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禍津神? 三島由紀夫の『神の湾(いりうみ)』をどう読むか①

 至高き女神のみことのまにまに、天上の一領国を統治してゐた男神があつた。領国はひろいひろい入り江に臨み、その沖に泛ぶ嶋々、あまたの美しい岬、程ちかい星や雲の数々をも併せ持つてゐた。男神の下には彼の領国に古くから住む矮(ちひ)さな物静かな神々がをり、またそれらが生んだ幾柱かの禍津神(まがつび)がをり、彼等は身をよせて永遠の昔からのやうに囁き合うてゐた。

(三島由紀夫『神の湾』『決定版 三島由紀夫全集』新潮社2001年)

  三島由紀夫の『神の湾』は恐らく戦前に書かれた作品で書きかけである。途中で終わっている。ただここには三島独自の世界観が見られることから、少し確認しておきたい。

 まず禍津神の読みは普通「まがつかみ」である。「び」と読む字がない。従ってここで三島が意識しているのは「禍津日神」であり「まがつひのかみ」である。

 天上の男神の領国に、物静かな神々が生んだ幾柱かの禍津神を住まわせるというアイデアは『古事記』『日本書紀』を離れ、本居宣長も平田篤胤も離れた独特なものである。戦後の発言等から、三島はどちらかと言えば平田篤胤の影響下で『古事記』を読んでいたようなところがあるのではないかと思われる。しかし平田篤胤そのままではない。それこそ保田与重郎の影響も確実にあっただろう。

桶谷 保田先生は古典の講義をされたんでしょうか。
保田 多分。それとも祝詞だったでしょうか…。
桶谷 それは二週間に一度ぐらいの。
保田 一週間に一回ぐらい来られました、その頃は。大学生になってからは来られませんしね。

(『正論』平成十二年三月号、桶谷秀昭・保田典子「注目対談 夫人が初めて明かす保田與重郎の戦後」)

 祝詞の講義であれば禍津神が出てくる可能性がある。この辺りは掘ってみると『英霊の声』に繋がる面白いものが出てくるかもしれない。 


祝詞略解

 不思議なのは禍津神が邪神らしい感じがしないということである。そして禍津神を生んだのが「彼の領国に古くから住む矮(ちひ)さな物静かな神々」であり、この男神が「矮(ちひ)さな物静かな神々」を生んだとも書かれていないことである。

 まずこの男神に関しては素戔嗚尊なのではないかと疑うべきところでもあろうが、この男神には格別荒ぶる気色がない。

 むかし神々に夢想はなかつた。彼のみは夢想をもつ神である。

(三島由紀夫『神の湾』『決定版 三島由紀夫全集』新潮社2001年)

  この男神の特徴は更に、このようにも書かれる。

「私には訪れがある!」実にそれは稀有なことであつた。神はしずかにやすらかにほのぼのと明るくたゞ在るばかりであつた。そのかみある神は身を隠した。雲間にわけ入る星のやうに一ト足二タ足退いたときもう誰の目にも見えなかつた。神々はまた自ら訪れることもなかつた。

(三島由紀夫『神の湾』『決定版 三島由紀夫全集』新潮社2001年)

 男神には「訪れ」がある。

 一方の「在る」だけの神は「自ら訪れることもなかつた」。この神、あるいは神々の訪れないという性質に反して、男神は夢想し、訪れる。そしてイメージ的には隠れる神、天照大御神であり、男神は素戔嗚尊でなければ大国主命かというところであろうか。

 面白いのはここで天照大御神らをただ在るだけの神にしてしまっていることである。しかし物語は「愛」という章タイトルを片づけないままここで中断している。
 男神は昔の神々のように笑いたい。

 今の神々は笑っていない。しかし笑いたいとはなんと人間的な神であることか。

 この〈絶対者〉や「天皇」のいない人間的な神々の神話の世界が戦前の三島由紀夫の神々の世界である。あくまで神々であり、神々は絶対者ではなかった。ここでは天照大神との合一など期待してもいない。

[余談]


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