音機を持ち出して一時間ば夫から階子段を下り八月十九日八七七
八人八八月二十二日。S來。海苔をくれる。懷中汁粉を食ふ。たゝみ鰯をもらふ。何遍〓つても分らず場役手役四光。靑短赤短凡て說明されて猶分らずはなを〓はる。原二十一日龍化の瀧。秀、須磨、瀧壺に入り冷たいといふ。歸途須卷の瀧に行。三本の湯瀧。カブト被る。胸をうたして死んだ人ある由にて、ある婦人突然來り胸をうたすのは御止しなさいといふ。此宿山の中に一軒あり、御出なさいとも入らつしやいとも云はず、帳場に人が居ても知らぬ顏をしてゐる。さつき二人連が來た筈だがといふと分らないといふ。白い團子。二十二日妙雲寺の常樂瀧。Z書畫帖にかけといふ。小僧墨をすり出す。(9, K、同行七福神を買ふ)。不得已舊製を詩箋に書く。住持出てどうぞこちらへといふ。浴衣がけに手拭をぶら下げたる儘にて逢ふ。(高尾のうちかけ)晩住持書畫帖を持つて來る。今朝迄あづかる硯を求むなし。遲く來る。ZとK墨をする。送鳥天無盡看雲道不窮の句を書す盡字を誤つて迹に作る。朝匆々之を訂正す。宿のもの記念に何か書いてくれといふ。○華藏院三百坪芝原。月見草、芒一株、疎竹原菜、午蒡、芋、黃瓜唐もろこし、いちご、萩山色〓淨身といふ句をかく芒一株、疎竹唐もろこし、二十四日馬で中禪寺へ行く。尻いたむ。レーキサイドホテルで晝食。又馬にて引き返す。胃酸わき、膨滿、苦痛、食慾なし、湯に入る、益甚し、寐る。瓦斯胃より腸へ逃るゝ心地也。〓野氏來り是公と會見。對話斷續聞ゆ。二十六日輕井澤より豊野、長野にて是公待ち合はせる。力石に會ふ。豐野にて下車。きたなき馬車宿。さうかと思ふと護謨輪の車あり。巡査が挨拶する。自働車が今中野を出たから二十分原待てといふ。自働車は頭の上にズツクを張つたものなり。田道を疾馳す向から馬車がくる時が危原險。衝突。馬車の心棒まがる。舟橋を渡る。中野着。二頭立のガラ馬車に乘る。段々田舍道に入る。心細くなる。田中の入口にて上林塵表閣の主人出迎ふ。車にのりて澁安在を過ぐ。絕壁を下りて橋を渡る八一九
八三〇(澁の二三間の道路の兩側の二三階相對して話が出來さうなり風流。女が四五人手すりに倚りて下を見る)橋を渡りて又上る山を切り開いた道の樣で人氣毫もなし又心細くなる漸くにして山の中の一軒家につく。器具布團座敷思つたよりも〓潔閑靜心地よし。廣業、晩霞、橋本邦助、(契月、一章の銀襖に鹿、曲江)○左右兩側にあやしげな風呂鼠色の褌を見て心細くなる。湯田中に着くと木賃宿の樣ななかに立派な家あり。馬車を下りると護謨車がある。心細くなるかと思ふと心强くなる。トンチンカンの處が夢の樣である。〇二十七日地獄谷へ十二町深く入る。河原へ下り(20)へ渡した橋を渡る。河原の中からすさまじき勢で噴水のやうな大きさの湯が騰る晩に新橋の桝田屋の御かみの一行が澁で義太夫會を開く由にて是公提灯をつけて聞きに行く。猿屋の亭主とかゞ眞打の由。河原へ下り(20)と眞中に大きな岩がある其岩から向側〇二十八日午後村田君澁から寫眞機械を荷いでく〔る〕殘念な事をしたといふ。水瓜を持つて來たら途中で落して割つて仕舞つたから腹が立つたので皆食つてしまつた腹が張つて仕方がないといふ。今夜は諸君の爲にわざ/〓義太夫の連中が澁で開く事になつたから來いといふ。みんなを呼んで飯を食はせる事にして置いたから一所に來て食へといふ。五時過出掛ける。杉の木立のある神社の處へ來ると水瓜の落ちたのが散らばつてゐる。田舍道を指して吉野に似てゐるといふ。津幡屋の二階へこつちから持つて行つた鳥をひろげて朝鮮の石鍋で食ふ。四十恰好の白粉をつ原けた婆さんが挨拶に來る。村田君に聞くと桝屋の御上だといふ。飯の時刻が遲いので失禮して隣で食つたといふ。食つたすぐあとは聲が出ない。大椽さん抔は滋養物は晝食べて晩は菜葉に卵をかけたのを食つて養生をするから七十幾つの今日迄聲には少しも變りはありません。たゞ耳が遠くなつて三味が聞えないので時々調子を外す云々。えて屋の勝公といふのが挨拶是は此座の眞打で眼の細い鼻のかたまつた趣味のない色男である。村田君は君は實にのんきだね、うちがあんなにごたついてゐるのに此んな所で淨瑠璃などを語つてといふと勝公はえへゝと笑つてゐる。あなたも寫眞を御やりですか手前も大好きですと村田君の器械をいぢくつてゐる。又奴といふ藝者もくる。面長の女で美人らしいが眼に多少足らない所と鼻の恰好が余の好みに合はない。三人は氣が氣でないのですぐ隣りへ取つて返す。三味線の音がする。始まつたなといつて鳥をつゝく。仰向になつてゐると、勝公が表から又奴が出ましたと知らして吳れる。是は美人だからみんなが八二みんなを呼ん田舍道
八三原聞かうといふので勝公が〓へたのである。Zは合切袋を提げ余は平野水に藥をのむ湯を入れて隣原へ行く、又奴が三十三間堂を奇麗な聲で語つて入る。けれどもちつとも力が這入つて居ない。そ原れから升田屋の御上のいゝ人といふ藝名淇泉君の御所櫻になる。是も辨慶上使などをやるには無理な貧弱な語り口である。其次が御上の安達が原是はいゝ人よりはましである。次は勝さんの寺子屋一寸うまいのだが途中でやめてしまつた。白い麻の着物に夜の蟬が來てとまつたので御客が笑ふ。仕舞が堀川の懸合である。三味は六代目〓七といつて文樂でいゝ所を彈いてゐたのを連れて來たのだとい〔ふ〕。是は本式の黑人である。是がつれびきがないからといふのを村田さんが無理に勸めてやらせたのである。役割は母桔梗(勝公)與次郞(淇泉)御しゆん(桝筆御上の事)傳兵衞御つる(日吉)此日吉といふのは坊主あたまの髭を短かく刈つた書生見たやうな男である。村田君にあれは何ですと聞くと藝者屋の主人ですと答ふ。原引き幕に赤いうちに黑丸をかいて中に廓と書いてある。廓といふのは湯田中にゐる人で廓大夫といふのださうである。途中でZが指を出して何かやらなければなるまいといふ。是丈でいゝか指を一本ふやす。村田君に相談するとさうさなといふ。20にして村田君に渡す。中入頃になつて村田君があまり馬鹿馬鹿しいから十にして置きませうといふ。何聞いてやれば嬉しがるのです。さうしてほめてやれば澤山です。私は祝儀としてやなく前からの關係で十やつて置きました。十二時頃提灯をつけて歸る。九月十七日○鹽原の平元德宗師に依賴されて鹽原の詩を絖にかく蕭條古刹倚崔嵬。溪口無僧坐石苔。山上白雲明月夜。直爲銀蟒佛前來。(妙雲寺觀瀑)原〇九月二十六日正午痔瘡の切開。前の日は朝バンと玉子紅茶。晝は日本橋仲通りから八丁堀茅場町須田町から今川小路迄步いて風月堂で紅茶と生菓子。晩は麥飯一膳。四時にリチ子ヲ飮んで原七時に晩食を食ふたが一向下痢する景色なし、翌日あさ普通の如く便通あり。十時頃錦町一丁目十佐藤醫院に來て浣腸。矢張り大した便通なし。十二時消毒して手術にかゝる。コカイン丈にてやる。二十分ばかりかゝる。瘢痕が存外かたいから出血の恐れがあるといふので二階に寐てゐる。括約筋を三分一切る。夫がちゞむ時妙に痛む。神經作用と思ふ。縮むなといふideaが頭に萌すとどう我慢しても縮む。まぎれてゐれば何でもなし。八三
八四四部屋から柳が一本見える風に搖られて枝のさきが動いてゐる。前の家で謠をしきりに謠ふ。煉瓦の倉の壁が見える。床に米華といふ人の竹がある。北窓開友とかいてある。夜新內の流しがくる。夜番が拍子木を鳴らしてくる。えい子あい子來る。赤〇二十七日。食事パン半斤の二分一。鷄卵二。ソツプ一合。牛乳は斷はる。食後と澪といふものを買つて來てもらふ。晩に東と妻がくる。岡田がくる。藤村の〇二十八日。尻の穴の方のガーゼを取る。今晩歸つてもいゝと云つたが面倒だから一週間ゐる事にする。隣は洗濯屋。へ行くなら着て行かしやんせ。シツ〓〓シ。無暗にうたをうたふ。少しうるさくなつてきたぜといふ。隣が洗濯屋でなければいゝといふ。さう馬鹿に見えるかねといふ。洗濯屋は人間かいといふ。行德が晝過くる。妻がよるくる。妻に富貴紙と卷紙と狀袋を買はす。○伊東榮三郞さんの死んだ通知に對して弔詞を出す。〇二十九日朝囘診の時尻の瘡の處をつゝかる。原ガーゼを少し緩めて見たらまだ血がにぢみ出す少々痛し。から二三日そつとしてゐないとわるいといふ。二三日すれば出血しても迸りはせぬから構はないといふ。看護婦さんが銀杏返しに結ふ。髮を結ひましたねといふと、へえいたづらを致しましたと答へた。膳を持つてくる時には日本服を着てきた。どこかへ出ますかと聞くと、いえあたまを結ひましたからと答へた。夕方洗濯屋の物干にある一列の洗ひ物がまだ乾かないと見えて物干から突き出した儘それなり原になつてゐる。それが暮色を受けて薄藍に見える。たつぷり日が暮れて空の色が沈むといつの間にか白い色が浮き出して風に搖られてゐた。夜に入つて雨。毛布一枚で夜半寒し。二三日すれば出血しても迸りはせぬから構はない〇三十日前夜の引つゞきにて雨降る。わびしき日也。今日は手術後五日目なれば順當に行けば始めてガーゼを取替る日なり。うまく取り替られゝばいゝが。囘診の時醫師はガーゼを取り除けて至極いゝ具合です。出血も口元丈で奧の方はありませんといふ。〇十月一日八三五
八三六十一時頃浣腸。ガーゼを取り替へる。瓦斯多量に出る。便は軟便にて少々なり。「出血はありましたか」と聞く。「是が癒り損なつたらどうなるでせう」「又切るんですさうして前よりも輕く穴が殘るのです」心細い事である。「なに十中八九迄は癒るのです」「三週間遲くて四週間で原す。」「括約筋をどうして切り殘して下からガーゼが詰められるのですか」「括約筋は肛門の出にやありません。五分程引込んでゐます。夫を下からハスに三分程削り上げた所があるのです。括約筋の幅の三分一です」瘡のない右の方が急にはれて苦しい。床の中でぢつと寐てゐる。あしたから通じをつけると云つて腹のゆるむ藥を一日三囘に飮む。原原○縣でゐて見てゐると前にある鍊瓦の倉が見える。其所に打釘の大きな樣なものが一列に三本と山形の下に一本見える。是は裝飾だらうか實用だらうかと考へる。裝飾ならつまらないものである。實用なら何になるんだらう。あの折釘に繩をかけて上つて來てそれで仕舞に其釘の股に足を原原掛けて家根に上れるだらうかと色々考へる。とう〓〓上れさうもないと思つてあきらめる。鍊瓦の前に電線が三本ばかり風にふら〓〓して見える。原の降りやけなけるのの前面を高等な所のかかられるやっと方で段を上つて物干へ洗濯物をかついで出る。小僧が白いものを擔いで物干臺の所迄上つて行つて其所へ放り出すと上にゐた大僧が白いものをぢかにそんな所へ置く馬鹿があるかいと云つていきなり頭を張りつける。小僧はだまつて白いものを一つ一つ拾つて籃の中へ入れてゐる○小さい看護婦は群馬のものだといふ。(大きなのも群馬である)。名前を聞いても云はないから、それぢや君の事を群馬縣と云つてもいゝかといふと、よござんすと答へた。今日午のときまた聞くと、石がつきますといふ。石井、石川色々あげたが、いゝえといふ。仕舞に石關ですといふ。名はひやくだといふ一一一三四の百だといふ。それから御百さん〓〓といふ。大きいのは都丸しくだといふ。「內のものはみんなくの字がつきます」十月二日○昨夜から粥を食ふ。慢する。陰。冷やかな風。午過細君車を持つて迎に來る。着る。昨日から腹をゆるめる藥を呑む爲め今日は通じを催ふす。診察時間前故我看護婦二圓宛やる。荷物を風呂敷に包む。袴は穿かずに合羽を十月三日○便後醫者に行きガーゼを取り替へる。夜小宮岡田鈴木がくる。新らしいガーゼを入れる時痛みが段々なくなる。八七七
八三八十月四日○朝便通なし。醫者で浣腸してもらふ。○昨日山本(社の)が來て文展の批評をしてくれと賴む。○胃わるく。酸わく樣子也○留守に中村是公來る。十月五日○朝後架にてひよ鳥の鳴聲を聞く。○醫者に行く。「今日は尻が當り前になりました。漸く人間並の御尻になりました」今日は便後肛門がはれてゐなかつたからである。○歸りに牛込見付を出ると、市谷八幡の方角の森と小石川の牛天神の森のなかの木が幾本か焦げたやうな色に變つてゐる。秋の影響は旣に梢を侵したのかと思ふ。夫だのに人はまだ大〓單衣を着てゐる。日はかん〓〓當つて目眩ゆい位である。○車上にて「痔を切つて入院の時」の句を作る漸く人間並の御尻になりました」と云はれる。夫だのに人はまだ大〓單衣を着てゐる。日はかん〓〓秋風や屠られに行く牛の尻、八一九
八四、斷-明治四十五年五月以降-片○五月六日の晩に市原君が約束の通り老妓の話を聞きに連れて行く。小學校の先生の樣な服裝をして鐵緣の眼鏡をかけてゐる。自分は裕に袷羽織にセルの袴で一所に行く。途中で市原君は藝者といふから少しは奇麗かと思ふときたないの許寄つてくるといふ。どうせ御茶を挽いてゐるのが聞きにくるのだからさうでせうと答へる。第一無學で、今年は明治何年か知らないのがあるといふ。全體何處かと聞くと檜物町だといふ。吳服橋で下りて少し西へ行つて右へ折れて夫から又左へ曲つて丸善の高い建物(2)見える横町へ出て細い露地を入る。幅三尺ばかりのうちに兩側に家が竝んでゐる。その左の一軒だ。原○上つた所が卽ち坐る處で、四疊に長火鉢と茶簞笥がある。そこに亭主(八百屋のよし)と神さ原んと下女とした地つ子(?)がゐる。狹くて蟄息しさうである。此所で話すのかと聞くとさうだといふ。○下地つ子が迎に行く。病氣で寐てゐるといふ。來られるか來られないかと又念を押しにやる。今御膳をたべてゐたと下地つ子がいふ。夫れ御覽といつて又迎にやる。とう〓〓出て來た。顏の八四
八四二挨拶をして、てら〓〓した赤ら顔の面長の女である。髮の毛がぬけて薄くなつてゐる。挨拶をして、こんな話は堅氣の人が聞いても面白くはありませんといふ。○神さんと雜談をして中々話をしない。そこへ抱えの藝者が歸つてくる。帶の間か(ら)紙の包を出す。御作が銀貨の御祝儀は珍らしいといつて笑ふ。藝者は女の御客だといつていやな顔をする。女の御客はいやなものだといつて同情するやうな事をいふ。何か藝を試驗されていぢめられたらしい。藝者は湯に行く○御作はとう〓〓話を始める。宮崎の泉亭とかいふ家で引かされてカゴ島で大きな家を持つて三人の下女を使つて奥樣に仕立て上げられる時からGO話である。旦那は鑛山の持主で十一の時から洋行して十何年とか英國にゐた人だといふ。耶蘇〓ださうである。耶蘇〓が藝者を受出すのはどういふものだと聞いたら耶蘇にも色々ある。日本にも禪宗や日蓮宗や眞宗があ(22)やうなものだと答へたさうだ。○書物は旦那が讀んで是なら好いと思ふものを讀まなければならない。朝は六時夜は十時に起きたり寐たりしなければならない。○西郷の畫を額にして掛けて叱られた。銀杏返しに結つて叱られた。車屋を車やさんと呼んで此られた。下女に御何と御の字をつけて叱られた。薩摩言葉を使はなければならないといつて叱られた。こんな話朝は六時夜は十時に起き○其內堀といつて自分ともと關係のあつた男が自分と旦那の間を離間してしまつた。ある日飯を食つてゐると、手紙が來た。至急申入候、大阪へ立て、小生は何日午後六時に行く。-手紙を讀んで飯を中途でやめた。是は自分の氣を引く爲と思つたから支度も何もしなかつた。旦那は約束の時に來て玄關から上る時、何うせかうなる事とは思つてゐたと云つた。上つて支度は出原來たかといふ。支度はしませんといふ。金を五百圓出した兎に角是を以て此家のものは持てる丈持つて大阪へ歸つて學校へ入るなり何なりしろ。其內何うかするといふのである。自分は棄てられるといふ疑念もあつたが年が若いからまだ外にもいゝ旦那が出來るといふ慢心もあつて、とうとう云ふ通りにした。其翌日旦那が歸る時、後姿を見てゐたが急に(玄關から門迄石の舗いてある道)其あとを追かけて外套の裾をつかんだ。旦那はふり拂つたなり後も見ずして行つて仕舞つた。夫から內へ引返すと急に悲しくなつて泣いた。下女にブラ〔ン〕デーを買ひにやつて飮んだが、むか付いて飮めない。緣側へ出て吐いて仕舞ふ。○大阪へ行くには定期船でなければならぬといふ旦那の云付である。荷物は夫々片付けて三人の原原女中のうち一人を伴にしてあとは暇をやる。庭にあつた九年坊や夏密柑や凡ての柑類を大きな籠につめたもの迄荷作りした。○船にのる積で宿屋へ行くと其所で琉球通ひの朝日丸の事務長の△さんにひよつくり出逢つた。やあつといつたが、自分の服裝が白襟で襟なしの御召に紋縮緬の羽織なので、無遠慮に口を利い八三三
八四四ていゝのか何だか分らないので、少しまごつく。すると酒を飮んだ勢で室へ這入つて來て、話をし出して、御酒は如何です抔といふ。頂きますといふと夫から酒のやりとりをした。下女は驚ろいちら夫があとから新聞に出て、其事務長と譯があるやうに書かれたのださうである。(旦那の分れる時、是から先また御前が藝者をして何處かで廻り合つたら妙なものだらうなと云つたさうである)○船は上等へ乘る。ベツドが四あるうち一つを女の西洋人が占領した(日本語の出來る)神戶へ近くなつた時、食堂へ出ると同じ上等にゐた役者と食卓に就く其時役者は御作を通辯と間違へてあの異人さんは何處の人ですかと聞いた。段々話をして大阪の南の〓〓町のあまきの子だといふ事が分つて、懇意になつて、神戶の常磐で一所に飯を食つて梅田で分れた。○あまきへ來て、目ばかり出して、こちらの娘さんの御作さんから言傳を賴まれてきましたといつて母の氣を引いたら母は今でも御作の事を心配してゐるやうであつたから、被り物を取つて挨拶をした。(板野へ行つて喧嘩を仕掛られる。前の話をしらないのでよく分らず)。金をやつて手を切る。○兄から前田の方の片をつけろと云はれる。手紙を出しても電報をかけても返事が丸で來ないの原で已を得ず又宮崎へ出掛る。旅屋へ泊つて樣子を伺つてゐると前田は堀の家にゐる。けれども何うしても會せない。其内彼は立つてしまふ。懷中は無になる。又藝者になる。喜樂といふ料理屋の裏に下女を使つてゐる。すると牛乳屋の何さんから呼ばれる。其所の夫婦が丁重にする旦那が神戶の八十七番の總支配人で金山を買ひに來てゐるのださうで、一返行くと祝儀を五圓づゝくれる(其頃は三十錢か五十錢)。夫が一週間程つゞいた後で、牛乳屋の夫婦からあの人を旦那にし原ないかといふ云ふ相談をかけられる。應ずる。すると此男が又外の藝者と關係をつける。さうして一所に芝居へ行く。其頃の宮崎の芝居は田舎の小屋掛である。御作は酒を呑んで髮結ともう一人の藝者を引き連れて喧嘩に行つて彼等の隣へ席をとるや否や彼等はすぐ席を立つて土間に入る。夫で御作はやけ酒を呑んで、舞臺で何をしてゐるか何だか分らないのだが、何とかいふ役者が奇麗さうだつたから、あいつを買つてやらうといふ氣になつて、芝居がはねたら來られるかと聞いたら上りますといふ。夫からぐでん〓〓になつて家へ歸つて寐てゐると朝眼が覺めると、傍に寐原てゐるのが、黑あばたのしつつりだらけの奴で久留米絣の變なのを着て淺黄の垢だらけて兵兒帶が枕元にあるので、愛想がつきて仕舞つた。すぐ家を飛び出して湯に入つた。○夫からある座敷へ呼ばれると客が夜具を被つて寐てゐる。聞くと御前に顏が合はされない人だといふ。卽ち牛乳屋の周旋した男である。仲直り。其男が御作の家へ這入り込んで、洋服を作る、香水を買ふ、何でも金を使ひ放題使つて、さうして御作に拂はせる、御作は我慢して拂つてゐるうちに素寒貧になる。其內警察へ呼び出されて、彼女の家に居るものは詐欺師の嫌疑のあるもので、神戶を調べてもそんなものはゐないとの事、今引き上げるには少し證據が足りないが、もうムニエ
八四六原少しすると拘引するといはれた。御作は苦しい仲から金を三十圓出して、あなたの世話になる積でゐたが、到底さういふ譯に行かないから是であなたは何うでもなさいといつた。其時彼は詐僞師だといふ事實を御作に告白して、然し女の金などをどうする積ではない、金山をたゞ取つてやる積で來たのだと告げた。御作は夜の二時頃彼を延岡迄立たして、途中迄送つた。夫から警察へ出て、うちから繩付を出すのはいやだから斯々したから必要なら延岡の方でつらまへて吳れと告げた。原○御作は丸で賣れなくなつた。檢事正とかの何とかいふ人の所へ往つて百圓借してくれといふと、何うも職掌柄こまるから己の妻に賴んで見ろといふ。酒を呑んで其人のうちへ出掛けたが這入れない、飮み直して行つても這入れない、三度目にとう〓〓這入ると來客中だから今に都合のいゝ時を知らせるからといふ。家へ歸つて待つてゐると知らせが來た。細君がいふには十や二十の金ならだが百圓となると女の金ではない亭主の金だから一寸證文を入れて吳れといふ。-夫から原しばらくして座敷へ出ると例のアバタの檢事正がゐて、其證文を歸して吳れた、其代りいふ事を聞かなければならなくなつた。所が其證文は細君の許諾なしに亭主が盜み出したのであつた。それで其家には風波が起つて大變な騷動になつた。○御作は是がため益賣れなくなつた。どうしても逃げ出さなければならない。熊本へ行かうとするが旅費がない。ある最屓の客が藝者を上げてゐる所へ行つて事情を話すと紙入にあつた十五圓を吳れた。夫から其人に熊本の落付く先を知らせたら役場から謄本を取つて送つて吳れと賴んで、車夫に熊本行を相談すると三日かゝる、其上あと押が入る。さうして四十圓でなくては不可ないといふ。四十圓でいゝからといつて、太神宮へ參詣に行つてくるといふうそをついて宅を出た。(長さ三百間で靑竹の中へ藁をつめたやうな橋を這つて渡る話あり。どこの事か分らず、果してそんな所があるや疑問なり河合又五郞の屋敷あとを見たといふから人吉の方でも通つた事なるべしきたない宿屋で車夫と同じ部屋に寐たり、寒くて路傍の枯枝を焚いて暖を取る。○熊本の春日へ三日目の夕つく。吳服町の梅の屋といふのへ車屋がつれて行く。けい菴を賴む。二本木の市樂といふのが來て三年で千二百圓出すといふ。手つけを二百圓貰ふ約束をすると、後から〓川といふのが來て、千五百圓出す、市樂のやうな小さな所では損だといふ。婆さんが二百圓置いて行つてくれる。車夫に六十圓やる。衣ものを拵へる。市樂と〓川の爭になる。車に乘つて行くと市樂へ引き込めとか〓川へ引き込めとか大變な騒ぎである。〓川の方が手前にあるのでとう〓〓其所へ這入つて仕舞ふ。○檢査に行けといふ。段々聞いて見ると二枚鑑札だといふ。どうれで相場が高過ぎると思つたさうである。所が夫には親元の印がいるので〓川がわざ〓〓大阪へ出掛けてあまきに掛合ふと、當人が承知だから仕方がないやうなものゝ、他日もしあの時に判を押して吳れなかつたならと恨む時機が來ないとも限らないから是許りはどうしてもいやだ(+1)云つて承知しなかつた八比
八尺八○其內梅の屋のものと懇意になつて親子見たやうな間柄で、梅の屋にゐて贅澤をいつて暮すやうになつた。そこへ來るある豪家の爺さん。天神さまのやうに白い髯をはやしてゐる御爺さんに世話をされる。原原原○女芝居を見に行くとどうしても女と思へない役者がゐるので、念晴しの爲め其役者に會はせると御德さんといふ矢張り女であつた。其御德さんが馬鹿に氣に入つて、御馳走をしたり祝儀をやつたりすると、御德さんに附隨したものまでも引受けなければならなくなつた。夫で例の白い髯の御爺さんの所へ汽車の使で一日に二度も三度も小使を請求するので、御爺さんもとても續かないといつて斷はつて仕舞つた。○今度は陸軍の病院長とかの何とかいふのが妾を探してゐるといふので月三十圓(三十圓では宿の拂にも困る一圓二十錢の上に晝飯は別だから)で雇はれる。所が其男が一ケ月ばかり來て、月給を吳れずに影を見せなくなつた。幾何尋ねて行つても逢はない。それから車夫をかたらつて、夜病院へ行つて、門をどん〓〓叩いて、急病人があるから開けて吳れと怒鳴らして、婆さんが門をあけるや否や中へ這入るや否や奧へ行くと例の男がベツドの上に寐てゐて、御作の顏を見るや否や逃げ出さうとした。そこで逃すまいと爭つてゐるうちとう〓〓何處かへ逃げられて仕舞つた。御作は無論醉拂つてゐた。其處にある硝子戶をめちや〓〓に壞して、中にある本を出して、滅茶滅茶に扯き破つた。隣から憲兵が來たが、何しろ泥醉してゐる〔の〕だから仕方がない縛つて床の上に寐かして置いた。朝眼がさめると御作は紙屑の中に寐てゐた。彼女の扯き破つた書物の代價は大分なものであつたさうだ。彼女は憲兵と談判をした。あなたが證人に立つなら、引き取ると云つたら、僕は憲兵だから役目上どうもそんな證人には立てないが、僕の友人に十時といふ曹長がある。其人を證人に立てるといつて、十時を呼んで來た。是は柳河の家老の家とかで曹長でも家はいゝのださうである。其十時が僕があなたの顏を立てるやうにするからといふので一先づ梅の屋へ歸つた。○十時が紙へ百圓包んで持つて來て是でどうぞ勘辨して吳れと賴んだ。夫から、全體あの男は月給を四十五圓しか取らない、夫で三十圓の妾が置ける筈がないのだから、そこを調べないで無暗に妾になつたのが惡いんだといつた。能く聞くと病院長か何か知らないが何でも出店の病院の長らしいのである。夫から十時が憲兵と病院長、御作を呼んで料理屋で御馳走をして、盃を〓して夫を割つて此で結末がついたと宣告して落着を告げた。○所がある時十時が三十圓金を送つて來た。變だと思つてゐると、料理屋から呼びに來た。さうして自分が仲人に這入つて置きながら、こんな話をするのはまことに變なものだがといふ相談である。然るに十時はチンの樣な顏をしてゐる。十時は御作を妻に貰はうといふのである。○さうかうするうちに相撲が來た。梅の屋には友の平だの、白猫だの梅垣だのといふのがとまつた。白猫といふのが顏はよかつたが、梅垣といふのが可愛らしかつた。其梅垣が宿の神さんに、八尺ル
八七五あのうつくしいねぇさんの室へ酒と肴を持つて行つて飮みたいと申し込んだ。御作は相撲は嫌だから斷つたが、宿の神さんが折角いふものだから、承知したら大きなきたない奴が無暗にやつてきて、滅茶々々に食つたり呑んだりする。御作もつい飮んでヘヾレケになつて寐てゐた。夜中に眼がさめて寐返りをしやうとすると後がつかへて動く事が出來ない。見ると梅垣がそばに寐てゐた。起きやうとすると、まあ傍へ寐る位勘辨しろとか何とか云つてゐる。: 0.〇〇〇○あくる日梅垣が今日は棧敷をとつて毛布を敷いて御酒と辨當を用意して置くから、是非見に來てくれ、さうすると己も張合があつて勝てるからと賴んで出て行つた。御作は芝居の話を聞いて面白さうだつたから、宿のものを誘つて芝居へ行つて梅垣などの事は忘れてゐた。すると相撲の方では梅垣がちやんと用意をしてあるのに御作が來ない、夫で負けて仕舞つた。○御作が餘念なく舞臺を見てゐると、突然梅垣が來て襟がみを捉へて一寸來いといつて恐ろしい權幕をする。みんなが此方を見る。今に歸ると云つて歸したが、宿のものが歸つたらよからうといふので歸つて見ると、己に恥をかゝしたから、みんなの前で今日は相撲へ行く筈だつたけれども、誘はれたので已を得ず芝居へ行つたのだと證言しろといふのである。御作は其通りにしたら相撲取は飮んだり食つたりして二本木へ行つく。梅垣は大分金を使つた。其うち相撲が御仕舞になつて、梅垣が熊本を引き上げる時に、幕の內に入つたら是非女房にするから、何處にどう流れて行かうと居所だけは知らせて吳れろ。と云つて、西洋の護謨楊子と縮緬の單衣を吳れた。御作原原は藝人からたゞ物を貰ふのは厭だつたから縮緬の長繻絆をやつた。すると梅垣は毎日のやうと、今日は何處で興行今日は何處で興行といふ音便をする、御作は惚れた譯でもないので丸で返事を原しなかつた。すると、今度は梅の屋へ向けて御作はまだゐるかととか何とか聞き合せて來た。○御德の女優が長崎へ行く事になつたので御作も一所に連れて行つて吳れと賴んだ。御德さんは原引受けた。長崎へ行くと二行中の立御山の阪東二江五郞といふのが病氣だから小紫の役をやつてくれろといふ。宜しいと引受けて阪東三津五郞といふ旗を後ろへ立てゝ市中を車で乘り廻した。愈舞臺へ出て見ると鬘でコメカミを締められるので、苦しくつて卒倒しさうになる。一日丈で御免蒙つて、とう〓〓又藝者(EF)なつて一ち子といふ名で出る。○其時長崎へ雁次郞の一行が來た。もと〓〓知り合だから家へ遊びに來て花ばかり引く。雁次郞の弟子だか、男だか滅茶々々に食ひ潰す。さうして引上げたあとはスツテン〓〓となる。大晦日原に餅もつけない、正月の煮しめも出來ないで弱つて塞いでゐる。吳服屋が拂をとりに來る、カイのがないといふ。御釣があるといふ。コマカイのがないのに大きいのがあるかと怒鳴つてやつた。すると物產會社とかの御客が偶然御作どうだと門口から這入つて來た。此ていたらくだと話すと(彼女は所持品に悉皆封印をされて、身代限りをしてゐたのである)御客が金を四十圓くれた。其金で餅を買はして、酒を買はしてぐい〓〓飮んでゐた。正月の十六日に又吳服屋がとり八五
八五二に來たから、何うです斯うしてゐては何時迄立つても借金を返す譯に行かないのだから、もし借金を取らうといふなら、稼げるやうにして吳れないかといふと吳服屋も尤だといつて衣服を拵らえて吳れた。漸く座敷へ出られるやうになつたが、さて些とも賣れない。何うする事も出來ない。仕方がないのでとう/〓大阪へ云つてやると、兄が五百圓持つて出て來た。千圓以上の借金だけ原れども夫丈あれば何うにかなるので萬事は兄に任せて自分は大坂へ歸つた。(其時例の宮崎の詐僞師〇〇〇〇〇が丁度懲役から出た時で、大阪の方をだましに行つて、御馳走をさせて、うまくだました。) " Personne sur terre ne peut aimer la campagne autant que mo1,〓crit Beethoven·····J'aime plus " un arbre quun homme. Chaque Jour ,〓Vienne , il faisait le tour de remparts. A la campagne, , de 1 aurore〓la nuit, il se promenait seul, sans chapeau, sous le soleil, ou la pluie. sic "Tout-Pouissant !-Dans les bois Je suis heureux -heureux. Dans les bois-ou chaque arbre parle par loi.-Dieu, quelle splendeur !-Dans ces for〓ts, sur les collines -c'est le calme, -le calme pour te servir. il〓crit avec s〓r〓nit〓: "Je prends patience et je pense: tout mal amene avec lui quelque la un la "Je prends patience et je pense: tout mal amene avec lui quelque " bien. Le bien trag〓die de fut la la delivrance, vie. "la fin de la ,, com〓die, mourant,-disons: la comme il dit en de sa Beethoven art doit se au Wegeler: "et si le consacrer〓l'am〓lioration bien-〓tre na pas un du sort des pauvres peu augment〓dans notre patrie, mon se■女の顔の變化する事。「どうも不思議だよ」とAが云ひ出した。を井べて寐てゐたのである。それは僕の幼少の頃であつた。自分ではいくつ位か分らないが勘定して見るの事である。僕は父と母と喧嘩する聲で毎晩眼をさました。■乞食の湯馬■日光馬■護素人義太夫とAが云ひ出した。自分はAと同じ蚊帳の中に枕〔2〓〕六七歲の時八五三
八四本當の盆栽でなくつちや貫目がない。「何君ダリヤだの朝貌だなんて一時のものだからね。が何故かう盆栽好になつたか其起りを話さう····■九時三十分の靑森行。「中等は込むかね。食堂へ行く。女と男。■酒をやめたXは河童が陸へ上がつたやうな顏をして默つてゐる。僕」上等へ乘るとたつた自分ぎりである。煽風器。(あとなし)■始めて男と寐た女曰く始めて女と寐た男曰く■乃木大將の事。同夫人の事■すしの食ひ方。眞劍の勝負の時の心得■書畫屋の惡德○瀧の川邊にゐる贋物作りにどんな畫でもかゝせる。それが七圓位、表裝が二三十圓。舍へ持つて行く。一人が舊家などへ入つて所藏の幅物を見て本物を散々けちをつける。へ贋物を持ち込んで本物と引換える。さうして本物は東京で高く賣る。原○大坂では地面を買ふと同じ心得で書畫を買ふ。夫を田其あと○滅多に藏幅を表具師などへは託されない。すぐ寫しをこしらへる。さうして本物と稱して賣る。○東京でも玉堂は雅邦のニセを昔大分描いたさうだ。玉淵は玉章のニセを拵らへたさうだ。夫でなくても塾頭位な人になると表具師か書畫屋から釣られる。絖などを持つて來て先生何かかいてくれと云つて其禮に五圓位くれる。先生大得意でこんな事を繰り返すうちに書畫屋と親みが出來る。其時先生是を一枚寫してくれ抔と賴まれる。正直な塾生は惡い事と知らないからすぐ引き受ける。書畫屋は夫をすぐ本物として高く賣り付ける。○まだ玉章の尺八が三十圓位の時分、地方か(ら)書畫屋を媒介に何か描いてもらふと、あとから苦情が出て實はもう少し密なものをといふ注文であつた抔といふから、能く譯を聞いて見ると、書畫屋は周旋料を取つた上潤筆料の大部分をハネタ上三十圓丈玉章の所へ持つて來てゐる事が分る○箱書をかいてもらつて其中に僞物を入れて、本物は別にうる原○下條正雄抔は本物へけチをつけて、人を遺つて散々にこなして買ひ取つて、夫を宮內省や何かへ高く賣りつける。○書畫屋が畫の相場をつけて無暗に高くする。さうして其利益をしめる。畫家がもし夫を排斥すると、新畫の市で其人の畫を踏倒して相場を下落させて復讐をする。すぐ寫しをこしらへる。さうして本物と稱して賣夫を宮內省や何畫家がもし夫を排斥八五五
八一六○ある大家が實業家から繪をたのまれてかいたら其翌月其繪がすぐ賣物に出て、をたのみに來た。是は儲けるために書いてもらつたのださうである。さうして箱書十一月二十九日○朝ひな子の墓參。風强く全くの冬の景色。ちゞれた梧桐が風に吹かれて枝を離れやうとする。原十時過車に乘る。妻、筆子、えい子、あい子、行德、岡田。音羽で植木屋に合ふ。植木〔屋〕は先へ行つて墓の掃除をする筈である。彼は余の車を見るや否や馳け出した。車と一所に馳けるのは無理だと思つたらいつの間にかどん〓〓先へ行つて仕舞つた。例の苗畠、苗には竹が添ふてゐる。何の苗か分らない。○欅のから坊主になつた下に楓が左右に植ゑ付けられて黄と紅との色が左右にうつくしく映る。○依撒伯拉何々の墓。安得烈何の墓。神僕ロギンの墓。其前に一切衆生、悉有佛性とい〔ふ〕塔婆る。枯木の銀杏の下に銀杏の葉がうづ高く掃き寄せられてゐる。○墓標がなくて、土饅頭もある。○全權公使、ヽといふのもある。○入口に土をならして新墓地を作つてゐる男が鍬の手をやすめて吾等を見た。○ひな子の墓の向ふも土をならしてゐた。原○あい子の肺炎。去年の暮から晩方少し熱が出る。あくる日になると下るので幼稚園へ行く彼女は今年の四月から小學通ひ(明治四十五年卽ち大正元年)コタツにあたつて默つて居る(正月)原蜜柑類を欲しがる。熱を計ると四十分二分○熱下がらず。何だか分(ら)ず。心臟を氷でひやす。○肺炎ときまる。胸に濕布。○脈がわるいのでカンフルをのむ。癇癪を起し寐ず原○水蜜を欲しがる。ほかの菓物ではいやといふ。○寐かしてくれといふ。どうしてと聞くとねん/〓よと云つて寐かせろといふ。○奇數の日でなければ熱は下らずといふ。○其時冷やしつゞけると危險だといふ。分離の時が肝要といふ。○おもちやを買つて來てやる〇十二月三日四日新富座で越路太夫を聞く。三日。あたまをあげて見ると棧敷から有賀長文の顏が見える。妻に話すとしきりに上を見る。八七七
公尺外聞が惡いからやめさせる。歸りに猿屋の前で、小露にあふ。四日。土間にて見物六人。一間置いて隣りに坊主頭の爺さんあり。客を案內してくると大きな聲を出して靜かにしろと怒鳴る。時々奇聲をあげる。出方が斷片-大正三年頃-×甲は疵のない珠の樣である、圓滿無缺然し惣體に曇りがある。乙は所々に疵がある。けれども質は玲瓏透徹×賠償人に毒を盛つて其賠償だと云つて御馳走を食べさせる。いくら御馳走を食べさせたつて毒は消えるものではない。毒を盛つたのが惡いと知つたら何故解毒劑を與へない、若し解毒劑がないと知りながら毒を盛るならば自己の罪は相手に與へた結果に於て永劫拭ふ事は出來ないのである。たとひ解毒劑があるにしても毒を盛つた行爲は永劫に亡びるものではない。况んや御馳走を食はして置いてどうだ毒は消えたらう〓〓といふ橫風な顔をするをや。圓滿無缺然し惣體に曇りがある。乙は所々に疵がある。けれど〓あなたは子供の出來た事を聞いた時非常にいやな顏をしました。愛がつてゐます。私は違ひます。其筈だよ。御前は子供の生れない先から子供の脈を感じてゐる〓道義的正當と利害的正當夫から生れたあとは子供を可
八八〇×金錢授受の場合。淨財喜捨、打算的ならぬ場合、翌日からくれ手に反對してもよき場合×コンミツシヨンを云々ス。不公平の念より出る嫉妬心なり×皮肉り了せれば夫がとゞの詰りと思ふ。豈計らんや人間の性にはもつとまとものものあり○金力。權力、腕力、個性力。○二ツの異なる世界、一點の交涉。觀察點の相異。爭の源因。個人主義の必要○1縮刷の件2雜誌注文の件。3スタンダードの件嚴冬高節古盛夏綠陰新綠陰迎客去疎影送僧來紅爐焔上雪華飛一點〓涼除熱惱衝開碧落松千尺截斷紅塵水一谿八六
八公二記-大正四年三月十九日より同二十九日まで-日〇十九日朝東京驛發、好晴、八時發。梅花的蝶。岐阜邊より雨になる。展望車に外國人男二人、女五人許。七時三十分京都着、雨津田君雨傘を小脇に抱えて二等列車の邊を物色す。車にて木原屋町着、(北大嘉)、下の離れで藝妓と男客。寒甚し。入湯、日本服、十時晩餐。就褥、夢昏沌冥濛。〇二十日朝靜甚し。硝子戶の幕をひく。東山吹きさらされて、風〓峭、比叡に雪斑々。忽ち粉雪、忽ち細雨、忽ち天日。一草亭君來、同畫十五六幅を示さる。鷄雀に蘆、雀、馬蓼、雀に蘆、椿、皆美事なり。此朝、臥牀中一號二號三號の戀を聞く。津田君から。「先生の顏は赤黑い」「あなただつて同じだ」「そんな事はない」「夫でも若い時は綺麗でしたか」「えゝ今よりは」「いゝえ他の人に比べて綺麗でしたか」「えゝ」「ぢや女に惚れられましたか」「えゝ少くとも今茲に三つあります」云々三人で大石忌へ行く。小紋に三ツ巴の仲居。赤前垂。「此方へ」「あちらから」と鄭寧に案内小紋に三ツ巴の仲居。赤前垂。「此方へ」「あちらから」八全と鄭寧に案内
八六四する。舞があるから見る。すぐ御仕舞になる。床に蕎麥が上げてある。薄茶の席へ通る。美くしい舞子と藝者が入れ交り立ちかはり茶を出す、見惚れてゐる。佛壇に四十七士の人形が飾つてある。菜飯に田樂が供へある。腰懸をならべた所で、蕎麥の供養がある。紺に白い巴を染め拔いた幕。三年坂の阿古屋茶屋へ入る。あんころ一つ。薄茶一碗、香一つ。木魚は呼鈴の代り。座敷北向、原北の側、山家の如し、絕壁。(抵園から建仁寺の裏門を見てすぐ左へ上る)。〓水の山傳子安の塔の邊から又下る。小松谷の大丸の別莊を見る。是も北に谷、其又前に山を控へて寒い。亭々曲折して斷の如く續の如く、奇なり。石、錦木を植ゑたり。小樓に上る。吳春蕪村の畫中の人、腹いたし。電車にて歸る。晩食に御多佳さんを呼んで四人で十一時迄話す。二十一日八時起る。下女に一體何時に起ると聞けば大抵八時半か九時だといふ。夜はと聞けば二時頃と答ふ。驚くべし。東山霞んで見えず、春氣曖腱、河原に合羽を干す。西川氏より電話可成早くとの注文。二人で出掛ける。去風洞といふ門札をくヾる。奧まりたる小路の行き當り、左に玄關。沓脫。水打ちて庭樹幽邃、寒き事夥し、床に方祝の六歌仙の下繪らしきもの。花屏風。原壁に去風洞の記をかく。默雷の華藏世界。一草亭中人。御公卿樣の手習机。茶席へ案內敷奇屋草履。石を踏んで咫尺のうちに路を間違へる。再び本道に就けばすぐ茶亭の前に行きつまる。どこから這入るのかと聞く。戶をあけて入る。方三尺ばかり。ニジリ上り。更紗の布團の上にあぐらをかき壁による。つきあげ窓。それを明けると松見える。床に守信の梅、「梅の香の匂や水屋のうち迄も」といふ月並の俳句の贊あり。料理鯉の名物松〓。鯉こく、鯉のあめ煑。鯛の刺身、鯛のうま煑。海老の汁。茶事をならは原ず勝手に食く。箸の置き方、それを膳の中に落す音を聞いて主人が膳を引きにくるのだといふ話を聞く。最初に飯一膳、それから酒といふ順序。原午後二時より京坂電車墨染より竹數梅の花を大龜谷、兵隊かけ足で二三度四列位のもの行き過ぎる。太閤の千疊敷の跡、佛國寺、桃陽園、左右の梅花、の中に道白く見ゆ。上は平ら。家十戶。夜、買つて來た鑵詰、鷄.ハる、パン、チヨコレート。エルモツトをのむ、ユバト豆腐、萱草の芽のひたしもの。にて飯を食ふ。細君曰く大抵のものは食へます。ゲンゲ、タンポヽ、其他、夜炬燵を入れて寐る。自分の今の考、無我になるべき覺悟を話す。ニジリ上り。更紗の布團の上にあぐ床に守信の梅、「梅の香の匂や水屋二十二日井戶に行つて顏を洗ふ。宇治川と巨椋池、を眼前に見る。佛國寺へ行く。高泉の開山、聯には支那沙門高泉拜題とあり、普光明殿には曇華の落欵あり。山門石段なし、橫門丈殘る。原昨日買つて來たパンで食事、玉子、紅茶、れて、桃花園主にあふ。其計畫を聽く。鳥鳴く。何ぞと聞けばチンチラデンキ皿持てこ汁のましよ。八人五五
八八六十時半山を下る、梅、竹藪、赤土、六地藏、鐘樓赤、釣鐘靑。そこを拔けて、六地藏から電車C一區宇治に行く。黄檗にて下車久し振で赤銃の山門と靑い瀨と有段と松の樣子を見る彼岸中日で施餓鬼を執行門前の普茶料理で晝食、腥物のなき支那料理。品數多くして食ひ切れず。雨降り出す。小僧傘を二本出す。貸すのかと訊けば停車場迄送るといふ。宇治迄行つて歸りに黃檗の停車場へ置いて原行く約束にて出る。雨を冒して宇治に向ふ。徒歩にて。途中難義なり。宇治橋につく。鳳凰堂より土堤へ出て河を橫切る。興聖寺の奧の溫泉へ行つて此所は何だときくと料理屋だといふ。溫泉はときくとあるといふ。崖道傳ひに亭の下から傳つて行くと溫泉と書いた戶あり、錢湯の如し、服を脫ぎ湯につかる。雨歇む。から傘を肩にして出づ。電車。雨中木屋町に歸る。淋しいから御多佳さんに遊びに來てくれと電話で賴む。飯を食はす原爲に自分で料理の品を擇んであつらへる。鴨のロース、鯛の子、生瓜花かつを、海老の汁、鯛のさしみ。御多佳さん河村の菓子をくれる。加賀の依賴。一草亭來二十三日朝靑楓來。一草亭來。今日はある人の別莊を見る計畫なり。一草亭曰くある別莊の主人は起きるすぐ店へ出、夕方家へ歸る、別莊を見る餘暇なし、細君にすゝめられて雪の降る日など一寸ひる位迄は我慢して家に居れど東京から手紙が來てゐるかも知れないと云つて出掛る。とう〓〓折角の別莊を見ずに死んでしまつた。他の一人は他からかういふ家に起臥して嘸よからうと云はれて、どう致して此所にゐて人にでもつらまつた日には尻を落付けられて甚だ迷惑するから出來る丈早く店へ出るといつた。腹工合あしく且天氣あしゝ。天氣晴るれど腹工合なほらず。遂に唐紙をかつた三人で勝手なものをかいてくらす、原夕方大阪の社員に襲はる。入湯。晩食。御梅さんとしばらく話す。二十四日寒、暖なれば北野の梅を見に行かうと御多佳さんがいふから電話をかける。御多佳さんは遠方へ行つて今晩でなければ歸らないから夕方懸けてくれといふ夕方懸けたつて仕方がない。車を雇つて博物舘に行く。寫眞版を買ふ。伏見の稻荷迄行つて引き返す。四條通りの洋食屋へ連れて行くまづい。四條京極をぶら〓〓あるく。腹工合あしゝ。歸つて靑楓に奈良行の催促をする。晩に氣分あしき故明日出立と決心す。原二十五日寐臺車を聞き合せる。原六號。胃いたむ。寒。緣側の蒲の上に坐布團をしき車の前掛をかけて寐る。其前靑楓來。奈良行の旅費を受持つから同行を勘辨してくれとたのむ。一草亭から、蘆に雀の畫(御多佳さんの持つていつたの)をもらふ。御多佳さんがくる。出立をのばせといふ。醫者を呼んで見てもらへといふ。寢臺を斷つて病人となつて寐る。晩に御君さんと金之助八人七
八大八がくる。多佳さんと靑楓君と四人で話してゐるうちに腹工合少々よくなる。十一時頃淺木さんくる。二三日靜養の必要をとく。金之助の便祕の話し。卯の年の話し。先生は七赤の卯だといふ。姊危篤の電報來る。歸れば此方が危篤になるばかりだから仕方がないとあきらめる。幽靈が出る話、先生生きてゝ御吳れやす二十六日終日無言、平臥、不飮不食、午後に至り胃の工合少々よくなる。醫者くる。二十七日夕方から御君さんと金之助と御多佳さんがくる。三人共飯を食ふ、牛乳を飮んで見てゐる。御多佳さん早く歸る。あとの二人は一時過迄話してゐる。金之助が小供を生んだ話をする。御君さんは金神さまの信心家自分ハないといふ。二十八日昨夜三八八が置いて行つた畫帖や短册に滅茶苦茶をかいては消す。一草亭より蕉雨の書畫帖をかしてくれる。一草亭は西園寺さんより小燕といふ小鳥をもらふ。牡丹と藤、百合、を小僧に持つてこさせる。醫者來、人工カルヽスをくれる。二十九日又畫帖をかく、午後御多佳さんがくる、晩食後合作をやる。〔以下四月八日までを缺く〕九日原師走の廿日あまりある人のもとにて大祗とともにはいかいして四更はてに歸りぬ雨風はげしく夜いたうくらかりければ裾三のづまでかゝげつゝからうじて室町を南に只走りに走りけるに風どゝ吹落て小とぼしの火はたとけぬ夜いとゞくらく雨しきりにおどろおどろしくいかゞはすべきなどなきまどひて蕪村云かゝる時には馬てうちんといふものこそよけれかねて心得有べき事なり原大祇云何馬鹿な事云な世の中の事は馬てうちんが能やら何がよいやら一つも知れない八六九
八七〇原六號號はいかいの如すべて理想ゆりたらな事業時の如ふの吉田法師いへるものあらばといへるに伯仲すべし夜半寫S春雨やものかたり行く簑と笠若竹やはしもとの遊女ありやなしや○御多佳さんの一中節大長寺と與次兵衞河東節の熊野宇治文庫宇治紫文齋あづまうけ出せ山崎與次兵衞ッレうけ出せ〓〓山崎與次兵衞合いつかおもひの口本てうしシテイロ詞「情なや誰あら下紐とけて合昔思へばうやつらや忍昔も下うやつらやふ〓山崎與次兵衞下樣とては人におくれを亂髮のあづまがかほも「アレあれをみや蟲さへもシテつがひはなれぬあげ羽の蝶ツレ「われ〓〓とても花しらずふたりづれすゐなどふしのシテ蝶は菜種のワキあぢしらずシテ中々に春にもそだちシテしらずワキ花さそふワキしられぬシテ菜種は蝶のシテ中ならばワキうかれまいものシテさりとてはワキくるふまいものシテあぢきなや八七
八七二片-大正四年一月頃より十一月頃まで- -〔『硝子戶の中より』〕(1)卯年(2)猫(3)犬(4)或女の告白(5)チヤブドウ(6)書いたものを見てくれと云つた女ニ告げたこと(7)爭爭と病氣(8)癩病者曰クそれは人間ニいふ事でせう(9)福井利吉郞(10)講演十圓切符十圓ノ禮ニ就て十圓ノ禮ニ就て八十三
八十四(12)(11)實際問題ノ應用藪錦山、岩崎太郞次(13)燒禪、〔一字不明〕(14)生と死(15)武者小路ノ送書籍(16)畫ノカキ始メ、湯淺、今ハ不愉快ヲ逃レルため、寺田との議論(1) positive artistic impulse (2)反響(17)星ノ音(18) Carlisle read Jane Austen During Transyaal general Smuts readストシシMarcus Aurelius, Juluis Casar, Julian Smuts read Kant〓〓Critique of Pure Reason. Marcus Aurelius, Juluis Casar, Julian言Apostate (20)(19) German publisher電話始末書(21)電氣燈が消える筈がないと理論上主張しても消える事實は消滅しない、言Apostate (22)楠〓子妾ヲ擊退ス(23)獨乙ノ本屋几帳面(24)芥舟九寸五分益さん、楠緒さん靴ヲ貸セ元日岩波ノ机南畝莠言囘復力繼續力花花倉吉下女ノ密〓○贔屓八七五
八七八22 3 2 24 22言112' B〓〓言poor 3 Georg Brandes 2 24 Kare some works OP H〓B〓〓philosophy, with言value 2614 udon them by言nation目which they Erin produced. Gosse, Saintsbury famous reviews 25陽氣ノ加減で氣が變ニナツタ26人ノ草稿ヲ讀ム〓、卒業論文ノ話、27維新ノ際ニ生レタラバ28自分ノ書いたものを見て吳れと云つた人ニ話せし事。社交ニアラズ、自己ノ弱點ヲサラケ出サズニ人カラ利益ハ受ケラレナイ、自己ノ弱點ヲサラケ出サズニ人ニ利益ハ與ヘラレナイ多クノ人ニ接シナケレバ人間ハ分ラナイ、多クノ人ニ接スルト人間ガスレル、墮落シナイデ多クノ人ヲ知リ、知ツタ知識ヲ自己ノ特色ニ取り入れる29 Entropy.力學ノ行キヅマリ、30大塚夫人の事、妾擊退31自己は人の理解し得ザル美點を承知シテゐる。人は自己の理解し得ザル欲點ヲ知ツテゐる。poor by言nation目which人は自己の理解し得ザル欲點ヲ知ツテゐる。二原(牡詩殘夜水明樓) (ハ冷々脩竹待王歸)竹外風煙開秀色文衝山水明莊冷冷莊竹外莊寂淹莊虛白山莊三川莊曠然莊如一山莊澄懷山莊從生山莊囘觀莊澄明莊半眞山莊虛室生白虛白高人靜曠然蕩心目雲水空如一凝神著書澄懷觀道功名多向客中立禍患常從巧處生靜中見得天機妙閑裡囘觀世路難澄明遠水生光重疊暮山聳翠心事半眞半僞世故半濃半淡八七七
八大八空碧莊草堂春綠竹溪空碧三○書物を送ると其返事。〓善良なる人、利口な人、同じ結果、返事をすぐよこす。〓多忙の人、無頓着の人、無禮な人、病氣其他の事故ある人、返事をよこさず○自覺なきものは度し易し、自覺あるものは度しがたし。×癖などは氣を付けてやればすぐさうかと肯ふ。〓自分が自覺して善もしくは美と信じたる事は到底人の勸告に應じて其否を肯はず〓だから人を啓發するといふ事は、先方で一步足を此方の領分へ踏み込んだ時に手を出して援ける時に限る。○大我は無我と一ナリ故に自力は他力と通ず○藝術的衝動と好意は必ずしも一致せず。好意あれども藝術的衝動なき場合はいかに好意に滿ちたりとていゝものを書いたり畫いたりする事能はず返事をよこさず○猫が庭の木立の下に寐てゐる。椅子に腰をかけた私を見てゐる。呼吸がはげしい。自分に似てゐる○猫が時ハイハ雀をとる事を思ふと猫を飼ふのがいやになる○御多佳へ手紙、アートと人格、人格の感化とは惡人が善人に降參する事原原原○露西亞の音樂はビアンスキと綴つてスラ并アンスキーと讀むのか。冠り、赤と調、靴サラサ模樣姿勢は落付拂つてゐる。然し薄靑の調、○早稻田ノベースボール○純一と伸六緣の下へ寐る○宿雨晴れ染めつけたやうな○寶寺○森がきて早稻田の野球試合に誘ひ出す。戶塚のグラウンドを望むと人の雲が一ぱいに層をなして廣い原を取り圍んでゐる。遠い屋根の上にも豆の樣な人の顏が見える。それが日光に照らされた瓦の上に立つた儘少しも動かない。高い所に赤毛布に竿をつけたものが風になびいてゐる。其八七九
八八毛布は古いもので所々に穴のあいてゐるのが遠くから能く見える。それから黑い筋が二本入つてゐるのも明らさまに毛布だと名乘つてゐるやうで多少無雜作な面白味を與へた。場內は人で埋つてゐるので何所が入り口か丸で分らない。たとひ解つても這入れさうにない。森は自分の繩張うちへ這入るといふ氣があるので人と人の間を裂き割るやうにして這入つてしまつた。自分は出る事も引く事も出來なかつた。一高はサードベースの側を一杯占領してゐた。其數は千人位もあらう。皆白い旗を持つてそれを一度に動かす眼がちら〓〓する。自分の頭の上に居る男が比較的大きな旗を持つてゐてそれを夢中で振ると旗の端がびたり〓〓と自分の頭や頰にあたる。一齊にたつて怒鳴ると砂ほこりが立原つ。衣服其他が黄色いこななぶれになる。第一ベースの方の赤旗は是亦より綺麗にちらノ〓した。赤い着物に袴をつけた人が號令をかけた。自分達のゐる北側の赤連の號令者は靑坊主であつた。十對五で一高が負けた時白軍は急に大風のあとのやうに靜まつた。千人の人が一人も口を聞かなかつた。默々として密集した隊伍が細い道をつゞいた。自分の前には太鼓をかついだ男が二人原で步いて行つた。力がぬけて元氣がなささうに見えた。森が「撰手が泣いてゐる」と云つた。私はどこだらうと思つて見たが多人數に遮ぎられて見えなかつた。原行列が一時とまつた。「撰手が歩けないのです」と森が又自分に〓げた。早稻田大學の北門を赤い着物に袴をつけた人が號令をかけ早稻田大學の北門を入つて講堂の前へ出ると一高の生徒がみんな地面の上へあぐらをかいて休息してゐる。肅然として一語を發するものがなかつた。○伸六が八十五錢GS)喇叭を買へと云ふのを排斥されたので怒つて緣の下へ這入つてしまつた。どうしても出て來ない。あい子が海苔卷を緣の下へ出すと、怒つてゐる伸六も食ひたいと見えて、パクリと食ふのださうである。其代り口は决して利かない。純一が怒つた時は裸で緣の下へ寐てゐて是亦どうしても出て來ない。さうして人が近寄ると泥をつかんでは抛げる○寶寺で欝金木綿の財布をもらつて、手のひらを才槌で打つてもらつてその手の平を握つた儘門原の處來る、後ろを振り返つちやいけない○痔の療治○鹽原肅然としさうして人が近寄ると泥○江戶川終點の昔の光景○生よりも死、然し是では生を厭ふといふ意味があるから、生死を一貫しなくてはならない、(もしくは超越)、すると現象卽實在、相對卽絕對でなくては不可になる。「それは理窟でさうなる順序だと考へる丈なのでせう」「さうかも知れない」「考へてそこへ到れるのですか」「たド行き八八
八人たいと思ふのです」○御松、倉吉、○煽風器の風は紐の中から出る○寺田の鮨の食方○心中のあとの夏蜜柑とビールの空罎○伸六曰く御父さま犬は仁參たべる?○獄中で鳩を飼ふ話○技巧の變化、(右、左、縱横筋違、)さうしていづれも不成功の時、どうしたら成功するだらう?といふ質問を出して又次の技巧を考へる。さうして技巧は如何なる技巧でも駄目だといふ事には氣がつかず。人間の萬事はこと〓〓く技巧で解決のつくものと考へる。さうして凡ての技巧のうちどれかゞ中るだらうと思ふ。彼等が誠に歸るのは何時の日であらう。彼等は技巧で生活してゐる。恰も水の中に生活してゐる魚が空氣といふ觀念がない癖にどうしたら地上を歩く事が出來るかと工夫するやうなものである。○××の結婚。〓〓の死亡。〓〓の死亡○aが依賴するからbが芝居へつれて行つて遣る。又は御召の着物を買つてやる。又は畫をかいてやる、書をかいてやる。(1)bはaに滿足を與へるためと思つてゐる。(2) aは反對にbが自分の虛榮心を滿足させるための發現と思ふ(3)それでbの力量以上のものが世間には色々あるといふ事をわざとらしい方法でbに示して其鼻を挫かうとする。bはaに對して厭な心持を起す(4)此場合bはaの幸福を目的として働らいてゐる、aは又bの弱點を中心としてbに働らき返してゐる。矛盾は其處から出る。又は御召の着物を買つてやる。又は畫をかい○人の名聲がなくなるといふ本當の意味は其人の行動なり作物なり言論なりが死んでしまふといふ意味である。夫等が死んでしまふといふ意味は夫等に接觸する凡ての人に何の働らきも起さないといふ意味である。つまり夫等は其儘存在してゐても夫等の働らきが死ぬといふ事である。るし此働らきが死ぬ以上は拱手して坐つてゐても其人の名聲は死んでしまふのである。然し其働らきが殘つてゐる以上、又其働らきが强烈である以上、いくら外部から政略的に其人の名聲を亡ぼさうと思つても駄目である。八人三
八四其理由11暴力以外に其人の言論なり作物なりを封鎖して接觸の途を絕つ譯に行かない。22惡聲丈ではそれ丈の力が出てくる筈がない。默殺でも同じ事である。(積極消極の區別がある丈で)原33惡聲と默殺は心的狀態を變化するけれども、たゞ評番といふ丈だから、其人の實際の言論なり作物なりに比べると働らきが間接である。從つてより多く器械的である。いくら太陽は冷たいと云ひふらしても、實際太陽の光に浴する刹那に反對の結論を自知するやうなものである。(4)だから力のあるものを亡ぼすためには當人の惡口をいつたり冷罵したり其他凡て當人を傷けるやうな策をめぐらすのは近途のやうで却つて迂遠なのである。策略として最も効力あるのは、(本人は其儘にして置いて)本人から動かされる一般の人々の方に働らきかけるにある。しかも器械的に威壓的にやるのは一時性の効力しかないのだから、もし働らくとすれば、心理的に働らかなければならない。卽ち其人々の心的狀態を自分達の都合のいゝやうに變化させるのである。其人の言論作物に對して沒交渉に濟まし返つてゐられるやうに人々の心を改造するのである。所がそれが策略丈で(相當の根據なく)出來る業だらうか?とても出來ない。換言すれば不自然は自然には勝てないのである。技巧は天に負けるのである。策略として最も効力あるものが到底實行できないものだとすると、つまり策略は役に立たないといふ事になる。自然に任せて置くがいいといふ方針が最上だといふ事に歸着する。○形式論理で人の口を塞ぐ事は出來るけれども人の心を服する事は出來ない。それでは無論理で人の心を服する事が出來るのか。そんな筈もない。論理は實質から湧き出すから生きてくるので原ある。ころ柿が甘ひ白砂糖を內部から吹き出すやうなものである。形式的な論理は人形に正宗の刀を持たせたと一般で、實質の推移から出る-否推移其物をあとづけると鮮やかに讀まれる自然の論理は名人が名刀を持つたと同じ事で決して離れ〓〓にはならないのである。Temptationヲresistスルト云ふ以上は對象が本當の誘惑でなくてはならない筈だ。僞りの誘惑卽ち見せかけ丈は誘惑の相を具したものを斥けたといつて、其人は誘惑に打ち勝つたのでも何でもない。其人はたゞ相手の技巧に打ち勝つたのである。たゞ手に乘らなかつたといふ丈である。從つて誘惑を斥けるといふ事が德義上堅固な所を發揮する美德としても、此人は此場合毫も賞するに足らないのである。夫から相手はもと〓〓策略でやつたのだから、どうしたつて不正欺瞞の誹を免かれないのである。技巧を弄して人を釣らうとして否人が釣られるか釣られないか試驗して見やうとして人がそれに釣られなかつたから、あなたは感心だ試驗に及第しましたと云つたら、賞められた人はいや私八人五
八八六はあなたの技巧が嫌だつたので、技巧が表はさうとしてゐるもの愛なり金なりが嫌なのではありませんと答へる丈である。夫から「あなたは感心だ堅固だと云つて私を賞めて下さるけれども、私を賞めさへすれば私が嬉しがるとでも思つてゐるのですか、馬鹿々々しい。よし私が嬉しがるとした所で、あなたは夫で平氣でゐられるのですか、あなたが私に働らきかけた技巧卽ち虛僞は私の人格を侮辱したものではありませんか。其罪は(私に對する)どうする積なのですか。まさか私を賞めたからと云つて其罪が消滅するものでもありますまい。私はあなたから下さる讚辭を謹んで御返却申します。それからあなたの人格を輕蔑する事を公言致します」と答へる丈である。○心機一轉。外部の刺戟による。又內部の膠着力による。○一度絕對の境地に達して、又相對に首を出したものは容易に心機一轉が出來る○屢絶對の境地に達するものは屢心機一轉する事を得○自由に絕對の境地に入るものは自由に心機の一轉を得general caseハ人事上殆んど應用きかず。人事は知るものは本人のみ。小說は此特殊な場合を一般的場合に引き直して見せるもの人事はparticular caseノミ。其particular caseヲ(ある解釋)。特殊故に刺戟あり、一般故に首肯せらる。(みんなに訴へる事が出來る)○うら盆、眞こもの敷物の上に供物、蓮の葉の中に芋、原は鬼灯、靑葡萄、瓜、桃茶椀の上にみそ萩枝豆、サヽギ、一方の蓮の葉の中に○伸六八インキ〔ン〕ダムシの事を南京魂といふ。○あい子(十一)怒つて曰く御立腹だから面會は出來ないよ○少しくコウケンしてしまつたといふ言葉を使ふ。少し厭になつたといふ事なり○ガブチクだよといふ言葉を使ふ。もう返さないといふ事なり四カ絣、の例。原×極力細カクスルト勞力多き故價値高し。然細かさの適度以上になる。味ハドウデモ金を見てくれといふ事になる。故にそれを着るものは趣八人七
八人八×若し金を見る事を知らぬものがそんな細かな絣の着物(高き)と適當の絣の着物(安き)原て後者を撰ブナラバ、其人は趣味文に忠實と云はなければならない×何にも知らない門外漢が黑人に勝るのは此所にある。小兒が大人に勝るの〔は〕此所にある。X unsophisticatedダカラ。pureダカラ。無邪氣ダカラ。〓此問題には道德をも含む。競爭シテたゞ勝たう〓〓の念が趣味性を害しても絣を細かくするのだから、ツマリ控目を知ラナイトいふ事ニナル。虛榮トいふ事になる×同時に能力の可能性を發揮するといふ事ニナル。intellectual及ビpracticalニ行ける所迄行くといふ事になる×同時に行き詰れば何方カヘ方向轉換をしなければならないといふ事になる。さうして通路を開原くといふ事になる。變化といふ事になる。意志(心理的にいふと)の疎通といふ事になる。堀りつくした鑛山見たやうなものでもうどうする事も出來ないのである。だからあまり盛になると衰へるのである。盛になりかたが惡いからである。(安き)を見ニ行ける所迄行く五〔『道草』〕兄健三住長太郞要さん(高橋)芝遠山妹島田平吉御常(先妻) -藤後吉田虎吉か つ姊(五八)義兄比田寅八由喜代長太郎「(柴野房之助お常(柴野縫八九九
八九〇-彦作太郎比田の養子比田の實子死んだ波多野御常の再緣したる所。六一一三男一女直系原-傍系。將來トノ觀察アリ直系未成男女ノ前ニテニをすゝむ。其時「女」ノ男」に對する批評び豫防線といふ)男の公言する所(全く女と男のため)三母の子他國で情婦(若くは妻)を作る。死。女母を尋ね來る。(恥ヲカヽセタといふ。嫉妬及母亡子の記念の爲め女を愛惜す。しばらくして女ある男を愛す。これを母に打ち明ける大に怒る。亡子に貞ナラザル女を愛スル事能ハザる心理(其援助を受ける確信ありて)母豐後、養老、月影丁子、高野槇、ロレンジ、原イブキ(下菓物)寒木犀、琉球ツヽジ霧島、五月、トケラ(ヒヨドリ)ユウカリ(白き葉)梅檀(ハゼの樣ナ實)ワシントン子ーブル八九
八九二子供、井戶側、西洋人釣に行丸木橋小便千圓やル。髮結床アイツ。湯河原の川藤木川合して千歲川向側ハ伊豆+ The Portrait of Caterina Cornaro by Giorgione (finished by Titian) Providence dealt capriciously with Caterina Cornaro in that, when the great age of Venetian portraiture began, her beauty had already become a legend. It was by the sight of her portrait that her uncle is said to have first caused the Lusignan to entertain the idea of the match, and at the time of her betrothal the Senate, according to her biographer Colbertaldo. in the dearth, apparently, of native masters, commissioned a certain Dario of Treviso to paint her portrait as a of gift to her maiden. ed the her future husband, who, in acknowledging it, said that he had never seen so beautiful a A Cypriote chronicler tells how, when she landed in her kingdom, the people proclaim- return of Venus to her native Cyprus. in the一文展の繪、effort,小笠原流、美術院、假裝行列、○己を空うしてnatureヲ受ケ入れる(極ハ寫眞。其寫眞と此種ノ繪ノ區別)○己レノ寫眞ヲnatureノ上ニ燒きつける。何文人畫Symbolism獨乙ノ畫ノ項參照11小說、ノ尤モ有義ナル役目ノ1ツトテ、particular caseヲgeneral caseリreduceスル〓X general case〓general caseトシテハ陳腐X particular caseヲparticular caseトシテハ奇怪、×新らしき刺擊アリテ然モ一般ニappealスル爲ニ第一ノ如クスル必要アリ、八九三假裝行列、
八九四×吾人ハeffectノ爲ニ然スルノミナラズ、人道ノ爲ニ然セザル可ラズ三古キ道德ヲ破壞スルハ新シキ道德ヲ建立スル時ニノミ許サレベキモノナリ。(原 原国事評家、胸中ニ一ツノ固マリアルベカラズ。有ユル塊マリナカルベカラズ。他ノ尺度ヲ以テ他原ヲ評セゼルベカラズ、versatile.賊馬ニ騎シテ賊ヲ逐フ、(5)徹底ノ意、absolute freedomアリや、妥協ナリ。徹底トハomniscientノ上ニナル妥協ナリ、(6)あらくれの評7人ハ自分に相談シテ言動セズ。故ニ氣ニ入ラヌ者ナリ。若シ之ヲ忌マバ自己の標準ト他トヲ一致セシメザルベカラズ或程度迄出來る。(感化的形式的ニ)然シ他ノ立場ヲ考ヘナイ場合若原クハ考ヘテモ理解デキナイ場合ハ全知ノ特權ヲ有ツテ居ナイ場合トテモ取除ク譯ニ行カナイ8生死ハ透脫スベキモノナリ囘避スベキ者ニアラズ。毀譽モ其通リナリ。他ノ尺度ヲ以テ他omniscientノ上ニナル妥協ナリ、○German later years ; nationalism. contempt, to Nietzsche considered the Prussians dangerous to culture: he said that even the presence of a retarded his digestion he poured scorn upon Treitschke and disliked Bismarck in his years ; and above all he despised the notion of " Deutschland〓ber Alles ,, and every kind of It seems to us beyond question that it will and does operate to deepen all to lessen every kind of sympathy for those less fortunate and to lead to the most useless to every frittering even of individual gifts. For the community sense, if he is to be of superiority of Dostoievsky. Nothing 8 is true, everything is the common man. of the most highly gifted person needs the service he might be; and that is more, not less, of for the the reason not of is allowed " is dangerous no less to the rare than it is to the○大塚ノ哲學ノ系統virgin prostitute○竹箆○技巧ハ己ヲ僞ル者ニアラズ、己ヲ飾ルモノニアラズ、人ヲ欺クモノニアラズ。己レヲ遺憾ナク人ニ示ス道具ナリ。人格卽技巧ナリ○皆川ノ手紙ニsilk hatヲ樽ノ樣ナモノト書イテアツタリ○奈良高師ノ德永曰ク友達ハ出來マセン。要リマセント。余曰ク友達ハ絕對ニ要ラナイモノニアラズ。時ニヨリテ厄介ニナルナリ。重荷ヲ負フテ旅行スルガ如シ。脊負ツテ居ルウチハ厄介、宿ニ着ケバ役ニ立ツ。○藝術ノミ豈一元論ヲ許サンヤ、萬法歸一、virgin prostitute人ヲ欺クモノニアラズ。己レヲ遺憾ナク萬法歸一、八九五
八九六○或人ハ〓白ガイヽト云フ、或人ハ〓白ガ惡イトイフ。告白ガイヽノデモ惡イノデモ何デモナイ、人格ノアルモノガ告白ヲスレバ〓白ガヨクナリ、シナケレバシナイ方ガヨクナルノデアル。美人原ガ笑ヘバ笑フ方ガヨク泣ケバ泣ク方ガヨクナル樣ナモノデアル。惡女ハ何方シテモイケナイノデアル○ゼエレン·キエルケゴオル。和辻哲郞○動物をいくら〓究しても動物にはなれない○音樂會、猫や犬ヨリハ可からうと思つて行つた。○Dostoievski Maeterlinck○戰爭(歐洲) Kantカラ出タト云フ、○自分ノ作物ハbastardノ樣ナ心持○高等工業ノ演說、mechanical, universal abstract laws application Hegelカラ出たといふabstract laws application記-大正四年十一月九日より同十七日頃まで-日十日夜○百目四十錢の火藥、丸が十二錢雉三百羽、雄五十錢○農と獵半々○鍛冶屋へ行く○鴫が居るか。雉か兎○何號で打つか。四號か五號です、六號でも打ちます○春になると羽が强くなるから三號だがね○犬はゐるか、走ります○ぢや駄目だ。待つてゐないだらふ。ついて歩けない○犬は鐵砲の音を聞くとピシヤリト留る。鳥が落ちると留る。○此所いらの犬は食はずに持つてくるのは好いうちです八九七
八九八○山鳥は犬が早くないと駄目だらう○さうです。足の弱い人は輕便の下から上の方へ登つて行く。○明日は行かれません、鹿狩に行きます。朝三時半に立ちます。先生と一所です。○先生とは宗久といふ醫者。○ボタ鴫はゐますが田鴫はゐません○ヒヨはゐますが十二號ぢや勿體ない。三十號位ならイヽデス○雉や鶉は待つ犬でなければ駄目。山鳥は走る犬でなければ駄目○山鳥は(シキみ林などの)窪に居る。水のジク〓〓した所。山が枯れると能く分りますが、は山がまだ靑いから窪にもミヨにもゐますから。雉子も野が枯れないと分りません先生と一所です。今○禪關策進と白隱。慈明引錐今ノ學人ハ生理、心理、ヲ知ル。故ニ臆病ナリ。又臆病ニナルベク餘儀ナクセラル、生理心理トモ科學ニシテaverage menノ所有の現象の統計ヨリ來ルニ過ギズ。故exceptionヲ許サヾル原如クニ考ヘラル。生徒學生、之ヲ學ブモノ皆自己ヲegloricks menト見傚シ且ツ人ヲモaverage menト見傚スノ癖アリ。故ニ引錐等ノ事ヲ見テ能ハズトナス。(激勵的ノ師策ナキモ其原因ナリ)、只天才ハ自己ヲaverage menト信ジナガラ生理心理ヲ尤モト心得ナガラそれニ背イタ行動ヲ餘儀ナクセラルヽナリ十一日不動の瀧。橋二つ渡る。左の下河と田、右山(稍開きたる)の間を行く。其先に一軒家の茶店あり。溪流に臨む。右に上る數間にして瀧二筋天邊より來る。割合に樹木なく瀧の上に山なし。草山の間より岩出で其割け目より水が長く落ちる。少し下の右側よりも落ちる。御茶屋の御神さん。色白く眉濃く赤い模樣の襦袢を裾より下に一寸出してゐる。黑繻子の半。襟をかける。どうして斯んな所に一人居られるかと思ふ。頓狂庵の妻君なる事分る。(日本橋ですといふ)宿へ歸つて下女に聞くともと葭町の藝者だといふ。一寸驚ろかされる。頓狂庵に大分金を遣はした結果だといふ。翌十二日(宿の御神さんいふ。亭主は西洋小間物商の所御店が破產して此所へ來た所、あとから女も來たよし。(亭主はわた樽屋の息子なり)さうして藝者といふ名では出られないが師匠といふ名目で御客の座敷へ出たいといふ。ある日御客が來た時熱海へつれて行つて吳れと賴む。宿の御上さんと客夫婦と外に男もついて熱海へ行くと亭主が電話をかけてすぐ歸れといふ。夫から以後客にあれは亭主と一所でなければ座敷へ出ないといつてゐます云々)黑繻子の半。襟(日本橋です八九九
九〇〇-十11口夜來の雨で是公路がわるいので鐵砲打に行かならしくら九時過伊豆山から熱海へ行かうと云ひ田す。馬車で出る。十時三十八分の輕便に間に合ひ過ぎて茶屋にやする。こまどりの話をしてゐる。上さん曰くした餌一、糖二、の割です。小飼だからよく馴れてぬかす。此邊にある季節になるとこま鳥が里近く出て來ます。それを捕るのです伊豆山の相模屋へ行く崖道を一丁半も下る。前はすぐ海なり。千人風呂へ入る書生さんが四五人で泳いだりもぐつたり色々してゐる。千人風呂へ入る書生さんが四五露西亞人ノ〇〓年輩ノ人ニ對する考He (Afanasy Ivanovitch Totsky) was a man of five-and-fifty, of artistic temperament and extra- ordinary refinement. (The youngestハトテモ駄目) The general with his knowledge of life attached the greatest value to Totsky's propesal from the first. As owing to certain special circumstances, Totsky was obliged to be extremely circumspect in his behaviour, and was merely feeling his way, the parents only presented the question to their daughters as a remote proposition. They received in response a satisfactory, though not absolutely definite, assurance that the eldest, Alexandra, might perhaps not refuse him. She was a gool of artistic temperament and extra- natured and sensible girl, very easy to get on with, though she had a will of her own. It was conceivable that she was perfectly ready to marry Totsky; and if she gave her word, she would keep to it honourably. "Idiot"ノ中リPrince Myshkinガgeneralノ妻君ト娘ニ話ヲスル·中リDostoievsky自身ノ經歴ノ如キ者ヲ插話トシテ述ベタ條ニ曰ク:- Tnis man had once been led oat with others to the scaffold and a sentence of death was read over him. He was to be shot for a political offence. Twenty moments later a reprieve was read to them, and they were condemned to another punishment instead. Yet the interval between those two sentences, twenty minutes or at least a quarter of an hour, he passed in the fullest conviction that he would die in a few minutes. I was always eager to listen when he recalled his sens tions at that time, and I often questioned him about it. He remembered it all with extra- ordinary distinctness and used to say that he never would forget those minutes. Twenty paces from the scaffold. round which soldiers and other p cople were standing, there were three posts stuck in the ground. , as there were several criminals. The three first were led up, bound to the posts, the death-dress (a long white gown) was put on, and white caps were pulled over their eyes so that they should not see the guns then a company of several soldiers was drawn up with, though she had a will of her own. It was Totsky; and if she gave her word, she would marryノ妻君ト娘ニ話ヲスル·中リDostoievsky自身ノ經of gown) guns up九〇1
九〇二against each post. My friend was the eighth on the list, so he had to be one of the third set. The priest went to each in turn with a cross. He had only five minutes more to live. He told me that those five minutes seemed to him an infinite time, a vast wealth he felt that he had so many lives left in those five minutes that there was no need yet to think of the last moment, so much so that he divided his time up. He set aside time to take leave of his comrades , two minutes for that; then he kept another two minutes to think for the last time; and then a minute to look about him for the last time. He remembered very well having divided his time like that. He was dying at twenty-seven, strong and healthy. As he took leave of his comrades, he remembered asking one of them a somewhat irrelevant question and being particularly interested in the answer. Then when he had said good-bye, the two minutes came that he had set apart for thinking to himself. He knew beforehand what he would think about. He wanted to realise as quickly and clearly as possible how it could be that now he existed and was living and in three minutes he would be something-some one or something. But what ? Where ? He meant to decide all that in those two minutes ! Not far off there was a church, and the gilt roof was glittering in the bright sunshine. He remembered that he stared very persistently at that roof and the light flashing from it; he could not tear himself away from the light. It seemed to to it; not tear away him that those rays were his new nature and that in three minutes he would somehow melt into them·The uncertainty and feeling of aversion for that new thing which would be and was just coming was awful. But he said that nothing was so dreadful at that time as the continual thought, 'What if I were not to die! What if I could go back to life-what eternity! And it would all be mine! I would turn every minute into an age; I would lose nothing, I would count every minute as it passed, I would not waste one! He said that this idea turned to such a fury at last that he longed to be shot quickly. and into a九日の事。御大典の前晩。外田。暗くて雨が降りさうな宵。宿のものが提灯を點けて踉いて行かうといふのを斷つて谷川を沿つて小半丁行つて谷川を離れて右へ折れるとすぐ又元の方角へ轉じて再び谷川を左へ渡らなければならない。其丁度鍵の手の樣に折れ曲つてゐる角の旅舘の玄關に人立がしてゐる。門を入つて人の後ろから覗き込むと模樣のある着物を着た女の子が踴つてゐる。是は上り口の上での所作だから外からも見え〔や〕筈だが小さい兒なので頭に載せた手拭丈が見える。三味線と月琴を彈いてゐる男女は我々と同じ地面の上に立つてゐるので却つてよく分る。見えないからすぐ出る。九〇川
ない耳から馬鹿だな。皇居を故郷と間「高山彥九郞が何とかして故郷を伏し拜みつて唄つてゐ(20)から馬鹿だな。皇居を故郷と間違へてゐやがる。「此酒屋の御上さんの妹は別品だから見ろ」「此所に己の舊知己がゐるから一寸寄つて行かうかな。小鳥を飼ふ仲間だ」狹い町はすぐ盡きて灯が段々少なくなる。村外れにある鎭守の森へ出る少し前から又橋を渡つて引き返す。元の旅舘の前へ來ると先刻の踴子の連中が丁度仕舞つて門からぞろ〓〓出て行く月琴を抱へた女が黑紋付の羽織を着てゐる夜目には縮緬らしく見える、夫から小さい踴子は友染の着物に赤い帶を立矢の字に結んでゐる。最も奇異に感じたのは彼等の一人が提灯をぶら下げてゐる事である。彼等は其提灯で足元を照らしながら今出て來た旅舘の裏手にある橋(川向にある他の旅舘へ文通ずる細い橋)を渡つて行つた。(20)〇十五日昨日宿の婆さんから食逃の話を聞く。一人は來て飯をくふ所其量がどうも多過ぎた。やがて御上さん此所いらに烟草屋はありますまいかと聞く。あとで上さんが亭主に「御前さんあれは惜かに食逃だよ。あとをつけて御覽なさい。見付の松迄行つて歸らなかつたら其儘にして歸つて御出なさい」。一人は知りもしない癖に「旦那今日は」と威勢よく這入つて來た。上さん曰くありや錢なしだよ。二三日後亭主上さんに云はれて客の入浴中包をしらべる、果して何にもなし御幸さんから泥棒の話を聞く。日本大學の制帽をかぶる男、菓子を買ふにも散歩するにも悉く大學帽をかぶる。隣の御客さんの話を襖へ耳をつけて聞く。同じ年輩の書生と懇意になる。所に伊豆山へ行く。友達が二十圓持つて行くといふのをとめて五圓も持つて行けば澤山だといふ。原友達はそれを欄間と鴨居の間にある横柱の裏にかくす。それをぬすぬ。宿料を催促すると色々辯解すれどもよこさず遂に追出す○やせ馬の話。脊中へやせ馬をつけて米俵を二俵背負つた女の話。上さんが男にヤセ馬で近所へつれて行かれた話二三日後亭主上さんに云はれて客の入浴中包をしらべる、果して何にもな上さんが男にヤセ馬で近所へ〇十六日一の字峠、金堀瀧木の名ヅサ、カンバ、長尾曾根。沼津三島と靜岡灣を見る。鞍懸の眺望八ヶ國の眺望(靑ページヲ見ヨ)相模武藏安房上總下總信濃甲斐伊豆駿河遠江〔靑ページより揭出〕九〇五
九〇六原十七日朝富士屋を出て湯本へ行く途中車夫の語、宮の下の天皇陛下も此春死にました。飛ぶ鳥を落すやうな勢でしたがね。何しろ偉い人で往來を歩くと小供でも何でも御辭儀をするので、「己は頸がかつたるいから」つて仕舞に手を擧せる丈で頭は動しませんでした。それで眞直を見てゐて橫目なんぞは使はない癖に誰が何所を通るかちやんと知れるんだから偉いもんです。何しろ西洋人の金でなくつちや取つたやうな氣がしません。駕龍を雇つて大地獄迄步いて行つて少しも乘らずに、それで酒錢を吳れるんですからね。日本人は尻が痛くなつたつて中々下りやしません奈良屋と富士屋の間には契約があつたんです。日本人は奈良屋で取る其代り西洋人は富士屋で貰ふつてね。それが何でも二三年前に滿期になつたんださうで、今ぢや兩方共日本人でも西洋人でも客にします。然し奈良屋へ西洋人は行きませんや。行つても午飯を食ひに富士屋へ來て見てすぐ移つちまひます。此方はコツクが十五人もゐる所へ持つて來て、向は一人か二〔人〕しかゐないんですからね。○湯河原で是公曰く馬鹿囃は六づかしいものだぜ。今東京の藝者のうちであれが本當に出來るものは吉原の御貞だけだ。彼はキヤリと馬鹿囃とを混同してゐる。手古舞は御神樂の事と考へてゐるかも知れない癲癇病ノ心狀(The Idiotノ中ヨリ) He remembered among other things that he always had one minute just before the epileptic fit (if it came on while he was awake), when suddenly in the midst of sadness, spiritual darkness flash of light in his brain, and with extraordinary and oppression, there seemed at moments a impctus all his vital forces suddenly began working at their highest tension. The sense of life, the consciousness of self, were multiplied ten times at these moments which passed like a flash of lightning. His mind and his heart were flooded with extraordinary light; all his uneasiness, all full of his doubts, all his anxieties were relieved at once they were all merged in a lofty calm, serene, , harmonious joy and hope. But these moments, these flashes, were only the prelude of that final second (it was never more than a second) with which the fit began. That second was, of course, unendurable. Thinking of that moment later, when he was all right again, he often said to himself that all these gleams and flashes of the highest sensation of life and self-conscious- ness, and therefore also of the highest form of existence, were nothing but disease, the interrup-九〇七ness, of
九〇八OP being, tion Of言contrary normal condition Ell)〓: yo 4. must be reckoned言lowest. was〓C〓〓24〓言highest form Inf op言日記及斷片-大正四年十二月頃より大正五年七月二十七日まで-○ブランデス。テイン。主義標題ハ主義標題。個人作家の批評ハ批評。リンクを缺く。○軍國主義論、軍國主義ハ方便、目的ニアラズ故に時勢遲れなり獨乙の「力」の考と佛蘭西の「力」の考○甲でもあり乙でもある。執着もあり執着なくもある。論理的でない。謠曲を習ふ例。○人から遠慮される樣な地位にあるものは啓發を受くる機會なし。體裁のいゝ事をいふものばかりを相手にして滿足してゐる。夫故此滿足を打破する者が出て來るときは、自然前者を同情者もしくは味方として見る。さうして後者の方が間違つてゐるのだと推定する。その方が自然だからである。もし前者が誠實な贊同者である場合には夫でもよろしけれど、虛僞の場合には此位地を有する人程氣の毒なものなし。リンクを缺く。論理的でない。然し論理は果して事實か。○箒庵の茶會記事。其道に入ると何事によらず天下他事なき有樣なり九〇九
九一〇○獨乙の繪(ハ思想ナリ)○トライチケ○科學的一元說(テイン)トベルグソン○象徵主義(グールモンの與へたる)ノ定義○老人雜話。佛蘭西ノ捕虜物語○アナトールフランスの○歐洲戰爭宗〓、社會主義、經濟、人道、皆國家主義に勝つ能はず○田中君の話酒。コンニヤクの上等が第一ブランデーは年數、香りと味葡萄酒も年數然し年數が同じならばvintage村。ピカーヂリーの傍セントジエームのブリツグス。籐食物。天麩羅、花長、魚河岸の屋臺見世を料理屋へ呼ぶ、村。食物。(製セザル者)四百圓越後屋の菓子(八百善、常磐屋の注文、)。池の端の鹽煎餅。黑砂糖の羊羹槇町の太平堂!黑砂糖の飴、赤坂のチマキ屋(注文のみ)。茶ブラツクチーとウーロンを交ぜる。キユーブの砂糖の味。シルバーフオツクス、總毛一萬圓、六千圓。ラツコの皮少しづゝ白い毛が生へたのを貴ブ。長さ一寸五分。襟皮七八百圓。帽子、三四百圓。自動車へ乘る連中の着るもの門平を作る。羽織の長きは無用。袴腰改良。心ハ紙上に帶心を捲く。洋服の改良黑砂糖の羊羹槇町の太平毛皮。衣服。湯河原一月二十八日(行)より二月十六日歸○宿の老上さんの話△男ある素人の情人をつれてくる。同じく關係のある女(待合の女將)あとから來る。男風呂場で女將につらまつて出る事が出來ず湯氣にあがる。上さんに救はれて部屋に歸る。素人の女の方は泣いて東京へ歸るといふ。上さんなだめて戶棚の中へ布團を敷き火鉢を入れてかくす。さうして男と女將をたしなめる。もう騒動をしないといふ言質をとる。それから男一人に女二人同居す。九一一
九一二男コボシテ曰クリヨマチで手拭が原男風呂に入る。二人とも遠慮してどつちも湯に追いて行かず。男コボシテ曰クリヨマチで手拭が絞れないのに二人とも一所に來てくれなくつちや仕樣がない。△男あり橫濱の藝者と深い仲なり。單身湯治に來る。別口の新橋の好きな藝者を呼ぶ。すると其藝者の來る前に橫濱の方が勝手に來てしまふ。呼ばれた方はあとから來て指を街へて二人を遠方から見てゐる。原○小三さん婆さんの話。私は十五のとき紀州熊野から親につれられて大阪へ出ましたがあした食ふものもないやうに原零落してしまつたのです。父は千人前の法華寺の坊さんと懇意なので其所へ入ればどうかなると云ひますが母や妹の始末が出來ないのです。それで堀江の眞暗ないやな家へ五年百圓の約束で行く事になりました。所が其所の家では又私を讃岐の志度といふ所へ轉覽してしまつたの原す。私は親の手へ百兩の金が渡つた事とのみ思つてゐますと、母が妹を脊中へおぶつて志度迄遣つて來ました。驚ろいて聽いて見ると其百兩を一どきには吳れないでちび〓〓渡すので何うする事も出來ないのださうです。母が漸く國へ歸ると材木屋の旦那方が御米も可愛さうだらかどうかして遣つたらよからうといふので百圓持たして迎ひに寄こして呉れました。それが十七のぬれ、(明治五年?)す。夫から宅へ歸つてから一人で東京へ出て來ました。「石の上にも三年」といふ言葉が私に刺戟を與へたのです。東京へ出て材木屋さんの關係から木場へ一寸落ち付きました。夫から葭町へ來て口をさがしましたが何處でも相手にしません。漸く一軒まあためしに置いて見やうといふのがありましたが其所へ這入つて見ると苦しいものでした。朝は下女と一所に起きて拭掃除をさせられます。御茶を挽くと御午御飯は燒芋より外にあてがはれないのです。燒芋は一錢分で六本しかありません。それに惡い男の子がゐて其燒芋を橫取りしてしまふのです。惡くすると二本位で我慢しなければなりません。さうして夕御飯は御座敷へ出ても食べられません家へ歸つても食べられないのです。稽古は姊さんがして呉れますが、ひどい目に逢ひます三味線の撥で手の甲を打たれるので手が腫れてどうする事も出來なかつた事があります(北州を〓つた時)。言葉が通じないので手水場に入つて言葉の稽古をしました。御座敷へ出て二十五座を遣れと云はれてそんな段物は知りませんと斷つて小便藝者と云はれた事があります二十五座といふのは段物でも何でもないのです△「一人寐る夜は二人が淋し二人見る夢一人ごと」此文句の解釋が二通りあるんですよ云々○豐田のばヾあ曰く昔は足を氣にしたものです。枋の木炭ばかり遺つて、親指の爪を深くとつて、それで素足へ齒のある下駄を穿くのです。○眞鶴行九三
ん 四門川迄あるく。田舎道で荷を肩にした肴屋ニ會フ。「旦那方はどちらへ御出です。」「眞鶴ですか。なにさう遠くはありません。あの無線電信の柱が見えるでせう。あの山の向ふ側になります。」(右の方に海に突き出てゐる岡を指して)「好い所かへ」「えゝ揚屋が十軒あります」「外に何にもないかね」「もう少し早いとブリ網が見られるでせう」(時に十一時頃)門川の茶屋に小さん、豐田の婆さん、榮ちやんといふ女が待ち合せてゐた。茶店の女主人に「御上さん、鶯が眞鶴に預けてあると云つたつけね。今日是から眞鶴へ行くから序に見せて貰はうと思ふが平井屋にゐるのかい。」(眞鶴の宿屋)「へえ平井屋で近藤の鶯と仰しやれば解ります」榮ちやんが來て赤切符を渡してくれる。默つて受取つて、ぞろ〓〓輕便に乘る。(並等に)杯なので手を出してつり皮をぶら下げる橫に渡した棒につらまる。豐田の婆さんが下から仰いで原原見て腕が寒いでせうと云つてシやツの端を引張る。生憎半そでなのでシやツは少しも袖口の方に出て來ない。吉濱でとまる。右はすぐ海、海の岸は石垣で築いてある。左手は小學校、前に廣場、右はすぐ海、海の岸は石垣で築いてある。左手は小學校、前に廣場、それから山路へうねつて這入る。先刻右の山の上に見えた無線電信の柱が山に遮ぎられて見えなくなる。一山超えた所で「輕便」を降りる。眞鶴へ行くのはすぐ右に折れて田舍道のやうな所を通つて行くのである。何所にも眞鶴らしい影も見えない。「此樣子ぢや是から半道もあるんだらう」此時吾々を足早に追ひ越して行つた男が急に振り返つた。「そんなにありやしません。五丁です」彼の言葉は銳どかつた。原「眞鶴が遠いといつたつて、里程を間違たつて何もさう拳突を食はさなくつてもよささうなものでにと田中君が驚いたやうにいふ。右は雜木林で小高くなつてゐる。下は二三間の切岸で下は畠である。日影になつてゐる田舍路は霜どけでぐちや/しする。女連は弱らせられる。中村が豐田のばあさんの手提籃を持つてやる。田中が小さんに杖を貸してやる。キルクの草履を穿いてゐる榮ちやんは尤も手古摺つてゐる。「跣足になれ」「負ぶつてやれ」「よござんすよ」榮ちやんは斷乎としてゐる。九一五
九一六「早く先へ行つて宿屋から迎を寄こしてやるがいゝ」男はどん〓〓步いた。道が忽ち盡きて坂になつた。それを曲つて又下りると人家がちらほら見えた。石段になつた。「平井屋といふ宿屋は何所かね」荒くれた漁師風の爺さん、原「ずつと云つて右側だ。前がトタンで後ろが藁葺だ」平井屋の二階へ通る。七面鳥が菜を食つてゐる。鷄が餌をつゝいてゐる。た。「午餐を食ふが何が出來るかね」「バシヨー烏賊にホウボーのやうなものです」「ホーボーを酒と醬油で煮てくれ。それから烏賊の刺身をおれ丈食ふから持つて來い」「へい」「おいまだあるよ。先刻途中で見たら鰯が店先にあつたが、宅にもあるんだらう」「へい御座います」それを曲つて又下りると人家がちらほら見えた。又曲ると今度は鷄が餌をつゝいてゐる。やがて向ふの垣根の處に白い兎が顏を出し先刻途中で見たら鰯が店先にあつたが、宅にもあるんだらう」「あれを生の儘持つて來い。此所で燒いて食ふんだから」飯の支度の出來る間濱へ出て見る。狹い道にはみんな石が敷いてある。それがみんな濱の方へ原急な勾配が着いてゐる。さう(〓て不規則に幾筋もある。それからそれを橫に貫いてゐるのもある。悉く石丈で疊んである。路丈は何だか以太利邊の小さな漁村にでも來たやうな心持である。(家は無論比較しやうがないが)芝居の廣告のビラが路傍に貼つてある。「こんな所にも何々座といふものがあるのかね」少し行くと右側に蕎麥と看板を懸けた生新らしい粗末な家の中で二三人の女の高い笑ひ聲がする。原濱は三方陸で馬蹄がたに水が食ひ込んでゐる。靜かな小さん灣で僅か餘された一方の砂地に引き上げられた船が竝んでゐる。水面は强い色をしてゐたが鏡のやうに穩かであつた。右手の山の頂上に先刻の無線電信の柱が見える。「あれは海軍のだらう」先刻思ひがけなく狹い路で水兵に四五人擦れ違つた宿へ歸つて飯を食ふ。中村はもう一人で鰯を大分燒いて骨を皿の上に竝べてゐる。小さんが「此鰯は生で食べるべきものだ。さうして骨も食はなくつちや本當でない」といつて、下女に井に醋を一杯もらつて其中に鰯を浮かして、それをむしや〓〓〓ひ始めた。(彼女はそれがために其晩嘔いたり下したりしたさうである)九一七
か人八「是からブリ網を見に行くんだ。婆さん連も一所に行きなさい」婆さん連は最後の輕便で東京へ歸る事になつてゐた。「時間に間に合ふでせうか」「間に合ふとも」婆さん連は懸念しながらもブリ網が見に行きたいので一所になつて又濱へ出る。莫産と座布團を持つて來た宿の下女も二人船に乘せる。我々は外套の襟を立てゝ陣どる。風はなく海は平かだが時節が時節だから寒い。右手に石山がある。「あれは○○さんの持つてる所です」「あの泥棒が持つてるんぢや碌な事はねぇだらう」「何でもあすこを石垣にしてやるといふ約束で此土地のものも承知して賣つたんですが、一 円石垣なんかつきさうもないですね」「あいつの事だから石を切り出して儲ける氣なんだらう」山のはづれ迄船が來た。すると大きな海面に丸太を浮かしたやうな目標だか浮きだかゞずつと原原竝んで見える。それは規則正しく間隔を置いてある恰形に排列されてゐるにも拘はらず其恰形の何であるかは素人眼には一寸分らない。どこから何う始つて何處で終つてゐるか分らない。其丸太の上に鳥が澤山留つてゐる。灰色のやうな薄茶けたやうな色をしてゐる。風は一 円「何だね」「鷗さ」「はあ何だか恰好が違ふがな」「沖の鷗だから、海のと隅田川邊のとは違ふさ。」其うち鳥は低く飛んだ。「成程あゝして飛ぶ所を見てゐると如何にも鷗だ」沖には船が澤山見える。「凡てゞ十一艘居ます。あれで十四五人宛乘つてゐるんですから。惣勢は二百人近くです。大漁の時は七萬位ブリがかゝる(S)ですから、まあ十萬圓近くの金になるんです。一人が一晩に二十とか三十とかいふ金を懷に入れますがそれをみんな飮んぢまいます」「それで揚屋が必要なんだね」船はある間隔を置いて浮いてゐる例の丸太のやうなものゝ一列に竝んでゐる傍を通り拔けて遙かに見えた漁船の一つについた。船には苦が片側に懸けてある其中から顔を出した漁夫が二三人吾々の船の女を見て何とか聲高に罵つた。宿の女は笑つてゐる。やがて船が苦の向側へつくと十四五人がごちや〓〓になつて固まつてゐたが起き返るもの立つもの、立つて又寐るもの、雜然として吾々の船を見てみな新たに活動し始めた。九一九
九二〇「何時頃から網は引くんですかね」「まあ四時頃からです」原時に三時半頃。答へたのは恰腹の好い立派な男である。「歌右衞門に似てゐるよあの人は。いゝ男だ事」と豐田の婆さんは感心してしきりに歌右衞門といふ言葉を振り舞はす。此歌右衞門は四十代の立派な男である。「私が司令長官です」と云つた。五分刈の頭に後ろ鉢卷をしてゐた。「網は日に大抵四囘位やります。漁業期は十二月から六月位迄です。網の價は壹萬六七千圓位でせう」向ふの船に櫓があつて其上に人が一人立つてゐる。「あれは見張りですか」「えゝ魚が寄つてくるとあすこで大きな聲を出してみんなに知らせるのです」「知らせる迄は取り掛らないんですか」「なに時間が來れば遺ります。疲れてみんなが寐ますからな。大きな聲を出して知らせる必要があります」「さうして君が司令長官だとすると、みんな此所へ寄つて來る譯かね」「いえ手前は司令長官ですが元船はあすこにゐます」小田原の鈴木の持網です。大きな聲を出して知らせる必要大きな網は元船へ手繰り寄せられるのである。「あすこへ行つて乘せて貰ひませう」船頭は船を元船へ着けた。「うちの御客さんだ少し乘せて見せて御吳れよ」我々は苫の陰に一團となつて這入つた。氣持がよくないので默つてゐた。眼をねむつてゐた。動く船と波を見ると氣持が惡くなる。原原爐が切つ(一〓)あつてそこへ誰かが槇を橫縱に十本ばかり渡した槇は燃える前に燻ぶつた。け原むい烟が我々の眼や口を襲つて來た。やがて巧みに竝べられた槇は赤い燄を吐き出した。へさきに近い所にヘツツイガあつて一抱えもある釜が掛つてゐた。其前に黑焦に焦げてびか〓〓した鰯が串に刺した儘二本立てゝあつた。呪符か食ふものか解らなかつた。みんな飯を食ひ出した。原やがて網引は始まつた。元船から見てゐると其(TH)扇の要として末廣に十一二艘の船が丸るく何時の間にか陣を張つてゐた。やがて素裸になつた漁子が舷に胸をあてがつて手を水際から揚げたり下げたりし始めた。一艘に十人と見て百二三十人の兩手だから二百四五十本の手が人形の樣に水から離れたりついたりする。同時に彼等のこゞんだ脊(赤銅色の)と黑い頭とが手ととも(CC)人形の樣な運動を始めた。凡てが調子づいて、さうして其調子を保つため、(又それが原因九三一眼をねむつてゐた。
になつて)一種の掛聲が遠くから起つた。掛聲は時計の振子の樣に雜音ではあるが規則正しく續いちら彼等は胸を舷側に着けて水際近く下ろした頭を舷と同じ高さ迄上げる。さうして又其頭を水際近く下す。同時に手に持つた網の目を此運動の調子につれて一度ごとに手繰り寄せる。あ、からだの重みを船緣に靠たせて何うして胸が擦り剝けないのだらう。又あゝ眼まぐるしく頭を動かして眩暈が起らないのだらう。人形のやうな運動は勇ましい掛聲と共に段々元船に近寄つてくる。彼等は一つ摑んだ網の眼を投げると同時に其先の眼をつかまへ、次には又其元を摑へるといつた風に段々段々元船に近寄つて仕舞には十艘の船では形ちづくれない程の小さな輪になつてしまふと、艘二艘、列から外に離れて行くとう〓〓六七艘の船で完全に取り圍まれた輪になる時分には網の底はもう水とすれすれになる。網中の魚は船の中へ掬ひ上げられる、ブリは何時見えるかと思つて見てゐたが中々見えない。しまいに靑い棒のやうなものが籃の中を橫切つた。不漁で三尾しか取れなかつた。「おれは飯を食つたがかゝあはどうする」船の中でこんな事を云つた船頭がある。宿屋に着くもう東京へは間に合はないといふので婆さんは又湯河原へ引返す。大風。宿のものが提灯をつけて案內する。提灯は消える。掛茶(三十)の薄暗い灯の下で輕使を待ち合せる。「あの元船へ移る時ね、船頭が誰か身體の汚れてゐるものはゐまいなといつた時、私やぎよつとしました。榮ちやんが若しきゝやしまいかと思つて。あゝいふ緣起を祝ふ稼業ですからね」身體の汚れてゐた榮ちやんは蒼い顏をして其時船の中に寐てゐた。船頭の言葉を聽いたか聽かなかつたか、それは誰も知らなかつた。又後になつても訊ねなかつた。何しろブリは三尾しか捕れなかつた。贅澤一藝術上。漸々氣六づかしくなる。始め眼を喜ばせたものが仕舞には少しも藝術的に訴へなくなる。それが高じると本當に好いと思ふものは眞に僅かになる。人は之を稱して向上といひ當人も夫で得意である。二物質上。藝術の場合と同じ。然し人は之をよく云はず。「足る事を知れや田螺のわび住居」(三人間の好惡の上、是も同じ事。さうして評價は二と同じ四精神的、俗にいふ氣六づかしい事、是も二の場合と同じ(當人も成るべく之を隱さうとする。九三三
れ山田此四つは論理から云へば皆〔同〕じ方向に向つて評價されべきものなるに、かく反するは第二三四は道德的意義に解釋さるゝが第一と反對になるなり。道德的とは相手に迷惑を及ぼすといふが一つ。自己に安心なきが故といふ意味二つなり。然るに自己に安心なしと云へば藝術の場合も同じかるべし故に此場合は自己(K)安心なき程よきものを人に給與するが故によしと見ざるべからず(藝術的向上心に道義的評價を附着すれば)。もしくは自己の安心を犠牲にしてヨリ好きものを摑まんとあせる慾望を肯定すると見ざるべからず。(此場合は如何に自分が向上したれば原とて他に害を及ぼさず迷惑をかけざる故凡て自己本位にて差支なしと見傚され居るなり)○物を觀る時間と好惡の變化第一印象の時大變好く漸々刺戟がなくなると平凡に見える最後に厭きる○私はKさんと同じ食卓で御飯を食べました。Mさんとは違つた食卓です。もと〓〓Mさんと一所に行つたのぢやないんですからね。それで何うしたといふのです。Kさんとは親しいがMさんとは親しくないといふんですか。親しくないんぢやない知らないんです。向ひ合つて話してさへゐれば貴方は親しいと思ふんでせう。然し身體は離れてゐても口は利かなくつても親しいものはあります。心は距離で隔てる譯には行きません。も思ふ通りの話が出來ます。どんな遠い所へでも行けます。口を利かないで〇〇〇〇子の話私は下野眞岡のもので御座います。家は荒物業であります。其日に困る程の經濟狀態では御座いません。兄弟は十三人で大變大勢ですが父が非常に子煩惱でそれがため私が他を欺かなくてはならない羽目に陷つて弱つて居ります。私は宇都の宮の女學校の專修科に居りました。其頃私の母方の從兄に當る子供が同じ土地の中學に居りました。これはもと眞岡の中學に居りましたが卒業する時にある事故から免狀を取る譯に行かなかつたので宇都の宮の方へ轉學したのです。海軍志望なのでどうしても中學を卒業して置かないと免狀がもらへないために轉學の必要もあつたのです。其男の姓は〇〇と申します。此〇〇は眞岡に居る時は私の宅から中學へ通つてゐたので私の兄弟及び私などは兄弟のやうにして暮らしてゐました親しいものですが、宇都の宮に居る頃不圖私に戀を打ち明けて妻にもらひたいといふ事を申し出しました。私は驚ろきましたが其頃旣に十七原歲にもなつて居りまので少しは思慮も御座いましたから其問題について考へました所、先方の父と私の父とは到底性質が一致致しませんから是は先へ行つて旨く行くまいと思ひまして其旨を當九二五
九三六人に答へました。然し私は其人を立派な人格の人だと信じて少しも疑つて居りませんでした。其後〇〇は海軍の試驗に及第して少尉になりました。それから私の叔母を通して私を貰ひたいといふ旨を通じました。私は異存が御座いませんでした。父母も承知を致しました。それで婚約が成立致しました。否もう結婚するといふ事に迄話が進んで來ました。すると○○が叔母に向つて結婚する前是非一度私と二人ぎりで會見したいと中し込んで來ましな。叔母はそれは責任があるからと申して斷りました。然し〇〇は旣に貰ひ受けた女〔な〕のだから二人ぎりで會つた所で決して不都合のある筈はないと主張しました。それで叔母も已むなく都合して私と○○とを私の家の二階で會見させる事にしました。然るに私を驚ろかせたのは其時の彼の態度です。〇〇は私に向つて何にも申しません。たゞ默つてゐるのです。それから口へ出した僅かばかりの言葉は又私を驚ろかせたのみならず却つて私を不審がらせました。又私を不快にしました。彼は私に向つて斯う云ひました。「○ちやんは私などの所へくるよりももつと立派な人の所へ行つた方が好くはないか」〇〇の立派な男といふのは私の親戚にあたるある文學士の事をいふのであります。自分で是非私を貰ひたいと申し出して置きながら、さうして自分の云ふ通り私をもらふといふ事に話を極めて置きながら、會見の時にあたつて、斯んな言葉を未來の夫から聽かされやう(一七)は私も夢にも思ひ掛けませんでした。彼はさういふ不得要領な態度で座を立ちました。夫から東京へ來て一寸自分の宅へ寄つたなりすぐ自分の勤務先の吳へ向つて立つてしまつたのです。さうして夫からといふものは結婚についてどういふ考なのか一向歩を進めてくれないのです。それが何の爲だか解らないのです。然し〇〇家の一家の事情は其後になつて私達によく知れました。彼の父は養蠶を業としてゐたものですが性來頗る善人で利害を眼中に置かないやうな性格であつたのでとう〓〓破產してしまひまして故郷にゐる譯にも行かず東京へ出たのであります。で其一家は〇〇の兄が引受けなければならなくなりました。所が此兄は砲兵中尉で旣に自分の家族があるのですから、とても薄給でさう多勢の世話をする譯には行かないので、自然借金が出來ました。仕舞に已を得ず弟の名義で玉突場を經營し出しました。所がそれが當局者間の問題になつて軍人として商業に從事するのは不都合だから何方か已めろと其筋から注意されたのであります。そこで兄は此苦境を免かれるために弟に私と結婚して其家を救つて吳れと云つたのです。○○は怒りました。金の爲に結婚を强ひるなんて甚だしい侮辱だと云つて喧嘩をしたさうです。然し彼は兵學校在學中から始終兄の世話になつてばかりゐて家のためには何も盡して居らんので自分も心苦しかつたのです。で愈兄が辭職するかしないかといふ期限の三日前になつて、彼は兄に向つて其位の金はいくら彼は兄に向つて其位の金はいくら九二七
九二八自分だつて出來ない事はないと意地づくで兄に明言してそれで私に會ひに來たのださうです。所がどうしても私にはそれが云ひ出せなかつたものと見えて默つてゐたものと思はれます。彼は同じ町內の知人に逐〔一〕の〓末を話したさうです。其人は旨を領して宅へ來ましたが生憎父が不在だつたので兄に話をしなければならなかつたのです。すると兄はたゞの好意でする普通の依賴原と心得て好い加減にあしらつて返してしまひました。そんな事で私の婚姻は破れる。私は多勢の兄弟の間に居つて父母に心配をかけるのが辛くなりました。(兄は嫁を迎へなければなりません)そこで橫須賀の叔母をたよつてしばらく身を寄せる事に致しました。此叔母は女醫です。すると驚ろいたのは〇〇が何時の間にか橫須賀(御大典後詰になつて、ひよつくり叔母の宅へ訪問て來た事です。彼は私を見て今迄の事件に就いては何も云ひませんでした。碌々話す機會もなかつたのです。家には看護婦だの下女だのが大勢居ますが私と〇〇との關係に就いて委細を知つてゐるものは一人もありませんたド兄弟のやうな間柄とのみ取つてゐるやうでした。其うち〇〇の樣子が變になりました。一人で默り込んで外套などを被つて診察室の隅に寐てゐたりします。夫から今度松山から女房を貰ふ事になつた抔と云ひふらす許りか、女の寫眞を看護婦などに見せるやうになりました。或時は其寫眞さへ其所いらへ載せて置いたり何かしました。私は最初から〇〇を信じてゐました。他から馬鹿と云はれても何でも其人を疑ふ事が出來なかつたのです。然しこんな事實を眼前に見るとどうしても疑はずにはゐられなくなります。私の知つた人で若いうちに過を犯して今はたゞ一人八つになる子供を育てゝ暮してゐる人があります。其人は今三十二ばかりですが六つ年下の男と關係をつけて、男は高等商業を卒業して滿鐵へ奉職したぎり何うしても一所になると云はないのです。その女の人が自分の經驗から推してゞせう、私に「あなたはあの人にあれ程踏み付けられて口惜しくも何とも思はないのですか」と云ひます、私は口惜しがる前に果して男がさう輕薄だつたのかを是非確めなければならないのです。他から原見れて明白な事實と見えるかも知れませんが私は一旦信じた事をどうしてもさうでないと思ひ込む譯に行かないのです。そんな筈がないとばかり思へてならないのです。〇〇は此女の人に手紙をやつた事があります。其手紙にはこんな意味が書いてあるのです。「私は是非結婚をしなければならなくなつた······手紙は女から私に內覽するやうにと云つて送つて來ました。私に見せては好くあるまいとも思ふが又私に決心させる手よりにもなるからと云つて女はわざ〓〓其手紙を私に送つて吳れたのです。私は男が何故そんな事を女に云つてやつたものだらうかと疑ふのです。實際私が厭になつたのか、夫とも私に早くあきらめさせてほかへ嫁に行かせやうと思ふのですか。それが私に判斷がつかないのです。女は又〇〇と私の事に就いて話し合つた事もあるのです。
九三〇「〇ちやん程立派な女はゐないと思ひます」「そんなら何故其○ちやんを御貰ひなさらないのです」「私は貰ふ價値がないのです。私はやくざな人間ですから」此會話が果して彼の本意を語つたものでせうか。彼の本意ならば彼の其後の擧動はどう解釋して好いものでせうか。私は煩問しました。叔母は私を引受けて相當の所へ緣づけるから心配するなと受合つて吳れます。然し私の樣子を見て餘程心配になると見えて父に手紙を出しました。「○ちやんの事は引き受ける積りだが當人が今のやうに圓覺寺へ行きたいの何のと普通でない事をいふやうでは困るから」父は私を見て泣きました。どうか今から又何か勉强を始めるとか何とか云はずに大人しくして叔母さんや御父さんのいふ通りになつてくれと云ひます。私は承知致しました。私は必竟他に期待があるからこんな煩悶をするのだから、此期待を打棄てゝしまはうと决心しました。それで當人の事はもう考へまいと思ひました。然し叔母の勸めで横須賀邊の人へ嫁くとなると、矢張り○○の顏を見なければならないので、夫を思ふと殆んど耐へられない氣がするのです。よしそれを忍んで良緣を求めたとしても、今迄の事を默つてゐなくては結婚が成立しないから默つてゐろと父から云はれます。私は又人を欺つて嫁に行くのがつらくてならないのです。○ある藝術家ノ述懷として小說中に出す11刺戟ガ强烈ナル〓22生生活ノ反映としてウンザリスル〓(3)心に餘裕ガナキ〓、從つて不安ナル〓(4)俗ツポイ事夫で自由、安穩、平和を求める、-繪畫は一番それに近い。ドラマチツクナ繪畫は(人情ガカツタ)成功スルものが少ナい。其理由は不明ナレドモ脚本や小說の本質を冒スカラジやナイダラウカ、吾人は繪を別の方面カラ眺めるからぢやないだらうか。畫の本質を全然異つた所に置く爲ぢやないだらうか。(カラクテリスチツクを表現する現代的繪畫ノあるものは如何といふ質問も起つてくるが)。然ラバ其畫の本質とは何ぞやと云はれると困る。つまり生活に飽いたものが田舎へ引き込むのと同じで、自然、と人間(傍觀的態度で見る。無關心で賞翫する)を愛するといふ氣分が取も直さず繪を愛する氣分ぢやないだらうか。所が小說や脚本の藝術の强烈サニ辟易して繪に逃れるとすると其所に又人間臭いいやな所が出てくる。人に賞められたくなる。人と競爭したくなる。仕事それ自身は平穩な刺戟を持つてゐるが其仕事と世間との交涉になると矢張り俗ポクツテ煩ハシクツテゴタ〓〓してゐて、塵埃ダラケ九三一無
九三二デ仕方ガナイ○AとBの關係。寧ろ愛より愛の形式、靈より寧ろ肉AとCとの關係。歷史的には前者よりは遙かに淺し。外部より見ればスライト·アクエインタンス。然し內部にインスタンタニアスflash (A+B)の關係は外面的に非常に近し然し(A+C)の關係は內面的に却つて近し此時Bより觀察せる(A+C)の關係。或時はハツと驚ろく。さうして大變だと思ふ。或時は推察がすぐ事實と同じものになつて嫉妬心を起す。或時は推察の眞か僞かを疑つてたヾ不審の念を起す。或る時はたゞの否定に傾く。○慣れぬ仲間の前へ出た時一神經質の人の恐怖〓二場慣れない人の恐怖〇二人の友達が久し振に會ふ。昔し會つた舊友の事などを話しあふ。「あいつは何うした」。曾遊の事を話しあふ。「あの時は何うだつた」○プレートニツクラツヴ。A、僕はあの女に對してたヾプレートニツクラツヴを有つてゐる丈だ外部より見ればスライト·アクエインタ(A+C)の關係は內面的に却つて近し「あいつは何うした」。曾B、皮肉ナ笑ひ方をする。BハAの內々で道樂をする事を知つてゐるので。Aはそれに氣が付いたか付かないか頻りに前言を强調するB最後に自分の腹のなかにある事を打ち明けて、「いくら君が左樣綺麗な事を口先で云つたつて、信用が出來ない」といふ原B自己を說明する。彼はその女丈に對して肉感を起さないのだといふ。さうして他の女に對して肉の感じを起しても、ある一人の女(非常に自分の愛してゐる)に對してのみは全く其欲から獨立したものだといふ事を說明する○己の顏は動物さへ見る顏だ○「愛はハシカの樣なものだと誰か云つてましたね。のでせう」「ハシカなら一度こつきりで濟むけれども愛はさうはいきません。からね。Kなぞは私の知つてる丈でももう五六遍遣つてますよ」「まあ氣の多い事。然し本當の戀は一生に一度しかないんぢやないでせうか。好きな人と一所になれない爲に獨身でゐる人があります」「そんなのは當世向ぢやないんでせう。現代は固定を忌むんだから」つまり一度は誰でも罹らなければ濟まない二度でも三度でも罹ります私の知つた人に九三三
九三四「さうすると貴方も一度や二度ぢや濟まなかつた組ね」「何うして」「だつてアナタの主張がさうだからよ」「主張ぢやないわ。全くさういふ人があるんですもの」「然しあなたはその一人ぢやないといふの」「どうですか。自分がさうでなくつたつて、其人の腹は理解出來るぢやありませんか」「理解出來る丈がそういふ人に近い證據よ。」「とう〓〓浮氣ものにされてしまつた」○細君賣淫の話「私はそれをKから聽きました。りました。」芝居を見るレーデーが役者を買ふ話「私はそれをHから聞きました。それからといふものは矢張り女を信じる氣になれません」それからといふものはどうしても女を信ずる事が出來なくな○人はあるものを白だとも云へます黑だとも云へます。しかも少しも自分を僞る事なしに。是は白と黑との兩方が腹のうちに潜伏してゐて、白といふ時は白の立場から、原場から一つものを眺めて說明するからです丁寶なものですPerfect innocence and perfect hypocrisy又黑といふ時は黑の立○ポセツシヨン「私はいくら女を戀しても一直線に其方へ進む譯に行かないのです」「何故」、「女が自分で自分を所有してゐないと思ふからです」「ぢや女は誰が所有してゐます」「旣婚の女は無論夫の所有でせう。少くとも夫はさう認めてゐるでせう」「さうです」「未婚の處女は兩親の所有でせう。少くとも父母はさう認めてゐるでせう。なくて嫁に行く女はまあないからです」○肛門プレートニツクラツヴの條と連結す○Aといふ女とBといふ男A、Bのインヂフエレントな態度を飽キ足ラズ思ふ。又は其愛情を疑ふ。少くとも夫はさう認めてゐるでせう」父母〔の〕許諾が又は其愛情を疑ふ。Cとフラーテーシヨ九三五
九三六ンをやる。(Bに氣が付くやうに。) B嫉妬を起す。怒る。喧嘩。A猶Bをぢらす。策としてDといふ女とじやれる。Aこれをかんづく。そして今度は自分が嫉妬を起。A、Bに本心を打ち明ける。同時にcoo bettであつた事をも打ち明ける。Bも亦對抗口說。喧嘩○Aの家の面會日は火曜。ある晩Bノ宅から雨が降つたので下駄を持つてくる。Aの所へ行くと云つて出たのださうである。同じ火曜のある晩。Cが來る。此晩Aは旅行して不在。に寄る。「今Aの所へ行つたら旅行で留守でしたから來ました」Bの妻君變な顏をして曰く「良人もAの所へ行くと云つて出たのですよ」「でもBさんはAの所にやゐませんでしたよ。Aは旅行で不在なのですから」「へえ」Bは宅を出る時Cつまらないものだから歸りにBの家○一日の新聞(大正五年三月十八日)電報。廣西獨立宣言(上海特電)獨乙海相交迭(ロイテル)×經濟會議參列者を阪谷芳郞男にきめたといふ事。阪谷男の意見。歐洲戰爭の經濟狀態に及ぼす影響につき。一年二年の間に千億の軍費を要するが如き經濟上の大事件を適當に始末するため救濟善後策の必要あり。それから敵國苛めの案件もあり。×英艦が日本の商船を頻々臨檢する事につき解決如何、(我國は法律上の)·····以上箱中にあり。通讀すると一項から一項へ心が段々變つて行く。讀了の後はあ心が色々の經驗をしたなと思ふさうして其經驗に切目がなくてさうして變化が多い。變化の多い事といつたら考へると大變なものである。此繼目のない多大の變化を經過した心は「是で何分かゝつたらう」と思ふ。○坊主のすしの記事。澁柿にあり○三月十六日柘榴の盆栽をもらふ。カレ枝から靑い葉が見不看の程度で出てゐる。それを緣側へ置くと日々ずん〓〓靑味がのびて行く。それを緣側○Stiffness-rigidity 5·Pliability maleability Liquidity Gaseousness adaptability degree九三七
九三八人の勸誘デスグ散步スル氣ニナツタリ。人ノconversation流動的態度topicニスグ同化シタリ、自己ノ○トルストイのアンナの中のレ非ン草を刈る處原神があつて一人手に動くやうに思はれる(一生懸命になると)無心になる時あり。鎌に精○公平、冷靜、正直、落付、アル處置、然し如何にその殘酷なるかの場合○心中の心理「生きてゐると故障があつて一所になれないため死んで一所になりたいといふ意味でせうか一「すると死ねば一所になれるといふ信念か、哲學が何處かになくてはならないでせう」「えゝ、さうすると矢張り只苦痛を囘避するためでせうか」正直、落付、アル處置、然し如何にその殘酷なるかの場合○Aある事を思ひて其事を實現せずにゐる。他日他に向つて辯解シテ曰ク「そんな事を考へた事はない」彼は實行せざる以上は考へないと同樣と考へてゐる。少くとも他に對して是が立派な辯解になつてゐると考へてゐる。さうして少しも苦痛を感じてゐない。○畜生と思つてある仕事にとりかゝる。其畜生と思ふ心が取り付いてどうしても其仕事に一生懸命になれぬ。自分では是程一生懸命にならうとするのにとつく〓〓口惜しくなる。他に罵しられたがため成功したとか激勵を受けて業をなしたとかいふのは此心理からいふとみんな嘘の事である。それにはまだ他に原因があるのだらう。それを〓究せずして無暗に人を叱れば奮發すると思つたり辱めればえらくなつたりすると思ふのは愚である。○コンシート人に目遣ひをしたり乙な樣子を見せたりしておれにチヤームされたらう、おれは色女だらうといふ風をするものは、その目遣や樣子に動かされる男を己惚者と云つて笑ふ。然し自分の己惚は全く棚に上げてゐる。○臆病人が自分を馬鹿にしやしないか、愚弄しないかと思つて始終不安の態度でゐるものは餘程の臆原病ものか、又は癖みものである。然しある人は斯う云つた。「己は臆病かも知れない。鷹揚でないかも知れない。然し正しいのだ。正しいものとして正しくないものを打ち倒さうとするのだ。故なく他を損ふものを嫉むから、そんなものはどうして愚弄しないかと思つて始終不安の態度でゐるものは餘程の臆正しいものとして正しそんなものはどうして九三九
九四〇(30)打ち懲らさなければならないといふ氣がむら〓〓と湧いて出て、この己を不安にするのである。己の落付のないのは巡査や探偵が眼を皿のやうにして良民を害する惡者を捕へやうと一生懸命に氣を遣つてゐるやうなものだ。○甲其妻の云ふ事を聞かず。乙といふ婦人のいふ事を聞く。妻事あれば乙に賴む。妻は乙を德とすれども同時に彼女に對して嫉妬の念を禁ずる能はず。○亭主何事に限らず妻に干渉す。衣服、外出、立居振舞悉く批評の材料となる。ことに嫉妬の氣味あり。妻之を厭ふ。人に逢ふ度に苦情を洩らす。後亭主の態度俄然豹變す。妻に對して全く自由放任となる。妻却つて喜ばず物足らぬ思をなす。○結婚後少し新味を失つた夫外へ出てある他の婦人と逢ふ。其特色は悉く自分の細君の有つてゐないもので悉く細君の夫等よりは上等な樣に思つて宅へ歸る。細君は夫の爲に化粧して服裝迄注意して夫を迎へる。夫を自分の方に引きつけやうとする。夫はそれが鼻につく。大した感興も起らず。細君は心中で夫を恨む○loveの素質あつてloveを滿足させた事のない人の他の愛に向つて同情なき敍述○ハニカミ屋○惚れ合つて夫婦になつたもの、段々喧嘩をする。細君往時を囘顧して先にやさしかつたのは金妻事あれば乙に賴む。妻は乙を德と段々喧嘩をする。細君往時を囘顧して先にやさしかつたのは金であると解釋す○フロツクコートと軍艦○亡妻。彼女は何處へ行つた。私は何處にゐる。云々。其人又新らしきラヴアツフヘヤーを遣る。曰く私は此所にゐた。友達笑つて曰くsaintが又墮落した。厭世を治するものはloveだ。しばらくして其人又不安になる。「此所にゐると思つた私が又何處かへ行つてしまつた。したら好いだらう」どう○殺人の箭か、活人の箭か。原「其坊さんは箭殺されたのか」「いゝや」「殺されない事を承知の上で胸を敲いたのか」「それぢややまを張つたやうなものだらう。機略だらう。ので全體が活きて來るのだらう」殺されてもびくともしない氣がある九四
カニ音樂會〇〇〇の音樂會。子供無邪氣で出る積で勉强してゐる。「あいつに常識があれば構はないが」「あいつは突飛だから何をするか分らない」「宅の小供などを主にして音樂會をやれたもんぢやない」原「宅の小子供などは錢を取るべき音樂會へ顏を出す資格はない」「餘興として御慰みに出るにしても惡い」「あいつは法螺吹か馬鹿だから。何方にしても變なプログラムを作る恐がある」○loveの滿足を得た夫婦。無暗に他人に同情を感じ金などを遣る。段々冷淡になり、施しや金を貸したがらなくなる。○何うして暮してゐるんですか。「出所があるんだらう」其滿足の薄らいで來た時、「政府から貰ふのさ」「無暗に金をやつて構はないんですか」「構つても仕方がないから遣るのさ」「瀆職事件が起るでせう」「起らない場合の方が多いに極つてるさ」「でも惡い事でせう」「己の宅へ來て金を借りられるより堆しだらう」○爆彈事件豫審决定○良寛の書七絕聯落、越後柏崎の在にある舊家より出しもの。良寛は氣に入つたものには沙門良寛とかき猶好きものには越州沙門良寬とかきし由。田崎良寛といふは良寬在世の頃よりの僞書家にて良寛通りの書をかきし故人其姓田崎の下に良寛の二字を加へ僞筆に會へば是は田崎良寛かと訊くといふ。良寛屏風ならば立派なものに書きしかど、托鉢の序など書いてもらふ時はあり合せの紙など繼ぎて氣の變らぬうちに書いて貰ひし由。夫故美濃紙を橫に繼ぎたる如何はしき紙に書きたる方が却つて本物の場合多しといふ。彼は酒を少ししか飮まぬ癖に酒をくれると書を書きし由。魚をくれても書きし由。田崎は間違。島崎良寬。島崎といふ所にゐたる故にしかいふとなり九四三
○男は女、女は男を要求す。さうしてそれを見出した時御互に不滿足を感ず。自分に必要でさうして自分の有つてゐないものを他に於て見出すが故に互に要求する也。同時に自分になくして他にあるものは元來自分と性質を異にしてゐる故に衝突を感ずるなり。コンプレメンタリとして他を抱擁せんとするものはアイデンチカルならざる故に又他を排斥するなり。故に陰陽は相引き又相彈く。相引く事に快を取らんとすれば相彈く苦痛をも忍ばざるべからず○我一人の爲の愛か「私はそんな氣の多い人は嫌です。自分一人を愛して吳れる人でなくつては」「外の人は全く愛せずに自分丈に愛の量を集めやうといふのですね」「さうです」「すると其男に取つて貴女以外の女は丸で女でなくなるのですな」「えゝ」「何うしてそれが出來ます」原原「完全の愛はそんなさうでせう。りませんか」「然し考へて御覽なさい。あなた以外の女を女と思はないで、其所迄行かなくつちや本當の愛を感ずる譯に行かないぢやああなた以外の女を女と思はないで、あなた丈を女と思ふといふ事は理性でも悟性でもに訴へて出來る事でせうか」「感情の上では出來る筈ぢやありませんか」「然しあなた丈を女と思ふといふと解し得られる樣ですが外の女を女と思ふなといふと想像が出來なくなるやうです。何故といふと若し外の女を女と思はないで濟むなら肝心の貴女をさへ女と思へる筈がないからです。自分の家の花丈が花で外の家の花は花ぢやない枯草だといふのと同じだから」「枯草でいゝぢやありませんか」「枯草つていふ譯がないんですから。夫よりか好きな女も嫌な女もあり、其好きな女にも嫌な所があつて、其興味を有つてゐる凡ての女の中で一番あなたが好きだと云はれてこそ貴女は本當に愛されてゐるんぢやありませんか。絕對ぢやない比較的で澤山だ○齒石、唾石、-是は唾液中にある石灰質が齒根に沈着するもの。此齒石が齒莖を壓する結果、ハグキが段々低くなるに付けて齒が段々高くなる。さうしてハグキから少しづゝウミが出る。齒の長さの三分の二は齒莖の中に埋つてゐる。結石是は齒の根に着くもの。どうしても上から沈着したものとは思はれない。だから血液中から出たものといふ說になつてゐる。所が大變見分にくいもので、あると思つて切つて見るとな九三三
九四六かつたり。無いと思つて拔いて見るとあつたりする原モデリングを取つて今度は石膏で齒型を拵らへ。その空き間卽ち齒の拔けた部分の恰形に應じて瀨戶物の形で入齒を作る。○「あの人はあんな凝つた服裝をしてゐるがちつとも厭味でない」「そりや地味なものを着るからさ」「着物の柄からばかりぢやありません。あの樣子がさうなんです。「そりや自分の着物の事を忘れてゐるからさ」「だつて自分が好き〔で〕拵へたものぢやありませんか」「選擇や好惡はあるさ。けれどもそれを始終持つて〓つてゐないんだ」「選擇や好惡があつてどうしてそれを忘れる事が出來ます」「それさ。選擇や好惡は着物にあるんで着る人に存するのぢやない。だから人の顏を見て自分の着物と其人の着物とを比較しないのさ。卽ち彼對我の優劣を眼中に置いてゐないのさ。人を離れた着物といふ事になるからな」だから不思議に思ふのです」○アスナラウ原所がまた運惡く今度のうちには其アナナラウがによき「あいつはアスナラウが大嫌なんだが、所がまた運惡く今度のうちには其アナナラウがによきによき生へてゐるのさ」「あんな氣六づかし屋には好い藥になつて結構だ」「さうさ。左樣いへばそんなものかも知れない。然しいくらアスナラウが彼奴に厭な思ひをさせたつて、彼奴の氣六づかしさが減ずるといふ譯でもないんだからな。それよ(5)アスナラウの方で一層の事あいつの好な松とか竹とかに變化して遣る方が好いだらう。あいつの爲にもアスナの爲にも其方が仕合せだ」○「新らしい芝居は分らない」「新らしい芝居は分らない。言葉が分らないのかと思ふとさうでない。役者が惡いのだ。何故原かといふ舊い芝居を聽いても矢張り意味の解らない事をいふが夫で矢つ張り解るんだから」「英語の芝居を見て何をいつてゐるか丸で解らなくつても夫でも劇は略解るさ」此問答は二つとも論理を誤れり。一は解るべきアーヌングを有つてゐる上で解らないといふ結論を得、一は解らないといふ土臺の上に立つて解るといふ。二つの結論に達する方向は丸で反對である。だから前者の解らないといふ意味と後者の解るといふ意味とは事實引繰り返つてゐて、程度からいふと解らないといふ方が却つて解るといふよりも解つてゐる事になる。
九六、○中老の男女を得て若返る「あの人は近頃大分若返つたね」「さう云へば一時は大いに悲觀してくすぼつてゐたが、近來は大分元氣がよくなつた樣だ。然原し派出なネタタイをしたり、無暗に着物を詮議したりするのはちと時代錯誤だな」「そんな事に興味を持ち得る程に精神が刺戟に應じ易くなつたのだ」「さう云へばあの年でとかいゝ年をしてとか云つて滑稽にばかり觀察するのも能くないね。つまり夫丈若くなつたんだから」「若い女を得た快樂といふものは恐ろしい結果を持ち來すものだな」原「あまり快樂を貪つてゐるうちにどさりと來くから險呑だ」「そりや俗に女に殺されるとかいふ奴を眞面目に受けていふんだらうが、俗說は大いに間違つてゐる。あの元氣は精神的ばかりぢやない。生理的にも出て來たんだ。否生理的な元氣が精神に及ぼした點も大變多い」「さうかな。何うして?僕はさうは思はない。たとひ精神的には元氣をつけるにしても生理的には有害だらうと思ふ」「所がそりや間違つてる。醫者は何ういふか知らんが、氣の利いた醫者なら僕に同意するだら然つ僕はさうは思はない。たとひ精神的には元氣をつけるにしても生理醫者は何ういふか知らんが、氣の利いた醫者なら僕に同意するだらうと思ふ。若い女と接觸するのは老人を殺すんぢやない用が行はれるに相違ない。血行運動が好くなるんだらう。の作用を鼓舞するんだらう」生かすんだ。其所には微妙な生理作さうしてその血行運動が凡ての內臟Crato m'〓〓sonno,〓Sweet 15. sleep of me, 'Night. (III Icm 2. esser sweeter 10: sasso. 24H do be O. stone.-Inscription on Michael Angelo's○鑑賞と鑑定鑑賞は信仰である。己に足りて外に待つ事なきものである。始から落付いてゐる。愛である。惚れるのである鑑定は〓究である。何處迄行つても不滿足である。諸所を尋ねあるき、諸方へ持つて廻つて遂に落ち付かない。猜疑である。探偵であるから安心の際限がないのである。己に足りて外に待つ事なきものである。始から落付いてゐる。愛である。○ミツスルトーThe mistletoe was Ferr E great reverence by言Druids. H was believed d co〓particularly九四九
九五〇centuries. It had special signifi- who was killed by an arrow made mistletoe tree was placed under was never agam to be an instru- and and divinely healing: in fact, it was given this attribute for cance as the cause of the death of Balder, the Norse Apollo, from its branches. Subsequently Balder was restored to life, the the care of Friga, and from that time until it touched the carth ment of evil. The present custom of kissing under the mistletoe is the Druids. Persons of opposite sexes passed under the suspended kiss of love and peace in full assurance that, though it had all its power of doing harm since his restoration. under the mistletoe is the outcome of an old practice of sexes passed under the suspended bough and gave each other assurance that, though it had caused Balder's death, it had since his restoration. the the lost○子供星野勘右衞門は天下の豪傑。三宅たく兵衞、田村字平次泥だらけの足で風呂場の口から這入つてくる。桶の中に足を入れやうとして叱られ、原を洗ふや否や亞鉛花澱粉のはけで足の上へ御白粉をつけて出て行く。やつと足○飛行機小田原の早川口で輕便鐵道の硝子窓越に見て見ると向うの空に飛行機が見える。それが見てゐるうちに傾いて來た。さうして誰が眼にももう墜落しさうに見えた時、彼は思はず大きな聲を出して「あゝつ」と云つた。すると其飛行機らしいものは飛行機の恰好をした風であつた。〇工事場。二千坪、松三百本。○ヤングマン。youthful spirit.○出雲町平民病院。南金六町から出雲橋を渡る。遞信博物舘、右側(赤煉瓦)曲る。河內屋。左農商務省精養軒。橋向ふ野田屋。香雪軒。角新喜樂。就いて曲る。左側林病院。右本願寺其前を一寸出て右に曲る。前に立〓中學校。其東後ろ居留地○河岸の船から藁を卸してゐる。馬に乘せる。南金六町から出雲橋を渡る。遞信博物舘、遞信構內郵便局。木挽町配電所精養軒。橋向ふ野田屋。渡つて眞直に河岸を行く。右海軍省?左橋を渡る。非常に高く見える(四月八日)○スミスの宙返り午後二時頃家を出て七軒寺町の大通へ出ると往來が何時になく賑やかで丸で緣日のやうにぞろ九五一
ぞろしてゐる。今日は外套も要らない暖かい日和なのと土曜に當るので斯んなに人が出るのかと思ふと、彼等の視線はみんな南の空に注がれてゐる。今日はスミスが靑山の練兵場で曲乘飛行をやるといふ事を忘れてゐた自分は漸く氣がついて、みんなの視る方を眺める果して向ふの電信柱の上に一臺の飛行器が飛んでゐた。春の空が折から曇つて風のない空は烟るやうに柔かに見えた。機は其間を心持よささうに搖曳してゐた。やがて高い空の上でぐる〔り〕と大きな輪を描いて〓轉したと見ると、其機首は空に逆はないやうにやんわりと下から上の方に向いて故の位地に復した。夫から鳥の兩翼をひろげて、空を伸すやうに、又羽搏をしないでバランスを保つ時のやうに自然の勢で右左に搖曳するやうに見えた。すると又ぐるりと〓轉した。ぐるりといふ言葉は少し强過ぎるかも知れないやうに、な原だらかな大きな圓を描いて、ふわりと飛首が上りつゝ又進みつゝ故の位地に復すのである。凧のぐる〓〓轉るやうな性急なものでは決してなかつた。)最後に機は眞逆さまになつて流星の樣な勢で落ちた。今迄ふわ〓〓漂ひながら舞ふ如く〓轉したり逆轉したりする有樣を眺めてゐた自分は此急速度の直線を眺めた時、おやと思づた。其時機は同じ速度で人家の下に隱れた。「今のは落ちたんぢやないか」「落ちたんだらうね。なんぼなんだつて、あゝ早くは降りられまい」あゝ早くは降りられまい」あの速度で家の後ろに隱れたあの後は何うなつたのだらう。のである。最後を見屆けない時は心掛りなも○笑談なら笑談でよし眞面目なら眞面目でよし。笑談とも眞面目ともつかない事をいふ男あり。之は徒らに其男の性質に曇りをかけるやうなものだから云はない方がいゝ。(鏡の曇り)○藤の木。馬具師の庇の上に棚を釣つてある。其傍にサイカチの木があつてそれに藤の枝が纒つてゐる。馬具屋の庇には志方講、三寶珠講といふ札、店の板の間には和倉繩、ブラシ、赤い○夫婦相せめぐ外其侮を防ぐ○喧嘩、不快、リパルジヨンが自然の偉大な力の前に長縮すると同時に相手は今迄の相違を忘れて抱擁してゐる○喧嘩。細君の病氣を起す。夫の看病。漸々兩者の接近。それがactionにあらはるゝ時。細君はたゞ微笑してカレシングを受く。决して過去に溯つて難詰せず。.夫はそれを愛すると同時に、何時でも又して遣られたといふ感じになる。○LIHI露西亞の小說を讀んで自分と同じ事が書いてあるのに驚ろく。さうして只クリチカルさうして只クリチカル
九五四の瞬間にうまく逃れたと逃れないとの相違である。といふ筋○二人して一人の女を思ふ。一人は消極、sad, noble, shy, religious.一人はactive, social後者遂に女を得。前者女を得られて急に淋しさを强く感ずる。居たゝまれなくなる。10/のmeaningを疑ふ。遂に女を口說く。女(實は其人をひそかに愛してゐる事を發見して戰慄しながら)時期後れたるを諭す。男聽かず。生活の本當の意義を論ず。女は姦通か。自殺か。男を排斥するかの三方法を有つ。女自殺すると假定す。男惘然として自殺せんとして能はず。僧になる。又還俗す。或所で彼女の夫と會す。○四月二十一日季節物×若い齒朶延びつくす×彼岸櫻殆んど散り盡す×小梅櫻。花咲く。白及び紅×椿花咲く×ギボシ延びる。縞蘆のびる。×九花蘭の花莖のびる。未開。×いかり草花花咲く〓かすみ草地から芽を抽く×小でまり花咲く原×苗賣。朝顏松葉牡丹、ダリやの芽、及種×芭蕉芽を吹く×山吹花咲く。×萩芽を吹く一寸×紫陽花二寸×蔦びか〓〓光る葉を着く一寸五分四方位。×百合の芽六七寸。但し活花は旣にあり。〓柘榴未だ芽を吹かず原ダリやの芽、原瓢簞、及種(一)尿二二十四時間(三食前膀胱を空虛。)一糖尿病食後二時間九五五
二誤解日本及日本人。それをaが引用(三芝居と輕蔑。劇を見てもいゝ氣にはなつてゐない。に色氣がある解脫しきれない人間。女に對しても四他の人のエキスペンスで笑を贏ち得る事の倫理觀上の不快とのバランスを取つての考察屈辱を感ずるにあらず不德義を憤るなり公憤なり(五鴨居勘右衞門。豚、御多福さうして役者どもを馬鹿にしてゐる。同時四月二十三日記○糖尿病。渡邊と談話の時、眞鍋に話して貰ふ。眞鍋から電話。大學の物理的治療室に至る。尿檢査、糖分大分出るといふ。×二日間蛋白性のものばかり食つて、二日目の二十四時間の尿を送る。結果二十四時の尿には糖分ナシトイフ。然し二十四時間で薄められてゐるから糖の尤も出る食後二時間の分を選んで試驗するといふ×其翌日食事をする前膀胱を空虛にして置いて食後二時の尿、朝。書、晩に分けて、取つて置いて翌朝(二十二日)送る×二十三日朝眞鍋から電話で糖は矢張り出るが、前の半分に減じたが此前は二十四時間の尿を送眞鍋に話して貰ふ。眞鍋から電話。大學の物理的治療室に至る。尿朝。書、晩に分けて、取つて置い前の半分に減じたが此前は二十四時間の尿を送つた後すぐ平生食物を取り、又試驗の爲めと聞いて食事を變更したのだから、もう一度試驗したい、且此食事でどの位糖が減じ又身體が保つか試驗しなければならないといふ。卽ち二十五の尿を三囘分二十五日朝に送る事にする。(眞鍋に見て貰つてからあすの月曜が丁度一週間目である)×二十六日眞鍋から電話。尿は幸にして糖なし。此上はどの位糖を食つて差支ないかの試驗をす原るから。土曜日(二十八?九?)に早食事前に膀胱を空虛にして食パンの八分一を食ひ食後二時間目の尿を送れと云つてくる。〓二十九日夜眞鍋からの電話。尿には糖分ナシ。今度は麵麭半斤の八分一を朝、午、晚三度食つて、(食前空虛にした膀胱にたまる食後二時間目の尿を三瓶よこせといふのである。三十日の尿を指揮通り取つて置いて一日に送る事にする。原×五月二日早眞鍋より電話昨日の尿には異狀なし。午に麵麭半斤の四分一、晩に二分一を食つて食後二時間目の尿を今度はよこせといふ。×三日夜眞鍋より電話もうパン半斤の四分一では糖分が出ないといふ。明日は三食共二分一を食ひ食後二時間目の尿をよこせといふ。×五日夜の電話報告、朝は出る、午はなし晩は出る。それでパン半斤の二分では糖分出る。今度は飯を半ゼンで試驗するといふ。六日の午の尿を持たしてやる晚三度食三十日の尿午に麵麭半斤の四分一、晩に二分一を食つ明日は三食共二分一を食今度カラモ
九五八五月十六日迄病氣。十六日起る。デ報告二返は出ズ一返は糖出る。十七日眞鍋の電話。パン半斤の三分一で試驗。十八日夜電話×季節。になる。五月四日、柘榴芽を吹く。床に牡丹同時に白水仙葉外部茶シン薄靑一面に光る。カナメも同じ。薄の芽二尺程○自然科學一般化その法則を個性に適用する醫術の不完全○科學の應用(工科)と文藝個象より出立する。法則より出立する。ユニヴーサリチーの程度(雙方)○實社會に入つて修養すべし。修養してから活動すべし。何方でもいゝ事だから、他を排斥する必要なし。たゞ個人に卽していふから議論になる。甲の心懸で無暗に實社會に突入されては困る。乙の心得で無暗に高踏されては困る。ユニヴーサリチーの程度○倫理的にして始めて藝術的なり。眞に藝術的なるものは必ず倫理的なり。○女を犯したる人の翌日の心理の變化。退潮の有樣。不關焉の心。從つて後悔の狀態。五月二十八日○糖分の檢査つゞき。五月二十八日?眞鍋より電話。午、晩二十九日朝、の尿を例の如くパン三分一で試すといふ。二十九日送る。三十一日電話にて報告あり。午の分に出る。是は朝腦を使ふ仕事(小說一囘を書く)の爲だらうとの疑。是から毎週一囘宛尿の檢査をやるといふ。午の分に出た糖分は前のより少量なる由。眞鍋の助手は〓究のため自分の小便の表を作つてゐる由。六月二日子供と話「お父さん箒星が出ると何か惡い事があるんでせう」「昔はさうさ。人が何も知らないから。今は人が物事が解つて來たからそんな事はない」「西洋では」「西洋では昔からない」「でもシーザーの死ぬ前の日に彗星が出たつていふぢやないの」「うんシーザーの殺される前の日か。そりや羅馬の時代だからな」「お父さま地面の下は水でせう」カニテル
九九七「さうさ水だ井戶を堀ると水が出るからな」「それぢやなぜ地面が落こちないの」「そりやお前落ちないさ」「だつて下が水なら落ちる譯ぢやないの」「さう旨くは行かないよ」「お父さま、此宅が軍艦だと好いな。お父さまは」「お父さまはたゞの宅の方が好いね」「何故」「何故つて譯もないが」「だつて地震の時宅なら潰れるぢやないの」「ハヽア軍艦なら潰れないか。こいつは氣が付かなかつたな」お父さまは」六月初柿の花、落ち。豆蔦の花(梅にからんだ)落つ。熊ん蜂が其形を吸に來る六月七日袁世凱の死キツチナーの溺死原北海海戰の際クヰーンメリ號に觀戰武官として乘り込みたる下村小佐の死一時に傳へらる其他タゴールが横山大觀の家に逗留の事。スミスが昨日の飛行、藤三人三浦邸會合の事スミスが昨日の飛行、一昨夜の夜間飛行。原犬養、加原六月十十五薩摩上布(三十二圓)十ノ字絣。皆川より着六月十六日大風。柿の(十七日) (豆見たやうな)實落つ。栗の花。スミス墜落六月十七日×三笠絽×より三笠次六
九六二×冷風紗×靑梅紗×兩面紗極暑夏羽織〇六月二十日頃。パン半斤ノ五分二にて試驗。報告無糖分六月二十六日梅雨がしきりに降る。此間から入梅なれど去したる雨量もなし、或時は蒸暑し、五六日前より白地の浴衣を着、豆小供は氷水をのむ。今日はさすがに白地を着る氣なく。紬の單に白の編絆を重ぬ。六月二十二三日頃。緣日白百合、柘榴の眞紅の花。紫陽花、ジエレニアム袷羽織)を着てもよし六月二十六)豪雨。二十七)二十八陰六月二十八日風矢張寒し○銅器に色をつけるもの、かりやすか、草の名黄色になる○上州で繭からザクリ(?)で絲をとる事。(手でとる事)。りわるし(蒸汽)上手なものは七升位とる。器械よ葉物の刈込ヒバカナメ靑桐松五月六月梅雨中一〓〓等原土曜後九月一回〓みどりの長く延びないうち、まづ五月六月下旬季節もの靑鬼灯、所々ニ白き花糖六月二十九日午後。晩六月三十日朝、ニ糖分ナシ。晩ニハ出た。パン半斤二分ノ一で尿につき糖分の試驗午後と朝九六三
九人四六月三十日バンドマン行原六月九日小宅の庭前○鳳仙花花(赤い)さく原○わすれな草薄いらエンダーカラーノ五瓣極小原○孔雀草、黄八瓣の本(黑赤)○小櫻草○われもこう○葉鷄頭。長さ四寸程○菫三寸程花あり濃紫○新菊○おいらん草○おしろい草。まだ咲かず。八月さく○百合○カンナ(まだ咲かず)咲いたのもあり○虎の尾(五寸程)まだ咲かず。八月さく(まだ咲かず)咲いたのもあり(五寸程)○きりん草。七月十一日糖試驗午、晩、(十二日)朝パン半斤二分一ニテ試驗七月二十七日? (土用丑の日)前後雨、寒。麻のシヤツを浴衣の下に着る。九五五
斷(藤井朝38 50位1 五(岡本精津田由雄のぶ小林さん眞事ま眞弓こと喜久醫者一百合繼(十) (14) (20)一片お小林金〓〔『明暗』〕-大正五年初夏頃-九六七九六六
九六八喜多×吉川正夫吉川奈津直之助三好津田の妹婿× 、堀秀庄太郞由子津田の上役佐々木×嫁入の事〓金の事×結婚に對する批評の事うき〓〓する事、まだ定まらぬ事芝居へ行きたがる病院へ一所に行きたがる髮を刈れといふ×京都からの事×病氣入院の事×子供に會つて强請の事津田三人對話藤井夫婦三人對話アテコスラレテ怒ルノハ、自分にサウ云フ匂があるからだ。答曰ク、泥棒ヲシナケレバ泥棒扱ニサレテモ腹ハタヽナイカ一ハ後から脊中をどやす二ハ其賠償として後から其脊中をさする○ホゴス、ホゴサヌ事○君はgen. caseヲ以テP·caseサウトスルcaseヲ律セントスル。僕ハP·カラo. caseヲ割リ出九九九
九七〇小山吉川吉川津田岡岡本岡本男女男△原延延娘繼女住男△精住三好岡本奈津繼吉川延ニ○客路靑山外行舟綠水前○源水看花入幽林採蘭行○月從山上落河入斗間横○無心到處禪○林下僧無事江〓日復長○花生曉夢迷蝴蝶望帝春心託杜鵑○香消南國美人盡照入東風芳草多○濃彫覺來鶯亂語驚殘好夢無尋處九十二
著大正十三年七月五日發行大正十三年七月一日印刷印印右編輯及發行代作刷刷表權所者者者東京市神田區美土代町二丁目一番地島東京市神田區美土代町一一丁目一番地岩東京市神田區南神保町十六番地漱石全集刊行會三波連秀太茂郞雄夏漱石全集第十一卷目純九上三舍郞雄一(大森製本)

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